<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“存在の問題”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C/</link>
		<description>タグ“存在の問題”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論 第一設題 A評価 2017]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941703987396@hc14/132685/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tsunamiii]]></author>
			<category><![CDATA[tsunamiiiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Feb 2018 02:00:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941703987396@hc14/132685/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/941703987396@hc14/132685/" target="_blank"><img src="/docs/941703987396@hc14/132685/thmb.jpg?s=s&r=1518454819&t=n" border="0"></a><br /><br />第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
	
「在る」とはどういうことなのか。そして、「存在としての存在」の原理について述べるときに、アリストテレスによって[350]<br />第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
「在る」とはどういうことなのか。そして、「存在としての存在」の原理について述べるときに、アリストテレスによって提唱された第一哲学にたどり着く。この第一哲学は１４巻から成る「形而上学」というアリストテレスによる著作がある。
第５巻の第７章では、存在は付帯的存在、本質的存在、真としての存在、可能態・完全現実態に分類される。第二の本質的存在では、主語と述語との必然的な結びつきに於ける「在る」ということの本質を実体・性質・分量・関係・能動・受動・場所・時間の８つの範疇（述語形態）に分類した。あらゆる「在る」という意味を突き詰めていけば、先ほど述べた８つの範疇にたどり着くと説いたのである。例えば、実体なら「何である」を語る存在であり、関係は「何に対してあるか」を語る存在であり、場所なら「何処にあるか」を語る存在である。また、「ソクラテスは色白である」という１つの文章について考えたとき、この場所においての「ある」が示すのは「色白」という部分であり、この部分の一般化を進めていくと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学「哲学概論」「第１設題」及び「第２設題」A評価レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932774300807@hc17/130888/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ごろごろごろ]]></author>
			<category><![CDATA[ごろごろごろの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 Oct 2017 13:28:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932774300807@hc17/130888/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932774300807@hc17/130888/" target="_blank"><img src="/docs/932774300807@hc17/130888/thmb.jpg?s=s&r=1507436904&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信教育課程「哲学概論」の『第1設題：第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ』『第2設題：第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そし[356]<br />第１設題
第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
存在の意味について考えていく上で、アリストテレスの形而上学が外せない。それによると、存在は付帯的存在、本質的存在、真としての存在、可能態・完全現実態としての存在に分類できる。
付帯的存在とは、主語と述語との一時的、偶然的な結びつきにおける「在る」である。例えば、「お年寄りは経験豊かである」というように、ある基本的な存在に何らかの属性が付帯して「在る」といわれる場合をいう。ただ、この場合、その原因も付帯的であるため学問的探究は成立しない。
本質的存在とは、主語と述語との必然的な結びつきにおける「在る」である。それは述語形態（範疇）即ち、実体・性質・分量・関係・能動・受動・場所・時間を示す「在る」である。すべての命題において「在る」は八個の範疇的な「在る」に帰する。この意味で範疇はすべての存在を含むゆえに付帯的存在も本質的存在に帰入する。
真としての存在とは、存在とは真であり、非存在とは偽であるということである。ただ、真と偽との判断は自体的存在との関係においてのみ存在する故に、存在としての存在、の原理の探求からは除外しても差し支えないだろう。
可能態・現実態としての存在とは、本質的存在の範疇に含まれるものとして考えられる。
以上から、本質存在、即ちそれ自体において存在するという意味での存在が最も基本的である。
　ただそういった意味での存在は本質及び古物としての存在と述語諸形態とに分けられる。前者は実体であり第一義的存在である。一方後者は、実体が端的にあるというに対して、その実態に関してなにかであるといわれる存在である。つまり存在は第一義的に実体であるのだが、その実体にも様々な意味がある。実体は単純物質、内的原因、限界、本質に分類されている。
　単純物質とは、すべての存在者を示す。
　内的原因とは、諸物体に内在していてこれらの各々のそのような存在するゆえんの原因であることをいう。
　限界とは、それがなくなればその全体もなくなるに至る部分をいう。
　本質とは、そのものが何であるかという定義である。
要するに、実体には他の如何なる基体（主語）の述語（属性）でもなくかえって他の事物がこれらの述語であるところの究極の基体（個物）と、これらの各々の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論　設題１，２セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91035/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 12:32:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91035/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91035/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/91035/thmb.jpg?s=s&r=1330486379&t=n" border="0"></a><br /><br />哲学概論、設題１，２(ともにA評価)のセットです。参考にしたwebサイトのURLも載せていますので、そちらを確認しつつ、自己流に修正して使ってください。

第一設題：第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキスト[338]<br />第1設題：第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
はじめに
古来、存在の問題は人間の知的興味をとらえてきた。どのような意味において在るものは在り無は存在しないのだろうか。さまざまなものが「在る」といわれるが、それらがすべて真実に「在る」と表現されるに価する「在る」なのだろうか。すべての「在る」は一時的な「在る」であって、それらの原理として真実の永遠な「在る」があるのではないだろうか。しかし、真実の「在る」は物体としてあるのか、あるいは精神としてあるのだろうか。そしてそれらはどのような様態においてあるのだろうか。
何が存在であり、存在とは何であるかは人間にとって本来的な問題である。以下ではこの「存在」の問題について考察する手掛かりとして、アリストテレスによる存在概念がどのようなものであるかを見ていくことにする。
1．アリストテレスの形而上学
　アリストテレスにとって存在としての存在の原理・原因を研究する学を第一哲学(存在論、形而上学)とよぶ。「存在」には様々な意味があり、それらは分類することができる。アリストテレスの一般的な規定によれば、存在は付帯的存在、本質的存在、真としての存在、可能態・完全現実態としての存在に分類される。中でも、本質的な存在＝主語と述語との必然的な結びつきにおける「在る」（実体・性質・分量・関係・能動・受動・場所・時間を示す「在る」）、即ち、それ自体において存在するという意味での存在が最も基本的である。
この意味での存在は、本質及び個物としての存在と述語諸形態とに分けられる。前者は実体（基体ともいえる）であり、第一義的に「これ」として指示され、類と種差とに分けることの出来ない数的に一になる個的存在者を意味する。これは第一実体と呼ばれる。一方、本質、普遍、類は実体の集合体とみることができ、これは第二実体と呼ばれる。例えば、第一実体は、「この人」であり、第二実体は「この人」が属する「人間」という種や「動物」という類である、ということができる。 
2．転化について
質料と形相
アリストテレスは、個的存在(個物)を実在とする立場をとった。個物は「質料」と「形相」からなっており、質料とは個物を形作る材料で、物質であると考えてよい。形相とは個物が何であるかの形を与える設計図..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論　第2設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91034/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 12:22:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91034/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91034/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/91034/thmb.jpg?s=s&r=1330485750&t=n" border="0"></a><br /><br />哲学概論のA評価レポートです。テキストをベースにまとめていますが、テキストの内容を理解するためにwebサイトも活用しました。参考文献一覧にURLを載せていますので、そちらを確認しつつ、必要に応じて自分自身で加筆修正してください。

第2設題[340]<br />第2設題：第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
1．認識論
私たちは感覚に導かれて生活している。しかし、感覚ほど不確かなものはない。なぜなら、感覚は身体的・心理的状況や環境によって異なるからである。ところが感覚は不確実であると同時に、その都度ごとに個人にとって真であり確実である。たとえば、赤いバラを見たときに、他人から見てそのバラがどのように見えるかはわからないが、自分自身には赤く見えることは確かだ、ということである。
しかし、一時的・個人的な感覚的認識は真に認識の名に値しない。なぜなら、認識が一時的・個人的であるとすれば、私たちの道徳的行為が成り立たないので、わたしたちは一時的な気分や個人的利害からのみ行動することになる。こうした事態になれば、人間社会は分裂してしまう。したがって、行動の規範、普遍的な原理が必要で、普遍妥当的な認識がなければならない。こうした議論のなかで、ソクラテスは普遍的・必然的な知識を求め、プラトンは、この倫理的、実践的な知識を、知識それ自身として探究していった。
プラトンの認識論..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[哲学概論　第1設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91033/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 29 Feb 2012 12:22:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91033/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/91033/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/91033/thmb.jpg?s=s&r=1330485746&t=n" border="0"></a><br /><br />2011年度哲学概論のA評価レポートです。
テキストだけではレポートが書けなかったので、ネットでいろいろ調べました。
参考文献一覧も載せていますので、そちらもお使いください。[247]<br />第1設題：第二章「存在の問題」第一節「存在の意味」の内容を要約せよ。そして、テキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。
はじめに
古来、存在の問題は人間の知的興味をとらえてきた。どのような意味において在るものは在り無は存在しないのだろうか。さまざまなものが「在る」といわれるが、それらがすべて真実に「在る」と表現されるに価する「在る」なのだろうか。すべての「在る」は一時的な「在る」であって、それらの原理として真実の永遠な「在る」があるのではないだろうか。しかし、真実の「在る」は物体としてあるのか、あるいは精神としてあるのだろうか。そしてそれらはどのような様態においてあるのだろうか。
何が存在であり、存在とは何であるかは人間にとって本来的な問題である。以下ではこの「存在」の問題について考察する手掛かりとして、アリストテレスによる存在概念がどのようなものであるかを見ていくことにする。
1．アリストテレスの形而上学
　アリストテレスにとって存在としての存在の原理・原因を研究する学を第一哲学(存在論、形而上学)とよぶ。「存在」には様々な意味があり、それらは分類することができる。アリス..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>