<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“慈悲”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E6%85%88%E6%82%B2/</link>
		<description>タグ“慈悲”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[ブッダの教え]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146814/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねねみ]]></author>
			<category><![CDATA[ねねみの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Dec 2021 20:27:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146814/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922397895040@hc21/146814/" target="_blank"><img src="/docs/922397895040@hc21/146814/thmb.jpg?s=s&r=1639481228&t=n" border="0"></a><br /><br />レポート作成の参考になれば幸いです。
佛教大学　ブッダの教え　スクーリング　レポート試験　2021年度[143]<br />ブッダの覚りと慈悲について

ブッダは、この世界には不変不滅であるダルマが存在することを覚った人物である。ブッダという名前は、サンスクリット語の「ブドゥ」という言葉が語源となっており、目覚めた人（覚った人）と意味する。
具体的にブッダが覚った内容は、主に「無常」「苦」「無我」の３つである。
まず１つめの「無常」とは、ありとあらゆるものは常住ではない、世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態ではないということを意味する。人間やお金や物、地位、肉体、愛等この世のすべてのものに、変わらないものはない。しかし、人はそれらが変わらないと思い込んでいるため、執着が生まれるのであると説いている。
そして２..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[W0103　社会福祉史　第1設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934207734182@hc17/133579/]]></link>
			<author><![CDATA[ by allA]]></author>
			<category><![CDATA[allAの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 11 Apr 2018 16:59:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934207734182@hc17/133579/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934207734182@hc17/133579/" target="_blank"><img src="/docs/934207734182@hc17/133579/thmb.jpg?s=s&r=1523433540&t=n" border="0"></a><br /><br />w0103　社会福祉史　リポート第2設題

評価Ａ

｢レポートの書式がきちんととられていて、設題の意図・意味することの理解も結語も適切である｣とのコメントを頂きました。

テキスト以外にも参考文献を記載していますので、リポート[324]<br />｢前近代(第一段階)における仏教の救済(慈悲の実践)についてその内容と特徴を論述しなさい。｣

はじめに
　仏教における慈悲とは、人間同士の愛他理念を内包する宗教実践である。人々を｢自他不二｣とみる実践が、対象とする人々に福祉をもたらし、結果として、福祉の実践となったのである。日本においても、六世紀に仏教が伝来して以来、社会構造の変化の中であり方を大きく変えながら、慈悲の実践に福祉は見出されてきた。
本稿では、前近代における、国家的慈恵による福祉実践と比較をした上で、仏教の救済による福祉実践の内容と特徴について述べる。
前近代の社会背景
　各時代の制約を受けながら展開されてきた生活の共同の営みは、福祉の歴史でもある。福祉のあゆみは大きく三つの段階に区分することができる。前近代はこの第一段階にあたり、共同体の規制や身分制を前提とした政治的、宗教的共済や共同体内部の共済を中心とする時代である。
前近代では、人間が生きていくための社会共同が人格を無視し、個人の自立的判断を認めない共同体により地域社会の規則を強制され、権力者により支配される抑圧的構造があった。この前近代の福祉は、人間解放を認め..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[慈悲・自利・利他・自他不二について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/88572/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Nov 2011 15:42:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/88572/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/88572/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/88572/thmb.jpg?s=s&r=1322635350&t=n" border="0"></a><br /><br />★「慈悲」について
岩瀬真寿美『人間形成における「如来蔵思想の」教育的道徳的意義』国書刊行会、2011年
「「慈悲」からみた自己形成――受けとる慈悲から与える慈悲へ」
「衆生を愛念して楽を与えるを慈、衆生を愍傷して苦を抜くを悲といい、あるいは無利益を除くを慈、利楽を与えるを悲という」というように、仏教において慈悲という術語は衆生、すなわちあらゆる生き物に対する仏のはたらきを意味する概念（p103）（望月信亨『望月仏教大辞典』第二巻、世界聖典刊行協会、1932年、1978頁）
初期の仏教において、「慈悲」の「慈」と「悲」は別々のものとして考察されている。中村元(1912-1999）によれば、「慈」はパーリ語のmetta(梵語のmaitriあるいはmaitra)の訳であり、友人や親しい者を意味するmaitraから派生した語である。慈とはこのように真実の友情や純粋な親愛の念を意味する語であった。(p103-104）
この概念が生まれる背景には、仏教がおこったインドにおける都市の誕生ということがある。それまでの血縁に結ばれた人々による生活から、血縁に限定されずに生活することを人々は余儀なくされ、そこには新たに、血縁を超えた人間と人間とが心を結びつける方法がひつようとなった。ここにあらわれた観念こそが「慈」であり、僧の生活圏である「僧団（samgha,サンガ）」においてもこの観念が重要となった。
「慈悲」の「悲」は「慈」よりも後代になってあらわれたことばである。仏教がインドから中国に移入すると、「慈」と「悲」観念は合成語として結びつけて考えられるようになったため、中国を経由して仏教を取り入れたわが国においても、一般的に「慈悲」は熟語としてひとつのまとまった観念を表示するものと捉えられる。（増谷文雄「第一部　知恵と慈悲の源流」（増谷文雄、梅原猛著『仏教の思想Ⅰ』角川書店、1968年）176頁）わが国では「慈悲ということばをつかうとき、あわれみやいつくしみという意味をそこに担わせることが一般的である。（p104）
以上の慈悲の観念は共同体における徳として必要とされたものであり、神格化されたブッダがもつものとしては捉えられていなかった。その後、仏教思想における慈悲は、共同体においてはたらく慈悲というよりはむしろ超越的存在から与えられる慈悲を説くものとして捉えられるようになる。そ..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>