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		<title>タグ“映像論”の公開資料</title>
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		<description>タグ“映像論”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[満州と映画～満州における国策映画の研究～　販売]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16140/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Dec 2007 20:57:37 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16140/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/16140/thmb.jpg?s=s&r=1197892657&t=n" border="0"></a><br /><br />満州と映画
はじめに
第二次大戦時には、革新的な表現方法でありかつメディアとしての機能も併せ持つ映画は、それぞれの国の思惑によって大いに利用された。ナチスドイツにおける映像表現の政治的利用、ソ連における共産主義プロパガンダ、連合国における反[356]<br />満州と映画
はじめに
第二次大戦時には、革新的な表現方法でありかつメディアとしての機能も併せ持つ映画は、それぞれの国の思惑によって大いに利用された。ナチスドイツにおける映像表現の政治的利用、ソ連における共産主義プロパガンダ、連合国における反ファシズム戦争のための国民の鼓舞、枚挙に暇はない。もともとは一般大衆のための娯楽のためのものであった映画が、一般大衆を国家の思う方向に向かせるために利用されるという状態に陥っていたのである。日本もまたその例外ではない。満州という特殊な国家が生み出されたときも、その誕生を祝う記録係を担ったのは映画であった。満州という国家の誕生と繁栄、その終焉は常に映画によって記録されたといっても過言ではないだろう。本論稿の目的は、満州における映画制作会社である、満鉄とその後進である満映の誕生とその活動を通して、満州における映画とはいったい何だったのかを考えることである。
満鉄時代における映画活動
満鉄
一般的に満州と映画を語る場合に、引き合いに出されるのは満州映画協会、いわゆる「満映」である。満州における国策映画制作は、この満映が執り行っていた。しかし実は、満州におい..]]></description>

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			<title><![CDATA[レプリカントは人間的か非人間的か]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8274/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 08 May 2006 02:07:33 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8274/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/8274/thmb.jpg?s=s&r=1147021653&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　映画「ブレードランナー」に登場する「レプリカント」は人間的か非人間的か、という問をたてながら「非人間的なもの」を読み、関連する部分を抽出し、コメントをする形ですすめてゆく。
本論
『記憶装置はあらゆる生物を制御し、また生物[348]<br />～レプリカントは人間的か非人間的か～
はじめに
　映画「ブレードランナー」に登場する「レプリカント」は人間的か非人間的か、という問をたてながら「非人間的なもの」を読み、関連する部分を抽出し、コメントをする形ですすめてゆく。
本論
『記憶装置はあらゆる生物を制御し、また生物を機械的な集合体以上により環境に適合した技術的な物体にするものです』(p.18　身体なしで思考することは可能か)とある、記憶装置はレプリカントにも搭載されているようで、経験したことを頭のメモリに入れてその後の行動の礎にしていくさまを見ても記憶装置を搭載していることがわかる。この点で言えばただの物よりも人などの生物に近いものがある。
　『思考という複雑な技術的装置のハードウェアとして、身体を見なすことができます。』(p.17　身体なしで思考することは可能か)とある。
　身体は人間とかわらない外観（ハードウェア）を持っているレプリカントであるが、思考（ソフトウェア）は人間とどのように違うか、または同じだろうか？レプリカントの思考はプログラムで、ネクサス6型ではプログラムに無いような突発的な問を発せられると処理ができなくなっ..]]></description>

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