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		<title>タグ“宮中行事”の公開資料</title>
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		<description>タグ“宮中行事”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[追儺　　節分の由来について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3727/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Dec 2005 23:37:34 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3727/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3727/thmb.jpg?s=s&r=1133966254&t=n" border="0"></a><br /><br />　二月の行事といえば節分が挙げられるが、これは古代宮中で行われていた追儺という行事が起源である。また追儺は、唐より伝来した大儺が由来であった。この儀式がどのように始まり、受け継がれてきたのか述べてみる。
　大儺は中国では最も古い起源を持つ[356]<br />　二月の行事といえば節分が挙げられるが、これは古代宮中で行われていた追儺という行事が起源である。また追儺は、唐より伝来した大儺が由来であった。この儀式がどのように始まり、受け継がれてきたのか述べてみる。
　大儺は中国では最も古い起源を持つ習俗で、周の時代に、十二月八日に臘祭として行われていたのが始まりと言われている。『荊楚歳時記』の記述を要約すると「方相氏が熊の皮を被り、黄金四目の玄衣朱裳のおそろしい格好で、戈と盾を持ち、侲子と称する童子を率いて鬼を追った」とある。また「鬼を追い払う為に、鉦鼓を打って儺声をあげたり、鬼が嫌う桃の弓で射る方法も用いられたりしていた」ともある。（参考文献二四一頁）この儀は、厄病を祓うことが目的であったようである。
　日本では、文武天皇（六八三～七〇七）の時代の慶雲三年（七百六）が所見である。式に先立って、まず方相氏を大舎人中の背の高い者、黄金四目の仮面と朱と黒の衣を着け、右手に戈、左手に盾を持ち、大儺とした。また官奴等二十人を持って、侲子と紺と朱の衣を着け、殿庭に列立したもの達を小儺とした。宮中では陰陽師が南殿のほとりで祭文を読み、鬼を追う役の方相氏が鬼や..]]></description>

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			<title><![CDATA[七夕の由来　七夕ものがたり・乞巧奠・民間の七夕とのかかわりについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:15:17 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3671/thmb.jpg?s=s&r=1133792117&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
　この七夕ものがたりの内容は「機[356]<br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
この七夕ものがたりの内容は「機織仕事をしていた織女が、牽牛と結婚した途端に、仕事をしなくなってしまった。それに腹を立てた織女の父が彼女に腹を立て、二人を天の川を挟んで引き裂いてしまい、年に一度だけ七月七日の夜に、天の川で会うことを許した」というものである。いろいろな七夕説があると言われているが、最もよく知られる七夕のものがたりの原型であると考えられている。　『荊楚歳時記』の記述によれば「七月七日、牽牛・織女、聚会の夜と為す」とあり（参考文献一七八頁）後漢の時代に成立した物語と言われている。万葉集で天の河などこのものがたりをモチーフにした歌が、歌われていることから、万葉集が歌われ始めた時代にはすでに、このものがたりは日本に伝来していたと考えられる。
持統天皇（六四五～七〇二）の時代には七月七日にこの七夕ものがたりと日本古来の棚機姫の信仰が融合された、歌を詠む宴が日本ではあったのである。..]]></description>

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			<title><![CDATA[夏越の祓（六月祓）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3670/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:08:32 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3670/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3670/thmb.jpg?s=s&r=1133791712&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
　この六月祓は天武天皇（六三一〜六八八）の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天[356]<br />　日本人はお祓いという言葉をよく口にするが、その有名なお祓いの一つに六月祓という伝統行事がある。この行事について起源と意義について述べてみる。
　この六月祓は天武天皇（六三一～六八八）の頃より始まったとされる。平安時代には六月の晦日に、天子は節折の儀を行い、百官らは西刻（午後六時）に朱雀門に集まり着座し、ここで祝師が祝詞を読み、皆祓を受け祓物を大川に流した。このようにして、すべての人が犯した罪を祓い清めた。
現在の六月祓の特徴である、茅の輪くぐりが始められた時期は、判断が難しい。『備後風土記逸文』で北海の神・武塔神より命じられ、茅の輪を腰につけた者が厄を逃れることができたという神話より、用いられるようになったのが由来とされている。『日本年中行事辞典』には、藤原忠道の詩が次のように記述されている。「未知何物号菅祓、結草如輪令首蒙」鈴木棠三氏は、この詩から推測できるように「平安末期には茅の輪を首にかけ呪具として扱っていたと思われる」と述べている。（参考文献四七一頁）
儀式として古代には宮中でも私邸でも行われていた祓であるが、祓自体は『古事記』にもイザナミノミコトの部分に禊祓に関する記述があ..]]></description>

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