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		<title>タグ“冷戦”の公開資料</title>
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		<description>タグ“冷戦”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　国際政治論　分冊Ⅰ・Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131935/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Dec 2017 15:27:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131935/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131935/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131935/thmb.jpg?s=s&r=1513578427&t=n" border="0"></a><br /><br />分冊Ⅰ
問１　国際社会を客観的に分析するための基本的な心構えについて述べなさい。
キーワード　社会科学　文化相対主義

問３　冷戦終結後(1989年～)にこれまで表面に出てこなかった民族紛争が各地で勃発したが、その理由について説明し[332]<br />問１　国際社会を客観的に分析するためにポイントとなるのは、国際社会の「歴史」を分析し、「現状」を見つめそれらを「理論」的に問い直し、そして解決すべき今日の「課題」を検討する事である。そして、その前にいくつかの基本的な心構えを身につけなければならない。
まずは世界的な視野をもつという事である。
そのためには世界の出来事に関心をもち、情報に触れる習慣を身につけることが重要になる。自分の中だけの世界から視野を広げるためには、新聞や雑誌、テレビのニュースなどで世界の多くの情報に接することで、視野を広げることができる。次に、長期的な時間軸を意識することである。時間軸について私たちは、学習や情報、議論によって、過去から未来にまで思いをめぐらすことができる。人間の視野は年齢を重ねるごとに広がるが、国際社会と国際関係を分析するには、何十年もの時間軸を過去にも未来にも想定できるような感覚が必要となる。
政治学、経済学、国際関係論などの研究分野は、「社会科学」と呼ばれるが、科学と呼ばれる以上、客観性が重要視される。ある特定の文化や価値観の中で生まれ育った私たちは、自己の価値観を中心に他国を観察し、世界を認識しようといているため、国際的な問題について偏見をもちやすい。むしろ偏見をもつことの方が自然かもしれない。世界を客観的に認識する為には、絶えず偏見を取り除く努力をし、社会や文化に優劣をつけずに比較することが基本となる。社会や文化に優劣をつけずに比較する思想を文化相対主義といい、人類学者のフランツ・ボアズやレヴィ＝ストロースなどが示した世界を見る基本的な視座の１つである。
国際関係や国際社会に限らず、学習や研究に対して情熱を注ぐという事が何よりも基本的な姿勢であるといえる。経済学者のアルフレッド・マーシャルは、「冷静な頭脳と温かな心」を強調した。冷静な頭脳とは、社会を客観的に観察し分析することを意味し、温かな心については研究に向けた情熱や人間や社会に対する温かな眼差しを示していると解釈できる。情熱がなければ勉強や研究ができるはずがない。これらの基本的な心構えのもと、私たちは国際社会を客観的に分析しなければならない。
問３　第二次世界大戦終結後、アメリカを中心とした資本主義国家とソ連中心の社会主義国家は、直接戦火を交えることはなかったが、イデオロギーを前面に打ち出し、自らの支配拡大を目..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[日大通信　国際政治論　分冊Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131933/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 18 Dec 2017 15:27:05 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131933/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131933/thmb.jpg?s=s&r=1513578425&t=n" border="0"></a><br /><br />問１　国際社会を客観的に分析するための基本的な心構えについて述べなさい。
キーワード　社会科学　文化相対主義

問３　冷戦終結後(1989年～)にこれまで表面に出てこなかった民族紛争が各地で勃発したが、その理由について説明しなさい。[334]<br />問１　国際社会を客観的に分析するためにポイントとなるのは、国際社会の「歴史」を分析し、「現状」を見つめそれらを「理論」的に問い直し、そして解決すべき今日の「課題」を検討する事である。そして、その前にいくつかの基本的な心構えを身につけなければならない。
まずは世界的な視野をもつという事である。
そのためには世界の出来事に関心をもち、情報に触れる習慣を身につけることが重要になる。自分の中だけの世界から視野を広げるためには、新聞や雑誌、テレビのニュースなどで世界の多くの情報に接することで、視野を広げることができる。次に、長期的な時間軸を意識することである。時間軸について私たちは、学習や情報、議論によって、過去から未来にまで思いをめぐらすことができる。人間の視野は年齢を重ねるごとに広がるが、国際社会と国際関係を分析するには、何十年もの時間軸を過去にも未来にも想定できるような感覚が必要となる。
政治学、経済学、国際関係論などの研究分野は、「社会科学」と呼ばれるが、科学と呼ばれる以上、客観性が重要視される。ある特定の文化や価値観の中で生まれ育った私たちは、自己の価値観を中心に他国を観察し、世界を認..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[日大通信　外国史概説　分冊Ⅰ・Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Dec 2017 16:41:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131801/thmb.jpg?s=s&r=1513150871&t=n" border="0"></a><br /><br />分冊Ⅰ　第２次世界大戦後の東西対立と冷戦について述べなさい。キーワード：鉄のカーテン　朝鮮戦争　第三世界　ヴェトナム戦争　冷戦の終結分冊Ⅱ　辛亥革命について論述しなさい。キーワード：革命運動　立憲運動　武昌発蜂　孫文　中華民[344]<br />第二次世界大戦末期から米ソは戦後処理やイデオロギーの面で対立をするようになっていたが、戦後に入り更に対立が激化した。アメリカは国土が戦災を受けることがなかったため、終戦後から資本主義諸国の工業生産力、金保有量の大半を占め、更には原爆までも独占し、経済力、軍事力と共に、世界の資本主義諸国のリーダーとしての地位に君臨した。一方、大戦で最大の損害を受けたソ連は、多大な人命の損失と農地や重化学工業設備の多くが破壊され、国富の三分の一が失われたと推定されたが、東ヨーロッパの人民民主主義諸国を共産圏に組み込み、共産主義経済の再建に努めて、アメリカに対抗する超大国へと発展した。
ソ連の国益中心の厳しい外交政策にアメリカは警戒心と不信感を抱くようになり、西の資本主義国家、東の共産主義国家の東西対立が始まった。これをイギリスのチャーチル前首相の演説にちなんで、鉄のカーテンと呼び、アメリカは社会主義国家拡大を防ぐために、封じ込め政策を開始し、冷戦は激しさを増していくことになる。冷戦は米ソの政治的、軍事的競争が熱い戦争には転化せず、潜伏したかたちの対立を意味するのだが、代理戦争という形で独立を目指し、独立を宣言した各国を巻き込んでいくことになる。
アジアでの冷戦状況の浮上はヨーロッパより遅れてきたものの、朝鮮戦争へと繋がる。戦時中は朝鮮の独立が構想としてあったものの、米ソの対立と国益を重視した結果、日本の敗戦以降、ソ連とアメリカが朝鮮を支配することとなった。北部はソ連、中国の支援によって異例なほどに強化され、南部はアメリカからの支援を受けたが、南部からの戦争挑発を恐れ、攻撃的な重装備を与えなかった。しかし、南部の治安悪化と、アメリカの最終防衛線から外されたことに伴い、北部が南部へ進軍し、戦争が勃発した。この戦争は資本主義国家と共産主義国家が対決した最初の戦争でもあり、東西冷戦の構図を決定づける戦いでもあった。結果的にこの戦争は、朝鮮に住む人々にとっては災厄でしかなく、東西冷戦に翻弄され、統一朝鮮の独立回復という理想を実現できないまま休戦する形になってしまう。
第二次世界大戦終結後から、朝鮮戦争やインドシア戦争を踏まえて、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国では、次々と独立宣言を果たし、第三世界と言われるようになった。独立を得た国々にとって、経済を急速に発展させるには共産主義体制が最適..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　外国史概説　分冊Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131767/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 11 Dec 2017 14:50:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131767/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131767/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131767/thmb.jpg?s=s&r=1512971403&t=n" border="0"></a><br /><br />問　第2次世界大戦後の東西対立と冷戦について述べなさい。キーワード：鉄のカーテン　朝鮮戦争　第三世界　ヴェトナム戦争　冷戦の終結合格レポートですがあくまでも参考としてお使いください。[275]<br />第二次世界大戦末期から米ソは戦後処理やイデオロギーの面で対立をするようになっていたが、戦後に入り更に対立が激化した。アメリカは国土が戦災を受けることがなかったため、終戦後から資本主義諸国の工業生産力、金保有量の大半を占め、更には原爆までも独占し、経済力、軍事力と共に、世界の資本主義諸国のリーダーとしての地位に君臨した。一方、大戦で最大の損害を受けたソ連は、多大な人命の損失と農地や重化学工業設備の多くが破壊され、国富の三分の一が失われたと推定されたが、東ヨーロッパの人民民主主義諸国を共産圏に組み込み、共産主義経済の再建に努めて、アメリカに対抗する超大国へと発展した。
ソ連の国益中心の厳しい外交政策にアメリカは警戒心と不信感を抱くようになり、西の資本主義国家、東の共産主義国家の東西対立が始まった。これをイギリスのチャーチル前首相の演説にちなんで、鉄のカーテンと呼び、アメリカは社会主義国家拡大を防ぐために、封じ込め政策を開始し、冷戦は激しさを増していくことになる。冷戦は米ソの政治的、軍事的競争が熱い戦争には転化せず、潜伏したかたちの対立を意味するのだが、代理戦争という形で独立を目指し、独立を..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[68外国史Ⅰ(西洋史)第2課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126356/]]></link>
			<author><![CDATA[ by misohan]]></author>
			<category><![CDATA[misohanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 16 Sep 2016 13:16:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126356/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/936153742693@hc16/126356/" target="_blank"><img src="/docs/936153742693@hc16/126356/thmb.jpg?s=s&r=1473999406&t=n" border="0"></a><br /><br />第二次世界大戦終了後65年以上を経過した世界史の中で、元ソ連大統領M.ゴルバチョフ氏が国際政治の中で果たした役割は非常に大きかったと思うが、各自の考えを書いてください。[244]<br />第二次世界大戦終了後65年以上を経過した世界史の中で、元ソ連大統領M.ゴルバチョフ氏が国際政治の中で果たした役割は非常に大きかったと思うが、各自の考えを書いてください。
　1979年のソ連のアフガニスタン侵攻によりアフガニスタンに共産党政権を樹立させたことで冷戦下の米ソのデタントの雰囲気は無くなり、アメリカではソ連脅威論が高まった。1980年にアメリカ大統領に就任した共和党のレーガンは減税を行ったうえで社会福祉予算を削減し、規制緩和で自由競争社会構築を目指したレーガノミクスを展開した。ソ連などの共産圏諸国に対抗するため軍拡予算を拡充させ、ソ連との軍縮交渉も決裂して対決姿勢が鮮明になり新冷戦と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[慶應法学部（通信）合格レポート『西洋外交史』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938478183489@hc15/124287/]]></link>
			<author><![CDATA[ by KEIGI]]></author>
			<category><![CDATA[KEIGIの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 Apr 2016 13:08:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938478183489@hc15/124287/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938478183489@hc15/124287/" target="_blank"><img src="/docs/938478183489@hc15/124287/thmb.jpg?s=s&r=1459570131&t=n" border="0"></a><br /><br />西洋における外交の変容について論じています。
とりわけ戦後における外交を多角的な点から論じます。[142]<br />■西洋外交史
はじめに
　本レポートでは第二次世界大戦後において外交がどのように変質していったのかを論じる。そのために第一章では、まず第二次世界大戦にいたるまでの外交の特質を簡単にまとめ、これが戦後の外交に対しどのような影響を与えたのかを示したい。第二章で戦後外交の変容を、イデオロギー外交の変質という観点から、歴史に即しつつ、論じていく。また第三章では、戦後外交の変容を、個別・具体的な観点――外交アジェンダ、外交制度、情報技術の三点――から論じていく。
　そして最後に、外交の多様化こそ戦後外交の大きな変質であるという結論に達したい。
第一章　第２次世界大戦までの外交
■旧外交時代
　いわゆる古来から行われてきた外交が成熟し、『旧外交』というひとつの類型として捉えられるようになったのは、19世紀に入ってからである。この時代の外交の特質は、〈秘密外交〉と〈宮廷外交〉に代表される。すなわち、宮廷および貴族階級という非公開的な世界において、駐在大使のごとき職業外務官が行う外交である。
　この時代の外交において重視されたのは〈勢力均衡〉であった。勢力均衡とは、「各国の利益と国力の分析に基づいて自国の利益の増進をはかりながら必要な妥協を行う」ものである。とりわけウィーン体制（1814-1815年）以降、イギリス、ロシア、フランス、プロイセン、オーストリアといった主要な大国が、平時に集まって紛争を解決するための外交協議（コングレス）を行い、欧州協調と呼ばれる勢力均衡を図っていった。
■旧外交の弱点
　しかしながらこのよう旧外交はつまるところ非民主的であり、「人民の利害を無視して政治的都合から国家をチーズのように切り分ける」ようなものであった。これはかならずしも20世紀以降にみられる民主主義の高まりには相容れないものである。
　また勢力均衡による安定が必ずしも平和に結びつかないという問題もあった。すなわち旧外交の勢力均衡とは、「平和を維持しようとするためではなく、自らの独立を維持しようとするため」であったといえる。したがって、1815年のウィーン会議で再度ポーランドが事実上分割されたことにみられるように、大国以外の中小国の独立が保証されているとはいえなかった。
■新外交の時代
　そこで20世紀に入ると、旧外交は歴史的背景を以て衰退し、アメリカを中心とした『新外交』の時代に突入す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『国際関係論 同時代史への羅針盤』書評]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99751/]]></link>
			<author><![CDATA[ by komasen333]]></author>
			<category><![CDATA[komasen333の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jan 2013 13:52:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99751/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431505701@hc05/99751/" target="_blank"><img src="/docs/983431505701@hc05/99751/thmb.jpg?s=s&r=1357188722&t=n" border="0"></a><br /><br />講義「 国際関係論 」の序盤で出された課題が、この書評レポートでした。

本格的に国際関係論を学ぶ前に、この本を読んで書評を書く。
それによって、国際社会の展望を描くこの学問の意義を感じ取ることができたように思います。[320]<br />『国際関係論 同時代史への羅針盤』書評
「国際関係論」と銘打ったこの新書はそのタイトル通り、国際関係論とは何たるものであるのかという概論から始まり、代表的な思想家とその理論、地域研究と国際関係論の関連性、冷戦がもたらした国際関係の流れやその後の社会主義や民族紛争の経過などを交え、国際関係論の可能性と限界を述べている。本書が刊行されたのが1992年ということもあり、内容は冷戦、社会主義国家、民族紛争などに主眼が置かれ、著者が終章で「1990年代末には、20世紀最後のもうひとたびの大きな変動が生じ、あるいは社会主義国家がいよいよ最後的に消滅する方向へと進むことになるかもしれない。」（中嶋 1992 Ｐ218）と述べているのが印象的である。しかし、本書の刊行から14年経った現在の国際関係は、数少なくなった社会主義国家も曲がりなりにも健在で、北朝鮮に関しては核実験を実施し、体制の存続を粘り強く模索している状況である。また、9.11を契機に冷戦後の社会主義国の動向や民族紛争へのアプローチに加え、国家という枠組みを持たない国際的なテロ組織との闘いという新たな命題がクローズアップされ、21世紀に入り..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 通信教育 2012年度 国際法 第3課題 合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951383871829@hc11/97893/]]></link>
			<author><![CDATA[ by coffeelove]]></author>
			<category><![CDATA[coffeeloveの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 18 Oct 2012 01:02:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951383871829@hc11/97893/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951383871829@hc11/97893/" target="_blank"><img src="/docs/951383871829@hc11/97893/thmb.jpg?s=s&r=1350489736&t=n" border="0"></a><br /><br />１．PKO（平和維持活動）とは
　PKO(Peace Keeping Operations ：平和維持活動)とは、武力紛争が発生し、当事者間で停戦が成立した場合、国連が紛争地域にいわゆる国連軍を派遣して停戦の維持や紛争の悪化防止に当たらせる活動をいう。PKOは、集団安全保障のための強制措置とは異なり、紛争当事者や受入国の同意に基づき、公平な立場で紛争に介入して、兵力の引き離し、停戦監視、選挙監視等の活動を行うところに特徴がある。
　そして、PKOは、国際関係の現実に対応すべく、国連の慣行を通じて経験的に発展してきた活動であり、その性質は、国際関係の状況の変化に応じて変わりゆく。特に、冷戦期のPKOと冷戦後のPKOでは、その機能が大きく異なる。次に、この点について説明する。
２．冷戦期のPKOと冷戦後のPKO
（１）冷戦期のPKO
　冷戦期には、超大国間の大規模な軍事衝突は起きなかったが、世界各地で多数の武力衝突が発生した。超大国が紛争当事者一方を実質的に支援する冷戦期では、拒否権により集団安全保障のための強制措置が機能しなかった。そこで、国連は、国際平和の維持にかろうじて寄与しうる最低..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[冷戦の終焉とテロリズム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93935/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tamugi05]]></author>
			<category><![CDATA[tamugi05の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 19:26:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93935/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93935/" target="_blank"><img src="/docs/957938659738@hc09/93935/thmb.jpg?s=s&r=1338719161&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定/ます、テロリズムの語源からはじまり、現代におけるテロという用語の多様さについて論じています。
その後、冷戦終焉後の国際情勢の変化について、テロ行為の増加という観点から考察しています。[279]<br />テロリズムの本質と現代のテロリズムについて
まず、テロリズムの本質と新テロリズム(21世紀のテロ)について考察する。テロリズムの語源はドイツ語の｢Terror｣(＝恐怖で打ちのめす)であり、初めてこの言葉が使用されたのは1795年のフランス革命時、ジャコバン党のロベスピエールによる恐怖政治の時であった。それは国家によるフランス共和制という政治目的のために、反体制派を処刑台に送るという暴力手段を用いたテロ、といえる。
しかし、植民地解放闘争、民族独立、動物保護など、フランス革命時から現代までの過程で、さまざまな性格を持ったテロがあらわれた。その手段も、暗殺、自爆テロ、ハイジャック、化学兵器の使用など多種多様になっている。さらに2001年の9.11同時多発テロの後、テロの意味は大きな変化を見せ、最近では新テロリズムとよばれ広がりを見せている。
その理由の1つは、テロの標的の拡散化である。現在では目標を特定しない無差別テロが増加している。先述のフランス革命時でいえば、標的は反体制派に限られていた。かつては無関係の人々の命が失われるのを防ぐため、攻撃を中止することもあった。無差別殺人は不道徳で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治史第4課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cs3000952]]></author>
			<category><![CDATA[cs3000952の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 21 Aug 2011 19:49:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958776133122@hc09/85157/" target="_blank"><img src="/docs/958776133122@hc09/85157/thmb.jpg?s=s&r=1313923745&t=n" border="0"></a><br /><br />国際政治史　第４課題
冷戦発生のプロセスについて、整理しつつ説明しなさい。
冷戦とは、イデオロギー対立と、核兵器による人類お滅亡の脅威を背景とした、米ソ間の政治的コミュニケーション機能の低下により発生した、直接軍事衝突に至らない緊張状態、をいう。熱戦は開始と終結が特定の一時店で明確であるが、冷戦はそれらに幅があり不明確である。
冷戦発生の第一の要因は、いうまでもなくイデオロギー対立である。アメリカの自由主義・資本主義に対して、社会主義・共産主義を国家存立の基本的価値とするソヴィエト社会主義共和国連邦が成立したことで、冷戦の種子が巻かれた。しかしその後、ヒトラーのドイツが台頭したため、これへの対処を優先せざるを得なくなり、ドイツの対ソ侵攻（1940年）と共に、米英ソは対ドイツの戦時同盟を結成することとなった。
しかし終戦と共に、米英とソ連の対立が深刻になっていった。問題の根本は戦後の世界において米英ソの勢力圏をどのように分けるか、ということだった。1945年末から1946年はじめにかけて、ソ連側の対西側強硬姿勢がはっきりするようになり、それを受けてアメリカの対ソ認識が悪化していった。また..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経済学原論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kino77happy]]></author>
			<category><![CDATA[kino77happyの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 10 May 2010 22:04:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960471950769@hc08/66826/" target="_blank"><img src="/docs/960471950769@hc08/66826/thmb.jpg?s=s&r=1273496670&t=n" border="0"></a><br /><br />約3500年前に地球の平均気温が急激に下がり、寒冷乾燥となり、人間の食料が減った。乾燥のため人間は川周辺に集まり、争いや戦いが起こった。それによって文明開化し、長江流域には集約農業（水田稲作）が発達した。文明は余剰に繋がった。このように約3500年前には灌漑技術や水稲作、品種改良などの農耕と牧畜の集約的技術革新が起きた。約3500年前の気温の急激な変化により、米を元に米を作る再生産の発生で、量的な比軸ができ、自給自足が定着した。自給自足をすることで生活は安定する。しかし、多様性を犠牲にしなければならない。失われた多様性の代償として交換が始まった。また、自給自足によって失われたものを補う行為のことを交換衝動という。人間は交換をするために自発的な旅をし始めた。個々人が起こす自発的な旅はやがて村と村の関係へと繋がる。交換のスタイルによって社会も交換され関係が広がっていった。交換という行為が非市場経済の始まりと考えることができる。交換は、互酬・再分配・交易に分けることができる。
互酬とは決まった相手との間で財やサービスのやり取りを繰り返し行なうことだ。互酬の支える社会構造は、対称性（平等性）の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[李登輝総統の戒急用忍政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 22:05:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/65179/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/65179/thmb.jpg?s=s&r=1269608743&t=n" border="0"></a><br /><br />李登輝の大陸政策決定過程―「戒急用忍」の事例
　49年以降、蒋介石政権と共産中国の間の経済貿易活動は完全に禁じられた。70年代末、こうした禁止した中台間経済活動は中国の改革開放政策による、双方の依存関係が成り立った。しかし、95、96年第3次台湾海峡危機と呼ばれた頃、中台間の経済活動も依然として変わることもなかった。むしろ、この依存関係は更に深まっていた。国民党と民進党両方ともこうした経済発展について、危機感を持ち始めた。経済安全保障の点から政治力を使い、中国への貿易、経済関係を規制緩和をしようとした。96年に、李登輝政権がこうした中台間の過熱な経済関係を緩和するため、戒急用忍が出てきた。
この政策は単なる対大陸政策だけではなく、安全保障面上も一つ大きな意義があった。また、戒急用忍政策は李登輝が民選総統後初めての国家戦略政策でもあるため、戒急用忍の重要性も注目された。だが、その後、監察院は戒急用忍政策の執行について、指摘した。監察院はこの政策の内容を指摘ではなく、政策の決定パターンについて大きく疑問を持ち、総統である李登輝個人的な対大陸政策という認識も強まったとはいえ、この中の政策決定..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ヤルタ体制とアジアの冷戦]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62424/]]></link>
			<author><![CDATA[ by binkanboy]]></author>
			<category><![CDATA[binkanboyの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 02:08:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62424/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/62424/" target="_blank"><img src="/docs/983430219101@hc06/62424/thmb.jpg?s=s&r=1264266509&t=n" border="0"></a><br /><br />ヤルタ体制とアジアの冷戦
　　第二次世界大戦中、アメリカとソ連はドイツ、日本を倒すという共通し、そして他に優先する目標のため、「戦時協調」を維持していた。しかし、第二次世界大戦も終わりに近づくと両国の戦後の秩序維持の構想について意見の食い違いが表面化し、不協和音が目立つようになっていった。アメリカが民族自決に基礎を置いた戦後処理と国際機構の設立による平和・秩序維持を目指したのに対し、一方のソ連は戦力範囲の承認に秩序維持の基礎を置いた。このような意見の食い違いを反映し、１９４５年２月に東欧問題を焦点に開かれたヤルタ会談ではソ連の東欧支配が実質的に承認された。これは対日参戦になおソ連の力を必要とし、また戦時協調を戦後の秩序維持の前提と考えていたアメリカの譲歩・妥協によるものであった。これによりソ連は東欧にその勢力を拡大したが、一方アジア・太平洋地域においてはその行動は抑制的であり、朝鮮線半島における降伏区分を北緯３８度線に設定し、また日本に上陸し占領することも可能であったのにそうしなかったことなどに現れている。一方、アジア・太平洋地域での優位を確立したのはアメリカであった。日本においては、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平和政策から見る冷戦後の世界情勢]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 15:16:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/61824/thmb.jpg?s=s&r=1263276968&t=n" border="0"></a><br /><br />平和政策から見る冷戦後の世界情勢
　大芝亮編『平和政策』について評判し、紹介している。以下のような本書の要約と評価について書かせている。
　第1部の国際紛争についてどういうふうに捉えるのかについて、総数5章の中で、リアリズム（現実主義）、リベラリズム（理想主義）の構造、冷戦後の紛争から捉え、こうした紛争構造を深く取り入れ、アイデンティティからの政治的問題、文明との衝突、グローバリゼーションの拡大による新しい紛争構造の形成である。
　また、紛争の予防するための国際法、国際組織の取り組み、特に国際連盟の失敗から国際連合の形成まで、国連による平和維持するための活動について深く議論していた。地域機構の再登場、国連のような大きな組織から細分化され、各地域機構による平和維持と協力体制を行った。所謂、欧州モデルの脱却し、地域的にアプローチを成り立った。
　そのため、新しい経済組織の構想も生み出し、各国間も自由貿易を通じて平和活動を行ったが、冷戦期の封じ込め政策による南北問題も取り入れ、自由貿易、経済発展による政治民主化、平和政策への道を進めたとはいえ、新たの問題にもなり、国の内部の政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[冷戦から現代]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35702/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35702/thmb.jpg?s=s&r=1233297701&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦から現代まで
　1.冷戦への道
　　a.戦後国際関係の形成
1941年8月の大西洋憲章により、米国が戦後国際秩序の原則を確保し、IMFと世界銀行が立ち上がり、GATTの調印した事により、米国が戦後世界の政冶力と経済力を支える存在となる。[322]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係と日本外交政策の進行]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35706/thmb.jpg?s=s&r=1233297705&t=n" border="0"></a><br /><br />国際関係と日本の政冶外交
政冶外交における「戦後」
冷戦時期米ソ2つ超大国同士間が政冶の役割かなり占められたが、多極化が誕生後軍事力依然として米ソ核大国に占められた。
米国が少々下降気味、ソ連は崩壊後少々増大傾向になった。
冷戦期と言う戦後[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係論　主権国家システム]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34088/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hito529]]></author>
			<category><![CDATA[hito529の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Jan 2009 23:32:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34088/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960229219788@hc09/34088/" target="_blank"><img src="/docs/960229219788@hc09/34088/thmb.jpg?s=s&r=1232289167&t=n" border="0"></a><br /><br />近代以降の主権国家システム

近代以前には、古代の帝国秩序である「ローマ帝国」、中世なりの秩序である「キリスト教共同体」が存在していた。
１６４８年のウェストファリア講和会議で主要国がお互いを主権国家であるとみなし、こうして、主権国家[348]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[憲法第九条をめぐる戦後安全保障]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Oct 2008 17:45:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/27440/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/27440/thmb.jpg?s=s&r=1225010738&t=n" border="0"></a><br /><br />憲法第九条をめぐる戦後安全保障
敗戦後、連合国の占領下におかれた日本にとっての安全保障上の中心課題は、国内体制の安定であった。日本は、完全な武装解除と戦争遂行能力の破壊、植民地の放棄といった内容を含むポツダム宣言を受諾した。この時期の政府指[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[⑤‐冷戦の終結とソ連の解体]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 10e0275]]></author>
			<category><![CDATA[10e0275の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 13:06:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961753980885@hc08/22636/" target="_blank"><img src="/docs/961753980885@hc08/22636/thmb.jpg?s=s&r=1216786006&t=n" border="0"></a><br /><br />５－冷戦の終結とソ連の解体
ペレストロイカ
ロシア語:『再編』や『建て直し』の意。
暗黙の社会契約と言われた『停滞』－社会主義体制による賃金保障のため、働かなくても給料が払われる－や、『腐敗』、『職権乱用』等を打開するためゴルバチョフが打ち[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[再軍備過程の研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Feb 2008 23:12:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19351/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/19351/thmb.jpg?s=s&r=1202911979&t=n" border="0"></a><br /><br />再軍備過程の研究
1947年頃から、米ソ対立が先鋭化し、世界は冷戦時代に突入する。占領下の日本は、否応無しにアメリカの冷戦戦略に組み込まれ、極東における反共の防波堤としての重要な戦略的役割を担うこととなる。そうした中で、日本は再軍備を迫られ[350]<br />再軍備過程の研究
1947年頃から、米ソ対立が先鋭化し、世界は冷戦時代に突入する。占領下の日本は、否応無しにアメリカの冷戦戦略に組み込まれ、極東における反共の防波堤としての重要な戦略的役割を担うこととなる。そうした中で、日本は再軍備を迫られ、憲法の第九条解釈も二転三転していく。
本稿では、1950年の警察予備隊創設から1955年の自衛隊創設までの再軍備の過程に関して、これまでどのような研究がされてきたかまとめていきたいと思う。
　研究初期の段階では、まず大嶽秀夫の『再軍備とナショナリズム―保守、リベラル、社会民主主義者の防衛観』(1988年、中央公論社)が挙げられる。この本は、1950年代前半..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[書評『日米同盟の絆』]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 01:36:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/19107/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/19107/thmb.jpg?s=s&r=1202056576&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
1951年に締結された日米安全保障条約と60年の安保改定については、これまでに様々な視点から論じられてきた。当初は、主として60年の岸内閣における安保改定に焦点をあて、国会審議と抗議運動とを軸にして、議論される傾向が強かった([340]<br />『日米同盟の絆　―安保条約と相互性の模索―』
１．はじめに
1951年に締結された日米安全保障条約と60年の安保改定については、これまでに様々な視点から論じられてきた。当初は、主として60年の岸内閣における安保改定に焦点をあて、国会審議と抗議運動とを軸にして、議論される傾向が強かった(1)。
近年、このテーマをめぐる論じ方は多様化しつつあり、安保条約の機能を安全保障・防衛対策の視点から議論する傾向が強まったことが挙げられる(2)。同時に、安保条約締結と改定をめぐる交渉に焦点をあて、日米間の合意形成過程と合意内容を対象とする実証的な考察が深まってきた。こうした研究動向に伴い、日米関係を｢同盟｣と表現し、認識することも近年ほぼ定着したといえる(3)。
ところが、日米関係を｢同盟｣と把握すること自体は、安保条約の締結または改定当時からあった訳ではない。日米関係を日本側から｢同盟｣と表現することについては、ある種の消極性が見られたことも事実であった。そうした経緯を踏まえた上で、冷戦終結以降にむしろ顕著となった｢日米同盟｣認識の定着を考えるとき、日米関係はいつ、どのようにして｢同盟｣を結成するに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベトナム戦争へのアメリカの介入]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hrkjt982]]></author>
			<category><![CDATA[hrkjt982の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Jan 2008 11:34:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/" target="_blank"><img src="/docs/983430036701@hc06/18119/thmb.jpg?s=s&r=1200537294&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦時代において、ベトナム情勢の展開で一方の主役になってしまったアメリカは、なぜベトナムにこれほどまでに大きな関心を集中したのだろうか。アメリカにとってベトナムという地域は、中南米などとは異なり直接の権益が存在する地域ではなかったはずである[360]<br />冷戦時代において、ベトナム情勢の展開で一方の主役になってしまったアメリカは、なぜベトナムにこれほどまでに大きな関心を集中したのだろうか。アメリカにとってベトナムという地域は、中南米などとは異なり直接の権益が存在する地域ではなかったはずである。アメリカのベトナム介入は「共産主義封じ込め」（ベトナムにアメリカが介入したのは、共産主義がインドシナ半島や東南アジアに拡大するのを抑止するため）という世界戦略の一環としてとらえられるようになってしまった。だが、このベトナム戦争を経験したことによりアメリカという大国が変容していくことができたのである。この戦争の背景には、アメリカ国内での反戦運動をはじめ、世界..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[占領政策の転換と主権回復]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 11 Jan 2008 18:20:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/17672/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/17672/thmb.jpg?s=s&r=1200043209&t=n" border="0"></a><br /><br />　本稿では、冷戦体制の激化という戦後の国際情勢の概要を押さえながら、それに伴うアメリカの占領政策の転換について確認していきたいと思う。
第二次世界大戦中、ともに連合国として戦ったアメリカとソ連は、1945(昭和20)年に国際平和維持のために[342]<br />　本稿では、冷戦体制の激化という戦後の国際情勢の概要を押さえながら、それに伴うアメリカの占領政策の転換について確認していきたいと思う。
第二次世界大戦中、ともに連合国として戦ったアメリカとソ連は、1945(昭和20)年に国際平和維持のために発足した国際連合においても、安全保障理事会の常任理事国として中心的役割を果たした。しかし、戦後国際秩序をめぐる両国の対立は、次第に深まり、アメリカを中心とする資本主義陣営(西側)とソ連を中心とする社会主義陣営(東側)の対立の、いわゆる｢冷たい戦争(冷戦)｣が国際情勢を左右するようになっていった。
　戦後のアジアでは、欧米諸国や日本の植民地支配下にあった諸民族..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/]]></link>
			<author><![CDATA[ by galileo]]></author>
			<category><![CDATA[galileoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Dec 2007 17:05:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963584129802@hc07/16352/" target="_blank"><img src="/docs/963584129802@hc07/16352/thmb.jpg?s=s&r=1198483550&t=n" border="0"></a><br /><br />中山茂著『科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀』
2006年、朝日新聞社、296頁。 
　本書は、半世紀にわたって、科学史家として日本とアメリカを行き来しながら活発な研究執筆活動を続けている著者が、日本とアメリカを互いの合わ[336]<br />中山茂著『科学技術の国際競争力--アメリカと日本　相克の半世紀』
2006年、朝日新聞社、296頁。 
　本書は、半世紀にわたって、科学史家として日本とアメリカを行き来しながら活発な研究執筆活動を続けている著者が、日本とアメリカを互いの合わせ鏡とし、さらに著者自身の経験を織り込みながら、自由闊達に執筆した戦後科学技術史である。 
　著者は、アメリカの大学史家・科学政策史家R・ガイガーの時代区分を借用して、第二次大戦後の科学技術を五つの時代に区分し特徴づけている。すなわち、第1期（1945～1957）非軍事化と冷戦、第2期（1957～1968）ポストスプートニクの未曾有の科学技術ブーム、第3期（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「現代の東アジアにおける日米安保体制成立の意味」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846101@hc05/10959/]]></link>
			<author><![CDATA[ by museomiitan9]]></author>
			<category><![CDATA[museomiitan9の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 20 Sep 2006 16:17:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846101@hc05/10959/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846101@hc05/10959/" target="_blank"><img src="/docs/983431846101@hc05/10959/thmb.jpg?s=s&r=1158736626&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの[344]<br />2006年度日本政治社会史レポート
「現代の東アジアにおける日米安保体制成立の意味」
参考文献
丸川哲史　『思考のフロンティア　　リージョナリズム』　岩波書店　2003年
岡崎久彦　『吉田茂とその時代』　PHP文庫　2003年
はじめに
現在の東アジアにおいて、日本と中華人民共和国(以下中国)・大韓民国(以下韓国)の間での靖国神社・歴史教科書の問題、日本と中国・韓国の間での領土問題、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)との間での「拉致」問題など、多くの政治的な外交問題が噴出しており、そのほとんどに日本は直接的に関与している。そしてこれらの問題は、教科書問題の一部を除いて、ほぼ全てが帝国主義時代の日本の侵略行為と、その後の現在まで続くといわれる東アジアの冷戦構造に起因するものである。よって、太平洋戦争の終戦によって日本が連合国軍によって占領されてから、1950年の朝鮮戦争の勃発と1952年にアメリカとの安全保障体制を成立にかけての占領政策の転換を分析することは、現在の東アジアの状況を紐解くうえで重要な意味をもつと思われる。
そこで、アメリカの対日占領政策によって日本が冷戦構造に組み..]]></description>

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			<title><![CDATA[冷戦後の各国における軍需産業統合]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/10128/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jul 2006 17:16:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/10128/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/10128/thmb.jpg?s=s&r=1154247405&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦時代の主役は、アメリカとソ連であった。その両者が、冷戦後どのような軌跡をたどって今日にいたるのかを見ていく。
ロシアの冷戦後の流れとしての特徴は、ソ連崩壊に伴う「資本主義化」と「非軍事化」の流れである。非軍事化は、軍事経済の縮小によって[358]<br />冷戦後の各国における軍需産業統合
　本稿は冷戦終結後の、各国の軍需産業の再編成の過程を比較し、その流れの中での日米の軍需部門における協力関係をみていくものである。
　
冷戦終結後のロシアの軍需産業
　冷戦時代の主役は、アメリカとソ連であった。その両者が、冷戦後どのような軌跡をたどって今日にいたるのかを見ていく。
ロシアの冷戦後の流れとしての特徴は、ソ連崩壊に伴う「資本主義化」と「非軍事化」の流れである。非軍事化は、軍事経済の縮小によって起こる。兵力の削減、武器生産の減少、軍事研究費の削減によるものである。冷戦後は、国家からの軍需産業への発注が減少し、それと同時に今まで受けてきた恩恵が取り払われた。具体的に言えば、武器生産のための資源の優先的配分、製品輸送などの交通システムの優先的使用権である。冷戦時代に受けてきたこのような、諸々の特権が取り払われたことで被る痛手は大きかった。軍需産業の変化は、ロシアが資本主義化へと向かうための、新しいシステム作りのための過程の中で起こった。今までの国家資本の投入の転換、つまり軍需から民需への転換といった、新システムつくりは資本主義化を意味し、受注と特権..]]></description>

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			<title><![CDATA[ 冷戦]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430247101@hc06/9121/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sorasora]]></author>
			<category><![CDATA[sorasoraの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 21 Jun 2006 23:22:11 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430247101@hc06/9121/" target="_blank"><img src="/docs/983430247101@hc06/9121/thmb.jpg?s=s&r=1150899731&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦の起因は、１つはアメリカとソ連を中心にした東西両陣営により、世界は分極化し、資本主義と社会主義という二つの異なるイデオロギーを信奉する米ソ両国を頂点とするブロックの対立であった。２つめは共産主義勢力の拡大に脅威を感じたアメリカのトルマー[360]<br />冷戦の起因は、１つはアメリカとソ連を中心にした東西両陣営により、世界は分極化し、資本主義と社会主義という二つの異なるイデオロギーを信奉する米ソ両国を頂点とするブロックの対立であった。２つめは共産主義勢力の拡大に脅威を感じたアメリカのトルマーンは共産主義の封じ込め政策を行ったことである。３つ目はソ連がヨーロッパとアジアで自らの安全保障を限定とされた勢力圏を作ろうとしたが、これにアメリカが過剰反応したことだ。いわゆる巻き返し政策だ。
世界を二分し、この二つの陣営の間は、経済的、人的、情報の交流が少なく、チャーチルは「鉄のカーテンがおろされている」と表現した。
冷戦はまずヨーロッパで展開された。この..]]></description>

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			<title><![CDATA[ドイツ分断のプロセス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by o3o3o3]]></author>
			<category><![CDATA[o3o3o3の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Oct 2005 13:41:21 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2486/" target="_blank"><img src="/docs/983432101701@hc05/2486/thmb.jpg?s=s&r=1129524081&t=n" border="0"></a><br /><br />始めに
「ベルリンの壁の崩壊」このニュースを初めて見たのは、私はまだ小学生の時であった。そのころはドイツという国は存在している程度しか知らなかったし、ましてや、過去に分断されていた事などの歴史を学んだのはそれから6年後の中学に入ってからで[354]<br />ドイツ分断のプロセス
始めに
「ベルリンの壁の崩壊」このニュースを初めて見たのは、私はまだ小学生の時であった。そのころはドイツという国は存在している程度しか知らなかったし、ましてや、過去に分断されていた事などの歴史を学んだのはそれから6年後の中学に入ってからであった。よって、ドイツ統一とは私の中で、比較的新しい歴史として存在している。今回私が取り上げたテーマはドイツの「統一」ではなく「分断」の部分である。統一の部分は過去に授業でも取り上げ、また実際にその歴史的瞬間にたちあったことからも大抵の知識は持っていると思う。しかし、統一の根本的な原因ともいえる分断という出来事に対しては、私は充分な知識を持っていない。この一連の出来事は米ソの冷戦と共に論じられてきたが、他の国はどのように関わったのだろか。そして、なぜドイツは分断の道をたどってしまったのか、その過程を国家間の関係を通して見ていきたいと思う。このレポートではドイツ分断までに行われた国家間の会談を中心にその背景に迫っていく。
第一章
　ヨーロッパにおいて、ファシズム打倒後にドイツを分割するという計画は、ドイツ軍がソ連を攻撃した1941年..]]></description>

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			<title><![CDATA[歴史としての冷戦]]></title>
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			<author><![CDATA[ by o3o3o3]]></author>
			<category><![CDATA[o3o3o3の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Oct 2005 13:34:39 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432101701@hc05/2485/" target="_blank"><img src="/docs/983432101701@hc05/2485/thmb.jpg?s=s&r=1129523679&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦とは、地政学上の争いだけでなく、突き詰めれば「人間が自らをどうとらえるか」という、哲学上の争いでもある。そしてそれは、社会制度や人間性の捉え方さえも含むイデオロギー上の対立によってさらに熾烈なものとなっていく。西側にとって、冷戦における[360]<br />歴史としての冷戦
冷戦とは、地政学上の争いだけでなく、突き詰めれば「人間が自らをどうとらえるか」という、哲学上の争いでもある。そしてそれは、社会制度や人間性の捉え方さえも含むイデオロギー上の対立によってさらに熾烈なものとなっていく。西側にとって、冷戦における勝利とはヤルタ協定の解釈に沿った状況を回復させることであった。つまり、西側はソビエトが中央ヨーロッパを勢力圏とするのを事実上認め、一方でソビエトに、アメリカの西ヨーロッパ、日本、韓国との結びつきを認めさせる事で是としていた。もちろん強硬派は、こうした取り決めでは不十分だと見ていたが、リベラル派は、冷戦を終結させるためには、現状維持を受け入れなければならないと考えていた。ソビエトにとっての勝利の定義は、NATOの解体を通じて西ヨーロッパを中立化すると共に、日本の中立化もはかり、さらには西ヨーロッパでのアメリカの政治的・軍事的プレゼンスをなくすことであった。また、資本主義に対する共産主義経済システムの優位を世界規模で達成することでもあった。この４５年間続いた冷戦が終結したのはミハイル・ゴルバチョフが1990年11月19日にパリでドイツ統..]]></description>

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			<title><![CDATA[『国際政治――恐怖と希望』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297701@hc05/2174/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bluebear]]></author>
			<category><![CDATA[bluebearの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 31 Jul 2005 22:24:03 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432297701@hc05/2174/" target="_blank"><img src="/docs/983432297701@hc05/2174/thmb.jpg?s=s&r=1122816243&t=n" border="0"></a><br /><br />本書は、１９６６年に執筆された国際政治に関する著作である。１９６０年代といえば主に、米ソ間の冷戦時代である。冷戦が終結した現在から見れば、本書はかなり時代的に古いものになるが、文章も比較的平易でわかりやすく、わずか２０４ページの文章でまとめ[360]<br />国際政治学レポート
『国際政治――恐怖と希望』高坂正尭・著　について
　本書は、１９６６年に執筆された国際政治に関する著作である。１９６０年代といえば主に、米ソ間の冷戦時代である。冷戦が終結した現在から見れば、本書はかなり時代的に古いものになるが、文章も比較的平易でわかりやすく、わずか２０４ページの文章でまとめられており、国際政治の入門書として今もなお出版され続け、長く親しまれている作品である。
　著者は京都大学で国際政治学を専攻し、その後も京都大学教授として研究活動を続け、数々の国際政治に関する著作を残した高坂正尭である。その中でも名著である本書は、彼が３２歳という若さで書き上げたものである。当時彼の目を通して描かれた国際政治のあり方とはいかなるものだったのか、そしてそれは、現在の我々にどのような意義をもたらしてくれるのだろうか。以下に本書についての紹介とともに、私の批評をくわえたい。
　まず、全体的な本書の構成であるが、平和についての考察が五章にまとめられている。はじめに序章で、問題を考察する上で前提となる国際政治についての視点を明らかにし、続く一、二、三章で、軍備、経済交流、国際..]]></description>

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			<title><![CDATA[独占資本主義論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197901@hc05/1263/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yosiboo]]></author>
			<category><![CDATA[yosibooの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 21 Jul 2005 15:13:26 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432197901@hc05/1263/" target="_blank"><img src="/docs/983432197901@hc05/1263/thmb.jpg?s=s&r=1121926406&t=n" border="0"></a><br /><br />現代社会には、帝国主義的傾向が見られる。
　帝国主義の経済的本質は独占資本主義であり、帝国主義の指標が独占資本主義を特徴づける指標である。
現代社会は、巨大独占資本（財閥）が支配する帝国主義の段階に到達した時代である。帝国主義とは、独占[352]<br />現代社会には、帝国主義的傾向が見られる。
　帝国主義の経済的本質は独占資本主義であり、帝国主義の指標が独占資本主義を特徴づける指標である。
現代社会は、巨大独占資本（財閥）が支配する帝国主義の段階に到達した時代である。帝国主義とは、独占資本（財閥）プラス植民地支配と他民族の収奪である。これは資本主義の行き詰まった段階で、あらゆる矛盾が爆発する時代である。それを定式化すれば、現代社会は「独占と財閥の支配する帝国主義の時代であり、最大限の利潤追求をめざす生産第一主義、物質万能主義と拝金主義、自由競争という名の弱肉強食、精神の荒廃と人間性喪失の時代」である。
19世紀の終盤から20世紀　前半の帝国主義が世界を覆っていた時代、すなわち軍事力によって他の国を植民地化し、そこで得られる経済的な価値すなわち安い労働力や天然資源を獲得することで、帝国主義諸国が経済的な利益にありつける時代には、軍事力は国家の利益を確保する上で不可欠のものと考えられていた。植民地を軍事力で威圧することで天然資源や労働力を極力安く手に入れるというのが、帝国主義の利点であったわけだ。経済的な利益があるからこそ軍事力が必要であ..]]></description>

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