<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“教育大学”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A4%A7%E5%AD%A6/</link>
		<description>タグ“教育大学”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[伝承遊びについて　論文　生活科　総合　教育大学　大学院]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/127824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 同志社卒　教師]]></author>
			<category><![CDATA[同志社卒　教師の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 31 Dec 2016 17:01:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/127824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/127824/" target="_blank"><img src="/docs/956194442948@hc10/127824/thmb.jpg?s=s&r=1483171282&t=n" border="0"></a><br /><br />学校教育で正面から「遊び」とりわけ「伝承遊び」を教材化するとき、どのような配慮の下に進める必要があるのかについて考察を試みました。
具体的には、生活科における「遊び」の導入について、遊びが持つ諧謔や風刺の精神等をゆとりとして受け止めつつ、し[358]<br />「伝承遊び」授業化の問題とその視点
―子どもの「自立」に培う「総合学習―生活科」実践のために―
Ⅰはじめに
この論文では、学校教育で正面から「遊び」とりわけ「伝承遊び」を教材化するとき、どのような配慮の下に進める必要があるのかについて考察を試みている。具体的には、生活科における「遊び」の導入について、遊びが持つ諧謔や風刺の精神等をゆとりとして受け止めつつ、しかも知的なものに洗練して人を育てる姿勢をもつようにし、カリキュラム化する必要があると述べている。
Ⅱ遊び考
　子どもの自立性を尊重する必然性と実践化に必要な配慮を提起するにあたり、語義から見たあそびと人間本性に根ざす「遊び」の研究という視点から、「遊び」を人間の本性と結ぶ考え方を示している。
Ⅲ伝承遊びの位置
伝承遊びとは、古くから民間で伝えられてきた遊びで、主として子どもたちによって維持されているものである。柳田国男の民族学の研究によると、今日「伝承遊び」は子どもと共に街角や村の空き地から消え、幼児教育を中心として伝えられている。書物やテレビなどの媒介を通じて伝えられているのは問題であるが、その存在さえ意識されない危機に直面している。本来「伝承遊び」とは子どもが集まり群れを形成し、知る者が知らない者に伝え、知りたい者が見よう見真似で体得したものである。大人の介入は限られていた。
「伝承遊び」は「遊び」という児童文化の伝達・継承・発展・創造ととらえられる。また、伝承玩具には労働と生活に子どもを結ぶ文化財としての側面もある。
「伝承遊び」には次のような「自然なる順序」すなわち発達段階がある。①親に密着した「内遊び」②親からやや離れた「軒あそび」③4～７歳までの外遊び④群れと群れとの対立交渉が生ずる「辻遊び」である。これは、「ひとり遊び」から「集団遊び」へ、機能的な
遊びからルールの遊びを経てルールの創造へという「遊び」の発展である。
Ⅳ「総合学習」と「伝承遊び」の結節点
(1)子どもの深刻な事態
昨今の子どもに人気のある遊びが、学校体育で指導されたり、大人の監督下で行われるスポーツ中心であったり、大人のつくったゲームソフトであったりする。これは、子どもの遊びが学校や商業主義にからめとられている危険性を示す。さらには、子どもの持ち物のハイテク化により、精神的な問題を招いている。
小学校の世代間交流活動に関する指導..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生活科において伝承遊び及び家事労働を扱う教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124060/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 同志社卒　教師]]></author>
			<category><![CDATA[同志社卒　教師の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Mar 2016 15:32:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124060/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124060/" target="_blank"><img src="/docs/956194442948@hc10/124060/thmb.jpg?s=s&r=1458455556&t=n" border="0"></a><br /><br />教育大学の生活科のレポート及び卒業論文にお役立てください。《小学校　伝承遊び》についてです。他にも多数レポートを公開しております。
よろしくおねがいします。[232]<br />第２章　生活科における伝承遊び及び家事労働
第１節　生活科において伝承遊びを扱う教育的価値
第１項 　遊びを扱う価値
1.遊びの効果にみられる教育的価値
従来「遊び」の「指導」を中心的に取り上げてきたのは,幼児教育である。幼児にとって「遊び」は生活そのものであり,身体を使っての「活動」は子どもの成長・発達上において重要な意味をもつ価値的概念として考えられてきた。1)小学校教育では「遊び」をとりあげてもそれが指導の中心になることは少なかった。2)
しかし,生活科では「遊び」を真正面から取り上げることとなっている。その理由は,石川(1994)が次のように述べている。3)
「遊び」を生活科で取り入れた理由は,単に低学年のカリキュラム構成の原理としての合科的・総合的学習活動を重視する観点からとらえられたり,低学年の子どもの認識形成の手だてとして「遊び」や活動を重視することだけにあるのではない。これまでの長い学校教育の歴史の中では,なじみの薄かった「遊び」をあえて生活科の中に取り入れた理由・意義は,今日の幼児や低学年児童に欠落しがちな自発性・積極性を育てることによって,知的・情緒的・社会的発達を促し,体力・運動能力の発達を助長しようとする点ある。
また,澤本(1991)は「遊び」の3条件である「空間」・「時間」・「仲間」を貫くキーワードとして「ゆとり」を挙げ,次のように述べている。4)
　当局は生活科に自由性を付与し,学校教育に「待つゆとり」を保証しようとしたように見える。つまり,人間形成には「ゆとりある教育」が必須であると認め,伝統的教科の系統で統制された強化とは別に,生活科に目標のふりわけや内容選択の自由,系統性や指導方法上の教師の自立性の確保等を行った。
つまり,遊びが取り入れた理由は,学習の手立てというよりも,児童中心主義の考え方の表れである。幼児教育の延長として「ゆとりある教育」を行うことにより,主体的に子ども文化を創造できるという仮説に基づいている。また,子どもの遊びに関わる課題意識も背景として挙げられる。
2.子どもの遊びに関する今日的課題
子どもが外で群れて遊ばなくなったといわれている。5)その原因は,空間,時間,仲間の喪失6)やそれらに伴って遊びが伝承されなくなってきたことが挙げられる。また,澤本(1991)は次のように指摘している7)
今日市場に氾濫す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世代間交流活動の動向と今日的課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124059/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 同志社卒　教師]]></author>
			<category><![CDATA[同志社卒　教師の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Mar 2016 15:32:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124059/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956194442948@hc10/124059/" target="_blank"><img src="/docs/956194442948@hc10/124059/thmb.jpg?s=s&r=1458455552&t=n" border="0"></a><br /><br />教育大学の生活科のレポート及び卒業論文にお役立てください。《小学校　伝承遊び》についてです。他にも多数レポートを公開しております。
よろしくおねがいします。[232]<br />第１章　世代間交流活動の動向と今日的課題
　
本章では,米国で体系化が進められている「世代間交流プログラム」を中心に,世代間交流活動の概念やその動向について明らかにしていく。
第１節　世代間交流活動の性格
第1項　世代間交流プログラムと世代間交流活動の意味
「世代間交流プログラム」とは,米国で体系化が進められているIntergeneration Programを日本語に訳したものであり,「交流」(interaction)ならびに「交換」(exchange) という解釈が包含されている。また, 娯楽的・行事的な一過性イベントと区別して,継続性を有する体系的・組織的に展開される活動を指している。
一方,「世代間交流活動」とは,日本の事例を扱うときに使われるものであり,イベント型の一過性の活動と学校や施設において継続的・体系的に展開される活動の両方の内容が含まれている。したがって,「世代間交流プログラム」と「世代間交流活動」は活動形態の捉えによって区別されることがある。1)
第２項　世代間交流活動の定義
草野(2004)は,世代間交流について「子ども,青年,中・高年世代の者がお互いに自分達の持っている能力や技術を出し合って,自分自身の向上と,自分の周りの人々や社会に役立つような健全な地域づくりを実践する活動」2)と定義している。また,1999年に設立した「国際世代間プログラム協会」(The International Consortium of Intergenerational Programs,ICIP)は,第1回国際世代間プログラム会議において「世代間プログラムとは,高齢者と青少年の間でお互いの能力や知識を意図的・継続的に交換し合う社会的媒体である」3)という定義を採択している。さらに,斎藤(2010)は,「世代間交流プログラムとは,現在欠如しつつある子どもたちの異世代との経験を,あえて意図的・人工的な「プログラム」で実現させようとする試み」と述べている。4)このように,世代間交流プログラムの定義は,正確に統一はされていない。
しかし,柿沼(2009)は,世代間交流プログラムを理解する視点として,「世代間交流活動には,各世代すべての人々の生活の質を向上させるという「人間的・個人的」側面と,健全な地域社会づくりという「社会的」側面がある」5)と述べている。
第３項..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[修士論文　国際理解教育における総合学習の在り方についての研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966515388@hc11/88480/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kouseiya]]></author>
			<category><![CDATA[kouseiyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2011 20:48:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953966515388@hc11/88480/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953966515388@hc11/88480/" target="_blank"><img src="/docs/953966515388@hc11/88480/thmb.jpg?s=s&r=1322567339&t=n" border="0"></a><br /><br />某教育大学大学院の修士論文になります。著作権は、本人にあります。総合的な学習の時間での国際理解教育の実践を中心にアクションリサーチによる質的研究になります。教育系大学院入試、自分の研究等に役立ててください。A4判、122ページに[338]<br />国際理解教育における総合学習にあり方についての研究
序章　研究の概要
　
研究の背景
近年、国際化が日本へと入り込んでくる中で学校教育現場はこれまでの学校の形式を大きく脱却し外部との接触を通しての学びを展開していく傾向にある。山根（2001）は「これまでの学校教育は19世紀型であり、古典的である。発展途上国の段階においては非常に有効な手段であった。しかし、現代社会が抱える問題はそれでは解決できない。」として、21世紀型の教育を求める考えを提唱している。
2002年度から施行された「総合的な学習の時間」では学校独自のカリキュラム展開が求められ、特に「生きる力」や「生徒の自己成長」を促すために指導の体制から支援の体制へと変化してきた。このことによりますます教師の資質を問われることになった。「総合的な学習の時間」においては、生徒が「学び」を得るのにあたり教師自身の資質や能力といったものが重要になる。しかしながら、教師自身はこれまでの教員養成課程ではそのような教育を受けていない為に、現場に導入するに当たり戸惑いがある。　
また一方では、教育実習生にいたっては「総合的な学習の時間」に関する指導がなされないまま現場へ送り込まれるため、現場でどのような授業を展開していけばよいか困惑する現状にある。
　さて、教員の資質面においてであるが、これからの教員に求められる資質として文部科学省教育職員養成審議会第3次答申（1997）は以下の３点を挙げている。
【今後特に求められる資質能力】
1.地球的視野に立って行動するための資質や能力
2.変化の時代を生きる社会人に求められる資質や能力
3.教員の職務から必然的に求められる資質や能力
　特に、１は国際化時代に対応した教員を意識したものであると同時にグローバル化を意識したものであるといえる。しかし、その資質をどのような方法で身につければよいのか。または、向上させていけばよいのかといった具体的な方法が示されていない。佐藤（2001）は次のように述べている。「個人的資質がいかにして国際的資質やグローバル的資質へと結びつくのか、あるいはどのようなメカニズムで転化するかを具体的な筋道として明確化する必要がある。」このことから教師個人の資質がどのように国際的資質へ変わるかそのメカニズムを明確にすることが必要であることがわかる。
国際教育協力懇談会中..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>