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		<title>タグ“宗教史”の公開資料</title>
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		<description>タグ“宗教史”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[佛教大学「宗教史」「第１設題：宗教とは何か」Ａ評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932774300807@hc17/131688/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ごろごろごろ]]></author>
			<category><![CDATA[ごろごろごろの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Dec 2017 18:42:58 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932774300807@hc17/131688/" target="_blank"><img src="/docs/932774300807@hc17/131688/thmb.jpg?s=s&r=1512380578&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信教育課程「宗教史」の『第１設題：宗教とは何か』のレポートです。評価は「A」でした。所見は「要点をうまくまとめている。総括もよい。」でした。ご参考になれば幸いです。[259]<br />宗教とは何か
今回のレポート作成において、特に第Ⅰ～Ⅵ章を中心に学習を深めた。
まず、宗教とは何か、その概要について述べる。宗教現象を精神的または心理的な家庭において研究する宗教心理学の立場からみると、例えばフロイトによれば、宗教は、人間が満足感を充足したいと要求する無意識の深い衝動に基づいており、人間が自らの安全を求めることによって作り出した「幻想」であり、人間を現実からの逃避に追いやるものであるといっている。更に、伝統や因襲に捉われた宗教は人間に対して何の安定感も与えない。また、神への信仰は保護されたいという人間の本能的欲求であり、宗教は人間を保護する父なる神のイメージへの憧れであると共に、その欲求本能が満たされないための欲求阻止の結果ともいっている。こういったフロイトの内的背景に母へのコンプレックスがあったとされるが、宗教の一側面を語ったものともみる。また日本の宗教学者の大家、岸本英夫は宗教の定義を三つの規定、即ち、神の観念を中心とする規定、人間の情緒的経験を中心とする規定、人間の生活活動を中心とする規定に三分して定義した。更に、岸本の弟子である井門は宗教の定義を、個人にアイデン..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学通信　R0103「宗教史」／B0101「宗教学宗教史」第1設題・Ａ評価＆第2設題・Ａ評価リポートセット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/84879/]]></link>
			<author><![CDATA[ by senbon_kitaouji]]></author>
			<category><![CDATA[senbon_kitaoujiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Aug 2011 08:39:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/84879/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952760424668@hc11/84879/" target="_blank"><img src="/docs/952760424668@hc11/84879/thmb.jpg?s=s&r=1313192369&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信、「宗教史」、第1設題(宗教とは何か。）のＡ評価リポートと第2設題（社会において果たす宗教の2つの機能を説明せよ。）のＡ評価リポートのセットです。
採点者の所見は、いずれも「よいでしょう」でした。
学習を進める上での参考にしてく[348]<br />第一設題　宗教とは何か。
（テキストのⅡ章を中心に学習を深めた。）
「宗教とは何か」を考えるにあたって、最初に「宗教」の語義について見ておく。
宗教を、英語ではreligion、ドイツ語ではReligionというが、それらの語はラテン語のreligioから来た。このreligioの語源には二つの解釈がある。
ローマの哲学者キケロは「再び、幾度も」を示す接頭語reと「読む、拾う、まとめる」の意味を持つlegereから成ると合成語だと、説明した。またこの語の名詞形のrelegendoは「精励、整理」という意味を持ち、そこからreligioに成ったとも言われる。これは、厳格な修行や儀礼を指し、自力本願的な宗教を表していると考えられる。
もう一つは、接頭語reと「結ぶ」という意味のligareの合成語だとする説で、ラクタンティウスが提唱した。このre-ligare「再び結ぶ」を起源とする説は、キリスト教の神学者や宗教哲学者に採用され、原罪によって神から離反した人類が再びキリストによって神と和解したことを指しており、この場合religioはキリスト教を指している。
一方、漢字の宗教は、宗と教の二文字から成っている。宗とは古代中国では、祖霊に献げものをした霊廟という意味の語であって、そこから尊い趣旨という意味が出た。後に宗は、成就された極致としての仏教の極意を指す語となった。極意は如何なる表現をも越えているが、言葉に表現しなくてはそれを理解することも伝えることも出来ない。そこで宗を理解するための方便として教が必要であるということになる。従って、中国では漢字の宗教は、宗の教えである仏教の意味に用いられた。
日本では、宗教の語は、主として明治以後に用いられるようになった。それ以前は、自らの宗教だけが関心事であって、専ら「宗旨」「宗門」の語が用いられていた。宗教の語は、最初はキリスト教の牧師などによってキリスト教に対して用いられ、廃仏毀釈によって仏教も外来宗教であることを示すため、仏教についてもこの語が用いられるようになった。
今日、わたしたちは寺や教会などの宗教集団、宗教のことを書いた書物や講演、祭祀について、あるいはより広く宗教的な事象に当てはめて「宗教」という語を用いる。それらは宗教のある側面や特徴を語ったものであって、宗教とは何かを考えるためには、その意味をより厳密に、全..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 2010年度 R0103 宗教史 第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80476/]]></link>
			<author><![CDATA[ by へんとう]]></author>
			<category><![CDATA[へんとうの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Apr 2011 10:08:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80476/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80476/" target="_blank"><img src="/docs/956203737974@hc10/80476/thmb.jpg?s=s&r=1302224936&t=n" border="0"></a><br /><br />社会において果たす宗教の二つの機能を説明せよ。[69]<br />この資料について
課題名
2010年度 R0103 宗教史 第二設題：社会において果たす宗教の二つの機能を説明せよ。
この資料は佛教大学通信教育部の2010年度のレポート課題に対して、私なりの理解、解釈に基づいて書いたものです。
以降この科目を履修される方が、この資料を参考にしてより良い理解の下にレポートを作成出来るよう、参考資料としてこのレポートを提供させて頂きます。
社会において果たす宗教の二つの機能を説明せよ。
本リポート作成にあたっては、テキスト第四章を中心として学習を深めた。
　人類学者のノーベックによれば、宗教はその内容を宗教以外の文化諸面の形成に負うところが大きいという。これはつまり宗教が全人的な生き方の一部であり、それぞれの文化によって変化する人間行動だという事である。従って宗教はそれぞれの文化によって形成される社会と、相互に密接な関わりを持つものだと言えよう。
　このような宗教と社会との関わりを考えた際に、宗教現象は社会に対して一般的に二つの機能と方法によって働く。言い換えると宗教には抽象的に働くものと、実際的に働くものの二つがある。また、これに伴って教会や寺院などの..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[佛教大学 2010年度 R0103 宗教史 第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by へんとう]]></author>
			<category><![CDATA[へんとうの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Apr 2011 10:08:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956203737974@hc10/80475/" target="_blank"><img src="/docs/956203737974@hc10/80475/thmb.jpg?s=s&r=1302224935&t=n" border="0"></a><br /><br />宗教とは何か。[21]<br />この資料について
課題名
2010年度 R0103 宗教史 第一設題：宗教とは何か。
この資料は佛教大学通信教育部の2010年度のレポート課題に対して、私なりの理解、解釈に基づいて書いたものです。
以降この科目を履修される方が、この資料を参考にしてより良い理解の下にレポートを作成出来るよう、参考資料としてこのレポートを提供させて頂きます。
宗教とは何か。
　本リポート作成にあたっては、テキスト第二章を中心として学習を深めた。
　「宗教とは何か」という問いについて考えるにあたって、まず「宗教」という言葉の語義について見て行く必要があるだろう。
英語では宗教をreligion、ドイツ語ではReligionというそれらはラテン語のreligioを元にしており、religioの語源には二つの解釈がある。一つには「再び、幾度も」を示す「re」と「読む、拾う、まとめる」を示す「legere」から成るという説が挙げられ、またこの語の名詞形であり、「精勤」の意味を持つ「relegendo」から来たものとも言われる。これらのことから、幾度となく繰り返す修行や努力などの自力本願的な宗教を表していると考えら..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[「神仏習合」はいつから起こったか［東京学芸大学・教育学部・日本歴史学・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 23:57:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6784/thmb.jpg?s=s&r=1139929046&t=n" border="0"></a><br /><br />日本宗教（史）を語るとき、必ず出てくるテーマの一つに「神仏習合」がある。仏教が６世紀半ばに公式に伝来したのち、８世紀の奈良時代から神仏習合の状態が徐々に形成され、１０世紀頃の平安後期になって本地垂迹説（神は仏が仮の姿をとってこの世に現れたも[360]<br />「神仏習合」はいつから起こったか
　日本宗教（史）を語るとき、必ず出てくるテーマの一つに「神仏習合」がある。仏教が６世紀半ばに公式に伝来したのち、８世紀の奈良時代から神仏習合の状態が徐々に形成され、１０世紀頃の平安後期になって本地垂迹説（神は仏が仮の姿をとってこの世に現れたものであると考える）として完成されたと一般には説明される。
　しかしながら、「習合」という状態は、『広辞苑（第五版）』によれば「相異なる教理などを折衷・調和すること」である。仏教以前の原始神道と、その後の仏教の受容の過程を考えるとき、果たして「習合が徐々に形成された」という見方が適切かどうか、私は疑問に思う。
　仏教以前の日本においては、いわゆる「原始神道」の信仰が民俗的な意味で普及していた。「民俗的な意味で」と述べたが、これは古代の日本人にとって「神道という宗教」としてとらえられてはいなかったからである。鎌田東二『神と仏の精神史』によれば、「神道」という語は『日本書紀』に登場するよりも前に中国の『易経』のなかにあり、ゆえにわが国に独自のものでも固有のものでもないという。
　この原始神道は、極めてアニミズム的な要素を..]]></description>

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