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		<title>タグ“日本”の公開資料</title>
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		<description>タグ“日本”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[日本・フィリピン間のEPA/FTA交渉についての分析]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14136/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 09:50:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14136/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14136/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/14136/thmb.jpg?s=s&r=1185151847&t=n" border="0"></a><br /><br />１EPA/FTAの意義
①FTAとは？
Free Trade Agreementの略。つまり自由貿易協定。２以上の国が関税の廃止や制度の調整等による相互の貿易促進を目的として他の国を排除する形で締結されるものであり、本来、WTO国待遇に反す[290]<br />１EPA/FTAの意義
①FTAとは？
Free Trade Agreementの略。つまり自由貿易協定。２以上の国が関税の廃止や制度の調整等による相互の貿易促進を目的として他の国を排除する形で締結されるものであり、本来、WTO国待遇に反するものとされている。しかしながら、その貿易自由化効果ゆえに、一定の要件のもとに認められている。一定の要件とは
（１）「実質上のすべての貿易」について「関税その他の制限的通商規則を廃止」すること
（２）廃止は、妥当な期間内に行うこと
（３）域外国に対して関税その他の通商障壁を高めないこと
である。
また、有名な自由貿易協定にはヨーロッパの欧州連合（EU：European Union）や、南米アメリカの北米自由貿易協定（NAFTA：North American Free Trade Agreement）がある。
②EPAとは？
Economic Partnership Agreementの略。つまり経済連携協定。自由貿易協定と異なり、ただ単に関税を撤廃するなど、通商上の障壁を取り除くだけでなく、締約国間で経済取引の円滑化、経済制度の調和並びに、サービス、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朝鮮と日本の文化の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jul 2007 09:59:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/14137/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/14137/thmb.jpg?s=s&r=1185152365&t=n" border="0"></a><br /><br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがある[360]<br />私はこの講義の感想文で、よく日本の文化と朝鮮の文化を比較・対照する。それは日本の文化は、大和政権のときに朝鮮半島から渡ってきた渡来人によってもたらせられたものであるという知識があり、二つの文化には同じ点が見られるのではないかという考えがあるからである。しかし実際のところ似た点も確かに見つかるのだが、相違点の方が多く見つかっている。これから、朝鮮と日本の文化の違いを講義で取り上げた中から私が興味を持ったものでレポートしていく。
①天文台と占星台
まず、「慶州の瞻星台（チョムソンデ）」と日本最古の天文台の「占星台」を比較する。瞻星台は現存する世界最古の天文台であり、６４７年に建立される（建立時代には諸説ある）高さは９．１メートルの石造建築物であり、新羅時代の天体観測の中心であったことは言うまでもない。また私はこの建造物が占星に使われていたとも推測する。なぜならこのころ陰陽五行説が朝鮮に伝わっており、天の運行を見て、地の作物等の生産計画を立てていたのと、王が天命を伺うための手段であり、その占儀は一大国家行事であった。天体そのものを見るのではなく、むしろ占うために天を見ていたと思われる。また６..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の国際協力（国際貢献）のあり方について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428848001@hc07/13665/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sjtjd1117]]></author>
			<category><![CDATA[sjtjd1117の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 May 2007 02:22:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428848001@hc07/13665/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428848001@hc07/13665/" target="_blank"><img src="/docs/983428848001@hc07/13665/thmb.jpg?s=s&r=1178644955&t=n" border="0"></a><br /><br />「日本の国際協力（国際貢献）のあり方について述べなさい。」 
　第２次世界大戦の終結を契機として、旧植民地の政治的独立、社会主義経済の台頭、先進工業諸国の経済復興と共に、経済開発は世界のあらゆる主権国家の最大政策課題となった。そのため、一[354]<br />　「日本の国際協力（国際貢献）のあり方について述べなさい。」
　第２次世界大戦の終結を契機として、旧植民地の政治的独立、社会主義経済の台頭、先進工業諸国の経済復興と共に、経済開発は世界のあらゆる主権国家の最大政策課題となった。そのため、一方で各国は金融・財政・産業・貿易政策等を通じて自国経済の成長と産業構造の高度化を計ると共に、他方ではかかる国民経済開発の適切な進展を促進せんがための国際経済協力体制の構築・強化に努めてきた。
日本の国際協力は、経済的援助を中心とした経済協力が主なものである。それは、第二次世界大戦後、平和憲法の制定や軍事主義復活を懸念する声などの影響から、日本が国際社会に関与できるのは軍事的なものではなく、経済的なものに限定されてきたからである。
　第二次世界大戦後しばらくは、わが国も援助の受け入れ国だった。アメリカの「占領地域救済政府資金」（ＧＡＲＩＯＡ）と「占領地域経済復興資金」（ＥＲＯＡ）は、荒廃したわが国の社会の安定と経済の復興に貢献した最初の援助だったし、戦後間もない４６年にはアメリカ、カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペル－などの国々から食糧や..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国会議員への命令委任の可否]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14632/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wady0202]]></author>
			<category><![CDATA[wady0202の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 18:40:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14632/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14632/" target="_blank"><img src="/docs/983432356401@hc05/14632/thmb.jpg?s=s&r=1194514819&t=n" border="0"></a><br /><br />憲法レポート～国会議員について、いわゆる「命令的委任」の制度を導入する法律を制定することは認められるか～
1．命令的委任の可否を考えるにあたって
　命令的委任とは、議員が選挙人の意思に拘束されることを意味し、選挙人の意思に反するときには、議[354]<br />憲法レポート～国会議員について、いわゆる「命令的委任」の制度を導入する法律を制定することは認められるか～
1．命令的委任の可否を考えるにあたって
　命令的委任とは、議員が選挙人の意思に拘束されることを意味し、選挙人の意思に反するときには、議員は選挙人から直接に議員の地位を奪われることとなる。そのようなことが認められるかを考えるにあたっては、日本国憲法が代表民主制をいかに考えているかが問題となる。具体的には、「国民主権」の意義と「全国民の代表」の意義がいかなるものであるのかを考えなければならない。
2．国民主権の意義
　「命令的委任」の制度を法律で定めることの可否について考える前提として、まず、国民主権の意義が問題となる。国民主権とは、国政についての最高の決定権、つまり、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威が国民に存することを意味する。日本国憲法は、前文において「主権が国民に存する」と規定し、また、第1条において「主権の存する日本国民」と規定しており、国民主権原理を採用しているが、その具体的意味内容については、争いがある。
(1)第1の考えは、国民主権は、国家の意思力を構成する..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国会議員と命令委任]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14631/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wady0202]]></author>
			<category><![CDATA[wady0202の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 18:40:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14631/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14631/" target="_blank"><img src="/docs/983432356401@hc05/14631/thmb.jpg?s=s&r=1194514802&t=n" border="0"></a><br /><br />＜国会議員について、いわゆる「命令的委任」の制度を導入する法律を制定することは認められるか＞
1．命令的委任とは、議員が選挙人の意思に拘束されることを意味し、選挙人の意思に反するときには、議員は選挙人から直接に議員の地位を奪われることとなる[356]<br />＜国会議員について、いわゆる「命令的委任」の制度を導入する法律を制定することは認められるか＞
1．命令的委任とは、議員が選挙人の意思に拘束されることを意味し、選挙人の意思に反するときには、議員は選挙人から直接に議員の地位を奪われることとなる。そのようなことが認められるかを考えるにあたっては、日本国憲法における代表民主制をいかに考えるかが問題となる。具体的には、「国民主権」の意義と「全国民の代表」の意義がいかなるものであるのかを考えなければならない。
2．国民主権とは、国政についての最高の決定権、つまり、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威が国民に存することを意味する。日本国憲法は、前..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国人の人権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14625/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wady0202]]></author>
			<category><![CDATA[wady0202の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 18:37:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14625/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432356401@hc05/14625/" target="_blank"><img src="/docs/983432356401@hc05/14625/thmb.jpg?s=s&r=1194514673&t=n" border="0"></a><br /><br />外国人の人権に関する判例(定住外国人地方選挙権訴訟事件判決について)
1．まず、事実の概要を述べる。本件訴訟は、永住資格を有する在日韓国人が、平成2年9月2日登録の選挙人名簿に登録されていなかったので、大阪市の4つの区の選挙管理委員会に対し[344]<br />外国人の人権に関する判例(定住外国人地方選挙権訴訟事件判決について)
1．まず、事実の概要を述べる。本件訴訟は、永住資格を有する在日韓国人が、平成2年9月2日登録の選挙人名簿に登録されていなかったので、大阪市の4つの区の選挙管理委員会に対し、選挙人名簿に登録するよう異議申立てをしたところ、それが却下されたために、右却下処分の取消しを求める訴えを提起したものである。
2．本件判決で問題となったのは、外国人に地方公共団体における選挙権が認められるかであるが、その前提として、外国人に日本国憲法による基本的人権保障が及ぶかどうかが問題となった。
　この点について本判決は、「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものである」と述べている。このことから本判決は、マクリーン事件判決と同様に外国人の人権享有主体性について肯定する立場をとり、その保障の範囲については、いわゆる性質説をとっていることがうかがわれる。
　日本国憲法は、人権を前国家的なものとする自然権思想にもとづいて制定されており..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「鉄鋼業と環境問題」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14612/]]></link>
			<author><![CDATA[ by milky]]></author>
			<category><![CDATA[milkyの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 15:30:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14612/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14612/" target="_blank"><img src="/docs/963982198374@hc07/14612/thmb.jpg?s=s&r=1194503439&t=n" border="0"></a><br /><br />鉄鋼業と環境問題
選択テーマ
鉄鋼業に関して興味、関心、疑問を覚えた事項及びその理由、その事項に関する見解、または、鉄鋼に対する認識が変化した点など
はじめに
鉄鋼業といえば自動車から製鉄所、高山まで、私たちの身近なところから地球にかけて様[352]<br />鉄鋼業と環境問題
選択テーマ
鉄鋼業に関して興味、関心、疑問を覚えた事項及びその理由、その事項に関する見解、または、鉄鋼に対する認識が変化した点など
はじめに
鉄鋼業といえば自動車から製鉄所、高山まで、私たちの身近なところから地球にかけて様々な影響を及ぼしている。そこで近代問題とされている地球環境問題について、鉄鋼業がどのように関わっているか、また対策なども行われているかについて、ここでレポートしてみる。
鉄鋼業と地球温暖化
地球環境問題には多様な問題があるが、その中でも鉄鋼業界に最も関係が深いのが地球温暖化である。
鉄鋼の生産法は、日本では二種類であり、最も一般的なのが高炉－転炉法である。高炉－転炉法は、高炉で鉄鉱石をコークスで還元・溶解してまず銑鉄を作り、次に転炉で酸素を吹き込み成分調整して粗鋼を作る。その粗鋼を圧延して鉄鋼製品を作る。鉄鉱石を還元する段階でエネルギー消費が大きいので、CO2の発生も多く、ここで地球温暖化の影響が大きいという。
一方、電気炉法は、鉄スクラップを電気炉の中で電力を用いて溶かして粗鋼を作り、圧延して鉄鋼製品を作る。原料として、既に還元された鉄スクラップを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[我が国における戦略的人事管理について.日]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14611/]]></link>
			<author><![CDATA[ by milky]]></author>
			<category><![CDATA[milkyの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 15:27:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14611/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963982198374@hc07/14611/" target="_blank"><img src="/docs/963982198374@hc07/14611/thmb.jpg?s=s&r=1194503227&t=n" border="0"></a><br /><br />我が国における戦略的人事管理について
日本はヨーロッパが第一次世界大戦を行っている際に、武器を供給する国として大きな役割を果たした。この時に莫大な利益をあげたのが、安田、三井などの所謂「財閥」であり、またその他にも鉄鋼産業では八幡製鉄所など[358]<br />我が国における戦略的人事管理について
日本はヨーロッパが第一次世界大戦を行っている際に、武器を供給する国として大きな役割を果たした。この時に莫大な利益をあげたのが、安田、三井などの所謂「財閥」であり、またその他にも鉄鋼産業では八幡製鉄所などが挙げられる。これらの財閥、また産業部門が後の日本経済の柱となって行く。しかし当時は労働者の労働環境、賃金面などを一切考慮しない経営が採られていた。低賃金で働かされ、労働者不足になると、一人の労働者に一日２０時間以上働かせ、まるで会社の奴隷のごとく使われていたのは事実である。そしてこの悲惨な労働環境に終止符がついたきっかけとなったのは第二次世界大戦での日本の敗戦である。これを機会にアメリカ中心の下、劣悪な労働契約を企業が結んではならない諸法律が整備され、日本は戦前とは異なる経営をすることとなる。つまり人間を酷使してはならない、奴隷同様に扱ってはならないという理念が現実に適用されたのだ。人間を人間たる扱いをするのは至極当然である、また人間はどんな人であれ、一日は皆同じ２４時間であるので自ら働ける時間は決まってくるし、働くことが出来る体力も限界があること..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[毒消し売りの社会史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14382/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shakara]]></author>
			<category><![CDATA[shakaraの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 25 Sep 2007 13:09:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14382/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14382/" target="_blank"><img src="/docs/983428421901@hc07/14382/thmb.jpg?s=s&r=1190693383&t=n" border="0"></a><br /><br />毒消し売りの社会史
近世において、日本では「家」制度の下、生活面でも経済面でも「家」を中心に回ってきた。しかし、近世、近代、現代へと移り変わる中で、その様態はだんだんと変化を遂げてきた。毒消し売りの社会史第二部ではその変化が毒消し売りの家々[358]<br />毒消し売りの社会史
近世において、日本では「家」制度の下、生活面でも経済面でも「家」を中心に回ってきた。しかし、近世、近代、現代へと移り変わる中で、その様態はだんだんと変化を遂げてきた。毒消し売りの社会史第二部ではその変化が毒消し売りの家々にも影響を及ぼし変化をさせてきたことがわかりやすく見て取れる。特に、角田浜においてはそれが顕著に現れているように思われる。
　私が最も興味を持ったのは、当時の人々、特に女性の家内での仕事である。毒消し売りの家である以上、やはり女性は外に働きに出てさらに家の中の仕事もする時代であったことがよくわかる。昔の女性は、家内の仕事、さらには外での女性の仕事を一手に引き受けていたというのは、本当に大変なことであったと思う。男性が漁に出ていることを考えても、女性の負担はやはり重かったであろう。また、男性が漁にでる、つまり海の近くの漁村とも言うべき地域において農家的生活をして、さらには女性が毒消し売りにでるという職業形態に驚きを感じた。主たる職業が、男性は漁業で女性は毒消し売りなのであろうか。遠い昔に、税金が米で納められていた時代のなごりなのかとも思った。さらに、角..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平仮名の成立について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kan3728]]></author>
			<category><![CDATA[kan3728の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Jul 2007 21:33:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/" target="_blank"><img src="/docs/983429038501@hc07/14189/thmb.jpg?s=s&r=1185539608&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の知識の泉は平仮名についてです。
日本語は中国語と違い、漢字と仮名を混用させて語の切れ目を表示するため、かつては漢字の発音だけを借りて別の語を書き表す方法をとっていました。これを仮借といいます。その仮借が定着してきて、万葉仮名が出来上が[358]<br />今回の知識の泉は平仮名についてです。
日本語は中国語と違い、漢字と仮名を混用させて語の切れ目を表示するため、かつては漢字の発音だけを借りて別の語を書き表す方法をとっていました。これを仮借といいます。その仮借が定着してきて、万葉仮名が出来上がりました。万葉仮名とは万葉集の中に使用されている文字のことです。万葉集は七世紀後半から八世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集です。四五〇〇首以上も収められており、全文が漢字で書かれていて漢文の体裁をなしています。しかし歌は日本語の語順で書かれていて、その時に使用していたのが万葉仮名でした。その万葉仮名が平安初期、極端に字形を簡略化して使用され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[今後の日本の農業について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429070801@hc07/14030/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakigake96]]></author>
			<category><![CDATA[sakigake96の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 13 Jul 2007 16:10:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429070801@hc07/14030/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429070801@hc07/14030/" target="_blank"><img src="/docs/983429070801@hc07/14030/thmb.jpg?s=s&r=1184310638&t=n" border="0"></a><br /><br />今後の日本の農業について
　現在日本の農業が抱えている問題のなかから、今回はいくつかあげ、あらためて考えてみようと思う。
　まず初めに、後継者がいないことがあげられる。なぜ後継者が少ないのだろうか。農業という仕事について考えてみよう。農業は[356]<br />今後の日本の農業について
　現在日本の農業が抱えている問題のなかから、今回はいくつかあげ、あらためて考えてみようと思う。
　まず初めに、後継者がいないことがあげられる。なぜ後継者が少ないのだろうか。農業という仕事について考えてみよう。農業は毎日毎日働かなければならない。休みなど、ない。大変きつい仕事である。また、着ている作業服もなんだか汚らしい。今の農業には、3K(くさい・きたない・きけん)という言葉がぴったりだ。それらが今の若者の心を突き放してしまっているのだろう。
　では、どのような農業形態であったら惹かれるのだろうか。私は、農協を株式会社にしてしまえばいい、と考えた。これなら、世間一般の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本と中国の歴史認識]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/]]></link>
			<author><![CDATA[ by i051286]]></author>
			<category><![CDATA[i051286の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 May 2007 23:47:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/" target="_blank"><img src="/docs/983428851601@hc07/13676/thmb.jpg?s=s&r=1178722068&t=n" border="0"></a><br /><br />日本と中国の歴史認識
　中国の歴史教科書にはさまざまなことがかいてあった。隋や唐の時代には親日でとても仲良くやっている様子が書かれていた。これ以後は対外貿易や倭寇、甲午中日戦争、中国を取り巻く外国の帝国主義、満州事変、盧溝橋事件、五四愛国運[358]<br />日本と中国の歴史認識
　中国の歴史教科書にはさまざまなことがかいてあった。隋や唐の時代には親日でとても仲良くやっている様子が書かれていた。これ以後は対外貿易や倭寇、甲午中日戦争、中国を取り巻く外国の帝国主義、満州事変、盧溝橋事件、五四愛国運動など戦争に関係することが大変多く感じた。特に戦争に関しては細かく書かれて、戦いの中での英雄が何をしたか、敵がどのように中国国民を虐殺したかが書かれていました。この詳細な内容には自分も知らなかったことが多く驚いています。これらのことは中国が近代において大変多くの戦いがあったことを示しています。
　日本の歴史教科書と中国の歴史教科書にはさまざまな違いがあると思..]]></description>

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			<title><![CDATA[イギリスと日本の結婚観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429028401@hc07/12942/]]></link>
			<author><![CDATA[ by asami222]]></author>
			<category><![CDATA[asami222の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 31 Jan 2007 01:32:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429028401@hc07/12942/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429028401@hc07/12942/" target="_blank"><img src="/docs/983429028401@hc07/12942/thmb.jpg?s=s&r=1170174767&t=n" border="0"></a><br /><br />Comparison between English marriage and Japanese marriage
There are a lot of similarities between Japan and England. Jap[120]<br />Comparison between English marriage and Japanese marriage
There are a lot of similarities between Japan and England. Japan and England are both island country, and climate resembles, too. (The climate is a genial and a damp.) Besides, there are the Imperial House and the Royal House in the two countries. Although Japan and England have a lot of similarities, there are various differences. At first, the language is different. English official language is English, and Japanese official language is..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本の貿易自由化への道]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429247301@hc06/12792/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teppeichan84]]></author>
			<category><![CDATA[teppeichan84の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 24 Jan 2007 15:31:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429247301@hc06/12792/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429247301@hc06/12792/" target="_blank"><img src="/docs/983429247301@hc06/12792/thmb.jpg?s=s&r=1169620306&t=n" border="0"></a><br /><br />私は貿易自由化に反対である。しかし、ルールに基づく競争であれば反対はしない。
　その理由というものは、まず、最近になって特に大きく取り上げられ、注目されている輸入品（食品、農産品など）の安全性がかなり不確かなことに関係している。これは、昨年[358]<br />私は貿易自由化に反対である。しかし、ルールに基づく競争であれば反対はしない。
　その理由というものは、まず、最近になって特に大きく取り上げられ、注目されている輸入品（食品、農産品など）の安全性がかなり不確かなことに関係している。これは、昨年から特に牛肉におけるＢＳＥの問題や、鶏肉における鳥インフルエンザなどの問題が発生して、その対応策として、輸入の制限や停止などの措置をとらなければならなくなった。このことから、特に日本国内で食品に対する不安が広がったといえる。もし貿易の自由化が進んでいったときに、今よりもさらに大量の食品が日本に入ってきて、私たちがそれらを口にする機会はより多くなってくるはずである。しかし、国外から入ってくるものは、国内産のものよりも不透明なことが多いといえる。今でもアメリカ産の牛肉の輸入はストップされている。これは、その生産にとどまらず、食品流通における管理体制というものが確立されていないことにより、何か問題が生じたときに、元々の問題の原点がわからない。この事件によってさらに食品への安全を求める声が日本国民から湧き出てきたことは言うまでもないだろう。日本における基準と..]]></description>

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			<title><![CDATA[語用論について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429174601@hc07/12582/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazu200287]]></author>
			<category><![CDATA[kazu200287の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Jan 2007 20:34:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429174601@hc07/12582/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429174601@hc07/12582/" target="_blank"><img src="/docs/983429174601@hc07/12582/thmb.jpg?s=s&r=1168688047&t=n" border="0"></a><br /><br />今回私は、語用論について考えていきたいと思う。語用論とは、ただ単純に言葉の意味を理解するのではなく、その言葉の使われている場面や言葉を使っている人物などを考えて言葉の意味を理解することである。私は現在、日本語はもちろん、英語、中国語と三つの[360]<br />今回私は、語用論について考えていきたいと思う。語用論とは、ただ単純に言葉の意味を理解するのではなく、その言葉の使われている場面や言葉を使っている人物などを考えて言葉の意味を理解することである。私は現在、日本語はもちろん、英語、中国語と三つの言語を学んでいる。中学、高校、大学と英語を学んでいるにも関わらず、実際に英語を使ってイギリス人と会話するのは大変だ。やはり、英語が母国語であるイギリス人と、第二外国語である私とでは完璧にコミュニケーションをとるのは難しい。では、日本人同士では上手くいくのかというと、そうとも限らない。同じ母国語を使って、コミュニケーションをしているにも関わらず、会話が上手くいかず、その発言をした人と、その言葉の受け手で違った解釈をしてしまうこともある。それはなぜだろうか。また、このようなケースもある。日本人がよく得意とするといわれている、最後まで発言をせずに相手に気持ちを察してもらうということがある。これは、最初の一言、二言で相手の気持ちを受け手が汲み取ってあげて、その結果最後まで言わなくても分かってあげるということである。同時に、発言した人も途中まで言ったら、相手に..]]></description>

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			<title><![CDATA[身近なところから考える日韓文化比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/12343/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alpaca]]></author>
			<category><![CDATA[alpacaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Dec 2006 15:46:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/12343/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429242901@hc06/12343/" target="_blank"><img src="/docs/983429242901@hc06/12343/thmb.jpg?s=s&r=1167374783&t=n" border="0"></a><br /><br />序論
　日本から非常に近い国、韓国。近年日本ではテレビドラマや映画を中心とした韓国ブームが巻き起こった。私は世間の人々や友人たちが韓国ブームに乗り騒いでいるのを見ながらも、自分はそのブームに乗ろうとはしなかった。それはなぜかというと、私に[356]<br />序論
　日本から非常に近い国、韓国。近年日本ではテレビドラマや映画を中心とした韓国ブームが巻き起こった。私は世間の人々や友人たちが韓国ブームに乗り騒いでいるのを見ながらも、自分はそのブームに乗ろうとはしなかった。それはなぜかというと、私には韓国が日本によく似ていて、どちらかといえば韓国のほうが日本より少し遅れている印象を持っていたからだ。似たもの同士なら、より発展している方でいい、という具合で、韓国にはあまり興味を持たなかった。
　しかし私が今回このレポートのテーマを日本と韓国の比較にしようと思い立ったのは、同じクラスに韓国人の友人ができたのがきっかけである。彼女と接していくうちに、だんだん韓国を知ることが面白くなり、韓国に興味を持つようになったからである。
このように単純なきっかけからだが、私は調べていくうちに気づいたことがある。それは、すぐに違いが分かる東洋と西洋の比較より、同じ東洋文化圏に属す似たもの同士の比較の方が、より鮮明に各国の特徴を捉えることができるということだ。
　では早速、私が見たり聞いたり読んだりすることで学んだ日韓の文化、そして思想について述べたいと思う。
第一章..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本の健康を考える]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431254101@hc06/12135/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tetsu0125]]></author>
			<category><![CDATA[tetsu0125の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Dec 2006 17:50:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431254101@hc06/12135/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431254101@hc06/12135/" target="_blank"><img src="/docs/983431254101@hc06/12135/thmb.jpg?s=s&r=1166604635&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の健康を考える
　日本は、平均寿命世界一の国である。この長寿を支えているのは、日本人のスリムな体型、ヘルシーな和食、少ないアルコール摂取量、女性の低い喫煙率、医療・保険制度の充実、衛生管理、医療レベルの充実、交通の充実、高い生活水準、良[358]<br />日本の健康を考える
　日本は、平均寿命世界一の国である。この長寿を支えているのは、日本人のスリムな体型、ヘルシーな和食、少ないアルコール摂取量、女性の低い喫煙率、医療・保険制度の充実、衛生管理、医療レベルの充実、交通の充実、高い生活水準、良い治安、健康に対する国民の意識などが考えられるが、これらの基盤となるものは、高い経済力と、平和と平等と健康が大好きな国民性であろう。そして日本は、平均寿命と非常によく相関する健康寿命においても世界一を誇っている。健康寿命は、「一生の中で、介護が不要で健康に生活できる期間」と解釈されているのが一般的である。
　しかし、日本を「世界一の健康国」ということができるだろうか。WHO（World Health Organization：世界保健機関）は、健康を「肉体的、精神的および社会的に完全に良好な状態にあることで、単に疾病または虚弱でないということではない」と定義している。この定義に従って日本の健康を考えたとき、「肉体的」については衛生管理や医療レベルの充実、「社会的」については高い生活水準や治安の良さから、「肉体的」と「社会的」については、ある程度健康で..]]></description>

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			<title><![CDATA[「自分をどう表現するか　パフォーマンス学入門」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12068/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 Dec 2006 02:05:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12068/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12068/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/12068/thmb.jpg?s=s&r=1166115931&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　「自分をどう表現するか　パフォーマンス学入門」を読んで
　国と国とで、自己表現の方法は異なる。その違いについて調べることによって、今後国際的な場面において、自己表現が求められる際に大きなアドバンテージとなるのではないか、と思[358]<br />　　　　　　　　「自分をどう表現するか　パフォーマンス学入門」を読んで
　国と国とで、自己表現の方法は異なる。その違いについて調べることによって、今後国際的な場面において、自己表現が求められる際に大きなアドバンテージとなるのではないか、と思いこの本を選んだ。はじめに本文の要約をし、そのあとに自分の意見を述べていきたいと思う。
日米の、人と人との間の近接距離（プロシミクス）を比較すると、次のようなことがわかる。例えば、空港などで親しい人を出迎えるとき日本の空港では、両者の間に適切な距離がある。しかし、アメリカの空港では両者は抱き合ったりするので距離はゼロである。それとは逆に、アメリカにおいて他人..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[「英語的思考」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12062/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Dec 2006 20:18:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12062/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/12062/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/12062/thmb.jpg?s=s&r=1166095080&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　　　　　「英語的思考」を読んで
言語が異なれば、思考も異なるのではないか。以前から私はこのような疑問を抱いていた。その疑問に対しての手がかりになりそうなのがこの本である。九つの章から成り立っているが、私が興味をもった四つの章[358]<br />　　　　　　　　　　　　「英語的思考」を読んで
言語が異なれば、思考も異なるのではないか。以前から私はこのような疑問を抱いていた。その疑問に対しての手がかりになりそうなのがこの本である。九つの章から成り立っているが、私が興味をもった四つの章を要約し、感想を述べていきたいと思う。
第一章は「雄弁こそ金、沈黙は&hellip;&hellip;」である。このタイトルは日本のことわざ「沈黙は金、雄弁は銀」と対照的になっており、日本語と英語におけるコミュニケーションの捕らえかたの違いを示唆しているようにもとれる。ここでは、英語圏の子供たちは幼い頃から自分の考えをはっきりいう事は生きていくうえで極めて重要なことと言い聞かせられていることがうかがえる。アメリカでは、学校の科目で「演説法」というものが設けられているほどである。
アメリカ人のコミュニケーション能力の高さは日本人にはない特徴として着目していたが、学校教育でそのような取り組みがなされているとは思わなかった。ここに日本と英語圏のコミュニケーションに対する意識の違いが見て取れると思う。
第二章は「個人主義と集団主義」である。「個人主義」は日本では利己的、英語圏では「自立的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世界に誇れる日本の文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429369501@hc06/11614/]]></link>
			<author><![CDATA[ by genbaku]]></author>
			<category><![CDATA[genbakuの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Nov 2006 15:52:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429369501@hc06/11614/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429369501@hc06/11614/" target="_blank"><img src="/docs/983429369501@hc06/11614/thmb.jpg?s=s&r=1164091956&t=n" border="0"></a><br /><br />世界に誇れる日本の文化は、アニメーションである。日本のアニメーションは、今や世界中で高い評価を受け、ジャパニメーションという言葉さえできている。日本のアニメは従来２Dアニメーションが一般的であったが、現在は３Dアニメーションで世界へ進出をし[356]<br />世界に誇れる日本の文化は、アニメーションである。日本のアニメーションは、今や世界中で高い評価を受け、ジャパニメーションという言葉さえできている。日本のアニメは従来２Dアニメーションが一般的であったが、現在は３Dアニメーションで世界へ進出をしようとしている。３Dアニメーションが世界に通じることができるか。また、日本のアニメーション業界の問題についても述べていく。
３Dアニメーションといえば、日本よりアメリカの３Dアニメーションの方が人気である。例えば、映画『トイ・ストーリー』『ファインディング・ニモ』などである。これらは、アメリカだけではなく、日本でも上映され人気があった。では、日本の３Dアニメ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本はなぜ植民地を領有するようになったか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429374401@hc06/11579/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 0shin0]]></author>
			<category><![CDATA[0shin0の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 20 Nov 2006 10:34:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429374401@hc06/11579/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429374401@hc06/11579/" target="_blank"><img src="/docs/983429374401@hc06/11579/thmb.jpg?s=s&r=1163986483&t=n" border="0"></a><br /><br />日本はなぜ植民地を領有するようになったか
　　　
日本がアジアで初めて植民地を領有したのは、1895年日清戦争の翌年のことであった。それには日本が東アジアの近隣諸国においてどのような地位を確保しようとしたかに関わってくる。ひとえになぜ植民地[348]<br />日本はなぜ植民地を領有するようになったか
　　　
日本がアジアで初めて植民地を領有したのは、1895年日清戦争の翌年のことであった。それには日本が東アジアの近隣諸国においてどのような地位を確保しようとしたかに関わってくる。ひとえになぜ植民地を領有するようになったのか、それを論じることは大変複雑であり、難しい。ここではどのような影響により日本が植民地を持つようになったのか簡単ではあるが一通り見ていくことにしたい。
　まず、1868年明治維新によって江戸幕府が倒され、近代国家として出発しようとしたとき、すでに欧米諸国は資本主義化を押し進め、帝国主義の段階に入っていた。その中で自然と問題となったのが、清国との国交関係の樹立との関連で、朝鮮との国交関係をどう位置づけるかであった。日本は清国と同じように朝鮮を属邦として扱うという方針を立てたが、当然朝鮮政府は拒否し、日本の中で征韓論が巻き起こった。そして日本は朝鮮を清国の属国から自国の属国へすべく日朝修好条規を結び朝鮮を開国させた。朝鮮で甲申事変が起こると、日本と清国はそれぞれ戦争ができるような状態ではなかったために天津条約を結び、いったん事態を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[NPO、NGO論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429937801@hc06/11019/]]></link>
			<author><![CDATA[ by garibenn]]></author>
			<category><![CDATA[garibennの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 Oct 2006 11:50:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429937801@hc06/11019/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429937801@hc06/11019/" target="_blank"><img src="/docs/983429937801@hc06/11019/thmb.jpg?s=s&r=1159930247&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、山内直人氏の書いた「ノンプロフィット・エコノミー　〜NPOとフィランソロピーの経済学〜」を読み、書評と現在のNPOの概観と今後を述べていく。
はじめに、この本の紹介をする。民間非営利セクターの営み、すなわち助成財団、私立学校、草の根[344]<br />NPO・NGO論
私は、山内直人氏の書いた「ノンプロフィット・エコノミー　～NPOとフィランソロピーの経済学～」を読み、書評と現在のNPOの概観と今後を述べていく。
はじめに、この本の紹介をする。民間非営利セクターの営み、すなわち助成財団、私立学校、草の根市民団体などNPOと総称される組織の行動原理や、寄付、ボランティアといったフィランソロピー活動について、経済分析の方法を用いて、理論と実証の両面から包括的に分析したものである。最近、とりわけ阪神大震災以降、こうした民間非営利活動への関心は、研究者や政策担当者の間だけでなく、一般市民の間でも急速に高まってきた。しかし、そもそも市場経済システムの中になぜNPOが存在するのか、営利企業との本質的な違いをどこに求めるか、寄付やボランティアはどのような動機によって行われるのか、寄付税制などの制度はどのように設計されるべきか、といった基本的な問いに納得のゆく説明を与えることは簡単ではない。この本の主要な目的は、こうした問いに経済理論的かつ整合的な回答を与えてくれるものである。
NPO・NGO、民間非営利セクター、フィランソロピー、ボランティアとい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ドイツから学ぶこと]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429721401@hc06/10692/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madamdam]]></author>
			<category><![CDATA[madamdamの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Aug 2006 10:12:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429721401@hc06/10692/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429721401@hc06/10692/" target="_blank"><img src="/docs/983429721401@hc06/10692/thmb.jpg?s=s&r=1156036379&t=n" border="0"></a><br /><br />日本でも最近、幼児虐待が多くなった。また、子どもをどう育ててよいか分からない親が多い。そのため、育児の相談ができる制度や施設が整備・拡充されつつある。では、子ども育てるうえで一番大切なこととは何であろうか。
それは、「子どものありのままの[356]<br />ドイツから学ぶこと
はじめに
　親子関係を築く基盤とは何であろうか。何を置いても必要なのは「愛情」であろう。しかし、それだけでは本当に健全で温かい家庭の姿を望むことはできない。親と子の両方からの愛情と理解が満たされてはじめて、親と子が共に人間として成長し、生きていくことができるのである。それを実践するために、私達に求められていることを考えてみたい。
ドイツの教育方針
　家庭教育に関して、ドイツと日本とでは相違がある。ここではいくつか気付いた点を挙げていく。
　第一に、ドイツでは子どものしつけが厳しい。特に生活習慣は厳しく確立されている。
　第二に、他人が子どもの教育に責任を感じ、人に迷惑をかけた場合には注意を与える。日本では近年あまり見かけなくなった光景であるが、ドイツでは年輩者が若者や子どもに注意を与えることが日常的に行われている。
　第三に、マナーを身に付けている人が多い。これは社会道徳にも通じることでもあるが、自然に他人に親切にすることが出来る。これは、ヨーロッパの国々が陸続きで民族も多様であり、他人や他国の人と話をすることに抵抗が薄いからと言える。
　第四に、人に迷惑をかけない..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人口減少社会と外国人雇用]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10328/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Aug 2006 21:45:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10328/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10328/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/10328/thmb.jpg?s=s&r=1154781902&t=n" border="0"></a><br /><br />１．国際協力について
（１）自分の興味のある領域・ことがら
「国際協力」
前回は資金面で国際協力を見てきたが、今回は人口減少と関連づけてすすめていきたい。（２）調査した社会統計の名称・統計を作成している部局
外国人雇用状況報告（厚生[344]<br />　国際協力
　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
国際協力について
自分の興味のある領域・ことがら
「国際協力」
前回は資金面で国際協力を見てきたが、今回は人口減少と関連づけてすすめていきたい。（２）調査した社会統計の名称・統計を作成している部局
　　　外国人雇用状況報告（厚生労働省）
（３）統計の性質
指定統計
　　　調べた統計の年数：年数を追ったものはなかった。
使用した数値は平成16年6月1日現在のものである。
（４）類似の統計との違い
　　①類似の統計の有無：類似の統計は見当たらなかった。
類似統計との性質の違い：なし
２．調査結果
（１）問題意識
私が考える人..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[統計で見るＯＤＡ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10327/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Aug 2006 21:39:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10327/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/10327/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/10327/thmb.jpg?s=s&r=1154781582&t=n" border="0"></a><br /><br />１　国際協力について
（１）興味のある事柄
日本の政府開発援助（Official  Development  Assistance = ODA）の実績と
他国とのODA実績の比較
（２）調査した社会統計類の名称・統計を作成している部[260]<br />　　　　　国際協力　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　
１　国際協力について
興味のある事柄
日本の政府開発援助（Official Development Assistance = ODA）の実績と
他国とのODA実績の比較
調査した社会統計類の名称・統計を作成している部局
ODA白書：
ODA50年の成果と歩みを特集して、日本が半世紀にわたり途上国の発展に果たして
きた役割について、具体的事例を交え記述したもの。今回はODA白書より「日本のODA実績の推移」「DAC主要国のODA実績の推移」を取り上げる。
DAC＝　開発援助委員会（Development 　Assistance　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[決済システムのリスク対策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430360401@hc06/9864/]]></link>
			<author><![CDATA[ by axeagp2]]></author>
			<category><![CDATA[axeagp2の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Jul 2006 01:12:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430360401@hc06/9864/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430360401@hc06/9864/" target="_blank"><img src="/docs/983430360401@hc06/9864/thmb.jpg?s=s&r=1153325524&t=n" border="0"></a><br /><br />コンピューターや、ネットワークインフラの発達が進む中、金融分野でも自由化、国際化、ＩＴ化が進んでいる。それに伴って資金の決済量も飛躍的に増加しており、決済システムのリスクは拡大を続けている。世界各国の金融当局者、決済関係者の間では、決済を行[360]<br />　　　　 決済システムのリスク対策　　　　　
日本の決済システムの課題
目次
はじめに　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　P. 3
第一章　決済システム　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
第一節　　決済システムとは　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 P. 5
第二節　　日本の決済システム　　　　　　　　　　　　　　　　　　 P. 7
第二章　決済リスク　　　　　　　　　　　　　　　　　 
第一節　　決済リスクの種類　　　　　　　　　　　　　　　　　　　P. 12
第二節　　決済リスクの回避・削減　　　　　　　　　　　　　　　　P. 14
第三章　欧米の決済リスク対策　　　　　　　　　　　　 
第一節　　欧州の決済システム　　　　　　　　　　　　　　　　　　P. 17
第二節　　アメリカの決済システム　　　　　　　　　　　　　　　　P. 20
第四章　日本の決済システムの行方　　　　　　　　　　 P. 22
図表　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 P. 24
参考文献　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 P. 30
はじめ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の独自性と普遍性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431064501@hc06/9395/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nikuokue]]></author>
			<category><![CDATA[nikuokueの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 06 Jul 2006 10:00:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431064501@hc06/9395/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431064501@hc06/9395/" target="_blank"><img src="/docs/983431064501@hc06/9395/thmb.jpg?s=s&r=1152147657&t=n" border="0"></a><br /><br />世界に誇れる日本の独自性と普遍性とは何か？私は以下の様に考えます。

・血縁関係にない赤の他人も、同じ釜の飯を食べれば家族同様の温かい全人的一体感を持って集団に溶け込む。つまりウチの仲間に入る事が出来る。自分の会社をウチの会社と呼んだり[352]<br />　世界に誇れる日本の独自性と普遍性とは何か？私は以下の様に考えます。
・　血縁関係にない赤の他人も、同じ釜の飯を食べれば家族同様の温かい全人的一体感を持って集団に溶け込む。つまりウチの仲間に入る事が出来る。自分の会社をウチの会社と呼んだり、自分の通う学校をウチの学校と呼び方をするのが典型的な例である。
礼に始まり礼に終わるように礼儀を重んずる。良好な人間関係を好み温もりを大事にする。周囲との同調、協調性を重んじる。周囲の空気を大切にする為に言葉が少なくても相手の言っている事を瞬時に理解する能力に秀でている。
・細やかな感性と繊細な仕事を行う職人文化である。独創的な作品は作れずとも創意工夫をし、良い文化はいち早く吸収し技術を発展させる能力は世界一である。あらゆる分野において日本製品が優れているのは、奇抜なアイデアや独創的なデザインによるものではなく、海外から取り入れた文化や技術を組合せ、より生活に密着させ、使いやすさ、周りとの同調性、一つ一つの感覚に響くように細やかに作られている為である。代表的なものとしてアニメ、菓子類、ｹﾞｰﾑ、車、電化製等である。
上記事柄を踏まえた上での中等社会科..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本国憲法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430631701@hc06/9326/]]></link>
			<author><![CDATA[ by limewire]]></author>
			<category><![CDATA[limewireの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 04 Jul 2006 17:40:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430631701@hc06/9326/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430631701@hc06/9326/" target="_blank"><img src="/docs/983430631701@hc06/9326/thmb.jpg?s=s&r=1152002424&t=n" border="0"></a><br /><br />自民党改憲｢論点整理｣は婚姻･家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである、と記した。家族・共同体の価値を重視する考えがどうして婚姻・家族における両性平等の見直しにつながるのだろうか。
　まず一つだけは[358]<br />日本国憲法レポート
１．
自民党改憲｢論点整理｣は婚姻･家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである、と記した。家族・共同体の価値を重視する考えがどうして婚姻・家族における両性平等の見直しにつながるのだろうか。
　まず一つだけはっきりしているのは家族・共同体の価値を重視すると、両性の平等が邪魔になる何らかの家族や共同体の価値が考えられているということである。自民改憲PTは、｢論点整理｣の中で「利己主義」すなわち｢権利が義務を伴い、自由が責任を伴う｣ことへの無理解が家族・共同体の｢破壊｣につながったことを強調し、非難している。とするなら、自民改憲PTが｢重視｣する｢家族や共同体の価値｣の内実は、｢家族や共同体における責務｣であると考えて間違いないだろう。つまり、家族や共同体の価値を重視するとは、家族や共同体における責務を明確にすることを意味している。｢家族や共同体における責務｣として念頭に置かれているのは、｢家族を扶助する義務｣である。
　以上の点をふまえて、＜家族・共同体の価値の重視＞&rArr;＜婚姻・家族における両性平等の規定の見直し＞という提案の飛躍部..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本とアメリカの老人ホームの特色や相違点について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430164501@hc06/9272/]]></link>
			<author><![CDATA[ by torute]]></author>
			<category><![CDATA[toruteの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jun 2006 19:19:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430164501@hc06/9272/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430164501@hc06/9272/" target="_blank"><img src="/docs/983430164501@hc06/9272/thmb.jpg?s=s&r=1151662787&t=n" border="0"></a><br /><br />今日、わが国は急速な社会変化に伴い高齢社会へ突入した。平成15年度、高齢労働白書によると平均寿命は男性約78.歳、女性は約85歳となっており、人口構成は年少人口14.3％、生産年齢人口66.1％、老年人口19.6％となっている。また、合計特[322]<br />「日本とアメリカの老人ホームの特色や相違点について概説し、わが国の老人福祉施設をめぐる今日的課題について述べよ」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　今日、わが国は急速な社会変化に伴い高齢社会へ突入した。平成15年度、高齢労働白書によると平均寿命は男性約78.歳、女性は約85歳となっており、人口構成は年少人口14.3％、生産年齢人口66.1％、老年人口19.6％となっている。また、合計特殊出生率は1.32であり世界で例を見ない速さで高齢者の増加が進み、少子高齢社会を迎えることとなった。わが国における高齢者問題は深刻化の傾向を示し、それゆえ今後ますます重要な課題といえる。特に福祉と医療の問題は高齢者だけでなく社会全体の問題として取り組まなくてはならない。
高齢者人口が急速に増大する中で、高齢者への効果的な援助を提供するには、医療と福祉の連携が不可欠である。また、高齢者のサービスは、質、量共に不十分であり、すべての高齢者が安心して生活できる社会の実現は困難である。以下、日本とアメリカの老人ホームについて述べていきたい。
日本の老人ホーム
わが国の高齢者福祉施設様々な問題を抱えている。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[吉田政権下における日米外交]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9164/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Jun 2006 06:02:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9164/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/9164/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/9164/thmb.jpg?s=s&r=1151010168&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ね[328]<br />｢吉田政権下における日米外交｣
目次
１．はじめに
２．吉田茂について
（１）吉田茂の略歴
（２）吉田ドクトリンとは
（３）吉田内閣の政治基盤について
３．冷戦の開始
４．講和条約調印まで
（１）朝鮮戦争の開始
　（２）講和交渉と安全保障問題
　（３）サンフランシスコ講和の光と影
５．サンフランシスコ講和以後
６．おわりに
参考･引用文献
１．はじめに
　1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国際的位置を基本的に定めたという点で吉田茂の外交が果たした役割は大きい。
　本発表では、第二次～第五次吉田内閣(1948年10月19日～54年12月10日)の日米外交を踏み込んで見ることによって、戦後の新しい国家像(吉田ドクトリン)が形成されていったのかを明らかにしていきたい。
　第二次から第五次吉田内閣は外交の観点から大きく分けて①1951年9..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 戦後日本経済]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yukina]]></author>
			<category><![CDATA[yukinaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Jun 2006 14:07:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/" target="_blank"><img src="/docs/983430276001@hc06/8886/thmb.jpg?s=s&r=1150002452&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本は、国土も、経済力も、国[354]<br />・戦争直後の日本経済
戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本は、国土も、経済力も、国民生活も、戦争の被害で破壊されていた。そのような中での再出発だった。まず、第一歩として、GHQは五大改革指令を出し、農地改革や、労働民主化、財閥解体・独占禁止が中心となっていた。財閥解体は、1945年に戦前に力を持ちすぎていた、三井・三菱・住友・安田をはじめとする、15財閥の凍結・解散が行われた。翌年には、持ち株会社整理委員会が発足し、株式の民主化が進められた。1947年には、アメリカの法律にならった独占禁止法を公布し、その監査機関として公正取り引き委員会が設置された。同年、過度経済力集中排除法が制定され、325社の企業の分割が行われた。ＧＨＱによって行われた民主化政策は、日本のためにというより、今後復讐されないように、非武装化させ、戦争能力を奪う目的のためであったようだ。　　　　　　　　　
だが、食糧不足と貨幣増刷などにより、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[論評「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Jun 2006 17:00:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/8723/thmb.jpg?s=s&r=1149235246&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　本稿は論文「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題」を読んで、要約した上で、論文の感想を述べていく。

[177]<br />論評「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題，1944-45年―「喪失した機会」と「独立自主」―」
目次
１．はじめに
２．論文の構成
３．要旨
４．論文を読んで感じたこと
１．はじめに
　本稿は論文「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題，1944-45年―「喪失した機会」と「独立自主」―」を読んで、要約した上で、論文の感想を述べていく。
２．論文の構成
　Ⅰ　はじめに
　Ⅱ　国民政府軍の潰走と中共の河南への発展
　Ⅲ　中共の江蘇・浙江への発展と対米接近
　Ⅳ　「南下支隊」の出発とソ連の対日参戦問題
　Ⅴ　東北への発展の展望と対米認識の変化
　Ⅵ　おわりに
３．要旨
　本論文は「Ⅰはじめに」で、先行研究を整理したうえで二つの問題設定をしている。
　一つ目は中国現代史研究とイデオロギーとの係わり合いを論じたうえで、問題設定をしている。以下、先行研究とイデオロギーとの係わり合いをまとめていきたい。
　1950年以降、米国のアジア政策は「冷戦」の激化に伴って、反共産主義で硬直化することとなる。そうした中、49年の中華人民共和国建国は米国による中国の「喪失」と捉えられて、過去の出来事に関..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ アジアの経営]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430380901@hc06/8589/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tatsuya55]]></author>
			<category><![CDATA[tatsuya55の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 24 May 2006 14:09:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430380901@hc06/8589/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430380901@hc06/8589/" target="_blank"><img src="/docs/983430380901@hc06/8589/thmb.jpg?s=s&r=1148447368&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の課題は玉川大学卒業であり、現在は玉川大学非常勤講師をしている本修さんからアジアの経営のことや、アジアにいる私たちのような若い人々は日々どのような生活をしているのかということなど日本は他のアジア諸国に比べどれくらいめぐまれているかという[360]<br />「アジアにおける経営の将来」
　今回の課題は玉川大学卒業であり、現在は玉川大学非常勤講師をしている本修さんからアジアの経営のことや、アジアにいる私たちのような若い人々は日々どのような生活をしているのかということなど日本は他のアジア諸国に比べどれくらいめぐまれているかということなど現在の日本とアジア諸国について講義し、以下にアジアの経営の将来はどうなっていくのかということを考えてみたいと思う。
　アジアの様々な国を現地にいって見てきたと本先生は言っていて、現在のアジア諸国では恵まれている国ももちろんあるが、反対に恵まれてない国も多くあり貧困に悩まされている人々が世界中で数十億人もいると言われてい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 日本における民主主義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431508301@hc05/8256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by タツ]]></author>
			<category><![CDATA[タツの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 May 2006 13:00:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431508301@hc05/8256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431508301@hc05/8256/" target="_blank"><img src="/docs/983431508301@hc05/8256/thmb.jpg?s=s&r=1146888053&t=n" border="0"></a><br /><br />多数派の意見が本当に正しい選択なのか？
民主主義であれば、意思決定の方法は当然、多数決です。多数決で意思決定をすれば、必然により多くの人は幸福になりますが、少数派の人々は無視してよいのでしょうか？少数派なのだから仕方ないとあきらめたとして[356]<br />日本における民主主義
　多数派の意見が本当に正しい選択なのか？
民主主義であれば、意思決定の方法は当然、多数決です。多数決で意思決定をすれば、必然により多くの人は幸福になりますが、少数派の人々は無視してよいのでしょうか？少数派なのだから仕方ないとあきらめたとしても、多数派の意見は正しいことなのかという疑問が残ります。その例がイスラム教の原理主義者が多数を占めている国です。この国は多数派が少数派の意見を抑え込み、国をあげてテロを実行しているといいます。国内では多数派の意見でテロを実行しているとしても明らかにおかしいことです。
　このように民主主義はとてもいい政治形態のようですが完璧ではなく、欠点..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 日本人の海外ブランド信仰について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431204501@hc06/8042/]]></link>
			<author><![CDATA[ by icbum910]]></author>
			<category><![CDATA[icbum910の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Apr 2006 17:34:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431204501@hc06/8042/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431204501@hc06/8042/" target="_blank"><img src="/docs/983431204501@hc06/8042/thmb.jpg?s=s&r=1145262855&t=n" border="0"></a><br /><br />現在の日本はブランドに傾倒、あるいはブランド信仰が成り立っている状態といえる。特に国外のブランドには弱く、私達の身の回りには数多くの海外ブランド品で溢れている。有名ブランド品に対する人気は景気が低迷する近年でも衰えてはいない。だが、国内のブ[360]<br />日本人の海外ブランド信仰について
現在の日本はブランドに傾倒、あるいはブランド信仰が成り立っている状態といえる。特に国外のブランドには弱く、私達の身の回りには数多くの海外ブランド品で溢れている。有名ブランド品に対する人気は景気が低迷する近年でも衰えてはいない。だが、国内のブランドが品質的に劣っているというわけではなく、たとえ同品質の商品であったとしても、有名ブランドのロゴが入っているものといないものとでは価格に差があったとしても売れ行きが良いのは有名ブランド品の方である。では、日本人はどうして海外ブランドを好むのだろうか。
私達が物を買うときの判断基準はいくつかある。思いつくのは、品質・価格・性能・デザインといったところだろう。これらの項目を相対的に比較したり、自分の持つ絶対的な基準と比較したりして、どれを買うか、あるいは買わないのかを決めている。
海外のある有名なデザイナーがベルトをデザインした。彼のコンセプトはシンプルで良質なものを作るということだった。そして、そのベルトを日本で売ろうとしたがそれでは駄目だった。なぜなら、いわゆる『ブランド印』が付いていなかったからだ。それでは売れ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 日中間の伝統的安全保障と新しい安全保障]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 02:02:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7869/thmb.jpg?s=s&r=1144688560&t=n" border="0"></a><br /><br />安全保障の概念は多岐にわたる。伝統的な純軍事的な勢力均衡・領土問題を基本として、食料問題・環境問題・エネルギー問題・経済発展と開発など言わば国家の国民に対する福祉の分野などの、今日のグローバル化した国際社会によって新たに重層的な構造を持つよ[360]<br />日中間の伝統的安全保障と新しい安全保障
　安全保障の概念は多岐にわたる。伝統的な純軍事的な勢力均衡・領土問題を基本として、食料問題・環境問題・エネルギー問題・経済発展と開発など言わば国家の国民に対する福祉の分野などの、今日のグローバル化した国際社会によって新たに重層的な構造を持つようになった新しい形の安全保障などだ。日本と中国の二国間では、伝統的な安全保障面においては、日中国交正常化から棚上げされていたが、昨今再燃している尖閣諸島の帰属問題、中台間における帰属問題から派生するシーレーン上の日本の安全確保、冷戦終結後の東アジアでの勢力均衡などが恒常的問題として挙げられるだろう。まず日本と中国の安全保障を論じる前に、日本と中国は地続きで隣接する国家というわけではなく、東シナ海を挟んで隣接する、という特徴から様々な問題が生じてくることを確認しておかなくてはならない。海洋を挟んで隣接する国家間で問題になることは、明確な国境線の制定をいかにするかということである。日本の国家運営が海洋による輸送に依存する海洋国家であり、国家防衛も海洋をキーとしている限り、東シナ海での国境線の制定は大げさなことでは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[博覧会と家族制度の変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7866/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 01:53:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7866/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7866/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7866/thmb.jpg?s=s&r=1144688014&t=n" border="0"></a><br /><br />博覧会の意味と家族制度の変遷は興味深いものであった。比較文化論でもよく取り上げられることだが、我々が過去の歴史に対して抱いているイメージというか固定観念はあまりにもその起源が浅く、明確に出所を発見することできる。そういったものを見つけていく[360]<br />博覧会と家族制度の変遷
博覧会の意味と家族制度の変遷は興味深いものであった。比較文化論でもよく取り上げられることだが、我々が過去の歴史に対して抱いているイメージというか固定観念はあまりにもその起源が浅く、明確に出所を発見することできる。そういったものを見つけていく作業は大変興味深いものだ。
今回の講義で驚いたことは、生活への電気機器の普及に国家的思惑が介入しており、それと同時に女性の国民としての役割というものが根底にあったということである。明確な形のモデルケースが提示されているのが大変興味深かった。「家庭の生成と女性の国民化」を読んでいて、興味深かったのはやはり生活同盟会が提唱した家庭像である。家庭内での子供への教育であるとか、家庭団欒、プライベートの重視など今まで抱いてきていた日本の家庭像が崩れる音がした。また、教育対象としての女性の存在という思想も国民国家が目指す国家像とその潮流の中でのジェンダーを考えるうえで非常に参考になった。以下は「家庭の生成と女性の国民化」の第四章を読んでの感想である。
婦女子に教育をほどこすということは、国力の基盤であるとされた家庭のボトムアップを図ったも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[&ldquo;全米でブレイク、パフィーから学ぶメディアのあり方&rdquo;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430902501@hc06/7023/]]></link>
			<author><![CDATA[ by icryforyou]]></author>
			<category><![CDATA[icryforyouの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 20 Feb 2006 03:43:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430902501@hc06/7023/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430902501@hc06/7023/" target="_blank"><img src="/docs/983430902501@hc06/7023/thmb.jpg?s=s&r=1140374624&t=n" border="0"></a><br /><br />　今アメリカで、大貫亜美と吉村由美の女性デュオ「ＰＵＦＦＹ（パフィー）」がうけているのはご存知だろうか。正確には2人が主人公のアニメ「ハイ ハイ パフィー・アミユミ」が、2004年秋にアメリカのアニメ専門局で放送を開始してアニメ番組としては[346]<br />&ldquo;全米でブレイク、パフィーから学ぶメディアのあり方&rdquo;
今アメリカで、大貫亜美と吉村由美の女性デュオ「ＰＵＦＦＹ（パフィー）」がうけているのはご存知だろうか。正確には2人が主人公のアニメ「ハイ ハイ パフィー・アミユミ」が、2004年秋にアメリカのアニメ専門局で放送を開始してアニメ番組としては異例の平均6.4％という高視聴率を記録し、実際のパフィーにまでその人気が及んでいるということだ。その人気が評価され、今年の1月16日に国土交通省から米国親善大使に任命されるまでになった。パフィーと言えば、1996年シングル「アジアの純真」でデビューし、音楽やバラエティ番組等において人気を集めたアーティストだとご存知の人も多いであろう。しかし最近の、アメリカにおけるブレイクを予想する事が出来た人は少ないのではないだろうか。
今回、パフィーがなぜアメリカで人気を集めたのか、メディアを通した戦略の違いを考察すると共に、今後のメディア報道にはどんなことが必要になるのか考えていきたい。
パフィーのメディア戦略
パフィーがアメリカでヒットした理由は、80年代にアメリカで大ブームとなり、瞬く間に広まった多チャネル..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[医療ミス〜日本とアメリカ〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430733901@hc06/7019/]]></link>
			<author><![CDATA[ by buubaa2136]]></author>
			<category><![CDATA[buubaa2136の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 19 Feb 2006 23:22:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430733901@hc06/7019/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430733901@hc06/7019/" target="_blank"><img src="/docs/983430733901@hc06/7019/thmb.jpg?s=s&r=1140358927&t=n" border="0"></a><br /><br />１、	はじめに&hellip;
　前回ぼくは日本の医療のどういうところがいけないのかということを述べた。次に必要なのは具体的にわかりやすい例をあげて両国の医療の違いを述べることだ。そこで今回は両国でどのような問題が起き、どのような対処をしたのかをしらべ[354]<br />医療ミス～日本とアメリカ～
はじめに&hellip;
　前回ぼくは日本の医療のどういうところがいけないのかということを述べた。次に必要なのは具体的にわかりやすい例をあげて両国の医療の違いを述べることだ。そこで今回は両国でどのような問題が起き、どのような対処をしたのかをしらべた。
　今、あるテレビ局が「白い巨塔」をドラマ化していることも重なり今まで以上にこのテーマに興味をそそがれた。
現在の日本医療の世界評価
　2000年にWHO（世界保健機構）は「World Health Report2000」の中で加盟国の医療制度を評価し白書を発表した。その白書によると、WHO加盟191カ国中、日本の医療水準は、世界一であった。はたして日本の医療制度が世界一であることを確信してよいのであろうか。今回はアメリカの医療制度と比較し日本の医療制度の弱みを探ってみたい。
　　　　　　３、１つの事例から
　　　　　　　　　～日本の例Ⅰ
　ここからは日本の医療ミスの事例３つを挙げていこうと思う。まず日本の医療事故は都立広尾病院の事故、北海道小樽市の市立小樽病院の事故と横浜市立病院で起こった事故の３つを述べ、そしてアメリカはマ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中根千枝・著『タテ社会の人間関係』の再考察［東京学芸大学・教育学部・日本社会学・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6795/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 02:19:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6795/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6795/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6795/thmb.jpg?s=s&r=1139937596&t=n" border="0"></a><br /><br />私が中根の理論に興味をもち、『タテ社会の人間関係』を初めて読んだのは、実はかなり前のことである。日本の大学に在籍しているにもかかわらず、こんなことを言うのは問題があるかもしれないが、私自身は決して日本の学校教育、社会システムにすんなり馴染め[360]<br />中根千枝・著『タテ社会の人間関係』の再考察
　私が中根の理論に興味をもち、『タテ社会の人間関係』を初めて読んだのは、実はかなり前のことである。日本の大学に在籍しているにもかかわらず、こんなことを言うのは問題があるかもしれないが、私自身は決して日本の学校教育、社会システムにすんなり馴染める人間ではなかった。この本に初めて出会った時、私は今まで自分自身が直面し、疑問に思ってきた事柄を、中根が全てすっきりと言い切っていることに驚き、感動すら覚えたのだった。
　私は中学生の頃、「いじめ」をきっかけに不登校をした。勉強だけは好きだったので、何とか高校に入学したものの、そこにも馴染めずにまた不登校をした。私が馴染めなかったのは、一言で言えば、「場」への帰属意識を求める感覚を、どうしても理解できなかったからであった。もちろん、私もいろいろな人と仲良くやっていくことを望まないわけではない。それが人生にとって大事な要素であることも承知している。しかしながら、日本の学校教育において求められる「協調性」とは、私からすれば「協調性」からは程遠い、反対の概念にすら感じられたのである。それは、中根の言う「場による..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代政治論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430850001@hc06/6426/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nancyt]]></author>
			<category><![CDATA[nancytの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Feb 2006 23:49:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430850001@hc06/6426/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430850001@hc06/6426/" target="_blank"><img src="/docs/983430850001@hc06/6426/thmb.jpg?s=s&r=1139410145&t=n" border="0"></a><br /><br />１、イデオロギーや政党の種類やその歴史の返還を踏まえ、わが国が､昨今増加傾向にある「無党派層」の政治行動についてまとめよ。
　日本における最初の政党は、１８７４年に結成された愛国公党であるとされている。全国的な政党の登場は、１８８１年の自[356]<br />現代政治論
１、イデオロギーや政党の種類やその歴史の返還を踏まえ、わが国が､昨今増加傾向にある「無党派層」の政治行動についてまとめよ。
　日本における最初の政党は、１８７４年に結成された愛国公党であるとされている。全国的な政党の登場は、１８８１年の自由党と１８８２年の立憲改進党以降となる。しかしその頃は、薩摩、長州、土佐、肥前の四藩の出身者が政府の要職を独占する藩閥政治だったので政党はあまり力を持っていなかった。その後１８９８年に大隈重信の進歩党（立憲改進党から改名）と板垣退助の立憲自由党（自由党から改名）が合体して憲政党を結成し、「隈板内閣」（わいはんないかく）をつくったのが、政党内閣の最初となる。しかし政権内部の対立により、わずか４ヶ月で崩壊。その後政党は分裂や合体を繰り返し。１９１８年に立憲政友会による本格的な政党内閣の原敬内閣が誕生した。以後、１９３２年の５．１５事件で犬養毅の政友会内閣が倒れるまで、いくつかの政党内閣が誕生した。しかし１９３８年に国家総動員法が制定され、政党は解党を余儀なくされ大政翼賛会として統一し終焉を迎えた。
　第二次世界大戦後、政党政治は復活した。１９４..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現在の日本ＯＤＡに関する考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430960401@hc06/6084/]]></link>
			<author><![CDATA[ by M]]></author>
			<category><![CDATA[Mの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Feb 2006 09:29:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430960401@hc06/6084/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430960401@hc06/6084/" target="_blank"><img src="/docs/983430960401@hc06/6084/thmb.jpg?s=s&r=1138753759&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本の国内では、厳しい経済・財政状況を反映して、2002年度ＯＤＡ予算は対前年度比10.3％減、2003年度は対前年比4.3％減となっている。最新の予算案でも前年比3.8％減の見通しで、１６年ぶりにＯＤＡ予算が８０００億円を割り込むことは[324]<br />日本の国内では、厳しい経済・財政状況を反映して、2002年度ＯＤＡ予算は対前年度比10.3％減、2003年度は対前年比4.3％減となっている。最新の予算案でも前年比3.8％減の見通しで、１６年ぶりにＯＤＡ予算が８０００億円を割り込むことはほぼ確定となった。１兆円を越えていた日本のＯＤＡ援助額はアメリカに並んで世界最大規模の支出額を誇ったが、国民の不信と批判にさらされ、６年で２割以上削減という大幅な削減を余儀なくされている。
では今後、ＯＤＡに対して日本はどのような対応が必要なのか。それには大きく５つのポイントがあると考える。
１・戦略的アプローチ
現在の日本のＯＤＡ状況に対し、来日する多くの外国政府の閣僚や国際機関の長は、日本のＯＤＡが今後とも実質的役割を果たすよう期待を表明している。
「ＯＤＡの創始国」アメリカには、自国民の利益につながる一貫したＯＤＡ戦略と、その目的や成果を問う活発な言論状況が存在している。翻って、日本のＯＤＡには一貫した理念や政策も、実施を規定する法律も見当たらない。逆に、複雑な予算メカニズムや少ない無償援助といった特異さが目立つ。国連安全保障理事会の常任理事国入..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[青山商事]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/]]></link>
			<author><![CDATA[ by junpei58]]></author>
			<category><![CDATA[junpei58の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2006 13:14:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/" target="_blank"><img src="/docs/983431852801@hc05/6023/thmb.jpg?s=s&r=1138680869&t=n" border="0"></a><br /><br />　青山商事について、まず青山商事の中国進出の狙いは、中国市場を標的に商品を販売することにある。それは系列会社が中国で現地生産をはじめているからである。しかし、上海市外国投資工作委員会は外国小売企業の完全所有の販売会社を認めない政策を実施して[360]<br />青山商事について、まず青山商事の中国進出の狙いは、中国市場を標的に商品を販売することにある。それは系列会社が中国で現地生産をはじめているからである。しかし、上海市外国投資工作委員会は外国小売企業の完全所有の販売会社を認めない政策を実施している。そこで現地生産の合弁会社を設立することになった。そして青山商事は、合弁相手を上海２毛に選定した。その理由は、第一に合弁相手が紡織工場であるため、原材料の安定的な供給が可能であること。第二に合弁相手に資金力があることで、合弁相手の赤字の損失補填をせまられる可能性が低いこと。第三に合弁相手の社長の決定権が大きいことである。
上海青山の特徴はまず、中国製と日本製をミックスした生産設備である。そのミックスした生産設備として、三つの特徴をあげることができる。一つ目に、汎用機械の本織ミシンを日本から持ち込まず、合弁相手の中国製の機械をそのまま稼動させていることである。既存設備を稼動した理由は、既存設備がまだ十分に稼動でき、日本から持ち込む必要がなく、工場の建物に必要以上の投資をしたことと、仕方なく縫製工場を設立したことである。
二つ目に、オーバーロックやプレ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[川勝平太『富国有徳論』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430914201@hc06/5866/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hapisare]]></author>
			<category><![CDATA[hapisareの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2006 19:01:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430914201@hc06/5866/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430914201@hc06/5866/" target="_blank"><img src="/docs/983430914201@hc06/5866/thmb.jpg?s=s&r=1138442488&t=n" border="0"></a><br /><br />冒頭から次のような言葉が出てきて、うんざりする。
　明治の指導者は日本百年の大計として富国強兵をかかげました。現代の観点からその批判をおこなうのはたやすいでしょう。しかし、その国是のもとに、日本は、ほかのアジアのほとんどの地域が植民地にな[356]<br />『富国有徳論』を読んで――川勝平太『富国有徳論』中公文庫
　冒頭から次のような言葉が出てきて、うんざりする。
　　明治の指導者は日本百年の大計として富国強兵をかかげました。現代の観点からその批判をおこなうのはたやすいでしょう。しかし、その国是のもとに、日本は、ほかのアジアのほとんどの地域が植民地になるなかにあって、ひとり政治的独立をまもり、かつ経済発展に成功した非西洋諸国で唯一の国となりました。それはアジア（東洋）史における奇跡であり、世界史にのこる偉業です。（本書13頁）
歴史を学ぶ意味は、過去から学び、現在においてよりよい指針を導くためである。過去を
美化し、現代からの観点からの批判を「たやすい」から止めろというのが、およそ学者の言
うこととは思えない。日本が「富国強兵」の国是のもとで、いかに多くのアジアの他の地域
に苦痛を与えたかを踏まえた上で、「世界史に残る偉業」などと能天気に喜んでいる神経は理
解に苦しむ。そしてまた、次のように言う。
　　日本も明治維新で富国強兵にのりだし、東アジアに支配権をのばして大国化をめざし近隣諸国に功罪なかばするすさまじい影響を与えました。（本書15..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 異邦人達のニッポン]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/5696/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ratiaratia]]></author>
			<category><![CDATA[ratiaratiaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 25 Jan 2006 00:17:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/5696/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/5696/" target="_blank"><img src="/docs/983431734301@hc05/5696/thmb.jpg?s=s&r=1138115875&t=n" border="0"></a><br /><br />　現在、約２６万人の中国人が日本に居住し、３０００社もの中国企業が日本へと進出している。なぜ、そんなにも多くの中国企業が日本へ進出してきているのだろうか。
　急速なＩＴ化の進む日本において、時代の流れに乗り遅れまいとする日本の企業は技術者[356]<br />異邦人たちのニッポン
　　　　　　　　　　　　　　　　
現在、約２６万人の中国人が日本に居住し、３０００社もの中国企業が日本へと進出している。なぜ、そんなにも多くの中国企業が日本へ進出してきているのだろうか。
急速なＩＴ化の進む日本において、時代の流れに乗り遅れまいとする日本の企業は技術者不足に悩まされた。そこで、中国の優れた技術者たちに頼ったのである。中国人の企業家たちは日本に土俵を写し、ＩＴ関連の技術者を派遣する会社を設立した。そして、中国から招いた優れた技術者たちを、日本の企業に送り込んだ。日本の企業からの依頼は増加する一方で、同じ中国人の人脈を頼りに対応しているという。人員不足に悩まさ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の天皇制　女性天皇は誕生するのか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431243201@hc06/5595/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suseryna]]></author>
			<category><![CDATA[suserynaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 13:06:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431243201@hc06/5595/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431243201@hc06/5595/" target="_blank"><img src="/docs/983431243201@hc06/5595/thmb.jpg?s=s&r=1137816412&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本政府は、女性・女系天皇を認める「皇室典範」改正案を今月20日から始まる通常国会に提出することにした。日本の皇室では1965年に天皇の次男が誕生して以来、40年間も男子が生まれていない。このままだと継承者がいなくなるという危機感が広まり[344]<br />日本の天皇制―女性天皇は誕生するのか―
日本政府は、女性・女系天皇を認める「皇室典範」改正案を今月20日から始まる通常国会に提出することにした。日本の皇室では1965年に天皇の次男が誕生して以来、40年間も男子が生まれていない。このままだと継承者がいなくなるという危機感が広まり、又愛子皇女が幼稚園に通う年齢になったことも考慮され、異例なまでの早さでの決定に至った。今回の天皇の後継者問題で女性天皇が誕生する可能性が急浮上したが、国内では様々な意見が飛び交っている。男性天皇しか認めないのは、女性差別撤廃に反するという意見や、女性でも男性でも違いはないなどといった意見が多く、世論の過半数以上が女性天皇に賛成している。雅子様の体調が優れない状態が続いているのも、男子を産まなければならないというプレッシャーからきているのではないかと心配の声もそれに続いている。一方、寛仁親王殿下は現在の男系維持のためには女系天皇容認だけでなく、旧皇族の復帰など様々な選択があることを認識し、今すぐ決める必要はないと批判の発言をした事がわかった。寛仁様は皇室の伝統は神話の時代から延々と男系・父系の血統で続いてきたと位..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の税制と所得税について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080201@hc06/5450/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rarufu0429]]></author>
			<category><![CDATA[rarufu0429の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 23:51:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080201@hc06/5450/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080201@hc06/5450/" target="_blank"><img src="/docs/983431080201@hc06/5450/thmb.jpg?s=s&r=1137509493&t=n" border="0"></a><br /><br />１章	税制
１　税制というもの
　私達は生活を行っていく上で、様々な財やサービスを消費している。この中には、市場に任せていては提供されないであろう警察・国防サービス等や市場の動きのみに委ねた場合不十分にしか提供されない可能性のある医療・[350]<br />日本の税制と所得税について
税制
　１　税制というもの
私達は生活を行っていく上で、様々な財やサービスを消費している。この中には、市場に任せていては提供されないであろう警察・国防サービス等や市場の動きのみに委ねた場合不十分にしか提供されない可能性のある医療・教育サービスがある。政府は、これらの財・サービスの提供を行って民間部門の働きを補完し、国民全体の福祉向上を図ることを役割としている。
その際、政府はそれらの財・サービスを提供するための財源を調達する必要がある。「租税」はその財源調達手段の一つとして位置づけることができる。
この見方を推し進めると、全体としての税の負担水準をどの程度にするかという問題は、実は税のみではないことが分かる。何故なら、どの程度財源を調達すべきかは政府が提供する財・サービスの水準によって決まるのであり、その政府の活動範囲は結局国民の選択に基づいて決まるものだからだ。今後高齢化の更なる進展等に伴い、税負担・社会保障負担を合わせた国民負担率が上昇し、経済の活力が失われてしまうことが懸念されているが、これは私達一人一人が考えていかなければならない問題だろう。
税制を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本におけるITの活用]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431754501@hc05/5425/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsujiken]]></author>
			<category><![CDATA[tsujikenの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 05:13:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431754501@hc05/5425/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431754501@hc05/5425/" target="_blank"><img src="/docs/983431754501@hc05/5425/thmb.jpg?s=s&r=1137442435&t=n" border="0"></a><br /><br />　近年、ＩＴを活用したコンピュータをはじめとした電子機器が次々と開発され、私たちのまわりに現れてきている。今までできなかったことが容易にできるようになったり、思いもしないようなことができるようになったりしている。ではまず、ＩＴとはなんなので[360]<br />ＩＴの活用
近年、ＩＴを活用したコンピュータをはじめとした電子機器が次々と開発され、私たちのまわりに現れてきている。今までできなかったことが容易にできるようになったり、思いもしないようなことができるようになったりしている。ではまず、ＩＴとはなんなのであろうか。ＩＴの進歩と言われていることを具体的に見てみると次のようになる。 まず、技術革新により情報技術を使った製品が安価で手に入るようになった。次に、そのためパソコンが驚異的な速度で普及した。そしてインターネット等のコンピュータネットワークのインフラが進んだということだ。そしてそのことはコンピュータ等の情報機器に接する機会が増えたということであり、それらの機器を自分のレベルや裁量に合わせて自由に使える環境が整ってきたということに他ならない。つまり、便利さやスピードや情報収集といった利点を享受できる機会が増えたということなのだ。なかでも、ここでは産業界におけるＩＴの戦略的活用についてみていくとしたい。現在産業界ではＩＴは、事務の効率化を図るための道具、経営戦略等の立案のための道具、情報ネットワークを構築するための道具などのために主に用いられ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の地域社会の問題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5292/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ケイユウ]]></author>
			<category><![CDATA[ケイユウの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 22:42:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5292/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5292/" target="_blank"><img src="/docs/983432240601@hc05/5292/thmb.jpg?s=s&r=1137246169&t=n" border="0"></a><br /><br />工業化とは、産業革命以来の工業の発展によってもたらされた、様々な社会の変動をいう。伝統的社会では、牛馬のような生物的動カに頼り、比較的低度な技術により生産が行なわれていたが、近代社会では化石燃料や電力による機械的動力と高度な技術を用いて生産[360]<br />工業化とは、産業革命以来の工業の発展によってもたらされた、様々な社会の変動をいう。伝統的社会では、牛馬のような生物的動カに頼り、比較的低度な技術により生産が行なわれていたが、近代社会では化石燃料や電力による機械的動力と高度な技術を用いて生産が行なわれるようになった。生産は分業により能率よく行なわれ、商品は市場にて売買される。活動も第１次産業～第２・３次産業へ移り、農業も家業だけでなく産業として経営されるようになった。以上のような変動を工業化あるいは産業化と呼ぶ。
都市化とは、第１は、人口学的な視点から特定の社会の中で都市的な集落に住む人口の割合が増加することにより、都市自体の規模が大きくなって..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『折詰め弁当型―詰める』の要約]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5289/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maika0707]]></author>
			<category><![CDATA[maika0707の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 22:39:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5289/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5289/" target="_blank"><img src="/docs/983432032201@hc05/5289/thmb.jpg?s=s&r=1137245961&t=n" border="0"></a><br /><br />著者は本文、『折詰め弁当型―詰める』で日本人の縮み志向を大きく六つに分けて書いている。
『食膳を縮める』ではその種類が千八百種にものぼっているお弁当を日本の縮みの文化を代表する食物として挙げている。弁当とは食膳をもっと小さい箱の形に縮めた[356]<br />『折詰め弁当型―詰める』の要約
著者は本文、『折詰め弁当型―詰める』で日本人の縮み志向を大きく六つに分けて書いている。
『食膳を縮める』ではその種類が千八百種にものぼっているお弁当を日本の縮みの文化を代表する食物として挙げている。弁当とは食膳をもっと小さい箱の形に縮めたもので食物をコンパクトにし、手で持って運ぼうとしたニーズに応えて誕生した物であると表現している。『日本の食物と韓国の食物』では、同じお米を主食としている日本と韓国であるが、韓国にはないお弁当文化が日本で盛んになった原因が日本の食物の形がコンパクトに詰めることができる「塊」になっているからであると説明している。
『詰まらないものは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[藩と県民性、そして地方の将来像]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5271/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maika0707]]></author>
			<category><![CDATA[maika0707の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 21:08:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5271/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432032201@hc05/5271/" target="_blank"><img src="/docs/983432032201@hc05/5271/thmb.jpg?s=s&r=1137240513&t=n" border="0"></a><br /><br />藩と県民性、そして地方の将来像(しょうらいぞう)
地域別の気質
おもに気候、風土(ふうど)からつくられたとみられる気質がある。
　?東北(とうほく)北部型(ほくぶかた)は津軽(つがる)、南部(なんぶ)、秋田(あきた)の3地域に区分でき[316]<br />「県民性の日本地図」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2001．12.18（火）
第十四章　藩と県民性、そして地方の
地域別の気質
おもに気候、からつくられたとみられる気質がある。
　①は、、の3地域に区分できる。②、、　③・、　④、　⑤・、　⑥南日本型がある。
　やである①②③の人間は、さといったが目立つ。自然の恵
みが多い地域である④⑤⑥は陽気さ、楽天的といった性格がみられる。北の人間には比較的協
調性があり、南の人間は自己主張が強い。
①②は東文化圏であり、④⑤⑥は西文化圏である。③はおおむね西文化である。
　中世までの各地域は、わずかな京都の文化が流れ込んでいたが、その地域古来の独自の気質、文化をしつつ、したであった。
江戸と上方と諸藩
上方文化：江戸時代前期の京都、大阪を中心とする上方でつくられる。庶民的で全国的に広がりやすい性格をもつ。
江戸文化：江戸時代中期の江戸で上方のものとは違う庶民的な性格を持つ。
江戸時代の地方の人々は、上方や江戸の文化を積極的に取り入れた。東と西の大まかなちがいはできたが、実際には江戸対上方といった図式にはならなかった。
そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日米教育制度の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/5221/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misty00]]></author>
			<category><![CDATA[misty00の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 12:41:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/5221/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/5221/" target="_blank"><img src="/docs/983431249901@hc06/5221/thmb.jpg?s=s&r=1137210069&t=n" border="0"></a><br /><br />　アメリカの文化と日本の文化を比較する上で今回は教育について比較を行なって行きたいと思う。
　まずはアメリカと日本の教育制度について比較していきたいと思う。アメリカの教育制度は日本の教育制度とは大きく違ってくる点がいくつもある。まず根本的[356]<br />　アメリカの文化と日本の文化を比較する上で今回は教育について比較を行なって行きたいと思う。
　まずはアメリカと日本の教育制度について比較していきたいと思う。アメリカの教育制度は日本の教育制度とは大きく違ってくる点がいくつもある。まず根本的に違う点はアメリカには教育制度が全国共通でないという点である。日本は北海道から沖縄までどの県であろうと義務教育制度は小学校6年間、中学校3年間、高等学校3年間と共通である。それに比べアメリカは州によって、また学区によっても制度は異なります。例えば、アメリカ東部・デラウェア州デルマー学区では、幼稚園（Kindergarten）年長1年間、小学校5年間、中学校3年間、高校4年間の1－5－3－4制で、高校修了までが義務教育になっている。
　幼稚園で比較してみても大きな違いがある。それは、日本は幼稚園といえば３歳児クラス、４歳児クラス、５歳児クラスの３学年があり、義務教育ではない。それに対してアメリカは幼稚園（Kindergarten）というと5歳から小学校に入るまでの1年間のことで、しかも義務教育なのである。アメリカにおける日本的な考えの幼稚園はNurser..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本企業のグローバル戦略]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164401@hc06/5073/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 817xyz]]></author>
			<category><![CDATA[817xyzの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 13 Jan 2006 00:45:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164401@hc06/5073/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164401@hc06/5073/" target="_blank"><img src="/docs/983431164401@hc06/5073/thmb.jpg?s=s&r=1137080716&t=n" border="0"></a><br /><br />　約１０年ほど前、日本企業の経営は、かなり現地化が進行したといっても、本質的には、海外市場への依存度が高い巨大な国内産業の段階に留まっていました。そして今、日本企業は、年月を重ねる度にグローバルな視野から国内・海外活動を一体化した新しい経営[360]<br />日本企業のグローバル戦略
　約１０年ほど前、日本企業の経営は、かなり現地化が進行したといっても、本質的には、海外市場への依存度が高い巨大な国内産業の段階に留まっていました。そして今、日本企業は、年月を重ねる度にグローバルな視野から国内・海外活動を一体化した新しい経営を生み出し続けている。かつて、欧米企業が海外に展開した時に比べて、さらに、それぞれの国や地域の人々の意識や文化に重要な意義をもつ時代になっています。日本の自動車メーカーの場合は、「世界の自動車産業における日本の自動車メーカーの新しい役割とは何か」という基本問題を掲げています。過去、日本の自動車産業は国内の生産システムの向上にばかり力を注いでいました。しかし、その後、輸出のメカニズムを作り上げ輸出比率を向上させていきました。その方法とは、「生産性の高いスリムな生産」という方法でありました。この生産方法の特徴というのは、トヨタ生産システムが顕著な例であり、その内容は、柔軟性の高い生産、多様な製品範囲、製品ライフ・サイクルの短縮、１モデル当たりの少量生産、複数技能をもつ技術者と労働者、高度な技術を備え信頼性の高いサプライヤー、メー..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[研究背景]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5038/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 19:29:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5038/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5038/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5038/thmb.jpg?s=s&r=1137061751&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてのブランド認知度の重要性に関して
ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グループの商[350]<br />2001-06-26(火)
日本の旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてのブランド認知度の重要性に関して
ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グループの商品を競争者の商品から区別する目的でつけられたものである。（Philip Kotler：マーケティングマネジメント、第4版）
ブランド・マーケティング：顧客に支持される価値を生み出すために,ブランドの基本設計をしっかりと行い、それを関係者で共有し、一貫性を持って実行し、評価する活動のことを指す。（博報堂ブランドコンサルティング：ブランド..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ブランド認知度の重要性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5037/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 19:26:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5037/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5037/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5037/thmb.jpg?s=s&r=1137061598&t=n" border="0"></a><br /><br />日本旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてブランド認知度の重要性に関して



ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グル[338]<br />日本旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてブランド認知度の重要性に関して
ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グループの商品を競争者の商品から区別する目的でつけられたものである。（Philip Kotler）
1.研究の背景
旅行という商品には形がないといわれる。旅行業者は旅行という商品をつくるメーカーであり、それを旅行代理店に卸す商社および顧客に売る流通業者でもある。そして、もちろん感動を与えるサービス業でもある。旅行業という仕事が、「感動創造ビジネス」といわれるゆえでもある。しかしながら最近では、バブル経済崩壊以後旅行業界は顧客の増加はあるものの、価格破壊により厳しい収益環境をよぎなくされている。旅行商品の価格競争の激化、これに従う旅行業全体の収益性の悪化。
本研究は、価格より価値をもっと重視する今の旅行客にとって単純な価格競争よりもいい内容をもっている旅行商品のイメージが一つのブランドとして旅行商品を選択するときに作用する、という考えで始まる。
2.研究の目的
ブランド化..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[旅行商品ブランドの構成要因に関する実証研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5031/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 19:12:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5031/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5031/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5031/thmb.jpg?s=s&r=1137060779&t=n" border="0"></a><br /><br />仮説１の検証
表１。調査の概要
調査期間	2002年7月15日〜2002年8月22日
調査の方法	アンケート調査
標本の対象	観光産業に関わっていない一般の社会人
標本の抽出	スノーボールアンプリング（snow-ball samp[276]<br />日本の旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
―旅行商品ブランドの構成要因に関する実証研究
第1章　序論
研究の背景
研究の目的
研究の対象と範囲
研究の構成と方法
第2章　旅行商品に関する理論的考察
旅行業の機能と役割
旅行商品の理論的基礎
旅行商品の定義
旅行商品の特性
旅行商品の分類
旅行商品の構成要素
3節　パッケージツアー
１．パッケージツアーの定義
２．パッケージツアーの特性
３．パッケージツアーの発展過程
　4節　旅行会社および旅行商品の選択に関する先行研究
第3章　ブランド・マーケティングに関する理論的考察
ブランドの定義及び役割
ブランド研究の流れ
ブランド・エクイティ（Brand Equity）
１．ブランド・エクイティの定義
２．ブランド・エクイティ概念の登場の背景
　　　３．ブランド・エクイティの諸研究
　　　４．ブランド・エクイティの役割
５．ブランド・エクイティの形成要因
６．ブランド・エクイティ測定の諸方法
１）YOUNG &amp; RUBICAM社の BrandAsset &reg; Valuator (BAV)
２）TOTAL RESEARCH社のEQUITR..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[旅行商品購買決定要因としてのブランド認知度の重要性に関して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5029/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 19:09:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5029/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5029/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5029/thmb.jpg?s=s&r=1137060588&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてのブランド認知度の重要性に関して
ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グループの商[350]<br />日本の旅行業のブランド・マーケティングに関する研究
-旅行商品購買決定要因としてのブランド認知度の重要性に関して
ブランド：名前、用語、サイン、シンボル、デザイン、あるいはそれらの組み合わせであり、ある売り手、あるいは売り手グループの商品を競争者の商品から区別する目的でつけられたものである。（Philip Kotler：マーケティングマネジメント、第4版）
ブランド・マーケティング：顧客に支持される価値を生み出すために,ブランドの基本設計をしっかりと行い、それを関係者で共有し、一貫性を持って実行し、評価する活動のことを指す。（博報堂ブランドコンサルティング：ブランドマーケティング、2000）
1.研究の背景
旅行業は、旅行者と旅行手段の提供者（交通機関、宿泊施設、飲食業、娯楽業などの旅行関連事業者）との間に位置して、旅行効果（旅行者にとっては旅行目的の達成と満足、事業者にとっては利潤）を極大化させるために、その双方に触媒的機能を果たすように、さまざまなサービスを提供するビジネスのことであり、一般に「旅行代理店」あるいは「トラベル・エージェント」と呼ばれることが多い。
日本の旅行業はバブ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ツーリズム産業論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164301@hc06/5028/]]></link>
			<author><![CDATA[ by thekitayon]]></author>
			<category><![CDATA[thekitayonの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 19:07:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164301@hc06/5028/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164301@hc06/5028/" target="_blank"><img src="/docs/983431164301@hc06/5028/thmb.jpg?s=s&r=1137060438&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　人間は誰しも自分の知らない世界を知りたいと願い、ありふれた単調な「日常」から抜け出し、見るもの聴くもの感じるもの全てが刺激的な「非日常」を求めるものである。だから人は旅をする。昔も今も、人は飽きることなく旅をしている。それ[356]<br />ツーリズム産業論　期末レポート
１．はじめに
　人間は誰しも自分の知らない世界を知りたいと願い、ありふれた単調な「日常」から抜け出し、見るもの聴くもの感じるもの全てが刺激的な「非日常」を求めるものである。だから人は旅をする。昔も今も、人は飽きることなく旅をしている。それだけ旅は魅力的なのだ。しかし、旅にはお金が必要である。無銭旅行という言葉もあるが、実際には宿泊代、食事代、交通費など何かしらの支出は避けられない。こういった旅人へのサービス、商売から成る産業を「ツーリズム産業」という。現代においてツーリズム産業は第三次産業の主役として、また各国経済の一角を担う存在として、その規模を拡大し続けている。本稿では、現代日本におけるツーリズム産業について論じていくことにする。
２．ツーリズム産業の特性
・外貨獲得：ツーリズム産業の最も特徴的な性質として、まず外貨の獲得が挙げられるだろう。経済的に発展し、国際的にも強い「円」を持つ日本はそこまで重要視されないかもしれないが、アジアの発展途上国と呼ばれる国々では、自国の通貨よりはるかに価値のある「ドル」を重宝し、両替しなくてもそのまま使用できる国も多..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の都市におけるコンベンション・ビジネス振興の重要性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5026/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 18:56:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5026/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5026/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5026/thmb.jpg?s=s&r=1137059793&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の都市におけるコンベンション・ビジネス振興の重要性について

●はじめに

　50年代後半日本では都市の全体像として、あるいは都市経営の手法としての「コンベンション・シティ」ブームがあった。その影響で昭和60年前後から｢コンベン[336]<br />都市計画論Ⅱレポート
日本の都市における
コンベンション・ビジネス振興の重要性について
日本の都市におけるコンベンション・ビジネス振興の重要性について
はじめに
　50年代後半日本では都市の全体像として、あるいは都市経営の手法としての「コンベンション・シティ」ブームがあった。その影響で昭和60年前後から｢コンベンション｣の声が発せられている。例の都市としては松本(36年)、松山(51年)、宮崎(54年)、鹿児島(53年)、沖縄(50年代)等があり、これらの観光都市はタイプは違うが、観光都市もしくは観光地を控えた都市という共通項がある事がわかる。つまり、収入性の高い｢団体観光客｣の誘致という目的がそれである。
または、産業振興がそもそもの目的であったが、実際は各種のショーやイベントを導入して施設の多角利用を図っているので催事系（イベント）と同義である展示会系（メッセ）のコンベンション機能がコンベンション・シティを生み出したかもしれない。
そこで、私はコンベンション的なビジネスが日本の都市ではどう動いているかを考えてみることにしたのである｡
日本における観光の位置づけ
毎年大幅な貿易黒字を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本企業の対中投資]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 18:51:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5024/thmb.jpg?s=s&r=1137059483&t=n" border="0"></a><br /><br />第一節   対外開放政策

１．対外開放政策  
 対外開放政策は中国共産党11期3中全会（1978年12月）で打ち出された政策で、改革と並び70年代末以降における中国の「基本路線」のポイントの一つと位置づけられている。   同政策は[308]<br />目次
序 1第一章 対外開放政策と開放区 3第一節 対外開放政策 3第二節 開放地区 3第二章 新たな経済発展と外資導入 8第一節 対中直接投資の展開 8第二節 対中直接投資の要因と特徴 12第三節 外資企業の役割と位置づけ 16第三章 地域別外資導入 22第一節 東北三省の対外開放と外資導入 22第二節 華東地域の経済成長を促す外資の役割 30第三節 華南地域への直接投資 35第四節 内陸の外資導入 39第五節 外資導入現況と影響 41第四章 日本企業の対中投資 44第一節 日本企業の対中進出 44第二節 日本の対中投資と日中貿易と産業構造への影響 48第三節 直接投資をめぐる問題点と解決策 52結 対中直接投資・日中産業協力の展望と課題 54序
78年以降、「改革」（経済体制の改革）と並んで「解放」（対外解放）政策の実施は中国の基本的な国策と位置づけられて、経済発展戦略を達成するため「車の両輪」とされている。国内における経済体制改革の進展は対外開放のテンポを速めると同時に、対外開放政策の実施は国有企業の改革を中心とする中国経済体制改革を促進させている。「八・五計画」期（1991～1..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日英文化比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/4733/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misty00]]></author>
			<category><![CDATA[misty00の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 Jan 2006 22:38:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/4733/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431249901@hc06/4733/" target="_blank"><img src="/docs/983431249901@hc06/4733/thmb.jpg?s=s&r=1136727530&t=n" border="0"></a><br /><br /> イギリス文化と日本文化を比較するにあたって、いくつかに分けて意見を述べていこうと思います。
・	階級制度について
　イギリス文化と日本文化の相違点の１つとして挙げられるのが階級制度です。今日、イギリスには階級社会があり、大まかに分けて[348]<br />テーマ　イギリス文化と日本文化の比較
イギリス文化と日本文化を比較するにあたって、いくつかに分けて意見を述べていこうと思います。
階級制度について
　イギリス文化と日本文化の相違点の１つとして挙げられるのが階級制度です。今日、イギリスには階級社会があり、大まかに分けて上流階級、中産階級、労働者階級となっている。日本にも、明治時代に四民平等が制定されるまでは士農工商の身分制度などが歴史上でいくつかあったが、現在は存在していない。この点がイギリス文化と日本文化の明らかな違いではないかと思う。
日本では明治時代に表面上では身分制度が消えたが、実際には華族制度が設けられていた。私はこの制度が今日のイギリスの階級に似ているという風な印象を受けました。
では、階級制度はあったほうが良いかどうかと考えると、私はあまり無いほうが良いという考えです。その理由として、イギリスでは階級制度がある所為か仕事場などで上下の関係があまり良いという点が挙げられます。そのため、日本と比べればはるかにストライキなどのトラブルの発生率が高いのである。
現在の日本には華族制度も第2次世界大戦後にアメリカの政策により廃止され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[徒然草における吉田兼行の価値観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Jan 2006 11:17:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/4624/thmb.jpg?s=s&r=1136513866&t=n" border="0"></a><br /><br />　徒然草を読み進めていくと、兼行の価値観が段々と分かってくる。兼行自身の価値観が論じられている段、欲を否定し論じている段、兼行が本当に価値を置いているものを論じた段など、価値観を論じている段は非常に多い。これらの段を要約し、キーワードだと私[360]<br />徒然草における吉田兼行の価値観　　　　
　徒然草を読み進めていくと、兼行の価値観が段々と分かってくる。兼行自身の価値観が論じられている段、欲を否定し論じている段、兼行が本当に価値を置いているものを論じた段など、価値観を論じている段は非常に多い。これらの段を要約し、キーワードだと私が考える三つの言葉と重ねながら、吉田兼行の価値観についてを考えてみた。
①『欲』
　徒然草における兼行の価値観で最も重要となるキーワードは『欲』である。これは兼行の『欲』という訳ではない。俗世間に溢れている『欲』の否定である。
　第三十八段を例にあげてみる。この段の最初の一文にはこのような事が書かれている。名誉や利益を追い求め、静かな時間を過ごさず、一生を苦しみながら送るのは愚かである。つまり兼行は名誉や金銭を追うことは愚かであると述べたのである。この名誉欲、そして金銭欲の否定は第三十八段では更に続いていく。
　財産が多ければ多いほど、自分の身を守ることは難しくなる。財産とは害や災いを招く元である。財産とは愚かな人の目を楽しませるだけのものであって、つまらないものだ。金は山に捨て、玉は淵に投げてしまうのが良い。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アンケートに見る日中関係のカギ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/]]></link>
			<author><![CDATA[ by langhappy]]></author>
			<category><![CDATA[langhappyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Dec 2005 15:46:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/" target="_blank"><img src="/docs/983431534701@hc05/4398/thmb.jpg?s=s&r=1135665996&t=n" border="0"></a><br /><br />一、はじめに
　私が留学生として中国から日本に来たことで、自然に日中関係に対しての関心は高まってきた。しかし残念ながら、小泉首相が靖国神社を参拝することをはじめ、日中両国の間にいろいろな紛争が起こってしまい、中でも最も激しかったのは、今年[356]<br />アンケートに見る日中関係のカギ
一、はじめに
　私が留学生として中国から日本に来たことで、自然に日中関係に対しての関心は高まってきた。しかし残念ながら、小泉首相が靖国神社を参拝することをはじめ、日中両国の間にいろいろな紛争が起こってしまい、中でも最も激しかったのは、今年中国で起こった反日デモである。日中両国の未来について、誰もが悲観的な見方をした。
　さらに最近、産経新聞（2005年12月１４日朝刊）によると、中国訪問中の民主党の前原誠司代表は胡錦濤国家主席との会談ができず、日中問題「永遠に解決せず」と述べたということだ。
日中両国は、地理的にも大変近い、同じアジアの国である。さらにグローバル化が進んでいる現在では、経済的、文化的、戦略的に様々な面でお互いに依存し、ともに発展せざるを得ないと思われる。もし、日中問題が「永遠に解決せず」とすれば、日中両国の発展はそれまでだと考えざるを得ないと思われる。また、日中関係がこのまま悪化していくと、恐らく将来、日中の間に戦争が起こる可能性もあるとさえ考えられる。
果たして、日中問題は「永遠に解決せず」なのか、日中関係は修復することができないのだろ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[議院内閣制度（日本）と大統領制度（米国）を比較して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431351101@hc05/4379/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ayanoko]]></author>
			<category><![CDATA[ayanokoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Dec 2005 22:59:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431351101@hc05/4379/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431351101@hc05/4379/" target="_blank"><img src="/docs/983431351101@hc05/4379/thmb.jpg?s=s&r=1135605555&t=n" border="0"></a><br /><br />　「議員内閣制」と「大統領制」この二つは、どちらも、「立憲民主主義」を「権力分立」という方法を使ってそれぞれ現実化させた政治体制である。
　この二つの代表的な政治体制を、「日本の議院内閣制」と「アメリカの大統領制」に絞って考えてみる。二国[356]<br />「議員内閣制」と「大統領制」この二つは、どちらも、「立憲民主主義」を「権力分立」という方法を使ってそれぞれ現実化させた政治体制である。
この二つの代表的な政治体制を、「日本の議院内閣制」と「アメリカの大統領制」に絞って考えてみる。二国の議院内閣制と大統領制を比べる際、まず私は「首相」と「大統領」の違いに着目した。
日本の場合、「首相」とは「内閣総理大臣」のことを指す。
議院内閣制では、「行政府」のトップである内閣総理大臣を「立法府」である議会からの指名によって決定する。この指名の制度は典型的な代議制（間接民主制）である。なぜなら、議会を構成する議員は、国民の投票によって選ばれているので、多少理論に傾いてしまうが、国民は間接的に首相を選ぶことになるのである。
一方のアメリカ合衆国の大統領制について考えてみる。
アメリカの大統領制はモンテスキューの唱えた「三権分立」を理想として作られている。 そのため、前記した日本の議会と首相の関係とは大きく異なり、アメリカでは、立法府である議会と行政府のトップである大統領とは互いに責任を負わず、大統領は国民の直接的な選挙で選出されるのだ。
大統領制と議員..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国と日本の「情」の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/4295/]]></link>
			<author><![CDATA[ by saduck]]></author>
			<category><![CDATA[saduckの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Dec 2005 15:18:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/4295/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/4295/" target="_blank"><img src="/docs/983431908101@hc05/4295/thmb.jpg?s=s&r=1135405100&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本人は人見知りをするひとが多い。一度知り合いになってからも、次に会った時には何となくぎくしゃくしてしまう。もちろん私もそうである。研究室の先輩や友達の友達に対しては、親しくなるまで緊張してしまう。しかし、たいていの日本人はそのようなもの[360]<br />韓国と日本の「情」
　日本人は人見知りをするひとが多い。一度知り合いになってからも、次に会った時には何となくぎくしゃくしてしまう。もちろん私もそうである。研究室の先輩や友達の友達に対しては、親しくなるまで緊張してしまう。しかし、たいていの日本人はそのようなものであるため私も今までそのことをそれほど気にしていなかった。
　けれど、今年韓国に研修に行ってからはそのことをはっきりと自覚するようになった。ホームステイをさせてもらった家の人は初めて会ったにも関わらず、前から知り合いであるかのように親しげに話しかけてきてくれた。何をしたいか、どこに行きたいかをいつも聞いてくれて、一生懸命私の話に耳を傾けて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日欧の接点について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431666801@hc05/4093/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cc02403]]></author>
			<category><![CDATA[cc02403の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Dec 2005 16:59:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431666801@hc05/4093/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431666801@hc05/4093/" target="_blank"><img src="/docs/983431666801@hc05/4093/thmb.jpg?s=s&r=1134633565&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、竹内佐和子さんの｢ヨーロッパ的発想とは何か｣から、日欧の接点について論じていきたいと思います。
  まず、この本には著者である竹内佐和子さんのフランスに滞在しているときの様々な経験や、そこで起こった主な出来事やそのときに感じた彼女の[352]<br />日欧の接点について 　　　　　
私は、竹内佐和子さんの｢ヨーロッパ的発想とは何か｣から、日欧の接点について論じていきたいと思います。
まず、この本には著者である竹内佐和子さんのフランスに滞在しているときの様々な経験や、そこで起こった主な出来事やそのときに感じた彼女の心情が細かく書かれていました。私は、ヨーロッパ文化コースを選択しており１年生の頃からフランス語を履修しています。以前からフランスに関して多くの興味を持っていたため、この本の内容に強く惹かれていくには時間がかかりませんでした。
　その中でも、フランス人と日本人のライフスタイルの違いと接点に注目してみました。まず、フランス人には日曜日の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2003年の春以降の株価回復の評価と今後の展望]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431458901@hc05/3748/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dector]]></author>
			<category><![CDATA[dectorの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 17:31:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431458901@hc05/3748/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431458901@hc05/3748/" target="_blank"><img src="/docs/983431458901@hc05/3748/thmb.jpg?s=s&r=1134117091&t=n" border="0"></a><br /><br />　1990年代、日本経済の成長率は長期的に停滞し、株価や地価を中心とした資産価格は低落してきた。このことの背景要因は次の2つの側面から捉えられる。すなわち、第一に、ファンダメンタルズの問題としての3つの過剰、すなわち設備、雇用および債務の過[348]<br />2003年の春以降の株価回復の評価と今後の展望
　1990年代、日本経済の成長率は長期的に停滞し、株価や地価を中心とした資産価格は低落してきた。このことの背景要因は次の2つの側面から捉えられる。すなわち、第一に、ファンダメンタルズの問題としての3つの過剰、すなわち設備、雇用および債務の過剰であり、第二に、株式需給の問題としての不良債権処理と持ち合い株の売却である。私は、こうした90年代における株価低落をもたらす諸要因が2002年以降、顕著に改善していることを前提すれば、直近の日本株の上昇傾向は今後の基本的なトレンドとして定着するものと考えており、したがって2003年春の時点で日本株は大底がつけ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ダムと日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431497801@hc05/3642/]]></link>
			<author><![CDATA[ by taku47]]></author>
			<category><![CDATA[taku47の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 01:43:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431497801@hc05/3642/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431497801@hc05/3642/" target="_blank"><img src="/docs/983431497801@hc05/3642/thmb.jpg?s=s&r=1133714633&t=n" border="0"></a><br /><br />1. 要旨
　この本では、著者が関わってきた長良川のダム反対運動の経過や、日本各地の河川の現状、世界の河川開発の潮流やそれらの国の河川開発の歴史、河川行政の転換を求める動きや公共事業見直しについて述べられている。それらの事例(著者の体験)[346]<br />天野礼子著 
ダムと日本 
岩波書店、2001 年 
1. 要旨 
この本では、著者が関わってきた長良川のダム反対運動の経過や、日本各地の河川の現
状、世界の河川開発の潮流やそれらの国の河川開発の歴史、河川行政の転換を求める動
きや公共事業見直しについて述べられている。それらの事例(著者の体験)から、日本に
おいて、ダムをはじめとする公共事業が、政治や市民運動の中でどのように位置づけら
れてきたかについて触れ、ダムをはじめとする無駄な公共事業に対しての見直しを訴え
ている。具体的には、日本は 100 年以上前までは、「洪水」を「水害」にしない知恵を
地域ごとに持っていたが、明治時代に入って欧米の近代河川工法を真似し、更に次々と
日本の川に行政がダムを造っていったことによって、かえって治水や利水のメリット以
上に、自然環境に悪影響を及ぼしてしまうなどのデメリットのほうが大きくなってしま
ったことが挙げられている。しかも、近年、世界各国ではダムの功罪を認め、ダム開発
の見直しが図られているにもかかわらず、日本では未だにダム建設に群がって、利益を
得ようとする政官財の癒着トライアングルが存在..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近年の女性問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3513/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maritaro]]></author>
			<category><![CDATA[maritaroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 01 Dec 2005 01:44:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3513/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3513/" target="_blank"><img src="/docs/983431531201@hc05/3513/thmb.jpg?s=s&r=1133369096&t=n" border="0"></a><br /><br />　今回の課題提出にあたり、「国際的」かつ「女性」に関係する問題は何か、新聞・資料やＷｅｂで調べたところやはり多く該当したのは、授業でも扱った「女性の人身売買」の記事であった。
　同姓として、授業中に見聞きした人身売買の情報はかなり胸が痛く[356]<br />[　近　年　の　女　性　問　題　]
今回の課題提出にあたり、「国際的」かつ「女性」に関係する問題は何か、新聞・資料やＷｅｂで調べたところやはり多く該当したのは、授業でも扱った「女性の人身売買」の記事であった。
同姓として、授業中に見聞きした人身売買の情報はかなり胸が痛くなるような内容で、日本が人身売買の受け入れ大国であることは私もその時に初めて知ったのだが、その後調べてみてもやはり日本の人身売買の現状はあまりオープンにされていなく、日本人の中でこの事実を知っているのは人身売買に関わっている本人達やマスコミ・政府関係者などに限られていると言う。
まず、私たちはこれらを辛辣に受け止め認識することか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教科書問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3483/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:43:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3483/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3483/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3483/thmb.jpg?s=s&r=1133264584&t=n" border="0"></a><br /><br />１．教科書問題概観
　まず概観として教科書問題論争の経緯を振り返る。
民間の「新しい歴史教科書をつくる会」が既存の7種類の中学歴史教科書に加えて新しい教科書を作成し、文部科学省の教科書検定調査審議会の検定に合格した。審議会では137カ所[344]<br />国際関係論
１．教科書問題概観
まず概観として教科書問題論争の経緯を振り返る。
民間の「新しい歴史教科書をつくる会」が既存の7種類の中学歴史教科書に加えて新しい教科書を作成し、文部科学省の教科書検定調査審議会の検定に合格した。審議会では137カ所の修正を要求されたが、発行元の民間出版社である扶桑社はこれに加えて自主的な訂正を行った。
ところが、2000(平成12)年5月にはいって、中国政府は8項目、韓国政府は35項目にわたる要求を日本政府に対し出してきた。３５項目のうち３０項目が扶桑社の教科書に対しての要求だった。しかし、検定に合格したあとの修正は、誰の目にも明らかな誤記あるいは学問上の明白な誤り以外できないことになっている。国の恣意的な介入や歴史観、解釈の検閲は憲法が禁止する検閲になりかねないからである。
1986(昭和61)年に「日本を守る国民会議」が編集した高校の歴史教科書に対し、中韓両国が強い反発を示したとき、当時の文部省はこの教科書を400カ所以上にわたって書き換えさせた。このこと自体は大きな議論をよんだが、修正が可能になったのは、教科書が最終合格になる前だったという事実があ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学８]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3478/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:24:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3478/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3478/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3478/thmb.jpg?s=s&r=1133263450&t=n" border="0"></a><br /><br />　この章では、戦後の日本を揺さぶった二つの観念である、平和主義アイデンティティと現実主義アイデンティティという二重のアイデンティティから出てきた安全保障政策の歩みを考察した後に、戦後日本の安全保障政策とアイデンティティ変容の過程を考察する。[360]<br />国際政治学
第８章　戦後日本における安全保障政策とアイデンティティ
　この章では、戦後の日本を揺さぶった二つの観念である、平和主義アイデンティティと現実主義アイデンティティという二重のアイデンティティから出てきた安全保障政策の歩みを考察した後に、戦後日本の安全保障政策とアイデンティティ変容の過程を考察する。最後には日本の安全保障政策の今後についてまとめる。
　平和主義アイデンティティは、法律、制度、規範、文化などの観念的要素を重視する姿勢に依拠する。憲法9条などに代表される平和主義からこれは生まれた。系譜としてはカントの観念論などを祖としている。自由主義は相互依存の概念が国際関係の本質を理解するのに役立つと主張する。相互依存からえられる利益は、両者に負担となる様々な費用をも上回る可能性を有する。Ａ国の利益が必ずしもＢ国の損失を意味するわけではなく、相互利益が可能なのである。これは現在も拡大し続ける国家間の相互依存関係を説明するものであり、特に国際機構や国際体制の役割を重視するものである。
現実主義アイデンティティは、国際政治構造や各国の軍事バランスとうの物質的な要素を重視する姿勢に依拠..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学７]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:22:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3477/thmb.jpg?s=s&r=1133263369&t=n" border="0"></a><br /><br />　ここでは、過去半世紀における日中関係の敬意を概観し、それを踏まえた上で、日中関係の今後を展望する。
　まず、日中関係を考察する。日中戦争の時は停戦し抗日にあたっていた国民党と共産党の争いが再び勃発。戦いを経て共産党が勝利し、内戦に敗れた[356]<br />国際政治学
第7章　戦後日中関係
　ここでは、過去半世紀における日中関係の敬意を概観し、それを踏まえた上で、日中関係の今後を展望する。
まず、日中関係を考察する。日中戦争の時は停戦し抗日にあたっていた国民党と共産党の争いが再び勃発。戦いを経て共産党が勝利し、内戦に敗れた国民党は台湾に逃げ、1949年に毛沢東を主席とした中華人民共和国が成立。
冷戦にあってアメリカ側にあった日本と中国との関係は民間レベルから改善されていく1952年に三人の日本人が旧ソ連経由で中国を訪問し、中国国際貿易促進委員会と「第一次民間貿易協定」を結んだことによって両国の人的・経済的交流が開始された。
その後も民間の交流は拡..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日米関係における日本外交のアイデンティティ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3476/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:21:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3476/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3476/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3476/thmb.jpg?s=s&r=1133263291&t=n" border="0"></a><br /><br />　ここでは、戦後の日米関係を分析することで日本外交のアイデンティティを探っていく。
　まず日米関係の全体像として3区分あげる。第一期はペリーの来航から日路線までであり、この時期は「日米友好の時代」である。ここから日米関係は始まる。第二期は[354]<br />国際政治学
第6章　戦後日米関係における日本外交のアイデンティティ
　ここでは、戦後の日米関係を分析することで日本外交のアイデンティティを探っていく。
まず日米関係の全体像として3区分あげる。第一期はペリーの来航から日路線までであり、この時期は「日米友好の時代」である。ここから日米関係は始まる。第二期は日露戦争の終局から太平洋戦争の終結までにあり、この時期の日米関係は「対立と抗争の時代」である。アメリカとは、政治思想的にも政策においても対立することになり、結局、日米両国は太平洋戦争へと破局を迎えることになった。第三期は、太平洋戦争終結から今日までであり、この時期は、経済と貿易をめぐる紛争と対立..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学５]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:19:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3475/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3475/thmb.jpg?s=s&r=1133263197&t=n" border="0"></a><br /><br />　本章は日本のテロ対策の特徴を戦略文化という視点から考察してきた。ブースによる戦略文化の定義とは「戦略文化という概念は、力の行使あるいはその脅しに関して、一国がもつ伝統、価値、態度、行動パターン、慣習、シンボル、実績、そして環境に適応し問題[360]<br />国際政治学
第5章　「戦略文化」と戦後日本のテロ対策
　　本章は日本のテロ対策の特徴を戦略文化という視点から考察してきた。ブースによる戦略文化の定義とは「戦略文化という概念は、力の行使あるいはその脅しに関して、一国がもつ伝統、価値、態度、行動パターン、慣習、シンボル、実績、そして環境に適応し問題を解決する特有の方法に言及するもの」である。
戦略文化論がその対象としてきたものは核戦略だけではない。たとえば『国家安全保障の文化』では、化学兵器のタブーや人道的介入規範、毛沢東やソ連の政策などの多岐に渡る事例が取り上げられている。いずれも規範とアイデンティティが分析のキーワードになっている。
テロは政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3473/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:16:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3473/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3473/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3473/thmb.jpg?s=s&r=1133262971&t=n" border="0"></a><br /><br />　第二次世界大戦の敗戦は、当然ながら、戦後の日本外交の枠組みに大きな影響を与えた。戦前のいわゆる「アジア主義」的な思想は、戦後は欧米先進国、特にアメリカとの協調の重視に転換したし、またいわゆる「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済中心主義と国際的[360]<br />国際政治学
第３章　ＯＤＡ政策にみる戦後日本外交の「規範」
　　第二次世界大戦の敗戦は、当然ながら、戦後の日本外交の枠組みに大きな影響を与えた。戦前のいわゆる「アジア主義」的な思想は、戦後は欧米先進国、特にアメリカとの協調の重視に転換したし、またいわゆる「吉田ドクトリン」と呼ばれる経済中心主義と国際的な不介入主義は戦後の日本外交の基本的な指針といわれてきた。
　「アジア」に対するアイデンティティの変化から考察する。「アジア主義」と「脱亜入欧」の両者どちらに重点を置くかということは、日本の近代化の課程における大きな課題であった。「アジア主義」の思想は太平洋戦争中に「大東亜共栄圏」の名の下で国際的孤立の頂点を極めた。しかし、これは結果として敗戦につながったこともあり、戦後に欧米協調路線に移り変わったことは当然であったといえる。
　次に戦後賠償がどういった結果を構築していったのかを考察する。日本の賠償・準賠償は、日本政府から相手国政府への直接的な資金の提供ではなく、日本政府の負担による財やサービスの提供であり、それを具体的に受注したのが日本の企業であった。すなわち日本企業は日本の賠償によって..]]></description>

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			<title><![CDATA[国際政治学２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3472/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:14:14 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3472/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3472/thmb.jpg?s=s&r=1133262854&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本社会における第二次世界大戦における議論は大体において、次の二つの「文脈」のいずれかに沿ってなされることが多い。その第一は、「道義」と「贖罪」である。この文脈に基づく議論は以下の3つの命題を中心に構成される。?さきの戦争は、日本が犯した[356]<br />国際政治学　
第２章　戦争賠償と日本の世論
　日本社会における第二次世界大戦における議論は大体において、次の二つの「文脈」のいずれかに沿ってなされることが多い。その第一は、「道義」と「贖罪」である。この文脈に基づく議論は以下の3つの命題を中心に構成される。①さきの戦争は、日本が犯した「取り返しのつかない罪過」であった。②このような罪過に対してわれわれは深く反省しなければならない。③われわれの行為によって損害をこうむった人日に対してわれわれは心からの謝罪と、出来る限りの償いをしなければならない。である。一方、さきの戦争に関して、それとは異なる語られ方もある。「権力」と「利益」の文脈がそれである。この文脈に基づいた議論では、さきの戦争は「国家間の権力闘争」と位置づけられる傾向が強い。この文脈にたつと先の戦争は大東亜共栄圏の確立などの目標に対する「失敗」であり、「罪過」とはならない。
　ここでは、戦争直後の日本人がさきの戦争を「権力」・「道義」のどちらを重視したかを解明することで「日本人にとっての戦争賠償」とは何かを解明していくものである。ここで実際に日本人の戦争賠償への捉え方を考察する。
..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3471/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:12:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3471/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3471/thmb.jpg?s=s&r=1133262762&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本が黒船による強制的な開国によって不幸せになったという感慨は、ある点で日本国民の潜在意識下における複雑でアンビバレントな対米認識の反面の真実である。その「不幸せ感」は言うまでも無く近現代にほんの対外関係を含めたトータル的な意味での国家・[360]<br />国際政治学
第一章　日米関係における「ペリー」の記憶
日本が黒船による強制的な開国によって不幸せになったという感慨は、ある点で日本国民の潜在意識下における複雑でアンビバレントな対米認識の反面の真実である。その「不幸せ感」は言うまでも無く近現代にほんの対外関係を含めたトータル的な意味での国家・国民のアイデンティティに関わるものである。
　開国後の長い対米関係において、両国の緊張、摩擦が高まるたびに識者によってペリーによる圧力的な開国を「国辱」などと位置づけられてきた。福沢諭吉もその一人であるが、当時の日米関係を評して「両国人民の大に誇る可き所ならん」と最大級の賛辞を与えていたのである。こういった..]]></description>

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			<title><![CDATA[文化人類学から見た妖術―日本の憑きもの信仰について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 Nov 2005 02:35:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/3428/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/3428/thmb.jpg?s=s&r=1132940154&t=n" border="0"></a><br /><br />１．妖術とは

　妖術の英語の原名はwitchcraft(ウィッチクラフト)である。ここでのwitch(ウィッチ)とは中世ヨーロッパにおける「魔女裁判」でやり玉にあげられた人々である。日本では「魔女」や「魔法使い」と訳されることが多いが、人[318]<br />西洋地域史Ⅰ補足レポート　　2005/07/29
文化人類学から見た妖術―日本の憑きもの信仰について
妖術とは
　妖術の英語の原名はwitchcraft(ウィッチクラフト)である。ここでのwitch(ウィッチ)とは中世ヨーロッパにおける「魔女裁判」でやり玉にあげられた人々である。日本では「魔女」や「魔法使い」と訳されることが多いが、人類学の分野では「妖術師」という訳語を使っている。呪術と妖術は似ているが、本質的には大変異なった特色をもつものであるので、本稿では呪術ではなく、妖術という用語を用いていく。
　そこでまずヨーロッパにおける妖術師について歴史的に探ってみると、その発達は13世紀のことであり、教会は神の対立物としての悪魔の存在を公認し、これに対する闘争を開始することになった。その結果、悪魔と交通することによって有害な魔力を得たものと疑われた女性たちが、妖術師のレッテルを貼られて火あぶりにされたのである。
しかし魔女裁判が狂信的、かつ組織的な形を取るに至ったのは1480年代以後のことだった。これ以後になると、妖術師とはさまざまな方法によって周囲の人を病気にしたり、死亡させたり、財産..]]></description>

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			<title><![CDATA[渤海文化の特色]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3332/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ujimikan1203]]></author>
			<category><![CDATA[ujimikan1203の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 22 Nov 2005 21:26:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3332/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3332/" target="_blank"><img src="/docs/983432074601@hc05/3332/thmb.jpg?s=s&r=1132662411&t=n" border="0"></a><br /><br />　渤海は、高句麗滅亡後に遺民が建てた国で、今から1300年前の698年、今の中国東北部とロシアと北朝鮮にまたがる地域に成立した古代王朝国家である。この国は以後200年余の間、日本と同じように唐から政治、文化、仏教を取り入れ、平和な文化国家と[340]<br />渤海と日本の関係
渤海は、高句麗滅亡後に遺民が建てた国で、今から1300年前の698年、今の中国東北部とロシアと北朝鮮にまたがる地域に成立した古代王朝国家である。この国は以後200年余の間、日本と同じように唐から政治、文化、仏教を取り入れ、平和な文化国家として栄え続けた。 日本で言えば、ちょうど奈良時代から平安時代前期に当たる時代である。 　外交で言えば、唐に対しても何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事より渤海の上層部は儒教的な教養を元に国政に当たったと思われる。 
また、日本海をへだてた隣国である日本に友好を求めて727年から919年までの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[渤海文化について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3331/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ujimikan1203]]></author>
			<category><![CDATA[ujimikan1203の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 22 Nov 2005 21:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3331/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432074601@hc05/3331/" target="_blank"><img src="/docs/983432074601@hc05/3331/thmb.jpg?s=s&r=1132661327&t=n" border="0"></a><br /><br />　渤海国とは、高句麗が唐に滅ぼされた後に、北朝鮮から支那東北部、ロシア沿海地方にかけて存在した広大な国家で、二百数十年間続いた。唐の影響を持ちながらも高句麗の文化を受け継ぎ、独特の渤海文化を興しその繁栄ぶりは北朝鮮の歴史のなかでも光輝くもの[360]<br />渤海文化の特色
　渤海国とは、高句麗が唐に滅ぼされた後に、北朝鮮から支那東北部、ロシア沿海地方にかけて存在した広大な国家で、二百数十年間続いた。唐の影響を持ちながらも高句麗の文化を受け継ぎ、独特の渤海文化を興しその繁栄ぶりは北朝鮮の歴史のなかでも光輝くものであった。
渤海は満洲と韓半島を同時に領土にした国々だ。 満洲や韓半島で起きたどの国も持つことができなかった特徴である。
高句麗は早くから周辺多くの国や族属と多様な関係を結んだ。4~6世紀には中国王朝の権威を認めながらも遊牧民であるキタイ族、 大興の中領山脈に居住した族属、 そして本来狩猟族だった水路などを従えるとか影響力を行使して大勢力圏を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本と中国の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fearless]]></author>
			<category><![CDATA[fearlessの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Nov 2005 09:51:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/" target="_blank"><img src="/docs/983432388301@hc05/3218/thmb.jpg?s=s&r=1132188704&t=n" border="0"></a><br /><br />　講義を聞くまで私は日中戦争が単なる日本の侵略戦争であり、時代の波に乗ったものとあえて乗らなかったものの優劣が決した戦争だという認識を持っていた。皮肉なことにそれまでの長い間、中国文明は日本文化の根源であり、中国人は日本人に対して優越感を抱[360]<br />『日本と中国の関係』
副題；日中戦争に対する功罪と謝罪――過去の過ちをどうとらえるべきか
Reno1
　講義を聞くまで私は日中戦争が単なる日本の侵略戦争であり、時代の波に乗ったものとあえて乗らなかったものの優劣が決した戦争だという認識を持っていた。皮肉なことにそれまでの長い間、中国文明は日本文化の根源であり、中国人は日本人に対して優越感を抱いていたが、時代の波に脆くも崩れ去った事実を日中戦争は象徴していた。
日中戦争に至る経緯の中で、日本の取った政策は果たして正しかったのか？結果ではなく経緯を重点的に考えたい。日中戦争が日本の中国に対する侵略であったことは先に述べた通りである。そもそも何故日本は中国へ戦争を仕掛けたのだろう。それは日本の国土的特徴にある（と推定する）。資源に乏しく、山や川が多い日本では欧米へ対抗する自国力に劣っていたと言わざるを得ず、将来的にも明るい展望は見えてこなかった。そこで隣国であり、広大な土地と、資源を持つ中国に目を向けたのである。いわば欧米の脅威から自国を守るためには中国やアジアの広域の領土を得なければならない。というのが当時の見解であったと私は考察する。
　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[私の考える豊かな生活文化とは〜ドイツと日本を比較して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3211/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fearless]]></author>
			<category><![CDATA[fearlessの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Nov 2005 09:29:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3211/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3211/" target="_blank"><img src="/docs/983432388301@hc05/3211/thmb.jpg?s=s&r=1132187399&t=n" border="0"></a><br /><br />・ドイツ人社会の朝は早く、8時頃からもう始まる。社会人らは仕事を午後もするけれど、
夕方には帰ってしまうと言うところに大きな違いを感じた。会社の後の同僚と付き合いもほとんどなく、家に帰って家庭で過ごす場合がとても多い。
・日本の場合だと[350]<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
「私の考える豊かな生活文化とは～ドイツと日本を比較して」
・ドイツ人社会の朝は早く、8時頃からもう始まる。社会人らは仕事を午後もするけれど、
夕方には帰ってしまうと言うところに大きな違いを感じた。会社の後の同僚と付き合いもほとんどなく、家に帰って家庭で過ごす場合がとても多い。
・日本の場合だと会社人は、夜遅くまで残業、または同僚との付き合いで帰宅がとても遅い場合がほとんどだというイメージが強く、家庭を顧みないことが多い。また、日本では過労死などが時折マスコミから取り上げられることからも、会社の社員対する人生の扱いかたをないがしろにしているような印象が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[少子化日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/2925/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ratiaratia]]></author>
			<category><![CDATA[ratiaratiaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Nov 2005 00:57:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/2925/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431734301@hc05/2925/" target="_blank"><img src="/docs/983431734301@hc05/2925/thmb.jpg?s=s&r=1131292675&t=n" border="0"></a><br /><br />日本における大きな問題として様々な取り組みがされている少子化に対し、肯定的な意見があげられている。現在の少子化は乳幼児の死亡率が低下し平均寿命がたかまるなか、自然の人口調整メカニズムの一環として不可避的に生じているものであり、地球環境への負[360]<br />「少子化日本」
日本における大きな問題として様々な取り組みがされている少子化に対し、肯定的な意見があげられている。現在の少子化は乳幼児の死亡率が低下し平均寿命がたかまるなか、自然の人口調整メカニズムの一環として不可避的に生じているものであり、地球環境への負荷軽減に役立つとともに空間的にゆとりのある成熟社会が形成できるという意見である。他にも、人口が減少していっても明治時代や江戸時代の人口にてらしてみれば対応可能とする意見や、女性や高齢者の雇用拡大で当面、労動力不足に対応でき、外国人居住者の増大で人口や労働力の減少に対応できる、などといった意見である。
しかし、日本の少子高齢化は歯止めがかからず、予想をはるかに越える速さで進行しており、先に挙げたような意見を正当化するのは難しい。
２００６年の１億２７７４万人をピークに、日本の人口は減り続けると予想されている。高齢社会の日本の平均寿命は高くなっているにもかかわらず、このような事態が起こるのは、少子化が予想以上の速さで進んでいるのが原因である。１９４７年に４．５４％あった出生率は、１９９７年には１．３９％にまで低下した。一方、世界保健機関（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[虐待について考える]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/1683/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hotmailcom]]></author>
			<category><![CDATA[hotmailcomの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 00:48:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/1683/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/1683/" target="_blank"><img src="/docs/983432278301@hc05/1683/thmb.jpg?s=s&r=1122392901&t=n" border="0"></a><br /><br />虐待が社会問題としてクローズアップされはじめた時期、兄が会話の中で「昔うちの親が俺たちにやってたことって今考えると虐待だよな」と冗談交じりで私に言った事があります。というのは私の母親は子どもを叱ると食事を抜くことがあり、またはなはだしい時は[360]<br />虐待について考える
虐待が社会問題としてクローズアップされはじめた時期、兄が会話の中で「昔うちの親が俺たちにやってたことって今考えると虐待だよな」と冗談交じりで私に言った事があります。というのは私の母親は子どもを叱ると食事を抜くことがあり、またはなはだしい時は口をまったくきかなくなることがあったためです。彼はそれ以前に新聞やTVで「食事を与えない」や「ネグレクト」といった行為が虐待であると知っており、そうしたことを受けこの発言が出たものと思われます。もちろんこの会話は一種の冗談ですが、私はその一連の会話の中で思い至ることがありました。
「以前は虐待と認識されていなかった事象が現在では虐待という..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Compare and contrast food that is eaten in New Zealand with the food eaten in your home country]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/1640/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hamakko]]></author>
			<category><![CDATA[hamakkoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 21:51:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/1640/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/1640/" target="_blank"><img src="/docs/983432358601@hc05/1640/thmb.jpg?s=s&r=1122382292&t=n" border="0"></a><br /><br />We cannot live without food. We have three main meals a day both in New Zealand (NZ) and in Japan. Both country they use[120]<br />Compare and contrast food that is eaten in New Zealand with the food eaten in your home country
May 14
We cannot live without food. We have three main meals a day both in New Zealand (NZ) and in Japan. Both country they use dishes, either of them eat cereals, meats and vegetables, neither of them sit on the ground when we have a meal. While we have several features in common, we can also find many differences.
Beyond dispute, NZ&#039;s food is similar to British which is well known as the worst food ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本のケースワークの歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174801@hc05/1599/]]></link>
			<author><![CDATA[ by minione]]></author>
			<category><![CDATA[minioneの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 17:21:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174801@hc05/1599/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432174801@hc05/1599/" target="_blank"><img src="/docs/983432174801@hc05/1599/thmb.jpg?s=s&r=1122366099&t=n" border="0"></a><br /><br />日本におけるセツルメント運動は、1896年に「岡山博愛会」がはじまり、翌年夏、トインビーホールを見学してきた片山潜によって、東京神田三崎町に「キングスレー館」として開始された。片山潜はその中で、幼稚園の設立、渡米案内、労働者教育等々の事業を[352]<br />グループワークの母胎となったＹＭＣＡやセツルメント運動は、日本にも早くから紹介されている。
　ＹＭＣＡは1880年に東京に設立され、その後大阪、横浜、神戸、が創立され、内村鑑三、新渡戸稲造、新島襄など当時の社会を代表する青年、青年牧師など20歳代の青年たちがＹＭＣＡ運動を興した。ＹＭＣＡは、青少年の余暇活動に取り組んでいたが、社会福祉援助活動の専門技術として集団援助技術をとらえるという考え方はまだ成立していなかった。
日本におけるセツルメント運動は、1896年に「岡山博愛会」がはじまり、翌年夏、トインビーホールを見学してきた片山潜によって、東京神田三崎町に「キングスレー館」として開始された。片..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[毘沙門天の形について―東寺像を中心とした考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rokubeisan]]></author>
			<category><![CDATA[rokubeisanの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 00:00:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/" target="_blank"><img src="/docs/983432373801@hc05/1538/thmb.jpg?s=s&r=1122303600&t=n" border="0"></a><br /><br />1．はじめに
　毘沙門天は四天王の中では多聞天として表わされ、四天王から独立してからは毘沙門天として表わされることが多くなる。毘沙門の形には大雑把に分けてみると、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子（不動明王、観音）と安置される三尊像形式と、足下[354]<br />東洋日本美術史各論Ⅱレポート
毘沙門天の形について―東寺像を中心とした考察
1．はじめに
　毘沙門天は四天王の中では多聞天として表わされ、四天王から独立してからは毘沙門天として表わされることが多くなる。毘沙門の形には大雑把に分けてみると、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子（不動明王、観音）と安置される三尊像形式と、足下に地天を踏む形式、普通の毘沙門天の形式と三つに区分できるように思われる。このように幾通りかの形式を持つことは同時にそれだけの異なった意味を持つのではないかと考えた。その中で、特に足下に地点を踏む形式のいわゆる兜跋毘沙門天に表わされることの多い藍婆、毘藍婆の二鬼について考察したいと考えている。
2．兜跋毘沙門天の中国での受容について
　松本栄一氏「兜跋毘沙門天の起源」によると東寺の兜跋毘沙門天はコータンには七世紀ころの絵よりも古く、ラクワ塔址の塑像群があり、地中から出現した女神を足下にした、直立型のイラン式服装天部立像が残っていることから兜跋毘沙門天の起源は西域コータン地方にあるのではないかとする。また、松本文三郎氏は兜跋とは蛮夷服、左衽などを表わすもので、西蔵から中国に伝えられ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[興福寺南円堂不空羂索観音]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1537/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rokubeisan]]></author>
			<category><![CDATA[rokubeisanの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2005 23:54:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1537/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1537/" target="_blank"><img src="/docs/983432373801@hc05/1537/thmb.jpg?s=s&r=1122303297&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は興福寺南円堂の現本尊である不空羂索観音について考察したい。興福寺の不空羂索観音はもとは講堂の本尊であったとされ、延暦期に本像は移動されたと考えられている。また、治承4年に興福寺は消失しており、その後に再建とともに、不空羂索観音をはじめ[358]<br />　私は興福寺南円堂の現本尊である不空羂索観音について考察したい。興福寺の不空羂索観音はもとは講堂の本尊であったとされ、延暦期に本像は移動されたと考えられている。また、治承4年に興福寺は消失しており、その後に再建とともに、不空羂索観音をはじめとした諸像も再興された。
　そこで、私は不空羂索観音の作られた当初の目的、その後、南円堂に移された後の本像の意味、さらには再興時の本像の意味について意味の変化とその背景について、麻木脩平氏の「興福寺南円堂の創建当初本尊像と鎌倉再興像」仏教芸術160を参考にして考えていきたい。
　まず、興福寺講堂および、南円堂に関する根本史料を見たい。
　『山階流記』講堂の条
一　講堂一宇。天平流記云。講堂一基。弘仁記長13丈九尺。高二丈二尺五寸云云。九間。
間別一丈六尺。金皆用架端延暦廣一丈六尺塗裁銅。延暦記柱高一丈五尺五寸。寶字記云。
安置佛者。不空羂索灌音自在一軀。御法務高一丈六尺房。後移何圓堂云云。可尋之。右。從二
位藤原夫人。參議正四位下民部卿藤原朝臣。以天平十八年歳
次丙戌正月。爲先考先妣。所造立也云云。延暦記云。不空羂索菩薩一軀。在寶殿云云。或記
云。天..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の政治家について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1301/]]></link>
			<author><![CDATA[ by heartheart]]></author>
			<category><![CDATA[heartheartの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 22:12:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1301/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1301/" target="_blank"><img src="/docs/983432307901@hc05/1301/thmb.jpg?s=s&r=1121951537&t=n" border="0"></a><br /><br />●	日本政治家について

・	吉田茂
＜昭和２１年５月２２日第一吉田内閣発足＞
☆	憲法公布
　　農地改革法・労働三法・教育基本法・独占禁止法等戦前の封建制度を否定する戦後改革諸法を作る
　　＜昭和２３年１０月１５日第二次吉田内[330]<br />日本政治家について
吉田茂
＜昭和２１年５月２２日第一吉田内閣発足＞
憲法公布
　　農地改革法・労働三法・教育基本法・独占禁止法等戦前の封建制度を否定する戦後改革諸法を作る
　　＜昭和２３年１０月１５日第二次吉田内閣発足＞
　　少数与党で政権は不安定で内閣不信任案が通り、国会解散
　　＜昭和２４年２月１６日第三次吉田内閣発足＞
　　佐藤栄作・池田雄人ら官僚政治家を積極的に登用
　「インフレ終息宣言」を出し「終戦の終了」をアピール
　　経済重視主義
　　GHQによる経済安定九原則
ドッジライン
直接税を中心とする税制改革
１ドル＝３６０円の固定相場制への移行
昭和２６年９月８日　サンフランシスコ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の歴史的変遷について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432270301@hc05/949/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nayu0909]]></author>
			<category><![CDATA[nayu0909の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Jul 2005 21:22:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432270301@hc05/949/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432270301@hc05/949/" target="_blank"><img src="/docs/983432270301@hc05/949/thmb.jpg?s=s&r=1121343777&t=n" border="0"></a><br /><br />道徳教育思想の起源は古く、西洋において紀元前5世紀に求めることができる。古代の道徳教育思想として「徳の教師」と自称するソフィストたちが、すぐれた市民になるための徳を授けようとした。プロタゴラスとソクラテスの論争は道徳教育の本質について考える[358]<br />「道徳教育の歴史的変遷について述べよ。」
道徳教育思想の起源は古く、西洋において紀元前5世紀に求めることができる。古代の道徳教育思想として「徳の教師」と自称するソフィストたちが、すぐれた市民になるための徳を授けようとした。プロタゴラスとソクラテスの論争は道徳教育の本質について考える手がかりを与えた。「徳は教えられるか」という問題から、ソクラテスは、徳は教えうるものではなく徳を教える教師もなく、徳を教える方法もないとした。反するプロタゴラスは世の中の人々の憤りや懲罰や叱責が存在するという事実に注目し、徳は教えられると主張した。
プロタゴラスが主張する道徳教育は三段階で行われ、第一は家庭での躾、第二は教師の元での学習を通じての教育、第三は社会の中での学びである。これに対しソクラテスは子供ではなく青年を対象とし、永遠不滅の徳の理論を求めることを目標に掲げた。
ソクラテスの弟子プラトンは、子供の道徳的成長を発達段階的にとらえ、子供が理性的になるまではプロタゴラス的立場を、理性的になればソクラテス的立場を、それぞれ採用するという考えを示した。プラトンは人間の精神を理性・気概・欲望の三つに分け、そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本とイギリスの結婚観・独身観と仕事観の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432274701@hc05/814/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yummy7272003]]></author>
			<category><![CDATA[yummy7272003の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Jul 2005 23:19:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432274701@hc05/814/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432274701@hc05/814/" target="_blank"><img src="/docs/983432274701@hc05/814/thmb.jpg?s=s&r=1120832359&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　現代の日本では、女性の存在価値が大きくなるにつれて、女性が様々な分野において、飛躍的な活躍を見せる時代となってきた。かつては、炊事洗濯、子育てなど、家事全般さえやればよいというような立場を強いられていた女性たちであった。しかし[356]<br />日本とイギリスの結婚観・独身観と仕事観の違い
はじめに
　現代の日本では、女性の存在価値が大きくなるにつれて、女性が様々な分野において、飛躍的な活躍を見せる時代となってきた。かつては、炊事洗濯、子育てなど、家事全般さえやればよいというような立場を強いられていた女性たちであった。しかし今の時代になり、女性も社会に出て働く、というかたちが一般的になり、ようやく女性も男性と同等の立場が得られるようになってきた。
　しかし、その一方で女性は、仕事などの充実で満足感を得、経済的にも女性一人で十分まかなえるようになり、結婚をすることでパートナーに経済的な支えとなってもらう必要がなくなってきたため、結婚をする時期が遅くなる晩婚化が進んでいるように思われる。結婚だけが全てではない、まだ私たちにはすることがある、まだ一人でゆっくりと、したいことをしたい――これが彼女たちの望むことであり、それが要因となって適齢期を過ぎても結婚をしない女性が増えているのが現実である。
　そんな思いを抱いているのは日本人だけではなく、遠く離れたイギリスの地にも、同様のことに悩みを抱いている女性がいるのだ、ということを知らしめ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[郵政民営化についての考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/790/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hotmailcom]]></author>
			<category><![CDATA[hotmailcomの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Jul 2005 00:51:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/790/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432278301@hc05/790/" target="_blank"><img src="/docs/983432278301@hc05/790/thmb.jpg?s=s&r=1120751496&t=n" border="0"></a><br /><br />郵政民営化を行うことによってどのような問題が生じるのだろうか。まず一番の問題として民営化によって日本郵政公社が市場の原理に介入することだ。なぜなら、今までは国の保護を受けてきたため、たとえ売上が赤字になろうとも経営をし続けることができたが、[360]<br />まず、日本郵政公社の歴史的発展について述べたいと思う。郵便事業というのは明治四年に前島密によって創設された。彼は明治三年に駅逓権正兼任となり、郵便事業開始を発案する。この年渡英し、郵便事業を学び翌年には郵便制度をスタートし郵政事業の基礎を成した。最初は東京―大阪間での郵便に限られていたが、徐々に日本全国に広がり郵便事業が拡大し今に至るのである。そして、小泉純一郎が首相となり、｢郵政民営化｣を掲げたことにより、郵便事業は大きな変貌を遂げた。今までは、国の保護を受ける形で行ってきた郵便・郵便貯金・簡易保険といった業務が、これからは民営化つまり普通の一般企業と同じ土台に立って経営していかなければなら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国に潜む概念的『悪』とされる日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 21:06:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/608/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/608/thmb.jpg?s=s&r=1119701190&t=n" border="0"></a><br /><br />何故、日本は韓国の歴史において『悪』のレッテルを、戦後６０年経つ今もなお払拭できずにいるのだろうか。その根底はなんだろうか。今回は日本の『悪』とされる部分に焦点を当て、比較を交え探っていこうと思う。
まず参照するのは、日本でも庶民出で親し[356]<br />　何故、日本は韓国の歴史において『悪』のレッテルを、戦後６０年経つ今もなお払拭できずにいるのだろうか。その根底はなんだろうか。今回は日本の『悪』とされる部分に焦点を当て、比較を交え探っていこうと思う。
　まず参照するのは、日本でも庶民出で親しまれる太閤秀吉だ。秀吉といえば大阪城の他、朝鮮出兵でも有名な歴史的人物だが、韓国では反日感情の底流に存在し今なお引き合いに出されることもある。韓国在住の日本人達は今でも、スリやコソ泥などの被害に遭い文句を言うと、半ば冗談、半ば本気で壬辰倭乱の話を持ち出され、「それくらいはたいしたことじゃない」と説教されるそうだ。どこまでが真実かは判らないが、１４世紀の昔から日本の『悪』が始まっている傾向がある。太閤の前振りを経て、１世紀前に起きる日本による支配が大きく圧し掛かる。
　日本は対ロシア戦争の勝利後、総監府を置き、日本から派遣された統監が朝鮮の外交権を握るようになり、ついで司法・警察犬などの治安維持の制限をもぎ取り、朝鮮を事実上の植民地とした。これはイギリス・アメリカの承認のもとに行われた国際的な取り決めであった。朝鮮は、万国平和会議に日本の侵略を訴えよ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[いかに日本の開戦が導かれたか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/597/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ちゆう]]></author>
			<category><![CDATA[ちゆうの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 24 Jun 2005 23:19:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/597/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/597/" target="_blank"><img src="/docs/983432340601@hc05/597/thmb.jpg?s=s&r=1119622749&t=n" border="0"></a><br /><br />Ｃ・ソーンが『米英にとっての太平洋戦争』第1章で、「だが英米両国の政府上層部には、日本はアメリカやイギリスの有する潜在的な力に挑戦するほど愚かではないと信じこんでいる人びとがいた」と述べているように、英米陣営では「日本は攻撃してくるわけはな[358]<br />いかに日本の開戦が導かれたか
　
Ｃ・ソーンが『米英にとっての太平洋戦争』第1章で、「だが英米両国の政府上層部には、日本はアメリカやイギリスの有する潜在的な力に挑戦するほど愚かではないと信じこんでいる人びとがいた」と述べているように、英米陣営では「日本は攻撃してくるわけはない」と思いこんでいる節があった面は否めない。その一因には自信とアジアへの差別があったことはソーンが述べている通りであろう。ところが日本、特に日本軍上層部は戦争をする気でいたのである。現在、冷静に見れば日本とアメリカが戦争して日本が勝てるとは到底思えないのであるが、この時期になぜ日本は対連合国開戦に至ったのであろうか。
　日中戦争が泥沼化し、中国を支援するアメリカを中心に、日本への経済制裁が強まり、アメリカ、イギリス、中国、オランダのＡＢＣＤ包囲網が作られると、日本は石油や鉄等の資源が急速に不足しはじめた。そこで、近衛文麿内閣は、1941年7月に陸軍の主張する南部仏印進駐により資源を獲得しようとした。この結果アメリカは7月25日に在米日本資産凍結令、8月1日に石油全面禁輸という強硬な報復措置に出たのであるが、近衛首相も..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[鰻の天然物と養殖物の特徴]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/500/]]></link>
			<author><![CDATA[ by koyazi]]></author>
			<category><![CDATA[koyaziの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 17:30:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/500/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/500/" target="_blank"><img src="/docs/983432355201@hc05/500/thmb.jpg?s=s&r=1119342618&t=n" border="0"></a><br /><br />さっぱりとした中にも深みがある味
・大きさに関わらずどんなに脂がのっていても小骨が気にならない、軽い味

・捕れた時期、捕れた川の餌の状況、生息している川の水質によって味が異なりアタリ・ハズレの差が大きい
・身体によい生餌を食べて[341]<br />鰻の天然物と養殖物の特徴
【天然物】
男性的で筋肉質
余分な脂がなく、あっさりと脂くどくないので食べ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[うなぎの歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by koyazi]]></author>
			<category><![CDATA[koyaziの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 17:25:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/499/" target="_blank"><img src="/docs/983432355201@hc05/499/thmb.jpg?s=s&r=1119342319&t=n" border="0"></a><br /><br />江戸で蒲焼の全盛期を迎える。当時「江戸前大蒲焼番付」が発行され、評判を競った。（&ldquo;江戸前&rdquo;とは元々蒲焼に用いられた言葉であり、それが寿司に転化していった。）「うなぎ蒲焼は天明のはじめ上野山下仏店にて大和屋といへるもの初めて売出す」『世のすが[360]<br />　　　　　　【うなぎの歴史】　　　　　　　　　
先史時代
古墳からの出土品に鰻があるが、調理方法は不明。
鰻は生で食べると血液中に毒素があり舌を刺す味と生臭さがあるため、
鰻料理が普及したのは旧石器時代末期、火を使うことが発明されてからとされる。
７５９年 鰻が文献として最初に出てくるのは、万葉集
「石麻呂に我物申す　夏痩せによしというものぞ　むなぎ捕り喫せ」
大伴家持
鰻は強い生命力で海辺から川、湖、沼、山奥の池にもいるため各地で食されたが、鰻は油が強くしつこい為下等魚でおかずではなく薬、栄養食として酢味噌や辛子酢で食されていた。
１３９９年 鰻の蒲焼が初めて文献（鈴鹿家記）に登場 江戸時代 鰻の蒲焼の出現　（この頃はまだ、ご飯の上に鰻を乗せる食べ方ではなかった。）
鰻は高価な食べ物で、町人は「町で駕籠に乗るのと鰻を食べるのが最高の贅沢」と言われていたほどの高級品だった。
鰻が高価であった理由の一つとして、関東では醤油が作られず、上方からの高価な下り醤油（薄口）しかなかったことが挙げられる。
元禄時代（1688～1704年） 江戸に鰻の辻売りや、鰻屋が現れる。
銚子で大豆に小麦を入れ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[うなぎの栄養価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/498/]]></link>
			<author><![CDATA[ by koyazi]]></author>
			<category><![CDATA[koyaziの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 17:20:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/498/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432355201@hc05/498/" target="_blank"><img src="/docs/983432355201@hc05/498/thmb.jpg?s=s&r=1119342046&t=n" border="0"></a><br /><br />うなぎには、良質なタンパク質やカルシウム、ガンに効果があると言われるビタミンＡ、老化防止や成人病に効くビタミンＥなどがたっぷり含まれており、食欲の落ちたときでも、少量食べるだけで各種の栄養素をバランスよくとることのできる、優れた食品。とくに[360]<br />　　　　　　《うなぎの栄養価》　　　　　　　　　　　　 
鰻は夏バテ解消に効果がある。夏バテは、ビタミンAの不足により視力の低下、皮膚の新陳代謝を悪くし、ビタミンB1の不足により疲れやすくなり、食欲がなくなり起こる。鰻はビタミンを豊富に含んでいるため、効果がある。
うなぎには、良質なタンパク質やカルシウム、ガンに効果があると言われるビタミンＡ、老化防止や成人病に効くビタミンＥなどがたっぷり含まれており、食欲の落ちたときでも、少量食べるだけで各種の栄養素をバランスよくとることのできる、優れた食品。　　　　　　　　　　　　　とくにビタミンＡが多いことが鰻の特徴。
頭が良くなるといわれるＤＨＡ（ドコサヘキサエン酸）も含まれており、 ＤＨＡには他にガンの抑制作用、コレステロール低下作用、抗アレルギー作用などもある。
「目のビタミン」と呼ばれるほど視力に関係が深く、夏バテや育ち盛りにいいのはもちろん、美容食としてダイエット効果もある。
天然鰻と養殖鰻とでは栄養価が違う。天然鰻は身体によい生餌を食べてよく運動しているので栄養価も高いが、飽食ぎみで運動をしていない養殖鰻は当然脂肪含有量が多い。
ウナ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ バブル崩壊と開発援助]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/67/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tottoko]]></author>
			<category><![CDATA[tottokoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Feb 2005 12:37:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/67/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/67/" target="_blank"><img src="/docs/983432450101@hc05/67/thmb.jpg?s=s&r=1107488276&t=n" border="0"></a><br /><br />1.はじめに
１９８６年１１月から１９９１年２月までの５１ヶ月間続き、１９８７年度から４年間の実質ＧＤＰ伸び率は４％を超えたバブル景気。私はこのような機会が与えられるまでバブル景気についてわずかな知識しかなかった。このレポートを自分の興味[352]<br />バブル崩壊
と
開発援助
目次
はじめに
バブル経済の説明
開発援助の説明と現状
比較、考察
おわりに
はじめに
１９８６年１１月から１９９１年２月までの５１ヶ月間続き、１９８７年度から４年間の実質ＧＤＰ伸び率は４％を超えたバブル景気。私はこのような機会が与えられるまでバブル景気についてわずかな知識しかなかった。このレポートを自分の興味のある分野とリンクさせていきたい。このレポートのタイトルは「バブル崩壊と国際協力開発」だ。私は国際開発に興味があるので、バブル崩壊が日本の国際開発にどのような影響を与えたのかリサーチしてみたいと思う。
バブル経済の説明
バブルとは一般に景気が不況から回復しようとするときにおきる金融温和によってひきおこされるものだ。不況による低金利のためマネーサプライが増えると、人々はお金を手にし、資産投資をするようになる。そうすると資産の価値は上がり、人々は値上がりしそうな資産を買おうとする。その繰り返しで資産価値はどんどん高騰していき、資産を買おうという動きが増大していく。これがバブルと言われるものだ。
上のグラフを見ればわかる通り、１９９１年から１９９２年にかけて景..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ ODAからみた日本と中国の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/66/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tottoko]]></author>
			<category><![CDATA[tottokoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Feb 2005 12:31:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/66/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/66/" target="_blank"><img src="/docs/983432450101@hc05/66/thmb.jpg?s=s&r=1107487906&t=n" border="0"></a><br /><br />Introduction 

	In the beginning I would like to explain the reason why I took this topic: China and ODA. I was intere[120]<br />China 
and 
Japanese ODA
2004/12/1
Tomohiro Kitagawa
Study of International Exchange
Contents 
Introduction
What is ODA
How?
What for?
From when?
Where?
To whom?
ODA to China
Opportunities
Voices of the people live in the place where ODA is done
How it improve
Unnecessary of ODA 
Prospect
Conclusion 
Introduction 
In the beginning I would like to explain the reason why I took this topic: China and ODA. I was interested in Japanese ODA before, because the media and news paper, they nearly everyda..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[便利なユカタ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432455401@hc04/52/]]></link>
			<author><![CDATA[ by manager]]></author>
			<category><![CDATA[managerの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2005 09:42:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432455401@hc04/52/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432455401@hc04/52/" target="_blank"><img src="/docs/983432455401@hc04/52/thmb.jpg?s=s&r=1107304928&t=n" border="0"></a><br /><br />インドのサリー, ドティー, ベトナムのアオザイ, スコットランドのキント, サウジのソオブ, ペルーのホンチョ。
 日本には着物があって中国にはチパオ, 韓国には韓服。
 これら皆各国の伝統衣裳だ。
 こんなにアジアのどんなに見れば[318]<br />便利なゆ-かた
インドのサリー, ドティー, ベトナムのアオザイ, スコットランドのキント, サウジのソオブ, ペルーのホンチョ。
日本には着物があって中国にはチパオ, 韓国には韓服。
これら皆各国の伝統衣裳だ。
こんなにアジアのどんなに見れば狭い三国内でも各国の伝統衣裳が似ていながらもどうも分からなく差があることはやっぱり文化の差ではないか思う。 文化の差も差だがそれぞれ買いながら便と有用に作われたことも重要な理由であるでしょう。
日本固有衣裳着物の一種である浴衣は温泉が多い日本で自然に生活に便利に作られた服だと思う。 私は今度冬日本札幌旅行を通じて初め接するようになった浴衣に興味を感じるようになってもうちょっと研究して見たくて日本の浴衣を主題にする事にした。
私が初めて浴衣を接したことはホテル内に備えられている用箪中であった。 日本文化にあまり大きい関心を持っていなかったはずで着物かと言って服を着たままかけて見た。 後でなってからこそそれが浴衣で温泉やシャワーをした後にシャワー家運のようにかけることだという説明を聞くようになった。 たいてい温泉をして出ればまた下着を着て上のの下に仕..]]></description>

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