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		<title>タグ“民主化”の公開資料</title>
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		<description>タグ“民主化”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[S0525　学校教育職入門]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948755155613@hc12/99648/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゆみびと]]></author>
			<category><![CDATA[ゆみびとの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 28 Dec 2012 00:39:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948755155613@hc12/99648/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948755155613@hc12/99648/" target="_blank"><img src="/docs/948755155613@hc12/99648/thmb.jpg?s=s&r=1356622746&t=n" border="0"></a><br /><br />2012年提出,合格。レポートを作成する際の参考となれば幸いです。[89]<br />『現代の「教師に求められる資質とは何か」についてまとめたうえで、あなたはどのような教師になりたいのかについて述べてください。』
　「教師」とは、昔から子どもたちと密接に関わってきた立場であり、「人を育てる」という点において、現在も昔も変わらぬ立場である。教育が人間の歴史とともに古いように、教師の歴史も人間の歴史とともに始まるのである。一方、「教員」とは、近代の学校を職場として、社会から学校等での教育を委託され、それに専門的に従事している職業人を指す。
　第二次戦後の教育改革についてであるが、敗戦を機に日本の教育は大転換を遂げた。最大の変化は、それまでの臣民の「義務」として、国家・天皇のための「滅私奉公」の教育であったのが、国民の基本的人権のひとつとされ、「権利」として保障されたことである。戦後の日本において、教師は「順良信愛威重ノ気質」をもつことを教養され、献身的な職務態度を要求された。また、敗戦により日本を占領したアメリカ軍、GHQは、日本の民主化政策の重要な一環として教育を重視した。義務教育の中学3年生までの延長、男女平等、教育の機会均等などの民主化政策が行われた。また、1947（..]]></description>

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			<title><![CDATA[李登輝総統の戒急用忍政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 22:05:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65179/thmb.jpg?s=s&r=1269608743&t=n" border="0"></a><br /><br />李登輝の大陸政策決定過程―「戒急用忍」の事例
　49年以降、蒋介石政権と共産中国の間の経済貿易活動は完全に禁じられた。70年代末、こうした禁止した中台間経済活動は中国の改革開放政策による、双方の依存関係が成り立った。しかし、95、96年第3次台湾海峡危機と呼ばれた頃、中台間の経済活動も依然として変わることもなかった。むしろ、この依存関係は更に深まっていた。国民党と民進党両方ともこうした経済発展について、危機感を持ち始めた。経済安全保障の点から政治力を使い、中国への貿易、経済関係を規制緩和をしようとした。96年に、李登輝政権がこうした中台間の過熱な経済関係を緩和するため、戒急用忍が出てきた。
この政策は単なる対大陸政策だけではなく、安全保障面上も一つ大きな意義があった。また、戒急用忍政策は李登輝が民選総統後初めての国家戦略政策でもあるため、戒急用忍の重要性も注目された。だが、その後、監察院は戒急用忍政策の執行について、指摘した。監察院はこの政策の内容を指摘ではなく、政策の決定パターンについて大きく疑問を持ち、総統である李登輝個人的な対大陸政策という認識も強まったとはいえ、この中の政策決定..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[台湾民主化と中台の緊張関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65176/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 21:49:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65176/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65176/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65176/thmb.jpg?s=s&r=1269607797&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾民主化と中台の緊張関係
　台湾大学教授楊国枢が1987年に『台湾政治論』という著作を出した。この作品の最後は「民主化のドアは開かれた。しかし、どれだけ開いているのか誰も分からない」
　著作が完成した前86年、党外勢力による、初めての野党民主進歩党が結成した。かつて強人政治を続けていた蒋経国も、翌年この政治団体を認可し、49年から87年に渡って、戒厳令解除も明らかにし、国民党政権に相当な打撃を与えた。
　こうした、始まったばがりの民主化への道は、どれだけ行けるのか。まだ一つ大きな未知数だと思われた。
　96年に総統直接選挙の実現から、台湾自由地区の民主は国際的に注目を浴びた。台湾における中華民国政権の実態は変えず、国民党も依然として政権を握っていたが、動員勘乱条例などの戦時法令の撤廃により、台湾は自由な国へ変わった。
　更に、一番大きな変貌は、91年から92年までに、万年国会と呼ばれた国民大会と立法院の全面改選が成功した。そのため、96年3月の総統直接選挙の実現にも及ぼした。
　国民党の権威体制はこの民主化の動きを上手くコントロールしたとはいえ、民主化が進み当初、国民党もいくつか危険..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[台湾の近代民主改革]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Mar 2010 22:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/64996/thmb.jpg?s=s&r=1269265443&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾の改革派
　戸張東夫著の『台湾改革派』の中で、蒋経国時代から李登輝時代の台湾政冶発展と民主化活動により、様々な視点から見る台湾の政冶環境の行方である。民主進歩党の成立から、中国国民党内一気に改革の道を進んでいた。今日の台湾の政冶にもかなり影響を与えた。この本を通じ、台湾の民主化運動再認識する。
　本書は、2部に分かれている。第1部は国民党から見る台湾の民主改革である。2部は全部6章から構成されている。
　まず、一つ目国民党側から見る台湾への改革の行方について論じている。1970年代から1980年末の20年間で、国民党が政権握って以来、国内外にも最悪な事態に遭い、72年に国連の中国代表権が無くし、これからの10年間で日本、米国を始め、断交した国が100個以上超えた。
　国内も反政府活動が活発していた時期である。77年に国民党政権を反対する政治家達に無所属として選挙戦に出た。しかし、国民党側のすりかえにより、両方の支持者達に桃園県中歴市で暴動が始まった。この事件により、国民党の選挙不正行為が表に出した。
　更に、79年の台湾南部の最大都市高雄で党外分子が結成した美麗島雑誌社の記念インベ..]]></description>

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			<title><![CDATA[グローバル化した中華世界ローカル政治]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61823/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 15:05:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61823/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61823/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/61823/thmb.jpg?s=s&r=1263276334&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平和政策から見る冷戦後の世界情勢]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 15:16:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/61824/thmb.jpg?s=s&r=1263276968&t=n" border="0"></a><br /><br />平和政策から見る冷戦後の世界情勢
　大芝亮編『平和政策』について評判し、紹介している。以下のような本書の要約と評価について書かせている。
　第1部の国際紛争についてどういうふうに捉えるのかについて、総数5章の中で、リアリズム（現実主義）、リベラリズム（理想主義）の構造、冷戦後の紛争から捉え、こうした紛争構造を深く取り入れ、アイデンティティからの政治的問題、文明との衝突、グローバリゼーションの拡大による新しい紛争構造の形成である。
　また、紛争の予防するための国際法、国際組織の取り組み、特に国際連盟の失敗から国際連合の形成まで、国連による平和維持するための活動について深く議論していた。地域機構の再登場、国連のような大きな組織から細分化され、各地域機構による平和維持と協力体制を行った。所謂、欧州モデルの脱却し、地域的にアプローチを成り立った。
　そのため、新しい経済組織の構想も生み出し、各国間も自由貿易を通じて平和活動を行ったが、冷戦期の封じ込め政策による南北問題も取り入れ、自由貿易、経済発展による政治民主化、平和政策への道を進めたとはいえ、新たの問題にもなり、国の内部の政..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[返還後の香港事情]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/]]></link>
			<author><![CDATA[ by un11m1t3d]]></author>
			<category><![CDATA[un11m1t3dの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 04:04:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/" target="_blank"><img src="/docs/983430203801@hc06/19108/thmb.jpg?s=s&r=1202065440&t=n" border="0"></a><br /><br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９[348]<br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９世紀末からイギリス直轄植民地として、イギリス国王が任命する総督により支配されていた。政治的には、１８４２年のアヘン戦争後に締結された南京条約で割譲された香港島を中心とする。古くはイギリスの中国進出の拠点となっていた。1945年の第二次世界大戦の終結に伴い日本軍が去った後、中国国民党率いる中華民国が中国大陸を統治していた時期まで、香港の境界は開放的であり、人の移動も自由であった。しかし、その後国共内戦が始めると、多くの避難民が本土から流入し始めた。１９４９年に中国共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国が「建国」されると、共産党政府による圧制を嫌い大量の難民が香港に流入したため香港政庁は中華人民共和国との境界線を閉鎖した。この閉じられた領域の中で、時間が経つにつれ、中国系住民に「香港人」としてのアイデンティティも形成され始める。また、香港に流入した大量の難民は、..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[戦後日本の民主化政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17558/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 08 Jan 2008 03:14:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17558/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17558/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17558/thmb.jpg?s=s&r=1199729695&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本の民主化政策
1945年8月15日に終戦の玉音放送が発表されると同時に鈴木貫太郎内閣は総辞職し、同月17日東久邇宮稔彦を首班とする皇族内閣が成立した。同内閣は、戦争責任について、｢軍も官も民も国民尽く、静かに反省する｣という｢一億総[340]<br />戦後日本の民主化政策
｢敗戦を見るにいたった今次戦争を何故戦わねばならなかったかについて、われわれは、深き想いを致さねばならぬ。われわれは、戦争の上にあるべき高い政治について、聡明と努力を欠いてはいなかったか。世界は挙げて、この戦争を契機として形容実質ともに大変転を遂げつつある。この世界政局に掉さしてゆく日本再建の発程にまず確固たる政治基盤の樹立が求められる。｣
　引用の出典は、1945(昭和20)年9月6日付『朝日新聞』の｢天声人語｣である。1945年8月15日に終戦の玉音放送が発表されると同時に鈴木貫太郎内閣は総辞職し、同月17日東久邇宮稔彦を首班とする皇族内閣が成立した。同内閣は、戦争責任について、｢軍も官も民も国民尽く、静かに反省する｣という｢一億総懺悔｣論を唱えた。
　連合国軍は、日本の占領にあたって、GHQの他に、基本方針の決定機関およびGHQの諮問機関を設置した。日本は降伏に至る過程の中で、支配層内部の対立･分裂が表面化せずに敗戦となった。こうして日本では政府の存続が認められ、連合国軍は間接統治を行った。日本統治政策に関する最高決定機関は、ワシントンに置かれた極東委員会で..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ポーランド民主化運動]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vitory7]]></author>
			<category><![CDATA[vitory7の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 10:49:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/" target="_blank"><img src="/docs/963680582534@hc07/15946/thmb.jpg?s=s&r=1197596943&t=n" border="0"></a><br /><br />ポーランド民主化運動
ポーランド民主化運動(&minus;民主化運動)とは1988年中ごろから1990年前半にかけてのポーランドにおける民主化改革運動のこと。最終的には従来のポーランド統一労働者党による政権は、下野。レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組[338]<br />ポーランド民主化運動
ポーランド民主化運動(&minus;民主化運動)とは1988年中ごろから1990年前半にかけてのポーランドにおける民主化改革運動のこと。最終的には従来のポーランド統一労働者党による政権は、下野。レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。
民主化の背景
ポーランドは1919年まで、ロシア帝国の領域下に組み込まれており、元々反ロシア的感情が強い地域であった。
ソ連の衛星国に組み込まれてからも1956年、1970年と反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた。ポーランド政府はソ連による全面的な介入を防ぎつつ、ある程度..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民主化ほど遠い　反日デモ抑え込み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15938/]]></link>
			<author><![CDATA[ by スヌーピー]]></author>
			<category><![CDATA[スヌーピーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 10:41:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15938/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15938/" target="_blank"><img src="/docs/963688123233@hc07/15938/thmb.jpg?s=s&r=1197596501&t=n" border="0"></a><br /><br />民主化ほど遠い?　反日デモ抑え込み
抗日闘争「五・四運動」記念日の今日、中国では厳戒態勢？の中、反日デモは全く行われなかったようです。
朝日新聞「中国「五四運動」記念日、反日デモなし　各地で警戒態勢」
http://www.asahi.co[314]<br />民主化ほど遠い?　反日デモ抑え込み
抗日闘争「五・四運動」記念日の今日、中国では厳戒態勢？の中、反日デモは全く行われなかったようです。
朝日新聞「中国「五四運動」記念日、反日デモなし　各地で警戒態勢」
http://www.asahi.com/international/update/0504/006.html?t5 
産経新聞「中国、反日デモを阻止　天安門広場を一時封鎖」
http://www.sankei.co.jp/news/050504/kok018.htm 
ここまでの流れから見て予想どおりでしたが、一連の反日デモ騒動を総括するに、結局のところ、中国という国は民主国家とはほど遠いという一語に尽きるのではないでしょうか。
言い換えますと、前に反日デモ「指示書」の存在について触れましたが、はじまりも終わりも官製であったのでしょう。
中国政府にとっての想定外は、整然と指示どおり行われるはずのデモ隊が暴徒化したことで、その結果、一歩間違うと北京五輪も上海万博も飛びかねない国際的な関心を招いてしまったことで、その後の抑え込みには万全の体制を引いたものと思われます。
もともと、中国政府が..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[２０１０年・中国が民主化する日]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15930/]]></link>
			<author><![CDATA[ by スヌーピー]]></author>
			<category><![CDATA[スヌーピーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 10:39:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15930/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15930/" target="_blank"><img src="/docs/963688123233@hc07/15930/thmb.jpg?s=s&r=1197596398&t=n" border="0"></a><br /><br />２０１０年・中国が民主化する日
民主化の定義
　中国共産党によれば中国では現在でも「人民民主独裁」が行われているから、すでに民主化しているということなのかもしれないが、ここでいう民主化とは、普通選挙によって政権が選ばれるようになる、という意[356]<br />２０１０年・中国が民主化する日
民主化の定義
　中国共産党によれば中国では現在でも「人民民主独裁」が行われているから、すでに民主化しているということなのかもしれないが、ここでいう民主化とは、普通選挙によって政権が選ばれるようになる、という意味である。共産党が政権を担当するか否かということは関係ない。
民主化するという根拠
　1980年代に盛り上がった民主化運動は、６・４事件の血の弾圧と、人々の関心が薄らいだことによってその後10数年を経た今も沈静化したままである。80年代に民主化運動が盛り上がった背景には、旧ソ連でのゴルバチョフ改革に対する羨望があったと思われるが、民主化後のロシアにおける経済..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[台湾の戦後と民主化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/]]></link>
			<author><![CDATA[ by keikog]]></author>
			<category><![CDATA[keikogの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 21:59:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/" target="_blank"><img src="/docs/983430920001@hc06/6185/thmb.jpg?s=s&r=1138885198&t=n" border="0"></a><br /><br />　1945年8月15日、太平洋戦争が終わると、ポツダム宣言により日本の主権は本州をはじめとする主要な島々のみとなった。これにより、カイロ宣言中にある「日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」が達成されたのである。こう[346]<br />・台湾の戦後と民主化
1945年8月15日、太平洋戦争が終わると、ポツダム宣言により日本の主権は本州をはじめとする主要な島々のみとなった。これにより、カイロ宣言中にある「日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」が達成されたのである。こうして台湾は、形式上は中華民国の一部となったものの、台湾と中国本土は簡単には統一できるものではなかった。
台湾が「光復」（中国語で自民族の土地・人民を取り戻すこと）されるべき土地であることが決まると、蒋介石は、陳儀を台湾省行政長官兼同省警備総司令に任命し、戦後の台湾接収に備えていた。陳儀は、重慶で行政長官公署の要員を任命して台湾接収組織の中核を編成し、１０月２５日に台北公会堂にて台湾受講式典を行った。この式典で、陳儀は蒋介石の代理として最後の台湾総督であった安藤利吉から降服を受けるとともに、台湾と澎湖諸島の中華民国編入を宣言し、台湾行政長官公署を正式に発足させた。以後、台湾ではこの１０月２５日が「光復節」とされている。この光復節により中華民国を回復した男性及びその子孫を「本省人」、それによらず中華民国国籍を持ち、かつ台湾に居住する男..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[民主的平和論の可能性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432407001@hc05/2561/]]></link>
			<author><![CDATA[ by qiancao]]></author>
			<category><![CDATA[qiancaoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 Oct 2005 19:03:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432407001@hc05/2561/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432407001@hc05/2561/" target="_blank"><img src="/docs/983432407001@hc05/2561/thmb.jpg?s=s&r=1129975387&t=n" border="0"></a><br /><br />１．民主的平和論とは
　「民主的平和論」とは国際政治の歴史の中で民主主義国同士の戦争はほとんど発生していないという仮説である。この起源はドイツの観念論哲学の創始者イマヌエル・カントが1795年に著した『永遠平和のために』の中で発表した平和[348]<br />民主的平和論の可能性
１．民主的平和論とは
　「民主的平和論」とは国際政治の歴史の中で民主主義国同士の戦争はほとんど発生していないという仮説である。この起源はドイツの観念論哲学の創始者イマヌエル・カントが1795年に著した『永遠平和のために』の中で発表した平和構想に遡ることができる。その後、この構想が1980年代になって欧米の政治学者がデータを用いた研究で再び注目を浴びるようになった。
２．予防外交との関わり
　予防外交には狭義と広義に分けることができる。狭義は①紛争発生を防止する方法がまだ残されている時期に適用すべき、事実調査、信頼醸成、早期警報などの早期予防と、②放置することにより短期間で紛争が発生するであろう危機的段階に適用される、調停、仲介、予防展開などを含めた後期予防とに区分される。早期予防においては、武力紛争にいたる危険性のある国家を可能な限り早期に発見することが必要であり、後期予防においては、武力紛争が発生する直前の危機的状況を判別することが重要となる。
さらに紛争を発生させる原因や環境そのものを長期に、人身的に改善することを目的とした幅広い政策や措置を、講義の予防外交と..]]></description>

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