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		<title>タグ“沖縄”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%B2%96%E7%B8%84/</link>
		<description>タグ“沖縄”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[東京福祉大学教養基礎演習Ⅱ科目終了試験ポイント1　次の出来事を年代順に並べ替え、どのような出来事か簡単に説明せよ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きょうたろう２号]]></author>
			<category><![CDATA[きょうたろう２号の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Sep 2024 18:03:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/" target="_blank"><img src="/docs/911001053949@hc24/153903/thmb.jpg?s=s&r=1725872582&t=n" border="0"></a><br /><br />東京福祉大学科目終了試験のポイント
科目名：教養基礎演習Ⅱ　科目コード:1008
文章表現の科目終了試験学修のポイントの1です
今年からオンライン試験に変わったので、参考にしていただければと思います。[285]<br />沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれ、日本国憲法が適用されず、立法・行政・司法といった施政権は米国が握っている状況であった。その施政権が1972年5月15日に日本に返還されたことを沖縄返還と呼ぶ。沖縄返還では、沖縄本島はもちろん宮古列島、八重山列島、久米島、大東諸島などの諸島もアメリカから返還されることとなった。1960年に入り、強制的な土地接収に対する「島ぐるみ」の運動、理不尽な無罪判決への反発など米軍の圧政に対し、住民は声を上げ続け、沖縄住民の日本復帰が期待されていた。そんな中、佐藤栄作首相が沖縄返還を実現するためにアメリカ政府との交渉を進め、1972年5月15日、正式に沖縄が日本に返..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[首里]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148908/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2022 13:58:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148908/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148908/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148908/thmb.jpg?s=s&r=1656478737&t=n" border="0"></a><br /><br />首里
首里しゅり、沖縄方言:
スイは沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市市制施..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[首里城]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2022 13:57:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148907/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148907/thmb.jpg?s=s&r=1656478677&t=n" border="0"></a><br /><br />首里城
首里城しゅりじょう、沖縄方言:
スイグシクは、琉球王国中山首里現沖縄県那覇市にあり、かつて海..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[在日米軍問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933228868551@hc17/130229/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hondabike32]]></author>
			<category><![CDATA[hondabike32の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Aug 2017 18:10:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933228868551@hc17/130229/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933228868551@hc17/130229/" target="_blank"><img src="/docs/933228868551@hc17/130229/thmb.jpg?s=s&r=1502097003&t=n" border="0"></a><br /><br />某国立大学の講義で優をもらいました。[54]<br />在日アメリカ軍基地の諸問題
はじめに
　
2016
年
4
月、沖縄県にて
20
歳という若さの女性が米軍属の男によって性的暴行を加えられ
た後、殺され、遺棄されるという大変心が苦しくなる凄惨な事件が発生した。沖縄県でこのよう
な凶悪な犯罪が発生したのは今回が初めてではない。日本に米軍基地があるからこれらの犯
罪が起きている、日本から即撤退すべきだという意見もある。そうした意見も踏まえたうえで、こ
れらの犯罪を含めた米軍基地が日本にあることによって引き起こされている数々の問題につ
いて考えていきたいとおもう。
在日米軍の規模
　まず初めに在日米軍の規模についてみていきたい。在日米軍の軍人や軍属そしてその家
族の数は平成
25
年現在、本土で約
5
万人、沖縄県内で約
5
万人の計役
10
万人という数に
のぼっている
1
。また、日米地位協定に基づいて在日米軍が使用することができる施設、区域
数は平成
28
年
3
月
31
日現在本土に
48
沖縄県に
31
の計
79
か所である。またでいうと
で
303,690
にも
2
。
事件故
　日本のの在日米軍の撤退を声がっているが、その..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学概論期末レポート　教育と倫理の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943159768142@hc14/115209/]]></link>
			<author><![CDATA[ by subciety]]></author>
			<category><![CDATA[subcietyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Aug 2014 21:27:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943159768142@hc14/115209/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943159768142@hc14/115209/" target="_blank"><img src="/docs/943159768142@hc14/115209/thmb.jpg?s=s&r=1409142476&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄国際大学　倫理学概論の課題レポートです。レポート作成の参考としてお使いください。

設題「教育と倫理の関係」[164]<br />倫理学概論期末レポート
テーマ
「教育と倫理の関係」
　今回は教育と倫理の関係について考察していく。条件としては、教育される者の「自由」について検討することのようだ。順を追って論じていくことにしよう。
そもそも「自由」という言葉にはいろいろな意味がある。強制からの自由、貧困からの自由、選択の自由、内なるエゴからの自由、放任としての自由&hellip;。
例をあげればキリがないのでこの辺で止めておくが、上記のように一口に「自由」といってもその意味は多義的だ。しかし、そんな「自由」も二つに分類することが出来る。そこで、アイザイア・バーリンの有名な定義に倣って、「積極的自由」と「消極的自由」を区別することから検討をはじめたい。
「積極的自由」とは、「～への自由」、すなわち自己支配としての自由であり、これには、自己を律する「自律」の意味と、集団によって集団を律する「自治」の意味がある。これに対して「消極的自由」とは、「～からの自由」、すなわち強制からの自由であり、これには他者の干渉からの自由と、自分の内なる強制状態（押さえがたい衝動や、自由を享受する能力の不足）からの自由という意味がある。註（1）バーリンの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「琉球歌謡論」検討]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/105071/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 Jul 2013 20:20:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/105071/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/105071/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/105071/thmb.jpg?s=s&r=1374578452&t=n" border="0"></a><br /><br />玉城政美『琉球歌謡論』の儀礼歌謡の項を外間守善『南島文学論』と比較検討したものです。[126]<br />講義内でつかった『琉球歌謡論』の儀礼歌謡の項に関して要約し、そこでおこなわれている分類方法と、他の研究者のものとを比較・検討してみる。
１．『琉球歌謡論』内容要約
　筆者は、琉球の歌謡の四つの分類のうち、「生活手段的事象を課題とする歌謡群」の分野に「儀礼歌謡」と名をつけている。儀礼歌謡とは、人々が守護神と交流する世界をことばによって表現した作品である。そしてその内容には「社会が望ましく思うことがら」が繁栄されており、とくに琉球では儀礼の目的を表現する手段として歌謡が重要な役割を担っている。また、国家や村落共同体以外の、家庭や個人レベルにも私的儀礼があり、そこには歌謡が存在する。これは、社会的な問題は公的儀礼で、個人的な問題は私的儀礼で歌謡を用いて解決しようとしているのであって、それを実践する次元の違いである。
　歌謡によっては表現主体自身の役柄に言及したり、聞き手に働きかけたりする以外に、儀礼の情景や儀礼行動を表現することに主眼をおいた歌謡も存在する。こういった歌謡には、儀礼世界を構築、あるいは意味づける役割がある。とくに、琉球の儀礼においては、ことばの力による儀礼世界の表現それ自体が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[情報メディアの活用B　中間レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100546/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tototommy]]></author>
			<category><![CDATA[tototommyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2013 00:47:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100546/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100546/" target="_blank"><img src="/docs/948600391820@hc12/100546/thmb.jpg?s=s&r=1359388073&t=n" border="0"></a><br /><br />中間課題として、レファレンスツールを用いた具体的な案を作成した。[96]<br />情報メディアの活用
B
　中間レポート
日
常的な問題を考えるための参考資料（レファレンス・ツール）
中学生と沖縄基地問題を
考える
基地は
県外移設
すべきか、否か
また基地問題
が紙面
を飾った。一川防衛相の一連の失言が問題になっている
のだ
。まさに沖縄
基地問題は現在進行形の問題であり、紛糾きわまる状況にある。
　中学生たちに、この現在進行形でこれからも続くであろう問題について調べ、継続的な学びにし
てほしい。また、どうしても存在する沖縄県民（ウチナンチュ）と本土の人（ヤマトンチュ）の温度差
を解消するに当たっても中学生からこの問題に関心をてことが基地問題を解る
一なるかもしれない。沖縄の基地のげでな日生活があることをすること、日
本のについてもをことは、的資なことと考える。
料の・ツール
　基地問題の基ること、中学生のわかる資料であることをのとするため、東
の資料をとするが、にてのためにに
をする。また、沖縄の、
、関係
など、基地問題のとなるトピックについても
資料を用るべきと考える。
報の形た資料の
　　　　　　　　　　　　　　　　にどのようにたか、またそのの
（
A
）
メディア
　　　縄の基地問題、、について基れた本
　　　　　　　　
Amazon
で縄　基地どの
キーワード
でしてを
し
て一をした。
　　　　　　
縄県の中学生たちが本
　　　　　　　　
google
にて
縄　中学生　　本どの言
後、
社
である
沖縄
をし、
た。
　　　地問題についての、にられる基地問題についての
　　　　　　　
の（学）にてのでし、
て
閲覧した。
　　　
雑誌地問題に関するルポ タージュ
　　　　　
　
　大
宅壮一文庫の 雑誌を用いて
しからの
雑誌
を特定、大
学て
閲覧した。
（
B)
視聴覚
メディア
　
　　
ＶＨＳ
、ＤＶＤ縄基地 闘争やを 扱ったュメン タリー、映画
　　　　　　　　　　　　　
Google
にて縄　基地　ュメン
タリーどでし、 制作会社へ
の問
合した。また、
NHK
のュメン
タリーをため、
NHK
アー
カイブスに問い合わな
どしたが、
しかし、
ＤＶＤ化
されて
いなかったり、
海外でのみ販売されているものもあり
、
困難な
ものもあ
ったため、できる
範囲で利用した。学館 や、私的に録画・視聴したもの
をた。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[学習指導と学校図書館 期末課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100548/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tototommy]]></author>
			<category><![CDATA[tototommyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2013 00:54:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100548/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100548/" target="_blank"><img src="/docs/948600391820@hc12/100548/thmb.jpg?s=s&r=1359388470&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定獲得。PLUSモデルを用いた学習指導案と、生徒の気持ちになってシュミレーションした調べ学習の研究成果（レポート）[167]<br />学習指導と学校図書館
ＰＬＵＳモデルを使った
情報活用能力を高める学習指導案
Ⅰ．対象とテーマ
　　対象：中学２年生
　　テーマ：沖縄
　　関連科目：音楽、家庭科、美術、理科、英語、地理
　　授業形態：１クラス４０人　６～７人
&times;
６グループ
　　授業時間：５０分
&times;
１０コマ
　　　　　　　　　　１時間目―
PLUS
モデルとテーマの説明、グループと役割分担決定
　　　　　　　　　　２時間目―ブレインストーミング、コンセプトマッピング、テーマ決定
　　　　　　　　　　　　　　　　　情報収集の方法を説明
　　　　　　　　　　３・４時間目―情報収集
　　　　　　　　　　５時間目―中間発表
　　　　　　　　　　６・７時間目―発表準備
　　　　　　　　　　８・９時間目―グループ発表　１５分
&times;
３グループ
　　　　　　　　　　１０時間目―自己評価、まとめ
Ⅱ．ＰＬＵＳモデルの紹介
Purpose
（目的）　テーマを決めて知っている情報から知らない情報のを明らかに
。
Location
（情報の）　さまな情報らテーマした情報を。
Use
（情報の）　収集した情報をしなし、発表を。
Self-evaluation
（自己評価）　を自己
/
のから評価。
Poupose
（目的）
　
Brainstorming
：リシャて知っていること、連れることを。
Concept-mapping
：情報を図とめ、グループーマを。
Location
（情報の）
・沖縄学校中学生　沖縄と縄時２００２）
　　沖縄中学生使っている、、、などを。
人んなをしているのかなるは
・自るリカン２００２）
　　自るためのＨ　Ｔはの、自のインタビ力る。日
ているい。そろそろまって
きている２年生だからこそ、進路い
ても
示唆を与えてくれる
・今
井正　監督『ひめゆりの塔』東映（１９５３）
　い
わずと知れた名画。中学生 少し退屈なのかれない 当時の価値観や戦時中の様
子
を知るのてこいの。人の基 礎教養ともいえる。
・縄を知る事
典集 委員縄を知る事 典 外アソシエーツ株式（２０００）
　　
一応児童書なの 字は大きく や係でわからない言葉・方言れ ばこの
優しい言葉で解説してくれる。字誌リストや米軍海上ヘリ年表沖縄のストなど、
付録
が充実している。
・
丸木政臣える　戦跡との 島』岩崎書店（１９８９）..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【HAPPYCAMPUS】時事予想問題 40]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/98377/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happyadmin]]></author>
			<category><![CDATA[happyadminの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Nov 2012 11:13:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/98377/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/98377/" target="_blank"><img src="/docs/hcguide/98377/thmb.jpg?s=s&r=1352427229&t=n" border="0"></a><br /><br />HAPPYCAMPUS予想時事問題
※本レポートの目的は、学習情報共有として提供しております。最近の国際及び日本の重大になっているニュース記事を中心にまとめておきました。是非、ご活用ください。
【政治】　 九州市長会「オスプレイ反対」採択せず　失望広がる沖縄
朝日新聞　2012年11月9日
　沖縄県宮古島市で８日まで開かれた九州市長会で、米新型輸送機オスプレイの沖縄配備に反対する決議の採択が見送られた。沖縄県以外の九州の一部市長が「国の専管事項。決議はなじまない」などと反対。名称や内容を変えて採択したが、「骨抜き」決議に沖縄から失望の声が広がった。
　決議の原案は地元の県市長会が７日の総会で提案した。全会一致が原則の意思決定をどう進めるか。８県の市長会長や理事らが８日にかけて対応を話し合った。
　「負担の軽減」をうたう決議名に変わり、内容もトーンダウンした。原案から、オスプレイ配備の撤回を求める文言を削除。オスプレイへの沖縄県民の不安に理解を示しながらも「これ以上、沖縄県に負担を押しつけることがないよう」と改め、１２機の配備を実質的に認めた。
　７日の総会で、米軍基地を抱える長崎県佐世..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[05行動学概論_社会]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94054/]]></link>
			<author><![CDATA[ by geo2154]]></author>
			<category><![CDATA[geo2154の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Jun 2012 14:51:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94054/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94054/" target="_blank"><img src="/docs/953256000696@hc11/94054/thmb.jpg?s=s&r=1338961887&t=n" border="0"></a><br /><br />人間行動学概論レポート　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
１．人間行動学とは
　人間は行動する存在であり、それゆえ人間の生活上にはさまざまな人間行動を見ることができる。それぞれの人間行動には意味や動機が内包されており、それは他者との関係性のなかで行われるものである。それではある人間行動が行われる場合、その人間行動はなぜ行われるのか。そこにはどのような意味や動機が含まれていて、どのような他者との関係性のもとにあるのか。人間行動学では、これらの疑問を明らかにするために「人間」「社会」「文化」という3つの概念を用いる。つまり人間行動学とは、人間行動を「人間」「社会」「文化」の三項関係から理解・解明・考察する学問である。
　人間行動学においては、「人間」をパーソナリティの側面から捉える。パーソナリティとは個人の行動に見られる一貫した傾性を意味し、それは個人の属する「文化」の影響を大きく受ける。個人は成長していくなかで学習を通して「文化」を内面化させていく。これによって「社会」のなかでの生活をスムーズに行うことが可能となり、個人は社会化の過程を経ることとなる。個人は社会化されることにより、そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[04社会地理論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94034/]]></link>
			<author><![CDATA[ by geo2154]]></author>
			<category><![CDATA[geo2154の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Jun 2012 04:41:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94034/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953256000696@hc11/94034/" target="_blank"><img src="/docs/953256000696@hc11/94034/thmb.jpg?s=s&r=1338925312&t=n" border="0"></a><br /><br />社会地理論　レポート
「文化」に関する社会運動の現れ　
　　　　　　　　　　　　　　～大正区小林と福島区野田の事例～
１．「文化」に関する社会運動 
　10月からの半年間の講義のなかで、あいりん地域の日雇労働者を中心として、大阪におけるマイノリティによる社会運動の事例を見てきた。日雇労働者や部落、在日、沖縄といったマイノリティに対して、長期間にわたり差別や偏見が向けられてきた。現在に至っても、そのような差別・偏見はなくなったとは言えない。
　そのような状況のなか、マイノリティは社会的に苦しく、厳しい環境で生活せざるを得なかった。厳しい環境からの脱却を図って、在日は経済的な豊かさの獲得を、日雇労働者は社会保障の獲得を(これは日雇労働者自身ではなく、NPOや行政の行動であるが)、部落や沖縄は権利の獲得を目指した。これらの運動の共通点は、自分達がどのようにすれば社会の中で生き抜くことができるのかを考えたものであって、運動の流れは「マイノリティ&rarr;マジョリティ」の一方通行である。マイノリティ側の視点とすれば、マジョリティは敵対するものと捉えていたと思う。無論、マジョリティのマイノリティへの理解には程遠い状態であろう。
　マイノリティの置かれていた厳しい環境とは、マジョリティによる差別や偏見、無理解によって引き起こされたものであると考える。とすれば、マイノリティに対する真の理解がなければ、表面上の環境改善がなされたとしても、本質的な環境改善にはつながらないと思う。
　今回のレポートでは、「マジョリティ&rarr;マイノリティ」の理解の流れにつながると考えられる、マイノリティの文化発信に注目したい。また、非マイノリティである一般地域における文化についても注目したい。マイノリティ地域と一般地域において、「文化」に関してどのような現象が現れているのか探してみた。
２．マイノリティによる運動　～大正区・沖縄出身者による事例～
２－１）はじめに
　　　　　　大阪市大正区。湾岸の工業地帯、メガネ橋、「急行」市バスなど、この街のイメージは様々思いつく。しかし、「沖縄出身者」による街というイメージを避けて通ることはできないだろう。戦前より沖縄の人々は仕事を求め、大正区へやって来た。この街には貯木場や製材所などが多く、肉体労働者を必要としていた。大阪に生活基盤を持たない沖縄出..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地球の環境とその保全～オニヒトデについて～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/93804/]]></link>
			<author><![CDATA[ by micchan2000]]></author>
			<category><![CDATA[micchan2000の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 May 2012 23:05:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/93804/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/93804/" target="_blank"><img src="/docs/949913111368@hc12/93804/thmb.jpg?s=s&r=1338300317&t=n" border="0"></a><br /><br />大学２年次の「地球の環境とその保全」という授業のレポートです。約１５００字。[114]<br />地球の環境とその保全　課題レポート
～オニヒトデについて～
～最初に～
オニヒトデは全身がトゲに覆われている大型のヒトデで、サンゴを食べる生き物としてよく知られている。また、そのトゲに刺されると非常に痛く、大きく腫れてしまうほどの猛毒を孕んでいる。
近年、沖縄本島や奄美諸島における大発生が記憶に新しいところであるが、一度大発生するとサンゴを食べつくしてしまうため、現在環境省を中心とし駆除作業に力を注いでいる。
～オニヒトデの形態～
　普通は30～40ｃｍほどで大きなもので60cmほどになる。
腕の数は8本から21本あり、色は灰色、オレンジ色、青色などがある。
体の表面に小さなピンセットのような形をした叉棘をたくさん持っており、これが侵入者をパチンとはさんでとらえる。
　オニヒトデにも雌雄があるが、見た目からでは判断することができない。
　分類としてはウニやナマコと同じ棘皮動物の仲間である。
～オニヒトデの生態～
　4月下旬から7月にかけて放卵・放精する。生殖器は腕の付け根にある。
　雌は1匹で1年に数千万個の卵をうむ。それが孵化すると、浮遊幼生となり、数週間植物プランクトンを食べながら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[火の神と日の神]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/87983/]]></link>
			<author><![CDATA[ by houcheck]]></author>
			<category><![CDATA[houcheckの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Nov 2011 19:05:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/87983/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/87983/" target="_blank"><img src="/docs/952186677794@hc11/87983/thmb.jpg?s=s&r=1320833134&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄における「火」の神と「日」の神についての係わり合いについて。主におもろそうしの観点から、沖縄にはどのような独特の世界観・生死観があるのかを論じる、また、沖縄の遺跡についての詳細と太陽信仰のつながりなど。[309]<br />本レポートでは、沖縄における「火」の神と「日」の神についての係わり合いについて論述する。
沖縄には、グスクに太陽崇拝を想起させる造りが見られる。浦添グスクでは昇ってくる太陽の光がアーチ型の石の門の向こう側から差し込み、神々しい演出が醸し出される造りになっている（そこを通り抜けると王の墓がある庭がある）。また、世界遺産の斎場御嶽でも久高島の方角から日が昇るのが見える。その際、三角形のトンネルがある三角岩に太陽の光が差し込む。太陽は東から昇り西へ沈むが、地を巡って再び東から昇ってくる不滅のものという生死循環の思想がある。上記のような造りには「洞窟（地中）の向こうに太陽」という概念が現れており、洞窟型のトンネルを通じてニライカナイへ行くというイメージを連想できる。アーチ型の門が少し小さめに作られているのは、神聖な場所へ踏み込む時に一度自然に頭を下げさせるような造りになっているとのことだった。
沖縄ではニライカナイともう一つ、天上のオボツカグラという世界観もあり、太陽神はここにいると考えられた。按司時代になると、火の神は太陽神、つまり日の神と融合していく。これは按司を「太陽神の子孫」として威厳..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[オリオンビールの経営史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958993309135@hc09/84431/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 07da028]]></author>
			<category><![CDATA[07da028の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2011 11:28:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958993309135@hc09/84431/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958993309135@hc09/84431/" target="_blank"><img src="/docs/958993309135@hc09/84431/thmb.jpg?s=s&r=1312424895&t=n" border="0"></a><br /><br />オリオンビールの経営史
アメリカ合衆国統治下の1957年5月18日に、社会経済復興には第二次産業（製造業）を興さなければいけないという志から、当時から名水が湧出していた名護町（現在の名護市）で沖縄ビール株式会社として設立された。当時の資本金5000万B円。1957年5月時点での日本円とのレートは3円 = 1B円だったため、現在は創立時は資本金1億5000万円と表記されることがある。同年11月1日にブランド名を県民に懸賞金付募集広告として新聞で公募を行い「オリオンビール」と名付けられた。ちなみに賞金は1等1万B円、2等3,000B円、3等2,000B円、当時としては破格の高額だった。なお、「募集..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦争体験と核]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78520/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78520/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78520/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78520/thmb.jpg?s=s&r=1296574129&t=n" border="0"></a><br /><br />戦争は自らの歴史性と特殊性より、まず、過去の戦争を再現することが相当難しいと思っている。戦争体験といっても、主に生き残った人の証言を聞いたり、戦場で撮った映像や写真を見たり、などのことを通して、その時の歴史を振り返ることにすぎない。完全に再現できなかった以上、その体験というものは本当に戦争の本質、若しく人々は当時の状況に陥っていたのを伝達できるのか？また何らかの意義を持っているのか。私はこれについて、否定の意見を抱いている。戦争である限り、死傷者が必ず出る。そして、これにより生じた悲惨や傷はどんなに戦争体験しても、今の時代に生きている人に伝達できまい。体験はあくまでも体験であり、自分自身はその..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[多元社会の現状～天皇に捧げられた沖縄]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78486/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78486/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78486/thmb.jpg?s=s&r=1296574105&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄・琉球王国は、１３７２年に中国の明によって独立国として承認されてから、１８７９年に日本国家に併合されるまで、既に５００年あまりにわたって存続してきた。その５００年の間には、１４世紀初期の三山時代の琉球統一戦争、１６０９年の薩摩島津軍の侵攻などのような戦争を経歴したこともある。幸い、大きい被害をこうむらなかったで、済んだ。でも、太平洋戦争最後のステージとしての沖縄で発生した戦争は、沖縄の歴史に想像が絶する悲劇は残されていた。軍人だけではなく、多くの一般県民にもこの戦争に巻き込まれて、９４０００人が犠牲となった。沖縄島に生活している５２万人の一般県民に限れば、実に４人に１人が犠牲になったのである。
１９４４年６月、マリアナ沖海戦に敗れた日本軍は、南太平洋の制空権・制海権を完全に失った。日本軍の敗退、米軍の進攻速度は、一気に加速されることになった。サイパン島、テニアン島、グアム島などの日本軍と一般日本人がつぎつぎと玉砕した。１０月、南太平洋の最後の防戦フィリピン・レイテ島の攻防に、残るすべての艦船、航空機を投じて戦い、敗れた時、日本の敗戦は決定的なものとなった。こうして沖縄は、皇土＝天皇..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[沖縄の歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78485/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78485/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78485/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78485/thmb.jpg?s=s&r=1296574104&t=n" border="0"></a><br /><br />先日、図書館で「琉球・沖縄写真絵画集成」というシリーズの図書を見つけた。合わせて五冊で、私はその第一巻の「かつて沖縄は独立国であった」に引き付けられた。主な内容は原始琉球から正式に王国の統一と成立を経て、中国の清朝への朝貢までの歴史、及び琉球独自の文化と風俗である。一度この本を読んで、かなり感心されたところが多い。いろいろな挿絵を通じ、詳しく紹介されている琉球王国の歴史と文化は驚くほど数多くて、詳しいである一方、今までまったく聞いたことがない内容もたくさん載られている。
琉球王国は、１３７２年に中国の明によって独立国として承認されてから、１８７９年に日本国家に併合されるまで、既に５００年あまり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[伊是名島の神女組織について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77962/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:44:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77962/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77962/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/77962/thmb.jpg?s=s&r=1295858681&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄県北部にある伊是名島は琉球王朝第二尚氏の始祖生誕の地として古くから特別視されてきた。とりわけ神女組織には特異性があり、本レポートではそれらについて古文書の引用や独自に作成した図を、用いてわかりやすく解説している。歴史分野におすすめです。[360]<br />1 
伊是名島の神女組織について 
1．はじめに 
伊是名島には尚円王(金丸)の姉 真世仁金を鼻祖とする「阿母加那志」という神職があり、
近年まで伊是名部落の名嘉家(屋号：御殿
ウドゥン
)で継承されてきた。また、尚円王の伯母にあたる
真世仁金は「二カヤ田の阿母」という神職を賜ったが、二人の娘がこれを継いだために、「二
カヤ田の阿母」は「北の二カヤ田」(伊礼家にて継承される)と「南の二カヤ田」(玉城家に
て継承される)の二家に分離し、存続していくことになった。さらに尚円王の叔父にあたる
真三
ま さ ぶ
良
ろう
は真和志の銘苅の領为「銘苅の大屋子」の職を賜り、代々その職を世襲していった。 
以上の四家を四
ユ
殿内
トゥヌチ
と呼び、これらは他地域にみられない第二尚氏ゆかりの特別職であ
る。ここでは特に、神女職である阿母加那志と北・南の二カヤ田の阿母を取り上げ、その
性質や役割を中心に以下に詳しく述べる。 
2．伊是名島の祭祀における阿母加那志とノロの実態 
赤嶺(2010)では、阿母加那志の参加するのは以下の七つの行事であると述べられている。 
・三月の「御嶽折目」 
・三月の「田..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「オナリ神信仰」に関する先行研究の流れと概要]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77959/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:44:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77959/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77959/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/77959/thmb.jpg?s=s&r=1295858661&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄に今も残るオナリ神信仰に関する先行研究などをわかりやすくまとめ、論じてみました。ゼミで使用したので多少マニアックではありますが、民俗学だけでなく、歴史地理人類学などにも対応しています。参考引用文献が比較的多いため、読み応えもあるのではな[360]<br />1 
「オナリ神信仰」に関する先行研究の流れと概要 
１．要旨 
「オナリ神信仰」に関する先行研究の流れと概要やそれらの視点をまとめ、報告する。 
２．先行研究の流れ 
1927 年、伊波普猷による論考「をなり神」が発表されたが、これは沖縄側からの民俗や
神歌等を通しての最初の重要な発表であった。1なお、柳田國男が 1925 年に発表した「妹
の力」は、「オナリ」という日本の言葉が若い盛装した田植えの日の女性であることに早く
から注意していた柳田が、この采女や『うなゐ』と関連のありそうな「オナリ」という言
葉が、沖縄では姉妹を意味するということを、1921 年に沖縄へ渡り、はじめて知ったこと
を踏まえて発表したものである。続いて伊波の「をなり神」の発表をふまえて「玉依彦の
問題」を 1937 年に発表し、この柳田による「をなり神」の紹介によって、「オナリ神」は
日本民俗学研究において注目を集めることとなった。2 
その後、民俗学や人類学の研究者によってさまざまな方向から研究されることになった
オナリ神信仰であるが、早期から沖縄の門中や家の研究と同時に「オナリ神」は社会構造
の一部として..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『巫女の文化』～第四章「兄と妹の物語」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77958/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:44:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77958/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77958/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/77958/thmb.jpg?s=s&r=1295858655&t=n" border="0"></a><br /><br />文学者倉塚曄子の同著を読んでの批評です。文学的視点ではなく、民俗学の立場から述べてあります。文字数も多く、完成度は高いと思われます。[198]<br />『巫女の文化』倉塚曄子著/平凡社(1979)～第四章「兄と妹の物語」を読んで 
初めに 
本レポートを書くにあたって、まず本書の第四章「兄と妹の物語」の本文に沿ってその内
容主旨を述べ、それに伴う批評を後に述べる。そしてその発展として、琉球(沖縄)における
ヒメヒコ制についても論点を置くことにする。 
Ⅰ.内容主旨 
(1) 兄と妹の絆 
沖縄では霊能で結ばれた特殊な兄妹関係が歴史時代を通じて今まで保たれ続けてきた。
しかし本土においてもそれは記紀に残されてあるように、歴史時代の始まりの頃までは存
在していたことが分かる。 
記紀に示されるいくつかの特殊な兄妹関係から、妹が兄の力になろうとした点に共通点
を見出すことができ、これらの妹と兄の絆の強さというのは人類学的(p.192 ℓ9)、系譜的に
も示されている。そして、この絆を軸として成立したものがヒメヒコ制(p.193 ℓ9)といわれ
るものであり、つまりは政治的、宗教的支配権の兄妹(姉弟)による分掌体制(p.193 ℓ8)であ
る。ヒメヒコ制の長い伝統の線上に実現したとみられるヒミコとその宗女壱与による統治
はその一典型として挙げることができる。 
(2) イイトヨノ郎女 
折口信夫によると、古事記における原文の返り点を従来の位置から動かせば、イイトヨ
ノ郎女は雄略系の王統から再び王権を奪い返し、殺された兄オシハノ王の子らを王位につ
けるという内容が読み取れるという。筆者はこれに対し、大方の賛成を示すが、イイトヨ
ノ郎女が宮廷高巫であると同時に二王子との強い血縁関係を持っていたという点に主な重
点を置く。記紀においても、書紀ではイイトヨノ郎女(オバ)が単なる皇位の空白期間を埋め
る中継ぎの役であるかのように示されているのに対し、古事記ではイイトヨノ郎女が即位
したかどうかなどの点が曖昧になっているために、筆者はここからオバ(イイトヨノ郎女)
とオケ・ヲケ二王子との関係により重点がおかれているのだという。またこのような古事
記の表記からも、古事記がオイに対するオバの話、つまり「妹」の霊能について語ろうと
している、と筆者は述べている。 
(3) 古代のオバとメイ 
ここでは古代の系譜を用いてオバとメイの関係における重要性を説く。 
まず、葛城氏の系譜から、二代にわたってオバ・メイの関係にある者が皇妃になってい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[．『さまよへる琉球人』と『滅びゆく琉球女の手記』比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77957/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:44:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77957/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77957/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/77957/thmb.jpg?s=s&r=1295858645&t=n" border="0"></a><br /><br />タイトル通りです。本文中の資料とは久志芙沙子による謝罪文や関連する雑誌の切り抜きです。また、後半部分は島崎藤村の『破戒』批評となっており、お得な文学レポートです。[243]<br />１．『さまよへる琉球人』と『滅びゆく琉球女の手記』比較 
本稿では、まず講義で配布された『さまよへる琉球人』に関する資料についてその趣旨
を述べ、次に『滅びゆく琉球女の手記』について同様に行ったうえで、それぞれを比較・
分析していくこととする。 
(1)『さまよへる琉球人』について 
まず資料のうち、抜粋された本文から得られる率直な感想を述べると、琉球人に関して
細かい観察を伴いながらも若干悲観的で、かつ物語中の H 氏の視線からみれば批判的に描
かれてあることに気付く。また、琉球人のもつ独特な名前や性格、雰囲気などの描写から
は、琉球人の野蛮さとそれに相対する人懐っこさがみられ、いわゆる本土出身の人とは区
別し、際立たせてあるようにみられる。見返と H 氏の対話からは、本題ともなっている「さ
まよえる琉球人」の主体性を読者に問う働きもみられ、読者にとっては、琉球人の哀感漂
う自己認識を感じられる場面でもある。金城朝永による『琉球に取材した文学(1946)』では、
この広津和郎の『さまよへる琉球人』によって巻き起こされた筆禍事件についても述べら
れており、さらに沖縄県青年同盟抗議文と広..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[目取真俊と沖縄戦について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73963/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73963/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73963/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73963/thmb.jpg?s=s&r=1289312677&t=n" border="0"></a><br /><br />目取真俊と沖縄戦について
第二次世界大戦において沖縄がその中でも激戦地区となったことは多くの人に知られていることだろう。私も沖縄出身で何度かひめゆりの塔や防空壕に足を運んだ。今回は本抗議で取り上げられた目取真俊と沖縄戦について論じたいと思う。
目取真俊な作品の「水滴」は、主人公の徳正の視線から物語が語られる。主人公、徳正は妻のウシと二人暮しの農夫である。子供はいない。その徳正の右足がある日突然膨れ出し西瓜のような大きさになり、足先から水滴が落ちるという奇病に罹ってしまう。原因はわからない、水滴を分析してもただの水である。徳正に意識はあったが体を動かすことも言葉を発することもできなかった。そして、ある夜から寝たきりの徳正のもとに沖縄戦当時の兵隊たちが傷だらけの悲惨な姿で現れ、徳正の足先からの水滴を飲みにくるようになった。そこで徳正は、彼らが徳正が避難壕に置き去りにした兵隊たちであることに気がつく。毎晩訪れる兵隊たちは礼儀正しく、順番に徳正の足先からの水滴を飲んでは去っていく。徳正は自分だけが助かった、逃げたという罪の意識を押し込めたまま戦後を酒と遊びに費やすのだが、昔自分が防空壕の中に置..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[聖徳大学通信　社会Ⅰ第一課題第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958811677521@hc09/67667/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fukuzawa]]></author>
			<category><![CDATA[fukuzawaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 May 2010 13:00:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958811677521@hc09/67667/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958811677521@hc09/67667/" target="_blank"><img src="/docs/958811677521@hc09/67667/thmb.jpg?s=s&r=1274414431&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート[18]<br />第一課題　第一設題
　学校教育における社会科とは、子どもの人間形成において、日本、世界を知るための最も重要な教科である。
その媒体となる基本的なものが、教科書である。
子どもたちは学校の先生や親が言ったことや、学校の教科書を信じ、そこから自分の考え、思想、意見等を持つのである。
そのため、教科書の持つ重要性は極めて高い。その教科書が、自国にとって都合のいいように歪曲されているのである。そのこと知らずにそれが全てであり、正しいものだと子どもは思ってしまい。子どもの潜在意識に刷り込まれることだろう。
その一例が、沖縄戦の集団自決である。
　沖縄戦は、太平洋戦争末期の１９４５年(昭和２０年)沖縄本島..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高度経済成長期の日本の政治]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958534650008@hc09/62593/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yang0212]]></author>
			<category><![CDATA[yang0212の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 13:00:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958534650008@hc09/62593/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958534650008@hc09/62593/" target="_blank"><img src="/docs/958534650008@hc09/62593/thmb.jpg?s=s&r=1264392045&t=n" border="0"></a><br /><br />１９６０年の安保条約改定後、池田勇人が首相に就任。「所得倍増」を標語とする高度経済成長が内閣の主要な施策となった。以後、１９７０年代まで高度経済成長の下、池田と佐藤の二人の首相による長期政権の時代が続いた。池田は「所得倍増」佐藤は「社会開発」を独自のブレーンによって構想し、政権に就くとそれを実行するスタイルをとった。
１９５０年代の「政治の時代」と比べて１９６０年代の国民の関心は「生活水準の向上」であった。「国民所得倍増計画」の池田案では、９％の成長率を原案に入れ込んだ。この案は、経済成長のための工業地帯の整備に加えて、成長経済から脱落しかねない後進地域への開発をともなった。池田のブレーン集団..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[沖縄のエイサーに見る観光文化の再構築]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957017655476@hc10/62349/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mohi2471]]></author>
			<category><![CDATA[mohi2471の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jan 2010 20:51:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957017655476@hc10/62349/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957017655476@hc10/62349/" target="_blank"><img src="/docs/957017655476@hc10/62349/thmb.jpg?s=s&r=1264161072&t=n" border="0"></a><br /><br />私は以前「沖縄文化論」を履修したことがあるのだが、その時に沖縄の伝統舞踊である「エイサー」について驚いたことがある。それは、現地の人にとっての「エイサー」の意味と元々の踊りが、私が「エイサー」だと思っていたものととてもかけ離れたものであった[360]<br />沖縄のエイサーに見る観光文化の再構築
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
私は以前「沖縄文化論」を履修したことがあるのだが、その時に沖縄の伝統舞踊である「エイサー」について驚いたことがある。それは、現地の人にとっての「エイサー」の意味と元々の踊りが、私が「エイサー」だと思っていたものととてもかけ離れたものであったと知ったことである。私は「エイサー」とは夏祭りに島をあげて盛大に行われる伝統的なイベントとして踊られるもので、踊りについては昔から変わらない形態でと思っていた。そして、今まで見たことのある社会科の教科書でも、「沖縄の伝統舞踊」と書かれ、その横には現在の「エイサー」の写真が載っていた。しかし、大学での講義で、それは違うということを知り、今回の講義で文化は観光によって再構築されるということを学んだ。そこで、私は今回「エイサー」はどのように再構築されたのかということについて考察していくことにした。
戦前の観光客の持つ沖縄のイメージは「沖縄独特の文化」であり、観光形態は「文化遺産巡り」であった。ほかにも、沖縄独特の昔ながらの暮らし、現地の人以外からみると風変わりな暮らしを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[オンブズマン制度の基本的性格を論ぜよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56259/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsupoohn]]></author>
			<category><![CDATA[katsupoohnの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Oct 2009 21:48:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56259/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56259/" target="_blank"><img src="/docs/958426482057@hc09/56259/thmb.jpg?s=s&r=1255524483&t=n" border="0"></a><br /><br />■オンブズマン制度の基本的性格を論ぜよ
　オンブズマン制度は住民の苦情を中立的な代理人としての立場に立って不法行為者から被害者に代わって補償を取り立てることと、必要に応じて行政側に是正措置を求めて簡易・迅速に問題を解決していく制度である。[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kibayashi]]></author>
			<category><![CDATA[kibayashiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jul 2009 20:19:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/" target="_blank"><img src="/docs/983431157801@hc06/52818/thmb.jpg?s=s&r=1248175195&t=n" border="0"></a><br /><br />「アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
■調査の動機
今回このテーマを取り上げようと思ったのは「沖縄占領」や「沖縄返還」といった言葉をきいても、知っていること[352]<br />「アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
■調査の動機
今回このテーマを取り上げようと思ったのは「沖縄占領」や「沖縄返還」といった言葉をきいても、知っていることといえばサンフランシスコ講和条約によって占領されたことや佐藤内閣が沖縄返還の手続きをすすめたことくらいで、実際その間の沖縄について知っていることはほとんどないのではないか、と思ったためである。また「経済と労働」が社会において重要な位置を占めるものであると考えたからである。 
■沖縄の貨幣制度
1946年にB円(正式名称:B型軍票)が沖縄の公式通貨となった。1950年からは日本円3円＝1B円に設定され、B円廃止までこのレートが使用された。(レートの変移は参考*1)
当時日本円360円＝1ドルだったのに対し、B円は120B円＝1ドルの計算になり、B円は日本円に対し割高である。これはアメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払うために有利な条件にするためといわれる。 一方、沖縄側からすると日本本土からの安価な資材調達になったが本土系企業の進出が遅れる原因..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『沖縄イメージの誕生』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53364/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53364/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53364/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53364/thmb.jpg?s=s&r=1249141365&t=n" border="0"></a><br /><br />『沖縄イメージの誕生』
　本書では、従来の「イメージによって単純化される現実・経験」、「イメージに対する実態の優位」という二元論的な視点を脱して、「イメージによる現実・経験の複雑化」という視座を提示し、「イメージと実態との関係を問う」とい[356]<br />『沖縄イメージの誕生』
　本書では、従来の「イメージによって単純化される現実・経験」、「イメージに対する実態の優位」という二元論的な視点を脱して、「イメージによる現実・経験の複雑化」という視座を提示し、「イメージと実態との関係を問う」という問題提起がなされている。「イメージ」、つまり広義の「知」が現実を構築し変容させていくプロセスを把握するために、本書の議論ではミシェル＝フーコーの「エピステーメー」の概念を用いている。
　「知が現実を作る」という過程の実例として、現代に広く私たちに共有されている「沖縄イメージ」の誕生の経緯と、そのイメージが現実にもたらした影響力について、75年の沖縄海洋博を「文化装置」として、それを軸にして議論を進めて行く。その際重要となるのは、海洋博が日本国土復帰後の歴史の中に立ち上がってくる過程の文脈依存性と、それが以後の沖縄の現実をどのように方向付けていったかという文脈指示性である。
　また筆者は同時に、これまで経済的側面でしか語られることがなく、十分な研究の対象とされてこなかった海洋博そのものを、カルチュラル・スタディーズの立場から再評価することにも試みている..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本国憲法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959469843146@hc09/42039/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Lucky King]]></author>
			<category><![CDATA[Lucky Kingの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 13 Apr 2009 22:17:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959469843146@hc09/42039/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959469843146@hc09/42039/" target="_blank"><img src="/docs/959469843146@hc09/42039/thmb.jpg?s=s&r=1239628678&t=n" border="0"></a><br /><br />偽善者からの物言い
　この章を読んで、「沖縄から米軍基地はなくすべきだ」とか、「沖縄住民に土地を返してやれ」という意見、または過去の日本政府を罵るような意見を述べることは、一見十分意味のあることだし、もっともであるように思われる。しかし、[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学　設題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960206362789@hc09/36085/]]></link>
			<author><![CDATA[ by buyan]]></author>
			<category><![CDATA[buyanの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 07 Feb 2009 01:07:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960206362789@hc09/36085/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960206362789@hc09/36085/" target="_blank"><img src="/docs/960206362789@hc09/36085/thmb.jpg?s=s&r=1233936477&t=n" border="0"></a><br /><br />『わが国の地形の特色と形成過程を概観せよ。次にひとつの県(都道府)を選び、そこに分布する地形の特色を詳述せよ』
大陸から飛び出したような場所に位置する日本列島。
日本列島は北海道、本州、四国、九州といった大きな4つの島と、それらに隣接する小[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国風水思想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Dec 2008 13:10:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/31610/thmb.jpg?s=s&r=1228536618&t=n" border="0"></a><br /><br />中国（台湾）の風水思想
　中国（台湾）の風水思想について、『風水思想と東アジア』を参考として読んだ。以下中国（台湾）の風水思想を論じることのである。
　まず、本から見ると、台湾、香港の風水思想と宗教観念がほど近い日本沖縄県にも影響を及ぼすこ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[基地のない沖縄を目指して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429579401@hc06/12040/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hai103]]></author>
			<category><![CDATA[hai103の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Dec 2006 12:57:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429579401@hc06/12040/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429579401@hc06/12040/" target="_blank"><img src="/docs/983429579401@hc06/12040/thmb.jpg?s=s&r=1165982277&t=n" border="0"></a><br /><br />基地のない沖縄をめざして　　　　　　　　　　　　　　日本の最南端・最西端に位置する沖縄県は 九州と台湾のあいだに弧状に連なる琉球列島の南半分を占め，大小60余の島嶼で形成されている。沖縄が１９７２年日本に復帰して、もう３４年という歳[346]<br />基地のない沖縄をめざして
　　　　　　　　　　　　　
　日本の最南端・最西端に位置する沖縄県は 九州と台湾のあいだに弧状に連なる琉球列島の南半分を占め，大小60余の島嶼で形成されている。沖縄が１９７２年日本に復帰して、もう３４年という歳月が経った。日本政府に返還をしたものの、米軍の基地は依然として沖縄に存在し、当地の人々に多くの問題を起こしている。
　国土面積の０．６％にしか過ぎない沖縄に在日米軍施設の７５％が集中している。１９９５年９月の米海兵隊員による少女暴行事件を契機に、戦後長らく米軍基地をかかえてきた沖縄に注目が集まった。日米地位協定の改定と基地の整理・縮小を求める声は、沖縄から全国に広がった。沖縄では初めての県民投票が行われ、「基地の整理・縮小」がまさに県民の声であることが実証された。普天間基地の「返還」合意にもかかわらず、劣化ウラン発射事件や米軍用地特別措置法の「改正」問題などにみられるように、基地問題はいまだ解決していない。米軍楚辺通信所の一部用地は、国による不法占拠状態が続いている。米兵の犯罪はあとを絶たない。また、基地からの有毒物質漏れや赤土流出など、環境破壊も深刻な..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[沖縄に残る本土との温度差]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6932/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mackey88]]></author>
			<category><![CDATA[mackey88の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 22:37:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6932/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430754801@hc06/6932/" target="_blank"><img src="/docs/983430754801@hc06/6932/thmb.jpg?s=s&r=1140010633&t=n" border="0"></a><br /><br />沖縄県についての歴史的背景についてはここで述べることを避ける。しかし、一体「本土」のどれだけの「日本人」がその内容・実態を知っているだろうか。北方領土は国も国民も一体となって「返せ」と言えるのに、なぜ沖縄で同様のことができないのか。戦中も戦[360]<br />沖縄に残る本土との温度差
　沖縄県についての歴史的背景についてはここで述べることを避ける。しかし、一体「本土」のどれだけの「日本人」がその内容・実態を知っているだろうか。北方領土は国も国民も一体となって「返せ」と言えるのに、なぜ沖縄で同様のことができないのか。戦中も戦後も沖縄の存在は「日本」にとって都合のよいものでしかなかった。琉球の時代から続く「日本」による利用は、現在も変わっていない。
　「『米―日―琉』という国際関係が存在する、という認識、『米―日』の『援助』で沖縄県民の生活向上が実現していく、という認識、またせいぜい『沖縄』の人はかわいそうだ、という同情の意識、これが、義務教育を終えるまでの青少年に沖縄と沖縄問題についての認識として、教科書であたえられようとしているものである」という状態が指摘されたのが1967年だが、果たして今はどうだろうか。何も変わっていないのではないか。青山学院高等部の英語入試問題などはその典型である。もし終戦直後に「天皇メッセージ」の存在が明らかになっていれば、事態は変わっていたかもしれない。「日本」の平和教育も最初はヒロシマ・ナガサキが中心であり、オキ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 文化人類学　アイヌ・沖縄]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432409601@hc05/4720/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazakura]]></author>
			<category><![CDATA[kazakuraの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 Jan 2006 12:23:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432409601@hc05/4720/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432409601@hc05/4720/" target="_blank"><img src="/docs/983432409601@hc05/4720/thmb.jpg?s=s&r=1136690616&t=n" border="0"></a><br /><br />　この本の著者である埴原和郎は、人類進化から日本人の成り立ちについて述べている。「日本人は単独で生まれ、進化してきたのではなく、進化・移動・分岐・融合の過程で成立した。」と述べられている。その人類進化の過程は、実に数十億年に及ぶという。しか[360]<br />この本の著者である埴原和郎は、人類進化から日本人の成り立ちについて述べている。「日本人は単独で生まれ、進化してきたのではなく、進化・移動・分岐・融合の過程で成立した。」と述べられている。その人類進化の過程は、実に数十億年に及ぶという。しかし、本書を読み通し考えてみると、わずか数十億年という過程の話だとはとても信じられなかった。
中でも興味深かったのは、「アイヌと沖縄の人々」についてである。北海道と沖縄はずいぶん遠い距離に位置するにも関わらず、人種と言語については多くの類似点が発見されたことは、とても驚く点であった。そして、本土人・アイヌ・沖縄人は、それぞれ決定的な文化の違いがあると述べられてい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[森口　豁氏の講義について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3997/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 20:14:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3997/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3997/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/3997/thmb.jpg?s=s&r=1134472467&t=n" border="0"></a><br /><br />　沖縄についての自分のイメージというものは、以前は、南の陽気な人々が住んでいるところというものであった。実際に沖縄へ行ったことがないのでテレビや新聞といったメディアからしか情報を得ることが出来なかったし、そのようなものから得る情報というもの[360]<br />森口　豁氏の講義について
　沖縄についての自分のイメージというものは、以前は、南の陽気な人々が住んでいるところというものであった。実際に沖縄へ行ったことがないのでテレビや新聞といったメディアからしか情報を得ることが出来なかったし、そのようなものから得る情報というものは沖縄の人々の明るく笑顔が絶えないという印象であった。もちろん第二次世界大戦では日本で唯一の戦地となったということは知っているし、今でもアメリカ軍の基地が残っていることも知っているが、そのようなことを忘れさせるほどに彼らは明るい。この講義に出席して初めて彼らの奥底にある思いといったものを理解したように思う。
　まず驚かされたのが沖縄戦についてだった。沖縄の人々はもちろん日本人であるから単にアメリカ軍と戦っただけだと思っていたが、それは違っていた。日本軍との戦いもそこにはあったのだ。自分は日本軍による沖縄人に対する住民殺害や暴力行為があったものだとはこれっぽっちもしらなかったので驚きとショックを隠せなかった。殺害だけでも177人もの被害者がいるし、強姦は16人、食糧強奪や入壕拒否や集団自決の強要までもあったそうである。ここまで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3474/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:17:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3474/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3474/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3474/thmb.jpg?s=s&r=1133263053&t=n" border="0"></a><br /><br />　本章は、沖縄問題の二つの大きなうねりを取り上げ、米軍基地と沖縄の関係と政治課題について論じる。まず米軍に土地接収に対抗して発生した1950年代の「島ぐるみ」闘争における沖縄社会の大衆役割の検討を通じて、軍事と経済との関係に整合性をつける政[352]<br />国際政治学
第4章　米軍基地と沖縄　－1945年から今日までー
　　本章は、沖縄問題の二つの大きなうねりを取り上げ、米軍基地と沖縄の関係と政治課題について論じる。まず米軍に土地接収に対抗して発生した1950年代の「島ぐるみ」闘争における沖縄社会の大衆役割の検討を通じて、軍事と経済との関係に整合性をつける政治のありさまをみる。そして、1995年から98年にかけて、冷戦後の「へいわの配当」を目指して日本政府との新たな関係を模索した大田沖縄知事の県政を取り上げ、中央と地方政治の変容を観ていく。こうした検討により、日米関係の中に位置する沖縄の特徴の把握や、沖縄問題への理解を深める。
　まず、沖縄が基地の島となったところから考える。米国はなぜ沖縄の「施政権」を必要としたのであろうか。それは、占領してから27年にわたる米国の沖縄統治は沖縄の軍事的使用を「完全」に確保するために他ならない。もし日本の施政権が沖縄に及ぶのであれば、日本政府の協力あるいは日本政府との協議を経ることなく、米軍は沖縄の基地を自由に使うことが出来なくなるとアメリカ政府は判断したからである。当時（戦後まもないころ）、米国にとって..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[沖縄における図書館]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431594101@hc05/3386/]]></link>
			<author><![CDATA[ by keitan]]></author>
			<category><![CDATA[keitanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 17:37:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431594101@hc05/3386/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431594101@hc05/3386/" target="_blank"><img src="/docs/983431594101@hc05/3386/thmb.jpg?s=s&r=1132821472&t=n" border="0"></a><br /><br />■沖縄の図書館と文庫活動
　沖縄戦によって戦前の県立図書館の蔵書はすべて灰燼に帰し、戦後は米軍の占領・統治の下においてほとんどゼロから出発した。また、離島県である沖縄では、沖縄本島の中部や那覇以外の地域では本や資料・情報の条件に恵まれてい[356]<br />■沖縄の図書館と文庫活動
沖縄戦によって戦前の県立図書館の蔵書はすべて灰燼に帰し、戦後は米軍の占領・統治の下においてほとんどゼロから出発した。また、離島県である沖縄では、沖縄本島の中部や那覇以外の地域では本や資料・情報の条件に恵まれていない。それだけに公立図書館や、学校図書館・文庫の担う役割はたいへん重要なのである。
　戦後の図書館と文庫活動を振り返るとき、琉米文化会館の活動を見落とせない。米軍占領下におかれた沖縄においても、米軍の占領文化政策に一環として情報センターが設けられ、１９５０年代には琉米文化会館の前身である文化情報会館が設置された。琉米文化会館は、復帰後日本政府が買い取り、所在自治..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[沖縄における言語教育と歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432167801@hc05/1671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuzuktm]]></author>
			<category><![CDATA[yuzuktmの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 00:13:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432167801@hc05/1671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432167801@hc05/1671/" target="_blank"><img src="/docs/983432167801@hc05/1671/thmb.jpg?s=s&r=1122390783&t=n" border="0"></a><br /><br />近代化と言語教育
明治から戦前までの琉球方言と標準語、言語教育について調べました。

言葉を操作することは、それを話す人間自身を操作することにつながる。
統一国家のできあがる過程、あるいは統一国家の中に組み入れられる過程で共通する言[344]<br />沖縄における言語教育と歴史
近代化と言語教育
明治から戦前までの琉球方言と標準語、言語教育について調べました。
言葉を操作することは、それを話す人間自身を操作することにつながる。
統一国家のできあがる過程、あるいは統一国家の中に組み入れられる過程で共通する言語に関心が寄せられるのは沖縄だけに限られる特殊な現象ではない。
しかし沖縄その中でも際立って特徴的である。『普通語』『共通語』という熟語を教育的、社会的に熟させたのは沖縄県がどの国よりも早かったのである。
『なぜ早かったのか？』････それは近代化を急ぐ沖縄積極的前向き思想とそういう思想を生み出した社会基盤に起因している。
1 　沖縄の言語 　沖縄の言語生活は重構造になっている。まず島ごとの各地の方言があり、その上に方言間の共通語である首里語がかぶさり、さらにその上にほぼ東京の言葉を指標にした共通語が重なっている。歴史の流れとともに共通語は様々に変化していくが、それは言語生活の表層にある文化語であって、基礎には沖縄諸方言の中の共通語である首里語が存在していた。独特な歴史を持つ沖縄は、他の日本の地域よりも毅然とした母国語とよそ者である..]]></description>

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			<title><![CDATA[Save citizens rather than save Okinawa&rsquo;s Economy]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1156/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Jul 2005 14:02:59 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1156/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/1156/thmb.jpg?s=s&r=1121749379&t=n" border="0"></a><br /><br />When I started researching about the U.S. military bases on Okinawa, I found lots of articles that are against them Many[120]<br />Save citizens rather than save Okinawa&#039;s Economy
When I started researching about the U.S. military bases on Okinawa, I found lots of articles that are against them Many reasons were about the sexual violence from U.S. military personnel; environmental problems and the fear of military accidents. After I read these articles, my opinion leaned to remove the bases.
First, the rate of sexual crimes committed by the U.S. military personnel is incredibly high in Japan including Okinawa. Still there a..]]></description>

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