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		<title>タグ“教会”の公開資料</title>
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		<description>タグ“教会”の公開資料</description>
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		<item>
			<title><![CDATA[神現祭]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149236/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2022 17:02:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149236/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149236/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/149236/thmb.jpg?s=s&r=1659600133&t=n" border="0"></a><br /><br />神現祭
神現祭しんげんさいギリシア語: &Theta;&epsilon;&omicron;&phi;ά&nu;&iota;&alpha;, ロシア語: Богоявле́ние, ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[公現祭]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149235/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2022 17:01:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149235/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/149235/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/149235/thmb.jpg?s=s&r=1659600097&t=n" border="0"></a><br /><br />公現祭
公現祭こうげんさい、ギリシア語: ἐ&pi;&iota;&phi;ά&nu;&epsilon;&iota;&alpha;, ラテン語: Epiphania Domini, 英語:
Epiphanyは、西方教会カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸派において、異邦への救
い主イエス・キリストの顕現を記念する祝日。カトリック教会で「主の公現」とも表記される
。聖公会ではこの祝日のことを顕現日けんげんびと呼び、対応する期節を顕現節けんげんせ
つと呼ぶ。「主顕節」などとも呼ばれる。
元は東方教会の祭りであり、イエスの洗礼を記念するものであった。4世紀に西方教会に伝わり、
現在の公現祭/顕現日となったが、西方教会ではイエスの洗礼の意味が失われ、幼子イエスへの東..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教会 (キリスト教)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148681/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Jun 2022 13:34:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148681/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148681/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148681/thmb.jpg?s=s&r=1654749298&t=n" border="0"></a><br /><br />教会 (キリスト教)
キリスト教における教会きょうかい、ギリシア語: ἐ&kappa;&kappa;&lambda;&eta;&sigma;ί&alpha;、ラテン語: ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[魔女狩り]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148625/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 May 2022 13:26:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148625/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148625/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148625/thmb.jpg?s=s&r=1653971199&t=n" border="0"></a><br /><br />魔女狩り
魔女狩りまじょがり、英:
witch-huntは、魔女とされた被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑
リンチ等の一連の迫害を指す。魔術を使ったと疑われる者を裁いたり制裁を加えたりすること
は古代から行われていた。ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と契約してキリスト教社会の破壊
を企む背教者という新種の「魔女」の概念が生まれるとともに、最初の大規模な魔女裁判が興った
。そして初期近代の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判
の最盛期が到来した。
かつて魔女狩りといえば、「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[キリスト教]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148541/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sengoro]]></author>
			<category><![CDATA[sengoroの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 May 2022 15:11:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148541/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930858578376@hc18/148541/" target="_blank"><img src="/docs/930858578376@hc18/148541/thmb.jpg?s=s&r=1653286275&t=n" border="0"></a><br /><br />キリスト教
キリスト教キリストきょう、基督教、ギリシア語: &Chi;&rho;&iota;&sigma;&tau;&iota;&alpha;&nu;&iota;&sigma;&mu;ό&sigmaf;、ラテン語: ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋音楽の歴史と理論（夏期スクーリングレポート）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122012/]]></link>
			<author><![CDATA[ by おまめさん]]></author>
			<category><![CDATA[おまめさんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 11:01:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122012/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955107343785@hc10/122012/" target="_blank"><img src="/docs/955107343785@hc10/122012/thmb.jpg?s=s&r=1443578517&t=n" border="0"></a><br /><br />『西洋音楽の歴史的な変化について、自分が一番関心のある時代を中心にして論じなさい。』

　大阪芸術大学「西洋音楽の歴史と理論」のスクーリング時のレポートです。

参考にしてみてください。[271]<br />音楽史上、中世とバロック期の間に位置するルネサンス時代は、中世以来の伝統的な教会旋法に基づくポリフォニー技法がもっとも高度な水準にまで完成された時代であり、内容的には、人文主義運動の影響を受けて、なめらかで素直な旋律の流れ、合理的な対位法による作曲技法、快い音の響き、豊ながらも適度に抑制された表現力によって、音楽的な均整美の理想を追求した時代である。
　ルネサンス時代の中心をなすのは、ポリフォニー（複数の独立した声部からなる音楽）による声楽、特に、宗教曲（ミサ曲）である。ミサとは、主日（日曜日）やキリスト教の暦の上での特定の祝祭日に行う集会のことである。ミサの内容としては、まず初めに、開祭がありここでは『あわれみの讃歌　Kyrie』『栄光の讃歌　Gloria』が歌われる。次に、神の言葉を聞く（聖書を朗読する）言葉の典礼で『信仰宣言　Credo』が歌われ、パンとぶどう酒を捧げる感謝の典礼では『感謝の讃歌　Sanctus』が歌われる。そして、司式者が宣言し、ぶどう酒（キリストの血）を司式者が、パン（キリストの肉）を会衆が受け全員が1つに結ばれる聖体拝領では『平和の讃歌　Agnus Dei..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宗教学 分冊1 日本大学　総合教育科目]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/lunalian/99416/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mevius169]]></author>
			<category><![CDATA[mevius169の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Dec 2012 02:55:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/lunalian/99416/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/lunalian/99416/" target="_blank"><img src="/docs/lunalian/99416/thmb.jpg?s=s&r=1355939707&t=n" border="0"></a><br /><br />「キリスト教の展開、教父たちの活躍以降の動向」について
三一三年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって、多くの神学者が輩出して教議論が盛んになり、教会から使徒的信仰の代弁者と認められている教父たちが活躍した。
とくに、イエス・キリスト教の神性をめぐって、キリストは神に似ているが神ではない、とその神性を否定するアリウスと、キリストの神性を強調し、神とキリストのとの同一性を主張する教父アタナシウスとが対立した。しかし、三二五年のニカイア会議において、アタナシウス説が正統と認められ、三八一年のコンスタンティノポリス会議、四五一年のカルケドン会議を経て、「三位一体」の神観が確立された。
三位一体とは、創造主としての父なる神と、贖罪者キリストとして世に現れた子なる神と、信仰経験の上に顕示された聖霊なる神とが、唯一なる神の三つの主体として現われる、とするものである。
西方教会最大の教父であるアウグスティヌスは、『告白』『三位一体論』『神の国』などの多くの著作によって、教会のサクラメントは、神の恩恵にあずかるために有効である、という教会論を説いている。
十一世紀半ばごろから、教父時代に形成された..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[異文化理解　1単位目]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941968653708@hc14/116757/]]></link>
			<author><![CDATA[ by masagaki]]></author>
			<category><![CDATA[masagakiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 05 Nov 2014 12:49:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941968653708@hc14/116757/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/941968653708@hc14/116757/" target="_blank"><img src="/docs/941968653708@hc14/116757/thmb.jpg?s=s&r=1415159395&t=n" border="0"></a><br /><br />異文化理解１
ブリテン島がローマ帝国支配下に入ってから、ノルマン人に征服されるまでのイギリス史を教科書の該当する節ごとにまとめる形で概観せよ。
・ローマ人によるブリテン島の侵略はBC55に始まった。その地にいた民族は最初ローマ人の攻撃に対抗していたが、結局は降参した。ローマ人はAD47にブリテン島に戻り、北部地域の支配を広げた。ローマ人は彼ら自身の行政システムを作り上げたが、日々の支配はその地の王族に任せていた。イケニ族の女王ブーディカによる反乱などがあったが、50年後には残りのイングランドとウェールズにも支配を広げた。ローマ人は410年にヨーロッパ本土での異教徒からの侵略を防ぐために、ブリテ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平成26、27年、日大通信、宗教学（分冊２）、合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Sun-flower]]></author>
			<category><![CDATA[Sun-flowerの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Sep 2014 11:40:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/115610/" target="_blank"><img src="/docs/943705740060@hc14/115610/thmb.jpg?s=s&r=1410316814&t=n" border="0"></a><br /><br />平成26年度に取り組んだ日大通信『宗教学（分冊２）』の合格レポートです。

先生からの講評をそのまま書きます。
&ldquo;教父たちの活躍以降、教義面においても大きく発展、また分析していった様子がうまく論じられている。&rdquo;
と、お褒めの言葉を頂いている[348]<br />■宗教学（科目コード0014）分冊２

［課題］
キリスト教の展開について、「教父たちの活躍」以降の動向について、要領よくまとめなさい。（テキスト一五八～一六三ページ）

（レポート本文）
　古代ローマ帝国で教父たちが活躍したきっかけは、当時の皇帝、コンスタンティヌス帝によって発布されたミラノ勅令であった。これを機にキリスト教はローマ帝国の国教と化し、多くの神学者を輩出し、教会からの使徒的信仰の代弁者と認められている教父たちが活躍したのだ。イエス・キリストの神性を否定するアリウスとキリストの神性を強調し神との同一視をするアタナシウスが対立したが、後にアタナシウスの説が認められ『神は実体においては一つであるが、その実体は、父と子と精霊という三つの位格から成る』という「三位一体」の考え方が確立した。また、その後に恩恵論と教会論を説いたのが、西方教会最大の教父であるアウグスティヌスである。彼は多くの著書で、人間は『アダムの堕罪によって人間は罪を負い、善への意思を失っているが、キリストを通して示された恩恵のみ、人間の罪は許される』という恩恵論や『教会は、聖徒の交わりである神の国に根拠をもつもの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[P6331　英米文学研究（レポート第１設題・第２設題）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959395285919@hc09/115514/]]></link>
			<author><![CDATA[ by whitetinypaw]]></author>
			<category><![CDATA[whitetinypawの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Sep 2014 19:43:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959395285919@hc09/115514/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959395285919@hc09/115514/" target="_blank"><img src="/docs/959395285919@hc09/115514/thmb.jpg?s=s&r=1410000201&t=n" border="0"></a><br /><br />P6331　英米文学研究（レポート第１設題・第２設題）
テキストをもとにまとめたものです。

第１設題：テキストで扱われている作家から二人を選び、それらの二人に共通するトピックを自分で考えて、それに沿って内容をまとめてください
第２設題：プ[342]<br />「テキストで扱われている作家から二人を選び、それらの二人に共通するトピックを自分で考えて、それに沿って内容をまとめてください」
ジョン・ミルトン（John Milton）とジョン・バニヤン（John Bunyan）の作品はともに聖書に依拠し、彼らのピューリタンとしての視点を通して描かれている。以下では、それが作品でどのように表現されているのかについてみていきたい。タイトルは「ピューリタンが伝えようとしたもの」とする。
そもそも、なぜピューリタンが生まれたのだろうか。まずは、その歴史的背景からみていきたい。イギリスは元来、ローマ教皇を頂点に頂くカソリックであった。しかし、16世紀、当時の国王ヘンリー8世（HenryⅧ）が、自身の離婚問題に関し、それを認めないローマ教皇庁と決別したことに始まる。国王でありながら自身の婚姻についての決定権をもたなかった彼は、自らを頂点に置く英国国教会を設立したのである。時代が移り、エリザベス女王（ElizabethⅠ）が王位に立つと、彼女は、法衣の使用を含む宗教的礼拝における礼節の基準や、彼女自身が英国国教会の最高権威としてその配下に主教を置いた政府を要求した。本来、福音主義とはキリストの贖罪による救いを信仰の中心とし、儀式などの外的権威を軽視する新教的態度に過ぎなかった。しかし、彼らにとって国王を信仰の頂点に頂くこと、華美な儀式を行うことは聖書の教えに反するものであった。神が自ら書いたと信じる聖書こそがもっとも尊いと考える福音主義者たちは、聖書に権威を認めるゆえに、外部の宗教的・政治的権威のすべてを拒絶したのである。彼らは、これらの点を国会の内外から改革しようと試み、「却下」を返答として受け取ることなしに断固としてその姿勢を貫いた。彼らが後にピューリタンと呼ばれるようになる。彼らの活動は、ピューリタン運動と呼ばれ、その知識と雄弁さから彼らの代弁者となったのが若き詩人ミルトンであった。
ミルトンはその苦闘へと自らをささげるべくヨーロッパから戻ってくると、力強い言葉ですさまじい宗教的論争を書き始めた。英国国教会の儀式と政府を批判するパンフレットでは、聖書に権威を認める福音主義的理想の自由を強く訴え、古くからあるカソリック教会のみならず、英国国教会の圧政によって、その自由が踏みにじられてしまったのだと主張した。続いて、ミルトン自身が代弁者..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ミサの意義と構造について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952704044967@hc11/82100/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ayaka0514]]></author>
			<category><![CDATA[ayaka0514の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Jun 2011 00:01:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952704044967@hc11/82100/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952704044967@hc11/82100/" target="_blank"><img src="/docs/952704044967@hc11/82100/thmb.jpg?s=s&r=1307286110&t=n" border="0"></a><br /><br />ミサの意義と構造について書かれています。[60]<br />ミサの意義と構造について
１　はじめに
　ミサはキリスト教という１つの宗教の中で祈りの場として設けられている。ミサは誰でも参加することができる祈りの場であり、聖書や司祭の言葉を中心に自分自身や神に思いをはせながら厳かな雰囲気の中で様々なことが行われる。
このレポートでは、キリストと神を身近に感じながら祈るミサの構造とミサの意義を述べていきたいと思う。
２　ミサの構造
まずミサとはカトリック教会でおこなわれる聖体祭儀のことであり、カトリック教会のもっとも重要な典礼儀式といわれる。ミサという表現が使われるようになったのは六世紀ごろからでその頃から、教会の歴史の中で段々とラテン語が典礼に使われるようになりラテン語の「Ite，missa est」（ミサを終わります。行きましょう。）という表現が祭儀全体を示す名称となった。初代教会の時代には主イエスが御自分の記念として残された聖体の秘跡を執り行うことにちなんで「パンを裂くこと」「主の晩餐」「聖餐式」、イエスがパンとぶどう酒を弟子達に与える前に父である神にささげた感謝の祈りにちなんで「感謝の祭儀」などと呼ばれていた。また感謝の祭儀はギリシア語でエウカリスティアと呼ばれることもあった。
　現在私達が行っているミサは「ことばの典礼（ことばの食卓）」と「感謝の典礼(パンとぶどう酒の食卓)」の２つの部分から基本的に成り立っており互いに緊密に結ばれ礼拝祭儀を構成している。二世紀の半ばにはすでにこのような構造がみられ、これに加えて現行のミサでは共同体が集い、心の準備を準備をして祈りに入る「開祭」と祭儀に集まった人々を祝福し派遣する「閉祭」が整えられる。
　開祭では入祭（introitus）から始まり、会衆がいる場合ミサの始めには入祭の歌として聖歌が歌われることが多い。これは義務ではないが歌わない場合は入祭唱を唱えなければならない。その後、祭壇に表敬し司式者が挨拶をする「あいさつ」、「回心のいのり」、「あわれみの賛歌（kyrie）」、「栄光の讃歌(gloria)」と続く。あわれみの讃歌は連願に由来し、回心の祈りの大事な部分である。また、栄光の讃歌は讃歌であるため四旬節・待降節には省かれる。司祭が唱える「集会祈願」をもって開祭の儀は終了となり、ミサの間特に重要である「アーメン（その通りです。そうなりますように。）」と唱えることによって全会衆..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[韓国プロテスタント追悼式の現状]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61909/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gensuke]]></author>
			<category><![CDATA[gensukeの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Jan 2010 23:35:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61909/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61909/" target="_blank"><img src="/docs/958138276142@hc09/61909/thmb.jpg?s=s&r=1263479751&t=n" border="0"></a><br /><br />儒教の根付く韓国におけるプロテスタント教会がどのように追悼式を行っているかについて論じている。[141]<br />韓国プロテスタント教会では、伝来初期から伝統的な忌祭祀を否定することを原則としている。だからといって既存の忌祭祀と完全に断絶したかといえば、そうではない。名称と形式は違うが、「追悼式」または「追悼礼拝」という名で、ほとんどの家庭で行われているからである。現在の韓国プロテスタントの追悼式は既存の忌祭祀文化と慣例して形成された儀礼だといえる。
では、韓国プロテスタントの追悼式と伝統忌祭祀の違いは何だろうか。
まず名称が違う。伝統的な儒教式の祭祀は「忌祭祀」または「忌日祭祀」「祭祀」と呼ぶが、プロテスタントでは「追悼式」あるいは「追悼礼拝」と呼ぶのが一般的である。
次に女性も同等に参加する。伝統的な忌祭祀の場合には、いまだに男性がその主体として参加し、女性は祭物を準備し補給する手伝いの役割をするのが一般的なのに対し、キリスト教の追悼式では男女全員が同じ席に付き、始まりから終わりまで一緒に行う。
　そして、故人に捧げるのではなく、あくまで神に捧げるのであり、さまざまな手順がなかったり、違ったりする。その一つ目は、位牌などがなく、その代わりに故人の写真を置いて行ったり、何もないまま行ったりもする..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ビザンツ帝国１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60708/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happy1124]]></author>
			<category><![CDATA[happy1124の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Dec 2009 18:54:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60708/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60708/" target="_blank"><img src="/docs/957942689751@hc09/60708/thmb.jpg?s=s&r=1260525270&t=n" border="0"></a><br /><br />東ローマ帝国は、コンスタンティヌス大帝（274-337、在位324-337）によって名を取った首都コンスタンティノポリス開都に始まり、オスマントルコのスルタン･メフメト２世の攻撃に敗れ、トルコ領となるまで1000年以上続いた国である。この首都コンスタンティノポリスは、ギリシャ語でビザンティオン（Byzantion）、ラテン語でビザンティウム（Byzantium）と呼ばれていたが、時の皇帝の名にちなんでコンスタンティノポリス（ラテン語）コンスタンティノープル（英語）となったのである。この地の歴史は古く、紀元前3000年頃の考古学的遺物から人跡も見られ、都市の建設は紀元前650年頃ギリシャのメガラ人よって行われ、メガラの植民地建設者、王ビザンタスの名がこの都市の名ビザンティオンとして残ったのである。当時は、今日のトルコ、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、ユーゴスラヴィアを大体の地域としたキリスト教の国であった。政治・経済制度はローマ帝国の伝統を継承し、文化的にはギリシャ・ヘレニズムを受け、宗教は建国の時にすでにキリスト教を国教としていた。公用語は当初ラテン語が使われたが、次第にギリシャ語が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ビザンツ史ゼミＡ　修道院隠棲時代１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happy1124]]></author>
			<category><![CDATA[happy1124の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Dec 2009 18:54:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957942689751@hc09/60707/" target="_blank"><img src="/docs/957942689751@hc09/60707/thmb.jpg?s=s&r=1260525269&t=n" border="0"></a><br /><br />ビザンツ史ゼミＡ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
キリルとメトディ（Ⅰ）　Ⅱその生涯と時代　　　　　　　　
修道院隠棲時代　　（用語）
◇ミサ聖祭
　　キリストの十字架上の犠牲の断続であって、パンと葡萄酒の外観の下にいるキリストの体と血を司祭の手をもって聖父にささげる司祭である。
　
◇ミサ典書
　　１年を通じてのミサ聖祭の全文を収めた書物で、司祭が祭壇上で用いる。現行ミサ典書はピウス５世が1570年に公にしたもので、「主日と祝日の部」「聖人祝日の部」「聖人共通典礼の部」の三部よりなる。
　　＊キュリロスとメトディオス
　　　　兄弟は、教皇ニコラウス１世の招きを受け、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本基督教団以前の日本三大教派]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/60029/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cozy.i]]></author>
			<category><![CDATA[cozy.iの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 17:25:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/60029/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/60029/" target="_blank"><img src="/docs/957879994698@hc09/60029/thmb.jpg?s=s&r=1259483156&t=n" border="0"></a><br /><br />日本基督教団以前の日本三大教派
～日本基督教会・日本組合基督教会・日本メソジスト教会の成立～
初めに
私は高校の時、日本基督教団新潟教会に通っていたのだが、すぐ隣に日本基督教団東中通り教会というのがあった。どちらの教会も大きな教会で、当時は何で同じ教団の教会が林立して+建っているのか不思議であった。私は東中通り教会の礼拝にも数回出席したことがあるのだが、どこか雰囲気も合わず、好んで新潟教会に出席していた。
私は現在、日本基督教団の教会に所属しているが、私の教会の牧師は代々同志社卒業の牧師で、教会全体として社会活動への関心も高い方である。私は、キリスト教というのはカトリックとプロテスタントの違いはあれ、どこに行っても同じだろうと考えていた。
その後、日本基督教団以外の教会のクリスチャンや牧師と話す機会があり、世の中には、キリスト教と言っても全く特色の違う教会があることを知った。
今回、自分のキリスト者としてのルーツを知るためにも、日本基督教団の成立以前、日本の三大教派と呼ばれた上の3つの教会を比べたいと思う。
日本基督教会
16世紀　改革長老教会
スイス
　　　　　　　　　　　　　　　　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文化交流論　設題１・ジャンヌ＝ダルクの生涯と百年戦争について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57501/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 910kyuto]]></author>
			<category><![CDATA[910kyutoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 17:05:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57501/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57501/" target="_blank"><img src="/docs/958149952954@hc09/57501/thmb.jpg?s=s&r=1257494710&t=n" border="0"></a><br /><br />設題１．
〔１〕百年戦争の開始
「百年戦争」はカペー朝で男子の跡継ぎがいなくなったことに起因する。
  シャルル４世は、跡継ぎの無いまま不意に死んでしまった。そのため、ヴァロア家のフィリップとシャルル４世の甥だったイギリス国王エドワー[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幼児洗礼の今日的意義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57241/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cozy.i]]></author>
			<category><![CDATA[cozy.iの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 16:00:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57241/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57241/" target="_blank"><img src="/docs/957879994698@hc09/57241/thmb.jpg?s=s&r=1257404441&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[明治期のキリスト教]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57240/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cozy.i]]></author>
			<category><![CDATA[cozy.iの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 16:00:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57240/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57240/" target="_blank"><img src="/docs/957879994698@hc09/57240/thmb.jpg?s=s&r=1257404439&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[キリスト教主義教育の可能性と限界]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57235/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cozy.i]]></author>
			<category><![CDATA[cozy.iの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 16:00:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57235/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957879994698@hc09/57235/" target="_blank"><img src="/docs/957879994698@hc09/57235/thmb.jpg?s=s&r=1257404428&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロマネスクとゴシックの教会]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429326001@hc06/41847/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ウタ]]></author>
			<category><![CDATA[ウタの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 11 Apr 2009 20:40:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429326001@hc06/41847/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429326001@hc06/41847/" target="_blank"><img src="/docs/983429326001@hc06/41847/thmb.jpg?s=s&r=1239450030&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　ローマの街を眺め、数ある建築物の中でまず目に飛び込んでくるのが、教会の高い鐘楼であり、クポーラである。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂等の鐘楼、[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ステンドグラスを巡る旅]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makkori]]></author>
			<category><![CDATA[makkoriの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Feb 2007 22:57:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430848801@hc06/13432/" target="_blank"><img src="/docs/983430848801@hc06/13432/thmb.jpg?s=s&r=1171461431&t=n" border="0"></a><br /><br />　私はこのレポートでは、フランスの様々なステンドグラスを見てまわる旅の計画書を作成しようと思う。なぜこのテーマにしたかというと、私は以前からフランスに強い憧れと興味を持っていたので、まずフランスの旅について書きたいと思った。そして私がフラン[360]<br />　私はこのレポートでは、フランスの様々なステンドグラスを見てまわる旅の計画書を作成しようと思う。なぜこのテーマにしたかというと、私は以前からフランスに強い憧れと興味を持っていたので、まずフランスの旅について書きたいと思った。そして私がフランスで一番行きたいと思っていたのがサント・シャペルだった。以前、テレビでサント・シャペルのステンドグラスを目にして、その美しさに驚きいつか自分の眼で実物を見たいと思ったのだ。さらに、調べてみると同じように実物を見たいと思うステンドグラスがいくつかあったので、今回のレポートのテーマにすることに決めた。
　
　まず一番初めは、やはり上で述べたサント・シャペルに行きたいと思う。サント・シャペルはパリ中心部、シテ島にあるゴシック建築の教会堂である。ルイ９世が後援者となり１２４２年の着工から僅か６年の１２４８年に完成した。１階は王家使用人用、２階は王・特権貴族用の２つの礼拝堂に分かれており、２階の礼拝堂の壁面は見渡す限りのステンドグラスで埋め尽くされている(図版①)。ステンドグラスには旧・新約聖書の物語にちなんだ、約１１００の場面が表現されていて、そのうち約半分..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[The impact of the protestant ethic on development of capitalism]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12118/]]></link>
			<author><![CDATA[ by merukuru_meu]]></author>
			<category><![CDATA[merukuru_meuの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Dec 2006 16:54:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12118/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12118/" target="_blank"><img src="/docs/983429265101@hc06/12118/thmb.jpg?s=s&r=1166514885&t=n" border="0"></a><br /><br />Introduction
In April, 2005, Pope John Paul II died after suffering from serious diseases. I was staying in Australia du[120]<br />Introduction
In April, 2005, Pope John Paul II died after suffering from serious diseases. I was staying in Australia during that time. My host family is Italian-Australian and they are devout Christians. They all wept at the death of the Pope. Most Christians in Australia hastened to Catholic Churches nearby to commemorate the Pope. I went along with them. Hundreds of people came in the Church even though it was midnight. I had never seen such a mass for the Pope&#039;s soul. 
The death of the Pope ..]]></description>

		</item>

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