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		<title>タグ“朝鮮”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%9C%9D%E9%AE%AE/</link>
		<description>タグ“朝鮮”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[U079　日本語の歴史Ⅱ　 合格レポート (第二課題第一設題）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930801779145@hc18/150719/]]></link>
			<author><![CDATA[ by トムヒロウッチー]]></author>
			<category><![CDATA[トムヒロウッチーの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2023 17:00:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930801779145@hc18/150719/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930801779145@hc18/150719/" target="_blank"><img src="/docs/930801779145@hc18/150719/thmb.jpg?s=s&r=1676188826&t=n" border="0"></a><br /><br />聖徳大学のレポート課題「日本語の歴史Ⅱ」の第二課題第一設題です。合格済みレポートですが、数年前なので保障はできません。内容をご確認の上了承いただけましたらお買い求めください。[261]<br />聖徳大学　通信教育　合格レポート　課題

U079 日本語の歴史Ⅰ　第二課題第一設題
○課題
２．語種について歴史的変化の観点から詳しく説明し、特に和語と漢語の違いを音韻・文体等の点から述べなさい。

○講評
２．とてもよく書けています。（評価S）
＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿
第２課題第１設題
　初めに、語種とは「単語を本来はどの言語に属していたかという出自によって分類した時の種別」のことであり、単語を出自によって分類すると、その言語の固有語（本来語）と外国語から入ってきた非固有語（借用語・借入語）とに二分できる。日本語では前者を和語と呼び、後者を中国語から借用してきた漢語と中国語以外の言語から借用した外来語の二種に分けるのが普通である。また、和語、漢語、外来語という三種のうちに種以上の結合によってできた単語を混種語と呼ぶ。
　日本語において、語種の概念が有効性を発揮するのは語彙体系を構造として捉えるところにある。もともと海外から輸入してきた節がある為、語種の歴史的変化は語種の分類と深く関係しているといえる。
「語種による分類では、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日清戦争]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149219/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 Aug 2022 16:54:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149219/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149219/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/149219/thmb.jpg?s=s&r=1659426896&t=n" border="0"></a><br /><br />日清戦争
日清戦争にっしんせんそうは、1894年明治27年7月25日から1895年明治28年4月17..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法学原論レポート「自衛隊は憲法9条に反するか」評価Ａ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930173688903@hc18/134752/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みなぎ]]></author>
			<category><![CDATA[みなぎの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jul 2018 15:54:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930173688903@hc18/134752/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930173688903@hc18/134752/" target="_blank"><img src="/docs/930173688903@hc18/134752/thmb.jpg?s=s&r=1532760859&t=n" border="0"></a><br /><br />法学原論の授業で提出した、憲法に関するレポートです。
テーマは「自衛隊は憲法9条に反するか」です。
参考文献を参照しながら、1800字にわたって論じました。

提出後、Ａ評価を頂いたレポートになります。
学習に役立てていただければ[330]<br />自衛隊は憲法９条に反するか
１.はじめに
本論文は、「自衛隊は憲法９条に反するか」について検討することを目的とする。そのためにまず、自衛隊が発足し、今日に至るまでの経緯をたどるとともに、それにまつわる憲法９条の解釈の変遷を俯瞰する。(第２章) 次に、本論文では「自衛隊は違憲である」との立場に立ったうえで、自衛隊の現状に合わせた改憲を提案する。(第３章)
２.自衛隊と憲法９条解釈の変遷
「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍隊も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。」(文科省,1947)
これは１９４７年に文科省が社会科教科書として発行した『あたらしい憲法のはなし』の抜粋である。日本の憲法第９条が、どのような目的でつくられたかを明記している。この説明によれば、現在日本に存在している陸海空軍はすべて違憲となる。憲法改正議論の中心となるのはいつも９条だ。そもそも９条があるのになぜ自衛隊が存在しているのか。その..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[69外国史Ⅱ(東洋史)第1課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:18:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126357/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126357/thmb.jpg?s=s&r=1473999530&t=n" border="0"></a><br /><br />皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。[126]<br />皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。
紀元前221年に「戦国の七雄」の一つであった秦の国王の政が中国全土を支配して名前を始皇帝とした。当時の中国人からすれば中国こそが全宇宙であるとの認識があり、その支配者として皇帝の名を付けた。秦の政治的基礎は始皇帝の100年ほど前の商鞅による「変法」で、その中で最も重要なものは郡県制であった。郡県制は国王を中心とする中央集権体制を構築するためのもので、従来の封建制度を廃止して各地を支配していた諸侯の権力を奪い、その地に「県」を設置した。そして他国を侵略して得た領域には「郡」を設置しこの「郡」「県」を行政単位とした。「郡」「県」には中央から官僚が派遣され知事として地方行政を担った。知事は国王の命令を忠実に実行し、国内全土での徴税や徴兵を可能にした。始皇帝は「郡」を36に分けて、最終的に48郡にした。全国を支配した始皇帝は思想統制に乗り出し、儒教の書物を焼き儒学者を穴埋めにする「焚書・坑儒」を実施した。儒学の理想は周の封建体制であり、始皇帝の全国統一の思想と相容れない立場にあったためそのような措置を取った..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[21教育方法学第1課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126202/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Sep 2016 09:08:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126202/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126202/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126202/thmb.jpg?s=s&r=1473293307&t=n" border="0"></a><br /><br />教材の概念を、教育内容および教具との概念上のちがいを明確にすることによって確定しなさい。これを確定する際には、具体的な事例を必ず挙げること。[210]<br />教材の概念を、教育内容および教具との概念上のちがいを明確にすることによって確定しなさい。これを確定する際には、具体的な事例を必ず挙げること。
　教材とは教授および学習の材料のことで、研究や調査によって得た資料を用いて判断の基準とするものである。教育内容とは教授および学習することを成立させている実質的なことやその意味であり、教具は教授および学習を効果的におこなうための道具のことである。
　また、教材は昔からあるもので加工できるものではなく、加工してはいけない。教具は今つくっても良いものであり、加工もできる。教育内容は教師の考え方や捉え方で変化するものである。
　中学校の歴史の授業で鎌倉時代の元..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[1905 日本音楽の歴史と理論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122013/]]></link>
			<author><![CDATA[ by おまめさん]]></author>
			<category><![CDATA[おまめさんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 11:11:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122013/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122013/" target="_blank"><img src="/docs/955107343785@hc10/122013/thmb.jpg?s=s&r=1443579114&t=n" border="0"></a><br /><br />大阪芸術大学　A判定のレポートです。
「日本音楽の各種目から一つ以上を選び、歴史的・社会的背景を踏まえて、その種目の音楽的特徴についてレポートにまとめなさい。」

参考にしてみてください。[274]<br />古の伝統が息づく季節を彩る神事『胡蝶の舞』
　雅楽とは、①日本古来の歌舞（皇室系・神道系歌舞、または国風歌舞）　②5世紀から10世紀までに中国（主に隋・唐）や朝鮮半島・林邑（ベトナム）・天竺（インド）などから伝来した音楽をもとにした器楽と舞　③外来の楽器を伴奏に用いる平安時代の歌曲、の総称である。これらは、古来より宮廷音楽として発展し、現在でも宮内庁楽部を中心として全国各地の寺社や民間団体で伝承されている。
　私は、以前お世話になっていた、鉱山・金属業の総本宮として崇敬を集める○○国一宮　○○○○の例大祭（5月5日）を見に行った。○○○○の例大祭は、数ある祭礼・神事のなかでも、文化的・芸能史的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国におけるハンセン病について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Jan 2015 13:03:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/118111/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/118111/thmb.jpg?s=s&r=1421294605&t=n" border="0"></a><br /><br />韓国におけるハンセン病について 
１．前史（西洋の宣教事業・日本の植民地支配） 
」 
1916 年 朝鮮総督府・朝鮮小鹿島慈恵医院を開設（院長：警察局衛星課長周防正季・兼任） 
「癩予防ニ関スル件施行規則」一部改定 &larr; 院長に懲戒検束権付与 
1929 年 無癩県運動が各県で提唱 
チェ・フンジョン牧師「朝鮮癩病根絶研究会i」組織 &larr; 朝鮮初の民間救癩団体 
1930 年 国立療養所第一号「長島愛生園」 &rarr; 以後各地に国立療養所が開園 
1931 年 「癩予防法」公布 &rarr; 強制隔離の開始 
財団法人癩予防協会設立 
1932 年 朝鮮総督府「朝鮮癩病予防協会」設立 
&larr; 癩患者事業一元化のため、協会以外の寄付金を受け取れないようにする。小
鹿島病院拡大のための献金を募集、小鹿島慈恵医院を更生園と改称 
1936 年 小鹿島療養所拡大工事完成 &larr; 建設人員は患者、6000 名収容可能施設になる 
1942 年 小鹿島療養所長・周防正季暗殺 &larr; 患者・李春成による 
・宣教を目的とした救癩事業 
・国家事業としての癩対策 ＝ 浮浪癩患者収容 
癩患者撲滅運動（＝無癩県運動） 
強制隔離 
国家による一元管理（植民地朝鮮下） 
日本 
1889 年 テストウィド神父による私立療養所 
&rarr;以降各地に私立療養所 
1907 年「癩予防ニ関スル件」 
&rarr;全国を 5 区域に分けて公立療養
所が各地に建設・隔離収容開始 
「浮浪癩」取締まりの側面 
韓国 
1909 年 マッケンジーによる救癩事業の開始 
&rarr;以降救癩事業が本格化 
1873 年 ノルウェー医・ハンセンがらい菌を発見 
1897 年 第一回国際癩会議でハンセンが対策として隔離が最適と主張 
２．解放後～1950 年 6.25動乱ii 
・浮浪癩患者の急増 &larr;政治的空白状態が生じ、管理もされなかったため脱出患者が急増 
1946 年・1947 年頂点。癩患者を集めて収容すべしという風潮が高
まる。 
・「朝鮮癩予防協会」設立 &larr; 1947 年 7 月。事業財源を捻出するため各女学校を訪ね歩
き、募金活動を行う事業協力者を募る。 
数多くの女学生が街頭募金活動に参加。集まったお金は安
定した自立生活のため自分の家を持たせ、自分の力で農作
業を行い、食べていけるように使った。 
・集団部落運動 &larr; 癩予防協会支部を各..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学概論③]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112819/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 556049]]></author>
			<category><![CDATA[556049の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 May 2014 23:45:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112819/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112819/" target="_blank"><img src="/docs/945369397040@hc13/112819/thmb.jpg?s=s&r=1400597135&t=n" border="0"></a><br /><br />課題１　朝鮮半島の地誌のトピックスを調べ紹介せよ
　　　２　インドの地誌のトピックスを調べ紹介せよ
　　　３　ラテンアメリカの地誌のトピックスを調べ紹介せよ
各600字程度
転載等は禁止します。参考に留めてください。[310]<br />地誌学概論③　　（各600字以上、図や表をレポートに添付し記載すること。なお図および表は１枚につき100字に換算してよい。）
１　朝鮮半島の地誌のトピックス（ex: 韓国村落の類型と「両班」の居住など）のうち興味をもったものについて調べ、紹介せよ。（教科書第６章「朝鮮半島」を参照）。
【日本式住宅から見る韓国の住文化】
　日本が朝鮮半島を支配した時期に日本人が居住した地域には、戦後60年以上が経過した現在でも、当時日本人が建設し、居住した日本式の住宅が残っている。（※資料１）
　解放後、このような日本式住宅はどのように用いられているかを紹介したい。　
　植民地期末期には70万人を超える日本人が朝鮮半島に移住したが、その職種は様々であった。ソウル等には多くの日本人が居住し、「日本人町」のような地域も形成される場合があった。現在でも韓国都市を訪れる日本人観光客も、知らぬ間に過去の歴史が見える「痕跡」を目にする場合もある
住宅の話に戻る。朝鮮半島にも日本と同じく四季があるが、大陸性気候のため、冬は刺すような寒さが続く。統計によると、東京の１月の平均気温が５度であるのに対し、ソウルは&minus;2.5度..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学概論３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112818/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 556049]]></author>
			<category><![CDATA[556049の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 May 2014 23:45:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112818/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945369397040@hc13/112818/" target="_blank"><img src="/docs/945369397040@hc13/112818/thmb.jpg?s=s&r=1400597134&t=n" border="0"></a><br /><br />課題１　朝鮮半島の地誌のトピックスを調べ紹介せよ
　　　２　インドの地誌のトピックスを調べ紹介せよ
　　　３　ラテンアメリカの地誌のトピックスを調べ紹介せよ
各600字程度
転載等は禁止します。参考に留めてください。[310]<br />地誌学概論③　　（各600字以上、図や表をレポートに添付し記載すること。なお図および表は１枚につき100字に換算してよい。）
１　朝鮮半島の地誌のトピックス（ex: 韓国村落の類型と「両班」の居住など）のうち興味をもったものについて調べ、紹介せよ。（教科書第６章「朝鮮半島」を参照）。
【朝鮮文化について】
　現代の日本において、外出し、町を歩いていくと他国の文化や言語に出くわすことが多くある。まず多く見かけるのは、ほぼ間違いなくアメリカ文化、英語である。二番目はなにかと考えたときに多少の誤差はあるだろうが、隣国の韓国、朝鮮半島の文化を挙げることができるように思えた。もちろんこれは主観であり、他に中国の文化等も、もちろん考えられるが、今回は韓国の文化について紹介と考察をしていくことにする。
　まず、「食」文化についてだが、日本においても一般的に焼肉文化というものはあるが、韓国の肉食文化はどのようなものなのか。
韓国の肉食文化で、日本と大きく違う点は、「犬肉」（タンコギ）である。まず、私が思う犬肉のイメージは獣くさくて、肉が筋肉質で硬いというものだが、実際は違う。犬肉料理の代表的なものの「..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2009年度 歴史(日本史) 第四課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 17:43:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102540/thmb.jpg?s=s&r=1365928996&t=n" border="0"></a><br /><br />評価：B[10]<br />2009年度 歴史(日本史)第四課題
幕末の「開国」について説明しなさい。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻編成の蒸気船で浦賀に来航し、幕府に対して開国を求めた。「泰平の眠りをさます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」というペリー来航の際に詠まれた狂歌でもある通り、上は幕閣から下は庶民に至るまで、江戸は周章狼狽する。そこで、鎖国から開国までの江戸幕府の対外政策および開港後の国内情勢について考察する。
　徳川家光時代、長崎、松前、薩摩、対馬の四か所で清国、朝鮮、琉球、オランダと貿易を行っていた。以前はポルトガル、スペイン、イギリスの三カ国とも貿易をしていたが、キリスト教宣教師や信者の布教活動によって仏教との摩擦が発生したことにより、貿易を禁止し、鎖国体制が確立した。それ以来、欧米諸国で唯一オランダと貿易することとなった。
　18世紀後半に欧米諸国で産業革命、市民社会の成長などが発達され、世界規模で植民地争奪戦が行われた。イギリスはインドの植民地化に成功し、ロシアはシベリア開発、アメリカは西部開拓により、勢力は東アジアにまでおよぶようになり、ロシアイギリス船が日本の沿岸に姿を現すように..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2009年度 歴史(日本史) 第二課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 07:11:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102532/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102532/thmb.jpg?s=s&r=1365891095&t=n" border="0"></a><br /><br />評価：C[10]<br />2009年度_歴史(日本史) 第二課題
室町幕府の対外政策について説明しなさい。
　本題を考えるにあたり、室町時代の明・朝鮮半島・琉球王国・東南アジア諸国との関係・交流と倭寇の活動について述べる。
　室町幕府とは1336年に足利尊氏が創設した武家政治である。前政権の鎌倉時代に元寇があったことにより、明との貿易は縮小していた。室町時代に入ると、少しずつ関係も良好になり、足利義満が将軍職を辞した際、明の健文帝に国書を送り、冊封使を遣してきて、義満を「日本国王源道義」に任じた。このことにより明との封冊関係が成立し、これを機に、朝鮮・琉球も義満を国王と自動的に認めることになった。しかし、義持の時代に明の永楽帝の使者を追い返して、日明貿易を断絶し、国王号を取り下げる出来事もあったが、まもなく国交は再開された。
　冊封体制下では、皇帝および諸国の王のみが外交に参加する資格を持ち、かれらが派遣した正式な使節であることを証明する通行証明として、明の皇帝から「勘合」が交付された。日本の遣明船は、当初は幕府が主体であったが、やがては守護大名や大寺社の船も加わるようになった。主な輸出品としては、銅銭・生糸・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[北朝鮮の核兵器問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949230347604@hc12/94926/]]></link>
			<author><![CDATA[ by イチノセ]]></author>
			<category><![CDATA[イチノセの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jul 2012 00:41:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949230347604@hc12/94926/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949230347604@hc12/94926/" target="_blank"><img src="/docs/949230347604@hc12/94926/thmb.jpg?s=s&r=1342021296&t=n" border="0"></a><br /><br />17
北朝鮮の核兵器問題
North Korea and Nuclear Weapons
黒澤　　満*
Mitsuru KUROSAWA
Abstract
Nuclear issue of North Korea is one of the most difficult regional security issues and has,
strong impact on Japan&#039;s security. Firstly I will show the historical background and sequence
of this issue. Then I examine the policy under the Bush Administration leading to the
six-party talks. Thirdly, I analyze four possible options for resolving the nuclear issue, and
finally I touch upon the argument that Japan may go nuclear because of nuclear threat from
North Korea. I conclude that peaceful settlement of the nuclear issue is indispensable and it
also calms down the argument for Japan&#039;s nuclearization.
&fnof;L&bull;[&fnof;&bull;&bull;[&fnof;h : nuclear weapons, North Korea, Agreed Framework, six party talks, Japan&#039;s
nuclearization, NPT
＊　大阪大学大学院国際公共政策研究科教授
は　じ　め　に
国際公共政策研究 第8巻第2号
一北朝鮮の核兵器をめぐる動きは、現在の国際社会で大きな注目を集めており、また冷戦後
の新たな国際秩序の形成に関連しても重要な課題となっている。またこの間題は日本の安全
保障にも直接影響を与えるものであり、日本の積極的な対応も必要とされている。
本稿では、北朝鮮問題の中で核兵器を対象として分析を行うものである。まず北朝鮮..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[放送メディア論レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90127/]]></link>
			<author><![CDATA[ by junjun915]]></author>
			<category><![CDATA[junjun915の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 22:02:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90127/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90127/" target="_blank"><img src="/docs/952507447966@hc11/90127/thmb.jpg?s=s&r=1328014959&t=n" border="0"></a><br /><br />放送メディア論レポート
「最近の北朝鮮のニュースの傾向と問題点の分析」
14330600765　北川　淳
　私が興味を持った北朝鮮に関する最近のニュースは、2007年7月24日の毎日新聞朝刊「万景峰号、点滴薬事件」である。記事の内容は、以下である。
　処方せんなしに医薬品を売買したとして、警視庁公安部に薬事法違反（無許可販売）容疑で書類送検され、不起訴（起訴猶予）となった東京都世田谷区、在日朝鮮人で元飲食店経営、朴順粉（パクスンブン）さん（７５）が取材に応じ「組織的背景は全くない」と北朝鮮の関与を疑った捜査を批判した。
　朴さんは０６年５月、貨客船「万景峰（マンギョンボン）号」に、処方せんなしで点滴薬「強力モリアミンＳ」（２００ミリリットル）６０パックと肝臓疾患薬「強力ネオミノファーゲンＣ」４箱を持ち込もうとして新潟税関に見とがめられた。点滴薬５パックのみ持参を認められ、渡航した。
　この点滴薬を巡っては、神奈川県警が同６月、医薬品販売会社社長が８１００パックを北朝鮮系貿易会社に処方せんなしで販売したとして同容疑で書類送検（昨年８月、起訴猶予）するなど、組織的な背景が疑われた。警視庁公..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[焼肉　アジ文レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90123/]]></link>
			<author><![CDATA[ by junjun915]]></author>
			<category><![CDATA[junjun915の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 21:53:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90123/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952507447966@hc11/90123/" target="_blank"><img src="/docs/952507447966@hc11/90123/thmb.jpg?s=s&r=1328014383&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　今の日本の食文化にはさまざまな国の食文化が入り混じって定着している。すぐ隣国の朝鮮半島の食べ物も、多くのものが身近に見られる。例えばキムチであり、焼肉であり、冷麺である。食生活の形成には住むところの自然環境と社会環境が大きな要素となるが、宗教も大きく関わっている。そこで今回は焼肉をテーマとして、朝鮮半島の儒教社会と食文化、そして日本との関わりに迫ってみたいと思う。
焼肉料理とその起源
　日本には焼肉料理店が２万３千店舗ほどあると見られている。焼肉料理が日本に定着したのは、戦後のことで、昭和三十年代を境に急速に広がり、日本の食生活に大きな変化をもたらした。その料理のルーツは遠く中央アジアの遊牧民の生活にある。中央アジアの草原地帯で生活する人たちは、生きるための知恵として、人間が食用にできない草を動物に食べさせ、その動物の肉を食用にするという生活文化を作り上げる。一般に牧畜文化といえば、肉食文化と受け止められがちだが、牧畜文化の中心は乳の利用である。乳は生のままだけでなく、発酵させてヨーグルト、チーズ、酒類などに利用する。乳の出ない幼い雄や出尽くした雌は利用価値が低いので、肉料..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宙に浮いた民族、在日コリアン～青chongを観て～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952335296509@hc11/83250/]]></link>
			<author><![CDATA[ by okocha]]></author>
			<category><![CDATA[okochaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Jul 2011 13:28:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952335296509@hc11/83250/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952335296509@hc11/83250/" target="_blank"><img src="/docs/952335296509@hc11/83250/thmb.jpg?s=s&r=1311136130&t=n" border="0"></a><br /><br />映画『青chong』を観て【監督】李相日[50]<br />宙に浮いた民族、在日コリアン～『青chong』を観て～
　青chongは朝鮮学校に通った人相日が学校の卒業制作で作った、朝鮮学校での男子学生を主人公とした映画なのですが、私はこの映画を観てすぐに自分は朝鮮学校についてなにも知らなかったんだと気付かされました。私は朝鮮学校の黒板の上に金日成、金正日の写真がかかっていることすら知らなかったのです。
　私は以前まで朝鮮学校は韓国、北朝鮮関係なく、朝鮮から強制連行された朝鮮人の子孫たちのための学校であると考えていました。なので映画の最初に、その朝鮮学校に金日成や金正日の写真が映し出されたのは驚きました。
韓国と北朝鮮は現在朝鮮戦争休戦中で対立しているので、北朝鮮の思想のもとでは大韓民国系のコリアンは学べるわけがないと思ったからです。そこで私は、朝鮮学校は北朝鮮出身者の子孫のための学校であるのだと考えました。しかし映画の中には韓国人の人物も登場し、そのことは、私を戸惑わせました。私がこのことについて疑問に思いインターネットにて検索してみると、朝鮮学校は朝鮮民主主義人民共和国系の在日コリアンに対して朝鮮民主主義人民共和国の立場から民族教育をする学校..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[コリアンの事例から眺める葛藤とつながりhp]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Jun 2011 13:39:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/82169/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/82169/thmb.jpg?s=s&r=1307507950&t=n" border="0"></a><br /><br />コリアンの事例から眺める葛藤とつながり
～「在日コリアン」・「中国朝鮮族」の「国籍」「民族」「個人」～
「国籍」「民族」は「個人」にとってどのような意味をもちうるのか。多種多様であるはずの「個人」が、「国籍」「民族」という制度・概念によって一元化され、排除されてきた歴史的過程と現在。また、それによる「個人」の葛藤。「国籍」「民族」「個人」のズレから生じる葛藤がどのようなものであるのか、「在日コリアン」の人たちと「中国朝鮮族」の人たちを例に、その歴史的背景・共通点・相違点を報告する。また、一方で、「国籍」や「民族」をきっかけとしてつながっていこうとするこころみが、排他性をもつのではなく、さまざまな人々と共存をするための土壌を広げていく可能性を含んでいることも併せて報告したい。
　
１．「私」は「私」、「私」と「あなた」の関係
　・「私はだれでしょう」1
沢知恵『Who am I?』（コスモスレコーズ.2000）
　・「俺は何人だ！？俺は何人だ！？何もんだよ！？」2
『GO』（金城一紀原作.行定勲監督.窪塚洋介主演.東映.2002）のセリフからの抜粋。
しかし、「私は私」と「私とあなた」の関係からでは捉えきれない構造。
①鄭暎惠が指摘する、自分の名前を「出せない」行為それ自体が自己否定に結びついてしまうという状況3
「他者に秘密にしてきた部分の自己は、他者によって認識・記憶されないことによって、実存しないに等しいとすら言える。しかし、現実には存在している以上、そのギャップが大きなアイデンティティ危機を生むのである。通名を使い必死に隠そうとすることは、「在日朝鮮人」であること以上に、「隠す」行為自体がアイデンティティ危機を生んでいる。」（鄭暎惠.「言語化されずに身体化された記憶と、複合的アイデンティティ」.『脱アイデンティティ』上野千鶴子編、勁草書房.2005.201p）
②金泰泳が指摘する、「個人」の尊重と「民族」の間のジレンマ4
（金泰泳.『アイデンティティ・ポリティクスを超えて－在日朝鮮人のエスニシティ』.世界思想社.1999）
「個の尊重」は必要であるが、民族として受けている現実の抑圧に対しては、対応的にせよ、民族として向き合わねば、実践的解決にはつながらないのではないか5
この主張は例えば、1933年にドイツを離れ、実践的な仕事につくことが重要であったと回想..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[瀋陽・日本大使館への駆け込み事件から見る日本の難民対策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78489/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78489/thmb.jpg?s=s&r=1296574107&t=n" border="0"></a><br /><br />２００２年５月８日、中国・瀋陽の日本総領事館に亡命を求めて駆け込んだ北朝鮮出身者の一家５名が中国当局に拘束された事件には、これまで日本がとってきた亡命者・難民受け入れのあり方が限界に達していることを、国際社会に強く印象づけました。スペインや米国の総領事館が、北朝鮮出身者に庇護を与えたのと対照的に、副総領事をはじめ日本総領事館の職員たちは、侵入した中国武装官憲に　然とした態度をとることができず、亡命を希望した一家５名を守ることができなかったのです。
　なぜこのようなことになったのでしょうか。在外公館への亡命者を人道的に処遇する方針が確立されていれば、総領事館の職員たちは中国官憲に対してもっと毅然とした態度をとることができたでしょう。しかし、実際には、こうした亡命者に対する人道的処遇や保護に向けての方針はまったくありませんでした。そのかわりに存在していたのは「不審者は一切敷地内に入れない」とする警備方針でした。総領事館の職員たちの消極的な態度の背景には、亡命者・難民排除の方針があったのです。
　もちろん、北朝鮮から脱出してきた５人の市民は中国に逃げていたのですから、彼らを保護する責任は、ま..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[李氏朝鮮の美術史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YAH！！]]></author>
			<category><![CDATA[YAH！！の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 00:03:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/" target="_blank"><img src="/docs/953839146930@hc11/78404/thmb.jpg?s=s&r=1296486221&t=n" border="0"></a><br /><br />１、絵画
仏教絵画
・仏像を祀る殿閣の壁に描かれる荘厳用&rArr;壁画
・本尊の後壁に奉安する礼拝用&rArr;後仏幀画
・法会を野外で行うときに本尊の代わりに高く掲げる&rArr;掛仏画
・仏教の肖像&rArr;幀画
・高僧の肖像&rArr;影幀
・経典の内容を圧縮・描写&rArr;経変相図や写経変相図
高麗時代後期
&rArr;浄土宗が貴族・豪族の間で大きく信奉される
&rarr;感無量寿経変相図が含まれた阿弥陀系仏画が主流となる
代表作：阿弥陀如来立像、阿弥陀如来坐像、楊柳観音菩薩半跏像
特徴&rArr;朱と緑を基調、金泥の丸文、掌に千輻輪文&rarr;華厳思想に基づいた超人的な身体が特徴である
朝鮮時代（文禄の役以後）
&rArr;仏教文化の新しい復興期
&rarr;多くの寺院が復元、改修
＝多くの仏..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大衆小説論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73961/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73961/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73961/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73961/thmb.jpg?s=s&r=1289312674&t=n" border="0"></a><br /><br />大衆小説論
題目１
「怪物」や「怪獣」という言葉を聞いて、私は朝鮮民主主義人民共和国のことを思い浮かべた。講義でも触れたように、怪物の定義は「それがなんだかわからない(したがって、対処のしようがない)が、たしかにそこにいて、深刻な影響を及ぼしているもの。」である。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は1950年に起こった朝鮮戦争をきっかけとして成立し、今現在、国内においても国際関係においても様々な点で非難を浴びている。講義で怪物の定義を聞いたとき、まさに北朝鮮そのものではないかと思ったが、「『怪物があらわれた、怪物を殺せ』ではなく、『怪物があらわれた、人間が変われ』」という見方に考えさせられた。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大衆映画論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73966/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:49:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73966/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73966/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73966/thmb.jpg?s=s&r=1289314180&t=n" border="0"></a><br /><br />大衆映画論～映像とプロパガンダ～
大衆映画(映画に限らず映像)は多くの人々に見られるが、そのなかで思想、行動、意識、世論を制御、統制、誘導するものに関して、我々は注意を払わなければならない。今回は
大衆に向けた作品制作を考える上で留意しなければならない点、つまり映像に含まれるそのような宣伝行為、を見直すために、また自分自身改めてそのことを認識するために映像とプロパガンダについて論じたいと思う。大衆映画に直接的には関係ないが、私が受験をしていたときに読んだプロパガンダに関する記述を紹介したい。
内容は「ウルトラマン」について書かれていた。もっとも、話の焦点は主人公のウルトラマンではなく、怪獣の方..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済発展と民族・排除と表現hp]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72926/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Oct 2010 22:13:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72926/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72926/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/72926/thmb.jpg?s=s&r=1288185210&t=n" border="0"></a><br /><br />経済発展が民族アイデンティティにとって本当に必要であるのか。経済と他者排除の関係性、他者理解の可能性を探る。[162]<br />経済発展と「民族」・排除と表現　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 
１．民族アイデンティティのために必要とされる経済発展
「アイデンティティ形成には、精神的なものと物質的なものがある。精神的なものだけでは民族感情はうまれない。経済的に豊かになることで、はじめて安定した民族感情がうまれる。それはほかの民族も同じではないか。」（金虎雄延辺大学アジア研究センター主任教授インタビュー） 
&larr;このような発言の背景として考えられる中国朝鮮族社会における中国主流社会への「同化」への危惧 
&rarr;二重性を肯定的にとらえる 
※在日コリアンの「同化」に基づく民族性の喪失への恐れ・怒り 、在日コリアンの「同化」と自己否定 、国家が存在することとの関係 、「同化」ではなく、権利としての日本国籍取得の提言 
&rarr;経済的な発展があったとしても民族アイデンティティの問題は残った（在日コリアン、アイヌ、沖縄など）
&larr;制度的な問題と世間の目、自己否定。
☆経済発展をための投資が逆効果（＝チベット自治区での抗議活動 ）
「同化」に対する危惧心の中心はズレが受容されないこと、そして「自身が忘れること」であり「忘れさられること」では？
&rarr;「忘れない」「忘れられない」ために必要とされる精神的なもの（文字、言語、風俗）と物質的なもの（経済的発展）
「忘れない」「忘れられない」ための行動が、結果として主流社会からの排除へとつながる。
&larr;主流社会の余裕のなさ、影響力をもたれることへの恐怖。
☆そもそも経済発展が誰のための経済発展になっているのか。（＝朝鮮族官僚の腐敗 ）
２．経済発展のために必要とされる民族アイデンティティ：韓国における同胞政策の場合
知識情報化社会、グローバル時代にあって経済発展に寄与する「人的資源」としての「同胞」 
民族アイデンティティを唱えることの限界性 （＝なにをもって民族とするのかの限界&larr;「国籍」による法的線引き 、本人の意識と他人から見られることとのズレ 、就労問題 、イデオロギー対立 、利害対立 ）
&rarr;結局は利害関係に結びつく形（＝経済発展という終わり無き目標）でまとめる方針として打ち出される民族アイデンティティなのだろう。
３．経済発展すればそれでよいのか：所得再分配と助け合い
拡大する経済格差（民族的な排除へとつながるケースもある）
所得再分配の論理が機能しているのか（中国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国における格差社会と経済発展]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72925/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Oct 2010 22:13:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72925/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/72925/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/72925/thmb.jpg?s=s&r=1288185208&t=n" border="0"></a><br /><br />2010年現在の韓国の経済発展とその影。また、経済発展の重要性はどのようなところから来ているのか。[139]<br />韓国の経済発展
１．韓国における格差社会
　韓国銀行の8月27日の集計によれば、2010年7月の韓国輸出が431億7000万ドルとなり月間輸出額として過去最高を記録、経常黒字は過去二番目に高い58億8000万ドルとなり六ヶ月連続の黒字を記録したという。経済成長率も2009年第２四半期の－2.2％の状態から上昇し続け、2010年の第2四半期現在には７％を越えた。こうした現状を受け、貿易統計上は韓国は金融危機の影響から脱したとの見解も出ている 。
このような経済成長の中で目立つ企業は三星（サムスン）電子をはじめとする海外輸出を展開する大企業である。サムスンの全世界テレビ市場での金額ベースにおけるシェアは2006年第１四半期以降2010年第２四半期現在まで18四半期連続で一位を記録し、全世界のテレビ市場シェアの24％を占めている。また、数量ベースでも2006年第３四半期以降2010年第２四半期まで16四半期連続で一位を記録し、全世界シェアの18.9％を占め、サムスン電子の営業利益は20兆ウォン（2010年7月現在で約1兆7000億円）にものぼるという 。「一つの会社の利益としては、韓国人がこれまで目にしたこともないような金額」 とまで形容されるほどにサムスン電子は営業利益を次々と更新しているのである。
　しかし、その一方で中小企業は資金を確保できず、67％がいまだ景気回復を実感していないという 。
　このような状況は2010年8月上旬に『朝鮮日報』が韓国の「格差社会」について特集を組んだことからも韓国社会にとって深刻であることがわかる。
　統計庁の2008年の発表によれば、失業者は2008年には75万人で3%ほどであるが、一方では統計庁の調査における失業者概念には入らずとも実際に肌で感じる「体感失業者」は317万人に上るともいわれており、そのパーセンテージはおよそ12%ほどになるといわれている 。
　また、完全なホームレスが保健福祉部の統計で約1万4000人（2008年）おり、チョクパンと呼ばれる３㎡ほどの狭い部屋で生活をしている人、ビニールハウス、バラック、考試院（公務員試験用の勉強部屋で2畳ほどの部屋）など、住居として不安な場所で生活する人が少なくとも推定15万9000人 、また、「法律で定める最低住居基準に満たない空間で生活している世帯が206万2000世帯」 ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国の在外同胞政策と在韓外国人政策とアイデンティティ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/71480/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 16 Sep 2010 14:04:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/71480/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/71480/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/71480/thmb.jpg?s=s&r=1284613482&t=n" border="0"></a><br /><br />キーワード　韓民族、経済発展、「同化」、表現
1.韓国の現状と政策&hellip;韓国企業の躍進と格差社会1
「サムスン電子好業績の陰で苦しむ国民」（『朝鮮日報』2010.7.10）、経済発展必要不可欠の論調2
「やっぱり成長が必要だ」(『東亜日報』２０１０.８．７)、北朝鮮との関係悪化3
　2010年3月の韓国の哨戒艦沈没事件を大きな契機として北朝鮮との緊張が高まっている。
◎韓国政府がおこなっている「在韓外国人」政策と「在外同胞4
「在外同胞」とは一体誰のことを示すのか。調べている限りでは漠然としている。「在外同胞」には「在外国民」と「外国籍同胞」の二つに分かれると法（注：「在外同胞財団法」「在外同胞の出入国及び法的地位に関する法律（以下、在外同胞法」）の上では区分されている。
外国人政策の背景5
　「イタリア・韓国における外国人政策に関する調査報告書」（日本外務省領事局外国人課 、2007年11月）
朝鮮日報2010年7月16日号「韓国人女性がこのようにしんだらどうするか」によれば、2009年に結婚した夫婦30万9759組のうち、約１０％に当たる3万3300組が国際結婚であり、農村ではこの割合は3組に１組である。また、申龍徹（「多文化共生社会に向けた外国人住民政策の日韓動向：「在韓外国人基本法」の制定を素材に」『自治総研通巻3４６号』2007年8月号）によれば、2006年4月に行政自治部が行った「地方自治体別外国人住民現況調査」で、国際結婚移住者の42.1%を中国朝鮮族が占めているとのことである。一方、2010年7月におきたベトナム人妻殺害事件のように、国際結婚は国際問題化している部分もある。
「韓国の在外同胞移住労働者」鄭雅英、『立命館国際地域研究第26号』2008年2月、「３Ｋ職場を敬遠する朝鮮族の人たち」（『朝鮮日報』2010年4月4日）、「中国朝鮮族の建設現場就労を制限へ」（『朝鮮日報』2009.5.4.）
キムドクリョン大統領特報：「在外同胞積極参与して偉大な韓民族時代を開こう」（『在外同胞新聞』2009.1.23）
（１）「在韓外国人」政策（古くからは華僑、90年代ごろからは朝鮮族など）
①在外同胞法9
正式名称は「在外同胞の出入国及び法的地位に関する法律」であり、1999年9月に制定。この法律では、韓国の検事鄭然洙に言わせるところでは「在外同胞法は法律上の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[９経済復興]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 京大卒主婦]]></author>
			<category><![CDATA[京大卒主婦の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Jul 2010 11:18:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/" target="_blank"><img src="/docs/955815992104@hc10/69229/thmb.jpg?s=s&r=1279073911&t=n" border="0"></a><br /><br />・経済復興  
アメリカによる経済9原則の具体化。ドッジを派遣。  
９つの内容は  
予算均衡、税徴収強化、融資制限、資金安定、物価統制、外国為替管理強化、  
配給制度改善、鉱工業増強、食糧提出能率化。  
ドッジやシャウプにより推進される。  

・ドッジライン  
インフレを克服し、単一為替レートの設定でＩＭＦ体制に組み込み、日本の国際収支均衡をめざす。  
デフレ政策のため反発にあう。朝鮮戦争特需で機能しだす。

・傾斜生産方式  １９４６
敗戦後の危機を乗り切るための政策。吉田内閣。  

・エネルギー産業（石炭）
・鉄鋼業　　　　　　　　　　の二つに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小説ノート3]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67844/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:45:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67844/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67844/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67844/thmb.jpg?s=s&r=1274514331&t=n" border="0"></a><br /><br />★しずく 2009年09月10日 西 加奈子 ★影 でも私は、皆から見られている「私」に、あまりにも敏感だった。太陽が乾かした髪のように、さらさらとして、そして強い女だという「自分」を変えてしまうことよりも、守ることの方が簡単だったのだ。 彼が日常、私と同じような窮屈さを感じているのかもしれないということが、私の心の奥底の何かを和らげた。私は久しぶりの居心地の良さを感じ、ああこれが、私が求めていたものなのだと思った。彼には、私のそんな気持ちを伝えることはなかった。私の気持ちは誰あろう貫井さんが一番分かってくれていると思っていたし、自然その信頼の気持ちは、私の態度に表れているだろうと思っていたのだ。 でも、違っていた。それを知らされ、私は愕然とした。貫井さんは私を分かってくれているなど、幻想にすぎなかった。涙が止まらなかった。貫井さんはしばらくオロオロとしていたが、「すまない」という言葉を残して、玄関を開けた。 いや、本当は知っていた。自分が何に怯えているのか、私は知っていた。でも、貫井さんに会ったこと、私を知ってくれている人がいるということが、私を勇気づけた。 ほんの一瞬でも、良かった..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮人の政治参加と経済政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66800/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 18:38:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66800/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66800/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/66800/thmb.jpg?s=s&r=1273484336&t=n" border="0"></a><br /><br />大日本帝国占領下の、朝鮮人の政治参加と朝鮮総督府の経済政策の推移
第一章　朝鮮人の政治参加
1、占領当初
　1910年、大日本帝国が大韓民国を併合、植民地化した。その植民地統治の最高権限は朝鮮総督府であり、そこでは朝鮮人にはほとんど権力が分与されず、強権的な支配が行われていた。朝鮮の旧皇帝・皇族は王族・皇族と扱われ、総督府の機関である朝鮮総督府中枢院に「議員」として選ばれることもあったが、それは単なる諮問機関にすぎず、政治への主体的参加には程遠かった。
総督府は、地方へくまなく権力を浸透させるために地方行政機構の整備も行った。行政区画は、基本的に従来の十三道制の枠組みを継承したものであったが、その権限や長の名前は改変され、主要なポストは日本人が独占した。道の下の行政区分としては、府や郡、面の統廃合が繰り返され、1914年には、府制が施行されることにより、新たに地方公共団体としての12の府が設立された。府は京城府をはじめ日本人が多く住む重要な都市が指定され、次いで都市化の進んだ地域でも施行されることになった。そこの長である府尹には日本人がつき、職員も大半が日本人で占めていた。府尹の諮問機..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[皇民化政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 18:38:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66798/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/66798/thmb.jpg?s=s&r=1273484334&t=n" border="0"></a><br /><br />大日本帝国の植民地下の朝鮮人に対して行われた、皇民化政策について、創氏改名、学校教育、共同体の視点から論じています。


朝鮮総督府の皇民化政策の推移
序
　皇民化政策とは、朝鮮や台湾などの日本軍占領地において、住民を大日本帝国の忠良な臣民[350]<br />朝鮮総督府の皇民化政策の推移
序
　皇民化政策とは、朝鮮や台湾などの日本軍占領地において、住民を大日本帝国の忠良な臣民として戦時動員体制に組み込むために実施された一連の政策である。日本の朝鮮支配の基本方針は同化政策とよばれ、朝鮮人の民族性を抹消し、「亜日本人」化することであった。戦争が長期化するにともない、政策は徹底されていくことになった。日中戦争後には、朝鮮人を完全に「皇国臣民」にする「内鮮一体」が声高に叫ばれるようになったのである。以下、朝鮮におけるに日中戦争開始後の同政策について概観していく。
1、日中戦争の勃発と「内鮮一体」政策の深化
　1937年の日中戦争勃発とともに、神道による皇民化をはかるため神社参拝が強要され、一面一神社計画が推進された。その後10月、総督府は「皇国臣民の誓詞」を制定し、学校・官庁・職場・地域などでの斉唱を義務付け、これを「国民儀礼」とした。その内容は、「臣民」であることや「忠誠」を誓うことが中心であり、その自覚を促すことを目的としていた。
　1938年2月、戦争の長期化・泥沼化に直面した日本は、「陸軍特別志願兵令」を公布し、兵力の拡充と「志願」による皇..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[冠位十二階から律令官制への変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958737723639@hc09/66291/]]></link>
			<author><![CDATA[ by burlfish]]></author>
			<category><![CDATA[burlfishの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 28 Apr 2010 19:49:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958737723639@hc09/66291/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958737723639@hc09/66291/" target="_blank"><img src="/docs/958737723639@hc09/66291/thmb.jpg?s=s&r=1272451792&t=n" border="0"></a><br /><br />「冠位十二階から律令官制への変遷」
はじめに　　
推古朝以前、大和王権が成立した５～６世紀の時代は、天皇（大君・大王）のもとに、最高位の執政官として大臣、大連が任ぜられ、大夫という官僚群を率いて行政を行っていた。大臣は臣という姓をもつ一族の代表という意味で、大連は連系族の代表者だったのである。
大臣に任ぜられた一族は葛城臣、蘇我臣、平群臣などで、これらの一族は共に武内宿禰を祖先と称する同族意識を持ち、大和盆地に本拠地をもつ豪族だった。これに対して大連は、大伴連、物部連から選ばれたのだが、大臣が葛城、蘇我、平群のごとく大和盆地の地名を冠して呼ばれていたのに対して伴・部などという伴造・部民そのものの名を氏としている。いずれも職業集団を率いて古くから天皇家に奉仕してきた豪族だった。
６世紀の終わりから７世紀代に入ると、中国では南北朝を統一した随が成立し、強大な統一中央集権国家が出現し、周辺国の一つであった日本も天皇を中心とした統一国家を志向するようになってきたのである。そしてこの動向を積極的に推進したのが、かの聖徳太子であった。聖徳太子は、このような時代背景の中、今までの世襲的、民族的な官僚..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学講義Ⅳ（近世）①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62683/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 12:09:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62683/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62683/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/62683/thmb.jpg?s=s&r=1264475349&t=n" border="0"></a><br /><br />俳句は五七五の十七音を基調とする独立した世界を持つが、連句は五七五に始まった発句を受けて、脇句が七・第三句が五七五・以下七七・五七五と連続していく。これは他に類を見ない日本独特の文芸である。連句は連歌の母体であり連歌と性格は似ているが、連句は発想・表現において自由である点が大きく異なる。
　『野ざらし紀行』の旅を終えた芭蕉による『冬の日』は、詩的精神を吹き込んだ評判の高い俳諧である。ただ言葉をもてあそぶのではなく、自己の心情を吐露した芭蕉独自の文芸作品である。
　一　狂句こがらしの身は竹斉に似たる哉
　「こがらし」の箇所から、季節が冬であることを示す。「狂句」の意義について議論は多いが、「正式の連歌に対する俳諧の意」と捉えるのが通説である。狂句と木枯の関係においては、「狂句」の二字を先頭におき、次に「こがらし」を続けることによって、この句の&ldquo;俳諧性&rdquo;を特に強調したかったという見方がある。「狂句」を句中の語としながら、実際は句外の語として扱う解釈が多い中で、「狂句」と「こがらし」を二つ合わせ持つことで、狂句を詠みながらこがらしに吹かれて旅する芭蕉の姿を映し出している。それは決して辛い思..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62489/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanilla-moka]]></author>
			<category><![CDATA[vanilla-mokaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 22:40:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62489/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62489/" target="_blank"><img src="/docs/961749897736@hc08/62489/thmb.jpg?s=s&r=1264340421&t=n" border="0"></a><br /><br />脱北者の位置づけ
「難民」といってすぐに思い浮かぶのは中東地域の難民だ。アメリカのテロ報復として行われたアフガン侵攻による難民は記憶に新しい。戦争・紛争地域の難民は世界的に大きく取り上げられ、難民のイメージそのものとなった。一方日本の隣国である北朝鮮の難民は「脱北者」としてのイメージが強い。日本のメディアはなぜかこの「脱北者」という言葉を多用し、「北朝鮮の難民」とは絶対に言わない。彼らは難民ではないのだろうか。そもそも難民の定義も多様であり、ＵＮＨＣＲとヨーロッパでも違う。やはり国や地域によって難民に対する様々な考えや思惑があるのだろう。この定義を統一することは、現段階では無理だと思う。
「脱北者」という表現は、まるで難民ではないかのような表現であるが、彼らは事実上難民であると思う。隣国の中国が彼らを難民と認めていないという問題はあれども、UNHCRの示す「庇護希望者」やヨーロッパの示す「事実上の難民」という項目にどう考えても当てはまる。我々日本人は「脱北者」という呼び方に慣れきっているために、彼らを難民と認識していない傾向にある。そのため「難民は遠くの国で起こっている問題」と認識して..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国における他民族教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/]]></link>
			<author><![CDATA[ by doitu]]></author>
			<category><![CDATA[doituの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jan 2010 13:22:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957019707241@hc10/62317/" target="_blank"><img src="/docs/957019707241@hc10/62317/thmb.jpg?s=s&r=1264134141&t=n" border="0"></a><br /><br />某旧帝大の教育学課題レポート。
表紙を合わせて８ページ。約。７７００文字。

タイトル：
中国における統合政策と少数民族教育の対立
-朝鮮族にみる、少数民族の自発的な漢民族文化への同化-

概要：
中国は世界第４位の広大な国[324]<br />中国における統合政策と少数民族教育の対立
-朝鮮族にみる、少数民族の自発的な漢民族文化への同化-
　
Ⅰ はじめに
中国は世界第４位の広大な国土に、漢族と５５の少数民族を抱える多民族国家である。しかし少数民族とはいうものの、その人口は１億人以上に及び、量的には必ずしも「少数」ではない。それゆえに、少数民族教育だけでなく、それら少数民族の分離独立を避けるためにも、中華人民共和国という国家へと帰属させる統合政策も重要とされてきた。本稿では、この巨大国家中国の統合政策は中国少数民族教育、ひいては彼らのエスニシティに影響を及ぼしているかという問題を扱う。そして結論として、統合政策が少数民族教育を飲み込み、自発的な漢民族文化への同化が将来的に進行するであろうことを導きたい。
上記の結論を導くために、まず第二節では少数民族教育がどのような目的を持ち、現在ではどのように実施されているかという概要を述べる。次に第三節において、中国少数民族の中でも特に強い民族意識を維持しているとされる朝鮮族に着目し、朝鮮族の少数民族教育の現状を通して、民族言語の軽視という朝鮮族のエスニシティを脅かす事態が起きている事を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[延辺朝鮮族自治州]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Dec 2009 00:49:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/60854/thmb.jpg?s=s&r=1260978559&t=n" border="0"></a><br /><br />延辺朝鮮族自治州における歴史を移民の始まりから満州事変まで。[90]<br />延辺地方の歴史（１７世紀から満州国事変まで）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
◎延辺（間島）地方における近代
（１）清国・朝鮮・ロシア間（１７世紀～）
①清・朝鮮における封禁政策（資料１）
②清・朝鮮間における１７１２年の定界碑（資料２）
&rarr;清・朝鮮間における間島の所在は未解決。
③清・ロシア間における琿春議定書：（１８８６）
&rarr;豆満江河口から国境の距離を15キロと決め、中国は豆満江河口までの航行権を獲得。15キロ地点に土（定界碑を立てる。
（２）清国・日本・朝鮮・ロシア間（１９世紀末、２０世紀初頭）
①日清戦争：１８９４年（資料３）&rarr;朝鮮の独立&rarr;大韓帝国と清（資料４）
②義和団事件：１９００年（資料５）
③日露戦争：１９０４年（資料６）
④間島協約：１９０９年（資料７）
⑤韓国併合：１９１０年
&rarr;延辺地域の朝鮮人処遇をめぐる清国ならびに中華民国と日本（資料８）
（３）奉天軍閥・日本
三矢協定：１９２５年（資料９）
張作霖爆殺：１９２８年
万宝山事件：１９３１年（資料１０）
満州事変：１９３１年
資料１ 
封禁政策とは&hellip;
◎満州族の聖地 ・朝鮮族の聖地 という性格
◎清朝の封禁政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[水野直樹「創氏改名」の要約と考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/60846/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 19:00:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/60846/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/60846/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/60846/thmb.jpg?s=s&r=1260957627&t=n" border="0"></a><br /><br />水野直樹『創氏改名』の要約と考察
序
　本書は、日本の朝鮮支配期の1910年から1945年にかけて、占領政策の象徴として行われた創氏改名の政策について、その特徴や日本政府内の複雑な意図、朝鮮人への影響過程やその帰結の考察を行っている。
　創氏改名に関しては、現在に至っても未だ十分な研究に乏しく、また「麻生発言」に代表されるように、創氏改名は日本の強制ではなく朝鮮の人々が自発的に行ったという言説も散見されるのが現状である。このような中で、本書は創氏改名の実態の解明を一次史料に準拠し多角的に試みる労作であるといえよう。
　以下では、本の章進行とは前後する部分もあるが、その要約と、それに基づく現在の日韓関係も視野に入れた考察を行っていきたい。
1、創氏改名政策の意図とその実相
　「創氏改名」政策とは、日本政府が朝鮮支配の一環として強権的に行った、日本皇国への「同化政策」として広く認知されている。しかし実際は、日本側の意図は朝鮮総督府、警察機構、政府などで多様に異なり、また同時に朝鮮人側にも様々な立場が混在していたという点に着目する必要がある。以下ではまず、創氏改名の二つの側面を捉えることから..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[雅楽について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59417/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59417/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59417/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59417/thmb.jpg?s=s&r=1258940489&t=n" border="0"></a><br /><br />１．動機
昨年の夏合宿で見学を行った伊勢神宮において、雅楽を偶然聞く機会に触れ、雅楽の歴史および雅楽についての知識を深めたく思いこの題材を選んだ。

２．楽器について
雅楽は、西洋のオーケストラほどではないが、多くの楽器で構成されて[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦国大名の登場と織豊政権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 13:49:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/59319/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/59319/thmb.jpg?s=s&r=1258865364&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[石橋湛山評論集]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:44:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/59248/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/59248/thmb.jpg?s=s&r=1258692256&t=n" border="0"></a><br /><br />『石橋湛山評論集』（岩波文庫）をまとめたものです。[75]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後直後の在日朝鮮人に対する法整備の足跡]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 12:15:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/57936/thmb.jpg?s=s&r=1257736518&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後直後の在日朝鮮人ないし台湾人にたいする法整備の足跡を、帝国議会議事録などを参照にまとめたものです。はじめの部分では、そもそも「在日朝鮮韓国人」「在日コリアン」とは何かという用語そのものについてもまとめています。[321]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsupoohn]]></author>
			<category><![CDATA[katsupoohnの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Oct 2009 21:48:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/" target="_blank"><img src="/docs/958426482057@hc09/56264/thmb.jpg?s=s&r=1255524489&t=n" border="0"></a><br /><br />■日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響

日露戦争は、1904年2月6日に始まり、1905年9月5日に終息した、極東における南下政策を進めるロシアと、朝鮮半島における影響力確保を図る日本が戦った戦争である。

　不凍港を求めていた[328]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[レジュメ：韓国『国史』教科書、第8章「主権守護運動の展開」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959854256658@hc09/55394/]]></link>
			<author><![CDATA[ by azumi]]></author>
			<category><![CDATA[azumiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Sep 2009 20:59:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959854256658@hc09/55394/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959854256658@hc09/55394/" target="_blank"><img src="/docs/959854256658@hc09/55394/thmb.jpg?s=s&r=1253015962&t=n" border="0"></a><br /><br />三橋広夫訳, 2005,『韓国の中学校歴史教科書：中学校国定国史』より
Ⅷ「主権守護運動の展開」pp. 220-253
＊　ここでは、『【日韓共通教材】日韓交流の歴史―先史から現代まで』（日本と韓国の研究者・教師が作った高校用歴史教材）[316]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53366/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53366/thmb.jpg?s=s&r=1249141367&t=n" border="0"></a><br /><br />『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察
序
　本書は、朝鮮王朝史を概観しつつ、中国発祥の中華思想が、中韓関係にどのような影響を与えてきたのかを、朝鮮側の社会的・政治的・文化的側面から照らし出している。
　中華思想における「夷」であった朝[348]<br />『朝鮮からみた華夷思想』の要約と考察
序
　本書は、朝鮮王朝史を概観しつつ、中国発祥の中華思想が、中韓関係にどのような影響を与えてきたのかを、朝鮮側の社会的・政治的・文化的側面から照らし出している。
　中華思想における「夷」であった朝鮮の中国文化への憧憬、またそれと同時に「小中華」としての民族的矜持に揺れる朝鮮のアイデンティティー形成の歴史を検討することは、現在の日韓関係・日中関係にとどまらず、冷戦以降の多様化が進む国際社会を捉え直す際にも非常に有用な視点であるように思われる。
　以下では、中華思想、すなわち華夷思想についてその概要を述べ、朝鮮王朝の歴史を辿る形で、それがどのような意味を持っていたのか、またそれに伴う中韓関係と朝鮮の意識変容についてみていく。その上で、現在の朝鮮ナショナリズムや日韓関係のあり方について考察していきたいと思う。
1、華夷思想と朝鮮
　近代以前の東アジア世界を律していた国際秩序は、中国を中心とした天下的世界認識であった。「天下」とは万民が生活する空間全体を指し、このすべてを治める「天」は地上で最も徳の高い人物に「天命」を下して「天下」の王者、すなわち天子とし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[グローバリズムから見る核問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960470619872@hc08/52028/]]></link>
			<author><![CDATA[ by FLEA]]></author>
			<category><![CDATA[FLEAの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Jul 2009 19:31:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960470619872@hc08/52028/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960470619872@hc08/52028/" target="_blank"><img src="/docs/960470619872@hc08/52028/thmb.jpg?s=s&r=1246789889&t=n" border="0"></a><br /><br />グローバリズムから見る核問題
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
現在、北朝鮮、イラン、インドやその周辺諸国の核が問題となっており、度々新聞やニュースなどで取り上げられている。これらの国々が核兵器を保有しているとい[356]<br />グローバリズムから見る核問題
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
現在、北朝鮮、イラン、インドやその周辺諸国の核が問題となっており、度々新聞やニュースなどで取り上げられている。これらの国々が核兵器を保有しているという確固たる証拠はないが実験の経緯などをみても保有しているのは濃厚だろう。しかしアメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリスは核兵器を保有しているにもかかわらず問題視されず、北朝鮮やイランといった国々の核が問題視されるのはなぜであろうか。こういった核に関わる問題について私はグローバリズムの立場をとって論じたいと思う。
まず、第一にどうして核兵器の保有が認められている国とそうではない国があるのであろうか。それは国連で採択された核拡散防止条約のためである。これは1963年、国連で採択され、関連諸国による交渉、議論を経て1968年に最初の62カ国による調印が行われた条約である。発効は1970年3月で現在の締結国は189カ国である。条約では、1967年1月1日の時点で既に核兵器保有国であると定められたアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国とそれ以外の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[萩への朝鮮人の流入]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/48499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 May 2009 01:46:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/48499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/48499/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/48499/thmb.jpg?s=s&r=1242319570&t=n" border="0"></a><br /><br />萩への朝鮮人の流入
＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝
１．萩への朝鮮人の流入
◎文禄慶長の役（1592~1593、1597～1598）と萩焼の起こり
・豊臣秀吉の二度にわたる朝鮮出兵によって、[318]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962565630823@hc08/47756/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yutyan0304]]></author>
			<category><![CDATA[yutyan0304の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 07 May 2009 19:54:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962565630823@hc08/47756/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962565630823@hc08/47756/" target="_blank"><img src="/docs/962565630823@hc08/47756/thmb.jpg?s=s&r=1241693679&t=n" border="0"></a><br /><br />アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例を踏まえながら述べなさい。
　清朝政府は17世紀後半にロシア帝国とネルチンスク条約という対等な条約を結ぶなど、その勢力は大きいものであった。[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[靖国問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35703/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35703/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35703/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35703/thmb.jpg?s=s&r=1233297702&t=n" border="0"></a><br /><br />靖国神社問題
　現在、世界中で靖国問題について、強く日本を問い詰めた。何故当時の日本政府の侵略戦争をしたのか。当時の旧植民地からの思惑にも及ぼした。また、現在の首相靖国参拝問題にも波及した為、この靖国問題について、考察している。
　靖国神社[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代における排除と蔑視－韓国・朝鮮との関係性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/22419/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 13 Jul 2008 16:44:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/22419/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/22419/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/22419/thmb.jpg?s=s&r=1215935090&t=n" border="0"></a><br /><br />近代における排除と蔑視―韓国・朝鮮との関係性―
はじめに
「男」「女」「子ども」「大人」「学生」「日本人」などのように自分自身をかたちづくる要素は多様に存在する。このような要素はある一面では「私たち」という連帯感を生じさせ、コミュニケー[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428645901@hc07/18209/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tanaka1985]]></author>
			<category><![CDATA[tanaka1985の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Jan 2008 14:19:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428645901@hc07/18209/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428645901@hc07/18209/" target="_blank"><img src="/docs/983428645901@hc07/18209/thmb.jpg?s=s&r=1200806393&t=n" border="0"></a><br /><br />平成十七年に内閣総理大臣に任命され、平成十八年までの四年と九ヶ月の間に小泉内閣総理大臣が取り組もうとしたことは何か。それは「改革なくして成長なし」の言葉のとおりであると言えよう。小泉総理は九十年代以降の長期にわたる日本経済の低迷から、失われ[360]<br />平成十七年に内閣総理大臣に任命され、平成十八年までの四年と九ヶ月の間に小泉内閣総理大臣が取り組もうとしたことは何か。それは「改革なくして成長なし」の言葉のとおりであると言えよう。小泉総理は九十年代以降の長期にわたる日本経済の低迷から、失われた政治に対する信頼や、充満する社会の閉塞感を、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、「新世紀維新」とも言うべき改革を断行することで経済を立て直し、自信と誇りに満ちた日本社会を築くことを最重要課題として置いている。
　具体的に挙げると、「小泉構造改革五つの目標」として次の目標を掲げている。第一は「努力が報われ、再挑戦できる社会」、第二は「民間と地方の知恵が、活力と豊かさを生み出す社会」、第三は「人をいたわり、安全で安心に暮らせる社会」、第四は「美しい環境に囲まれ、快適に過ごせる社会」、第五は「子どもたちの夢と希望を育む社会」です。
また国の事業について、その合理性、必要性を徹底的に検証し、「民間にできることは民間に委ね、地方にできることは地方に委ねる」との原則に基づき、行政の構造改革を実現させることを目指している。公共投..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地雷問題と日本外交プレレジュメ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19041/]]></link>
			<author><![CDATA[ by caduceus]]></author>
			<category><![CDATA[caduceusの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Feb 2008 20:53:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19041/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19041/" target="_blank"><img src="/docs/983428999201@hc07/19041/thmb.jpg?s=s&r=1201866836&t=n" border="0"></a><br /><br />７．地雷問題と日本外交
Ⅰ．地雷問題の現状
人道上の問題
&hellip;非戦闘員である一般市民への無差別な被害
紛争終結後の復興と開発への問題
　 &hellip;半永続的（50年～100年）な威力　
製造が容易な上に、安価であるのに比べ、除去費用が高い
　（一個の[334]<br />７．地雷問題と日本外交
Ⅰ．地雷問題の現状
人道上の問題
&hellip;非戦闘員である一般市民への無差別な被害
紛争終結後の復興と開発への問題
　 &hellip;半永続的（50年～100年）な威力　
製造が容易な上に、安価であるのに比べ、除去費用が高い
　（一個の製造費用：3～10ドル&hArr;一除去費用100～1000ドル）
Ⅱ．国際社会の取り組み
契機
1990年初頭からの対人地雷に関する国際社会の関心の高まり
冷戦の終結
紛争の増加と地雷の使用の増加
NGOの成熟
特定通常兵器禁止制限条約（CCW）改定議定書Ⅱによる規制
CCWの地雷等に関する議定書（1980年採択）
問題点：①対人地雷の主に使用される内乱へは適用できず
②探知不可能な地雷等を禁止していない
&darr;
1996年5月、改正
CCW改定議定書Ⅱ： ①内乱への適用可能
②探知不可能なもの及び自己破壊装置のないもの等の原則禁止
加えて、移譲の禁止が盛り込まれる　
（2003年10月の時点で日本含め70カ国が締結）
　　＊しかし、この議定書でも依然、地雷の「生産」、「貯蔵」を禁止できず
　　　「使用」、「移譲」も一部の悪質なもののみの禁止
Ⅲ．対人地雷禁止条..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aunt-mary]]></author>
			<category><![CDATA[aunt-maryの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 00:01:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/" target="_blank"><img src="/docs/983431588401@hc05/17674/thmb.jpg?s=s&r=1200063710&t=n" border="0"></a><br /><br />国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域
１．はじめに
先月末、日本による竹島（韓国名は独島、以下では簡略化のため竹島と称す）周辺海域での海洋調査をめぐって日韓間で緊張が高まった。日本の海洋調査を、韓国側が「主権に対する挑発的行為」である[352]<br />国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域
１．はじめに
先月末、日本による竹島（韓国名は独島、以下では簡略化のため竹島と称す）周辺海域での海洋調査をめぐって日韓間で緊張が高まった。日本の海洋調査を、韓国側が「主権に対する挑発的行為」であるとして強く反発し、もし調査を実施した場合には、日本政府の工船である測量船の拿捕も辞さないという態度を見せたのだ。両国とも何を基に自国の正当性を主張していたのだろうか。武力衝突という事態は回避することができたものの、まさに一触即発の雰囲気であったことは否めない。このような出来事を今後なくすためには、客観的な国際法という基準を把握し、冷静に対処することが重要であろう。本稿では、国際法の観点から竹島周辺海域の法的地域を歴史順に追っていきたい。なお、本稿はあくまで海域の問題を取り扱うのであって、竹島の領有権問題には触れない。
戦後から日韓新漁業協定までの竹島周辺海域
　戦後、日本は連合国により主権に一定の制限を受けるようになった。まず、1946年1月29日の「SCAPIN677号」（正式名称は「若干の外郭地域を政治上・行政上、日本から分離することに関する覚え書き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ゴルバチョフ、エリツィン、プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tennistennis]]></author>
			<category><![CDATA[tennistennisの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 29 Dec 2007 10:11:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/" target="_blank"><img src="/docs/983431251601@hc06/16823/thmb.jpg?s=s&r=1198890698&t=n" border="0"></a><br /><br />「ゴルバチョフ・エリツィン・プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　
はじめに
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンにいたるまでのモスクワの対中、対北朝鮮、対日政策をそれぞれの政権について分析[354]<br />「ゴルバチョフ・エリツィン・プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　
はじめに
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンにいたるまでのモスクワの対中、対北朝鮮、対日政策をそれぞれの政権について分析比較し、ソ連・ロシアの北東アジア政策がいかなる軌跡を描き、またいかなる成果を収めたか述べる。そして現政権であるプーチン政権の今後の政策や世界の大国の１つとして重要役割を果たすロシアの歩む方向に注目し考察する。
　では、三政権の対中、対朝鮮半島、対日の政策を比較検討していこう。
　
対中政策
　中国に対し、総合的に考えると三政権とも中ソ関係を大事にしているように思う。しかし、小泉とブッシュのような蜜月な関係ではなく、お互いの利益をさぐりあった外交ともいえる。
　まずゴルバチョフは、当初より中ソ関係改善に大いに意欲を持っていた。中ソの関係改善は中国にとって北の脅威を除去する上でも望ましく、ソ連にとっても利益は大きかった。
日本より中国に重点をおいていたと言える。
　はじめはソ連共産党中央委員会国際部の中に中国への接近を極力阻止しようという動きもあったこと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮と日本の文化の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/16052/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Dec 2007 21:34:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/16052/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/16052/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/16052/thmb.jpg?s=s&r=1197722060&t=n" border="0"></a><br /><br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較照する。それは日本の文化は、大和政のときに朝鮮半島から渡ってきた渡人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからであ[360]<br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし実際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポートしていく。
①天文台と占星台
まず、「慶州の瞻星台（チョムソンデ）」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、６４７年に建立される（建立時代には諸説ある）高さは９．１メートルの石造建築物であり、新羅時代の天体観測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行説が朝鮮に伝わっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大国家行事であった。天体そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。また６..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「現代日本経済論」レジュメ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15929/]]></link>
			<author><![CDATA[ by スヌーピー]]></author>
			<category><![CDATA[スヌーピーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 10:39:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15929/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963688123233@hc07/15929/" target="_blank"><img src="/docs/963688123233@hc07/15929/thmb.jpg?s=s&r=1197596397&t=n" border="0"></a><br /><br />「現代日本経済論」レジュメ
第2章「景気を読む」
１．「日本経済TODAY」と３．「統計を読む」は専門的過ぎるので割愛。
２．「歴史・理論を学ぶ」
戦後日本の景気循環（P.27図2-１も参照）
教科書Ｐ.50からの記述は明解でよい。今回は教[320]<br />「現代日本経済論」レジュメ
第2章「景気を読む」
１．「日本経済TODAY」と３．「統計を読む」は専門的過ぎるので割愛。
２．「歴史・理論を学ぶ」
戦後日本の景気循環（P.27図2-１も参照）
教科書Ｐ.50からの記述は明解でよい。今回は教科書に沿って進む。
・景気の山、谷：景気の上昇が頂点を迎え、下降に転ずる直前の月を「景気の山」と呼び、景気の悪化が最悪の点を迎え、上昇に転ずる直前の月を「景気の谷」と呼ぶ。
なお、最新の景気の谷（不景気の最終の月）は1999年4月ごろになる模様である。
特に重要な景気循環や用語について
・ 「特需景気」（朝鮮戦争ブーム）
　朝鮮戦争での米軍の需要を特需と呼ぶ。この特需により、終戦から不景気、インフレに悩んでいた日本経済が成長に向かう契機となった。
・ 「国際収支の天井」
　潜在成長力が大きくても、国際収支に余力がない（＝輸出できる製品に国際競争力がなく、輸出が伸びない。そのため、輸入が少し増えると、すぐに貿易赤字等になってしまうこと）ことにより、実際の成長が潜在的成長よりも低く押さえられてしまうことをさす。
　国内で景気が良くなると消費も増え、それに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平和憲法の歪曲を読んで　HC]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/15832/]]></link>
			<author><![CDATA[ by せいろん]]></author>
			<category><![CDATA[せいろんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 Dec 2007 23:55:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/15832/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/ceylon_mypage/15832/" target="_blank"><img src="/docs/ceylon_mypage/15832/thmb.jpg?s=s&r=1197471330&t=n" border="0"></a><br /><br />～法学夏季課題～　『平和憲法の歪曲』を読んで
日本国憲法は、戦争を放棄したことを定めた憲法として世界でも名高い。「戦争を放棄したことを定めた憲法」とは、細かく言えば憲法９条に値する。だが、日本はまた、同時に自衛隊という武力も保持している。戦[358]<br />～法学夏季課題～　『平和憲法の歪曲』を読んで
日本国憲法は、戦争を放棄したことを定めた憲法として世界でも名高い。「戦争を放棄したことを定めた憲法」とは、細かく言えば憲法９条に値する。だが、日本はまた、同時に自衛隊という武力も保持している。戦争放棄を自国の憲法で宣言しながら、その戦争の手段ともいうべき戦力を日本は保持しているのである。一体何故、このような矛盾が生じたのであろうか。
　憲法９条と自衛隊とは、今、切っても切り放せない問題となっている。今日の自衛隊の在り方について述べると共に憲法９条の自己解釈を以下に述べることとする。
日本国憲法を作成後、マッカーサーは、日本政府に警察予備隊の設置と海上保安庁の増員を指令した。マッカーサーは、何故このような命令を下したのであろうか。その理由は、朝鮮戦争にあると言えよう。本来は朝鮮半島の北部と南部との争いであるはずの戦争は、冷戦に利用されることとなった。北部にはソ連が、南部にはアメリカがこの戦争を支持した。こうした経緯から、アメリカは少しでも多くの軍事力を必要とし、日本に軍隊をつくるよう要請した。つまり、アメリカは、自分の戦争を少しでも有利にする..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮と日本の文化の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 09:59:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/14137/thmb.jpg?s=s&r=1185152365&t=n" border="0"></a><br /><br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがある[360]<br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし実際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポートしていく。
①天文台と占星台
まず、「慶州の瞻星台（チョムソンデ）」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、６４７年に建立される（建立時代には諸説ある）高さは９．１メートルの石造建築物であり、新羅時代の天体観測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行説が朝鮮に伝わっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大国家行事であった。天体そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。また６..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮の衣食住の文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14138/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 10:02:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14138/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14138/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/14138/thmb.jpg?s=s&r=1185152559&t=n" border="0"></a><br /><br />私は日本の文化と朝鮮の文化はもともと同じなのではないか？という仮説を立ててみた。実際、焼肉は韓国が本場だし、日本の文化は大和政権のときに半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものが基本となっているはずだ。しかし実際のところまったく違[360]<br />私は日本の文化と朝鮮の文化はもともと同じなのではないか？という仮説を立ててみた。実際、焼肉は韓国が本場だし、日本の文化は大和政権のときに半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものが基本となっているはずだ。しかし実際のところまったく違うと思う。これから、朝鮮の衣食住文化をレポートし、やはり朝鮮と日本は違う文化なのだと自分自身認識していきたい。
まず「衣」文化だ。特に伝統的な民族衣装から比較する。
まず、朝鮮といったら「チマ・チョゴリ」であろう。日本人なら誰でも耳にしたことがある有名なものだ。チマ・チョゴリの語源は、チマはスカートを意味し、チョゴリは上着を意味する言葉である。韓国では通常「韓服」（ハンボ）と言いうそうだ。チマ・チョゴリの始まりは高句麗、新羅、百済の三国時代から始まったと言われている。初めてチマ・チョゴリの痕跡が発見されたのは高句麗時代の王と貴族の墓の壁画である。その後唐の国から衣装や仏教等の色々な事が伝わり、モンゴルの影響も受けながら現代のチマ・チョゴリの始まりになった。いわば多文化が作り上げ洗練された結晶である。今度はチマ・チョゴリの色について調べて見る。授業でも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428770701@hc07/14085/]]></link>
			<author><![CDATA[ by domino]]></author>
			<category><![CDATA[dominoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jul 2007 02:44:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428770701@hc07/14085/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428770701@hc07/14085/" target="_blank"><img src="/docs/983428770701@hc07/14085/thmb.jpg?s=s&r=1184780641&t=n" border="0"></a><br /><br />　　アジアの歴史
1854年西欧の圧力により日本が開国して以降、幕府は日本の科学技術が遅れをとっていることに苦しんだ。そこで1868年明治政府が発足すると、日本がアジアから抜きん出て欧米化を進めるため、改革が急速に進められた。内容は富国強兵[342]<br />　　アジアの歴史
1854年西欧の圧力により日本が開国して以降、幕府は日本の科学技術が遅れをとっていることに苦しんだ。そこで1868年明治政府が発足すると、日本がアジアから抜きん出て欧米化を進めるため、改革が急速に進められた。内容は富国強兵や廃藩置県、諸制度の欧米化などであった。また明治政府は維新直後、朝鮮と国交を結ぼうとしたが、朝鮮は国書を巡って外交関係を結ぶことを拒否した。
清でも曽国藩・李鴻章らによって洋務運動が進められた。「中体西用」をスローガンとし、中国文化を基盤として西洋の科学技術を取り入れようとした。これによって製鉄所や鉄道が整備された。
このころ、東アジアは冊封・朝貢関係を基調とした独自の秩序を持つ社会だった。周辺諸国は清に使節を派遣して貢物を献上し、皇帝に対して臣下の礼をとった。中国皇帝は周辺諸国の首長に対しその領域の支配権を認知し、また返礼として回賜をすることによって自らの徳を誇示した。周辺諸国が清へ派遣するのは清の軍事的・政治的権力ではなく、皇帝の徳を慕ってのことであるとされていた。清は基本的に周辺諸国に内政の干渉はせず、東アジアは清を中心とする中華思想によってゆ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮の歴史と文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431718301@hc05/9906/]]></link>
			<author><![CDATA[ by baikun]]></author>
			<category><![CDATA[baikunの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 Jul 2006 01:28:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431718301@hc05/9906/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431718301@hc05/9906/" target="_blank"><img src="/docs/983431718301@hc05/9906/thmb.jpg?s=s&r=1153499327&t=n" border="0"></a><br /><br />僕がこのレポートを書く際に取り上げた書籍は「朝鮮短編小説撰」である。まず、幼い頃より小説が好きで、というよりは詩とはほとんど関わりがなく鑑賞文などが付いていないとせっかくのこの時期の人々の残そうとしたメッセージや時代背景などを読み取ることが[360]<br />僕がこのレポートを書く際に取り上げた書籍は「朝鮮短編小説撰」である。まず、幼い頃より小説が好きで、というよりは詩とはほとんど関わりがなく鑑賞文などが付いていないとせっかくのこの時期の人々の残そうとしたメッセージや時代背景などを読み取ることが難しく小説の方がダイレクトにそれが伝わってくると思ったのがこれを選んだ理由である。現に今回の題材選びは正解だったと思うし、僕なりに考えさせられるところはあったと思う。また、図書館やら紀伊国屋の全店（関東地区）を調べてもらったがこれの上巻しか読むことができなかったことが残念であった。
最後まで読んでみて、迷ったのだが「笞刑」と「金講師とT教授」が強烈に印象に残..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 現代日本のアジア外交]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/]]></link>
			<author><![CDATA[ by campuslife06]]></author>
			<category><![CDATA[campuslife06の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 May 2006 00:58:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/" target="_blank"><img src="/docs/983430643701@hc06/8613/thmb.jpg?s=s&r=1148572714&t=n" border="0"></a><br /><br />日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南（現韓国）、ソ連が北（現北朝鮮）にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし[344]<br />現代日本のアジア外交
日本のアジア外交について
日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南（現韓国）、ソ連が北（現北朝鮮）にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし、韓国とは、アメリカとの外交や1952年から13年間の日韓国交正常化交渉（請求権の放棄や経済協力など）により、国交正常化が実現した。1998年の金大中大統領の訪問中、小渕首相が過去の謝罪をしたことを金大中大統領は高く評価し、友好関係の未来的志向関係の発展を述べ「日韓共同宣言」が調印された。これにより、2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催や映画、テレビなどの文化的交流も盛んになった。今年国交正常化40周年を迎えるが、日本の教科書問題や首相の靖国神社参拝ではまだ政治的対立することもある。
次に北朝鮮についてだが、1990年代始めからアメリカ、日本ともに国交正常化交渉が行われているが、外交的関係樹立は難しい。朝鮮自身、核問題や金正日体制による閉鎖的な外交が正確な情報を表に出さないことも原因である。200..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 高句麗の王権　始祖神話の創成と王権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8054/]]></link>
			<author><![CDATA[ by orpheus12]]></author>
			<category><![CDATA[orpheus12の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Apr 2006 19:48:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8054/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430589301@hc06/8054/" target="_blank"><img src="/docs/983430589301@hc06/8054/thmb.jpg?s=s&r=1145270911&t=n" border="0"></a><br /><br />　東アジア諸民族の共通の始祖、つまりはイデオロギーである東明王の伝説は今日まで長く渡って語り継がれている。しかし、東アジア諸民族が共有する東明王伝説については従来の見解に反論をする研究者もいる。従来、扶余族と高句麗族は同属という認識があり、[360]<br />高句麗の王権　始祖神話の創成と王権
　東アジア諸民族の共通の始祖、つまりはイデオロギーである東明王の伝説は今日まで長く渡って語り継がれている。しかし、東アジア諸民族が共有する東明王伝説については従来の見解に反論をする研究者もいる。従来、扶余族と高句麗族は同属という認識があり、両族に同じく東明王伝説があるために、扶余と高句麗との民族的アイデンティティはますます強調されることとなった。
　しかし、白鳥によると高句麗の朱蒙伝説は扶余の東明王伝説の改作にすぎず、その創作の目的は、高句麗が扶余族によって取り囲まれた長寿王の時代に、扶余の始祖を自国の始祖とすることによって扶余族に安堵を与えるためと推論している。
　ただ、上記の当否を置いておいても東明王伝説が時代を経る中で手を加えられ、歴史的に形成されたものであるということだけは認めてもよい。
　ここから高句麗の始祖に関する中国の認識をみていく。南朝の宋の時代、『後漢書』が編纂された４２４～４４５年には高句麗と扶余の民族的同一性の認識は見られない。そして続く斉の時代、『宋書』が編まれるが高句麗殿はもっぱら高句麗との交渉関係の記事だけが掲載されており..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[野村進・著『コリアン世界の旅』を読んで［東京学芸大学・教育学部・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 23:07:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6774/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6774/thmb.jpg?s=s&r=1139926065&t=n" border="0"></a><br /><br />真のマイノリティは目には見えない。近年、「他者について考える」ことの重要性が叫ばれてはいるが、一般的な日本人はおそらく実際には「考えなければいけない他者とは誰か」が分かっていない。日本とアジアの問題を考えるということは、野村がこの本の中で再[360]<br />野村進・著『コリアン世界の旅』を読んで
　真のマイノリティは目には見えない。近年、「他者について考える」ことの重要性が叫ばれてはいるが、一般的な日本人はおそらく実際には「考えなければいけない他者とは誰か」が分かっていない。日本とアジアの問題を考えるということは、野村がこの本の中で再三にわたってキーワードとして述べているように、「『不可視』である他者」すなわち「真のマイノリティ」について思いを馳せるということを意味する。特に身近にいる（はずの）在日朝鮮人・韓国人（以下、本レポートの主旨上、元在日の帰化者も含めて「在日」と略する）の問題は、その必要性を顕著に示し、日本人が新しい視野を持ち得る可能性を投げかけていると言える。しかし、肝心の日本人の側が、どれだけその可能性に自覚的であるか、あるいは、今まで自覚的であろうとしてきたかということを考える時、実にお粗末であると言わざるを得ない現実がある。
　なぜならば、日本人は在日を「見えない」というよりは、「見ようとしていない」どころか、自分たちがそういう態度をとってきたことに自覚すらないからだ。これは致命的かもしれない。在日に関して何か問題が持ち..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮語の分布に見る移民の背景]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5413/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 03:35:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5413/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5413/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/5413/thmb.jpg?s=s&r=1137436541&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　今日世界には朝鮮語の話者人口は、およそ７０００万人強いるとされている。その主だった内訳は、以下の通りである。
・	大韓民国　約４５５０万人
・	朝鮮民主主義人民共和国　約２２５０万人
・	日本　約６６万人
・	アメ[332]<br />朝鮮語の分布に見る移民の背景
１．はじめに
　今日世界には朝鮮語の話者人口は、およそ７０００万人強いるとされている。その主だった内訳は、以下の通りである。
大韓民国　約４５５０万人
朝鮮民主主義人民共和国　約２２５０万人
日本　約６６万人
アメリカ　約２００万人
中華人民共和国　約２００万人
旧ソ連領　約４８万人
カナダ　約１１万人
朝鮮半島合計で約６８００万人の話者がおり、海外の合計は約５６０万人とされている。合計で約７３００万人近くの話者が存在する言語は、世界の中で極めてまれなものであり、朝鮮語話者数は何千と存在する言語の中で１５位であると言われている。ちなみに海外に多くの植民地を保有し、言語政策を展開していたフランスのフランス語は、話者数約７７００万人とされ１１位である。朝鮮は歴史上海外に植民地を持った経験はない。むしろ歴史的に見て、古代より中国の朝貢体制の中に組みこめられ、かつては日本の植民地支配を受けた経験を持つ。そのような朝鮮民族の言語が何故このように世界に広まったのかを、移民の背景を読み解くことで理解したい。
２．日本の三大コリアンタウン
世界には代表的なコリアンタウンが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮人参の特徴、効果と朝鮮人参に関する商品]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431833401@hc05/2517/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fan111079]]></author>
			<category><![CDATA[fan111079の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Oct 2005 01:08:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431833401@hc05/2517/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431833401@hc05/2517/" target="_blank"><img src="/docs/983431833401@hc05/2517/thmb.jpg?s=s&r=1129738113&t=n" border="0"></a><br /><br />朝鮮人参の特徴、効果と朝鮮人参に関する商品

　朝鮮人参とは学名：Panax ginsengで　別名　オタネニンジン（御種人参）とも呼ばれる。朝鮮人参は昔から強壮補血作用で良く知られているもので本来朝鮮半島や中国東北部に自生していたウコ[326]<br />朝鮮人参の特徴、効果と朝鮮人参に関する商品
　朝鮮人参とは学名：Panax ginsengで　別名　オタネニンジン（御種人参）とも呼ばれる。朝鮮人参は昔から強壮補血作用で良く知られているもので本来朝鮮半島や中国東北部に自生していたウコギ科の多年草であるが、現在ではほとんどが栽培である。また野菜のニンジンとはまったくの異なるもので、赤いニンジンはセリ科、朝鮮人参はウコギ科の植物である。なお、根を天日で乾燥させたものを白参（はくじん）、湯通ししてから乾燥させたものを紅参（こうじん）という。
　日本に渡来したのは奈良時代、栽培が始まったのは江戸時代で、徳川幕府が種子を下賜したことにより、オタネニンジン（御種人参）とも呼ばれた。これが別名のオタネニンジン（御種人参）の由来である。そんなオタネニンジン（御種人参）の今、現在では、福島県、長野県、島根県で栽培し、輸出されている。ちなみに、御種人参の名は江戸幕府の八代将軍徳川吉宗が対馬藩に命じ試植させた。その後に各地の大名に種を分け栽培を奨励したことに由来すると伝えられている。
　５月ごろ淡緑色の五弁花を開き、７月になると南天に似ている赤い実をつける..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中塚明『近代日本の朝鮮認識』研分出版(１９９３)を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1935/]]></link>
			<author><![CDATA[ by laughmaker]]></author>
			<category><![CDATA[laughmakerの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 09:32:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1935/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1935/" target="_blank"><img src="/docs/983432158301@hc05/1935/thmb.jpg?s=s&r=1122683535&t=n" border="0"></a><br /><br />の本は、戦後日本の歴史学界において、早くから日本のアジア諸国に対する侵略の責任を問い続けてきた著者が、朝鮮に対する侵略政策の実態と、その背景となる近代日本の朝鮮観を明らかにすることを目的として書かれたものである。８章の構成になっているので、[360]<br />～中塚明『近代日本の朝鮮認識』研分出版(１９９３)を読んで～
　この本は、戦後日本の歴史学界において、早くから日本のアジア諸国に対する侵略の責任を問い続けてきた著者が、朝鮮に対する侵略政策の実態と、その背景となる近代日本の朝鮮観を明らかにすることを目的として書かれたものである。８章の構成になっているので、１つ１つ見ていくことにしたい。
１　問われる現代日本の歴史認識
今日の日本における侵略戦争や植民地支配に対する認識に疑問を投げかけられている。著者はまず太平洋戦争開始五十周年にあたって、日本の軍事大国化を懸念するアジア諸国の新聞論調を紹介する。日本の基礎には「第二次世界大戦の前からその後にかけても、かたくなに引き継がれて現在にいたる日本政府の歴史認識がある」と批判している。さらに８２年の歴史教科書問題を決着させるための政府見解で引用された「日韓共同コミュニケ」（６５年）の精神こそが、教科書記述の歪曲を迫るものであったことを論証し、８６年の藤尾発言を批判する形で巧妙に提出された「昭和天皇平和主義者論」や、改憲論に立つ教科書『新編日本史』などに見られる歴史認識の独善性を指摘しつつ、こうした..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高句麗の興亡]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432203901@hc05/1822/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nicework]]></author>
			<category><![CDATA[niceworkの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 28 Jul 2005 16:16:40 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432203901@hc05/1822/" target="_blank"><img src="/docs/983432203901@hc05/1822/thmb.jpg?s=s&r=1122535000&t=n" border="0"></a><br /><br />序論
　最近、中国の文化部（日本の文部科学省相当）が中国の東北地方、主に中国の吉林省の高句麗王国の王城の遺跡を世界文化遺産として、国連の教科文組織に申請を出されたところ、認められた。ところが、それは北朝鮮や韓国の大きな反発を招かれた。北朝[356]<br />　　　　　　　　　　　　　高句麗の興亡
　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　序論
　最近、中国の文化部（日本の文部科学省相当）が中国の東北地方、主に中国の吉林省の高句麗王国の王城の遺跡を世界文化遺産として、国連の教科文組織に申請を出されたところ、認められた。ところが、それは北朝鮮や韓国の大きな反発を招かれた。北朝鮮、韓国は高句麗ガ朝鮮民族の歴史で、高句麗の遺跡も歴史も朝鮮の属すものだと主張され、高句麗王城を中国の歴史上の一部に位置づけるというのを強く批判すると。今やもう中国と北朝鮮・韓国との三国二方の政治外交の紛争となったという。
　　本論で、まず、高句麗を起こした高句麗民族の起源を考察し、そして、高句麗の建国の経緯を述べ、また、高句麗建国から、中国の中原王朝との戦いを回顧し、最後に高句麗の滅亡を書く。全体としては、高句麗その民族構成は確かに現在の朝鮮民族の先祖であるが、その歴史のほとんどは間違いなく中国の地で演じていたという観点を論じることにする。
　　　　　　　　　　　　　　　　　本論
　　　　　　　　　　　第一章：高句麗民族の起源
　朝鮮の古代諸国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮植民地時代における創氏改名の目的について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1697/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madoka]]></author>
			<category><![CDATA[madokaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 04:21:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1697/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1697/" target="_blank"><img src="/docs/983432291801@hc05/1697/thmb.jpg?s=s&r=1122405673&t=n" border="0"></a><br /><br />講義で、朝鮮の近現代史のなかの家族・親族制度について学んだ。隣国である、朝鮮や中国からは古くから様々な文化が日本に伝えられ、共通の文化も多くある。しかし、家族制度に関しては日本とはかなり異なっており、講義で取り上げられたトピックのなかでも私[360]<br />国際社会学　
朝鮮植民地時代における創氏改名の目的について
　講義で、朝鮮の近現代史のなかの家族・親族制度について学んだ。隣国である、朝鮮や中国からは古くから様々な文化が日本に伝えられ、共通の文化も多くある。しかし、家族制度に関しては日本とはかなり異なっており、講義で取り上げられたトピックのなかでも私にとって非常に興味深い内容であった。更にその中でも、創氏改名については中学・高校時代にも学び、私自身先入観というものができあがっている。しかしそれは教科書からだけの情報であり、一方からだけの解釈にすぎないのではないか。創氏改名に込められた意図・目的は何であったのか、考えてみたいと思う。
　まず、講義で創氏改名について述べられていたことを簡単に要約する。
　〇朝鮮人の名前　本＋姓＋名　（日本人の名前　氏＋名）
　　　　　　　　　姓は父系血縁関係を示し生涯変わることはない。
　　　　　　　　　氏は「家」の呼称であり、どの「家」に属するかで変化。
　　創氏後の朝鮮人の名前　本＋姓＋氏＋名
〇創氏改名　　「氏」を新たに設定し「名」を（日本人式に）改めること
　　　　　　　　1939年政令19号「朝..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[韓国に潜む概念的『悪』とされる日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 21:06:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/608/thmb.jpg?s=s&r=1119701190&t=n" border="0"></a><br /><br />何故、日本は韓国の歴史において『悪』のレッテルを、戦後６０年経つ今もなお払拭できずにいるのだろうか。その根底はなんだろうか。今回は日本の『悪』とされる部分に焦点を当て、比較を交え探っていこうと思う。
まず参照するのは、日本でも庶民出で親し[356]<br />　何故、日本は韓国の歴史において『悪』のレッテルを、戦後６０年経つ今もなお払拭できずにいるのだろうか。その根底はなんだろうか。今回は日本の『悪』とされる部分に焦点を当て、比較を交え探っていこうと思う。
　まず参照するのは、日本でも庶民出で親しまれる太閤秀吉だ。秀吉といえば大阪城の他、朝鮮出兵でも有名な歴史的人物だが、韓国では反日感情の底流に存在し今なお引き合いに出されることもある。韓国在住の日本人達は今でも、スリやコソ泥などの被害に遭い文句を言うと、半ば冗談、半ば本気で壬辰倭乱の話を持ち出され、「それくらいはたいしたことじゃない」と説教されるそうだ。どこまでが真実かは判らないが、１４世紀の昔から日本の『悪』が始まっている傾向がある。太閤の前振りを経て、１世紀前に起きる日本による支配が大きく圧し掛かる。
　日本は対ロシア戦争の勝利後、総監府を置き、日本から派遣された統監が朝鮮の外交権を握るようになり、ついで司法・警察犬などの治安維持の制限をもぎ取り、朝鮮を事実上の植民地とした。これはイギリス・アメリカの承認のもとに行われた国際的な取り決めであった。朝鮮は、万国平和会議に日本の侵略を訴えよ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日韓関係の歪み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/606/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 20:50:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/606/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/606/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/606/thmb.jpg?s=s&r=1119700213&t=n" border="0"></a><br /><br />【高杉発言】

１９６５年１月７日の記者会見にて
「日本の朝鮮に対する過去の統治に対して謝れと言う話もあるが、日本としてはとても言えたものではない。日本は確かに朝鮮を支配した。しかし、日本は良いことをしようとした。今、韓国の山には木が[348]<br />２００４年１２月６日
｢遺憾｣｢反省｣の裏側　～高杉晋一・椎名悦三郎・佐藤栄作～
「妄言」の原型　日本人の朝鮮感～　著・高崎宗司
キーポイント
本心からの反省をしていない日本
【皇太子訪韓と植民地支配責任】
１９８６年３月１１日の皇太子訪韓計画発表
&rarr;朝鮮植民地支配に対する姿勢についての問いが再び浮上
＊　両国で思い出された天皇の言葉（８４年９月）
「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、
再び繰り返されてはならないと思います」
日本：天皇のお言葉を踏まえればいいのではないか
韓国：忌まわしい韓日間の過去の歴史に一つの転換点をなしたものではあったが、
韓日関係の特殊性を考えるとき、民族感情のしこりをほぐすにはあまりにも
不充分なものであった、という世論も。
その後も残っている国民感情の『しこり』をなくし、より発展的な韓日関係を
再定立する必要性があると思われる。
１９９０年ノテウ大統領訪日・１９９１年天皇訪韓説
＊　再び浮上する「お言葉問題」
&rarr;日本人は、天皇を含む国民一人ひとりが朝鮮植民地支配を反省することをまたしても迫られている
★　日本が朝鮮植民..]]></description>

		</item>

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