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		<title>タグ“想像の共同体”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[民族について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/79121/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Feb 2011 01:24:26 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/79121/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/79121/thmb.jpg?s=s&r=1297614266&t=n" border="0"></a><br /><br />民族について
「民族」の概念は、一体何をもって「民族」とするのかが、宗教、言語、風俗など多岐にわたっており、しかもそれぞれが複雑に絡まりあって存在している。
　ある国の「国籍」を所有していれば（重国籍、無国籍の場合はその限りではないが）、好むと好まないとに限らず、意識的にせよ便宜的にせよ、その人はその国の「国民」とみなされる。
　「国民」に関して言えば、「国民」とは「想像の共同体」であると指摘したベネディクト・アンダーソンが思い浮かぶ。彼は、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である－そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なもの（最高の意思決定主体）として想像される」1
ベネディクト・アンダーソン『増補・想像の共同体　ナショナリズムの起源と流行』（白石さや・白石隆訳.NTT出版.1997）
　また、彼の言葉を引用している西川長夫の『国境の越え方』2
　西川長夫『増補・国境の越え方－国民国家論序説－』（平凡社ライブラリー.2001）
　多民族国家の例を引くまでもなく、「国民」は一般に雑多な文化を担う集団の集まりであるから、「国民」がある単一な文化の基礎的な集団でありえないことは誰の目にも明らかだろう。ある人間が&times;&times;人と呼ばれるのは、その国の国籍を有することが唯一の条件であって、その文化的な内容は問われない。またベネディクト・アンダーソンがいみじくも定義したように「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治的共同体」であって、心に描き出されたような「国民」が現実に存在するわけではない」(西川：286p)
　ここで述べられていることからわかることは次のことである。つまり、「国籍」を所有しているという唯一の条件によって様々な人々がひとつの「国民」として統合されているが、その一方でその統合された「国民」というイメージで雑多である「国民」ひとりひとりを規定することができない、ということである。
　西川は、「国民」として「○○人」と呼ばれうる唯一の条件が「国籍」を有することであると述べているが、「国籍」は先ほどまでも見てきたように、「国家の所属員の資格」であるとともに国家への忠誠心（allegiance）というかたちでアイデンティティを誘起する源泉である面が一方ではありながらも、「上」から機会主義的に操作されうるものである。アンダーソンや西川がいうように..]]></description>

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