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		<title>タグ“和歌”の公開資料</title>
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		<description>タグ“和歌”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[明星大学2025年度国文学（PD2050）2単位目のレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/906484363670@hc26/155582/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 教員採用試験合格・明星大学]]></author>
			<category><![CDATA[教員採用試験合格・明星大学の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 01 Feb 2026 14:25:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/906484363670@hc26/155582/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/906484363670@hc26/155582/" target="_blank"><img src="/docs/906484363670@hc26/155582/thmb.jpg?s=s&r=1769923522&t=n" border="0"></a><br /><br />【はじめに】
明星大学通信教育課程「国文学」2単位目の合格レポートです。
2023年度に提出し、無事に合格をいただいた内容になります。
レポート作成時の構成や、論述の展開に悩んでいる方の参考になれば幸いです。
【レポート概要】
・[330]<br />国文学

参考文献
山岸徳平、三谷栄一著　全解徒然草　有精堂　昭和60年　
鈴木一雄、外山映次　全訳読解古語辞典　三省堂　2013年


徒然草

１、現代語訳に関して
　桜の花は満開の時だけを、月は満月で欠けることのない状態である時だけを見るものだろうか、いや、そうではない。雨を見ながら見えない月を恋しく思い、簾を垂らして、中に引きこもっていると春が過ぎ去ってしまったことを知らないまま、過ごすことは、やはりしみじみと趣き深いものである。これからまさに咲きそうだという頃合いの梢や、桜の花びらが散った庭など本当に見所が多いものである。
和歌を作った動機にしても、「桜の花を見に参りましたところ、既に桜の花は散り終わっておりました」とも書くことができるし、もしくは、「丁度差し支えることがあって、花を見ることができなかった」などと書いてあるのは、「花を見て」という和歌を題材にしたにも関わらず、劣るものといえるであろうか、いや劣るものではなく、それでも趣きがあるといえる。桜の花が散り、月が沈んでいく様を惜しみ慕うのは、当然であり、特に趣きに理解のない人にとっては、「この桜の枝もあの桜の枝も全て散..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「バリアフリー」と町の景観について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153834/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きょうたろう２号]]></author>
			<category><![CDATA[きょうたろう２号の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Aug 2024 16:58:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153834/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153834/" target="_blank"><img src="/docs/911001053949@hc24/153834/thmb.jpg?s=s&r=1724399938&t=n" border="0"></a><br /><br />東京福祉大学科目終了試験のポイント
科目名：文章表現　科目コード:1021
文章表現の科目終了試験学修のポイントの1です
今年からオンライン試験に変わったので、参考にしていただければと思います。[276]<br />バリアフリーとは、高齢者・障害者等が生活していく上で障壁となるものを除去していこうという考え方である。
　バリアフリーには大きくわけて物理的、制度的、文化・情報面、意識上の４つのバリアがあり、私たちが日常でよく見かける物理的なバリアフリーに着目すると車いすを使用している人でも利用しやすいようなボタンの位置が低いエレベーターや階段や段差を上り下りするための坂道であるスロープなどがある。こういった街中のバリアフリーによって高齢者・障害者等の方々のスムーズな移動が可能になるといったメリットもある一方で、歴史的な景色がある町や建造物の景観を破壊しているといった意見がある。
たしかに国宝や重要文化財に指..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ_課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kz355]]></author>
			<category><![CDATA[kz355の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 07 Aug 2022 20:26:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/" target="_blank"><img src="/docs/920554918266@hc21/149255/thmb.jpg?s=s&r=1659871571&t=n" border="0"></a><br /><br />2022年度までのレポート課題によるものです。加藤周一氏の『日本文学史序説上』を基礎とし、大陸文化の「日本化」された結果が万葉集と古今集にどのように表れているか考察しています。[256]<br />一．日本文学史上の境界点
　『日本文学史序説上』において、加藤周一氏は七九四年の平安遷都から一〇世紀初頭にかけてのおよそ百年間がそれまでに輸入された大陸文化の「日本化」の時期であると指摘した。たしかに、この時代にはかな文学の成立、律令制から摂関制への政治体制の移行、空海と最澄による真言宗・天台宗の開派など、それまで中国大陸から輸入した文化や制度をそのまま日本で用いていた飛鳥時代や奈良時代の文化と比較して、それらを消化し、日本独自のものとしての枠組みが生まれた時代だといえる。これらのような「日本化」という現象は文学においてどのような影響をもたらしたか。「日本化」の定着以前の作品である『万葉集』と定着以降の作品である『古今和歌集』を比較して考える。
二．『万葉集』について
　『万葉集』は、その正確な時期は不明であるものの、そこに収録された歌はおよそ七世紀前半から七五九年までのものとされている。この年代は加藤氏が指摘するところの「日本化」以前の年代である。『万葉集』に収録された歌は「雑歌」「相聞」「挽歌」の三種類に分けられるが、本稿において着目するのは男女間の恋を題材とした「相聞」である。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】2019～2022年度　文学　分冊1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/138617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by knk2]]></author>
			<category><![CDATA[knk2の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Oct 2019 23:17:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/138617/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926362783876@hc19/138617/" target="_blank"><img src="/docs/926362783876@hc19/138617/thmb.jpg?s=s&r=1571235478&t=n" border="0"></a><br /><br />2019～2022年度　文学　分冊1　合格レポート です。
丸写しは控え、参考程度にお使いください。


近代の詩歌の特質とはどのようなものか。中古・中世の和歌、近世の俳諧と比較して、特に表現方法、題材・用語などの問題をとりあげて具[324]<br />2019～2022年度　文学　分冊1　合格レポート

近代の詩歌の特質とはどのようなものか。中古・中世の和歌、近世の俳諧と比較して、特に表現方法、題材・用語などの問題をとりあげて具体的に論述しなさい。
 
〈ポイント〉　
「ことば」による芸術である文学の特性について確認、理解する。教科書中にとりあげられる作品についての解説を参考にしながら、具体的な表現に即して調査、整理して論述する。
とくに近代以前の詩歌（和歌・俳諧）と比較し、表現方法（題詠）、題材の相違点や、歌ことば、雅語・俗語などの用語、詩的言語の面を中心にして、短歌・俳句を含めた近代詩の性格・特色に
ついて説明できるようにする。
〈キーワード〉
短詩型（十七音・三十一音）、和歌・俳諧の用語と題材、短歌・俳句の形式と題材、近代詩の表現。
〈参考文献〉
『古今和歌集』新井栄蔵（新日本古典文学大系、岩波書店）
『新古今和歌集』田中裕・赤瀬信吾（新日本古典文学大系、岩波書店）
 
 
1、詩の種類について
近代になってブランク・ワーズ(無韻詩)が登場し、十九世紀には散文詩が生まれ現在の日本のように口語自由詩が大半を占めるようになった。詩..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学概論①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/102496/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Apr 2013 22:17:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/102496/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/102496/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/102496/thmb.jpg?s=s&r=1365513461&t=n" border="0"></a><br /><br />物語文学の流れを概観する中で、その美意識の変遷を踏まえた「文学」の果たす役割についての考察[135]<br />●物語文学の流れを概観する中で、その美意識の変遷を踏まえた「文学」の果たす役割についての考察
　物語文学は、叙事性を基調としながら和歌のような叙情性を合わせ持つ、説話文学の&ldquo;
はなし&ldquo;をさらに発展させた文学である。特に物語文学の本質をよく発揮した作品として『源氏物語』が挙げられ、叙事性・叙情性・
観照性が見事に調和された作品で有名である。
『源氏物語』を頂点としたとき、前期では、民間伝承の起承転結をはっきりさせた『竹取物語』や、和歌に美意識を置く『伊勢物語』が代表として挙げられる。これらには、短歌の影響を受けて恋人や家族への愛を歌うものが多く、&ldquo;物語の祖&rdquo;とされる『竹取物語』は、&ldquo;愛こそすべて&ldquo;という概念を打ち出し、それを前提として『伊勢物語』は、&rdquo;男女の様々な愛の形&ldquo;を描き出した。　
　また、『うつほ物語』は『源氏物語』の五分の三に相当する長編小説でありながら、『
源氏物語』以上の和歌を含み、『伊勢物語』の伝統を踏まえている。物語より古くから存在する和歌は、日本文学の最高峰とされる『
源氏物語』においても、重要な意義をなしている。貴族社会において、和歌は人間関係の交渉を円滑に進める上..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ分冊２　2012　合格レポート　日本大学通信教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102096/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yumeno]]></author>
			<category><![CDATA[yumenoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 19:59:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102096/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102096/" target="_blank"><img src="/docs/947055634295@hc13/102096/thmb.jpg?s=s&r=1363777156&t=n" border="0"></a><br /><br />課題　吉田兼好の生涯と『徒然草』の成立や特徴について説明しなさい。

合格レポートです。
拙い文章ですが、参考になれば幸いです。[186]<br />国文学史Ⅰ　分冊２　平成２３・２４年報告課題
&lt;吉田兼好の生涯と『徒然草』の成立や特徴について説明しなさい。&gt;
　吉田兼好の生誕は、はっきりとは確認されていないが、兼好の諸活動を勘案すると、弘安六年前後とされている。兼好が久我家の分かれである堀川家の具守の家司であり、その関係で六位蔵人として後二条帝に出仕、やがて左兵衛佐に任ぜられたであろうとする見解が現在最も有力な説である。家司は、公家社会にあって、ブレーン・トラスト的な存在であり、学問をはじめ、有職故実、芸事など万般に通暁した能力を要求される。『徒然草』にみえる、あの多方面にわたる豊富な記事や知識への異常な関心は、この家司としての兼好と緊密に結びあったところに生じたものとみなされる。
　その後、左兵衛佐の家司兼好は出家遁世を遂げ、遁世後は、関東に下向した時期をはさみ、二条為世門の和歌四天王として歌壇で活躍し、『続千載集』以下の直勅撰集歌人となっている。現存する彼の和歌は、『兼好自撰家集』のほか、勅撰集、私撰集などに散在するのを集成して、三三〇余首ある。
　現在兼好の生存を確認しうる最後の資料は、『後普光園院殿御百首』であり、この百首..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ　分冊１　2012　合格レポート　日本大学通信教育]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102095/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yumeno]]></author>
			<category><![CDATA[yumenoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 19:59:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102095/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/947055634295@hc13/102095/" target="_blank"><img src="/docs/947055634295@hc13/102095/thmb.jpg?s=s&r=1363777156&t=n" border="0"></a><br /><br />課題　漢詩文の盛行から和歌文学の興隆となった原因や条件、さらに興隆によって成立した作品の特徴について説明しなさい。

合格レポートです。
拙い文章ですが、参考になれば幸いです。[258]<br />国文学史Ⅰ　分冊１　平成２３･２４年報告課題
&lt;漢詩文の盛行から和歌文学の興隆となった原因や条件、さらに興隆によって成立した作品の特徴について説明しなさい。&gt;
　九世紀後半、都良香、菅原道真などの漢詩人が和歌を詠ずるようになった。漢詩人即歌人の出現は、政治的、公的、外来的な律令制的な世界に、私的、心情的、国風的な意識が芽生え、台頭しはじめたことを示す。「漢才」に対する「和魂」の意識が芽生え、それは、一方では漢詩文そのものの現実化、国風化への接近をいみするが、同時に和歌という伝統的な国風文化の復興をものがたる。
　九世紀後半から十世紀にかけての時期は、政治的には律令体制から摂関体制への変質を、文化的には唐風外来文化への移行を、文学的には漢詩文の盛行から和歌の台頭発展を用意する、古代後期における大きな転換時期である。
　十世紀初頭、紀貫之らにより『古今和歌集』の勅撰は、矢進外来文化である「漢詩」に対抗できる国風文化「和歌」の文芸性を確立したものであり、以後の和歌文学の隆盛、和歌文学こそ古代後期の仮名文学全般の母胎であり推進力である。
　『万葉集』の成立以後、和歌は漢詩文に圧されて、貴族社会..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『源氏物語』における和歌の役割―第一部に見る女主人公としての紫の上―]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99250/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ogawa_s]]></author>
			<category><![CDATA[ogawa_sの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 Dec 2012 23:48:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99250/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951497315190@hc11/99250/" target="_blank"><img src="/docs/951497315190@hc11/99250/thmb.jpg?s=s&r=1355323705&t=n" border="0"></a><br /><br />平成二十一年度後期レポート
源氏物語における和歌の役割
―第一部に見る女主人公としての紫の上―
○○学部○○学部BB0000
○○　○○
　講義のなかで紫の上の生涯をみていくなかで、次第に紫の上が『源氏物語』において女主人公として描かれているように思われた。紫の上の心情を探るにあたっては物語の構成、語りの文、和歌の解釈を詳細に検討していく必要がある。殊に紫の上が詠んだとされる和歌の解釈はその真髄を理解するに重要な役割を果たしているものと考えられる。本小論では主として、紫の上の登場する場面での歌の役割と紫の上の真情について探っていきたい。
　研究にあたっては、紫の上が登場する場面の歌をなるべく時代系列順にあげ、前後の事件と兼ね合わせて考察していく。歌の解釈についてはいくつかをあげ、各々比較検討していくつもりである。
　これまでの紫の上についての研究では、鷲山茂雄氏が「『源氏物語』の&ldquo;紫&rdquo;の秘密」のなかで、「『源氏物語』の&ldquo;紫&rdquo;という言葉がもつ秘密に無関心になってしまって、この物語の根底にある肝心の&ldquo;罪&rdquo;に対して鈍感になって」いると指摘してい。すなわち光源氏の栄華と罪という背反する理念が一..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史・分冊１【日本大学通信教育・国文学・合格レポート・２０１２】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/99005/]]></link>
			<author><![CDATA[ by micchan2000]]></author>
			<category><![CDATA[micchan2000の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 05 Dec 2012 16:26:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/99005/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/949913111368@hc12/99005/" target="_blank"><img src="/docs/949913111368@hc12/99005/thmb.jpg?s=s&r=1354692407&t=n" border="0"></a><br /><br />課題内容
漢詩文の盛行から和歌文学の興盛となった原因や上限、さらに興盛によって成立した作品の特徴について説明しなさい。

なお、当方、2013年採用の教員採用試験に合格しました。お買い上げいただいた方でご希望であれば、簡単にではありますが、[346]<br />平安時代（七九四年～）が始まって百年は、漢詩文が盛んであって、当時の文学を代表していた。この頃には、仮名文字が次第にできていた時期でもあったが、当初仮名は、女文字と言われ、主として女性が和歌・詞書・手紙などを書くことといった私生活の中で使うものであった。しかし、そんな和歌が漢詩文に代わって文学界の表面に現れるようにあったのは、八八〇年前後とされている。
和歌・仮名文学が文学の中心となったのは、次に挙げることだと考える。
一、唐風文化から日本風文化への転換。
奈良時代から平安時代初期は、唐の影響が強い文化が発展した。そのきっかけは、奈良時代において、遣隋使に代表されるように、日本人が大陸と交流を持つようになったことである。それによって、これまでの氏族制度を改め、天皇中心の律令制国家が形成されていったわけである。そして、同時に漢字・漢文が伝来され、文学はもちろん建築においても影響された。つまり、唐風文化が日本の文化形成に多大な影響を与えたわけである。ところが、時が流れ、遣唐使の廃止や唐の衰退、そして摂関政治に見られる日本の皇族の安定といったことが起きたことによって、唐風文化を受け継ぎながら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[式子内親王の生涯]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952871529578@hc11/83135/]]></link>
			<author><![CDATA[ by BOOOOO]]></author>
			<category><![CDATA[BOOOOOの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Jul 2011 15:09:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952871529578@hc11/83135/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952871529578@hc11/83135/" target="_blank"><img src="/docs/952871529578@hc11/83135/thmb.jpg?s=s&r=1310537348&t=n" border="0"></a><br /><br />式子内親王の生涯
　私は、この授業で式子内親王の「玉の緒よ　絶えなば絶えね　ながらへば　しのぶることの　弱りもぞする」という百人一首でもよく知られている歌が非常に印象強かったので、式子内親王について調べてみました。
　式子内親王は後白河上皇の第三皇女で、母は藤原季成女、高倉三位成子です。生まれた年は久しく不明とされていたのですが、久安五年（一一四九）と判明しました。式子は平治元年(一一五九)十月二十五日、十一歳で賀茂斎院に卜定され、嘉応元年（一一六九）七月二十四日病のため二十一歳で退下するまで約十年間奉仕しました。その後は生涯独身を通し、建仁元年（一二〇一）正月二十五日に五十三歳で没しました。
　この式子内親王には妙なうわさがあり、愚管抄には建久七年（一一九六）頃、後白河院の霊が藤原公時の家司橘兼仲の妻に憑いて「我祝へ　社作り　国寄せよ」と妖言したといわれ、式子内親王もこれに同意したとされ、洛外に追放される寸前になりました。しかし、これは結局人を惑わせる妖言であったとして、夫婦とも流罪になります。他にも、正治二年（一二〇〇）十月、春宮守成親王（順徳天皇）を式子が猶子にするという議が起こ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[かな書法②]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/77490/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Jan 2011 13:42:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/77490/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/77490/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/77490/thmb.jpg?s=s&r=1295239320&t=n" border="0"></a><br /><br />古筆についての説明
※必要キーワード全てを盛り込んだ要点まとめになっています。[116]<br />かなは、今から約千年以上前の平安時代に生まれ、平安のかなは総称して古筆と呼ばれている。かなの特徴は、曲線的構造をもっていることと、連綿遊子をもとに表現されている点である。かなは、糸のような細い線でつながっており、活字では表現できない曲線的な旋律を基調としている。
高野切古今集は、一〇四九年頃に書かれた現存最古の古今和歌集の写本である。平安時代中期（西暦九〇五年）に編纂され、醍醐天皇の命令による勅撰集である。
「高野切」の高野は高野山（こうやさん）を指しており、古筆の一部が一時的に高野山にあったことからそう名づけられた。豊臣秀吉が、比叡山をはじめ勢力のあった寺院の焼き討ちをしていた時期に、高野山文珠院の高僧だけが秀吉を説き伏し、焼き討ちを免れることができたようである。そのときに秀吉から巻九の一部が高野山にもたらされたとされている。
「切」（きれ）は、完本に対して一部しか存在しないものをいう。高野切は三名の能書家が手分けして書いており、それぞれを第一種（藤原行経）・第二種（源兼行）・第三種（藤原公経）と呼ばれている。
高野切の特徴は、行がまっすぐで行間がほぼ一定しており、一首を二行書きして..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　日本文学概論　設題２（Ｂ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75522/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Nov 2010 17:54:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75522/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75522/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/75522/thmb.jpg?s=s&r=1290761671&t=n" border="0"></a><br /><br />国木田独歩作『忘れ得ぬ人々』を読み、そこに表現されている人間認識及び人生観について述べよ[132]<br />国木田独歩作『忘れ得ぬ人々』を読み、そこに表現されている人間認識及び人生観について述べよ。
作品冒頭、「忘れえぬ人は必ずしも忘れて叶ふまじき人にあらず」とある。つまり「親とか子とか又は朋友知己そのほか自分の世話になった教師先輩の如きは、つまり単に忘れえぬ人とのみはいえない。忘れて叶うまじき人といわなければならない。」
これが「忘れて叶うまじき人」である。それでは「忘れえぬ人」とは何なのか。
それは「恩愛の契もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、本来をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かないで、而も終に忘れて了ふことの出来ない人がある」ともある。
これが「忘れえぬ人」である。
このように独歩は身近にあって恩愛を受けた人を「忘れて叶ふまじき人」とし、自らが遭遇した風景の中にだけ存在した、直接的には関係のない人を「忘れえぬ人」としている。通常、小説は「忘れて叶ふまじき人」について書かれるものである。そこを独歩は、この「忘れえぬ人々」を主題にして小説を書いた。
作品の舞台となっているのは、二子新地から大山街道を西へ少し行った「溝の口」である。
ここで大津と秋山が出会う。春まだ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　仏教文学概論　設題１（Ｂ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74952/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 18:14:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74952/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74952/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/74952/thmb.jpg?s=s&r=1290417285&t=n" border="0"></a><br /><br />「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな（行基）」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな（婆羅門）」の贈答歌を解釈せよ。[243]<br />「霊山の釈迦のみまへにちぎりてし真如くちせずあひ見つるかな（行基）」「かびらゑにともにちぎりしかひありて文殊のみかほあひ見つるかな（婆羅門）」の贈答歌を解釈せよ。
『拾遺和歌集』等に見られる印度僧菩提僊那（ボディセーナ、婆羅門僧正）と行基の贈答は、東大寺の大仏（毘盧遮那仏）開眼供養が執り行われた際の様を詠んだものとされる。
　この開眼供養の場面は、『東大寺大仏縁起』（東大寺蔵）に見ることができる。当然ながら、褐色の肌で表現された導師こそが菩提僊那、つまり婆羅門僧正であると判る。
　婆羅門僧正（七〇四～七六〇）はインド南部の生まれといわれ、諸経を研究した明晰な頭脳は、インド十六国にその名声を伝えたとされる。中国の五台山に祀られた文殊菩薩を慕って中国に渡ったところ、日本から来た遣唐使と会う。これが天平五（七三三）年のことである。僧正は大使・多治比真人広成と僧・理鏡等に要請され、林邑国（現ベトナム中部）の僧・仏徹、唐僧・道璿らと共に日本に渡った。 　幾度か東渡を試みて、僧正が漸く大宰府に着いたのが天平八年五月十八日である。それから東上し、難波に着いたのが同年八月八日。時の聖武天皇は勅を発し、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[原典を読むレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73274/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichi]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Nov 2010 01:02:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73274/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazukichi_0914/73274/" target="_blank"><img src="/docs/kazukichi_0914/73274/thmb.jpg?s=s&r=1288886572&t=n" border="0"></a><br /><br />【東京大学】【優】金槐和歌集 (岩波文庫)  - 源 実朝 (著), 斎藤 茂吉[92]<br />『実朝について論じる』　～原典を読む～　渡部泰明教官
箱根山をうちでて見れば、波のよる小島あり。供のものにこの浦の名
はしるやとたずねしかば、伊豆の海となむ申すと侍りしを聞きて
箱根路を　わがこへくれば伊豆の海や　沖の小島に波のよるみゆ
&nbsp;
【通釈】箱根路を越えてやって来ると、伊豆の海が広がり、沖の小島に波の寄せるのが見える。
【補記】恒例の二所詣（伊豆山・箱根権現参詣）の折の作。「沖の小島」は初島であろう。
今回、私は特に傑作が集まっているといわれる雑部の和歌から上の一歌を取り上げて、実朝の実像について論じる。自分の地元が箱根ということがあり、この歌は実朝に対して親近感を持つことができ、自分自身も歌の情景を思い浮かべやすいと思い選択した。この旅先で読んだごく普通の歌において、実朝が何を伝えたかったのであろうか。実朝自身の背景をふまえて、考えてみたい。
実朝は将軍に在任している時にしばしば二所詣でに出かけている。現代の私たちには信じられないことであるが、当時は怨霊の祟りに対する社会的迷妄は極めて一般的であり、国家にとっても怨霊の鎮魂は重大な問題であった。それゆえ律令制度が太政官と神祇官..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[百人一首]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955593150302@hc10/69029/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mela]]></author>
			<category><![CDATA[melaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 09 Jul 2010 14:23:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955593150302@hc10/69029/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955593150302@hc10/69029/" target="_blank"><img src="/docs/955593150302@hc10/69029/thmb.jpg?s=s&r=1278652984&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物こそ思へ」　待賢門院堀川
この和歌の出典は、千載和歌集・巻第十三・恋歌三・八〇二であり、作者は待賢門院堀川である。作者の待賢門院堀川は、生没年未詳であるが、十二世紀中ごろの歌人である。また、この和歌も十二世紀中ごろに作られたと考えられる。
この和歌には縁語が多く含まれている。その中でも黒髪という言葉は、「長からむ」とも「乱れ」とも関わってきていることがわかる。
本レポートでは、和歌の中の言葉に出てくる髪という言葉について明らかにし、その時代における女性における髪の意味合いについて検証する。
本論
　髪とは頭髪のことであるが、人となりを象徴的に表すものでもある。また、古来は性別、年齢、身分、職業などによって髪型も決まっていたといわれる。
『角川古語大辞典』（一九八二、p.867）の「古代や中世の女子は垂髪で、特に平安時代の貴族・女房は身の丈にあまる黒髪をもって美人の資格とし、寝るときは打乱箱に入れるなどした。」とあるように、女性の長く豊かな黒髪は優れた女性の象徴であったといえるだろう。そのため、入念に手入れを行っていたという。
出家をす..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説B1課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64674/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64674/thmb.jpg?s=s&r=1268408873&t=n" border="0"></a><br /><br />まず、九世紀文学文化の特色についてだが、九世紀は、七世紀に開始された遣唐使派遣が続いていたことからわかるように、唐文化がいまだ日本に影響を及ぼしていた時代である。九世紀の大半はそれが文学にも現れており、漢詩が盛んであった。嵯峨天皇の命による『凌雲集』、等の勅撰三集をはじめとして、空海の『性霊集』がその代表である。一方で、和歌は『続日本後紀』の中に散見するものの書物としては成立したものはない。このように、九世紀の大半においては、漢詩が文学の中心になっていた。その漢詩文化の中心を担っていたのが嵯峨天皇である。天皇は、朝廷において絶対の権威を持っていた。天皇は、『凌雲集』等に約百首の漢詩を残し、また三蹟の一人として名を残すなど文化人でもあり、その天皇が漢詩文化をリードしていたのである。
　しかし、九世紀の最後半になると、その状況に変化が起きる。和歌が再興してくるのである。要因としては、遣唐使派遣停止を象徴とする、唐文化の影響の衰退である。遣唐使派遣停止は寛平六年（八九四）のことであるが、それ以前からも約半世紀、遣唐使は派遣されておらず、少しずつ、唐文化の影響は薄れていた。その一方の国風と呼..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64669/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64669/thmb.jpg?s=s&r=1268408868&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』には、同様の説話を収めた説話集がいくつかあるが、九巻第六話「歌読テ被免罪事」と『今昔物語』二四巻第五五話「大隅の国の郡司、和歌を読む語」とを比較してみる。まず、書き出しだが、両者とも「今は昔」と共通している。あらすじは両者とも、大隅の守が、政務をしている間に、郡司の一人が職務に怠慢なところがあり、何度か叱責したところ、改善が見られないので、重い罰を与えようと呼び出したところ、白髪の老人だったので、許すつもりになったが、口実が見つからない。そこで、老人に歌は詠えるかと尋ねたところ、見事な歌を歌ったので、許した。というものである。細かい語の差異は見られるが、内容において顕著に異なる点は見当たらない。しかし、結びの部分に大きな相違点があるように思える。「歌読テ被免罪事」の場合は、
　　人はいかにもなさけはあるべし。
で終わっているのに対し、「大隅の国の郡司、和歌を読む語」は、
　　然れば、云ふ甲斐無き下臈の田舎人の中にも、此く歌讀む者も有るなりけり。努々蔑るべからずとなむ、語り傳へたるとや。
で終わっているのである。前者の場合は、「な
さけ」とは風流のことであり、人は風流を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語科指導法Ⅱ課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64662/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64662/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64662/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64662/thmb.jpg?s=s&r=1268408861&t=n" border="0"></a><br /><br />『伊勢物語』の「筒井筒」も授業の展開を考える。この授業は１年生の２学期での学習とし、事前に動詞の活用、係り結び、助動詞、助詞の学習を行い、各自、文法ノートを作成しているが、完全に定着しているとはいえない状態とする。そして、「筒井筒」は、全５時限で行なうものとし、全体の展開としては、１時限目で全文音読、本意、あふ、便りなどの教科書に意味の書いていない語を調べる。２時限目で第１段落、３時限目で第２段落、４時限目で第３段落、５時限目でまとめを行なう。今回は３時限目とする。また、教科書は、大修館書店の『国語総合』を使用するものとする。また対象学年は１年生とする。
　本時の授業目標は、「なぜ、男は高安に行かなくなったかを考える。」である。まず、導入として、教師に続き、生徒全員で音読をする。音読は５分以内で終わらせ、次に展開に入る。展開、前時限に宿題として課していた現代語訳の確認を全員で行なうことを中心として進める。教師は、適当と思われる箇所で区切りながら現代語訳を行なう。本時の目標は前述のとおりで、内容の理解を中心に授業を進めるが、文法の定着が少し不安なので、適宜、文法に関する部分の問題を出題..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学講義Ⅴ（近代）①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62685/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 12:09:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62685/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62685/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/62685/thmb.jpg?s=s&r=1264475351&t=n" border="0"></a><br /><br />「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
これは、明治二十八(一八九五)年に正岡子規が奈良で作った有名な俳句である。「柿を食べていると、法隆寺の鐘がなった。」という意味だが、これだけの言葉で、夕方ののどかな情景がイメージできてしまうから不思議だ。彼らしく自然の象徴物である「柿」がちゃんと引用されている。本人の随筆『くだもの』の中で説明されているが、かつての古典和歌集では「柿」が扱われることがなく、ましてや「柿」と「奈良（法隆寺）」がセットになることもなかったようである。子規は柿が好物のようで、彼が俳句を研究する上で考案した俳句分類法の中でも、親友の夏目漱石を「漱石君＝柿」と繋げているところが面白い。よほど仲が良かったのであろう。これだけで判断できる。
「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」
これも自然界の象徴である「糸瓜」が句の中で生きている。子規が咳に苦しんでいる様子も伺える。自分のことを「仏」と言っているところは、自分の死が自然と迫ってきていることをうまく表現している。「なんともない自然の情景の横に、死にそうな自分がここにいるよ。」と言っているかのようである。これを&ldquo;すがすがしい気持ちで死を客観視..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ①分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60837/]]></link>
			<author><![CDATA[ by oniwaban_hime]]></author>
			<category><![CDATA[oniwaban_himeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 01:04:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60837/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60837/" target="_blank"><img src="/docs/962368413739@hc08/60837/thmb.jpg?s=s&r=1260893061&t=n" border="0"></a><br /><br />中古時代の文学の特質は、漢詩・漢文が上代の時代に引き続き栄える一方で、和歌が漢詩と対等の位置を占めるようになっていった。そして、女性による平仮名が成立し、仮名による表現が盛んとなるに従い、歌合せなどの、公的な場での和歌が次第に多く認められるようになった。
　こういった文学的な時代背景の中、延喜五（九〇五）年、醍醐天皇の勅命によって我が国初めての勅撰和歌集である「古今和歌集」が編纂された。これは、天皇が勅命を出し国家事業として和歌集を編むという伝統を確立した書でもあり、後の平安中期の国風文化確立にも大きく寄与した作品である。紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑らが撰者として編集にあたり、「読人しらずの時代」から六歌仙時代、撰者らの時代までの約百四十年間の名歌千百首が集められている。歌集の中で最も多いのは、四季の自然の歌や、恋歌であり、前代以来の枕詞、序詞のほかに、新たに掛詞、縁語、見立て、擬人法、歌枕などの斬新な表現技法も生み出された。また、紀貫之の歌である「桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける」からもわかるように、時間の推移を取り込む表現も多く見られるのが特徴である。
さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉集]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ainha]]></author>
			<category><![CDATA[ainhaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 22:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/" target="_blank"><img src="/docs/957534289179@hc09/59532/thmb.jpg?s=s&r=1258983826&t=n" border="0"></a><br /><br />大伯皇女及び有間皇子の和歌の鑑賞[48]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[百人一首]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59531/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ainha]]></author>
			<category><![CDATA[ainhaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 22:43:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59531/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59531/" target="_blank"><img src="/docs/957534289179@hc09/59531/thmb.jpg?s=s&r=1258983825&t=n" border="0"></a><br /><br />百人一首三首の鑑賞及び解釈[39]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[漢文学　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakurantan]]></author>
			<category><![CDATA[sakurantanの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 16:54:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/" target="_blank"><img src="/docs/962651615150@hc08/59491/thmb.jpg?s=s&r=1258962855&t=n" border="0"></a><br /><br />A評価[7]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論　設題２・近世の文学について－②]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 910kyuto]]></author>
			<category><![CDATA[910kyutoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 17:05:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57499/" target="_blank"><img src="/docs/958149952954@hc09/57499/thmb.jpg?s=s&r=1257494706&t=n" border="0"></a><br /><br />設題２．近世の文学について概説しなさい
近世（江戸時代）に入ると印刷物の発達や国民の識字率が上昇したことによって読者層が拡大し、いわゆる町人文学の時代といわれる庶民の文学が主流となった。
近世の文学は、普通前期と後期に大別される。前者は[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論　設題１・紀貫之の作品と生涯について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 910kyuto]]></author>
			<category><![CDATA[910kyutoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 17:05:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/" target="_blank"><img src="/docs/958149952954@hc09/57497/thmb.jpg?s=s&r=1257494703&t=n" border="0"></a><br /><br />設題１．紀貫之の作品と生涯を述べなさい
（１）	紀貫之の生涯
紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生まれる。和歌のほか書道にも優れていた。８９３年（寛平五）９月、菅原道真が「新撰万葉集」を撰進。「新撰万葉集」に作品が載る。この年ころまで[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学　第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56687/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56687/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56687/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56687/thmb.jpg?s=s&r=1256481455&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[自然地理学　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56686/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56686/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56686/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56686/thmb.jpg?s=s&r=1256481452&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[和歌形態について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 22:55:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55776/thmb.jpg?s=s&r=1254232509&t=n" border="0"></a><br /><br />※設題１　和歌形態について具体的に述べよ。　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
まず初めに、五音と七音の句によって作られる歌を和歌といい、和歌にはさまざまな形態が存在している。それは、「長歌・片歌・旋頭歌・短[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[歌物語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55774/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 22:55:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55774/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55774/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55774/thmb.jpg?s=s&r=1254232504&t=n" border="0"></a><br /><br />※設題１　歌物語について、代表的な作品をあげて具体的に述べよ。
　まず最初に、歌物語で代表的なものに「伊勢物語」が挙げられる。成立時期に諸説があるが、おおむね（平安時代初期）だとされる。その一部に、「万葉集」の「左注」や、「古今和歌集」など[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論【文学】（４０００字用）レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boukensya]]></author>
			<category><![CDATA[boukensyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Apr 2009 10:24:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/" target="_blank"><img src="/docs/959855799895@hc09/46412/thmb.jpg?s=s&r=1240881881&t=n" border="0"></a><br /><br />（設題）
紀貫之の作品と生涯について述べなさい。（２０００字）
近世の文学について概説しなさい。　（２０００字）
（解答）
１．紀貫之の代表的な作品として、『古今和歌集』がある。これは日本文学史上で最初の勅撰和歌集であり、以後の撰集[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論５]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45496/thmb.jpg?s=s&r=1240373201&t=n" border="0"></a><br /><br />しかし、矛盾点があっても、二首一組を題詞で処理してしまう点で、これは成立時期や事情を同じくした場合にも、同様のことが考えられないだろうか。つまり、実作として有間がＤ・Ｊ歌を詠んだ場合でも、編纂者は、内容の異なる二首を内包する題詞をつけようと[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[表現における知識と多様性（小倉百人一首について）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/31770/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wagwag_65]]></author>
			<category><![CDATA[wagwag_65の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Dec 2008 21:57:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/31770/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/31770/" target="_blank"><img src="/docs/963209582921@hc08/31770/thmb.jpg?s=s&r=1228913851&t=n" border="0"></a><br /><br />表現における知識と多様性
──『小倉百人一首』への考察と鑑賞から──
「多様性」という言葉が、近年専らキーワードとして扱われている。それは民族や宗教という場において認知されつつあるそれのように、いわゆる文化人類学的な観点からも顕著に表れてい[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[書誌学レポートテスト]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962252892237@hc08/24338/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chouko3n]]></author>
			<category><![CDATA[chouko3nの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 19 Sep 2008 13:43:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962252892237@hc08/24338/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962252892237@hc08/24338/" target="_blank"><img src="/docs/962252892237@hc08/24338/thmb.jpg?s=s&r=1221799393&t=n" border="0"></a><br /><br />Ⅰ、刊本出版の動機（趣味的出版）
　　
　刊本出版の動機には４つあり、①滅罪功徳、②宗派のテキストの公布、③趣味的出版、④利潤の追求がある。今回は③趣味的出版について述べたいと思う。
　まず趣味的出版とはどういうものか。それはどこまでが道楽[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[正徹の詠作方法について　寄草恋]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19269/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wagwag_65]]></author>
			<category><![CDATA[wagwag_65の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 02:32:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19269/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19269/" target="_blank"><img src="/docs/963209582921@hc08/19269/thmb.jpg?s=s&r=1202232758&t=n" border="0"></a><br /><br />正徹の詠作方法についての考察
―「寄草恋」の歌から―
一　はじめに
(ａ) 本課題の意義
正徹の残した和歌に触れるようになって、三ヶ月あまりが過ぎた。その間私は自ら発表することはなかったが、毎週のプレゼンテーションにおいては、その個々の和歌[346]<br />正徹の詠作方法についての考察
―「寄草恋」の歌から―
一　はじめに
(ａ) 本課題の意義
正徹の残した和歌に触れるようになって、三ヶ月あまりが過ぎた。その間私は自ら発表することはなかったが、毎週のプレゼンテーションにおいては、その個々の和歌の理解・解釈に最大限努めてきたつもりである。しかしながら、彼の詠む和歌を十分に咀嚼しその意を自分のものにするためには、背景となる基礎知識の充足と、その知識に見合うだけの情緒的想像力が必要なのだということを、発表回数が進むにつれ、私は深く実感していった。
そういった中でこの課題に臨んだのであるが、今回の考察においては、右に述べたような理解への必要要素が自分に不足していることをさらに私をして知らしめることになったのは言うまでもない。だが、本課題において初めて「詠作方法」というような、これまでの「解釈」という着目点とは異なる視座を認識することができたことにまず意義を感じるとともに、拙くも左のような考察をすることができたという点で、新たな端緒が開かれたのだと考えたい。次に本課題の考察の内容を述べる。
なお、本課題においてはＢ「寄草恋」の歌を対象として用いるこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[和歌における視覚効果]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429159401@hc07/12677/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chihirolle]]></author>
			<category><![CDATA[chihirolleの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Jan 2007 19:09:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429159401@hc07/12677/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429159401@hc07/12677/" target="_blank"><img src="/docs/983429159401@hc07/12677/thmb.jpg?s=s&r=1169114986&t=n" border="0"></a><br /><br />平安宮廷文学における視覚効果　
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり、花に鳴く鶯、水にすむかはづの声を聞けば、生きと[358]<br />平安宮廷文学における視覚効果　
やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり、花に鳴く鶯、水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
　和歌は、交信の手段など、心情を表すものとして捉えられることができる。しかし、この『古今集』仮名序の冒頭で述べられているように、それだけとは限らず、むしろ「自己と対立的でさえある外在的な物や人などを表す言葉をもとりこんでいるのが、一般的」だと認識するほうが正しいようだ。（『歌われた風景』）そこで、平安文学で詠まれる心情ではなく、視覚的・映像的なもの、色彩に着目していきたい。
　歌謡、催馬楽においても和歌と同じように視覚効果を見出すことができよう。色彩効果が強く、そしてわかりやすくあらわれているのは「梅が枝」である。頭の中に思い浮かぶ、「梅」からイメージされる赤と、雪の白・白銀という美しい対比。この時点で「梅が枝」は絵画的な働きかけを持っているといえる。そしてさらに、最初の「梅が枝に　来居る鶯」と最後の「雪は降..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[賦物について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11307/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Nov 2006 03:07:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11307/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/11307/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/11307/thmb.jpg?s=s&r=1162750044&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『賦物』とは？
『賦物』とは連歌を詠む上でのルールである。例えば、『山何』という賦物のルールがある。『山何』とは『山』の後に続くのに適当な物名をかならず句の中に読み込まなければならないというルールである。このような、ただだらだらと歌を[356]<br />賦物について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
目次
１．『賦物』とは？
２．承久の乱前後での『賦物』の変化
３．『賦物』が重要視される二つの意味
４．難しくなった『賦物』の規定
１．『賦物』とは？
『賦物』とは連歌を詠む上でのルールである。例えば、『山何』という賦物のルールがある。『山何』とは『山』の後に続くのに適当な物名をかならず句の中に読み込まなければならないというルールである。このような、ただだらだらと歌を詠み続けるのを避け、ゲーム性を増すためのルールを賦物という。『賦物』
２．承久の乱前後での『賦物』の変化
『賦物』には承久の乱前後で相違点が見受けられる。
承久の乱以..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小式部内侍]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10528/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Aug 2006 15:12:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10528/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10528/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/10528/thmb.jpg?s=s&r=1155708724&t=n" border="0"></a><br /><br />一、母と子
（一）母・和泉式部
小式部内侍の母は、言わずと知れた平安の女流歌人、和泉式部である。彼女は、平安時代の摂関政治において最高にして最大の権勢を振るった藤原道長の娘・彰子に、教育係として紫式部や赤染衛門などとともに仕えた女性であ[352]<br />　　　小式部内侍
　　　　　一、母と子
母・和泉式部
　小式部内侍の母は、言わずと知れた平安の女流歌人、和泉式部である。彼女は、平安時代の摂関政治において最高にして最大の権勢を振るった藤原道長の娘・彰子に、教育係として紫式部や赤染衛門などとともに仕えた女性である。
　彼女は、歌人として当時からかなりの有名人であったが、また同時に恋多き女性でもあったようである。まず、小式部内侍の父でもある和泉守道貞と結婚の儀を結んだ。その後、為尊親王と深い仲になり、それがきっかけで夫である道貞に離縁を言い渡される。小式部内侍の誕生から、およそ一年後のことである。為尊親王が亡くなると、その弟宮にあたる敦道親王の寵を受け、その邸に招かれることとなった。しかし、その生活も四年後、兄同様敦道親王との死別によって終局を迎え、やがて一条天皇の中宮彰子に出仕することとなった。その二・三年後、彰子の実父である右大臣道長の継嗣・道通の家司、藤原保昌と結婚し、約十年後、丹後守となった夫・保昌に連れ添って丹後へと下った。このように、彼女は波乱万丈な男性遍歴をもつ女性であったのである。
　それに故にか、母・和泉式部は歌人として..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『新古今和歌集』の和歌一首の評釈]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430721101@hc06/7081/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dawn69]]></author>
			<category><![CDATA[dawn69の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Feb 2006 23:59:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430721101@hc06/7081/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430721101@hc06/7081/" target="_blank"><img src="/docs/983430721101@hc06/7081/thmb.jpg?s=s&r=1140620374&t=n" border="0"></a><br /><br />【本文】
巻第十四　恋歌四
（題しらず）　（式子内親王）
一三〇九　今はただ心の外に聞くものを知らずがほなる荻のうはかぜ
【出典・他出】
出典・・・未詳。
他出・・・式子内親王集　三一七
　　　　　定家八代抄　巻第十四　恋歌四[332]<br />国文学購読Ⅲ（中世）レポート
『新古今和歌集』の和歌一首の評釈
【本文】
巻第十四　恋歌四
　　　　　　　　（題しらず）　　　　　　　　　　（式子内親王）
一三〇九　今はただ心の外に聞くものを知らずがほなる荻のうはかぜ
【出典・他出】
出典・・・未詳。
他出・・・式子内親王集　三一七
　　　　　定家八代抄　巻第十四　恋歌四
式子内親王（一一四九～一二〇一）五三歳。後白河天皇皇女。俊成に和歌を学んだらしく、『古来風体抄』も内親王に献じたものとされる。悲哀・孤独感に満ちた抒情的な歌を詠んだ。『千載和歌集』以下の勅撰集に入集。本作品の製作年は不明。
【語釈】
＊今は(連語)・・・・・・・・「今はこらまで」などの気持ちで、別離や断念の際に発する語。
＊心のほか[心外]・・・・・・気にとめていないさま。無関心。
＊ものを(接助)・・・・・・・逆説的な事柄を導く。「・・・のに」
＊知らずがほ[不知顔]・・・・・知っているのに知らないふりをすること。
また、そのような顔つき。知らん顔。「知らぬがほ」とも。当時「何がほ」の類は問題の用語とされたが千五百番歌合・千四百五十七番判で、慈円は「知らずがほ、こ..]]></description>

		</item>

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