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		<title>タグ“戦後”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%88%A6%E5%BE%8C/</link>
		<description>タグ“戦後”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[戦前、戦後、1990年以降のそれぞれの時期の社会福祉政策の特徴について比較し、今後の福祉政策の展開を予測せよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952951524855@hc11/85257/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosei0715]]></author>
			<category><![CDATA[kosei0715の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 25 Aug 2011 01:44:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952951524855@hc11/85257/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952951524855@hc11/85257/" target="_blank"><img src="/docs/952951524855@hc11/85257/thmb.jpg?s=s&r=1314204247&t=n" border="0"></a><br /><br />戦前の福祉政策の特徴
1874年に制定された恤救規則は、我が国で初めて制定された救貧制度である。しかし、血縁・地縁による相互扶助によって救済されることが原則で、「無告ノ窮民」に限り公費で救済するという制限的救済であった。貧困が社会問題になっても公的な救貧制度は未整備であり、それを補う形で民間篤志家や宗教関係者による救済事業が展開された。第一次世界大戦後の不況下で、国民の民主主義や社会権を求める気運が高まるとともに、救護課の設置や方面委員制度の普及など社会事業が徐々に体系化された。1929年には関東大震災や大恐慌の影響による失業者の救済として救護法が制定された。恤救規則と違い、国家が公的扶助義務を持ったが、要救護者からの請求権はなく、労働能力のある貧困者は適応外にされるなど、本質は「法の反射的利益」のままであった。1938年以降、国民健康保険法や医療保護法などが整備されたが、真の目的は健民健兵政策の強化であり、軍事政策に組み込まれた「戦時厚生事業」であった。
2．戦後の福祉政策の特徴
第二次大戦後の日本の社会福祉システムは、ＧＨＱの対日福祉政策によって形成された。ＧＨＱの無差別平等、国家..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治史第4課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cs3000952]]></author>
			<category><![CDATA[cs3000952の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 21 Aug 2011 19:49:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/" target="_blank"><img src="/docs/958776133122@hc09/85157/thmb.jpg?s=s&r=1313923745&t=n" border="0"></a><br /><br />国際政治史　第４課題
冷戦発生のプロセスについて、整理しつつ説明しなさい。
冷戦とは、イデオロギー対立と、核兵器による人類お滅亡の脅威を背景とした、米ソ間の政治的コミュニケーション機能の低下により発生した、直接軍事衝突に至らない緊張状態、をいう。熱戦は開始と終結が特定の一時店で明確であるが、冷戦はそれらに幅があり不明確である。
冷戦発生の第一の要因は、いうまでもなくイデオロギー対立である。アメリカの自由主義・資本主義に対して、社会主義・共産主義を国家存立の基本的価値とするソヴィエト社会主義共和国連邦が成立したことで、冷戦の種子が巻かれた。しかしその後、ヒトラーのドイツが台頭したため、これへの対処を優先せざるを得なくなり、ドイツの対ソ侵攻（1940年）と共に、米英ソは対ドイツの戦時同盟を結成することとなった。
しかし終戦と共に、米英とソ連の対立が深刻になっていった。問題の根本は戦後の世界において米英ソの勢力圏をどのように分けるか、ということだった。1945年末から1946年はじめにかけて、ソ連側の対西側強硬姿勢がはっきりするようになり、それを受けてアメリカの対ソ認識が悪化していった。また..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本における親米意識の高さとその根拠]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84447/]]></link>
			<author><![CDATA[ by houcheck]]></author>
			<category><![CDATA[houcheckの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 04 Aug 2011 21:15:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84447/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952186677794@hc11/84447/" target="_blank"><img src="/docs/952186677794@hc11/84447/thmb.jpg?s=s&r=1312460121&t=n" border="0"></a><br /><br />1900字程度のレポート。「戦後日本における親米意識は高い」という立場から、その根拠を論じる。戦後のメディアがどのように国民のアメリカに対するイメージ形成に影響を与えたか？アメリカが日本の戦後復興の中でどのように自国のイメージを形成していっ[352]<br />戦後日本における親米意識の高さとその根拠について
レポートのテーマとして「戦後日本において親米意識は高いかどうか」を考える。私は戦後日本における親米意識は高いと考え、リサーチや世論調査の結果と、戦後の日本におけるアメリカという存在の受容のされ方を通して根拠を述べる。
一つ目は、リサーチや世論調査の結果が、日本の安定した親米意識の高さを示していることである。「日本人の好きな国・嫌いな国」中央調査報によれば、六十年安保で世情騒然たる状況だった時ですら、好きな国としてアメリカを挙げた人は５０％近くにまで達し、イラク戦争直前の２００２年にもアメリカを「好き」な人は７２％にのぼっていた（朝日新聞・２００３年１月１５日）。毎年行われる「外交に関する世論調査」でも１９７８年から毎年、ほぼすべての年で７０％をこえる人々がアメリカに親しみを感じると答えている。イラク戦争後に対米好感度が減少したといっても、中国や北朝鮮に対する脅威感が強まる中で、やはり頼れるのはアメリカという意識があらためて広がっていった。
二つ目は、戦後日本の高度成長以降の経済的繁栄はアメリカのおかげであるという意識が色濃く残っていると..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史　第２設題　A評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955964185816@hc10/80317/]]></link>
			<author><![CDATA[ by eitaro]]></author>
			<category><![CDATA[eitaroの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Apr 2011 10:31:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955964185816@hc10/80317/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955964185816@hc10/80317/" target="_blank"><img src="/docs/955964185816@hc10/80317/thmb.jpg?s=s&r=1301621518&t=n" border="0"></a><br /><br />設題：初期議会から日清戦後にかけての政党について。
第一節　第一回総選挙
一八九〇（明治二三）年、第一回衆議院議員総選挙が行われた。旧自由党系は大同倶楽部、再興自由党派（大同協和会系）、愛国公党系の三派に分かれ、改進党系勢力と争い、旧自由党系勢力の勝利となった。総選挙直後、旧自由党系三派は合同し、立憲自由党が再興された。第一議会が召集された段階での所属党派別の議員数は、立憲自由党・百三十名、立憲改進党・四十一名、大成会・七十九名、国民自由党・五名、無所属・四十五名で、立憲自由党と立憲改進党の野党勢力である民党・百七十一名が、大成会・国民自由党・無所属の与党勢力である吏党系議員百二十九名を大きく上回り勝利した。
第二節　第一議会
一八九〇（明治二三）年十一月に第一議会が開会した。第一回総選挙に続き、第一議会も第一次山県有朋内閣である。第一議会から第四議会までは、超然主義とかかげて軍備増強を進める政府と、予算削減と民力休養と主張する民党側との激しい対立の傾向が強かった。民党は、軍備拡張を行う膨大な予算に反対し、冗官冗費の削減や行政整理の結果、予算案が圧縮でき、そこで浮いた財源は民力を養うた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の歴史　第二設題　（佛教大学　通信）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955757101877@hc10/79444/]]></link>
			<author><![CDATA[ by み-こ]]></author>
			<category><![CDATA[み-この資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Mar 2011 18:54:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955757101877@hc10/79444/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955757101877@hc10/79444/" target="_blank"><img src="/docs/955757101877@hc10/79444/thmb.jpg?s=s&r=1299232448&t=n" border="0"></a><br /><br />初期議会から日清戦後にかけての政党について。[66]<br />初期議会から日清戦後にかけての政党について。
　第一回総選挙
一八九〇（明治二三）年に、第一回衆議院議員総選挙が行われた。旧自由党系は大同倶楽部、再興自由党派（大同協和会系）、愛国公党系の三派に分かれ、改進党系勢力と争った。そして七月の総選挙では旧自由党系勢力の勝利となった。総選挙直後、立憲自由党が再興され、旧自由党系三派は合同した。第一議会が召集された段階での所属党派別の議員数は、立憲自由党一三〇名、立憲改進党四十一名、大成会七十九名、国民自由党五名、無所属四十五名である。立憲自由党・立憲改進党の野党勢力である民党一七一名が、大成会・国民自由党・無所属の与党勢力である吏党一二九名を大きく上回り勝利した 。
第一議会
一八九〇（明治二三）年十一月に第一議会が開会された。初代議長に立憲自由党の中島信行を、初代副議長に大成会の津田真道を選出し、貴族院議長は伊藤博文、副議長は東久世通禧が就任した。
　十二月に山県有朋は施政方針演説を行い、「列強、特にロシアの脅威に対するためには、主権線と利益線の防衛が必要である」と強調し、その分の軍費（五年間に五三〇万円）を加えた一般会計歳出額八三三二万円と..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[自然地理学2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/78888/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lampway]]></author>
			<category><![CDATA[lampwayの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 01:19:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/78888/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/78888/" target="_blank"><img src="/docs/958457868540@hc09/78888/thmb.jpg?s=s&r=1297268354&t=n" border="0"></a><br /><br />『わが国で自然災害が発生した地域をひとつ選び、過去の自然災害と被害について述べ、その発生原因とその対策を地図を示して考察せよ。』
第一章　日本における地震について
　日本で特に多発する自然災害の例を挙げると、台風、地震、集中豪雨、洪水などがあり、そしてそれらの災害の二次被害としての火事や、建物への置き去りなどがある。特に日本列島の近くにはプレートが多数存在しており、とりわけ地震は多い。
　過去の大規模な地震としては、１９２３（大正１２）年の関東大震災や１９９５（平成７）年の阪神大震災などがあるが、これらによる甚大な自然の被害や経済への打撃、そして何より多数の尊い命が失われることなど物質面でも精神面でも、人々に大きな損害をもたらしている。
　その日本の中でも、地震が特に多発している北海道を取り上げる。北海道は大きな地震が懸念される東海地方や近畿地方、首都圏に比べると地震の危険性が低い印象を持っている人が多いが、古くは大正時代の千島列島のウルップ島地震、戦後では釧路沖地震や戦後だけで大地震が複数回起きている十勝沖地震など、多くの地震が発生している。
その中でも、最も大きな被害を出した地震と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[わが国の教育の目的]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77612/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:48:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77612/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77612/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77612/thmb.jpg?s=s&r=1295376525&t=n" border="0"></a><br /><br />わが国の教育の目的
　教育とはなにか。教育とはなにかを明確にすることは、教育を研究し学ぶ者にとって、出発点であり、また到着点でもある。
　今日、私たちが教育を定義する場合に留意しなければならないことは、５つある。特にその中の重要な２つを挙げる。
　第一は、教育を定義するにあたって、研究者の立場や主張を出してはいけないということである。すなわち、研究者の立場や主張に基づいて教育を規定すれば、その立場や主張に反する事象は教育でなくなってしまうからである。
　第二は、教育には目的があるということである。つまり、教育は人間を意識的、価値志向的に形成していくはたらきであるということである。したがっ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際経済学１　世界経済システム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/66042/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takatakatakataka]]></author>
			<category><![CDATA[takatakatakatakaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Apr 2010 02:04:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/66042/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/66042/" target="_blank"><img src="/docs/956245538842@hc10/66042/thmb.jpg?s=s&r=1271869450&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次大戦後の世界経済の諸問題はイデオロギー対立に基づいた経済関係、南北問題など様々であるが、戦後の世界経済システムといえばアメリカを中心としたIMF・GATT体制がその主要なものである。そこで今回のレポートでは、IMF・GATT体制と国際的な経済協力体制に絞り、特徴と変質を論述する。
戦後経済システムは、大戦最大の戦勝国アメリカを中心に形作られた。欧州資本主義国に対して行われたマーシャル援助をはじめとした、第一次大戦後と正反対の合理的な戦後処理と並行して、1914年以降機能しないまま崩れ去った国際金融の仕組みを新たに作り直すため構想されたのがブレトン・ウッズ機構である。この機構を規定したブレトン・ウッズ協定により、IMF（国際通貨基金）とIBRD（国際復興開発銀行＝世界銀行）が設置された。IMFは、大戦間に崩壊した金本位制に変わり、ドルを基軸通貨とした米ドル本位制を採用した。またこの制度を維持するため、短期資金の融資を含む安定化機能を備えた。これに対しIBRDは、戦後の世界経済回復のため長期資金の融資を行う役割を果たした。また融資の難しい発展途上国への長期低利の融資のためIDA（国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本における教師の歴史を概観し、今後求められる教師の役割について考察しなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953837592769@hc11/78041/]]></link>
			<author><![CDATA[ by らむ1028]]></author>
			<category><![CDATA[らむ1028の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Jan 2011 16:40:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953837592769@hc11/78041/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953837592769@hc11/78041/" target="_blank"><img src="/docs/953837592769@hc11/78041/thmb.jpg?s=s&r=1296027600&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の近代的な学校制度の始まりは、明治５年に公布された学制である。その後、明治12年、学制に代わって教育令が公布された。さらにそれを受けて、明治14年には、「小学校教員心得」、「学校教員品行検定規則」が定められ、教師の責務の重大さが説かれるとともに、教師には、道徳教育に力を注ぐこと、政治活動に参加しないことなどが求められた。小学校教員心得や学校教員品行検定規則の意図は、教師の政治活動を禁止し、教師を忠君愛国の体現者として枠付けることであった。
　その後、師範学校がおかれ、この時代の教師には不可欠な資質として、「順良・信愛・威重」の三つが求められた。さらに、日本が戦時体制に突入したことを受けて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究　試験対策　「第二次世界大戦後の道徳教育について」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954555537692@hc10/76563/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ズーマ]]></author>
			<category><![CDATA[ズーマの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Dec 2010 15:35:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954555537692@hc10/76563/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954555537692@hc10/76563/" target="_blank"><img src="/docs/954555537692@hc10/76563/thmb.jpg?s=s&r=1291790136&t=n" border="0"></a><br /><br />【道徳教育の研究　試験対策】
●第２次世界大戦以降の道徳教育について述べよ。
昭和20年（1945年）8月15日、日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結した。戦後の歴史がここから始まり、日本の学校教育は大きな転換期を迎える。 　昭和22年（1947年）民主化の高まりとアメリカの強い勧告の下で「教育基本法」が成立した。ここに明治以降、わが国の教育界を絶対的に支配した「勅語」は完全に否定され、「日本国憲法」に基づいた「教育基本法」が戦後の新しい教育理念となった。これは戦前の教育の家族主義、軍国主義教育への全面否定の上に、新しい民主主義的人間を求めるものであり、個人個人をひとりの人間として認めることを意..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済学概論第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955047804614@hc10/75078/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant]]></author>
			<category><![CDATA[kantの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 Nov 2010 11:44:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955047804614@hc10/75078/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955047804614@hc10/75078/" target="_blank"><img src="/docs/955047804614@hc10/75078/thmb.jpg?s=s&r=1290480276&t=n" border="0"></a><br /><br />第１設題　わが国において、1990年代に至ってあらわになった「景気の自律的拡張メカニズム」と「信頼の構造」とが壊されたという事態について、1)その実態を具体的に明らかにし、2)それをもたらした「源流」としての「構造改革」の思想・政策の核心的内容を説明せよ。
　今回、テキスト『景気とは何だろうか』を読み、その前半部分で、景気、「波」と表現された景気循環、景気の動きをとらえる代表的な三つの統計の見かたなど、基本的なポイントを押さえることができた。著者は景気循環面から「何によって拡張期が終了したか」という切り口で戦後経済を四つに区分し、④1997年以降に注目している。バブル景気、その反動不況、その後の緩やかな回復という過程を経て、振り出しに戻った日本経済に「問題」が生じた、と提起する。景気は1997年５月に後退期に入り、それは①市場経済の本質から生まれる力、②外部(海外)からの力ではなく、明らかに③政策の力、橋本内閣(1996年１月)による「財政構造改革」と「社会保障制度改革」という財政政策の変更が原因だと主張する。これが戦後初の意図せざる「政策不況」を招き、1996年秋の「金融システム改革..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地理学概説]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954727558863@hc10/74888/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitsui]]></author>
			<category><![CDATA[mitsuiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 20 Nov 2010 23:11:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954727558863@hc10/74888/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954727558863@hc10/74888/" target="_blank"><img src="/docs/954727558863@hc10/74888/thmb.jpg?s=s&r=1290262281&t=n" border="0"></a><br /><br />北方領土問題、農業問題[33]<br />１、領土問題・北方領土
　北方領土とは日本とロシアとの間で帰属をめぐって決着のついていない、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の四島を示す。場所は北海道の東に位置する根室半島のあたりに歯舞諸島、色丹島があり、国後島と択捉島はロシアのカムチャッカ半島から北海道の東部まで連なる火山列島の最南端にある。北方領土問題とは、先の大戦後、半世紀を経過した現在、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題である。現在、北方四島には日本人は住んでいない。 第二次世界大戦後の日本人の強制送還以来、住むことを許されていないのだ。北方四島の現在の住民は旧ソ連の人々のみである。また、 島の所々にはロシア国境警備隊が置かれており、日本漁船などが簡単に入り込めないようになっている。 　戦前は島民すべてが日本人であったが、戦後からはずっとロシア系住民が住んでいることもあり、四島はまるでロシアのようだという。また、島には現在も道の整備がされておらず、車で移動する際にはあまりにも激しい揺れで目的地についた時には足がガクガクにな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[04201　日本国憲法　第2分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/74020/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anthem]]></author>
			<category><![CDATA[anthemの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 12:24:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/74020/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/74020/" target="_blank"><img src="/docs/962350986988@hc08/74020/thmb.jpg?s=s&r=1289359496&t=n" border="0"></a><br /><br />04201　日本国憲法　第2分冊
　略題（内閣不信任制と衆議院解散）
衆議院による内閣新任・不信任制と衆議院解散との関係について説明せよ
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議院内閣制では、国民の選挙で信任を失った場合でなく、議会によって不信任を突き付けられた場合、内閣はその不信任決議に納得いかなければ議会を解散する権利があるとされている。つまり、議会の判断は本当に正しいのか。国民に自分たちを信任するかしないか、改めて選挙で聞くことが「解散」の意義である。
　現在、イギリスや日本は解散を自由に行っているが、今でもこのルールの意義を忠実に守っている国も少なくない。例えばドイツでは、連邦首相が連邦議会を解散できるのは、連邦首相自身が提出した「信任決議案が否決された」場合だけである。つまり不信任決議の対抗措置としての解散のみドイツでは認められている。そのため、ドイツでは第二次世界大戦後３回（1972、1983、2006年）しか解散されていない。
実際の日本における議院内閣制の場合、議会と内閣は同じ方向を向いている。それは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[美術概論Ⅰ　科目最終試験　2010年新設題（３）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955461629354@hc10/73605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 大阪教育大学卒]]></author>
			<category><![CDATA[大阪教育大学卒の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Nov 2010 03:36:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955461629354@hc10/73605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955461629354@hc10/73605/" target="_blank"><img src="/docs/955461629354@hc10/73605/thmb.jpg?s=s&r=1288982172&t=n" border="0"></a><br /><br />2010年から教科書が変わり、新設題になっています。試験勉強の参考にしてください。[115]<br />３、戦後の公教育に影響を与えた民間美術教育運動について論述せよ。その際、３つの民間教育団体をとりあげ、それぞれについて説明せよ。
3団体&hellip;創造美育協会、新しい絵の会、造形教育センター
創造美育協会は昭和27年に設立され「子供の想像力を伸ばすことは子供の個性を鍛える。子供の個性の伸長こそ新しい教育の目標である」とした。子供の創造力を尊び美術を通してそれを健全に育てることを目標としている。そのため、教師には子供の自己発揮を正しく認め、それを伸ばしてやることが求められる。創造美育協会が子供の創造力を育てることを主張した創造主義の考え方は戦後の美術教育を大きく変えた。
しかし、自由に表現させた後の指導..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経営学　試験　　合格　株式会社における&hellip;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954660148616@hc10/72797/]]></link>
			<author><![CDATA[ by おいちゃん]]></author>
			<category><![CDATA[おいちゃんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Oct 2010 15:18:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954660148616@hc10/72797/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954660148616@hc10/72797/" target="_blank"><img src="/docs/954660148616@hc10/72797/thmb.jpg?s=s&r=1287728330&t=n" border="0"></a><br /><br />経営学試験　　　　学生番号　　氏名　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　課題
株式会社における所有・経営・支配の関係について、次の語句を用いて論述しなさい。 　　　株式所有の分散、所有経営者、専門経営者、経営者支配、株式相互保有
　そもそも会社とは、近くの町工場のように、所有経営者の元から生まれ、地道な努力を重ね利益を上げ次第に体力をつけて企業に成長していく。その所有経営者から生まれた会社がその規模を大規模化させていくにつれ、資金の需要が生まれてきます。資金需要の生まれる理由として一例をあげれば、設備投資等を幾度となく行いますが、自己資金だけでは設備投資ができなくなる場合が出てくるからです。会社は資金需要に直面した時、銀行で借り入れを行いますが、会社の大規模化が進むにつれ資金需要額が大きくなり、株主も増加する。さらに会社の大規模化が進むと、多くの投資家から資金を募る為に、株式市場に上場する。 　上場企業になり、企業の株式が多くの人に所有されると、株式所有の分散が起こる。株式所有が分散化するにつれ、一人一人の株式所有率が低くなり、所有率..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「現代家族の形態と家族機能」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958933508640@hc09/71270/]]></link>
			<author><![CDATA[ by MISONO]]></author>
			<category><![CDATA[MISONOの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 22:10:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958933508640@hc09/71270/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958933508640@hc09/71270/" target="_blank"><img src="/docs/958933508640@hc09/71270/thmb.jpg?s=s&r=1284037852&t=n" border="0"></a><br /><br />「家族の形態」とは現に存在する家族の規模・構成・続柄を指す。社会学で広く用いられている、森岡清美による類型化を以下に示す。
夫婦家族制：　夫婦の結婚により形成され、夫婦と未婚の子どもからなる。夫婦の死亡によって消滅する。核家族が単独で存在する形態。
直系家族制：　中核的構成員を夫婦・後継子およびその配偶者・その次の代の後継子となる孫・夫婦の親に限るもので、後継子の生殖家族との同居を世代を続けて繰り返すことで、直系的に存続して行く。
複合家族制：　夫妻・複数の既婚子およびその妻子により構成されるもので、同居の既婚子を男子に限ることが多い。
　戦後から現在までに顕著に観察された家族の形態の変化には..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[[日大通信]　アメリカ文学史（分冊2の②）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957512047857@hc09/70456/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kabael]]></author>
			<category><![CDATA[kabaelの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Aug 2010 16:22:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957512047857@hc09/70456/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957512047857@hc09/70456/" target="_blank"><img src="/docs/957512047857@hc09/70456/thmb.jpg?s=s&r=1281856979&t=n" border="0"></a><br /><br />アメリカ文学史　分冊2
　このリポートは、日本大学通信教育部の「アメリカ文学史」の中の設問②をまとめたものです。内容はLost Generationを中心について記述しており、関連するレポート作成にも参考になると思います。文字は凡そ2000文字を目安にまとめてあります。
　設問２：
教材Chapter11　The Writers of the &ldquo;Lost Generation&rdquo;の概要をリポート前半でまとめ、そこで言及される作家たちの中から１人を取り上げ、その作家の作品を出来るだけ数多く（翻訳書を使用してよい）読み、作品感想をリポート後半で述べなさい。
　1920年代は、俗に「失われた世代（ロストジェネレーション）」といわれるが、この言葉が示すように、1919年に終わりを告げた第一次世界大戦後のアメリカは、多くの若者達が理想を失っていた。この時代に活躍した作家の共通点は、この戦争を経験しているということである。そして皆、感受性の強い10代に厳しい戦いを経て、体にも心にも深く傷を負ったのだった。彼らは戦争という暗い影を引きずる古いアメリカに反逆するかのように、数々の作品を世に生み出していっ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[まずは基本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69230/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 京大卒主婦]]></author>
			<category><![CDATA[京大卒主婦の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Jul 2010 11:18:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69230/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69230/" target="_blank"><img src="/docs/955815992104@hc10/69230/thmb.jpg?s=s&r=1279073911&t=n" border="0"></a><br /><br />・殖産興業  
富国強兵政策の基礎。多くの事業を官営化したがその後軍事・鉄道・通信以外を民間に払い下げ。  
赤字をたくさんうみだしたが技術水準は向上した。  
・地租改正  
政府の土地・税制度改革。地価の３％を地租としたが、一揆がおこり明治10年に2,5％に軽減。  

・松方財政政策  
松方正義の国家財政確率政策。兌換制度、日銀創設、デフレ政策などなど。  

・金本位制  
通貨と金の兌換、金の輸出を認める制度。ただし明治初期は事実上銀本位制。  

・工場法  
初の労働保護法。12歳未満の就労禁止、女子・年少者の深夜労働禁止、12間労働制など。  
その後改正された。今の労働基準法の前進。  
  
  

 大正
恐慌があったけど、特筆すべきものは見当たらないです。期間が短いからしゃーないね。  
  
 昭和
・金解禁  
当時インフレ傾向が強く為替相場も暴落したため、浜口雄幸が金兌換を解禁。  
しかし、それが世界恐慌をより深刻化させた。  
その後の犬養内角が金本位制を停止、金輸出を禁止した。  
以降、管理通貨..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[９経済復興]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 京大卒主婦]]></author>
			<category><![CDATA[京大卒主婦の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Jul 2010 11:18:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69229/" target="_blank"><img src="/docs/955815992104@hc10/69229/thmb.jpg?s=s&r=1279073911&t=n" border="0"></a><br /><br />・経済復興  
アメリカによる経済9原則の具体化。ドッジを派遣。  
９つの内容は  
予算均衡、税徴収強化、融資制限、資金安定、物価統制、外国為替管理強化、  
配給制度改善、鉱工業増強、食糧提出能率化。  
ドッジやシャウプにより推進される。  

・ドッジライン  
インフレを克服し、単一為替レートの設定でＩＭＦ体制に組み込み、日本の国際収支均衡をめざす。  
デフレ政策のため反発にあう。朝鮮戦争特需で機能しだす。

・傾斜生産方式  １９４６
敗戦後の危機を乗り切るための政策。吉田内閣。  

・エネルギー産業（石炭）
・鉄鋼業　　　　　　　　　　の二つに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[５戦後恐慌]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69225/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 京大卒主婦]]></author>
			<category><![CDATA[京大卒主婦の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Jul 2010 11:18:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69225/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69225/" target="_blank"><img src="/docs/955815992104@hc10/69225/thmb.jpg?s=s&r=1279073909&t=n" border="0"></a><br /><br />■戦後恐慌
1920　株価暴落をきっかけに戦後恐慌
大量の不良債権が発生
商社・銀行は決済不能な手形を抱え、経営危機
&darr;
政府による救済政策
不良経営の企業や銀行が生き延び、産業合理化が進まず
物価高による国際収支悪化

■震災恐慌
1923　関東大震災が経済に打撃　震災恐慌が発生

蔵相井上準之助（山本権兵衛内閣）
・支払猶予令（モラトリアム）
・震災手形の政府による再割引（＝震災手形割引損失補償令）＝
決済不能な手形を日銀が肩代わりし、その日銀の損失額を１億円まで政府が補償すること。

高金利、高賃金、高物価という三重苦。
利潤圧縮の状態　高コスト構造（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[1920経済史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 京大卒主婦]]></author>
			<category><![CDATA[京大卒主婦の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Jul 2010 11:18:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955815992104@hc10/69218/" target="_blank"><img src="/docs/955815992104@hc10/69218/thmb.jpg?s=s&r=1279073905&t=n" border="0"></a><br /><br />平成不況・・いつになったら終わるのかわからないが、よく宮沢喜一（前蔵相）と高橋是清が比較されていた。
では、高橋是清が登場する時代・・１９２０年代の不況とはどういうものだったのか。

１９１４年〜１８年
第１次世界大戦 この時期、戦火の拡大していく欧州に対し、日本経済は軍需産業を中心とした大規模な資本投資を図った。いわゆる大戦景気である。
１９０４年の日露戦争後、国際収支の急激な悪化で、危機的状況にあった経済にとってこの大戦は、大きなチャンスであったわけだ。
いわゆる「船成金」が現れることに象徴されるように、造船業など大きく飛躍した。
大戦中に、日本が対華２１か条要求を突きつけた理由の一つに、この拡大していく経済の資本投下先として、当時併合していた朝鮮に加え、満州（ひいては本土中国）への利権拡大があった。
そして、１９１９年には農業生産額を工業生産額が上回る、つまり「工業国」へと成長を遂げたのである。 
１９２１年
ワシントン体制 大戦期の軍需中心の過剰な資本投下は、大戦が終われば当然の如く無駄なものとなる。
一気に経済は冷え込み、「戦後不況｣へと突入する。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[図画工作科教育Ⅰ　１単位目]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958636470559@hc09/68494/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ｙｏｓｈｉｋａｔｓｕ]]></author>
			<category><![CDATA[ｙｏｓｈｉｋａｔｓｕの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Jun 2010 07:22:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958636470559@hc09/68494/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958636470559@hc09/68494/" target="_blank"><img src="/docs/958636470559@hc09/68494/thmb.jpg?s=s&r=1276294957&t=n" border="0"></a><br /><br />図画工作科教育Ⅰ
担当教授者　佐藤洋照
１単位目
1、テキスト内の「わが国の美術教育の変遷」について８００字程度に大意要約し、その感想としての私見を200字程度で述べよ。
　
　わが国において、美術教育が普通教育の中に取り入れられたのは、明治５年の学制頒布以後である。明治初期の図画教育は西欧の教科書を翻訳したもので、鉛筆によるコピーが主であったため鉛筆画時代と呼ばれる。明治１４年ごろからは国粋主義の風潮が強まり、毛筆画を臨模する方法がすすめられきた。この時期を毛筆画時代ともよんでいる。明治１９年には工作科の前身である手工科が普通教育に加えられる。明治３０年代に入ると、鉛筆画、毛筆画を考え直すべきという意見が強くなり、明治４１年には国定教科書「新定画帖」の編纂に着手し翌年完成し、図画科は必修となり普通教育の中に定着した。
　大正期のデモクラシーの時期に入ると、山本鼎により個性と創造を強調した自由画教育の提唱があった。その要点は模写を成績とせずに創造を成績とすることである。この主張は当時の図画教育の欠点をついたものであり、自由画教育に対する批判もあったが、わが国図画教育の趣旨が一般に理解さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学通信教育部　国際政治学R0714　科目最終試験解答例⑦]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956294359609@hc10/67653/]]></link>
			<author><![CDATA[ by まきまき先生]]></author>
			<category><![CDATA[まきまき先生の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 May 2010 10:20:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956294359609@hc10/67653/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956294359609@hc10/67653/" target="_blank"><img src="/docs/956294359609@hc10/67653/thmb.jpg?s=s&r=1274404843&t=n" border="0"></a><br /><br />国際政治学　科目最終試験の解答例　⑦
この資料は、佛教大学の通信教育部の科目最終試験の解答例です。
実際に出題された試験問題についてそれぞれの解答例を作成しました。
科目最終試験の試験問題は過去問から出題されることがほとんどです。
過去問題がランダムに繰り返し出題されていますので、過去問題をじっくり研究するのがとても効率がいいと思います。
これはあくまでも解答の一例です。
ご自身で勉強し、ご自分の言葉で解答を作成してから科目最終試験に臨むことをおすすめします。
膨大な資料を勉強する時間がない通信教育部の学生の方にとって、とても効率のいい勉強方法になると思います。
この他にも、教科教育法公民・社..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本企業の海外進出の変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67626/]]></link>
			<author><![CDATA[ by flybirdasuka]]></author>
			<category><![CDATA[flybirdasukaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 May 2010 23:58:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67626/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963296136689@hc08/67626/" target="_blank"><img src="/docs/963296136689@hc08/67626/thmb.jpg?s=s&r=1274367503&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後、日本企業はどのように海外進出をしていったのかを書きました。[96]<br />戦後日本企業の海外進出の変遷
　戦後、日本企業はどのように海外進出をしていったのか。今回、このレポートを作成するにあたり、進出の動機、海外での反日感情、経営の現地化問題、日本的経営の諸外国での受け入れなどといった面から論じていきたいと思う。特に経営の現地化問題に重点を置いて論じようと思う。
　日本企業の国際化は高度経済成長期から徐々に始まっていった。というのも、この時期に貿易・為替の自由化が行われ、欧米のメーカーに品質と価格の両面で追いつくための設備投資競争が展開されることになり、各社とも国際競争力の強化を図るようになったためである。
日本企業の国際化というと、家電や乗用車がまず頭に浮かぶが、その他の業種でも、いち早く国際化の先駆けとなった企業がある。ファスナーのYKKとベアリングのミネベアである。ソニーが家電メーカーとして最初に海外生産を始めたのが1972年であり、本田技研工業が業界初の乗用車の海外生産に踏み切ったのは10年後の82年であった。これに対してYKKは1959年にインドで、ミネベアは71年にアメリカで、いち早く海外生産を開始している。世界的視野で企業活動を行う「グローバリ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[水災害と対策「多自然型川づくりについて」レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67570/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 難関国立大卒、マスコミ勤務]]></author>
			<category><![CDATA[難関国立大卒、マスコミ勤務の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 May 2010 01:36:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67570/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67570/" target="_blank"><img src="/docs/957001582434@hc10/67570/thmb.jpg?s=s&r=1274286985&t=n" border="0"></a><br /><br />有名国立大生の学部レポート。[42]<br />【多自然型川づくりについて】
　日本の河川制度は、明治２９年に旧河川法が制定されて以来、幾たびかの改定を経て現在に至っている。
戦後焼け野原になった日本の各地で大洪水が次々と発生し、早急に水害に対し安全性を高める必要があった。また、国力の弱体化していた戦後の日本は、国土再建のために迅速かつ効率の良い工法で河川改修をする必要があったのである。昭和３９年に制定された新河川法は、国の水系一環管理制度の導入など、治水、利水の体系的な制度として整備が図られ、今日の河川行政の規範としての役割を担ってきた。即ち、用地面積が少なく速やかに洪水を海へ導くために河川を直線化することや、強度の強いコンクリートを使用..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学　書評]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66806/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 18:39:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66806/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/66806/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/66806/thmb.jpg?s=s&r=1273484343&t=n" border="0"></a><br /><br />『安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学』を読んで
第Ⅰ部第一章では、日本の戦後の犯罪統計を分析し、現時点の状況を正確に把握する試みをしている。今日、世間では「治安の悪化」や「犯罪の凶悪化」が叫ばれ、新聞やテレビなどのメディアが中心とな[358]<br />『安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学』を読んで
第Ⅰ部第一章では、日本の戦後の犯罪統計を分析し、現時点の状況を正確に把握する試みをしている。今日、世間では「治安の悪化」や「犯罪の凶悪化」が叫ばれ、新聞やテレビなどのメディアが中心となってそれを煽っているが、実状はどのようなものであるか。筆者は犯罪白書などの詳細な統計データに基づき、犯罪数の激増もその凶悪化もなく、むしろここ数年は戦後最高の安全水準が確保されているということを指摘した上で、そのような事実に反し世間の人々がなぜ「治安の悪化」という印象を強めているのか、つまり現実と「体感治安」のギャップの構造の解明を試みている。
筆者はまず、治安の定義について「国家や社会レベルの客観的安全と人々の心理的安心を保障するために、国内問題に対処するもの」とし、現実の治安に対する国民意識を把握するための視座を提供している。
そういった観点から犯罪データの分析にあたるが、そこでは前述のような客観的安全と心理的安心に影響が大きいような犯罪、つまり「犯罪者による危険」に注目している。以下では統計データの分析により明らかにされた事実について簡潔に述べ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[体育理論、現代生活における運動を考え体力の向上を目指す]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430236701@hc06/50708/]]></link>
			<author><![CDATA[ by db00093]]></author>
			<category><![CDATA[db00093の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Jun 2009 01:08:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430236701@hc06/50708/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430236701@hc06/50708/" target="_blank"><img src="/docs/983430236701@hc06/50708/thmb.jpg?s=s&r=1244131737&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに体力という言葉の定義についてであるが「人間のあらゆる活動の基礎となる能力 」「人間が生活力に満ちた生命を完了するための能力 」「健康を作る基盤」など、様々な定義がある。学者によっては身体能力に加え精神面も考慮する者や、体力と精神力を[356]<br />　はじめに体力という言葉の定義についてであるが「人間のあらゆる活動の基礎となる能力 」「人間が生活力に満ちた生命を完了するための能力 」「健康を作る基盤」など、様々な定義がある。学者によっては身体能力に加え精神面も考慮する者や、体力と精神力を分けて考える者などがおり、言葉の意味が必ずしも一定の内容を示しているわけではない。本課題を考える上で私は体力という言葉を精神力も含めた広義の意味で解釈するのが適当と考える。特に上述の「健康を作る基盤」を中心に考える。
　健康という言葉については世界保健機構の保険憲章に「健康とは、肉体的、精神的、および社会的に完全に良好な状態であって、単に疾病または病弱の存在しない、ということだけではない。 」と定義されている。学者の考えでは健康について「与えられるものではなく勝ち取るもの。 」「病気を取り取り除くことが唯一の健康への道ではない。 」などの様々な表現の方法があるが共通して言えることは病気の存在を否定することが健康ではなく、精神的な面も含めて人が生きていく上で必要な能力が全般的に良好な状態を指していることである。
現代生活における社会情勢、労働環境、自..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[レポート：黒澤映画『七人の侍』と六人の女性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 東大生KOHKI]]></author>
			<category><![CDATA[東大生KOHKIの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 16:20:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63615/" target="_blank"><img src="/docs/956912323808@hc10/63615/thmb.jpg?s=s&r=1265354446&t=n" border="0"></a><br /><br />日本映画に関する研究は，日本のみならず世界においても活発であり，数多くの優れた，内容として興味深い論文が発表されているにもかかわらず，外国語であるせいか敬遠され，また映画という特殊な分野であるためにその翻訳も十分に行われていない。そこで，こ[360]<br />黒澤映画『七人の侍』と六人の女性 
１．はじめに 
日本映画に関する研究は，日本のみならず世界においても活発であり，数多
くの優れた，内容として興味深い論文が発表されているにもかかわらず，外国
語であるせいか敬遠され，また映画という特殊な分野であるためにその翻訳も
十分に行われていない。そこで，ここではある優れた論文の抄訳（簡単な紹介）
を行おうと思う。 
黒澤明の『七人の侍』はよく知られている日本映画の一つである。「侍や百姓
たちは一面的ではなく、特に百姓たちは善悪や強弱を併せ持った存在として描
かれ、侍たちと百姓たちが相互にかかわりあい変化してゆく様がしっかりと描
かれている」（wikipedia ）という点での評価がしばしばなされ，「侍や百姓」に
焦点をあてた論文は非常に数多くある。しかし，実はこの映画では「脇役」と
見られがちな女性たちこそが物語の進行に大きく寄与している。だが，このこ
とに注目した論文はほぼ皆無に等しい。ここで取り上げる論文は，そういった
女性たちの役割に光を当てた傑作である。以下，筆者が行ったその抄訳を掲載
する。 
２．抄訳 
『七人の侍』は，最も分析され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育の研究　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by underMt1110]]></author>
			<category><![CDATA[underMt1110の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 28 Jan 2010 11:17:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62824/" target="_blank"><img src="/docs/959057041094@hc09/62824/thmb.jpg?s=s&r=1264645052&t=n" border="0"></a><br /><br />道徳教育は人間にとってなぜ必要なのか。
　近頃、バラバラ殺人やインターネットでのいじめなど今まででは考えられなかったような心の荒廃、教育の荒廃が指摘されて久しい。その原因の一つは、戦後における道徳教育の不在にある。道徳教育の不在は、青少年問題の深刻化だけでなく、社会全体のモラルの退廃をもたらし、今日の政治、経済、社会の混迷の根本的原因ともなっている。戦後の教育を荒廃させ、道徳教育の不在をもたらしたものは、一体何であったのか。
戦前の道徳教育は、修身科を中心に行われた。明治13年の改正された教育令では、それは最上位に位置づけられた。それ以後、修身科は学校教育における最重点教科としての役割を担って..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[蟻の兵隊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62516/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanilla-moka]]></author>
			<category><![CDATA[vanilla-mokaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 22:56:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62516/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62516/" target="_blank"><img src="/docs/961749897736@hc08/62516/thmb.jpg?s=s&r=1264341397&t=n" border="0"></a><br /><br />残留兵の存在を知って
この映画は元残留兵、奥村和一の過去と現在を提示する。彼が戦争に巻き込まれ人の命を奪ってしまったという過去。そしてその過去を見つめて亡くなった人を想い、自責の念にかられながら一瞬一瞬を一生懸命生きている現在。彼の人生がこのドキュメンタリー映画には凝縮されていると感じた。 　まず率直な感想は、戦争が終わったにもかかわらず一部の兵士が自分達の軍がひきいて中国との戦争に勝つために4年間も戦っていた事実を知って、正直驚いた。この残留兵士の話は少しだけ聞いたことがあるけれど、実際どのようなことをし、どのような運命を辿っていたのかは全く知らなかったので、かなり勉強になった。改めて自分の歴史認識の浅さを実感した。この映画は戦争の実態を知らない多くの若い世代の人間に、見てもらいたいなと思うような内容である。
この映画の主人公は、軍人恩給請求訴訟の原告のひとり奥村和一さん。奥村さんらが敗戦後も山西省に残留し国民党の一翼として中国共産軍と戦うことを余儀なくされた背景に何があったのか、さらに踏み込んで自身を「殺人者」に仕立てた戦争を改めて問い掛ける内容。靖国神社に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[土地利用計画（東京都市計画物語）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62435/]]></link>
			<author><![CDATA[ by binkanboy]]></author>
			<category><![CDATA[binkanboyの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 02:16:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62435/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62435/" target="_blank"><img src="/docs/983430219101@hc06/62435/thmb.jpg?s=s&r=1264267008&t=n" border="0"></a><br /><br />土地利用計画レポート
課題図書
　「都市開発を考える」大野　輝之・レイコ・ハベ・エバンス
「東京都市計画物語」越沢　明
　私は以前岩波新書の「都市計画　利権の構図を超えて」を読み、日本の都市計画について期待というものを抱くことができなかった。この本によると日本の都市計画を徹底的に叩いていた。この本を読み始めた当初は誰かが現状をおかしいと唱えて、それが回りに波及してゆけば、または日本の都市計画に疑問を持っている人が権力の座につけば、または都市計画にかかわる人が現状を打破しようと試みてゆけば、日本の都市計画も変わっていくのではないかと考えた。しかしこの本を読み終えると日本の都市計画の構造は決まっていて、個人やある程度の団体が動いてもどうしようもない状態になっていると私は感じてしまっていた。
　「東京都市計画物語」を読むとどうやらそこまで思い込むこともなかったようである。関東大震災後の復興事業や第２次世界大戦後の戦災復興計画の都市計画を見ると東京にもこのような良い計画があり、このような計画された東京を見たいと感じた。計画はきちんとありながらも、その通りに実行されなかったのには理由がもちろんあ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小さな子供の戦後の苦労]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429403301@hc06/60268/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みん]]></author>
			<category><![CDATA[みんの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 23:49:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429403301@hc06/60268/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429403301@hc06/60268/" target="_blank"><img src="/docs/983429403301@hc06/60268/thmb.jpg?s=s&r=1259592571&t=n" border="0"></a><br /><br />戦争体験の聞き書きです。

「戦争中よりもね、戦後のことの方が大変だったのよ。」と、現在六十七歳のＡ子さんは語る。[169]<br />小さな子供の戦後の苦労
　　　　　
「戦争中よりもね、戦後のことの方が大変だったのよ。」と、現在六十七歳のＡ子さんは語る。
「まただ&hellip;。今日もあのB29が飛んでいる&hellip;。」
わずか五歳のＡ子は空を見上げた。頭をかすめるのではないかと思うほど低く飛んでくるそれは、子供心ながらに大変怖いものであった。更に、焼夷弾が作る真っ赤な炎はひたすら恐ろしい存在だった。
B29が来れば、町会のおじさんが呼びかけに来る。そうしたら、防空壕へ逃げなければならない。じめじめしていて、暗く狭い息苦しい場所―Ａ子にとって防空壕とはそのようなところだった。そんな防空壕からやっと出られたと思ったら、気がつけば周りは一面焼け野原。Ａ子はその光景を前にして、恐ろしさを理解することは出来なかった。あまりにも幼すぎたのである。
戦争が終わり、町を見てみれば焼け野原に広がる無残な姿の家々ばかりで、良いことは何もなかった。そんな中、Ａ子は六歳となり小学校へ入学。彼女にとっての本当の苦労の始まりであった。
小学校は戦争の打撃を大きく受けていた。学校が燃えて無くなってしまった他校生を受け入れるため、授業はクラスが半分に分かれて午前と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[0903 現代教職論(旧教材)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962262897451@hc08/60055/]]></link>
			<author><![CDATA[ by report4you]]></author>
			<category><![CDATA[report4youの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 20:11:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962262897451@hc08/60055/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962262897451@hc08/60055/" target="_blank"><img src="/docs/962262897451@hc08/60055/thmb.jpg?s=s&r=1259493099&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後、教育が「義務」から　「権利」へと立場を変えると、教員の身分も変化を遂げた・・・[126]<br />戦後、教育が「義務」から　「権利」へと立場を変えると、教員の身分も変化を遂げた。
「民主的で文化的な国家」を目指す新たな日本社会を形成するためには健康な国民の育成は不可欠であり、学校は彼らの教育・育成を任されたからである。よって教員は資質・能力を高め、職務遂行を求められるようになった。
しかし、1970年代以降、教員の資質・能力の低下が問われるようになり、そのためにさまざまな施策が講じられることとなる。
まず、教員の養成に関して。
戦後、教育基本法などさまざまな法律が制定されるに伴い義務修学年限が9年になると、生徒の増加に対応するために教員の大量供給が必要となった。そのため教員養成制度が作られたが、これは教員数を確保するだけのものではなく、質を変えるものでもあった。
まず大学において、学問レベルを高めること、政治・経済などに縛られない自由な環境での教員養成を目指すこととした。「自由」を謳うアメリカの教育の基本理念の影響を受けたことが背景にあった。大学という高等教育レベルにおいて、一般教養に支えられた専門教育を受けながら教員を目指す形が確立されていった。「技術主義」「実用主義」とされた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[源義経の生涯]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229036775@hc09/59820/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gzvr89k_t]]></author>
			<category><![CDATA[gzvr89k_tの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 18:37:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229036775@hc09/59820/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960229036775@hc09/59820/" target="_blank"><img src="/docs/960229036775@hc09/59820/thmb.jpg?s=s&r=1259314676&t=n" border="0"></a><br /><br />源義経の生涯
１１５９年源義朝の９男として生まれました。幼少のころは、牛若丸という名前だった。 この年の１２月に平治の乱が起こる。
保元の乱により溝を深めた後白河上皇の近臣達の争いと、源氏・平氏両家の対立が結びつき勃発した争乱。平清盛 が熊野山詣のため京を留守にしている隙をついて、藤原信頼と源義朝が挙兵。後白河院と二条天皇を幽閉し、クーデターは成功したかに見えたが、義朝挙兵の話を聞きつけた清盛が急ぎ熊野から帰京し、後白河院と二条天皇を救出。更に清盛は義朝追討の院宣を受け、内裏を占拠する義朝軍に攻撃を仕掛け、源氏軍を追い出す。拠り所を失った義朝は平氏の本拠地である六波羅に攻め入るが、激しい合戦の末に惨敗。源氏の敗北後、信頼は仁和寺に逃げ込み助けを請うも許されず、六条河原にて斬首。義朝は敗走中に家人の手にかかり殺されてしまう。この平治の乱により源氏は衰退し、平氏全盛の時代が訪れるのであった。義朝の息子・頼朝は助命され伊豆へ配流、義経 は将来僧になる約束で鞍馬寺へと預けられる。
１１７４年鞍馬寺からにげ出し、奥州平泉の藤原秀衡のもとにいく。近江・鏡の宿で元服、名を「源九郎義経」とする。
その..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[米文学史（第2設題）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957527706166@hc09/59566/]]></link>
			<author><![CDATA[ by youching33]]></author>
			<category><![CDATA[youching33の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Nov 2009 16:39:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957527706166@hc09/59566/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957527706166@hc09/59566/" target="_blank"><img src="/docs/957527706166@hc09/59566/thmb.jpg?s=s&r=1259048348&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦争体験者による戦前の教育の象徴とされるものの思い出について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59435/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59435/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59435/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59435/thmb.jpg?s=s&r=1258940515&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　今回、この課題を作成するに当たり母方の祖父に話を聞いた。祖父は今年75歳。東京に一人暮らしである。祖父は二十歳過ぎに徴兵され満州に技術者として送られた。もともと祖父は、ラジオやテレビに関する物書きの仕事をしており、その知識と技[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[杉原荘介について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59431/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59431/thmb.jpg?s=s&r=1258940509&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　課題として出された杉原荘介について調べた結果を報告してみたいと思う。

第一節	杉原荘介の生涯について
　杉原荘介は１９１３（大正二）年十二月六日、東京都日本橋小舟町に出生する。幼い頃から考古学に関心があったらしく、武蔵[342]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中学校「総合的な学習の時間」学習指導案]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59398/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59398/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59398/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59398/thmb.jpg?s=s&r=1258940462&t=n" border="0"></a><br /><br />１．実施日　　2003年1月10日（金曜日）1,2,3,4校時
２．対　象　　教職演習中学校　3年B組　30名（男20名　女10名）
３．テーマ　　「品川の過去・現在・未来（都市部における地域探求）」[254]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史(第２設題)リポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/59316/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boatboy1984]]></author>
			<category><![CDATA[boatboy1984の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 12:40:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/59316/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/59316/" target="_blank"><img src="/docs/957810918627@hc09/59316/thmb.jpg?s=s&r=1258861234&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59030/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sgw5k]]></author>
			<category><![CDATA[sgw5kの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 22:54:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59030/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59030/" target="_blank"><img src="/docs/958446455597@hc09/59030/thmb.jpg?s=s&r=1258379657&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[警察予備隊の創設]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/58641/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 09:20:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/58641/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/58641/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/58641/thmb.jpg?s=s&r=1258158058&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後直後の在日朝鮮人に対する法整備の足跡]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 12:15:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/57936/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/57936/thmb.jpg?s=s&r=1257736518&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後直後の在日朝鮮人ないし台湾人にたいする法整備の足跡を、帝国議会議事録などを参照にまとめたものです。はじめの部分では、そもそも「在日朝鮮韓国人」「在日コリアン」とは何かという用語そのものについてもまとめています。[321]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学　第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/56970/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suizo]]></author>
			<category><![CDATA[suizoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 01 Nov 2009 19:19:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/56970/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/56970/" target="_blank"><img src="/docs/960260759905@hc09/56970/thmb.jpg?s=s&r=1257070744&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[満州事変から日中戦争]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/56813/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kibayashi]]></author>
			<category><![CDATA[kibayashiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 28 Oct 2009 19:07:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/56813/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/56813/" target="_blank"><img src="/docs/983431157801@hc06/56813/thmb.jpg?s=s&r=1256724471&t=n" border="0"></a><br /><br />「満州事変から日中戦争へ」という本をまとめたものである。柳条湖事件から日中戦争までに至るまでを詳細に記してある。[168]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『昭和天皇』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56389/]]></link>
			<author><![CDATA[ by よもぎだ]]></author>
			<category><![CDATA[よもぎだの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 17 Oct 2009 20:04:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56389/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56389/" target="_blank"><img src="/docs/960826561932@hc08/56389/thmb.jpg?s=s&r=1255777498&t=n" border="0"></a><br /><br />『昭和天皇』を読んで
　1986年11月23日、昭和天皇は、宮中祭祀の一つ、新嘗祭に出席した。御年85歳の昭和天皇にとって、この祭祀に出席することは体力的にも非常に困難を要するものである。それにもかかわらず、天皇は宮中祭祀にこだわり続けた[336]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本における社会福祉の改革過程について述べなさい.]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960842917753@hc08/56021/]]></link>
			<author><![CDATA[ by okyon_21]]></author>
			<category><![CDATA[okyon_21の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 06 Oct 2009 21:23:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960842917753@hc08/56021/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960842917753@hc08/56021/" target="_blank"><img src="/docs/960842917753@hc08/56021/thmb.jpg?s=s&r=1254831789&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本における社会福祉の改革過程について述べなさい。
敗戦は多くの戦災者・海外引揚者・失業者を生み、生活困窮者が増加した。戦後、福祉の緊急課題はこのような生活困窮者の最低生活を保障することであった。
我国の福祉改革は、ＧＨＱの占領政策[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[EVA EVAに対する関心の高まり]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957980305228@hc09/55932/]]></link>
			<author><![CDATA[ by reik]]></author>
			<category><![CDATA[reikの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Oct 2009 07:17:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957980305228@hc09/55932/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957980305228@hc09/55932/" target="_blank"><img src="/docs/957980305228@hc09/55932/thmb.jpg?s=s&r=1254521833&t=n" border="0"></a><br /><br />１．経営指標の変遷とＥＶＡ
ＥＶＡとはEconomic Value Added（経済付加価値）の略であり、スター
ン スチュワート社が考案した指標である。「企業価値創造」や「株主価値創
造」といった言葉が企業の活動目的として掲げられる昨今の[312]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kibayashi]]></author>
			<category><![CDATA[kibayashiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jul 2009 20:19:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431157801@hc06/52818/" target="_blank"><img src="/docs/983431157801@hc06/52818/thmb.jpg?s=s&r=1248175195&t=n" border="0"></a><br /><br />「アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
■調査の動機
今回このテーマを取り上げようと思ったのは「沖縄占領」や「沖縄返還」といった言葉をきいても、知っていること[352]<br />「アメリカ占領下における沖縄の経済と労働問題」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
■調査の動機
今回このテーマを取り上げようと思ったのは「沖縄占領」や「沖縄返還」といった言葉をきいても、知っていることといえばサンフランシスコ講和条約によって占領されたことや佐藤内閣が沖縄返還の手続きをすすめたことくらいで、実際その間の沖縄について知っていることはほとんどないのではないか、と思ったためである。また「経済と労働」が社会において重要な位置を占めるものであると考えたからである。 
■沖縄の貨幣制度
1946年にB円(正式名称:B型軍票)が沖縄の公式通貨となった。1950年からは日本円3円＝1B円に設定され、B円廃止までこのレートが使用された。(レートの変移は参考*1)
当時日本円360円＝1ドルだったのに対し、B円は120B円＝1ドルの計算になり、B円は日本円に対し割高である。これはアメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払うために有利な条件にするためといわれる。 一方、沖縄側からすると日本本土からの安価な資材調達になったが本土系企業の進出が遅れる原因..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[精神保健　第１課題第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959599024293@hc09/55011/]]></link>
			<author><![CDATA[ by marie0119]]></author>
			<category><![CDATA[marie0119の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Sep 2009 13:47:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959599024293@hc09/55011/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959599024293@hc09/55011/" target="_blank"><img src="/docs/959599024293@hc09/55011/thmb.jpg?s=s&r=1252212465&t=n" border="0"></a><br /><br />第１課題第１設題
　親の養育態度が子どもの人格形成に及ぼす影響は大きく、子どもの人格形成にとりわけ重要な意味を持つ。子どもと親との相互作用から成る対人関係が、子どもの性格形成や社会的適応を生み出すのである。よって、親が子どもを甘やかし過ぎ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[同和教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958407496212@hc09/54549/]]></link>
			<author><![CDATA[ by miracle7]]></author>
			<category><![CDATA[miracle7の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 28 Aug 2009 18:44:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958407496212@hc09/54549/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958407496212@hc09/54549/" target="_blank"><img src="/docs/958407496212@hc09/54549/thmb.jpg?s=s&r=1251452696&t=n" border="0"></a><br /><br />50年に及ぶ戦後の同和教育史を総括し、同和（人権）教育の意義と学校における同和（人権）教育のあり方を具体的に論述すること。
　日本国憲法では、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的[352]<br />　50年に及ぶ戦後の同和教育史を総括し、同和（人権）教育の意義と学校における同和（人権）教育のあり方を具体的に論述すること。
　日本国憲法では、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」（第14条）と法の下の平等をうたっている。しかし、同和地区（被差別部落）出身であるというだけで、不当に差別され、社会的な不利益を受けている人々がいる。この問題の解決は、国の責務であり、同時に、国民的課題である。私も小学校、中学校を通じて同和教育を学校でうけてきた。しかし「自分には関係がないことだ」、「同和地区のことなんかもともと知らなかったのだからわざわざ学習する必要などなかったのではないか」と思っていた。それなのになぜ「同和（人権）教育」が必要とされているのか。この疑問を解決するには、まず同和教育の歴史を紐解き、次に同和教育の意義を考えていく必要があると考える。
戦後の同和教育の出発は、同和地区児童・生徒の「長欠・不就学の解消」からである。京都市でのオールロマンス事件後、部落解放委員会京都府連合会は「長欠・不就..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代日本経済史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080701@hc06/52907/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e103235]]></author>
			<category><![CDATA[e103235の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 19:32:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080701@hc06/52907/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080701@hc06/52907/" target="_blank"><img src="/docs/983431080701@hc06/52907/thmb.jpg?s=s&r=1248345142&t=n" border="0"></a><br /><br />現代日本経済史（火曜）
経済学部　３年　Ｅ１０３２３５　中澤亮介
⑦石油危機について（原因や経過、影響、体験談）。
　私は、この石油危機について述べていきたいと思う。なぜ、この課題を選んだかということから述べていこう。それは、第一に私の祖父[354]<br />現代日本経済史（火曜）
経済学部　３年　Ｅ１０３２３５　中澤亮介
⑦石油危機について（原因や経過、影響、体験談）。
　私は、この石油危機について述べていきたいと思う。なぜ、この課題を選んだかということから述べていこう。それは、第一に私の祖父が石油を原料にしてアンモニアを製造し、さらに肥料や諸種の化学品を製造する工場の責任者であったからだ。
祖父の話を聞くと、原油の価格はそれまで30年間1バレル2ドル以下で安定しており、日本で製造する化学肥料は、中国・韓国・台湾・インドネシア・インド・ブラジル等へ輸出されて、外貨獲得額トップの地位にあったという。
ところが、原油の採掘権が、セブンシスターズと呼ばれる欧米の7大石油会社の手から産油諸国の手に移ってから、OPEC（石油輸出国機構）が価格を決定するようになり、原油の価格が二段跳びして30ドルを超えましたのだ。国産原油を持つ国は何とか対応できますが、原油の殆んど輸入に頼るわが国でのアンモニア工業は一挙に国際競争力を失い、厳しい縮小合理化を強いられた挙句、壊滅状態に陥ったのである。
というように、私の身近にいる祖父がこの石油と関係していた一人なので..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代日本における家族問題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53381/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53381/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53381/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53381/thmb.jpg?s=s&r=1249141374&t=n" border="0"></a><br /><br />現代日本における家族問題について
現代日本においては、他先進諸国と同様に、核家族、性別分業などが中心概念である「近代家族像」が崩壊して行く過程で様々な新しい家族現象が生じてきている。具体的には、正式な届出をしない事実婚の増加、子を産まずに共[358]<br />現代日本における家族問題について
現代日本においては、他先進諸国と同様に、核家族、性別分業などが中心概念である「近代家族像」が崩壊して行く過程で様々な新しい家族現象が生じてきている。具体的には、正式な届出をしない事実婚の増加、子を産まずに共働きする夫婦の増加、同性愛者の増加・公然化などが挙げられる。一昔前には到底見られなかったような、多種多様な家族形態が出現してきているのだ。
このような劇的な家族変動の時代に、日本では同時に多様な家族問題が顕在化してきた。それは、家庭内暴力、育児放棄、虐待、親殺し、老人扶養問題、自殺などに代表される、現代の「病理」とも呼ばれる現象である。
こうした問題の原因は..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛大レポートP6302,第２設問、ロストジェネレーション]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49379/]]></link>
			<author><![CDATA[ by choco25]]></author>
			<category><![CDATA[choco25の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 May 2009 23:47:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49379/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/49379/" target="_blank"><img src="/docs/959461217523@hc09/49379/thmb.jpg?s=s&r=1243003633&t=n" border="0"></a><br /><br />『ロスト・ジェネレーションの作家について具体的に作品をとりあげて述べよ』
　&rArr;「ロスト・ジェネレーション」という語は、第1次世界大戦後の1920年代に、パリに滞在していたアーネスト・ヘミングウエイに対して、ガードルート・スタインが投げかけた[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後の社会福祉の展開と今日の課題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431486201@hc05/52362/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 川野さかな]]></author>
			<category><![CDATA[川野さかなの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Jul 2009 23:25:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431486201@hc05/52362/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431486201@hc05/52362/" target="_blank"><img src="/docs/983431486201@hc05/52362/thmb.jpg?s=s&r=1247235918&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後の社会福祉の展開と今日の課題について
　1945(昭和20)年8月15日、敗北国という形で終戦を迎えた日本は、国民総スラム化といわれる生活が展開された。そんな中、翌年2月に「社会救済に関する覚書」を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)[322]<br />　　　戦後の社会福祉の展開と今日の課題について
　1945(昭和20)年8月15日、敗北国という形で終戦を迎えた日本は、国民総スラム化といわれる生活が展開された。そんな中、翌年2月に「社会救済に関する覚書」を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発表し、日本政府に基本原則を確認した。これは、無差別平等、国家責任による生活保障、救済費非制限、公私分離の4原則を指導原理に再構成され、1946年に「(旧)生活保護法」が、1947年には戦災孤児、浮浪児等の対策として憲法25に基づいて「児童福祉法」が、1949年には負傷した旧軍人や戦災障害者を援助するために「身体障害者福祉法」が制定され、福祉3法と呼ばれた。
　旧生活保護法は、GHQ4原則を具体化し、労働能力の有無を問わず困窮していれば保護するとする一般扶助主義をとり、保護費の国庫負担率8割とした点では画期的なものであった。しかし、欠格事項や保護請求権の不明確立、争訟権の否定など問題を抱えているのである。
　1950年、「生活保護法」は全面改正され、以上のような部分は克服されたが、保護基準は極めて低く、被保護者の資産や能力の活用を求める補足性の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[化粧の歴史　レジュメ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958830635985@hc09/51632/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ramu-]]></author>
			<category><![CDATA[ramu-の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Jun 2009 21:29:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958830635985@hc09/51632/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958830635985@hc09/51632/" target="_blank"><img src="/docs/958830635985@hc09/51632/thmb.jpg?s=s&r=1246019399&t=n" border="0"></a><br /><br />」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　化粧の日仏比較
化粧とは？
　原始のころ&hellip;呪術、異性への魅了、敵への威嚇《赤色》
西洋化粧文化の出発点
・　エジプトの初期王朝時代（BC.3100～BC.29[326]<br />」　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　化粧の日仏比較
化粧とは？
　原始のころ&hellip;呪術、異性への魅了、敵への威嚇《赤色》
西洋化粧文化の出発点
・　エジプトの初期王朝時代（BC.3100～BC.2907）
目のまわり・眉を黒くする　　　　香油　　　プトレマイオス朝　クレオパトラが有名（図１）
・ギリシャ・ローマ時代（エジプトから伝わる）　　　　　　　　　　　　
入浴が盛ん　　パック　　付けぼくろ　　白さが美しさ
・中世（教会が化粧を禁止）
化粧は悪魔的なもの
・ルネッサンス
イタリア・スペインを中心に香水　　付けぼくろ（パッチ）黄金色に輝く髪（図２）
・１６～１７世紀
男性も化粧　　派手になる（図３）
・１８世紀
香水のにおい強　　青色で血管をひく
１９世紀～２０世紀
第一次世界大戦後は小麦肌　　　　１９３０年ごろには小麦肌を嫌う傾向&rarr;現在へ
　　図１　　　　　　　図２　　　　　　　　　　図３　　　　　　　図４　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
日本、フランスの化粧の歴史
【日本】（図４）
古代末～中世　お歯黒　　眉化粧（眉毛を抜き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「2015年の高齢者介護」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962352782196@hc08/47816/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jojonene]]></author>
			<category><![CDATA[jojoneneの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 13:12:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962352782196@hc08/47816/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962352782196@hc08/47816/" target="_blank"><img src="/docs/962352782196@hc08/47816/thmb.jpg?s=s&r=1241755948&t=n" border="0"></a><br /><br />『2015年の高齢者介護』の報告書における「2015年」とは、「戦後ベビーブーム世代」、いわゆる「団塊の世代」が65歳以上になりきる年のことである。この世代は、8割が雇用者（サラリーマン）、年金は厚生年金受給者が中心、第二次世界大戦後の日本[338]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[＜民主＞と＜愛国＞　５章]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 22:21:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51218/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51218/thmb.jpg?s=s&r=1245072093&t=n" border="0"></a><br /><br />『＜民主＞と＜愛国＞』（小熊　英二　著）
第５章　　　　左翼の「民族」、保守の「個人」
戦後多くの知識人は戦時中に起こした自らの倫理的問題に関し「悔恨」の念を抱かせていた。戦時期に彼らの多くは「他者を見捨てて生き残った」（p１８１）とい[350]<br />『＜民主＞と＜愛国＞』（小熊　英二　著）
第５章　　　　左翼の「民族」、保守の「個人」
戦後多くの知識人は戦時中に起こした自らの倫理的問題に関し「悔恨」の念を抱かせていた。戦時期に彼らの多くは「他者を見捨てて生き残った」（p１８１）という強い自己嫌悪と後悔の思いで終戦直後はいっぱいだった。しかしながらそれに対し徳田球一ら「獄中非転向」を成し遂げた共産党員は英雄になり、圧倒的な貧富の格差や共産党が唯一戦争に反対した政党であることなどによって共産党の権威というのは神格化されていった。自らの過ちに委縮する知識人らにとって共産党幹部の「人間性」への敬意と信頼は強力なものになり、共産党の権威を大いに高めたのであった。その結果共産党の「ほんとうの愛国主義（植民地独立運動やフランス革命などに見られるように、自民族の自由のために戦うという決意であり、他民族の平等の権利を尊重すること）」（p188）というのは広く国民の間に受け入れられていった。しかし、１０年以上を獄中過ごした共産党幹部らは現実認識を欠きがちであり、しばしば彼らは独善的な指導を行っていたため社会の反発を招くことになる。
ところが敗戦直後か..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[＜民主＞と＜愛国＞　１４章　まとめ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51217/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 22:21:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51217/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51217/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51217/thmb.jpg?s=s&r=1245072092&t=n" border="0"></a><br /><br />『＜民主＞と＜愛国＞』　第１４章
「公」の解体
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
この第１４章、「公」の解体では吉本隆明を中心として取り上げ、戦後知識人の革新ナショナリズムと、彼の個人的戦争経験がもたらした思想の二点について検証[348]<br />『＜民主＞と＜愛国＞』　第１４章
「公」の解体
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
この第１４章、「公」の解体では吉本隆明を中心として取り上げ、戦後知識人の革新ナショナリズムと、彼の個人的戦争経験がもたらした思想の二点について検証されている。
吉本は「戦中派」の知識人であり、敗戦時に１０台後半から２０代前半の思春期を過ごした世代である。彼らは丸山ら「戦前派」とは異なり、戦争状態や皇国という概念自体を当たり前のものとして成長しており、思想や経験に偏りがある。「戦中派」は戦争こそが正常であり、平和の方が異常だという考えをしばしば述べた。彼らは「戦死」に憧憬を抱き、降伏を決定した為政者への憎悪を有して権威や国家への反感、懐疑、反発が根底に存在している。またそういった権威的な象徴とみなされた進歩的知識人への反発もあった。だが、「戦前派」からすると、「戦中派」は極めて無教養に映り、敗戦直後には「空白の時代」とも揶揄していたほどであった。「戦中派」の最大のよりどころは、戦争にネガティブであったにもかかわらず声を上げてこなかった年長者らの責任追及し、彼らを「卑怯」であると攻撃をすることであった。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[1ベネディクト・アンダーソン　グローバリゼーションを語る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51206/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 21:57:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51206/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51206/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51206/thmb.jpg?s=s&r=1245070623&t=n" border="0"></a><br /><br />『ベネディクト・アンダーソン　グローバリゼーションを語る』（梅森直之）
＜全体のまとめ＞グローバリゼーション、ナショナリズム、日本人とは
ベネディクト・アンダーソン、彼の名前とその有名な著書『創造の共同体』については名称だけは知っていた[352]<br />『ベネディクト・アンダーソン　グローバリゼーションを語る』（梅森直之）
＜全体のまとめ＞グローバリゼーション、ナショナリズム、日本人とは
ベネディクト・アンダーソン、彼の名前とその有名な著書『創造の共同体』については名称だけは知っていた。実際に著作を読んだことはなかったので今回が初めて彼に関する文章を読むことになるのだが、日本語訳のせいか、非常に読みやすかった。少なくとも授業のテキストよりかは自然に入ってきたと思う。『＜民主＞と＜愛国＞』は確かに０２年に初版が出版されたが内容的に戦後のこと、そして文書のレベルも高度なので理解するにはかなりの努力を必要とするが、この新書はさわり心地がよかった。文章の書かれている時代が現代に力点をおいているせいもあろう。文章はその語っている時代に多かれ少なかれ影響を受ける。現代に住む私が、戦後のことを綴った文章よりも現代のことを扱っている文章のほうが親しみやすいのは自然であろう。
彼の文章を読んでいくつか注目したところがある。まず一つ目は、18頁後半にある本は「一度出版した途端にあなたのものではなくなる」というところに気付かされた。今までは著者は自らの執筆..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[証券市場論　レポ1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429490001@hc06/34954/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bardot]]></author>
			<category><![CDATA[bardotの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Jan 2009 23:37:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429490001@hc06/34954/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429490001@hc06/34954/" target="_blank"><img src="/docs/983429490001@hc06/34954/thmb.jpg?s=s&r=1232807822&t=n" border="0"></a><br /><br />証券は法学上、有価証券と証拠証券とに区分されている。一般的には財産権を表象し、それに記載された権利の行使や移転（譲渡）が、その証券によって行われるのが有価証券とされる。これに対して一定の事実を証明するものが証拠証券である。例えば、預金証書、[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛大レポートP6302米文学史 -ロストジェネレーションの作家について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/45504/]]></link>
			<author><![CDATA[ by choco25]]></author>
			<category><![CDATA[choco25の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 23:35:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/45504/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959461217523@hc09/45504/" target="_blank"><img src="/docs/959461217523@hc09/45504/thmb.jpg?s=s&r=1240410929&t=n" border="0"></a><br /><br />『ロスト・ジェネレーションの作家について具体的に作品をとりあげて述べよ』
　&rArr;「ロスト・ジェネレーション」という語は、第1次世界大戦後の1920年代に、パリに滞在していたアーネスト・ヘミングウエイに対して、ガードルート・スタインが投げかけた[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47786/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:18:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47786/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47786/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47786/thmb.jpg?s=s&r=1241752687&t=n" border="0"></a><br /><br />大ロンドン計画の概要と日本の都市計画に及ぼした影響を簡潔にまとめ、自分の住む都道府県または市町村区の都市問題とその要因、それらに対する対策を、地図や図、表・写真を２枚以上用いて論述せよ。
大ロンドン計画の概要
　イギリスでは18世紀後半[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本社会システム論【経済学】（４０００字用）レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46411/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boukensya]]></author>
			<category><![CDATA[boukensyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Apr 2009 10:24:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46411/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46411/" target="_blank"><img src="/docs/959855799895@hc09/46411/thmb.jpg?s=s&r=1240881881&t=n" border="0"></a><br /><br />（設題）
　「経済成長」とは何だろうか。経済はなぜ成長するのだろうか。日本経済はかつて「高度経済成長」を誇っていましたが、今ではほとんど成長していません。どうしてそうなってしまったのでしょうか。その理由を考えてみましょう。
（解答）
[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本商業の歴史的展開と現在の問題点]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45522/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 23 Apr 2009 12:35:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45522/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45522/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/45522/thmb.jpg?s=s&r=1240457709&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後日本商業の歴史的展開と現在の問題点
戦後の日本商業を担ってきたのは、小規模な小売商店であったが、戦後の高度経済成長時代に現れた流通革命で、画一的商品・低価格・大量販売・セルフサービスといった特徴を持ったスーパーマーケットが台頭するよう[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後、政府が策定した国土計画の歴史的展開と問題点]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45521/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 23 Apr 2009 12:35:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45521/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/45521/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/45521/thmb.jpg?s=s&r=1240457709&t=n" border="0"></a><br /><br />ｄｓ戦後、政府が策定した国土計画の歴史的展開と問題点
戦後の復興のために、1950年国土総合開発法が制定され、今日まで5次にわたる全国総合開発計画が実行されてきた。一全総は、1962年にスタート。1960年池田内閣が発足し、所得倍増計画が[330]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[憲法９条をめぐるこれまでの軌跡とこれからの展望]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/37524/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boukensya]]></author>
			<category><![CDATA[boukensyaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 01 Mar 2009 00:39:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/37524/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/37524/" target="_blank"><img src="/docs/959855799895@hc09/37524/thmb.jpg?s=s&r=1235835574&t=n" border="0"></a><br /><br />（設題）
　憲法９条をめぐるこれまでの軌跡とこれからの展望
（解答）
　日本国憲法は、その前文において、わが国のとる平和主義の在り方を次のように規定している。まず、第１段では、日本国政府は二度と戦争を起こさせないことを国民の名において[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係と日本外交政策の進行]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35706/thmb.jpg?s=s&r=1233297705&t=n" border="0"></a><br /><br />国際関係と日本の政冶外交
政冶外交における「戦後」
冷戦時期米ソ2つ超大国同士間が政冶の役割かなり占められたが、多極化が誕生後軍事力依然として米ソ核大国に占められた。
米国が少々下降気味、ソ連は崩壊後少々増大傾向になった。
冷戦期と言う戦後[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際文化振興委員会]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35708/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35708/thmb.jpg?s=s&r=1233297706&t=n" border="0"></a><br /><br />私は国際文化振興会の創設のあらすじと誕生の話である。さらに、国際文化振興会の対外事業や今までの文化交流活動について、述べていた。草創時期から戦後の発展時期までの様々な様態で文化活動をし続けていることについて考察している。
　まず、国際文化交[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ブレトンウッズ体制崩壊以降の国際金融システムの変遷について述べ、変動相場制における問題点について説明せよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960109244718@hc09/35342/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Viva La Vida]]></author>
			<category><![CDATA[Viva La Vidaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 29 Jan 2009 21:46:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960109244718@hc09/35342/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960109244718@hc09/35342/" target="_blank"><img src="/docs/960109244718@hc09/35342/thmb.jpg?s=s&r=1233233162&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次大戦後の世界経済は市場経済圏の先進諸国を中心に急激な成長をとげてきた。これは両大戦間期、こと1930年代に世界経済が最も不安定だった時期とは対照的である。
　第一次大戦の敗戦国であるドイツに課された支払い能力を無視した巨額な戦後賠償[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[書評『重光葵と戦後政治』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34609/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Jan 2009 22:32:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34609/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/34609/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/34609/thmb.jpg?s=s&r=1232631130&t=n" border="0"></a><br /><br />書評『重光葵と戦後政治』

＜著書のテーマ＞
　重光葵の戦前・戦後の政治活動を追跡することで、重光の全体像を析出する。
＜分析視点＞
著書の目的を達成するための具体的課題を2点挙げている。
(１) 重光の対外政策の展開過程を｢自主独立｣外交[340]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本経済史－分冊２ 合格リポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960411429835@hc08/32869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vodka]]></author>
			<category><![CDATA[vodkaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 25 Dec 2008 22:28:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960411429835@hc08/32869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960411429835@hc08/32869/" target="_blank"><img src="/docs/960411429835@hc08/32869/thmb.jpg?s=s&r=1230211703&t=n" border="0"></a><br /><br />戦前から戦時期までに形成された日本経済は、戦争によって形成された経済であった。その連続的側面と非連続的側面について、ここでは以下のように定義づける。
　連続的側面・・・戦前から戦時期にかけて連続した経済政策。
　非連続的側面・・・戦前か[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[前田先生講演]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961390994209@hc08/23296/]]></link>
			<author><![CDATA[ by otosshy]]></author>
			<category><![CDATA[otosshyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Sep 2008 13:05:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961390994209@hc08/23296/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961390994209@hc08/23296/" target="_blank"><img src="/docs/961390994209@hc08/23296/thmb.jpg?s=s&r=1220414749&t=n" border="0"></a><br /><br />.........
....... ........
.............. 
講師：首都大学東京都市教養学部長
前田雅英 氏
会場：中京大学アネックスホール
日時：..年..月..日 (金) 午後２時～
｢新しい時代の法曹と刑法解釈[244]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[我が国における少年非行の特徴とその対策について述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/23039/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maromaro18]]></author>
			<category><![CDATA[maromaro18の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Aug 2008 11:11:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/23039/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/23039/" target="_blank"><img src="/docs/983428506301@hc07/23039/thmb.jpg?s=s&r=1219543908&t=n" border="0"></a><br /><br />「我が国における少年非行の特徴とその対策について述べよ。」
少年非行は、いつの時代も存在し社会問題視されている。非行は病気ではなく、心に問題を抱えていて、それを素直に表せない心の病であり、３種類の方向に表れる。まずは身体的なもので、心身症や[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教科　社会　第1分冊　学習指導要領の変遷]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961909300348@hc08/22701/]]></link>
			<author><![CDATA[ by monch]]></author>
			<category><![CDATA[monchの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Jul 2008 23:21:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961909300348@hc08/22701/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961909300348@hc08/22701/" target="_blank"><img src="/docs/961909300348@hc08/22701/thmb.jpg?s=s&r=1217427716&t=n" border="0"></a><br /><br />昭和20年8月敗戦した日本は新しい幕開けとなった。それは教育面でも同じであった。その中新設された社会科はどう成立、変遷したのだろうか。社会科の変遷は学習指導要領の変遷から読み取ることができる。そこで社会科の成立と変遷を指導要領改訂をもとに考[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[政治学　超国家主義の論理と心理]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20425/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Mar 2008 23:28:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20425/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/20425/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/20425/thmb.jpg?s=s&r=1205591335&t=n" border="0"></a><br /><br />政治学
「超国家主義の論理と心理」論評
１
まず、丸山真男は戦前の日本の官庁機構・官僚制をどのようにみているのだろうか。丸山はこの論文においてその特質を「セクショナリズム」という言葉でくくり、また「独善意識」の形成についてもふれている[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[職場における精神保健活動の実際について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/19353/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maromaro18]]></author>
			<category><![CDATA[maromaro18の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Feb 2008 16:59:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/19353/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428506301@hc07/19353/" target="_blank"><img src="/docs/983428506301@hc07/19353/thmb.jpg?s=s&r=1202975965&t=n" border="0"></a><br /><br />「職場における精神保健活動の実際について」
今の日本は、バブル崩壊後、景気低迷が続き、金融不況や会社の倒産、それにともなう失業者増加、そして働き盛りの中高年の自殺増加などが起こってしまい、大きな社会不安になっている。また、今は団塊世代が退職[358]<br />「職場における精神保健活動の実際について」
今の日本は、バブル崩壊後、景気低迷が続き、金融不況や会社の倒産、それにともなう失業者増加、そして働き盛りの中高年の自殺増加などが起こってしまい、大きな社会不安になっている。また、今は団塊世代が退職し、働き手が失われていく状態や、若者の職や将来に対する不安や不満からで定職におさまらずにニート等になる傾向も問題とされている。
職場では、経費節約や生産向上のもとに合理化を強いられ、ＩＴ技術発展により新しいシステムが次々導入され、こうしたシステムについていく事ができない年配者などには大きなストレスとなっていたり、労働時間の増加などにより急死する事もあるのだ。
さらに従来の終身雇用制と年功序列が崩壊し、今は働く能力に応じて給料支払いが変化する業績主義や能力主義になり、競争社会へと変化してきた。こうした急激な変化は、終身雇用制と年功序列制を前提として、生活設計をしてきた中高年世代には、一段と高いストレス状態になってしまう。そうした一方で、職場で働く若い世代にも常に業績を求められる追い込みがかかり、仕事を続ける事ができずに退職したり休職したりする事も多いの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[刑法総論　「新旧過失論」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/18906/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぶーにゃん]]></author>
			<category><![CDATA[ぶーにゃんの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Jan 2008 16:44:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/18906/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432374901@hc05/18906/" target="_blank"><img src="/docs/983432374901@hc05/18906/thmb.jpg?s=s&r=1201679096&t=n" border="0"></a><br /><br />刑法総論 
新旧過失論 
過失とは、不注意による犯罪事実の不認識をいう。これには違法性があり、責任がある
として犯罪が成立するととなる。刑法 38 条 1 項により、過失犯は「法律に定めのある場合」
に限り処罰される。過失犯の内容には、注意[334]<br />刑法総論 
新旧過失論 
過失とは、不注意による犯罪事実の不認識をいう。これには違法性があり、責任がある
として犯罪が成立するととなる。刑法 38 条 1 項により、過失犯は「法律に定めのある場合」
に限り処罰される。過失犯の内容には、注意義務違反であるとされるが、その内容につい
ては新旧２つの理論がある。 
旧過失論とは、第二次世界大戦後、結果無価値論の立場から主張された過失概念で、過
失は行為者の内部的側面（責任）に属すると携える。従って、故意犯と過失犯は構成要件
や違法性の段階では区別ができないものと考える（伝統的な旧過失論）。また、旧過失論で
は、過失行為は実質的に許されない危険行為として把握し、過失を予見可能性として把握
する。旧過失論では、違法性判断は、客観的に実質的で許されない危険と把握し、責任判
断の段階で初めて、故意を犯罪事実の認識と把握するのに対応して過失を予見可能性（非
難可能性）として勘案することとなる。たとえば、殺人罪と過失致死罪を比較すると、両
罪ともに、保護法益は人の生命であり、客観的に判断した場合には同一結果をもたらし、
違法性は同一と判断される。しかし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本外交史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/18110/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanquish]]></author>
			<category><![CDATA[vanquishの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Jan 2008 08:19:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/18110/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428561701@hc07/18110/" target="_blank"><img src="/docs/983428561701@hc07/18110/thmb.jpg?s=s&r=1200525560&t=n" border="0"></a><br /><br />内容紹介
この「戦後日本外交史」は10年刻みの章立ての構成になっている。第一章は敗戦からの５年。第二章が50年代。そして60年代、70年代&hellip;と続いていく。第１章の始まりがユニークで、第二次世界大戦中にワシントンで準備された対日占領政策の形成[342]<br />内容紹介
この「戦後日本外交史」は10年刻みの章立ての構成になっている。第一章は敗戦からの５年。第二章が50年代。そして60年代、70年代&hellip;と続いていく。第１章の始まりがユニークで、第二次世界大戦中にワシントンで準備された対日占領政策の形成から始まっている。第２章は特に吉田首相の講和条約と安保条約の締結を中心に書かれている。その後は岸信介の改憲再軍備と安保改定の激動の時代を描く。第３章は池田勇人の「国民所得倍増計画」と佐藤栄作の沖縄返還を中心に書かれている。４章はベトナム戦争、ニクソン・ショック、石油ショックという事件を経て、日本が外交政策の転換が求められた時代を書いている。第５章は国際国家としての使命を模索する日本を描く。大平正芳は西側の一員であるアイデンティティを明らかにし、中曽根康弘はG7サミットで世界をリードする。第６章は90年代の主な国際関係を中心に書かれている。すなわち、湾岸戦争、9.11テロ、そして自衛隊のイラク派遣である。日本はこのような危機をどのように乗り越えていくか。そして終章のこれからの日本に続く。
私は特に興味を持った、マッカーサーの日本統治、池田勇人の国民所得..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済学の考え方]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432148501@hc05/17836/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kejiro]]></author>
			<category><![CDATA[kejiroの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 13 Jan 2008 16:30:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432148501@hc05/17836/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432148501@hc05/17836/" target="_blank"><img src="/docs/983432148501@hc05/17836/thmb.jpg?s=s&r=1200209427&t=n" border="0"></a><br /><br />経済学の考え方
戦後の経済学
ケインズ革命
　第二次世界大戦後の経済学はケインズ革命に始まるといってもよい。ケインズは経済学者として、専門家だけでなく一般の人々に対しても、その思考に対して、世界的な次元で影響を与えるとともに他の様々な領域に[354]<br />経済学の考え方
戦後の経済学
ケインズ革命
　第二次世界大戦後の経済学はケインズ革命に始まるといってもよい。ケインズは経済学者として、専門家だけでなく一般の人々に対しても、その思考に対して、世界的な次元で影響を与えるとともに他の様々な領域においても、その一生を通じて天才的な活躍をした。と称えられた。
アメリカの大学とケインズ経済学
　第二次世界大戦を契機として、世界の経済学研究の中心は、イギリスの大学からアメリカの大学に移っていった。経済学の場合このような現象は大きな意味を持つ。アメリカの諸大学が、社会的、政治的、経済学的要因によってかなり直接的に影響を受けやすい制度、組織を持っているため経済学の発展の方向がこのことによってかなりの程度左右されることになってしまったということがあるからである。
マッカーシイズムと経済学
　マッカーシイズムというのは、ウィスコンシン州選出のマッカーシ上院議員が、1940年代終わり頃から50年代前半にかけて激しい反共運動を展開し、一つの政治的、社会的潮流を作り出したことにつけられた名前である。
　マッカーシイズムあるいはその延長線上にある非米活動委員会は、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aunt-mary]]></author>
			<category><![CDATA[aunt-maryの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 00:01:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17674/" target="_blank"><img src="/docs/983431588401@hc05/17674/thmb.jpg?s=s&r=1200063710&t=n" border="0"></a><br /><br />国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域
１．はじめに
先月末、日本による竹島（韓国名は独島、以下では簡略化のため竹島と称す）周辺海域での海洋調査をめぐって日韓間で緊張が高まった。日本の海洋調査を、韓国側が「主権に対する挑発的行為」である[352]<br />国際法の観点から見た戦後の竹島周辺海域
１．はじめに
先月末、日本による竹島（韓国名は独島、以下では簡略化のため竹島と称す）周辺海域での海洋調査をめぐって日韓間で緊張が高まった。日本の海洋調査を、韓国側が「主権に対する挑発的行為」であるとして強く反発し、もし調査を実施した場合には、日本政府の工船である測量船の拿捕も辞さないという態度を見せたのだ。両国とも何を基に自国の正当性を主張していたのだろうか。武力衝突という事態は回避することができたものの、まさに一触即発の雰囲気であったことは否めない。このような出来事を今後なくすためには、客観的な国際法という基準を把握し、冷静に対処することが重要であろう。本稿では、国際法の観点から竹島周辺海域の法的地域を歴史順に追っていきたい。なお、本稿はあくまで海域の問題を取り扱うのであって、竹島の領有権問題には触れない。
戦後から日韓新漁業協定までの竹島周辺海域
　戦後、日本は連合国により主権に一定の制限を受けるようになった。まず、1946年1月29日の「SCAPIN677号」（正式名称は「若干の外郭地域を政治上・行政上、日本から分離することに関する覚え書き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[吉田政権下における日米外交]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428651401@hc07/17218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 縁]]></author>
			<category><![CDATA[縁の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jan 2008 18:34:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428651401@hc07/17218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428651401@hc07/17218/" target="_blank"><img src="/docs/983428651401@hc07/17218/thmb.jpg?s=s&r=1199352845&t=n" border="0"></a><br /><br />吉田政権下における日米外交
　太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQによる天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国[346]<br />吉田政権下における日米外交
　太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQによる天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国際的位置を基本的に定めたという点で吉田茂の外交が果たした役割は大きい。
　　講和問題は、ダレスを国務省顧問に任命した。講和交渉が始まると、安全保障に関して二つのことが問題になった。一つは日本の再軍備問題である。吉田は再軍備を拒否する構えでいた。まず再軍備のためには憲法改正をしなければならず、憲法は軽々しく改正するものではない。また再軍備の負担に経済が耐え切れ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/]]></link>
			<author><![CDATA[ by galileo]]></author>
			<category><![CDATA[galileoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Dec 2007 17:05:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/" target="_blank"><img src="/docs/963584129802@hc07/16352/thmb.jpg?s=s&r=1198483550&t=n" border="0"></a><br /><br />中山茂著『科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀』
2006年、朝日新聞社、296頁。 
　本書は、半世紀にわたって、科学史家として日本とアメリカを行き来しながら活発な研究執筆活動を続けている著者が、日本とアメリカを互いの合わ[336]<br />中山茂著『科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀』
2006年、朝日新聞社、296頁。 
　本書は、半世紀にわたって、科学史家として日本とアメリカを行き来しながら活発な研究執筆活動を続けている著者が、日本とアメリカを互いの合わせ鏡とし、さらに著者自身の経験を織り込みながら、自由闊達に執筆した戦後科学技術史である。 
　著者は、アメリカの大学史家・科学政策史家R・ガイガーの時代区分を借用して、第二次大戦後の科学技術を五つの時代に区分し特徴づけている。すなわち、第1期（1945～1957）非軍事化と冷戦、第2期（1957～1968）ポストスプートニクの未曾有の科学技術ブーム、第3期（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[岸　信介について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428726801@hc07/14248/]]></link>
			<author><![CDATA[ by masa0531]]></author>
			<category><![CDATA[masa0531の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Aug 2007 04:13:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428726801@hc07/14248/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428726801@hc07/14248/" target="_blank"><img src="/docs/983428726801@hc07/14248/thmb.jpg?s=s&r=1186341239&t=n" border="0"></a><br /><br />「岸　信介について」　　
講義を受けて、岸　信介に興味を持ったので、岸　信介について調べていこうと思う。
　簡潔にまとめると、信介は、山口県庁官吏であった佐藤秀助と茂世夫妻の第五児として生まれる。高校から大学にかけてはその秀才ぶりを遺憾なく[356]<br />「岸　信介について」　　
講義を受けて、岸　信介に興味を持ったので、岸　信介について調べていこうと思う。
　簡潔にまとめると、信介は、山口県庁官吏であった佐藤秀助と茂世夫妻の第五児として生まれる。高校から大学にかけてはその秀才ぶりを遺憾なく発揮した。戦後、革新官僚として満州国の産業開発を主導、東条内閣の商工大臣を勤めた。Ａ先戦犯容疑者とされながら政界復帰を果たし、首相の座に就いて安保改定を強行、退陣後も改憲をめざして隠然たる力をふるった。
　岸　信介の本を１冊読み、戦後政治において、岸　信介という人物ほど毀誉褒貶の渦に巻き込まれた政治家はいないと思う。岸　信介ほど、悪徳と保守反動の烙印を押され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[コミュニティ・ワーク]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429865101@hc06/13227/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 0405minato]]></author>
			<category><![CDATA[0405minatoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Feb 2007 15:52:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429865101@hc06/13227/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429865101@hc06/13227/" target="_blank"><img src="/docs/983429865101@hc06/13227/thmb.jpg?s=s&r=1170917556&t=n" border="0"></a><br /><br />　
コミュニティワーク
　　　　　　　レポート
　私たちの国は戦後からさまざまな発展を遂げてきた。科学技術の進歩、都市化の進展や社会構造の変化に伴い、人々の価値観の多様化や生活の変化も見られ、その中で安全・安心が確保される地域社会の基盤的機[354]<br />　
コミュニティワーク
　　　　　　　レポート
　私たちの国は戦後からさまざまな発展を遂げてきた。科学技術の進歩、都市化の進展や社会構造の変化に伴い、人々の価値観の多様化や生活の変化も見られ、その中で安全・安心が確保される地域社会の基盤的機能の低下も見られるように思う。原因として産業化・都市化と高度情報化、さらには核家族化と少子高齢化の進展など様々な要因が考えられる。それによって、地域の住民同士の連帯感、繋がりが希薄化してきているように思える。特に大都市部においては、中心部の再開発などにより住宅も高層化し、また住民もライフスタイルや価値観が多種多様な人々で構成されており、加えて住民の流動化も激しいことから、地域の住民同士の繋がりを感じることが難しくなっている。このような現在の中でコミュニティの再生にはなにが必要なのか考えてみた。
　コミュニティの再生には、基本的には、戦後、社会構造と価値観が大きく変化する中で失われてきた住民同士のコミュニケーションや触れ合いを活発化させることによって形成された助け合い、支え合いの精神を、新しい社会に対応した形で構築していくことが重要である。そのためには..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[太宰治〜『冬の花火』〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/13042/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ryozanpac]]></author>
			<category><![CDATA[ryozanpacの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 04 Feb 2007 00:04:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/13042/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432316201@hc05/13042/" target="_blank"><img src="/docs/983432316201@hc05/13042/thmb.jpg?s=s&r=1170515048&t=n" border="0"></a><br /><br />太宰治～『冬の花火』～
はじめに
桃源郷―一幕・二幕・三幕
冬の花火
おわりに
はじめに
〝恥の多い生涯を送ってきました。自分には人間の生活といふものが、見当たらないのです〟(『人間失格』)
　太宰治はまさに〝自由奔放に生まれてきた〟(豊島[340]<br />太宰治～『冬の花火』～
はじめに
桃源郷―一幕・二幕・三幕
冬の花火
おわりに
はじめに
〝恥の多い生涯を送ってきました。自分には人間の生活といふものが、見当たらないのです〟(『人間失格』)
　太宰治はまさに〝自由奔放に生まれてきた〟(豊島与志雄の弔辞)太宰ほど今でもファンが絶えない作家はいない。六月十三日の彼の命日には、三鷹市の禅林寺にファンが今でも詰め掛ける。彼のその壮絶な人生と彼の身を削るような作品作りに今でも否がおうにも感銘を受ける読者がいるのである。
1909年、地主の家に生まれ、それが彼の負い目ともなる。また、芥川龍之介の自殺に強い衝撃を受ける。1930年、東京帝国大学仏文科に進学上京。井伏鱒二に師事する。田辺あつみと心中を図るが、女性だけが死ぬ。1931年、小山初代と同棲し、『逆行』などで第一回芥川賞次席となる。このとき、川端康成との芥川賞事件を起こし、自身もパビナール中毒に悩まされながら、1936年、『晩年』を刊行する。1937年、初代と心中未遂を起こし、後、離別。1939年、石原美知子と結婚し、『富岳百景』を発表。翌1940年、『走れメロス』を発表。1942年、母たね..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第２次世界大戦以後の道徳教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430407701@hc06/11738/]]></link>
			<author><![CDATA[ by このは]]></author>
			<category><![CDATA[このはの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Nov 2006 09:42:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430407701@hc06/11738/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430407701@hc06/11738/" target="_blank"><img src="/docs/983430407701@hc06/11738/thmb.jpg?s=s&r=1164588179&t=n" border="0"></a><br /><br />「第2次世界大戦以後の道徳教育について」
昭和20年（1945年）8月15日、日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結した。戦後の歴史がここから始まり、日本の学校教育は大きな転換期を迎える。 　昭和22年（1947年）民主化の高まりとアメリカの強[324]<br />「第2次世界大戦以後の道徳教育について」
昭和20年（1945年）8月15日、日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結した。戦後の歴史がここから始まり、日本の学校教育は大きな転換期を迎える。 　昭和22年（1947年）民主化の高まりとアメリカの強い勧告の下で「教育基本法」が成立した。ここに明治以降、わが国の教育界を絶対的に支配した「勅語」は完全に否定され、「日本国憲法」に基づいた「教育基本法」が戦後の新しい教育理念となった。これは戦前の教育の家族主義、軍国主義教育への全面否定の上に、新しい民主主義的人間を求めるものであり、個人個人をひとりの人間として認めることを意味している。 　わが国の道徳教育は常..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後の社会的価値の変化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432342701@hc05/9973/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fukafuka]]></author>
			<category><![CDATA[fukafukaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jul 2006 15:15:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432342701@hc05/9973/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432342701@hc05/9973/" target="_blank"><img src="/docs/983432342701@hc05/9973/thmb.jpg?s=s&r=1153721719&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
戦後、日本は広範囲にわたって、めざましい発展を遂げてきた。そして、それと同時に社会的価値も変化をし、少なからず政治意識に影響を及ぼした。実際に社会的価値の変化が政治意識にどのように表出しているか、戦前―戦後、個人―集団といった概[356]<br />はじめに
　戦後、日本は広範囲にわたって、めざましい発展を遂げてきた。そして、それと同時に社会的価値も変化をし、少なからず政治意識に影響を及ぼした。実際に社会的価値の変化が政治意識にどのように表出しているか、戦前―戦後、個人―集団といった概念を比較、検討しながら論じていく。
１．政治的(社会的)態度と政治的(社会的)価値観
　政治的(社会的)態度と政治的(社会的)価値観の概念は、似ているが心理学的には区別される概念である。心理学では、態度と価値観の概念を区別する基準は二つあると思われる。
　第一に、態度には好き嫌いや善し悪しの傾向(すなわち規範的な判断)を含む態度もあるが、含まない態度もありうるのに対して、価値観は規範的な判断を必ず含んでいる。ある個人がもつ社会的価値観とは、社会におけるさまざまな政治目標のうち、その個人が望ましいものとして重視しているものを指す。
　態度と価値観を区分する第二の基準は、それぞれの形成にかかる時間と変化にかかる時間の長さと、一度形成されると変化しにくいという安定性にある。言い換えれば、価値観の方が態度よりも更に深層で形成されている心理的傾向と言えるだろう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 戦後日本経済]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yukina]]></author>
			<category><![CDATA[yukinaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Jun 2006 14:07:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8886/" target="_blank"><img src="/docs/983430276001@hc06/8886/thmb.jpg?s=s&r=1150002452&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本は、国土も、経済力も、国[354]<br />・戦争直後の日本経済
戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本は、国土も、経済力も、国民生活も、戦争の被害で破壊されていた。そのような中での再出発だった。まず、第一歩として、GHQは五大改革指令を出し、農地改革や、労働民主化、財閥解体・独占禁止が中心となっていた。財閥解体は、1945年に戦前に力を持ちすぎていた、三井・三菱・住友・安田をはじめとする、15財閥の凍結・解散が行われた。翌年には、持ち株会社整理委員会が発足し、株式の民主化が進められた。1947年には、アメリカの法律にならった独占禁止法を公布し、その監査機関として公正取り引き委員会が設置された。同年、過度経済力集中排除法が制定され、325社の企業の分割が行われた。ＧＨＱによって行われた民主化政策は、日本のためにというより、今後復讐されないように、非武装化させ、戦争能力を奪う目的のためであったようだ。　　　　　　　　　
だが、食糧不足と貨幣増刷などにより、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 戦後、日本経済]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8879/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yukina]]></author>
			<category><![CDATA[yukinaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 10 Jun 2006 21:59:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8879/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430276001@hc06/8879/" target="_blank"><img src="/docs/983430276001@hc06/8879/thmb.jpg?s=s&r=1149944349&t=n" border="0"></a><br /><br />・戦争直後の日本経済
戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本[350]<br />・戦争直後の日本経済
戦後、日本はアメリカのマッカーサーを元帥とする、GHQにより民主化が進められてきた。日本は歴史にみない、はじめての外国による占領統治下におかれたのだ。これは、サンフランシスコ講和条約が締結されるまで続いた。戦後の日本は、国土も、経済力も、国民生活も、戦争の被害で破壊されていた。そのような中での再出発だった。まず、第一歩として、GHQは五大改革指令を出し、農地改革や、労働民主化、財閥解体・独占禁止が中心となっていた。財閥解体は、1945年に戦前に力を持ちすぎていた、三井・三菱・住友・安田をはじめとする、15財閥の凍結・解散が行われた。翌年には、持ち株会社整理委員会が発足し、株式の民主化が進められた。1947年には、アメリカの法律にならった独占禁止法を公布し、その監査機関として公正取り引き委員会が設置された。同年、過度経済力集中排除法が制定され、325社の企業の分割が行われた。ＧＨＱによって行われた民主化政策は、日本のためにというより、今後復讐されないように、非武装化させ、戦争能力を奪う目的のためであったようだ。　　　　　　　　　
だが、食糧不足と貨幣増刷などにより、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Should America keep their military bases in Japan?]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7867/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 01:58:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7867/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7867/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7867/thmb.jpg?s=s&r=1144688285&t=n" border="0"></a><br /><br />After the 9.11, a new type of war appeared.  It is called &ldquo; War against terrorism&rdquo;. International society has been force[124]<br />Should America keep their military bases in Japan?
After the 9.11, a new type of war appeared. It is called &quot; War against terrorism&quot;. International society has been forced to fight against terrorism. America has gone to war in Afghanistan and Iraq. During these wars, American aircraft carrier sailed to gulf of Persia from Yokosuka, and the Japanese self-defense forces supported them. Because of, Japan-U.S. Security Treaty. In other words, Japan-U.S. alliance. Japan-U.S. Security Treaty was concl..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後改革における日本の地方自治]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430673801@hc06/7331/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamamoto214]]></author>
			<category><![CDATA[yamamoto214の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Mar 2006 15:09:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430673801@hc06/7331/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430673801@hc06/7331/" target="_blank"><img src="/docs/983430673801@hc06/7331/thmb.jpg?s=s&r=1141711797&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次世界大戦に敗戦し、占領軍による統治の下、日本政府が行った戦後改革は、「治安維持法の廃止」、「天皇制討議の自由」といったものから始まる。
　天皇を象徴とした国民主権を語った「日本国憲法」には、「大日本帝国憲法」にはなかったその前後と第[356]<br />　第二次世界大戦に敗戦し、占領軍による統治の下、日本政府が行った戦後改革は、「治安維持法の廃止」、「天皇制討議の自由」といったものから始まる。
　天皇を象徴とした国民主権を語った「日本国憲法」には、「大日本帝国憲法」にはなかったその前後と第２章の戦争の放棄、第１０章最高規範、そして第８章に地方自治が、新たな章として付け加えられた。日本側の政府や民間による草案には、「天皇機関説」の美農部達吉とともに大正デモクラシーの指導者的存在で阿多佐々木惚のものをのぞいては「地方自治」に関する記事がほとんどなかったことをアメリカ側は非常に驚いたという。
　アメリカによってそうした日本自治には、府県知事の公選や..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[台湾の戦後と民主化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/]]></link>
			<author><![CDATA[ by keikog]]></author>
			<category><![CDATA[keikogの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 21:59:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430920001@hc06/6185/" target="_blank"><img src="/docs/983430920001@hc06/6185/thmb.jpg?s=s&r=1138885198&t=n" border="0"></a><br /><br />　1945年8月15日、太平洋戦争が終わると、ポツダム宣言により日本の主権は本州をはじめとする主要な島々のみとなった。これにより、カイロ宣言中にある「日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」が達成されたのである。こう[346]<br />・台湾の戦後と民主化
1945年8月15日、太平洋戦争が終わると、ポツダム宣言により日本の主権は本州をはじめとする主要な島々のみとなった。これにより、カイロ宣言中にある「日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」が達成されたのである。こうして台湾は、形式上は中華民国の一部となったものの、台湾と中国本土は簡単には統一できるものではなかった。
台湾が「光復」（中国語で自民族の土地・人民を取り戻すこと）されるべき土地であることが決まると、蒋介石は、陳儀を台湾省行政長官兼同省警備総司令に任命し、戦後の台湾接収に備えていた。陳儀は、重慶で行政長官公署の要員を任命して台湾接収組織の中核を編成し、１０月２５日に台北公会堂にて台湾受講式典を行った。この式典で、陳儀は蒋介石の代理として最後の台湾総督であった安藤利吉から降服を受けるとともに、台湾と澎湖諸島の中華民国編入を宣言し、台湾行政長官公署を正式に発足させた。以後、台湾ではこの１０月２５日が「光復節」とされている。この光復節により中華民国を回復した男性及びその子孫を「本省人」、それによらず中華民国国籍を持ち、かつ台湾に居住する男..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三池炭鉱労働争議]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5875/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Jan 2006 21:43:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5875/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5875/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/5875/thmb.jpg?s=s&r=1138452216&t=n" border="0"></a><br /><br />　三井三池炭鉱は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる一帯に点在する炭坑の総称である。
　敗戦からの復興を目指す当時の日本にとって、石炭産業は国家再建の立役者だった。中でも三池炭鉱で採掘される石炭は良質で、生産量も国内最高を誇っていた。戦[356]<br />三井三池炭鉱は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる一帯に点在する炭坑の総称である。 敗戦からの復興を目指す当時の日本にとって、石炭産業は国家再建の立役者だった。中でも三池炭鉱で採掘される石炭は良質で、生産量も国内最高を誇っていた。戦前は朝鮮人労働者の労働力に依存していた炭鉱の労働力は、敗戦後深刻な労働力不足に悩むことになる。労働力不足解消のため、三池炭鉱は戦災者・海外からの引き揚げ者を鉱夫として、雇うことによりこの問題を解消させることになる。
　敗戦が炭鉱にもたらしたものは、労働力不足だけではなく、ＧＨＱ指導の下によって広がった労働運動の解放である。この流れの中で、１９４６年２月、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合が結成される。３月には、三池炭鉱労働組合と三池炭鉱職員労働組合は共闘して、初めてのストに入る。このストは会社側が労組の要求を認めたために、一ヶ月で収束する。
　「石炭は国家なり」と日本が石炭産業によって復興の道を歩んでいたころと時を同じくして、世界は石炭から石油へのエネルギー革命を迎えようとしていた。しかし日本はこの流れに鈍感で企業の合理化は立ち遅れ、炭価はコスト高にな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後の我が国の社会福祉の歴史的展開と今日の課題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954001@hc06/5761/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kohhhhh]]></author>
			<category><![CDATA[kohhhhhの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 Jan 2006 15:31:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954001@hc06/5761/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430954001@hc06/5761/" target="_blank"><img src="/docs/983430954001@hc06/5761/thmb.jpg?s=s&r=1138257110&t=n" border="0"></a><br /><br />　1945年8月の敗戦とともに戦時体制も終わり、米軍の占領下において新たな施策が開始された。1945年12月15日、閣議は「生活困窮者緊急生活擁護綱領」を決定し、この対象は「著シク生活ニ困窮セルモノ」であり、失業者、戦災者、海外引揚者、在外[334]<br />「戦後の我が国の社会福祉の歴史的展開と今日の課題について」
　1945年8月の敗戦とともに戦時体制も終わり、米軍の占領下において新たな施策が開始された。1945年12月15日、閣議は「生活困窮者緊急生活擁護綱領」を決定し、この対象は「著シク生活ニ困窮セルモノ」であり、失業者、戦災者、海外引揚者、在外者留守家族、傷痍軍人及びその家族、軍人の遺族に限定されており、その数はおよそ800万人と推定していた。また、戦後の混乱した社会情勢のもとにおいて、浮浪児対策は緊急課題であった。戦災で両親を失った孤児、引き揚げ孤児等が、物資の不足と日常生活をなんとか維持することで精一杯という世相のもとで、浮浪しては物を乞い、金品を窃取するなどの不良行為を繰り返した。
　占領軍（GHQ）は1946年「社会救済にかんする覚書」を発表し、①無差別平等の原則②公私分離の原則③救済の国家責任④必要な救済は制限しない、と4つの基本原則を確認し、これをうけた形で政府は旧生活保護法の制定に着手する。
　やがて、浮浪児、孤児対策が進んで1947、児童福祉法の公布となり、児童委員や児童相談所の設置となった。次いで、主として戦争の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後中国経済について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bld1362]]></author>
			<category><![CDATA[bld1362の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 02:06:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/" target="_blank"><img src="/docs/983431080301@hc06/5584/thmb.jpg?s=s&r=1137776775&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　戦後世界経済は大きく改編し、ヨーロッパを北アメリカといった資本主義諸国とソ連、東ヨーロッパ、中国を中心にした社会主義諸国に分けられ、それぞれの経済発展を目指した。半世紀あまりが立ち、経済面において、資本主義各国は一層的に経済発[356]<br />戦後中国経済について
はじめに
戦後世界経済は大きく改編し、ヨーロッパを北アメリカといった資本主義諸国とソ連、東ヨーロッパ、中国を中心にした社会主義諸国に分けられ、それぞれの経済発展を目指した。半世紀あまりが立ち、経済面において、資本主義各国は一層的に経済発展を進めた。その一方、社会主義諸国は経済発展の停滞、あるいは後退の局面に陥った。
　ここで、資本主義成立の歴史を振り返ってみると、近代国家と世界市場は不可分に結びついており、両者は表裏の関係の下で発展してきたことは明らかである。戦後、世界市場に背を向け、国家所有や経済統制を基本としてきた東欧、ソ連、中国など多くの社会主義国家は、20世紀末に至ってようやくその弊害に気づき、旧体制を放棄して、「計画経済から市場経済への移行」路線に転換することによって、経済のグローバル化を促進すると同時に、こられ諸国経済を世界市場と結び付けようとする努力を開始した。
　特に、30年近くの経済混乱期を終え、経済開放・対外開放以来、20年間の高成長をつつけてきた中国経済の形成と発展は、国際的に注目を集めている。その基本的な理由は旺盛な成長力にある。経済の近代..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後の社会福祉の展開と今日の課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5178/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ケイユウ]]></author>
			<category><![CDATA[ケイユウの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 01:54:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5178/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432240601@hc05/5178/" target="_blank"><img src="/docs/983432240601@hc05/5178/thmb.jpg?s=s&r=1137171283&t=n" border="0"></a><br /><br />日本における、第二次世界大戦後の社会福祉の展開を、４段階に分けてまとめていく。
１段階（第二次世界大戦後）[157]<br />日本における、第二次世界大戦後の社会福祉の展開を、４段階に分けてまとめていく。
１段階（第二次世界大戦後）
昭和20年8月の敗戦と共に戦時体制も終わり、連合軍の占領下にて、新たな施策が開始された。ＧＨＱは、昭和21年に社会救済に関する覚書を発表した。それは、①無差別平等②公私分離③救済の国家責任④必要な救済は制限しないと言う内容であり、政府はこれらの原則を受けて生活保護法（旧）を制定した
その後、浮浪・孤児対策が進み、昭和22年に児童福祉法の制定や戦争によって身体障害者が増加した為に身体障害者福祉法が制定された。そして、昭和25年には生活保護法（新に変更され、｢福祉三法｣が生まれた。さらに、昭..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「歴史学のアポリア」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/3067/]]></link>
			<author><![CDATA[ by saduck]]></author>
			<category><![CDATA[saduckの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Nov 2005 01:41:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/3067/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431908101@hc05/3067/" target="_blank"><img src="/docs/983431908101@hc05/3067/thmb.jpg?s=s&r=1131640909&t=n" border="0"></a><br /><br />　歴史学は「歴史家のしごと」、「アポリアにみちあふれている」ものと著者は定義している。歴史学を振りかえるにあたって、比較経済史学派の歴史家たちの業績（その社会思想、歴史を学ぶ際の事象と理論の関係、ヨーロッパ近代社会史像）、具体的な人物として[360]<br />　　　　「歴史学のアポリア」を読んで　
歴史学は「歴史家のしごと」、「アポリアにみちあふれている」ものと著者は定義している。歴史学を振りかえるにあたって、比較経済史学派の歴史家たちの業績（その社会思想、歴史を学ぶ際の事象と理論の関係、ヨーロッパ近代社会史像）、具体的な人物としては大塚、丸山らを、まず挙げている。彼らが目指した近代化にとって望ましい人間像はどのようなものであり、その育成についての彼らなりの回答が紹介されている。全体の流れとして「戦後」から現代まで、日本とヨーロッパ近代社会の相違を考えながら、今日における歴史学の有用性を探っている。以上が本書の要約である。
この本のメリットとしては..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[＜中学校の数学における戦後から今日までの学習指導要領の内容の変遷＞]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432063201@hc05/2246/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ajmclean]]></author>
			<category><![CDATA[ajmcleanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 01 Sep 2005 00:02:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432063201@hc05/2246/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432063201@hc05/2246/" target="_blank"><img src="/docs/983432063201@hc05/2246/thmb.jpg?s=s&r=1125500566&t=n" border="0"></a><br /><br />　　学習指導要領がまだ「試案」であった頃は、経験主義の立場に立っており、「生活単元学習」がスローガンとして掲げられた。「生活単元学習」では、生活上の問題を取り上げ、その解決の過程で数学を学習させようというねらいを持っていたが、生活経験に振り[360]<br />＜中学校の数学における戦後から今日までの学習指導要領の内容の変遷＞
　第二次世界大戦後、日本の民主化政策の一環として、GHQが「教育に関する四指令」を出し日本の教育から軍国主義、国家神道的な要素を排除しようとしたことから戦後の教育改革が始まった。そこで１９４７年、アメリカで広まっていた経験主義、児童中心主義の影響下で、「生活単元学習」をスローガンとして教師中心ではなく生徒の興味・関心を大切にしようとする動きが生まれた。そして戦後最初の学習指導要領、『学習指導要領算数科・数学科編（試案）』が発行され、これを改訂してつくられたのが『中学校・高等学校数学科編（試案）』である。その中で数学は必修科目の一つとされ、年間授業時間数は中学校一年生から三年生までそれぞれ140時間を超えない範囲で、生徒の希望、学校の設備などからみて適当と思われるように決めればよいとされていた。当時、学習指導要領は「全国的な基準」としての役割だけを担うものであると考えられ、それを参考にしながら各都道府県なりがその地域性を考慮に入れた独自の基準を設定できる、という仕組みになっていたのである。また、この学習指導要領は「試案」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後日本経済と改革開放後の中国経済を比較検討]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432369401@hc05/2241/]]></link>
			<author><![CDATA[ by songfang]]></author>
			<category><![CDATA[songfangの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 Aug 2005 01:17:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432369401@hc05/2241/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432369401@hc05/2241/" target="_blank"><img src="/docs/983432369401@hc05/2241/thmb.jpg?s=s&r=1125159455&t=n" border="0"></a><br /><br />今、最も注目されている中国。いわゆるその改革開放後の中国は日本との関係は、最近では、経済は最も熱いといわれている。
そして、本研究は改革開放後中国の経済発展と戦後日本の経済改革はどう違うかを比較そして検討する目的だ。
まず、戦後日本の経[352]<br />戦後日本と改革開放後の中国の経済発展を比較検討せよ
今、最も注目されている中国。いわゆるその改革開放後の中国は日本との関係は、最近では、経済は最も熱いといわれている。
そして、本研究は改革開放後中国の経済発展と戦後日本の経済改革はどう違うかを比較そして検討する目的だ。
まず、戦後日本の経済改革は具体的に説明しよう。戦後の日本は戦争による大きな損害を受けた、中には生産活動はほぼ０になった。その後、アメリカ占領軍による経済改革を始まった、この改革は四つに分けられる、財閥の解体、農地の改革、労働三法と教育改革と言われている。この改革によって日本は高度成長期に入った。しかも、この高度成長期は１９５５年..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小泉信三の戦後共産主義批判について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/599/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ちゆう]]></author>
			<category><![CDATA[ちゆうの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 24 Jun 2005 23:58:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/599/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432340601@hc05/599/" target="_blank"><img src="/docs/983432340601@hc05/599/thmb.jpg?s=s&r=1119625114&t=n" border="0"></a><br /><br />小泉信三は慶應義塾の元塾長や今上天皇の皇太子時の教育係（東宮職参与）等、教育者として名高いが、本職は経済学者・政治学者であり、戦前においては新古典派、特にリカードの研究や社会思想史の研究が有名で、戦後塾長退任ののち、論壇において活発な文筆活[360]<br />小泉信三の戦後共産主義批判について
―『共産主義批判の常識』を中心に―
　　一　はじめに
　　二　小泉信三という人物
　　三　『共産主義批判の常識』について
　　四　『共産主義批判の常識』執筆に至る背景
　　　（一）小泉の思想背景
　　　（二）当時の時代背景
　　　（三）まとめ
　　五　小泉信三の戦後共産主義批判の意義
　　　（一）小泉の論点
　　　（二）小泉批判について
　　　（三）まとめ
　　六　むすび
　　一　はじめに
　小泉信三は慶應義塾の元塾長や今上天皇の皇太子時の教育係（東宮職参与）等、教育者として名高いが、本職は経済学者・政治学者であり、戦前においては新古典派、特にリカードの研究や社会思想史の研究が有名で、戦後塾長退任ののち、論壇において活発な文筆活動を展開した(１)。小泉の戦後における論調の中では、敗戦直後から展開された共産主義批判と、講和問題における多数講和論（単独講和論）が有名で、それぞれ論壇でも注目され、また現実の政治や社会にも影響を及ぼしている。講和問題については当時から全面講和論との対峙という形の「講和論争」という観点でかなり取り上げられている（２）が、その一..]]></description>

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