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		<title>タグ“民族”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%B0%91%E6%97%8F/</link>
		<description>タグ“民族”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[東京福祉大学教養基礎演習Ⅱ科目終了試験ポイント1　次の出来事を年代順に並べ替え、どのような出来事か簡単に説明せよ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きょうたろう２号]]></author>
			<category><![CDATA[きょうたろう２号の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Sep 2024 18:03:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/" target="_blank"><img src="/docs/911001053949@hc24/153903/thmb.jpg?s=s&r=1725872582&t=n" border="0"></a><br /><br />東京福祉大学科目終了試験のポイント
科目名：教養基礎演習Ⅱ　科目コード:1008
文章表現の科目終了試験学修のポイントの1です
今年からオンライン試験に変わったので、参考にしていただければと思います。[285]<br />沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれ、日本国憲法が適用されず、立法・行政・司法といった施政権は米国が握っている状況であった。その施政権が1972年5月15日に日本に返還されたことを沖縄返還と呼ぶ。沖縄返還では、沖縄本島はもちろん宮古列島、八重山列島、久米島、大東諸島などの諸島もアメリカから返還されることとなった。1960年に入り、強制的な土地接収に対する「島ぐるみ」の運動、理不尽な無罪判決への反発など米軍の圧政に対し、住民は声を上げ続け、沖縄住民の日本復帰が期待されていた。そんな中、佐藤栄作首相が沖縄返還を実現するためにアメリカ政府との交渉を進め、1972年5月15日、正式に沖縄が日本に返..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　地誌学（2023年）設題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/912354818963@hc24/153354/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 駆け出しの教員]]></author>
			<category><![CDATA[駆け出しの教員の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Apr 2024 13:54:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/912354818963@hc24/153354/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/912354818963@hc24/153354/" target="_blank"><img src="/docs/912354818963@hc24/153354/thmb.jpg?s=s&r=1712724844&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信教育課程での【地誌学】合格レポートです。

設題　人種および民族の定義を示し、世界のさまざまな地域、国における人種・民族の問題に注目した地誌テキストで紹介されている地域、国の例を複数取り上げて記述せよ。

リポート作成の[344]<br />地誌額　第一設題
　人種および民族の定義を示し、世界のさまざまな地域、国における人種・民族の問題に注目した地誌をテキストで紹介されている地域、国の例を複数取り上げて記述せよ。

本レポートではまず人種及び民族の定義を示し、その後世界各国の人種・民族の問題を記述していく。

人種とは
　世界の人種は人間の生物学的分類であり、皮膚の色や体の特徴など、遺伝的に受けつがれている特徴で分けたものである。これには，ヨーロッパや北アメリカに多いコーカソイド，日本人をはじめ東アジアに多いモンゴロイド、アフリカに多いネグロイドが多くを占める。その他として，オーストラロイド，ポリネシア系，メラネシア系，ネグリト（マレー）系などがある。ヒトはホモサピエンスという一つの種に属し，人種はそれの生物学的にみた亜種に相当し，共通の祖先を持っている。このため，人種による優劣には根拠がなく、身体的特徴での差別は否定されなければならない。ユネスコも1951年に声明を出したが、各地で差別が問題になった。

民族とは
　人類は言語・宗教・伝統などの文化的特徴によっても分類されてきた。このまとまりを民族という。世界の言語を分類..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第1課題[評価B]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 14:30:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146194/thmb.jpg?s=s&r=1634967012&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
Word用レポート原稿用紙（ダウンロード用） 
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202105-1 
1.列強による国際秩序 
経済面では、17-18 世紀の産業革命により大きく経済成長を遂げた大国が、次第にその
経済圏を拡大した。19 世紀後半には原料の供給地の確保や製品を独占的に販売する新規市
場として植民地の獲得に動く帝国主義が興った。 
欧州の秩序は、フランス革命により絶対王政が崩れたフランスに周囲の国々が危機感を
覚えたことから、19 世紀初めのウィーン会議で各国の王による昔ながらの支配体制である
正統主義を中心に国際秩序を保つことを決めた。中心となったのがイギリス、フランス、
ロシア、プロイセン、オーストリアである。このウィーン体制は 19 世紀後半には機能しな
くなるが、これらの列強が欧州の秩序を守るという体制はまだ残っていた。 
2.ビスマルク体制の崩壊 
小国家・地域に分裂していた国々をまとめ、ドイツ帝国という国民国家形成に向けてナ
ショナリズム高揚をはかるため、プロイセンはフランスに戦争を仕掛けた（1870）。これに
勝利した後、フランスからの報復を回避す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[領土問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149282/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Aug 2022 10:44:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149282/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149282/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/149282/thmb.jpg?s=s&r=1660095859&t=n" border="0"></a><br /><br />領土問題
領土問題りょうど
もんだいとは、ある地域が、特に陸地である領土が、どの国家の領域に属するかをめぐって、国
家間での争いが起きることである。
国境の線引きに関するわずかな見解の相違や小さな無人島の帰属といったレベルから、主権国家を
自称している地域全体を別の国家が自国領土と主張する場合台湾問題や西サハラ問題などまで
ある。後者の場合は国家の承認問題にも発展する。
領土問題を抱える国家同士の関係も様々である。係争地域の実効支配をめぐる深刻な対立・衝突が
なく、友好的に外交や貿易、国民の往来が続く場合もあればウイスキー戦争など、分断工作を
背景とする民族紛争や植民地独立運動を含めて戦争やテ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平成29～30年、日大通信、宗教学（科目コード B11000）分冊2、合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/132649/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Sun-flower]]></author>
			<category><![CDATA[Sun-flowerの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Feb 2018 16:27:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/132649/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/132649/" target="_blank"><img src="/docs/943705740060@hc14/132649/thmb.jpg?s=s&r=1518334026&t=n" border="0"></a><br /><br />こちらは平成30年2月に合格を頂いたレポートです。
担当して下さった先生からの講評としては&hellip;
「全体的にバランスよくまとめられています。古代ペルシアの宗教の項目では、マニ教およびゾロアスター教の思想的特徴を適切に捉えています。　ゾロアス[346]<br />宗教学（科目コード B11000）分冊2
【課題】

教材121～130頁の記述を参照し、

1．「古代ペルシアの宗教」

2．「古代ギリシアの宗教」の特徴を述べなさい。

1、2とも必ず小見出しで区分すること。
＜ポイント＞

世界三大宗教の思想に影響を及ぼしたゾロアスター教、ヨーロッパから中国まで信者を獲得したマニ教、および古代ギリシアの宗教の特徴を把握し、教義を理解すること。歴史的背景のみではなく思想的特徴にも焦点を当てること。
＜キーワード＞

多神教、善悪、偶像崇拝、ギリシア神話、密儀宗教
【本文】

1．「古代ペルシアの宗教」について

紀元前一五〇〇年頃にペルシアに侵入・定住したアーリア民族の宗教は、インド・アーリア民族と同じ自然崇拝の多神教であった。この多神教に改革を唱えたのが、ゾロアスターである。ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』によれば、この世に存在するすべての善を創造した神アフラ・マズダは、この世に存在するすべての悪を創造した悪神アングラ・マイニュと激しい戦いを繰り広げていた。やがて善神アフラ・マズダが悪神アングラ・マイニュを滅ぼして、天上と地上とを含む「神の王..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大阪芸術大学通信教育部　共通専門科目「比較文化論第1～4課題」全てA判定　2022年度使用可]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937655618308@hc16/131742/]]></link>
			<author><![CDATA[ by NU_YORK]]></author>
			<category><![CDATA[NU_YORKの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Dec 2017 11:29:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937655618308@hc16/131742/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937655618308@hc16/131742/" target="_blank"><img src="/docs/937655618308@hc16/131742/thmb.jpg?s=s&r=1512700166&t=n" border="0"></a><br /><br />※丸写しは、お止め下さい。参考文章として、ご活用下さい。

共通専門科目「比較文化論第1～4課題」
2022年度の学習指導書確認済（2022.4.5に確認）
※年度中に学生へアナウンスすることなく、学習指導書が変わる場合があります。学習指導[324]<br />民族と文化について
〇〇〇〇〇
民族はどういうものか。文化はどういうものか。以下に民族と文化についてまとめる。
民族
　民族とは、出自を同じくし、言語をはじめとする文化的・社会的な基盤を同じくする社会集団を指すものである。また、相互に血縁性の上に、居住地による地縁性をかねて成り立つ文化の共同体としてとらえるものである。
当初、西欧人にとって民族とは、人間の文化を担うものであり、大航海時代に発見した未開の民族とは別であると理解されていた。その後、19世紀の西欧における国家国民の形態を整える過程の中で、国民という概念を前提として国家が成立し、国家国民の内実を強固なものにするために民族概念が意識されるようになった。
上記のような基盤を同じくする社会集団からなる民族国家の理念は、国民国家を現実化する上で重要な決め手となり、国民国家＝民族国家であるとする国家観が生まれた。ただし、完璧な単一民族国家はなく、様々な出自・言語を持ち、文化・社会的な伝統も違う社会集団があるのが近代西欧の一般的な状況であった。
20世紀の西欧における国家と民族の結びつきは、民族の概念を分かりにくいものにし
た。その後、マッキーヴァーの国民共同体論が、第二次世界大戦時にナチスに利用され、民族理論や民族芸術は詐術的で暴力的に抑制された。
戦後、西欧植民地の解放が進むと、民族を無視した植民地分割への反発から、国民と民族の乖離は激しいものとなった。また、都市化の影響で人々の交流速度が高まり、固定の土地における民族意識は崩壊し続けるようになり、20世紀末における民族概念は実態とは合致しないものとなった。
文化
　文化とは、ある社会が共通に持つ特徴的な生活の様式である。夫々の社会において様々な特性を持っており、その自然や社会における環境の中で、夫々の生活に応じて長い期間をかけて出来たもので、人々の生活が生み出した活動の集積である。夫々の社会が持つ文化は、夫々における集積によって、夫々が違う。
　上記のような文化は、世界中に様々あり、本来文化には優劣の区別はなかった。しかしながら、15～18世紀に発達した西欧における近代文化は際立った強い政治・経済・軍事パワーを利用し世界中を植民地化し、世界中の文化も西欧化した。これにより19世紀の文化の流れは、西欧文化＝文化となった。
　20世紀になると、植民地化された地域の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[70外国史Ⅱ(東洋史)第2課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:20:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126358/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126358/thmb.jpg?s=s&r=1473999623&t=n" border="0"></a><br /><br />宋代以降の君主独裁制(皇帝独裁制)の確立と変化について、その途上で現れる征服王朝の性格についても言及しつつ、まとめなさい。[179]<br />宋代以降の君主独裁制(皇帝独裁制)の確立と変化について、その途上で現れる征服王朝の性格についても言及しつつ、まとめなさい。
　宋は趙匡胤により960年に建国された。彼は武断政治から文治政治への転換を目指し、君主独裁体制強化を図った。趙匡胤は五代十国時代を勝ち抜いた武人で文官による支配が望ましいと考えた。節度使の権限を縮小し欠員が出ればそこに文官を入れて軍人から兵力を奪った。節度使を離れれば皇帝直属の軍人として再編成し、禁軍とした。唐での六部を統括して行政を司ったのは中書省で、財政担当は三司とした。そして枢密院も設置したがこれらの役所の長官は全て文官であった。軍事的知識を持ち合わせた人物が長官になると視野狭窄に陥るという考え方からであったが、これを文民統制という。文官を長官とするため役人は優秀な官僚を選ばなければならず、そのために科挙制度を整備した。宋代の「解試」「州試」「省試」に加えて宮殿で皇帝自らによる「殿試」を実施することとした。官僚になると徭役は免除され税軽減の特権もあったが、唐代では家系でその連続性が保たれたが宋代ではその官僚一代限りであったため、自分の子どもたちに猛勉強させ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[69外国史Ⅱ(東洋史)第1課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:18:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126357/thmb.jpg?s=s&r=1473999530&t=n" border="0"></a><br /><br />皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。[126]<br />皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。
紀元前221年に「戦国の七雄」の一つであった秦の国王の政が中国全土を支配して名前を始皇帝とした。当時の中国人からすれば中国こそが全宇宙であるとの認識があり、その支配者として皇帝の名を付けた。秦の政治的基礎は始皇帝の100年ほど前の商鞅による「変法」で、その中で最も重要なものは郡県制であった。郡県制は国王を中心とする中央集権体制を構築するためのもので、従来の封建制度を廃止して各地を支配していた諸侯の権力を奪い、その地に「県」を設置した。そして他国を侵略して得た領域には「郡」を設置しこの「郡」「県」を行政単位とした。「郡」「県」には中央から官僚が派遣され知事として地方行政を担った。知事は国王の命令を忠実に実行し、国内全土での徴税や徴兵を可能にした。始皇帝は「郡」を36に分けて、最終的に48郡にした。全国を支配した始皇帝は思想統制に乗り出し、儒教の書物を焼き儒学者を穴埋めにする「焚書・坑儒」を実施した。儒学の理想は周の封建体制であり、始皇帝の全国統一の思想と相容れない立場にあったためそのような措置を取った..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[福祉社会学　１単位め　「最高評価取得！」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936150902115@hc16/126194/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kaorin!]]></author>
			<category><![CDATA[kaorin!の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Sep 2016 04:03:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936150902115@hc16/126194/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936150902115@hc16/126194/" target="_blank"><img src="/docs/936150902115@hc16/126194/thmb.jpg?s=s&r=1473275019&t=n" border="0"></a><br /><br />東北福祉大学だけでなく、社会福祉士を目指している方、福祉学科の方へオススメです。

評価は最高の「優」

福祉社会学　１単位め

（課題）
私たちが所属している基礎集団・機能集団について述べ、現代社会の集団に関する特徴を考察しなさい。

参[342]<br />福祉社会学　１単位め
（課題）
私たちが所属している基礎集団・機能集団について述べ、現代社会の集団に関する特徴を考察しなさい。
（解答）
　私たちはどこかしらの集団に属している。人間が生活する上で集団はとても大切なものになっている。基礎集団、機能集団について説明しながら、現代社会の集団について考えていこうと思う。
　基礎集団とは、血縁や地縁を人間結合の基本原理として形成される自然的にして原初的な生活共同体であり、家族が代表的であると言える。人はそのなかで育ちながら、共同生活を営むに必要な生活様式、言語、慣習、伝統などを学習し、集団成員の1人であるという共属感情を身につける。そのため集団意識が優越する。基礎集団の成立、発展は自然的であり、人々の結合関係は部分的ではなく全体的であり、感情的である。家族や氏族や村落や町や市などの地域共同体であり、それらの発展したものとしての民族や国民社会がある。マッキーヴァーはテンニースやクーリーと違い、機能集団に含めているが、現在事実婚や離婚率等を観ていくとより機能集団に近い立場にあると変化してきていると言える。部族や民族、村落や都市などもこの中に入る。自..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[最新！！社会学概論　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937100423360@hc16/125884/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ｽｷﾞﾓﾄ]]></author>
			<category><![CDATA[ｽｷﾞﾓﾄの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 24 Aug 2016 22:35:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937100423360@hc16/125884/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937100423360@hc16/125884/" target="_blank"><img src="/docs/937100423360@hc16/125884/thmb.jpg?s=s&r=1472045724&t=n" border="0"></a><br /><br />最新のレポートです。誰でもわかりやすく論述しております。
もとろん評価はＡをいただきました。[136]<br />アイヌの権利主張運動が，日本人社会に認識させたものは何か答えよ
　アイヌ民族とは，おもに北海道に住む先住民族である。日本では弥生時代に大陸から水稲耕作が伝わり，農耕民族としての文化を形成していくが，本州とのつながりを持たなかった蝦夷地（中世における北海道の呼称）では伝統的に狩猟がおこなわれ，独自の文化を形成していった。13世紀ころに本州との交流が始まるが，交易を巡ってアイヌと和人との間での争い（1457年コシャマインの戦い，1669年シャクシャインの戦いなど）が起こるようになり，アイヌは次第に不利な立場におかれていくこととなる。
　明治維新後に新政府は蝦夷地を北海道と改称し，開拓使を置いて本格的な開拓を開始した。屯田兵や農民など多くの和人が本州から北海道へと進出し，それと同時に行われたのが，アイヌ民族に対する日本社会への同化政策である。明治新政府はアイヌ民族の土地を取り上げ，アイヌ語や耳輪・刺青などの生活習慣，伝統的に行われてきたサケ漁や鹿猟を禁止した。さらに，アイヌ民族を日本国民として戸籍制度下に取り込み，旧土人学校（日本ではアイヌ民族を「土人」と呼んでいた）を各地に設置し，日本語で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Q0706社会学概論【第二設題】アイヌ民族の権利主張が、日本人社会に認識させたものはなにかについて述べよ【評価A】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/122416/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ojyaru0903]]></author>
			<category><![CDATA[ojyaru0903の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 02 Nov 2015 13:50:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/122416/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/122416/" target="_blank"><img src="/docs/940539099328@hc15/122416/thmb.jpg?s=s&r=1446439814&t=n" border="0"></a><br /><br />Q0706社会学概論【第二設題】アイヌ民族の権利主張が、日本人社会に認識させたものはなにかについて述べよ
評価はAでした。
レポート作成の一助となりますように、またそのままの提出はご遠慮ください。[278]<br />アイヌ民族の権利主張運動が、日本人社会に認識させたものはなにかについて述べよ。
　アイヌ民族という言葉は知っていたが、「北海道旧土人保護法」がいまからおよそ２０年前の１９９７年に廃止されるまで、法律により差別されていたことは知らなかった。日本には民族問題はないと思っていたが本著を読み学ぶことが多かった。
　アイヌ民族の問題だけでなく、沖縄の人々への偏見・抑圧や在日朝鮮・韓国人に対する差別・抑圧がいまでも存在する。近年では国交間の政治問題もあり韓国・中国に対するヘイトスピーチなどもある。一方では、日本での労働力不足（特に介護・看護分野）解消のため、多くの外国人（特に東南アジア）が来日し、専門知識を身につけ職に就こうとしている。
　以下では、アイヌ民族に関して考察する。
　まず、アイヌ民族がどのような差別をされたか考察する。アイヌは、元来、狩猟採取民族である。文字を持たない民族であったが、毛皮や海産物などをもって、ロシアなどと交易を行い、オホーツク海域を経済圏にしていた。また、土地の所有・漁業権などの権利習慣や制度を持たなかった。その結果、１４５７年に和人・アイヌ間でコシャマインの戦いが生..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】国文学講義Ⅰ（上代）_分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119139/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hyxxx]]></author>
			<category><![CDATA[hyxxxの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Mar 2015 18:24:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119139/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119139/" target="_blank"><img src="/docs/943981993355@hc14/119139/thmb.jpg?s=s&r=1426929864&t=n" border="0"></a><br /><br />【日大通信】国文学講義Ⅰ（上代）分冊2　 H25-26年度課題 合格リポートです。「上代説話の六つの類型説話と農耕説話から一つ取り上げて、それぞれの特徴について説明しなさい。その時には、古事記・日本書紀・風土記」などを参考にして、それぞれの[342]<br />説話を分類すると、①創造神話、②英雄神話、③自然説話、④人文説話、⑤神婚説話、⑥地名説話の六分類とすることができる。なお、この六分類には「農耕説話」が含まれていない。それは、農耕関係の説話は主として人文説話に属するが、それ以外も創造説話、自然説話、英雄説話、地名説話にもしばしば見受けられるからである。各種説話を縦断して、広くかつ深く内在しているのは、我が国は農業をもって立国とし、我々の祖先は農耕を生活の基盤としていたからだろう。
さて、六分類から「地名説話」について考察していく。名という点からいうと地名はもとより、人名にしても、神名にしても、名づけるにはそれだけの理由なり根拠なりがあったはずである。例えば、生まれたての赤子に親が名をつける場合は、将来こうなって欲しいという親の願望を込めて命名するのであるし、既に世を終わった人の縊号等になると、その人の性格や生前における業績などを反映させる場合が多い。古代神話に現れる神名なども同様で、その神の性能をあらわしているようである。しかし、古事記・日本書紀・風土記に現れる地名説話をみると、必ずしもそういう説話があってそれから名づけられたというより..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】漢文学1_分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119134/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hyxxx]]></author>
			<category><![CDATA[hyxxxの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Mar 2015 12:22:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119134/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943981993355@hc14/119134/" target="_blank"><img src="/docs/943981993355@hc14/119134/thmb.jpg?s=s&r=1426908138&t=n" border="0"></a><br /><br />【日大通信】漢文学Ⅰ_分冊2　 H23-24年度課題 合格リポートです。「『呂氏春秋』における神話的記述についてまとめなさい」

「積極的に学習に取り組んでいることがわかるリポートです」との講評をいただいております。
参考用としてお使いくだ[334]<br />『呂氏春秋』における神話的記述といえば、殷の湯王に仕えた名宰伊尹の出征にまつわる記述である。この神話的記述を神話学的に分析することで、中国古代人の原始心性を明らかにしていきたい。
　伊尹の出生にまつわる神話的記述の概要とは、『既に伊尹を身籠っていた女性の夢に神が現れ、「臼から水が出てきたら、東に逃げよ。振り返ってはならない」と告げられた。翌日、本当に臼から水が噴き出してきたので、彼女は東へ向かって駆け逃げた。十里ほど進み、一息ついて振り返ってみると、村はすべて水浸しとなっていた。そして彼女は、（禁を破って）その光景を見てしまったがために、中空の桑の木と化してしまった。そして、空桑となった伊尹の母の骸から、桑摘みの女子が伊尹を取り出し、その君に献じた』という内容である。
　神話とは、いわゆる&ldquo;昔話&rdquo;や&ldquo;伝説&rdquo;とは異なり、一国・一民族全体の原始心性の記述である。つまり、その原初形態において、存在論的な脈絡を有し、その神話を生み出した民族の最も原初的な心性の心象を象徴的に記述するものである。そのため、その記述を分析することによって、その民族の考え方や、いわゆる&ldquo;原始心性&rdquo;の一旦を明らかにす..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[クルド人]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958866742893@hc09/113895/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みこまる]]></author>
			<category><![CDATA[みこまるの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Jul 2014 00:26:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958866742893@hc09/113895/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958866742893@hc09/113895/" target="_blank"><img src="/docs/958866742893@hc09/113895/thmb.jpg?s=s&r=1404833173&t=n" border="0"></a><br /><br />「クルド人の歴史と今」
　「国家無き民族」と呼ばれる民族、クルド人。われわれは日本という国家を持ち、紛争もなく世界の中でも発展し経済的にも裕福な国に暮らしている。一方、クルド人は独立を目指し、今なお戦い続けている。同じアジアなのに国家の現状も生活環境も全く異なる。「クルド人問題」として日本に情報は流れつつあるが私を含めて多くの人は彼らの事をあまり知らないのではないか。クルド人の歴史的背景や今彼らが置かれている状況を知り、アジアの一員として私達に出来ることがあるのか考えていきたいと思う。
クルド人と思われる人々が歴史上に登場するのはクセノフォンのアナバシスに記録されたものが最初であると言われている。しかし、その起源は明らかとなっておらず、彼ら自身は、自分達は紀元前６世紀の中頃にアケメネス朝ペルシャに滅ぼされたアーリア系の「メディア王国」の末裔だと信じている。人口２５００万から３０００万人で、宗教はイスラム教スンニ派に属し、インド･ヨーロッパ語族イラン語派のクルド語を話す民族である。クルド人は農業を中心として、羊や山羊などを飼育しながらの半遊牧生活を送っており、定住生活を営むようになってか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【東洋の歴史(Q0102他) 第1設題レポートA評価◎】2019年度対応]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948786473613@hc12/113237/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hanjiro 北九州大学卒]]></author>
			<category><![CDATA[hanjiro 北九州大学卒の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jun 2014 17:27:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948786473613@hc12/113237/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948786473613@hc12/113237/" target="_blank"><img src="/docs/948786473613@hc12/113237/thmb.jpg?s=s&r=1401956828&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信課程、東洋の歴史（第1設題）のレポートです。

本レポートにおいては、仏教を選択しております。
『中国王朝における仏教思想について、よく理解して十分に要旨がまとめられています』という所見をいただきました。
A評点のレポートです。[348]<br />次のテーマから一つを選択してリポートしなさい。（a）儒教・道教・仏教は中国社会を理解する上で大きな意味を持つ思想である。これらのなかから一つを選択して、それを中国歴代王朝がどのように扱ってきたかについて述べよ。 
　本レポートにおいては、中国王朝における仏教思想の誕生（招来した時）から清末までの各時代における展開過程や特徴を考察する。
　まず、仏教が中国に入ってきた時期についてである。これは、大きく分けると、①秦の始皇帝説、②前漢の武帝説、③前漢の哀帝説が存在する。また、当時の時代背景としては、秦の始皇帝政治が極端な中央集権であり、人民に過大の労役を課し、法律の適用も厳しく、結果的に人心の離反を招いたことで反乱が起こり、秦は滅亡して漢が成立している。このような中、仏教については、後漢のかなり早い時期には、上流階級に伝わっていたと考えられ、明帝の異母弟楚王英が熱烈な信者であったといわれており、桓帝においても、宮中に仏陀を祭っている。
　次に、魏普南北朝時代の仏教についてである。後漢末は、動乱の続く群雄割拠の様相を呈していた。その中で台頭してきた曹操は、後漢の中心地であった華北大平原をほ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2009年度 歴史(日本史) 第二課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 07:11:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102532/thmb.jpg?s=s&r=1365891095&t=n" border="0"></a><br /><br />評価：C[10]<br />2009年度_歴史(日本史) 第二課題
室町幕府の対外政策について説明しなさい。
　本題を考えるにあたり、室町時代の明・朝鮮半島・琉球王国・東南アジア諸国との関係・交流と倭寇の活動について述べる。
　室町幕府とは1336年に足利尊氏が創設した武家政治である。前政権の鎌倉時代に元寇があったことにより、明との貿易は縮小していた。室町時代に入ると、少しずつ関係も良好になり、足利義満が将軍職を辞した際、明の健文帝に国書を送り、冊封使を遣してきて、義満を「日本国王源道義」に任じた。このことにより明との封冊関係が成立し、これを機に、朝鮮・琉球も義満を国王と自動的に認めることになった。しかし、義持の時代に明の永楽帝の使者を追い返して、日明貿易を断絶し、国王号を取り下げる出来事もあったが、まもなく国交は再開された。
　冊封体制下では、皇帝および諸国の王のみが外交に参加する資格を持ち、かれらが派遣した正式な使節であることを証明する通行証明として、明の皇帝から「勘合」が交付された。日本の遣明船は、当初は幕府が主体であったが、やがては守護大名や大寺社の船も加わるようになった。主な輸出品としては、銅銭・生糸・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世界地誌２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100535/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tototommy]]></author>
			<category><![CDATA[tototommyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jan 2013 00:11:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100535/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948600391820@hc12/100535/" target="_blank"><img src="/docs/948600391820@hc12/100535/thmb.jpg?s=s&r=1359385869&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定の期末レポート[28]<br />孤独のウィグル自治区
　中国の躍進がめざましい。
GDP
世界ランキングで
2010
年、日本は世界２位の地位を中国にあ
けわたすことになった
1
。一方で、繁栄の内側に深刻な格差や多数の少数民族の独立運動がある
。
チベット、ウイグル、内モンゴル、回族、チワン族などの自治区・少数民族は微妙な立場に立たさ
れており、漢民族との軋轢がある。今回は、個人的に愛してやまないウイグル自治区について、旅
行の体験と中央アジアからの視点を持って中国政府の政策とウイグルの置かれている状況につい
て考察したい。
ウイグル自治区とは
　中華人民共和国の西端にある自治区で、中国国土の約六分の一の面積を占める。タクラマカン
を中央かかえ、ウイグル族、漢族、キルギス族、カザフ族、タジク族などが。約
を占めるウイグル族はイスラムで、中央アジアテクのウイグル。的
には中国といり央アジアに。　漢族およな少数民族の分布
2
）
　はシルクロがており、で栄えた。キジル、クズル
台
、
など
が残っており、なともなっている。、ウイグルが建
つが、そのンゴル、ジ、、中華民国とのにあった。
1933
年、東
トルキスタン・イ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【HAPPYCAMPUS】時事予想問題13]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/94481/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happyadmin]]></author>
			<category><![CDATA[happyadminの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jun 2012 17:48:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/94481/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/hcguide/94481/" target="_blank"><img src="/docs/hcguide/94481/thmb.jpg?s=s&r=1340354915&t=n" border="0"></a><br /><br />※本レポートの目的は、学習情報共有として提供しております。最近の国際及び日本の重大になっているニュース記事を中心にまとめておきました。是非、ご活用ください。[234]<br />HAPPYCAMPUS予想時事問題
※本レポートの目的は、学習情報共有として提供しております。最近の国際及び日本の重大になっているニュース記事を中心にまとめておきました。是非、ご活用ください。
【国際1】　 スーチー氏「平和めざす旅を」訴え　ノーベル賞受賞演説
ミャンマーの民主化運動指導者のアウンサンスーチー氏（６６）が１６日、ノルウェーの首都オスロで、１９９１年にうけたノーベル平和賞の受賞演説にのぞんだ。「完全な世界平和の実現は到達できない目標だ。でも、私たちは星に導かれる砂漠の旅人のように、平和を目指して旅を続けなければならない」と訴えた。
　スーチー氏はミャンマーの状況を「前向きな変化が起き、民主化に向けたステップが取られている」と説明した上で、貧困や飢餓、民族対立がなお日常的だと指摘。「釈放されていない無名の囚人（政治犯）がたくさんいる」として、早期の釈放に向けて政権に圧力をかけるよう呼びかけた。自身や自ら党首を務める国民民主連盟（ＮＬＤ）については「国民和解のためにどんな役割でも果たす用意がある」と話した。
　また、平和賞が「ビルマ（ミャンマー）の民主化運動に世界の関心をひき..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[先住民族の現代的課題-アイヌ民族の共生-]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tamugi05]]></author>
			<category><![CDATA[tamugi05の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 18:45:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/" target="_blank"><img src="/docs/957938659738@hc09/93931/thmb.jpg?s=s&r=1338716720&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定/イヌイトとアイヌ民族の国による処遇の違い、またアイヌ民族の現代的課題について考察しています。
日本国民にとって知っておくべきアイヌ民族の歴史と現状について詳しく記述してあります。
文中にウィキペディアからの引用がありますが、今後は使[352]<br />先住民族と現代の共生
共生社会を目指す長い道のりの中で、乗り越えなければならない大きな問題の一つに「民族」の課題がある。民族同士の対立は今、現在も多く起きている。また、争いとして形に現れていなくても、日本国内にも争いの火種＝排除したい存在がいることは否定できない。在日外国人に対する偏見や竹島をめぐる韓国への感情、拉致問題に因る北朝鮮への反感など、日本にも共生社会を妨げる差別として民族の形態をとる課題は多く存在している。
本レポートでは、世界的な傾向として先住民族の諸権利を求める先住民運動が盛んになった1970年代からのアイヌ民族とイヌイトの辿ってきた歴史についてまとめ、先住民族の現代的な課題を、私たち日本に住む者にとってより身近に感じやすいという観点からアイヌ民族に重点を絞って考察する。
●アイヌ民族
北海道新聞情報研究所の「北海道丸ごと早わかり」の「アイヌ民族」の紹介分の冒頭には以下のように記述がある。
先住民族としてのアイヌ民族」
　アイヌ民族は日本の先住民族で、かつては本州の東北部から北海道、サハリン、千島など広い範囲に住んでいた。古くから独自の民族文化を保持し、自然と調和して生..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ファシズム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952231813314@hc11/90331/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rkdus68]]></author>
			<category><![CDATA[rkdus68の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 21:11:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952231813314@hc11/90331/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952231813314@hc11/90331/" target="_blank"><img src="/docs/952231813314@hc11/90331/thmb.jpg?s=s&r=1328703090&t=n" border="0"></a><br /><br />○参考文献：
1987『社会化組織資本主義ファシズム』上條勇  |梓出版社
2005『파시즘(열정과 광기의 정치 혁명)』로버트O, 팩스턴 저 손명화,최희영 역（교양인）
2012『現代社会とファシズム』社会理論学会　千書房[285]<br />ヨーロッパ社会史Ⅰ
[출처] 파시즘의 역설|작성자 거북이
新聞などでよく出てくるので、ファシズムの起源と概念、定義などをどう言えばいいか深刻に考えたことはなかった。あまりもよく聞いてくる言葉はそれの概念をはっきりと分からなく、その言葉自体が一般化してしまい、通用される場合が多い。このファシズムという用語もそれに当てはまると思う。ファシズムと関連した本を探して読んでみても、その起源と原因についての共通的な答えは探せなかった。本によって様々な思想的な根拠は提示しているが、結論的にファシズムについての分析は、現象的な症状を述べていることでとどまっていると感じた。よって、ファシズムによる定義は「近代世界で一番重要な逆説」である同時に「aでありながら、aではないこと」だというのが結論だと言いたい。以前は深く考えてなかったが、ファシズムという言葉は、ファシズムという概念についての情報は何もない。資本主義や民族主義などの語彙は、その思想がある程度わかるような端緒を持っているが、ファシズムはそうではない。ファシズムはラテン語のFasces から由来したそうだ。Fascesは、古代ローマの最高政務官..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イギリス文学史(0411)　分冊１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89863/]]></link>
			<author><![CDATA[ by けっけっ]]></author>
			<category><![CDATA[けっけっの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 10:11:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89863/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89863/" target="_blank"><img src="/docs/952855190597@hc11/89863/thmb.jpg?s=s&r=1327367477&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信教育部　Ａ判定合格リポート　大変良いの評価をいただきました[99]<br />イギリス文学史Ⅰ
　　　　　０４１１　（分冊１）
　紀元前数百年の昔、イングランドでは異民族による侵略の繰り返しであった。紀元前55年頃、ローマ人の支配により都市が建設され、ラテン語が普及したと考えられている。
そういった中で、先住民のケルト族は著しく感情が繊細で、豊かな想像力と神秘性を持っており、移住してきたアングロ・サクソン人は質実剛健で穏健、保守的でユーモアに富んでいる。この対照的な両民族の気質が融合
し開花したものが、現在のイギリス文学の母
体となっていると考えられる。　　　　
さらに９世紀～11世紀、ノルマン人が勢力を増し、遂にはイギリスをも占領した。フランス様式ともいえるノルマン文化は、イギリスに大きな影響を与え、政治、経済、学芸、風俗など急速に進化していった。
　またそれは言語の領域においても影響は大
きく、サクソン系の古代英語にフランス語系
の言葉が入り、中世英語を生み出した。文学においては北欧的な暗さをもつアングロ・サクソン文学の中に、優雅で明るい機知と諧謔に富んだ南方の文学が加わり、これまでにない新しい文学が生まれたのである。
このような中世英文学において..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0712　社会学概論第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89485/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Jan 2012 18:01:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89485/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89485/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/89485/thmb.jpg?s=s&r=1326618073&t=n" border="0"></a><br /><br />2011年度A評価レポートです。
指定されたテキストに沿った内容です。
アレンジして使ってください。[136]<br />第2設題：多文化共生社会の現状および問題点について述べよ
1．多文化共生とは　
多文化共生とは何か。これについて総務省は2006年3月に出した『多文化共生の推進に関する研究会報告書』の中で、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義している。つまり、多文化共生社会とは、上述したような状態が実現される社会のことを指す。
近年、テレビや新聞等のメディアを通じて多文化共生という言葉を耳にする機会が増えているように感じる。これまでも、日本にはアイヌ民族、在日韓国・朝鮮の方や中国の方などが何世代にもわたって多く住む地域があり、それらの地域には日本の文化とは異なる独自の文化が存在していたが、報告書の定義にあるように、文化的差異を認め合ったうえで対等な関係を築くことができていたかという点については現実にはそうではなく、多くの疑問が提起されるであろう。また、異なった人種的・文化的背景をもつ人々をそれぞれの地域が構成員の一人として見ていたかという点についても、実際には必ずしもそうではなかったかもしれない。
し..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[コリアンの事例から眺める葛藤とつながりhp]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Jun 2011 13:39:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/82169/thmb.jpg?s=s&r=1307507950&t=n" border="0"></a><br /><br />コリアンの事例から眺める葛藤とつながり
～「在日コリアン」・「中国朝鮮族」の「国籍」「民族」「個人」～
「国籍」「民族」は「個人」にとってどのような意味をもちうるのか。多種多様であるはずの「個人」が、「国籍」「民族」という制度・概念によって一元化され、排除されてきた歴史的過程と現在。また、それによる「個人」の葛藤。「国籍」「民族」「個人」のズレから生じる葛藤がどのようなものであるのか、「在日コリアン」の人たちと「中国朝鮮族」の人たちを例に、その歴史的背景・共通点・相違点を報告する。また、一方で、「国籍」や「民族」をきっかけとしてつながっていこうとするこころみが、排他性をもつのではなく、さまざまな人々と共存をするための土壌を広げていく可能性を含んでいることも併せて報告したい。
　
１．「私」は「私」、「私」と「あなた」の関係
　・「私はだれでしょう」1
沢知恵『Who am I?』（コスモスレコーズ.2000）
　・「俺は何人だ！？俺は何人だ！？何もんだよ！？」2
『GO』（金城一紀原作.行定勲監督.窪塚洋介主演.東映.2002）のセリフからの抜粋。
しかし、「私は私」と「私とあなた」の関係からでは捉えきれない構造。
①鄭暎惠が指摘する、自分の名前を「出せない」行為それ自体が自己否定に結びついてしまうという状況3
「他者に秘密にしてきた部分の自己は、他者によって認識・記憶されないことによって、実存しないに等しいとすら言える。しかし、現実には存在している以上、そのギャップが大きなアイデンティティ危機を生むのである。通名を使い必死に隠そうとすることは、「在日朝鮮人」であること以上に、「隠す」行為自体がアイデンティティ危機を生んでいる。」（鄭暎惠.「言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ」.『脱アイデンティティ』上野千鶴子編、勁草書房.2005.201p）
②金泰泳が指摘する、「個人」の尊重と「民族」の間のジレンマ4
（金泰泳.『アイデンティティ・ポリティクスを超えて－在日朝鮮人のエスニシティ』.世界思想社.1999）
「個の尊重」は必要であるが、民族として受けている現実の抑圧に対しては、対応的にせよ、民族として向き合わねば、実践的解決にはつながらないのではないか5
この主張は例えば、1933年にドイツを離れ、実践的な仕事につくことが重要であったと回想..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[塩川伸明『民族とネイション』要約]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952915701744@hc11/82077/]]></link>
			<author><![CDATA[ by arietti]]></author>
			<category><![CDATA[ariettiの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Jun 2011 11:10:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952915701744@hc11/82077/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952915701744@hc11/82077/" target="_blank"><img src="/docs/952915701744@hc11/82077/thmb.jpg?s=s&r=1307239805&t=n" border="0"></a><br /><br />最高評価でした。[24]<br />「塩川伸明『民族とネイション』」
序　本稿の目的
　最近の日中韓においての歴史認識問題等を論じる際には頻繁に民族、エスニシティ、国民国家、ナショナリズムといった言葉が用いられる。
しかしながら、それらの言葉の意味、定義又は相互関係は非常に複雑である。この点、それらの言葉は異なった事柄でありながら、何らかの共通性及び関連性を持つのではないかとも考えられる。それらの言葉の複雑さの原因として、一方では、人々の日常生活による「大衆の観点」と、他方ではハイ・ポリティクスによる「政治エリートの観点」が交錯するという性格に起因すると考えられる。
よって本稿ではこれらの言葉の多様な事柄の相互関係を解釈・定義することを目指し、それらの言葉を理論及び歴史的な観点から考察する。
第1章　理論からの考察
　上記一連の概念は時代や論者により異なる意味を込めて使われた。このように多様な言葉遣いがされている現状がある限り、日本語の語感に沿い一定の幅を持った用語法を探求する必要がある。その用語法を以て、本稿では諸概念の議論をする。
1　エスニシティ
　エスニシティの特徴としては、国家・政治との関わりを考慮せずに血縁・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イギリス文学史１ 分冊１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955296964923@hc10/79499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by えいたママ]]></author>
			<category><![CDATA[えいたママの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Mar 2011 02:22:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955296964923@hc10/79499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955296964923@hc10/79499/" target="_blank"><img src="/docs/955296964923@hc10/79499/thmb.jpg?s=s&r=1299604974&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信のイギリス文学史１の分冊１になります。参考文献なし、テキストのみです。評価はＡでした。[141]<br />「Beowulf」はアングロ・サクソンの時代の最高傑作の叙事詩と言われている。なぜ、そう言われるようになったのか、まずはその歴史的背景には何があるのかを考えてみるためにアングロ・サクソン語、すなわち古代英語であり今日の英語の源をなすものが派生するまでを辿ってみるとする。
紀元前集百年前、ケルト族であるゲイル人が先住民族イベリア人を追放してイングランドに侵入をした。けれど同じケルト族であるブリトン人に侵略されてしまい、ゲイル人は北部・西部に逃れブリトン人は南部に居住することになる。そして紀元前55年頃にローマの英雄ジュリアス・シーザーがゴールを征服したついでにイングランドに渡り、南部に住んでいたブリトン人を徐々に制圧してその土地をブリタニアと名付けたのである。そこでローマ帝国での公用語であるラテン語が普及したと考えられる。
その後５世紀頃、ローマ帝国（本国）を分割統治するということで西ローマ帝国、東ローマ帝国とにわけたのだが、両ローマ帝国ともにゲルマン民族の侵入を受けてしまう。これを機にゲイル族のスコット人とピクト人とが南下してブリトン人を攻めるのである。
ブリトン人は両ローマ帝国に助け..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民族について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/79121/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Feb 2011 01:24:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/79121/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/79121/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/79121/thmb.jpg?s=s&r=1297614266&t=n" border="0"></a><br /><br />民族について
「民族」の概念は、一体何をもって「民族」とするのかが、宗教、言語、風俗など多岐にわたっており、しかもそれぞれが複雑に絡まりあって存在している。
　ある国の「国籍」を所有していれば（重国籍、無国籍の場合はその限りではないが）、好むと好まないとに限らず、意識的にせよ便宜的にせよ、その人はその国の「国民」とみなされる。
　「国民」に関して言えば、「国民」とは「想像の共同体」であると指摘したベネディクト・アンダーソンが思い浮かぶ。彼は、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である－そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの（最高の意思決定主体）として想像される」1
ベネディクト・アンダーソン『増補・想像の共同体　ナショナリズムの起源と流行』（白石さや・白石隆訳.NTT出版.1997）
　また、彼の言葉を引用している西川長夫の『国境の越え方』2
　西川長夫『増補・国境の越え方－国民国家論序説－』（平凡社ライブラリー.2001）
　多民族国家の例を引くまでもなく、「国民」は一般に雑多な文化を担う集団の集まりであるから、「国民」がある単一な文化の基礎的な集団でありえないことは誰の目にも明らかだろう。ある人間が&times;&times;人と呼ばれるのは、その国の国籍を有することが唯一の条件であって、その文化的な内容は問われない。またベネディクト・アンダーソンがいみじくも定義したように「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治的共同体」であって、心に描き出されたような「国民」が現実に存在するわけではない」(西川：286p)
　ここで述べられていることからわかることは次のことである。つまり、「国籍」を所有しているという唯一の条件によって様々な人々がひとつの「国民」として統合されているが、その一方でその統合された「国民」というイメージで雑多である「国民」ひとりひとりを規定することができない、ということである。
　西川は、「国民」として「○○人」と呼ばれうる唯一の条件が「国籍」を有することであると述べているが、「国籍」は先ほどまでも見てきたように、「国家の所属員の資格」であるとともに国家への忠誠心（allegiance）というかたちでアイデンティティを誘起する源泉である面が一方ではありながらも、「上」から機会主義的に操作されうるものである。アンダーソンや西川がいうように..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「在日コリアン」における「帰化」についてhp用]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/78916/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 13:35:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/78916/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/78916/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/78916/thmb.jpg?s=s&r=1297312512&t=n" border="0"></a><br /><br />「在日コリアン」における「帰化」
　日本における現行の帰化制度はどのような下で行われているのだろうか。帰化に関しては国籍法（平成二〇年一二月一二日法律第八八号）の第五条に帰化をするに当たっての条件が書かれている。それを見てみると次のようになる。
　第五条
　　法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
　一．引き続き五年以上日本に住所を有すること
　二．二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること
　三．素行が善良であること
　四．自己又は生計を一にする外風車その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること。
　五．国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
　六．日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。
　
　ここに定められている条件を満たしていれば、帰化をすることができることになっている。また、このほかにも第六条では「現に日本に住所を有するものについては、法務大臣は、その者が前条（注：5条）第一項第一号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる」とあり、「在日コリアン」の大部分がこの六条を満たしている状態である。
　さて、2008年までの状態で「在日コリアン」の帰化者数は全部で296168名であるという統計が在日本大韓民国民団のホームページ（http://www.mindan.org/）では紹介されている。その統計を見ると1990年中盤以降は毎年10000人に近い人が帰化をしている。
　実際に帰化申請をするときにはさまざまな壁が立ちはだかっている。そのことについて「帰化制度のホントのところ」1
　「帰化制度のホントのところ」（『アンニョン！20号』2000.12）では次のように紹介している。
　いずれの簡易帰化においても三項の素行善良条件や、四項の生計条件、六項の公安上の危険人物条項は緩和されておらず、そのことを理由に帰化を拒むことが可能となっています。しかもその基準が明確ではなく、法務大臣の主観的判断によって左右される極めて恣意的な条項と言えるでしょう。
　また、帰化申請時には本人だけでなく家族の戸籍..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民族エスニシティ~日本社会と少数民族]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78499/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78499/thmb.jpg?s=s&r=1296574114&t=n" border="0"></a><br /><br />マイノリティの状況を改善するには必要な措置の中に一番重要なのは、やはり法律の支援であること。社会の最高ルールとして、人々は皆、その上で生きて行かなければならない。少数民族の人たちも同じある。その故に、法律から日本にいる少数民族、そして彼らの地位、権利などを認定した上で、差別しせずに一般の日本人として対等的に扱うことがマイノリティの状況改善の前提として大事な存在である。法的な保障がなければ、状況の改善も順調に進めるわけがない。そして、教育には、少数民族向けの学校を設けて、各民族の言語で授業をやるとか、教科書にもマイノリティとエスニシティに関する内容を増やして、書き入れるとか、大学のセンター試験お..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民族エスニシティ~フランスとユーゴスラビアの多民族政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78498/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78498/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78498/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78498/thmb.jpg?s=s&r=1296574114&t=n" border="0"></a><br /><br />フランスは積極的に移民を受け入れたのは、19世紀以降である。労働力不足などの問題を解決するため、政府は世界各地の移民を受け入れなければならなかった。現在、フランスの人口は約６３４０万， 人口の約９％はみずからが移民であるか、または父母あるいは祖父母の代が移民であるという。その移民の中に、著しく増えたのは、アルジェリア、モロッコ、トルコ、そしてブラックアフリカ諸国の出身者達。今回、フランス郊外から全国に広がった暴動のきっかけは、パリ郊外で警察に追われたアフリカ出身の二人の若者が変電所の中に電撃を受けて命を失った事件である。地元の若者達は政府に抗議するために、車に火をつけて、警察との間に小規模の衝..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民族エスニシティ～アジアの民族問題と国際社会について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78497/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78497/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78497/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78497/thmb.jpg?s=s&r=1296574113&t=n" border="0"></a><br /><br />中国は５６の民族からなる統一的な多民族国家である。漢民族の人口が多い（全国総人口の９１．６％を占める）ため、習慣として他の５５の民族は少数民族と呼ばれている。２０００年の第五回国勢調査のデータによると、中央政府に認められた５５の少数民族の人口が１億に近づいた。各民族の平等、団結、助け合い、共同繁栄の実現は、中国政府が民族間の関係を処理するにあたっての基本原則である。しかし、民族をめぐる問題が世界の各域で頻発している。２１世紀には、近代世界における国民国家が再検討を迫られているかのようである。このような巨大な人口を有する中国も例外ではない。ここ数年を振り返っただけでも、いろいろな材料を指摘することができる。
　１９９５年１２月、内蒙古自治区のフフホトでモンゴル族によるでもが発生した。揚げられた主張は明確にされていないが、「形骸化した民族自治」に対する異議申し立てであったとも伝えられる。このデモと前後して、数百人のモンゴル族で構成される。「南蒙古民主連盟」の主席ら数人が、政府転覆罪、国家分裂罪、反革命集団組織扇動罪などの罪状で公安局に逮捕された。また、新疆ウイグル自治区では、１９９６年４月..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[瀋陽・日本大使館への駆け込み事件から見る日本の難民対策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78489/thmb.jpg?s=s&r=1296574107&t=n" border="0"></a><br /><br />２００２年５月８日、中国・瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮出身者の一家５名が中国当局に拘束された事件には、これまで日本がとってきた亡命者・難民受け入れのあり方が限界に達していることを、国際社会に強く印象づけました。スペインや米国の総領事館が、北朝鮮出身者に庇護を与えたのと対照的に、副総領事をはじめ日本総領事館の職員たちは、侵入した中国武装官憲に　然とした態度をとることができず、亡命を希望した一家５名を守ることができなかったのです。
　なぜこのようなことになったのでしょうか。在外公館への亡命者を人道的に処遇する方針が確立されていれば、総領事館の職員たちは中国官憲に対してもっと毅然とした態度をとることができたでしょう。しかし、実際には、こうした亡命者に対する人道的処遇や保護に向けての方針はまったくありませんでした。そのかわりに存在していたのは「不審者は一切敷地内に入れない」とする警備方針でした。総領事館の職員たちの消極的な態度の背景には、亡命者・難民排除の方針があったのです。
　もちろん、北朝鮮から脱出してきた５人の市民は中国に逃げていたのですから、彼らを保護する責任は、ま..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[グローバルネットワーキング～国際関係論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78475/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78475/thmb.jpg?s=s&r=1296574095&t=n" border="0"></a><br /><br />先日、中嶋嶺雄さんが著作する国際関係論―同時代史への羅針盤を拝読した。よく書いている参考書だと思う。この本は国際関係論の意義から、一番基礎な部分で全書の内容をすこしずつ展開して、深いところに進む形で国際関係論を詳しく紹介した。私のような初心者にとって、このような書き方は一番望ましいである。なぜなら、国際関係論についてはまだまだほとんど分からなくて、単なる国家と国家の関係を研究する学問の一種類しか意識していない。もし最初から、いきなり意味深い論文や説明文が現れたら、たぶんかなり困っている状況になって、本を読み続ける気がなくなるかもしれない。幸いにも、この本の作者は国際関係論について、基礎な部分に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　商業英語Ⅰ分冊１【商談・交渉を成功に導く為の諸要件を出来るだけ多く挙げて&hellip;】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955247566252@hc10/78126/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cabby]]></author>
			<category><![CDATA[cabbyの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Jan 2011 23:06:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955247566252@hc10/78126/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955247566252@hc10/78126/" target="_blank"><img src="/docs/955247566252@hc10/78126/thmb.jpg?s=s&r=1296137207&t=n" border="0"></a><br /><br />商談・交渉を成功に導く為には、戦術と戦略が重要である。「戦略」とは「相手がまだ見えない状況」で勝つためのアイディアを構築し、然るべき行動をとることであり、「戦術」とは、「相手が姿を見せたところで具体的、実戦的な行動をとること」である。交渉前[360]<br />商談・交渉を成功に導く為には、戦術と戦略が重要である。「戦略」とは「相手がまだ見えない状況」で勝つためのアイディアを構築し、然るべき行動をとることであり、「戦術」とは、「相手が姿を見せたところで具体的、実戦的な行動をとること」である。交渉前の段階ではこの準備段階の詰め方により、交渉において最大の効果を得られる。
　そのためにも己を知ること、商談相手を知ること、交渉の目的を明確にとらえること、交渉の進め方、民族特有の考え方の尊重、そして英語力の６点が必要である。
　己を知ること、自己の能力の棚卸しを行い、自己能力の認識に生かす。商談を行う上で自分に十分な英語能力がなければ、通訳の助けをかりるなど、的確な判断を行う動機につながる。また、認識した上で訓練に繋げることが大切であり、短時間でも毎日の勉強を心掛ける。自己能力を正しく判断し、それを仕事に生かすことが大切である。
　商談相手を知ること、つまり相手について準備、研究を怠らぬよう下調べをしておく。例えば会食場所の予約の際、交渉相手がベジタリアンであったり、和食は苦手であったり、以前と同じ店、騒がしい店であったりすると、商談が思うような結..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私が貴大学院貴専攻を志望した理由は]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77954/]]></link>
			<author><![CDATA[ by malaplop]]></author>
			<category><![CDATA[malaplopの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:39:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77954/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953966978133@hc11/77954/" target="_blank"><img src="/docs/953966978133@hc11/77954/thmb.jpg?s=s&r=1295858377&t=n" border="0"></a><br /><br />21世紀は、国民国家の枠を超えた新しい世界秩序を探る必要がある。それゆえ、私は、貴専攻で国際法、難民問題の構成原理を研究したい。そして、将来は国際公務員やＮＧＯの職員として、グローバルな発言力、影響力を示したい。
こうした研究意欲を抱いた背[354]<br />志望理由
21世紀は、国民国家の枠を超えた新しい世界秩序を探る必要がある。それゆえ、私は、貴専攻で国際法、難民問題の構成原理を研究したい。そして、将来は国際公務員やＮＧＯの職員として、グローバルな発言力、影響力を示したい。こうした研究意欲を抱いた背景には、大学1年のときから国際公務員になろうと思い勉強をして来たことがあげられる。私は、この体験から、日本が抱える国際問題及び難民問題について詳しく知ることができ、自らの問題意識を育てることができた。また、各種メディアの報道を見ても分かるが、現在、国家だけでは解決の不可能な地球規模の問題が噴出している。例えば、民族紛争、人口爆発、環境問題、南 北・南..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イギリス文学史Ⅰ第1分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954073729553@hc10/77496/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 103109]]></author>
			<category><![CDATA[103109の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Jan 2011 15:23:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954073729553@hc10/77496/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954073729553@hc10/77496/" target="_blank"><img src="/docs/954073729553@hc10/77496/thmb.jpg?s=s&r=1295245402&t=n" border="0"></a><br /><br />Anglo-Saxon England の歴史とその時代の代表的詩歌Beowulfの成立の経緯と内容を述べ、かつその特質を説明する。[144]<br />このレポートでは、Anglo-Saxon Englandの歴史とその時代の代表的詩歌Beowulf の成立の経緯と内容を述べ、かつその特質を説明する。
　まず、Anglo-Saxon England の歴史はいくつかの民族の戦争の繰り返しであった。紀元前数百年の昔、ケルト族のゲイル人がイングランドに侵入し先住民のイベリア人を追放したのだが、同じケルト族のブリトン人に侵略され、最終的にはゲイル人を北部や西部へ追い払い、ブリトン人が南部に住むようになった。　
紀元前55年ごろ、ローマの英雄、ジュリアス・シーザーがゴール（現フランス）を征服し、イングランドにも渡ってきた。ブリトン人は徐々に征圧され、イングランドはローマの領土となり、ブリﾀﾆアと名付けられた。
紀元5世紀に入り、ローマ本国の勢いが衰え、ローマ軍がブリタニアより撤退。すると、北に追われていた同じケルト族のスコット人とピクト人が南下し、南方ブリトン人を攻めた。南方ブリトン人はローマに救いを求めたが、受け入れられず、ゲルマン民族チュート族（ジュウト、アングル、サクソン）の3部族に救いを求めたところ、これら3部族がブリタニアを攻め、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ジェンダー福祉論レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431963501@hc05/76381/]]></link>
			<author><![CDATA[ by リリパス]]></author>
			<category><![CDATA[リリパスの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Dec 2010 10:28:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431963501@hc05/76381/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431963501@hc05/76381/" target="_blank"><img src="/docs/983431963501@hc05/76381/thmb.jpg?s=s&r=1291253332&t=n" border="0"></a><br /><br />ジェンダー福祉論　レポート課題

「原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか、また、男女の地位の差が生じたのは何が原因か、Ａ4の用紙1～2枚程度にまとめなさい」[247]<br />ジェンダー福祉論　レポート課題
「原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか、また、男女の地位の差が生じたのは何が原因か、Ａ4の用紙1～2枚程度にまとめなさい」
＜原始・古代の男女の分業はどのように行われていたのか？＞
　大昔の人々は、狩りと植物や食物の採集で暮らし、特に狩りが大切だった。大昔の人々は狩人―狩猟採集民族―だった、という見方が常識であった。そのため、大昔も男が狩りをし、女が木の実などの植物を集めていたのだろうと推測されていた。この予測は大づかみには今も正しいだろう。
　ただし、小動物や動物の仔を男がとらえると「狩り」、女がとらえると「採集」と記録する。女が追い、男が仕留め..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生活と文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955626118257@hc10/68911/]]></link>
			<author><![CDATA[ by プチナス／ナースの味方]]></author>
			<category><![CDATA[プチナス／ナースの味方の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Jul 2010 23:04:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955626118257@hc10/68911/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955626118257@hc10/68911/" target="_blank"><img src="/docs/955626118257@hc10/68911/thmb.jpg?s=s&r=1278079471&t=n" border="0"></a><br /><br />生活と文化をテーマにした授業のレポートです。
参考文献：『生活文化論』　河合利光　建帛社[131]<br />生活文化とは、それぞれの民族が地域の環境や状況に応じて生み出し、発展させてきたものである。それぞれの文化に強い伝統と習慣性があり、それを変えることはとても困難なことである。民族と民族の相互作用によりそれぞれの文化が豊かに育くまれてきた。生活文化はそれぞれの地域の価値観や思想などについても深く結びついている。
　生活文化には衣・食・住を中心に様々なものがある。食は人間が生きていく上でとても重要なことであり、絶対に欠かせないものであるため、人間生活では大きな比重を占めている。食文化もそれぞれの民族によって多種多様であり、日本では絶対に食さないようなものを食べていたり、その逆もある。また、日本ではあまり想像できないが、食べてはいけないタブーなども多くある。その他にも、日本でよく見られる正月の餅やおせち料理、雑煮などの儀礼食も食文化から生まれたものである。そして人間は共食する動物であり、人間の食事は一人だけで食べるものではなく、他の人々と一緒に食べることが原則になっている。誰と食べるかもそれぞれの文化によって違い、時には誰とも一緒に食事をしてはいけないと決められていることもある。食は生存のた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中華主義とはなにか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955807608546@hc10/68451/]]></link>
			<author><![CDATA[ by naoko0922]]></author>
			<category><![CDATA[naoko0922の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Jun 2010 19:04:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955807608546@hc10/68451/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955807608546@hc10/68451/" target="_blank"><img src="/docs/955807608546@hc10/68451/thmb.jpg?s=s&r=1276250679&t=n" border="0"></a><br /><br />中華主義とはなにか
　
2009年7月、劉振民中国国連大使は、国連大会で、自国民を保護する能力のない、もしくは保護する意志のない国家に対し、国際社会全体が当該国家の保護を受けるはずの人々について「保護する責任」を負うという新しい概念について発言した際、「『保護する責任』は主権の原則や内政不干渉の原則に違反してはならない」と述べた。
国際社会の場において、中国が「内政不干渉」「主権」という言葉を頻繁に用いるのは、周知の事実である。これを私は、中国が自国の政策について諸外国から「口を出されたくない」ということの意思表示であり、自国を「大国」として認識していることの表れであると解釈してきた。つまりこのような中国の発言を、中国を世界の中心をし、中華以外の民族をより野蛮なものとして位置づけた中国の伝統的な「中華思想」の表れであると思ったのである。中国からすれば、野蛮だと馬鹿にする民族から指図を受けることは、さぞかし辛いのだろうと。
また、多くの国際問題においても、本講義を受講している間も思っていたことだが、中国の主張というのは、極めて分かりやすく端的にいうなれば「他国を批判し自国の利益を最大化す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大衆・エリックフォファ－まとめ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67884/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:52:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67884/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67884/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67884/thmb.jpg?s=s&r=1274514767&t=n" border="0"></a><br /><br />大衆 2010年４月８日 エリック・ホッファー 大衆運動が多くの特徴を共有しているという仮定は、すべての運動が同様に恩恵をほどこすとか、有害であるというのではない。本書はいかなる判断も下さないし、またいかなる好みも明らかにしない。本書はただ単に説明しようとするものであり、その説明、－すべてが理論である－は、たとえまるで断定的な調子で叙述されている場合でも、提案と議論の性質を帯びているのである。私としてはここでモンテーニュのつぎの言葉を引用するのがいちばん良いと思う。「私はすべて論述として述べているので、勧告として述べているのではまったくない。たとえ私の言うことをヒトが信じるのが当然であったとしても、私はそのように大胆に語ってはならないのだ」
私たちには、自分たちの存在を形成する種々の力を、自己の外部に求める傾向がある。すなわち、私たちはどうしても心の中で成功や失敗を事物の状態と関係付けるのである。それゆえ、願望が実現していると感ずる人々は、世界を申し分ないものと考えて、これをそのまま維持したいと望むのに反して、欲求不満に陥った人々は、過激な変化に賛成するのである。
彼らは心の底から新し..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 難関国立大卒、マスコミ勤務]]></author>
			<category><![CDATA[難関国立大卒、マスコミ勤務の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 May 2010 01:36:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/" target="_blank"><img src="/docs/957001582434@hc10/67562/thmb.jpg?s=s&r=1274286968&t=n" border="0"></a><br /><br />有名国立大生の学部レポート。
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について[113]<br />ロシア文化特殊講義　レポート
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について
　　　　　　　　　　　　　　　
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について
　１、自由の渇望
　タルコフスキーは、１９３２年生まれで、生涯に８本の作品を撮った。「僕の村は戦場だった(1962)」「アンドレイ・ルブリョフ(1967)」「惑星ソラリス(1972)」「鏡(1975)」「ストーカー(1979)」「ノスタルジア(1983)」「サクリファイス(1986)」。全作品の背景を貫く体制拒絶性、宗教性、独自の難解な構成などで、ソ連当局、国家映画省からきびしい批判を受けた。
　１９６７年の『アンドレイ・ルブリョフ』は、イコン画家の伝記である。しかし、その内容が、「反ソ的・反歴史的・反愛国的映画」とレッテルを貼られ、批判にさらされ、５年間公開されず、映画製作もその後６年間禁止された。１９７５年の『鏡』は、その構成は、抽象的・難解といえるものだったが、ソ連当局は、『アンドレイ・ルブリョフ』に続いて、これもきびしく批判し統制した。しかし、タルコフスキーは、単純にスターリン・体制批判という政治的意図に基づいて製作したと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[皇民化政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 18:38:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/66798/thmb.jpg?s=s&r=1273484334&t=n" border="0"></a><br /><br />大日本帝国の植民地下の朝鮮人に対して行われた、皇民化政策について、創氏改名、学校教育、共同体の視点から論じています。


朝鮮総督府の皇民化政策の推移
序
　皇民化政策とは、朝鮮や台湾などの日本軍占領地において、住民を大日本帝国の忠良な臣民[350]<br />朝鮮総督府の皇民化政策の推移
序
　皇民化政策とは、朝鮮や台湾などの日本軍占領地において、住民を大日本帝国の忠良な臣民として戦時動員体制に組み込むために実施された一連の政策である。日本の朝鮮支配の基本方針は同化政策とよばれ、朝鮮人の民族性を抹消し、「亜日本人」化することであった。戦争が長期化するにともない、政策は徹底されていくことになった。日中戦争後には、朝鮮人を完全に「皇国臣民」にする「内鮮一体」が声高に叫ばれるようになったのである。以下、朝鮮におけるに日中戦争開始後の同政策について概観していく。
1、日中戦争の勃発と「内鮮一体」政策の深化
　1937年の日中戦争勃発とともに、神道による皇民化をはかるため神社参拝が強要され、一面一神社計画が推進された。その後10月、総督府は「皇国臣民の誓詞」を制定し、学校・官庁・職場・地域などでの斉唱を義務付け、これを「国民儀礼」とした。その内容は、「臣民」であることや「忠誠」を誓うことが中心であり、その自覚を促すことを目的としていた。
　1938年2月、戦争の長期化・泥沼化に直面した日本は、「陸軍特別志願兵令」を公布し、兵力の拡充と「志願」による皇..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史（東洋）　第1分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anthem]]></author>
			<category><![CDATA[anthemの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 09:57:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/" target="_blank"><img src="/docs/962350986988@hc08/56066/thmb.jpg?s=s&r=1254877023&t=n" border="0"></a><br /><br />外国史（東洋）第一分冊　略題（南北朝の興亡）
魏晋に続く南北朝とはどのような時代であったか論述せよ
--------------------------------------------------
　もっとも日本で有名な中国歴史の時代、[254]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史（東洋）　第2分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56067/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anthem]]></author>
			<category><![CDATA[anthemの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 09:57:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56067/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56067/" target="_blank"><img src="/docs/962350986988@hc08/56067/thmb.jpg?s=s&r=1254877030&t=n" border="0"></a><br /><br />外国史（東洋）第二分冊　略題（宋王朝と周辺民族）
北宋・南宋王朝と周辺民族の関係について論述せよ
--------------------------------------------------
八世紀半ばから中国社会は少しずつ変[248]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国延辺朝鮮族自治州に関する考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/65783/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Apr 2010 13:55:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/65783/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/65783/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/65783/thmb.jpg?s=s&r=1271220936&t=n" border="0"></a><br /><br />中国延辺朝鮮族自治州に関する考察
　中国吉林省には、北朝鮮・ロシアと国境を接する延辺朝鮮族自治州が存在する。朝鮮族の移住の歴史的背景に関しては、自然災害から逃れて朝鮮半島から移住してきた歴史や、清国による勢力争いとしての移民奨励策、満州事変前後期における日本の移民奨励策が関連している。こうした意味で延辺は、各国の近代化の過程の中で勢力範囲を争われた現場であり、結果勢力争いに勝利した日本に抵抗する抗日パルチザンとしての場でもあった。このような歴史的背景を経て１９５２年に延辺朝鮮族自治州が成立、５５年の自治州化を経て現在に到っているが、１９４５年後には国共内戦、朝鮮半島の分断、文化大革命など、イデオロギーの対立とは不可分な現場として、一方では現在国連開発機構が主導する豆満江開発に見られるように、東アジア経済の中心となる自由貿易港の場としての性格をも、延辺は持ち合わせている。
　このような歴史を持つ延辺朝鮮族自治州に居住している朝鮮族は年々減少傾向にあり、今では漢族人口が上回っている状況である。２０１０年３月には延辺朝鮮族自治州を延吉市にしようという動きも出てきている。こうした現状のなか、実..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[台湾民主化と中華民国相克]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65175/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 21:45:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65175/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65175/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65175/thmb.jpg?s=s&r=1269607557&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾―民主化と中華民国との相剋
台湾の政治民主化は、権威主義体制による経済発展の成功を繋がった。こうした経済開発が成功すれば、民主主義を定着させるまでの準備段階と言える。この民主化モデルは韓国の「コリア・シナリオ」と同様である。
　確か、台湾と韓国の民主化モデルはかなり似ていた。だが、台湾も少し異なる部分があると見られた。これは民主主義体勢への移行期は未に見えない状態である。
更に、移行期から民主体制を定着するまで、直ちに定着することも保証できない。民主化といえば、権威体制から民主体制への移行期とも言える。そのため、台湾では、権威者蒋経国から改革者李登輝まで、これを加えて新中産階級層の選択により、民主化がもっと早めに進んでいくではないと指摘した。
　今回のテーマは、まず、権威主義体制の特質を検討である。民主化という選択肢を選んだ中産階級政治企業家らが、台湾の権威政治問題を直面すべきと指摘した。
また、こうした中産階級層の特質から見ると、相互間のコミニティの重要性も見直すべきである。
更に、中産階級企業家ら民主運動の際に、採用したイデオロギーの性格も検討すべきである。最後、民主主義定着後..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[台湾の近代民主改革]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Mar 2010 22:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/64996/thmb.jpg?s=s&r=1269265443&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾の改革派
　戸張東夫著の『台湾改革派』の中で、蒋経国時代から李登輝時代の台湾政冶発展と民主化活動により、様々な視点から見る台湾の政冶環境の行方である。民主進歩党の成立から、中国国民党内一気に改革の道を進んでいた。今日の台湾の政冶にもかなり影響を与えた。この本を通じ、台湾の民主化運動再認識する。
　本書は、2部に分かれている。第1部は国民党から見る台湾の民主改革である。2部は全部6章から構成されている。
　まず、一つ目国民党側から見る台湾への改革の行方について論じている。1970年代から1980年末の20年間で、国民党が政権握って以来、国内外にも最悪な事態に遭い、72年に国連の中国代表権が無くし、これからの10年間で日本、米国を始め、断交した国が100個以上超えた。
　国内も反政府活動が活発していた時期である。77年に国民党政権を反対する政治家達に無所属として選挙戦に出た。しかし、国民党側のすりかえにより、両方の支持者達に桃園県中歴市で暴動が始まった。この事件により、国民党の選挙不正行為が表に出した。
　更に、79年の台湾南部の最大都市高雄で党外分子が結成した美麗島雑誌社の記念インベ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学講義Ⅵ（現代）②]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62688/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 12:09:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62688/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62688/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/62688/thmb.jpg?s=s&r=1264475354&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の戦時下は、満州事変を発端に日中戦争で本格的になり、やがて太平洋戦争に突入するまでの昭和十年代を表す。人々の関心は次第に民族心を掻き立てられ、戦争へと興味を示していった。
　当初の文壇では、満州事変に無関心だった。マルクス主義文学やモダニズム文学が依然主流であった。また、民族主義・浪漫主義の源となる古典をこよなく愛するロマンチシズムが、古典文学の見直しを主張していた。保田与重郎は『コギト』を発行し、亀井勝一郎や中谷孝雄らが『日本浪漫派』を創刊することにより、その目的を鮮明なものとしていた。
そのような状況を一変させたのは、満州事変後の昭和一二年、北京郊外で発生した日中両国における軍事衝突であった。日本の強引な満州国建国が中国側の反発を買い、また国際的非難を浴びていた。これにより日本政府は戦線体制を強化し、国民にその緊張感を投げかけていった。文学界では、雑誌会社が戦地に文学者を派遣し執筆させた現地の状況報告が話題となり、新聞業界もこぞって戦地へ向かうようになった。
しかし、芥川賞を受賞したばかりの新人、石川達三の『生きている兵隊』が、本人と意図とは裏腹に描写の一部に問題があるとして..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[認知言語学の観点からみた虹の色]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957016511054@hc10/62377/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mascot]]></author>
			<category><![CDATA[mascotの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 18:33:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957016511054@hc10/62377/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957016511054@hc10/62377/" target="_blank"><img src="/docs/957016511054@hc10/62377/thmb.jpg?s=s&r=1264239199&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに

色は一体どこから生まれてきたのでしょうか？自分が思っている色と他の人が思っている色は全く同じ色なのでしょうか。色について、各国、地域、民族の虹の色を検討し、なぜ、虹の色の範囲が各国、地域、民族によって違うのかということを、虹[352]<br />뭢뙻뚭둾궻듡궔귞귒궫걑륡걒궼궣귕궸륡궼덇뫬궵궞궔귞맯귏귢궲궖궫궻궳궢귛궎궔갎렔빁궕럙궯궲궋귡륡궴뫜궻릐궕럙궯궲궋귡륡궼멣궘벏궣륡궶궻궳궢귛궎궔갎륡궸궰궋궲갂둫뜎갂뭤덃갂뼬뫎궻볲궻륡귩뙚뱼궢갂궶궨갂볲궻륡궻붝댪궕둫뜎갂뭤덃갂뼬뫎궸귝궯궲댾궎궻궔궴궋궎궞궴귩갂볲궻륡궻쀰럍귘륡궻쀰럍귩믅궢궲갂뢲귊궫궋궴럙궎갃볲궻륡볷궳궼덇붗밒궸볲궻륡궼갂괯륡궳궇귡궴궠귢궲궋귏궥갃볷뚭궻뭷궳궼갂볲궻륡궼갂괯궰궸뗦빁궠귢궲궋귡궔귞궳궥갃궢궔궢갂뫜궻뜎귘갂뼬뫎궻볲궻륡귩뮧귊궲귒귡궴갂볲궼멣궲궕괯륡궳궼궇귟귏궧귪갃궶귪궴볲궻륡궕괧륡궳궇귡뼬뫎귖뫔띪궢귏궥갃궞귢궼렳띧궸뙥궑궲궋귡볲궻륡궕룺궶궋궻궳궼궇귟귏궧귪갃륡궕뙥궑궲궋궶궋궴궋궎귦궚궳궼궶궋궻궳궥갃궞궻궞궴궼갂볲귩뙻뚭궸귝궯궲돺륡궸뗦빁궢궲궋귡궻궔갃궴궋궎뽦묋궶궻궳궥갃럡궼갂럔떉궻렄궸갂볲귩뙥궲갂뱰궸볲궼괯륡궶궻궬귣궎궔갃궴궋궎뽦귩렃궯궫궞궴궕궇귟귏궥갃궩궢궲갂렳띧궸볲궻륡귩릶궑궲귒귡궴갂괯륡궳궼궶궘갂괫륡궙귞궋궳갂괯륡귝귟귖룺궶궔궯궫궞궴귩딯돬궢궲궋귏궥갃궞귢궼갂볲궻륡귩뗦빁궥귡궴궖궸갂뿑궼먃궯귎궋궔귞갂먃궳궇귡궴긇긡긕깏돸궢갂궠귞궸욖궼돥륡궯귎궋궔귞돥궳궇귡궴..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国における他民族教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/]]></link>
			<author><![CDATA[ by doitu]]></author>
			<category><![CDATA[doituの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jan 2010 13:22:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/" target="_blank"><img src="/docs/957019707241@hc10/62317/thmb.jpg?s=s&r=1264134141&t=n" border="0"></a><br /><br />某旧帝大の教育学課題レポート。
表紙を合わせて８ページ。約。７７００文字。

タイトル：
中国における統合政策と少数民族教育の対立
-朝鮮族にみる、少数民族の自発的な漢民族文化への同化-

概要：
中国は世界第４位の広大な国[324]<br />中国における統合政策と少数民族教育の対立
-朝鮮族にみる、少数民族の自発的な漢民族文化への同化-
　
Ⅰ はじめに
中国は世界第４位の広大な国土に、漢族と５５の少数民族を抱える多民族国家である。しかし少数民族とはいうものの、その人口は１億人以上に及び、量的には必ずしも「少数」ではない。それゆえに、少数民族教育だけでなく、それら少数民族の分離独立を避けるためにも、中華人民共和国という国家へと帰属させる統合政策も重要とされてきた。本稿では、この巨大国家中国の統合政策は中国少数民族教育、ひいては彼らのエスニシティに影響を及ぼしているかという問題を扱う。そして結論として、統合政策が少数民族教育を飲み込み、自発的な漢民族文化への同化が将来的に進行するであろうことを導きたい。
上記の結論を導くために、まず第二節では少数民族教育がどのような目的を持ち、現在ではどのように実施されているかという概要を述べる。次に第三節において、中国少数民族の中でも特に強い民族意識を維持しているとされる朝鮮族に着目し、朝鮮族の少数民族教育の現状を通して、民族言語の軽視という朝鮮族のエスニシティを脅かす事態が起きている事を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[少数民族について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957109850373@hc10/61789/]]></link>
			<author><![CDATA[ by koheyho]]></author>
			<category><![CDATA[koheyhoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 01:34:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957109850373@hc10/61789/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957109850373@hc10/61789/" target="_blank"><img src="/docs/957109850373@hc10/61789/thmb.jpg?s=s&r=1263227695&t=n" border="0"></a><br /><br />―旧ソ連の連邦構成共和国における民族の諸相と問題―
　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　かつてソ連には、百以上の民族集団が存在するといわれていた。
ソ連時代は連邦制度とソ連共産党を通じて中央から、連邦共和国とその主要民族をロシア・ナショナリズムに傾斜しつつ抑圧する仕組みが大きな問題となっていた。さらにロシア語とそれぞれの民族の母語の問題、ソビエト政権の非宗教化政策と東方正教、イスラム教などとの関係に連邦構成共和国間の経済力の格差といった複雑な要素が結びついて連邦制度と共産党支配の維持は不可能となり、ソ連崩壊を引き起こした。
ソ連崩壊後、民族名を持った十四の連邦構成共和国が分離・独立し、ロシアはソ連から人口で半分、面積で四分の三に縮んだが、民族集団は約四十いたと指摘されている。
　しかし、ロシア人の全人口に占める割合はソ連時代の５２％から新生ロシアになって８１％へと大幅に高まった。これは、多くの民族集団を抱える社会を統治するにはプラスであるが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ビザンツ史ゼミＡ　修道院隠棲時代１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happy1124]]></author>
			<category><![CDATA[happy1124の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Dec 2009 18:54:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/" target="_blank"><img src="/docs/957942689751@hc09/60707/thmb.jpg?s=s&r=1260525269&t=n" border="0"></a><br /><br />ビザンツ史ゼミＡ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
キリルとメトディ（Ⅰ）　Ⅱその生涯と時代　　　　　　　　
修道院隠棲時代　　（用語）
◇ミサ聖祭
　　キリストの十字架上の犠牲の断続であって、パンと葡萄酒の外観の下にいるキリストの体と血を司祭の手をもって聖父にささげる司祭である。
　
◇ミサ典書
　　１年を通じてのミサ聖祭の全文を収めた書物で、司祭が祭壇上で用いる。現行ミサ典書はピウス５世が1570年に公にしたもので、「主日と祝日の部」「聖人祝日の部」「聖人共通典礼の部」の三部よりなる。
　　＊キュリロスとメトディオス
　　　　兄弟は、教皇ニコラウス１世の招きを受け、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[石橋湛山評論集]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:44:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/59248/thmb.jpg?s=s&r=1258692256&t=n" border="0"></a><br /><br />『石橋湛山評論集』（岩波文庫）をまとめたものです。[75]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第一次世界大戦前の情勢と勃発]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Aug 2009 22:51:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/53737/thmb.jpg?s=s&r=1249998694&t=n" border="0"></a><br /><br />目次
１．国際的対立の激化
２．バルカン問題
３．バルカン戦争
４．第一次世界大戦の勃発[128]<br />第一次世界大戦前の情勢と勃発
目次
１．国際的対立の激化
２．バルカン問題
３．バルカン戦争
４．第一次世界大戦の勃発
１．国際的対立の激化
　ドイツ宰相ビスマルクは、フランスを孤立させるとともにドイツが国際紛争に巻き込まれないように、1879年オーストリアと同盟を結び、さらにイタリアも誘って1882年三国同盟を結んだ。
その後1890年にビスマルクが引退してヴィルヘルム2世の親政が始まり、積極的な帝国主義政策を推進した。彼はロシアとの間の二重保障(再保障)条約の更新を拒否した。そこでロシアは91年に露仏同盟を結び、ドイツ・オーストリアに対抗した。
　またドイツは、バルカン半島から西アジア方面..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代英語以前のイギリス言語と文学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49177/]]></link>
			<author><![CDATA[ by choco25]]></author>
			<category><![CDATA[choco25の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 May 2009 00:05:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49177/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49177/" target="_blank"><img src="/docs/959461217523@hc09/49177/thmb.jpg?s=s&r=1242831950&t=n" border="0"></a><br /><br />２、近代英語が成立する以前のイギリスの言葉と文学
古代から中世にかけて、いろいろの民族が波状的にイギリスに移動した。今日のイギリスはこれらの外来民族の融合によって成立した。紀元前６世紀頃から中・西欧に広く分布していたケルト人が長い期間にわた[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53366/thmb.jpg?s=s&r=1249141367&t=n" border="0"></a><br /><br />『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察
序
　本書は、朝鮮王朝史を概観しつつ、中国発祥の中華思想が、中韓関係にどのような影響を与えてきたのかを、朝鮮側の社会的・政治的・文化的側面から照らし出している。
　中華思想における「夷」であった朝[348]<br />『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察
序
　本書は、朝鮮王朝史を概観しつつ、中国発祥の中華思想が、中韓関係にどのような影響を与えてきたのかを、朝鮮側の社会的・政治的・文化的側面から照らし出している。
　中華思想における「夷」であった朝鮮の中国文化への憧憬、またそれと同時に「小中華」としての民族的矜持に揺れる朝鮮のアイデンティティー形成の歴史を検討することは、現在の日韓関係・日中関係にとどまらず、冷戦以降の多様化が進む国際社会を捉え直す際にも非常に有用な視点であるように思われる。
　以下では、中華思想、すなわち華夷思想についてその概要を述べ、朝鮮王朝の歴史を辿る形で、それがどのような意味を持っていたのか、またそれに伴う中韓関係と朝鮮の意識変容についてみていく。その上で、現在の朝鮮ナショナリズムや日韓関係のあり方について考察していきたいと思う。
1、華夷思想と朝鮮
　近代以前の東アジア世界を律していた国際秩序は、中国を中心とした天下的世界認識であった。「天下」とは万民が生活する空間全体を指し、このすべてを治める「天」は地上で最も徳の高い人物に「天命」を下して「天下」の王者、すなわち天子とし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[考古学入門１分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/]]></link>
			<author><![CDATA[ by oniwaban_hime]]></author>
			<category><![CDATA[oniwaban_himeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Jul 2009 23:25:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/52865/" target="_blank"><img src="/docs/962368413739@hc08/52865/thmb.jpg?s=s&r=1248272743&t=n" border="0"></a><br /><br />日本で考古学が独立の学問として意識され
るようになったのは、19世紀後半、明治時代
初期のことで、それまでは縄文式時代の特殊
な形態の石器などを収集したりする趣味を
もつ人達が紀行集や図録などを刊行したり、遺物を持ち寄って自慢しあう[340]<br />　日本で考古学が独立の学問として意識され
るようになったのは、19世紀後半、明治時代
初期のことで、それまでは縄文式時代の特殊
な形態の石器などを収集したりする趣味を
もつ人達が紀行集や図録などを刊行したり、遺物を持ち寄って自慢しあうだけにとどまっていた。
幕末以降になると、西欧の先進技術や学術的知識を学ぶために様々な分野に多くの外国人が雇用されｎた。彼らは「お雇い外国人」と呼ばれ、日本の近代考古学の発展に大きな影響を与えた。
「考古学」という言葉は、ギリシャ語のarchaios(古代の)とlogos（学問）を語源とする英語の「archaeology」の訳語である。日本では明治初期に、「古きものを好む」という意味で「好古」と記されたり、「古物学」と訳されていたこともあるが、シーボルトの息子であるハインリッヒ・フォン・シーボルトが1879年に日本に送った著書「考古学説略」に緒言を記した吉田正春が「考古学は欧州学課の一部にして、云々」と述べてから、「古きを考察する」学問であるという考え方が広まり考古学という名前が使われたといわれている。
　日本近代考古学の初期には、考古学の研究はその文化内..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ニュ－ジーランドとアメリカ合衆国の開発の歴史、民族構成、政治・経済状況について共通点と相違点を比較しつつ説明しなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47791/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:22:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47791/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47791/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47791/thmb.jpg?s=s&r=1241752942&t=n" border="0"></a><br /><br />ニュ－ジーランドとアメリカ合衆国の開発の歴史、民族構成、政治・経済状況について説明しなさい。
　ニュ－ジーランドとアメリカは、それぞれイギリス植民地として出発した。両国はイギリスの市場となり、かつ支配と搾取を受け、農産品をヨーロッパ市場へ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカ合衆国の移民の流入過程を説明し、最近の民族構成の変化について述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:22:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47789/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47789/thmb.jpg?s=s&r=1241752941&t=n" border="0"></a><br /><br />アメリカ合衆国の移民の流入過程を説明し、最近の民族構成の変化について述べなさい。
　アメリカは国民のほとんどが移民とその子孫から成り立つ他民族国家であるが、はるか昔は先住民が狩猟や農耕生活を営んでいた。そこに、16世紀以来、西ヨーロッパか[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宋と遼王朝・金王朝との関係を政治的・経済的背景を踏まえて論述せよ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47776/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:10:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47776/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47776/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47776/thmb.jpg?s=s&r=1241752202&t=n" border="0"></a><br /><br />宋と遼王朝・金王朝との関係を政治的・経済的背景を踏まえて論述せよ。
中国では，唐の滅亡後，五代の紛乱時代を経て，宋・遼の二国が南北に対立するに至った。宋は唐末以来勢力を振るっていた武人の権力を抑えて，文治主義による政治組織を採用した。この[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47502/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganpon]]></author>
			<category><![CDATA[ganponの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 May 2009 20:50:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47502/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47502/" target="_blank"><img src="/docs/959784554071@hc09/47502/thmb.jpg?s=s&r=1241351420&t=n" border="0"></a><br /><br />秦の天下統一の意義
　&rArr;北方民族が周を圧迫し、前770年に周が洛陽に遷都してから東周時代が始まる。東周時代は晋が韓・魏・趙の3つに分裂するまでの春秋時代とその後から秦が中華を統一するまでの戦国時代に分けられる。この時代には分裂から統一に向か[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47522/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganpon]]></author>
			<category><![CDATA[ganponの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 May 2009 20:50:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47522/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/47522/" target="_blank"><img src="/docs/959784554071@hc09/47522/thmb.jpg?s=s&r=1241351438&t=n" border="0"></a><br /><br />（ｂ）北方民族と漢民族の相互影響について
　&rArr;中国史における北方民族の進入は周の時代、幽王の時期にすでにあり、周は前770年に遷都している。その後、北方民族は春秋戦国時代を経て勢力を拡大してきたが、秦の始皇帝時代には扶蘇、蒙恬らが匈奴を北方[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[春秋戦国時代の食文化について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961284933958@hc08/39039/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shingen3759]]></author>
			<category><![CDATA[shingen3759の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Mar 2009 03:13:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961284933958@hc08/39039/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961284933958@hc08/39039/" target="_blank"><img src="/docs/961284933958@hc08/39039/thmb.jpg?s=s&r=1237745603&t=n" border="0"></a><br /><br />｢中国王朝のなかで、あなたが最も関心を持つ王朝を選び、それを中国史上のほかの王朝と対比して述べなさい。｣

　この設題では、中華料理の文化について、古代中国人、主に、孔子が生きていた春秋戦国時代の食文化に焦点を当て、話を進めていく。
[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本人の神観について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959750168356@hc09/38090/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lebendig]]></author>
			<category><![CDATA[lebendigの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Mar 2009 06:26:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959750168356@hc09/38090/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959750168356@hc09/38090/" target="_blank"><img src="/docs/959750168356@hc09/38090/thmb.jpg?s=s&r=1236979593&t=n" border="0"></a><br /><br />「日本」の語が用いられた現存最古の文献は『日本書紀』である。勅命によって編纂されたこの歴史書は、民族の原初の意識をよく記録している。また、ほぼ同時期にやはり勅命によって編纂された歴史書には、『古事記』があるが、これらの歴史書が編纂される以前[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[★『ハプスブルク家はなぜ滅びたか』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35279/]]></link>
			<author><![CDATA[ by northcircular]]></author>
			<category><![CDATA[northcircularの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 29 Jan 2009 12:46:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35279/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961892812145@hc08/35279/" target="_blank"><img src="/docs/961892812145@hc08/35279/thmb.jpg?s=s&r=1233200760&t=n" border="0"></a><br /><br />『ハプスブルク家はなぜ滅びたか』
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 
『ハプスブルク家はなぜ滅びたか』
　　　　　　　　　　　　　　　　　　 
中世に覇を唱えたハプスブルク家
ハプスブルク家は、ヨーロッパ最大の王[336]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[黒柳徹子さんと幸福な社会について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960159475602@hc09/34835/]]></link>
			<author><![CDATA[ by simon-says]]></author>
			<category><![CDATA[simon-saysの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Jan 2009 02:13:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960159475602@hc09/34835/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960159475602@hc09/34835/" target="_blank"><img src="/docs/960159475602@hc09/34835/thmb.jpg?s=s&r=1232730783&t=n" border="0"></a><br /><br />黒柳徹子さんと言えば、「徹子の部屋」での快活なおしゃべり、
クイズ番組で圧倒的な知識でトップ賞をさらっていく姿の印象
が強い女優さんです。一方で、ユニセフ親善大使として活躍し
たり、ジェネッリク医薬品の普及活動にもかかわっているなど、
多方[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代中国における電力産業の発展の特徴]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960248443146@hc09/34151/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tommytotonny]]></author>
			<category><![CDATA[tommytotonnyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 Jan 2009 21:40:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960248443146@hc09/34151/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960248443146@hc09/34151/" target="_blank"><img src="/docs/960248443146@hc09/34151/thmb.jpg?s=s&r=1232455220&t=n" border="0"></a><br /><br />ここでは主に上海の公共租界と江蘇省における電力産業の発展を時系列的に述べていくことで、近代中国の電力産業の特徴をみていきたい。
　1882年、上海公共租界においてイギリス人が上海電工公司という電灯会社を設立し、照明向け電力の供給を開始したこ[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民族紛争と国家、日本語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/33353/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alpaca]]></author>
			<category><![CDATA[alpacaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Jan 2009 22:42:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/33353/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/33353/" target="_blank"><img src="/docs/983429242901@hc06/33353/thmb.jpg?s=s&r=1231508535&t=n" border="0"></a><br /><br />民族紛争と国家世界のあちこちで今もなお戦争や紛争が勃発している。宗教やイデオロギーなどが、民族紛争を克服すると考えられていた時代もあったが、現実は逆である。民族の独自性や固有の文化の尊重が強く主張される時代ということもあり、貧困や抑圧がな[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文化人類学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31607/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Dec 2008 13:05:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31607/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31607/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/31607/thmb.jpg?s=s&r=1228536326&t=n" border="0"></a><br /><br />文化人類学―性と親族関係
　未開社会の親族関係は、三つのポイントから見られる。第一は、これらの社会では親族及び姻族の関係が、集団のメンバーであるかないかを決めるのに用いられる。よそものの集団を人間とは認めない。集団の内部では、彼らだけが｢本[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際交流論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31377/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Dec 2008 19:44:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31377/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31377/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/31377/thmb.jpg?s=s&r=1228301076&t=n" border="0"></a><br /><br />国際交流論―共に生きられる日本へ外国人施策とその課題
私は『共に生きられる日本へ：外国人施策とその課題』を読み、この要約と感想について、述べている。
　本書では、今の日本における居住する外国人への様々な問題と日本人との共生するための政策とさ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[＠africa]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428858301@hc07/25890/]]></link>
			<author><![CDATA[ by あや]]></author>
			<category><![CDATA[あやの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Oct 2008 20:17:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428858301@hc07/25890/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428858301@hc07/25890/" target="_blank"><img src="/docs/983428858301@hc07/25890/thmb.jpg?s=s&r=1223291829&t=n" border="0"></a><br /><br />1994年、ルワンダで大虐殺が起こった。ツチ族に対するフツ族のジェノサイドだった。フツ族はルワンダの人口の約８から９割を占め、ツチ族は約１から２割、他にはトゥワ族が１％ほどと少数だ。この大量虐殺が起こるには主にツチ族とフツ族の対立が根底にあ[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[北海道の生活文化の展望]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961570912270@hc08/23124/]]></link>
			<author><![CDATA[ by soul2peace]]></author>
			<category><![CDATA[soul2peaceの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Aug 2008 15:46:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961570912270@hc08/23124/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961570912270@hc08/23124/" target="_blank"><img src="/docs/961570912270@hc08/23124/thmb.jpg?s=s&r=1219819611&t=n" border="0"></a><br /><br />北海道の生活文化の展望
北海道の生活文化が形成されるまで
　北海道の歴史を振り返ると、さまざまな異なる文化が接触し、あるいは国策によって導入され、生活文化が形成されてきたことに気づく。このような異文化の接触と摂取が北海道の生活文化の歴史[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際社会の特徴と、国内社会との違いについて述べよ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429621501@hc06/19079/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rei0812]]></author>
			<category><![CDATA[rei0812の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 Feb 2008 17:38:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429621501@hc06/19079/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429621501@hc06/19079/" target="_blank"><img src="/docs/983429621501@hc06/19079/thmb.jpg?s=s&r=1201941510&t=n" border="0"></a><br /><br />　 「国際社会の特徴と、国内社会との違いについて述べよ。」
　国内社会は自国の国家だけを対象とする。国際社会は少なくとも二つ以上の国家間の関係において生じる。国際政治の場合、自国の国民的利益を優先、追求する。国民的利益の追求において他国のそ[356]<br />　 「国際社会の特徴と、国内社会との違いについて述べよ。」
　国内社会は自国の国家だけを対象とする。国際社会は少なくとも二つ以上の国家間の関係において生じる。国際政治の場合、自国の国民的利益を優先、追求する。国民的利益の追求において他国のそれと対立する場合もあれば、共通する場合もある。対立する場合、その対立や利益を調整するのが国際政治の役割といえる。
　国内社会と違う国際社会の重要な要素は、現在の世界において、国家を超えた統一権力が存在していないことである。現在の国家の領域は国境と称せられる一定の地理的な区分によって、限定されている。
　多民族国家を包含している国家には、少数民族問題が常にある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アイヌ民族]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18883/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aquas120]]></author>
			<category><![CDATA[aquas120の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Jan 2008 02:34:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18883/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963298394482@hc08/18883/" target="_blank"><img src="/docs/963298394482@hc08/18883/thmb.jpg?s=s&r=1201628063&t=n" border="0"></a><br /><br />アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神（カムイ）とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行っていた。アイヌにとってのカムイとは、単に畏れ、崇い、従うだけの絶対的な存在ではなく、人間と対等[360]<br />アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神（カムイ）とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行っていた。アイヌにとってのカムイとは、単に畏れ、崇い、従うだけの絶対的な存在ではなく、人間と対等であり、対話をなし得るパートナーとして存在するものだったのである。それらの神々には、火や水、風といった自然神、クマ、キツネといった動物神、トリカブト、キノコといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがある。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼んでいたのである。つまりアイヌとは、「人間」を意味しているのである。この神への信仰こそがアイヌ民族の最大の特徴といえるであろう。また、アイヌ民族の生活と自然は深く関わっており、彼らの衣食住にもその様子は現れている。
まず、最初にアイヌ民族の食生活について見ていこうと思う。アイヌ民族はよく狩猟民族を言われるが、狩猟だけで生活していたわけではない。畑を耕して農作物を作ったり、山菜を採取したり、魚などを取ったりして生活をしていた。仕事の役割は、男は狩りを、女は畑仕事や山菜の採取・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ユダヤ・キリスト教世界における悪魔の変遷、本当 az HC]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/16043/]]></link>
			<author><![CDATA[ by せいろん]]></author>
			<category><![CDATA[せいろんの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Dec 2007 12:12:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/16043/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/16043/" target="_blank"><img src="/docs/ceylon_mypage/16043/thmb.jpg?s=s&r=1197688328&t=n" border="0"></a><br /><br />ユダヤ・キリスト教世界における悪魔の変遷
ユダヤ人の歴史
前１０C　　イスラエル・ユダの二王国に分裂
前８C　　　イスラエル王国滅亡（アッシリアのサルゴン２世）
前５８７　　ユダ王国滅亡　　　（ネブカドネザル）　&rarr;バビロン捕囚
その後　　　[346]<br />ユダヤ・キリスト教世界における悪魔の変遷
ユダヤ人の歴史
前１０C　　イスラエル・ユダの二王国に分裂
前８C　　　イスラエル王国滅亡（アッシリアのサルゴン２世）
前５８７　　ユダ王国滅亡　　　（ネブカドネザル）　&rarr;バビロン捕囚
その後　　　ペルシア・マケドニア・エジプト・シリア・ローマの支配　
異民族による圧政
　　　　　　アレクサンドロス大王の東征&rarr;ギリシア人の中東への進出
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　文化の混交（ヘレニズムの風潮）　
＜ディアスポラ＞の民として諸国に四散したユダヤ人&rarr;ヘレニズム化
パレスチナのユダヤ人&rarr;反抗
前２C初頭　セレウコス朝シリア（アンティオコス４世）　
ユダヤ教の根絶・ヘレニズム化政策
　　　　　　強引な弾圧
エルサレム神殿の略奪
ヤハウェ礼拝の禁止
&rArr;反撥
＜ハシディーム（敬虔派）＞の登場
&hellip;律法を遵守してユダヤ人の民族的伝統を守ろうとする保守主義者
終末論が盛んになる
&hellip;人間は善人・悪人の２種類に分かれ、現在は悪人が支配しているが世界の終わりに悪人は滅ぼされ善人が報われる
メシア思想
&hellip;終末論で、この世の終わりの際に救世主が現れ、選ばれた善..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[変化無常の中日関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680587123@hc07/15851/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hikarinihon]]></author>
			<category><![CDATA[hikarinihonの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Dec 2007 13:19:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680587123@hc07/15851/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963680587123@hc07/15851/" target="_blank"><img src="/docs/963680587123@hc07/15851/thmb.jpg?s=s&r=1197519548&t=n" border="0"></a><br /><br />変化無常の中日関係
提供機関 : 北京週報
提供機関 URL : http://www.pekinshuho.com/JP/fm/2001-52-fm4.htm 
今年4月に入ってから、中日関係の中に消極的な要素が頻繁に現れたが、主に次のい[236]<br />変化無常の中日関係
提供機関 : 北京週報
提供機関 URL : http://www.pekinshuho.com/JP/fm/2001-52-fm4.htm 
今年4月に入ってから、中日関係の中に消極的な要素が頻繁に現れたが、主に次のいくつのものがある。
　歴史問題をめぐる摩擦と困惑。日本政府が過去の侵略戦争がアジアとりわけ中国に大きな傷害をもたらしたことを正視し、深く反省することができないため、中日関係は長い間根本的な突破を遂げることができない。
小泉氏は首相就任してから、歴史問題に対処する以前の誤ったやり方を変えないばかりか、我意を張り通し、まずは歴史教科書の出版を黙許し、続いて首相として靖国神社を正式に参拝し、戦後の平和憲法の改正を提出して、「軍事大国化」の路線を突出させた。小泉氏のやり方は日本の右翼勢力の強硬路線を具体的に現したものであり、日本の一部の人が盲目的にうぬぼれるという民族主義の情緒を反映している。今年の8月は「歴史摩擦」がエスカレートした「多事の夏」となった。これらすべては日本の誤った政策によってもたらされたものである。
　台湾問題にいろいろな問題が起きた。日本..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「イギリス」はどう呼ばれたか　プレタニケスからイギリス連邦に至るまで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963754529070@hc07/15603/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Eusebius]]></author>
			<category><![CDATA[Eusebiusの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 05 Dec 2007 00:09:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963754529070@hc07/15603/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963754529070@hc07/15603/" target="_blank"><img src="/docs/963754529070@hc07/15603/thmb.jpg?s=s&r=1196780953&t=n" border="0"></a><br /><br />イギリスの首都ロンドンがある最大の島を大ブリテン島Great Britainと呼ぶ。このブリテンという呼は、古代にこの島に住んでいたケルト系の先住民であるブリトン人Britonに由する。遊牧系の彼らは紀元前6～４世紀にかけて、大陸から牧草を[320]<br />国際関係研究Ia/Ib
23 Jan 2007
「イギリス」はどう呼ばれたか　プレタニケスからイギリス連邦に至るまで
I. 「ブリテン」および「アルビオン」
　イギリスの首都ロンドンがある最大の島を大ブリテン島Great Britainと呼ぶ。このブリテンという呼称は、古代にこの島に住んでいたケルト系の先住民であるブリトン人Britonに由来する。遊牧系の彼らは紀元前6～４世紀にかけて、大陸から牧草を求めてやってきたと考えられる。BritonあるいはPrytonという語はケルト語で「 をした人々の国」を意味した。 彼らの名前を元にして、ギリシャ人探検家ピュテアスPytheas（前4世紀）がこの島をプレタニケスPretaniquesと呼び、これが地中海世界に知られた最初のイギリスの呼称となった。 
ローマのユリウス・カエサルGaius Julius Caesar（前100-44）はガリアを征服した後、自然とその征服の矛先をイギリスに向けた。彼らローマ人たちはイギリスをブリタンニアBritanniaと呼んだ。カエサルの最初の遠征は失敗し、翌年（前54年）の遠征で何とか朝貢を取り付けたが２回..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人権(同和)教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430098201@hc06/15251/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ash821]]></author>
			<category><![CDATA[ash821の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Nov 2007 16:58:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430098201@hc06/15251/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430098201@hc06/15251/" target="_blank"><img src="/docs/983430098201@hc06/15251/thmb.jpg?s=s&r=1195718309&t=n" border="0"></a><br /><br />『同和教育の意義・歴史を概括し、学校における同和
(人権)教育実践の具体的なあり方について述べなさい。』
【同和教育の意義】
同和教育とは、同和問題を解決するための教育の営みの総称である。同和問題を大枠として、部落差別問題として定義すると、[350]<br />『同和教育の意義・歴史を概括し、学校における同和
(人権)教育実践の具体的なあり方について述べなさい。』
【同和教育の意義】
同和教育とは、同和問題を解決するための教育の営みの総称である。同和問題を大枠として、部落差別問題として定義すると、同和教育は部落差別を無くすための全ての教育活動と定義することが出来る。
また、同和教育は単なる一社会問題としてのみではなく、人権教育と「差別を許さない」という共通基盤を持つものである。
【同和教育の歴史】
1：同和教育の始まり
　戦後の同和教育は、同和地区児童・生徒の長欠・腐臭学の解消に向けた就学奨励事業から始まった。
1952年、オールロマンス差別事件糾弾要項の「差別は市政の中に」で、同和地区児童・生徒の「不就学児童を無くする対策を即時たてること」を同和教育行政における最重要課題と位置づけた。この糾弾闘争をうけて京都市は「今後の同和施策運営要領」を策定し、これにもとづいて戦後初めての同和教育費200万円が52年度予算として計上された。また、同和教育費は、その後も年々増加されるようになった。
2：高校進学率向上への取組
　60年代に入り、同和地区と京..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代国家とは何か　立憲主義から民族国家の成立まで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428386201@hc07/14447/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sacarol]]></author>
			<category><![CDATA[sacarolの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Oct 2007 08:37:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428386201@hc07/14447/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428386201@hc07/14447/" target="_blank"><img src="/docs/983428386201@hc07/14447/thmb.jpg?s=s&r=1192145842&t=n" border="0"></a><br /><br />タイトル：立憲主義から民族国家の成立まで
はじめに
　このレポートでは、立憲主義の考え方を機軸として、民族国家(nation-state)について近代国家論の立場から考察する。具体的には、立憲主義を概略し、民族国家が成立するまでの過程を簡単[328]<br />タイトル：立憲主義から民族国家の成立まで
はじめに
　このレポートでは、立憲主義の考え方を機軸として、民族国家(nation-state)について近代国家論の立場から考察する。具体的には、立憲主義を概略し、民族国家が成立するまでの過程を簡単に整理する。
立憲主義から何が出てくるか
立憲主義(constitutionalism)とは、憲法によって何らかの統治を行おうとする立場である。この立憲主義には、一般に基本的人権の尊重や権力の分立が含まれている。立憲主義の成立については、さまざまな説明が可能であるが、近代以前の身分制社会における限界を克服する手段として出てきた、あるいは、ホッブズの言うような自然状態を仮定することにより、その自然状態における「万人の万人に対する闘争」を解消する手段として出てきたと考えることができるだろう。以下では、このような立憲主義の理解に基づき考察を進めていくことにする。
さて、このような立憲主義の考え方からはどのようなもの結果として出てくるであろうか。たとえば、特定の身分や民族が優遇されるような憲法典について考えてみよう。このような憲法を制定することは、階級闘争や..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[シベリアにおける攻撃された氏族制度と遊牧生活]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/12120/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dack]]></author>
			<category><![CDATA[dackの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Dec 2006 19:24:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/12120/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/12120/" target="_blank"><img src="/docs/983429264701@hc06/12120/thmb.jpg?s=s&r=1166523856&t=n" border="0"></a><br /><br />攻撃された氏族制度と遊牧生活
シベリアにおける集団化は、先住民に課せられた広範な社会革命の一側面に過ぎなかった。社会革命によって宗教と、婦人の地位だけでなく伝統的生活の最も根幹的部分であった氏族的紐帯と遊牧生活にも影響が現れた。
[氏族制度[354]<br />攻撃された氏族制度と遊牧生活
シベリアにおける集団化は、先住民に課せられた広範な社会革命の一側面に過ぎなかった。社会革命によって宗教と、婦人の地位だけでなく伝統的生活の最も根幹的部分であった氏族的紐帯と遊牧生活にも影響が現れた。
[氏族制度]
20世紀初頭までに古い部族組織が全面的に崩壊したが、ロシア共産党は集団農場(コルホーズ)の形成にあたり、氏族の紐帯を無視できないと認めざるを得なかった。
氏族の集団の例
エヴェンキ・ツングース―実際上いくつかは氏族の集団化であった。(すべてのメンバーが同じ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　名字)
ヤマルのネネツの集団農場―全メンバーがオカテッタ氏族
中央シベリアのクレイカ川流域―民族性だけにとどまらず、農場、労働単位の｢班｣さえも族外婚的種族に従って分かれていた。
このような氏族構造を打ち負かすためにソヴィエト・ロシアは｢貧者｣をうまく操作し地方ソヴィエトから｢富者｣を排除し選挙に勝ち、氏族ソヴィエトを廃止し地区ソヴィエトへ改編、そして伝統的な氏族集会を禁止する。こうした取り組みにより氏族制度は効果的に切り崩された。
[遊牧生活..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[部落差別の成立と展開]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/12101/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ats0307]]></author>
			<category><![CDATA[ats0307の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Dec 2006 22:25:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/12101/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/12101/" target="_blank"><img src="/docs/983431441301@hc05/12101/thmb.jpg?s=s&r=1166361952&t=n" border="0"></a><br /><br />部落差別の成立と展開
1 はじめに
小学校、中学校と歴史の授業では「士農工商」という言葉を習った。その時の説明が、「農民は士農工商の
中で一番貧しく、粗末な暮らしをしているので、せめて身分だけでも二番目にしよう。しかし、それならば商
人が怒[348]<br />部落差別の成立と展開
1 はじめに
小学校、中学校と歴史の授業では「士農工商」という言葉を習った。その時の説明が、「農民は士農工商の
中で一番貧しく、粗末な暮らしをしているので、せめて身分だけでも二番目にしよう。しかし、それならば商
人が怒るので、穢多、非人を設けよう。」だった。その時は、その説明に納得したが、今ならその説明がいかに
誤っているかが分かる。本稿は、『「これでわかった！部落の歴史」[2004]上杉聰』を読んでその要約と私の感
想、意見をまとめたものである。章では、本文の要約をし、章では、この本を読んだ感想と私の意見を述
べている。この本は、10 回分の講義をそれぞれ掲載しているが、本稿では、主に時代区分して、４つの部に分
けている。
2 本文要約
2.1 部落とは
1993 年の総務庁による統計によれば、全国には「部落」の人達が 892,751人生活し、「同和地区」と呼ばれ
るものは、全国に 4442 地区ある。しかし、これらは政府が都合の良いようにまとめた可能性があるため、部
落の人々が「六千部落、三百万の兄弟」と言っているが、こちらが正しいのかもしれない。江戸時代にお..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東アジアポスト植民地論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429345801@hc06/11812/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsuzan96]]></author>
			<category><![CDATA[katsuzan96の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Nov 2006 23:51:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429345801@hc06/11812/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429345801@hc06/11812/" target="_blank"><img src="/docs/983429345801@hc06/11812/thmb.jpg?s=s&r=1164898274&t=n" border="0"></a><br /><br />東アジアポスト植民地論レポート
私は、いくつかの参考図書の中から「安住しない私たちの文化」(姜信子著)を選び、読むことにした。この本の内容を要約すると、以下のようになる。
名前は文化であるといえる。たとえば、日本では「日本人の氏名をただひと[352]<br />東アジアポスト植民地論レポート
私は、いくつかの参考図書の中から「安住しない私たちの文化」(姜信子著)を選び、読むことにした。この本の内容を要約すると、以下のようになる。
名前は文化であるといえる。たとえば、日本では「日本人の氏名をただひとつの名前として持つ者とは、日本人の血をもち、日本語を話し、日本文化を生きる日本国民である。」という暗黙の大前提がある。すなわち、明治維新で日本人が苗字を持つことを許されてからというもの、日本人の名前を持つということは、日本という近代国家に結び付けられることであり、日本の文化を生きていくことでもあった。作者は、４つの名前を持っている。この日本において作者のように複数の名前を持つということは例外的であり、彼女には自分がひとつの文化に収まりきれていないという意識がある。一方で、さまざまな意味を持った名前を排し、数量化、番号化する動きも見受けられる。そういった意味では我々は今まで名前を通して結び付けられていたさまざまな世界や意味から自由になったスタート地点に立っているともいえる。
近代文明とは恐ろしく野蛮なものである。アメリカの白人によるネイティブアメリカン..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 国家とは何か]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430526501@hc06/8169/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pumpkinhead]]></author>
			<category><![CDATA[pumpkinheadの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Apr 2006 00:33:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430526501@hc06/8169/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430526501@hc06/8169/" target="_blank"><img src="/docs/983430526501@hc06/8169/thmb.jpg?s=s&r=1146065627&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
普段意識する機会はあまりないが、自分の属する国家は何かと聞かれたら私は日本と答えるだろう。国籍も日本だし、ずっと日本で暮らしてきたからである。日本に住んでいれば属する国家は日本であると思うし、そう考えている人は少なくないので[356]<br />国家とはなにか
１．はじめに
普段意識する機会はあまりないが、自分の属する国家は何かと聞かれたら私は日本と答えるだろう。国籍も日本だし、ずっと日本で暮らしてきたからである。日本に住んでいれば属する国家は日本であると思うし、そう考えている人は少なくないのではないか。
それならば、例えば在日外国人やニューカマー、国際結婚で産まれた「ダブルの子ども」といった人たちの属する国家も日本ということになるのだろうか？外国で産まれ育った日本人は？そう考えると、上記の定義では不十分であると言わざるを得ない。国家とはいったい何なのか、改めて考えてみようと思う。
国家の定義
１９３３年に制定された『国の権利および義務に関する条約』によると、国家が成立するための要件として永久的住民、明確な領域、政府、そして他国との関係を取り結ぶ能力の４つが必要であるとされている。また辞書では『一定の領土とそこに居住する人々からなり、統治組織をもつ政治的共同体。または、その組織・制度。主権・領土・人民がその三要素とされる。』と定義されている（大辞泉）。人や土地がなければ国家は存在しないということである。また永久的住民という表現..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[野村進・著『コリアン世界の旅』を読んで［東京学芸大学・教育学部・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 23:07:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6774/thmb.jpg?s=s&r=1139926065&t=n" border="0"></a><br /><br />真のマイノリティは目には見えない。近年、「他者について考える」ことの重要性が叫ばれてはいるが、一般的な日本人はおそらく実際には「考えなければいけない他者とは誰か」が分かっていない。日本とアジアの問題を考えるということは、野村がこの本の中で再[360]<br />野村進・著『コリアン世界の旅』を読んで
　真のマイノリティは目には見えない。近年、「他者について考える」ことの重要性が叫ばれてはいるが、一般的な日本人はおそらく実際には「考えなければいけない他者とは誰か」が分かっていない。日本とアジアの問題を考えるということは、野村がこの本の中で再三にわたってキーワードとして述べているように、「『不可視』である他者」すなわち「真のマイノリティ」について思いを馳せるということを意味する。特に身近にいる（はずの）在日朝鮮人・韓国人（以下、本レポートの主旨上、元在日の帰化者も含めて「在日」と略する）の問題は、その必要性を顕著に示し、日本人が新しい視野を持ち得る可能性を投げかけていると言える。しかし、肝心の日本人の側が、どれだけその可能性に自覚的であるか、あるいは、今まで自覚的であろうとしてきたかということを考える時、実にお粗末であると言わざるを得ない現実がある。
　なぜならば、日本人は在日を「見えない」というよりは、「見ようとしていない」どころか、自分たちがそういう態度をとってきたことに自覚すらないからだ。これは致命的かもしれない。在日に関して何か問題が持ち..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 神話にみることのできる民族性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6296/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sugiyama]]></author>
			<category><![CDATA[sugiyamaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Feb 2006 17:37:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6296/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6296/" target="_blank"><img src="/docs/983432196501@hc05/6296/thmb.jpg?s=s&r=1139128646&t=n" border="0"></a><br /><br />　当然のことかもしれないが、神話というものにはそれを語り継いできた民族の民族性というものが多分に含まれているように思われる。たとえば、授業で取り扱った創世神話五編の世界創世のくだりをみてみると、まずキリスト教の神話である聖書には、世界は唯一[360]<br />　　　　　　　　　　　　神話にみることのできる民族性
　当然のことかもしれないが、神話というものにはそれを語り継いできた民族の民族性というものが多分に含まれているように思われる。たとえば、授業で取り扱った創世神話五編の世界創世のくだりをみてみると、まずキリスト教の神話である聖書には、世界は唯一新が「秩序立てて」創ったものであり、神の似姿である人間は「自然を支配」し、自然は道具であるということ、また、唯一神は男性的であり、男（アダム）から女（イヴ）が創られるなど男性優位的な性格が感じられる。これは厳しい自然を克服しようとし、自然に立ち向かってきたヨーロッパ人の気質と、男性主体の歴史や社会を築いて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[性肯定社会における性と婚姻]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/3841/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ats0307]]></author>
			<category><![CDATA[ats0307の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Dec 2005 11:56:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/3841/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431441301@hc05/3841/" target="_blank"><img src="/docs/983431441301@hc05/3841/thmb.jpg?s=s&r=1134269776&t=n" border="0"></a><br /><br />?　はじめに
　本稿では、トロブリアント諸島における性と婚姻についての考え方について述べている。トロブリアント諸島は母系社会であり、また性肯定社会でもある。我々の社会とは明らかに異なる文化的、社会的背景を持つ社会において、性と婚姻がどのよ[354]<br />性肯定社会における性と婚姻
Ⅰ　はじめに
Ⅱ　トロブリアント諸島における性と婚姻制度
ⅰ　トロブリアント諸島における母系社会
ⅱ　トロブリアントにおける性
ⅲ　トロブリアントにおける婚姻制度
Ⅲ　トロブリアント社会における性と婚姻の意味
　　　 ⅰ　トロブリアントにおける性の意味
ⅱ　トロブリアントにおける婚姻の動機
Ⅳ　結論
Ⅴ　おわりに
ⅰ　参考文献
Ⅰ　はじめに
　本稿では、トロブリアント諸島における性と婚姻についての考え方について述べている。トロブリアント諸島は母系社会であり、また性肯定社会でもある。我々の社会とは明らかに異なる文化的、社会的背景を持つ社会において、性と婚姻がどのように捉えられているかを明らかにし、社会が性肯定社会であるべきかどうかについて明らかにするのが本稿の目的である。
　私にとって、トロブリアント諸島の社会は驚きであった。それは、トロブリアント社会が、性を肯定する性肯定社会であったからである。裸で生活する民族がいるという事は知っていたが、トロブリアント社会のように生活に性が密着している社会があると言う事に驚き、その社会について更に調べてみたくなった。それが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高校地理Ｂ学習指導案「パレスチナにみる領土問題」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/2734/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gen34054]]></author>
			<category><![CDATA[gen34054の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 31 Oct 2005 15:10:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/2734/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/2734/" target="_blank"><img src="/docs/983432155401@hc05/2734/thmb.jpg?s=s&r=1130739017&t=n" border="0"></a><br /><br />〈教材観〉
クリントン前米大統領と全世界が見つめる中、ラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長がホワイトハウスでパレスチナ暫定自治協定調印後に握手をしたのは、奇しくもちょうど12年前の1993年９月13日のことである。その翌年、イス[334]<br />本時の学習指導計画
（１）本時の主題「パレスチナにみる領土問題」
（２）本時の教材観・生徒観・指導観
〈教材観〉
クリントン前米大統領と全世界が見つめる中、ラビン・イスラエル首相とアラファト・PLO議長がホワイトハウスでパレスチナ暫定自治協定調印後に握手をしたのは、奇しくもちょうど12年前の1993年９月13日のことである。その翌年、イスラエル軍がガザ・イェリコ地区から撤退し、いわゆる「パレスチナ問題」は解決への一定の方向性を示したかにみえた。ところが2000年の中東和平交渉決裂、また2002年には相次ぐ自爆テロの発生によって、交渉は再び難航している。この背景にあるものは、西アジア・北アフリカ地域で比較的孤立した存在であるユダヤ教社会と、その周囲を取り巻くイスラム教社会との宗教的対立であると考えられている。この宗教的なアラブ・イスラエル紛争こそパレスチナ問題の構図なのであるとする考えは、教科書の規範とされて久しい。
しかし、本来のパレスチナ問題とは第一次世界大戦後、民族自決を適用したくないヨーロッパ諸国の委任統治のもとで発生したものであることはあまり知られていない。この当時、旧オスマン..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[言語における民族のアイデンティティ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2483/]]></link>
			<author><![CDATA[ by o3o3o3]]></author>
			<category><![CDATA[o3o3o3の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Oct 2005 12:53:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2483/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2483/" target="_blank"><img src="/docs/983432101701@hc05/2483/thmb.jpg?s=s&r=1129521191&t=n" border="0"></a><br /><br />序論
　民族について考えるとき、民族同士を区別する要素の一つとして言語があげられる。言語はそれぞれの民族で独自の発展を遂げているものであり、言語は民族性を表すときに考えられる特徴の一つでもある。しかし、民族の中でもすでに民族語を喪失してし[356]<br />言語における民族のアイデンティティ
序論
　民族について考えるとき、民族同士を区別する要素の一つとして言語があげられる。言語はそれぞれの民族で独自の発展を遂げているものであり、言語は民族性を表すときに考えられる特徴の一つでもある。しかし、民族の中でもすでに民族語を喪失してしまった場合、民族の意識とはどのようになってしまうのだろうか。ここでは、民族語を失ってしまった満州族を例にとり、彼らが民族の絆をなにに求めているのかを考察していきたい。第一章では満州族の歴史と現状、第二章ではどのようにして民族語が消滅に至ったのか、第三章では民族のアイデンティティと言語政策、そして結論を導き出していこうと思う。
第一章
　ここではまず、満州族の歴史と民族語である満州語の特徴、そして民族語を失ってしまった満州族の現状について説明してく。
　１９１６年に満州族を統一した初代汗ヌルハチは、経済力・軍事力を重視すると共に民族意識をより強いものとするために蒙古文字を使って満州語を書き記すことを命じた。実際に満州文字の創設と呼ばれるのは、清朝皇帝となった二代汗ホンタイジの時代である。その後清は絶頂期を迎え、１９１１..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係の基礎知識]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432245801@hc05/1230/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gorilla]]></author>
			<category><![CDATA[gorillaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Jul 2005 19:14:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432245801@hc05/1230/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432245801@hc05/1230/" target="_blank"><img src="/docs/983432245801@hc05/1230/thmb.jpg?s=s&r=1121854461&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本では国境というものがとても明確化されている。諸外国とは海で隔てられているし、話されていることばも日本語だけである。多少、アイヌ語や琉球方言なども残ってはいるが、現代では日本語の一部と考えてしまってかまわないだろう。日本は江戸時代まで、[360]<br />　日本では国境というものがとても明確化されている。諸外国とは海で隔てられているし、話されていることばも日本語だけである。多少、アイヌ語や琉球方言なども残ってはいるが、現代では日本語の一部と考えてしまってかまわないだろう。日本は江戸時代まで、できる限り他国との関わりを禁じられた独立した国家であった。そのせいもあり、国と国との境もはっきりしている。国境が問題となってくるのは、特に陸続きの国である。例えば、中国は一つの国であってもたくさんの民族が暮らしているし、ヨーロッパでは1993年にEUが発足し、国境がかなり曖昧になってきた。さらに最近ではEuroも登場し、国と国との移動も容易になった。一体、国境とは何なのだろうか。
　国境－①国と国との境。異なる国家間の境。②〔法〕国家と国家との版図を区画する境界線。国家領土主権の行われる限界。自然的国境と人為的国境とがある。（広辞苑・第5版）
　広辞苑ではこのように定義されているが、実際はどうなのだろう。はるか昔からの民族間の問題もあるが、最近では世界の国際化によっても国境がなくなりつつある。特にインターネットが普及したこともあり、人々の国に対する意..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[〜中国の環境と社会問題〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432210101@hc05/1122/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sa2chin]]></author>
			<category><![CDATA[sa2chinの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jul 2005 23:32:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432210101@hc05/1122/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432210101@hc05/1122/" target="_blank"><img src="/docs/983432210101@hc05/1122/thmb.jpg?s=s&r=1121697130&t=n" border="0"></a><br /><br />中国は日本にとって経済的、歴史的、文化的において、また多面において重要な国である。中国は歴史的、文化的の面で独自に世界の中で発展を遂げてきた。現代では、世界共通語とされる英語よりも、中国語を習うべきという声も多く聞く日々である。毛沢東時代、[360]<br />「環太平洋の民族と社会、文化」レポート
～中国の環境と社会問題～
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英文：荻野智子
　　　中国は日本にとって経済的、歴史的、文化的において、また多面において重要な国である。中国は歴史的、文化的の面で独自に世界の中で発展を遂げてきた。現代では、世界共通語とされる英語よりも、中国語を習うべきという声も多く聞く日々である。毛沢東時代、中国には停滞と混乱しか生まれなかった。しかし、鄧小平による、改革、開放政策により中国は今までとないスピードで高度経済成長を遂げ、現在では世界第七位の経済大国となっている。２０２０年にはアメリカ、日本をついで世界第三位の経済大国になろうとしている。そんな中国大国だが、中国社会は周辺国に対しても、世界的に対しても重要な問題を抱えている。一体、高い高度経済成長を進める中、どのような環境に囲まれ社会問題に直面しているのだろうか。
まず、高度成長と呼ばれる中国の影には地域格差が大きく存在しているという問題がある。地域によって経済格差が異なるのだ。その格差は大きく二つに分けられ、一つは都市と農村との格差、もう一つは西部と東部にあるといわれている。都市と農村..]]></description>

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