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		<title>タグ“史学概論”の公開資料</title>
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		<description>タグ“史学概論”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[慶應通信　史学概論　合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/916779162102@hc22/152440/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Green tea]]></author>
			<category><![CDATA[Green teaの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Nov 2023 11:58:18 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/916779162102@hc22/152440/" target="_blank"><img src="/docs/916779162102@hc22/152440/thmb.jpg?s=s&r=1699498698&t=n" border="0"></a><br /><br />合格をいただいた史学概論のレポートです。
丸写し、コピペは禁止します。
参考資料としてご活用ください。[151]<br />「比較史の方法」の内容と見解
はじめに
「比較史の方法」は「アナール派」の創始者マルク・ブロック（1886－1944年）が残した歴史学の入門書である。1928年、42歳のストラスブール大学教授であったマルク・ブロックはオスロの国際歴史学会で「ヨーロッパ諸社会の比較史のために」と題した講演を行った。本書は訳者がこれに詳細な解説を施した130ページの小冊子である。「比較言語学」の原理である、複数の言語を比較することで共通性と差異を見出し、一般法則を導き出していくという理論に依拠しつつ、ブロックは比較の方法について「射程の長い比較の方法」と「視野においてより限定されている比較の方法」という二つのタイプに分類し、前者は普遍的な法則を抽出するために、後者は歴史的な指標を獲得するために用いることが可能であると主張する。この主張を裏づけるために、具体的な個別の事例をまじえながら講義は展開される。
このレポートでは第1章において「比較史の方法」の内容を要約し、第2章において本書に対しての個人的見解を論じる。
第1章「比較史の方法」の要約
歴史家が研究に比較を取り入れることによって、すべての問題が解決するわけではないと考える。しかし比較を用いての研究の重要性は以前から説かれているにも関わらず、多くの歴史家は現状の研究方法を変えることなく、新たな試みを取り入れようとする姿勢も見られない。
しかし歴史学の将来は、比較がもたらす可能性についてよく検討することにかかっていると考える。そのため、比較の重要性について例をあげて提唱していきたい。
歴史学にとって比較とは、複数の相異なる社会状況からある種の類似性が存在すると思われる、いくつかの現象を選び出し、それらの類似性、相違点を確定しその理由を可能な限り説明することである。
しかし、似ているというだけの安易な比較は慎むべきである。互いの影響関係を認識する必要がある。例えばリムーザン地方における荘園を比べるような、同一の起源が歴然としている、複数の均質的状況を示す社会状況に対比を発見しようとすることは避けるべきである。
では、歴史学にとって比較対象としてふさわしい社会状況とはどのようなものか。それは大きく二つある。一つ目のタイプは、人類学者、民族学者であるフレイザー卿が著書『金枝篇』で試みたような、時間・空間的に隔たりがあるため「影響関係」に..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[日大通信 史学概論 合格レポート 課題2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 15:44:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152090/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152090/thmb.jpg?s=s&r=1695105882&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 史学概論の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：Q30100

「歴史的に考える」とはどのように実践されるものか。
①初等・中等教育での[318]<br />「歴史的に考える」とはどのように実践されるものか。
①初等・中等教育での「歴史」の扱われ方、
②大学での「歴史」の扱われ方、
③日常生活での「歴史」の扱われ方
の三つの観点で整理し、論述しなさい（1600～2000字）。
なお①②③をバランスよく記述してください。
「歴史的に考える」ことは、学校教育や普段の日常の中に多く存在する。初等・中等教育、大学、日常生活の三つの観点から、どのように実践されるのか論ずる。
初等・中等教育において「歴史的に考える」とは、「歴史」のバイアスに自覚的になることである。
小・中・高校の授業は、受験対策として教科書の内容をまんべんなく教え、学力を定着させることであり、「正解」に効率よく辿りつくことを学ぶ。よって、教科書をバイアスのかかった「歴史」として学ぶことは忌避されてしまう。
しかし、小・中・高校では、歴史的な見方・考え方を働かせて授業を展開する、課題を設定し追及する、などを学習指導要領に取り入れており、教えている。グループになって教科書や資料集の記述をもとに予想し発表する活動などで、「歴史的に考える」授業をしているのだ。その際の教師の授業意図は、「歴史..]]></description>

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			<title><![CDATA[日大通信 史学概論 合格レポート 課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/]]></link>
			<author><![CDATA[ by UVmoisture]]></author>
			<category><![CDATA[UVmoistureの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 15:44:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/922016880007@hc21/152089/" target="_blank"><img src="/docs/922016880007@hc21/152089/thmb.jpg?s=s&r=1695105882&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信 史学概論の合格レポートです。
あくまで参考程度としてご利用ください。
（丸写しはバレますので、ご注意ください。）

科目コード：Q30100

史学概論 課題1
歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるためには、
①「[310]<br />歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるためには、
①「史料のあり方」
②「歴史の意味づけ」
③「歴史の見方」
に留意する必要がある。それはどういうことか、それぞれについて具体例を示しながら論述しなさい（1600～2000字）。
なお①②③をバランスよく記述してください。
歴史学を扱う者が歴史像をつくりあげるために留意する「史料のあり方」「歴史の意味づけ」「歴史の見方」の三つについて、それぞれ論じる。
歴史は史料に基づかなければ書くことが出来ないが、すべてのことが史料に残されてはいない。史料から読み取れること以外のより細かな事柄は、他の資料と合わせて確認する必要がある。例えば、十八世紀のハンガリーで行われた魔女裁判の史料は、この時代の数限りなく行われた裁判記録の一つだが、この事件が無ければ記されなかった、事件の周りにあった事柄を浮かび上がらせることが出来る。しかしこの史料だけでは、登場人物の職業や村での作物の栽培状況といったことが分かるのみで、村人についての基本的なことは分からない。そのためもう一つ、村の納税帳簿を合わせて用いることで、村の全体像に近付くことが出来る。帳簿に女性名が載ってい..]]></description>

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			<title><![CDATA[【慶應通信】文学部レポート 史学概論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937792097189@hc16/124493/]]></link>
			<author><![CDATA[ by autoFunk]]></author>
			<category><![CDATA[autoFunkの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Apr 2016 00:54:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/937792097189@hc16/124493/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/937792097189@hc16/124493/" target="_blank"><img src="/docs/937792097189@hc16/124493/thmb.jpg?s=s&r=1460562893&t=n" border="0"></a><br /><br />史学概論、2単位
レポートテーマ：
歴史の構成理論は発見の限界をどのように批判し乗り越えたか。それによって構成理論はどのような問題に直面することになったか。理論的に詳しく論じなさい。[267]<br />序論
19世紀の歴史学は事実尊重の時代であり、歴史叙述においてもっとも基本的であり重要なことは信用することのできる史料の厳密な分析による過去の事実の忠実な再現であるという、いわゆる発見理論が基本的な考え方であった。しかし、その後このような過去の事実を忠実に再現したものが歴史であるという考え方、つまり事実があってそれをその通りに記述するということは、史料の信頼性や客観性に強く依存し、また認識論的にも間違っているために、批判の対象となり、過去の事実について史料を手がかりに現在の概念や理論を用い歴史家が再構築するという構成理論が現在の歴史理論の軸となっている。構成理論では、現時点での概念や理論で構成され、また歴史の事実が歴史家の頭の中で作られるイメージであるために、歴史は書き換えられ、また歴史家の数だけつくられることとなる。つまり一つの歴史的な出来事について複数の歴史記述が存在することになり、その場合、歴史記述の客観性はどのように担保されるのということが問題となる。
　本論ではレポート課題である「歴史の構成理論は発見の限界をどのように批判し乗り越えたか。それによって構成理論はどのような問題に..]]></description>

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			<title><![CDATA[慶應通信史学概論　構成理論は発見理論をどう批判し、どう克服したか。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944048553057@hc14/114699/]]></link>
			<author><![CDATA[ by libertytower]]></author>
			<category><![CDATA[libertytowerの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 Aug 2014 18:15:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/944048553057@hc14/114699/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/944048553057@hc14/114699/" target="_blank"><img src="/docs/944048553057@hc14/114699/thmb.jpg?s=s&r=1407489334&t=n" border="0"></a><br /><br />構成理論は発見理論をどう批判し、どう克服したか。またそれによって構成理論はどのような問題に直面することになったかというレポートです。[198]<br />歴史家が発見された史料をもとに事実を見つける。これを「発見理論」という。
過去に事実があり、その痕跡を残す史料が存在する。その史料があらわす事実を正しく反映することが重要になるが、その際に二つの条件が必要となる。一つは史料が「忠実に」事実をつたえているということと、それを得た歴史家が「素直に」資料を読むことである。
歴史家の行動論、行動規範を考えるのであれば、後者に関して掘り下げて考えなくてはならない。このとき、ある一つの史料があると仮定して、AとBという別々の歴史家から別々の解釈がもたらされたとすると、同一の史料から別々の解釈が起きたということはこの過程における差異は解釈を行った人物が別である、つまり「史料の読み方」が違うということしかない。この場合、発見理論にとって問題になるのは、史料を読む人間の主観が入りこむことだということになる。
つまり、発見理論にとっての好ましさとは、歴史家は禁欲して主観を廃し、自らの意見をもたず、何事にも偏らず公平無私を心掛けていればよいということになる。しかし、これでは、歴史の発見というものは、すべてが史料の量と質に依存するものであって、歴史家に求められ..]]></description>

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