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		<title>タグ“日本仏教史”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[佛教大学　日本仏教史　第1・2設題　Q0701　第1設題A評価　第2設題B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132582/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ASK-F]]></author>
			<category><![CDATA[ASK-Fの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Feb 2018 17:34:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132582/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132582/" target="_blank"><img src="/docs/932817446863@hc17/132582/thmb.jpg?s=s&r=1518078882&t=n" border="0"></a><br /><br />2017年度に第1設題A評価、第2設題B評価で合格したレポートです。。
購入にあたっては以下のことをご了承ください。
①丸写し、コピペ等は避けてください。法令・校則等で処罰の対象となります。
②あくまでA評価の基準を示すものであり、合格また[336]<br />聖徳太子の事績を中心に飛鳥時代仏教の特色を論ぜよ。
　6世紀後半から7世紀初頭にかけて基盤を固め発展した仏教は、聖徳太子が活躍した時代と重なる。聖徳太子といえば用明天皇の皇子であり、現代では紙幣の肖像にも使用されるなど知名度の高い歴史上の人物であり、推古天皇の摂政となって遣隋使の派遣、冠位十二階や十七条憲法の制定などの中央集権体制の整備に注力した他、仏教に寄与し寺院の建立や経典の講説をなすなどの様々な事績を残した人物であるとされる。また、近代の聖徳太子観や評価を見ると、仏教者における素朴な聖徳太子像、戦前の国家主義体制下での評価、皇室と仏教の接点に立つ存在としての評価など様々である。聖徳太子には時代を超えたカリスマ性があり、これが後世まで続く聖徳太子の魅力であると見ることができる。聖徳太子の死後、早い時期に既に伝説や聖徳太子に対する信仰が現れており、その後発展する形で構成に伝わり、伝説と史実の区別がつかないまでになっている。法隆寺金堂の釈迦三尊像は、飛鳥時代を代表する仏像彫刻であるとされている。この仏像の造像の由来は聖徳太子の病気の治癒を願って作られた。しかし、その願いは叶うことなく太子は造像の間に薨御することとなる。その旨は仏像の光背に記されている。この仏像で注目すべき点は、「釈像尺寸王身」とあり太子の答申像であるとされている点、造像者たちが死後に太子と太子の母と妃に随い奉ることを願っている点である。ここでは既に太子への敬愛が信仰へと変わりつつある姿を示している。後に、天智天皇九(六七〇)年に焼失した後に再建された際には、法隆寺再建が聖徳太子建立の寺という意味だけではなく、太子をまつる寺という面を強く持っていたと考えられる。
　日本への仏教伝来(仏教公伝)は、以前には『日本書紀』に基づき欽明天皇十三(五五二)年が有力とされてきたが、近年では『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』に記されている宣化天皇三(五三八)年が一応有力ではないかと考えられている。正確な年代特定は困難であるが、この時伝えられたのは仏像・仏具・経典であったとされる。仏教の崇拝をめぐって曽我氏と物部氏の争いが起こったことは有名であるが、宗教上の問題だけでなく政治的問題も絡んだことが考えられる。当時、仏という存在に対し「他国神」や「蕃神」というような記録が示す通り、原始的な神道が存在したことが想定される当..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛教大学　日本仏教史　第2設題　Q0701　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132581/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ASK-F]]></author>
			<category><![CDATA[ASK-Fの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Feb 2018 17:34:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132581/" target="_blank"><img src="/docs/932817446863@hc17/132581/thmb.jpg?s=s&r=1518078882&t=n" border="0"></a><br /><br />2017年度にB評価で合格したレポートです。
購入にあたっては以下のことをご了承ください。
①丸写し、コピペ等は避けてください。法令・校則等で処罰の対象となります。
②あくまでB評価の基準を示すものであり、合格または高評価を保証するものでは[342]<br />平安貴族社会における仏教思想受容の特色を論ぜよ。
　現在の日本では親鸞や道元・法然が広めた鎌倉仏教は人気があり注目される存在であるが、最澄や空海を中心とする平安仏教は知ってはいるが注目される存在ではなかった。まず、鎌倉仏教と平安仏教の違いについて比較し整理しておく。第一に、鎌倉仏教は誰にでも可能な実践によって仏教が民衆の手の届くものになったのに対し、平安仏教は修行などを行う民衆に遠い存在であり、貴族の仏教であり鎮護国家の仏教であると見られていた。第二に、親鸞や道元の思想は宗教哲学として現代でも第一線で実践される高度な内容となっており、また、日本の社会に適応した仏教の日本化が見られる。これに対し平安仏教は、祈祷仏教である面が強く思想内容はあまり豊かではないと考えられている。しかし、実践面での平易化の源流は最澄の大乗戒に見ることができるものである。平安末期から鎌倉初期に活躍する法然は、比叡山で修業をして後に浄土宗を開き、法然の弟子である親鸞は浄土真宗の開祖となるなど、鎌倉仏教と平安仏教は全く別のものではなく、平安仏教は鎌倉仏教を生む源流になったと言える。平安期に日本仏教の基礎が築かれ、鎌倉..]]></description>

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			<title><![CDATA[佛教大学　日本仏教史　第1設題　Q0701　A評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132580/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ASK-F]]></author>
			<category><![CDATA[ASK-Fの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Feb 2018 17:34:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932817446863@hc17/132580/" target="_blank"><img src="/docs/932817446863@hc17/132580/thmb.jpg?s=s&r=1518078882&t=n" border="0"></a><br /><br />2017年度にA評価で合格したレポートです。。
購入にあたっては以下のことをご了承ください。
①丸写し、コピペ等は避けてください。法令・校則等で処罰の対象となります。
②あくまでA評価の基準を示すものであり、合格または高評価を保証するもので[342]<br />聖徳太子の事績を中心に飛鳥時代仏教の特色を論ぜよ。
　6世紀後半から7世紀初頭にかけて基盤を固め発展した仏教は、聖徳太子が活躍した時代と重なる。聖徳太子といえば用明天皇の皇子であり、現代では紙幣の肖像にも使用されるなど知名度の高い歴史上の人物であり、推古天皇の摂政となって遣隋使の派遣、冠位十二階や十七条憲法の制定などの中央集権体制の整備に注力した他、仏教に寄与し寺院の建立や経典の講説をなすなどの様々な事績を残した人物であるとされる。また、近代の聖徳太子観や評価を見ると、仏教者における素朴な聖徳太子像、戦前の国家主義体制下での評価、皇室と仏教の接点に立つ存在としての評価など様々である。聖徳太子には時代を超えたカリスマ性があり、これが後世まで続く聖徳太子の魅力であると見ることができる。聖徳太子の死後、早い時期に既に伝説や聖徳太子に対する信仰が現れており、その後発展する形で構成に伝わり、伝説と史実の区別がつかないまでになっている。法隆寺金堂の釈迦三尊像は、飛鳥時代を代表する仏像彫刻であるとされている。この仏像の造像の由来は聖徳太子の病気の治癒を願って作られた。しかし、その願いは叶うことなく太..]]></description>

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			<title><![CDATA[Q０７０１　日本仏教史　科目最終試験　6題セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129550/]]></link>
			<author><![CDATA[ by シュリーマン]]></author>
			<category><![CDATA[シュリーマンの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 29 May 2017 02:08:25 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129550/" target="_blank"><img src="/docs/933940365340@hc17/129550/thmb.jpg?s=s&r=1495991305&t=n" border="0"></a><br /><br />Q０７０１日本仏教史の科目最終試験6題セットです。
2016年に８５点で合格しました。教科書・レポートに基づいて覚えやすく作成しています。


科目最終試験の作成においては「段落をはっきりさせて分かりやすくまとめること」、「教科書に基づいて[340]<br />聖徳太子の事跡およびその思想について述べよ
蘇我氏を中心に6世紀のうちに地歩を固めていった仏教が飛躍的な発展を遂げるには、なんといっても6世紀末から7世紀初めにかけての聖徳太子の活動を待たねばならない。教科書的にいえば、聖徳太子(574～622)は用明天皇の子として生まれ、推古天皇の即位とともに摂政となり(593)、遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条の憲法の制定、史書の撰録などを行った人物である。つまり、推古天皇のもと、蘇我馬子と強調して政治を行い、国際的緊張のなかで大陸の進んだ文化や制度を取り入れ、さらに天皇を中心とした中央集権の新しい国家体制の整備に力を注ぐと同時に、仏教に心を寄せ、寺院の建立や経典の講説をなしたのである。なお、現代においても聖徳太子の築いた功績やそのカリスマ性は伝えられており、それは多種多様な聖徳太子に関する解釈論や、何度も我が国の紙幣に登用されていることに表れている。また、聖徳太子の思想・信仰に関しては『天寿国繡帳』や『三経義疏』から伺えるとされる。以下に聖徳太子と仏教について述べ、思想に触れていく。
聖徳太子は仏教を深く信仰し、これを日本でも盛んにしようとして、594年に仏教興隆の詔を出した。そして、四天王寺や法隆寺を建立する一方、『三経義疏』という注釈書を撰述した。こうした仏教に関する運動の結果、当時の都であった飛鳥を中心に仏教やそれに呼応する文化・技術が栄えたのである。なお、上述の十七条の憲法において聖徳太子は「篤く三宝を敬へ」と述べている。ここでいう「三宝」とは、仏・法・僧のことであり、つまり仏様とその教え、さらにその教えを実践して人々に説くお坊さんを敬うことで仏教を大切にしようということである。当時の神道を大切にしている社会において、天皇家出身の身分でありながら上記の諸活動を行ったということは非常に画期的であったといえよう。
聖徳太子の生きた飛鳥時代の仏教は、国家の平和と繁栄のための宗教と考えられており、豪族たちに臣下としての心構えを示し、天皇に従い、仏法を敬うことが大切であるとしている。つまり、聖徳太子は当時の我が国を普遍的な宗教によって統一するための基礎を築いた人物であったといえよう。
奈良時代仏教の特色を述べよ
飛鳥時代に聖徳太子が十七条の憲法や『三経義疏』の撰述などを行うことで仏教を広め、その思想を政治に取り入れて以降、仏..]]></description>

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			<title><![CDATA[Ｑ０７０１　レポート　日本仏教史　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129344/]]></link>
			<author><![CDATA[ by シュリーマン]]></author>
			<category><![CDATA[シュリーマンの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 May 2017 20:08:21 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129344/" target="_blank"><img src="/docs/933940365340@hc17/129344/thmb.jpg?s=s&r=1494932901&t=n" border="0"></a><br /><br />私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。
先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学[356]<br />平安貴族社会における仏教思想受容の特色を論ぜよ。
《はじめに》
　今回のリポート設題に対して効果的に論じていくため、「平安時代」、「平安仏教と鎌倉」、「密教」、「末法と浄土教」、「まとめ」といった章に分けて整理し、それぞれを考察していく。そして、最後にそれらをまとめた自己の見解について論じる。
《平安時代》
　桓武天皇が延暦一三年（七九四年）に年都を奈良の平城京から京都の平安京に遷都して始まった平安時代は約三九〇年間も続き、日本の歴史の時代区分では一番長い時代であり、「天皇親政」、「藤原氏による摂関政治」、「上皇らによる院政」、「平清盛に代表される武士の台頭」といった四つの時期に大きく分けることができる。
上述のように平安時代は「桓武天皇の遷都」にはじまり、「征夷大将軍・坂上田村麻呂による蝦夷征伐」、「平安仏教」、「摂関政治」、「遣唐使の廃止」、「国風文化」、「菅原道真の左遷」、「武士の起こり」、「承平・天慶の乱」、「浄土教」、「院政」、「保元・平治の乱」、「日宋貿易」、「源平合戦」といった日本史において重要とされるファクターが多く存在している。
宗教面では、中国から様々な仏教が伝来し..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[Ｑ０７０１　レポート　日本仏教史　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129343/]]></link>
			<author><![CDATA[ by シュリーマン]]></author>
			<category><![CDATA[シュリーマンの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 16 May 2017 20:08:21 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933940365340@hc17/129343/" target="_blank"><img src="/docs/933940365340@hc17/129343/thmb.jpg?s=s&r=1494932901&t=n" border="0"></a><br /><br />私のレポートの多くは教科書とインターネットのみで作成しており、参考文献を用いたものは末に記載しております。評価はAが多く、不合格になったことはありませんので安心してください。
先輩・後輩・友人たちとレポートや試験のことを対策できる四年制大学[356]<br />聖徳太子の事績を中心に飛鳥時代仏教の特色を論ぜよ。
《はじめに》
　今回のリポート設題に対して効果的に論じていくため、「大乗仏教の形成」、「聖徳太子活躍以前の仏教」、「聖徳太子」、「飛鳥時代仏教」といった章に分けて整理し、それぞれを考察していく。そして、最後にそれらをまとめた自己の見解について論じる。
《大乗仏教の形成》
　仏教の開祖は紀元前六世紀から五世紀、また五世紀から四世紀にガンジス川中流域を中心に活動したゴータマ・シッダールタであり、彼は「悟った人」の意でブッダともよばれる。初期の仏教は原始仏教ともよばれるが、この世界の様相を「苦」ととらえ、そこからの超越を合理的に説き、出家者の教団を組織して修行に励んだのであった。ブッダが亡くなって百年程が過ぎると、様々な意見の相違から教団は幾つもの部派に分かれていく。今日スリランカや東南アジア方面で行われているのは、そのなかの一派である上座部の系統の仏教である。
　これに対し、中国・朝鮮・日本などの東アジアに広まることになっていく仏教が、従来の仏教に飽き足りない人たちによって興された、新しい宗教運動のなかで芽生えた大乗仏教なのである。なお、..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[[2018年度対応版合格リポート!!!]佛教大学通信教育課程 Q0701 日本仏教史 第１設題 A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937497640774@hc16/127640/]]></link>
			<author><![CDATA[ by peta1111]]></author>
			<category><![CDATA[peta1111の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Dec 2016 12:32:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937497640774@hc16/127640/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937497640774@hc16/127640/" target="_blank"><img src="/docs/937497640774@hc16/127640/thmb.jpg?s=s&r=1481686372&t=n" border="0"></a><br /><br />本リポートは、Q0701 日本仏教史のリポートです。
判定はAでした。
所見を以下に記します。
「テキストを中心に基本的な事柄をよくまとめて記述できている」
とのことでした。
ダウンロードいただき、参考にしていただければ幸いです。[326]<br />本リポートは、Q0701 日本仏教史のリポートです。
判定はAでした。
所見を以下に記します。
「テキストを中心に基本的な事柄をよくまとめて記述できている」
とのことでした。
ダウンロードいただき、参考にしていただければ幸いです。
聖徳太子の事績を中心に飛鳥時代仏教の特色を論ぜよ。
日本に仏教が正式に伝えられたのは、6世紀（五三八年）欽明天皇の時代であったと通説的には言われている。この時代、中国では南北朝に分かれ、朝鮮では高句麗・百済・新羅の三国に分かれ、連合と対立を繰り返していた時代である。朝鮮では既に仏教は伝わっており、そのうちの百済の聖明王から釈迦像と経典が朝廷に献上され、日本に仏教は伝来したとされる。実質的には、主に朝鮮半島・百済からの渡来人・帰化人が仏教を伝えた。
仏教伝来以前より、日本では古来の神々が信仰されていたため、仏教が伝えられると、積極的に受け入れようとする側（代表：蘇我氏）と反対する側（代表：物部氏）に分かれ、この問題は豪族間の権力争いに相まって激化することになったが、崇仏派の蘇我氏が勝利したことにより一段落した。
蘇我氏が勝利したことで仏教は急速に普及することに..]]></description>

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