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		<title>タグ“悲劇”の公開資料</title>
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		<description>タグ“悲劇”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[平成26、27年、日大通信、イギリス文学史Ⅰ（分冊２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/114997/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Sun-flower]]></author>
			<category><![CDATA[Sun-flowerの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Aug 2014 18:29:27 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/943705740060@hc14/114997/" target="_blank"><img src="/docs/943705740060@hc14/114997/thmb.jpg?s=s&r=1408526967&t=n" border="0"></a><br /><br />平成26年度に取り組んだ日大通信『イギリス文学史Ⅰ（分冊２）』の合格レポートです。

分冊１とは採点した先生が違うため、あっさりとした講評でした。先生からの講評をそのまま書きます。
&ldquo;テーマに即してよくまとめられていますね。次回も頑張って下[350]<br />■イギリス文学史Ⅰ（科目コード0411）分冊２

［課題］
１７世紀英文学における劇に関して，当時の演劇界と社会の状況，および代表的な潮流について作家・作品を挙げつつ，論述しなさい。

（レポート本文）
第17世紀、オリヴァ・クロムウエル政権はひじょうに厳格なピューリタンで独裁政治を行い、享楽的である劇場や居酒屋、賭博は閉鎖した。その後、チャールズ二世による王政復古で、閉鎖されていた劇場が再開され、フランスかぶれとなったチャールズ二世の好みによって、劇作法、演出方法、舞台様式にフランス式のものが取り入れられた。それは、フランスの当時における現代劇、悲劇のコルネイュや喜劇のモリエールなどからである。また、それらは悲劇のボーモントとフレッチャー、世相喜劇のベン・ジョンスンの流れをくむとされているエリザベス一世時代以来の国劇の伝統と混和融合し、王政復古時代の劇を代表する英雄悲劇と風俗喜劇への誕生となった。さらには、国劇の伝統とフランスの現代劇の２つの要素は、当時の舞台様式にも大きな影響を与えた。エリザベス朝時代とは異なり、屋根と照明が設けられ、背景も描かれた。また舞台が、高台式舞台とフランス..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[死から生を眺める演劇、夢幻能で読む『オセロー』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95091/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 鞠文庫]]></author>
			<category><![CDATA[鞠文庫の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jul 2012 23:00:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95091/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95091/" target="_blank"><img src="/docs/949162249076@hc12/95091/thmb.jpg?s=s&r=1342706412&t=n" border="0"></a><br /><br />シェイクスピア作『オセロー』を夢幻能の様式で大胆に演出した公演の観劇所感をもとに、古からの日本人の感性に根ざしたシェイクスピア上演の新たな可能性についての発見を語る。能独自の時間感覚を取り入れることによって「悲劇」にもたらされた新たな表現様[360]<br />死から生を眺める演劇、夢幻能の由来と未来
　夢幻能の主人公は、亡霊である。人生において、非常にインパクトのある体験をした人物の魂魄がこの世に留まっており、それが存命の人間であるワキの前に現れる。
　この手法によって表現されうる要素の一つは、人間の情念の永続性である。ある人物の生を、その死の数百年後から振り返るとき、「生の時間は極度に圧縮され、凝結する」。つまり、生から離れた地点に立って一人の人間を眺めることによって、人間の一生全体、あるいは運命そのものを一望に収める視野を獲得するということである。そうした位相変換によって、抽象化かつ集約化された情念が抽出されることとなる。そしてその情念が、シテがワキに自らの運命を語るその時点、あるいは私たちが夢幻能の上演を目の当たりにする時点まで脈々と存在し続けているということなのである。
　増田正造著『能の表現』に、次のような項がある。
能の人物は、運命といかにさからい、いかに立ちむかうかではなくて、いかにいさぎよく耐えるか、悲しみをいかに純粋に美しくするかに専念しているようにみえる（&hellip;&hellip;）これは日本人の性向でもある（&hellip;&hellip;）勇将ピロクテテスのような鉄..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[風刺の仮面劇、タルチュムの由来と未来]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95090/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 鞠文庫]]></author>
			<category><![CDATA[鞠文庫の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 19 Jul 2012 22:46:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95090/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949162249076@hc12/95090/" target="_blank"><img src="/docs/949162249076@hc12/95090/thmb.jpg?s=s&r=1342705598&t=n" border="0"></a><br /><br />韓国の伝統的な仮面劇「タルチュム」の表現を演出に用いたブレヒト『肝っ玉おっ母』上演を観劇した所感を糸口に、タルチュムの持つ風刺的な喜劇性とブレヒトの異化効果との共通性、また一方が他方の表現を、また解釈をより深める可能性を探る。韓国の常民が求[360]<br />風刺の仮面劇、タルチュムの由来と未来について
〜ブレヒト上演への応用の可能性〜
　一般に、伝統的な仮面劇といえば、神や霊が活躍するような、異次元における非等身大の存在によるドラマを連想することが多い。
　韓国のタルチュムには、神が登場しない。現れるのは人間たちで、わずかに得体の知れない聖獣が、異次元の世界を暗示するにすぎない。そこに登場するのは、支配層である両班（ヤンパン）と、仏に仕える僧侶、そして常民（サンミン）など、みな身近な存在である。
　その主人公たちは、救いようのない、批判されるべき人物像を抱えている。支配層の仮面にはまともな形がひとつもなく、顔も眼も鼻も口も、デフォルメされている。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第Ⅰセメスター基礎教養１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203930926@hc10/90301/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ο笛歌ο]]></author>
			<category><![CDATA[ο笛歌οの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Feb 2012 19:29:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203930926@hc10/90301/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956203930926@hc10/90301/" target="_blank"><img src="/docs/956203930926@hc10/90301/thmb.jpg?s=s&r=1328696984&t=n" border="0"></a><br /><br />精神医学の世界を学んで
Shimone Weil の中で述べられている事柄を、Franklの言葉を用いて言うと、Collective Neurosis（集団神経症）の状態である。Collective Neurosis になった者は、運命主義や狂信に陥ったり、大衆の中に自己を埋没させるたりすることによって、自分の人生からの問い・要求に応答する義務（responsibility）や選択の自由（freedom）からの逃避を図るのである。つまり、この結果として実存的空虚に現代の人間が置かれることとなる。集団的思考が物の状態の人間を生み出すとはこのようなことである。
Franklが思考の名に値するような..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イギリス文学史(0411)分冊２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89864/]]></link>
			<author><![CDATA[ by けっけっ]]></author>
			<category><![CDATA[けっけっの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 10:11:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89864/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/89864/" target="_blank"><img src="/docs/952855190597@hc11/89864/thmb.jpg?s=s&r=1327367479&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信教育部　Ａ判定合格リポート　大変良いの評価をいただきました[99]<br />イギリス文学史Ⅰ
　　　　　０４１１　（分冊２）
　17世紀、国民に愛されたエリザベス一世が逝去したあと、スチュアート朝の国王がイングランドの王となったが内乱が起こり、共和制の時代となった。ところが軍事独裁政治となり、クロムウエルはPuritanismに基づいた厳しい取締まりを行い、国民の反発を高めていった。そして彼の死後、王政復古の時代を迎えるが、またも国王は専制政治を進め、Puritansを弾圧し混乱が起こったのである。
このような戦争、内乱、混乱の時代の中で
英国劇はどの様に発展していったのであろうか。
英国劇の起源は、十二世紀教会における礼拝の一助として演じられた宗教劇であった。それらは十四世紀に入り、しだいに宗教題材からはなれて世俗化し道徳劇が現れた。十五、六世紀になると、更に娯楽的要素が劇の中にも導入され、英国劇の発達史上注目すべきことである。
また、喜劇と悲劇の起源は文芸復興の影響
によってであり、特に学校における古典研究から語学練習のための劇が本格的に発展した。
すなわち英国最初の本格的喜劇は、学校劇から生まれたのである。
17世紀前半William Shak..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロミオとジュリエット☆]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82814/]]></link>
			<author><![CDATA[ by airiii]]></author>
			<category><![CDATA[airiiiの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 15:33:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82814/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82814/" target="_blank"><img src="/docs/952506125825@hc11/82814/thmb.jpg?s=s&r=1309674817&t=n" border="0"></a><br /><br />テーマ、あらすじ、鑑賞ポイントをもとに作成したロミオとジュリエットに関してのレポートです。[135]<br />ロミオとジュリエット　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
私はこの劇のテーマとして、究極で永遠の愛とは何なのか、真実の愛を基準として自己を相手のために犠牲にできるのか、愛の深さや大きさを持続させることの難しさ、これらから二人の愛を最も輝かせておくためには「悲劇」という結末が必要なのではないかと考える。
この劇はロミオとジュリエットにまつわる悲劇の一説を取り上げたものである。
したがって、この劇がはじまるまでのあらすじを述べる必要がある。
　キャピュレット家とモンターギュ家という二つの敵対する名家があり、両家の争いはベローナの都の平和な町の静けさを破っていた。
ある日、ロザラインに片思いしていたロミオは友人の誘いからキャピュレット家の
仮面舞踏会に忍び込んだ。そこでジュリエットに出会った瞬間恋に落ちてしまった。ロミオが日々苦しい思いをしてあれほど愛した女性であったロザラインからあっさりとジュリエットに心変わりしたのだ。二人はお互いに恋に落ちるが、両家の不仲が二人の障害となった。
　舞踏会の後、キャピュレット家に忍び込み、ジュリエットが一人愛の告白をしているのを耳にした。ロミオは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[オイディプス王☆]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/]]></link>
			<author><![CDATA[ by airiii]]></author>
			<category><![CDATA[airiiiの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 15:21:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/" target="_blank"><img src="/docs/952506125825@hc11/82813/thmb.jpg?s=s&r=1309674109&t=n" border="0"></a><br /><br />オイディプス王
　まず私はこの劇のテーマを行動によって変えることができるのか、真実をすべて
知ることは本当に良いことなのか、神によって定められた宿命を人間の決断また人間ゆえの愚かさによって引き起こされる悲劇であると考える。
　第一に、この劇はオイディプス王にまつわる悲劇の一説を取り上げたものである。
したがってこの劇がはじまるまでのあらすじを述べる必要がある。
　テーバイの王ライオスとその妻イオカステは子をもうけるが「生まれた子は父親を殺し母親と婚姻関係を結ぶことになる」との信託を受けライオスは生まれた男の子を殺すよう召使いに命じるが召使いはその子を殺さずに山に捨てる。そしてその子は隣国のコリントス王夫妻の実子ではないと聞き神に伺った結果ライオスが受けた同じ神託を受ける。オイディプスはそれを勘違いし、両親を殺さぬよう国を離れる。その頃テーバイで怪物のスピンクスを倒すため神託を受けにいこうとしていたライオスは行き違いでオイディプス王と出会い些細なことからオイディプスは名さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロミオとジュリエット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78700/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alen]]></author>
			<category><![CDATA[alenの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Feb 2011 16:13:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78700/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78700/" target="_blank"><img src="/docs/953905014038@hc11/78700/thmb.jpg?s=s&r=1296976394&t=n" border="0"></a><br /><br />ロミオとジュリエットの中のリアリティ・普遍性
主に映画について[91]<br />映画「ロミオとジュリエット」を観て
　　　　　　　　　　　　
　誰もが、あらすじだけは多少なりとも知っているこの悲劇の話は、これまで幾度となく映画化されてきました。その中でもフランコ・ゼフィレッリ監督のものが不朽の名作と言われるくらい、多くの人達に受け入れられてきました。
ロミオとジュリエットが、映像化してもなお、こんなにも人々に感動を与えられたのはなぜでしょうか。なぜ多くの映画の中でフランコ・ゼフィレッリ監督のものが名作と言われるのでしょうか。
１９６８年に制作されたフランコ・ゼフィレッリ監督の作品は、オリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングの2人の初々しい演技が印象的な映画です。特にオリヴィア・ハッセーは、息をのむような美しさで、可愛らしくも気の強いジュリエットをみずみずしく演じました。そこに、ニーノ・ロータの美しい音楽がうまく交わり、2度とない名作が生まれたのだと思います。しかし、この作品の注目すべき点はそれだけではありません。このロミオとジュリエットは、他のどの作品よりも原作を忠実に再現しているのです。そのため、台詞も古典的な言い回しを耳にすることができます。
ロミオとジ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[物理の世界～タイタニック沈没の実情]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78516/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78516/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78516/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78516/thmb.jpg?s=s&r=1296574127&t=n" border="0"></a><br /><br />映画「タイタニック」を最後まで見てしまった。タイタニックは安全対策にも力が入れられており、防水区画が設けられていた。船体は水面上までの高さがある防水隔壁で16の区画に区分され、そのうちの4区画に浸水しても沈没しないと設計士のトーマス・アンドリュースそう語った。隔壁はブリッジからの遠隔操作で即時閉鎖できた。そのためタイタニック号は「不沈船」として喧伝されていた。実際、船の構造は現在から見てもかなり安全なものであるともいわれている。
夜の高速航行中に、肉眼で前方を見ることしかできない二人の監視員は氷山を発見した時点で、氷山は船首との距離はわずかで、衝突するまでの時間は何十秒しか残っていない。そこで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロミオとジュリエット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78407/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YAH！！]]></author>
			<category><![CDATA[YAH！！の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 00:03:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78407/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78407/" target="_blank"><img src="/docs/953839146930@hc11/78407/thmb.jpg?s=s&r=1296486224&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
１６ｃから１７ｃにかけてのシェイクスピア時代。彼の作品である「ロミオとジュリエット」には、宗教的な2族の争いから起こる問題、その間で揺れ動く2人の若者の姿、そして恋という秩序の乱れからの和解で、構成されている。この作品のドラマについて検証し、述べていく。
１、掲示部
　モンタギューとキャピュレットの2族による争いは日々絶えず。その中、2族の男女ロミオとジュリエットが互いに恋に落ちる。
　掲示部で、描かれる2族の争いは物語の展開に大きなキーワードとなり、それは、男女の恋の行方に対する大きな不安を私たちに与え、2族間の問題を重要視させる。しかし、それと同時に純粋な彼らの恋の姿に些細な期待感も与える。
　そして、ロミオとジュリエットの言葉によって恋による秩序の乱れが描かれている。それは、冒頭のロミオの別の恋に意気消沈する姿であり、そして、お互いの思いが通じることにより、喜びに溺れる2人の姿により表されている。
　二人が愛を誓い合う場面は、キュピレットの庭園、ジュリエットの2階舞台の登場とともにロミオが登場する。この距離が、2族間の距離を思わせる。
そして、多層的な世界が描かれるシェ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人間の欠陥からみるオセロウの悲劇性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73957/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Nov 2010 23:24:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73957/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/73957/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/73957/thmb.jpg?s=s&r=1289312672&t=n" border="0"></a><br /><br />人間の欠陥からみるオセロウの悲劇性
四大悲劇のほかの作品と違い、人間の作為的な面がみられるオセロウでは、悲劇性に「人間の欠陥」が深く関係してくる。おもに「嫉妬」「疑念」「コンプレックス」「憎悪」という面からこれを考察してみたい。
イアーゴの策略により物語全体が悲劇に向かったように初めは感じられたが、根本的に物語に悲劇性を帯びさせているのは人間があらかじめ持っている欠陥（負の感情）のように感じられる。オセロウは自分がムーアであることに対してコンプレックスを持っており、キャシオウに対する嫉妬の感情もデズデモーナに対する疑念の感情も（イアーゴが駆り立てたとはいえ）このコンプレックスに由来する。そして最終的にデズデモーナを殺害するにいたった憎悪にまで発展することとなった。
ここで、この物語を悲劇へと導いた（オセロウを憎悪へと導いた）感情として挙げられる、嫉妬、疑念、コンプレックスについて詳しく考察してみたいと思う。ここでは嫉妬は「他の男性に向けての嫉妬」、疑念は「周りへの不信感からの疑念」、コンプレックスは「自己の醜さを認識するがゆえのコンプレックス」と捉えることができる。
嫉妬
嫉妬は正確に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[シェイクスピアの諸作品の材源と独自性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954933945750@hc10/71636/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ruppan0525]]></author>
			<category><![CDATA[ruppan0525の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Sep 2010 21:18:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/954933945750@hc10/71636/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/954933945750@hc10/71636/" target="_blank"><img src="/docs/954933945750@hc10/71636/thmb.jpg?s=s&r=1285157907&t=n" border="0"></a><br /><br />シェイクスピアの諸作品の材源について調べよ。また材源をふまえたうえで、シェイクスピア作品の独自性についてどう考えるか述べよ。
シェイクスピアが活躍したのは16世紀後半から17世紀の前半であり、この時代では戯曲などは当時良く知られていた物語を題材に、それらを更に優れた作品として語る事こそが才能であると考えられていた時代であった。つまり、この時代に生み出された作品の多くは、オリジナルが存在するのであり、当時の作家達は人物の名前や作品のテーマ、筋などをそのオリジナルに求め、更に洗練された物へと昇華させたのである。シェイクスピアも例外では無い。彼の作品の多くはオリジナルが確認されている。「ロミオとジュリエット」は「トリスタンとリゾルテ」に材源を求めているし、「ジュリアス・シーザー」「ヘンリー五世」の材源は「英雄伝」（プルターク）や、「年代記」（ホリンシェッド）であるとされている。つまり、シェイクスピアはこれらオリジナルの物語を改変、さらに彼の独自性を加えた作品を次々に作りだしていったのである。特にこの時代は古典作品やイタリアの物語が続々とイギリスへと輸入されていたエリザベス朝にあたる為、オリジ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[メルビル　「白鯨」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/53426/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pero0827]]></author>
			<category><![CDATA[pero0827の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 03 Aug 2009 12:33:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/53426/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961172430105@hc08/53426/" target="_blank"><img src="/docs/961172430105@hc08/53426/thmb.jpg?s=s&r=1249270431&t=n" border="0"></a><br /><br />Herman Melville 『白鯨』
「白鯨（モービー・ディック）」は未読だったが、名作中の名作と語り継がれていることは知っていた。読む前までは、エイハブ艦長と白鯨の戦いが克明に描かれたスケールの大きな復讐劇なのだと思っていたのだが、[324]<br />Herman Melville 『白鯨』
「白鯨（モービー・ディック）」は未読だったが、名作中の名作と語り継がれていることは知っていた。読む前までは、エイハブ艦長と白鯨の戦いが克明に描かれたスケールの大きな復讐劇なのだと思っていたのだが、読み進むうちに想像と違っていることに気付き、この物語の真の意味でのスケールの大きさに圧倒された。
まず、「白鯨（モービー・ディック）」の構成なのだが、主人公はエイハブではなくて、外の世界を知りたくて捕鯨船に乗りこんだ船乗りだった。彼を語り手として、エイハブ艦長と白鯨の物語が語られるのかと思っていた。しかし、彼の目線から描写される対象は、鯨の特性や、捕鯨の仕組み、捕鯨船の構造や船上での生活などで、それも特定のストーリーの中で語られる訳ではなく、日常の描写の中で、説明的に語られていた。しばらく読んで、「白鯨」は捕鯨をあつかった博物誌のようなものだと感じた。物語というよりは、まるで百科事典を読んでいるような。実際に、本文の中で、著者は本書を「論文」を呼んでいる。百科事典を読んでいるつもりになると、なるほど、色々なことがわかる本だと思った。
　時代設定でもある..]]></description>

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			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論６]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45497/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:41 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45497/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45497/thmb.jpg?s=s&r=1240373201&t=n" border="0"></a><br /><br />Ｏ歌「鳥翔成」は旧来難訓であり「トリハナス」「ツバサナス」「カケルナス」「アマガケリ」「トリトナリ」など多くの試訓がある。「アマガケリ」の訓みは、憶良歌に用例があること（巻五　八九七）、さらには有間の魂を、ヤマトタケルの白鳥伝説に重ねて、「[360]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論５]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45496/thmb.jpg?s=s&r=1240373201&t=n" border="0"></a><br /><br />しかし、矛盾点があっても、二首一組を題詞で処理してしまう点で、これは成立時期や事情を同じくした場合にも、同様のことが考えられないだろうか。つまり、実作として有間がＤ・Ｊ歌を詠んだ場合でも、編纂者は、内容の異なる二首を内包する題詞をつけようと[360]<br />]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45495/thmb.jpg?s=s&r=1240373200&t=n" border="0"></a><br /><br />この点については、稲岡耕二氏の「有間皇子」に既に指摘があり、仮定表現を用い、さらに「ま幸くあらば」と表現した点に、有間皇子の悲劇性を認めている。池田氏も「固有な悲劇性を孕む可能性を持った不安定な表現形態」と論じ、実作説の根拠としている。
反[358]<br />]]></description>

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			<title><![CDATA[共有地の悲劇]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429602501@hc06/11472/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mamirin0212]]></author>
			<category><![CDATA[mamirin0212の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 13 Nov 2006 12:01:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429602501@hc06/11472/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429602501@hc06/11472/" target="_blank"><img src="/docs/983429602501@hc06/11472/thmb.jpg?s=s&r=1163386910&t=n" border="0"></a><br /><br />◎共有地の悲劇の例と解決法
地球環境は皆の共有財産だと思う。皆で大切に利用し、管理していかなければないはずだ。けれども、誰かが個人の利益のみを追求しだしたらどうなるのだろうか。
共有牧草地を例にしたモデルを、ハーディンという人が１９６８年に[356]<br />◎共有地の悲劇の例と解決法
地球環境は皆の共有財産だと思う。皆で大切に利用し、管理していかなければないはずだ。けれども、誰かが個人の利益のみを追求しだしたらどうなるのだろうか。
共有牧草地を例にしたモデルを、ハーディンという人が１９６８年に発表している。例えば、ある牧草地を、多くの人々が共有地として羊を飼っているとする。牧草地の許容量内で羊を飼っている限り問題は生じない。けれども、誰かが「少し羊の数を多くして儲けが出るようにしよう」と考え、共有地への放牧頭数を増やしていくと、やがて牧草地の容量を超え、牧草は枯渇し、共有地を利用している全ての人が被害を被る。これが「共有地の悲劇」の有名なものである。
個人にとっては、増やした羊分だけ利益が多くなるが、その一方、牧草の減少により牧草地全体で見れば損失が多くなってしまう。このようなことは環境問題にも当てはまるはずだ。
ここで身近なものとして例を挙げると、
エアコンの効いた部屋で快適に過ごす。
自動車に乗る。
などがある。
これらは個人の利益の達成ということでは合理的な判断と言えるはずだ。けれども、多くの人が同じように行動すれば、結局は二酸化炭..]]></description>

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			<title><![CDATA[高橋睦郎の美について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Jul 2005 03:07:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/856/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/856/thmb.jpg?s=s&r=1121018865&t=n" border="0"></a><br /><br />汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼[360]<br />　高橋睦郎の美について
　汚れたものを汚れたものとして、素直に書いた詩人。背徳の美を、罪という美をそのまま受け入れて書いた詩人。わたしがこの世で最も不満を抱く偽善家を、嘲り笑うどころか全く無視したその姿勢にわたしは惚れ込んだ。いや、これは畏怖というべきだろう。単に彼がわたしの最も興味を惹く要素、「男色」と「死」と「悲劇」を中心に抱いていたからと言えばそれは間違いではない。
　「ほんとうに美しいものは必ず悲劇的だ」、高橋睦郎は言う。これは最も言ってはいけなかった真実である。人間の無意識の中で、誰もが感じている真実なのである。だからシェイクスピアの四大悲劇は四百年以上の時を超えて今も愛され続けるのであろうし、近年もてはやされている純愛物語も必ず悲劇的である。わたしは悲劇を最も愛する人間のひとりである。しかし素直にそうとは認めない。本物の悲劇とは、単なる「劇」では終れない。そこには胸を引裂かれる「現実の苦しみ」があるのだ。安易にそれを好きだということは出来ない。本当の悲劇を生み出す人が実際に、妄想によりそれらの作品を書くわけではないことは、これまでの色々な詩人を見てきて知っている。最愛の人の..]]></description>

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