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		<title>タグ“日本史概説”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%A6%82%E8%AA%AC/</link>
		<description>タグ“日本史概説”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】日本史概論　日本史概説　2023年～2025年（科目コードK32200・Q30200）課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151114/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 過去問解析部]]></author>
			<category><![CDATA[過去問解析部の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 04 Apr 2023 21:53:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151114/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918113963787@hc22/151114/" target="_blank"><img src="/docs/918113963787@hc22/151114/thmb.jpg?s=s&r=1680612798&t=n" border="0"></a><br /><br />丸写しは避けていただければと思います。 また、最後にまとめとして自分の意見を数行でいいので加えると通過率が上がります。[175]<br />日本史概論（科目コードK32200）
日本史概説（科目コードQ30200）
　
次の1、2から一問を選択し、番号に必ず○印を付けて答えなさい。
なお、リポート設題にあたり、課題設題文を記述する必要はありません。

1、古代（奈良時代〜院政期）の土地制度の特徴を、班田収授の限界から荘園の拡大、荘園整理などを事例にしながら、私的土地支配の観点から、一六〇〇〜二〇〇〇字で説明しなさい。
2、中世（鎌倉･室町・戦国時代）の文化の特徴について、仏教をはじめとした宗教的な視点から、一六〇〇〜二〇〇〇字で説明しなさい。

〈ポイント〉
〈1のポイント〉
　奈良・平安時代（後三条天皇の頃まで）の土地政策を整理し、どのようなできごと（政策や法律）があったのか，その結果、土地制度がどうなっていったのかを、公地公民制・律令体制が崩壊していく観点から説明してください。
〈2のポイント〉
鎌倉時代・室町時代・戦国時代において、仏教あるいは僧侶の活動をそれぞれ整理しながら、仏教界の活動がどう変化していったのかをまとめてください。それぞれの時代を単独で説明するというよりは、鎌倉から戦国時代を通した変化に注目してくだ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日本大学通信教育部リポート課題】日本史概論・日本史概説（課題２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144289/]]></link>
			<author><![CDATA[ by taron_tan]]></author>
			<category><![CDATA[taron_tanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 May 2021 21:33:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144289/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144289/" target="_blank"><img src="/docs/922266683169@hc21/144289/thmb.jpg?s=s&r=1620909211&t=n" border="0"></a><br /><br />【日本大学通信教育部】
日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題２（2019～2022年度リポート課題）

日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題２の合格判定リポートです。（最終評価：Ａ）

以下[276]<br />日本大学通信教育部（2019～2022年度リポート課題）　
【日本史概論（K32200），日本史概説（Q30200）課題２】
　
以下の点に留意いただき、みなさまの学習のお役に立てたらと存じます。
・内容につきましては、あくまで参考程度に止め、本文の丸写しは厳禁とします。
（※丸写し防止のため、一部文章を不自然にしている場合がございます。）
・本リポートの使用に係る一切の責任は負いません。自己責任でお願い致します。
・誤変換などによる誤字・脱字がある場合がございます。ご容赦ください。
　
課題内容
【課題】
次の二問について、すべて答えなさい。
１，寛永文化・元禄文化・化政文化の特徴をそれぞれ説明しなさい。
２，大正デモクラシーをめぐる政府と民衆の動向について説明しなさい。
【ポイント】
１，２ともに、具体的な歴史事実の説明を書きすぎると文字数が足りなくなります。特に、１について「作者・作品」の紹介や説明で終わらせないように注意してください。
　１は、作品が生まれた時代的背景が重要です。また、文化の影響も記述してください。
　２は、吉野作造や美濃部達吉の考え、米騒動にみられる社会不安な..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日本大学通信教育部リポート課題】日本史概論・日本史概説（課題１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144288/]]></link>
			<author><![CDATA[ by taron_tan]]></author>
			<category><![CDATA[taron_tanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 May 2021 21:33:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144288/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144288/" target="_blank"><img src="/docs/922266683169@hc21/144288/thmb.jpg?s=s&r=1620909210&t=n" border="0"></a><br /><br />【日本大学通信教育部】
日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題１（2019～2022年度リポート課題）

日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題１の合格判定リポートです。（最終評価：Ａ）

以下[276]<br />日本大学通信教育部（2019～2022年度リポート課題）　
【日本史概論（K32200），日本史概説（Q30200）課題１】
　
以下の点に留意いただき、みなさまの学習のお役に立てたらと存じます。
・内容につきましては、あくまで参考程度に止め、本文の丸写しは厳禁とします。
（※丸写し防止のため、一部文章を不自然にしている場合がございます。）
・本リポートの使用に係る一切の責任は負いません。自己責任でお願い致します。
・誤変換などによる誤字・脱字がある場合がございます。ご容赦ください。
　
課題内容
【課題】
次の二問について、すべて答えなさい。
１、一世紀から九世紀における倭国と東アジア（特に中国王朝）との外交の経緯と特徴について説明しなさい。
２、鎌倉時代から戦国時代にかけての武家政権と公家政権（朝廷）との関係について説明しなさい。
【ポイント】
１，２ともに、具体的な歴史事実の説明を書きすぎると文字数が足りなくなります。いずれの設問も、画期となるできごとを抜き出し、その前後での変化を整理することが大切です。「どこで変わるのか」「何が変わるのか」を意識してください。
１は、冊封関係を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日本大学通信教育部リポート課題】日本史概論・日本史概説（課題１，課題２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by taron_tan]]></author>
			<category><![CDATA[taron_tanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 May 2021 18:02:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922266683169@hc21/144256/" target="_blank"><img src="/docs/922266683169@hc21/144256/thmb.jpg?s=s&r=1620810167&t=n" border="0"></a><br /><br />【日本大学通信教育部】日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題１，課題２（2019～2022年度リポート課題）

日本史概論（K32200）日本史概説（Q30200）課題１，課題２の合格判定リポートです。（最終評価：Ａ）[288]<br />日本大学通信教育部（2019～2022年度リポート課題）　
【日本史概論（K32200），日本史概説（Q30200）課題１、課題２】
　
以下の点に留意いただき、みなさまの学習のお役に立てたらと存じます。
・内容につきましては、あくまで参考程度に止め、本文の丸写しは厳禁とします。
（※丸写し防止のため、一部文章を不自然にしている場合がございます。）
・本リポートの使用に係る一切の責任は負いません。自己責任でお願い致します。
・誤変換などによる誤字・脱字がある場合がございます。ご容赦ください。
　
課題１内容
【課題】
次の二問について、すべて答えなさい。
１、一世紀から九世紀における倭国と東アジア（特に中国王朝）との外交の経緯と特徴について説明しなさい。
２、鎌倉時代から戦国時代にかけての武家政権と公家政権（朝廷）との関係について説明しなさい。
【ポイント】
１，２ともに、具体的な歴史事実の説明を書きすぎると文字数が足りなくなります。いずれの設問も、画期となるできごとを抜き出し、その前後での変化を整理することが大切です。「どこで変わるのか」「何が変わるのか」を意識してください。
１は、冊封関係を軸に考えるとわかりやすくなります。
２は、武家と公家の相互関係（協調や対立・分立など）の変化をまとめます。
なお、キーワードはヒントに過ぎません。キーワードに記されない時期のものを無視すのではなく、「流れ」を分断させないように工夫することが大切です。
【キーワード】
　１，冊封関係、倭五王、遣隋使、遣唐使
　２，東西王権、承久の乱、足利将軍家と南朝・北朝、天皇権威

【参考文献（通信教育教材以外）】
佐々木潤之助 他『概論　日本歴史』吉川弘文館 ２０００年
佐藤信 他『詳説　日本史研究』山川出版社　２０１７年
　
【以下本文】
※以下本文については参考程度に止め、本文の丸写しはしないこと。
※丸写し防止のため、一部文章を不自然にしている場合がございます。
　
　倭国と東アジア地域との交易は、弥生時代から始まった。当時の中国王朝である前漢・後漢の正史、『漢書』地理誌や『後漢書』東夷伝には倭の様子や倭の王が中国に朝貢していたことが記されている。また、中国大陸が三国時代を迎えると、「魏志」倭人伝には邪馬台国連合の存在や、邪馬台国の女王卑弥呼に関する記述がある。そこには卑弥呼が魏..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【明星通信】日本史概説（PE2010） _ 2単位目 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137042/]]></link>
			<author><![CDATA[ by MEISEI Reporter]]></author>
			<category><![CDATA[MEISEI Reporterの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Mar 2019 16:50:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137042/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137042/" target="_blank"><img src="/docs/930771627526@hc18/137042/thmb.jpg?s=s&r=1551426641&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学 教育学部 通信教育課程、標題科目の合格レポートです。

これまで全て一発合格で、本レポートも高評価をいただきました。
通信という孤独な環境下で勉学に励んでおられる皆様のお役に立てれば幸いです。

【2単位目課題】
ひと[330]<br />＜日本史概説（PE2010） _ 2 単位目 合格レポート＞ 
【課題】 
ひとつの時代を取り上げ、時代から時代の変化、または時代内での変動について、その画期と変
化の特徴（どのような変化が起こったのか、何が原因か、など）について説明しなさい。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
【レポート本文】 
昭和は日本の歴代元号の中で最も長く続いた激動の元号であると同時に、太平洋戦争の敗戦を
契機として抜本的に国のあり方が変化した歴史的転換点も有している。大正デモクラシーの風潮
を受け継ぐ形での政党政治からスタートした昭和時代であったが、政治腐敗と金融恐慌により国
民の不信と怒りは増幅し、軍部による政府の意思に反した軍事活動やクーデターを招いた。 1945 
年 8 月 15 日に タ ム宣言を受諾して連合国に無条件降伏するまで軍国主義は戦争の惨禍を
もたらし、その経験と反省から我が国は国のあり方を大きく変えざるを得なかった。そこで当時
の憲法である大日本帝国憲法を連合国軍最高司令官総司令部（以下 GHQ ）主導で改正し、新た
に日本国憲法..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【明星通信】日本史概説（PE2010） _ 1単位目+2単位目セット合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137041/]]></link>
			<author><![CDATA[ by MEISEI Reporter]]></author>
			<category><![CDATA[MEISEI Reporterの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Mar 2019 16:50:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137041/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137041/" target="_blank"><img src="/docs/930771627526@hc18/137041/thmb.jpg?s=s&r=1551426641&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学 教育学部 通信教育課程、標題科目の合格レポートです。

これまで全て一発合格で、本レポートも高評価をいただきました。
通信という孤独な環境下で勉学に励んでおられる皆様のお役に立てれば幸いです。

【1単位目課題】
時代[330]<br />＜日本史概説（PE2010） _ 1 単位目 合格レポート＞ 
【課題】 
時代（縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和）
の特徴について、ひとつの時代を取り上げて説明しなさい。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
【レポート本文】 
我が国が国号として初めて「日本」を用いたのは飛鳥時代とされており、この時代は聖徳太子、
蘇我氏の政治から始まり、律令国家の成立に至るまで中央集権的な国家整備が進んだ時代とも言
える。各年代の中心となった人物とその政治手法を、東アジアとの国際関係と照らしつつ、律令
国家の成立に至るまでの流れと特徴を概観していく。 
592 年の推古天皇即位に続き聖徳太子が摂政となり、外戚の蘇我馬子らとともに中央集権的な
国家制定が始まった。代表的な聖徳太子の政治として冠位十二階の制や十七条の憲法等が挙げら
れるが、これらは臣下や諸豪族に国としての権力を見せつける側面に加え、隋や朝鮮諸国に対し
て「国家」として認知させるためであったとも言われる。当時緊迫していた東アジア国際情勢の
中で、中央集権化を進めることで政権を安定させ、国家としての独立を保とうとしたのである。
事実、この時期の小野妹子に代表される遣隋使は、隋の先進的な技術や制度を学ぶことに加えて、
国際情勢を知ることや金など鉱物を産出する朝鮮半島に対しての優位性確保という外交的な目
的があったとされている。加えて、朝廷の朝鮮半島の足場である加羅諸国が新羅に吸収されたこ
とで、朝鮮半島への影響力が弱まっていたことも背景にあると考えられる。また、「日出ずる処
の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」という国書からも見られるよう、唐と新羅の
冊封関係とは一線を画した独立した国の在り方を模索していたと言えよう。そして、隋の文化や
社会制度を学び、遣唐使を経てこれが律令国家制定の大きな役割を果たすこととなる。なお、こ
の頃政治の中心に仏教が据えられ、古墳に代わり氏寺の建立が権威の象徴となり始めるなど、仏
教・ 国際色が強い文化が大きく発展を遂げた。 
その後、645 年乙巳の変で中大兄皇子・中臣鎌足らが横暴を振るっていた蘇我氏を滅ぼし、蘇
我氏中心の豪族政治から天皇中心政治に遷移する時代が訪れる。新たに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【明星通信】日本史概説（PE2010） _ 1単位目 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137040/]]></link>
			<author><![CDATA[ by MEISEI Reporter]]></author>
			<category><![CDATA[MEISEI Reporterの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Mar 2019 16:50:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137040/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930771627526@hc18/137040/" target="_blank"><img src="/docs/930771627526@hc18/137040/thmb.jpg?s=s&r=1551426641&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学 教育学部 通信教育課程、標題科目の合格レポートです。

これまで全て一発合格で、本レポートも高評価をいただきました。
通信という孤独な環境下で勉学に励んでおられる皆様のお役に立てれば幸いです。

【1単位目課題】
時代[330]<br />＜日本史概説（PE2010） _ 1 単位目 合格レポート＞ 
【課題】 
時代（縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和）
の特徴について、ひとつの時代を取り上げて説明しなさい。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
【レポート本文】 
我が国が国号として初めて「日本」を用いたのは飛鳥時代とされており、この時代は聖徳太子、
蘇我氏の政治から始まり、律令国家の成立に至るまで中央集権的な国家整備が進んだ時代とも言
える。各年代の中心となった人物とその政治手法を、東アジアとの国際関係と照らしつつ、律令
国家の成立に至るまでの流れと特徴を概観していく。 
592 年の推古天皇即位に続き聖徳太子が摂政となり、外戚の蘇我馬子らとともに中央集権的な
国家制定が始まった。代表的な聖徳太子の政治として冠位十二階の制や十七条の憲法等が挙げら
れるが、これらは臣下や諸豪族に国としての権力を見せつける側面に加え、隋や朝鮮諸国に対し
て「国家」として認知させるためであったとも言われる。当時緊迫していた東アジア国際情勢の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　日本史概説　分冊Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131989/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Dec 2017 09:50:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131989/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131989/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131989/thmb.jpg?s=s&r=1513903806&t=n" border="0"></a><br /><br />次の三問について、すべて答えなさい。
一、乙巳の変から持統天皇までの政治の動向についてのべよ。

二、藤原北家の台頭から白河院政までの政治の動向についてのべよ。

三、中世後期の寄合の文化を略述せよ。

合格レポートですがあく[332]<br />乙巳の変により蘇我蝦夷、入鹿が滅び、孝徳天皇が即位すると中大兄皇子と中臣鎌足は大化改新の詔という公地公民制などの政策を宣言し、天皇を中心とした政治を行った。その後、大王候補であった古人大兄皇子や有間皇子、右大臣蘇我倉山田石川麻呂らが謀反の疑いにかけられ、相次いで滅ぼされる中で、中央集権国家への歩みが段階的に進められていった。白村江の戦いの後、中大兄皇子は天智天皇として即位し、668年に近江令が制定された。これは中臣鎌足らが中心となって編集した令であり、日本最初の令と言われている。政府は、唐のように、法律や制度の完備した中央主権国的な法治国家を建設することが目標とし、その為には国家の基本法典を整備する事が必要であった。672年に天智天皇が亡くなると、大友皇子と大海人皇子との間で大王継承をめぐって壬申の乱が起こった。大海人皇子が勝利し、翌年飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位すると近江朝廷側の有力豪族の没落によって、天武天皇中心の中央集権国家体制の形成にはずみがついた。天武天皇は684年に姓を8つに分けて豪族・氏族を単位とする八色の姓を制定して氏姓制度の再編と、天皇中心の新しい身分秩序のもとに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　日本史概説　分冊Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131991/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Dec 2017 09:50:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131991/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131991/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131991/thmb.jpg?s=s&r=1513903807&t=n" border="0"></a><br /><br />次の二問について、すべて答えなさい。
一、①豊臣秀吉が検地や刀狩をおこなった結果、どのような社会が成立したのかのべなさい。
　　②近世の幕府と朝廷との関係についてのべなさい。

二、自由民権運動のはじまりから、大日本帝国憲法発布にい[344]<br />一、①織田信長が本能寺の変で没すると、後継に成功した豊臣秀吉はこれまでの兵農分離の支配の仕組みや方法を集成し、思い切った制作を始めた。新たな国家社会の体制づくりをすすめ、基本的な手段として太閤検地を行った。検地の結果を村ごとにまとめ、検地帳に記載された名請人が田畑や屋敷の所有を認められ、多くの小農民が名請人となり、百姓の身分に定着した。また、それぞれの土地に等級をつけ、それを石高によって表示し、田畑の所持高だけでなく領主の所領高を表す石高制がとられた。さらに、すべての土地を公有地として、その土地を担当するのは農民一人と決めて検地帳に登録し、一地一作人を行った。しかし、年貢の納入は村請制をとり、農民は、耕作する権利を保証される代わりに年貢の負担を義務づけられ、その土地を離れることはできなくなった。それまでの荘園制による土地の私有地化や複雑な構造を簡潔にさせ、間にいる人間が儲けて力をつけるということを不可能にしたのであった。さらには刀狩令によって下剋上が停止され、武士は支配階級、農民は被支配階級に区別と固定がされ、農地を基礎とした封建社会の確立と全国統一が果たされていくのであった。
②関ヶ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　日本史概説　分冊Ⅰ・Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131990/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Dec 2017 09:50:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131990/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131990/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131990/thmb.jpg?s=s&r=1513903807&t=n" border="0"></a><br /><br />分冊Ⅰ
次の三問について、すべて答えなさい。
一、乙巳の変から持統天皇までの政治の動向についてのべよ。

二、藤原北家の台頭から白河院政までの政治の動向についてのべよ。

三、中世後期の寄合の文化を略述せよ。

分冊Ⅱ
次[324]<br />乙巳の変により蘇我蝦夷、入鹿が滅び、孝徳天皇が即位すると中大兄皇子と中臣鎌足は大化改新の詔という公地公民制などの政策を宣言し、天皇を中心とした政治を行った。その後、大王候補であった古人大兄皇子や有間皇子、右大臣蘇我倉山田石川麻呂らが謀反の疑いにかけられ、相次いで滅ぼされる中で、中央集権国家への歩みが段階的に進められていった。白村江の戦いの後、中大兄皇子は天智天皇として即位し、668年に近江令が制定された。これは中臣鎌足らが中心となって編集した令であり、日本最初の令と言われている。政府は、唐のように、法律や制度の完備した中央主権国的な法治国家を建設することが目標とし、その為には国家の基本法典を整備する事が必要であった。672年に天智天皇が亡くなると、大友皇子と大海人皇子との間で大王継承をめぐって壬申の乱が起こった。大海人皇子が勝利し、翌年飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位すると近江朝廷側の有力豪族の没落によって、天武天皇中心の中央集権国家体制の形成にはずみがついた。天武天皇は684年に姓を8つに分けて豪族・氏族を単位とする八色の姓を制定して氏姓制度の再編と、天皇中心の新しい身分秩序のもとに豪族たちを制定した。また、唐にならって律令や国史の編纂に着手し、さらには藤原京の造営を始めたが、完成を前に没し、持統天皇がそれを引き継ぐ形で事業の完成を図り、689年に飛鳥浄御原令が施行された。これは日本史上では、初めての体系的な律令法と考えられており、701年に制定される大宝律令に大きな影響を与えた。その後藤原京への遷都が行われ、一代ごとの大王宮とは異なり、三代の天皇の都に変わった。他にも有力な王族や中央豪族を宮の周囲に集住させ、中国風の宮殿建築を導入し、新しい中央集権的な律令国家体制が確立されていった。
　奈良時代から隆盛を誇った藤原式家は藤原薬子・仲成を最後に衰退し，代わって嵯峨天皇の信任を得て、薬子の変に際し蔵人頭に任命され藤原冬嗣の北家が勢力を伸ばした。冬嗣は娘を天皇の女御とし、その子を天皇につけて外祖父となり，外戚の地位を確立した。承和の変をへて、858年に史上初の幼帝である清和天皇が9歳の若さで即位すると藤原良房は太政大臣に任じられ、天皇に変わって政務を担っていたが、866年の応天門の変ののちに正式に摂政として政治の実権を握った。その後、藤原氏の他氏排斥が進む中、藤原..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【明星大学】日本史概説_合格レポート（2単位目）2016～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936015621638@hc16/128824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by masaike19881221]]></author>
			<category><![CDATA[masaike19881221の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 05 Apr 2017 18:23:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936015621638@hc16/128824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936015621638@hc16/128824/" target="_blank"><img src="/docs/936015621638@hc16/128824/thmb.jpg?s=s&r=1491384222&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学通信教育部 社会科 
日本史概説 2単位目合格レポート 2016年度～


【課題】
ひとつの時代を取り上げ、時代から時代の変化、または時代内での変動について、その画期と変化の特徴（どのような変化が起こったのか、何が原因か、など）に[332]<br />日本史概論_単位 2 
＜ 1、課題 ＞ 
ひとつの時代を取り上げ、時代から時代の変化、または時代内での変動について、その画
期と変化の特徴（どのような変化が起こったのか、何が原因か、など）について説明しな
さい。 
＜ 2、本文 ＞ 
昭和時代内における変動について取り上げる。昭和時代は太平洋戦争における敗戦を画
期に国の在り方が根本的に変化した時代である。その変化は様々な分野におよび到底説明
しきれるものではないが、本問においては①主権のあり方、②基本的人権のあり方、③戦
争のあり方の 3 つの観点から説明する。 
まず①について、戦前の日本において国民主権は認められていなかった。日本は 1889 年
に制定された大日本帝国憲法でアジア初の立憲君主国家となったが、立法権、行政権、司
法権などは天皇が有し、国会（帝国議会）の開設による議会政治が行われたものの、選挙
で選ばれた代表者から成る衆議院と非公選の貴族院が同格として扱われ（ただし予算先議
権は衆議院が持つ）、当初は選挙資格が制限されるなど国民の主権はほとんど認められなか
った。後に大正時代において政党内閣の成立や「大正デモクラ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[■【2016-12】【明星大学】【日本史概説】過去問と回答例　※2016年4月の試験でも出題済！]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/108123/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syogo_1002]]></author>
			<category><![CDATA[syogo_1002の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Nov 2013 15:17:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/108123/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/108123/" target="_blank"><img src="/docs/945317737954@hc13/108123/thmb.jpg?s=s&r=1385533027&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学 教育学部 通信課程において、科目終了試験に出題された問題の一覧、およびその回答例、ヒント集です。私が受けた会場だけではなく，全国の試験問題が網羅されております。

2015年8月17日現在,

・2015年4月～8月に行われた全国[320]<br />科目：日本史概説　過去問と回答例

●縄文時代の特徴について、特に生活用具の変化に注目して説明しなさい
　日本で初めて土器を伴った文化が誕生した。それを土器の文様から縄文土器といい、縄文土器に代表される文化を縄文時代という。この縄文時代を生活用具の変化とともに考察したい。主に生活用具は土器と狩猟のための武器である。土器の使用は食物の煮沸、加工を可能にして食材を拡大した。弓矢などもこの頃から使用され、狩猟の質を発展させた。
　縄文時代は草創・早・前・中・後・晩期にわけられる。早期にはすでに、炉をもつ竪穴式住居がみられるが、土器は尖底土器が使われていたことから生活は野外中心の定着性も弱かった。
　前期になると集落が形成され、土器も大型化し定住性が増大した。中期になると地域的生産活動が展開された。沿岸部では漁業、内陸部では狩猟と採取が発達する。原始的な農耕もこの時期に始まったとされる。中期から後期には縄文文化の最盛期であった。晩期の特徴は精緻な装飾と複雑な形をもった亀ヶ岡式土器が東日本中心影響をあたえた。これには海の食糧資源の豊富さと保存技術にもとづく。食物の安定性があったとする見解がある。一方、西日本では、突帯文土器が使用が始まり、東日本とは異なった文化が形成されていた。しかし、東日本と比較すると遺跡も少ないため狩猟など生産力の低下から人口の希薄化をまねていたのではと考えられる。このような条件から西日本では水稲栽培が急速に受容される要因となったのであろう。実際に石鍬とともに小豆や麦、さらに炭化米も発見されていることから栽培農耕が開始されたとする意見も多い。
　このように土器の開発から、大型化、保存技術の獲得によって人々の定住性が増加し、大型の集落が形成された。栽培農耕の発展とともにそれにともなう生活用具が発展した。しかし、縄文時代の呪術性は当時の生産力の低さを物語っているといえる。

●３世紀から５世紀にかけての日本と中国の外交関係の特徴について説明しなさい
　　倭は朝鮮半島に出兵し、高句麗と戦ったことが「好太王碑文」から知られる。その後「宋書」などの中国の史書によれば、5世紀初めから1世紀ほどの間に、倭の5人の王
讃・珍・済・興・武は相次いで中国の南朝に朝貢した。この目的は、南朝鮮に対する軍事的支配権を確保することにあった。南朝に朝貢し、その冊..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【明星過去問＆解答例】日本史概説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120142/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 100tr]]></author>
			<category><![CDATA[100trの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 May 2015 22:35:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120142/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120142/" target="_blank"><img src="/docs/946941203283@hc13/120142/thmb.jpg?s=s&r=1430919301&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学科目終了試験、日本史概説の過去問と解答例です。
２０１４、１５年度はこの中からほぼ使い回しで出題されています。
今後もその傾向は変わりません。
解答を事前にまとめておくことで試験を突破しましょう。[300]<br />作成者：１００ｔｒ
明星大学科目終了試験　過去問＆解答例
日本史概説
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******以下、問題と解答例******
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1.縄文時代の特徴について、旧石器時代との道具の変化に注目して説明しなさい。
旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。旧石器時代は石を打ち砕いてつくられた打製石器を使用し、たて穴式住居に住んでいたが、縄文時代は土器や他の石材で擦ることにより磨いて凹凸を極力なくした磨製石器を使用し、食料の調理や保存なども行われていた。特に縄文時代には大型の建物をつくり、縄で模様をつけた土器や祀に使う祭具なども使用されていた。 
2.3世紀から5世紀にかけての日本と中国との外交関係の特徴について説明しなさい。
3世紀〜5世紀頃の中国は「漢」&rarr;「三国(魏・呉・蜀)」&rarr;「晋」と移り変わり、主に日本とは、漢や三国の魏との外交があったとされている。まず漢の時代、日本の福岡付近にあった小国「倭の奴国」が漢に使いを送り、光武帝から金印を授けられたことが、後漢書という5世紀に書かれた漢の歴史書に記録されている。また、3世紀の日本は卑弥呼を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【２科目】【明星過去問＆解答例】日本史概説、外国史概説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120139/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 100tr]]></author>
			<category><![CDATA[100trの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 May 2015 22:34:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120139/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/946941203283@hc13/120139/" target="_blank"><img src="/docs/946941203283@hc13/120139/thmb.jpg?s=s&r=1430919299&t=n" border="0"></a><br /><br />明星大学科目終了試験、日本史概説と外国史概説の過去問と解答例セットです。
２０１４、１５年度はこの中からほぼ使い回しで出題されています。
今後もその傾向は変わりません。
解答を事前にまとめておくことで試験を突破しましょう。[327]<br />作成者：１００ｔｒ
明星大学科目終了試験　過去問＆解答例　【２科目】
日本史概説，外国史概説
*
*
*
日本史概説
*
******以下、問題と解答例******
*
*
1.縄文時代の特徴について、旧石器時代との道具の変化に注目して説明しなさい。
旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。旧石器時代は石を打ち砕いてつくられた打製石器を使用し、たて穴式住居に住んでいたが、縄文時代は土器や他の石材で擦ることにより磨いて凹凸を極力なくした磨製石器を使用し、食料の調理や保存なども行われていた。特に縄文時代には大型の建物をつくり、縄で模様をつけた土器や祀に使う祭具なども使用されていた。 
2.3世紀から5世紀にかけての日本と中国との外交関係の特徴について説明しなさい。
3世紀〜5世紀頃の中国は「漢」&rarr;「三国(魏・呉・蜀)」&rarr;「晋」と移り変わり、主に日本とは、漢や三国の魏との外交があったとされている。まず漢の時代、日本の福岡付近にあった小国「倭の奴国」が漢に使いを送り、光武帝から金印を授けられたことが、後漢書という5世紀に書かれた漢の歴史書に記録されている。また、3世紀の日本は卑弥呼を中心に30余りの小国が連合していたといわれる邪馬台国という国が、魏との交流をしていたのが中国の歴史書の一部である魏志倭人伝に記録されている。なお、魏志倭人伝には卑弥呼のことも記されており、当時の日本の歴史を知ることのできる貴重な資料である。
3.天武・持統天皇時代の政治の特徴について説明しなさい。
天武天皇は天智天皇の弟で、天皇に即位する前は大海人皇子といった。天武天皇は天智天皇を助けて改新政治を推し進めたが、672年の壬申の乱で大友皇子をたおした後に飛鳥で即位し、天皇の地位を高める政治を強力に進め、浄御原律令や国史の編纂、富本銭と呼ばれる銅銭の製作などを始めた。持統天皇は天智天皇の子で天武天皇の皇后である。天武天皇の死後即位して天皇となり、最初の本格的な都である藤原京を完成させるなど律令国家の完成につくした。その後、701年の大宝律令の制定により政治のしくみが整えられ、律令政治と呼ばれる貴族を中心に律令に基づく政治が行われた。
4.武士とは何か、その発生を含めて説明しなさい。
武士は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した宗家の主人を頂点..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2014】【明星大学】【日本史概説】合格レポート(1.2単位目)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117098/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syogo_1002]]></author>
			<category><![CDATA[syogo_1002の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 29 Nov 2014 18:20:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117098/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945317737954@hc13/117098/" target="_blank"><img src="/docs/945317737954@hc13/117098/thmb.jpg?s=s&r=1417252836&t=n" border="0"></a><br /><br />２０１４年度の明星大学 教育学部 通信教育課程における、レポート課題の合格レポートです。特に指摘もなく、高評価で１回目で「合格」の評価をいただきました。皆様のお役に立てれば幸いです。

また、本科目の科目終了試験の過去問と回答例も別データで[352]<br />【課題】
１単位目
時代（縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸）の特徴について、ひとつの時代を取り上げて説明しなさい。 
２ 単位目 
ひとつの時代を取り上げ、時代から時代の変化、または時代内での変動について、その画期と変化の特徴（どのような変化が起こったのか、何が原因か、など）について説明しなさい。
【本文】
１単位目
１．
江戸時代は、260年以上にもわたる長期政権を実現した江戸幕府が統治した時代である。この時代の１つ目の特徴は、「江戸幕府が長期安定政権を可能にしたこと」ではないだろうか。他の時代の政権の追随を許さない長期政権はどのようにしてその安定化を確立したのだろうか。
　まずは、江戸幕府を興した徳川家康、秀忠、家光による支配体制を確立したことが一つ目の要因である。関ケ原の戦いまでの、自らの価値を高める家康の振る舞いに、支配体制づくりの伏線が読み取れる。関ヶ原の戦後処理において、敵方のお家取り潰し、資産没収に加え、自らの息のかかった大名を各地に配置することで、徳川家の支配の基礎をかためた。また、駿府大御所となることで、戦国時代からの風潮とは違う、「徳川の世襲」を世間に強く印象付けるなど、イメージ戦略にも長けていた。
朝廷、大名、民衆に対する統制を積極的に整え、強化したことも、支配への大きな足掛かりとなった。朝廷に対しては、京都所司代設置や「禁中並公家諸法度」を制定すること、朝廷内部への積極的な介入により幕藩体制支配の正当化の源泉として、権力機構の中に取り込
むことに成功した。
諸大名・武家に対する手法も巧妙である。幕府軍を旗本・御家人によって構成し、幕府への忠誠を持たせた。また、官僚的組織も作られ、そこには譜代大名らの登用もあった。こうした職制の整備も効果を上げた。それとはうって変わり、藩への厳しい制限も見られる。改易・転封策による、力技で幕府権力の絶対的な体制が作られる。また、武家諸法度などに見られる法による規制もある。居城補修、婚姻の幕府許可制、参勤交代の義務、軍役などを課し、藩の軍備増強などの反乱分子を間接的におさえこんでいった。さらには、経済体制も群を抜いた仕組みを整えた。貨幣鋳造権の独占、貿易主要都市を直轄地とし、商品流通網を実質的に掌握した。
民衆においては、身分制度を確立し、転職や転居を厳しく規制した。町方と村方と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史概論　分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952717798646@hc11/115798/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 暁]]></author>
			<category><![CDATA[暁の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Sep 2014 19:44:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952717798646@hc11/115798/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952717798646@hc11/115798/" target="_blank"><img src="/docs/952717798646@hc11/115798/thmb.jpg?s=s&r=1411037091&t=n" border="0"></a><br /><br />課題
次の二問について、すべて答えなさい。
一、大化改新から院政のおこなわれた時代までにおける藤原氏の動静について略述せよ。
二、中世前期と後期の文化の特色を要約せよ。[246]<br />日本史概論　分冊1
参考文献：
藤原摂関家の誕生　米田雄介　吉川弘文館　2002/06/01　P34-74　150-166
院政とはなんだったのか　岡野友彦　PHP新書　2013/03/04　P70-80
中世社会の成り立ち　木村茂光　吉川弘文館　2009/07/10　P40-67
　設問1
　藤原氏の原点としては中臣鎌足が中大兄皇子（天智天皇）とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わり、天智天皇から藤原姓を与えられ、子の藤原不比等の代に認められたのに始まる。持統天皇末年頃に少壮官僚であった藤原不比等は、持統天皇の譲位により即位した文武天皇の擁立に功績があり、また、文武天皇に娘の藤原宮子が夫人となっており、中央政界に台頭する。そして、下毛野古麻呂らとともに大宝律令を編纂して律令制度の確立に貢献した。さらに外孫の首皇子（聖武天皇）が誕生すると、皇子の後宮にも娘の光明子（光明皇后）を入れ、天皇の姻戚としての地位を確立したのである。
　不比等の死後、首皇子（聖武天皇）が皇位に就くと、不比等の息子である藤原四兄弟と天武天皇の孫である長屋王ら皇族を中心とする一派の対立が深まっていった。7..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史概説分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Nov 2012 18:21:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/98360/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/98360/thmb.jpg?s=s&r=1352366510&t=n" border="0"></a><br /><br />次の二問について、すべて答えなさい。一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。二、明治六年政変と明治十四年政変における板垣退助と大隈重信の下野から隈板内閣の成立までの政治過[356]<br />一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。
　十七世紀前半の寛永文化はサロン文化と呼ばれている。中世以来の座や寄合の伝統を受け継ぎ、身分や階層ごとにサロンが形成され、それが連鎖したかのように交友が行なわれた。サロン文化の中心となったのが数寄屋風書院などで行なわれる茶の湯と和歌であった。「かぶき」の時代も終焉を迎え、「きれいさび」と呼ばれる穏やかな優美さの精神があふれた。
　本阿弥光悦や俵屋宗達が残した作品も寛永文化の美意識を代表している。彼らは好んで『源氏物語』や『伊勢物語』、『枕草子』や『古今和歌集』などの古典文学を題材に選び、日本版ルネサンスに貢献した。さらに木活字による製版が始まり、仏教書や学問書の出版が行なわれた。また仮名草子や俳楷書、往来物なども出版され、都市部だけではなく農村部にも広く普及していった。寛永文化はまさに啓蒙時代への先駆けであった。
　十七世紀後半の元禄時代には、諸産業の発達に伴い、人々の日常生活に役立つ実学が発展した。まず農業では農業技術が体系的に論じられた農書が作られた。『農業全書』を著した宮崎..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史概説分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 日大のクレイジータイガー]]></author>
			<category><![CDATA[日大のクレイジータイガーの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 10:11:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951309246590@hc11/96048/" target="_blank"><img src="/docs/951309246590@hc11/96048/thmb.jpg?s=s&r=1345165904&t=n" border="0"></a><br /><br />次の二問についてすべて答えなさい。一. 国司が受領とよばれるようになる前と後とについて両時代を比較してのべなさい。二. 室町幕府の成立と、その統治のあり方、幕府の制度について概観しなさい。[276]<br />一、国司が受領とよばれるようになる前と後とについて、両時期を比較してのべなさい。
国司が受領と称される前の国家体制は、律令国家であったと言える。七〇一年に制定された大宝律令を皮切りに、律令制は個人を徴税単位とする人別支配を基本原則としており、唐に倣った律令法典や官僚・地方制度などが導入された。中央政府から派遣された国司は、人民を一人ひとり把握する必要があったため、地方豪族ら出身の郡司を率いて、公民に班田を与え、戸籍を六年ごとに作成し、これに基づいて毎年計帳を作成した。百姓の浮浪・逃亡に備え、計帳には身体的な特徴も記載された。しかし、早くも八世紀後半頃より百姓の偽籍や浮浪・逃亡が見られはじめた。中央政府は律令制を維持しようとする試みが繰り返したが、逃亡したり負債のある貧困民と、その土地を吸収し、開墾を進めた富豪層との階層分離はますます加速していった。
　国司が受領と呼ばれるようになる後の国家体制は、王朝国家であった。九世紀後期にもなると、律令国家体制が基調としていた人別支配は機能しなくなり、土地に対する課税・支配を基調とする王朝国家体制に移行されていった。律令制における租庸調は、個人に対..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日本史概説・日本史概論】分冊２　0621　0620]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955409401222@hc10/88025/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Lir_Lir]]></author>
			<category><![CDATA[Lir_Lirの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2011 13:35:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955409401222@hc10/88025/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955409401222@hc10/88025/" target="_blank"><img src="/docs/955409401222@hc10/88025/thmb.jpg?s=s&r=1320986128&t=n" border="0"></a><br /><br />問１．近世の文化について、前期、中期、後期のそれぞれについて概観したい。
　前期の寛永文化は１７世紀前半に始まった。それはまさにサロンの文化といわれる。中世以来の座や寄合の文化の伝統を受け継いだもので、天皇・公家・武家・僧侶・町衆などがいくつかのサロンを形成し、それが鎖のようにつながって交友がおこなわれていた。またサロン文化の中心となったのは茶の湯と和歌であった。
　中期は諸産業の発展にともない、元録時代に実学が発展する。徐々に実際の見聞に基づく学問が求められるようになった時代である。代表的なものとして農書と本草学が挙げられる。
農書
中国の「農政全書」を学んだ宮崎安貞は全国の進んだ農業技術を見聞し、それらを踏まえて「農業全書」を著した。元禄１０年に発行されて流布し、全国に影響を及ぼしたことで地域毎の農書として東海地方の「百姓伝記」、会津地方の「会津農書」、紀州の「地方の聞書」、加賀の「耕稼春秋」「農事遺書」など以外に「鉱山至宝要録」「蚕飼蚕法記」といった技術書も書かれるようになった。
②本草学
次いで同時代の代表的なものとして本草学が挙げられる。これは薬用となる植物・動物・鉱物などに..]]></description>

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			<title><![CDATA[【日本史概説・日本史概論】分冊１　0620　0621]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955409401222@hc10/88024/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Lir_Lir]]></author>
			<category><![CDATA[Lir_Lirの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2011 13:35:26 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955409401222@hc10/88024/" target="_blank"><img src="/docs/955409401222@hc10/88024/thmb.jpg?s=s&r=1320986126&t=n" border="0"></a><br /><br />問１．国司が受領とよばれるようになる前と後について述べたい。
８世紀末より律令制の規制は徐々に崩れており、編戸された本籍地から離れる浪人も、国司子弟・王臣子孫の国内居住も進んでいった。そしてそれら王臣子孫も含めた有力農業経営者（当時の言葉で言うと「富豪の輩」、後には「大名田堵」）が台頭しはじめ、郡司とその官庁郡衙の機能が衰退していった。郡司がいなくなる訳ではないが、郡衙は消えた。
　朝廷はまだ律令制を堅持していこうとしたが、実際に国を経営する国司は、そういう現実の変化を無視出来なくなり、いわば実質律令制（律令国家）の規制緩和が地方からはじまり王朝国家へと移行していった。
　ここで「名」と「負名」という税の徴収方式について述べたい。口分田の崩壊から税の徴収が旧来の形ではうまく管理出来なくならなくなり、公田の一定範囲を「名」とし、その範囲の税の徴収をそのあたりの富豪層に請け負わせるというものであった。以上のことから「負名」とは「名田（みょうでん）徴税請負人」というような意味にあたる。建前は律令制度であるから田畑は私有地ではなくてお上のもの。地方においては国司が管理するものであるから、負名は..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本史概論 分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19290/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yvonco]]></author>
			<category><![CDATA[yvoncoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 21:10:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19290/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19290/" target="_blank"><img src="/docs/983429318101@hc06/19290/thmb.jpg?s=s&r=1202299839&t=n" border="0"></a><br /><br />一　平安初期に造籍・班田は次第に困難になり、実施が試みられるも失敗に終わり、やがては全く行われなくなった。農民は、労働力として有力者に吸収され、階層化が深化していくことになった。彼等は納税を拒否し、田宅や調、庸を奪い、国司・郡司を介さずに在[360]<br />一　平安初期に造籍・班田は次第に困難になり、実施が試みられるも失敗に終わり、やがては全く行われなくなった。農民は、労働力として有力者に吸収され、階層化が深化していくことになった。彼等は納税を拒否し、田宅や調、庸を奪い、国司・郡司を介さずに在地社会へ介入していった。これにより、郡司による在地支配秩序を崩壊させることになり、班田農民の偽籍、逃亡による戸籍の形骸化によってもはや郡司によって行われていた地方支配機構の維持は不可能になっていた。
　こうした律令的地方支配体制が変貌を遂げ始めた九世紀後半以降、中央政府は国司の権限と責任を強化することを進めた。これにより、国司の官長は一定の租税を中央政府へ納入することを義務づけられたが、地方行政に関わる全権を委譲され、前任者から国務の全権を委譲したことから受領と呼ばれることになった。これより、任国内で強大な力を持つことになった受領は中央政府の指示が無くてもその地域社会の実情に合わせて実施できた。　
　受領は律令的な郡司による租税収拾方式が無くなったため、新たなシステムの構築を余儀なくされた。すでに班田も行われず、形骸化した戸籍であったため、彼等は公田..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本史概説 分冊2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19289/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yvonco]]></author>
			<category><![CDATA[yvoncoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 21:10:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19289/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429318101@hc06/19289/" target="_blank"><img src="/docs/983429318101@hc06/19289/thmb.jpg?s=s&r=1202299804&t=n" border="0"></a><br /><br />一　一六一五年、徳川家康は豊臣家を滅ぼし、幕府の勢力を磐石のものとした。幕府が次に着手したのは朝廷対策であり、発布されたのが「禁中並公家諸法度」であった。この法令により、公家・親王などの席次、三公・僧侶の任免・昇進、武家の官位や改元に至るま[360]<br />一　一六一五年、徳川家康は豊臣家を滅ぼし、幕府の勢力を磐石のものとした。幕府が次に着手したのは朝廷対策であり、発布されたのが「禁中並公家諸法度」であった。この法令により、公家・親王などの席次、三公・僧侶の任免・昇進、武家の官位や改元に至るまで、朝廷の決定には幕府の意向に従うこと権威になる。さらに京都に京都所司代が置かれ、これにより天皇の行動は常に幕府に監視され、外部との接触を大きく制限されることになる。これは幕府が、朝廷の持つ伝統的な権威を反幕府勢力に利用されることを極度に警戒したからである。その後も折りに触れて幕府は朝廷の行動になにかと干渉していくことになった。この「禁中並公家諸法度」が制定される二年前、一六一一年に即位したのが後水尾天皇であった。その後、後水尾天皇に家康の孫娘で将軍秀忠の娘である和子の入内問題が降りかかり、この政略結婚が利用されたのは、一六二〇年のことであった。
一六二七年、朝廷が臨済宗や浄土宗の僧侶に与えていた紫衣を幕府が「勅許紫衣法度」違反だとしてこれを剥奪し、これに抗議した者たちを流罪に処すといういわゆる「紫衣事件」が起こった。天皇にとっては面目丸つぶれの事件..]]></description>

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