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		<title>タグ“幸福”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E5%B9%B8%E7%A6%8F/</link>
		<description>タグ“幸福”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[幸福感測定の方法論と日本の実証分析]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/917109202312@hc22/155139/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゆりちゃんまん]]></author>
			<category><![CDATA[ゆりちゃんまんの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 22 Jul 2025 00:57:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/917109202312@hc22/155139/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/917109202312@hc22/155139/" target="_blank"><img src="/docs/917109202312@hc22/155139/thmb.jpg?s=s&r=1753113478&t=n" border="0"></a><br /><br />幸福感測定法についてまとめたうえで、日本における幸福感に関するデータを分析しています。
一部、卒論の参考になるかもしれません。
字数は全てで4321字程度です。[230]<br />はじめに 
近年「豊かさ＝GDP」の図式が限界を迎え、ウェルビーイング指標が国際社会の共通語 になりつつある。国連の『世界幸福感報告書（WHR）』は 2012 年の創刊以来、毎年約 140 ヶ国の主観的生活評価を公開し、2025 年版でもフィンランドが 8 年連続で首位を維持した。 
一方、日本は 2025 年版で 143 ヶ国中 55 位、平均スコア 6.147 と先進国中でも下位にとど まる(Helliwell et al 2025)。物質的インフラが高水準であるにもかかわらず主観的評価が低 迷する &mdash;&mdash; いわゆる happiness&ndash;income paradox(Easterlin 19..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【佛教大学】_80点_倫理学概論_科目最終試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/909497833794@hc25/154520/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gassan]]></author>
			<category><![CDATA[gassanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 26 Feb 2025 22:10:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/909497833794@hc25/154520/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/909497833794@hc25/154520/" target="_blank"><img src="/docs/909497833794@hc25/154520/thmb.jpg?s=s&r=1740575418&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信の倫理学概論2024年度の最終科目試験に合格（80点）したレポートです。限られた試験時間ですので、参考にしていただき、有効活用いただければと思います。[231]<br />1.Sokratesの「汝自身を知れ」ということについて具体的に論じること。

参考文献：小笠原秀実著2021年5月『倫理学概論』

　Sokratesの「汝自身を知れ」という言葉は、Sokratesの倫理学における出発点のような言葉であり、その哲学の根幹をなす考え方であった。「彼の知ることは彼が何も知らぬということ」が、真の知への始まりであると考えた。デルフォイの神殿に掲げられた「汝自身を知れ」という言葉に深く影響を受けたSokratesは、人間にとって最も重要なのは、自らの無知を知り、そこから学び続けることであると確信した。自然界の性質や起源は知ることができないかもしれないが、人間がどのように生きるべきか、人生の目的とは何なのか、魂の最高善とは何かといった倫理的な問題については探究できると考えた。そのため、Sokratesにとって哲学の本質は倫理学にこそあるとされた。
　Sokratesが目指したことは道徳人、及び市民の義務の研究であった。精神的な教育を求め、善悪、賢愚、正義、不義等の普遍的な意味を定めるために努力をした。そして、教育とは「無いものをつくりだす」のではなく、「有るも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】倫理学基礎講読　課題２（２０１９~２０２２年度）合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932100466867@hc17/144267/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kikirm7535]]></author>
			<category><![CDATA[kikirm7535の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 May 2021 21:04:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932100466867@hc17/144267/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932100466867@hc17/144267/" target="_blank"><img src="/docs/932100466867@hc17/144267/thmb.jpg?s=s&r=1620821044&t=n" border="0"></a><br /><br />日本大学通信教育部　倫理学基礎講読　課題２（２０１９～２０２２年度）の合格レポートです。　
本レポートは参考程度とし、ご使用は自己責任でお願いいたします。丸写しなどはご遠慮ください。[272]<br />倫理学基礎講読 課題２ 合格レポート 

回答例 
①ゴルギアスのいう弁論術とは、言論を通じてことを成し遂げ、人間にかかわりのある事柄の中でも最高で最善な技術である。彼にとっての最高善は、自分自身に自由をもたらし、居住する国においても他人を自分のために支配することができることである。言論の力で人を説得するという能力なので、大勢の人が集まる場合に効果を発揮し、正不正に関する事柄に関してなされ、知識ではなく信じ込むことが結果として起こる説得である。事柄そのものを知る必要はなく、説得のコツにより無知な人々に対して知識があるように見せる者である。最高善や正不正の知識ではなく、結果を信じ込ませることが出来るだけである。 
ソクラテスによれば、弁論術は技術でもなく、うれしさと快さをつくりだすことに関する経験に過ぎない。同じ営みには料理法、化粧法、ソフィストの術、政治術など、対象によって分かれているだけで、単なる経験、おべっか、政治術の中の一部門をまねた模倣である。何が最善かに気を配らず、その時に快い思いをさせるだけの技術であり、大衆の関心を買うことを目標にするおべっか使いでしかない。ソクラテスにと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福主義の代表的思想である、功利主義について、説明しなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933195464332@hc17/139057/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rur1]]></author>
			<category><![CDATA[rur1の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Dec 2019 14:43:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/933195464332@hc17/139057/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/933195464332@hc17/139057/" target="_blank"><img src="/docs/933195464332@hc17/139057/thmb.jpg?s=s&r=1577166239&t=n" border="0"></a><br /><br />評価はBでした。
【参考資料】
・加藤尚武「現代倫理学入門」&lt;講談社　1997.2&gt;
・田上孝一「本当にわかる倫理学」&lt;日本実業出版社　2010.11&gt;
・赤林朗/児玉聡「入門・倫理学」&lt;勁草書房　2018.1&gt;
・児玉聡「功利主[286]<br />人は生まれた以上幸福に生きていきたいものである。幸福主義とは何かの行為を「善い」と「悪い」と評価する際に行為の帰結を重視し、その行為が人々の幸福に与える影響を重んじた思想である。その中で幸福主義を広く他者の幸福までも求める観点で考える思想である功利主義について説明する。
　功利主義の特徴の１つ目に帰結主義があげられる。帰結とは結果の事である。結果論と混同して考えられがちだが、決して結果論ではない。帰結主義の特徴は「Aを選ぶとこういう結果になるであろう。」という予測に基づき、行為が正しい事を評価するものだからである。決して事後を評価する結果論ではないのである。
２つ目に前述でも述べた様に幸福主義である。幸福主義は自由や真理にも価値を認め、それらが人々の幸福を増進するからだと考える。快が増える事が善いものであり、幸福である。苦痛や不快は悪いものであり、苦痛や不快を減らすような行為が正しい事、幸福に繋がると考える。
３つ目に総和最大化という考え方である。功利主義は一個人の幸福を最大化しようとするのではなく、人々の幸福を総和する考えである。掛け算などではなく、単純に足し算して最大になるようにし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学法学部通信教育課程　２０２０年　哲学 第３課題 C評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/]]></link>
			<author><![CDATA[ by C'sf*ckin'idiot]]></author>
			<category><![CDATA[C'sf*ckin'idiotの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Aug 2019 01:20:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930129924854@hc18/138181/" target="_blank"><img src="/docs/930129924854@hc18/138181/thmb.jpg?s=s&r=1566836422&t=n" border="0"></a><br /><br />２０２０年度、中央大学法学部通信教育課程 哲学 第３課題です。C評価でした。[108]<br />1.最高善
技術や研究、あるいは行為や選択など、およそ人間によってなされるすべての活動は全て何らかの善を希求している。それゆえ善をもってそれぞれの行為の目的と見なさねばならないが、諸々の目的の間には、他のより高次の目的に到達するための手段となるがゆえに目的とされるものから、それ自体が目的であって、もはや他のものの手段とはならない究極的な目的にいたるまで、目的間にさまざまな高低の序列が見られる。たとえば、鞍作り術の目的は鞍であるが、鞍は乗馬のための手段であり、また乗馬は勝利を目的とする戦争のための手段となり、そして勝利は国家存立のための手段であるというように、もはや他の善きものの手段とはならず、かえって他のすべての善きものがそのための手段となるような究極の善が最高善である。だとすれば、一体何をもって人間の求めるべき最高善とすべきか。人間の求めるべき、あるいは人間が手に入れることのできる最高の善、すなわち人間的善を見定めること、それがアリストテレスがその倫理的研究によって目指した課題であった。 
2.幸福
ところで、何が目指されるべき最高の善であるかに関しては、それは幸福であるとして、あら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学　アリストテレスとカントの各々の倫理説を比較して述べなさい。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mosB]]></author>
			<category><![CDATA[mosBの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 May 2018 12:11:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936400343668@hc16/133904/" target="_blank"><img src="/docs/936400343668@hc16/133904/thmb.jpg?s=s&r=1526008271&t=n" border="0"></a><br /><br />評価Aレポートです。[28]<br />哲学

アリストテレスとカントのそれぞれの倫理説を比較して述べなさい。
アリストテレスは幸福を究極の目的と捉え、その目的に即した行為を善と捉えた。このためアリストテレスの倫理観は「目的論的」と言われる。これに対しカントは実践理性批判の中で人間の倫理観について、アリストテレス以来の思想とは異なる考え「義務論」を提唱した。彼は「定言命法」を定め、それに従うという「義務」を遂行すること、それこそが「善（善い行い）」である、と主張した。本問では、アリストテレスとカントのそれぞれの倫理観を考察し述べる。

アリストテレスの倫理学では、どの存在者も自然本性からして自己に固有の善を追及し、この善の中で自己の完成を遂げるとされる。アリストテレスの考える善は個別的なものであった。そしてすべての人間が同じ権利を持っているとは考えていなかった。

女性や奴隷や非ギリシア人は根本的な理性が欠如しており、普通のギリシア人と同等の権利を持ちえないと考えていた。それゆえアリストテレスの考える幸福は選別的であり、普遍主義の欠如がみられる。アリストテレスによれば、人間にとっての善は理性に従った魂の活動であり、この活動の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[聖徳大学　女性と子どもⅠ　第１課題　山姥と微笑]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/935069888632@hc17/129049/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ku-ki]]></author>
			<category><![CDATA[ku-kiの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Apr 2017 02:15:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/935069888632@hc17/129049/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/935069888632@hc17/129049/" target="_blank"><img src="/docs/935069888632@hc17/129049/thmb.jpg?s=s&r=1492967710&t=n" border="0"></a><br /><br />参考文献
短編女性文学現代　今井泰子　おうふう　1993年11月30日[88]<br />第１課題　第１設題
本論文は、「山姥の微笑」より作家と作品について女性像に注目して論ずることを目的とする。
作者は「性の幻想」（昭和64）の中で、＜芸術とは、結局、現実認識にあるわけですね。現実をいかに認識したかということで、その作家は作品を創りはじめることができるわけです＞と語っている。つまりこの作品を読み解くことは、大庭みな子氏の当時の現実認識がどうであったか、女性というものをどう考えていたかを理解することに直結するものと考えられる。
　本作品は山姥という古典的でしかも幻想的な題材にも関わらず、内容は現実の、それも現代的な女性の一生とその内面を端的に描いた作品となっている。つまりこの作品で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[64倫理学概論第2課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126352/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:05:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126352/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126352/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126352/thmb.jpg?s=s&r=1473998705&t=n" border="0"></a><br /><br />カントにおける道徳と幸福の関係について述べよ。[69]<br />カントにおける道徳と幸福の関係について述べよ。
イマヌエル・カントの倫理学は厳格な印象があり、幸福について論じたのではなく道徳や義務を論じたと言われるが、実は幸福とは何かを重視し、深く考えていたとされる。
彼は貧しい市民の子に生まれ、父は馬具職人、母は信仰心の厚い人物であったが、その家庭に育ったことを感謝していた。彼は「母親について語るたびごとに、その胸が感動におののき、その目は輝き、そしてその一言一言には、母に対する子としての心からの敬慕の念があらわれていた」と伝えられるほど大変幸福な少年時代を送ったが、彼が13歳のときに母を、22歳のときに父を亡くしてしまう。20代、30代では知識欲旺盛に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[[日大通信]法学 メディア MA 最終試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950023859848@hc12/114531/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nakanosima]]></author>
			<category><![CDATA[nakanosimaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Jul 2014 08:48:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950023859848@hc12/114531/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950023859848@hc12/114531/" target="_blank"><img src="/docs/950023859848@hc12/114531/thmb.jpg?s=s&r=1406591327&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />1、次の事柄が社会規範であることを説明せよ。「他人の物を盗んではならない。」
　社会規範は人が社会生活において守らなければいけない最低限のルールであり、私たちが暮らす世の中には、たくさんの社会規範が存在している。この社会規範とは私たちが生活を送るうえで守らねばならない事柄であり、集団や社会の秩序を維持するために必要な規則や決まりである。社会規範が守られないと、この社会に暮らす人々は常に他人からの侵害に怯えて準備をしなければならず不安との共存となり、安全で幸せな生活を送る事は不可能になる。
　そのような世の中では人々の幸せを実現する事は大変難しく、人々はお互いの幸せの実現のため、安全に生活するた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イギリス文学史Ⅱ 分冊２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/105732/]]></link>
			<author><![CDATA[ by けっけっ]]></author>
			<category><![CDATA[けっけっの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Aug 2013 17:06:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/105732/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952855190597@hc11/105732/" target="_blank"><img src="/docs/952855190597@hc11/105732/thmb.jpg?s=s&r=1376813193&t=n" border="0"></a><br /><br />日本大学通信教育部　課題１のA判定合格レポートです。
課題に忠実によく学ばれています。両詩人の作品の比較も詳しくなされています。結構でした。とのおほめを頂きました。[242]<br />イギリス文学史　Ⅱ
　　　　　　０４１２（分冊２）
　英国を代表する詩人P. B. Shelly (1792-1822) の「西風の賦 (Ode to the West Wind,1819 )」とJ. Keats (1795-1821)の「ナイチンゲールに寄せる歌(Ode to a Nightingale, 1819 )」を比較する。
　Shellyはロマン主義(romanticism)時代の詩人であり、自由を求める革命児としても知られていた。「西風の賦」は彼の詩の中でも有名な作品で、1819年に書かれたこの作品は、激しく吹き付ける西風に託して詩人の理想と使命を歌ったものである。全体は５連から成り、各連は14行で構成され又、Danteの「神曲」の詩形である３行で１つのスタンザをなすテルツア・リマという三韻句法で書かれている。この形式は、長さに制限はないが、詩の最後の部分は、最後の三行連句の真ん中の行の最後の押韻を繰り返す一行又は二行連句で締めくくられる。
Wild spirit, which art moving everywhere;
Destroyer and pres..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2012年度 文学 第四課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102535/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 13:49:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102535/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102535/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102535/thmb.jpg?s=s&r=1365914951&t=n" border="0"></a><br /><br />ゴリオ爺さん

評価：B[30]<br />2012年度 文学 第四課題
　オノレ・ド・バルザック（1799-1850)はパリの法律事務所で見習書記として研修を行うとともにパリ法科大学で学び、20歳のとき、両親の希望する公証人の経歴をとらず作家になることを宣言する。当初は当時の王道である韻文劇を、次に小説に転じて、いくつかの筆名を使い分けながら通俗小説や新聞雑誌の記事を大量に書いた。代表的な作品としては、『最後のふくろう党員』、『結婚生理学』、『人間喜劇』などがある。
　
　本作品は、1835年に発刊され、『人間喜劇』のうち「風俗研究」の「私生活場景」に含まれる。作中人物が他の小説にも登場する、人物再登場の手法を始めて意識して用いた作品である。以下に本作品のあらすじを簡潔に記す。
　
　1819年、パリのカンチエ・ラタンにある家賃が程良い下宿屋ヴォケール館には様々な社会背景を背負った７人の住人が住んでいた。本作品の主人公ラスティニャックは立身出世を夢見た野望家の青年である。ゴリオ爺さんと呼ばれる元製麺業者と、ヴォートランという謎の中年男もいる。下宿の人たちはゴリオ爺さんに対して嘲り笑わっていたが、上流階級に嫁いだ2人の娘に金を工..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ブータンの発展と国民総幸福度]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947913346156@hc12/99178/]]></link>
			<author><![CDATA[ by トーダイデカダン]]></author>
			<category><![CDATA[トーダイデカダンの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Dec 2012 11:10:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947913346156@hc12/99178/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947913346156@hc12/99178/" target="_blank"><img src="/docs/947913346156@hc12/99178/thmb.jpg?s=s&r=1355191840&t=n" border="0"></a><br /><br />「国民総幸福度(GNH: Gross National Happiness)」で知られるブータンについてのレポートです。ブータンは王が自ら憲法を作って民主化したり、近代化しすぎず伝統を保護して観光を促進するなど独自の国づくりを勧めています。[298]<br />ブータンの発展と国民総幸福度
０．ニュースソース
&ldquo;Crowning Glory&rdquo;, The Economist , Nov 13th 2008
ヒマラヤの奥地に世界で最も若い民主主義の国、ブータンがある。成立1世紀を迎える新しい王朝では新しい君主の戴冠式が行われ、第五代君主は先王によって始められた民主化と開発の経路に続くと誓約した。その進歩の方法として、彼は父親がGDPに変わる概念として打ち出したGNH（国民総幸福度）という概念を受け継ぐようだ。今年GNH委員会が行った試験調査では、国民の3分の2以上が幸福である、と分類された。国連の人間開発指数はブータンが177カ国中133位であることを示しているが、ロンドンのシンクタンクであるNew Economics財団はブータンを13番目に満足度の高い国として位置づけた。当分の間GNHの4つの柱（持続可能な開発、文化の保護、環境保全、良い統治）は続きそうだ。しかし、伝統の定義など不明瞭な点は多い。国民は国王を信頼し安心しきっているが、結果として彼が国を沈めることに気づくのではないだろうか。 
はじめに
1.1発表の目的
ヒマラヤ山脈東部の小国ブータン。鎖国状態から抜け出した同国は1950年代から国際化と近代化を決め、開発と民主化を進めてきた。しかし、開発においては単なるGDP一辺倒の経済開発ではなく、独自の概念である「GNH（国民総幸福度,Gross National Happiness）」を打ち出して方針としており、世界中から注目を集めている。これは単なる理想目標ではなく、GDPの指標としての不十分性を指摘し、持続的可能な発展をなすための新たな指標を作り上げんとする意志である。また、これまで発展途上国の開発においては「伝統社会から近代社会へ」という一方通行が通念とされ、伝統と近代化は対立する概念とされてきたが、ブータンはこの両者のバランスをとりつつも発展を進めていく姿勢をみせている。これら、ブータンの開発思想は2008年に制定された憲法にも結実している。このようなブータンの試みは「開発」の概念に新たな視点を付与するであろう。本稿ではブータンの開発政策について経済的な面から考察し、「経済発展」と「それを抑制する政策」を前にどうバランスをとっているか評価する。
1.2構成
　1．はじめに　２．開発とGNH　３．ブータンの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[一寸法師、桃太郎歴史、意義、メッセージ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98192/]]></link>
			<author><![CDATA[ by loveryo]]></author>
			<category><![CDATA[loveryoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Nov 2012 15:53:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98192/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98192/" target="_blank"><img src="/docs/951480623783@hc11/98192/thmb.jpg?s=s&r=1351839223&t=n" border="0"></a><br /><br />保育科文学の合格済みレポートです！[51]<br />『昔々あるところに、お爺さんとお婆さんがいました&hellip;.』と言うフレーズは、おそらく幼少時代に、誰もが聞いたことのある典型的な日本の昔話の冒頭文である。日本のお伽話のほとんどは、こういうフレーズで始まる。日本には、古くから語り継がれてきた、様々なお伽話があるが、時代や地域によって、あらすじや内容が、異なっている物語も多く見られる。では、お伽話はどのように変化をしてきたのか、歴史、そしてそれらが、子どもたちへ伝えたいメッセージは、何なのであろうかということを、日本人に広く知られている、「桃太郎」と「一寸法師」をとりあげて、検証していこうと思う。
　まず、子どもに人気の高い「桃太郎」についてだが、発生は室町時代であり、その話しの原形は、「川から流れてきた桃を、拾って食べたお爺さんとお婆さんが若返って、桃太郎が誕生した。」と言われている。そして現在一般化している｢桃太郎」は、誰もが知っている通り、桃から生まれた桃太郎と語られている。ではなぜ、梨や栗ではなく、桃なのだろうか。
中国の伝説では、桃は不老長寿の仙果とされている。日本でも｢古事記｣には、桃の実には精力があると記されている。このように、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[エロス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948369042751@hc12/97961/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wakagi531]]></author>
			<category><![CDATA[wakagi531の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 20 Oct 2012 22:20:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948369042751@hc12/97961/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948369042751@hc12/97961/" target="_blank"><img src="/docs/948369042751@hc12/97961/thmb.jpg?s=s&r=1350739238&t=n" border="0"></a><br /><br />ギリシア神話の神であるエロスについて書いたレポートです。
文献を多く使ったので質は高いと思います。[145]<br />「エロス」・・・ギリシア神話の愛の神。（広辞苑）。私は「エロス」という言葉に対して、卑猥、汚れている、性欲など、あまりいいイメージを持っていなかった。この時点では、まだ「エロス」本当の意味を知らなかった。なので、「エロス」に愛の神という意味が込められていることを知った時、私はとても驚いた。このレポート作成を通じて、私は、「エロス」について深く知ることが出来た。
谷川先生が提示した参考文献の中から、プラトン著の「饗宴」を選ぶことにした。選んだ理由としては、今まで私が偏見を持っていた「エロス」という言葉をいろんな方面で理解することができたからだ。本の内容は、悲劇詩人アガトンが主催した饗宴において、当時紀元前４１６年のアテナの優秀な教養人（ファイドロス、パゥサニヤス、エリュキシマコス、アリストファネス、アガトン、）がエロスについて個人個人の意見を述べるという物である。私は彼らの演説を自分なりにまとめてみた。
最初に演説を始めたのはファイドロス。彼によれば、エロスの本質として挙げるべきことは、その出生が極めて古いことであった。エロスは最初の神様であるが、最初の者は最も尊厳に値する者でなければな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[オイディプス王☆]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/]]></link>
			<author><![CDATA[ by airiii]]></author>
			<category><![CDATA[airiiiの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 15:21:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952506125825@hc11/82813/" target="_blank"><img src="/docs/952506125825@hc11/82813/thmb.jpg?s=s&r=1309674109&t=n" border="0"></a><br /><br />オイディプス王
　まず私はこの劇のテーマを行動によって変えることができるのか、真実をすべて
知ることは本当に良いことなのか、神によって定められた宿命を人間の決断また人間ゆえの愚かさによって引き起こされる悲劇であると考える。
　第一に、この劇はオイディプス王にまつわる悲劇の一説を取り上げたものである。
したがってこの劇がはじまるまでのあらすじを述べる必要がある。
　テーバイの王ライオスとその妻イオカステは子をもうけるが「生まれた子は父親を殺し母親と婚姻関係を結ぶことになる」との信託を受けライオスは生まれた男の子を殺すよう召使いに命じるが召使いはその子を殺さずに山に捨てる。そしてその子は隣国のコリントス王夫妻の実子ではないと聞き神に伺った結果ライオスが受けた同じ神託を受ける。オイディプスはそれを勘違いし、両親を殺さぬよう国を離れる。その頃テーバイで怪物のスピンクスを倒すため神託を受けにいこうとしていたライオスは行き違いでオイディプス王と出会い些細なことからオイディプスは名さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[カンディーﾄﾞ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82304/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madoka0710]]></author>
			<category><![CDATA[madoka0710の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Jun 2011 21:13:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82304/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82304/" target="_blank"><img src="/docs/958553359470@hc09/82304/thmb.jpg?s=s&r=1307880808&t=n" border="0"></a><br /><br />カンディーﾄﾞ【薯】ヴォルテール[48]<br />主人公カンディードは大きな城の中で、城主の縁者として心根優しく成長する。人を疑うことを知らない彼は城の中で家庭教師であるバングロス師の教えを忠実に受け止め「この最善の可能世界においては、一切の事柄は善である」というライプニッツの楽天主義を信じて幸福に育った。しかしある日城の美しいキュネゴンド姫との抱擁を城主に見られて、楽園のような城を追い出され、カンディードの苦難の放浪の旅が始まる。
　フランスの小説家、劇作家、思想家であり、信教と言論の自由を求める合理主義の啓蒙思想家として活躍していたヴォルテールは18世紀当時の支配階級に受け入れられており、「この最善の世界においては、すべては最善に仕組まれている」というライプニッツの楽天主義を皮肉るためにこの本を書いたといわれていますが、しかし、彼に襲い掛かる多くの災難の前で「全ては善」と言い切るような形而上学的解決ではなく、現実的解決を求めようとしたヴォルテールの態度は責めきれるものではありません。『カンディード』は、現代の古典たりうるメッセージ性を強く遺しているように思われます。また、作者の考えを代弁する立場の登場人物は決まって自分の身分や教養..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[目的概念・実体概念]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955321982121@hc10/79781/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chofu]]></author>
			<category><![CDATA[chofuの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Mar 2011 22:30:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955321982121@hc10/79781/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955321982121@hc10/79781/" target="_blank"><img src="/docs/955321982121@hc10/79781/thmb.jpg?s=s&r=1300195859&t=n" border="0"></a><br /><br />社会福祉には、「目的概念」としての意味と「実体概念」としての二つの概念があるといわれ、この概念をさらに「広義と狭義」に分けて論ずる研究者が多く、その解釈の差異はあるものの、多くの福祉研究論者がこの概念を基にそれぞれ定義・提唱している。
まず、目的概念として、広義の社会福祉をとらえる理論がある。
相澤譲治は、狭義の意味あいで個人を対象とした社会的サービスを実体概念として捉えたうえで、社会福祉とは国民一人一人の幸福という広義の意味合いもあり、理想的に社会福祉を捉える目的概念としての意味合いもあると述べている。
一方、実体概念を広義と狭義に区分し、広義に捉えた場合を「広義の社会福祉」とする理論もある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:50:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77720/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77720/thmb.jpg?s=s&r=1295376631&t=n" border="0"></a><br /><br />幸福と理性の関係について述べよ
1、幸福と理性の関係について
　「幸福とはどんな時か？」や「幸福とは何だと思うか？」と人に尋ねれば、「宝くじが当たった時」や「家族で楽しく食事をしている時」などの百人百色の答えが返ってくるだろう。
　そして、それらの答えに共通して言える事は、お金、健康、人間関係やスポーツ等の活動、大会での優勝や学問的な成果、生理的欲求等が満たされた時といった要素と、「うれしい」や「満足」といった感情の2つの要素が必要であると言えるだろう。
　すなわちスポーツの大会に負けても、その大会に出場できた事に対して「うれしい」や「満足」だと思えるのであれば、幸福であると言えるのではないだろうか。
　今回は、エピクロス、ストア派、アリストテレス、カント、以上4人の幸福論を考えてみようと思う。
　
2、エピクロスの幸福論
　エピクロスの考える幸福とは、幸福＝快＝善であるという考え方である。
　しかしエピクロスの考える快は普段私達が考える快楽とは違いアタラクシア(atra-xia)
と呼ばれる状態である。
　アタラクシアとは、精神的な苦痛が無いことと、心が平静であるということで、エピ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理　3,200文字レポート清書 終]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoshyy]]></author>
			<category><![CDATA[yoshyyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Jan 2011 03:49:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953894836063@hc11/77643/" target="_blank"><img src="/docs/953894836063@hc11/77643/thmb.jpg?s=s&r=1295376555&t=n" border="0"></a><br /><br />「幸福と理性の関係について述べよ」
　私的解釈において幸福とは、度合いがあり、また受けるための条件も変わってくる。
一般的な幸福とは、欲求不満の解消である。この欲求の中でも特に衣食住の三大欲求の不満解決により受ける幸福は、とても小さいが容易である。つまり、三大欲求が満たされているならばそれが幸福な状況であるともいえよう。
別の幸福の状態を考えてみる。人が幸福と感じるのは、欲求が満たされた時だけではない。楽しい事や、嬉しい事があった時、つまり心がプラスである時も幸福と感じられよう。
幸福とはなにか、昔の哲学者たちが幸福について考えた幸福論がある。
　紀元前341～270年、古代ギリシャの哲学者エピクロスは、「幸福＝快楽＝善」と考えた。彼は、幸福とは「快楽」を追求することであり、肉体的、感賞的快楽ではなく、心の平静（アタラクシア）であり、精神的、知的快楽の事であると説いている。また、その幸福を得るための理性の役割とは、理性に従い真の快楽を選び苦痛を避けなくてはならないと言っている。かれの幸福論に「もしある快を味わうことで、後に身体に苦痛が生じたり心の平静が乱されたりするならば、その快は味..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代化プロセスと自己肯定感]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955295697028@hc10/70343/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sss_nnn]]></author>
			<category><![CDATA[sss_nnnの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Aug 2010 00:29:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955295697028@hc10/70343/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955295697028@hc10/70343/" target="_blank"><img src="/docs/955295697028@hc10/70343/thmb.jpg?s=s&r=1281367766&t=n" border="0"></a><br /><br />戦後の近代化プロセスの中で、個人がどのように孤独化し、その結果自己肯定感を持つことができなくなってきたか、また、その対処法としての教育政策について述べています。

一、個の浮遊
　　１，流れる
　　　　・特徴
　　　　・自己肯定感[340]<br />近代化と自己肯定感
目次
0、 序　関心
一、個の浮遊
　　１，流れる
　　　　・特徴
　　　　・自己肯定感への障害
　　　　・条件付きの肯定
　　　　・流される
　　　　・回避のための社交性
　　　　・家族
　　　　・家族における価値観の喪失
二、価値の相対化、個の浮遊の問題点
　　１，個の浮遊とは
　　　　・定義
　　　　・自由と浮遊
　　　　・近代化と浮遊
　　　　・不安、自己肯定感の喪失
　　２，諸問題　　
　　　　・自殺・自傷
　　　　・理由なき殺人
　　　　・宗教
　　　　・フリーター、夢
　　　　・援助交際
　　　　・留学
　　　　・厳罰化
三、共同体の変貌
　　１，地域、都市
　　　　・３つの豊かさ
　　　　・20世紀の都市
　　　　・生活単位の圧縮
　　　　・豊かになるために一人になる
　　　　・交換可能なものの交換
　　　　・外部への機能委譲
　　２，郊外
　　　　・団地化
　　　　・ニュータウン化
　　３，家族
　　　　・成り立ち
　　　　・社会化
　　　　・小家族化
　　４，コミュニケーションの希薄化
　　　　・コンビニ、デニーズ　　　　
　　　　・奥井復太郎『大都市論』、都市的人間
　　　　・都市におけるアイデンティティ
　　　　・都市における道徳
　　　　・都市における人格の分離乖離
　　　　・地元商店
四、国家と共同体と個人
　　１，共同体のもうひとつの役割〜中間共同体
　　　　・抵抗力　　　　
　　　　・感情的な安定感
　　　　・緩衝材としての中間共同体
　　２，企業・会社
　　　　・共同体としての企業
　　　　・共同体としての企業の終わり
　　３，国家の台頭
　　　　・安定装置としての国家
　　　　・国家が台頭できた理由
五、幸福のイメージ
　　１，幸福のイメージ
　　　　・幸福のイメージとは
　　　　・スローフードとロハス
　　　　・やる気・モチベーション
六、必要なこと
　　　　・中間共同体の模索
　　　　・幸福のイメージ作り、教育
　　　　・幼児教育と自己肯定感
　　　　・自己肯定感に対して幼児教育が果たす役割
　　　　・小中学校教育における自己肯定感の獲得　
　　　　・学校教育への期待　
　　　　・期待に応える
　　　　・行事のあり方
　　　　・３つの利点
　　　　・癒しとしての知
　　　　・幸福のイメージの効用
七、終..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代社会と功利主義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961210869645@hc08/69344/]]></link>
			<author><![CDATA[ by julie-uki]]></author>
			<category><![CDATA[julie-ukiの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 19 Jul 2010 10:58:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961210869645@hc08/69344/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961210869645@hc08/69344/" target="_blank"><img src="/docs/961210869645@hc08/69344/thmb.jpg?s=s&r=1279504738&t=n" border="0"></a><br /><br />近代社会と功利主義
　私たちの生きる社会は近代社会である。この近代社会を規定する要素の一つとして、功利主義がある。本論では、倫理思想のなかでも近代社会と不可分の関係にあり、現代の私たちに多大な影響を与えている功利主義について検討する。そのためにまず、創始者であるベンサムやミルの議論を通して功利主義の原理をみていく。次いで、功利主義と近代社会の関係との関わりについて検討する。
功利主義は、「人間は誰でも自らの幸福を追求する」という前提から出発する。そのうえで幸福の実質を快楽とみなし、その快楽を有用なもの、効用を一切の価値の根底に据える。このような幸福を快楽のうちに認め、功利の原理を立て、それにもとづき道徳理論を基礎づけたのはベンサムである。
功利の原理とは、快楽と苦痛の増減によってそれぞれの行為の善悪を決める原理を意味する。すなわち、ベンサムは善悪の判断基準を、快楽と苦痛の増減、つまり「量」として捉え、より多くの快楽をもたらした行為を善とみなしたのである。したがって、行為の結果としての快楽と苦痛の計算、つまり「快楽計算」が正しい行為の基準、道徳的価値のモノサシになるのである。
また、ベン..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[読書ノート、エッセイ6]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67878/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:52:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67878/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67878/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67878/thmb.jpg?s=s&r=1274514761&t=n" border="0"></a><br /><br />「修身教授録」一日一言 2009年03月27日 森 信三, 藤尾 秀昭 直線は、いかに延長するも、ついに直線を出でず。それが円となるには、直線は自らの進路を遮断せられて、無限にその方向を転ずるの極ついに成る。●四十歳まではいわゆる潜行密用であって、すなわち地に潜んで事故を磨くことに専念することが大切です。●私には友と親しむと言わないで、とくに友を尚ぶと言ったところに、深い味わいがあると思うのです。では何故われわれは、友を尚ぶ必要があるのでしょうか。一方から言えば、友人は自分の同輩であります。そうした友人を、何故とくに尚ぶと言うかというに、畢竟これは道の上から言うことであります。すなわちその友人が、道の上からは、自分より一歩ないし数歩すすめており、したがって自分は、その友において大いに尊敬すべきものを認めるという時、初めて友を尚ぶとなるわけです。・・・師弟の関係から絶対的なものを教わるとすれば、友人関係からは、人生の相対的方面を教えられるとも言えましょう。●そうじて言葉というものは、単に外側からながめている程度では、決してその真相の分かるものではありません。すなわち言葉の真相は、どうして..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[読書ノート、エッセイ1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67873/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:52:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67873/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67873/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67873/thmb.jpg?s=s&r=1274514756&t=n" border="0"></a><br /><br />漢字の感じ 2010年２月20日 華
百合の花のように釣鐘型に美しく咲いた花の様子を表している。美しく華やかな花の姿を、たった一文字で表現しきった観察眼の確かさと表現力の豊かさは、まさにお見事！の一言である
恋
恋の正字は「糸＋言＋糸＋心」で成り立つ。「恋の字は愛し愛しという心」というがあるが、これは、「糸」と「愛し」をかけたもので、本来は「言葉が糸に絡まったようになかなか出てこない、切なくてもどかしい心」を表している。
徳
目と心が同じ目標（十）に向かって素直に行動している姿（ぎょうにんべん）を語源としている。道徳的、倫理的な理想の姿を意味している。人の性格で長所とあげられる要素を全部ひっくるめたぞ！というような言葉なのである。成り立ちそのものは大変単純でわかりやすいものなのだが、とても奥が深い字といえる。
古代中国の思想家・孔子の言葉をまとめた「論語」に、「徳は孤ならず、必ず隣あり」とある。徳のある人は孤立することなく、必ず理解者や助けてくれる人が集まってくる、という意味だが、現代の名のあるアーティストも、「才能ある人間はたくさんいるが、一流になれるかどうかはその人間に徳があるかど..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Ｒ０１１５ 　漢文学　第２設題　白居易]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/]]></link>
			<author><![CDATA[ by foreveryoungjpjp]]></author>
			<category><![CDATA[foreveryoungjpjpの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 01 May 2010 19:21:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/" target="_blank"><img src="/docs/958828040823@hc09/66391/thmb.jpg?s=s&r=1272709311&t=n" border="0"></a><br /><br />白居易の生涯・残した詩の概要と、長恨歌が源氏物語に与えた影響について。
はじめに
白居易は中唐を代表する詩人である。白居易の作品は中国ばかりでなく、日本でも多くの人に愛され、日本の文学にも大きな影響を与えている。そこで本レポートでは、まず白居易の作品の概要を説明する。そして、白居易の感傷詩である「長恨歌」をとりあげて、この作品が日本の源氏物語に与えた影響を中西進著『源氏物語と白楽天』の一節を借りながら述べる。
第一章　白居易の生涯と作品の概要
白居易（白楽天）は西暦七七二年に、河南省に生まれた。彼は五、六歳の時に、すでに詩の書き方を学び、九歳の時に、抑揚と韻律を心得ていたという。
　初期の詩に共通な主題は兄弟やいとこ達との別離である。初期の作品群には幸福そうな詩は見当たらない。
政治を批判し、人民の苦痛を訴える諷諭詩をはじめとして「長恨歌」や「琵琶行」など、すべての現存するもの三千余首、唐代一の多作な詩人である 。
白居易の詩は諷諭詩・閑適詩・感傷詩・雑律詩の四類に分けられる。政治の乱脈を諷刺し、社会の混迷を批判し、人民の苦痛をうったえて、詩一七二首を作った。みずから名づけて、&ldquo;諷諭詩..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「脳」の働きから「幸福」を考える.]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956738191901@hc10/64606/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takenn260]]></author>
			<category><![CDATA[takenn260の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 11 Mar 2010 01:31:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956738191901@hc10/64606/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956738191901@hc10/64606/" target="_blank"><img src="/docs/956738191901@hc10/64606/thmb.jpg?s=s&r=1268238666&t=n" border="0"></a><br /><br />「脳」の働きから「幸福」を考える。
人間の「脳」は、どのようにして「幸福」を感じていくのでしょうか？
「脳」を研究すれば「心」がすべて分かる！といったような印象をもたれていることも多いようですが、脳研究の最前線においても、「心」についてはよく分かっていないようです。
「脳」と言うのは、二重構造になっているのだそうです。
眼、耳などから入ってきた外の情報が脳に伝えられ、「感覚」として認識される部分。
この「感覚」の情報が、記憶、学習、体内の情報（健康状態）などと結びついて判断する「意識」の部分。
例えで言いますと、「空を見て青いと感じた」事が「感覚」の部分だとすると、それが、田舎の空の記憶と結びついて「懐かしい風景だな。久々に実家に帰ろうか？」と思う。これが、「意識」の部分だそうです。
例えでもわかるように「脳」と言うのは、「感覚」の上位に「意識」が被さる二重構造になっております。
「意識」が「感覚」をコントロールして行動を促す事もあれば、「感覚」が暴走をして「意識」が働かなくなることもあるそうです。
ここのところが、最先端の脳科学をもってしても「心」の核心とも言うべき「意識」の部分は、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[言語学概論1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60848/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takatosinet]]></author>
			<category><![CDATA[takatosinetの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 22:37:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60848/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957348387737@hc09/60848/" target="_blank"><img src="/docs/957348387737@hc09/60848/thmb.jpg?s=s&r=1260970675&t=n" border="0"></a><br /><br />言葉の意味が脈絡によって異なる場合を、例をあげて説明しなさい。
　日常生活から例をあげてみる。
「おまえアホか！」
この発話だけで考えると、『おまえ』も『アホ』も人を見下した言葉であり、相手を非常に不愉快な気持ちにさせるものだろう。
　だが、この発話の前後に次のようなやりとりがあればどうだろうか。
「いや～この前、大学で彼女と一緒に授業を受けていたんだけど、ちょっとムラムラしてさ、休憩時間に誰もいない教室で、あんなことやこんなことをしちゃったよ。でも、途中で海外文化研究サークルのやつらがサークル活動で使うのか、教室の中に入ってきやがって、チョーびっくりしたよ。」
「大学で何やっとんねん。おまえアホか！」
　現実によくある話ではないが、私も１度か２度ほど、こんな話をお酒の席で耳にしたことがある。このような文脈の中で使われている
「おまえアホか！」
という言葉は、相手を見下し軽蔑の意味をこめて使われているわけではない。この言葉の中には、相手への親しみや、すごいという賞賛の意味までこめられている場合がある。実際に話し手も「おまえアホか」と侮辱の言葉を言われたのみのかかわらず、笑いながら自慢げ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[モダンタイムスの結論についての考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595600423@hc09/59857/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boobybird18]]></author>
			<category><![CDATA[boobybird18の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Nov 2009 23:43:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595600423@hc09/59857/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595600423@hc09/59857/" target="_blank"><img src="/docs/958595600423@hc09/59857/thmb.jpg?s=s&r=1259332983&t=n" border="0"></a><br /><br />モダンタイムスの結論についての考察。
そもそもモダンタイムスとは現代、近代を意味し、資本主義、市場経済をこのようにコミカルに皮肉ったこの映画は当然問題視された。確かにこの映画は当時の社会を批判したような内容になっているが、含まれているメッセージはそれだけではないような気もする。それは「人間の幸福」についても語られている映画なのではないだろうか。それがモダンタイムスの結末から読み取ることができる。
最後のシーンで注目したいのが、チャプリンの口周りを手でなぞって笑いかけるシーンだ。ここでは心を持った人間同士の「言葉を持たない会話」がとてもよく伝わる。それまでは工場が何度も登場し、機械化した社会を強調していた。工場で働くチャプリンに笑顔はなく、毎回のように他者から激怒されるという展開が続いていた。そしてこのラストシーンではチャプリンの心からの笑顔が見られた。まさに、人間の機械化に抗し、個人の幸福を求める物語であると言える。最後の一本道は、これまでのゴチャゴチャした機械や町並みと対照的に、何もない風景がずっと続いていた。そこには確かな希望が見られた。仕事を失ったことに対する絶望はまるで見られな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自己愛と他者愛について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59425/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59425/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59425/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59425/thmb.jpg?s=s&r=1258940500&t=n" border="0"></a><br /><br />今回、私はアンドレ＝コント・スポンヴィルの『愛の哲学・孤独の哲学』から始まった、人を愛することについての講義に最も関心を持ったため、そのことについて述べようと思う。
　その中で、講義中先生の仰ったことに共通するものとして、人間は｢自己を高[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会学　「『社会問題』とは何かを社会学的に定義し、その上で現在日本でそして世界で生じつつある『新しい社会問題』とはどのようなものであるかを、具体的な例をあげて論じなさい」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961252262587@hc08/51350/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jgorochi]]></author>
			<category><![CDATA[jgorochiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 19 Jun 2009 15:23:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961252262587@hc08/51350/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961252262587@hc08/51350/" target="_blank"><img src="/docs/961252262587@hc08/51350/thmb.jpg?s=s&r=1245392626&t=n" border="0"></a><br /><br />『社会問題』とは何かを社会学的に定義し、その上で現在日本でそして世界で生じつつある『新しい社会問題』とはどのようなものであるかを、具体的な例を挙げて論じなさい。
　社会問題とはアメリカの社会学者R・K・マートンによれば、「基本的には実態そ[352]<br />『社会問題』とは何かを社会学的に定義し、その上で現在日本でそして世界で生じつつある『新しい社会問題』とはどのようなものであるかを、具体的な例を挙げて論じなさい。
　社会問題とはアメリカの社会学者R・K・マートンによれば、「基本的には実態そのものと人々がこうあるべきと考えていることとの間にかなり大きな食い違いが存在するとき、社会問題が存在する。」である。それゆえ社会の変化や人々がこうあるべきと考える姿の変化によって社会問題も変容してくる。
　冷戦が終結し、米ソを中心とする東西の大きな対立が終わると世界はグローバル化への道を歩み始めた。民主主義と市場経済が世界のほとんどの地域に浸透し大きな戦争の脅..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[志賀直哉・「小僧の神様」論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959921137545@hc09/36871/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nao]]></author>
			<category><![CDATA[naoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Feb 2009 16:18:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959921137545@hc09/36871/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959921137545@hc09/36871/" target="_blank"><img src="/docs/959921137545@hc09/36871/thmb.jpg?s=s&r=1235287088&t=n" border="0"></a><br /><br />「小僧の神様」論
　確かに「小僧の神様」は傑作である。数少ない彼の成功した本格小説の中でも、「麻布六本木辰床の芳三郎は風邪のため珍しく床へ就いた」の、まるで叙事詩のように雄渾な書き出しで始まる「剃刀」や、田舎町に住む瓢弄りの少年を描いて芸術[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[詩人分析およびその社会にもたらす影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22453/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mastercourse02]]></author>
			<category><![CDATA[mastercourse02の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 14:01:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22453/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22453/" target="_blank"><img src="/docs/961831453959@hc08/22453/thmb.jpg?s=s&r=1216011665&t=n" border="0"></a><br /><br />【レポートにて取り扱う詩人：Sylvia Plath】　　　　　　　　　　　　　　　　　　
&quot;I have done it again.　 &ldquo;またやりおおせた。 One year in every ten　　十年に一度、 I manage[224]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係について述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/]]></link>
			<author><![CDATA[ by haruna0416]]></author>
			<category><![CDATA[haruna0416の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Jan 2008 13:13:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429387801@hc06/17312/" target="_blank"><img src="/docs/983429387801@hc06/17312/thmb.jpg?s=s&r=1199420038&t=n" border="0"></a><br /><br />　「幸福と理性の関係について述べよ。」
　人間は常に幸福を追い求め、幸福でありたいと願ってきた。幸福とは何か。それは人によってさまざまな捉え方がある。
　今日の世界では、テロや戦争などで幸福な生活を奪われてしまった人や家族がたくさんある。お[356]<br />　「幸福と理性の関係について述べよ。」
　人間は常に幸福を追い求め、幸福でありたいと願ってきた。幸福とは何か。それは人によってさまざまな捉え方がある。
　今日の世界では、テロや戦争などで幸福な生活を奪われてしまった人や家族がたくさんある。お金がなく、食べものが買えず、不自由な生活をしている人も大勢いるが、その人たちにも自分なりの幸福がある。幸福とは、ものやお金で買えるようなものではなく、愛する人を大切にして、今の時間、今の自分を大切にするからだと考えるからである。
　多くの人々は、幸福とは、善をなすことによってことによって獲得され、またその善は理性によって理解されると考えてきた。
　たとえばエピクロスは、肉体的、感覚的快楽を否定し、身体的苦痛がなく、心が平静であること（アタラクシア）が最上の快、つまり幸福であると考えた。たとえば、好きなものを食べるのは一時の快であるが、食べすぎはやがて苦になるといったように、もしある快を味わうことで、後に身体に苦痛が生じたり、心の平静さが乱れたりするならば、その快は味わうべきではない。逆に一時的な不快や苦痛を伴うにしても、それが身体の無苦と心の平静さに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係について述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428799301@hc07/16869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 蜜]]></author>
			<category><![CDATA[蜜の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 31 Dec 2007 11:58:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428799301@hc07/16869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428799301@hc07/16869/" target="_blank"><img src="/docs/983428799301@hc07/16869/thmb.jpg?s=s&r=1199069913&t=n" border="0"></a><br /><br />「幸福と理性の関係について述べよ。」
人間にとっての幸福とは何であるか、考えたことがあるだろうか。自分にとっての幸福ならば、答えることが出来るが、「人間」という大きな括りで考えると、答えを出すことは難しい。なぜならそれは、人それぞれにより[356]<br />「幸福と理性の関係について述べよ。」
人間にとっての幸福とは何であるか、考えたことがあるだろうか。自分にとっての幸福ならば、答えることが出来るが、「人間」という大きな括りで考えると、答えを出すことは難しい。なぜならそれは、人それぞれにより幸福の形が異なるからである。例えばエピクロスの様に、パンと水さえあれば幸福だと感じる人もいれば、豪華なフランス料理を食べても幸福だと感じない人もいる。又、失って初めてそれが幸福だったと気付いたり、幸福になれると考え手に入れても幸福だと感じなかったりする。人間にとっての幸福とはとても曖昧であり、明確な答えを出すことが出来ない。
このように、雲や煙のように掴み取ることの出来ない幸福という問題について、キリストが生まれるずっと前から、様々な哲学者が深い考察をしてきた。一人ひとり考え方が違うことに例外はなく、幸福という一つの問いにも様々な考えが生まれた。しかし、その様々な考え方にも、一つの共通点があることにわたしは気付いた。それは理性の重視である。人が幸せになる為に、理性はどのように関わってくるのだろうか。
理性とは、人間のみに与えられた特別な能力であり、動物..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428668701@hc07/13951/]]></link>
			<author><![CDATA[ by haku610]]></author>
			<category><![CDATA[haku610の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 Jul 2007 01:34:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428668701@hc07/13951/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428668701@hc07/13951/" target="_blank"><img src="/docs/983428668701@hc07/13951/thmb.jpg?s=s&r=1183480476&t=n" border="0"></a><br /><br />「幸福と理性の関係について」
　人は常に幸福であり続けたいと思い、いつも幸福を探し求めている。しかし、捜し求めている幸福は人それぞれ違い、同じことが起こってもそのことを幸福と感じる人もいれば、逆に不幸だととらえる人もいるだろう。
　例をあげ[356]<br />「幸福と理性の関係について」
　人は常に幸福であり続けたいと思い、いつも幸福を探し求めている。しかし、捜し求めている幸福は人それぞれ違い、同じことが起こってもそのことを幸福と感じる人もいれば、逆に不幸だととらえる人もいるだろう。
　例をあげるなら、仕事がしたくてもできない人にとって、毎日忙しそうに働いている人たちのことを幸福な人たちだと思うだろう。しかし、毎日忙しく働いている人たちの中には疲れが溜まっていて休みたいと思っている人もいる。その人にとってはたまにある休みが幸福なのである。
　しかし、幸福とは同じ繰り返しの毎日の中にもあると思う。幸福の大小も人それぞれ違うが、疲れて家に帰ってきた時温かいご飯や温かいお風呂が用意されていたら些細なことだが幸福と感じることができる。
　つまり、幸福は身近なことであり、誰でも感じることができることだと思う。
　では、今まで幸福論を唱えた人々の考えを述べていきたいと思う。
まず、エピクロスの幸福論について述べていく。エピクロス自身は何に最上の快（幸福）をみいだすのであろうか。それは、「身体的に苦痛がないことと、心が平静であること（アタラクシア）」であ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人が幸せになるためには]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431396501@hc05/13460/]]></link>
			<author><![CDATA[ by いもっち]]></author>
			<category><![CDATA[いもっちの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Feb 2007 23:59:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431396501@hc05/13460/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431396501@hc05/13460/" target="_blank"><img src="/docs/983431396501@hc05/13460/thmb.jpg?s=s&r=1171551582&t=n" border="0"></a><br /><br />　バブルが崩壊してからというもの、猛烈な人べらしリストラ、職場ではサービス残業と長時間労働、そして低賃金のパートタイマーがリストラされた人員の仕事を補ってきた。その結果、正社員としての仕事が減り、契約社員としての仕事が主流になってしまった。[360]<br />　バブルが崩壊してからというもの、猛烈な人べらしリストラ、職場ではサービス残業と長時間労働、そして低賃金のパートタイマーがリストラされた人員の仕事を補ってきた。その結果、正社員としての仕事が減り、契約社員としての仕事が主流になってしまった。そのように、強者が生き残り、弱者が切り捨てられるような日本社会。私たち健常者の間でも広がる貧富の格差であるが、その中でも今回のビデオは、障害者など、さらなる弱者が悲鳴を上げているようなビデオだったように思う。今回はそのなかで障害者を例に挙げて、人の幸せについて述べていこうと思う。
　障害者というのは、いったい何をもって定義されるのであろう。例えば足が不自由である人。足が不自由であるというだけで障害者と定義されるであろうか。医学的な見解ではそうであるかもしれない。しかし、足が不自由なままでは一人で食事をしたり、トイレに行ったり、身の回りの事を全て一人でやって、自立していく生活というのは難しいが、そこに車いすがあるとその人の生活は一変するだろう。車いすは、その人の足となり、食事をする時も、トイレに行く時も、車いすが足代わりとなってくれるであろう。このよう..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[幸福と理性の関係について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429422401@hc06/11441/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yukitan]]></author>
			<category><![CDATA[yukitanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Nov 2006 16:28:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429422401@hc06/11441/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429422401@hc06/11441/" target="_blank"><img src="/docs/983429422401@hc06/11441/thmb.jpg?s=s&r=1163316497&t=n" border="0"></a><br /><br />設題「幸福と理性の関係について述べよ。」
幸福とは、一体何か。人それぞれ幸福の基準は違うだろう。だが、大抵の人は自分の欲求が満たされている状態の事をさすのではないだろうか。
欲求に大きいもの・小さいものがあるように、幸せにも大きいもの・小さ[356]<br />設題「幸福と理性の関係について述べよ。」
幸福とは、一体何か。人それぞれ幸福の基準は違うだろう。だが、大抵の人は自分の欲求が満たされている状態の事をさすのではないだろうか。
欲求に大きいもの・小さいものがあるように、幸せにも大きいもの・小さいものがあるだろう。そして、どれ程の幸せを手に入れたら満たされるのだろうか。これも、大きいものと、小さいものがありそうだ。人によりけり。人生には沢山の幸せがあり、様々な幸せがある。生まれてきた幸せ、今生きている幸せ、不幸ではないという幸せもあると思う。私の一番の幸せは、人を愛し・愛される事だ。
幸・不幸は、主観であり客観(主観の偶然の一致)ではないので、幸福感をきちんと持っている人が幸福を感じ、幸せになれる。
例えば、幸福がずっと続けば幸福感をもてなくなり満足出来なくなる。幸福と不幸が交互にくるので、幸せを「幸せ」と感じるのだろう。
エピクロス(B,C341～274)とストア派ゼノン(B,C355～263)の幸福論について考えてみたい。
当時のギリシアは安定しない社会情勢で、さまざまな思想や価値観が入り乱れ、文化的にも混乱していた時代であった。そんな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ソクラテスの幸福と政治]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431500701@hc05/3767/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mimumimu]]></author>
			<category><![CDATA[mimumimuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 23:35:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431500701@hc05/3767/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431500701@hc05/3767/" target="_blank"><img src="/docs/983431500701@hc05/3767/thmb.jpg?s=s&r=1134138958&t=n" border="0"></a><br /><br />「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」（『クリトン』48b）これは「よく」という言葉を「幸福に」と言い換えることができるなら、恐らく多くの人の賛成を得られる意見だろう。
　しかしよく生きるといっても、[352]<br />　　　ソクラテスの幸福と政治――『ソクラテスの弁明』・『クリトン』・『メノン』を読んで――
「いちばん大事にしなければならないのは生きることではなくて、よく生きることだ」（『クリトン』48b）これは「よく」という言葉を「幸福に」と言い換えることができるなら、恐らく多くの人の賛成を得られる意見だろう。
しかしよく生きるといっても、何をよいとするかによってその生き方は様々である。
　ある人は、よく生きるとはなるべく苦痛を被らないこと、なるべく快楽を多く享受することと考えるだろう。
そう考えるとソクラテスが関心の範囲外として退けるお金や名誉を求めることはある人にとってはよき生なのかもしれない。
また、実際生物学的な人間の意義は、単なる遺伝子存続のための箱に過ぎず、なるべく多く自らの遺伝子を後世に伝えることが人間の最大の目的とも言えるかもしれない。
そのように考えればソクラテスが一般大衆の関心事として退けた子供の養育が人生の最大の目的であり、子供の幸福こそが自分の幸福なのかもしれない。
　一方ソクラテスにとっての善き生は、正しく生きることであった。もちろんソクラテスは、この生き方が善き生として..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[死という現象について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1553/]]></link>
			<author><![CDATA[ by heartheart]]></author>
			<category><![CDATA[heartheartの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 11:11:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1553/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432307901@hc05/1553/" target="_blank"><img src="/docs/983432307901@hc05/1553/thmb.jpg?s=s&r=1122343872&t=n" border="0"></a><br /><br />―第３章　「生きること」と「死ぬこと」とより（４、自殺と安楽死の問題は、生き残る人の問題である）―

　私は、今回死という現象について考えてみたいと思う。死といっても、安楽死、自殺、他殺様々な死の形態がある。先生の本でネコの安楽死につい[352]<br />哲学するネコ
―第３章　「生きること」と「死ぬこと」とより（４、自殺と安楽死の問題は、生き残る人の問題である）―
　私は、今回死という現象について考えてみたいと思う。死といっても、安楽死、自殺、他殺様々な死の形態がある。先生の本でネコの安楽死についての是非を読んで、１年前に高校の倫理の授業で、「安楽死は認めるべきか？」についてのディベートをやったことを思い出した。そこで、まず安楽死について考えてみようと思う。
　このディベートでは、賛成・反対どちらの立場につくかはあらかじめ決められていた。私は安楽死賛成の立場で議論することになった。偶然だが私の本心も一致していた。私が、安楽死を認める立場をとる最大の理由は、法的な立場からの見解だ。日本では、憲法１３条によって「全て国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求権に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法上その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とされている。このように日本国民は、公共の福祉に反しない限り、幸福追求ができる。それならば、死ぬことがその人にとっての幸福であれば、安楽死を認めてよいのではないか？..]]></description>

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