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		<title>タグ“国際政治史”の公開資料</title>
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		<description>タグ“国際政治史”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[2020年度　中央大学通信教育部　中大通教　国際政治史　第４課題　C評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/916099536107@hc23/153217/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 法学部生]]></author>
			<category><![CDATA[法学部生の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Mar 2024 10:05:41 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/916099536107@hc23/153217/" target="_blank"><img src="/docs/916099536107@hc23/153217/thmb.jpg?s=s&r=1711155941&t=n" border="0"></a><br /><br />　今日まで紛争が絶えず、武力抗争が伝えられる地域が中東である。
　「中東」とは、具体的な地域的概念は存在せず、場合によって異なる。この地域の住人はアラブ人を中心に、ペルシャ人、アルメニア人、クルド人、トルコ人を含み多様な構成である。宗教は、イスラーム協が多数を占めるが、ユダヤ教徒、キリスト教徒のアラブ人もいる。
　「パレスチナ問題」とは、下に述べる国連が人工的に建国したイスラエルの存在を紛争の核に、「パレスチナ」という地域をめぐるユダヤ人とアラブ系パレスチナ人との対立である。
１　パレスチナ問題の起源
　ユダヤ人とアラブ人は、ユダヤ教とイスラーム教という宗教でも対立するが、本来はこの両者はともにセム系民族であり、ともに一神教という共通点があり、イスラームではユダヤ教を「啓典の民」として認めていたため、共存していた。
　この両者の対立が始まったのは、19世紀末にテオドア・ヘルツルの提唱によって始まったユダヤ人のパレスチナへの帰還を進めるシオニズムと、第一次世界大戦において対オスマン帝国戦略を有利に進め、中東を支配下に置き、「インドへの道」を確保しようとする帝国主義下のイギリスの外交政策に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2020年度　中央大学通信教育部　中大通教　国際政治史　第３課題　B評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/916099536107@hc23/153216/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 法学部生]]></author>
			<category><![CDATA[法学部生の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Mar 2024 10:05:41 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/916099536107@hc23/153216/" target="_blank"><img src="/docs/916099536107@hc23/153216/thmb.jpg?s=s&r=1711155941&t=n" border="0"></a><br /><br />　「冷戦」の起源と米ソの政策
まず、「冷戦」とは、世界的規模の「熱い戦争」が終結した後に世界を襲った「冷たい戦争」、すなわち米、ソ両超大国を中心とする東西両軍事ブロック間の、戦争には至らない軍事的・政治的緊張状態を表現したものである(佐々木　「国際政治史」146頁）。アメリカを中心とした資本主義と、ソ連を中心とした社会主義の対立構造、2つの異なった経済体制の対峙を指し、第二次世界大戦直後の1945年から、1989年のマルタ会談まで、およそ44年間続いた。
(1)　冷戦の起源について、様々な説があるが、アメリカの政策として進められたものであると解するのが定説である。
両陣営の対立は共にドイツ・日本の枢軸陣営と戦っていた第二次大戦中に始まり、第二次世界大戦終結間際である1945年ヤルタ会談での米ソの戦後世界の分割協定から始まるとされる。
　第二次世界大戦中、連合国の大きな軍需需要が、1930年代のアメリカの恐慌を吹き飛ばし、経済の繁栄をもたらした。しかし、終戦すれば軍需需要は停止し、再び強硬に陥る可能性があることを懸念していた。そこで、政財界はブレトン・ウッズの貿易における関税及び非関税の..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第1課題[評価B]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 14:30:12 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146194/thmb.jpg?s=s&r=1634967012&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
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202105-1 
1.列強による国際秩序 
経済面では、17-18 世紀の産業革命により大きく経済成長を遂げた大国が、次第にその
経済圏を拡大した。19 世紀後半には原料の供給地の確保や製品を独占的に販売する新規市
場として植民地の獲得に動く帝国主義が興った。 
欧州の秩序は、フランス革命により絶対王政が崩れたフランスに周囲の国々が危機感を
覚えたことから、19 世紀初めのウィーン会議で各国の王による昔ながらの支配体制である
正統主義を中心に国際秩序を保つことを決めた。中心となったのがイギリス、フランス、
ロシア、プロイセン、オーストリアである。このウィーン体制は 19 世紀後半には機能しな
くなるが、これらの列強が欧州の秩序を守るという体制はまだ残っていた。 
2.ビスマルク体制の崩壊 
小国家・地域に分裂していた国々をまとめ、ドイツ帝国という国民国家形成に向けてナ
ショナリズム高揚をはかるため、プロイセンはフランスに戦争を仕掛けた（1870）。これに
勝利した後、フランスからの報復を回避す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第2課題[評価A]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146195/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 14:30:12 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146195/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146195/thmb.jpg?s=s&r=1634967012&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
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202105-1 
1.終戦に向けた講和会議 
第一次世界大戦の講和条約の内容を検討し、戦後の新しい国際体制を創設するため、連
合国によってパリ講和会議が開かれた（1919）。列強への資金や物資提供により発言権を強
めていたアメリカのウィルソン大統領は、ロシア革命で提起されていた民族自決などの講
和原則を一部取り入れ、19 世紀的な権力政治を批判し、民主主義的・平和主義的な提言を
行った。集団安全保障の原理を取り入れ、14 か条の平和原則を提起し、これにより国際連
盟が設立された。しかし講和会議は「主たる連合国」「全般的利害を有する交戦国」とみな
した英、米、仏、伊、日の五カ国のみがすべての会議に出席し、その他の国は「特殊な利
害を有する交戦国」として、自国に関係する会議のみに出席が許された。重要事項は 5 大
国の代表により構成された「連合国最高会議」が、その他小国の陳述を聞いた上で決定し
た。最高会議も機密保持という理由で英、米、仏、伊の 4 カ国となり、その後領土問題に
不満を持ったイタリ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第3課題[評価A]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146196/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 14:30:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146196/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146196/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146196/thmb.jpg?s=s&r=1634967012&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
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202105-1 
１．アメリカの状況 
アメリカは第二次世界大戦の経験から、自国に対し敵対的な勢力にヨーロッパとアジア
を支配させてはならないと考えていた。また、自国の安全を確保するためには、開放的な
国際経済体制と、世界全体の経済的繁栄を前提とした国際平和が必須であると考えた。そ
こで、第二次世界大戦中からブレトンウッズ体制や国際連合といった国際秩序の枠組みを
作り、戦後もそれを維持するために大国間協調を望んでいた。しかし同時に、軍事的優位
も維持しようとしていた。 
２．ソ連の状況 
ロシア帝国とソ連は 19 世紀以来、繰り返し外敵、特に日本とドイツによる侵略を受け
ていたことから、自国の安全に懸念を抱えていた。また、同盟国である英米は資本主義国
であることから、本質的にはソ連や共産主義に敵対的であると考えられた。そのため、外
敵からの安全の確保が最重要課題となった。そのため、独占的に介入できる権利を主張す
るための勢力圏を拡大し、軍事力展開のための戦略的権益を確保しようとした。 
スター..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第4課題[評価A]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146383/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 06 Nov 2021 17:56:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146383/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146383/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146383/thmb.jpg?s=s&r=1636188964&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
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202105-1 
１．第１次世界大戦中における英国の外交政策 
第 1 次世界大戦中、英国はオスマン帝国との戦いを有利に進めるため、互いに相容れな
い複数の密約を結んだ。当時ヨーロッパでは、1897 年にシオニスト開議で採択されたバー
ゼル綱領を基礎とし、迫害され離散したユダヤ人の祖国を建設しようというシオニズム運
動が起きており、当時アラブ人が定住していたパレスチナ地方を「約束の地」として移民
を進めていたこと、総力戦であった第１次世界大戦と、大戦中に起こったロシア革命が民
族意識を高めていたことを利用したものであった。それぞれの協定が完全に矛盾していた
とまでは言えないものの、現在まで続く中東の宗教と民族の衝突、領土問題のきっかけと
なり、「二枚舌外交」と呼ばれ批判された。 
２．フセイン＝フクマホン協定 
1915 年 10 月、英国の駐エジプト高等弁務官マクマホンは、イスラム教の聖地メッカの
長（シャリフ）、フセインと書簡を交わし、第 1 次大戦後英国はアラブ人の独立を支持する
と約束..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2021年度　国際政治史　第１課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/927391467252@hc19/143864/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ほよほよ]]></author>
			<category><![CDATA[ほよほよの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Apr 2021 16:46:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/927391467252@hc19/143864/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/927391467252@hc19/143864/" target="_blank"><img src="/docs/927391467252@hc19/143864/thmb.jpg?s=s&r=1619163982&t=n" border="0"></a><br /><br />評価Bです。
第一次世界大戦の起源（原因）について説明せよ。[87]<br />1.第一次世界大戦とは
1914年にヨーロッパで勃発した戦争は、ヨーロッパ諸国、ラテンアメリカ諸国、日本、中国など、世界中に拡大していった。のちに第一次世界大戦とよばれる戦争である。開戦のきっかけは、1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの中心都市であるサライェヴォで、オーストリア＝ハンガリー帝国の皇太子であるフェルディナンド大公夫妻がセルビア系の青年によって暗殺された事件である。同年7月28日、オーストリア＝ハンガリー帝国は、この事件を理由にセルビアに宣戦布告をした。7月30日、セルビア側についていたロシアが総動員令を発した。8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告し、8月４日にはイギリス、フランスがドイツに対して戦端を開いた。こうして第一次世界大戦が始まったのである。
南東ヨーロッパの武力紛争が、なぜ世界大戦と言われるほどまでに戦火が拡大してしまったのか。そして、その責任は誰にあるのだろうか。

2、戦火拡大の理由
戦火拡大の理由として、第一にヨーロッパの同盟関係があげられる。ドイツとオーストリア＝ハンガリー帝国は二国同盟を結んでおり、フランスとロシアも同盟国であった。従って、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2013年　国際政治史第2課題　評価４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116079/]]></link>
			<author><![CDATA[ by asan]]></author>
			<category><![CDATA[asanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Oct 2014 09:02:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116079/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116079/" target="_blank"><img src="/docs/944828150105@hc13/116079/thmb.jpg?s=s&r=1412121736&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />2013年　国際政治史　第2課題 評価４
　1929年から30年代初頭にかけて発生した世界恐慌について、論点を整理しつつ論述しなさい。
　世界恐慌とは、世界的規模で起きる経済恐慌のことであり、ある国の恐慌が次々と他国へと波及し、世界的規模で広がる事象である。通史的には、1929年に始まった経済不況を指し、大恐慌、世界大恐慌とも言われる。
　1920年代のアメリカ経済は、「永遠の繁栄」と呼ばれるほどの快進撃を遂げた。この快進撃を支えた要因は2つある。
　１つは、第一次世界大戦のヨーロッパの戦後復興需要である。戦争で疲弊したヨーロッパに対して、戦場にならなかったアメリカは、このあと世界経済の中心としての地位確立していった。
　もう１つは、アメリカ国内における都市化である。自動車が普及するにつれて郊外に都市が出現し、それが住宅需要を喚起した。また、ヨーロッパから帰還した兵士などが新しい家を購入するなど、住宅建設ブームが加速した。そして、都市と都市を結ぶ道路網が整備され、それが有効需要を生み出すとともに、自動車産業の追い風となったのである。
　こうした実体経済の繁栄を背景に、1920年代後半か..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[2014年&nbsp;&nbsp; 国際政治史第3課題　評価５]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116078/]]></link>
			<author><![CDATA[ by asan]]></author>
			<category><![CDATA[asanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Oct 2014 09:02:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116078/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/944828150105@hc13/116078/" target="_blank"><img src="/docs/944828150105@hc13/116078/thmb.jpg?s=s&r=1412121735&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />2014年　国際政治史　第3課題
　第２次世界大戦後、連合国が主導した「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」について比較しながら論述しなさい。
　第2次世界大戦後、日独両国の戦争指導者を戦争犯人として審理した、国際裁判が行われた。その構想は戦争初期から連合国によって主張され、ドイツについては「ニュルンベルク裁判（ニュルンベルク国際軍事裁判）」、日本については「東京裁判（極東国際軍事裁判）」と呼ばれた。
　大戦後の主要戦犯犯罪としては、ニュルンベルク裁判が第一幕、東京裁判が第二幕であり、ニュルンベルク裁判がモデルとなったといえる。
　しかし、両裁判には、様々な相違点がある。
（１）ニュルンベルク裁判では、米英仏ソの4大国が対等の立場で裁判所を設置・運営した。この裁判では第一段階で「ナチス・ゲシュタポ・その他の組織が一味となった全般的共同謀議を立証すること」、第二段階で共同謀議の一員である被告を特定することであるとした。つまり、犯罪組織（犯罪集団）が訴追対象となったのである。一方、東京裁判では、判事や検察の任命をはじまりその全過程でアメリカが主導権を握った。日本にはドイツほど集団として大量虐..]]></description>

		</item>

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