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		<title>タグ“東洋大学”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6/</link>
		<description>タグ“東洋大学”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[日本史②A 課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115040/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マグリビー]]></author>
			<category><![CDATA[マグリビーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 16:43:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115040/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115040/" target="_blank"><img src="/docs/942563243004@hc14/115040/thmb.jpg?s=s&r=1408693387&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。

課題
「古代国家の成立から院政の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
魏志倭人伝・邪馬台国・大宝律令・摂関政治・院政」
(インターネット上の東洋大学シ[348]<br />古代において、日本列島は中国から倭・倭国と称された。三世紀末の中国の歴史書『三国志』中の東夷伝に当時の日本列島の民族、倭人（日本人）の地理や風俗などについて書かれている。これが所謂『魏志倭人伝』である。『魏志倭人伝』には、当時の倭に女王卑弥呼が治める邪馬台国を中心とした国が存在し、また、邪馬台国に属さない国として、対海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国が存在していたと記されている。
　三世紀中後半から七世紀頃までは古墳時代と呼ばれ、三世紀中頃に畿内に出現した前方後円墳とそれに伴う墓制が急速に列島各地に広まり、関東から西日本に掛けて地域的な政治集団が連合してヤマト王権を形成した。また、三世紀半ばから五世紀にかけて、中国の史書から倭国に関する記録がなくなり、日本の歴史で4世紀は「文献史料の空白期」 となっている。そのため、邪馬台国とヤマト王権との関係は判然としない。
　古墳時代を経て、六世紀末、初の女帝となる推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子らが官僚制の強い政治基盤を築きあげた。彼らは冠位十二階や十七条憲法の制定などを通じ、王権の革新を積極的に推し進めた。また、六世紀中頃に日本に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史②B 課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115039/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マグリビー]]></author>
			<category><![CDATA[マグリビーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 16:43:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115039/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115039/" target="_blank"><img src="/docs/942563243004@hc14/115039/thmb.jpg?s=s&r=1408693385&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。

課題
「室町幕府四代将軍足利義持の時代から江戸幕府の成立までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
嘉吉の乱・下剋上・戦国大名・織豊政権・江戸幕府」
(インター[348]<br />足利義満の死後、4代将軍の足利義持は義満の政策から転換し、保守的体制を築いた。貴族的色彩が強まった義満晩年の幕府の政策に対し、武士の不満が高まっていたことから、こうした政策の転換がなされたが、義満の時代に比して将軍の権力が低下し、土一揆の発生や後南朝による南朝再興運動など、幕府にとって苦境の時代となった。義持は子である義量に将軍職を譲るが義量が早世し、義持自身も後継者の決定を待たずに亡くなる。こうして、6代将軍はくじ引きで選ばれることとされ、義満の子である義円が還俗して６代将軍となった。義教は失墜した幕府権威の復興と将軍親政の復興を目指し、義満に倣った政策を展開する。義教は儀礼形式や訴訟手続きといった庶務を義満時代のものを復活させると、参加者の身分・家柄が固定化された評定衆・引付に代わって、自らが主宰して参加者を指名する御前沙汰を協議機関とした。また、管領を経由して行っていた守護大名への諮問を将軍が直接諮問に変え、中央集権化し、義持の代から中断していた勘合貿易を再開し、経済政策を強化し、幕府の再興を図った。しかしながら、急進的な政治姿勢が反発を呼び込み、赤松満祐により義教が暗殺される..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史②B 課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115038/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マグリビー]]></author>
			<category><![CDATA[マグリビーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 16:43:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115038/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115038/" target="_blank"><img src="/docs/942563243004@hc14/115038/thmb.jpg?s=s&r=1408693383&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。

課題
「建武政権の成立から室町幕府三代将軍足利義満の時代までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
建武政権・観応の擾乱・守護大名・南北朝の合一・日本国王」
([348]<br />元寇以来の政局不安により、鎌倉幕府は武士層からの信頼を失い主従関係は崩壊していた。一方で、朝廷においては大覚寺統と持明院統が対立し、両統迭立が行われ、１３１８年に大覚寺統の後醍醐天皇が即位する。後醍醐は自身への集権化、皇統の統一を図るために、両派の排除と倒幕計画を企てていた。討幕計画は、１３２４年の正中の変、１３３１年の元弘の乱と発覚し、元弘の乱で後醍醐天皇は隠岐島に流されると、幕府の支持を受け持明院統の光厳天皇が即位した。後醍醐天皇の討幕計画に呼応した楠木正成や護良親王らに加え、幕府側の御家人、新田義貞や足利高氏らが朝廷側へ寝返った。
　１３３３年に後醍醐が隠岐を脱出し、伯耆国において挙兵すると足利高氏は、京都の六波羅探題を滅ぼし、新田義貞は、鎌倉を攻め、北条高時ら北条氏一族を滅ぼして倒幕を達成した。後醍醐天皇は、光厳天皇の皇位を否定し、新政を開始した。六波羅攻撃を主導した足利高氏は、上洛した武士を指揮し、京都支配を先導した。高氏は鎮守府将軍に任命されると、名を「尊氏」と改めることとなる。
　１３３４年には、年号が「建武」と定められ、大内裏の造営のための「二十分の一税」などが計画さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史②A 課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115037/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マグリビー]]></author>
			<category><![CDATA[マグリビーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 16:43:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115037/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/115037/" target="_blank"><img src="/docs/942563243004@hc14/115037/thmb.jpg?s=s&r=1408693381&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。

課題
「武士の登場から鎌倉幕府の滅亡までについて、以下の五つの言葉を全て入れて、二四〇〇字程度で述べよ。
荘園・御家人・守護・地頭・御成敗式目」
(インターネット上の東洋大学シ[338]<br />奈良時代、律令制に基づく統治により、国衙機構が戸籍を編纂し、朝廷の統治領域全体に対し強力な支配を行った。しかしながら、平安時代に地方での階層分化が進み、その中で成り上がった少数の富豪百姓が零細百姓層を支配下に収めていくようになった。十世紀には国衙機構の戸籍に基づく支配、又、政権の維持に必要な税の徴収を行うことは放棄され、派遣された受領が大きな権限を持ち、富豪百姓層を介した地方支配、徴税を行う王朝国家体制が確立したのである。この王朝国家体制の下で、国衙軍制を担う兵士として、武士は誕生した。十一世紀に荘園公領制が成立すると、荘園と公領の間に武力紛争が多発し、武士が荘園の管理者として任命され、地方を実行支配することとなった。
　平安時代末期、平清盛は朝廷の内紛による保元の乱と平治の乱における武功で武家政治の基礎を築き、武士としては初めて太政大臣の地位に着いた。しかしながら、政権を得た清盛は天皇の外戚となり、政権は清盛の一族で朝廷の官位を占めるなど、それまでの摂関政治と変わらず、こうした専制政治に対し、貴族や他の武士の不満が高まった。一一八○年、後白河法皇の子、以仁王は源氏に対して、平氏追討..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史B 課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/121621/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マグリビー]]></author>
			<category><![CDATA[マグリビーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Aug 2015 14:46:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/121621/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942563243004@hc14/121621/" target="_blank"><img src="/docs/942563243004@hc14/121621/thmb.jpg?s=s&r=1440654362&t=n" border="0"></a><br /><br />合格レポート。レポート執筆の参考にご使用ください。
課題内容は下記、資料の原本内容に記載されております。

参考文献
『ドナウ・ヨーロッパ史』　南塚信吾編　山川出版社
 『ハプスブルクの実験：多文化共存を目指して』　大津留厚　中央[338]<br />外国史B 課題2
アウスグライヒ時代の民族問題について、次の事項に留意してリポートしてください。
ボヘミアにおける二つの言語令をめぐる民族対立
ガリツィアのポーランド人とウクライナ人
スロヴァキア人とハンガリー化（マジャール化）政策
南スラヴ人の統合構想。
1.ボヘミアにおける民族対立
1879 年にターフェが首相に就任すると,憲法に基づいて政治を行い「「すべての民族を適度にバランスのとれた不満の状態に置いておくこと」が自らの政策」であることを述べる[コーン1982:p.112]. 1880 年 4 月にターフェはチェコ人の支持を得る目的で「シュトレマイアーの言語令」を制定し,ボヘミア&bull;モラヴィアにおけるチェコ語の地位が認められる[薩摩 2006:p.98].これによって,チェコ語はボヘミア&bull;モラヴィアの教育や行政において,ドイツ語と平等に扱われることとなる.結果として次第にチェコ人を始めとするスラブ系の諸民族出身の官僚が多数輩出され、高等教育を受けたチェコ人のブルジョワが経済生活と政治生活の両方で支配的な地位に就くことも珍しくはなくなった.ターフェの政策によってボヘミアは,オーストリ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 教育基礎論Ⅰ 論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124907/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124907/thmb.jpg?s=s&r=1463186962&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋大学の、教育基礎論Ⅰ（3000字以内）で説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。[247]<br />【リポート課題】日本の戦後教育（法）制度は、基本的人権としての「教育を受ける権利」の保障と「教育の機会均等」の実現をめざしてきました。
そこでまず、「教育を受ける権利」と「教育の機会均等」という概念はどのようなことを意味しているのか、またそれがどのような法的規定として表現されているのかについて簡潔に整理してください。
その上で、めざされていた「権利としての教育」が十分に保障され、「教育の機会均等」が実現されているとは言えない具体的な事象を取り上げ、その要因を検討し、問題の解決策などについて検討してください。
（2001字以上、3000字以内）
本レポートでは、教育を受ける権利と教育の機会均等が憲法をはじめとする法規定として保障されていることの歴史的意義、及び権利保障の実態や問題について述べる。
明治維新後の戦前、近代教育制度の確立を図り、それ以前に寺小屋などで行われた教育と同様の初歩的な普通教育を国民全体に教授する教育機関が国に設置され、公教育の制度が始まった。国民が教育を受けることは義務であり権利ではなかった。義務としての教育は、国家と天皇の監督下で天皇の国家のために命を捧げる国民を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 教育心理学、課題２、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124914/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124914/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124914/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124914/thmb.jpg?s=s&r=1463186967&t=n" border="0"></a><br /><br />GP評価 秀

東洋大学の、教育基礎論Ⅰ（3000字以内）で説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。[263]<br />【リポート課題】青年期の特徴と発達課題について、自我同一性（アイデンティティ）と関連して具体的に述べよ。
（2001字以上、3000字以内）
　本レポートでは、青年期の特徴と発達課題について述べる。
エリクソンによると、人生の周期であるライフサイクルのうち、人間誰もが通過する青年期は、子供から大人へ変わる、段階であり、不安定で様々な課題を抱える時期である。
またレヴィンによると、青年期の人間は、子供の集団にも大人の集団にも所属したくないという思いが現れ、各集団の境界に存在するマージナルマンである。このように青年期は不安定であり、発達に対する様々な課題がある。
ハヴィガーストによると、青年期に達成されるべき発達課題は、同年齢の男女両性と洗練された新しい関係を築くこと、自己の身体構造及び性における役割を理解すること、両親や大人から情緒的に独立すること、経済的独立に対する自信を確立すること、職業の選択及び準備、結婚と家庭生活の準備、人間性や社会性といった社会の一員として必要な知的技能及び観念を発達させること、社会における責任ある行動を求め且つ成し遂げること、行動指針としての価値や理論の体系を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 教育心理学、課題１、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124913/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124913/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124913/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124913/thmb.jpg?s=s&r=1463186967&t=n" border="0"></a><br /><br />GP評価 秀

東洋大学の、教育基礎論Ⅰ（3000字以内）で説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。[263]<br />知識は個人の学習の結果得られるものであると同時に、知識そのものも学習の対象となる。学校教育の現場では、このようにして人類が蓄えてきた、文化的・社会的遺産としての知識を生徒に伝達することが目的である。そこでは、科学や文学などの概念的な言語化された知識が多く、コンピュータなどの知識と機械の操作とが不可分に結びつく技術的知識よりも獲得されやすい。知識が有効に伝達され獲得されることは、知識が理解されることである。学校教育の現場において、獲得されるべき知識が教師により伝達された後、生徒により理解されるという教授学習活動が達成されるためには、教師は指導の対象となる生徒集団の知識水準を予め測定し、生徒が理解するための教授方法を工夫する必要がある。
学力到達度検査は、中間考査や期末考査などの定期試験や模擬試験であり、学習行動の成果を評価し、知識量を相対的に測定する目的を持つ。獲得される知識が必ずしも理解されるとは限らない。知識を多く獲得するほどその理解が深まるという前提に基づくと、理解度を直接測定することが難しい教育現場においては、獲得された知識量の多さを測定することで理解度の測定に置換され、学習の到..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 教育基礎論Ⅱ、課題１、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124912/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124912/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124912/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124912/thmb.jpg?s=s&r=1463186966&t=n" border="0"></a><br /><br />GP評価 秀
東洋大学 教育基礎論Ⅱで説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。

【リポート課題】中央教育審議会の四六答申により提言された第三の教育[340]<br />【リポート課題】中央教育審議会の四六答申により提言された第三の教育改革及び教育がかかえる問題点とその現状を説明してください。
（2001字以上、3000字以内）
本論文では、中央教育審議会の四六答申により提言された第三の教育改革及び教育における問題とその現状について述べる。
第三の教育改革は、国家の政治的変動を要因として明治初年と第二次世界大戦後にそれぞれ行われた根本的な教育制度の改革である第一、第二の教育改革と異なる性格である。天皇の国家のために命を捧げる国民を育成する目標を持つ第一の教育改革は、それ以前に寺子屋などで自由意志により行われた教育を国の監督下で行うこととし、義務教育制度の導入など近代的な教育制度を創始し、その確立を図る改革である。人格の完成を目標とする第二の教育改革は、教育を受ける権利や親の教育権の尊重、教育行政における民意の尊重を旨とし、地方自治や私学自治及び大学自治の教育への転換という理念の改革であり、且つ義務年限の延長や六三三四制の導入という学校制度の改革である。理念の改革は一遍に進まなかったが、学校制度の改革により中等教育の統合が達成され、高等教育の大衆化が急速..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【東洋大学】教育基礎論Ⅱ、課題２、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124911/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124911/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124911/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124911/thmb.jpg?s=s&r=1463186965&t=n" border="0"></a><br /><br />GP評価 秀
東洋大学 教育基礎論Ⅱで説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。

【リポート課題】今日、学校・家庭・地域社会の三者の連携と協力による[340]<br />【リポート課題】今日、学校・家庭・地域社会の三者の連携と協力による教育への取組みが求められています。　
　そこで、学校・家庭・地域社会が連携と協力を進めなければならないという理由と、どのように連携と協力を進めればよいのかという点について、具体的に展開されている活動や取組みなどを参考にしながら各自の意見を述べてください。
　そして、その際に、①戦後の日本社会における家庭（家族）と地域社会の変貌、②また、それが、子どもの育つ環境である家庭や地域社会に及ぼした影響や問題点、③さらに、その影響によりもたらされた学校教育の在り方の変化や問題点などにも言及してください。
（2001字以上、3000字以内）
本レポートでは、学校・家庭・地域社会の三者の連携と協力による教育への取組みについての私見を述べる。
戦後の日本の社会では都市化や自動車社会の進行により、地域の人々が自然に集う場所が減少し、交通網の機能を重視する都市や大型・高層の都市住宅が増加し、地域共同体が生まれ難い構造をとる都市部では住民同士のつながりの希薄化や周囲への無関心及び過疎地では人口減少や少子高齢化が進行する。かつて悪戯やいじめをす..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【東洋大学】教育基礎論Ⅱ、課題１、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124910/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124910/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124910/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124910/thmb.jpg?s=s&r=1463186965&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋大学の、教育基礎論Ⅰ（3000字以内）で説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。[247]<br />【リポート課題】平成10年の指導要領改訂（高校は平成11年）により、従来の各教科・道徳（小・中）・特別活動という領域に加え、「総合的な学習の時間」という学習活動が新たに設けられました。
　そこでまず、「総合的な学習の時間」が設けられた趣旨と、その学習活動としての特徴を把握し、この「総合的な学習の時間」と従来の各教科の授業とを比較・検討してください。
　またその際に、①教育内容、②教育方法、③学習集団・形態の三点に注目してください。
（2001字以上、3000字以内）
本レポートでは、総合的な学習の時間について述べる。
平成10 年の学習指導要領改訂で、激しく変化する社会に主体的に対応できるために、自主的に課題を見つけて学び考え、主体的に判断し課題を解決する能力である生きる力を育むことが教育理念とされた。ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の徹底と個性の伸長が調和した教育を充実させることが教育課程の改善とされた。これを受けて、多くの知識を一方的に教え込む従来の教育方法を転換し、自主的に課題を見いだし学び考える力を育成することを重視した教育方法が必要とされ、これもまた教育課程の改..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 教育基礎論Ⅰ、課題１、論文試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124908/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 May 2016 09:49:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124908/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124908/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124908/thmb.jpg?s=s&r=1463186963&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋大学の、教育基礎論Ⅰ（3000字以内）で説明する課題において、合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、わかりやすいとの評価をいただきました。[247]<br />【リポート課題】人間はその歴史を通じて常に次世代を育て社会を存続させてきました。その過程で教育という営みは人間にとって不可欠のものとして存続しています。
　そこで、まず教育が人間にとって不可欠なものとされる理由を原理的な視点から整理した上で、現代日本の教育（学校教育に限らない）がかかえていると思われる問題点を一つ選んで指摘し、その要因を考察するとともに、これに対する考えを述べてください。
（2001字以上、3000字以内）
本レポートでは、教育が人間にとって不可欠であるとされる理由、及び日本の教育問題について述べる。
動物が生後間もなくその動物固有の特徴が現れ比較的短い期間で成熟状態に達するのに対し、人間は直立歩行や言語など人間的特徴を備えた成人になるのにはるかに多くの年数がかかる。人間的特徴は自然の成長の中で現れるのではなく、この人間の発達を遂げるには、他の人間の助言や指導が必要であり、これを教育という。教育を受けることで初めて発達が見られる。人間は教育される必要がありかつ教育され得る。教育の役割は、人間に人間的特徴を現し発達を遂げることである。
教育の必要性の証明法に極端なケースに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 日本の戦後の道徳教育について　歴史的変遷　3000字以内で説明]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124840/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 May 2016 05:36:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124840/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124840/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124840/thmb.jpg?s=s&r=1462653417&t=n" border="0"></a><br /><br />【東洋大学】
課題：日本の戦後の道徳教育について説明せよ
3000字以内で説明する課題
合格認定された論文です。
使うべきキーワードについても説明しており、
テキストを熟語くしていることがわかるとの評価をいただきました。[317]<br />日本の戦後の道徳教育について説明せよ。
はじめに
我が国の戦後の学校教育における道徳教育の歩みの中でその基本的特徴は変化してきた。本レポートでは、道徳の時間が特設される以前の道徳教育、道徳の時間が特設されてから現在に至るまでの道徳教育、まもなく訪れる道徳が教科化される時代の道徳教育の三期に分け、全面主義の原則がどのように変容していったかを述べる。
1 .道徳の時間が特設される以前の道徳教育
日本における道徳教育は、1947年に新設された社会科を中心として学校の教育活動全体を通じて行われることとなった。学習指導要領の社会科の目的と目標は、道徳教育の役割を担うものであった。また学習指導要領の教育の一般目標の中に記載される道徳性の育成に関する目標は、教育活動全体を通して達成されると考えられた。こうして戦後の道徳教育は、学校の教育活動全体で行う全面主義を掲げて始まり、この全面主義を定着させる方針で行われた。1950年、道徳教育は社会科だけでなく教育活動全体を通して必要とされることがアメリカの教育使節団により強調され、社会科という特定の一教科を中心とした道徳教育の見直しが求められた。同時に、社会..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学 日本の戦前戦後の道徳教育の歴史的変遷について 3000字以内で説明]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124841/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsu_shin_kyo_iku]]></author>
			<category><![CDATA[tsu_shin_kyo_ikuの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 May 2016 05:36:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124841/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937430366992@hc16/124841/" target="_blank"><img src="/docs/937430366992@hc16/124841/thmb.jpg?s=s&r=1462653418&t=n" border="0"></a><br /><br />【東洋大学】
課題：日本の戦前戦後の道徳教育の歴史的変遷について説明せよ
3000字以内で説明する課題
合格認定された論文です。使うべきキーワードについても説明しており、テキストを熟語くしていることがわかるとの評価をいただきました。[337]<br />日本の道徳教育の戦前戦後の歴史的変遷について説明せよ。
はじめに
本レポートでは、戦前と戦後の二期に分け、日本の道徳教育の歴史的変遷について述べる。
①戦前における道徳教育の歴史的変遷
(1)修身科が成立する以前の道徳教育
明治時代の幕開けとともに五箇条のご誓文が出され、王政復古と神道・国学の復活がなされた。1872年、日本で最初の学校制度を定めた教育法令である学制の制定により、全国に設置された学校における教育内容が提示された。小学校における修身口授という科目は、近代教育における道徳教育の原点となった。その教授法は、欧米の倫理書等の翻訳書を資料としてその文意を教師が説明する口授形式がとられ、江戸時代からの儒教的徳目を掲げる内容が教授された。儒教の基本理念である義は、武家社会での主人に対する絶対的服従および庶民の武士階級への服従として非常に有効であった。このような欧米の教育制度を参考にした教育制度は、当時の日本の社会生活が考慮されたものではなく、焼き打ち事件の発生や自由民権運動の急速な進展等をもたらした。新たな教育制度の確立が課題とされ、伝統的な儒教に基づく道徳教育の確立が図られた。
(..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育相談1単位目]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116345/]]></link>
			<author><![CDATA[ by （・＿・）]]></author>
			<category><![CDATA[（・＿・）の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 10:04:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116345/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116345/" target="_blank"><img src="/docs/947590806608@hc13/116345/thmb.jpg?s=s&r=1413248682&t=n" border="0"></a><br /><br />教育相談①
うつ病の症状
うつ病とは、気分の落ち込んだ沈んだ気分や、普通は楽しいと感じる活動に喜びや興味を失うこと、活動の減退、自身のなさ、罪悪感食欲不振、寝つきが悪くなる。こうした特長のうちいくつかが2週間以上続くと、うつ病と診断される。症状は周期性で波があり、一度うつ病状態におちいると２～３ヶ月から1年位つづく。
そううつ病の症状
そううつ病のうつとはうつ状態のことである。一方そうとはそう状態のことである。そう状態とは、うつ状態の反対でそう状態にあるひとは自分がおかれた状態にそぐわないほど高揚し、愉快な気分になり、過活動、多弁といった傾向が目立つ。そうした気分は時に自分でコントロールできな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[課題２生徒指導論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116342/]]></link>
			<author><![CDATA[ by （・＿・）]]></author>
			<category><![CDATA[（・＿・）の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 08:12:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116342/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116342/" target="_blank"><img src="/docs/947590806608@hc13/116342/thmb.jpg?s=s&r=1413241960&t=n" border="0"></a><br /><br />生徒指導論２　
学習指導要領には、ガイダンス機能の充実が強調されている。なぜあたらためて強調されているのかというと、これからの変化の激しい社会において「ゆとり」のなかで「生きる力」を育てる大切さを強調している。「生きる力」とは、自分で課題を見つけ、自ら学び、よりよく問題を解決する能力や自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力と定義づけられ、「確かな学力」「豊かな人間性」「健康と体力」の３つの要素からなる力である。そこで、最近の児童・生徒の生きる力を育てる指導方法は、児童・生徒一人一人に応じた学校での生徒指導、進路指導、学校相談、進路相談等を積極的に働きかける「ガイダンス・カウンセリング」が必要である。では、児童・生徒の「生きる力」を育てる指導方法についての「ガイダンス・カウンセリング」の役割と課題について考える。 
　はじめに、ガイダンス・カウンセリングの役割とは、学校教育全体を通した「生きる力」の育成、児童・生徒のゆとりの確保、児童・生徒の様々な社会体験・生活体験・自然体験、学校・家庭・地域との連携による教育の充実等..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[課題１生徒指導論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116341/]]></link>
			<author><![CDATA[ by （・＿・）]]></author>
			<category><![CDATA[（・＿・）の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 08:12:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116341/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947590806608@hc13/116341/" target="_blank"><img src="/docs/947590806608@hc13/116341/thmb.jpg?s=s&r=1413241951&t=n" border="0"></a><br /><br />課題１　生徒指導論
学校教育における生徒指導・進路指導の意義と役割について総合的に論述しなさい。
　生徒指導の意義は、「積極的にすべての生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目ざすとともに、学校生活が生徒のひとりひとりにとっても、また、学級や学年、更に学校全体といった様々な集団にとっても、有意義に興味深く、充実したものになるようにすることを目ざす」総合的な教育活動にあり、「このような目標を忠実に追求していけば、それは自然に非行化の防止としての効果をあげることになる」と述べられているが、現実の中・高校では、生徒指導を生徒の非行対策といった消極的な側面のみで把握し、問題行動の対症療法的なものとして言..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動の研究　課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/103258/]]></link>
			<author><![CDATA[ by parasol]]></author>
			<category><![CDATA[parasolの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 May 2013 17:13:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/103258/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/103258/" target="_blank"><img src="/docs/954103151885@hc10/103258/thmb.jpg?s=s&r=1367914397&t=n" border="0"></a><br /><br />【課題】「学校における特別活動の取り組みをインターネット、新聞、図書資料などから調べ、その実践の概略を紹介し、その実践に対する自分の考えを述べて下さい」。課題２のレポートです。「すばらしい作品、すばらしいテーマ、よくできています」との講評を[360]<br />北海道の札幌市立厚別通小学校の一人の教諭が、2003年から2005年にかけて小学5年生から2年間にわたりクラスで実施した「いのちの学習」の取り組みを紹介したい。この取り組みは、2005年10月30日から同年11月24日までの20回にわたり読売新聞北海道版で「心の教育」シリーズとして連載された。
大野教諭が子供たちに、生について考えさせる「いのちの学習」を始めるきっかけとなったのは、自身の養護学校での経験にある。大野教諭は大学在学中、障害児へのボランティアのサークル活動に参加し、さらに障害児と深く関わるために卒業後養護学校へと赴任する。しかし、養護学校の世界はサークル活動とは全く異なっていた。のどに管を通して呼吸したり、胃に穴を開けて食事をする子供たち。大野教諭は現実の厳しさに打ちのめされる。そして、教え子の死。大野教諭は大きな衝撃を受け、自らの限界を知り養護学校を去る。普通学校へと転任した大野教諭は養護学校の先輩からある言葉を受けとっていた。「普通学校で障害児たちの生き様を伝えるように」。
養護学校から転任して10年。これまで小学校1年の早い時期から道徳の時間を用いて命の尊さを伝える「..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史B　課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102371/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aaasfa]]></author>
			<category><![CDATA[aaasfaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Apr 2013 15:30:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102371/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102371/" target="_blank"><img src="/docs/948962408395@hc12/102371/thmb.jpg?s=s&r=1365143406&t=n" border="0"></a><br /><br />アウスグライヒ（1867年）について。 あくまで参考にしてください。[92]<br />１８４８年パリで革命が起き、その波及はウィーンまで伝わった。公共施設や工場が破壊され、学生は学問の自由を訴えた。そして、憲法の制定が約束されたと共に、民族主義運動の始まりであった。ウィーン革命後、フランツヨーゼフ１世が皇帝の座につく。しかし、１８４９年にハンガリーが独立を宣言した。しかし、すぐに弾圧されるが、ハンガリーの影響力は強くなっていった。さらにサルデーニャ戦争により1859年にはロンバルディアを失い、皇帝の力はますます弱くなった。そして、ドイツ連邦の主導権を巡り、普墺戦争で破れてしまい、ドイツでの主導権を失い、ドイツ連邦から締め出さ、長年支配していたイタリアを失った。ドイツやイタリアが民族国家となっていくのを見たハンガリーのマジャール人は、徐々に民族運動を活発化させていった。フランツヨーゼフは弾圧するも1853年にはハンガリー人に襲撃されている。
　またマジャール人と帝国は、ともに、スラブ人の民族主義運動の抑圧をしたがっていた。
　さらにロシアが勢力を拡大しているために、オーストリアもハンガリーと共存していかざるを得なかった。独立したいハンガリーとロシアに備えるオーストリアと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史A　課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102370/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aaasfa]]></author>
			<category><![CDATA[aaasfaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Apr 2013 15:30:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102370/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102370/" target="_blank"><img src="/docs/948962408395@hc12/102370/thmb.jpg?s=s&r=1365143405&t=n" border="0"></a><br /><br />16世紀から18世紀までのオーストリア＝ハプスブルク家について。 あくまで参考にしてください。[131]<br />①ハプスブルクの結婚政策
　１５世紀の終わりから１６世紀の始めにかけて、ハプスブルク家は、他国の王家と結婚することにより、領土を拡大していった。どのように結婚政策をしていったかを述べる。
１マクシミリアン自身の結婚
マクシミリアンはフランスやスイスに対抗するために、ブルクンドの公女と結婚をし、ブルクントを相続した。
２スペイン王家との結婚政策
　マクシミリアンは息子フィリップをスペイン王女フアナと結婚させた。
　また娘マルガレーテをスペイン王子フアンと結婚させた。しかし、将来スペイン王になるべきフアンは、結婚後半年で病死してしまい、フィリップも死んでしまったので、フィリップの長男のカール５世が引き継いだ。
３ボヘミア・ハンガリーとの結婚政策
マクシミリアン１世は、さらにカールの弟フェルディナンドと妹マリアをそれぞれボヘミア・ハンガリー王家のヤギェウォ家の王女アンナと王子ラヨシュと婚約させた。なぜならば、オスマントルコはヨーロッパ進出を狙っていて、ハプスブルク家としてもヨーロッパの防波堤としてハンガリーが必要であったからだ。オスマントルコの脅威のために婚姻して連合を組むことが重要であっ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史B　課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102369/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aaasfa]]></author>
			<category><![CDATA[aaasfaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Apr 2013 15:30:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102369/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102369/" target="_blank"><img src="/docs/948962408395@hc12/102369/thmb.jpg?s=s&r=1365143404&t=n" border="0"></a><br /><br />アウスグライヒ時代の民族問題について。 あくまで参考にしてください。[100]<br />アウスグライヒ体制のもと、様々な民族問題が生じた。そのうちの一つにボヘミアにおける言語令がある。１８７０年、ビスマルクがドイツ帝国を統一した。その影響で、ヨーロッパにおけるオーストリア＝ハンガリー帝国の地位は低下し、ドイツ帝国に対抗するためにもチェコ人と妥協の道を探っていた。そしてハンガリーが二重帝国として主権を得たようにチェコ人も主権をほしがっていた。
　そんな中で1880年ボヘミア出身のターフェというオーストリア帝国首相は、ボヘミアとモラヴィアにおける対外的使用言語（教育や行政が住民との対応に用いる言葉）をチェコ語とドイツ語が平等であると認め、１８8２年には、さらに選挙権を拡大した。１８８３年にはチェコ人はボヘミア議会で大多数の議席を獲得した。チェコ人の地位は高まり、従来、ドイツ語のみ使われていたプラハ大学にも新たにチェコ語使用大学が併設された。そして対外的使用言語だけでなく内的使用言語(官庁内などでの言葉)もチェコ語を使うようにチェコ人は主張し、当時の首相のバデーニはチェコ青年党の票のほしさに、了承し、新たな言語令をだした。それは、チェコ語とドイツ語のどちらも話せなければ職員にな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史A　課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102368/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aaasfa]]></author>
			<category><![CDATA[aaasfaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Apr 2013 15:30:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102368/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948962408395@hc12/102368/" target="_blank"><img src="/docs/948962408395@hc12/102368/thmb.jpg?s=s&r=1365143404&t=n" border="0"></a><br /><br />1848年の革命とハプスブルク帝国の諸民族について  あくまで参考にしてください。[111]<br />フランス革命で登場したナポレオンとその革命政府軍により、ハプスブルク帝国は領土を失い、神聖ローマ帝国も消滅してしまった。その後、ナポレオンは島流しされ、オーストリア外相ニッテルニヒが中心となり1814年からウィーン会議が開かれる。そこでハプスブルク家は領土を多く取り戻すことに成功した。そして、この会議で形成されたヨーロッパ秩序が勢力均衡である。強国が勢力を均衡させることにより平和を守ろうとした。しかし、それは少数民族にとっては良いことではない。
　また神聖ローマ帝国に変わって、ドイツ連邦が建設されオーストリアが議長国となった。その後自由主義運動や民族主義運動を封じ込めるためにオーストリア、ロシア、プロイセンは神聖同盟を結んだ。その頃、オーストリアを支配していたのは事実上、メッテルニヒで、検閲を厳しくしたり警察を多く配備したりと市民を自由にさせないようにした。
　しかし、１８４８年パリで革命が起き、ウィーンでも警官隊と市民が衝突し革命が起きた。労働者は工場を破壊し、公共建築物も破壊していった。学生は学問の自由を訴えた。だが軍隊によって弾圧されてしまう。
　そして避難していた皇帝フランツ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動の研究　単位認定試験（論文）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/102056/]]></link>
			<author><![CDATA[ by parasol]]></author>
			<category><![CDATA[parasolの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Mar 2013 02:47:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/102056/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954103151885@hc10/102056/" target="_blank"><img src="/docs/954103151885@hc10/102056/thmb.jpg?s=s&r=1363456063&t=n" border="0"></a><br /><br />【試験問題】「あなたが教師だとします。今、ケータイ電話をめぐる問題がクローズアップされています。子どもがケータイ電話をもつことの利点と危険性に触れながら、今後このような問題に対してどのように指導を行ったらよいか、あなたの考え、指導の計画を具[360]<br />はじめに
私の所属は、地方都市の普通科公立高校で、１学年を担当している。いわゆる進学校とは異なりそれほど勉強熱心ではないが、クラスの雰囲気は良い。本校では携帯電話の授業中の使用を認めず、校内での使用に制限を設けているが、持ち込み自体を禁止している訳ではない。あくまで本人のモラルに任せた対応である。しかし、授業中に密かに使用が散見されたりするなど、その対応に苦慮している。本論の目的は、携帯電話との向き合い方などのマナーを生徒に身につけさせることである。具体的には、携帯を使用しない生活を実践させ、携帯電話の利点と弊害を実際に体験し、併せてそれについてグループ討議・発表を行わせる。
携帯電話の利点と危険性
携帯電話は、子供の安全確認の手段として小中学校では保護者がその所持に積極的な態度を示すことが多い。これは共働き夫婦や核家族の増加により、子供が家庭で孤立する場面が多いことから支持される意見である。しかし、高校生にもなると親が心配するような年齢でもない。実際こうした利用は少なく、高校生は専らコミュニケーション手段や娯楽としての携帯利用が多い。教育的観点から言えば、持つ利点よりその弊害や危険性..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【超カンタン】自宅のプリンタで自筆ノートが作れちゃう！ルーズリーフ（B5/6mm&times;36行） サンプル]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950149968486@hc12/91877/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aicezuki]]></author>
			<category><![CDATA[aicezukiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 16:21:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950149968486@hc12/91877/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950149968486@hc12/91877/" target="_blank"><img src="/docs/950149968486@hc12/91877/thmb.jpg?s=s&r=1332832905&t=n" border="0"></a><br /><br />手書きは時代遅れ！パソコンで簡単に手書きに限りなく近い授業ノートがつくれちゃう！
Wordのスタイル調整と手書き風フォントを用いることで、罫線にしっかりと沿った文字の印刷が自宅のプリンタで簡単にできちゃいます。
実際に市販のルーズリーフへプ[348]<br />チンニ ンゲ
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		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋大学通信教育　社会科指導法（公民）　課題４（学習指導案）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90925/]]></link>
			<author><![CDATA[ by かつかつかつ]]></author>
			<category><![CDATA[かつかつかつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Feb 2012 23:17:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90925/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951366381787@hc11/90925/" target="_blank"><img src="/docs/951366381787@hc11/90925/thmb.jpg?s=s&r=1330352239&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />⑩本時の展開 
時間
（分） 学習指導・内容 学習活動 指導上の留意点 評価の観点 
導
入
（１５） ○国境を越えるモノ・ヒト・カネ
・「Q１、尖閣諸島における漁船衝突事件後に、日本と中国との関係にどのような影響があったと思いますか？」という質問をする。
・質問前に「尖閣諸島における漁船衝突事故」についての、平成22年9月8日（水）の四国新聞に記載された記事を配布資料として生徒全員に配布する。
・配布された資料から、質問された影響について班毎に意見をまとめ発表する。
T：資料配布
T：発問
S：思考
S：意見集約
S：発表 ・授業に関心を持ってもらうため、導入段階で時事問題として班毎に考えさせる。全員に意見を考え述べてもらい、意見をまとめて発表させる。
・予想される答えとして、日中間の領土問題、中国内での反日デモ、両国間の国境警備強化などがあるが、ここでは日本経済の国際化がテーマであることから、レアアースの輸出規制を意見として期待したい。但し、中国側は衝突事件との因果関係を認めていないことも説明する。 ・班毎に活発に話し合いができたか（①③）
・時事問題を身近な問題として捉えることが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【心理学概論】問．心理学用語を具体的な言葉に置換よ(A判定)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956023497565@hc10/67389/]]></link>
			<author><![CDATA[ by のんのん]]></author>
			<category><![CDATA[のんのんの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 May 2010 21:44:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956023497565@hc10/67389/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956023497565@hc10/67389/" target="_blank"><img src="/docs/956023497565@hc10/67389/thmb.jpg?s=s&r=1274100271&t=n" border="0"></a><br /><br />問い　あなたの身近な事柄に、心理学のワードを、あなたの言葉で定義せよ。


①心理学的カテゴリーとは　②カテゴライズとは　③　プロトタイプとは　④ステレオタイプとは[240]<br />【研究の目的・方法】
教育学科に在籍していながら、学校教育よりも家庭・心理・性・文化と、どちらかというと周辺の領域を学んできた。
最近、どの分野を学んでいても行き着くところがある。それは個性だ。教育界では個の重視などと叫ばれている。そこから次の様な幾つかの疑問が浮かび始めた。
日本の個性教育は果して良いのだろうか。
学校という枠組みや問題型教育・校則が邪魔をしていないか。
その上に個性教育は成り立つのか。
集団性を教える学校という花瓶の中で、花たちである生徒達は果して個性を発揮できるのだろうか。結局、根元の部分で縛られている様に私は感じる。
欧米教育は草原に咲く花の様に思える。個人がそれぞれに自分の咲きたい場所で生き生きと真直ぐ育っているのではないか。
日本は余りに集団性を大切にしいてきた。その背景が余計に、欧米の個性重視のイメージを際立たせていると言える。
日本の教育では長所を伸ばしてくれないという漠然とした不安が存在する。そして、それは逸脱行動へと繋がる要因となる。
現在、洋服やピアスなどファッションとしての主張で表現されている。これは、金髪やピアスも一つの個性と言えた。
だが、そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論１認定試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64677/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64677/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64677/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64677/thmb.jpg?s=s&r=1268408877&t=n" border="0"></a><br /><br />「教育を受ける権利」が法的に保証されたことの歴史的な意義を考えていきたい。「教育を受ける権利」は第２次世界大戦後の昭和21年（1946）に公布された日本国憲法の第２６条において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と明記され、条文化された。
　戦前における日本の教育制度は、明治維新後の、明治5年（1872）に近代教育制度の始まりとして、「学制」が公布され、制度上すべての国民に初歩的な普通教育を教授する初等教育機関が設けられた。それ以前にも寺小屋や藩校が教育を行なっていたが、「学制」による、全国への学校の配置は、政府が設けた教育を行なう公的機関であり、これにより公教育の制度が始まった。その後、明治12年（1879）公布の教育令や、明治19年（1886）公布の小学校令などで、近代教育制度は整えられていく。しかし、明治憲法においては、「教育を受ける権利」を保障する明文規定はなく、戦前の教育制度は、明治23年（1890）に発表された、「教育勅語」を中心とする、天皇主権の全体主義国家的思想による強い支配があった。「教育勅語」には、「一旦..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品上代認定試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64676/thmb.jpg?s=s&r=1268408875&t=n" border="0"></a><br /><br />上代文学の特質とはなにかということを『古事記』、『日本書記』、『出雲国風土記』そして『万葉集』を中心に考えたい。まず、それらの作品の表記方法について考える。これらの作品は基本的に全て漢字表記で書かれている。かな文字が発明されていない時代のことであるから当然であるが、その表記方法は全て統一されているわけではない。例えば『日本書記』では、変体漢文が用いられており、『古事記』、『出雲国風土記』も基本は変体漢文である。しかし、『古事記』の場合、固有名詞や、古語などの漢文で表記しづらい部分は、一字一音表記で記すという特徴がみられる。『万葉集』もこれらの作品と同様に、全文が漢字で表記され、題詞などは変体漢文で表記されているが、歌自体はすべて、万葉仮名という型式で表記されている。
　これらの作品の表記方法は変体漢文を基本としながらも、日本独自の固有名詞、古語、あるいは歌というものは、漢字を一字ずつ工夫してできる限りオリジナルの音に近いものにしようとしているという特徴が考えられる。漢字表記から、これらの作品を考えると、中国の文化、文学を享受しつつも、新たに日本独自の文学を創作しようとする過渡期に作ら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説Ｂ１課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64675/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64675/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64675/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64675/thmb.jpg?s=s&r=1268408874&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、「物語」の発生と展開についてであるが、そもそも「ものがたり」というものは、成文化されたものを指すだけではなく、おしゃべりという意味も含んでいる。文学史として考えるならば、成文化した「物語」に焦点を当てるべきであるが、そもそもの「ものがたり」という言葉の意味を考えたときに、お喋りという要素を抜きに「物語」の発生を考えることが出来ない。お喋りといっても世話話というようなものではなく、口承という意味である。日本最初の「物語」といわれている『竹取物語』は十世紀半ば頃の成立といわれているが、成文化される以前に『万葉集』に竹取の翁についての歌が残されているように、成文化される以前から何らかの形で継承されていたのである。しかし、それらの口承されるものは、日本語であるため、漢文で表記しにくい。しかし、仮名が発明され、話し言葉の表記が容易になることで、口承という形で伝わっていた「物語」が成文化されていくのである。このように仮名の発明により「物語」は飛躍的な展開をみせるのだが、当時の正式な書体はあくまでも漢文であり、仮名は女性の中へと広がっていく。そして、その女性たちが「物語」の更なる発展に寄与す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説B1課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64674/thmb.jpg?s=s&r=1268408873&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、九世紀文学文化の特色についてだが、九世紀は、七世紀に開始された遣唐使派遣が続いていたことからわかるように、唐文化がいまだ日本に影響を及ぼしていた時代である。九世紀の大半はそれが文学にも現れており、漢詩が盛んであった。嵯峨天皇の命による『凌雲集』、等の勅撰三集をはじめとして、空海の『性霊集』がその代表である。一方で、和歌は『続日本後紀』の中に散見するものの書物としては成立したものはない。このように、九世紀の大半においては、漢詩が文学の中心になっていた。その漢詩文化の中心を担っていたのが嵯峨天皇である。天皇は、朝廷において絶対の権威を持っていた。天皇は、『凌雲集』等に約百首の漢詩を残し、また三蹟の一人として名を残すなど文化人でもあり、その天皇が漢詩文化をリードしていたのである。
　しかし、九世紀の最後半になると、その状況に変化が起きる。和歌が再興してくるのである。要因としては、遣唐使派遣停止を象徴とする、唐文化の影響の衰退である。遣唐使派遣停止は寛平六年（八九四）のことであるが、それ以前からも約半世紀、遣唐使は派遣されておらず、少しずつ、唐文化の影響は薄れていた。その一方の国風と呼..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説A１課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64673/thmb.jpg?s=s&r=1268408872&t=n" border="0"></a><br /><br />『万葉集』全二十巻の概略と一、二巻の配列上の特色についてであるが、まず、概略から述べる。『万葉集』は、一巻から十六巻の第一部と、十七巻から二十巻の第二部に分類することができる。第一部は、天平十六年（七四四）までの歌が収められ、相聞、挽歌、雑歌の部立がされており、すべてではないが年代順に配置されている。第二部は、冒頭部に第一部から洩れた天平十六年の四月に大伴家持が詠んだ歌など、三十二首を配置し、その後ろに天平十八年（七四六）の正月から天平宝字三年（七四六）の正月一日までの歌を部立せずに、年代順に収めている。また、第一部はさらに細かく分類することができ、一巻から六巻は、有間皇子事件などの歴史上の事件に関わる歌が多く収められるなど、「小万葉」と呼ばれ、『万葉集』の中核をなしている。七巻から十二巻は、それぞれ「柿本人麻呂家集」などの歌集から歌を集めて構成されている。また、歌の配列も年代というよりも、歌われた対象や、表現方法で分類されている。十三、十四巻は読み人知らずの歌を集めており、十五、十六巻は、物語性を全面に打ちだした歌が収められている。
　次に、一、二巻の配列の特徴として、五三番歌まで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説A1課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64672/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64672/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64672/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64672/thmb.jpg?s=s&r=1268408871&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、大和政権成立以前の日本文化のあり方についてであるが、第一の特徴は、西日本の方が文化的な発展が早いという点である。例えば弥生式土器を見てみると、もっとも古い遠賀川式は北九州から瀬戸内海を経由して、伊勢湾にいたる地域で、中期のものでは、北九州で須玖式、近畿では櫛目式が、中部地方から関東にかけては、栗林式がそれぞれ発見されている。このように、北九州から近畿にかけての地域は中部以東に比べ、古い時期から弥生式土器が使用され、その種類も多様である。このような差異は、朝鮮半島との距離ということに由来する。当時は、中国を中心とする大陸が文化的に日本より発展しており、その文化が日本に流入することにより、古代日本は文化的に発展してきたからである。朝鮮半島のからの渡来人が北九州に上陸し、そこを基点として、東へと伝播していくという状態だったのである。
　また、青銅器の地域分布にも、この時代の文化的特徴が見られる。青銅器は縄文式土器と同様、朝鮮半島経由で日本に伝来したものである。伝来時期は紀元前二世紀といわれ、当初は武器として用いられていたが、後に祭祀用として用いられるようになる。その祭祀用青銅器が、北..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64671/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64671/thmb.jpg?s=s&r=1268408870&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』には、様々なテーマが存在するが、私は性的な笑いを中心に笑いというものについて考えてみたい。『宇治拾遺物語』には六話「中納言師時、法師之玉茎検知事」、一一話「源大納言雅俊、一生不犯金打セタル事」、十四話「小藤太、聟ニオドセレタル事」、十五話大童子、鮭ヌスミタル事」など、性的な笑い話が、いくつか収められている。
粗筋を記すと、六話は、中納言師時の屋敷に自分陰茎を切り落としたと言う法師が自ら着物を捲り上げると、確かに陰茎が無いのであるが、師時が家来に命じて法師の股間をさすらせると、大きな松茸のようなものが出てきたので、みな大笑いすると、法師も同様に笑い転げるというものである。この法師は、物乞いをするために、陰茎を睾丸に包み込み糊で陰毛をかぶせて、あたかも陰茎が本当に無いかのよう見せるのであるが、法師のこの努力も笑いを誘うが、その努力の甲斐も無く、本能には逆らえず、露見してしまうところも非常に面白い。また、十四話は、大童子が鮭を盗み、それを咎めた男と町中で口論になり互いに互いが盗んだと主張したので、まず男が裸になって無実を証明する。着物を脱げと言われた大童子は拒否するが、無理..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64670/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64670/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64670/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64670/thmb.jpg?s=s&r=1268408869&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』の中から四話と、一一四話を取り上げて論じてみたい。両話はともに、伴善男に関連するものである。四話では、伴善男が、佐渡国の郡司の従者だったとき、東大寺と西大寺に足を置き、またぎ立つ夢を見、それを妻や郡司に話すと、郡司は良い夢だったが、妻に話したのが過ちである。出世はするが、罪を被り失脚するだろう。という予言をし、伴善男は大納言まで上り詰めるが、やはり罪を被ってしまうので、郡司の言葉に偽りは無かった。という話である。この罪というのは、一一四話に出てくる、応天門の放火であり、その放火を発端とする一連の政変が応天門の変である。
『宇治拾遺物語』では、この応天門の変を詳細に記しているのが、この説話を絵巻にしたものとして、四大絵巻の一つである国宝『伴大納言絵詞』がある。この絵巻は後白河法皇が安元三年（一一七七）頃、蓮華王院宝物庫に納めるために、常盤光長という人物に描かせたという説があるが、事実は不明である。しかし、絵巻の中の人物の服装などから、だいたいの年代として、後白河法皇の院政期前後であるとされている。絵巻の内容と一一四話はほぼ同様であり、文末の記述がほぼ一致することから一一..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64669/thmb.jpg?s=s&r=1268408868&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』には、同様の説話を収めた説話集がいくつかあるが、九巻第六話「歌読テ被免罪事」と『今昔物語』二四巻第五五話「大隅の国の郡司、和歌を読む語」とを比較してみる。まず、書き出しだが、両者とも「今は昔」と共通している。あらすじは両者とも、大隅の守が、政務をしている間に、郡司の一人が職務に怠慢なところがあり、何度か叱責したところ、改善が見られないので、重い罰を与えようと呼び出したところ、白髪の老人だったので、許すつもりになったが、口実が見つからない。そこで、老人に歌は詠えるかと尋ねたところ、見事な歌を歌ったので、許した。というものである。細かい語の差異は見られるが、内容において顕著に異なる点は見当たらない。しかし、結びの部分に大きな相違点があるように思える。「歌読テ被免罪事」の場合は、
　　人はいかにもなさけはあるべし。
で終わっているのに対し、「大隅の国の郡司、和歌を読む語」は、
　　然れば、云ふ甲斐無き下臈の田舎人の中にも、此く歌讀む者も有るなりけり。努々蔑るべからずとなむ、語り傳へたるとや。
で終わっているのである。前者の場合は、「な
さけ」とは風流のことであり、人は風流を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64668/thmb.jpg?s=s&r=1268408867&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』「序」について考えてみたい。「序」の作者は不明であるが、「序」の成立自体には三つの説がある。一つ目は、『宇治拾遺物語』成立から間もない時期に、何者かによって書かれたというものである。「序」は、この物語の成立過程と、名称の由来について記したものであるが、
大納言の物語にもれたるをひろふあつめ、又、
その後の事などかきあつめたるなるべし、
と、その成立について推量しており、さらに、
宇治にのこれるを拾ふとつけたるにや、また侍従を拾遺といへば、宇治拾遺物語といへるにや、差別しりがたし、
と結びにあり、名称の由来は不明であるとしている。このような記述と、源隆国や、俊賢に関する記述に誤りがないことから、この説が唱えられている。二つ目は、『宇治拾遺物語』の編者「序」の作者が同一人物であるとするものである。三つ目は、「序」は内容的に序文の体裁を整えていないことなどを理由に挙げ「序」は後世の人によりかかれたものであるとしているものである。三つの説の中では一つ目がもっとも有力とされているが、残りの二つも否定しきるほどの根拠は無い。私は、二の可能性について考えてみたい。
まず、『宇治拾遺..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究上代課題４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64667/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64667/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64667/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64667/thmb.jpg?s=s&r=1268408866&t=n" border="0"></a><br /><br />万葉集の時期区分であるが、古くは賀茂真淵の五区分説や、島木赤彦氏、西郷信綱氏等の三区分説等があるが、沢潟久孝氏、森本治吉氏等が提唱する四区分説がもっとも広く受け入れられている。そしてその四区分とは、①舒明天皇即位（六二九）から壬申の乱（六七二）まで四十四年間②壬申の乱から平城京遷都（七一〇）までの三十三年間③平城京遷都から聖武天平五年（七三三）までの二十四年間④天平五年から、天平宝字三年（七五九）までの二十七年間という時期区分となっている。
　次に各時期の特徴について述べたい。まず第一期であるが、二番歌「大和には　群山あれど　とりよろふ　天の香具山　登り立ち　国見をすれば　国原は　煙立つ立つ　海原は　鴎立つ立つ　うまし国ぞ　蜻蛉島　大和の国は」という歌から特徴を見ていく。まず、国見という行為は天皇の農耕予祝儀礼であり、そこにまず呪術性が見られる。そして、天皇個人としてではなく集団の代表として国見を行なうわけであり、それを歌にするという集団性も見られ、国原、海原という土と水という自然の根本を見て、それにより大和国を賛美するという自然との融合もみられるのである。この時期の特徴として挙げら..]]></description>

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			<title><![CDATA[作家作品研究上代課題３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64666/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64666/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64666/thmb.jpg?s=s&r=1268408865&t=n" border="0"></a><br /><br />『日本書紀』記述から、有間皇子の変についてみてみたい。ことのきっかけは斉明天皇が牟髏の湯に行幸に出、その留守官を任された蘇我赤兄の讒言による。赤兄は皇子に大きな倉を建て民衆の財産を集めた。莫大な費用を使い長い水路を造った。船で石を運び丘を造った。という三点を天皇の失政として皇子に語った。すると皇子は赤兄が自分に味方してくれると思い、我が人生で始めて兵を用いるときがきた。と答えている。皇子はこの時点で謀反を決意したことになる。少し判断が早過ぎないだろうか。翌々日に、赤兄の家を訪ね楼で話合いをするのであるが、決意表明はその時でもよかったはずである。十九歳だったとはいえ、聡明であったと評される皇子にしては安直すぎるようである。そしてその夜に赤兄に裏切られ、自邸で寝ているところを捕らえられ、行幸先の牟髏の湯に送られる。そこで、中大兄皇子の問いに対し皇子は、天と赤兄だけが知っている。自分は何も知らない。と答えている。中大兄皇子は皇子を送り返すが、途中丹比小沢連国襲という人物に皇子を殺害させてしまう。その他にも処分された人々がいたが、赤兄に対する処罰は記載されていない。おそらく無罪とされたのであ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ドイツ語演習]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64647/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 20:27:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64647/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64647/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64647/thmb.jpg?s=s&r=1268393220&t=n" border="0"></a><br /><br />参考にどうぞ[18]<br />社会学科
ベートーベン～代表作とその時代背景～
ベートーベンは1770年に生まれ、1827年にその生涯を閉じたといわれている。18世紀から19世紀にかけて活躍した彼であったが、当然時代は彼の音楽にも影響を与えている。当時、歴史の中ではナポレオンの登場と失脚、フランス革命、そして産業革命など、世界的にも激動の時代で、音楽もいままでの宮廷音楽から市民のための音楽に変わり行く過渡期だった。しかしモーツァルトの登場によりクラシック音楽はキリスト教的世界観からの自由を獲得し、ベートーベンの音楽にも新しく生まれた「個人」という概念、そして産業革命から得た人々の自信のようなものが息づいている。
　ベートーベンのもっとも有名な楽曲「運命」。ベートーベンはこれについて『Schicksal so schl&auml;gt die T&uuml;r（運命はかく扉を叩く）』と語った。第九交響曲の初演はベートーベンが指揮をとり、その素晴らしさに観客が興奮、途中から激しい拍手が会場を包んだという。しかしすでに耳に障害も持ち、音が聴こえづらかったベートーベンはそれに気づかず、見かねたアルト歌手のウンガーが手を添えて振り向かせ、ようやく..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ドイツ人のメンタリティーと文化について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64648/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 20:27:00 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64648/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64648/thmb.jpg?s=s&r=1268393220&t=n" border="0"></a><br /><br />参考にどうぞ[18]<br />ドイツ人のメンタリティーと文化について
　
　[gem&Uuml;etlich]というドイツ語の単語があるそうだ。この単語の意味を十分に理解することが出来るたなら、ドイツ人の特徴をある程度掴めたことになるらしい。ならばこの単語の意味は一体何なのだ、と思うのが人情というもの。しかしこの単語の意味、日本語には翻訳不可能&hellip;&hellip;いや、不可能ではなく、単純に片がつかないドイツ人独特のものであるらしいのだ。ちょうど、日本の武士道という奴（まあ武士道を本当に理解している日本人がどれだけ残っているかというのも気になるところではある、個人的に）がドイツでBu-shi-doと原語のまま表されるように、日本もgem&Uuml;etlichをゲミュートリッヒとしか言い表せない。まあ、ちょっと語弊があるかもしれないが、無理をすればでっち上げで意味などどうにでもなるのだろう。だがそこは両国の、いやいや両国に限らず人間の、言語にかかわるプライドというか拘りがそうはさせないのであろう、訳すべきではないという結論に至るのである。固有の意味を持つその国独特の言語というものは、かくも厄介で尊き存在なのである。その問題のgem&Uuml;etlichの意味..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[マス・コミュニケーション概論夏季課題レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64653/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 21:08:46 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64653/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64653/thmb.jpg?s=s&r=1268395726&t=n" border="0"></a><br /><br />マス・コミュニケーション概論夏季課題レポート
ヒトと他の生物の決定的違いを鑑みるとき、さまざまな事象が思い浮かんでは消えていくが、やはり道具を作り操れるということ、二足歩行であること、そして何より言語能力を有していることであろう。これらわれわれ人類特有の事柄は、われわれ人類の「進化」のキーポイントを握っている。これらキーポイントを考察し探求せずには、人類の進化の過程という深遠なる謎は、永遠にわれわれの前から姿を隠し続けるであろう。
さて、言語能力の話である。今現在、一説によると全世界には約６８００語もの言語が存在しているという。数からみれば、英語や日本語などはホモ・サピエンスという種においてほんの6800分の1に過ぎないということになる。もっとも、大航海時代以降、世界各地でかなりの数の自然民族が「文明化」されたり、絶滅したりしているのは明白なので、大航海時代以前は今よりもはるかに多数の言語が存在していたと推定される。
言語はわれわれ人類にとってなくてはならないものだ。しかしその言語の始まりを正確に特定することは至極至難である。言語は「化石ならない」からだ。考古学ではこういった場合、ソフ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[家族社会学特講　レポート課題 障害者家族を生きる]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64654/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 21:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64654/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64654/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64654/thmb.jpg?s=s&r=1268395727&t=n" border="0"></a><br /><br />家族社会学特講　レポート課題
批評対象
土屋葉2002「障害者家族を生きる」勁草書房
　「障害者家族を生きる」と銘打たれた文献であるが、その内容・結論は障害者家族だけにとどまらず、現代家族に対するひとつの「家族」のあり方を提示している。著者は本の中で繰り返し実用的な視点、当事者たちの視点が障害者家族を論じるうえで欠けてきたと主張し、この欠けてきた「経験」という主観的視点を取り入れることに挑戦していると宣言する。文献は序章と終章、そして7つの章から成り立っていて、障害者家族にまつわる、障害者たちの脱家族運動から、障害者家族研究の系譜、障害者にまつわる社会制度、障害者に対する社会や家族からの見られ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代社会論特講 夏季課題レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64655/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 21:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64655/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64655/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64655/thmb.jpg?s=s&r=1268395727&t=n" border="0"></a><br /><br />現代社会論特講夏季課題レポート
　ユダヤ人は頭が良いらしい。
頭が良いというのは、人生において何事も機動力があるということだ。
最近書店をめぐると、どうもユダヤ人の思考法を取り扱った書籍が目に付いて仕方がない。
アメリカは数パーセントのユダヤ人に牛耳られているという有名な言説から始まって、日本人のユダヤ人への憧れというものを感じる。あの「ストイックな生き方」をすると言われるユダヤ人のイメージが日本人の不全感を煽るのだろうか。
かく言う私もユダヤ人の思考法についてとうとうと語り綴っている本を手にとったことがある。それらによれば、彼らは人生の勝利者とやらになるための生き方を幼いころから叩き込まれる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代日本文学　読書 『ＴＶピープル』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64656/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 21:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64656/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64656/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64656/thmb.jpg?s=s&r=1268395727&t=n" border="0"></a><br /><br />現代日本文学（７）
『ＴＶピープル』
　私が何故『ＴＶピープル』を選んだのか。『ＴＶピープル』という表題に、ものすごい毒気と揶揄を感じたからだ。『ＴＶピープル』。まるで現代人の代名詞みたいではないか。このネーミングセンスには脱帽するしかない。
　『ＴＶピープル』の内容は、私の感じた毒気や揶揄で満たされているものではなかった。題名だけで思考が先行して想像を膨らませてしまっていたので、少々面食らったというのが本心だ。
　面食らったといえば、擬音がとても印象的で強烈だった。タルップク・シャウス、タルップク・シャウスというのは何とはなしに時計の秒針が時を刻む音だと共感できたが、そのほかは駄目だ。ちょっ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際社会学　後期期末レポート課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64657/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tokisuke]]></author>
			<category><![CDATA[tokisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Mar 2010 21:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64657/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956711508104@hc10/64657/" target="_blank"><img src="/docs/956711508104@hc10/64657/thmb.jpg?s=s&r=1268395727&t=n" border="0"></a><br /><br />国際社会学　後期期末レポート課題
グローバル化と声高に歌われる昨今、もはや珍しいことでもなんでもない言葉としてグローバル化は日常に溶け込んでいる。しかし私達のグローバル化とはイコール欧米化なのであって、私たちの間には日本や韓国を除くアジアという世界において、そこに進出すれば一攫千金を狙えるビジネスチャンスがあるかもしれない程度の認識しか確立しておらず、もっぱら経済のことしか頭にない。
日本は外国人に対して閉鎖的である、という。しかしそれは経済の面ではあまり当てはまらないのではあるまいか。息せき切って必死に開かれた市場、グローバル・スタンダードを目指しているわが日本であるが、それが良しにつけ悪しきにつけ日本の閉鎖的な態度を変えていく契機になりつつある。カルロス・ゴーンなどは有名だが、今までの日本の企業が外国人をトップにおいて経営改善を図るなど、考えもよらなかった。それでも諸外国にしてみれば、いまだに農業を筆頭に閉鎖的なのだろう。こと経済以外の面、すなわち政治的な側面に視点を移すと、難民の受け入れ問題や政治家の談合など、閉鎖的といわれる体質はさらに強くなっていく。
最近の北朝鮮報道の加熱ぶ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963445668592@hc08/59533/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ryo_no]]></author>
			<category><![CDATA[ryo_noの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Nov 2009 00:26:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963445668592@hc08/59533/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963445668592@hc08/59533/" target="_blank"><img src="/docs/963445668592@hc08/59533/thmb.jpg?s=s&r=1258990009&t=n" border="0"></a><br /><br />地球表層は多くのプレートからなり、海嶺のマグマ活動で生産されたプレートは移動して海溝で沈み込み、ふたたび地球内部へもどっていく。ときにはプレート同士が衝突して一方が他方の上にのりあげ、ヒマラヤのような高い山脈が形成されるということもおこる。[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の古典孟子レポート２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57055/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57055/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57055/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57055/thmb.jpg?s=s&r=1257199457&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の古典孟子レポート１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57054/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57054/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57054/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57054/thmb.jpg?s=s&r=1257199456&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語科教育論レポート２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57053/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57053/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57053/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57053/thmb.jpg?s=s&r=1257199455&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語科教育論レポート１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57052/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57052/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57052/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57052/thmb.jpg?s=s&r=1257199454&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論Ⅱレポート2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57051/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57051/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57051/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57051/thmb.jpg?s=s&r=1257199452&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論Ⅱレポート1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57050/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57050/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57050/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57050/thmb.jpg?s=s&r=1257199451&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論Ⅰレポート2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57049/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57049/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57049/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57049/thmb.jpg?s=s&r=1257199449&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論Ⅰレポート1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57048/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 07:04:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57048/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/57048/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/57048/thmb.jpg?s=s&r=1257199448&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育基礎論１認定試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51906/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bic_temple]]></author>
			<category><![CDATA[bic_templeの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Jul 2009 17:09:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51906/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51906/" target="_blank"><img src="/docs/960060044827@hc09/51906/thmb.jpg?s=s&r=1246522149&t=n" border="0"></a><br /><br />「教育を受ける権利」が法的に保証されたことの歴史的な意義を考えていく。第２次世界大戦後の１９４６年に交付された日本国憲法第２６条において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と明記[358]<br />　「教育を受ける権利」が法的に保証されたことの歴史的な意義を考えていく。第２次世界大戦後の１９４６年に交付された日本国憲法第２６条において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、
その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と明記され、「教育を受ける権利」が条文化された。
　明治維新後の戦前は、近代教育制度のため１８７２年に「学制」が交付され、制度上すべての国民に初歩的な普通教育を教授する初等教育機関が設けられた。それ以前に寺小屋等がおこなっていた教育とは、ほとんど変わりはないが、公的機関として教育をするということで、公教育の制度が始まった。しかし、明治憲法においては、「教育を受ける権利」を保障する明文規定はなく、戦前の教育制度は、教育勅語による強い支配があり、天皇制国家主義により中央集権化されていた。そのことは、主権は天皇にあり、天皇に命を捧げる臣民を育成する天皇制教学体制を整備するものであった。つまり、教育は、国家により強い介入と干渉によって支配され、「教育を受ける権利」ではなく、「義務」であったと言えるだろう。
　そこで、戦前の超国家主義的・軍国主義的な教育の支柱とな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教職概論（認定試験）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51905/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bic_temple]]></author>
			<category><![CDATA[bic_templeの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Jul 2009 17:09:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51905/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51905/" target="_blank"><img src="/docs/960060044827@hc09/51905/thmb.jpg?s=s&r=1246522148&t=n" border="0"></a><br /><br />教師が児童・生徒を正しく理解ができ、教科指導においてわかる授業をするのに、教師に一番必要な資質能力とは、児童・生徒との信頼関係を築けるかという能力である。その為に必要である具体的な資質能力を考えていき、教師になったらできなければならないこと[360]<br />　教師が児童・生徒を正しく理解ができ、教科指導においてわかる授業をするのに、教師に一番必要な資質能力とは、児童・生徒との信頼関係を築けるかという能力である。その為に必要である具体的な資質能力を考えていき、教師になったらできなければならないこと、及び私が今すべきことを検討していくことにする。
　まず第一に最低限必要な資質能力として、教科指導の専門的知識・技術である。児童・生徒に対して授業をしていくのに、教師自らが、専門教科の知識が浅く・狭いものでは、わかりやすい授業ができないのは、当然である。教師は、自分の専門教科に対しては、深く・広い知識を持ち、児童・生徒の学力・理解力等を考察して、工夫をして授業にのぞまなければならないのである。この工夫をした授業をする為には、一般教養という資質能力も必要になってくるであろう。専門教科以外にも、広い知識を持ち、児童・生徒がわかりやすいような事柄に例えて授業を進めたり、児童・生徒が興味を持ちやすい事柄や教材等を利用して、工夫のあるわかりやすい授業をする為には、一般教養が必要不可欠である。また、専門的な授業や工夫をした授業を進める為には、前提にある教育に関..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育心理学認定試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51901/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bic_temple]]></author>
			<category><![CDATA[bic_templeの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Jul 2009 16:31:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51901/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960060044827@hc09/51901/" target="_blank"><img src="/docs/960060044827@hc09/51901/thmb.jpg?s=s&r=1246519919&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、性格の基礎的理論は類型論と特性論の二つに大きく分けられる。類型論とは典型的な性格の類型をまず設定し、個人の性格をその類型に分類することによってそれを理解しようとするマクロ的な立場であり、ギリシャ時代ガレヌスの体液の偏りによる類型がその[360]<br />　まず、性格の基礎的理論は類型論と特性論の二つに大きく分けられる。類型論とは典型的な性格の類型をまず設定し、個人の性格をその類型に分類することによってそれを理解しようとするマクロ的な立場であり、ギリシャ時代ガレヌスの体液の偏りによる類型がその起源であるとされる。現代を代表する類型論としては、クレッチマーの体型をもとにした類型論や、ユングのリビドーの向かう方向をもとにした類型論、シュプランガーの個々人が何に最も価値をおくかをもとにした類型論などがある。特にクレッチマーの細身型の体型の人は分裂気質、肥満型は躁うつ気質、闘士型は粘着気質という類型は有名である。類型論には個人の性格の全体像を把握しやすいという長所はあるが、必然的にそれぞれの類型の中間型・移行型の存在を無視しやすく、性格を静的なものと捉え、社会や文化が性格に及ぼす影響を軽視しがちであるという問題点がある。つまり、思考停止したステレオタイプに陥りやすいということである。
　一方で特性論とは性格の要素である特性というものを想定し、その組み合わせによって個人の性格を理解しようとするミクロ的な立場である。特性とは因子分析法という統計的手..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動の研究２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20077/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:59:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20077/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20077/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20077/thmb.jpg?s=s&r=1204444742&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次大戦後７度目の改訂である現行の学習指導要領は1998年に告示され、小中学校は2002年度から実施、高等学校は2003年度の第1学年から学年進行で実施された。「生きる力」の育成とゆとりある教育をねらいとし、自ら学び自ら考える力の育成、教[334]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学原論２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20082/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:06:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20082/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20082/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20082/thmb.jpg?s=s&r=1204445196&t=n" border="0"></a><br /><br />わが国の両院制と衆議院解散制度の改革
１．議会の類型
わが国の国会は衆議院と参議院の両院制の議会である。それではまず、議会とはどのような役割を果たしているかを検討していきたいと思う。N･W･ポルスビィは議会の役割から、「変換の議会」と「[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学原論３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20083/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:07:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20083/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20083/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20083/thmb.jpg?s=s&r=1204445263&t=n" border="0"></a><br /><br />憲法制定時の状況
占領軍による憲法制定が進められており、これに口出し、批判すると公職追放されてしまうことになってしまう恐れがあった。さらに天皇制の廃止を避けることに重点がおかれていたため、9条の議論については積極的に行われていなかった。[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学言論4]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20084/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:08:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20084/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20084/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20084/thmb.jpg?s=s&r=1204445310&t=n" border="0"></a><br /><br />選挙制度の類型と思想的背景
１日本の選挙制度の特殊性
　日本は諸外国に比べ多様な類型の選挙制度が混在している。まず過去に行われていた中選挙区制についてみてみる。我々にとって中選挙区制は学校でも当然のものとして教わり、馴染み深い制度である[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学原論(論文試験)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20085/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:09:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20085/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20085/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20085/thmb.jpg?s=s&r=1204445388&t=n" border="0"></a><br /><br />1.安全保障三類型
2.憲法制定時の状況
3.内冷戦時の議論の特殊性[88]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学概説１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20086/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:12:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20086/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20086/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20086/thmb.jpg?s=s&r=1204445559&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、実践とは、目的を定め、目的へ到達する手段をいくつも考え、可能であるものを選択する、以上が本人の頭の中で計画したことであるが、これらの計画がうまくいく可能性はともあれ、現実化することが実践の意義であると考えた。アリストテレスのニコマコス[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学概説２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20087/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:13:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20087/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20087/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20087/thmb.jpg?s=s&r=1204445611&t=n" border="0"></a><br /><br />私が思う平和の理念とは、「秩序が維持され続けていること」である。したがって、戦争の反対が平和であるというだけではないといえる。なぜなら、国内で起こる、民族紛争や、カルト集団のテロ、強盗や暴行といった不法な行為といった人災や、地震や台風といっ[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学概説（論文試験）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20088/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:14:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20088/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20088/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20088/thmb.jpg?s=s&r=1204445663&t=n" border="0"></a><br /><br />現代社会の新たな倫理
　この数年間で、携帯電話やインターネットをはじめとする情報通信技術が飛躍的な進化をとげてきた。インターネットは、パソコンを始め携帯電話やオーディオなど多くの機器が接続できる。これによって現実社会とは別に、ネットワーク[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科指導法１(社会)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20089/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:16:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20089/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20089/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20089/thmb.jpg?s=s&r=1204445791&t=n" border="0"></a><br /><br />大学全入時代となった今、「大学入試で出るから覚えなくてはいけない」という免罪符がきかなくなった。つまりこれまで以上に子どもの現実と将来のことを考えて、教師自身が何を伝えるべきか考えなければならない。これが「課題意識の持ち方によって歴史も地理[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科指導法２(社会)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20090/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:17:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20090/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20090/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20090/thmb.jpg?s=s&r=1204445825&t=n" border="0"></a><br /><br />１ 欧米中心史観とは
　小学校、中学校、高等学校での歴史の授業は教科書の語り手の背後には「白人社会」がついてきている。そのため、明治維新以降の「欧米化、白人文化＝文明開化」という欧米中心史観で成り立っているのである。多くの日本人が認識して[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科指導法(社会)（論文試験)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20091/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:19:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20091/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20091/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20091/thmb.jpg?s=s&r=1204445970&t=n" border="0"></a><br /><br />社会科新設の目的 
1945年8月わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏し、アメリカを中心とする連合軍の占領下に置かれることになった。日本政府は教育について根本的な改革をせまられ、GHQ主導による教育改革を行うことになる。
社会科の有用性 [332]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科指導法２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20081/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:04:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20081/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20081/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20081/thmb.jpg?s=s&r=1204445065&t=n" border="0"></a><br /><br />私にとってよいと思われる授業とは、一言で言うならば『大人になっても忘れない授業』である。このように考えたのは私自身の経験に基づいている。中学２年生のときに地理の授業で行った京都についての調べ学習のおかげで、１０年たった今でも京都は地図が無く[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科指導法１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20080/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:03:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20080/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20080/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20080/thmb.jpg?s=s&r=1204445032&t=n" border="0"></a><br /><br />1947年に新設された社会科には占領軍総司令部の軍国主義、国家主義の徹底的な追放を求める立場から生まれた。特色は、第一に従来の修身・公民・地理・歴史の内容を融合し一体として学ぶべきものとした。デューイの経験主義に基づき、なすことによって学び[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20079/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:01:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20079/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20079/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20079/thmb.jpg?s=s&r=1204444913&t=n" border="0"></a><br /><br />1815年来のウィーン体制の維持に、オーストリア宰相クレメンス・メッテルニヒが目を光らせており19世紀ヨーロッパを席捲した民族主義、自由主義の波及を食い止めていた。しかし、1848年フランスのパリで2月革命が勃発し、その影響は中欧にまで伝播[338]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20078/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 17:01:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20078/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20078/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20078/thmb.jpg?s=s&r=1204444879&t=n" border="0"></a><br /><br />ハプスブルク家は父フリードリヒ３世、息子マクシミリアン１世の結婚政策により、戦わずして権力と領土を増やし、孫のカールをスペイン王にさせることに成功した。さらにカールの妹マリアとボヘミア・ハンガリーの王子ラヨシュと結婚させ、弟フェルディナント[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動の研究１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20076/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:58:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20076/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20076/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20076/thmb.jpg?s=s&r=1204444694&t=n" border="0"></a><br /><br />小学校から高等学校までの１２年間を通して、当時はあまり意識することはなかったが、各教科だけでなく、特別活動でも多くの時間をすごしてきた。その中で学んできたこも数多くある。いまだ強く私の中で印象に残っている中学校時代の奈良・京都の修学旅行を例[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20068/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:19:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20068/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20068/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20068/thmb.jpg?s=s&r=1204442390&t=n" border="0"></a><br /><br />プレートテクトニクスについて
①地球表層の特徴
地球表面には厚さ１００ｋｍ程度のリソスフェアと呼ばれる堅い層があり、その下にアセノスフェアという柔らかい層がある。そのリソスフェアの広がりをプレートといいプレートはアセノスフェアの上を運動[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20070/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:46:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20070/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20070/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20070/thmb.jpg?s=s&r=1204444015&t=n" border="0"></a><br /><br />道徳学習指導案
　第3学年5組（男子16名　女子15名）
　指導者　○○&times;&times;
１．主題名
　日本の伝統文化を体験しよう
２．主題設定の理由
　本主題は、指導内容４－（９）の「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家の発展に努める[322]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育のあり方と進め方]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20073/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:53:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20073/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20073/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20073/thmb.jpg?s=s&r=1204444438&t=n" border="0"></a><br /><br />１．道徳教育の問題点
２．道徳教育のあり方
３．道徳教育の進め方[94]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20071/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Mar 2008 16:50:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20071/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/20071/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/20071/thmb.jpg?s=s&r=1204444221&t=n" border="0"></a><br /><br />１．道徳性の定義
２．道徳性の発達と重要性について
３．新しい時代を拓く心を育てる道徳教育
４．介護お手伝い体験[165]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/15690/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 Dec 2007 10:34:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/15690/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/15690/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/15690/thmb.jpg?s=s&r=1197250469&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の統治機構の改革について
①首相公選論の唱えられる背景
②アメリカ型大統領制の問題点とアメリカの特殊性
③首相公選制の問題点
④統治機構の改革の方向性[227]<br />日本の統治機構の改革について
①首相公選論の唱えられる背景
　日本国憲法前文において「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある。ここで言う、「国会における代表者」とは、国会議員のことであり、内閣総理大臣のことではない。この国会議員が一般的に日本でトップと言える、内閣総理大臣は憲法６７条１項に基づき、国会で指名される。事実上、間接的なのである。国民としては、やはり自らの手で、日本のトップを選びたい（投票したい）と思うのは当然のことである。
現在首相公選制が話題となっているその背景には、長引く不景気、少子高齢社会の到来、巨額な財政赤字など将来に対する不安を抱いているにもかかわらず、政治は将来の明確なビジョンや方向性をしめせず、派閥談合で総理を決め、総理に対する信頼性は低い。政治と国民の意識との間にギャップがあるからであろう。また、既存の政治体制では改革できないと諦めて、一気に政治体制を変えてほしいという願望の現われとも考えられる。
②アメリカ型大統領制の問題点とアメリカの特殊性
　それでは首相公選論のもっとも単純明快な案である大統領制の特徴を挙げてみよう。国民に..]]></description>

		</item>

	</channel>
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