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		<title>タグ“国民党”の公開資料</title>
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		<description>タグ“国民党”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[台湾民主化と中台の緊張関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65176/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 21:49:57 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65176/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65176/thmb.jpg?s=s&r=1269607797&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾民主化と中台の緊張関係
　台湾大学教授楊国枢が1987年に『台湾政治論』という著作を出した。この作品の最後は「民主化のドアは開かれた。しかし、どれだけ開いているのか誰も分からない」
　著作が完成した前86年、党外勢力による、初めての野党民主進歩党が結成した。かつて強人政治を続けていた蒋経国も、翌年この政治団体を認可し、49年から87年に渡って、戒厳令解除も明らかにし、国民党政権に相当な打撃を与えた。
　こうした、始まったばがりの民主化への道は、どれだけ行けるのか。まだ一つ大きな未知数だと思われた。
　96年に総統直接選挙の実現から、台湾自由地区の民主は国際的に注目を浴びた。台湾における中華民国政権の実態は変えず、国民党も依然として政権を握っていたが、動員勘乱条例などの戦時法令の撤廃により、台湾は自由な国へ変わった。
　更に、一番大きな変貌は、91年から92年までに、万年国会と呼ばれた国民大会と立法院の全面改選が成功した。そのため、96年3月の総統直接選挙の実現にも及ぼした。
　国民党の権威体制はこの民主化の動きを上手くコントロールしたとはいえ、民主化が進み当初、国民党もいくつか危険..]]></description>

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			<title><![CDATA[台湾民主化と中華民国相克]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65175/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 21:45:57 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65175/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65175/thmb.jpg?s=s&r=1269607557&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾―民主化と中華民国との相剋
台湾の政治民主化は、権威主義体制による経済発展の成功を繋がった。こうした経済開発が成功すれば、民主主義を定着させるまでの準備段階と言える。この民主化モデルは韓国の「コリア・シナリオ」と同様である。
　確か、台湾と韓国の民主化モデルはかなり似ていた。だが、台湾も少し異なる部分があると見られた。これは民主主義体勢への移行期は未に見えない状態である。
更に、移行期から民主体制を定着するまで、直ちに定着することも保証できない。民主化といえば、権威体制から民主体制への移行期とも言える。そのため、台湾では、権威者蒋経国から改革者李登輝まで、これを加えて新中産階級層の選択により、民主化がもっと早めに進んでいくではないと指摘した。
　今回のテーマは、まず、権威主義体制の特質を検討である。民主化という選択肢を選んだ中産階級政治企業家らが、台湾の権威政治問題を直面すべきと指摘した。
また、こうした中産階級層の特質から見ると、相互間のコミニティの重要性も見直すべきである。
更に、中産階級企業家ら民主運動の際に、採用したイデオロギーの性格も検討すべきである。最後、民主主義定着後..]]></description>

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			<title><![CDATA[中華民国前近代の民主化の企て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65173/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 21:41:26 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65173/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65173/thmb.jpg?s=s&r=1269607286&t=n" border="0"></a><br /><br />中華民国の前近代民主化の企て
　汪精衛、本名汪兆銘1883年5月4日に広東省三水県生まれ、1904年に省政府留学生試験合格し、留日している最中中国同盟会を参加し、機関紙「民報」で頭角を現した。太平洋戦争終結の前年44年に死去した。
　彼の評価は中国で「漢奸」、「売国奴」など悪い評価ばがりである。こうした現状の下で、汪精衛を研究する学者らは何故かれは重慶をを離れ、日本軍の占領下の傀儡政権を樹立したのか。近年におけるこれらの著作や研究など著しく多かった。
　当時何故こうした汪精衛の研究や著書はなかったのか。第2次大戦終結後、世界中本格的に冷戦が始まった。また、中国大陸政権は共産党が握っていたから、毛沢東の継続革命の思想と65年から75年までの文化大革命の実権派との対立により、革命から、こうした資料の整理や学問の研究はかなり遅れていた。
　90年代以降、89年に「東欧の革命」とベルリンの壁の崩壊から、東西の冷戦も漸く終止符を打った。この時から、本格的に汪を研究する学者が続出した。彼は留学時代で、中国同盟会を加入し、清帝国政府にとって「反逆者」、辛亥革命後民国の「英雄」である。
　ところが、1..]]></description>

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			<title><![CDATA[台湾の近代民主改革]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Mar 2010 22:44:03 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/64996/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/64996/thmb.jpg?s=s&r=1269265443&t=n" border="0"></a><br /><br />台湾の改革派
　戸張東夫著の『台湾改革派』の中で、蒋経国時代から李登輝時代の台湾政冶発展と民主化活動により、様々な視点から見る台湾の政冶環境の行方である。民主進歩党の成立から、中国国民党内一気に改革の道を進んでいた。今日の台湾の政冶にもかなり影響を与えた。この本を通じ、台湾の民主化運動再認識する。
　本書は、2部に分かれている。第1部は国民党から見る台湾の民主改革である。2部は全部6章から構成されている。
　まず、一つ目国民党側から見る台湾への改革の行方について論じている。1970年代から1980年末の20年間で、国民党が政権握って以来、国内外にも最悪な事態に遭い、72年に国連の中国代表権が無くし、これからの10年間で日本、米国を始め、断交した国が100個以上超えた。
　国内も反政府活動が活発していた時期である。77年に国民党政権を反対する政治家達に無所属として選挙戦に出た。しかし、国民党側のすりかえにより、両方の支持者達に桃園県中歴市で暴動が始まった。この事件により、国民党の選挙不正行為が表に出した。
　更に、79年の台湾南部の最大都市高雄で党外分子が結成した美麗島雑誌社の記念インベ..]]></description>

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			<title><![CDATA[返還後の香港事情]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/]]></link>
			<author><![CDATA[ by un11m1t3d]]></author>
			<category><![CDATA[un11m1t3dの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 04:04:00 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/" target="_blank"><img src="/docs/983430203801@hc06/19108/thmb.jpg?s=s&r=1202065440&t=n" border="0"></a><br /><br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９[348]<br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９世紀末からイギリス直轄植民地として、イギリス国王が任命する総督により支配されていた。政治的には、１８４２年のアヘン戦争後に締結された南京条約で割譲された香港島を中心とする。古くはイギリスの中国進出の拠点となっていた。1945年の第二次世界大戦の終結に伴い日本軍が去った後、中国国民党率いる中華民国が中国大陸を統治していた時期まで、香港の境界は開放的であり、人の移動も自由であった。しかし、その後国共内戦が始めると、多くの避難民が本土から流入し始めた。１９４９年に中国共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国が「建国」されると、共産党政府による圧制を嫌い大量の難民が香港に流入したため香港政庁は中華人民共和国との境界線を閉鎖した。この閉じられた領域の中で、時間が経つにつれ、中国系住民に「香港人」としてのアイデンティティも形成され始める。また、香港に流入した大量の難民は、..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fraisefraise]]></author>
			<category><![CDATA[fraisefraiseの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Jul 2006 01:07:11 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/" target="_blank"><img src="/docs/983431689901@hc05/9681/thmb.jpg?s=s&r=1152979631&t=n" border="0"></a><br /><br />1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんど[352]<br />「中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について」
1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんどは一転してアジアを目指した。その最大の目標が中国であった。政情が不安定な中国は、ソ連が共産主義の種を撒くには、じつに好都合な地であったのである。このレポートでは、1927年国共分離するまでに、中国共産党とその背後にあったソ連がいかにして中国国民党内部で情報操作、工作活動を行ったかについて記述したい。彼らの活動は情報活動に留まらないものであるが、ソ連の後押しが常に背後にあったことに注目したい。
中国共産党の成立には、背後にソ連の動きと中国国内における陰謀の数々があった。中国共産党は、ソ連の作り出したものであった。ソ連共産党は、まず国民党の機関を通じて労働者、農民たちを組織し、国民党の名を借りてその階級闘争を隠した。その目的は中国国民革命の独立した戦いの過程において、ソ連の傀儡政権を作りあげ、..]]></description>

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