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		<title>タグ“日米安保”の公開資料</title>
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		<description>タグ“日米安保”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[『ルポ 戦争協力拒否』読書レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99749/]]></link>
			<author><![CDATA[ by komasen333]]></author>
			<category><![CDATA[komasen333の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jan 2013 13:52:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99749/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99749/" target="_blank"><img src="/docs/983431505701@hc05/99749/thmb.jpg?s=s&r=1357188720&t=n" border="0"></a><br /><br />自分が無料公開している資料の中で閲覧数第１位。

2006年にある講義で課題として出された、『ルポ 戦争協力拒否』の読書レポート。

第一次安倍内閣の頃に書いた読書レポートなので、
その当時の政府方針に対する自分の危機感も含んだ内[330]<br />『ルポ 戦争協力拒否』読書レポート
　私は新聞に一通り目を通すのを日課にしている。なので、このルポに書かれている近年の日米のスタンスやそれに関わる事柄は大方理解し、自衛隊のイラク派遣や有事関連法案などについてもその都度自分なりに考えてきた。しかし読み進めるうちに、イラクで2名の外務省職員と日本人青年が現地の武装グループの手によって犠牲になったことをすっかり忘れてしまっている自分に気づいた。日々刻々と伝えられるニュースを注視している一方で、ほんのつい最近のニュースを少しずつ忘れていってしまっている現実。これを自然の摂理といえばそれまでだが、なんともいえない愕然としたような感覚を覚えた。
イラクへの自衛隊派遣が始まった当初、派遣反対の考えを抱いていた私だが、外務省職員が殺害された事件を契機としてイラクでの自衛隊の駐留はやむを得ないところまで来てしまったと考えるようになっていた。その頃から単独行動主義のアメリカに追随一辺倒の日本に釈然としない思いを持っていたが、そのときはブッシュ大統領の言っていたように、即時撤退はテロリストに誤ったメッセージを与えることになりかねないという考えのほうが勝った..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の軍事力増強と日米安保]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93937/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tamugi05]]></author>
			<category><![CDATA[tamugi05の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 19:47:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93937/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93937/" target="_blank"><img src="/docs/957938659738@hc09/93937/thmb.jpg?s=s&r=1338720450&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定/日米安保について、その重要性を中国の軍事力の脅威という面から考察しています。その他、アメリカに頼らざるを得ない点について、日本の軍事力が現在のままであるということを前提にいくつか述べた点が評価されました。
※2011年2月に作成した[344]<br />中国の軍事力増強と日米安保の変化
日本の安全保障は戦後60年を経て新たな転換期を迎えている。それは、経済的、社会的のグローバル化、中国やインドなどの新興国の軍事力増強、大量破壊兵器とその運搬手段の拡散の危険の増大、国際テロ、国際犯罪等の問題の継続などにより、アメリカの後退による世界的なパワーバランスの変化によるところがおおきい。とくに日本においてはアメリカの抑止力の変化は重要な問題である。朝鮮半島情勢の不安定さ、中国の台頭に伴う域内パワーバランスの変化いった課題があり、これまでのアメリカに頼り切った受け身の安全保障からの変化が必須である。日本の安全保障を大きく左右する中国の軍事力増強についてまとめ、アメリカとの関係も踏まえつつ、これからの日本の安全保障と国際貢献の在り方を考察する。
防衛省によれば、中国の2010年度の公表国防費は約5,190億元である。これは日本円にするとおよそ7兆2,671億円にも及び、国防費の名目上の規模は21年連続で2桁の成長率を記録している。（ただし、中国の国防予算制度等が内容や明細が不当目な部分も多く、米、台湾では中国の国防費は公表の1.41～2.50倍と見..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[米軍再編と日米同盟]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430975501@hc06/50975/]]></link>
			<author><![CDATA[ by マティオス]]></author>
			<category><![CDATA[マティオスの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Jun 2009 17:21:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430975501@hc06/50975/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430975501@hc06/50975/" target="_blank"><img src="/docs/983430975501@hc06/50975/thmb.jpg?s=s&r=1244622089&t=n" border="0"></a><br /><br />米軍再編と日米同盟
―日本に求められる役割―
目次
Ⅰ．はじめに
Ⅱ．米軍のトランスフォーメーション
１．変革の背景
２．加速する「変革」
３．米軍「基地」の再編 
Ⅲ．東アジアの米軍と在日米軍
１．東アジアの米軍、歴史的[322]<br />米軍再編と日米同盟
―日本に求められる役割―
目次
Ⅰ．はじめに
Ⅱ．米軍のトランスフォーメーション
１．変革の背景
２．加速する「変革」
３．米軍「基地」の再編 
Ⅲ．東アジアの米軍と在日米軍
１．東アジアの米軍、歴史的経緯
　２．在日米軍の機能の変化と「基地移転」
　３．在日米軍と自衛隊 
Ⅳ．日米同盟の役割
　１．日米同盟、変化の歴史
２．何が日本に必要とされるのか
３．対等な同盟に向けて
Ⅳ．おわりに
東アジアの公共財としての日米同盟
Ⅰ．はじめに
2005年から2006年にかけて、在日米軍の基地移転についての報道がマスメディアで大きく取り上げられた。その文脈の中では、在日米軍基地の移転と「米軍の変革」について取り上げられることも多かった。もちろん、米軍の世界規模の「変革」（トランスフォーメーション）と、在日米軍の整理縮小問題の間には、密接な関係がある。しかし、本来この両者はレベルが違うため、分けて捉えなければならない。そもそも、米軍の「機能の変革」と、それに伴う日本の「基地の再編」の間には、どのような相関関係があるのか。また、「日米安全保障条約」を中心とした日米同盟の定義は、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[憲法第九条をめぐる戦後安全保障]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Oct 2008 17:45:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/27440/thmb.jpg?s=s&r=1225010738&t=n" border="0"></a><br /><br />憲法第九条をめぐる戦後安全保障
敗戦後、連合国の占領下におかれた日本にとっての安全保障上の中心課題は、国内体制の安定であった。日本は、完全な武装解除と戦争遂行能力の破壊、植民地の放棄といった内容を含むポツダム宣言を受諾した。この時期の政府指[358]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[再軍備過程の研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Feb 2008 23:12:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/19351/thmb.jpg?s=s&r=1202911979&t=n" border="0"></a><br /><br />再軍備過程の研究
1947年頃から、米ソ対立が先鋭化し、世界は冷戦時代に突入する。占領下の日本は、否応無しにアメリカの冷戦戦略に組み込まれ、極東における反共の防波堤としての重要な戦略的役割を担うこととなる。そうした中で、日本は再軍備を迫られ[350]<br />再軍備過程の研究
1947年頃から、米ソ対立が先鋭化し、世界は冷戦時代に突入する。占領下の日本は、否応無しにアメリカの冷戦戦略に組み込まれ、極東における反共の防波堤としての重要な戦略的役割を担うこととなる。そうした中で、日本は再軍備を迫られ、憲法の第九条解釈も二転三転していく。
本稿では、1950年の警察予備隊創設から1955年の自衛隊創設までの再軍備の過程に関して、これまでどのような研究がされてきたかまとめていきたいと思う。
　研究初期の段階では、まず大嶽秀夫の『再軍備とナショナリズム―保守、リベラル、社会民主主義者の防衛観』(1988年、中央公論社)が挙げられる。この本は、1950年代前半..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[書評『日米同盟の絆』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 01:36:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/19107/thmb.jpg?s=s&r=1202056576&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
1951年に締結された日米安全保障条約と60年の安保改定については、これまでに様々な視点から論じられてきた。当初は、主として60年の岸内閣における安保改定に焦点をあて、国会審議と抗議運動とを軸にして、議論される傾向が強かった([340]<br />『日米同盟の絆　―安保条約と相互性の模索―』
１．はじめに
1951年に締結された日米安全保障条約と60年の安保改定については、これまでに様々な視点から論じられてきた。当初は、主として60年の岸内閣における安保改定に焦点をあて、国会審議と抗議運動とを軸にして、議論される傾向が強かった(1)。
近年、このテーマをめぐる論じ方は多様化しつつあり、安保条約の機能を安全保障・防衛対策の視点から議論する傾向が強まったことが挙げられる(2)。同時に、安保条約締結と改定をめぐる交渉に焦点をあて、日米間の合意形成過程と合意内容を対象とする実証的な考察が深まってきた。こうした研究動向に伴い、日米関係を｢同盟｣と表現し、認識することも近年ほぼ定着したといえる(3)。
ところが、日米関係を｢同盟｣と把握すること自体は、安保条約の締結または改定当時からあった訳ではない。日米関係を日本側から｢同盟｣と表現することについては、ある種の消極性が見られたことも事実であった。そうした経緯を踏まえた上で、冷戦終結以降にむしろ顕著となった｢日米同盟｣認識の定着を考えるとき、日米関係はいつ、どのようにして｢同盟｣を結成するに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本政党史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17236/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Jan 2008 10:28:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17236/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17236/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17236/thmb.jpg?s=s&r=1199410134&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本政党史
本稿では、敗戦直後から現在に至るまでの政党政治の流れをたどりながら、戦後政治史に関する重要事項を確認したいと思う。
　敗戦後、連合国軍による民主化が進められる中で、政党の復活・結成が相次いだ。革新政党としては、1945(昭和[346]<br />戦後日本政党史
本稿では、敗戦直後から現在に至るまでの政党政治の流れをたどりながら、戦後政治史に関する重要事項を確認したいと思う。
　敗戦後、連合国軍による民主化が進められる中で、政党の復活・結成が相次いだ。革新政党としては、1945(昭和20)年10月に日本共産党が合法的な活動を開始したのに続いて、戦前の無産政党を統合した日本社会党が結成された。また、旧立憲政友会系の日本自由党と旧立憲民生党系の日本進歩党という二代保守政党も結成された。
　日本自由党は、戦前の翼賛選挙では非推薦議員として翼賛政治に協力しなかった政治家たちにより、結成された。初代総裁には鳩山一郎が就任し、1946(昭和21)年4月に行われた戦後初の総選挙で第一党となった。この結果、幣原喜重郎内閣は総辞職したが、鳩山が公職追放に処されたため、後任総裁となった吉田茂が日本進歩党と連立で第1次内閣を組織した。しかし、労働運動・農民運動の高揚を背景にして、次の総選挙では社会党が第一党となり、1947(昭和22)年、民主党・国民協同党との連立による片山哲内閣が誕生した。同内閣は、第1次吉田内閣の傾斜生産方式を継承したり、炭鉱国家..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本外交史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17195/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jan 2008 07:35:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17195/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17195/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17195/thmb.jpg?s=s&r=1199313308&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本外交史
 サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカ[328]<br />戦後日本外交史
本稿では、サンフランシスコ平和条約発効後から日中平和友好条約締結までの外交の変遷について、歴代内閣の外交政策を確認しつつ見ていきたい。
サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカの経済的・軍事的援助を取り付けた。その一方で、防衛力の強化を義務づけられたため、保安隊を自衛隊に発展させ、自衛隊を管理・運営する防衛庁を設けた。
　同年12月、吉田長期政権を倒して成立した鳩山一郎内閣は、親米一辺倒の吉田路線との違いを強調するため、アメリカに対して一定の距離をおきつつ、共産主義諸国との関係改善を進める｢自主外交｣をうたった。折しも、スターリン死後で｢雪解け｣ムードが高まりつつあった国際情勢も手伝って、ソ連は鳩山内閣の姿勢に好感触をもち、1956(昭和31)年10月、鳩山自らがモスクワに訪れて、日ソ共同宣言の調印にいたった。日ソ共同宣言に、ソ連が日本の国連加盟を支持するとの条項が盛り込まれたことにより、同..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[重光葵の外交政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11957/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Dec 2006 01:13:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11957/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11957/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/11957/thmb.jpg?s=s&r=1165508009&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
重光葵(1887～1957)は1920年代から戦後の1950年代まで活躍した外交官・政治家として昭和外交史を語る上ではずすことができない人物である。
重光の戦後に関する研究は、鳩山内閣の外務大臣時代のものに集中している。これま[320]<br />｢重光葵｣研究の整理
目次
１．はじめに
２．田中孝彦　｢日ソ国交回復交渉(1955-56)と重光外交｣
３．坂元一哉　｢第３章　安保改定構想の挫折　重光訪米の意義｣　『日米同盟の絆』
４．武田知己　｢第３章　保守合同以後－重光と岸－｣　『重光葵と戦後政治』
５．おわりに
参考・引用文献
１．はじめに
重光葵(1887～1957)は1920年代から戦後の1950年代まで活躍した外交官・政治家として昭和外交史を語る上ではずすことができない人物である。
重光の戦後に関する研究は、鳩山内閣の外務大臣時代のものに集中している。これまで鳩山内閣の外相時代の重光に関しては、日ソ国交回復交渉・重光＝ダレス会談における安保改定の提案に関しても否定的な評価をされることが多かった。しかし、こうした否定的な評価は、重光の外交構想の実態を把握したうえでの評価ではなかった。その後最近の流れとしては、これまでの重光に対して再評価する研究が何本か出されている。
　本稿ではそれら重光を再評価している研究論文を3本取り上げ、要点を抽出し、鳩山内閣の外相時代の重光研究の研究史を整理していきたいと思う。
２．田中孝彦　｢日..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[岸信介と日米安保条約改定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8380/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 May 2006 01:23:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8380/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8380/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/8380/thmb.jpg?s=s&r=1147623809&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　本発表では、戦後首相として安保改定を実行した岸信介について発表する。具体的には岸が安保改定構想を抱くに至った岸の考えや、安保改定に対しての国民的反発について見ていこうと思う。
２．岸信介について
　(１)岸信介のプロフィール[350]<br />岸信介と日米安保条約改定
目次
１．はじめに
２．岸信介について
(１)岸信介のプロフィール　　(２)岸信介内閣の政策
３．日米安保条約改定の経過
(１)日米安保条約について　　(２)安保改定交渉の開始　　
(３)安保改定阻止国民会議の結成　　(４)安保改定反対の論拠　　(５)安保闘争の経緯　　
(６)Ｕ２型機撃墜事件　　(７)５・１９の強行採決　　(８)反対運動の拡大
４．高度経済成長の時代へ
５．おわりに～今後の課題
参考・引用文献
１．はじめに
　本発表では、戦後首相として安保改定を実行した岸信介について発表する。具体的には岸が安保改定構想を抱くに至った岸の考えや、安保改定に対しての国民的反発について見ていこうと思う。
２．岸信介について
　(１)岸信介のプロフィール
　岸信介(1896～1987)
　戦前、革新官僚として満州国の産業開発を主導。東条内閣では商工大臣を務めた。そのため戦後、Ａ級戦犯容疑者として逮捕された。公職追放が解けると、新憲法に象徴される戦後体制の打破と反共体制の確立を目指して政界復帰する。日本民主党、自由民主党の幹事長を就任後、首相の座に就いて安保改定を強行..]]></description>

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