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		<title>タグ“夏目漱石”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3/</link>
		<description>タグ“夏目漱石”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[漱石『こころ』にあらわれる女性像と恋愛像]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/8240/]]></link>
			<author><![CDATA[ by えっこ]]></author>
			<category><![CDATA[えっこの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 May 2006 14:31:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/8240/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430775401@hc06/8240/" target="_blank"><img src="/docs/983430775401@hc06/8240/thmb.jpg?s=s&r=1146807079&t=n" border="0"></a><br /><br />漱石の女性像と恋愛像について、その転換期と考えられる『こころ』を中心に置いて考えていきたい。
　『それから』から『こころ』までの作品における女性は、「寡黙な女性」であった。言葉を奪われ、自らは語らず、男によって勝手に解釈される存在であった[356]<br />漱石『こころ』にあらわれる女性像と恋愛像

　夏目漱石の女性像と恋愛像について、その転換期と考えられる『こころ』を中心に置いて考えていきたい。
　『それから』から『こころ』までの作品における女性は、「寡黙な女性」であった。言葉を奪われ、自らは語らず、男によって勝手に解釈される存在であったのだ。そこには、「まなざす男」と「まなざされる女」という構図があり、女性は、「謎めく」「不気味」「純白」といった多義性を備えた存在であった（この「純白」という部分については、武田充啓「無垢なるものの行方（一）―夏目漱石『こゝろ』を中心に―」（2003）を後ほど参照する）。この特徴は『こころ』においても極めて顕著であり、川島秀一（2000）も「漱石の女性表現―文化テクストとしての〈漱石〉―」の中で、『こころ』について以下のように論じている。

　　そしてここで、他のどの作品にもまして特徴的なのは、その「お嬢さん」という女は、その恋愛の渦中にありながら、その言葉はまったくと言っていいほどに締め出されています。逆に言いますと、そこに繰り広げられる男の世界とその物語は、そのようにして〈女〉の言葉を締め出し閉ざすことを前提に成り立っています。

　確かに、この『こころ』（特に「下　先生と遺書」について）は、二人の男の女性をめぐる話であるにもかかわらず、当の女性の言葉、つまり当人の意思というものが全然前面に出てこない。ただし、このことは女性が男性に対して力を持たないということを意味しているわけではなく、男同士のコミュニケーションから排除された「お嬢さん」が、同時にそのコミュニケーションを脅かす存在でもある。「先生」は自身の抱く恋心について、「K」の模倣か、あるいは「お嬢さん」の「技巧」によるものかと思い悩むことになるのである。
また川島は、同作品について以下のようにも語っている。

　　しかし、この『こころ』というテクストは、もう一つの〈男と女の物語〉を潜ませていることに注意したいと思います。つまり、〈私〉という若いもう一人の〈男〉にまつわった物語に関してです。（中略）最も身近なところでは、その男は、そこに残された女とどのような関係を結ぶことになるのか。女の側から言いますと、「私」という男との関係も含めて、それまで自分の言葉を閉ざされ続けてきた《女》に、どのような《言葉》が与えられることにな..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【星槎大学 2023年】英語学概論Ⅱ 科目修得試験 評価S]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/939596825118@hc15/152764/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゆゆたそ]]></author>
			<category><![CDATA[ゆゆたその資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Jan 2024 21:37:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/939596825118@hc15/152764/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/939596825118@hc15/152764/" target="_blank"><img src="/docs/939596825118@hc15/152764/thmb.jpg?s=s&r=1704458278&t=n" border="0"></a><br /><br />テーマ：教科書で学んだ「英語らしさ」について日本語と対比させながら概観し（前半）、その概観をふまえて、日本語で書かれた文章（小説、戯曲、詩、エッセイなど日本語が原文のもの）とその英訳の一節を資料に「英語らしさ」を比較考察しなさい（後半）。考[360]<br />　549103　英語学概論Ⅱ
テーマ：教科書で学んだ「英語らしさ」について日本語と対比させながら概観し（前半）、その概観をふまえて、日本語で書かれた文章（小説、戯曲、詩、エッセイなど日本語が原文のもの）とその英訳の一節を資料に「英語らしさ」を比較考察しなさい（後半）。考察する言語資料は独自に選定し、引用元を明記すること。
本レポートでは、はじめに、教科書で学んだ「英語らしさ」について日本語と対比させながら概観し、その後、その概観をふまえて、日本語で書かれた文章とその英訳の一節を資料に「英語らしさ」を比較考察していく。また、教科書や講義で学んだ、「英語らしさ」についてはさまざまあるが、今回は「依頼」に関するポライトネスの違いに着目し、述べていく。
日本語とアメリカ英語の依頼の表現方法には大きな違いがある。日本語では、相手との関係や状況に応じて依頼の言い方を変えることが多い。具体的には、公的な場や目上の人に対しては、「ペンをお借りしてもよろしいでしょうか？」のような丁寧な言葉遣いを使うことが挙げられる。しかし、友人や親しい間柄では、「ペン借りていい？」や「ペン貸して」といったカジュアルな表..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【読書感想文】水村美苗『続明暗』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/145852/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ogawa_s]]></author>
			<category><![CDATA[ogawa_sの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Sep 2021 13:38:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/145852/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/145852/" target="_blank"><img src="/docs/951497315190@hc11/145852/thmb.jpg?s=s&r=1632803926&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石『明暗』の続きとして水村美苗氏が執筆した作品。作品紹介とその感想。[111]<br />水村美苗『続明暗』を読んで 

この作品は、夏目漱石の未完の作品である『明暗』の続きを水村氏が書いたものである。 
病み上がりの津田は、妻お延をおいて一人温泉地に療養に行くところから話は始まる。その真の目的はかつて津田を結婚寸前のところで捨てた清子に会うことだった。清子は津田の友人、関と結婚し流産した後、療養のためにその温泉地にいた。そのことを津田は上司の妻、吉川夫人から聞かされたのだ。 
果たして津田は清子と会うことが叶った。清子は津田に会っても泰然としており、津田は一種の驕りの感情にとらわれる。つまり清子は口にこそ出さないが、本当は津田を捨てたことを後悔しているのではないかと津田は期待したのだ。津田が過去に清子と過ごした時間を懐かしんでいて、「自分がいるから彼女のこの眼もある」という表現からも明らかで
ある。 
実際には恋愛的な進展があったわけでもないのに、津田の期待は少しずつ膨らんでいく。清子は清子で津田を特別視しているわけではないが、そこでの生活を津田に委ねている部分がないわけでもなかった。しかし、ここで気を付けて読まなければいけないのは、清子は関との夫婦生活が特別不和であるわけではないということであり、清子が津田を捨てた理由は今も変わっていないということである。そのことは清子が津田に対して「変わっていない」という批評を述べたことからも明らかである。 
こうして津田の期待は膨らんでいってしまった。同じ旅館に泊まる安永&ldquo;夫妻&rdquo;の誘いもあり 4 人の交流がさらに津田の期待を膨らませていった。傍から見ればそれは舞い上がっているというに等しい。ここではっきりしているのは、津田はいまだに清子に嫌われていないという驕りがあり、口をきけば応える清子に対して特別の情を持っているということである。安永夫妻の誘いで 4 人はよく滝に散歩に行ったりし、津田は清子と過ごす時間を楽しんでいた。津田にはもう一つの目的があった。つまり「どうして清子は最後の最後に津田を捨てたのか」ということを清子に聞くことであった。津田はなかなかその話を清子に切り出すことができないでいた。しかし、清子は清子でその答えを津田との会話にちりばめていた。「あなたは変わっていない」「そんなだから」という態度は清子が津田を捨てた明確な理由の根拠を考えるうえでヒントになっていたが、津田は大した意味にとらえることが..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石『坊っちゃん』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/141484/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ogawa_s]]></author>
			<category><![CDATA[ogawa_sの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Aug 2020 10:35:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/141484/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/141484/" target="_blank"><img src="/docs/951497315190@hc11/141484/thmb.jpg?s=s&r=1596850501&t=n" border="0"></a><br /><br />読書感想文、夏目漱石、『坊っちゃん』を読んで
原稿用紙6枚[84]<br />夏目漱石『坊ちゃん』を読んで 

『坊っちゃん』の作品というと、無鉄砲な主人公が様々な珍事件を起こしていくというイメージが強かったが、改めて熟読してみるとそこには滑稽さの裏に隠された主人公の苦悩と寂しさとがあることに気付かされる。物理学校を出て、松山の学校の数学教師として赴任してすぐに起きた事件も、主人公のそこでの生活の苦悩と戦いを予感させる。 
「さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を過ごせばいたずらだ。（中略）田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないだろうと云う了見だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭い都に住んで外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらからすんだろう。憐れな奴らだ」 主人公は管理職から蕎麦屋や団子屋で外食することを咎められている。実際それが悪であるというわけではないが、主人公に対する体制側の一打撃目であるといえなくもない。そんな中でも主人公は温泉に通うことだけは続けている。実際他の教師も温泉へは通っており、主人公は出かけるたびに誰かに会うことにうんざりしながらも自分を保つべく行動を続けている。何事..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[★明星大学 国語科教育法２ PD3060 １，２単位目セット 2016 2015 2014合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941640410589@hc14/123491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ぎゃぷらん]]></author>
			<category><![CDATA[ぎゃぷらんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Feb 2016 19:29:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941640410589@hc14/123491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/941640410589@hc14/123491/" target="_blank"><img src="/docs/941640410589@hc14/123491/thmb.jpg?s=s&r=1455272988&t=n" border="0"></a><br /><br />ご覧いただきありがとうございます。レポートの内容等で不明点ありましたらご質問ください。(2020/01追記)

明星大学　PD３０６０ 国語科教育法２　2単位分　レポートです。
ぜひ参考になさってください。
※2016 2015 2[296]<br />◆PD3060 国語科教育法２
1単位目 夏目漱石『夢十夜』の「叙述と注解」を作成しなさい。
夏目漱石による「夢十夜」について，今回は第一夜，第四夜，第六夜，第七夜を対象に，叙述と注釈を述べていく。
　第一夜は，女が死に，生き返って再び会いに来ることを百年待ち続けるという物語である。
輪郭の柔らかな瓜実顔&hellip;色白のやや面長な顔を指し，古来より美人の一典型とされた。輪郭の柔らかなという女性的なイメージも含んでいる。
大きな真珠貝で穴を掘って&hellip;真珠貝で掘ることによって女の亡骸を葬るシーンが美しく，幻想的なものになっている。
星の破片を墓標に置いてください&hellip;星という美しいものの壊れた欠片であり，女を思わせる。
「百年待っていてください。」と思い切った声で言った。&hellip;それまでの静かな調子では無いことは，女の願いがそれほど切実であることを表している。有り得ない年月を指定することで永遠の愛を実現して欲しいとも読める。
かろく土の上に乗せた&hellip;星の破片をまるで人間のように扱っている。その他「抱き上げた」という表現もあることから女を思わせる。
白い百合&hellip;死に際の女の瞳とは対照的で美しい。死の対照でもある生の象徴でもある。
男が接吻するところから，この白い百合は女そのものであると思われる。
暁の星がたった一つ瞬いていた&hellip;「明けの明星」を指しており，「夜明けの時」 という意味になる。その意味から，今回は「願いが叶い，待ちに待った後」という意味である。
「百年はもう来ていたんだな。」&hellip;白い百合が女の生まれ変わりであることに気が付いたという描写である。
　続いての第四夜は白い髭の爺さんの後をつける不気味な物語である。
皺と云うほどのものはどこにも見当らない&hellip;爺さんでありながら皺が無い。つまり若いことになるが，白い髭を生やしている。どうやら若さと老いを両方備えている存在であることが分かる。
臍の奥だよ&hellip;臍の奥は母親の胎内、人間が誕生してくるところを指している。このことからも爺さんが赤ん坊でもあると思われる。
浅黄の股引～手拭を出した&hellip;爺さんの服の色と蛇になるという手拭の色は同じような浅黄色である。蛇の体の色と関係があり，皮で出来ていることも明示されているため，爺さんが蛇であることを暗示しているかも知れない。
肝心綯&hellip;かんぜより。和紙を細く切って糸のより合わせ，さらに2本から合わせたもの。
真鍮..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[明星大学　PD3060 国語科教育法Ⅱ　課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942828138823@hc14/119398/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tkazu]]></author>
			<category><![CDATA[tkazuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Mar 2015 23:02:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/942828138823@hc14/119398/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/942828138823@hc14/119398/" target="_blank"><img src="/docs/942828138823@hc14/119398/thmb.jpg?s=s&r=1427464967&t=n" border="0"></a><br /><br />合格済レポート例　課題２「テキストの小説編および随想編（芥川龍之介『羅生門』は除く）の中から一篇を選び、「あなたの授業計画」を述べなさい。」の中から、夏目漱石の『こころ』を選択しています。要点をしぼって分かりやすくまとめてあります。　参考文[360]<br />＜選択作品『こころ』夏目漱石＞
　自我意識や社会的意識が発達する青年期にある高校生にとって、『こころ』という作品は適時性が高く、自我意識の高まりやその後の人生観に少なからず影響を与えるだろう。特に下編「先生と遺書」は、先生とＫの、下宿先のお嬢さんをめぐる恋愛と友情の板ばさみの様子が描かれており、時代背景は違っても、多感な高校生には興味・関心をもちやすい。『こころ』の初発の感想を求めた場合、おそらく「もし自分が『先生』であれば、同じように悩むだろう。」「先生がＫとの友情や彼のお嬢さんへの愛情について理解しつつも、自らの欲求に向かう心の動きが細かく描かれていて興味深い。」などの答えが出るだろう。ゆえに『こころ』を教材とした授業では、作品の中心的な魅力である心理描写に重点を置いて読ませたい。また、情景描写については「黒」のイメージに焦点化して、先述の心理描写との関わりを考えさせたい。以下に具体
的な授業計画について述べる。
　まず心理描写の読みでは、先生の心理とＫの心理を比較対照させ、叙述（具体的な事実や出来事）にもとづいて、生徒個人が表にまとめる。その上で意見交流・議論を進めながら、主題に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[こゝろー隠蔽されたもの]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947540329358@hc13/100917/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ymmt90]]></author>
			<category><![CDATA[ymmt90の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 10 Feb 2013 01:22:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947540329358@hc13/100917/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947540329358@hc13/100917/" target="_blank"><img src="/docs/947540329358@hc13/100917/thmb.jpg?s=s&r=1360426946&t=n" border="0"></a><br /><br />従来の『こころ』は、『先生と遺書』を中心として、恋愛の三角関係による人間関係のもつれと、そこから抽出されるエゴイズムと罪との問題が作品の主題とした名作であるという読み方が為されてきたが、従来の読み方に疑問を呈し、多面的に『こころ』を解釈する[360]<br />『こころ』&mdash;隠蔽されたもの
　夏目漱石が記した『こころ』は、１９１４年(大正３年)４月２０日から８月１１日まで、『朝日新聞』で連載された長編小説である。１９１４年(大正３年)９月『こころ』岩波書店より刊行され、上『先生と私』、中『両親と私』、下『先生と遺書』の三編から成る。
　従来の『こころ』は、『先生と遺書』を中心として、恋愛の三角関係による人間関係のもつれと、そこから抽出されるエゴイズムと罪との問題が作品の主題とした名作であるという読み方が為されてきたが、従来の読み方に疑問を呈し、多面的に『こころ』を解釈する。
　まず挙げておきたいのが、抑圧される女性の象徴である先生の妻、静の存在である。本作において三角関係の中核であり、重要な登場人物である静だが、その人格像が明確に露見することはない。先生によって静の言動は抑圧され、夫の死後もその遺書を見ることすら叶わない。静の存在を一歩引いて俯瞰することにより、『こころ』が孕む父権社会とその価値観の中で、彼らの手によって彼女の存在が歪められていることがわかる。以下に２つの要素を挙げる。
「必竟女だからあゝなのだ、女というものは何うせ愚なものなのだ。」(下-十四)
「女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いやうに思はれますから。」(下-五四)
「日本の若い女は、(中略)相手に気兼なく自分の思った通りを遠慮せず口にするだけの勇気に乏しい」(下-三四)
　以上は下巻において先生の主観で語られている、静に限定しない、「女性」像である。先生の中で女性は「愚」かで「勇気に乏しい」存在として定義づけられており、本作で展開される父系社会において女性が軽視の対象とされていることは言うまでもなく明確である。
　また、先生にとって「妻だけはたった一人の例外」(下-五六)であり、「妻が己れの過去に対して持つ記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なので」（同上）あるとして、先生と私との遺書を通したコミュニケーションから静は「例外」として排除されており、その傍らで男同士に限定されたコミュニケーションが成立する。そして先生は静に「純白」を執拗に求めているのであるが、この事象について押野武志氏はこう述べている。
「先生があれ程『静』の純白にこだわるのは、裏..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【読書感想文】夏目漱石『それから』をよんで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99251/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ogawa_s]]></author>
			<category><![CDATA[ogawa_sの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 00:00:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99251/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99251/" target="_blank"><img src="/docs/951497315190@hc11/99251/thmb.jpg?s=s&r=1355324454&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石『それから』を読んで
　「彼は元来どっち付かずの男であった」
主人公代助は、学校を卒業してから働くこともなく、（３０）になるまで経営者である父と兄の支援を受けながら、思索の生活を送っていた。一軒家に住み、時々は兄嫁と芝居に見に行くのを突き立ったりと不満のない生活を送っていた。父も兄夫婦も代助が早く嫁を貰ったほうがよいと言及する意外は何一つ不満を言わなかった。どっちつかずの代助もこればかりは断り続けていた。
こうも代助が結婚を断る理由は、大阪から戻ってきた平岡夫婦が原因であった。学生時代からの仲の平岡夫婦は平岡（夫）の失業で東京に帰ってきていた。かつてこの夫婦の仲人を務めた代助だったが、東京に帰ってきた平岡夫婦はかつてのそれではないということを悟った。ある日妻三千代は金の相談のために百合の花を持って代助を訪ねてきた。その花はかつて三千代が女学生で代助と平岡が大学生だったころの記憶を思い出させる花である。代助は訪ねてきた三千代に「この香りは実は好きでない」と言った。金は工面できたのだが、肝心の平岡は新聞のために家に帰らない事が多くなる。ある日、代助が三千代を尋ねるとやはり平岡の姿は..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[保育教育の心理学４：大阪芸短リポート、評価【Ａ優】夏目漱石の小説「坊っちゃん」よりその問題行動について。NJ13～NJ14対応]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951261933213@hc11/96392/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 空飛ぶパンダ]]></author>
			<category><![CDATA[空飛ぶパンダの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Aug 2012 10:17:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951261933213@hc11/96392/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951261933213@hc11/96392/" target="_blank"><img src="/docs/951261933213@hc11/96392/thmb.jpg?s=s&r=1345943829&t=n" border="0"></a><br /><br />歴史小説より、その中の①問題行動の実態②問題行動の原因③問題行動の解決・教育について述べる。題材は夏目漱石の小説「坊っちゃん」。[192]<br />夏目漱石の小説「坊っちゃん」よりその問題行動について以下に記す。 
　１．小説の概要 
①著者：夏目漱石 
②タイトル：坊っちゃん（夏目漱石全集） 
③発行年：1987（昭和62）年 
④出版社：ちくま文庫、筑摩書房 
　２．作品の解説 
　主人公は東京の物理学校(東京理科大学の前身)を卒業したばかりの江 
戸っ子気質で血気盛んで無鉄砲な新任教師である。漱石が高等師範学校 
（後の東京高等師範学校）英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋 
常中学校（松山東高校の前身）で1895年（明治28年）4月から教鞭をとり、 
1896年（明治29年）4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下 
敷きに、後年書いた小説である。人物描写が滑稽で、わんぱく坊主のい 
たずらあり、悪口雑言あり、暴力沙汰あり、痴情のもつれあり、義理人 
情ありと、他の漱石作品と比べて大衆的なため、より広く愛読されてい 
る。それ故、青少年への読書課題にも、よく選出され、しばしば、映画 
やテレビドラマの原作や教科書としても取り上げられている。 
　３．あらすじ 
　赴任先で、天麩羅蕎麦を4杯食べたこと、団子を2..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石「門」の１８～２３章についてのまとめ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78788/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alen]]></author>
			<category><![CDATA[alenの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Feb 2011 15:31:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78788/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78788/" target="_blank"><img src="/docs/953905014038@hc11/78788/thmb.jpg?s=s&r=1297060270&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石「門」の１８～２３章についてのまとめ[66]<br />「門」十八～二十三章
　罪を犯した夫婦の義務　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
○全体の流れ
十八～二十一章（宗助の鎌倉での十日間）
二十二～二十三章（日常に戻る）
【一八章】　救いを求め禅寺に行く
　座禅の力を借りたいが知識不足の宗助だったが、同僚のつてを頼り禅寺へ向かう
　（十七章より）「もし昔から世俗で云う通り安心とか立命とかいう境地に、座禅の力で達する事が出来るならば、十日や二十日役所を休んでも構わないから遣ってみたいと思った。」
宗助の必死さ、そしてその様子を隠す余裕もない
「先刻宗助の様子を、気の毒に観察した同僚は、彼の質問の奥に雑談以上のある意味を認めたものと見えて&hellip;」
御米の「私も一所に連れてって頂戴」という言葉に対しても、「宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わう余裕を有たなかった。」
安直に問題解決を期待している宗助
修行に来ている人達の姿に対して
「宗助は一見こだわりの無さそうなこれ等の人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、その懸隔の甚だしいのに驚いた。そんな気楽な身分だから座禅が出来るのか、或は座禅をした結果そういう気楽な心になれるのか迷った。」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[≪聖徳短通信≫反自然主義の小説について記せ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59379/]]></link>
			<author><![CDATA[ by poroporo]]></author>
			<category><![CDATA[poroporoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Nov 2009 23:10:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59379/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/poroporo/59379/" target="_blank"><img src="/docs/poroporo/59379/thmb.jpg?s=s&r=1258899016&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34024/]]></link>
			<author><![CDATA[ by buffalo3001]]></author>
			<category><![CDATA[buffalo3001の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Jan 2009 06:47:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34024/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34024/" target="_blank"><img src="/docs/963399795724@hc08/34024/thmb.jpg?s=s&r=1232228834&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石『こころ』と現代社会の自殺論
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
自分が教師だとして、夏目漱石の「こころ」で[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[比較文学２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31950/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e_r_i_t_a]]></author>
			<category><![CDATA[e_r_i_t_aの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 12:21:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31950/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31950/" target="_blank"><img src="/docs/962225200365@hc08/31950/thmb.jpg?s=s&r=1229052085&t=n" border="0"></a><br /><br />分身小説（文学）にはどのようなものがあるか。
作家名、作品名、梗概（あらすじ）、作品の影
響関係などをまとめなさい。
分身小説は、18世紀から19世紀にかけて展開された文学運動であるロマン主義と相俟って生まれた。その時代背景が生み出したとも[346]<br />　　分身小説（文学）にはどのようなものがあるか。
作家名、作品名、梗概（あらすじ）、作品の影
響関係などをまとめなさい。
分身小説は、18世紀から19世紀にかけて展開された文学運動であるロマン主義と相俟って生まれた。その時代背景が生み出したともいえるだろう。ロマン主義は、古典主義・合理主義に反抗し、感情・個性・自由などを尊重、自然との一体感、神秘的な体験や無限なものへのあこがれを表現した。これから比較し、そのあらすじを概説していく夏目漱石やエドガー・アラン・ポーもこの時代に含まれるだろう。しかし、過酷な世界から魂を解放してくれる想像の世界は、心の平衡を保つ反面、現実との平衡が崩れると自我の分裂を引き起こし、分身が生まれる。また孤立した人は自意識過剰になり自分がわからなくなり、自分を探ろうとし、見る自己は見られる自己を客体化し、そこでもまた、分身が生まれる。そして、さらに、近代化が進む中で他者とのコミニュケーションが複雑になり、人々は孤立し他者に対し懐疑的になる。そこで探偵が生まれる。ロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』は典型的な分身物語であるし、そして、探偵シャ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石の「当て字」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/12414/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuueri]]></author>
			<category><![CDATA[yuueriの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 31 Dec 2006 00:08:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/12414/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/12414/" target="_blank"><img src="/docs/983430739001@hc06/12414/thmb.jpg?s=s&r=1167491330&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　夏目漱石の「当て字」について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
私は今回、他の授業で扱った夏目漱石の『彼岸過迄』という作品において、当て字のようなものが多いことに興味を持った。そこで、『彼岸過迄』を中心に、夏目漱石の当て字[356]<br />　　　　夏目漱石の「当て字」について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
私は今回、他の授業で扱った夏目漱石の『彼岸過迄』という作品において、当て字のようなものが多いことに興味を持った。そこで、『彼岸過迄』を中心に、夏目漱石の当て字の用法の特徴について調べてみたいと思う。
　そもそも、当て字とは何であるか。日本国語大辞典によると、
　　　あて-じ(宛字・当字)〔名〕漢字本来の意味に関係なく、その音・訓だけを借りてある語の表記
　　　　に当てる漢字の用法。借字。「浅増（あさまし）」「目出度（めでたし）」「矢張（やはり）」「野
暮（やぼ）」の類。
とある。しかし、私は今回のレポートの中では、次のようなものを当て字ということにする。
一寸（ちょっと）、洋杖（ステッキ）のように、漢字自体の読みでは考えられないふりがながふってあるもの。
加留多（かるた）、盆槍（ぼんやり）のように、漢字本来の意味に関係なく、言葉の音に漢字の音・訓読みをあててあるもの。
なお、『漱石新聞小説復刻全集６　彼岸過迄』(夏目金之助著　ゆまに書房　平成十一年九月)を底本とする。
まず、『彼岸過迄』の中の、「彼岸過迄..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三四郎（夏目漱石）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14387/]]></link>
			<author><![CDATA[ by shakara]]></author>
			<category><![CDATA[shakaraの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 25 Sep 2007 13:42:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14387/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428421901@hc07/14387/" target="_blank"><img src="/docs/983428421901@hc07/14387/thmb.jpg?s=s&r=1190695368&t=n" border="0"></a><br /><br />「三四郎」を読んで
　時代を反映した小説を著してきた漱石は「三四郎」でも、明治の時代に対して警告を鳴らした。明治４２年に朝日新聞に連載された「三四郎」は、新聞小説がリアルタイムに情報を発信できるという特性を生かして、社会批評を客観的かつ冷静[358]<br />「三四郎」を読んで
　時代を反映した小説を著してきた漱石は「三四郎」でも、明治の時代に対して警告を鳴らした。明治４２年に朝日新聞に連載された「三四郎」は、新聞小説がリアルタイムに情報を発信できるという特性を生かして、社会批評を客観的かつ冷静に展開している。例えば広田先生が、日本について言う「亡びるね」という言葉。明治とともに生きてきた先生の漱石の分身としての言葉は、当時としてはかなり痛烈であり、その批評は現代にも通じる鋭さを持っている。
　熊本から上京した三四郎は新鮮な驚きをもって学問の世界や異色な人物に触れながら、次第に自己に目覚めていく。主人公を平凡な学生にすることで、文明開化後の社会の動..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石『坊っちやん』に見られる批判の目]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12241/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Dec 2006 15:13:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12241/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12241/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/12241/thmb.jpg?s=s&r=1167113594&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石『坊っちやん』
目次
神経衰弱と小説
漱石の「神経衰弱」と「他人本位」の社会
「個人主義」と『坊っちやん』
『坊っちやん』における批判とその正当性
〈正常〉と〈異常〉の不思議
論文末　参考文献リスト
　
なお、注釈は論文中必要な箇所[342]<br />夏目漱石『坊っちやん』
目次
神経衰弱と小説
漱石の「神経衰弱」と「他人本位」の社会
「個人主義」と『坊っちやん』
『坊っちやん』における批判とその正当性
〈正常〉と〈異常〉の不思議
論文末　参考文献リスト
　
なお、注釈は論文中必要な箇所に番号をふり、（）として随時その箇所に記した。
一、神経衰弱と小説
小説『坊っちやん』は著者夏目漱石が、同氏による小説『吾輩は猫である』を朝日新聞に連載していた途中、明治三十九年の四月に雑誌『ホトトギス』に発表したものである。漱石が始めて創作にとりかかったのは丁度この頃のことである。漱石はこの二、三年前にイギリスに留学（明治三十三年五月～明治三十五年十二月頃）しており、この留学経験が彼の初期作品である『坊っちやん』に重大な影響を与えたと考えられている。それは漱石が小説を書き出した理由が、かねてからの神経衰弱がこのイギリス留学によって「ひどく悪化」し、その帰国後医師によって、「療養、気晴らしのために」心にあるものを吐き出だすことを勧められたからだ、といわれているからである。
この漱石が悩まされていたとされる神経衰弱が具体的に何の病気であったかについては..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三四郎の主人公としての資格]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11670/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aya_sgym]]></author>
			<category><![CDATA[aya_sgymの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 24 Nov 2006 01:00:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11670/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11670/" target="_blank"><img src="/docs/983429360201@hc06/11670/thmb.jpg?s=s&r=1164297620&t=n" border="0"></a><br /><br />　三四郎が主人公でなくてはならない理由を考えるにあたっては、三四郎特有の気質がこの物語にどのような影響、効果を与えているかを考えるべきである。本来ならば美禰子と野々宮の恋に横恋慕する一端役として描かれるべき三四郎が主人公として描かれたのは何[360]<br />　三四郎が主人公でなくてはならない理由を考えるにあたっては、三四郎特有の気質がこの物語にどのような影響、効果を与えているかを考えるべきである。本来ならば美禰子と野々宮の恋に横恋慕する一端役として描かれるべき三四郎が主人公として描かれたのは何故だったのか。
　まず第一に、本文ではなく後書きに記された漱石自身の、三四郎を書くにあたって述べた文を引用する。
「（前略）ただ尋常である。摩訶不思議はかけない」（岩波文庫　三四郎　３１２ページ）
　つまり漱石はこの物語をしごく尋常なものとして展開するつもりであった。新聞小説という形式をとっていることもあり、分かりやすさが最も要求されていたのだと思われる。
そういった尋常、親しみやすい物語で肝心なのは、実際に有り得そうだと誰もが思える展開をさせることだ。しかし三四郎の中に出てくる主要人物は、三四郎や与次郎よりも一世代、もしくは二世代上なのにも拘わらず独身
を貫き通す原口、広田、野々宮、また彼の妹であり奔放に生き、それ故田舎から出てきた三四郎には謎めいた女性として描かれている美禰子や、広田に言わせると彼女と同じくらい「イプセンの女」であるよし子といった..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 『坊ちゃん』テクスト的分析]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10124/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teru0923]]></author>
			<category><![CDATA[teru0923の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jul 2006 15:47:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10124/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10124/" target="_blank"><img src="/docs/983430749001@hc06/10124/thmb.jpg?s=s&r=1154242043&t=n" border="0"></a><br /><br />?要約
いたずらものの坊ちゃんは小さい頃から悪さばかりしていた。おかげで両親には愛想つかされ、兄にも白い目で見られていた。坊ちゃんが物理学校卒業を間近に控えた頃、父親が急死してしまった。母親も早くに死んでいて、また兄も坊ちゃんを見捨てたた[354]<br />Ⅰ　要約
　いたずらものの坊ちゃんは小さい頃から悪さばかりしていた。おかげで両親には愛想つかされ、兄にも白い目で見られていた。坊ちゃんが物理学校卒業を間近に控えた頃、父親が急死してしまった。母親も早くに死んでいて、また兄も坊ちゃんを見捨てたために行くあてがなくなった坊ちゃんだったが、学校を卒業するときに校長の世話で、四国にある中学校に数学の教師として勤めることになる。
　四国に着き、中学校に挨拶に行った日に、彼は校長に「たぬき」、教頭に「赤シャツ」、自分と同じ数学の主任教師には「山あらし」、英語の顔色の悪い教師には「うらなりくん」、画学の教師には「野だいこ」などとあだ名をつける。
　坊ちゃんは、転任早々、生徒たちのいたずらにあって、散々な目にあう。そんな右も左もわからない坊ちゃんを最初に世話をしてくれたのが「山あらし」である。ところが「赤シャツ」と「野だいこ」の二人は、「山あらし」は実は悪人だから気をつけろという。当の「山あらし」は、例の二人こそ悪者だから気をつけろという。どうも、彼らは学校の中で対立しているようであった。坊ちゃんは、最初は「山あらし」とちょっとしたいざこざがあったため..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[  夏目漱石「こころ」の主題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/9470/]]></link>
			<author><![CDATA[ by carameltea]]></author>
			<category><![CDATA[caramelteaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Jul 2006 15:34:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/9470/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430069701@hc06/9470/" target="_blank"><img src="/docs/983430069701@hc06/9470/thmb.jpg?s=s&r=1152426886&t=n" border="0"></a><br /><br />私はこの作品の主題はエゴイズム（自分の利益だけ重んじる考え。自分本位の考え方。利己主義）の恐ろしさだと考えました。なぜなら、この作品ではあらゆるところでエゴイズムが取り上げられていたからです。
たとえば、「下　先生と遺書」では先生の叔父が[356]<br />「エゴイズムの恐ろしさ」
　私はこの作品の主題はエゴイズム（自分の利益だけ重んじる考え。自分本位の考え方。利己主義）の恐ろしさだと考えました。なぜなら、この作品ではあらゆるところでエゴイズムが取り上げられていたからです。
たとえば、「下　先生と遺書」では先生の叔父が先生の財産を奪ったといことが打ち明けられています。先生の両親は伝染病のためにほとんど同時に死亡し、それで叔父に財産の管理を任せ、先生は東京の高等学校に入学しました。ところがその間に父親の遺産のかなりの部分が叔父に横領されてしまったのです。それに先生が気づいたのは３度目に帰国したときのことです。それから先生は財産を取り戻そうと努力しましたが、結局わずかしか戻ってきませんでした。この事件によって先生は他人を信用しなくなったのですが、この叔父の行動はエゴイズムによるものである、と私は思うのです。この事件について先生は「父にあれほど信用されたり、褒められたりしていた叔父がどうして財産横領という挙に出たのか。」と疑問に思っています。そこには、事業の失敗とか、色恋沙汰があったかもしれないが、先生の父に信頼され、先生を託された叔父も「金」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 遠藤周作　『沈黙』のジュアンの殉教から探る神の姿とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430602501@hc06/7774/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mariko0424]]></author>
			<category><![CDATA[mariko0424の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Apr 2006 08:27:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430602501@hc06/7774/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430602501@hc06/7774/" target="_blank"><img src="/docs/983430602501@hc06/7774/thmb.jpg?s=s&r=1143934035&t=n" border="0"></a><br /><br />遠藤周作によって書かれたこの『沈黙』は、キリスト教迫害の時代を舞台に、世間の宗教界から沈黙させられた者達、棄教した者を主人公に描いた小説である。主人公であるロドリゴは、神の存在とは、又その神の沈黙や、信仰の根源を問い続ける。その中でも、
[356]<br />沈黙コメンタリー　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
遠藤周作によって書かれたこの『沈黙』は、キリスト教迫害の時代を舞台に、世間の宗教界から沈黙させられた者達、棄教した者を主人公に描いた小説である。主人公であるロドリゴは、神の存在とは、又その神の沈黙や、信仰の根源を問い続ける。その中でも、
この箇所は、ロドリゴが役人に捕らわれ、ある町の牢舎に閉じ込められている時に起こった出来事が語られているところである。その出来事とは、ロドリゴが牢舎で共に神に祈りを捧げていた一人の百姓が、自分の目の前で役人に殺されるということである。この場面に視点を当て、
①この箇所の文体はどのような効果をあげていますか？
②遠藤が描く神の姿とは。又、ここで蠅を登場させたのは何故か？
の二つのガイドクエスチョンについえ考えていきたい。
この場面には、遠藤の考えに考え抜いた手法が巧みに使われている。片眼の男が役人によって殺される前と後では描写が全く異なっていている。前半は三人称で、役人と片眼の男の「のんびりとした会話」が客観的に書かれている。客観的に書かれ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石のこころを読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/7526/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuueri]]></author>
			<category><![CDATA[yuueriの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 13 Mar 2006 22:39:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/7526/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/7526/" target="_blank"><img src="/docs/983430739001@hc06/7526/thmb.jpg?s=s&r=1142257165&t=n" border="0"></a><br /><br />　『こころ』は、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部にわかれて、１つの作品を構成している。「先生と私」では「私」が一人称であり、私は「先生」と出会い、先生の思想や暗い部分に触れることによって、先生の過去などの謎を提起する部分である。[360]<br />夏目漱石の『こころ』を読んで
　『こころ』は、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部にわかれて、１つの作品を構成している。「先生と私」では「私」が一人称であり、私は「先生」と出会い、先生の思想や暗い部分に触れることによって、先生の過去などの謎を提起する部分である。先生の思想や発言にはたくさんの伏線がはられており、読者はそれを感じながら先へと読み進めることになる。
　「両親と私」では、先生と対極の地位・思想にあると思える父親の、死に対峙する場面である。その中で、わずかな先生との手紙・電報のやりとりに、私は一喜一憂する。と、父親が危篤状態の時に、先生から分厚い手紙がくる。彼は父の死の瞬間がくる畏怖を抱えながら、先生の手紙をめくる。すると、最後に先生の死を示す文があり、私はあせって東京へ向かう&hellip;。この二つの章は、最後の「先生と遺書」につなぐ伏線をはりめぐらせ、また「先生と遺書」で語られる経験の結果、先生はどうなったのかを先に示している。そして、漱石が一番伝えたかったものは、前の二つの章に盛り上げられ、最終章である「先生と遺書」へ凝縮される。
　「先生と遺書」では「私」という一人称が「先..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Botchan: Bonds of solitary soldier Botchan and Kiyo]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430729301@hc06/7037/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ayamin]]></author>
			<category><![CDATA[ayaminの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 20 Feb 2006 22:42:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430729301@hc06/7037/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430729301@hc06/7037/" target="_blank"><img src="/docs/983430729301@hc06/7037/thmb.jpg?s=s&r=1140442979&t=n" border="0"></a><br /><br />I have read Soseki Natsume&rsquo;s &quot;Botchan&quot; when I am a school child. I of the school child felt a yearning to and exhilarati[122]<br />Botchan: Bonds of solitary soldier Botchan and Kiyo
I have read Soseki Natsume&#039;s &quot;Botchan&quot; when I am a school child. I of the school child felt a yearning to and exhilaration one feels in the hero who said what he wanted to say and did what he wanted to do. The hero throws it away cutting it in a single sweep surrounding adults who think only moving about well.&quot;Botchan&quot; is exactly a story of the encouraging the good and punishing the evil for me in childhood, and I came to want to give a big han..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[北村透谷と夏目漱石の共通点及び相違点について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/6819/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e09012004]]></author>
			<category><![CDATA[e09012004の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 12:57:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/6819/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430776801@hc06/6819/" target="_blank"><img src="/docs/983430776801@hc06/6819/thmb.jpg?s=s&r=1139975857&t=n" border="0"></a><br /><br />１　透谷と漱石の思想や生き方などの共通点及び相違点について述べる。
　透谷と漱石は、明治日本の近代化の矛盾と誠実に取り組む中で、多くの形見を残した文学者であり、その二人にはある共通点と相違点があった。まず共通点の一つとして、二人の家庭環境[356]<br />　１　透谷と漱石の思想や生き方などの共通点及び相違点について述べる。
　透谷と漱石は、明治日本の近代化の矛盾と誠実に取り組む中で、多くの形見を残した文学者であり、その二人にはある共通点と相違点があった。まず共通点の一つとして、二人の家庭環境があげられる。二人はとも両親とそりが合わなく、透谷はとくに母親と、漱石は父親とそりが合わなかった。そのため、結婚生活というものに対して幻滅していたところがあった。二つめの共通点は、思想と気質についてである。二人の終生変わることがなかった幕末の志士たちへの共感と、明治の元勲たちへの否定意識は、明治維新から自由民権運動時代にかけて精神形成を行った青年たちの一つの特長を示していた。また二人はともに反封建主義・反薩長主義であり、いわゆる天下国家に関心をよせる国土的要素を終生持ちつづけた作家であった。三つめは恋愛観及び文学観である。ともに英文学を専攻して漢文や漢詩を好んでおり、その文学作品には恋愛を主要なテーマとしたものがあって、恋愛というものは神聖なものと考えていた。そして恋愛とは同時に罪悪であることも指摘していたとされる。文学については、国民的思想化を目指..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[夏目漱石と谷崎潤一郎]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rasuta2525]]></author>
			<category><![CDATA[rasuta2525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jan 2006 10:06:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/4567/" target="_blank"><img src="/docs/983431363901@hc05/4567/thmb.jpg?s=s&r=1136423174&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏目漱石は１８６８年２月９日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の５男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
　学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした[356]<br />夏目漱石は１８６８年２月９日に現在の新宿区に、父夏目子兵衛直克、母千枝の５男として生まれる。この後、一歳になった漱石は四谷の名主塩原家へ養子として出される。
学生時代は東京大学予備門予科に進学し、同級生の正岡子規と親交を深めるなどした。明治23年、帝国大学文科大学英文科に学び、東京高等師範学校英語教師、松山の愛媛県尋常中学教諭となった。松山はのちに『坊っちやん』の舞台となる。
明治３３年、漱石は文部省派遣留学生に選ばれロンドンに赴く。「夏目狂せり」との噂が流れるなか帰朝し、一高と東大で英語英文学を講じたが留学中からの神経症に悩まされ、友人高浜虚子の勧めでいわば神経症の自己治療のために書いたのが『吾輩は猫である』である。雑誌「ホトトギス」に掲載された本著作で大いに文名があがり、明治４０年には一切の教職を辞して東京朝日新聞社の小説記者となり執筆を始めた。
没したのは大正５年１２月９日、享年５０である。彼の死を悼む人々の数は同日に弔われた日露戦争の名将大山巌を悼む人々の数をはるかに凌いだといわれている。
このように漱石の生涯を振り返ってみると、明治時代をちょうどその一生の中に含んでいる。同時..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[夏目漱石の作品]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3763/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aitsuki]]></author>
			<category><![CDATA[aitsukiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Dec 2005 22:37:56 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431523001@hc05/3763/" target="_blank"><img src="/docs/983431523001@hc05/3763/thmb.jpg?s=s&r=1134135476&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏目漱石の作品は、自伝的な要素を含んだものが多い。どの時期に書いたのか、それが分かればその時の作者の実際の心情が作品から伺うことが出来る。「自転車日記」などはその通り日記調で、一つの小説というよりまるで本当に漱石の日記であるかのように読む[360]<br />　夏目漱石の作品は、自伝的な要素を含んだものが多い。どの時期に書いたのか、それが分かればその時の作者の実際の心情が作品から伺うことが出来る。「自転車日記」などはその通り日記調で、一つの小説というよりまるで本当に漱石の日記であるかのように読むことが出来る。そして、唯一公に自伝的小説と著名されている「道草」は、漱石がロンドンから帰ったとき、また「吾輩は猫である」執筆当時の三十代後半に書かれたものである。
　主人公の健三は数年間の洋行から帰国し、教師として働いている。と言って金銭的に豊かな暮らしというわけではなかった。日々を過ごすのに差し支えはないが、余裕があるわけでもない。そんな健三の所に姉や兄、さらに縁を切ったはずの養父島田、さらに妻の父までが金を頂こうと健三の所に話を持ち込んでくる。
　実際に漱石は文部省から英国留学を命じられている。ロンドンで、クレイグ教授の個人授業を受け、二年間そこで暮らしている。その後、第一高等学校講師、東京帝国大学英文科講師の任についている。健三と違って、毎日の生活が精一杯というわけではなかっただろうが、親戚中から金の工面についてすくなからず相談を受けていたよう..]]></description>

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			<title><![CDATA[世説新語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></link>
			<author><![CDATA[ by iloveyou]]></author>
			<category><![CDATA[iloveyouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 00:40:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/" target="_blank"><img src="/docs/983431692401@hc05/3368/thmb.jpg?s=s&r=1132760446&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『[356]<br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
　この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
２．『世説新語』と日本文学
　『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[夏目漱石「暖かい夢」について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/]]></link>
			<author><![CDATA[ by msktit]]></author>
			<category><![CDATA[msktitの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Nov 2005 04:35:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431695601@hc05/3170/" target="_blank"><img src="/docs/983431695601@hc05/3170/thmb.jpg?s=s&r=1131910511&t=n" border="0"></a><br /><br />夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年（一九〇九）一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪[360]<br />　　　　　「暖かい夢」
　夏目漱石の短編集は傾向として、二つの長編小説にはさまれる形で発表される場合が多い。「永日小品」もその例に漏れず、『三四郎』と『それから』の間に発表されている。明治四十二年（一九〇九）一月十四日から二月十四日までの一ヶ月間、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に掲載された。「暖かい夢」は、その「永日小品」の中にある作品である。
　「暖かい夢」は街の様子から始まる。きついビル風、そこで客を待つ御者、道を行く人々。道を行く人々は男も女も皆せっぱ詰まっていて、語り手である「自分」を追い越していく。どの人間も同じに見えるのか、道を行く人々の描写は皆一様である。
　しかし、御者の描写はひどく詳しい。目で見たことだけではなく、耳にしたことまで描写されている。同じ街中にいる人間なのに、道を行く人と御者でなぜこれだけ「自分」の注意が違うのか。
　街の人間は皆、「自分」を見ない。「自分」はここに確かに存在するのに、いてもいなくても変わらないかのように「自分」を素通りする。男も女も自分の行くべき方向を見据え急ぐだけで、わき目もふらない。無論、「自分」などその人々の目にはうつらない。少なくとも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『三四郎』とキリスト教]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amnos5]]></author>
			<category><![CDATA[amnos5の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Sep 2005 23:59:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432334001@hc05/2277/" target="_blank"><img src="/docs/983432334001@hc05/2277/thmb.jpg?s=s&r=1127746773&t=n" border="0"></a><br /><br />美禰子について、色々と説明を受けたとき、そして自分が短大生になり以前読んだときより感じるものに違いがあって、興味を持った。その理由もあり、再びこの作品を読んで、授業で興味を持った美禰子について分析し、まとめてみたいと考えた。

第一章　[352]<br />　はじめに
　私は課題として、夏目漱石の『三四郎』を選択した。その理由は二つある。
　まず、以前この作品の本を読んだことがあったからだ。といっても、内容や感想を覚えているかというとそうでもない。高校生の頃、心理学に興味があった私は『夢十夜』を読んでとても感動し、他の夏目漱石作品を読んだのだ。その時にこの『三四郎』も読んだのであるが、「難しい」という感じにしかならず、夏目作品を読むこともそれで断念してしまったのだ。そこで国文学科に入学して一年経った今、改めて『三四郎』を読んでみようと考えた。
　二つ目の理由として、授業で取り扱って面白いと感じたからである。美禰子について、色々と説明を受けたとき、そして自分が短大生になり以前読んだときより感じるものに違いがあって、興味を持った。その理由もあり、再びこの作品を読んで、授業で興味を持った美禰子について分析し、まとめてみたいと考えた。
　第一章　夏目漱石と『三四郎』について
　この作品の作者夏目漱石は一八六七年東京生まれ、本名を金之助という。東大在学中から漢学に親しみ、英語を学び、正岡子規との出会いによって文学を志した。大学卒業後、松山中学校へ赴..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世説新語と日本文学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/]]></link>
			<author><![CDATA[ by thikotann]]></author>
			<category><![CDATA[thikotannの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 11:21:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/" target="_blank"><img src="/docs/983432215801@hc05/1882/thmb.jpg?s=s&r=1122603716&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『世説新語』について
『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢[356]<br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
　この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
２．『世説新語』と日本文学
　『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「『こころ』を生成する心臓」に]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 21:23:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1634/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/1634/thmb.jpg?s=s&r=1122380615&t=n" border="0"></a><br /><br />〈論文より抜粋〉
「先生」が残した「遺書」の書き方（そこにおいて言葉化されている他者とのかかわり方、他者をめぐる記憶＝過去のあり方）に対しては、徹底して差異を強調する。他者に共感することが単なる同化とはならず、むしろ自分と他者の違いを鮮明[356]<br />「『こゝろ』を生成する」
小森陽一
〔キーポイント〕
「先生」との差異化 &rArr; 「人間らしい温かい」の成功（研究的に働きかけはしな　　かったという執拗なまでの宣言）
「新たな「血」の倫理」の獲得、旧・倫理の崩壊 
「奥さん」との「」でのかかわり &rArr; 「自由な人と人との組み合わせを生きる」
〈論文より抜粋〉
「先生」が残した「遺書」の書き方（そこにおいて言葉化されている他者とのかかわり方、他者をめぐる記憶＝過去のあり方）に対しては、徹底して差異を強調する。他者に共感することが単なる同化とはならず、むしろ自分と他者の違いを鮮明にすることで、お互いをより本質的な共感へと開いていけることを、『こゝろ』というテクストは示しているのである。
&rArr;ここでの他者とはK（なのか?）
先生：Kへの研究的な働きかけを遺書まで継続させた。
青年：（自称）「人間らしい温かい交際」ができた人間。実際にどうだったかはさておき、研究的には決して働きかけなかったという自負を持つ。
　　　&rarr;このような対比を行う場合、青年とKが同列視されなくてはならないはずだが、Kと青年には決定的な違いがないか。
（同一人物への恋愛感情・青年..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『こゝろ』〜静から始まるミステリ〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 21:11:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/1631/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/1631/thmb.jpg?s=s&r=1122379901&t=n" border="0"></a><br /><br />【１：情報】
・	1914（大正３）年4月20日〜8月11日　朝日新聞にて連載
・	同年９月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
（初出：「時事新報」1914[304]<br />≪日本文化研究Ⅷ〔近代文学〕a/b －近現代「名作」批判－≫
夏目漱石・著　『こゝろ』　　～静から始まるミステリ～
【１：情報】
1914（大正３）年4月20日～8月11日　朝日新聞にて連載
同年９月に岩波書店より『こゝろ』出版
[広告文]
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。
（初出：「時事新報」1914（大正3）年9月26日）
[予告]
今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。
（初出：「東京朝日新聞」1914（大正3）年4月16日
「大阪朝日新聞」1914（大正3）年4月17日
[自序]
『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう／＼その一篇｜丈《〔だけ〕》を単行本に纏めて公けにする方針に模様が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[別土俵の「三四郎」と「青年」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/505/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 18:53:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/505/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/505/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/505/thmb.jpg?s=s&r=1119347582&t=n" border="0"></a><br /><br />鴎外は尋常ではない。軍医総監という最高地位につき、その後も帝室博物館長などを勤め、さらには文学者としても恐るべき知名度と実力を誇って今もなおその名を馳せている。彼のような地位の人間が結婚をするには、勅裁、すなわち天皇の許可が必要だというのだ[360]<br />　別土俵の「三四郎」と「青年」
　鴎外は尋常ではない。軍医総監という最高地位につき、その後も帝室博物館長などを勤め、さらには文学者としても恐るべき知名度と実力を誇って今もなおその名を馳せている。彼のような地位の人間が結婚をするには、勅裁、すなわち天皇の許可が必要だというのだから驚きだ。
　しかし彼が二足の草鞋を悠々と穿きこなしていたのは事実だとしても、文学者という面において、やはり同時代に活躍していた夏目漱石という存在をなぎ倒して進んで行くことは少々困難なのである。
　「金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。」
　これは「青年」の前作にあたる「ヰタ・セクスアリス」の前半にあるものである。この一文だけでも、金井君に鴎外を当てはめてみることはそう奇抜ではない。
　この「ヰタ・セクスアリス」か..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「三四郎」――漱石の警告――]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/504/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 18:47:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/504/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/504/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/504/thmb.jpg?s=s&r=1119347220&t=n" border="0"></a><br /><br />三四郎の冷めたともいえる客観的な視点には、読者に感想を押し付けない意図がある。無論それはライトノベルなどには見られない、空気を読ませる純文学的特徴であるのだろうがそれだけでは無いはずだ。近年の小説に見られるストーリー重視という傾向は、読者が[360]<br />　三四郎　――漱石の警告――
　三四郎の冷めたともいえる客観的な視点には、読者に感想を押し付けない意図がある。無論それはライトノベルなどには見られない、空気を読ませる純文学的特徴であるのだろうがそれだけでは無いはずだ。近年の小説に見られるストーリー重視という傾向は、読者が物語の中に登場人物と同じ立場として入り込み、彼らの経験と感想の全てを一心に自分のものとして受け取るものである。読者は登場人物の明瞭なる心境を確実になぞっていくことで、全く同じ感想を胸の中に感じて本を閉じる。しかし「三四郎」はそうではない。主張が無いストーリー重視の近年の小説とは違う、実に技巧こらされた作品である。三人称話法でありながらあくまで視点は三四郎である。非常に詳細な情景描写は、確実に追うことで読者にはっきりとその風景を伝えてくる。リアルタイムで読む新聞小説のメリットが存分に生きている。全てが詳細なのではない。例えば「上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。」このような細かな描写の中に、時折混ぜられる抽象的な描写がメリハ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国に紹介したい日本文学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suginami]]></author>
			<category><![CDATA[suginamiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Jun 2005 13:19:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432385301@hc05/279/" target="_blank"><img src="/docs/983432385301@hc05/279/thmb.jpg?s=s&r=1118204388&t=n" border="0"></a><br /><br />この本は色々な視点から見る事ができ、見る視点によって物語の意味が大きく変わってくる。「先生」の遺書には先生のこころの自己弁護のフィルターがかかっている。「先生」の主観に取り込まれると、「先生」はなるべく客観的に書いているかのように見える。そ[360]<br />外国に紹介したい日本文学、と言われても今ひとつピンと来るものがなく、とりあえず子供の頃から現在までに私が読んだものをなんとなく思い返してみた。どちらかというと、子供の頃の方が読書好きで、恥ずかしながら最近はあまり本を読んでいないのが実情だ。なので、思い浮かぶのはローティーンの頃に読んだ若年層向けの純文学しかない。ある程度の年齢になってからは、もっぱら密室モノといったような推理小説しか読まなくなってしまった。推理小説も確かに文学ではあるし、単純に読んでいて面白いのだが、比較文学という講義内容にはふさわしくないのではないかと思った。日本文化学科でも中世、近世史のゼミに所属している私としては、やはりそういった関係の文学を取り上げた方がよいのかとも考えたが、あまり興味のあるものが思い浮かばなかった。今回取り上げた作品は、あまりにも有名な著者が書いたものなので、私が紹介しなくても、すでに外国でも知られているのかもしれないが、やはり私の中ではこの作品が今でも印象深い。彼は英語教師をしていたし、イギリス留学もしているのだから、イギリスではある程度の知名度があるのかもしれないが、詳しい事はよく知らない..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 「こころ」の人間関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jsthomas]]></author>
			<category><![CDATA[jsthomasの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 26 May 2005 13:40:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404601@hc05/198/" target="_blank"><img src="/docs/983432404601@hc05/198/thmb.jpg?s=s&r=1117082408&t=n" border="0"></a><br /><br />始めに 
「こころ」は、（１９１４）大正三年四月二十日から八月十一日まで「朝日新聞」に「こころ」という総題のもと、「先生の遺書」と題して、一一０回にわたって連載され、同年十月、岩波書店から刊行された。その刊本では「心」「こころ」どちらも用[354]<br />「こころ」の人間関係
始めに 「こころ」は、（１９１４）大正三年四月二十日から八月十一日まで「朝日新聞」に「こころ」という総題のもと、「先生の遺書」と題して、一一０回にわたって連載され、同年十月、岩波書店から刊行された。その刊本では「心」「こころ」どちらも用いられているが、上編「先生と私」、中編「両親と私」、下編「先生と遺書」の三部構成の体裁となった。夏目漱石のこの小説は発表されて以来さまざまな理論的な観点で研究されてきた。私は特に登場人物の関係に興味をもち、本論文ではこれについて検討する。 １、 先生と私 ２、 先生とk ３、 先生とお嬢さん ４、 先生の自殺とｋの自殺 ５、 先生の父親と叔父 １、先生と私 漱石は「先生と私」で先生の生活の外面的な観察を描写し、そこに現れた矛盾を先生を理解する鍵として与えている。 まず先生は「私」に対して静かで淋しく近づき難いと同時に近づきたいという印象を与えたとされている。初期作品では世間に対する超然とした態度は外界に対する高さを意味しており、それが特別の印象を与えるものとして描かれていたが、ここでは先生の超然とした態度は外界との断絶を意味しており..]]></description>

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