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		<title>タグ“嘘”の公開資料</title>
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		<description>タグ“嘘”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pippy]]></author>
			<category><![CDATA[pippyの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 19 Jul 2009 02:25:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961811159546@hc08/52697/" target="_blank"><img src="/docs/961811159546@hc08/52697/thmb.jpg?s=s&r=1247937901&t=n" border="0"></a><br /><br />『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』
　　　　　　　　　　　　　　　　　
　戦争におけるプロパガンダに存在する悪とはなんだろうか？
１、戦争プロパガンダ
　始めに、アーサー・ポンソンビー（1871－1946）という[328]<br />『戦争におけるプロパガンダに存在する悪についての考察』
　　　　　　　　　　　　　　　　　
　戦争におけるプロパガンダに存在する悪とはなんだろうか？
１、戦争プロパガンダ
　始めに、アーサー・ポンソンビー（1871－1946）という平和主義者によって提唱された、戦争プロパガンダの１０の法則というものを紹介したい。彼によると、あらゆる戦争において共通する法則があるという。それは以下に挙げるものである。
Ⅰ，「われわれは戦争をしたくはない」
Ⅱ，「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
Ⅲ，「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
Ⅳ，「われわれは領土や覇権のためではなく偉大な使命のために戦う」
Ⅴ，「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる」
Ⅵ，「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
Ⅶ，「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
Ⅷ，「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
Ⅸ，「われわれの大儀は神聖なものである」
Ⅹ，「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
これは、第１次世界大戦中にポンソンビーが戦争プロパガンダの分析を行う上で、法則を..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[倫理思想史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/18773/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2008 17:41:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/18773/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/18773/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/18773/thmb.jpg?s=s&r=1201423311&t=n" border="0"></a><br /><br />立命館大学レポート課題で書き上げたものです。

「なぜ道徳的であるべきか」という問いを前に、カントの「義務に基づき自分のルールに従って行うことが道徳的である」という考えを基にして考察した自論の展開です。

その他の資料http://www.[330]<br />倫理思想史
「なぜ道徳的であるべきか」という問いを前にした時に、カントの「義務に基づき自分のルールに従って行うことが道徳的である」という考えから私は道徳的とは「自分が自分と社会のために行う良い行いである」という結論に至った。
そもそも道徳的であるということとはどのようなものかと考えた時に一般的な「道徳」とは「社会の暗黙のルール」であると考えられ、そうすると「社会の暗黙のルールを理性によって守ること」が「道徳的」ということではないだろうかと考えた。つまり私は、理性によって自分のルールを一般的な法則に当てはめて社会のルールを自ら守ることであり、他人からの押し付けに従うことは道徳的とはいえないというカントの考えに思いを同じくした。そして、この道徳というものを人はどのようにして身に着けるのかについて以下のように考察を行った。
教育上初めて提示された道徳教育に関する「徳は教えられるか」という問題に対して哲学者であるソクラテスは「徳の教師はない」と答えている。これは徳が知識によって教えることができるものならば徳という事柄についてその教師となりうる人物がいると考えてのことだが、実際に「徳の教師」とい..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[何故、嘘をついてはいけないのか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432236701@hc05/1060/]]></link>
			<author><![CDATA[ by matsuura]]></author>
			<category><![CDATA[matsuuraの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Jul 2005 00:26:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432236701@hc05/1060/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432236701@hc05/1060/" target="_blank"><img src="/docs/983432236701@hc05/1060/thmb.jpg?s=s&r=1121613981&t=n" border="0"></a><br /><br />我々は教育によって「嘘をついてはいけない」と教えられてきました。誰しも学校や家庭で一度は嘘のためにしかられたことがあるのではないでしょうか。その主たる理由は大きく分けて「他人を傷つけるから」というものと「他人の信用を失うから」の二つではない[360]<br />　何故、嘘をついてはいけないのか
　　　　　　　一年ム組　４０２１３９４９
　　　　　　　　　　　　　　中川　翔太
我々は教育によって「嘘をついてはいけない」と教えられてきました。誰しも学校や家庭で一度は嘘のためにしかられたことがあるのではないでしょうか。その主たる理由は大きく分けて「他人を傷つけるから」というものと「他人の信用を失うから」の二つではないでしょうか。
ところで、嘘に関しては「嘘をついてもかまわない」という意見と「嘘をつくことは悪い」という二つの意見があります。これら二つの意見は前述の「嘘をついてはいけない」理由と深くかかわりがあるように思えます。この２つの意見をその理由と照らし合わせながら考えを進めてていきましょう。
「嘘をついてもかまわない」という意見の人は嘘が他人を傷つけるということに少なからずの疑問を持っているのではないでしょうか。生活や環境から人を傷つけない嘘があることを知っているのです。
嘘は他人を傷つけると教えられてきました。しかし本当に嘘は人を傷つけるのでしょうか。また、真実を告げれば人を傷つけずにすむのでしょうか。ほとんどの人の意見は必ずしもそうではない..]]></description>

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