<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“東洋史概説”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E5%8F%B2%E6%A6%82%E8%AA%AC/</link>
		<description>タグ“東洋史概説”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34502　東洋史概説　第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 10:21:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152477/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152477/thmb.jpg?s=s&r=1699752082&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・東洋史概説2[37]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34502
科目名・東洋史概説　第2回
文字数・2000字程度
課題・明朝成立の背景について、何故、江南から明が興ったのか、宋から元までの歴史を踏まえて述べよ

明朝成立の背景について考察する際、宋から元にかけての歴史的流れを理解することが重要である。宋朝は中国史上において、文化的にも経済的にも非常に繁栄した時代だった。しかし、その後の政治的な混乱や軍事的な弱さは、元朝による支配へとつながった。元朝はモンゴル帝国の一部として、中国を支配した外来勢力であった。このような背景の中で、明朝がどのようにして江南地方から勃興したのかを見ていく。
宋朝末期、政治の腐敗と軍事力の弱体化が顕著であった。

宋朝の弱体化は、いくつかの重要な側面から理解することができる。政治的な腐敗は、この時代の重大な問題の一つだった。官僚制度は時間の経過とともに形骸化し、政治の品質は低下していった。高位の官職が金銭で取引されるようになり、貪欲な官僚によって政治が汚染された。さらに、中央集権の弱体化が進行し、地方の豪族や軍閥が力を増していった。これにより、中央政府の統制力は弱まり、国全..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【法政通信】法政大学通信教育　34502　東洋史概説　第1回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2023 10:02:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/152476/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/152476/thmb.jpg?s=s&r=1699750964&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信・東洋史概説1です[43]<br />法政大学　通信教育部

科目コード・34502
科目名・東洋史概説　第1回
文字数・2000字程度
課題・官制、法制、軍制、財政、農業のうちから1つ以上選んで隋から宋までの変遷過程における隋の果たした役割と歴史的意義について述べよ

法制について
東アジアの古代政治体制にてこの期間は、中国が古代から中世へと移行する過程を示しており、隋の法制はこの変遷期における重要なマイルストーンとなっている。

隋は581年に中国を統一し、隋煬帝の時代には帝国の拡大と中央集権体制の確立に尽力した。この時代の最大の成果の一つは、法制の整備と標準化であった。隋は、それまでの各王朝が持っていた法律や制度を集約し、改革を行った。特に、「隋律」と呼ばれる法律体系は、後の唐の「唐律」と共に中国史上最も影響力のある法律の一つであると言われている。
隋律は、社会秩序の維持と国家の統治を目的としており、刑法だけでなく民法や行政法も含まれていた。これらの法律は詳細にわたり、様々な社会現象に対応するための規範を提供していた。隋の法制は、国家の権力とその運用方法を明確にし、皇帝と役人が国を統治するための基盤を提供した。
また..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】東洋史概論　東洋史概説　2023年～2025年（科目コードK32300　Q30300）課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151113/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 04 Apr 2023 21:48:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151113/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151113/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/151113/thmb.jpg?s=s&r=1680612534&t=n" border="0"></a><br /><br />丸写しは避けていただければと思います。 また、最後にまとめとして自分の意見を数行でいいので加えると通過率が上がります。[175]<br />東洋史概論（科目コードK32300）
東洋史概説（科目コードQ30300）　
次の課題１・２について、下のポイントとキーワードに留意してリポートを作成して下さい。
1．中国の新石器時代から南北朝までの歴史を概述し（200字程度）、さらに秦漢時代について詳述しなさい（800字程度）。
2．隋代から清代までの歴史を概述し（200字程度）、さらに唐王朝とその影響、周辺諸地域の自立について詳述しなさい（800字程度）。

〈ポイント〉
　中国の新石器時代から清王朝までの王朝の変遷をおさえ、課題となってテーマについて詳しくまとめて下さい。王朝の変遷では、統治体制や政治制度、さらに社会の変容などを明確にするようにつとめるとより良いレポートになります。なお、前述の王朝の変遷で求めたポイントは、字数の制約からすべてを述べることは難しいところです。少しでも工夫をして取り組んで下さい。
〈キーワード〉　
皇帝政治の成立　律令体制

1
中国の新石器時代から南北朝時代までの歴史は、紀元前8000年から589年までの約7500年間にわたり、農耕文化の発展、鉄器の出現、諸侯国の分立、秦朝の統一、漢朝の興隆、三国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[慶應通信　東洋史概説「中国古代史上の封建制・郡県制・郡国制」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/142338/]]></link>
			<author><![CDATA[ by とらふぐ]]></author>
			<category><![CDATA[とらふぐの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2020 10:28:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/142338/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926328904995@hc19/142338/" target="_blank"><img src="/docs/926328904995@hc19/142338/thmb.jpg?s=s&r=1604626125&t=n" border="0"></a><br /><br />「中国古代史上の封建制・郡県制・郡国制」について。
西周/秦/始皇帝/項羽/劉邦/景帝/諸侯王
のキーワードを使うこと。


この資料の全面コピーandペーストを禁止します。あくまで参考程度にご使用ください。[289]<br />１．はじめに
　本レポートでは、古代中国における地方統治政策の変遷について時代を追って見ていくことにする。

２．周王朝と封建制
２．１．封建制の成立
　周の武王は紀元前1046年に牧野の戦いにて殷を滅ぼしたのちに鎬京に都を建設したが、そこから紀元前771年に洛邑に遷都するまでを西周時代という。
　封建制が創始された西周では、統治者は天子・諸侯・卿・大夫・士の五つの身分からなるとされ、その下に被治者である庶、もしくは民がくるとされていた 。この身分制秩序は、王が諸侯に土地と人民を与えて統治させ、諸侯は自分の臣下である卿・大夫・士に領地を与えてその見返りとして軍事奉仕や行政実務を担わせるという仕組みに連動していた。周王は自らの血縁関係に基づいて一族や功臣などを諸侯とし、一定の土地と人民の支配権を与えることによって統治したが、各諸侯、卿・大夫もまた、それぞれの領地内で幾重にも分封をした 。周王室は、婚姻関係を結ぶにあたっても、異姓の諸侯を同族親族の範囲内に取り込んだ。周王と諸侯、諸侯とその家臣である卿・大夫・士は、擬制的な血縁関係にあった。実質的な世襲制によって領有を認めた点からも、周は血縁的な宗族によって結びつき「宗法」という相続・祭祀秩序によってまとまる氏族社会を形成していたと言える。
　西周における最初の分封は、建国時に行われた 。武王は、自らの一族である姫姓一門や功臣を中原の要地に封じ、諸侯を軍事的に支配するための結節点とした。武王の没後は、周公旦や成王、康王により大規模な分封が行われる。これは殷の旧勢力の反抗を効果的に解消するためであり、殷民を分散し、姫姓や、姫姓と姻戚関係にある一族を各地域に諸侯として封じるものであった。成王の治世においては斉・魯・燕・晋などの諸侯国が建てられ、康王の治世ではなお、契約関係に基づく広義の封建制においては、諸侯が力を付けるとそれはやがて王にとっての脅威となるが、周の場合では血縁関係がそれを防ぐ役目を果たしていると言える。こうして、天子の名義で同族や功臣などに土地と民を分け与える封建制と呼ばれる間接的な地方行政システムが確立され、周の貴族が財産と権力を再分配し、さらに王朝の支配地域を拡大するという政治体制が登場したのである。

２．２．周王朝の斜陽
　西周では領土開拓のため四方に征伐を続けたが、次第に敗北も増え、国内の不満も高..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説（分冊Ⅱ）　合格リポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/118473/]]></link>
			<author><![CDATA[ by やまだとしのぶ]]></author>
			<category><![CDATA[やまだとしのぶの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Feb 2015 00:21:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/118473/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/118473/" target="_blank"><img src="/docs/946534035395@hc13/118473/thmb.jpg?s=s&r=1423149664&t=n" border="0"></a><br /><br />報告課題集における、分冊２（近代中国における中国民族運動について具体的なケースをあげて論述しなさい）についての合格リポートです。 私の文章でまとめたものですので、あくまで参考程度のご使用でお願いします。丸写しをして不合格となったとしても、こ[358]<br />東洋史概説Ⅱ
課題：近代中国における中国民族運動について具体的なケースを挙げて論述せよ。
キーワード：不平等条約、民族産業の発展、ボイコット、ストライキ、反帝国主義
ポイント：中国民族運動の背景・原因・経過の検討をして、具体例から歴史的特徴を明らかにすること。
本文：
　近代において、列強国として名を連ねていた先進国は、アジアにおける発展途上国を侵略し、植民地化していった。そのアジア途上国には中国も含まれていた。先進国と途上国の関係性により、&ldquo;下の立場&rdquo;であるが故に&ldquo;上の立場&rdquo;から突きつけられる条件に対し、中国国家が従わざるをえないものの、国民が異を唱える状況を迎える。「中国民族運動」である。これから論じることは、そうした中国国民が行う民族運動についての事柄である。
　一九一四年七月に第一次世界大戦が勃発すると、日本政府はこれを勢力拡大の好機と捉え、八月に日英同盟を口実にドイツに宣戦布告し、九月二日に山東半島に派兵した。中国は八月に中立を宣言し、日本の山東出兵に抗議したものの、日本政府はこれを無視し、十一月には青島を占領した。その上で、日本政府は中国における権益拡大を図り、一九一五年一..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説（分冊Ⅰ）　合格リポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/106503/]]></link>
			<author><![CDATA[ by やまだとしのぶ]]></author>
			<category><![CDATA[やまだとしのぶの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 11 Sep 2013 02:50:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/106503/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946534035395@hc13/106503/" target="_blank"><img src="/docs/946534035395@hc13/106503/thmb.jpg?s=s&r=1378835450&t=n" border="0"></a><br /><br />報告課題集における、分冊１（前近代中国における農民反乱について具体的なケースを挙げて論述しなさい）についての合格リポートです。 私の文章でまとめたものですので、あくまで参考程度のご使用でお願いします。丸写しをして不合格となったとしても、こち[358]<br />東洋史概説Ⅰ
課題：前近代中国における農民反乱について具体的なケースをあげて論述しなさい。
本文：
　前近代中国における社会は、いわゆる「封建制度」のもとに成り立ったシステムだった。出来上がった支配階層の中で、土地の与えられた農民が地主へと年貢を納め、地主はそこの国を管轄する統治者に税を納める。資産のない者は総じて土地を貸与され、そこで生産物を作り出すことを従事させられる。それを拒めば生活の当てがなく、生きるために農奴の如くその土地に縛られ、自分たちが生み出した余剰生産物が地主の肥やしとなる。その搾取の比率が如何に暴利であろうとも、階級の底辺に位置する農民たちは、それに逆らえず、ただ与えられた仕事をこなしていくしかない。例え、その季節の収穫率が低かろうと、農民の生活のために必要な食物量が破綻しようと、搾取の量は変わらず、彼らは徐々に飢饉を味わうようになっていった。飢饉による餓死。そうした事態になろうとも、国は農民たちに何ら保障を与えず、どころかさらなる徴税を強いてみたり、搾取する側とされる側の関係は平行のまま、農民だけが辛苦を味わった。そんな状態についぞ耐えられなくなり、彼らは「農民反..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説　第二回　「鄭和の航海について」　評価B　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:57:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94439/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94439/thmb.jpg?s=s&r=1340287069&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋史概説　第二回　「鄭和の航海について」　のレポートです。評価はBでした。２００９年の問題です。参考にしてください[172]<br />第二回：鄭和の航海について
2009/05
元朝時代の14世紀中葉に相次ぐ天災や飢饉、黄河の氾濫に伴う無償の治水工事などに民衆の不満が募り、1351年紅巾の乱が起こる。また元王朝内部の紛争も手伝い、紅巾の流れを汲む朱元璋が元王朝を滅ぼし明が建国された（1368年）。朱元璋は洪武帝と名乗り独裁体制を築き、建国以来の側近を次々に粛清する。こういった状況下で政務をこなす信頼できる人間として宦官が多く用いられた。宦官が重責ある政治登用され、後の鄭和のポストを生むことになる。15世紀に入り、第3代皇帝永楽帝が靖難の役（1401年）で即位すると、外征の勢いが強まる。それは鄭和をはじめとする宦官たちを海外に派遣し、朝貢貿易における冊封体制の強化を目指したものであり、またティムール帝国などが中国に向けて武力侵攻をなすことに対して歯止めを掛けるためのものでもあった。
鄭和は1371年に雲南地方で生まれ、イスラム教徒の親を持ち、永楽帝の宦官となるとその実力が認められ1405年に南海遠征の指揮官に抜擢される。1405年から始まった遠征は永楽帝下で6回（1405～1423年、一回の航海期間は一年半ほど）、続く..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東洋史概説　第一回　「唐代の仏教について」　評価A　２００９]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganma_ray]]></author>
			<category><![CDATA[ganma_rayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 22:57:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951529072374@hc11/94438/" target="_blank"><img src="/docs/951529072374@hc11/94438/thmb.jpg?s=s&r=1340287068&t=n" border="0"></a><br /><br />東洋史概説　第一回　「唐代の仏教について」　のレポートです。評価はAでした。２００９年の問題です。参考にしてください。[175]<br />第一回：唐代の仏教について
2009/05
7世紀における唐代の仏教は中国仏教の原型を再構築した。それは大乗仏教として入ってきた仏教に小乗仏教の要素を混ぜ、中国独自の仏教として広く民間に浸透した。その教えは朝鮮、日本に伝播し仏教の源流となっていった。
前2世紀末の後漢以来、インドから持ってきた経典を漢訳する作業が様々な翻訳僧によって行われ、唐代においても例外ではなかった。唐代における翻訳僧の一人玄奘（600/602-664）はその漢訳『大蔵経』が、倶摩羅什の旧訳に対して&ldquo;新訳&rdquo;と呼ばれるほど革新的であった。以前のものとのちがいはその一字一句の正確さにあったといわれ、仏教普及に役立った。また彼の旅行記『大唐西域記』は7世紀前半の中央アジア・インドの風俗、文化を中国に伝えた。こういった仏教やインド・西域文化の中国への浸透を翻訳僧がした。玄奘のほかにも義浄、不空などがいる。
中国における儒教、道教、仏教は互いに影響を与え合うことになるのだが、7世紀はじめの唐初時点では、沙門王者不敬論があり、儒教の礼にある君主、父母を敬うことを仏教は是としていなかった。こういった傾向が改められ、国家の統制の下..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>