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		<title>タグ“徳川家康”の公開資料</title>
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		<description>タグ“徳川家康”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[「家康はなぜ江戸を選んだか」に関するレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952740854954@hc11/91376/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lemoneds]]></author>
			<category><![CDATA[lemonedsの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Mar 2012 04:46:13 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952740854954@hc11/91376/" target="_blank"><img src="/docs/952740854954@hc11/91376/thmb.jpg?s=s&r=1331235973&t=n" border="0"></a><br /><br />民衆世界論の講義の「家康はなぜ江戸を選んだか」という本に関するレポート。A+評価。[119]<br />民衆世界論レポート
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
最初、渡日してから、現在まで、なぜ東京という日本の首都はここであるのだろうかという疑問はまったく抱かなかった。しかし、この講義を受けつつ、特に、3回目の授業で参考文献として取り上げられた「家康はなぜ江戸を選んだか」（岡野友彦、1999、教育出版）というタイトルに興味がわいてき、学校の図書館で目にして、本当になぜなのだろうと疑問を抱くようになった。
自分が疑問に思ったところは、家康は、当時の政治の中心は京都だった一方、関ヶ原の戦闘で勝利を収め、ようやく天下統一を成し遂げたのに、開拓もほとんどされていなかった江戸を本拠地として選ぶにはかなりの危険性があったのではないかというところであった。
しかし、その本では、家康は豊臣秀吉に江戸を進められたことがあり、豊臣の臣下であった当時、豊臣秀吉より全国の情報が比較的に充分でなかったため、豊臣秀吉の勧めは江戸に関心を持つようになったきっかけになったと言う。一方、中世頃から江戸は水運の重要な拠点として昔から発展していたと言う。しかし、その繁栄にもかかわらず、鎌倉幕府な..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 江戸幕府衰亡・崩壊に至るまでの要因]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430888201@hc06/10053/]]></link>
			<author><![CDATA[ by continental]]></author>
			<category><![CDATA[continentalの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Jul 2006 14:54:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430888201@hc06/10053/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430888201@hc06/10053/" target="_blank"><img src="/docs/983430888201@hc06/10053/thmb.jpg?s=s&r=1153979686&t=n" border="0"></a><br /><br />　江戸幕府衰亡・崩壊に至るまでの要因のうち、最も大きいであろう二つのものがある。それは、鎌倉時代からの封建制度と、幕府の上に朝廷ありという尊王の志である。江戸幕府二百八十年間を支えるに最も力添えをしたであろうこの二つが、何故崩壊の要因となっ[360]<br />　江戸幕府衰亡・崩壊に至るまでの要因のうち、最も大きいであろう二つのものがある。それは、鎌倉時代からの封建制度と、幕府の上に朝廷ありという尊王の志である。江戸幕府二百八十年間を支えるに最も力添えをしたであろうこの二つが、何故崩壊の要因となってしまったのであろうか。
　関が原の戦いにより日本を統治した徳川家康公は、江戸幕府を開幕した。その政治の軸を決めるにあたり、武家社会より続く封建の損得利害について追究した。封建制度は鎌倉時代から、足利氏・織田氏・豊臣氏にわたり数百年もの間成長・発展していった。土地を仲立ちとし、主君である将軍が家臣である諸侯や大名などに領地を与えて保証する御恩というものに対し、家臣は家来として仕え、軍役の義務を課する奉公という主従関係から成り立っている。このように長きにも渡っているものを容易に廃止しにしてしまうと、大きな混乱を招くとして、家康公はこれを徐々になくしていく方向性を見出し、三代将軍家光公まで行うこととなった。このようにして、家康公の意に反して封建制度は続くこととなった。家康公は封建制度を用い、諸子・親戚・功臣を御家門・御諸代として外様の牽制を行った。初めは..]]></description>

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