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		<title>タグ“日米外交”の公開資料</title>
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		<description>タグ“日米外交”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[戦後日本外交史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17195/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jan 2008 07:35:08 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17195/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17195/thmb.jpg?s=s&r=1199313308&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本外交史
 サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカ[328]<br />戦後日本外交史
本稿では、サンフランシスコ平和条約発効後から日中平和友好条約締結までの外交の変遷について、歴代内閣の外交政策を確認しつつ見ていきたい。
サンフランシスコ平和条約の発効によって、国際社会に復帰した日本は、各国との対外関係を回復した。吉田茂内閣は、アメリカとの関係強化を推進し、1954(昭和29)年3月にはMSA協定(日米相互防衛援助協定)を調印して、アメリカの経済的・軍事的援助を取り付けた。その一方で、防衛力の強化を義務づけられたため、保安隊を自衛隊に発展させ、自衛隊を管理・運営する防衛庁を設けた。
　同年12月、吉田長期政権を倒して成立した鳩山一郎内閣は、親米一辺倒の吉田路線との違いを強調するため、アメリカに対して一定の距離をおきつつ、共産主義諸国との関係改善を進める｢自主外交｣をうたった。折しも、スターリン死後で｢雪解け｣ムードが高まりつつあった国際情勢も手伝って、ソ連は鳩山内閣の姿勢に好感触をもち、1956(昭和31)年10月、鳩山自らがモスクワに訪れて、日ソ共同宣言の調印にいたった。日ソ共同宣言に、ソ連が日本の国連加盟を支持するとの条項が盛り込まれたことにより、同..]]></description>

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			<title><![CDATA[吉田政権下における日米外交]]></title>
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			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Jun 2006 06:02:48 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9164/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/9164/thmb.jpg?s=s&r=1151010168&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ね[328]<br />｢吉田政権下における日米外交｣
目次
１．はじめに
２．吉田茂について
（１）吉田茂の略歴
（２）吉田ドクトリンとは
（３）吉田内閣の政治基盤について
３．冷戦の開始
４．講和条約調印まで
（１）朝鮮戦争の開始
　（２）講和交渉と安全保障問題
　（３）サンフランシスコ講和の光と影
５．サンフランシスコ講和以後
６．おわりに
参考･引用文献
１．はじめに
　1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国際的位置を基本的に定めたという点で吉田茂の外交が果たした役割は大きい。
　本発表では、第二次～第五次吉田内閣(1948年10月19日～54年12月10日)の日米外交を踏み込んで見ることによって、戦後の新しい国家像(吉田ドクトリン)が形成されていったのかを明らかにしていきたい。
　第二次から第五次吉田内閣は外交の観点から大きく分けて①1951年9..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本がモスクワオリンピック参加を断念した理由〜国際政治的力学の観点から〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431330501@hc05/4332/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jjkururinpa]]></author>
			<category><![CDATA[jjkururinpaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Dec 2005 15:25:29 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431330501@hc05/4332/" target="_blank"><img src="/docs/983431330501@hc05/4332/thmb.jpg?s=s&r=1135578329&t=n" border="0"></a><br /><br />序章
　日本は太平洋戦争に負けてアメリカの手下になったのだろうか。私はこの疑問を小学校で第2次世界大戦以降の歴史を習った頃から感じていた。なぜならば日本政府がアメリカ政府の意向に反した外交政策を打ち出すことは無いように思えたからだ。今日、[354]<br />日本がモスクワオリンピック参加を断念した理由
～国際政治的力学の観点から考える～
序章
　日本は太平洋戦争に負けてアメリカの手下になったのだろうか。私はこの疑問を小学校で第2次世界大戦以降の歴史を習った頃から感じていた。なぜならば日本政府がアメリカ政府の意向に反した外交政策を打ち出すことは無いように思えたからだ。今日、日本とアメリカ合衆国は戦後のGHQ占領時代を経て緊密な関係を保ちつづけている。日本にとってアメリカは核を含めた防衛力を提供してくれる軍事大国であり多量の加工製品を買ってくれる貿易相手である。アメリカにとって日本は東アジアへの軍事・政治拠点であり大量の穀物製品を売る貿易相手でもある。なにより戦後の両国の人的交流を経て日本とアメリカは友人となった。毎年多くの日本人がハワイなど多くのアメリカ領土を訪れているしアメリカの大学に留学する日本人学生の数も増えている。一方で、日本に在住するアメリカ人の数も増えた。太平洋戦争という悲しい喧嘩を体験した日米は相互理解が深まり友好国になったのだ。
だが仮にこの「緊密な関係」がアメリカ政府と日本政府の主人と奴隷といった「上下関係」から来ているの..]]></description>

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