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		<title>タグ“日本文学”の公開資料</title>
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		<description>タグ“日本文学”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[「うたたね」と阿仏尼]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431990301@hc05/6764/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ringohime563]]></author>
			<category><![CDATA[ringohime563の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 20:07:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431990301@hc05/6764/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431990301@hc05/6764/" target="_blank"><img src="/docs/983431990301@hc05/6764/thmb.jpg?s=s&r=1139915232&t=n" border="0"></a><br /><br />　『十六夜日記』は知っていても、『うたたね』を知らない人は多いのではないだろうか。かく言う私もその一人なのだが、今回レポートを書くにあたって様々な資料を読むうちに、阿仏尼はこの時代の女性としてはかなり珍しい「行動力のある女性」だと強く感じた[360]<br />「うたたね」と阿仏尼
　『十六夜日記』は知っていても、『うたたね』を知らない人は多いのではないだろうか。かく言う私もその一人なのだが、今回レポートを書くにあたって様々な資料を読むうちに、阿仏尼はこの時代の女性としてはかなり珍しい「行動力のある女性」だと強く感じた。その行動力はどこから来るものなのか考えながら、『うたたね』の感想を述べていきたい。
『うたたね』は、阿仏尼の若い頃の失恋の顛末と、それに続く事件を書き記した日記文学である。大雑把に区分してみると、①失恋事件、②出家事件、③遠江出向事件、の三つの事件が、『うたたね』の核になっている。
まず、①失恋事件である。最初、作者が恋愛に疲れたと思い悩んでいるシーンから始まる。相手の訪れが疎遠になり、恋に夢中になってしまった自分を後悔している場面だ。
　そこで疑問に思ったのは、どうして恋の相手である男性の描写が曖昧なのか、ということだ。作者の人生を大きく変えることになった人物にもかかわらず、彼について分かっていることは、身分が高いことと、北の方（正式な妻）がいたことくらいである。また、彼だけでなく他の登場人物にも、わずかに作者との関係を推測..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『20世紀少年』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430772801@hc06/6589/]]></link>
			<author><![CDATA[ by willzamurai]]></author>
			<category><![CDATA[willzamuraiの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 00:31:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430772801@hc06/6589/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430772801@hc06/6589/" target="_blank"><img src="/docs/983430772801@hc06/6589/thmb.jpg?s=s&r=1139671891&t=n" border="0"></a><br /><br />現在、最も売れている漫画のひとつ、『20世紀少年』。この漫画が売れる理由をあれこれ論じるのはたやすい。70年代への郷愁であったり、謎が謎呼ぶ緊迫感であったり、緻密な人間性の描写であったり、それは人により異なるだろう。
　しかし、それだけで[348]<br />　現在、最も売れている漫画のひとつ、『20世紀少年』。この漫画が売れる理由をあれこれ論じるのはたやすい。70年代への郷愁であったり、謎が謎呼ぶ緊迫感であったり、緻密な人間性の描写であったり、それは人により異なるだろう。
　しかし、それだけではない。この漫画が人々の心を掴んで離さないのは、この漫画の放つ恐怖感にあると考える。それは、非現実的な「予言」なるものが、人間のエゴによって現実化されていく恐怖感。人類はどのような終末を迎えるのかという恐怖感。人間の曖昧な記憶に対する恐怖感。これらの恐怖感は、決して縁遠いものではなくて、戦争、宗教、人間関係として、私たちが日常的に直面する可能性のある存在なのである。
　『20世紀少年』は、これらの恐怖を背景に、人間のエゴが生み出す悲劇を、21世紀という絶望的な時代に向けて表現されている作品であると思う。
　それでは、『20世紀少年』において、恐怖感はどういった形で表現されているのか考察してみたい。
　第一の恐怖として、子供の持つ無邪気な残酷さを挙げたい。
　作品の中で登場する「ともだち」なる存在。この「ともだち」は「予言」を実行に移す首謀者であるが、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[雨月物語「吉備津の釜」レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6494/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p901ih]]></author>
			<category><![CDATA[p901ihの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Feb 2006 02:04:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6494/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6494/" target="_blank"><img src="/docs/983430953901@hc06/6494/thmb.jpg?s=s&r=1139504690&t=n" border="0"></a><br /><br />　嫉妬深い女。これというのはいつの時代も様々な問題を引き起こしているようである。　　
　この物語は、
　「嫉妬深い女ほど手におえないものはないが、それでも年老いてみればそれなりの良さがわかるものだ」というが、ああ、いったいこんなことを誰[352]<br />雨月物語「吉備津の釜」レポート
　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　嫉妬深い女。これというのはいつの時代も様々な問題を引き起こしているようである。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
この物語は、　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
「嫉妬深い女ほど手におえないものはないが、それでも年老いてみればそれなりの良さがわかるものだ」というが、ああ、いったいこんなことを誰が言ったのであろうか。（１）
というように、嫉妬深い女というものを冒頭で真っ向から否定している。しかし、その後には、
男が自分の身をきちんと修めて女を教え導いたならば、この心配も自然と避けることができるのに、ただほんのちょっとした浮気ごとから、女のねじけた本性に力を与え、はげしくさせ、自分の身の憂いを招き寄せるのである。「鳥類を身動きできないようにするのは気合である。妻をおさえ制するのはその夫の男らしさにある」というのは、まことにそのとおりである。（１）
と、ある。この冒頭を読む限りでは、要は、夫が妻を嫉妬深い女に変貌させなければ良いのである、ということであると思う..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[枕草子　第八十段　「里にまかでたるに・・・」段]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6490/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p901ih]]></author>
			<category><![CDATA[p901ihの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 23:16:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6490/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6490/" target="_blank"><img src="/docs/983430953901@hc06/6490/thmb.jpg?s=s&r=1139494574&t=n" border="0"></a><br /><br />〔章段の概要〕
　作者が、里邸に退出していると、殿上人が尋ねてくるのをも、人は穏やかでないうわさを言い立てるようである。しかし、作者は特に何か深い意味があって退出しているわけでもないので、腹も立たない。しかしあまりにも煩わしいので、今度退[356]<br />枕草子　第八十段　「里にまかでたるに&hellip;」　段
〔章段の概要〕
作者が、里邸に退出していると、殿上人が尋ねてくるのをも、人は穏やかでないうわさを言い立てるようである。しかし、作者は特に何か深い意味があって退出しているわけでもないので、腹も立たない。しかしあまりにも煩わしいので、今度退出したところは、左の中将経房の君済政の君といった少数のみが知っていた。
そこに左衛門の尉則光が尋ねてきた。則光が言うのには、藤原斉信からしつこく作者の退出先を教えろといわれ、嘘をつくのはつらかった。そして、隣では経房がすました顔で全く知らないといった様子で座っていたので、目があったら吹き出してしまいそうだったので、苦し紛れに、海藻をとってそれをほおばり、ごまかした。ということである。作者はそれでもなお、則光に「絶対に教えてはなりませんよ」と告げる。
それから何日かたって、滝口の武士が則光からの手紙を持ってやってきた。それによると、明日の御読経の結願の日ということで、斉信が宮中にこもっている。作者の「居場所を教えろ」ときつく言われるので、教えてもよいか。言うとおりにする。　といった内容のものだった。作者は返事は..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[今昔物語集における天狗]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p901ih]]></author>
			<category><![CDATA[p901ihの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 23:04:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/" target="_blank"><img src="/docs/983430953901@hc06/6487/thmb.jpg?s=s&r=1139493882&t=n" border="0"></a><br /><br />　天狗と聞いて多くの人が想像するもの。それは、真っ赤な顔をし、長く大きな鼻を持ち、白い山伏のような衣服を纏ったものだろう。翼が生えていて、羽団扇をもっている、という特徴もある。
　私は、天狗といっても、特にこれといった思い浮かぶエピソード[356]<br />今昔物語集における「天狗」
　天狗と聞いて多くの人が想像するもの。それは、真っ赤な顔をし、長く大きな鼻を持ち、白い山伏のような衣服を纏ったものだろう。翼が生えていて、羽団扇をもっている、という特徴もある。
　私は、天狗といっても、特にこれといった思い浮かぶエピソードもないのだが、中世では、天狗は「仏法を妨げるもの」という認識があったようである。
『今昔物語集』にこのような説話が収録されている。
昔、天竺に天狗がいた。天竺から震旦に渡ってくる途中、海の水が一筋に、「諸行無常、是生滅法、生滅々已、寂滅為楽」と鳴ったので、天狗はこれを聞いて非常に驚き、「海の水がどうしてこんな尊い深遠な法文を唱えるのであろうか」と不思議な気がして、「この水の正体を突き止め、なんとしてでも邪魔してやらずにはおくまい」と思い、水の音をたどり、探し求めながら来るうち、震旦まで来たが、ここでも同じように鳴っている。
こうして、震旦も過ぎ、日本の近くの海まで来たが、やはり同じように唱えるのが聞こえた。そうして博多、門司、瀬戸内海を経て、淀川から宇治川をさかのぼっていくにつれ、ますます声が高くなる。さらについていくと、比..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『十二国記』レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6175/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mi-ho]]></author>
			<category><![CDATA[mi-hoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 16:39:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6175/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6175/" target="_blank"><img src="/docs/983431260701@hc06/6175/thmb.jpg?s=s&r=1138865973&t=n" border="0"></a><br /><br />　『十二国記』の根底にある思想は変わっていると思う。私が普段、欧米のファンタジーしか読まないからかもしれない。この物語には、「神」＝「天帝」という存在はあるが、絶対的な悪の存在がない。このことは、キリスト教が土台となる欧米のファンタジーでは[360]<br />あらすじ
　普通の高校生だった中嶋陽子は、ある日、突然現れたケイキとともに十二国の世界へたどりついた。ケイキとはぐれ、海客として追われ、妖魔に襲われ、人に騙され、孤独な陽子は人を信じないと決める。飢えと疲労で霞む意識の中、ネズミ（楽俊）に助けられる。楽俊に「雁国に行けば助かる」と言われ、共に旅に出る。途中、蠱雕（コチョウ）に襲われ、陽子は楽俊をおいて逃げてしまう。後悔し、「自分が人を信じることと、人が自分を裏切ることは何の関係もない。」と悟り、戻ったが楽俊はいなかった。陽子はひとり船に乗り、雁国に降り立つ。そこで楽俊と再会した陽子は、ケイキが慶国の麒麟であり、自分が景王であると知る。妖魔に襲われたところを延王に助けられ、ともに関弓にある玄英宮へ向かう。延王から「現在の慶国の状態」「王とは何か」「天意とは何か」を聞き、陽子は悩むが楽俊の言葉に押され、王となることを決意する。陽子はケイキを助け、再び契約を交わす。
分析・考察
　『十二国記』の根底にある思想は変わっていると思う。私が普段、欧米のファンタジーしか読まないからかもしれない。この物語には、「神」＝「天帝」という存在はあるが、絶対的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[絵巻を読んでみる]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6171/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mi-ho]]></author>
			<category><![CDATA[mi-hoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 16:02:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6171/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431260701@hc06/6171/" target="_blank"><img src="/docs/983431260701@hc06/6171/thmb.jpg?s=s&r=1138863765&t=n" border="0"></a><br /><br />○絵巻の特徴の考察：実際に絵巻を読んで気づいたことを思いつくだけ書き出してみましょう。
・常に、開くのと巻くのを繰り返すので、とても腕が疲れる。また、読後も巻きなおさなければならないので、手間がかかる。
・座らないと、読めない。
・巻[348]<br />文学環境論
１：絵巻について
○知っていることを書き出してみましょう。
　・紙（横長）をつなげて、1枚にしたものを巻いてある。・1枚1枚の紙は、５０～６０ｃｍくらいの幅。・物語が多い。・軸のある巻物。軸は杉材が多い。・絵が描かれている。・表紙がある。・材料が高価なものが多い。・表紙には、題箋がついている。・1巻は、訳１０ｍ～２５ｍの幅がある。
○構成
　絵と詞。絵は、詞が絵画化されたもの。様々な構成のものがある。①詞&rarr;絵&rarr;詞&rarr;絵&rarr;&hellip;と繰り返されるもの。②絵と詞が別々の巻になっているもの。③画中詞。絵と詞が混ざっている。漫画の原形といえる。
○鑑賞方法
　机の上に置き、肩幅くらいを開いて見る。右..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記及び、その世界観について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430843001@hc06/6140/]]></link>
			<author><![CDATA[ by justiced]]></author>
			<category><![CDATA[justicedの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 08:39:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430843001@hc06/6140/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430843001@hc06/6140/" target="_blank"><img src="/docs/983430843001@hc06/6140/thmb.jpg?s=s&r=1138837173&t=n" border="0"></a><br /><br />賢治の物語に共通して出てくるものがある。それは「イートハーブ」という概念である。イーハトーブとは何か？賢治は1924年、対象13年12月1日付けで、イートハーブ童話集「注文の多い料理店」を自費出版している。その広告文の中で「イーハトーブとは[342]<br />ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記及び、その世界観について
宮沢賢治の作品の特徴として、幻想的な世界観が挙げられる。その中でも私がとくに面白いと思ったのは『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』である。ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記は冒頭部や結末部の原稿などが欠落してはいるものの、世界観、言葉の言い回しなどだけで見てもとても面白い作品である。この物語は、関鉄三の宮沢家勤務時期の調査及び、使用原稿用紙の文献学的研究に基づき、成立時期が大正9年～大正11年と推定される。文庫本全集の解説において、天沢退二郎も、その内容から賢治作品の中でもかなり初期に執筆された作品であるということを推定している。石岡直美著の「宮沢賢治研究」の中の略年表試案においても学生時代と出京時代にかけての作品であると記され、賢治が国柱会に入信した時期と重なっているとされる。さらにこの物語は約10年後に成立することとなる『グスコーブドリの伝記』の原型になっている。
ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記は頻発する『ばけもの』の活気あるリズムに乗って進行する物語で、その中で例えばニーチェがニーチャに、カントの道徳律がばけもの律..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[風の歌を聴け]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431521101@hc05/5997/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jkkjjk]]></author>
			<category><![CDATA[jkkjjkの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2006 00:21:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431521101@hc05/5997/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431521101@hc05/5997/" target="_blank"><img src="/docs/983431521101@hc05/5997/thmb.jpg?s=s&r=1138634461&t=n" border="0"></a><br /><br />　?この小説の魅力は果たしてなんだろうと考えるときやはり5章の鼠と主人公が会話をしながらそれが小説になりという形で小説を作り上げていくというシーンははずせないのではないだろうか。この章ではこの小説は鼠と主人公が話している形ですすんでいくのに[356]<br />日本の文学
風の歌を聴け
①この小説の魅力は果たしてなんだろうと考えるときやはり5章の鼠と主人公が会話をしながらそれが小説になりという形で小説を作り上げていくというシーンははずせないのではないだろうか。この章ではこの小説は鼠と主人公が話している形ですすんでいくのに次の６章ではそこには鼠がしゃべっているという設定ではなく完全に小説の形としてそしてその小説にでてくる男は鼠として出て来る。そしてその章のしめくくりの言葉「ジョン・F・ケネディー」このセリフは9章の終わりにもつながってくる。これが意味することはなんだろうかと考えてみると、鼠のつくりだした小説にでてくる鼠と女とそして主人公（僕）と小指のな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「やまんばのにしき」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430897101@hc06/5958/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 86chi1226]]></author>
			<category><![CDATA[86chi1226の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Jan 2006 22:17:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430897101@hc06/5958/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430897101@hc06/5958/" target="_blank"><img src="/docs/983430897101@hc06/5958/thmb.jpg?s=s&r=1138540648&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は、小さい頃から絵本に親しんできた。家にはたくさんの本があり、母がいつも読み聞かせてくれたのだ。そこで、絵本をテーマに取り上げることにした。
　私の思い出の一冊は、『やまんばのにしき』（文　松谷みよ子、絵　瀬川康男）である。この本は、[356]<br />　私は、小さい頃から絵本に親しんできた。家にはたくさんの本があり、母がいつも読み聞かせてくれたのだ。そこで、絵本をテーマに取り上げることにした。
　私の思い出の一冊は、『やまんばのにしき』（文　松谷みよ子、絵　瀬川康男）である。この本は、昭和４２年に発行され、母が小学生の頃に読んでいたものだ。そのため、私が読んだときにはすでにぼろぼろになっていた。しかし、その傷み具合と瀬川さんの描いたやまんばや村人の絵が妙に合っていて、とても神秘的だった。また、この本に出てくるやまんばは、それまで抱いていたイメージを覆すものだったため、印象に残っている。本のあらすじは次のようなものだ。
　むかしあるところに、ちょうふく山という高い山があった。よく晴れた日でもてっぺんに雲がかかる不気味な山で、恐ろしいやまんばが住んでいると言われている。ある年の秋、村人たちが月見をしていると突然天気が悪くなった。すると雷が鳴り、叫ぶ声がした。「ちょうふく山のやまんばが子ども生んだで、もちついてこう。ついてこねば、人も馬もみな食い殺すどお。」そう言い残すと声は遠くなり、空もからっと晴れた。夜が明けると村中大騒ぎ。なんとして..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[能と源氏物語の違い（葵上を通して）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430904401@hc06/5937/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rujuxx]]></author>
			<category><![CDATA[rujuxxの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Jan 2006 11:35:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430904401@hc06/5937/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430904401@hc06/5937/" target="_blank"><img src="/docs/983430904401@hc06/5937/thmb.jpg?s=s&r=1138502115&t=n" border="0"></a><br /><br />　能の曲目、四番目物である葵上は伝書「申楽談儀」にも記載があり近江猿楽系の小作を世阿弥が改作した曲である。この葵の上は源氏物語の「葵」からの出典である。しかし、マンガあさきゆめみしはかなり源氏物語に忠実であるのに対し葵上にはかなり違う点が見[360]<br />能の曲目、四番目物である葵上は伝書「申楽談儀」にも記載があり近江猿楽系の小作を世阿弥が改作した曲である。この葵の上は源氏物語の「葵」からの出典である。しかし、マンガあさきゆめみしはかなり源氏物語に忠実であるのに対し葵上にはかなり違う点が見受けられる。あさきゆめみし、源氏物語を踏まえ、能葵の上の特徴を論じたいと思う。
まず、愛人である六条御息所が源氏の誠実でない態度ゆえに不安定な精神状態になり車争いをきっかけに源氏の妻葵の上に対する深い敵意を抱き、無意識のうちに生霊となって葵の上を襲う、という筋書きの要点は、御息所と葵の上を本妻と後妻のように扱っている点などを別とすれば、能においても基本的に見ら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の古典文学と鬼]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/5862/]]></link>
			<author><![CDATA[ by firsts]]></author>
			<category><![CDATA[firstsの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2006 18:42:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/5862/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/5862/" target="_blank"><img src="/docs/983430926101@hc06/5862/thmb.jpg?s=s&r=1138441370&t=n" border="0"></a><br /><br />『安義橋』・『宇多郡』・『羅城門』の鬼の違い
　まず初めに目に付くのは鬼の登場の仕方である。『安義橋』では、鬼は女に化けて初めから橋の上にいた。『宇多郡』では、突如空が掻き曇り、空中から腕が現れて渡辺綱の髪を掴んで引きずり上げた。そして『[356]<br />『安義橋』・『宇多郡』・『羅城門』の鬼の違い
まず初めに目に付くのは鬼の登場の仕方である。『安義橋』では、鬼は女に化けて初めから橋の上にいた。『宇多郡』では、突如空が掻き曇り、空中から腕が現れて渡辺綱の髪を掴んで引きずり上げた。そして『羅城門』では、しるしの札を置いて綱が帰ろうとしたとき後ろから兜を掴まれ、振り返ると鬼がいた。
　第二には、目的達成の成否である。安義の橋に現れた鬼は、結果的に男を食い殺し、目的を果たしたが、宇多の郡の鬼は斬り落とされた自らの腕を奪い返しはしたものの、その後綱や頼光らの命を狙い、逆に討たれてしまった。また羅城門の鬼は安義の橋や宇多の郡の鬼と同じ手段、あるいは同じ目的で邸内に入り込んだにもかかわらず、首尾よく腕を奪い返して去った。ただし、この羅城門の鬼はその後、京を離れたらしい。結果的に言えば綱の勝ちに終わったともいえるだろう。
　また主役となる人物にも違いがある。『安義橋』で橋を渡ろうとした若い男は、酒の席での強がりを不本意ながら実践しなければならなくなった。そのため橋に着いた頃には既に心乱れ生きた心地がせず、橋の上にいた女を必要以上に恐れたのだが、逆に、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[永井荷風〜『 東綺譚』の下町風流〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/5860/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ryozanpac]]></author>
			<category><![CDATA[ryozanpacの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2006 18:35:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/5860/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/5860/" target="_blank"><img src="/docs/983432316201@hc05/5860/thmb.jpg?s=s&r=1138440954&t=n" border="0"></a><br /><br />１、はじめに
　永井荷風の小説の中で最高峰とされる『 東綺譚』はその江戸へのノスタルジーの表象として、情緒深いものがある。ここで、永井荷風の略歴を紹介する。明治１２（一八七九年）〜昭和３４（一九五九年）。東京都生まれ。本名、壮吉。１９歳の[354]<br />１、はじめに
　永井荷風の小説の中で最高峰とされる『濹東綺譚』はその江戸へのノスタルジーの表象として、情緒深いものがある。ここで、永井荷風の略歴を紹介する。明治１２（一八七九年）～昭和３４（一九五九年）。東京都生まれ。本名、壮吉。１９歳のときに広津柳浪に入門、その後フランスの自然主義作家ゾラに傾倒し、現実の醜さを赤肌肌に描写した『地獄の花』（明治３５）などを書いた。明治３６年、父の勧めで渡米し、ミシガン州の大学で学ぶ。その後、フランスを経て４１年に帰国。米仏滞在を記念して『あめりか物語』（明治４１）『ふらんす物語』（明治４２）を刊行した。帰国後は江戸文化に傾倒して、明治４２年、滅び行く江戸情緒を描いた『すみだ川』を発表。翌年、文芸雑誌『三田文学』を創刊し、自然主義の『早稲田文学』と対立した。大正期には『腕くらべ』（大正６）、『おかめ笹』（大正９）など、花柳界の風俗を描いた作品を発表した。昭和に入ってからは、私娼街の女性とのふれあいを描いた『濹東綺譚』（昭和１２）がある。また、大正６年から死の前日までの日記『断腸亭日乗』の評価も高い。
　そこで、ここでは『濹東綺譚』について分析し、永井荷..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[野球とマンガ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431296201@hc06/5620/]]></link>
			<author><![CDATA[ by minopon]]></author>
			<category><![CDATA[minoponの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Jan 2006 01:25:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431296201@hc06/5620/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431296201@hc06/5620/" target="_blank"><img src="/docs/983431296201@hc06/5620/thmb.jpg?s=s&r=1137860738&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後の野球とマンガ
　戦前、子どもマンガにおいてスポーツ物というジャンルはまだ生まれていなかったが、主人公たちが野球をするエピソード、小道具としてのバットやグローブ、野球ネタの笑いなどはよくみられた。「のらくろ」を始め、動物たちは野球を楽[356]<br />野球とマンガ 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
戦後の野球とマンガ
　戦前、子どもマンガにおいてスポーツ物というジャンルはまだ生まれていなかったが、主人公たちが野球をするエピソード、小道具としてのバットやグローブ、野球ネタの笑いなどはよくみられた。「のらくろ」を始め、動物たちは野球を楽しんだし、「冒険ダン吉」が南の島の先住民たちの背中に番号をつけるというエピソードも野球の背番号からの発想だった。だが、戦争への突入という時代の変化にいち早く対応せざるをえなかったのは児童雑誌だった。非常時にふざけたり、笑ったりしてはならないと、マンガは誌面から消えていき、同時に敵性（アメリカ）スポーツの野球もとりあげられることはなくなった。 　マンガが、そして野球が甦るのは戦後すぐだった。昨日までもてはやされていたものがダメになり、禁止されていたものが解放されるという反転。そしてマンガと野球は一気に子どもたちに愛される存在へと変わっていったのである。粗末なオモチャ本的なマンガの中でも、野球は取り上げられていた。なといってもそれは新しい支配者アメリカが喜んで認めた、アメリカを体..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 『蜻蛉日記』に見る作者]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431028001@hc06/5606/]]></link>
			<author><![CDATA[ by miou31]]></author>
			<category><![CDATA[miou31の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 22:37:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431028001@hc06/5606/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431028001@hc06/5606/" target="_blank"><img src="/docs/983431028001@hc06/5606/thmb.jpg?s=s&r=1137850668&t=n" border="0"></a><br /><br />　『蜻蛉日記』は、まさに作品名の通りの作品である。作者である藤原道綱母と彼女が愛した藤原兼家の関係は、現代のような日常生活を一緒に築いていく結婚生活とは多少ずれが生じていた。
　当時、結婚の形態は一夫多妻制の通い婚が一般的であった。現に兼[356]<br />　『蜻蛉日記』は、まさに作品名の通りの作品である。作者である藤原道綱母と彼女が愛した藤原兼家の関係は、現代のような日常生活を一緒に築いていく結婚生活とは多少ずれが生じていた。
当時、結婚の形態は一夫多妻制の通い婚が一般的であった。現に兼家も、時姫や道綱母をはじめとして、生涯九人の妻を持った事が知られている。そのような状況下では、多くの女性たちの生きる目的の中心は夫の存在であり、頼りとするものは夫の愛情でしかなかったのだ。
　そのような社会の中で『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は、受領という貴族としてはそれほど高い生まれではなかった。しかし、非常に優れた歌才の持ち主であり、更に大変美しい人であったため、兼家に見初められた。一時は兼家にたいへん愛され、一児・道綱を産んだ。だが兼家は次々と女を作り、道綱母の元を離れていくようになる。それでも道綱母はただひたすらに夫が自分の所に通ってくる事を待つだけの身の上であり、これが当時の多くの女性たちの日常であった。作者にとって結婚とは常に不安定なものであり、夫を失うかもしれないという不安や悲しみ、他の女への嫉妬、怒りなどの感情に常に悩まされていたといえる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『わたしのグランパ』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5519/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bld1362]]></author>
			<category><![CDATA[bld1362の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Jan 2006 00:19:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5519/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5519/" target="_blank"><img src="/docs/983431080301@hc06/5519/thmb.jpg?s=s&r=1137683945&t=n" border="0"></a><br /><br />　『わたしのグランパ』は1999年度第51回読売文学賞説賞を受賞した筒井康隆の小説である。私は日本の文学の授業でこの小説を読んで、少し感心したことがある。
　『わたしのグランパ』は孫娘の珠子の目線から見た祖父の物語である。五代家の一人娘珠[344]<br />『わたしのグランパ』を読んで
『わたしのグランパ』は1999年度第51回読売文学賞説賞を受賞した筒井康隆の小説である。私は日本の文学の授業でこの小説を読んで、少し感心したことがある。
『わたしのグランパ』は孫娘の珠子の目線から見た祖父の物語である。五代家の一人娘珠子は中学1年生。出所した祖父の謙三が13年ぶりに帰って来た。それから珠子へのいじめや校内暴力問題、家の地上げ問題、飲み屋のみかじめ料問題など次々に解決していく。そして珠子の両親の仲も再び良くなっていく&hellip;。
珠子とグランパとの関係には、両親との関係とはまったく違った独特の関係がある。グランパが、若いときはどのように過ごしてきたか、どのような人だったのか、珠子は知らなかった。だから、彼女にとってグランパは不思議な存在であり、魅力的でもある。ふだんグランパはニコニコと優しい笑顔を浮かべている。でも、不正には厳しく立ち向かう。何しろ不良グループの襲撃にもひとりで立ち向かうから。最初は警戒していた孫の珠子も、少しずつグランパに心を開いていく。歳が離れていても、対等に話せる。
　この小説を読み終わって、グランパの謙三にとても印象深い。はじ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[島崎藤村『破戒』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431155001@hc06/5422/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rally1126]]></author>
			<category><![CDATA[rally1126の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 04:59:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431155001@hc06/5422/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431155001@hc06/5422/" target="_blank"><img src="/docs/983431155001@hc06/5422/thmb.jpg?s=s&r=1137441540&t=n" border="0"></a><br /><br />・はじめに
　この小説の本質を社会問題とした社会小説と見るか、自我の告白という告白小説と見るか。この二つを大きなテーマとして、これまで『破戒』は論ぜられてきた。もちろんその両方の面を併せ持っているのは間違いない。先に私の結論を述べると、『[356]<br />・はじめに
この小説の本質を社会問題とした社会小説と見るか、自我の告白という告白小説と見るか。この二つを大きなテーマとして、これまで『破戒』は論ぜられてきた。もちろんその両方の面を併せ持っているのは間違いない。先に私の結論を述べると、『破戒』は告白に重点をおいた告白小説であり、被差別部落という社会的偏見の中で生きる人物の立場を生かしたものである。
・『破戒』の告白
『破戒』の大きなテーマを告白とすると、それは主人公瀬川丑松が、自分は新平民であると打ち明けることを父親から厳しく戒められてきたものであり、その戒めを破ることは自らを社会から「零落」させることに他ならないものである。しかし、猪子蓮太郎という人物の登場によって丑松の心は揺さぶられる。「『我は穢多なり』―ああ、どんなにこの一句が丑松の若い心を掻乱したろう。『懺悔録』を読んで、反って丑松はせつない苦痛を感ずるようになった。」（第一の四）とあるように、父親の戒めと猪子蓮太郎の存在及び著書という二つの思いが丑松の中で葛藤しているのである。この猪子蓮太郎の存在が丑松に「告白」を決意させた外的要因の根本を為すものである。
丑松は身分告白を決..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「住居論」方丈記&minus;長明の心理を探る&minus;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5346/]]></link>
			<author><![CDATA[ by imomusikaiko]]></author>
			<category><![CDATA[imomusikaikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 23:53:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5346/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431331301@hc05/5346/" target="_blank"><img src="/docs/983431331301@hc05/5346/thmb.jpg?s=s&r=1137250381&t=n" border="0"></a><br /><br />１、はじめに
　『方丈記』は、『徒然草』と並んで、日本の随筆文学の代表的古典とされている。四百字詰め原稿用紙で換算すると二十枚程度の短いものであるが、作者鴨長明は、この作品の中で、ほぼ一貫して住居に関して論じている。長明には、それに対する[356]<br />　１、はじめに
　『方丈記』は、『徒然草』と並んで、日本の随筆文学の代表的古典とされている。四百字詰め原稿用紙で換算すると二十枚程度の短いものであるが、作者鴨長明は、この作品の中で、ほぼ一貫して住居に関して論じている。長明には、それに対する何か特別な思いがあったのだろうか。その点について考えてみたい。
　２、父の死がもたらしたもの
　「ゆく河の流れは」で始まる序文的な一節に続いて書かれているのは、安元三年の大火事件、治承四年の辻風、同年の遷都、養和の飢饉、同年の大地震である。これらの五大災厄は、長明が実体験したものだけに、緊迫感あふれるリアルな描写がされている。間に、「さしも危ふき京中の家をつくるとて、宝を費し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る」「すべて世の中のありにくく、わが身と栖とのはかなるあだなるさま、またかくのごとし」と論じているのも、体験に裏付けされた実感だろう。
　災厄の部分は、それだけで作品全体の約四割を占めている。このことはつまり、「細目の描写が正確であればある程、現実に対する眼がきびしければきびしい程、それはより深き根拠を提供」（永積安明『方丈記序論』）したと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[額田王と柿本人麻呂の作品について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rasuta2525]]></author>
			<category><![CDATA[rasuta2525の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 22:21:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/" target="_blank"><img src="/docs/983431363901@hc05/5281/thmb.jpg?s=s&r=1137244892&t=n" border="0"></a><br /><br />　額田王は、万葉集初期の女流歌人である。その出自・経歴年・生没年は不明である。それは、額田王について伝える資料がごく限られていることによる。万葉集の十二種の作品と、日本書紀に「天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶して、十市皇女を生しませり」という[360]<br />　額田王は、万葉集初期の女流歌人である。その出自・経歴年・生没年は不明である。それは、額田王について伝える資料がごく限られていることによる。万葉集の十二種の作品と、日本書紀に「天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶して、十市皇女を生しませり」という一文以外に伝えるものはない。始め大海人皇子の后となり十市皇女を生み、後に中大兄皇子の后ともなる。
　歌数十二種ではあるが、万葉第一期の歌人としては最も多く、わが国最初の専門的歌人と評されることもあり、万葉集から、近江朝を中心に活躍した歌人であることは間違いない。
　あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
　（紫草の生える野を、狩場の標を張ったその野..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[新島襄の使命]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431253601@hc06/5154/]]></link>
			<author><![CDATA[ by napsip2]]></author>
			<category><![CDATA[napsip2の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 13 Jan 2006 22:59:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431253601@hc06/5154/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431253601@hc06/5154/" target="_blank"><img src="/docs/983431253601@hc06/5154/thmb.jpg?s=s&r=1137160773&t=n" border="0"></a><br /><br />新島襄は、一言でいえばいったい何をした人なのであろうか。「同志社の設立者」というのが一番簡潔でまとめられている表現かもしれないが、彼はただの学校の設立者ではない。キリスト教教育に基づく学校というのは、当時では同志社がはじめてである。新島襄が[360]<br />「新島襄の使命」
　
私は中学一年生と高校一年生の時と二度にわたって聖書科の授業で同志社の設立者である新島襄の生涯について学んだが、学び終わって今までずっと思ってきたことは、「ああ、このような生き方はとても私には真似できない」であった。新島襄という人は、私利私欲に基づいて行動したことがほとんどなかったといえる。私には、地位や名誉が約束される新政府の役人になることを拒む勇気もなければ、密航、そして脱国という「重罪」を犯す度胸すらない。普通の人なら、果たせるかどうかわからない使命を貫くよりも、途中で地位や名誉の誘惑に陥ってしまうであろう。だが、私が最も感心したのは、こうした勇気や度胸よりも、新島襄の信念の強さである。アメリカに行って帰国してから亡くなるまでの十数年間、彼はキリスト教教育に基づく学校の設立だけのために全てを尽くしたのである。いったいどうやったらこのような強靭な精神力を持てるのか、私にはすごく興味があった。改めて彼の人生をふりかえるとともに、彼の「強さ」について調べていきたいと思う。
　新島襄は、一言でいえばいったい何をした人なのであろうか。「同志社の設立者」というのが一番簡潔..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[子どもと学校]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164101@hc06/5010/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zzangyha]]></author>
			<category><![CDATA[zzangyhaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 17:12:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164101@hc06/5010/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431164101@hc06/5010/" target="_blank"><img src="/docs/983431164101@hc06/5010/thmb.jpg?s=s&r=1137053574&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本で漫画の本以外、初めて一冊の本を読んだ。日本の本は難しいから読めないと自分に今まで甘いすぎだった。ところで冬休みの課題として先生から指定してもらったなん冊かの本のなかで一冊を選んで感想文を書くことだったから苦手でしたくないけどしなきゃ[360]<br />「教える」こと「育つ」こと
～「子どもと学校」(河合準雄)を読んだ後～
日本で漫画の本以外、初めて一冊の本を読んだ。日本の本は難しいから読めないと自分に今まで甘いすぎだった。ところで冬休みの課題として先生から指定してもらったなん冊かの本のなかで一冊を選んで感想文を書くことだったから苦手でしたくないけどしなきゃならない、私にはなかなか終らない難しい課題だった。
本を手に入れることもなかなか大変だった。私の手のなかに入ったのは冬休みの終わりぐらいで、図書館からもらった瞬間、「ほっと」する時間もなし、急いで読み始まった。
私がなんでいろんな本のなかで借りやすい他の本を選ばなくてこの本に執着ではない執着をしたかというと、日本に来て今までいろんな体験をし、今からも新しいことを体験する可能性がいっぱいあるが、唯一、体験してみなかったし、できることもないのがある。それは、小・中・高等学校の生活である。私は制服を着ている学生を見るといつも気になってしまう。
または、最近はニュースをみると、毎週あちこちから子どもと関連した問題が起こって社会問題になっているのである。これは、子どもが被害者になったり、時に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[和解を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4979/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 14:48:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4979/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4979/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4979/thmb.jpg?s=s&r=1137044885&t=n" border="0"></a><br /><br />　この小説は何年間も父と憎み合ってきた主人公の順吉が、ついに父親と和解するという話である。作者の志賀直哉自身も父親との長年の不和とその後の和解を体験しており、その体験がベースになった小説である。この小説の中では、どういう理由で順吉が父親のこ[360]<br />『和解』を読んで
　
この小説は何年間も父と憎み合ってきた主人公の順吉が、ついに父親と和解するという話である。作者の志賀直哉自身も父親との長年の不和とその後の和解を体験しており、その体験がベースになった小説である。この小説の中では、どういう理由で順吉が父親のことを長年に渡って憎んでいるかは書かれていない。この物語の中ではそれは重要なことではなく、兎に角順吉は父親を嫌っているのであった。その上、順吉は父の京都来遊に面会を拒絶し、長女の誕生とその生死をめぐって父の処置を憎んだ。また、作家である順吉は、父親と自分との不和を小説に書こうとしたが、父親に対する私怨を小説の中で晴らすようなことはしたくない..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[箱男を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4977/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 14:43:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4977/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4977/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4977/thmb.jpg?s=s&r=1137044615&t=n" border="0"></a><br /><br />　箱男とは、ダンボールの箱を頭からすっぽり被り、街を徘徊する人間のことである。箱に開けられた小さな穴から外世界を覗くことはできるが、外世界からは自分の姿を見られることはない。また、箱男とは、浮浪者や乞食とは異種の存在なのである。浮浪者や乞食[360]<br />箱男を読んで
　箱男とは、ダンボールの箱を頭からすっぽり被り、街を徘徊する人間のことである。箱に開けられた小さな穴から外世界を覗くことはできるが、外世界からは自分の姿を見られることはない。また、箱男とは、浮浪者や乞食とは異種の存在なのである。浮浪者や乞食はかろうじて社会の一員として踏みとどまっているが、箱男は自発的に市民社会から逃げ出し、蒸発した人種である。それゆえに、社会に存在しないものとして取り扱われるのである。この作品はこの箱男を一人称として展開していく物語であると私は、想像していたのだが、読み進めていくうちに様々な登場人物が現れ、この記録を書いているのはいったい誰なのか、人称に混乱させられるはめになった。読み手を混乱させる。この点こそが、この作品のメインテーマなのであろうとしか言いようがない。本文からの一説で「そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が箱男になりそこなったのか。」とある。この作品の冒頭部分では「ぼく」が箱男であったが、中盤あたりにくると、医者と呼ばれる人物が登場し、「ぼく」の箱を五万円で買い取ろうとする。そのあたりからこの物語は混迷し..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「痴人の愛」に見る日本の中の西洋]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431181201@hc06/4880/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pianogirl]]></author>
			<category><![CDATA[pianogirlの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 11 Jan 2006 19:55:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431181201@hc06/4880/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431181201@hc06/4880/" target="_blank"><img src="/docs/983431181201@hc06/4880/thmb.jpg?s=s&r=1136976902&t=n" border="0"></a><br /><br />　ナオミズムという言葉がある。これは「知性も道徳感情もない妖婦の一典型」※１を表している。しかし、ナオミはただの淫らな悪女ではない。ナオミはこの時代を戦う女性たちの声を代弁しているのだ。
　「痴人の愛」は大正十三年三月に「大阪朝日新聞」に[356]<br />　ナオミズムという言葉がある。これは「知性も道徳感情もない妖婦の一典型」※１を表している。しかし、ナオミはただの淫らな悪女ではない。ナオミはこの時代を戦う女性たちの声を代弁しているのだ。
　「痴人の愛」は大正十三年三月に「大阪朝日新聞」に連載され、十一月にその続編を「女性」に連載された。この頃の日本は第一次世界大戦後の最初の世界恐慌を受けて、大きく揺れ動いていた。第一次世界大戦後の日本は世界的な恐慌の余波を受けて、恐慌状態に入るが、さらに関東大震災があり、関東では一時的に経済がストップし、復活してからも深刻な不況から抜け出せずにいた。一方国民は対戦中の好景気よりも生活が華美になり、向上期にあった映画の影響で西洋文化が流入し、モガ・モボなどが現れ始めた。
　その一方で、大正デモクラシーも興隆してきた。このデモクラシーの中で、女性も大いに活躍する。その象徴ともいえるものが１９１１年九月に創刊された、平野らいてう、伊藤野枝らによる「青鞜」である。「青鞜」はそもそも女流文芸集として出発したが、次第に女性解放の道を探ってゆく雑誌、という性格を帯びるようになってくる。また、創刊号に掲載された「原始..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『県民性の日本地図』江戸と東京の気質]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/queensms/4807/]]></link>
			<author><![CDATA[ by チュアー]]></author>
			<category><![CDATA[チュアーの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Jan 2006 23:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/queensms/4807/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/queensms/4807/" target="_blank"><img src="/docs/queensms/4807/thmb.jpg?s=s&r=1136904243&t=n" border="0"></a><br /><br />『県民性の日本地図』＜武光　誠著，文春新書，2001年刊＞
江戸と東京の気質
新時代の都市民
昔からもてはやされた、江戸っ子気質というものがあり、涙もろくて、お節介で、義理堅く、短気で口が悪いが、正義感が強くて金銭に執着しない。江戸っ[340]<br />「基礎文献講読練習」
『県民性の日本地図』＜武光　誠著，文春新書，2001年刊＞
江戸と東京の気質
新時代の都市民
昔からもてはやされた、江戸っ子気質というものがあり、涙もろくて、お節介で、義理堅く、短気で口が悪いが、正義感が強くて金銭に執着しない。江戸っ子は、このような生き方を好んだといわれる。
しかし、これは江戸、東京といった様々な出身地をもつ人々は集まる大都市の人々が「このような隣人がいれば良い」と考える人物像がある。こういった都市民の理想像が芝居などの「江戸っ子」ではなかったろうか。
今日の東京人の特徴として、大部分の人々はきわめて冷静な合理主義者であること，
他人に干渉したり、干渉されたりするのを嫌いでお互いに深入りしない付き合いを望むこと，そうでありながら、社交的で人あたりが良いこと，東京人は陽気に見えるが、それは外にむける顔であり、一人になったときに、自分だけの世界に閉じこもる東京人も多いことなどの個人主義の他に情報への関心度が高いことがあげられる。
このような東京人の気質は、近代の都市生活の中から生まれてきて、「江戸っ子」的なものから今日の東京人への変化は、江戸時代から..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[光の帝国「大きな引き出し」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4626/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Jan 2006 11:32:02 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4626/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/4626/thmb.jpg?s=s&r=1136514722&t=n" border="0"></a><br /><br />　この話は実際には存在しないような特別な力を持った「常野」の一族の話です。
　「常野」の一族は皆、不思議な力を持っています。しかし彼等は、その力をあえて隠し、普通の人々に混じってひっそりと暮らし続ける。人とは違う能力を持ったことによって強[356]<br />この話は実際には存在しないような特別な力を持った「常野」の一族の話です。
「常野」の一族は皆、不思議な力を持っています。しかし彼等は、その力をあえて隠し、普通の人々に混じってひっそりと暮らし続ける。人とは違う能力を持ったことによって強いられる苦悩を、まだ小学生の主人公「春田光紀」は受け入れられずに疑問を持つ、そんな話です。もちろん、そんな不思議な力は存在するはずはありませんが、もしもそんな力があったならば、どのように生きていくことになるのか？ということを作者は考えたのだと思います。
　まず、どんな人間でも、予知能力や瞬間移動、膨大な記憶力などの特別な力が使えたり、備わっているのならば・・・などと一度は憧れるのではないだろうか？しかし、この話の中でその不思議な力というのは、逆にマイナスな物として書かれています。この話にでてくる主人公「光紀」やその家族は膨大な記憶力を持っている。光紀は小学校四年の後半を迎えようとしていたが、既に江戸時代までの古典を殆ど暗記していた。ある日、百人一首を全て暗記していると得意になって話していた少女に嫉妬します。彼女はあんなに誉められていたのに、なぜ自分は内緒に..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[徒然草における吉田兼行の価値観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Jan 2006 11:17:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/4624/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/4624/thmb.jpg?s=s&r=1136513866&t=n" border="0"></a><br /><br />　徒然草を読み進めていくと、兼行の価値観が段々と分かってくる。兼行自身の価値観が論じられている段、欲を否定し論じている段、兼行が本当に価値を置いているものを論じた段など、価値観を論じている段は非常に多い。これらの段を要約し、キーワードだと私[360]<br />徒然草における吉田兼行の価値観　　　　
　徒然草を読み進めていくと、兼行の価値観が段々と分かってくる。兼行自身の価値観が論じられている段、欲を否定し論じている段、兼行が本当に価値を置いているものを論じた段など、価値観を論じている段は非常に多い。これらの段を要約し、キーワードだと私が考える三つの言葉と重ねながら、吉田兼行の価値観についてを考えてみた。
①『欲』
　徒然草における兼行の価値観で最も重要となるキーワードは『欲』である。これは兼行の『欲』という訳ではない。俗世間に溢れている『欲』の否定である。
　第三十八段を例にあげてみる。この段の最初の一文にはこのような事が書かれている。名誉や利益を追い求め、静かな時間を過ごさず、一生を苦しみながら送るのは愚かである。つまり兼行は名誉や金銭を追うことは愚かであると述べたのである。この名誉欲、そして金銭欲の否定は第三十八段では更に続いていく。
　財産が多ければ多いほど、自分の身を守ることは難しくなる。財産とは害や災いを招く元である。財産とは愚かな人の目を楽しませるだけのものであって、つまらないものだ。金は山に捨て、玉は淵に投げてしまうのが良い。..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[与謝野晶子とその作品について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4606/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rasuta2525]]></author>
			<category><![CDATA[rasuta2525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jan 2006 21:24:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4606/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4606/" target="_blank"><img src="/docs/983431363901@hc05/4606/thmb.jpg?s=s&r=1136463844&t=n" border="0"></a><br /><br />　日清戦争の戦後派世代である与謝野晶子は、現代の若い世代においてもその名を広く知らしめ、とりわけ女性読者からは親しみを抱かれていることは、近年、現代語訳された『みだれ髪』が大きな反響を呼んだことからも認識できる。当時の古い言葉で表現された作[360]<br />与謝野晶子とその作品について
日清戦争の戦後派世代である与謝野晶子は、現代の若い世代においてもその名を広く知らしめ、とりわけ女性読者からは親しみを抱かれていることは、近年、現代語訳された『みだれ髪』が大きな反響を呼んだことからも認識できる。当時の古い言葉で表現された作品ではあるが、いわゆる『明星風』という実生活の感情を率直に歌い上げる歌風と、当時（明治後期）の人たちにとっては衝撃的なほど近代精神にあふれた革新的な発想の詩歌である故と考えられる。
与謝野晶子（旧姓：鳳晶子）は大阪府堺市の駿河屋という京都大阪一帯に名の知れた菓子屋の三女として生まれた。明治１１年１２月７日のことである。父・宗七は駿..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石と谷崎潤一郎]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rasuta2525]]></author>
			<category><![CDATA[rasuta2525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jan 2006 10:06:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/" target="_blank"><img src="/docs/983431363901@hc05/4567/thmb.jpg?s=s&r=1136423174&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏目漱石は１８６８年２月９日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の５男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
　学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした[356]<br />夏目漱石は１８６８年２月９日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の５男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした。明治23年、帝国大学文科大学英文科に学び、東京高等師範学校英語教師、松山の愛媛県尋常中学教諭となった。松山はのちに『坊っちやん』の舞台となる。
明治３３年、漱石は文部省派遣留学生に選ばれロンドンに赴く。「夏目狂せり」との噂が流れるなか帰朝し、一高と東大で英語英文学を講じたが留学中からの神経症に悩まされ、友人高浜虚子の勧めでいわば神経症の自己治療のために書いたのが『吾輩は猫である』である。雑誌「ホトトギス」に掲載された本著作で大いに文名があがり、明治４０年には一切の教職を辞して東京朝日新聞社の小説記者となり執筆を始めた。
没したのは大正５年１２月９日、享年５０である。彼の死を悼む人々の数は同日に弔われた日露戦争の名将大山巌を悼む人々の数をはるかに凌いだといわれている。
このように漱石の生涯を振り返ってみると、明治時代をちょうどその一生の中に含んでいる。同時..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「たけくらべ」小論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317001@hc05/4430/]]></link>
			<author><![CDATA[ by naicha]]></author>
			<category><![CDATA[naichaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 28 Dec 2005 17:49:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317001@hc05/4430/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317001@hc05/4430/" target="_blank"><img src="/docs/983431317001@hc05/4430/thmb.jpg?s=s&r=1135759775&t=n" border="0"></a><br /><br />　読者として「たけくらべ」という作品を読むとき、そのイメージはすでにあらかた固定化されているように思われる。それは、菅原孝標女が源氏物語を読んだように、昭和の少女達が吉屋信子を読んだように、と言ってもいい。読む前からある種のイメージが先行し[360]<br />読者として「たけくらべ」という作品を読むとき、そのイメージはすでにあらかた固定化されているように思われる。それは、菅原孝標女が源氏物語を読んだように、昭和の少女達が吉屋信子を読んだように、と言ってもいい。読む前からある種のイメージが先行し、そのフィルターを通して読まれる、と言えるのではないだろうか。
私などは、「たけくらべ」の原文に触れる前に、さまざまなメディアを通して二次的な「たけくらべ」に出会っている世代である。有名ないくつかの場面は原文で読むこともあったが、メディアのフィルターを通したそちらの方が「たけくらべ」の原体験になっているといっても過言ではない。そんな私の中にあった「たけくらべ」のイメージは、美登利と真如を巡る、思春期の淡い恋物語であり、そのなかで正太郎の存在はかなり希薄であったように思う。
しかし、改めて読み返してみると、もちろんのことながら、正太郎は作中にかなりの割合で登場する重要人物のひとりであり、ほとんどが美登利と対になるために登場するといってよい。さらに本文中の真如の描写に比べ、正太郎の闊達さ、かわいらしさの描写の多いこと、詳細であることに気付く。それでは、美登..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉集　三九二七〜三九三〇]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuko5151]]></author>
			<category><![CDATA[yuko5151の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Dec 2005 00:12:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/" target="_blank"><img src="/docs/983431519201@hc05/4256/thmb.jpg?s=s&r=1135264324&t=n" border="0"></a><br /><br />大伴宿禰家持、天平十八年閏七月を以て、越中の国守に任ぜらる。即ち七月を取りて任所に赴く。ここに姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首
▽　坂上郎女・・・大伴旅人の異母妹。万葉集に歌も多く、一流の女流歌人で家持の家庭生活及び作歌生活に大きな影響[356]<br />　　
大伴宿禰家持、天平十八年閏七月を以て、越中の国守に任ぜらる。即ち七月を取りて任所に赴く。ここに姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首
　　　
▽　坂上郎女・・・大伴旅人の異母妹。万葉集に歌も多く、一流の女流歌人で家持の家庭生活及び作歌生活に大きな影響を与えた。この歌の当時四十六歳。（大系）
▽　閏七月・・・家持が越中国守の任命をうけたのは『続日本書紀』によると天平十八年六月二十一日。この年の閏は九月にあったので、誤写されたものか。（全注）
▽　七月を取りて・・・「取」は日取を選び取る意で書いた、和風的表現であると考えると、七月ではなく七日の誤写であろう。（全集）　　　
▽　越中の国守・・・「越中」は国名で現在の富山県にあたる。「国守」は国の長官。（全注）
三九二七　草枕　旅行く君を　幸くあれと　斎瓮据ゑつ　我が床の辺に
草枕・・・「旅」の枕詞。古代の旅では草を結んで枕にしたところからかかる。また、実際にそのような枕を用いたのではなく旅のわびしさを表す表現だともいう。（全注）
旅行く君を・・・「旅」は家を離れてよそで暮らすことをいう。よって地方官勤務も旅であった。「を」は主格を表す。（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高樹のぶ子『浮揚』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4025/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyogen]]></author>
			<category><![CDATA[kyogenの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 23:10:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4025/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4025/" target="_blank"><img src="/docs/983431513701@hc05/4025/thmb.jpg?s=s&r=1134483015&t=n" border="0"></a><br /><br />　『浮揚』は、夫を持つ「わたし」と優柔不断だが思慮のある家庭持ちの大学教師江沢の、お互いに願望を仄めかしながらも一線を超えない付き合いをする、という煮えきれない恋愛を幻想的な「水」のイメージを用いて描かれた話である。
　今回『浮揚』を論ず[356]<br />日本文学演習Ⅳ（月曜7･8限）　　　　　　　　　　　　　　　　 2005.8.1.提出
高樹のぶ子『浮揚』について
―山田詠美『花火』との比較から構造と男女関係をみる―
　『浮揚』は、夫を持つ「わたし」と優柔不断だが思慮のある家庭持ちの大学教師江沢の、お互いに願望を仄めかしながらも一線を超えない付き合いをする、という煮えきれない恋愛を幻想的な「水」のイメージを用いて描かれた話である。
　今回『浮揚』を論ずるにあたっては、戦後短篇小説再発見３（講談社文芸文庫，2001）に収録されている山田詠美『花火』との比較をし、１．構造、２．男女関係の描かれ方（比喩を含む）について論を展開させていく。
　比較する『花火』は、前の会社の上司である高山と愛人関係にある姉と「いい子ちゃん」の妹の「私」とのやりとりに、男女が体も心も結び付いて離れられないのは、花火のように一瞬であり、関係を壊さないためには思いやりが必要ということが述べられている、恋愛に関する一種の教養小説的な構成をもつ話である。
　
１．構造
　『浮揚』『花火』はどちらも一人称の形で話しが語られている。それにより、語り手である「わたし」、「私..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[後藤明生『しんとく問答』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4023/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyogen]]></author>
			<category><![CDATA[kyogenの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 23:05:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4023/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4023/" target="_blank"><img src="/docs/983431513701@hc05/4023/thmb.jpg?s=s&r=1134482724&t=n" border="0"></a><br /><br />　『しんとく問答』は「問答」、とりわけ「問いかけ」によって作られた作品である。その「問いかけ」は様々な空間―現実世界としての空間、古典や伝説の書物の文字世界の空間、地図や写真の平面世界の空間―の中から生み出されている。そして、これらすべての[360]<br />日本文学演習Ⅳ（月曜7･8限）　　　　　　　　　　　　　　　　 2004.10.4.提出
後藤明生『しんとく問答』について
―変貌する都市大阪の過去と現在の空間の中で―
『しんとく問答』は「問答」、とりわけ「問いかけ」によって作られた作品である。その「問いかけ」は様々な空間―現実世界としての空間、古典や伝説の書物の文字世界の空間、地図や写真の平面世界の空間―の中から生み出されている。そして、これらすべての空間は&ldquo;大阪&rdquo;という都市のものである。つまり、現在と過去をまたがり、変わりゆく都市大阪の空間の中から生じる「問いかけ」の物語ともいえる。また、この「問いかけ」はほとんどが解決されることのないままである。「問いかけ」に対して「答え」を求めるのではなく、「問いかけ」そのものを追い求めているかのようである。
　『しんとく問答』は主人公の50～60代と思われる男が「俊徳丸鏡塚古墳」を見学するために八尾市高安の山畑に向かうまでのことや鏡塚での出来事を、文献引用やそれに関する考察を織り交ぜながら日記体で綴る、という形態によって書かれている。日記、というものは現実に起こったことを文字空間におきかえる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石の作品]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3763/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aitsuki]]></author>
			<category><![CDATA[aitsukiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 22:37:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3763/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3763/" target="_blank"><img src="/docs/983431523001@hc05/3763/thmb.jpg?s=s&r=1134135476&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏目漱石の作品は、自伝的な要素を含んだものが多い。どの時期に書いたのか、それが分かればその時の作者の実際の心情が作品から伺うことが出来る。「自転車日記」などはその通り日記調で、一つの小説というよりまるで本当に漱石の日記であるかのように読む[360]<br />　夏目漱石の作品は、自伝的な要素を含んだものが多い。どの時期に書いたのか、それが分かればその時の作者の実際の心情が作品から伺うことが出来る。「自転車日記」などはその通り日記調で、一つの小説というよりまるで本当に漱石の日記であるかのように読むことが出来る。そして、唯一公に自伝的小説と著名されている「道草」は、漱石がロンドンから帰ったとき、また「吾輩は猫である」執筆当時の三十代後半に書かれたものである。
　主人公の健三は数年間の洋行から帰国し、教師として働いている。と言って金銭的に豊かな暮らしというわけではなかった。日々を過ごすのに差し支えはないが、余裕があるわけでもない。そんな健三の所に姉や兄、さらに縁を切ったはずの養父島田、さらに妻の父までが金を頂こうと健三の所に話を持ち込んでくる。
　実際に漱石は文部省から英国留学を命じられている。ロンドンで、クレイグ教授の個人授業を受け、二年間そこで暮らしている。その後、第一高等学校講師、東京帝国大学英文科講師の任についている。健三と違って、毎日の生活が精一杯というわけではなかっただろうが、親戚中から金の工面についてすくなからず相談を受けていたよう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[七夕の由来　七夕ものがたり・乞巧奠・民間の七夕とのかかわりについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:15:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3671/thmb.jpg?s=s&r=1133792117&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
　この七夕ものがたりの内容は「機[356]<br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
この七夕ものがたりの内容は「機織仕事をしていた織女が、牽牛と結婚した途端に、仕事をしなくなってしまった。それに腹を立てた織女の父が彼女に腹を立て、二人を天の川を挟んで引き裂いてしまい、年に一度だけ七月七日の夜に、天の川で会うことを許した」というものである。いろいろな七夕説があると言われているが、最もよく知られる七夕のものがたりの原型であると考えられている。　『荊楚歳時記』の記述によれば「七月七日、牽牛・織女、聚会の夜と為す」とあり（参考文献一七八頁）後漢の時代に成立した物語と言われている。万葉集で天の河などこのものがたりをモチーフにした歌が、歌われていることから、万葉集が歌われ始めた時代にはすでに、このものがたりは日本に伝来していたと考えられる。
持統天皇（六四五～七〇二）の時代には七月七日にこの七夕ものがたりと日本古来の棚機姫の信仰が融合された、歌を詠む宴が日本ではあったのである。..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[夏越の祓（六月祓）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3670/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:08:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3670/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3670/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3670/thmb.jpg?s=s&r=1133791712&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
　この六月祓は天武天皇（六三一〜六八八）の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天[356]<br />　日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
　この六月祓は天武天皇（六三一～六八八）の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天子は節折の儀を行い、百官らは西刻（午後六時）に朱雀門に集まり着座し、ここで祝師が祝詞を読み、皆祓を受け祓物を大川に流した。このようにして、すべての人が犯した罪を祓い清めた。
現在の六月祓の特徴である、茅の輪くぐりが始められた時期は、判断が難しい。『備後風土記逸文』で北海の神・武塔神より命じられ、茅の輪を腰につけた者が厄を逃れることができたという神話より、用いられるようになったのが由来とされている。『日本年中行事辞典』には、藤原忠道の詩が次のように記述されている。「未知何物号菅祓、結草如輪令首蒙」鈴木棠三氏は、この詩から推測できるように「平安末期には茅の輪を首にかけ呪具として扱っていたと思われる」と述べている。（参考文献四七一頁）
儀式として古代には宮中でも私邸でも行われていた祓であるが、祓自体は『古事記』にもイザナミノミコトの部分に禊祓に関する記述があ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[正月の伝統行事]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3668/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:03:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3668/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3668/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3668/thmb.jpg?s=s&r=1133791403&t=n" border="0"></a><br /><br />　正月は一年でも、伝統行事の多い月である。正月の伝統行事を説明しながら、何故正月に伝統行事が多いのか、その理由について述べてみたい。
　主な伝統行事を元日より追って述べると、まず現在も皇居で毎年行われている四方拝が挙げられる。これは当日天[356]<br />正月は一年でも、伝統行事の多い月である。正月の伝統行事を説明しながら、何故正月に伝統行事が多いのか、その理由について述べてみたい。
主な伝統行事を元日より追って述べると、まず現在も皇居で毎年行われている四方拝が挙げられる。これは当日天皇が、午前五時半に束帯を着し神嘉殿の南側に出御し、皇大神宮・豊受大神宮・天神地祇・天地四方・山稜を拝し、安泰を祈る儀式である。唐より伝来した陰陽思想の影響を受けたもので、平安の嵯峨天皇時代の成立より常に行われていた宮廷行事である。
次に七日には七草粥があり、春の七草を入れて炊いた粥を食べ健康を祈願する。この日に七草の羹を食べて年中の邪気を避けるという、中国より伝来した七草羹という儀式が、室町時代以降に現在の七草粥となったものである。平安時代には現在の七草ではないが子日に若菜つみ、または若菜羹をいただく行事などが行われていた。これ自体は日本古来、民間で行われていた行事であったものが宮中行事として用いられたものであると言われている。
　十五日に行われる左義長は、日本各地で現在も見られる火祭りである。十四日または十五日に、長い竹を三・四本組んで立て、正月に飾った..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語表言論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3609/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maritaro]]></author>
			<category><![CDATA[maritaroの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Dec 2005 17:23:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3609/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431531201@hc05/3609/" target="_blank"><img src="/docs/983431531201@hc05/3609/thmb.jpg?s=s&r=1133598218&t=n" border="0"></a><br /><br />▼国語表現とは？
　国語表現とは言葉を文字で表現する事により、心の中の自分（考え）を他人に伝達する事である。個々の心中を他人にいかに理解してもらえるかは心の中のものを十分に表現しえる言葉を選ぶ事から始まる。しかし現代は、略語にはじまり、言[356]<br />国　語　表　現　論
レ　ポ　ー　ト
【　国　語　表　現　に　必　要　な　基　礎　能　力　と　は　何　か。
ま　た　ど　の　よ　う　に　身　に　付　け　る　べ　き　か。　】
国語表現とは？
国語表現とは言葉を文字で表現する事により、心の中の自分（考え）を他人に伝達する事である。個々の心中を他人にいかに理解してもらえるかは心の中のものを十分に表現しえる言葉を選ぶ事から始まる。しかし現代は、略語にはじまり、言葉より行動が先になる場合が多い。（キレる&hellip;や暴力など）では、その国語表現に必要な基礎能力とは？
話す能力・聞く能力
自分の考えを持って論理的に意見を述べたり、自分の考えを尊重して話し合ったりする..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[元子が水を産む場面に作者がこめたもの]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3601/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomatro]]></author>
			<category><![CDATA[tomatroの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Dec 2005 15:07:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3601/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3601/" target="_blank"><img src="/docs/983431519401@hc05/3601/thmb.jpg?s=s&r=1133590054&t=n" border="0"></a><br /><br />一、はじめに
　承香殿女御・元子は一条院に二番目に入内した。ところが、時めいていたのは周知のとおり定子と彰子の二人であり、元子は尊子・義子共に「日陰の女御」として描かれている。しかしここで注目すべきは、その三人の中でも元子についての記述が[356]<br />元子が水を産む場面に作者がこめたもの
一、はじめに
　承香殿女御・元子は一条院に二番目に入内した。ところが、時めいていたのは周知のとおり定子と彰子の二人であり、元子は尊子・義子共に「日陰の女御」として描かれている。しかしここで注目すべきは、その三人の中でも元子についての記述が、他の二人よりも明らかに多いことだ。特に巻五「浦々の別れ」で元子が水を産む場面は、「中の関白没後の一家の悲劇を短編小説的にしるした一巻としてみる立場からは挾雑物的な感じを打ち消し難いが、（中略）作者にとっては割愛しがたい説話であった」（一）と松村氏が指摘している。それでは何故この場面が割愛しがたかったのだろうか、それについて考えてみる。
二、史実としての水を産む事件
　『台記』の仁平三年九月十四日の箇所には、「前一条院御時承香殿女御（中略）依懐妊退出産水、時人為奇異」という記述が見られる。また、元子が水を産んだという事件の記述は、この台記を除いて他に見られない。このことについて、松村氏は「『台記』は本書に拠ったのか（中略）明らかではないが、素朴に事実と信じて記録しただけである。」と考察している。（二）しかし、水が大..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[災異思想の変遷、そして文帝の文学―「典論」論文を中心に]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3596/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomatro]]></author>
			<category><![CDATA[tomatroの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Dec 2005 14:23:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3596/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3596/" target="_blank"><img src="/docs/983431519401@hc05/3596/thmb.jpg?s=s&r=1133587388&t=n" border="0"></a><br /><br />一、講義のまとめ―災異思想の変遷
　漢代において、陰陽五行説と天人相関のことわりとを結びつける事により、自然災異の責任を、宰相罷免というかたちにおとしこむ現象がみられた。つまり、もし人君が天の意志に反する政治を執れば、天はまず小さな災い（[356]<br />一、講義のまとめ―災異思想の変遷
　漢代において、陰陽五行説と天人相関のことわりとを結びつける事により、自然災異の責任を、宰相罷免というかたちにおとしこむ現象がみられた。つまり、もし人君が天の意志に反する政治を執れば、天はまず小さな災い（災）を下す。それでも改める姿勢が見られなければ大きな災い（異）を下し、ついには国を滅ぼすというものである。宰相が天子の身代わりとして責任を負うことにより、咎を天子にまで及ぼさないための策であったと考えられている。この思想を災異思想と呼び、董仲舒が整理したものである。彼は儒家以外の諸子百家を批判して儒教を国教化するよう献策し、役人登用試験に際し、科挙を取り入れた人物でもある。ちなみに、儒教を説いた孔子であるが、姓は孔、名は丘（尼丘というところにお墓があったため、地名からとった）、字は仲尼、（仲とは次男坊であることを指す）魯の国の人である。名とは、生まれたらつけるもので、四つの意味がある。一つ目は自称、二つ目は目上から目下への呼びかけのとき、三つ目は目上を尊重するために、目下や身内の者を貶めるためである。なぜなら、先生は、目下には字は使わずに、名前しか覚え..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[説経節「をぐり」と熊野信仰]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3550/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aitsuki]]></author>
			<category><![CDATA[aitsukiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 22:36:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3550/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3550/" target="_blank"><img src="/docs/983431523001@hc05/3550/thmb.jpg?s=s&r=1133530568&t=n" border="0"></a><br /><br />　説経節「をぐり」で餓鬼阿弥の身を得て生き返った小栗は様々な村人の手に連れ添われ熊野の温泉に浸かり、その霊験によって復活を遂げる。その村人の中には照手姫の姿もあり、土車の上の餓鬼阿弥が夫の小栗であるとは知らずに長殿に暇を貰い、車を引いた。し[360]<br />　説経節「をぐり」で餓鬼阿弥の身を得て生き返った小栗は様々な村人の手に連れ添われ熊野の温泉に浸かり、その霊験によって復活を遂げる。その村人の中には照手姫の姿もあり、土車の上の餓鬼阿弥が夫の小栗であるとは知らずに長殿に暇を貰い、車を引いた。しかし「小栗判官物語」では照手は横山氏の策略で口にした毒酒によって病を患い、これを回復させる為に道中で人の力を借りながら自ら熊野湯を目指している。どちらにせよ餓鬼阿弥が熊野に向かう間照手の姿がある。そして土車を運ぶ多くの村人も居る。
　餓鬼阿弥は胸に「この者を一引き引いたは千憎供養、二引き引いたは万憎供養」と書かれた札を下げていた。常陸小萩は夫の供養の為を願った。死者に対する哀れみと、静かに成仏して欲しいと願いは熊野に宿るとされる神々に祈られた。もはや人の姿でない餓鬼阿弥も、目も耳も口も不自由となった小栗判官も人々は己の身に降りかかる災厄をその中に見つめ、熊野湯にあたることで、餓鬼阿弥が人の姿に戻ったように、小栗判官の病が治ったように、その霊験を信じ、信仰となったのだろう。
　説経節として民衆に語られた「をぐり」は熊野の信仰を広めるのに大きな役割を果た..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文学史における御伽草子の意義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3536/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomatro]]></author>
			<category><![CDATA[tomatroの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 12:06:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3536/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519401@hc05/3536/" target="_blank"><img src="/docs/983431519401@hc05/3536/thmb.jpg?s=s&r=1133492775&t=n" border="0"></a><br /><br />一、お伽草子以前
　日本の物語の祖は、『源氏物語』の「絵合巻」にもあるように『竹取物語』である。その後、十一世紀初頭に物語文学の最高傑作である『源氏物語』が現れる。しかし以後、物語文学は退廃の一途をたどっていく。鎌倉時代になると、「公家が[356]<br />文学史における御伽草子の意義
一、お伽草子以前
日本の物語の祖は、『源氏物語』の「絵合巻」にもあるように『竹取物語』である。その後、十一世紀初頭に物語文学の最高傑作である『源氏物語』が現れる。しかし以後、物語文学は退廃の一途をたどっていく。鎌倉時代になると、「公家が公家の世界を描き、そうして公家が読み書き鑑賞したもので、平安期から鎌倉時代におけるまで主要人物は殆ど公家に限られていた」と国文学資料館市古貞二館長が示すとおり、王朝物語を模倣した擬古物語である。また、イジメなどの描写が露骨に描かれており、武家社会の勧善懲悪がここにも反映していることが明らかである。そのような擬古物語から、まず公家物お伽草子が生まれた。お伽草子は古雅の体裁と内容とがよく釣り合っており、子女の読み物としてふさわしいと考えられたために、享受者が増えていったものだと思われる。
二、お伽草子の内容における分類
　そのような時代を経て、室町時代後期から江戸時代前期にかけてお伽草子が出現することになった。その史的背景について、市古館長が『中世小説の研究』という著書の中で指摘している。以下は私なりにまとめてみたものである。ま..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[純愛小説としての「１９７３年のピンボール」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519701@hc05/3534/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 202a1087]]></author>
			<category><![CDATA[202a1087の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 11:26:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519701@hc05/3534/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519701@hc05/3534/" target="_blank"><img src="/docs/983431519701@hc05/3534/thmb.jpg?s=s&r=1133490377&t=n" border="0"></a><br /><br />　今回作品を扱うのは、第二回目だということもあり作品の概要などは省略する。前回の内容を踏まえた上で、私自身の作品に対する視点で読み解いていく。
?視点
　タイトルからも分かると思うが、私はこの作品を「純愛小説、愛の物語」だと位置づけてい[350]<br />純愛小説としての「１９７３年のピンボール」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　今回作品を扱うのは、第二回目だということもあり作品の概要などは省略する。前回の内容を踏まえた上で、私自身の作品に対する視点で読み解いていく。
➀視点
　タイトルからも分かると思うが、私はこの作品を「純愛小説、愛の物語」だと位置づけている。主人公は大きく分けて二人、「僕」と「鼠」。
➁キーワード
直子
「僕」の元彼女。作品中には「死んだ」となっている。しかし、別れたことで「僕」が二人の仲が「死んだ」＝「僕」のなかの「直子」が「死んだ」という受け取り方も可能である。
違和感
　「僕」が違和感を感じた時、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戯曲考察「夕鶴」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3526/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aitsuki]]></author>
			<category><![CDATA[aitsukiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 00:59:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3526/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3526/" target="_blank"><img src="/docs/983431523001@hc05/3526/thmb.jpg?s=s&r=1133452757&t=n" border="0"></a><br /><br />　木下順二の戯曲「夕鶴」は柳田國男編・全国昔話記録に収録されている鈴木棠三担当の「佐渡島昔話集」の中の異類女房譚を題材として、戦時中に書き下ろした「鶴女房」を書き直した作品である。
　予ひょうを想いその愛情の証として、文字通り身を削って布[356]<br />　木下順二の戯曲「夕鶴」は柳田國男編・全国昔話記録に収録されている鈴木棠三担当の「佐渡島昔話集」の中の異類女房譚を題材として、戦時中に書き下ろした「鶴女房」を書き直した作品である。
　予ひょうを想いその愛情の証として、文字通り身を削って布を織るつうに対して、予ひょうはその布を売れば大金持ちになれるという惣どと運ずの甘言に乗ってしまい、そのつうが織った布に金銭的価値を見出してしまった。予ひょうにしてみれば多くのお金が手に入ることで楽な暮らしをつうにさせてやることができるだろうと思ってのことだった。都見物も出来る。つうは喜ぶだろうと思って彼女が懸命に織る布を彼女の為に金に換えるのだ。しかしつうにと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「風の中の牝鶏」と「小津的作品」の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3492/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Nov 2005 03:58:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3492/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/3492/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/3492/thmb.jpg?s=s&r=1133290689&t=n" border="0"></a><br /><br />　小津安二郎監督の作品には「お早う」や「東京物語」などに代表される、いわゆる小津的作品のほかに、劇的作品といわれる映画がある。「風の中の牝鶏」は後者の劇的作品に該当する作品であり、本来の小津的作品とはまったく違うものであるといえよう。
　[356]<br />「風の中の牝鶏」と「小津的作品」の比較
小津安二郎監督の作品には「お早う」や「東京物語」などに代表される、いわゆる小津的作品のほかに、劇的作品といわれる映画がある。「風の中の牝鶏」は後者の劇的作品に該当する作品であり、本来の小津的作品とはまったく違うものであるといえよう。
「風の中の牝鶏」と小津的作品を比べるには、まず小津的作品がどういうものなのかを理解しなければならない。小津的作品とは、ストーリー性がなく人々の平穏な日常を描いているものが多い。その中で小津監督は「反復とずれ」を軸にしてストーリーを進めていく。例えば小津的作品の一つである「お早う」では一つの団地の中での「噂話」や「家族内でのけ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世説新語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></link>
			<author><![CDATA[ by iloveyou]]></author>
			<category><![CDATA[iloveyouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 00:40:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/" target="_blank"><img src="/docs/983431692401@hc05/3368/thmb.jpg?s=s&r=1132760446&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『[356]<br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
　この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
２．『世説新語』と日本文学
　『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Jyunichiro Tanizaki]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243201@hc05/3325/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ktla24]]></author>
			<category><![CDATA[ktla24の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 22 Nov 2005 00:25:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243201@hc05/3325/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243201@hc05/3325/" target="_blank"><img src="/docs/983432243201@hc05/3325/thmb.jpg?s=s&r=1132586709&t=n" border="0"></a><br /><br />Jyunichiro Tanizaki, one of the biggest Japanese writer, complain and lament about the westernization of modern Japan. T[120]<br />Praise of Shadows
Jyunichiro Tanizaki, one of the biggest Japanese writer, complain and lament about the westernization of modern Japan. Tanizaki is not only praise the distinctive beautiful through art, but he also persuaded the elegant rusticity through many interesting examples such as toilet, ink brush, artillery, or Japanese women in shadow. He mention about the warm use of shadows in traditional Japanese buildings through sho-ji(Japanese paper wall) or duskiness candlelight.
Tanizaki often..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[映像で見る「源氏物語」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3171/]]></link>
			<author><![CDATA[ by msktit]]></author>
			<category><![CDATA[msktitの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Nov 2005 04:41:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3171/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3171/" target="_blank"><img src="/docs/983431695601@hc05/3171/thmb.jpg?s=s&r=1131910896&t=n" border="0"></a><br /><br />映画「千年の恋　ひかる源氏物語」は、２００１年１２月１５日に公開された作品である。紫式部が『源氏物語』執筆からちょうど千年という節目に、式部の物語と言辞の物語を交差させ、壮麗な美術と豪華な衣装に。デジタル技術も使われた作品となっている。
[356]<br />映画「千年の恋　ひかる源氏物語」は、２００１年１２月１５日に公開された作品である。紫式部が『源氏物語』執筆からちょうど千年という節目に、式部の物語と言辞の物語を交差させ、壮麗な美術と豪華な衣装に。デジタル技術も使われた作品となっている。
　私はまず、ネットを使って映画「ひかる源氏物語」が観客にどう捉えられているのかを調べた。結果は、一部の天海祐希ファンや、源氏物語をあまり知らない人達以外は、酷評だらけであった。曰く、脚本に無理がありすぎる。曰く、揚羽の君の意味がわからない。曰く、寝所のシーンばかりで政治のもつれや人物描写ができていない。曰く、幼い女の子ばかり脱がしすぎている等々である。そんな酷..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石「暖かい夢」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/]]></link>
			<author><![CDATA[ by msktit]]></author>
			<category><![CDATA[msktitの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Nov 2005 04:35:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/" target="_blank"><img src="/docs/983431695601@hc05/3170/thmb.jpg?s=s&r=1131910511&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年（一九〇九）一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪[360]<br />　　　　　「暖かい夢」
　夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年（一九〇九）一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に掲載された。「暖かい夢」は、その「永日小品」の中にある作品である。
　「暖かい夢」は街の様子から始まる。きついビル風、そこで客を待つ御者、道を行く人々。道を行く人々は男も女も皆せっぱ詰まっていて、語り手である「自分」を追い越していく。どの人間も同じに見えるのか、道を行く人々の描写は皆一様である。
　しかし、御者の描写はひどく詳しい。目で見たことだけではなく、耳にしたことまで描写されている。同じ街中にいる人間なのに、道を行く人と御者でなぜこれだけ「自分」の注意が違うのか。
　街の人間は皆、「自分」を見ない。「自分」はここに確かに存在するのに、いてもいなくても変わらないかのように「自分」を素通りする。男も女も自分の行くべき方向を見据え急ぐだけで、わき目もふらない。無論、「自分」などその人々の目にはうつらない。少なくとも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[蝉しぐれをみて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297001@hc05/3168/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bestinme]]></author>
			<category><![CDATA[bestinmeの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 13 Nov 2005 19:10:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297001@hc05/3168/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297001@hc05/3168/" target="_blank"><img src="/docs/983432297001@hc05/3168/thmb.jpg?s=s&r=1131876606&t=n" border="0"></a><br /><br />　今回観賞した映画『蝉しぐれ』のテーマは個人的には「友情」、「社会」、「運命」が基盤となっているもの、そして共通するもの、あるいは極限ともいえる「愛」を感じたので、テーマを「愛」とした。実は序盤のほうは何が起こっていたかほとんど理解できずに[360]<br />今回観賞した映画『蝉しぐれ』のテーマは個人的には「友情」、「社会」、「運命」が基盤となっているもの、そして共通するもの、あるいは極限ともいえる「愛」を感じたので、テーマを「愛」とした。実は序盤のほうは何が起こっていたかほとんど理解できずに観賞していた。というよりも序盤のほうではほとんど印象がのこらなく、たいくつさまでも感じてしまっていた。なんとか理解したといえば、牧文四郎の袖を女の人がつかんでいたことと、牧文四郎の父がその強い信念のために命を絶たなければならなかったことだけだった。しかし、中盤あたりで少しずつ監督の伝えたいことが理解してきた気がした。序盤では展開がわかりにくかったのを中盤あたり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学に見る楊貴妃像]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431738201@hc05/3055/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitumame110]]></author>
			<category><![CDATA[mitumame110の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2005 00:53:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431738201@hc05/3055/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431738201@hc05/3055/" target="_blank"><img src="/docs/983431738201@hc05/3055/thmb.jpg?s=s&r=1131638025&t=n" border="0"></a><br /><br />　理想的な美人像は固有名詞に託されて語られることが多い。いくら美しい女性でも、「伝説」がなければ、永遠に語り継がれる美女にはならない。実際に顔立ちが美しかったかどうかよりも、男達がいかに魅惑されたかのほうが、興味をそそられるものである。中国[360]<br />「日本文学に見る楊貴妃像」
　理想的な美人像は固有名詞に託されて語られることが多い。いくら美しい女性でも、「伝説」がなければ、永遠に語り継がれる美女にはならない。実際に顔立ちが美しかったかどうかよりも、男達がいかに魅惑されたかのほうが、興味をそそられるものである。中国では、西施などの美人像が早くから登場した。そして、時代が下がるにつれて、王昭君、李夫人などが付け加えられるようになった。類まれな美貌のために玄宗皇帝に寵愛され、安緑山の乱の責任を押し付けられて非業の死を遂げた楊貴妃もその一人である。
　日本では、『源氏物語』ではじめて楊貴妃の美貌が理想像として言及された。「桐壺」の巻を要約すると、「桐壺の更衣は、身分はさして高くはなかったが、人のそしりの対象になるほどの帝の寵愛は、ついに多くの人の嫉妬を招くに至ったことは、あたかも長恨歌の、玄宗の楊貴妃に対するが如くであった」ということになる。天皇の、佳人に対する寵愛の項では、「あながちに人目驚くばかり」の御覚えは「あまたの御方々を過ぎさせ給ひつつひまなき御前渡」という。あたかもそれは「承歓侍宴無閑暇　春従春遊夜専夜」にあたり、まさしく、「..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高杉 良著　「あざやかな退任」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431967801@hc05/2976/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tanuki]]></author>
			<category><![CDATA[tanukiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 Nov 2005 12:56:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431967801@hc05/2976/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431967801@hc05/2976/" target="_blank"><img src="/docs/983431967801@hc05/2976/thmb.jpg?s=s&r=1131508610&t=n" border="0"></a><br /><br />この本は、一流パーツメーカーの東京電子工業のワンマン社長石原が朝の常勤役員会になっても来なくて、心臓麻痺で急死していた場面からはじまる。社長が急死したので、次の社長が誰になるかを決めなければいけない。社内外からは、長年に亘り石原を支えてきた[360]<br />この本は、一流パーツメーカーの東京電子工業のワンマン社長石原が朝の常勤役員会になっても来なくて、心臓麻痺で急死していた場面からはじまる。社長が急死したので、次の社長が誰になるかを決めなければいけない。社内外からは、長年に亘り石原を支えてきた宮元副社長が後継と目されていた。さらに、忠実な番頭役として石原に仕えてきた副社長の宮本正男は悲しむ間もなく、後継社長を決めなければならなくなる。筆頭候補は唯一代表権を持つ自分であった。だが、筆頭株主の東亜電産社長の佐竹は専務として送り込んだ野村を社長に就任させ、東京電子工業の系列化を図るべく強引な根回し工作を仕掛け、役員は二つに分かれた。そして新役員人事を決定する告別式後の役員会がせまるなか、宮元の脳裏に思い切った作戦が思い浮かび実行する。はじめから結末がどうなるかわかっていて、それでもずっと新役員が誰になるかはらはらさせながら引っ張っていく面白さがあった。
第一章は社長の急逝である。定刻の九時二十分を過ぎたのに東京電子工業の常勤役員会はまだ開かれていなかった。副社長の宮本正男が役員会議室から社長室までの十メートルほどの距離をつんのめるようにして走っ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[山椒魚について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431737901@hc05/2907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by symonshen]]></author>
			<category><![CDATA[symonshenの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Nov 2005 15:36:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431737901@hc05/2907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431737901@hc05/2907/" target="_blank"><img src="/docs/983431737901@hc05/2907/thmb.jpg?s=s&r=1131258960&t=n" border="0"></a><br /><br />井伏文学はヒューマニズム文学とはいえ、暖かく、穏やかで、けっして極端ではない。普通、無力の主人公の無力な抵抗を利用して、自分のまた人並みの日本人の悲しみや嘆きなどの気持ちを表し出したのだ。井伏鱒二氏は今の時代の人々がたぶん理解できないが。し[360]<br />山椒魚
一、山椒魚はどういうものだろうか。
それは１メートル近い岩のような生き物である。よく見れば大きすぎる頭と短い手と足、そして太い尾があるという小さいものである。巨大な顔には途方もなく離れてピンの頭程度の目がついている。大きな口はすこし笑っているようだ。いきおいその生息域は、非常に限られたものになってしまった。しかも彼らは夜行性だ。昼間は落ち葉や底泥の中に身をひそめている。我々が普通に生活していて存在に気づくことはない。人間たちの知らない間に,ひっそりとその姿を表したり、消しつつある。そんなサンショウウオなのである。
だって、井伏鱒二氏はこんなにほのわずかな生き物にも目を注げるのは不思議なことであろう。
二、「山椒魚」の原動力
はじめて、井伏鱒二氏の「山椒魚」を読んで、主人公は一目で見える山椒魚であり、岩屋の中に閉じ込められた運命を嘆き、人間のように独り言を言ったり、蛙と口論したりする。現実には山椒魚が人間の言葉で独り言を言ったというのはありえない。荒唐無稽な話であろうか。この山椒魚のくだらなさそうな生活が描かれて、また、文章全体の構成のばらばらである。このような小説が読む価値があ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「知の基本武装 言葉」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431930301@hc05/2834/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ba029023]]></author>
			<category><![CDATA[ba029023の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Nov 2005 23:52:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431930301@hc05/2834/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431930301@hc05/2834/" target="_blank"><img src="/docs/983431930301@hc05/2834/thmb.jpg?s=s&r=1131029560&t=n" border="0"></a><br /><br />「リンゴが木から落ちる」「木から落ちるリンゴ」似たような一文であるが前者は目に見えない事柄であり、後者は目に見えるものを意味している。言葉とはもともと｢言の葉」つまり「ことの端」のことです。｢こと｣とは物事で、「端｣は物の隅、はし、の意味で[360]<br />「知の基本武装 言葉」について
１．言葉＝ことの端
「リンゴが木から落ちる」「木から落ちるリンゴ」似たような一文であるが前者は目に見えない事柄であり、後者は目に見えるものを意味している。言葉とはもともと｢言の葉」つまり「ことの端」のことです。｢こと｣とは物事で、「端｣は物の隅、はし、の意味です。だから、言葉＝｢ことの端」とは、物事のホンの一部が現れたもの、という意味になります。氷山はほんの一角だけを海面上に現しています。この氷山を物事の全体とすれば、海面上のわずかな一角だけがそれを表す言葉だということになります。西洋の化学などではすべてをもの化してしまいがちですが、ことの世界は広く、際限があり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『雪もち』における雪・酒粕・南天]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432288901@hc05/2814/]]></link>
			<author><![CDATA[ by h05b919d]]></author>
			<category><![CDATA[h05b919dの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2005 17:03:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432288901@hc05/2814/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432288901@hc05/2814/" target="_blank"><img src="/docs/983432288901@hc05/2814/thmb.jpg?s=s&r=1130918626&t=n" border="0"></a><br /><br />幸田文の作品『雪もち』は埴子の語りによって場面が展開する。よって読者は語り手の声を聞くことはできない。それとひきかえに情景として印象深いのは次の三つである。その三つとは雪と酒粕と南天だ。では、この雪・酒粕・南天は作品中でそれぞれどのようなも[360]<br />日本文学特殊講義課題レポート
『雪もち』における雪・酒粕・南天
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
幸田文の作品『雪もち』は埴子の語りによって場面が展開する。よって読者は語り手の声を聞くことはできない。それとひきかえに情景として印象深いのは次の三つである。その三つとは雪と酒粕と南天だ。では、この雪・酒粕・南天は作品中でそれぞれどのようなものとして描かれているのだろうか。このことについて考えていきたい。
埴子は酒問屋に嫁いだ。それまでの机の前に座ってばかりいる生活から一変、茶の間に漂う酒粕の香ばしい匂いに新婚の甘さが重なる。商売違いからきたもののまぬけ臭さを洗いたいと埴子は夫の友人宅へ酒粕を届けに行く。雪の降る日であった。
しかし、埴子はこの日思いがけず、友人宅へ雪道を向かう足駄の女を見つける。後にそれはかつて夫との結婚を望んでいた女であったと知るのだが、埴子にはその日見た足跡がなんとなく気になりつつも忘れかけていたのであった。
　この雪の日に埴子は情景として印象深いものを見る。その情景とは南天の赤い実がごみ箱の上で「雪持ち」の風情にまぎれ、降り積もる雪に消されそうになっていた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「砂の女」がカフカから受けた影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431811401@hc05/2544/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takaitakai]]></author>
			<category><![CDATA[takaitakaiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Oct 2005 01:18:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431811401@hc05/2544/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431811401@hc05/2544/" target="_blank"><img src="/docs/983431811401@hc05/2544/thmb.jpg?s=s&r=1129825096&t=n" border="0"></a><br /><br />私は安部公房著「砂の女」を読んだ。安部公房といえば、高校の国語の教科書にあった「赤い繭」しか読んだことはなかった。「赤い繭」は自分が誰か、どこに住んでいたか分からない主人公の男が家々を訪問しては、自分を知らないか、この家は自分の家ではないか[360]<br />「砂の女」がカフカから受けた影響
私は安部公房著「砂の女」を読んだ。安部公房といえば、高校の国語の教科書にあった「赤い繭」しか読んだことはなかった。「赤い繭」は自分が誰か、どこに住んでいたか分からない主人公の男が家々を訪問しては、自分を知らないか、この家は自分の家ではないかと尋ね回りやがて赤い繭になってしまうというなんとも不思議で奇怪な作品として心に残っている。
まずは「砂の女」を読んでの個人的な感想だが、場面設定はほとんど砂の中だけであるにもかかわらず、スリリングで惹きこまれた。しかも日常では絶対に起こるはずがないのに、まるで主人公になったかのように、不安や苦痛を味わうことができる作品だと思った。では、あらすじを元にこの作品を見ていきたい。
八月のある日に男が一人行方不明になった。失踪してから七年たったのちに、法律でその男の死が認定されたという結論からこの物語は始まる。男は教師をしており、休暇を利用して、昆虫採集のために砂丘へ向かう。男の目的は自分の名前が昆虫大図鑑に書きとめられるような新種を発見することにあった。その地で男は部落の老人にその晩の寝床を勧められる。男は勧められるがまま..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[五十音の成り立ち]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431871201@hc05/2311/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nmit1939]]></author>
			<category><![CDATA[nmit1939の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Oct 2005 06:19:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431871201@hc05/2311/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431871201@hc05/2311/" target="_blank"><img src="/docs/983431871201@hc05/2311/thmb.jpg?s=s&r=1128979157&t=n" border="0"></a><br /><br />かねてから興味のあった「五十音の成り立ち・発音」について調べ、レポートにまとめてみることにしました。

五十音図はインドのサンスクリット語を書き表す梵字（デーヴァナーガリー文字）の配列にその起源があるようです。「あかさたなはまやらわをん」の[356]<br />かねてから興味のあった「五十音の成り立ち・発音」について調べ、レポートにまとめてみることにしました。
五十音図はインドのサンスクリット語を書き表す梵字（デーヴァナーガリー文字）の配列にその起源があるようです。「あかさたなはまやらわをん」の順序もそれなりに理由があるのだろう、と考えて「あかさたなはまやらわをん」と自分で発音してみると、なるほど、昔の人のやったことは古い、と言って馬鹿にしてはいけないということが実感できます。 「あ」の音声は喉の一番奥のほうから発声されて、その次の「か」は少し前のほうで発声されて、「さ」は更にその前で、という具合に喉の奥から順に口先・鼻先へと発声される場所の移動が整..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『三四郎』とキリスト教]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Sep 2005 23:59:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/2277/thmb.jpg?s=s&r=1127746773&t=n" border="0"></a><br /><br />美禰子について、色々と説明を受けたとき、そして自分が短大生になり以前読んだときより感じるものに違いがあって、興味を持った。その理由もあり、再びこの作品を読んで、授業で興味を持った美禰子について分析し、まとめてみたいと考えた。

第一章　[352]<br />　はじめに
　私は課題として、夏目漱石の『三四郎』を選択した。その理由は二つある。
　まず、以前この作品の本を読んだことがあったからだ。といっても、内容や感想を覚えているかというとそうでもない。高校生の頃、心理学に興味があった私は『夢十夜』を読んでとても感動し、他の夏目漱石作品を読んだのだ。その時にこの『三四郎』も読んだのであるが、「難しい」という感じにしかならず、夏目作品を読むこともそれで断念してしまったのだ。そこで国文学科に入学して一年経った今、改めて『三四郎』を読んでみようと考えた。
　二つ目の理由として、授業で取り扱って面白いと感じたからである。美禰子について、色々と説明を受けたとき、そして自分が短大生になり以前読んだときより感じるものに違いがあって、興味を持った。その理由もあり、再びこの作品を読んで、授業で興味を持った美禰子について分析し、まとめてみたいと考えた。
　第一章　夏目漱石と『三四郎』について
　この作品の作者夏目漱石は一八六七年東京生まれ、本名を金之助という。東大在学中から漢学に親しみ、英語を学び、正岡子規との出会いによって文学を志した。大学卒業後、松山中学校へ赴..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『源氏物語』浮舟物語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2267/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 Sep 2005 14:38:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2267/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2267/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/2267/thmb.jpg?s=s&r=1127194693&t=n" border="0"></a><br /><br />授業では源氏物語第三部、宇治十帖の浮舟物語について取り上げ、後期では浮舟巻、蜻蛉巻、手習巻、夢浮橋巻を取り上げた。
そこで、このレポートでは三角関係を主に考えながら浮舟という女性について、また宇治十帖の世界について考えたいと思う。

[348]<br />『源氏物語』浮舟物語について
　　　　　　　　　
　1.はじめに
　授業では源氏物語第三部、宇治十帖の浮舟物語について取り上げ、後期では浮舟巻、蜻蛉巻、手習巻、夢浮橋巻を取り上げた。
そこで、このレポートでは三角関係を主に考えながら浮舟という女性について、また宇治十帖の世界について考えたいと思う。
2.浮舟巻～夢浮橋　内容
浮舟　匂宮との密通が薫の知る所となり、薫の激しい詰問、匂宮の甘い誘い、容赦なき母の言葉、侍女達の遠慮のないおしゃべりなどによって入水へと追いつめられていく浮舟を描く。
蜻蛉　浮舟の失踪を知った薫や匂宮、人々は歎き悲しむ。
手習　横川の僧都に助けられて蘇生していた浮舟が、愛欲の世界を振り捨てて出家を遂げる。
夢浮橋　再会を求める薫の手紙を拒絶する浮舟を描く。
3.三角関係
　薫は、源氏の子とされているが、本当は光源氏の正妻女三の宮と柏木との不義の子である。彼は出生の秘密に悩み、厭世の心を深くし、仏道にひかれ、宇治に住む道心深い八の宮のもとに出入りすることになる。そこで彼は大君を愛するようになるが、彼女は亡くなってしまう。薫は、亡き大君の面影を最初はその妹の中君に、それ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[恨の介　物語中の和歌の引用]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2266/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 Sep 2005 14:35:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2266/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2266/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/2266/thmb.jpg?s=s&r=1127194514&t=n" border="0"></a><br /><br />このレポートでは主に『恨の介』の本文に引用されている和歌を調べることとする。時間とレポートの枚数の関係上、美人揃えの引用、地名・社寺名の引用、また謡曲の引用については述べないこととする。

慶長九年六月十日、当時都に滞在中の関東下野辺の[352]<br />　　　恨の介　物語中の和歌の引用
　　　　　　　　　
　1.はじめに　『恨の介』のあらすじ
　慶長九年六月十日、当時都に滞在中の関東下野辺の由緒ある侍であり、且つ色好みの葛の恨の介は、たまたま遊山に来ていた、近衛殿の養女雪の前を見染め、千手観音の御夢想により、服部庄司の後家を訪ね、その口から雪の前の数奇な生い立ちを語られ、その手引で、雪の前と姉妹の契りを結んでいる菖蒲の前を通じて、恋文を雪の前に手渡す。（上巻）恨の介の切なる文面に動かされて菖蒲の前は返事をよこす。その文章の謎を解読してもらった恨の介は、八月十五夜、雪の前の局に忍び入り、契りを結ぶが、後朝から思慕の情に堪えかねて病の床につき、一書を遺して息を引き取ってしまった。その文を届けられた雪の前は、一見してあまりの悲しさに絶死し、後家菖蒲の前、および側近く仕えていた後家の妹紅も自害して殉じた。〔ここから課題〕この事件が上聞に達し、特に黒谷の上人を招いて、雪の前・恨の介を合葬した。（下巻）
　2.レポートのテーマ、目的
　このレポートでは主に『恨の介』の本文に引用されている和歌を調べることとする。時間とレポートの枚数の関係上、美人揃..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[鉢かづきにおける継子物比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2265/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 Sep 2005 14:19:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2265/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2265/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/2265/thmb.jpg?s=s&r=1127193566&t=n" border="0"></a><br /><br />日本だけでなく、世界でも「継子物」と呼ばれる話は多い。特に有名なのは、『シンデレラ』であろう。誰もが知っているおとぎ話だと思う。日本にも、継子物は古くから人気があり、広く愛読されてきた。授業で取り扱った『鉢かづき』が継子譚、「姥皮型」の話と[360]<br />　　　鉢かづきにおける継子物比較
　　　　　　　　　
　はじめに
　日本だけでなく、世界でも「継子物」と呼ばれる話は多い。特に有名なのは、『シンデレラ』であろう。誰もが知っているおとぎ話だと思う。日本にも、継子物は古くから人気があり、広く愛読されてきた。授業で取り扱った『鉢かづき』が継子譚、「姥皮型」の話として有名であろう。そして、調べてみると『鉢かづき』と同系統の話がたくさんあることを知った。
　そこで、『鉢かづき』を主に、同系の話をまとめ、比較してみたいと思う。
　1.公家物語系と民間説話系
　日本の継子物は、大きく「公家物語系」と「民間説話系」に区別される。前者を代表とする話に、『落窪物語』『岩屋の草子』『伏屋の物語』などがあり、物語の舞台は京都である。
　一方、民間説話系の継子物を代表する話には「姥皮型」の昔話と一致する『姥皮』『花世の姫』そして『鉢かづき』も、このグループに属す。公家物語系と違うのは舞台が地方であり、継子の父はその土地の豪族であるということである。
　次に、民間説話系の3つの物語（『鉢かづき』『姥皮』『花世の姫』）について詳しく比較してみたいと思う。
　2.『..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[綿矢りさ論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1990/]]></link>
			<author><![CDATA[ by go55go]]></author>
			<category><![CDATA[go55goの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 17:52:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1990/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1990/" target="_blank"><img src="/docs/983432257401@hc05/1990/thmb.jpg?s=s&r=1122713553&t=n" border="0"></a><br /><br />綿矢りさという作家がいる。近頃｢蹴りたい背中｣を発表した、いまだ十代の新世代の作家である。彼女が史上最年少17歳で第38回文藝賞を受賞した｢インストール｣を現代的な作品としてこれから考察してみたい。
簡単にあらすじを述べると、登校拒否にな[348]<br />綿矢りさという作家がいる。近頃｢蹴りたい背中｣を発表した、いまだ十代の新世代の作家である。彼女が史上最年少17歳で第38回文藝賞を受賞した｢インストール｣を現代的な作品としてこれから考察してみたい。
簡単にあらすじを述べると、登校拒否になった女子高生と、ごく普通っぽい小学生の男の子がふとしたきっかけで出会い、いっしょにとあるバイトを始める。そのバイトというのが、いわゆるアダルトチャットの「さくら」。二人は大人の世界をすこし垣間見た後に、結局現実へと引き戻されていく。という話である。
インターネットやチャットが題材として使われているのはいかにも現代的である。インターネットの大きな特徴のひとつとして、匿名性というのがある。これは、とくにメールやチャットといったコミュニケーション・ツールについてよく言われることであるが、相手を特定するための要素が名前という文字のみであるがために、たとえば本当は男であるにもかかわらず、女性の名前を使い、女性を装ってコミュニケーションをしていたとしても、相手は基本的にその真相を確かめるすべがないのだ。じっさい、インターネットの世界では、女になりすます男たちのこと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[志賀直哉論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1973/]]></link>
			<author><![CDATA[ by go55go]]></author>
			<category><![CDATA[go55goの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 15:33:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1973/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1973/" target="_blank"><img src="/docs/983432257401@hc05/1973/thmb.jpg?s=s&r=1122705204&t=n" border="0"></a><br /><br />志賀直哉はありのままの文体で有名である。私小説でありながらどこか客観的視点をも保持した｢立場なき立場｣でいくつもの傑作短編小説を発表し続け、ついには｢小説の神様｣とまで呼ばれるようになった。その志賀直哉の唯一の長編小説が｢暗夜行路｣である。[360]<br />　志賀直哉はありのままの文体で有名である。私小説でありながらどこか客観的視点をも保持した｢立場なき立場｣でいくつもの傑作短編小説を発表し続け、ついには｢小説の神様｣とまで呼ばれるようになった。その志賀直哉の唯一の長編小説が｢暗夜行路｣である。この作品は大正十年に、雑誌「改造」に前編を発表してから十六年たった昭和十二年にやっと完成されたものであるが、全体のプロットはもとより細部の細かい描写に関しても、いくつもすばらしい部分がある。例えば、鞍馬寺の祭礼の部分。鞍馬から帰ってきた謙作はそこで始めて長男の誕生を知ることになるのだが、つまり、全体の流れの中で、ここで友人達と祭礼見物に行き、なおかつ、そこに描写されている如き経験や感情は孤立していると言えないだろうか。「暗夜行路」とは一貫性を持った長編小説である。簡単なあらすじとしては「主人公の時任謙作は、祖父の妾だった女性と分家住まいをしながら気ままに暮らす作家志望であり、旅先の尾道で自分が祖父と母との間に生まれた不義の子であることを知らされ衝撃をうける。そして、その重い心は京都で見初めた直子との結婚で和らぐのだが、留守中にその直子が幼なじみの従..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[多言語主義をめぐる問題と今後の日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1938/]]></link>
			<author><![CDATA[ by laughmaker]]></author>
			<category><![CDATA[laughmakerの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 09:43:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1938/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1938/" target="_blank"><img src="/docs/983432158301@hc05/1938/thmb.jpg?s=s&r=1122684239&t=n" border="0"></a><br /><br />現在は、情報化やグローバル化が急速に進んでいる時代であることは間違いない。メディアの発展と拡大する市場経済は、確実に地球を小さなものとし、インターネットは、その流れを決定的なものにしている。こうしたグローバル化の実現は、たしかに積極的に捉え[360]<br />2005年度　言語社会学　
多言語主義をめぐる問題と今後の日本
現在は、情報化やグローバル化が急速に進んでいる時代であることは間違いない。メディアの発展と拡大する市場経済は、確実に地球を小さなものとし、インターネットは、その流れを決定的なものにしている。こうしたグローバル化の実現は、たしかに積極的に捉えるべき点も多いのだが、一方で、世界を画一化した方向に向かわせる懸念も持たれている。中でも、少数言語の消滅という問題はシリアスだ。メディアそのものの影響力が飛躍的に巨大化している今、言語＝文化の多様性が危ういものになっている。インターネット社会というものは、いうまでもなく英語を中心とした社会である。これも手伝って、英語を世界の普遍言語のように扱い、世界の言語をひとつに統一しようという「英語帝国主義」＝｢一言語主義（モノリンガル）｣の流れがある。「英語帝国主義」の影響はすでに世界各地に及んでいる。しかし、一方で、人々の国境を超えた移動が激しくなっている今だからこそ、均質性を目指す強制である単一言語国家ではなく、多様なものの共生という新しい社会統合の形が求められている。つまり、世界全体において..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本古典文学の現代的意味　]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1929/]]></link>
			<author><![CDATA[ by laughmaker]]></author>
			<category><![CDATA[laughmakerの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 02:55:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1929/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1929/" target="_blank"><img src="/docs/983432158301@hc05/1929/thmb.jpg?s=s&r=1122659704&t=n" border="0"></a><br /><br />今回、講義を受けて、私達の生活の中で、最も身近に使われている、言葉というものに対して、記号論の立場からアプローチしてみるという視点を持つことができたわけであるが、その集大成として、いろは歌について考えてみたい。いろは歌は、平安時代末期に流行[360]<br />日本古典文学の現代的意味　
　今回、講義を受けて、私達の生活の中で、最も身近に使われている、言葉というものに対して、記号論の立場からアプローチしてみるという視点を持つことができたわけであるが、その集大成として、いろは歌について考えてみたい。いろは歌は、平安時代末期に流行した、七五を四回繰り返す今様という歌謡形式に従って、日本語を構成する47文字すべてのかなを、一字一回ずつ使って作るという制約の下にもかかわらず、しっかりとした内容を持っているもので、日本の古典文学が最も誇るべき歌なのではないかと思う。いろは歌を記した現存最古の文書は1079年に書かれた「金光明最勝王経音義」であるが、作者は明らかになっていない。
いろはにほへと　ちりぬるを　わかよたれそ　つねならむ　うゐのおくやま　けふこえて　あさきゆめみし　ゑひもせす
というもので、当時は清濁の区別が無視されていたことを踏まえて、濁点を補って漢字かな混じりに直すと、
色は匂へど　散りぬるを　我が世誰ぞ　常ならむ　有為の奥山　今日越えて　浅き夢見じ　 　　酔ひもせず
となる。解釈してみたい。花は色鮮やかに咲いても、いずれは散りゆくものであ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[風姿花伝について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/1872/]]></link>
			<author><![CDATA[ by masatom0]]></author>
			<category><![CDATA[masatom0の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 09:47:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/1872/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/1872/" target="_blank"><img src="/docs/983432325401@hc05/1872/thmb.jpg?s=s&r=1122598064&t=n" border="0"></a><br /><br />十四世紀の半ばに、大和猿楽の結崎座の棟梁であった観阿弥を父として生まれた世阿弥は、新熊野神社での猿能楽で翁を演じた際に将軍足利義満から認められて側に置かれるまでになり、低い身分でありながら、都で高等教育を受けるなどした。将軍の寵愛を得たため[360]<br />現在から六百年も前に、一人の能楽師が後継者に向けて記した奥義書「風姿花伝」は、能という舞台芸術の演技・教育の指南書としてだけではなく、翻訳されて世界各国で出版されるほど、人生論としての価値を持っていると言われている。秘伝「風姿花伝」は明治以降になって、初めて公開され、後に海外にまで紹介された日本の各道の奥義・秘伝書の中の一つだった。
十四世紀の半ばに、大和猿楽の結崎座の棟梁であった観阿弥を父として生まれた世阿弥は、新熊野神社での猿能楽で翁を演じた際に将軍足利義満から認められて側に置かれるまでになり、低い身分でありながら、都で高等教育を受けるなどした。将軍の寵愛を得たために、他の貴族たちからも特別な扱いを受けた。しかし後に二度将軍が変わり（義光&rarr;義持&rarr;義教）将軍の好みが変わったこともあって、段々良く扱われなくなっていった。そして長男を亡くし、次男は芸を継がなかった。さらに義教に佐渡島に流され、やっと赦されて帰郷した時には八十歳であり、間もなく世を去ったという人生を送った人である。
風姿花伝には、能楽の継承と発展のために「花（演者）である資格のある者」にのみ伝える事項が書かれていた。また風..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[源氏物語における、藤壺の役割]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/1704/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gen34054]]></author>
			<category><![CDATA[gen34054の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 11:59:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/1704/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432155401@hc05/1704/" target="_blank"><img src="/docs/983432155401@hc05/1704/thmb.jpg?s=s&r=1122433174&t=n" border="0"></a><br /><br />源氏物語の主幹をなすものは、東宮やがては天皇への資格を失った光源氏が、多くの女性との恋慕の物語を繰り広げるなかで、再び王権に近づいていこうとするという、私的恋愛世界と公的政治世界との両面を、源氏栄華の歴史に沿って描かれたところにある。すなわ[360]<br />「源氏物語における、藤壺の役割を、文学的観点から論じよ。」
　源氏物語の主幹をなすものは、東宮やがては天皇への資格を失った光源氏が、多くの女性との恋慕の物語を繰り広げるなかで、再び王権に近づいていこうとするという、私的恋愛世界と公的政治世界との両面を、源氏栄華の歴史に沿って描かれたところにある。すなわち、この物語の骨格をなす光源氏の私的世界と公的世界の両面ともに核心的に関わって存在し続ける女性を見出そうとしたとき、当てはまるのは藤壺ただ一人である。この点を鑑みても、藤壺の存在が源氏物語の展開に対して与える影響は非常に大きなものであることを認めなければならない。従って、以下では藤壺の存在がこの物語に対して与えた影響に関して、いくつかの方向性から論じていきたい。
　第一に、藤壺の呼び名から読み取れる、光源氏に対しての女性としての存在価値であるが、これには藤壺が、そもそも光源氏の父にあたる桐壺帝の、桐壺更衣亡き後の正妻であるはずでありながら、光源氏がこの藤壺との不義密通を行っている点が大きく関わっているであろう。源氏物語においては、登場する女性が「をんな」「をんなぎみ」と呼ばれるのは、男に対..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「『こころ』を生成する心臓」に]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 21:23:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/1634/thmb.jpg?s=s&r=1122380615&t=n" border="0"></a><br /><br />〈論文より抜粋〉
「先生」が残した「遺書」の書き方（そこにおいて言葉化されている他者とのかかわり方、他者をめぐる記憶＝過去のあり方）に対しては、徹底して差異を強調する。他者に共感することが単なる同化とはならず、むしろ自分と他者の違いを鮮明[356]<br />「『こゝろ』を生成する」
小森陽一
〔キーポイント〕
「先生」との差異化 &rArr; 「人間らしい温かい」の成功（研究的に働きかけはしな　　かったという執拗なまでの宣言）
「新たな「血」の倫理」の獲得、旧・倫理の崩壊 
「奥さん」との「」でのかかわり &rArr; 「自由な人と人との組み合わせを生きる」
〈論文より抜粋〉
「先生」が残した「遺書」の書き方（そこにおいて言葉化されている他者とのかかわり方、他者をめぐる記憶＝過去のあり方）に対しては、徹底して差異を強調する。他者に共感することが単なる同化とはならず、むしろ自分と他者の違いを鮮明にすることで、お互いをより本質的な共感へと開いていけることを、『こゝろ』というテクストは示しているのである。
&rArr;ここでの他者とはK（なのか?）
先生：Kへの研究的な働きかけを遺書まで継続させた。
青年：（自称）「人間らしい温かい交際」ができた人間。実際にどうだったかはさておき、研究的には決して働きかけなかったという自負を持つ。
　　　&rarr;このような対比を行う場合、青年とKが同列視されなくてはならないはずだが、Kと青年には決定的な違いがないか。
（同一人物への恋愛感情・青年..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『こゝろ』〜静から始まるミステリ〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 21:11:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/1631/thmb.jpg?s=s&r=1122379901&t=n" border="0"></a><br /><br />【１：情報】
・	1914（大正３）年4月20日〜8月11日　朝日新聞にて連載
・	同年９月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
（初出：「時事新報」1914[304]<br />≪日本文化研究Ⅷ〔近代文学〕a/b －近現代「名作」批判－≫
夏目漱石・著　『こゝろ』　　～静から始まるミステリ～
【１：情報】
1914（大正３）年4月20日～8月11日　朝日新聞にて連載
同年９月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
（初出：「時事新報」1914（大正3）年9月26日）
[予告]
今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。
（初出：「東京朝日新聞」1914（大正3）年4月16日
「大阪朝日新聞」1914（大正3）年4月17日
[自序]
『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう／＼その一篇｜丈《〔だけ〕》を単行本に纏めて公けにする方針に模様が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日中怪奇文学対照]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by avx28993]]></author>
			<category><![CDATA[avx28993の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 20:18:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1617/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1617/" target="_blank"><img src="/docs/983432231401@hc05/1617/thmb.jpg?s=s&r=1122376739&t=n" border="0"></a><br /><br />「これは御伽婢子に見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交わりをなせし形にして、もとは剪燈新話のうちに牡丹灯記とてあり。」（&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;より）
　江戸時代に入ってから、日本文学に対する中国明朝の影響が著しく、&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;もその影[356]<br />　「これは御伽婢子に見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交わりをなせし形にして、もとは剪燈新話のうちに牡丹灯記とてあり。」（&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;より）
　江戸時代に入ってから、日本文学に対する中国明朝の影響が著しく、&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;もその影響を受けて成立した物語の一つである。&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;の元々の原題は『剪燈新話』という書の中の&ldquo;牡丹灯記&rdquo;というもので、これを江戸時代前期に浅井了意が『剪燈新話句解』として翻訳し、牛込の旗本の話を絡ませたものが短編『伽婢子』であり、そこから取られたものがこの&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;である。後に江戸時代末期から明治にかけて活躍した落語家三遊亭圓朝も中国の物語からヒントを得て怪談話を創作しており、&ldquo;怪談牡丹灯籠&rdquo;を書いており、ここに『剪燈新話』が『剪燈新話句解』から版を重ねて日本で出版されたことが分かる。なお、前述の『剪燈新話』は中国明朝(近世)に瞿佑によって成立したものであり、中国では1400年代に読み始められ、それが日本に伝わるのは1400~1500年代の戦国時代（中世）のことであり、さらに時間を必要としている。当時の中国には倭寇の来襲が繰り返されており、そのため「日..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[志賀直哉『児を盗む話』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1616/]]></link>
			<author><![CDATA[ by avx28993]]></author>
			<category><![CDATA[avx28993の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 20:08:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1616/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1616/" target="_blank"><img src="/docs/983432231401@hc05/1616/thmb.jpg?s=s&r=1122376127&t=n" border="0"></a><br /><br />今まで読んできた志賀直哉の作品には、『母の死と新しい母』、『和解』など、主人公の心情に焦点を当て、探求するものが多かったと思うが、今回私が取り上げた『児を盗む話』もそれに属するものであり、当時の志賀直哉の精神状態にも着目しながら、この作品を[360]<br />　今まで読んできた志賀直哉の作品には、『母の死と新しい母』、『和解』など、主人公の心情に焦点を当て、探求するものが多かったと思うが、今回私が取り上げた『児を盗む話』もそれに属するものであり、当時の志賀直哉の精神状態にも着目しながら、この作品を自我肯定の意識というテーマで論じていきたいと思う。
　まず、『児を盗む話』が書かれたのは大正三年、志賀が三十一歳の頃であったのだが、その頃の志賀の精神状態はひどく不安定であったものと思われる。志賀は十八歳の時の足尾銅山鉱毒問題に対する意見の衝突、さらに家の女中との結婚を許されなかったことからの父との不和が続いており、志賀は父から離れて独立した生活をやっていかなければならないと決心し、ついに大正元年には長編『時任謙作』執筆のために家を出て尾道に移る。これは単に小説を書くためでなく、これをきっかけとして家と父の支配からの脱出を目論んだものと考えられるが、結局小説は書けず、翌大正二年には尾道を引き払い、家に戻って来ることとなる。このことは長編が書けなかったという作家としての自信喪失、自活を目指しながら再び父親のいる家に舞い戻って部屋住みの暮らしに頼らざる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[竹取物語の起源]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1544/]]></link>
			<author><![CDATA[ by soa716]]></author>
			<category><![CDATA[soa716の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 00:24:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1544/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1544/" target="_blank"><img src="/docs/983432197601@hc05/1544/thmb.jpg?s=s&r=1122305050&t=n" border="0"></a><br /><br />■はじめに　〜紫式部と清少納言の見解の違い〜

「竹取物語」は日本最初の「ものがたり」――つまり架空の人物や事件を題材にしてテキスト化された物語だとされている。成立は901年〜956年（延喜以後天暦以前）ごろといわれており定かではなく、[340]<br />竹取物語の起源
■はじめに　～紫式部と清少納言の見解の違い～
「竹取物語」は日本最初の「ものがたり」――つまり架空の人物や事件を題材にしてテキスト化された物語だとされている。成立は901年～956年（延喜以後天暦以前）ごろといわれており定かではなく、同様に作者は諸説あるが現段階ではどれも確証がなく不明である。平安時代を代表する作家である紫式部も「源氏物語」（絵合せの帖）の中で、竹取物語を「物語の出で来はじめの祖（おや）」と述べている。
しかし、同時代に活躍した清少納言は「枕草子」」（物語の段）を「物語は、『住吉』『うつほ』&hellip;」と始めており竹取物語についてはなぜか一切触れていない。学問にすぐれており当時の女性としては珍しく漢文にも通じていたといわれる清少納言が、「竹取物語」だけは知らなかったとは考えにくく、これには何か理由があるのではないだろうか。
■斑竹姑娘との類似
このような考えのもとに竹取物語の起源について調べていくと、興味深い説を見つけた。中国四川省西北部のアバ・チベット族自治州に、「斑竹姑娘」（パヌチウ・クーニャン）という民話があるという。この「斑竹姑娘」は竹の中から生まれた娘..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[奉教人の死(人々の中に存在する神・信心の形)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madoka]]></author>
			<category><![CDATA[madokaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2005 17:53:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1499/" target="_blank"><img src="/docs/983432291801@hc05/1499/thmb.jpg?s=s&r=1122281582&t=n" border="0"></a><br /><br />今回、私は芥川龍之介作品の中でも「奉教人の死」を課題の題材として取り上げたいと思う。「奉教人の死」は「れげんだ・おうれあ」という架空の福音書から伝承された聞き語りの形で始まる。そして主人公「ろおれんぞ」が女だと判明してからは、その語りはあた[360]<br />日本文学特殊講義10秋学期期末課題レポート　　
「奉教人の死」―人々の中に存在する神・信心の形―
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　今回、私は芥川龍之介作品の中でも「奉教人の死」を課題の題材として取り上げたいと思う。「奉教人の死」は「れげんだ・おうれあ」という架空の福音書から伝承された聞き語りの形で始まる。そして主人公「ろおれんぞ」が女だと判明してからは、その語りはあたかもその場にいるかのような臨場感あふれる実況中継へと変化する。その臨場感から、私たち読者は美的感動や宗教的な感動を大いに感じ取ることができるのだ。このように文体論から見ても「奉教人の死」は非常に魅力的な題材だと思われるが、このレポートではこの作品の典拠となった作品として挙げられる作品の中で
新村出「南蛮記」
フローベル「聖ジュリアン伝」
エドガァ・アラン・ポオ「詩の原理」
この三作品と比較することによって「奉教人の死」への考察、特に「神を信じる心」に注目して考察を深めてみたい。
　まず比較したうえの印象は、三作品ともにそれほど典拠されてはいないというものである。「聖ジュリアン」はキリストに例えられている..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[奉教人の死]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1498/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madoka]]></author>
			<category><![CDATA[madokaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jul 2005 17:52:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1498/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432291801@hc05/1498/" target="_blank"><img src="/docs/983432291801@hc05/1498/thmb.jpg?s=s&r=1122281531&t=n" border="0"></a><br /><br />今回、私は芥川龍之介作品の中でも「奉教人の死」を課題の題材として取り上げたいと思う。「奉教人の死」は「れげんだ・おうれあ」という架空の福音書から伝承された聞き語りの形で始まる。そして主人公「ろおれんぞ」が女だと判明してからは、その語りはあた[360]<br />日本文学特殊講義10秋学期期末課題レポート　　
「奉教人の死」―人々の中に存在する神・信心の形―
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　今回、私は芥川龍之介作品の中でも「奉教人の死」を課題の題材として取り上げたいと思う。「奉教人の死」は「れげんだ・おうれあ」という架空の福音書から伝承された聞き語りの形で始まる。そして主人公「ろおれんぞ」が女だと判明してからは、その語りはあたかもその場にいるかのような臨場感あふれる実況中継へと変化する。その臨場感から、私たち読者は美的感動や宗教的な感動を大いに感じ取ることができるのだ。このように文体論から見ても「奉教人の死」は非常に魅力的な題材だと思われるが、このレポートではこの作品の典拠となった作品として挙げられる作品の中で
新村出「南蛮記」
フローベル「聖ジュリアン伝」
エドガァ・アラン・ポオ「詩の原理」
この三作品と比較することによって「奉教人の死」への考察、特に「神を信じる心」に注目して考察を深めてみたい。
　まず比較したうえの印象は、三作品ともにそれほど典拠されてはいないというものである。「聖ジュリアン」はキリストに例えられている..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[那須与一の弓道]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432299901@hc05/1260/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rightright]]></author>
			<category><![CDATA[rightrightの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 15:01:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432299901@hc05/1260/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432299901@hc05/1260/" target="_blank"><img src="/docs/983432299901@hc05/1260/thmb.jpg?s=s&r=1121925689&t=n" border="0"></a><br /><br />平家物語の「扇」の中の那須与一の話は、授業にも出てきたが、平家の「船の上の扇を射ってみよ」との平家の挑戦を受けた源氏（那須与一）が見事に的である扇を射切るという話である。
　この話と初めて出会ったのは、確か中学の古典の授業だった。その時は[356]<br />那須与一の弓道
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
平家物語の「扇」の中の那須与一の話は、授業にも出てきたが、平家の「船の上の扇を射ってみよ」との平家の挑戦を受けた源氏（那須与一）が見事に的である扇を射切るという話である。
　この話と初めて出会ったのは、確か中学の古典の授業だった。その時は単純に、「与一ってすごいなぁ」という感想で終わった。しかし、大学でもう一度出会った与一には、色々立ち止まる所が出てきた。その理由の大きな要因として、大学で弓道部に入った事が関係していると思う。そして、平家物語の有名な射手、与一に非常に興味が沸いてきた。今回実際に弓を引きながら、この話と向かい合ってみた。
　阿波・讃岐で合戦中の源氏と平氏。「今日はもう日が暮れたから引き上げよう」と源氏が兵を引く準備をしていると、平家方から、扇を竿の先に付けた船が一艘出てきた。判官の義経が、後藤兵衛実基に、「あれは何だ。」と尋ねると実基は「弓の名人に射させよという事でしょう。」と答え、飛ぶ鳥3匹の内２匹を射ち落とすという那須与一を射手に選ぶ。いきなり上司の前に呼び出される与一。命令は「船の上の扇を射ろ」。与一は..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[伊勢物語における「鬼」とは何か]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1214/]]></link>
			<author><![CDATA[ by soa716]]></author>
			<category><![CDATA[soa716の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Jul 2005 13:50:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1214/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197601@hc05/1214/" target="_blank"><img src="/docs/983432197601@hc05/1214/thmb.jpg?s=s&r=1121835023&t=n" border="0"></a><br /><br />むかし、おとこありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上にをきたりける露を、「かれは何ぞ」となんおとこに問ひける。ゆくさき多く夜もふけにければ、[360]<br />伊勢物語　高子を食った鬼とは何か?
はじめに
　むかし、おとこありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率ていきければ、草の上にをきたりける露を、「かれは何ぞ」となんおとこに問ひける。ゆくさき多く夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥にをし入れて、おとこ、弓胡籙(ゆみやなぐひ)を負ひて戸口に居り、はや夜も明けなんと思つゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、神鳴るさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを
これは、二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御兄人堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下らうにて内へまいりたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとりかへしたまうてけり。それを、かく鬼とはいふなりけり..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「砂の女」と「李陵」の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1054/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Jul 2005 17:27:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1054/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1054/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/1054/thmb.jpg?s=s&r=1121588822&t=n" border="0"></a><br /><br />「砂の女」と「李陵」、この二つの話の最大の共通点、それは自分の知らない異郷に来てしまうという設定である。しかし、どちらの主人公も望んで異郷に来たわけではない。帰れない、逃げられないといった状況に追いこまれてしまうからである。不可抗力の元に主[360]<br />　　「砂の女」と「李陵」の比較
　「砂の女」と「李陵」、この二つの話の最大の共通点、それは自分の知らない異郷に来てしまうという設定である。しかし、どちらの主人公も望んで異郷に来たわけではない。帰れない、逃げられないといった状況に追いこまれてしまうからである。不可抗力の元に主人公たちは新たな土地で適用を強いられる。
　両者とも、最初は自分の目的を持っていた。「砂の女」の主人公の男は昆虫採集をするために砂丘へ向い、「李陵」の主人公、李陵は匈奴と戦うために出陣した。しかし、「砂の女」の主人公の男は村人に監禁されてしまうことになり、李陵は戦いに敗北し、捕虜になってしまう。
　どちらの主人公も捕えられて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[恐るべき子供たち]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1052/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Jul 2005 17:15:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1052/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1052/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/1052/thmb.jpg?s=s&r=1121588147&t=n" border="0"></a><br /><br />主人公は四人の孤児たちです。
彼らは父親がアルコール依存症で病死していたり、母親がコカイン中毒でガス自殺を
していたりします。
（ただし、四人のうち、姉弟であるのはエリザベートとポールの二人だけ。
ポールの友人として絡んでくるジェラ[344]<br />主人公は四人の孤児たちです。
彼らは父親がアルコール依存症で病死していたり、母親がコカイン中毒でガス自殺を
していたりします。
（ただし、四人のうち、姉弟であるのはエリザベートとポールの二人だけ。
ポールの友人として絡んでくるジェラールと、後にやってくるアガートという少女は
まったく偶然に知り合った孤児たちです）
　お話の始まった時点では、彼らの親代わりをしている人物は生きているのですが、
お話が進むにつれて病死してしまうのです。
　たちまち生活苦にまきこまれてしまいそうなものですが、このお話では
うまい具合に生活を助けてくれる人がいたり、遺産を相続することで奇跡的に裕福で
自堕落な生活を続けてゆくことができてしまうのです。
　足の踏み場もないほどに、紙切れや本や汚れた下着類が山積みになった部屋で、
子供たち（といっても十六歳から十四歳くらいなのですが）は無秩序な共同生活を送るのですが&hellip;&hellip;。
　この「恐るべき子供たち」は、さらっと読むと
&rdquo;ちょっと風変わりで、悲劇的な最後を迎えるお話&rdquo;でしかありません。
　背表紙には「同性愛、盗み、虚偽、毒薬&hellip;&hellip;無目的な混乱と不安定な精神が、
やがて情..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[午後の曳航]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1051/]]></link>
			<author><![CDATA[ by feather]]></author>
			<category><![CDATA[featherの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 17 Jul 2005 17:12:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1051/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432221601@hc05/1051/" target="_blank"><img src="/docs/983432221601@hc05/1051/thmb.jpg?s=s&r=1121587944&t=n" border="0"></a><br /><br />１３歳の主人公は自分が天才であること、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来上っていること、父親や教師は存在自体が害悪であることを知っている。彼の父が他界して５年が経つが、母親は今、息子が抽出の小さな穴から盗み見ているともしらず、とある二等[360]<br />１３歳の主人公は自分が天才であること、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来上っていること、父親や教師は存在自体が害悪であることを知っている。彼の父が他界して５年が経つが、母親は今、息子が抽出の小さな穴から盗み見ているともしらず、とある二等航海士との情事にふけっている。窓の外に海が見える。遠くで汽笛がなる。少年は宇宙的な聯関を感じる。
この作品は主人公登の目、母親房子の目、二等航海士竜二の目の３つの視点から描かれている。房子、竜二の視点から見れば、この物語はどこか切ない、そして大衆的なラブロマンスである。未亡人と航海士の恋、その卑俗さを分かっていながら、安いロマンスの主人公のように涙を流す房子、自分の中にある男のロマンのような思想を結局一つも語ることなく、女の涙に応える男。二人の行き着く先は平和な日常生活（マイホームでの生活）なのだが、それに至るまでを正確に醒めた視点で書ききっている。しかし、この話はそれでは終らない。少年は知っている。父親という存在、健全で暖かい家庭、これらが始める教育というのは怖しく破壊的である。自分に「成長」を迫ろうとする。彼には恐くてたまらない。竜二が父親の役割..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三びきのやぎのがらがらどん]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432241101@hc05/927/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 02b5028]]></author>
			<category><![CDATA[02b5028の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Jul 2005 06:32:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432241101@hc05/927/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432241101@hc05/927/" target="_blank"><img src="/docs/983432241101@hc05/927/thmb.jpg?s=s&r=1121290328&t=n" border="0"></a><br /><br />絵本が展開していく意外性と躍動性に魅了され、『三びきのやぎのがらがらどん』に限らず、私は与えられた物語を繰り返し繰り返し読み続けた。それはまさしく私の感情表現を豊かなものにした。美的感覚のような情操的な側面の発達や、知的好奇心も促された。同[360]<br />『三びきのやぎのがらがらどん』
力強い繰り返しの問答と、思いもかけぬやぎの逆転大勝利で終わる絵本だ。私は、はらはらどきどきしながら、この本を読んでもらっていた。
「かた　こと」「がた　ごと」「がたん、ごとん」大きな危険がせまっているのに、やぎたちは悠然と、むしろ楽しげに橋を渡っていく。1番目のやぎは「かた　こと」、2番目のやぎは「がた　ごと」、そして3番目のやぎは「がたん、ごとん」。やぎが大きくなるにつれて橋を渡る音も徐々に大きくなり、私の気持ちも来たるべき「おおきいやぎのがらがらどん」とトロルとの対決に向かって、どんどん盛り上がっていく。力強くパステルを走らせた絵がまた、物語をドラマチックに彩る。モンスターのトロルも、なかなか存在感のある敵相手。いわゆる西洋の鬼だが、広くはムーミンも仲間に入らないだろうか。古今東西、力は強いけど頭は弱いと、鬼の相場は決まっているようだが、弱いチビと真ん中の山羊を逃がす余裕や、見事なやられっぷりなど、味のある悪役を演じている。怖がりな私は、やだー！やだー！と手で顔を覆いながら指の隙間からその挿絵を見ていたことをよく覚えている。私の母は、何を伝えようとし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[高橋睦郎の美について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jul 2005 03:07:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/856/thmb.jpg?s=s&r=1121018865&t=n" border="0"></a><br /><br />汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼[360]<br />　高橋睦郎の美について
　汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼がわたしの最も興味を惹く要素、「男色」と「死」と「悲劇」を中心に抱いていたからと言えばそれは間違いではない。
　「ほんとうに美しいものは必ず悲劇的だ」、高橋睦郎は言う。これは最も言ってはいけなかった真実である。人間の無意識の中で、誰もが感じている真実なのである。だからシェイクスピアの四大悲劇は四百年以上の時を超えて今も愛され続けるのであろうし、近年もてはやされている純愛物語も必ず悲劇的である。わたしは悲劇を最も愛する人間のひとりである。しかし素直にそうとは認めない。本物の悲劇とは、単なる「劇」では終れない。そこには胸を引裂かれる「現実の苦しみ」があるのだ。安易にそれを好きだということは出来ない。本当の悲劇を生み出す人が実際に、妄想によりそれらの作品を書くわけではないことは、これまでの色々な詩人を見てきて知っている。最愛の人の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[東海道四谷怪談について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/820/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suginami]]></author>
			<category><![CDATA[suginamiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 09 Jul 2005 04:04:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/820/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/820/" target="_blank"><img src="/docs/983432385301@hc05/820/thmb.jpg?s=s&r=1120849491&t=n" border="0"></a><br /><br />まず注目すべき点としては、この作品には「忠臣蔵」の世界と関わりを持つ登場人物が出てくる、とう事が挙げられる。
『東海道四谷怪談』を読んでみると、まず、この四谷怪談は「仮名手本忠蔵」の脇筋の仇討ち話になっていることに気づく。すなわち、伊右衛[356]<br />日本近世文学レポート
『東海道四谷怪談について』
私が近世文学について興味があることは、怪談狂言の傑作、文政八年（1825年）初演の『東海道四谷怪談』だ。京極夏彦氏の『嗤う伊右衛門』という小説を読んで興味を引かれたことと、実家に「於岩稲荷田宮神社」のパンフレットがあったことがその理由である。
作者の四世鶴屋南北は江戸日本橋生まれ。三世の女婿に入り、1811年に襲名。歌舞伎役者と台本作者で5代目まであるが、有名なのは四世（1755～1829）で他の四人の南北と区別する意味で「大南北」と呼ぶこともある。
その作品は着想と仕掛けの斬新さに優れており、生世話といわれるほど写実性に溢れた作品で、その写実もどちらかといえば、社会の底辺に生きる人々の、どろどろとした生活を生々しく描いているところに、大きな特徴がある。そのリアルな風俗描写は現代にも通じるものがある。
南北は、当時江戸市中で起こった、旗本の妾と家臣との密通がばれてしまい杉戸の表と裏に貼り付けられて神田川に流されたという有名な事件等を使って書き上げた。これが『東海道四谷怪談』だ。
まず注目すべき点としては、この作品には「忠臣蔵」の世界と関..]]></description>

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			<title><![CDATA[『地獄変』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/765/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 07 Jul 2005 17:11:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/765/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/765/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/765/thmb.jpg?s=s&r=1120723912&t=n" border="0"></a><br /><br />大殿は、芸術のために何をしてもはばからない良秀をこらしめるためという名目で、宮中に女官として仕えている良秀の娘を牛車の中に入れて炎で燃やしてしまう。小説の中で、良秀の娘は、何者かに辱（はずかし）められそうになった所を、物語の語り手によって救[360]<br />　　　『地獄変』を読んで
　本『地獄変・偸盗』の紹介
&rdquo;王朝もの&rdquo;の第二集。芸術と道徳の相剋・矛盾という芥川のもっとも切実な問題を、「宇治拾遺物語」中の絵師良秀をモデルに追及し、古金襴も似た典雅な色彩と線、迫力ある筆で描いた『地獄変』は、芥川の一代表作である。ほかに、羅生門に群がる盗賊の凄惨な世界に愛のさまざまな姿を浮彫りにした『偸盗』、斬新な構想で作者の懐疑的な人生観を語る『藪の中』など６編を収録する。（新潮文庫）
　感想
　「地獄変」は、絵師の良秀が大殿から頼まれた地獄変の屏風を描くために愛する娘の命を犠牲にする話だと、以前から本の紹介などを通じて知っていた。しかし、実際に読んでみて、愛す..]]></description>

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			<title><![CDATA[源氏物語桐壺における問題点]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/709/]]></link>
			<author><![CDATA[ by infantile527]]></author>
			<category><![CDATA[infantile527の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Jul 2005 21:51:39 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/709/" target="_blank"><img src="/docs/983432318901@hc05/709/thmb.jpg?s=s&r=1120481499&t=n" border="0"></a><br /><br />桐壺の死は、季節の風物などが関係していると思われる。
まず花から考えると、桐の季節は夏であり、5月ころに咲く。花期は短く１週間ほどで消えてしまう。気が付くと何気なく咲いていて、また何時とはなしに消えて行く・・・何事も無かったかのように。そ[354]<br />　桐壺の死は、季節の風物などが関係していると思われる。
まず花から考えると、桐の季節は夏であり、5月ころに咲く。花期は短く１週間ほどで消えてしまう。気が付くと何気なく咲いていて、また何時とはなしに消えて行く・・・何事も無かったかのように。それだけに印象に残る花である。何とはない始まりとそして終わり・・・哀切こもる、はかない残像をのこすので、桐壺の人生を表すのに最適である。それゆえに、源氏物語のスタートになるのだろう。
次に、夏は、梅雨の季節であるということ。梅雨と言ったら露である。
万葉集に「ありさりて　後も逢はむと　思へこそ　露の命も　継ぎつつ渡れ」や後撰和歌集に「露の命　いつともしらぬ　世..]]></description>

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			<title><![CDATA[万葉から古今へ　創作の誕生]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/704/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jul 2005 20:34:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/704/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/704/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/704/thmb.jpg?s=s&r=1120390448&t=n" border="0"></a><br /><br />　古今和歌集の仮名序を見て、わたしはふと考えた。万葉集から約百五十年後のそれは、随分とことばへのこだわりが変わり始めているように感じるのである。それまで生活の中で神のものと考えられていたことばが、人々の目線の位置に下がってくるどころか、ある[360]<br />「万葉から古今へ　創作の誕生」
　ことばとは魂である。ことばそのものに神々の力が宿り、口にすれば実現する。それが言霊というものであった。
「しき島のやまとの国は事霊のたすくる国ぞまさきくありこそ」（柿本人麻呂　万葉集 13.3254）
　日本の国は言霊が人を助ける国なので本当の幸せとなる、という意味である。万葉集で柿本人麻呂が詠んだように、古代の日本人は言霊というものを信じ、その言霊の力が人間よりも遥か上の存在として扱っていたのである。現代のわたしたちにとって、この考え方はあまり身近なものではないだろう。特に文学に傾倒しているわけではない人々ならば余計だ。そういった人々にとってことばというものは、コミュニケーションの道具のひとつにしか過ぎない。しかし古代の日本人は「雨よ降れ」とことばにし、そのことばに神々の力が宿り、日照り続きの日々に雨が実際に降ると考え、呪いのことばなども安易に口にはしなかったという。それらはことばには神の力が宿り、口にしたならば実現するという考えであったからだ。この考えは既に現代日本において消え去っているように感じるが、忌み言葉という縁起の悪い言葉を使うと不幸な事態..]]></description>

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			<title><![CDATA[陶淵明「桃花源記」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by infantile527]]></author>
			<category><![CDATA[infantile527の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Jun 2005 21:08:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/673/" target="_blank"><img src="/docs/983432318901@hc05/673/thmb.jpg?s=s&r=1120133324&t=n" border="0"></a><br /><br />晋の太元年間のことだが、武陵の人で漁を仕事にしている者がいた。谷川沿いに道をたどって、どれほど来たか分からぬほどの所まで来ると、突然、桃の花の林に出会った。両岸数百歩の距離にわたって桃ばかりで、その中にはほかの木は混じっていない。したには香[360]<br />　　　漢文演習
晋太元中
　東晋王朝孝武帝の太元間。（367～396）
武陵
　中国の漢代に、現在の湖南省北西部地域に置かれた郡名。
繽紛
多くの物が入り乱れて盛んなさま。　
特に、花・雪などが乱れ散ること。またそのさま。
・「天花風に繽紛し梵音雲に幽揚す」『三国伝記』（1407～41頃）
髣髴
よく似てること。またそのさま。
ありありと眼前に見えること。はっきりと脳裏に浮かぶこと。
影のおぼろなこと。ほのかであること。姿、形がかすかであること。
はっきりしないこと。あいまいなこと。たしかでないこと。
・「さだめて髣髴きはまりなうぞ候らんとあさましきまで給へ候ながら」『毎月抄』（1219）
豁然
髣髴景色などが眼然にぱっとひらけるさま。ひろびろと展開しているさま。
迷い・疑いなどが突然解けるさま。意識・気分などが急にはっきりするさま。急に悟りをひらくさま。
・「こごしい岩、もろい坂、躓く木の根を踏留って、かろうじて豁然と向ふに出ると」『春潮』（1903）田山花袋
儼然
　おごそかで重々しく、近寄りにくいさま。確固として動かしがたいさま。
・「望之儼然、即之也温。」『論語』-子張
阡陌
..]]></description>

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			<title><![CDATA[枕は残るあけぼのの縁]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/]]></link>
			<author><![CDATA[ by infantile527]]></author>
			<category><![CDATA[infantile527の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Jun 2005 21:03:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/" target="_blank"><img src="/docs/983432318901@hc05/672/thmb.jpg?s=s&r=1120133012&t=n" border="0"></a><br /><br />奈良坂は、しばしば露が一面に降って時雨のようになり、児手柏も色を変え、また紅葉色になった高山・花山・若草山の三山が鯉の形のようにみえる。春日の里三条通りに、軒の下の松は年を取り、昔宗親という小鍛冶の住んだほとりに、今も細い煙をたててみすぼら[360]<br />近世国文学演習『懐硯』巻三・四(前半)
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　枕は残るあけぼのの縁
◎語釈
縁語
奈良坂と時雨・柏
露と霧
時雨と雲
奈良坂
奈良市から京都府相楽郡木津町に通じる京街道の坂道。古くは、平城京内裏の北側からの坂道（歌姫越）を言った。古称は、般若坂。
歌枕
「時雨降行奈良坂や」（永代蔵、一の五）
露時雨
露が降りてあたりが湿っていること。また、草木の葉などに露がたくさんたまって、そのしたたるさまが時雨の降るようであること。
児手柏
ヒノキ科の常緑樹で、中国が原産地。わが国には元文年間（1736～41９に渡来した。観賞用に栽植される。
　
縁語
飛火野と春日・鍛冶
三笠山と春日・飛火野
鯉の形せる山
奈良公園より見て右から高山、花山、若草の三山を遠望した形をいう。三つの山の紅葉を鯉の鱗にみたてている。
さら也
いうまでもない。
春日の里三条通り
奈良市の春日大社一帯の称だが、ここでは広く南部、奈良のこと。
「三条通り」は古来奈良の主要な道路。
歌枕　『山・野・里などをよむ。』
宗親
&uarr;右の三条をうけて三条小鍛冶宗近が出てきた。宗親は一条帝の頃の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の厄払い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/641/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 円莉]]></author>
			<category><![CDATA[円莉の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2005 15:08:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/641/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/641/" target="_blank"><img src="/docs/983432358501@hc05/641/thmb.jpg?s=s&r=1120025293&t=n" border="0"></a><br /><br />　まず厄年とは、人の一生のうちにある、一種の折り目である。厄年は、何か災厄の降りかかる年だから身を慎むというものであり、そのために種々の厄払いを行う。
　厄年の考え方は、もともとは中国大陸からもたらされたものであるが、日本でもすでに平安時[356]<br />　夏休みに母の田舎に行ったときに、厄年の話がでた。その時に、田舎ではお祓いだけでは済まない場合があるのを知った。そこで私は、厄払い・厄落としについて調べてみることにした。
　まず厄年とは、人の一生のうちにある、一種の折り目である。厄年は、何か災厄の降りかかる年だから身を慎むというものであり、そのために種々の厄払いを行う。
　厄年の考え方は、もともとは中国大陸からもたらされたものであるが、日本でもすでに平安時代から、厄年のことが文献に出ている。『宇津保物語』には、厄年の宴会を行ったとあるし、『源氏物語』には、女性が三十七歳の厄年に身を慎む件がみられる。
　厄年に当たる年齢は、時代によっても地方によっても少々違いがあるらしい。現在よく言われるのは、厄年は男性の二五・四十二歳、女性の十九・三十三歳であり。三・五・七歳を厄年といったり、六一歳の還暦を厄年に含めたりする地方もある。
　数多くの考え方があるが、「死に」や「散々」という印象が強いために、四二歳、三三歳が概ね厄年の中心をなしており、大厄と呼ばれている。これについで、十九歳と二五歳が重要視されている。これらの年齢を本厄といい、その前後の..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[日本古代の鏡の信仰について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/640/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 円莉]]></author>
			<category><![CDATA[円莉の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2005 15:01:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/640/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358501@hc05/640/" target="_blank"><img src="/docs/983432358501@hc05/640/thmb.jpg?s=s&r=1120024876&t=n" border="0"></a><br /><br />鏡は、普通では見えない自分の顔や姿を映すものである。古代中国では一般には化粧用具として、白粉や口紅や櫛と共に化粧箱の中に収められていた。それだけでなく、鏡は神霊性を有すると考えられていた。特に道教においては、内篇『荘子』に明鏡止水が道の体得[360]<br />　全国の古墳や遺跡から発掘された鏡には、様々な図像が描かれている。それは仙人であったり、獣であったりする。これは、鏡が伝わってきた古代中国の思想が関係している。古代の人々は、この図像にどんな意味を込めたかったのだろうか。
　今回のレポートでは、鏡に描かれている思想についてと、鏡に古代人が意味を込めようとしていた図像にはどのようなものが描かれているのかを調べて見たいと思う。
○鏡と神仙思想
鏡は、普通では見えない自分の顔や姿を映すものである。古代中国では一般には化粧用具として、白粉や口紅や櫛と共に化粧箱の中に収められていた。それだけでなく、鏡は神霊性を有すると考えられていた。特に道教においては、内篇『荘子』に明鏡止水が道の体得者の象徴とされ、外篇『荘子』では鏡を聖人帝王の権力のシンボルとしている。漢の時代、神仙思想が出現した影響で、鏡はこの世界の政治的支配、帝王権力の支配として神秘化し神霊化した。魏・晋の時代に入ると、深山幽谷に入って自ら道術を修める神仙術が盛んになり、鏡の呪力的な威力が強調された。例えば、山中で修行中、怪物が邪魔に入っても、鏡に照らして正体を暴き、邪魔者を退治したという..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[樋口一葉「にごりえ」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/639/]]></link>
			<author><![CDATA[ by masatom0]]></author>
			<category><![CDATA[masatom0の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Jun 2005 11:32:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/639/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432325401@hc05/639/" target="_blank"><img src="/docs/983432325401@hc05/639/thmb.jpg?s=s&r=1120012358&t=n" border="0"></a><br /><br />樋口一葉は本名をなつといい、明治五年（1872）に生まれた。母の教育方針で小学校こそ中退したものの、名家の子女が多く集う名門歌塾萩の舎に通って和歌、習字、日本文学の古典などを学び、生活に不自由することのなかった少女時代を過ごすが、父と長兄の[352]<br />　明治時代当時、文学に取り上げられることの少なかった庶民女性の生き様を、樋口一葉は実体験に基づいて鮮やかに描写した。当時の女性の職業選択の幅は非常に狭く、家庭に入る他には女工、女中、娼婦の三つのカテゴリーに大別されたのだという。
　樋口一葉は本名をなつといい、明治五年（1872）に生まれた。母の教育方針で小学校こそ中退したものの、名家の子女が多く集う名門歌塾萩の舎に通って和歌、習字、日本文学の古典などを学び、生活に不自由することのなかった少女時代を過ごすが、父と長兄の死により家督を継いでからは生活が困窮して母と妹を養うために女中仕事や内職をしていた。やがて萩の舎の友人三宅花圃が女流作家として世間で認められたのに刺激を受け、原稿料をもらうために職業作家を目指す。しかし途中で金のために小説を書くことに疑問を感じ、額に汗して働くことによって生活費を得ようと遊郭近くの町で荒物屋を開くが、結局はうまくいかなかった。しかしこの時期に最底辺で生きる人々の様々な人間模様や生活に触れた体験が、後の創作に大きな影響と深みを与えたのだといわれている（配布プリント「明治文学全集30　樋口一葉集の＜年譜＞」より..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ミステリの文学性とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/603/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 20:16:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/603/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/603/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/603/thmb.jpg?s=s&r=1119698219&t=n" border="0"></a><br /><br />近代文学といえば人間の在り方を求め描いたものというイメージが強いのだが、そこに存在する自我の確立や人間性の追究は、人間の葛藤や極限の心理状況を描く推理小説に通じはしないだろうか。ミステリは文学であって欲しい。文学であって欲しいがどうにも毛の[360]<br />文学史
戦後・近代の文学史ということで悩んではみたが、私は所謂『文学作品』というものに触れた事がない。学校という機関の内に含まれるカリキュラムで作品の解説を受けた事はあるが、私自信が著作を手に取り、ページを捲り、感情移入し、あるいは満足し、あるいは失望し、本を閉じるという事をしていない。私にとって儀式にも似た行為になるのだが、それをせずに作品をひいては文学を騙るのはおこがましい行為に思えた。
ところで、余計なカミングアウトになるが、私はミステリが好きである。本を読むといえば必ず推理モノ、読んだ本の７割強はミステリという位好きなのだ。ただ単に物語の終末で何も無い所に放り出される事が嫌いなだけかもしれない。どこかに落ちついて確実に彼岸から此岸に戻ってくることが出来る作品でないと安心を得られないのだろう。読書量の少ない中で読んでいるものがミステリ中心になってしまっている私は、なんとか課題にこの趣向を結び付けたい。という事で、形而上的に文学を考えた。
近代文学といえば人間の在り方を求め描いたものというイメージが強いのだが、そこに存在する自我の確立や人間性の追究は、人間の葛藤や極限の心理状況を描..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[荘子集解巻一 「遙遊篇」「天地篇」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/546/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぶーにゃん]]></author>
			<category><![CDATA[ぶーにゃんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Jun 2005 16:50:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/546/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/546/" target="_blank"><img src="/docs/983432374901@hc05/546/thmb.jpg?s=s&r=1119426615&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）荘子の自由
　何千里もある翼を持ち、九万里の高さまで上昇し、その地の果てまで飛ぶことのできる鳥・鵬と、それとは対照的な、楡の木の間を飛ぶことが精一杯のいかるやヒグラシ、それよりも小さなよもぎの間を飛ぶみそさざえを登場させ、それぞれを[356]<br />「荘子」（文化論）レポート
課題：＜荘子集解巻一＞「遧遙遊篇」「天地篇」を読んで、以下の項目について説明し、それぞれ感想を述べよ。
（１）荘子の自由
（２）荘子（遧遙遊篇）の無用の用
（３）｢盗跖｣の話で荘子は何を述べようとしたのか
（４）天地篇における文明批判について
（１）荘子の自由
　何千里もある翼を持ち、九万里の高さまで上昇し、その地の果てまで飛ぶことのできる鳥・鵬と、それとは対照的な、楡の木の間を飛ぶことが精一杯のいかるやヒグラシ、それよりも小さなよもぎの間を飛ぶみそさざえを登場させ、それぞれを人間に例え「飛行」という行為の能力差を人間個人の能力差に例えている。この能力差ゆえにみそさざえやいかるやヒグラシは鵬の南方への飛行が理解できないでいる。そのことを人間社会において、小知の者がその自己の卑小さに気付かず、偉大なものを嘲笑する様のたとえとしている。また、真に自由な人間は世俗を超越しており、様々な利害関係や複雑な人間関係に振り回されて、小さな事柄、小さな世界の中で細々と動いている人間社会を見下ろしているようにあるという。
さらに、宋栄子という人物を登場させ「内」と「外」との関..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[詩のことば]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/513/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 20:23:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/513/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/513/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/513/thmb.jpg?s=s&r=1119352980&t=n" border="0"></a><br /><br />普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じように、人間の多くがまずはことばに意味を求めるに違いない。ふと、音の響きが綺麗だと感じることがあっても、それが意味を伴わなければ、ほとんどの人[360]<br />詩のことば
詩のことばというのは、なんとも不可思議で、私には到底理解できないものである。いや、そうではなくて、到底人間が理解するのは不可能なのかもしれない。ことばによって生かされている私達に、どうやっても追い付くことが出来ないほど先を生きることばを、自分の中に取り入れ、それを理解し、自在に操ることなど最初から無理なのかもしれない。ましてや、意味よりも、その「ことば」本来が生きている詩を相手にするとなると、ぽっかりと宇宙に口をあけた暗闇の奥底の如く、本来の姿が見えない、恐怖の実体なのかもしれない。
普段私達は、意味を先に優先させて、それからその意味に見合うことばを探していく。そのせいか、逆に同じ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[堀口大學詩集を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/510/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:39:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/510/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/510/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/510/thmb.jpg?s=s&r=1119350385&t=n" border="0"></a><br /><br />　彼の人生、生涯を大まかにしか知らないが、彼はとても洒落たセンスをもっているのだろうとしみじみ思う。巧みな言葉の使い方、語呂の合わせ方、冷めることは無いしゃれ。そう簡単には、なりきりも、真似も出来ないだろう。また、彼の熱烈な、恋や女という存[360]<br />　堀口大學詩集
　恋と、性と、薔薇と、人間。彼の詩を読んだ時に、最後残ったのはこの四つだった。光太郎に続き相変らずの素人の読み方で、更に詩は物悲しいもの、不思議なものという固定観念を未だに拭い去れないでいる私には、悲しいものはほとんど書かない彼の詩に感情移入が出来なくて理解に苦しんだ。本屋に並んだ沢山の詩人の詩集を見て、最後まで迷い結局堀口大學にしたのだが、私はたまたま開いた一つの詩が印象的で、他のページをあまり見ること無く決定した。『性』という詩だった。彼は客観的に愛を見て、冷静にそれを言葉にしている。この詩の内容が、自分の愛と人間というものの概念にあまりにぴったりで、これだ、とすぐに決めてしまったのだ。 　しかしどうだろうか、彼の詩集を読みすすめていくうちに、全く印象と異なっていた。彼は恋を賛美し、いかにそれが素晴らしいものかを書いているように感じる。そして、冷静だとばかり思っていた彼の詩は、とても情熱的であり、時におどけてさえいた。その影には物悲しさというものが感じられなかった。どことなく、シラーの詩を思わせる、情熱的な詩が印象的だった。（エクスクラメーションマークがとても多い印..]]></description>

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			<title><![CDATA[万葉集・神話と逢い引き]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/509/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:26:11 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/509/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/509/thmb.jpg?s=s&r=1119349571&t=n" border="0"></a><br /><br />　広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ[360]<br />　万葉集・神話と逢い引き
　広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ反映することで分かるのである。中でも注目したのは、恋愛である。
　恋愛を歌うものを読んでいく上で気付くのは、やたらと逢い引きにおいて人目を憚り、夜になると男が愛しい人の元へ出かけることである。万葉集の時代、結婚とは主に妻の元を夫が訪れるという形式「通い婚」であった。何故このような形式が取られたのだろうか。
　（あ）「朝去きて夕は来ます君ゆゑに　ゆゆしくも吾は嘆きつるかも」（巻十二より）
　この歌から分かるように、男は朝去り、夜訪れる。逢い引きをするのは夜に限るという当時の習慣が窺える。またそれだけではなく、この（あ）にある「ゆゆしい」からどうやら神話の関係が窺えるのである。「ゆゆしい」とは、広辞苑によれば「神聖であるから触れてはならない」、また、「忌まわしい、不吉」という意味である。
　他の歌を見てみても逢い引きはほぼ決まっ..]]></description>

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			<title><![CDATA[田村隆一詩集「腐敗性物質」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/506/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:02:53 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/506/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/506/thmb.jpg?s=s&r=1119348173&t=n" border="0"></a><br /><br />　彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難しいことばを繰り返し使うわけでもない。日常の中、目の前に用意されたこと[360]<br />　田村隆一「腐敗性物質」を読んで
　詩のことばは、硬派かそれとも飛びぬけて技巧的でなければならないと思っていた。それは誰かに言われた記憶もなければ、何処かで読んだ記憶でもない。ただ漠然と決められたルールのように感じていた。しかし何のことはない、田村隆一の書いたことばに、あっさりとその固定観念と呼ばれるものが吹き飛ばされたのである。
　今までの苦悩の詩は、己の混沌とした内面を吐き出すものが多かったように感じたが、彼の詩はぐるぐると己の中を回っているのを、顎先に手を添えて、冷静に外から客観視しているような、そんな落ち着きがあるように感じる。理屈を抜いて、ここまで素直に初めから「格好良い！」と思えた詩は無かったかもしれない。この感覚は何だ、今までとは全く違う。私の中に素直に響いてくる彼の選んだことばのひとつひとつ。しかも、詩集の最後に向かうに連れて、なぜか鼓動が早くなり、すうっと現実へ帰っていくような不思議な感覚がある。
　彼の詩は、素晴らしい技巧が凝らされた詩とは違う洒落気がある。ことば自体が作られて、飾り立てられてお洒落になっているのではなく、彼のことばの選び方がお洒落なのだ。特別に難し..]]></description>

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			<title><![CDATA[外国に紹介したい日本文学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suginami]]></author>
			<category><![CDATA[suginamiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Jun 2005 13:19:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/" target="_blank"><img src="/docs/983432385301@hc05/279/thmb.jpg?s=s&r=1118204388&t=n" border="0"></a><br /><br />この本は色々な視点から見る事ができ、見る視点によって物語の意味が大きく変わってくる。「先生」の遺書には先生のこころの自己弁護のフィルターがかかっている。「先生」の主観に取り込まれると、「先生」はなるべく客観的に書いているかのように見える。そ[360]<br />外国に紹介したい日本文学、と言われても今ひとつピンと来るものがなく、とりあえず子供の頃から現在までに私が読んだものをなんとなく思い返してみた。どちらかというと、子供の頃の方が読書好きで、恥ずかしながら最近はあまり本を読んでいないのが実情だ。なので、思い浮かぶのはローティーンの頃に読んだ若年層向けの純文学しかない。ある程度の年齢になってからは、もっぱら密室モノといったような推理小説しか読まなくなってしまった。推理小説も確かに文学ではあるし、単純に読んでいて面白いのだが、比較文学という講義内容にはふさわしくないのではないかと思った。日本文化学科でも中世、近世史のゼミに所属している私としては、やはりそういった関係の文学を取り上げた方がよいのかとも考えたが、あまり興味のあるものが思い浮かばなかった。今回取り上げた作品は、あまりにも有名な著者が書いたものなので、私が紹介しなくても、すでに外国でも知られているのかもしれないが、やはり私の中ではこの作品が今でも印象深い。彼は英語教師をしていたし、イギリス留学もしているのだから、イギリスではある程度の知名度があるのかもしれないが、詳しい事はよく知らない..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 「こころ」の人間関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jsthomas]]></author>
			<category><![CDATA[jsthomasの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 May 2005 13:40:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/" target="_blank"><img src="/docs/983432404601@hc05/198/thmb.jpg?s=s&r=1117082408&t=n" border="0"></a><br /><br />始めに 
「こころ」は、（１９１４）大正三年四月二十日から八月十一日まで「朝日新聞」に「こころ」という総題のもと、「先生の遺書」と題して、一一０回にわたって連載され、同年十月、岩波書店から刊行された。その刊本では「心」「こころ」どちらも用[354]<br />「こころ」の人間関係
始めに 「こころ」は、（１９１４）大正三年四月二十日から八月十一日まで「朝日新聞」に「こころ」という総題のもと、「先生の遺書」と題して、一一０回にわたって連載され、同年十月、岩波書店から刊行された。その刊本では「心」「こころ」どちらも用いられているが、上編「先生と私」、中編「両親と私」、下編「先生と遺書」の三部構成の体裁となった。夏目漱石のこの小説は発表されて以来さまざまな理論的な観点で研究されてきた。私は特に登場人物の関係に興味をもち、本論文ではこれについて検討する。 １、 先生と私 ２、 先生とk ３、 先生とお嬢さん ４、 先生の自殺とｋの自殺 ５、 先生の父親と叔父 １、先生と私 漱石は「先生と私」で先生の生活の外面的な観察を描写し、そこに現れた矛盾を先生を理解する鍵として与えている。 まず先生は「私」に対して静かで淋しく近づき難いと同時に近づきたいという印象を与えたとされている。初期作品では世間に対する超然とした態度は外界に対する高さを意味しており、それが特別の印象を与えるものとして描かれていたが、ここでは先生の超然とした態度は外界との断絶を意味しており..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[  平民社とロシア社会党]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432449901@hc05/56/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chihiro]]></author>
			<category><![CDATA[chihiroの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2005 23:38:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432449901@hc05/56/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432449901@hc05/56/" target="_blank"><img src="/docs/983432449901@hc05/56/thmb.jpg?s=s&r=1107355096&t=n" border="0"></a><br /><br />幸徳秋水、堺利彦、木下尚江らそうそうたる名が並ぶ平民社だが、日本における社会主義の魁としての存在はじつのところ2年足らずで幕を閉じる。自由、平等、博愛を掲げた平民社が結成されたのは1903年10月27日。結社の主たる目的は、人間がつくり出し[342]<br />日本政治史　後期レポート
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
～　平民社とロシア社会党　～
【構成】
１．平民社の成立と平民新聞１８号
２．第二次インターナショナル
序
幸徳秋水、堺利彦、木下尚江らそうそうたる名が並ぶ平民社だが、日本における社会主義の魁としての存在はじつのところ2年足らずで幕を閉じる。自由、平等、博愛を掲げた平民社が結成されたのは1903年10月27日。結社の主たる目的は、人間がつくり出した階級や差別を除去し自由を実現すること、経済的不平等を是正し平等を実現すること、軍備を全廃し戦争を廃絶して自由を実現することであった。なかでも特筆すべき活動に当時の日本が体制翼賛的に賛成していた日露戦争への社会主義者ならではのスタンスが挙げられよう。戦争に反対するほぼ唯一の新聞社として、政府の弾圧と戦いつつ非戦運動を貫いたが、日露戦争終結後の1905年10月9日財政難と政府弾圧により解散となる。
本論においては、平民社の活動中期。平民社とロシア社会民主党との交流、そして第二次インターナショナルを経て日本社会党誕生への萌芽を俯瞰する。片山内閣の基礎を築き、世界の社..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[王朝物の「鼻」と芥川龍之介の「鼻」の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432451501@hc05/22/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitpop]]></author>
			<category><![CDATA[mitpopの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 25 Jan 2005 19:18:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432451501@hc05/22/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432451501@hc05/22/" target="_blank"><img src="/docs/983432451501@hc05/22/thmb.jpg?s=s&r=1106648335&t=n" border="0"></a><br /><br />序論
芥川龍之介は、王朝時代に現れた作品を少し変えたり、あらすじを取り上げ、さらに明確に描いたりしながら、新しい作品を作っていった。そういう作業が特別な意味を持っているのではないかと思える。当書は「鼻」を具体例に、著者が伝えたいことを解明[356]<br />王朝物の「鼻」と芥川龍之介の「鼻」の比較
著者が伝えたいこと
序論
芥川龍之介は、王朝時代に現れた作品を少し変えたり、あらすじを取り上げ、さらに明確に描いたりしながら、新しい作品を作っていった。そういう作業が特別な意味を持っているのではないかと思える。当書は「鼻」を具体例に、著者が伝えたいことを解明することが目標となっている。芥川の「鼻」の基になっているのは、宇治物語と今昔物語なのである。それらの間には、あまり違いがないので、今後、比較の際には宇治物語だけを使うことにする。
まず、内容を書いておこう。内供という僧侶の鼻が非常に長いので、周りの人に笑われるため、どうしても自分の鼻を短く見えるようにしたいのである。そのために様々な方法を試すが、無効。結局、弟子が見つけた新しい、鼻を短くする方法を試すことになる。今回は成功だが、周りの人に笑われ続けるわけで、元の状態に戻る希望が現れる。すると、翌日、鼻は実際に前のように長くなっている。
前述の目的を達するためには、次に変更を指示しなければならない。
　本論
最初の同異は、鼻の描写にある。宇治物語には、「・・・鼻長かりけり。五六寸ばかりなりけれ..]]></description>

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