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		<title>タグ“東北アジア史”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[2022年合格済みレポート　東北アジア史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918693858012@hc22/150869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ざわりき]]></author>
			<category><![CDATA[ざわりきの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Mar 2023 23:39:44 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918693858012@hc22/150869/" target="_blank"><img src="/docs/918693858012@hc22/150869/thmb.jpg?s=s&r=1678027184&t=n" border="0"></a><br /><br />2022年度合格済みレポートです。
※丸写しは厳しい処罰の対象となりますので、自己責任でお願いします。
あくまでも参考資料としてご活用ください。[206]<br />佛教大学　2022年東北アジア史合格済みリポートです。

『授業コード』Q5115　(認定科目名：東北アジア史)　

『設題1』
辛亥革命から日中戦争までの日中関係の変化について論じなさい。

『テキスト』
東アジア国際政治史

『注意点』
・丸写しは厳しい処罰の対象となりますので、自己責任でお願いします。
あくまでも参考資料としてご活用ください。
　・本リポートの使用に係る責任は一切取りません。
　・誤変換などによる誤字・脱字がある場合がございます。ご容赦ください。

『その他』
最終科目試験は本紙最終ページに記載しております。

はじめに
　日露戦争に勝利した日本は、中国に対し保護国化を進めていたが中国を中心とした国際の場では、列強との協調を重視していた。その後ポーツマス条約や北京条約によって日本の中国政策はほぼ現実化され、以降は満州権益を強化するべきか、満州以南に進出すべきか、または中国政府に対し影響力の強化は図るべきかを模索していたころ、中国で辛亥革命が起こった。
　本レポートではこの辛亥革命から日中戦争までの日中関係の変化を述べつつ、西洋列強との関係、中国国内での政治変動について述べていく。

1.	日中対立の形成
1-1辛亥革命と日本の対応
　1911年武昌起義が勃発し、中国で辛亥革命が始まった。これにより共和国が隣国に誕生することを懸念した日本はイギリスとの意思統一のもと南北の調停を斡旋することを決定する。しかし、すでに南北の調停を開始していたイギリスは対中不干渉方針を告げ、イギリスの仲介により南北が停戦し、国民議会の議決により政体を決定するというイギリスの意向に沿う形でまとまった。そして翌年の1912年にアジア初となる共和制国家の中華民国が誕生する。臨時大総統には孫文が就任したことで、立憲君主制としての動乱収拾はほぼ不可能となった。また同年には外蒙古（1）が独立を宣言し、これにロシアが支持したことで第1・2次日露協商で外蒙古に限定されていた特殊権益の適用範囲が曖昧となり、日本は満州擁護に集中する方針を固めた。日本政府は立憲君主制による中国動乱の収拾や満州出兵などの思惑が失敗に終わるも、ロシアと日本は満州の分界線の必要性を痛感し、内蒙古を東西に分け勢力範囲を明確化するなど、ロシアと日本の交渉は進展した。以降、日本の満州問題は満蒙問題へと発展したので..]]></description>

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			<title><![CDATA[【佛教大学】東北アジア史　説題（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920312673791@hc21/149674/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nannon]]></author>
			<category><![CDATA[nannonの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Sep 2022 17:34:22 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/920312673791@hc21/149674/" target="_blank"><img src="/docs/920312673791@hc21/149674/thmb.jpg?s=s&r=1663835662&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信教育課程《東北アジア史》の合格リポートです。

リポート作成の参考にしてください。[139]<br />東北アジア史

第１説題
東北アジアにおける不平等条約体制の成立とその克服過程について論じなさい。　

不平等条約とは何か。川島によれば、主権国家間の平等という原則に反した条約とされている。そして重要なのはその場合、二カ国間の関係が文明国と非文明国に分かれるということである。つまり文明国が文明国の基準に満たしてない国に条約を一方的に押し付けることで不平等条約は成立するのである。一般的には関税自主権の剥奪、領事裁判権の無効、片務的最恵国待遇などが不平等条約の主な内容とされている。そして東北アジア各国を非文明国として不平等条約を押し付けてきたのが列強である欧米諸国であった。不平等条約体制は彼らとの関係性から始まるのである。
不平等条約の内容に入る前に東北アジアの国際情勢について言及しておきたい。不平等条約を締結する前、東北アジアにおける大きな枠組みとしての国際関係は中国を中心とした冊封・朝貢関係であった。この関係は条約関係とは全く別の国際関係である。それゆえ、不平等条約にせよ平等条約にせよ、欧米各国やアジア諸国とそれらを締結することは、新たな国家間の政治・貿易関係を結ぶことであったのである..]]></description>

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