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		<title>タグ“形態論”の公開資料</title>
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		<description>タグ“形態論”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[日大通信：英語学概説（分冊１）2017]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/931988071949@hc17/132084/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hihihi052733]]></author>
			<category><![CDATA[hihihi052733の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Dec 2017 14:58:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/931988071949@hc17/132084/" target="_blank"><img src="/docs/931988071949@hc17/132084/thmb.jpg?s=s&r=1514613522&t=n" border="0"></a><br /><br />Ａ評価をいただいたレポートです。
「全体を通してよく説明できています。誤りもありません」と評価いただいています。
図書館に籠って、時間をかけて必死に仕上げたレポートです。
ぜひ参考にしていただけますと幸いです。[309]<br />【英語学概説（分冊１）】２０１７
○教材の第５章（形態論）を学習するにあたり、自然言語における「語」という単位を理解することが重要となるが、句や文とは区別される語という単位を設定することの必要性について論じよ。
語は、内部構造を持ち、構造にも意味にも規則性が見られる。その点では、句や文が、語から組み立てられる際の仕組み（統語）と類似している。しかし、語は、基礎単位として緊密なまとまりをなし、話者のメンタルレキシコン（心内辞書）に記憶されるため、句や文には見られない「語彙性」と呼ばれる性質も示す。つまり、語は、規則性と語彙性の相反する二つの性質を持っている。一方、句や文の構成は、併合という操作によって行われ、文相互の関連づけは、要素の転移をもたらす移動という操作によって行われるという性質がある。以下に主に語の性質を示し、語という単位を設定する必要性を考える。
　語形成には、接辞付加、複合、転換、逆成など、様々な方法があり、同時に様々な制約もある。その一つに、語形成の二分枝分かれの制約がある。三分枝以上とならない理由は、例えば接辞の選択制限で、特定の接辞が同時に二つの要素を選択する事例は見..]]></description>

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			<title><![CDATA[【平成27、28年度】【日大通信】【2回目で合格】英語学概説（分冊１）、合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938996116478@hc15/123055/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lewis]]></author>
			<category><![CDATA[lewisの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Dec 2015 13:25:10 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938996116478@hc15/123055/" target="_blank"><img src="/docs/938996116478@hc15/123055/thmb.jpg?s=s&r=1450844710&t=n" border="0"></a><br /><br />【課題】教材の第五章（形態論）を学習するにあたり、自然言語における「語」という単位を理解することが重要となるが、句や文とは区別される語という単位を設定することの必要性について論じよ。リポート作成の際には、通信教育教材や参考文献をもとより、必要に応じ他の文献の参照すること。また、通し番号を振った具体例を必ず提示し、出典を明らかにすること。
【ポイント】語はどのような点で句・文と共通し、どのような点で句・文と異なるのかを理解し、語と句・文に共通する経験的事実（言語現象）や語という単位に特異な振る舞いを示す経験的事実とともに論じること。
【キーワード】二分枝構造（binary branching）,　あいまい性（ambiguity）,　語彙的緊密性（lexical integrity）, 統語規則の適用可能性
【参考文献】『語の仕組みと語形成』　伊藤たかね・杉岡洋子　著　（研究社　2002）
『言語の事典』　中島平三　編　（朝倉書店　2005）
『日英語対照による英語学概論　増補版』西光義弘　編　（くろしお出版　1999）
World-Formation in English, Ingo P..]]></description>

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			<title><![CDATA[私にとって「私」とは」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428587101@hc07/14078/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kat_tun]]></author>
			<category><![CDATA[kat_tunの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jul 2007 17:11:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428587101@hc07/14078/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428587101@hc07/14078/" target="_blank"><img src="/docs/983428587101@hc07/14078/thmb.jpg?s=s&r=1184746272&t=n" border="0"></a><br /><br />私にとって「私」とは
「私」とはなんなのか？
私は何度かこのテーマを考えたことがある。普段の繰り返しの生活や些細なことで落ち込んだとき、私の存在を考え、自問自答する。そこには「問う私」と「問われる私」が存在する。「問う私」は「問われる私」に[356]<br />私にとって「私」とは
「私」とはなんなのか？
私は何度かこのテーマを考えたことがある。普段の繰り返しの生活や些細なことで落ち込んだとき、私の存在を考え、自問自答する。そこには「問う私」と「問われる私」が存在する。「問う私」は「問われる私」に対し、質問を繰り返す。一方で「問われる私」は懸命にこの問題に対し答えを見つけ出そうと考える。この中には「問う私」と「問われる私」の二つの関係で成り立っている。「問われる私」とは「私」そのものである。社会学の研究者であるＧ．Ｈ．ミードはこれを主我といった。これに対して「問う私」とは、自己の中に取り入れられた、他者の視点からの「私」であり、これを客我といった。「私」という一つの肉体の中主我と客我という二つの意識生まれ対立しているのだ。
そして日々の生活の中で自分の考えていることが自分の感じていることとずれていると感じることがある。「やらなければならない」と頭では考えていても、「やりたくない。遊んでいたい」と思ってしまったり、「他人に気を遣わなければ」と考える一方で「面倒くさい。どうでもいい」と心のどこかで思ってしまっている「私」がいる。そんな時、自分の心..]]></description>

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