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		<title>タグ“法と道徳”の公開資料</title>
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		<description>タグ“法と道徳”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[法と道徳の峻別について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951645008678@hc11/88262/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yosh_rock]]></author>
			<category><![CDATA[yosh_rockの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 17:15:39 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951645008678@hc11/88262/" target="_blank"><img src="/docs/951645008678@hc11/88262/thmb.jpg?s=s&r=1322036139&t=n" border="0"></a><br /><br />「法と道徳は峻別されなければならない」とする考えの是非について論じなさい。（2011年度第2課題、評価C）[147]<br />１、法も道徳も社会生活を規律する客観的な社会規範である。近代西欧国家以前において、ローマ法以外の法体系は、法と道徳との区別がされていなかった。
　しかし、近代市民法のように「人の支配」から「法の支配」の確立と身分的・非法律的な拘束から脱するため、法実証主義を中心に近代の合理主義的論理と無矛盾性の原理に基づいて、法と道徳は峻別されていった。
　ところが、資本主義経済の高度な発展は、形式論理的に法を適用するだけでは処理しきれない社会問題が累積し、資本主義のエゴイズムに奉仕する近代法に歯止めをかけるためにも、解決手段として、法と道徳との積極的結合、法の倫理化・社会化が要請され、あらためて「法とは何か」、「法を法たらしめているものは何か」という、法の本質に関する議論がされるようになった。
２、法も道徳もともに社会に存在する客観的な規範であり、経験的・相対的な社会規範である。以下、これらの認識の上で比較検討していく。
　(1)法の外面性と内面性
　法は、外面的行為に対する規範であり、反対に道徳は、人間の内心意思に対する規範であるというものである。しかし、刑法第38条のように、法も内心意思に関わり..]]></description>

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			<title><![CDATA[２０１１法学レポート 法と道徳　A評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952956002983@hc11/82388/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ユウスケさん]]></author>
			<category><![CDATA[ユウスケさんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Jun 2011 15:24:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952956002983@hc11/82388/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952956002983@hc11/82388/" target="_blank"><img src="/docs/952956002983@hc11/82388/thmb.jpg?s=s&r=1308119058&t=n" border="0"></a><br /><br />法も道徳も社会規範である。この二つの社会規範を法の本質に関わる問題である論及すべき意義は何か。本問を論ずることで法の本質の理解に繋がるといえるのである。以下、歴史的考察を踏まえ論及する。
かつて、法史上近代西欧諸国においては、ローマ法を除いて法と道徳との明確な区別はなく、実定法以外の身分的な非法律的な要素によって拘束されていた。しかし、近代の合理主義的科学の峻別の論理と無矛盾せいの原理により、法と道徳とは区別されていった。この目的に向かって貢献したのが、法実証主義である。ところが、資本主義経済の発展により貧富などの問題が累積し、法と道徳とを無関係な規範として切り離す訳にはいかなくなり、そこで改めて「法とは何か」という法の本質に関する問題が議論されるようになった。
先ず、法と道徳との関係を検討する前に２つの前提条件を掲示しておく必要がある。
第一は、法と道徳とを同一の次元において把握するという事である。両者は個人の主観ではなく社会に存在する客観的な規範であるとし、この共通の次元にて比較検討されなければならない。
第二は、法も道徳も経験的・相対的な社会規範として把握するという事である。道徳..]]></description>

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			<title><![CDATA[hougaku-03(道徳b)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962942425415@hc08/20192/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marunire]]></author>
			<category><![CDATA[marunireの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Mar 2008 22:26:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962942425415@hc08/20192/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962942425415@hc08/20192/" target="_blank"><img src="/docs/962942425415@hc08/20192/thmb.jpg?s=s&r=1204982764&t=n" border="0"></a><br /><br />法と道徳の関係について論じなさい 
1 序論 
法と道徳はいずれも社会規範である点では共通している。それは、単に事実上の関係がある
だけでなく、より必然的な結びつきがある。しかし、法と道徳とは相互依存関係を有するがこの両
者はまった[336]<br />]]></description>

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