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		<title>タグ“東アジア”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2/</link>
		<description>タグ“東アジア”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[ホオジロ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148591/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 May 2022 14:24:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148591/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148591/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148591/thmb.jpg?s=s&r=1653629058&t=n" border="0"></a><br /><br />ホオジロ
ホオジロ頬白、黄道眉、画眉鳥、Emberiza
cioidesは、スズメ目ホオジロ科ホオジ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[67外国史Ⅰ(西洋史)第1課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126355/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:15:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126355/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126355/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126355/thmb.jpg?s=s&r=1473999314&t=n" border="0"></a><br /><br />大航海と商業革命との間には、どのような関係があったか。テキストなどを参考にして書きなさい。[135]<br />大航海と商業革命との間には、どのような関係があったか。テキストなどを参考にして書きなさい。
　大航海時代とはヨーロッパの国々が世界に乗り出して航海した時代であるが、10世紀以降アジアでは様々な交易も行われ15世紀には鄭和の大遠征もあったので、アジアでは既に大航海時代は始まっていたとする見方もある。
　大航海時代の経済的な動機はアジアとの直接貿易で、肉食の普及で香辛料の需要が増えていた。香辛料は香料諸島など暑い地域で取れるが、そこからジェノヴァ商人はペルシア湾から、ヴェネツィア商人は紅海からヨーロッパに香辛料をもたらしていたが、需要が高まってきたためポルトガルがアフリカ大陸南端を回って直接貿易..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[54地理学第2課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126333/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Sep 2016 12:50:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126333/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126333/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126333/thmb.jpg?s=s&r=1473825021&t=n" border="0"></a><br /><br />①ケッペンの気候区分による11の主要な気候の特徴と植生を説明し、②農産物の生産のうち、米、小麦、トウモロコシ、茶、コーヒー、カカオ、さとうきび、てんさい、綿花、天然ゴムについて、その栽培(気候)条件と主な生産国を述べなさい(この科目の教科書[350]<br />①ケッペンの気候区分による11の主要な気候の特徴と植生を説明し、②農産物の生産のうち、米、小麦、トウモロコシ、茶、コーヒー、カカオ、さとうきび、てんさい、綿花、天然ゴムについて、その栽培(気候)条件と主な生産国を述べなさい(この科目の教科書を用いること)。
　ケッペンは気候区分に気温と降水量のデータを用い、気温は最寒月平均気温18℃でＡとＣ、最寒月－3℃でＣとＤ、最暖月10℃でＤとＥに区別し、Ａを熱帯気候(最寒月平均気温18℃以上)、Ｂを乾燥気候、Ｃを温帯気候(最寒月平均気温18℃未満－3℃以上)、Ｄを亜寒帯あるいは冷帯気候(最寒月平均気温が－3℃未満、最暖月平均気温が10℃以上)、Ｅを寒帯気候(最暖月平均気温10℃未満)、Ｆを氷雪気候とした。降水量は蒸発量との関係から、年間降水量が年間蒸発量より多い地域について、年間の降水のパターンからfを常時湿潤、sを夏に乾燥、wを冬に乾燥に区分し、年間蒸発量は乾燥限界として計算により求める。
　ケッペンは5つの気候帯に降水量や気温のデータを付加し、11の気候を提示した。熱帯降雨林気候(Af)は気温の年較差は少ないが日較差は大きく、年間降水量は多..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ムサビ　歴史学　課題１　合格レポート　優評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942884723944@hc14/115962/]]></link>
			<author><![CDATA[ by s-aor-i]]></author>
			<category><![CDATA[s-aor-iの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Sep 2014 20:41:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942884723944@hc14/115962/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942884723944@hc14/115962/" target="_blank"><img src="/docs/942884723944@hc14/115962/thmb.jpg?s=s&r=1411386068&t=n" border="0"></a><br /><br />教科書の各章から、自分が関心を持った章をひとつ選び、その内容をまとめよ
　私は教科書の中から、第4章「第二次世界大戦と東アジア」について取り上げる。近隣諸国と日本の歴史解釈に対する問題、竹島や尖閣諸島、また韓国・中国の反日教育について、以前は特別関心のあるものではなかったが、昨年からフィリピンに留学し、多くの韓国人学生と学んだことで、この問題に大きな関心を抱くようになった。韓国人から「独島は韓国の物だ、返せ」「日本人は好きだけど、日本政府は嫌いだ」と詰め寄られ、韓国人に嫌悪感を抱いていた時期もあったが、この科目を受講することで、近隣諸国と日本の溝について考えていきたい。
　1929年10月ニューヨーク株式相場の暴落により世界大恐慌が始まる。経済政策として英・米・仏ではブロック経済化などが進み、独・伊・日本では軍事侵略での対外進出が強まる。世界戦争再発防止のため、28年不戦条約の調印、30年ロンドン海軍軍縮会議、32年ジュネーヴ軍縮会議と国際努力は続くが、諸強国は軍備増強する。
　このような世界情勢の中、大恐慌の影響を受けた日本は、主要輸出品の生糸価格が崩壊、株式が暴落し昭和恐慌が始まる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2009年度 歴史(日本史) 第二課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 07:11:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102532/thmb.jpg?s=s&r=1365891095&t=n" border="0"></a><br /><br />評価：C[10]<br />2009年度_歴史(日本史) 第二課題
室町幕府の対外政策について説明しなさい。
　本題を考えるにあたり、室町時代の明・朝鮮半島・琉球王国・東南アジア諸国との関係・交流と倭寇の活動について述べる。
　室町幕府とは1336年に足利尊氏が創設した武家政治である。前政権の鎌倉時代に元寇があったことにより、明との貿易は縮小していた。室町時代に入ると、少しずつ関係も良好になり、足利義満が将軍職を辞した際、明の健文帝に国書を送り、冊封使を遣してきて、義満を「日本国王源道義」に任じた。このことにより明との封冊関係が成立し、これを機に、朝鮮・琉球も義満を国王と自動的に認めることになった。しかし、義持の時代に明の永楽帝の使者を追い返して、日明貿易を断絶し、国王号を取り下げる出来事もあったが、まもなく国交は再開された。
　冊封体制下では、皇帝および諸国の王のみが外交に参加する資格を持ち、かれらが派遣した正式な使節であることを証明する通行証明として、明の皇帝から「勘合」が交付された。日本の遣明船は、当初は幕府が主体であったが、やがては守護大名や大寺社の船も加わるようになった。主な輸出品としては、銅銭・生糸・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学概論1地形＆気候学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78276/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takatakatakataka]]></author>
			<category><![CDATA[takatakatakatakaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jan 2011 01:24:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78276/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78276/" target="_blank"><img src="/docs/956245538842@hc10/78276/thmb.jpg?s=s&r=1296318278&t=n" border="0"></a><br /><br />Ａ－１、寒冷地に特徴的な地形とその形成作用について述べなさい
　寒冷地に特徴的な地形は様々あるが、その中でも氷河の形成と、そこから生まれる特徴的地形の代表例として圏谷、フィヨルドなど主だったものを取り上げ、その形成作用について述べたい。
寒冷地のように積雪量が融雪量を上回る地域においては、次第に万年雪が蓄積され、篩雪の上に新しい雪が堆積される。これにより積雪層下部では圧力がまし、雪粒の結晶と化粧の間にある空気は押し出され、雪粒や氷の結晶は再結晶し、氷塊が形成される。これを氷河と呼び、中でも、広く大陸を覆う氷河を氷床と呼ぶ。
山地で氷河が形成された場合は、氷塊が下方へと回転し落下するため氷食により基盤の窪みは次第にその深度を増している。やがて圏谷（カール）と呼ばれる典型的な半円形をした深い窪地が谷頭部に形成される。その背後の岩壁は氷食作用によって岩石がもぎ取られて、急斜面になっている。圏谷と圏谷が隣り合っている場合、その間の山稜はきわめて急峻であり、ノコギリの刃のような山稜が形成され、氷食尖峰群（アレッツ）と呼ばれる。山地の全稜面が圏谷氷河によって氷食を受けると、三角錐や多角錐状の頂上を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東北アジア地域経済協力の必要性と可能性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67627/]]></link>
			<author><![CDATA[ by flybirdasuka]]></author>
			<category><![CDATA[flybirdasukaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 May 2010 23:58:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67627/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67627/" target="_blank"><img src="/docs/963296136689@hc08/67627/thmb.jpg?s=s&r=1274367504&t=n" border="0"></a><br /><br />東北アジアの地域経済協力について書きました。[66]<br />東北アジア地域経済協力の必要性と可能性
東北アジアの地域経済協力について論じるにあたっては、東北アジアの地域主義についてみていきたいと思う。
地域主義とは、中央による画一的・普遍的なコントロールに対して、各地方の独自性や特徴を重視、尊重する考え方を言う。またさらに細分化して、一定の共通性や利害を共にする複数の国や地域などがその関係を強化することにより利益を追求する考え方をリージョナリズムと言い、自分が生まれたり居住していたりする地域や郷土（故郷）を第一とする考え方や思想をローカリズムと言う。
地域とは密接な関係を持つ地理的な範囲の事である。無意味に切取られた地域を経済や政策上の関心から「地域」として論じる事は出来ない。一般に東アジアは、日本、韓国、中華圏(大陸中国、台湾、香港)、(カンボジアが未加盟であるが)ASEANのことである。ASEANとはアジア域内の経済的・社会的基盤の確立と国家開発を目指す協力機構である。つまり、アジアの地域統合機構の存在はあるにはある。そしてASEAN＋3（日本、中国、韓国）の枠組による対話は、東南アジアと東北アジアの接点を強化する意味が非常に大きい。しかし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史　08830　[モンゴル来襲]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/61929/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anthem]]></author>
			<category><![CDATA[anthemの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 Jan 2010 00:43:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/61929/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/61929/" target="_blank"><img src="/docs/962350986988@hc08/61929/thmb.jpg?s=s&r=1263483801&t=n" border="0"></a><br /><br />太古より日本は海に囲まれた島国であった。そのため海の外からの接触があると歴史は大きく揺れ動くことになると言っても過言ではない。日本の歴史上初めて外部からの大きな影響を受けることになった「モンゴル来襲」について日本がどのように時代が動いたかについて述べていくことにする。
　当時、ユーラシア大陸からアジア圏において広範囲に勢力を築いていたモンゴル帝国からの国書が日本に届いたことから始まる。その国書の内容だが、日本に対する降伏勧告としての意味合いがこれまでの定説とされている。しかし、貿易などでお互いの国から行き来しているので、当初の予定では国家間でも交流を繋げることが最大の目的であったと考えられる。また、国書の最後に「不宣」とあることからもフビライは中国大陸を統一することにより、東アジアの中で対内外にフビライ自身の地盤を確立することが目的ではなかったのだろうか。
フビライ自身が広大なモンゴル帝国の中で、「モンゴル第一主義」を主張している一派の強硬な姿勢と必ずしも合致しなかったことや、ハーンとしての地位を相続するにあたっての内乱などの為、その影響は東アジア方面にしか強く反映されていなかったから..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国人労働者の受け入れにおける労働市場の変化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959255552325@hc09/47825/]]></link>
			<author><![CDATA[ by a25_8484]]></author>
			<category><![CDATA[a25_8484の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 17:23:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959255552325@hc09/47825/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959255552325@hc09/47825/" target="_blank"><img src="/docs/959255552325@hc09/47825/thmb.jpg?s=s&r=1241770983&t=n" border="0"></a><br /><br />外国人労働者の受け入れにおける労働市場の変化
－東アジア諸国内の労働者自由移動にむけて－
日比経済連携協定の影響
送り出し国フィリピンの背景
フィリピンは国内経済の不振や10％を超える失業率などを背景に1970年代から労働者の海外への出稼ぎ[340]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治観点から見る東アジアー台湾中華民国政権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35714/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 21:40:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35714/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35714/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35714/thmb.jpg?s=s&r=1233319209&t=n" border="0"></a><br /><br />中華民国は台湾に在り―政治的の観点から見る東アジア
　台湾の行方は今のままのような現状維持した方が一番いいと思う。なぜ、現状維持は一番いいと思うか。以下のような理由で説明している。
　まず、1949年末、当時の中国は二つに分かれ、その中[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[旧石器時代の地域区分]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Jan 2009 22:32:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34608/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/34608/thmb.jpg?s=s&r=1232631130&t=n" border="0"></a><br /><br />旧石器時代の西アジアと東アジアの区分
１．旧石器時代とは
　約300万年前から約1万年前までの期間を占める人類史上最古の時代。1865年イギリスの考古学者Ｊ・ラボックが石器時代を新旧に2分して設定したが、[284]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33220/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぴっぴ]]></author>
			<category><![CDATA[ぴっぴの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Jan 2009 21:01:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33220/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33220/" target="_blank"><img src="/docs/983429263901@hc06/33220/thmb.jpg?s=s&r=1231502510&t=n" border="0"></a><br /><br />「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　胡錦濤国家主席と福田康夫首相は、2008年5月7日東京にて首脳会談で合意した文書「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本が今後、東アジアにおいてとるべき経済戦略とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33219/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぴっぴ]]></author>
			<category><![CDATA[ぴっぴの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Jan 2009 21:01:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33219/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429263901@hc06/33219/" target="_blank"><img src="/docs/983429263901@hc06/33219/thmb.jpg?s=s&r=1231502465&t=n" border="0"></a><br /><br />日本が今後、東アジアにおいてとるべき経済戦略とは
　
現在の日本経済の現状としては、少子高齢化、原油高、株安、物価上昇などにより、スタグフレーションという最悪の状態になりつつある。我々の世代では、バブルの時期がまだ幼少期であったため、バブル[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国風水思想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Dec 2008 13:10:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/31610/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/31610/thmb.jpg?s=s&r=1228536618&t=n" border="0"></a><br /><br />中国（台湾）の風水思想
　中国（台湾）の風水思想について、『風水思想と東アジア』を参考として読んだ。以下中国（台湾）の風水思想を論じることのである。
　まず、本から見ると、台湾、香港の風水思想と宗教観念がほど近い日本沖縄県にも影響を及ぼすこ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東アジア経済共同体構想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/22402/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kingyo]]></author>
			<category><![CDATA[kingyoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Jul 2008 14:06:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/22402/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/22402/" target="_blank"><img src="/docs/983431317101@hc05/22402/thmb.jpg?s=s&r=1215839166&t=n" border="0"></a><br /><br />　21世紀以降、急速に拡大するグローバリゼーションの下、EU（欧州連合）やNAFTA（北米自由協定）をはじめとする、数々の地域連合が展開されてきた。その一方、日本を含む東アジア諸国間でも、1997年に発生したアジア通貨危機を契機に、積極的に[334]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア経済危機]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429183401@hc07/12644/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kon1031086]]></author>
			<category><![CDATA[kon1031086の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 17 Jan 2007 15:26:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429183401@hc07/12644/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429183401@hc07/12644/" target="_blank"><img src="/docs/983429183401@hc07/12644/thmb.jpg?s=s&r=1169015214&t=n" border="0"></a><br /><br />アジア経済危機がおこった原因
1997 年夏以来の東アジアの経済危機は、開発主義的経済システムが、歴史上かつてないほどのスピードと規模で拡大するグローバル資本主義に巻き込まれていく過程で発生し深化していったものといえる。東アジア諸国が経済成[348]<br />アジア経済危機がおこった原因
1997 年夏以来の東アジアの経済危機は、開発主義的経済システムが、歴史上かつてないほどのスピードと規模で拡大するグローバル資本主義に巻き込まれていく過程で発生し深化していったものといえる。東アジア諸国が経済成長のターンパイクを走っていた時期には、そこでの政府・ビジネス関係は、民間主体の経済活動を調整させて経済の奇跡を生み出した要因として、肯定的に評価されていた。しかし、この危機の中で、一転して、そういう政府の介入は、透明性を欠くクローニー資本主義しか生み出さなかったとみなされ始めている。
　東アジアの経済危機は、各国の政府の介入が生み出したものといえる。そのほかに、東アジア型経済システムの欠陥が引き起こしたというのもあげられるが、もうひとつ、あまりにも速いスピードで世界を駆け巡るグローバル・マネー・キャピタルが引き起こしたものといえる。
　1990年代に入ってから東アジア諸国は、経済自由化をさらに進めて、世界市場からの資金の取入れを目的として、金融取引の国際的自由化を急速に進めた。経済がブームになり始めると、国内外の投資家は、その使い道をそれほどゆっくり..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[東アジアポスト植民地論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429345801@hc06/11812/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsuzan96]]></author>
			<category><![CDATA[katsuzan96の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Nov 2006 23:51:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429345801@hc06/11812/" target="_blank"><img src="/docs/983429345801@hc06/11812/thmb.jpg?s=s&r=1164898274&t=n" border="0"></a><br /><br />東アジアポスト植民地論レポート
私は、いくつかの参考図書の中から「安住しない私たちの文化」(姜信子著)を選び、読むことにした。この本の内容を要約すると、以下のようになる。
名前は文化であるといえる。たとえば、日本では「日本人の氏名をただひと[352]<br />東アジアポスト植民地論レポート
私は、いくつかの参考図書の中から「安住しない私たちの文化」(姜信子著)を選び、読むことにした。この本の内容を要約すると、以下のようになる。
名前は文化であるといえる。たとえば、日本では「日本人の氏名をただひとつの名前として持つ者とは、日本人の血をもち、日本語を話し、日本文化を生きる日本国民である。」という暗黙の大前提がある。すなわち、明治維新で日本人が苗字を持つことを許されてからというもの、日本人の名前を持つということは、日本という近代国家に結び付けられることであり、日本の文化を生きていくことでもあった。作者は、４つの名前を持っている。この日本において作者のように複数の名前を持つということは例外的であり、彼女には自分がひとつの文化に収まりきれていないという意識がある。一方で、さまざまな意味を持った名前を排し、数量化、番号化する動きも見受けられる。そういった意味では我々は今まで名前を通して結び付けられていたさまざまな世界や意味から自由になったスタート地点に立っているともいえる。
近代文明とは恐ろしく野蛮なものである。アメリカの白人によるネイティブアメリカン..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[「現代の東アジアにおける日米安保体制成立の意味」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846101@hc05/10959/]]></link>
			<author><![CDATA[ by museomiitan9]]></author>
			<category><![CDATA[museomiitan9の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Sep 2006 16:17:06 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846101@hc05/10959/" target="_blank"><img src="/docs/983431846101@hc05/10959/thmb.jpg?s=s&r=1158736626&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの[344]<br />2006年度日本政治社会史レポート
「現代の東アジアにおける日米安保体制成立の意味」
参考文献
丸川哲史　『思考のフロンティア　　リージョナリズム』　岩波書店　2003年
岡崎久彦　『吉田茂とその時代』　PHP文庫　2003年
はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの政治的な外交問題が噴出しており、そのほとんどに日本は直接的に関与している。そしてこれらの問題は、教科書問題の一部を除いて、ほぼ全てが帝国主義時代の日本の侵略行為と、その後の現在まで続くといわれる東アジアの冷戦構造に起因するものである。よって、太平洋戦争の終戦によって日本が連合国軍によって占領されてから、1950年の朝鮮戦争の勃発と1952年にアメリカとの安全保障体制を成立にかけての占領政策の転換を分析することは、現在の東アジアの状況を紐解くうえで重要な意味をもつと思われる。
そこで、アメリカの対日占領政策によって日本が冷戦構造に組み..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ 東アジアの経済発展と日本の関係について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430055401@hc06/9483/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tgyhujiko]]></author>
			<category><![CDATA[tgyhujikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 22:24:20 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430055401@hc06/9483/" target="_blank"><img src="/docs/983430055401@hc06/9483/thmb.jpg?s=s&r=1152451460&t=n" border="0"></a><br /><br />近年、経済発展が目覚しい中国を軸に東アジアの経済発展と日本の関係を見てみる。
90 年代末期になって中国が「世界の工場」として生産力を急速に高めている。中国の工業力は沿海州に偏在し、それは外資に依存する性格が強いとはいえ、地場産業の形成が[350]<br />東アジアの経済発展と日本の関係について
近年、経済発展が目覚しい中国を軸に東アジアの経済発展と日本の関係を見てみる。
90 年代末期になって中国が「世界の工場」として生産力を急速に高めている。中国の工業力は沿海州に偏在し、それは外資に依存する性格が強いとはいえ、地場産業の形成が自立的に進み出すなど進展している。しかも、その中国が昨年12 月WTO に加盟し、世界の自由貿易体制に組み入れられつつある。こうした事実は何を意味するだろうか。それは、中国の産業競争力が急速に強まることで、もともと政治・軍事力の強い中国が同時に経済力を強めて世界でその存在感を強めている。
最近における中国経済の動向を簡単にみてみる。近年、中国は「世界の工場地帯」として、驚くべきスピードで日本を追い上げている。中国のGDPは世界第9位、輸出額は第７位である。2000年には、東アジアで日本に次ぐ２番目の経済大国になった。中国が世界生産のランキングで第１位をしめているのは、カラーテレビ、エアコン、洗濯機、電話受話器、オートバイなどの工業品である。どれも、日本が世界市場をリードし、独壇場だった分野である。とくに、香港・広..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 地域統合・協力論　東アジアＦＴＡについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7864/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 01:48:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7864/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7864/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7864/thmb.jpg?s=s&r=1144687702&t=n" border="0"></a><br /><br />　東アジア共同体を形成するにあたって、まず経済面・政治面においても主導的役割を担うのは、まちがいなくＡＳＥＡＮ＋３の＋３とされる、日本、中国、韓国であるだろう。今回はこの３カ国それぞれにおける問題を個別に見ていき、東アジアにおける政治共同体[360]<br />東アジア共同体について
　東アジア共同体を形成するにあたって、まず経済面・政治面においても主導的役割を担うのは、まちがいなくＡＳＥＡＮ＋３の＋３とされる、日本、中国、韓国であるだろう。今回はこの３カ国それぞれにおける問題を個別に見ていき、東アジアにおける政治共同体の可能性を論じてみたい。
　ＥＣからＥＵへと、ヨーロッパにおける共同体は経済的共同体から、ついには統一通貨を発行し、統一法を協議するまでに至った政治共同体へと長年の歳月を費やして今日に至る。ＮＡＦＴＡもまた、北米参３カ国間の自由貿易のための連帯であって、地域統合のプロセスは、まず最初に経済的連帯からスタートするのが基本である。東アジアにおいては、東南アジア主要国で構成されるＡＳＥＡＮに、日本・中国・韓国の３カ国を足したＡＳＥＡＮ＋３間の間で、個別にＦＴＡ交渉が展開されている。よく言われることだが、ＡＳＥＡＮ＋３として、ひとつの経済共同体を形成・自由貿易圏が存在しているというよりも、ＡＳＥＡＮと日本、ＡＳＥＡＮと中国、ＡＳＥＡＮと韓国といったＡＳＥＡＮに三本柱が独立して、くっついていると言ったところだろうか。しかし、広く東アジア..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[東アジアにおけるＦＴＡ交渉について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4028/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 23:25:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4028/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4028/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4028/thmb.jpg?s=s&r=1134483926&t=n" border="0"></a><br /><br />◆はじめに
　最近、新聞紙面上でFTA関連の記事を頻繁に目にする。世界のFTA締結件数は1990 年以降に増加し、2000年以降その傾向はさらに加速している。2003 年末現在でWTO に報告されているだけで180 以上のFTAがあり、そ[294]<br />テーマ：東アジアにおけるＦＴＡ交渉について
◆はじめに
最近、新聞紙面上でFTA関連の記事を頻繁に目にする。世界のFTA締結件数は1990 年以降に増加し、2000年以降その傾向はさらに加速している。2003 年末現在でWTO に報告されているだけで180 以上のFTAがあり、そのうち160 以上が1990 年以降に締結されたものである。この事実をみても現代は、企業、人、資金が世界中をこれまで以上に自由に移動できる時代であり、同時に各地域が世界的な視野に立ち、国際的に連携しながら、持続的な経済発展、国際交流・国際貢献といった課題への取り組みを推進していくことが求められている時代であると考えられる。
最近のFTA 交渉では、従来からの障害であった農業問題と並んで労働市場の開放もスポットを浴びている。これは、日本にとって「これまでの経済交渉にはなかった問題」（日本政府）である。ドイツなど他の先進国に比べて日本は労働市場の開放には慎重であったが、その日本との経済交渉の主要テーマとして人の移動自由化、すなわち、労働力移動が避けられない問題になってきたといえる。
そこで今回のレポートでは、日本と..]]></description>

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			<title><![CDATA[東アジア共同体]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3996/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 20:08:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3996/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/3996/thmb.jpg?s=s&r=1134472122&t=n" border="0"></a><br /><br />　「東アジア」という概念は、最近になって初めて細部まで検討されるようになったものであると思う。地域主義といえばまず思い浮かぶのはＥＵであり、アジアにおいては東南アジアくらいであった。現在東アジア（東北アジア、東南アジア）における共同体の成立[360]<br />東アジア共同体
　「東アジア」という概念は、最近になって初めて細部まで検討されるようになったものであると思う。地域主義といえばまず思い浮かぶのはＥＵであり、アジアにおいては東南アジアくらいであった。現在東アジア（東北アジア、東南アジア）における共同体の成立がさけばれているのは、グローバリゼーションという世界の流れに影響されているところがかなり大きいように、個人的には、思う。「東アジア共同体」というものの必要性についてそしてその実現の可能性についてＥＴＡやＥＰＡを中心に探っていきたいと思う。
　21世紀初頭の世界経済は、はグローバリゼーションという世界を一つに包み込む大きな流れの中にありながら、ＥＵやＮＡＦＴＡに代表される大規模な地域統合が進展・拡大しつつあるというユニークな現象を呈している。このような地域化の拡大は一見グローバリゼーションに矛盾しているように思えるが、むしろグローバリゼーションによって引き起こされた現象である。ＥＵの場合は冷戦終結後のグローバリゼーションやアメリカ主導のグローバリゼーションに対抗するために自らを拡大させているし、ＮＡＦＴＡは地域化に批判的であったアメリカ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[東南アジアの地域主義に関する冷戦期と現在の比較考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231101@hc05/2545/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shunpee1983]]></author>
			<category><![CDATA[shunpee1983の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Oct 2005 02:04:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231101@hc05/2545/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231101@hc05/2545/" target="_blank"><img src="/docs/983432231101@hc05/2545/thmb.jpg?s=s&r=1129827888&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　第二次世界大戦のあとの二十年の期間、東南アジアの地域秩序に大きな変化が見られた。１９５０年代は、共産主義に対する防波堤としての地域同盟を発展させるための西側諸国の一方的なパワーに特徴づけられる。この期間は、地域機構を発展させるための東[360]<br />　　　　「東南アジアの地域主義に関する冷戦期と現在の比較考察」　
　　第二次世界大戦のあとの二十年の期間、東南アジアの地域秩序に大きな変化が見られた。１９５０年代は、共産主義に対する防波堤としての地域同盟を発展させるための西側諸国の一方的なパワーに特徴づけられる。この期間は、地域機構を発展させるための東南アジア諸国の努力が、ごく小さなもので、また美辞麗句なものであった。しかし１９５０年代後半から、東南アジア諸国の指導者の中でも地域組織を作ろうとする動きが見られるようになった。１９６０年代には、西側諸国の主張するリージョナリズムのようなものに巻き込まれることの危険さ、無益さが東南アジア諸国の中でも認められるようになり、そして、周辺地域の安全保障関係を運営し、大きな力を持つ外部の敵から受ける有害な影響から守ろうとする「自立」をしようとする、国家としては当然の願いが大きくなってきた。
　上述したが、１９６０年代にリージョナリズムの動きが高まったのは東南アジアだけではない。当時の５８年の欧州経済共同体（ＥＥＣ）の結成に触発され、中南米やアフリカで相次いで地域協力機構・組織が結成された。ＥＥＣ向..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東アジアの経済発展]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432366401@hc05/319/]]></link>
			<author><![CDATA[ by riuriu]]></author>
			<category><![CDATA[riuriuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 18 Jun 2005 20:02:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432366401@hc05/319/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432366401@hc05/319/" target="_blank"><img src="/docs/983432366401@hc05/319/thmb.jpg?s=s&r=1119092526&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、発展途上国への工業化の伝播を考える前に、１８世紀のイギリス産業革命以降、イギリスで始まった工業化のがどのような形態でドイツ・フランスなどのヨーロッパ諸国を初めアメリカ・日本などに伝播していったのかを考えてみる。この工業化の波及に関する[360]<br />１８世紀末にイギリスで始まった産業革命は１９世紀から２０世紀にかけて西ヨーロッパ諸国・アメリカ・ロシア・日本に伝播した。この国々は近代科学技術を用いた工業化を達成し、先進国とよばれている。これに対して、この先進国には属さない国家つまり発展途上国諸国は輸入を通してこれら先進国の工業製品を獲得することを余儀なくされていた。このような先進国が多くある&ldquo;北&rdquo;と発展途上国が多くある&ldquo;南&rdquo; この２地域間での貿易が&ldquo;南北貿易&rdquo;である。
先進国だけのものであった工業化だが、第一次大戦後あたりから発展途上国でも工業化が始まり第二次大戦後には南米やアジアでも工業化は波及していった。この発展途上国への工業化の波及は南北貿易の形態も変容させていった。ここではこの発展途上国への工業化の波及の形と南北貿易の変容に関して考えていくことにする。
まず、発展途上国への工業化の伝播を考える前に、１８世紀のイギリス産業革命以降、イギリスで始まった工業化のがどのような形態でドイツ・フランスなどのヨーロッパ諸国を初めアメリカ・日本などに伝播していったのかを考えてみる。この工業化の波及に関するメカニズムを論じたのがガーシェンクロ..]]></description>

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