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		<title>タグ“仏教”の公開資料</title>
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		<description>タグ“仏教”の公開資料</description>
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		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[アショーカ王について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431079801@hc06/73040/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rkcpp554]]></author>
			<category><![CDATA[rkcpp554の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 01 Nov 2010 17:10:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431079801@hc06/73040/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431079801@hc06/73040/" target="_blank"><img src="/docs/983431079801@hc06/73040/thmb.jpg?s=s&r=1288599041&t=n" border="0"></a><br /><br />仏教改宗以前のアショーカ王
　アショーカ王の生涯を知るためには、王が磨崖や石柱に刻ませた法勅が最も重要な史料であるが、内容がとても限られている。したがって、宗教文献に伝えられるアショーカ王の伝説に頼らざるをえないのである。ヒンドゥー教やジャイナ教の文献の大部分は王の名前を載せる程度であり、あまり役に立たない。これに対して仏教徒は、アショーカ王を護法の英主として称えて、王にまつわる数多くの伝説を伝えてきた。現存するアショーカ王伝説は、『阿育王伝』、『阿育王経』に代表される北方伝承と、パーリ語で書かれたスリランカの史書『島史』、『大史』などに収められた南方伝承の2つに大きく分けられている。
　アショーカ王は、ビンドゥサーラ王の多数の王子のうちの１人として生まれた。北方伝承によると、アショーカ王の母はガンジス川下流の都市チャンパーのバラモン家の娘であったという。この母と王との間に、やがてもう1人ヴィータショーカという名の王子が生まれた。アショーカ王とは、サンスクリット語で「憂いのない者」、ヴィータショーカとは「憂いの除かれた者」という意味なのである。両王子が生まれたときに母には憂いがなかった..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史2]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79168/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lampway]]></author>
			<category><![CDATA[lampwayの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Feb 2011 18:12:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79168/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79168/" target="_blank"><img src="/docs/958457868540@hc09/79168/thmb.jpg?s=s&r=1297761147&t=n" border="0"></a><br /><br />『平安時代後期仏教の特質を論ぜよ。』
南都六宗と新京の二宗
　平安時代の仏教は、南都六宗に対して創始されていった仏教の宗派である、二宗派が中心である。その一つは最澄が開いた天台宗で、もう一つは空海が開いた真言宗である。そして、これらとともに12世紀頃、良忍が天台宗の教えから独立して、大念佛寺を総本山として開いた融通念仏宗である。
　そもそも、当時は古京の六宗とも言われる南都六宗が、国家と強い結びつきを持ち、且つ腐敗が進んでいた。当時の桓武天皇は、平城京からの長岡京への遷都を考えていたが、これも南都六宗の影響力を抑えるためということも含まれていると考えられる。
　本来、遷都する際は、諸大寺もそろって都に移るのが通例であるが、桓武天皇が行った遷都の際は、南都六宗の諸大寺は移転せず、政治の中心からも隔絶された。また、新都には新しく羅城門の東西に東寺と西寺を設け、この両寺が都を鎮護するものだと考えられた。
　つまり桓武天皇は、奈良仏教を完全につぶそうとしたわけではないが、影響力を最小限に抑え、ともすれば新たな宗派の登場を期待したと考えられる。
最澄と空海の登場
　新しい仏教として登場してきたの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79167/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lampway]]></author>
			<category><![CDATA[lampwayの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Feb 2011 18:12:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79167/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958457868540@hc09/79167/" target="_blank"><img src="/docs/958457868540@hc09/79167/thmb.jpg?s=s&r=1297761146&t=n" border="0"></a><br /><br />『奈良時代の仏教の特質を論ぜよ。』
鎮護国家の思想と聖武天皇の政策
　奈良時代の仏教は、飛鳥時代の聖徳太子によって基礎が確立されたのを受け、その後の諸大寺の建立と留学僧の帰国により諸宗が伝えられ、躍進的な発展を遂げた。特に諸国に国分寺や国分尼寺を建立しようとしたことや、廬舎那仏、つまり東大寺にある大仏を建造しようとしたことは、鎮護国家思想によるものである。
　鎮護国家思想とは、仏教の力を借りることで国を護ろうとするものである。具体的には、諸国に国分寺や国分尼寺を建立し、僧寺には二十僧、尼寺には十尼を配置した。また、国分寺には『法華経』や『金光明経』などの経典を十部おき、これとは別に金字の『金光明経』の写しを一部、塔ごとに納めた。諸国に国分寺や国分尼寺を置いたのは、地方政治を行うために国府が置かれたのと同様に、諸国の精神的な意味での支えが必要であったからである。すなわち、国家に全国を統治する中央政府が存在するように、国分寺にも中央を表す寺が存在し、それが奈良の東大寺である。そして、国分尼寺のこれに当たるのが法華寺である。
　これとともに鎮護国家を打ち立てるためのもう一つの一大事業が、前述..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史 法然と明恵――鎌倉仏教における念仏思想について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953705240614@hc11/78923/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ceremonial2006]]></author>
			<category><![CDATA[ceremonial2006の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 21:09:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953705240614@hc11/78923/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953705240614@hc11/78923/" target="_blank"><img src="/docs/953705240614@hc11/78923/thmb.jpg?s=s&r=1297339765&t=n" border="0"></a><br /><br />日本仏教史　法然と明恵――鎌倉仏教における念仏思想について
　日本における仏教の歴史は、鎌倉時代に転換点を迎える。末法思想や浄土思想、本覚思想の発展とそれらに対する批判を経て、鎌倉期の仏教は多様な展開を見せた。
　鎌倉仏教思想には大きな特徴として、現実肯定的であることと戒律や修行を不要なものとする傾向がある。本覚思想の発展から、万人に本来的に仏性が宿っており、現実の状況はそのまま悟りの現れであって、わざわざ戒律を守り修行を実践する必要はないと考えられたためである。しかし修行と、それによって得られる悟りを重視した旧来の仏教側からは反発を受け、反動として戒律や修行の復権が叫ばれたり、現状に合わせて実践法を改革したりという動きも現れた。そういった流れの中で、鎌倉期には多くの新宗派が現れている。それら新仏教は外部から旧来の仏教を批判する立場を担った。一方で旧仏教側も、教団の内部で様々な改革に踏み切り発展を見せている。このレポートでは、念仏こそ正定業と考え専修念仏を徹底した新仏教の旗手、法然房源空と、その法然の念仏思想を厳しく批判した旧仏教側の明恵上人高弁の生涯を追い、念仏思想の発展とその問題点..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本の思想と文化～日本思想と仏教について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78507/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YKK]]></author>
			<category><![CDATA[YKKの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Feb 2011 00:28:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78507/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953907108190@hc11/78507/" target="_blank"><img src="/docs/953907108190@hc11/78507/thmb.jpg?s=s&r=1296574120&t=n" border="0"></a><br /><br />日本は仏教国であるというと、いろいろな面で宗教性のうすれた現代の日本人のなかには、必ずしも納得がいかない、という感覚をもつ向きもあると思う。しかし、歴史的には日本は、はっきりと中国・朝鮮半島、あるいはチベット、モンゴル、さらにベトナムを含めた、アジアの大乗仏教圏に属している。古代の後期から中世に至る日本の思想や文芸の歴史は、濃厚な仏教の色彩のなかで展開してきた。儒教が盛んになる近世までの、千年近くの日本の思想史は、仏法をめぐる思索、仏教の影響を深くのこす文芸などに表現された宗教思想史であり、論理思想史であった。
なお、日本の仏教の受容も中国文化・漢字を通してであり、その漢字を通じての仏教の思想的受容は、儒学の受容とほぼ重なかたちで進んだ。儒学も支配層の教養として重要な意味をもったが、仏教の受容が日本の思想、民衆の精神生活に与えた影響は計り知れないものがある。神話等に表現された体系的ではない神道の宗教性と比べれば、体系性をもち哲学的言語で表現する仏教の受容は、より大きな意味を持つ出来事だった。明治以後の日本思想史研究のなかでは、仏教でははじめて日本の哲学的思想の歴史ははじまるとみる見方さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史　第2設題　A判定レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955297788195@hc10/78454/]]></link>
			<author><![CDATA[ by collaborate]]></author>
			<category><![CDATA[collaborateの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 18:58:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955297788195@hc10/78454/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955297788195@hc10/78454/" target="_blank"><img src="/docs/955297788195@hc10/78454/thmb.jpg?s=s&r=1296554288&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。
(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />平安時代後期仏教の特質を論ぜよ。
　平安時代後期の仏教の特質は、①政治からのかい離、②実践修行の重視、③民間信仰への移行があげられる。本稿では、以上の点に留意しながら、平安時代から鎌倉時代にかけての仏教の変遷を追う。
　
　一章　奈良仏教からの発展
　平安仏教は、現在の宗派仏教の始まりといえるが、その基礎を築いたのが、最澄（七六七～八二二）である。最澄の主張は、奈良仏教への反省・批判が出発点となっている。その批判は、
　①理論中心で実践がなく、形式化されている。
　②国家権力と結びついている。
　③成仏できる者とできない者とがいる。
というものであった。
　奈良仏教は、南都六宗による鎮護国家のための教義研究中心であり、そのため朝廷と学問僧との癒着が仏教の形骸化を生む。最澄の思想は、一乗思想に基づいており、そこでは、「一切衆生悉有仏性」（『法華経』）であるため、すべての人が仏性を持ち、成仏できるという思想である。法相宗の徳一との三乗一乗論争(弘仁八年(八一七年))にあるように、限られたもののみが成仏できる三乗思想とは相反する思想であった。
　一方、同時代に高野山に真言宗を開いたのが、空海..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[李氏朝鮮の美術史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/]]></link>
			<author><![CDATA[ by YAH！！]]></author>
			<category><![CDATA[YAH！！の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Feb 2011 00:03:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953839146930@hc11/78404/" target="_blank"><img src="/docs/953839146930@hc11/78404/thmb.jpg?s=s&r=1296486221&t=n" border="0"></a><br /><br />１、絵画
仏教絵画
・仏像を祀る殿閣の壁に描かれる荘厳用&rArr;壁画
・本尊の後壁に奉安する礼拝用&rArr;後仏幀画
・法会を野外で行うときに本尊の代わりに高く掲げる&rArr;掛仏画
・仏教の肖像&rArr;幀画
・高僧の肖像&rArr;影幀
・経典の内容を圧縮・描写&rArr;経変相図や写経変相図
高麗時代後期
&rArr;浄土宗が貴族・豪族の間で大きく信奉される
&rarr;感無量寿経変相図が含まれた阿弥陀系仏画が主流となる
代表作：阿弥陀如来立像、阿弥陀如来坐像、楊柳観音菩薩半跏像
特徴&rArr;朱と緑を基調、金泥の丸文、掌に千輻輪文&rarr;華厳思想に基づいた超人的な身体が特徴である
朝鮮時代（文禄の役以後）
&rArr;仏教文化の新しい復興期
&rarr;多くの寺院が復元、改修
＝多くの仏..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本史概論１　律令国家＆中世文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78286/]]></link>
			<author><![CDATA[ by takatakatakataka]]></author>
			<category><![CDATA[takatakatakatakaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jan 2011 01:24:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78286/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956245538842@hc10/78286/" target="_blank"><img src="/docs/956245538842@hc10/78286/thmb.jpg?s=s&r=1296318296&t=n" border="0"></a><br /><br />一　大宝律令以後の律令制では、国家が土地を支配し熟田を管理したる。班田収受制によって六歳以上の男女に口分田が与えられた。律令施行後まもなく口分田は不足し、三世一身の法の後、墾田永年私財法が七四三年に成立し、墾田の永年私用を認めることとなった。これは土地の私有制度のようにみえるが、豪族・農民の開墾意欲を刺激して耕地の拡大をはかり、口分田と墾田の全体を国家が把握するという目的があった。
しかし平安時代に入るころから、造籍・班田はしだいに実施困難となる。課役逃れがその大きな要因で、戸籍に記されない浮浪人も増えた。没落した農民は在地有力者のもとに労働者として吸収され、階層分化がすすむ。国家側も公栄田や官田の設営など、在地有力者である「力田の輩」に経営をゆだね、その収益を行政諸費用にあてる政策をうちだし、中央財政の悪化に対応しようとした。
　その後、中央においては、畿内官田は中央諸官司に分割され諸司田化する。律令制本来の画一的な租税分配における中央集権的財政機構が解体し、重要諸官司ごとの経済基盤がつくられていく。天皇家でも大規模な勅旨田の設定、親王・内親王への賜田などで私的所領を広げ、これらは後..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『民俗宗教史を学ぶ人のために』第二章「カミとホトケ―八幡・天神・稲荷」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77960/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ねこぱんつ]]></author>
			<category><![CDATA[ねこぱんつの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 17:44:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77960/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955342918529@hc10/77960/" target="_blank"><img src="/docs/955342918529@hc10/77960/thmb.jpg?s=s&r=1295858668&t=n" border="0"></a><br /><br />『民俗宗教史を学ぶ人のために』第二章「カミとホトケ―八幡・天神・稲荷」を読んでの批評です。宗教学・民俗学の内容も含んでおり、かなり充実した内容だと思います。[234]<br />『カミとホトケ―八幡・天神・稲荷』における考察と解釈 
本課題では、『民俗宗教史を学ぶ人のために』第二章「カミとホトケ―八幡・天神・稲荷」
において、生じた疑問点や解釈を本文の流れに沿って論じてゆくことにしたい。 
1. 内容主旨 
(1)民俗宗教の歴史 
まず民俗宗教史の見通しとして、中世における民俗宗教は顕密体制によって包摂されて
いるような状態であり、後期には弱まった顕密勢力の中から新しく神道や修験道が自立し
たが、近世になると幕藩体制による宗教支配が行われ、それによって諸宗教者の身分が分
化されていった。しかしそのときに分化せずに唯一居残ったもの、すなわち民俗宗教はの
ち近代に入って国家神道政策によって廃絶される危機に陥り、それら民俗宗教の担い手で
ある社僧や修験者らは従来の身分を失い、衰微していった。そして現代の我々はこういっ
た民俗宗教史を振り返るときに「習合」という用語を無意識に念頭に置いてしまっている。 
「習合」とは、中世の顕密仏教に内包される形の神道の考えに対して批判を展開した吉
田兼倶によって初めて語られる。兼倶は元本宗源神道(唯一神道)を唱え、神道を中心にして
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[山折哲雄『悪と日本人』まとめ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75863/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 Nov 2010 16:06:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75863/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75863/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/75863/thmb.jpg?s=s&r=1290928001&t=n" border="0"></a><br /><br />悪と日本人 山折哲雄 菊池寛
『恩讐の彼方に』『ある抗議書』
折口は民俗学を「心意伝承」「周期伝承」「造形伝承」の三つの分野に区分。周期伝承というのはたとえば年中行事を指し、造形伝承はかまど・門・刀など造形された民族構築物や民具をいう。そして三分野のうちで彼がもっとも重視したのが心意伝承。なぜなら周期伝承や造形伝承は変化し、衰滅する性格をその内にもっているのに対し、心意伝承は人々の心の中に残存し、社会や制度の内部にも目に見えない影響の爪あとを残しているものだから。
仏教は、歴史がわれわれに示す唯一の「現実主義的」な宗教である。仏教は「罪をなくせ」とはもはや主張しない。現実に認めるべきものを認め、「苦をなくせ」と主張する。仏教はすでに、精神的な概念の自己欺瞞を脱却している。そしてここにこそ仏教とキリスト教の根本的な区別がある。仏教は「善悪の彼岸」にあるのだ。
ここで彼が「善悪の彼岸」と言っているところに注目しよう。いっさいの煩悩の滅却を究極の目標として、善悪の境界を乗り越えようとするところに、仏教の「無神論」的性格が露になる。善悪の境界を乗り越えることによって、善の有効性を否定し、悪と罪..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[エッセイ読書ノート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75848/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 Nov 2010 16:02:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75848/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/75848/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/75848/thmb.jpg?s=s&r=1290927726&t=n" border="0"></a><br /><br />記憶する力　忘れない力 2010年5月23日 立川談四楼 ポイントを絞ることが覚えるためには必要。忘れてはいけないところ、忘れそうなところをいかに見分けるか。講釈師にとっては、それが年号であり、人名なのです。ポイント・肝を意識することが大切。
半島へ、ふたたび 蓮池薫 北朝鮮は、憲法で信教の自由をうたっているものの、実際は神や宗教など、観念的なものを一切受け入れない唯物論の国だ。僕が拉致されて暮らし始めたころ、人々は、自分たちの思想、自分たちの力だけを信じて生きているように見えた。しかし、９０年代に入って、旧ソ連をはじめとする社会主義国家が崩壊し、いろいろな面で国民の生活が苦しくなると、運勢を占ったり、縁起を担いだりする人が出始めた。もちろん、思想統制の厳しいくにだから、「人心を惑わす」占いなどは、ご法度だが、陰でこっそりと行われていたのだ。
何を根拠に ナンシー関 ときどき、不条理というか、「ヘンに見られること」だけを目的としているとしか思えない髪型をしている人がいる。その人たちは「人間キチンとしていると思われたらおしまいだ」みたいな気持ちがあるはずだ。キチンとした人間と見られた途端、面倒なことをたくさん背負わなければならなくなる。そうならないためにヘンな髪型をするのだ。「あの人ヘンな髪型。変わりモノよきっと」と陰口をたたかれるリスクと引き換えに、「キチンとした人間」の足かせを返上するのである。
そういった意味の髪型と、お坊さんの坊主頭は意味が違うのであるが、キチンとした人間性を捨てることと仏門に入ることは似ていることのような気もする。俗世を離れるという意味で、ある。お坊さんに怒られっか、んなこと言ってると。
世の中にはいろいろなものごとがあり、そしてそれが複数の人間の目に触れるものであればそこには必ず「評判」というものが発生する。たとえば自分しか見ない日記には「評判」は発生しないとしても、昨日の夕飯のおかずについてはたとえ３人家族であったとしてもその家族内において「評判」は発生するのである。そこを考えれば、あらゆる物事のほとんどに「評判」はあると言える。
そしてまた今の世の中、実態を知らなくても、いろんなところで見聞きした「評判」で、その物事をわかったつもりになっていることの何と多いことか。しかし、「評判」を判断の材料とすることは間違いではない。そこで必要に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　日本文学史　設題１（Ｃ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 27 Nov 2010 15:16:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/75610/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/75610/thmb.jpg?s=s&r=1290838592&t=n" border="0"></a><br /><br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。〈古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉[321]<br />『上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。〈古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉』
上代、大和朝廷は大陸の随朝や唐朝から学び、政権を強力な中央集権国家へ発展させた。上代とは大和（奈良県）を中心にした国土統一から、桓武天皇による平安京遷都までをさす。この頃、日本は国家体制のみならず、漢字や仏教といった文化面でも大いに影響を受けた。漢字によって国語表記が自由になり、それまで口誦歌謡や語りに頼ってきた文化的所産の伝達・保存を、文字による記載文学へと大きく変化させた。創作が集団的なものから個人に可能なものとなったのである。
そうした中で、和銅五年（七一二）に成立したのが、『古事記』である。語り部である稗田阿礼が『帝紀』や『本辞』を語り、太安万侶が筆録して完成した。漢字の音訓を交ぜた変体漢文等で書かれている。聖徳太子や蘇我馬子が記したとされる『天皇記』『国記』が現存しない今、『古事記』が日本最古の書とされる。上中下の三巻で成り、天地開闢以来の神話から、推古天皇ま..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[日本文学史Ⅰ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957726358879@hc09/75276/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mori4412]]></author>
			<category><![CDATA[mori4412の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 24 Nov 2010 12:15:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957726358879@hc09/75276/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957726358879@hc09/75276/" target="_blank"><img src="/docs/957726358879@hc09/75276/thmb.jpg?s=s&r=1290568544&t=n" border="0"></a><br /><br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。

上代の文学
上代の文学の特徴は、大陸からもたらされた漢字と、漢字を表音文字的に利用した、「万葉仮名」が用いられるように[348]<br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
上代の文学
上代の文学の特徴は、大陸からもたらされた漢字と、漢字を表音文字的に利用した、「万葉仮名」が用いられるようになったことであり、文字を持たなかった日本民族が、その文化的所産を、口から口へと伝えていく口誦や語りに頼らなければならなかった状態から、文字による伝達・保存が可能な状態へと大きく変化した時代である。
上代で、口承文学の面影をよく伝えている作品に「古事記」がある。文学史上残っている最古の文学的文献であり、語り部（神話・伝承を記憶し語り伝える職業の者）稗田阿礼が語るものを、太安万侶（？～七二三）が筆録した史書である。和銅5年（七一二）に成立し、上・中・下の三巻から成る。上巻には、編纂の由来を書いた序文と、天地開闢以来の神話とが収められている。ここでは、天照大御神が天の岩戸にこもった事件を描く天の岩戸神話や、その原因ともなった乱暴物の弟、須佐之男命の大蛇退治の話、大国主神の出雲神話などがよく知られている。中・下巻は、神武天皇から推古天皇まで、天皇を中心とする人の世の..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[佛教大学　仏教文学概論　設題２（Ａ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74953/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 18:14:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74953/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74953/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/74953/thmb.jpg?s=s&r=1290417285&t=n" border="0"></a><br /><br />『三国伝記』巻十二第三「恵心院源信僧都事」における唱導文学的特徴について述べよ。[120]<br />『三国伝記』巻十二第三「恵心院源信僧都事」における唱導文学的特徴について述べよ。
『三国伝記』は室町中期、沙弥玄棟の撰によるもので十二巻三百六十話からなる説話集である。天竺（インド）・震旦（中国）・本朝（日本）三国の仏教説話を主体に、当代の現実も混じえ、絢爛たる文体で語られる。
天竺の僧・梵語坊と大明の俗漢字郎、本朝の遁世僧・和阿弥という三人が丁亥年の八月十七日夜に東山の清水寺に参会し、月が出るまでの間の余興に物語を語り合ったという体裁をとる。
　これの巻十二第三にある「恵心院源信僧都事」という説話は、源信について語る「説草」に拠ったものと考えられる。説草とは、説話集の形にはまだ至らない、説話を単体として記録したもので、「説草」あるいは「小さな説話本」と称される。その形態から見て、僧侶が懐中して説経の場に持ち込んだものであろう。
「まことに説経僧の手控えこそが実は説話文学を生む有力な地盤であった。そういう手控えが更に修正され、大成されると説話文学集を産んできたわけである」（『室町文学の世界　面白の花の都や』p.48、岡見正雄、岩波書店、平成八年）
　この説話集と唱導の関係が、まさにその..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[佛教大学　漢文購読　設題１（Ａ判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74948/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyokatt_912]]></author>
			<category><![CDATA[kyokatt_912の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Nov 2010 18:14:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74948/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957236580345@hc09/74948/" target="_blank"><img src="/docs/957236580345@hc09/74948/thmb.jpg?s=s&r=1290417282&t=n" border="0"></a><br /><br />王維の作品を読んで疑問点を一つ取り上げ、それに対する自分の考えを述べよ。[108]<br />『王維の作品を読んで疑問点を一つ取り上げ、それに対する自分の考えを述べよ。』
　王維の『王右丞集』にて「偶然作」とする五言律詩のうち、「其六」にある作品に注目する。
それは「老来懶賦詩　惟有老相随　宿世謬詞客　前進応画師　不能捨余習　偶被世人知　名字本皆是　此心還不知」である。王維は、自分の選んだ詩作という道は余技であって自分に適しておらず、前世は画家になるべきだった、また本筋としては、仏道修行に入るべきだったと「偶然作」で詠じている。そこまで言うなら、なぜ王維は仏道修行に入らなかったのだろうか。
　王維と仏教の関係は、まずその字に見ることができる。母の崔氏は、大照禅師普寂に師事した敬虔な仏教徒だった。その影響を強く受けたためか、後に自らを摩詰と字した。名と字を続けると「維摩詰」となり、仏典『維摩経』の主人公である居士の名となる。
仏教への篤信は、王維が道友の胡居士に寄せた詩にも見ることができる。
「了観四大因　根性何所有　妄計苟不生　是身孰休咎」（『胡居士臥病遺米因※（貝扁に會）』）
この頃の詩に「帰嵩山作」がある。王維は一時期、禅宗の開祖とされる達磨の面壁九年の故事で知られる嵩山に..]]></description>

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			<title><![CDATA[詩の移行～戦前、戦後、女性～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/74302/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Nov 2010 21:31:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/74302/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/74302/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/74302/thmb.jpg?s=s&r=1289651491&t=n" border="0"></a><br /><br />詩の移行～戦前、戦後、女性～
吉行理恵、高橋新吉、大手拓次の三者の詩を考察するものである。
吉行理恵の「もう だれもいないのに」を読んで
この詩の光景は昔見た覚えがある。母方の親戚に福島の方がいて、昔そこの農家に泊まりに行ったとき、ちょうどこんな景色ではなかったか。当時の私は福島の親戚のおばあちゃんと、その家で飼われていた柴犬と一緒に散歩をしていた。そのときはちょうど嵐の前のような天気で、（雑草ではないが）畑のまだ青々しい稲穂が強めの風に波打っていた。空は灰色の雲に覆われうす暗く、曇天という言葉がしっくりくるような空だ。空気は重く、生あったかい、それでいて私に強くたたきつけるように吹きかかってくる。時間は昼の2時くらいだっただろうか、もっと夕方に近かったかもしれない。大通りなのに人が少なく、前に漫画でみた「世界が終ろうとする直前の風景」に似ていて、どことなく不安な気持ちにさせた。
この詩を読んだときに、「ここまで記憶が鮮明に蘇るものか」と驚いた。しかしながら、この詩の「湯呑み茶わんは独楽のように消えてゆき」や「ひそかに響をあげて畑一面に雑草は靡いていました」などの件は、たしかにその情景..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本史概説　分冊１　日大通信　合格]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959269842037@hc09/70879/]]></link>
			<author><![CDATA[ by acidblack]]></author>
			<category><![CDATA[acidblackの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 22:22:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959269842037@hc09/70879/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959269842037@hc09/70879/" target="_blank"><img src="/docs/959269842037@hc09/70879/thmb.jpg?s=s&r=1283260971&t=n" border="0"></a><br /><br />※参考資料としてお使いください。[48]<br />律令国家から王朝国家体制への転換について述べる。律令国家は積極的に蝦夷支配をすすめ、多くの城柵が東北地方各地におかれた。支配に服した蝦夷の一部は俘囚として内地に送られ、逆に東国を中心とする内地の民が柵戸として移住させられ開墾にあたった。城柵では蝦夷に対する饗給も行われ、帰順をすすめた。こうした中央勢力との接触で蝦夷社会では急速な農耕化と階層分化がすすめ、内部には政治的支配層が生まれつつあった。蝦夷社会の支配をめぐり、成長しつつある在地勢力と中央勢力が正面衝突することとなった。唐が衰退し新羅との緊張がゆるむという国際関係の変化も、蝦夷に大規模な軍事力をふりむけることを可能にした。征夷軍は首長阿弓流為の軍に大敗するが、その後、坂之上田村麻呂が登用され、ようやく延暦二十一年、蝦夷社会の中心地である北上川中流域に胆沢城を築き、氾濫はほぼ鎮圧された。藤原緒嗣の進言によって、以後の征討は中止され、蝦夷の内民化がすすんだ。次に蔵人所の成立について述べる。八百十年、上皇が平城遷都をくわだてるにいたって、嵯峨は上皇側近の藤原仲成・薬子の兄弟を討ち、平城上皇は出家して皇権の分裂は解消された。以後、公的には..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[印度哲学概論２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955567768837@hc10/70756/]]></link>
			<author><![CDATA[ by おぐらあん]]></author>
			<category><![CDATA[おぐらあんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 15:57:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/955567768837@hc10/70756/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/955567768837@hc10/70756/" target="_blank"><img src="/docs/955567768837@hc10/70756/thmb.jpg?s=s&r=1282892252&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学、印度哲学概論、第ニ設題、A判定レポート[70]<br />佛教大学、R0514印度哲学概論、第2設題
「転変説、積集説、延期説について。」
A判定レポート
　参考書の四、破邪から七、十二門論を中心に、教科書の12章、14章、15章を中心に勉強しました。
転変説（Parinama-Vada）
　因と果に関する説であり、転変説と仮現説がある。転変説は、サーンキャ派により主張された。転変説とは、ある結果が生ずるとき、原因の結果への事実上の変化があるとされる。つまり、結果はすべて原因の中に潜在的に存在しており、結果の発生とは、それが開展により現れ出てくることである。すなわち、結果は、それが生じる前に、すでに資料因果の中に何らかの形で予定されたものとしてあるという。その根拠は以下の6つによっている。
　１．果が、資料因果の中に存在しないのであれば、作者のいかなる努力も果を存在へともたらすことができない。つまり、ある果が資料因から生ずる場合、果は何らかの形で因の中に前もって存在していて、ある定まった状況によって出現する、という。
　２．資料因とそれがもたらす果の間には普遍の関係がある。果は、因果的に関係する資料因からによってのみ、生じ得るのである。つまり..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[法然の思想と生涯]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/68227/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tantakatan]]></author>
			<category><![CDATA[tantakatanの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Jun 2010 00:33:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/68227/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/68227/" target="_blank"><img src="/docs/957857365916@hc09/68227/thmb.jpg?s=s&r=1275492829&t=n" border="0"></a><br /><br />法然の思想と生涯

法然上人は１１３３年(長承２年）４月７日、美作の国久米南条の稲岡庄（現在の岡山県久米郡久米南町）で、久米郡の押領使漆間時国と、美作の名族秦氏の出自である母との間に生まれた。 
　保延６年、（１１４１）春、法然９歳のとき、[350]<br />法然上人は１１３３年(長承２年）４月７日、美作の国久米南条の稲岡庄（現在の岡山県久米郡久米南町）で、久米郡の押領使漆間時国と、美作の名族秦氏の出自である母との間に生まれた。 
　保延６年、（１１４１）春、法然９歳のとき、父漆間時国が、稲岡庄の預所、凡夫明石源内定明の夜襲にあい、逝去してしまう。漆間時国と明石定明との確執は、私的な感情のもつれによるものとも考えられるが、この頃の時代背景から考えると、荘園拡大をめぐる在地勢力と領主勢力との衝突によるものとも考えられる。
天養２年（１１４５）法然は、１３歳で京都に向かった。そして、比叡山での最初の師となる、北谷の地法房（持宝房）源光の許についた。その２年後、久安３年（１１４７）、比叡山での出世が師匠の地位・勢力に依存していたため、源光が配慮して、東塔功徳院(とうとうくどくいん)に住む学僧の阿闍梨皇円(あじゃりこうえん)の室に移り、キリスト教の洗礼にあたる天台宗の儀式であった円戒頓という戒を受けた(円戒頓は最澄が奔走して、比叡山に設けた大乗戒のことで、戒を受けたことは、形式上からも、また精神的にも僧となったことを意味している)
やがて法然は比叡..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[キリシタン資料から見る室町時代の国語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66884/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 19:25:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66884/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66884/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/66884/thmb.jpg?s=s&r=1273573523&t=n" border="0"></a><br /><br />国語学演習で扱った資料です。[42]<br />室町時代の国語研究をする上で見逃せないのが、我が国に進出したイエズス会の西洋人の手による日本語の学術研究の結果、独特の内容を持ったキリシタン文献を多数残したことである。
　信徒の日本人向け日本語版には、カトリック教の重要な概念を示す語に対して、原語であるラテン語・ポルトガル語などをそのまま用いたものもあるが、翻訳によって日本語表現が拡大されていった。
　外国人宣教師が習得すべき日本語の基本的な二面性には、日本人信者の告白を一通り理解するために必要な通常の話し言葉を知ることと、説教や普及活動の展開に必要な日本語を巧みに操る方法があった。これらの基本理念に基づき、話し言葉のテキストとなる会話書・日本人が慣れ親しんだ古典の口語訳・西洋文学書の口語による翻訳作成・総合的研究の文典及び辞書を編集したのである。
　キリシタン資料である『コンテムツスムンヂ』には、ローマ字本と国字本がある。ローマ字本は原著の忠実な翻訳によるが、国字本は一般信者用に改編されたものであり、修道者や司祭向けの記述は削除されている。ローマ字本の訳文は漢語的で硬い印象を受けるが、国字本は洋語・仏教語を避けて表現は平易である。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[死生観と生活の中の宗教～その伝統的な形と近現代における変容～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by spoon]]></author>
			<category><![CDATA[spoonの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 12:11:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66869/" target="_blank"><img src="/docs/956085710987@hc10/66869/thmb.jpg?s=s&r=1273547510&t=n" border="0"></a><br /><br />死生観と生活の中の宗教
～その伝統的な形と近現代における変容～
　本論は「死生観と生活の中の宗教」をテーマとする。まず、中国人の死生観を伝統的なものから現代に至るまで整理する。次に、生活の中の宗教の例として、死生観・宗教観が強く反映されるであろう「墓・安葬方式」を取り上げ、その伝統的な形と近代・現代における変容を整理する。それらを日本の場合と比較しつつ、両者の共通点や特徴をみていく。
＜死生観―自然の影響と混淆性―＞
①中国人の伝統的な死生観
　中国人の死生観において興味深いのは、それぞれの気候風土から死生観が作られている点である。
　北方は乾燥した気候風土のため、死体はすぐには腐敗しない。特に古代文明の中心地だった黄河中流域では、死体はすぐには腐敗せずミイラ化することもあり、死んだ人は生きた人と一緒に「ずっと生きている」とする考え方もある。また、墓室は死んだ人の家とされ、古くから生活に密着した副葬品が納められた。人間は地下で「生き続ける」という考え方である。
　一方、湿った気候風土の南方では、死体はすぐに腐敗・解体する。道家的発想で「生とは天からの気たる精神と地からの気たる肉体との合..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Ｒ０１１５ 　漢文学　第２設題　白居易]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/]]></link>
			<author><![CDATA[ by foreveryoungjpjp]]></author>
			<category><![CDATA[foreveryoungjpjpの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 01 May 2010 19:21:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66391/" target="_blank"><img src="/docs/958828040823@hc09/66391/thmb.jpg?s=s&r=1272709311&t=n" border="0"></a><br /><br />白居易の生涯・残した詩の概要と、長恨歌が源氏物語に与えた影響について。
はじめに
白居易は中唐を代表する詩人である。白居易の作品は中国ばかりでなく、日本でも多くの人に愛され、日本の文学にも大きな影響を与えている。そこで本レポートでは、まず白居易の作品の概要を説明する。そして、白居易の感傷詩である「長恨歌」をとりあげて、この作品が日本の源氏物語に与えた影響を中西進著『源氏物語と白楽天』の一節を借りながら述べる。
第一章　白居易の生涯と作品の概要
白居易（白楽天）は西暦七七二年に、河南省に生まれた。彼は五、六歳の時に、すでに詩の書き方を学び、九歳の時に、抑揚と韻律を心得ていたという。
　初期の詩に共通な主題は兄弟やいとこ達との別離である。初期の作品群には幸福そうな詩は見当たらない。
政治を批判し、人民の苦痛を訴える諷諭詩をはじめとして「長恨歌」や「琵琶行」など、すべての現存するもの三千余首、唐代一の多作な詩人である 。
白居易の詩は諷諭詩・閑適詩・感傷詩・雑律詩の四類に分けられる。政治の乱脈を諷刺し、社会の混迷を批判し、人民の苦痛をうったえて、詩一七二首を作った。みずから名づけて、&ldquo;諷諭詩..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Ｒ０７０４　仏教文学概論　第２設題　三国伝記]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66388/]]></link>
			<author><![CDATA[ by foreveryoungjpjp]]></author>
			<category><![CDATA[foreveryoungjpjpの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 01 May 2010 19:03:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66388/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958828040823@hc09/66388/" target="_blank"><img src="/docs/958828040823@hc09/66388/thmb.jpg?s=s&r=1272708222&t=n" border="0"></a><br /><br />『三国伝記』第十二巻　第三「恵心院源信僧都事」における唱導文学的特徴について述べよ。
Ⅰ　唱導、および唱導文学とは
唱導文学という語は折口信夫によって始めて使用され、以後、永井義憲、岡見正雄などによって研究されてきた。近年、平安期の資料の発見・検討や、説話文学研究の側からの出展研究などを通じてかなりの部分が解明されるに至っている。唱導文学こそは、文学と仏教が最も接近した分野であり、そこから軍記、能、説話などのジャンルへと豊かな流れが形づくられているのである。
唱導とは広義には、法会の際の導師以下の僧衆の身体作法など、法会の次第全てを含むものであるが、その中心となるのは、表白・願文・諷誦・説法で、唱導は仏教流布のための布教の手段として行われるものである。法会の場における唱導は、説話が比喩因縁譚として用いられることが多かった。
法会は、俗人を交えて行われるのが普通であるから、俗人に理解しやすく、宗教的感動を与えるために荘厳でなければならない。この２つの要求は、口頭詞書と表白詞書にそれぞれ対応した。唱導において特に重要であったものは、口頭詞書と表白詞書であり、文人・文章博士などが作成した願文..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史（東洋）　第1分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anthem]]></author>
			<category><![CDATA[anthemの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Oct 2009 09:57:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962350986988@hc08/56066/" target="_blank"><img src="/docs/962350986988@hc08/56066/thmb.jpg?s=s&r=1254877023&t=n" border="0"></a><br /><br />外国史（東洋）第一分冊　略題（南北朝の興亡）
魏晋に続く南北朝とはどのような時代であったか論述せよ
--------------------------------------------------
　もっとも日本で有名な中国歴史の時代、[254]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[異文化間ｺﾐｭﾆｹｰｼｮﾝ概論　日本大学　通信　合格　評価Ａ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956576934513@hc10/65775/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ゴン太]]></author>
			<category><![CDATA[ゴン太の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Apr 2010 00:03:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956576934513@hc10/65775/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956576934513@hc10/65775/" target="_blank"><img src="/docs/956576934513@hc10/65775/thmb.jpg?s=s&r=1271170981&t=n" border="0"></a><br /><br />１　キリスト教の人々は、聖書を通して神から人間へと導かれる普遍的な生活様式と価値観があると理解している。これは、ある意味では、全人類は神の前では平等で、個人個人が神の規則に従うべきであるということを意味している。王様や王女でさえも、「全人類[360]<br />１　
キリスト教の人々は、聖書を通して神から人間へと導かれる普遍的な生活様式と価値観があると理解している。これは、ある意味では、全人類は神の前では平等で、個人個人が神の規則に従うべきであるということを意味している。王様や王女でさえも、「全人類は神の前では平等で、個人個人が神の規則に従うべきであるという規則」に従わなければならない。これに対し、日本で生まれた宗教、神道は、最小の社会的構成単位は個人ではなく家族である。神道では、個人の存在は、個人の存在がグループの中の一部分である時にだけ意味するものである。仏教も日本社会の基礎単位として、家族を重要視する。このように日本的宗教を信仰する人々の人間関係によく注意を向けると、集団で居ることに価値を置き、これを最も重要視しているということがわかってくる。このように、社会の価値や規則は神によって決められるのではなく、代わりに、良い事・悪い事は、よく集団によって決められる。
倫理観、又は、我々がどのように振舞うべきかについての規則はどんな宗教においても重要な部分である。キリスト教の最も重要な教えの一つは、神は全人類を愛していること、そして、我々は、個..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R8103 日本文学史　提出リポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959030019432@hc09/65329/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tetsu0716]]></author>
			<category><![CDATA[tetsu0716の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 31 Mar 2010 15:14:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959030019432@hc09/65329/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959030019432@hc09/65329/" target="_blank"><img src="/docs/959030019432@hc09/65329/thmb.jpg?s=s&r=1270016087&t=n" border="0"></a><br /><br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。（古事記・万葉集・古今集・女流日記・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説）
上代の文学
上代の文学、特に初期のころの文学の特色は、口承文学の文字化という一点に集約される。
古代にはすでに漢字が輸入されていたが、本格的に使われるようになったのは、遣唐使熱が高まり唐との文化交流が盛んになったころからである。それまでのわが国の文学は口伝が主で、記録されることは多くなかったが、漢字の普及によって徐々に様々な伝承や出来事、詩歌などが筆録されるようになった。その中で生まれてきたのが、『古事記』『日本書紀』『万葉集』などである。
　このうちの『古事記』は七一二年に成立したわが国の現存最古の文学的史書である。内容は神代から推古天皇の時代までを描いており、神話的、文学的色彩が色濃い。序文は漢文だが、本文はほとんど漢字の音読みと訓読みが入り乱れた変体漢文で、人名や和歌は当て字の万葉仮名で書かれている。
また『万葉集』は言わずと知れた日本最初の本格的歌集で七六〇年ごろに成立したと考えられている。記..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[美術史（科目コード0019)　分冊1　合格　日本大学通信　]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64884/]]></link>
			<author><![CDATA[ by trek]]></author>
			<category><![CDATA[trekの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 21 Mar 2010 02:43:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64884/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64884/" target="_blank"><img src="/docs/961003089747@hc08/64884/thmb.jpg?s=s&r=1269107002&t=n" border="0"></a><br /><br />飛鳥時代から奈良時代までの仏像の技法や様式について、作例を５点以上あげて述べない。参考文献有り[141]<br />六世紀に入ってわが国に仏教が伝来すると、朝鮮を介して大陸で完成された仏像の表現と技法が積極的に学ばれ、礼拝像の造像が開始された。
そこで、飛鳥時代を代表するブロンズ像としては、推古三一年（６２３）に鞍首止利により完成された法隆寺金堂釈迦三尊像がある。この像は方形二重の台座上、蓮弁形の大光背を背にして並ぶ一光三尊の形式をとる。三尊はともに杏仁形の両眼を見開いて口元に古拙の微笑（アルカイック・スマイル）をうかべる神秘的風貌をみせ、左右対称の正面観照性を基調とした全体感を呈する。この様式は、龍門石窟の造像に典型的な中国・北魏後期のそれを基本とし、東・西魏や北斉・北周にかけての要素を部分的に加えたものとみられている。　　　　　　　　
三尊の技法は中尊の螺髪が銅板打ち出し、両脇侍の台座の蓮弁が銅板切り抜きで造られるほかは、いずれも鑞型原型によるブロンズ（青銅）製鋳造からなり、線刻をほどこした後に表面を鍍金で仕上げる。各所に鋳損じた個所を補填した鋳掛けや銅板による象嵌がみえるので、一見その技術水準はさほどでないと考えられがちであるが、鋳造はもとより鍛造、彫金の各種技術を駆使し、１年という短期間で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宗教学（科目コード0014)　分冊1　合格　日本大学通信]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64873/]]></link>
			<author><![CDATA[ by trek]]></author>
			<category><![CDATA[trekの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 21 Mar 2010 02:43:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64873/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961003089747@hc08/64873/" target="_blank"><img src="/docs/961003089747@hc08/64873/thmb.jpg?s=s&r=1269106989&t=n" border="0"></a><br /><br />仏教は一部の渡来人系の子孫のなかではすでに六世紀の初めに信奉されていたと考えられるが，五三八年、百済の聖明王が釈梼仏像と経典その他を朝廷に献上したときが仏教公伝とされる。摂政聖徳太子の推古朝に，仏法興隆の道がひらけた。太子は仏教に深く帰依し，法華･勝鬘･維摩の三経の注釈書，いわゆる「三経義疏」を著した。五九四年、有名な三宝興隆の詔が出され，これを契機に臣 ･連などの豪族が競って寺を建て，またその第二条に「篤く三宝を敬え」の有名な文言がある十七条憲法は今日偽斤説が主張されるが，それでも太子の政治思想が，仏教を根幹に置いて，その普遍的な教理思想のなかで国家統一を志向したことは確かであろう。
　そのようななか奈良時代の仏教は国家仏教の性格をますます強めた。中国で形成された抑舎 ･三論 ･成実･法相･華厳･律の六つの宗派，いわゆる南都六宗が留学僧などによって，この時代に奈良の寺院に伝えられた。奈良の都に多くの大寺が建立されたのも，この時代の特色である。
　ここに新しい平安仏教が出現する契機があった。桓武朝の末年，入唐求法して持ち帰った最澄の天台宗，空海の真言宗がこれである。だが，南都仏教も平..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説A１課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64673/thmb.jpg?s=s&r=1268408872&t=n" border="0"></a><br /><br />『万葉集』全二十巻の概略と一、二巻の配列上の特色についてであるが、まず、概略から述べる。『万葉集』は、一巻から十六巻の第一部と、十七巻から二十巻の第二部に分類することができる。第一部は、天平十六年（七四四）までの歌が収められ、相聞、挽歌、雑歌の部立がされており、すべてではないが年代順に配置されている。第二部は、冒頭部に第一部から洩れた天平十六年の四月に大伴家持が詠んだ歌など、三十二首を配置し、その後ろに天平十八年（七四六）の正月から天平宝字三年（七四六）の正月一日までの歌を部立せずに、年代順に収めている。また、第一部はさらに細かく分類することができ、一巻から六巻は、有間皇子事件などの歴史上の事件に関わる歌が多く収められるなど、「小万葉」と呼ばれ、『万葉集』の中核をなしている。七巻から十二巻は、それぞれ「柿本人麻呂家集」などの歌集から歌を集めて構成されている。また、歌の配列も年代というよりも、歌われた対象や、表現方法で分類されている。十三、十四巻は読み人知らずの歌を集めており、十五、十六巻は、物語性を全面に打ちだした歌が収められている。
　次に、一、二巻の配列の特徴として、五三番歌まで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究中世課題１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64668/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64668/thmb.jpg?s=s&r=1268408867&t=n" border="0"></a><br /><br />『宇治拾遺物語』「序」について考えてみたい。「序」の作者は不明であるが、「序」の成立自体には三つの説がある。一つ目は、『宇治拾遺物語』成立から間もない時期に、何者かによって書かれたというものである。「序」は、この物語の成立過程と、名称の由来について記したものであるが、
大納言の物語にもれたるをひろふあつめ、又、
その後の事などかきあつめたるなるべし、
と、その成立について推量しており、さらに、
宇治にのこれるを拾ふとつけたるにや、また侍従を拾遺といへば、宇治拾遺物語といへるにや、差別しりがたし、
と結びにあり、名称の由来は不明であるとしている。このような記述と、源隆国や、俊賢に関する記述に誤りがないことから、この説が唱えられている。二つ目は、『宇治拾遺物語』の編者「序」の作者が同一人物であるとするものである。三つ目は、「序」は内容的に序文の体裁を整えていないことなどを理由に挙げ「序」は後世の人によりかかれたものであるとしているものである。三つの説の中では一つ目がもっとも有力とされているが、残りの二つも否定しきるほどの根拠は無い。私は、二の可能性について考えてみたい。
まず、『宇治拾遺..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文学における天使のイメージ　(外国文学・日本文学)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64123/]]></link>
			<author><![CDATA[ by brain]]></author>
			<category><![CDATA[brainの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 00:43:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64123/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64123/" target="_blank"><img src="/docs/956849798603@hc10/64123/thmb.jpg?s=s&r=1266507830&t=n" border="0"></a><br /><br />さまざまな宗教に天使の表象を定義する。
それから天使とは何か、天使の階級と堕天使を見ていく。次に、日本にキリスト教の浸透することをたどり、天使のイメージの差異が生じる問題の原因を検討する。作品から具体的な例に基づいて分析する。また、天使の[356]<br />日本と西洋の文学における天使のイメージの違い
目次
１．序論________________________________________________________２
２．背景説明____________________________________________________２
３．天使のイメージの差異の問題の原因____________________________３
４．キリスト教の真実の天使のイメージ
４．１　天使のイメージ＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿４
４．２　悪魔のイメージ＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿６
５．研究した作品と著者の抄録
５．１　日本の著者＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿６
５．２　ヨーロッパの著者＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿８
６．文学における天使のイメージの比較＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿９
７．文学における天使のイメージの影響＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿１０
８．結論＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿１０
９．注＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿１２
１０．参考文..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62759/]]></link>
			<author><![CDATA[ by underMt1110]]></author>
			<category><![CDATA[underMt1110の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jan 2010 10:04:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62759/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959057041094@hc09/62759/" target="_blank"><img src="/docs/959057041094@hc09/62759/thmb.jpg?s=s&r=1264554261&t=n" border="0"></a><br /><br />奈良時代の仏教の特質を論ぜよ。
　聖徳太子によって基礎付けられた仏教は、その後諸大寺の建立と留学僧の帰朝による諸宗の招来によって、躍進的な発展を遂げた。奈良時代に伝来した諸宗を総括して奈良の六宗と称する。六宗とは華厳、法相、三論、律、倶舎、成実である。
三論と成実の二宗はともに空宗であって、その伝来は中国においても日本においても同時に行われている。わが国への伝来は、古来慧灌、智蔵をもって第一伝、第二伝としている。慧灌は元興寺に住して三論を弘めた。智蔵は慧灌に就いて学び、法隆寺においてその教を弘めた。その門下に道慈がいる。道慈は入唐し、吉蔵の法孫元康から三論の秘奥を受け、また善無畏に密教を学び、大安寺において三論を布した。以上のごとく、智蔵は慧灌に、道慈は智蔵について各三論の教えを受けたが、さらに中国に渡って伝えるところがあったため、慧灌を第一伝、智蔵を第二伝、道慈を第三伝といい、わが国の三論を三伝という。智光、礼光は三論の学者であると同時に浄土宗の願生者としても知られている。智光の浄土帰入の因縁を伝えるものは『日本往生極楽記』などであって、礼光が晩年言語を絶して観想を凝らすこと数年に及..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[漢文学①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 12:08:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62671/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/62671/thmb.jpg?s=s&r=1264475338&t=n" border="0"></a><br /><br />漢字には、形・音・義の三要素が備わっている。表音文字の場合は、一つの言葉を表すのにいくつかの字母を組み合わせることによって成り立っているが、漢字の場合は一字一字に意味を持っている。いわゆる「表意文字と言われているが、正しくは言語単位を表しているので「表語文字」という。漢字の意味には基本的にその字形自体に含まれており、文字であるゆえに音も備えている。
　字形は漢字の構造的形態を意味し、漢字の持つ意義を決定付けるものである。漢字がいつ頃発生したかは定かではないが、今日知られているのは中国で発見された｢甲骨文字｣である。
　日本の漢字音には、呉音・漢音・唐音の三種類があり、この順番で中国より伝えられた。
呉音は、およそ南北朝の末から唐初にかけて長江下流の呉という地方から伝えられたものとされる。仏教関係で多く用いられ、仏教経典では必ず呉音が使用されている。
漢音は、日本の遣唐使が長安に派遣されて
から伝えられたその地方の音である。当時の中国が「漢」と呼ばれていたため、漢音という。漢音が日本に到来したときには、既に呉音が広く使用されていたが、漢音統一が試みられたのにも関わらず、呉音を廃止するこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科学習指導案１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956998492064@hc10/62528/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayu0118]]></author>
			<category><![CDATA[mayu0118の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 23:21:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956998492064@hc10/62528/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956998492064@hc10/62528/" target="_blank"><img src="/docs/956998492064@hc10/62528/thmb.jpg?s=s&r=1264342891&t=n" border="0"></a><br /><br />社会科学習指導案
日　　　　時　　月　　日　第　校時 場　　　　所　　年　組 指導教諭氏名　　　　　　　　教諭 教生氏名　 
単元名　「武士の台頭と鎌倉幕府」
指導観
単元について
　本単元は、貴族に雇われる立場であった武士が、争乱を経るごとに力をつけ、自分たちの意志で戦い、最終的には武家政権を樹立し、全国的な支配を固めていった時代を扱っている。この動きにより、古代の律令体制とは異なった、土地を仲立ちとした主従関係を通して成り立つ社会が誕生した。このような社会のしくみは、その後、長期にわたって続く武家政権の基礎となっている。
本単元は、武士の台頭から武家政権の成立を理解し、大きな政治の転換期をとらえさせたい。
生徒の実態
男女とも教師から問いかけに対する反応はよく、発問に対して自分で考え、積極的に発言する生徒が多い。また、班単位での話し合い活動もスムーズに行うことができ、お互いに教え合い、学び合う姿が見られる。社会科に関してみると好きな生徒が多く、具体的な教材に対する関心も高く、調べ学習なども意欲的である。
しかし、一部は社会に対して苦手意識を持っている生徒もおり、資料活用の場面で既習..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「現代日本人の宗教観について」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61904/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gensuke]]></author>
			<category><![CDATA[gensukeの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 14 Jan 2010 23:03:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61904/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958138276142@hc09/61904/" target="_blank"><img src="/docs/958138276142@hc09/61904/thmb.jpg?s=s&r=1263477827&t=n" border="0"></a><br /><br />今現在、日本で信仰されている宗教に言及し、さらに過去の歴史から現代の日本人の宗教観について論じている。

日本語と英語の要約付き。[193]<br />序論
　外国人が日本を見たとき、日本は一体どのような国に見られているのだろう。東の果てにある小さな島国、経済が豊かな先進国、原子爆弾を投下された国&hellip;様々なイメージが膨らむと思う。しかし、地球上に多くの国がある中で、日本ほど宗教に対して無関心な国が他にあるだろうか。「あなたの持っている宗教は何ですか。」という問いに、果たしてどれだけの人が答えることができるだろう。他の国を見るならば，アメリカやヨーロッパはキリスト教、中東ではイスラム教、インドではヒンドゥー教、その他様々な宗教が信仰されている。だが、日本人は自分の持っている宗教が分からない。否、宗教と思っていないのである。だから日本は&ldquo;無宗教の国&rdquo;と思われているかもしれない。しかし、本当に日本は無宗教の国なのだろうか。文化庁「宗教年鑑」を見ると大変興味深いデータがある。日本における宗教の信者数は、神道系が約1億600万人、仏教系が約9,600万人、キリスト教系が約200万人、その他約1,100万人、合計すると2億1,500万人となり、驚くことに信者数が日本の総人口の2倍弱になるのである。これを見て&ldquo;日本は無宗教の国&rdquo;と言うことができるだろ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宗教基礎講学２分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/61360/]]></link>
			<author><![CDATA[ by oniwaban_hime]]></author>
			<category><![CDATA[oniwaban_himeの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 00:51:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/61360/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/61360/" target="_blank"><img src="/docs/962368413739@hc08/61360/thmb.jpg?s=s&r=1262361101&t=n" border="0"></a><br /><br />日本における宗教の歴史で最も多くを占めているのは、神道と仏教の関わり合いである。 
紀元５３８年に百済より日本に伝来された仏教は、日本古来の神道とさほど区別されることなく広く浸透していくようになると、次第に仏教の中へ神道が一つの信仰体系として再構成されるようになり、神仏習合の現象が進行していった。
　江戸時代になると幕府は、封建制度の確立・強化のための政策として仏教を幕府下に組み入れた。
幕府は寺院諸制度を制定して寺社奉行を置き
、民衆には必ずいずれかの寺院に登録させるようにする寺請制度を布いた。
これにより仏教は、幕府に保護されると同時に、間接的な民衆管理の役目も担うようになり、次第に形骸..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ②分冊]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60838/]]></link>
			<author><![CDATA[ by oniwaban_hime]]></author>
			<category><![CDATA[oniwaban_himeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 01:04:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60838/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962368413739@hc08/60838/" target="_blank"><img src="/docs/962368413739@hc08/60838/thmb.jpg?s=s&r=1260893066&t=n" border="0"></a><br /><br />「平家物語」という作品は、保元の乱・平治の乱勝利後の平家と、敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を描いた軍記物語である。「祇園精舎の鐘の声&hellip;」の有名な書き出しをはじめとして、広く人々に浸透している。
物語の作者については、多くの書物にさまざまな伝えがあげられ、定かではないが、「徒然草」によれば、延暦寺の慈円のもとに扶持されていた信濃前司行長と、東国出身で芸能に堪能な盲人の生仏が作ったとされている。仏教界の中心人物であり、「愚管抄」を書いた慈円と、公家である行長、東国の武士社会との関わりが深い生仏が提携していることからも、他の古典作品とは異なる物語の成り立ちや歴史観の複雑さが伺われる。
　「平家物語」の時代背景は平安時代後期で、保元の乱・平治の乱を通じて武士の政治的地位が上昇した時代である。両乱の後の、源平合戦が長期に渡り続き、最終的に治承・寿永の乱を経て源家の鎌倉幕府が勝利し、貴族中心であった平安時代は終結する。今までの貴族の摂関政治が衰え、度重なる内乱による社会的動乱期であったこの時代は、治安の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[印度哲学　２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60209/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suizo]]></author>
			<category><![CDATA[suizoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 22:02:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60209/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60209/" target="_blank"><img src="/docs/960260759905@hc09/60209/thmb.jpg?s=s&r=1259586154&t=n" border="0"></a><br /><br />転変説、積集説、縁起説について。
Ⅰ 転変説
転変説とは、現象世界の一切は一つの実在が展開・変化して生成するという説で、世界は根本質料因から流出したものであり、原因の中にすでに結果が潜在的に存在するとされる（因中有果論）。ヴェーダンタ学派、サーンキヤ学派がその代表である。なお、ウパニシャッドの影響が最も顕著にあらわれる一つとされるのが正統バラモン系統の6学派であるが、上述の２学派、後述の積集説をとるヴァイシェーシカ学派などがこれにあたる。 
ウパニシャッド思想の中心観念ブラフマンの研究を特に主題としたのがヴェーダンタ学派であり、開祖はバーダラーヤナ、彼の著作『ヴェーダーンタ・スートラ』（別名『ブラフマ・スートラ』）を基本的経典とする。この経典は極端に簡潔な表現ゆえ、注釈なしでは理解が不可能で、古くから注釈書が多数あらわれた。注釈家として有名なのは、シャンカラとラーマーヌジャである。
シャンカラは、完全に絶対であるブラフマンと個我としてのアートマンを同一視し、無知を一つの条件として現象世界の多様性を説明した。無知は輪廻の原因であり、現象世界の多様性はけっして本質として存在するのではなく、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[印度哲学　１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60208/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suizo]]></author>
			<category><![CDATA[suizoの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 22:02:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60208/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960260759905@hc09/60208/" target="_blank"><img src="/docs/960260759905@hc09/60208/thmb.jpg?s=s&r=1259586152&t=n" border="0"></a><br /><br />ウッダーラカ・アールニと
ヤージュニヤ・ヴァルキヤのĀtman説について。
Ⅰ Ātman（アートマン）とは
アートマンとは、バラモン教の思想を中心に最も重要なものとされている。元来、「呼吸」を意味したと言われる。『リグ・ベーダ』以後の文献で、次第に哲学的意義を帯びるようになり、自我、自己、霊魂、さらにブラーフマナ文献を経て、生気（プラーナ）、意（マナス）、言葉（バーチュ）などの精神原理を超え、個体を統一する普遍的な最高実在を示す語としての位置を得た。
一般的な概念としては、「個体を決定する人格の中心」「生命現象と機能の基礎をなす根底」を意味するので、場合によっては「生命の原理」とも考えられる。
ウパニシャッドにおいては、宇宙の最高原理ブラフマンとの同一が説かれ、梵我一如思想が唱えられた。以後、アートマンは、インド哲学諸学派によって種々に考察され、ニヤーヤ学派、バイシェーシカ学派では、その実在性の論証に意を払い、ベーダーンタ学派では、ウパニシャッド思想を継承して梵我一如思想を強調した。仏教で、無我説を主張する。
Ⅱ ウッダーラカ・アールニ
ウッダーラカ・アールニはウパニシャッドにおいて..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[漢文学　第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakurantan]]></author>
			<category><![CDATA[sakurantanの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 16:54:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962651615150@hc08/59491/" target="_blank"><img src="/docs/962651615150@hc08/59491/thmb.jpg?s=s&r=1258962855&t=n" border="0"></a><br /><br />A評価[7]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[経塚と埋経について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59422/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zenimaru]]></author>
			<category><![CDATA[zenimaruの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 10:41:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59422/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957586691839@hc09/59422/" target="_blank"><img src="/docs/957586691839@hc09/59422/thmb.jpg?s=s&r=1258940495&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の歴史の中で、仏教は大きな役割を果たしてきた。仏教は飛鳥時代に伝来し、聖徳太子や蘇我氏など貴族の手を経た後、天台宗と真言宗の二派が生まれ貴族の間で信仰され、聖武天皇の大仏建立によって一つの山場を迎えるのである。その後、鎌倉新仏教の登場に[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59034/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sgw5k]]></author>
			<category><![CDATA[sgw5kの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 23:14:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59034/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59034/" target="_blank"><img src="/docs/958446455597@hc09/59034/thmb.jpg?s=s&r=1258380899&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59033/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sgw5k]]></author>
			<category><![CDATA[sgw5kの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 23:14:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59033/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/59033/" target="_blank"><img src="/docs/958446455597@hc09/59033/thmb.jpg?s=s&r=1258380897&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55243/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sgw5k]]></author>
			<category><![CDATA[sgw5kの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 11:20:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55243/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55243/" target="_blank"><img src="/docs/958446455597@hc09/55243/thmb.jpg?s=s&r=1252722049&t=n" border="0"></a><br /><br />『原始仏教の思想的な特徴について、「縁起」「四諦」「煩悩」「覚り」といった用語を用いて説明しなさい』
Ⅰ．仏教の成立
　このレポートでは、原始仏教の思想的な特徴について説明していくが、まずは原始仏教が成立していった背景について述べていくこと[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学 第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55244/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sgw5k]]></author>
			<category><![CDATA[sgw5kの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Sep 2009 11:20:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55244/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958446455597@hc09/55244/" target="_blank"><img src="/docs/958446455597@hc09/55244/thmb.jpg?s=s&r=1252722050&t=n" border="0"></a><br /><br />『大乗仏教の思想的な特徴について、「菩薩」「六波羅蜜」「空」「利他行」といった用語を用いて説明しなさい』
Ⅰ．大乗仏教の成立
　このレポートでは、大乗仏教の思想的な特徴について説明していくが、まずはその前に、大乗仏教が釈尊在世当時の原始仏教[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教史概説　鎌倉期の仏教を全体像としてどう捉えるべきかを論述しなさい]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57963/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tantakatan]]></author>
			<category><![CDATA[tantakatanの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Nov 2009 19:09:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57963/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957857365916@hc09/57963/" target="_blank"><img src="/docs/957857365916@hc09/57963/thmb.jpg?s=s&r=1257761356&t=n" border="0"></a><br /><br />①鎌倉期の仏教を全体像としてどう捉えるべきかを論述しなさい。
鎌倉時代には多くの宗派が生まれている。旧仏教と呼ばれる平安時代からある真言宗などは、お金のある人にできる、難しくて貴族的であったが、当時は政治の実権が貴族から武士へと移る転換期[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56697/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56697/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56697/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56697/thmb.jpg?s=s&r=1256481468&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56696/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56696/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56696/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56696/thmb.jpg?s=s&r=1256481467&t=n" border="0"></a><br /><br />資料に関する説明及び紹介文句を入力してください。(検索、露出及び販売にお役立ちます)[123]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学第２設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56695/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56695/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56695/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56695/thmb.jpg?s=s&r=1256481466&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教学　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56694/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56694/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56694/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56694/thmb.jpg?s=s&r=1256481465&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史　第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56693/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56693/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56693/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56693/thmb.jpg?s=s&r=1256481464&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56692/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:37:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56692/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56692/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56692/thmb.jpg?s=s&r=1256481462&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56678/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 23:35:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56678/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/56678/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/56678/thmb.jpg?s=s&r=1256481341&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史(第一設題)レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/56610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boatboy1984]]></author>
			<category><![CDATA[boatboy1984の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 22:02:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/56610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957810918627@hc09/56610/" target="_blank"><img src="/docs/957810918627@hc09/56610/thmb.jpg?s=s&r=1256216567&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[奈良時代の仏教の特色]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55865/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55865/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55865/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55865/thmb.jpg?s=s&r=1254307642&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題４　奈良時代の仏教の特色について述べなさい。
まず初めに、奈良時代の仏教の特色として最も顕著なものが、国家と仏教が密接なかかわりをもったことである。飛鳥時代の聖徳太子が仏教思想を政治に取り入れて以降、仏教と国家は一定の関係性の中にあ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[天台・真言両宗の発展について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55864/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55864/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55864/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55864/thmb.jpg?s=s&r=1254307640&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題５　天台・真言両宗の発展について述べなさい。　
まず初めに（天台・真言）の両宗は、平安初期に確立したものであり、祈祷を中心とした貴族のための鎮護国家仏教という認識がなされることが多い。しかし、鎌倉期における仏教の理論的支柱となったこ[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[聖徳太子の事蹟およびその思想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55863/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55863/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55863/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55863/thmb.jpg?s=s&r=1254307638&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題６　聖徳太子の事蹟およびその思想について述べなさい。
　
まず最初に、聖徳太子の事蹟は、端的に言えば、推古天皇の摂政として、中国に倣った政治組織などを導入し、大豪族の（蘇我氏）と協力しつつ旧来の氏族制度を打破し、天皇を中心とした国[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[源信浄土教思想の特徴を述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55862/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55862/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55862/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55862/thmb.jpg?s=s&r=1254307636&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題２　源信浄土教思想の特徴を述べよ
まず最初に源信は、天台宗の僧である「良源」に弟子入りし、恵心院にて修業し学問を身に付ける。その後、彼が32歳を過ぎた頃には内供奉十禅師という位を受け、強い権力を握るに至るが、それにもかかわらず源信は[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[鎌倉時代の仏教の特色を述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55861/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55861/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55861/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55861/thmb.jpg?s=s&r=1254307634&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題１　鎌倉時代の仏教の特色を述べよ。　
まず初めに鎌倉時代の仏教としては、主に六つの宗派が挙げられるが、すなわちそれは、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、日蓮の日蓮宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗である。これらはまとめて（鎌倉新[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[法然浄土教思想の特色を述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55860/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 30 Sep 2009 19:47:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55860/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55860/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55860/thmb.jpg?s=s&r=1254307632&t=n" border="0"></a><br /><br />●課題３　法然浄土教思想の特色を述べよ
まず最初に法然浄土教の特質としては、それまでの仏教のあり方に対する批判と、極楽浄土へ向かう唯一の方法として「専修念仏」を挙げたこと、この二点を主に挙げることができる。以下では、それらについて詳しく見[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[教育史　日本の中世社会 リポート評価【B】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958743720306@hc09/54778/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 7034]]></author>
			<category><![CDATA[7034の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 02 Sep 2009 10:16:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958743720306@hc09/54778/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958743720306@hc09/54778/" target="_blank"><img src="/docs/958743720306@hc09/54778/thmb.jpg?s=s&r=1251854171&t=n" border="0"></a><br /><br />日本の中世社会というと、十二世紀半ばである平安時代から織田信長が安土城を建設した一五七六年頃までの安土桃山時代を捉えることができる。この頃の社会は古代律令国家の位階や官職制を継承して、権力の構成原理としている朝廷と、封建的主従関係の基礎とし[360]<br />日本の中世社会というと、十二世紀半ばである平安時代から織田信長が安土城を建設した一五七六年頃までの安土桃山時代を捉えることができる。この頃の社会は古代律令国家の位階や官職制を継承して、権力の構成原理としている朝廷と、封建的主従関係の基礎として構成されている幕府の両者が存在し、この二つが対立しつつまたこの二つが一つの統治体制を作っていた時代である。武士の実力によって荘園制が崩されて、経済力が武士に移行し、やがて武士同士の領国争いを通じて武士の世になっていくのである。人々の精神世界は仏教が支配した世界であった。古代からの仏教とともに鎌倉仏教が登場し、和文による念仏を唱えることでの布教をし、教団の組..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本仏教史１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/53675/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ganpon]]></author>
			<category><![CDATA[ganponの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Aug 2009 02:40:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/53675/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959784554071@hc09/53675/" target="_blank"><img src="/docs/959784554071@hc09/53675/thmb.jpg?s=s&r=1249753249&t=n" border="0"></a><br /><br />奈良時代の仏教の特質を論ぜよ
　　いわゆる奈良仏教というものは、飛鳥・白鳳時代から奈良時代にかけて発展を遂げたものであり、聖徳太子の思想をうけ、鎮護国家の経説・儀礼として栄えたものである。
　　さて、この鎮護国家というのは，仏教によって[352]<br />奈良時代の仏教の特質を論ぜよ
　　いわゆる奈良仏教というものは、飛鳥・白鳳時代から奈良時代にかけて発展を遂げたものであり、聖徳太子の思想をうけ、鎮護国家の経説・儀礼として栄えたものである。
　　さて、この鎮護国家というのは，仏教によって国家を鎮め護ることを指すのであるが、例えば、『仁王経』『金光明経』『法華経』という経典には、これらの経典を受持する国家は災厄を免れ、繁栄すると説かれているのである。国家から官人に準じる身分的特権を与えられた官僧・官尼は、こういった鎮護国家の教説の研究をしたり、鎮護国家の儀礼の際には経典を読誦すること、病気治療などの呪術に従事したりすることが義務づけられていたようだ。官僧・官尼は，聖武天皇が国ごとに建立した国分（僧）寺・国分尼寺という寺院に配属された。そこで、『金光明経』 『法華経』などの鎮護国家のためのお経を読誦した。また聖武天皇は、東大寺に（毘）盧遮那仏（「びるしゃな」ってのは梵語で太陽のこと）の大きな金銅大仏像を造立した。一般に言う奈良の大仏である。ちなみに現在重要文化財クラス以上の建物で最大のモノが東大寺である。
　　さて、この時代で最も有名な僧侶..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生きる　生命　哲学　仏教　恋愛]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 21:47:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51198/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51198/thmb.jpg?s=s&r=1245070023&t=n" border="0"></a><br /><br />『なぜ生きる』（監修；高森顕徹、著者；明橋大二、伊藤健太郎、一万年堂出版）
テーマ「永遠の旅人としての人間」
８月上旬、この『なぜ生きる』を読んだ。読後の正直な感想は、仏教的な解説が全体的にやや多いという印象をまず受けた。しかし、生と死[352]<br />『なぜ生きる』（監修；高森顕徹、著者；明橋大二、伊藤健太郎、一万年堂出版）
テーマ「永遠の旅人としての人間」
８月上旬、この『なぜ生きる』を読んだ。読後の正直な感想は、仏教的な解説が全体的にやや多いという印象をまず受けた。しかし、生と死、そしてなぜ生きるかという問いが頭の中に根を張ったかのような感覚が私のなかにしばらく残った。なぜ生きるのか。なぜ私は生きるのか。なぜ私は生まれてきたのか。一言ではとても言い尽くせない哲学的で、宗教的である問いである。２０年間の人生を通じて私のなかでその問いが根付いたのは今回が初めてではない。たしか中学２年の時にそのテーマに取りつかれたことがある。なぜ私は生まれたのか。なぜ人は生きるのか。人の生きる意味とは。死ぬというのはどういったことか。そしてそこから派生してなぜ人を殺してはいけないかということにも考えが及んだ。結論としては未だに絶対的であると断定できる答えが見つかっていないのが現状であるし、おそらくその答えが見つかっている人少ないと思われるし、または絶対的な答えが存在するということすら疑問である。なぜ中学生の私にその問いが浮かんだのかはわからない。特別..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[唐代文化の特徴を具体的に論述せよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47777/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ten_made_to_be]]></author>
			<category><![CDATA[ten_made_to_beの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 08 May 2009 12:10:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47777/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960956664417@hc08/47777/" target="_blank"><img src="/docs/960956664417@hc08/47777/thmb.jpg?s=s&r=1241752202&t=n" border="0"></a><br /><br />唐代文化の特徴を具体的に論述せよ。
唐は中国の南北を統一しただけでなく、東アジアの歴史に大きな遺産を遺した。唐の都・長安では、ササン朝から中央アジアを経て伝わった景教（ネストリウス派キリスト教）・　祆教（ゾロアスター教）・回教（イスラム教[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会科公民科指導法Ⅱ公民科「倫理」の学習指導案]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961206171116@hc08/38142/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ayame]]></author>
			<category><![CDATA[ayameの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Mar 2009 00:16:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961206171116@hc08/38142/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961206171116@hc08/38142/" target="_blank"><img src="/docs/961206171116@hc08/38142/thmb.jpg?s=s&r=1237043798&t=n" border="0"></a><br /><br />単元名　日本の風土と外来思想の受容
対象学年　高校2年生
単元目標
①社会的事象への関心・意欲・態度&hellip;日本のふるまいやことば遣いがさまざまな文化的伝統の集積から成り立っていることを意欲的に調べ発表しようとする。
②社会的な思考・判断[342]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[印度哲学概論　第二設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36242/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Feb 2009 00:25:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36242/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36242/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/36242/thmb.jpg?s=s&r=1234193156&t=n" border="0"></a><br /><br />「転変説、積集説、縁起説について。」
インド哲学は、現象界、つまり存在をどう見るかの問題と言える。転変説、積集説、縁起説について、それぞれヴェーダンタとサーンキヤの両学派、ヴァイシェーシカ学派、仏教を代表して、その内容を考えてみる。
転[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[印度哲学概論　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36241/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kazukichan]]></author>
			<category><![CDATA[kazukichanの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 10 Feb 2009 00:25:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36241/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/kazuki/36241/" target="_blank"><img src="/docs/kazuki/36241/thmb.jpg?s=s&r=1234193154&t=n" border="0"></a><br /><br />「ウッダーラカ・アールニとヤージュニヤ・ヴァルキヤのAtman説について。」
ウッダーラカ・アールニは、ヤージュニャヴァルキヤとならび、初期のウパニシャッドに登場する古代インド最大の哲人のひとりであり、ヤージュニャヴァルキヤの師と伝わる人[346]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本と世界の未来 -宗教的観点から-]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961009878361@hc08/35951/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuken007]]></author>
			<category><![CDATA[yuken007の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Feb 2009 12:41:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961009878361@hc08/35951/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961009878361@hc08/35951/" target="_blank"><img src="/docs/961009878361@hc08/35951/thmb.jpg?s=s&r=1233632469&t=n" border="0"></a><br /><br />「日本と世界の未来」
―宗教的観点からの考察―
・宗教対立の現状と問題
・神道に基づく日本の国民的性質
・宗教対立解決へ向けて・・・[194]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[比較文学１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31949/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e_r_i_t_a]]></author>
			<category><![CDATA[e_r_i_t_aの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 12:20:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31949/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31949/" target="_blank"><img src="/docs/962225200365@hc08/31949/thmb.jpg?s=s&r=1229052032&t=n" border="0"></a><br /><br />「比較文学研究の方法にはどのようなものがあ
るか。研究対象となる作家名、作品名を例示
しながら説明しなさい。」
「比較文学」とはフランスで起こった学問で、当初は一国文学の研究を補うものという性格で構想されていたが、現在では国際的、学際的視座[354]<br />　　「比較文学研究の方法にはどのようなものがあ
るか。研究対象となる作家名、作品名を例示
しながら説明しなさい。」
「比較文学」とはフランスで起こった学問で、当初は一国文学の研究を補うものという性格で構想されていたが、現在では国際的、学際的視座から文学現象や文学関係の歴史を研究する学問へと変化したのである。例えば、日本文学を例にとってみれば、これを中国文学や欧米文学と比較し、その関係を研究して、世界文学という流れの中に日本文学を位置付けようとする事なのである。その研究方法であるが、源泉と影響関の関係の研究に重点を置く「影響」研究である「フランス学派」と、実証的な研究に加えて具体的な影響関係のない国の作家や作品の「対比」研究をする「アメリカ学派」がある。
ここから具体的に比較文学研究の方法について説明していく。まず前の段落で２つに大別された「影響」研究の方であるが、これも3種類に分けて説明することができる。当然影響関係には与える側と受ける側がある。与える側を「発動者」、受ける側を「受容者」という。そして「発動者」と「受容者」の間には仲立ちするものがあり、これは翻訳の場合が多いのであるが、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[英文学研究２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31948/]]></link>
			<author><![CDATA[ by e_r_i_t_a]]></author>
			<category><![CDATA[e_r_i_t_aの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 12:19:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31948/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962225200365@hc08/31948/" target="_blank"><img src="/docs/962225200365@hc08/31948/thmb.jpg?s=s&r=1229051962&t=n" border="0"></a><br /><br />「「四つの四重奏」について、あるテーマ
を選んで論述せよ。」
タイトル「永遠なる神の言葉をかいま見、現実を永遠化せよ。」
Ｔ・Ｓ・エリオットは『荒地』の次に、『四つの四重奏』という最大の長篇作品を生んだ。四つの地名を題とした構造になっており[354]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Brief Introduction To Basic Concepts Of Tibetan Buddhism]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31758/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dokume]]></author>
			<category><![CDATA[dokumeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Dec 2008 14:46:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31758/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31758/" target="_blank"><img src="/docs/dokume/31758/thmb.jpg?s=s&r=1228887963&t=n" border="0"></a><br /><br />BRIEF INTRODUCTION TO BASIC CONCEPTS OF &quot;TIBETAN&quot; BUDDHISM

Copyright &copy; 2003 Philip and Marcia R. Lieberman
http://dl.li[121]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Tibet Before and After Buddhism]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31756/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dokume]]></author>
			<category><![CDATA[dokumeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Dec 2008 14:26:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31756/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/dokume/31756/" target="_blank"><img src="/docs/dokume/31756/thmb.jpg?s=s&r=1228886777&t=n" border="0"></a><br /><br />Tibet Before and After Buddhism 
Jeffrey L. Richey, Ph.D.
REL 231
Religions of India and Tibet
Berea College
Fall 2003
T[120]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語科教育法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/micro0031/20197/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミクロ]]></author>
			<category><![CDATA[ミクロの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Mar 2008 23:38:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/micro0031/20197/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/micro0031/20197/" target="_blank"><img src="/docs/micro0031/20197/thmb.jpg?s=s&r=1204987108&t=n" border="0"></a><br /><br />「やまなし」の教材研究を行うとともに、事例（p.142-170）の児童の発言を考察しなさい。
　教材としての「やまなし」
　「やまなし」という作品は、実際にテキストにもあるように、作品の一節に使われている言葉から「初めて聞いたんだけど、何か[338]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生命倫理と神道]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/18812/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 28 Jan 2008 18:57:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/18812/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/18812/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/18812/thmb.jpg?s=s&r=1201514255&t=n" border="0"></a><br /><br />現代社会において、私たちの生命観は、大きく揺れ動いている。新しい医療技術の進展の結果、心臓移植、体外受精などの問題や妊娠中絶、尊厳死など従来の医療倫理や生命観では対処できない問題が続発し、新しい｢医の倫理｣の確立が求められてきた。新たに｢生[360]<br />キーワード　生命倫理　自己決定　生命の質　QOL　神道　仏教
本稿では、｢生命は個人の持ち物ではないと考えられる理由を、伝統的な文化を視野に入れて、考えて下さい。｣という課題について、私なりの見解について述べていきたい。
現代社会において、私たちの生命観は、大きく揺れ動いている。新しい医療技術の進展の結果、心臓移植、体外受精などの問題や妊娠中絶、尊厳死など従来の医療倫理や生命観では対処できない問題が続発し、新しい｢医の倫理｣の確立が求められてきた。新たに｢生命の質｣が論じられ、患者本人の価値観、生命観、また家族など周囲の人々とのコミュニケーションも考慮し、｢質的｣に評価することにより、患者を、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教国としての日本に近代化のモデルを見出した　販売]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16062/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Dec 2007 06:24:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16062/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16062/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/16062/thmb.jpg?s=s&r=1197753860&t=n" border="0"></a><br /><br />仏教を通じてみる日本とスリランカの関係
スリランカがイギリスの支配から独立したのは１９４８年でしたが、独立の気運は１９世紀にすでに高まっていました。
植民地支配に抵抗して、シンハラ人、タミル人、ムスリムのエリート間において宗教復興運動が開始[356]<br />仏教を通じてみる日本とスリランカの関係
スリランカがイギリスの支配から独立したのは１９４８年でしたが、独立の気運は１９世紀にすでに高まっていました。
植民地支配に抵抗して、シンハラ人、タミル人、ムスリムのエリート間において宗教復興運動が開始されます。その中で最大規模で行われたのが、多数民族であるシンハラ人を基盤とする仏教復興運動でした。その中心人物となったのが「アナガーリカ・ダルマパーラ」という人物です。
彼は、この運動を率いてシンハラナショナリズムの基盤をつくり、後に「スリランカ建国の父」と呼ばれることになります。
しかし、彼にはスリランカ国内において、後の民族紛争の火種となる排他的な民族主..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[〈神〉と〈生〉と〈死〉　　―中世仏教を中心に―]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12242/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Dec 2006 15:30:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12242/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/12242/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/12242/thmb.jpg?s=s&r=1167114609&t=n" border="0"></a><br /><br />〈神〉と〈生〉と〈死〉　　――中世仏教を中心に――
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
目次
　　はじめに
　　１、中世の身体に対する視線　――九相死絵巻と鎌倉彫刻――
　　２、中世の死のイメージ
　　３、生と死に対するイメージの緊[348]<br />〈神〉と〈生〉と〈死〉　　――中世仏教を中心に――
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
目次
　　はじめに
　　１、中世の身体に対する視線　――九相死絵巻と鎌倉彫刻――
　　２、中世の死のイメージ
　　３、生と死に対するイメージの緊張
　　おわりに
　　
　　参考資料
はじめに
人というものは死から逃れる事はできない。そして逃れられぬ一つの終焉に、あるいは恐怖を抱き、あるいは目を背き、あるいは楽園へと続く道を信じる。その捉え方は十人十色であるが、それは人が死の経験というものを自ら持って語ることが出来ないからである。経験したこと、見たこともないものを〈なに〉であるか決定する事は難しいし、また〈なにでもない〉とするにはあまりにも人は弱い。
それぞれの国や地域などの文化で多少は違えども、宗教はこの生と死の問題と密接に関係して存在している。しかし、現代日本では宗教が日常に溶け込み過ぎているせいか、その存在を意識することは難しい。仮に「貴方の宗教は何ですか？」と尋ねられたとしても即座に答える事ができない。一つの確定した何かを信じているわけではないからだ。現代日本では仏教、神道を同時に信仰..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[キリスト教が日本になじまない理由とは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aya_sgym]]></author>
			<category><![CDATA[aya_sgymの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 24 Nov 2006 01:19:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429360201@hc06/11673/" target="_blank"><img src="/docs/983429360201@hc06/11673/thmb.jpg?s=s&r=1164298780&t=n" border="0"></a><br /><br />①序論
　私がキリスト教の学校へ通っていることを告げると多くの人が驚く。そして私自身がキリスト教であるのか、と質問する者までいる。町中のいたるところに教会が存在し、キリスト教の祈りの場である教会で結婚式を挙げる若者も大勢いるにも拘らず、この[358]<br />①序論
　私がキリスト教の学校へ通っていることを告げると多くの人が驚く。そして私自身がキリスト教であるのか、と質問する者までいる。町中のいたるところに教会が存在し、キリスト教の祈りの場である教会で結婚式を挙げる若者も大勢いるにも拘らず、この国では未だに、キリスト教というと多くの人が身構える。「外国の宗教なので馴染み難い」とは多くの人が持っている理由だが、仏教も外国からやってきた宗教である。
　私は日本史を選択しているが、奈良時代、平安時代の多くの天皇は日本の未来の為や、自分の繁栄の為に多くの寺院を建立している。これは本来の仏教の考えとかけはなれた信仰であるとは思うが、日本人は上手に、自分たちの今までもってきた世界観や自然観と仏教を融合させている。　　
仏教が渡ってきたとされているのは西暦５３８年、または５５２年とされている。キリスト教の伝来は西暦１５４９年だ。約１０００年歴史の差はあるにせよ、何故ここまで触れ合う機会が多い宗教であるにも拘らず馴染めないのか。あらゆる宗教観を取り込み、独自の宗教観を打ち出してきた私達が、どうしてキリスト教ではそれが行うことをしなかったのか。遠藤周作の「沈..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[武士道に置いての「義」の意味]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11356/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 未熟児の卵]]></author>
			<category><![CDATA[未熟児の卵の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Nov 2006 21:51:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11356/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431648401@hc05/11356/" target="_blank"><img src="/docs/983431648401@hc05/11356/thmb.jpg?s=s&r=1162903917&t=n" border="0"></a><br /><br />&lt;序章&gt;　私は卒論のテーマを何にするかと具体的に決めているわけではない。しかし、今回は「武士道」という姿勢に注目してみることにした。
　それは、武士道が単に、日本の歴史上に存在した武士達の生き様を映しているのではなく、日本には数知れない宗[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[龍樹と「大乗仏教」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10928/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sei2324]]></author>
			<category><![CDATA[sei2324の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Sep 2006 15:46:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10928/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429694501@hc06/10928/" target="_blank"><img src="/docs/983429694501@hc06/10928/thmb.jpg?s=s&r=1158130000&t=n" border="0"></a><br /><br />一、はじめに
龍樹は古インド仏教の哲学家であり、大乗仏教の創立者。大乗仏教の基本的立場は「空」である。「空」＝縁起。縁起とは、相依して生じさせる働き、条件つけの関係によって成立している、永遠不変のものはない。世界中、一切のもの、及ぶ人々の[356]<br />龍樹と「大乗仏教」
一、はじめに
　龍樹は古インド仏教の哲学家であり、大乗仏教の創立者。大乗仏教の基本的立場は「空」である。「空」＝縁起。縁起とは、相依して生じさせる働き、条件つけの関係によって成立している、永遠不変のものはない。世界中、一切のもの、及ぶ人々の認識、感覚、概念、意識、また、地、水、火、風などの元素は相対的に、依存的関係があり、不真実なものである。
　けれども、一切空であれば、森林羅布の「世間万物」はどうやって解説すればいいだろうか。この矛盾を解説するため、龍樹は二諦説（真諦説、俗諦説）を提起した。仏陀は凡夫に、俗諦を採用し、世界と衆生の真実存在を説法する。また、真理を洞察できる人に、真諦を採用し、世界と衆生の真実性を否定して説法する。世俗諦があれば、真諦が達するという考えを提唱する。
　
二、『般若経』
　龍樹思想の依存の経典といえば、『十地経』などもあげられるが、やはり『般若経』である。たとえば、『中論』の帰敬　に示される「八不の縁起」にしても、「八千　般若経の教説の中に見て取れることが知られている。
　つまり、求道心と難行とに基づく般若波羅蜜の実践者である常諦菩薩が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中世〈地獄〉と〈極楽〉の思想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10643/]]></link>
			<author><![CDATA[ by サカマ]]></author>
			<category><![CDATA[サカマの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 19 Aug 2006 12:31:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10643/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429731901@hc06/10643/" target="_blank"><img src="/docs/983429731901@hc06/10643/thmb.jpg?s=s&r=1155958263&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに　
日本の文学には中国の影響が良く見ることが出来る。そこで私はある日本の文献を読んでいた時に〈地獄の思想〉が色濃く出ているものがあり、その話に興味をひかれた。内容を読み進めるうちにあることに気付いた。それは、当然〈地獄〉があればな[356]<br />中世　〈地獄〉と〈極楽〉の思想
はじめに　
日本の文学には中国の影響が良く見ることが出来る。そこで私はある日本の文献を読んでいた時に〈地獄の思想〉が色濃く出ているものがあり、その話に興味をひかれた。内容を読み進めるうちにあることに気付いた。それは、当然〈地獄〉があればなくてはならない〈極楽〉という文字がない、ということである。一体どうしてだろう。私は〈地獄〉と〈極楽〉は対であると考えていたので非常に疑問に思った。そこで、今回〈地獄〉と〈極楽〉について調べたことを以下に記す。
一、中国の地獄像　　　　　　　　　　　
中国の思想が日本に大きな影響を与えているのだから、まずは中国の地獄像について調べるべきではないだろうかと考えた。そこで、主に『中国のグロテクス・リアリズム』を参考に、基本的な流れを抑えることにした。中国の地獄像と言っても、中国自体歴史が長く、その道筋は複雑なものとなっており一言では表現できない。簡単に言えば、私が日本の文献で出会ったような、地獄がない、つまりまだ生れていない時代もあったのである。そこで〈地獄&hellip;冥界〉へと言葉の範囲を広げ、冥界の歴史を紐解くこととする。そこで中国..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[密教の歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429821101@hc06/10061/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuus0715]]></author>
			<category><![CDATA[yuus0715の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Jul 2006 19:55:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429821101@hc06/10061/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429821101@hc06/10061/" target="_blank"><img src="/docs/983429821101@hc06/10061/thmb.jpg?s=s&r=1153997708&t=n" border="0"></a><br /><br />僕は家がまったくの無宗教でもちろん仏教のことなど何も知らず、ましてや、密教なんて聞いたことがないくらいのものだから、とりあえず密教について、この本をよんでわかった事を、歴史をなぞりながら述べておこうと思う。
そのまえに基本的事項について確[356]<br />僕は家がまったくの無宗教でもちろん仏教のことなど何も知らず、ましてや、密教なんて聞いたことがないくらいのものだから、とりあえず密教について、この本をよんでわかった事を、歴史をなぞりながら述べておこうと思う。
そのまえに基本的事項について確認程度に。密教とはいってしまえば仏教の一種である。大乗仏教のように大衆に広めるものでなく、その名のとおり秘密の仏教である。神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。
雑密経典とよばれる呪法の経典は六世紀頃までに成立していたようだが、純密経典と呼ばれる『大日経』『金剛頂経』など北東インド、ベンガル地方のパーラ朝で大乗仏教の発展形として成立したものが七世紀後半、密教の興りとして採用されているようだ。
その後、八世紀、中国の仏僧・善無畏 (ぜんむい) (637～735)、金剛智 (671～741) 、不空 (705～774) によってシルクロードを通して中国に伝えられ、真言宗として確立。
チベットの仏僧パドマサンババ （蓮華生） により、チベットに伝えられ、ラマ教へと発展。
804年入唐し、長安で青竜寺の恵果 (けいか)..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ キリスト教「信じるものは救われる」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430100501@hc06/9937/]]></link>
			<author><![CDATA[ by makunism]]></author>
			<category><![CDATA[makunismの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 Jul 2006 22:11:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430100501@hc06/9937/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430100501@hc06/9937/" target="_blank"><img src="/docs/983430100501@hc06/9937/thmb.jpg?s=s&r=1153573876&t=n" border="0"></a><br /><br />外国では様々な宗教があるが、主にキリスト教などでは食事の前に祈ったり、決められた時間に祈ったりしている。だが、このような「宗教」は日本ではあまり浸透していません。
しかし、日本人は宗教に入っていなくてもお正月には神社に参拝し、お賽銭をあげ[356]<br />外国では様々な宗教があるが、主にキリスト教などでは食事の前に祈ったり、決められた時間に祈ったりしている。だが、このような「宗教」は日本ではあまり浸透していません。
しかし、日本人は宗教に入っていなくてもお正月には神社に参拝し、お賽銭をあげて願い事をしたり、「健康でいられますように」などと祈ったり受験やテストの前なども「うまくいきますように」などと、私たちは祈るのです。私たちにとって最も当たり前で身近な祈りは「神社でお賽銭をあげて祈る」ということであるでしょう。初詣に行ってこれをしない人はいないのではないでしょうか。むしろ、これをしないと初詣にいった意味がないと考える人も少なくはないでしょう。
現に、明治神宮や浅草寺など有名な場所は毎年お賽銭をあげて祈ろうとする人々で長蛇の列です。私も受験の年は寒い中１時間以上も並んで「合格しますように」と祈ったことを覚えています。
しかし私はこのような日本人の、神への祈りについての考えがキリスト教を信じる人との最も大きな違いであると思うのです。
日本人は神へ祈るということを、神にお賽銭をあげて願い事をすることだと考えています。そうすればご利益が来るはず..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 宗教と性差別]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431201501@hc06/8679/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tom420]]></author>
			<category><![CDATA[tom420の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 30 May 2006 16:26:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431201501@hc06/8679/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431201501@hc06/8679/" target="_blank"><img src="/docs/983431201501@hc06/8679/thmb.jpg?s=s&r=1148973980&t=n" border="0"></a><br /><br />現代の日本では性差別についてさまざまな議論が起こっている。「性差別とは、性別に基づく差別のことで、基本的には女性差別をさすが､近年は男性側から男性差別を主張される事が激増している。」（出所フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）[342]<br />　　　　　　　現代の日本では性差別についてさまざまな議論が起こっている。「性差別とは、性別に基づく 差別 のことで、基本的には 女性差別 をさすが､近年は 男性 側から 男性差別 を主張される事が激増している。」（出所フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』）また 性的少数者 に対する不利益も性差別の一つである。性差別問題は何らかの形で深く宗教と関わりを持っていると考えられる。そこで宗教と性差別の関係を調べていく。
現代の日本の性差別問題は具体的にどういったものがあるかというと、主に女性と男性の社会的地位や立場に関係することが多い。例えば職業に関することでは、アメリカや日本で職業の名前が差別化だとして、男女同一の職業名を主張する声が多くなり､職業名が変わった。またセクシャルハラスメントやドメスティック・バイオレンス､痴漢等の問題は後がたたない。大都会の電車などは朝の通勤ラッシュ時に女性専用車両などを設けている。
歴史的な性差別の内容として近年まで公の場で 女性 が意見を述べる機会はほとんどなかった。しかし、現代の 日本 社会においては、女性にも 被選挙権 が与えられるなど..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ インド仏教の衰亡について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430333401@hc06/8665/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fourroses]]></author>
			<category><![CDATA[fourrosesの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 30 May 2006 00:22:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430333401@hc06/8665/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430333401@hc06/8665/" target="_blank"><img src="/docs/983430333401@hc06/8665/thmb.jpg?s=s&r=1148916154&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）インド仏教衰亡説
　インド仏教の衰亡を説明するものとして、イスラム教徒主犯説、自然衰退説、人類学的視点からの研究などがある。しかし、その本格的な検討は未だ行われていない。　　　
さて、インド仏教の衰亡という認識は、社会的な存在とし[352]<br />インド仏教の衰亡について
［構成］
（１）インド仏教衰亡説の検証（p.2）
（２）イスラム史料『チャチュ・ナーマ』と『大唐西域記』の仏教的史料価値（p.2）
（３）大乗仏教の変容と大ペルシアの復活（p.3）
（４）エフタルと仏教（p.4）
（５）『チャチュ・ナーマ』による七世紀の仏教の現状・密教の出現（p.6）
（６）チャチュ王によるヒンドゥー教の擁護と仏教の弾圧（p.7）
（７）イスラム教のインド征服と仏教（p.9）
（８）最初期のインドのイスラム教（p.12）
（９）他地域における仏教の衰亡－経済的改宗と社会的改宗（p.13）
（１０）比較文明論からの考察－イデオロギーとしての仏教（p.15）
（１１）社会変革の手段としての改宗（p.20）
（１２）結論（p.22）
参考文献：「インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察」保坂 俊司,北樹出版,2004
（１）インド仏教衰亡説
　インド仏教の衰亡を説明するものとして、イスラム教徒主犯説、自然衰退説、人類学的視点からの研究などがある。しかし、その本格的な検討は未だ行われていない。　　　
さて、インド仏教の衰亡という認識は、社会..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[インド宗教史の流れの中に見る、宗教と社会の関係についての一考察：世界三大宗教間の比較とともに［早稲田・法学部・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7612/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 16 Mar 2006 13:12:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7612/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/7612/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/7612/thmb.jpg?s=s&r=1142482328&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに　―インド宗教史を取り上げた理由―　宗教と社会の関係を考えた時、私の中に真っ先に浮かんだのが「インド」というキーワードであった。インドほど「多様」という言葉の似合う国はない。言語的にも、民族的にも、そしてそれはもちろん宗教的[356]<br />〈課題〉
　「一つの宗教を他の宗教と比較しながら、その社会との関係を含めて論じなさい。」
インド宗教史の流れの中に見る、宗教と社会の関係についての一考察
―世界三大宗教間の比較とともに―
１．はじめに　―インド宗教史を取り上げた理由―
　宗教と社会の関係を考えた時、私の中に真っ先に浮かんだのが「インド」というキーワードであった。インドほど「多様」という言葉の似合う国はない。言語的にも、民族的にも、そしてそれはもちろん宗教的にも言えることである。
　インドは言うまでもなく世界三大宗教の一つ、仏教発祥の地である。しかし、その仏教さえも社会の変遷の中に消えていったという不思議な歴史を持つ国である。ムガル帝国の時代には、イスラム化さえした。そして現在、インドは人口の８０％を占めると言われるヒンドゥー教の国である。
　こうして考えると、インドの歴史は、まさに宗教と社会との関わりの歴史とも言えよう。その流れを追っていくと、そこにこそ宗教が社会に与える意味、社会が宗教に与える意味、そして、今後の宗教と社会のあるべき関係も見えてくる気がした。
　そこで本レポートでは、インド社会の大きな転換点であったと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[捨身の概念]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7337/]]></link>
			<author><![CDATA[ by firsts]]></author>
			<category><![CDATA[firstsの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 07 Mar 2006 20:12:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7337/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7337/" target="_blank"><img src="/docs/983430926101@hc06/7337/thmb.jpg?s=s&r=1141729931&t=n" border="0"></a><br /><br />捨身の始まりは５世紀初頭頃とされている。法隆寺の&ldquo;玉虫厨子&rdquo;の捨身飼虎図や仏典である『ジャータカ』の一節にその様子がうかがえる。
捨身という行為は意味的に大きく四つに分けられる。本来の原義的な考えでは、捨身は他者のためや仏法供養のため、求[356]<br />捨身の始まりは５世紀初頭頃とされている。法隆寺の&ldquo;玉虫厨子&rdquo;の捨身飼虎図や仏典である『ジャータカ』の一節にその様子がうかがえる。
捨身という行為は意味的に大きく四つに分けられる。本来の原義的な考えでは、捨身は他者のためや仏法供養のため、求法のため、あるいは肉体の束縛からの解放のために自らの身体（の一部あるいは全部）や命をささげるというものだった。その方法は焼身や刺血写経など苛烈なものばかりである。例としては、『ジャータカ』におけるブッダの前世の話がある。そのときブッダは猿のリーダーであった。ある日敵に追い詰められ川にさしかかったとき、女子供が渡れないのを見て自分の体を橋として渡れるようにした、という物語である。
しかし時代が進むにつれて、自らの財産を他者、あるいは寺院に布施するといった、いわゆる「喜捨」と呼ばれるべき行為までもが「捨身」と称されるようになっていった。これは主に在家信者が行ったものである。の代表的なものは梁の武帝が行ったものである。彼はその生涯に少なくとも３～４回の財産喜捨による「捨身」を行っているが、それらはほとんど慣例化・儀式化されていた。まず自分の住んでいる台城から..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Reikyu-sha (Japanese Hearses or Funeral Cars)［東京学芸大学・教育学部・日本宗教学・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6794/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 00:59:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6794/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6794/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6794/thmb.jpg?s=s&r=1139932782&t=n" border="0"></a><br /><br />&quot;Reikyu-sha&quot; means a Japanese funeral car. It is used for carrying a dead body from a funeral hall or home to a cremator[120]<br />Reikyu-sha (Japanese Hearses or Funeral Cars)
&quot;Reikyu-sha&quot; means a Japanese funeral car. It is used for carrying a dead body from a funeral hall or home to a crematory. Funeral cars have been used in other countries, too. But Japanese ones have some conspicuous characteristics and histories in comparison with the others.
In early stages of Taisho Era, the first reikyu-sha was introduced in Japan. In those days, people used cars imported from the U.S. or Europe as reikyu-sha. This type of cars is..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「神仏習合」はいつから起こったか［東京学芸大学・教育学部・日本歴史学・評価A］]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kenjiro55]]></author>
			<category><![CDATA[kenjiro55の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 23:57:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430795301@hc06/6784/" target="_blank"><img src="/docs/983430795301@hc06/6784/thmb.jpg?s=s&r=1139929046&t=n" border="0"></a><br /><br />日本宗教（史）を語るとき、必ず出てくるテーマの一つに「神仏習合」がある。仏教が６世紀半ばに公式に伝来したのち、８世紀の奈良時代から神仏習合の状態が徐々に形成され、１０世紀頃の平安後期になって本地垂迹説（神は仏が仮の姿をとってこの世に現れたも[360]<br />「神仏習合」はいつから起こったか
　日本宗教（史）を語るとき、必ず出てくるテーマの一つに「神仏習合」がある。仏教が６世紀半ばに公式に伝来したのち、８世紀の奈良時代から神仏習合の状態が徐々に形成され、１０世紀頃の平安後期になって本地垂迹説（神は仏が仮の姿をとってこの世に現れたものであると考える）として完成されたと一般には説明される。
　しかしながら、「習合」という状態は、『広辞苑（第五版）』によれば「相異なる教理などを折衷・調和すること」である。仏教以前の原始神道と、その後の仏教の受容の過程を考えるとき、果たして「習合が徐々に形成された」という見方が適切かどうか、私は疑問に思う。
　仏教以前の日本においては、いわゆる「原始神道」の信仰が民俗的な意味で普及していた。「民俗的な意味で」と述べたが、これは古代の日本人にとって「神道という宗教」としてとらえられてはいなかったからである。鎌田東二『神と仏の精神史』によれば、「神道」という語は『日本書紀』に登場するよりも前に中国の『易経』のなかにあり、ゆえにわが国に独自のものでも固有のものでもないという。
　この原始神道は、極めてアニミズム的な要素を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[釈迦とイエス]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430840601@hc06/6648/]]></link>
			<author><![CDATA[ by emiya]]></author>
			<category><![CDATA[emiyaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 13 Feb 2006 09:38:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430840601@hc06/6648/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430840601@hc06/6648/" target="_blank"><img src="/docs/983430840601@hc06/6648/thmb.jpg?s=s&r=1139791090&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は仏教系の幼稚園に通い、キリスト教系の高校へ進学し、そしてまた仏教系の大学に入学した。それぞれの時代で感じたこと、学んだこと、考えたことはそれぞれあるが、二つを比較することも深く知ろうとすることもなく過ごしてきたように思う。しかしこの本[360]<br />釈迦とイエス　の感想
　私は仏教系の幼稚園に通い、キリスト教系の高校へ進学し、そしてまた仏教系の大学に入学した。それぞれの時代で感じたこと、学んだこと、考えたことはそれぞれあるが、二つを比較することも深く知ろうとすることもなく過ごしてきたように思う。しかしこの本を読んでいて、特にイエスのことに触れた部分で、これも知っている、これも知っている、でもこういう意味だったのかと、新たな発見や解釈を知るたびに、少しでも学んできて良かったなと思えるような読書時間をすごせた。
　読み終えての率直な感想として、著者が言いたいこととは大分ずれているかもしれないが、私は釈迦の方が好きだ。好き嫌いで言うのは間違っているかもしれないが、比較の中でそう感じたのだ。
　聖書を読んでいても常に感じていたのだが、イエスには最初から人間としての煩悩を感じない。情や哀れみといった感情は普通の人間よりはるかなものを持っているが、不と捉えられるような感情は最初から持ち合わせていないような印象を受けるのだ。しかし、釈迦の場合は違う。皇子という地位も妻子をも捨てて出家した理由が、来世に天界に生まれ、天女を抱くためだという解釈を知..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[タイ仏教の社会のあり方について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6609/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kanansan]]></author>
			<category><![CDATA[kanansanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 10:22:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6609/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6609/" target="_blank"><img src="/docs/983430842101@hc06/6609/thmb.jpg?s=s&r=1139707325&t=n" border="0"></a><br /><br />タイには僧侶が暮らしていける制度も十分に整っている。僧侶にならないものにとっての徳を高めるに当たる行為が、喜捨とされる。これは僧侶になることができない女性において僧侶に食を与えるなどがある。しかし、元々『僧侶は人の残したものを食べ、人の捨て[360]<br />■■■■■第■回出題■レポート 
■学部■■■■■■■学科■年 名列■■ 学籍■■■■■ 
■■ ■ 
タイ仏教の社会のあり方について 
タイ仏教のビデオを見る限り、『タイは仏教を中心に回っている』と考えざるを得ないよ
うな内容になっていた。このような偏見で見ていて良いものか正直戸惑ったが、さてはこ
こではその内容を加味しながら、タイ国民における仏教のあり方について探っていく事に
する。 
タイにおける仏教はもちろん上座部仏教である。当然であるが、成仏するには大乗仏教
に比べ修行や行いが必要とされる。それがタイにおける出家であり、喜捨である。タイに
おいては僧侶は敬うべき存在であり、僧侶になる..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[カースト制度の現状について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kanansan]]></author>
			<category><![CDATA[kanansanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 10:08:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6605/" target="_blank"><img src="/docs/983430842101@hc06/6605/thmb.jpg?s=s&r=1139706501&t=n" border="0"></a><br /><br />まずカースト自体の分け方に変化が見られる。従来の『ヴァルナ』と呼ばれる、バラモン、クシャトリアなどと別けるよりも、その中でさらに職業毎に意識される『ジャーティー』により別けられる。別けられると言うよりも、その分別を本人達が意識している。『ヴ[360]<br />■■■■■第■回出題■レポート 
■学部■■■■■■■学科■年 名列■■ 学籍■■■■■■ 
■■ ■ 
カースト制度の現状について 
授業のビデオで見せつけられたインドのカースト制度の状態は、自分がカースト制度に
ついて見聞し予測していた以上の有様であり、酷く驚いたものだった。私がインドにもつ
イメージと言えば、爆発的人口であり、一面でＩＴ先進国であり、古きカースト制度がい
まだに残り、公衆衛生は未だ整っていない、そんなイメージであった。しかし、このビデ
オが二十年近く前のものだというならば、ＩＴ先進国として発展を続けた現在ならば現状
はこのようではないだろうと考えた。よって今回はカースト制..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ブッダ成立の背景と思想について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6600/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kanansan]]></author>
			<category><![CDATA[kanansanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 09:30:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6600/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430842101@hc06/6600/" target="_blank"><img src="/docs/983430842101@hc06/6600/thmb.jpg?s=s&r=1139704245&t=n" border="0"></a><br /><br />　当時のインドは至って思想の自由と発表の自由があった。反ヴェーダ、反バラモンの気運が高まった上に、その思想から逃れようとして、新たな思想が発生しやすく、それが受け入れられやすい時代であった。ブッダの登場、受諾はいわば必然とも言える。思想対立[360]<br />■■■■■第■回出題■レポート 
■学部■■■■■■学科■年 名列■■ 学籍■■■■■ 
■■ ■ 
ブッダ成立の背景と思想について 
ビデオでは仏教の始まり、それよりはブッダの始まりについてやったわけだが、そのビ
デオだけでは疑問点は多い。何よりもまず、何故ブッダの思想が求められたのか、何故ブ
ッダはその思想に至ったのか、それが疑問でならない。この疑問を解くのは仏教思想全体
に関わる事のようで、簡単な事ではないだろうが、そのさわりだけでも求める事ができれ
ばと思う。 
当時のインドは至って思想の自由と発表の自由があった。反ヴェーダ、反バラモンの気
運が高まった上に、その思想から逃れようとして..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[今昔物語集における天狗]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p901ih]]></author>
			<category><![CDATA[p901ihの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 23:04:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430953901@hc06/6487/" target="_blank"><img src="/docs/983430953901@hc06/6487/thmb.jpg?s=s&r=1139493882&t=n" border="0"></a><br /><br />　天狗と聞いて多くの人が想像するもの。それは、真っ赤な顔をし、長く大きな鼻を持ち、白い山伏のような衣服を纏ったものだろう。翼が生えていて、羽団扇をもっている、という特徴もある。
　私は、天狗といっても、特にこれといった思い浮かぶエピソード[356]<br />今昔物語集における「天狗」
　天狗と聞いて多くの人が想像するもの。それは、真っ赤な顔をし、長く大きな鼻を持ち、白い山伏のような衣服を纏ったものだろう。翼が生えていて、羽団扇をもっている、という特徴もある。
　私は、天狗といっても、特にこれといった思い浮かぶエピソードもないのだが、中世では、天狗は「仏法を妨げるもの」という認識があったようである。
『今昔物語集』にこのような説話が収録されている。
昔、天竺に天狗がいた。天竺から震旦に渡ってくる途中、海の水が一筋に、「諸行無常、是生滅法、生滅々已、寂滅為楽」と鳴ったので、天狗はこれを聞いて非常に驚き、「海の水がどうしてこんな尊い深遠な法文を唱えるのであろうか」と不思議な気がして、「この水の正体を突き止め、なんとしてでも邪魔してやらずにはおくまい」と思い、水の音をたどり、探し求めながら来るうち、震旦まで来たが、ここでも同じように鳴っている。
こうして、震旦も過ぎ、日本の近くの海まで来たが、やはり同じように唱えるのが聞こえた。そうして博多、門司、瀬戸内海を経て、淀川から宇治川をさかのぼっていくにつれ、ますます声が高くなる。さらについていくと、比..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[倫理学　日本の倫理思想に対する仏教影響について述べよ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430995501@hc06/5688/]]></link>
			<author><![CDATA[ by asuka0708]]></author>
			<category><![CDATA[asuka0708の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jan 2006 19:18:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430995501@hc06/5688/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430995501@hc06/5688/" target="_blank"><img src="/docs/983430995501@hc06/5688/thmb.jpg?s=s&r=1138097891&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想（儒教、仏教、西洋思想）の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。
　日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化し[352]<br />倫理学
「日本の倫理思想に対する仏教の影響について述べよ」
　日本における倫理思想は、日本人の民俗、習俗に加えて外来の思想（儒教、仏教、西洋思想）の需要と展開を軸にしながら展開されてきた。
　日本の古代国家は4世紀から5世紀にかけては、大和朝廷に見られる宗教的一体で「律令」による国家体制へと変化していった。そのあと、朝鮮半島との国交とうしてもたらされた「論語」と仏教の伝来という歴史的事実から、この儒・仏教思想が具体化されてきた。
　まず聖徳太子は人を君・臣・民の態度などや人の和の心をもっとも重視した「論語」の強調する道徳規律の遵守精神である。
　聖徳太子のあと、律令国家へと移行し中世になって正法・像法・末法という仏教的歴史の「末法」説くに置ける危機意識を契機として仏教の日本に定着していった。
　末法思想とは普通、仏滅1500年から2000年のあとにおける。
仏法は末世末法であるという危機感である。末法は時代が汚れ天災地変や戦乱など社会悪もろもろの邪悪な思想や見解がはびこる様々な精神的悪徳があふれる。
　人々の性根が低下する、人間の寿命が次第に短くなるという「五蜀」の世であると説く。その..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教と心理学　　瞑想による心理療法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432113501@hc05/4605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hiromi0521]]></author>
			<category><![CDATA[hiromi0521の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jan 2006 21:16:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432113501@hc05/4605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432113501@hc05/4605/" target="_blank"><img src="/docs/983432113501@hc05/4605/thmb.jpg?s=s&r=1136463408&t=n" border="0"></a><br /><br />　｢瞑想｣という言葉を聞くと、座禅を行い、目を閉じている動作や都心から遠く離れた郊外の寺院が浮かんでくる。静かで閑静な山の中で川のせせらぎやそよ風で葉が揺れ動く情景が思い出される。
　では瞑想とは何か。今、瞑想による心理療法が注目されつつ[356]<br />　｢瞑想｣という言葉を聞くと、座禅を行い、目を閉じている動作や都心から遠く離れた郊外の寺院が浮かんでくる。静かで閑静な山の中で川のせせらぎやそよ風で葉が揺れ動く情景が思い出される。
では瞑想とは何か。今、瞑想による心理療法が注目されつつあるが、瞑想とはどのような効果を発揮しているのであろうか。また、仏教とどのような関わりをもっているのであろうか。
瞑想と一口で言えてしまうが、実際には多くの種類が挙げられる。もちろん座禅を組んで心を落ち着かせるものもあるが、ヨーガのように身体を動かして様々なポーズをするものもある。瞑想が見直されるようになり、新しい瞑想のタイプが生み出されてきたのだろうか。
瞑想への関心の高まりの背景には慌ただしい現代生活に疲れた人々があると考えられる。毎日毎日、仕事や勉強が忙しい&hellip;、休みたいが休むことが出来ない&hellip;、人間関係に悩んでいる&hellip;、疲れが取れずストレスや悩みは増えつづける一方&hellip;、このような悪循環が瞑想によって精神を落ち着かせたいという気持ちにつながっているのではないだろうか。癒しやストレス解消などを求めるのは、瞑想だけに限られてはおらず、他にも様々な心理療法が注目..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 22:56:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4022/thmb.jpg?s=s&r=1134482214&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）	仏教の起源
　仏教はインドで始まった宗教であり、その後中国・朝鮮半島・日本などに伝わった。
　基本的には欲望や欲求を伴う身体的要素を削ぎ落としていく実践による解脱（悟り）を目指す。
　仏と凡夫の違いは悟った存在か迷える存在かと[346]<br />仏教について
仏教の起源
仏教はインドで始まった宗教であり、その後中国・朝鮮半島・日本などに伝わった。
基本的には欲望や欲求を伴う身体的要素を削ぎ落としていく実践による解脱（悟り）を目指す。
仏と凡夫の違いは悟った存在か迷える存在かということのみであるとする
&hArr;キリスト教などの一神教との違い
基本的な思想としてはインド型唯名論を有し、本質は現象に内在するとみる。
また、一般にバラモン教のブラフマン（宇宙原理）などは認めない、「無常・空」を前提とする思想を持つ。
仏教の展開
インドから中国や日本に伝播する過程で思想の面でも徐々に変化が現れる。
インド仏教では生滅変化する一切の現象（諸行）は無常であり、それらのものに執着してはならないと主張されてきた（「色即是空」）が、中国や日本の仏教では、現象世界は空あるいは無なるものであるというよりも、その無常なるかたち・すがた（相）のあるままに真実を顕現させているという側面が強調されるようになった。
&rarr;「諸法実相」の思想への発展・「草木成仏説」の出現など
また、「仏性」思想においてインドではバラモン教の唱えるアートマンとの差異が明確ではないとの批判が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[宗教と死生観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432344101@hc05/2934/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hosi1639]]></author>
			<category><![CDATA[hosi1639の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Nov 2005 14:31:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432344101@hc05/2934/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432344101@hc05/2934/" target="_blank"><img src="/docs/983432344101@hc05/2934/thmb.jpg?s=s&r=1131341489&t=n" border="0"></a><br /><br />宗教について調べているうちに、死生観について興味をもった。そこで、宗教による死生観とは何かを調べ、現代社会をとりまく宗教について考えた。
　仏教徒である日本人には、霊魂と肉体は別のものであると考えれられている。人間の生命は肉体と結合した霊[356]<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
宗教と死生観
　宗教について調べているうちに、死生観について興味をもった。そこで、宗教による死生観とは何かを調べ、現代社会をとりまく宗教について考えた。
　仏教徒である日本人には、霊魂と肉体は別のものであると考えれられている。人間の生命は肉体と結合した霊魂の作用であり、死は肉体からの霊魂の分離であり、肉体は滅んでも霊魂は生きていると考えられている。死者の霊魂は「この世」から「他界」に往き、他界はこの世と連続し、地下、山上、海上等の身近な所に存在していると考えられている。他界は地下他界としての「冥界」や「の国」と呼ばれたり、また海上他界として「」と呼ばれたりする。人は死んでも、その霊魂は祖先の霊や神となって生き続け、不死であると考えられている。また、死霊はれていて、この世の生者に取り憑つき、ることによって、災いをもたらすと考えられている。そのために追悼儀礼、供養、鎮魂祈祷などが行われる。山上他界や海上他界の祖霊は、お盆や正月に子孫によって迎えられ、られ、供養される。死霊はこうした供儀によって、祖霊や先祖の神となると考えられており、先祖の霊や..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の時間と空間・仏教の宇宙観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846201@hc05/2428/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mnoriaki]]></author>
			<category><![CDATA[mnoriakiの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Oct 2005 00:26:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846201@hc05/2428/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431846201@hc05/2428/" target="_blank"><img src="/docs/983431846201@hc05/2428/thmb.jpg?s=s&r=1129303599&t=n" border="0"></a><br /><br />１.　1983年生まれ【癸亥】
２.　1082年7月16日
３．
１「玄武岩」
火山岩の一。暗灰色または黒色の緻密(ちみつ)な岩石で、斑晶は斜長石・橄欖(かんらん)石・輝石など。柱状節理をもつものが多い。最も多量に存在する火山岩。名[310]<br />時間と空間（中国の時間と空間・仏教の宇宙観）レポート
　
１.　1983年生まれ【癸亥】
２.　1082年7月16日
３．
　１「玄武岩」
火山岩の一。暗灰色または黒色の緻密(ちみつ)な岩石で、斑晶は斜長石・橄
欖(かんらん)石・輝石など。柱状節理をもつものが多い。最も多量に存在す
る火山岩。名は兵庫県の玄武洞に由来。
　２「太一（たいいつ）」
　中国の古代思想で、「大一」または「泰一」「太乙」とも書く。『荀子(じゅし)』
　『荘子(そうじ)』『呂氏(りょし)春秋』『淮南子(えなんじ)』等にみえるが、　
　そこでの用例では万有を包含する大道、天地創造の混沌(こんとん)たる元気、　
　道を意味する。たとえば『呂氏春秋』大楽篇(へん)には「万物の出づる所は、
　太一に造(はじ)まり、陰陽に化す」とあり、『礼記(らいき)』礼運篇では「夫
　(そ)れ礼は必ず太一に本づく」とある。いま一つの用例は、『史記』封禅書や
　天官書にみえるもので、天神のもっとも尊いものの名、あるいはその住居紫
　微(しび)宮のことであるといい、北極星を太一というともみえる。封禅書に
　は「天神の貴きものを太一という」と..]]></description>

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			<title><![CDATA[インドにおけるゼロの発見と仏教]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373401@hc05/1859/]]></link>
			<author><![CDATA[ by matudasigoto]]></author>
			<category><![CDATA[matudasigotoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 01:03:42 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373401@hc05/1859/" target="_blank"><img src="/docs/983432373401@hc05/1859/thmb.jpg?s=s&r=1122566622&t=n" border="0"></a><br /><br />本レポートでは、まず、アラビア数字と「０」が生まれた歴史を述べ、それらが他の数字と比べてどのように便利であるのか改めて考える。そして、「０」という概念の発見と、インドという土地との間にどのようなつながりがあるかに着目し、調べた内容を基に論じ[360]<br />＜テーマ・動機＞
今日、インド人は、IT産業のエンジニアとして世界各国で活躍している。それは、インドの国策や教育体制だけが要因ではなく、インド人は数学的思考に優れていることも要因であると言われている。
インドは、アラビア数字や「０」という数字を生み出した土地でもある。私は、このアラビア数字と「０」の発見に興味を持った。私たちの生活において、ゼロという概念は当然のように根付き、それなしでは物事を考えることができないほど不可欠なものである。それにもかかわらず、ゼロははじめから存在していたのはなく、後から発見されたものなのである。
本レポートでは、まず、アラビア数字と「０」が生まれた歴史を述べ、それらが他の数字と比べてどのように便利であるのか改めて考える。そして、「０」という概念の発見と、インドという土地との間にどのようなつながりがあるかに着目し、調べた内容を基に論じることにする。
＜アラビア数字（算用数字）の起源＞
　私たちが現在使用している１ ２ ３・・・という数字は、アラビア数字といい、日本では算用数字とも呼ばれている。正確には、０～９までの１０種類の数字を指す。アラビア語では「インド..]]></description>

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			<title><![CDATA[原始仏教を探る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 23:20:28 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/610/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/610/thmb.jpg?s=s&r=1119709228&t=n" border="0"></a><br /><br />文字通り、『仏の教え』が仏教である。その原始、創めであるのが仏陀（覚者）による悟りだ。仏教とは『仏になるための教え』でもあるのだが、釈迦はその言葉通り入滅し、仏となる。彼が生まれ、悟り、入滅するまでの様々なエピソードが現代にも伝わっているの[360]<br />原始仏教を探る
文字通り、『仏の教え』が仏教である。その原始、創めであるのが仏陀（覚者）による悟りだ。仏教とは『仏になるための教え』でもあるのだが、釈迦はその言葉通り入滅し、仏となる。彼が生まれ、悟り、入滅するまでの様々なエピソードが現代にも伝わっているのだが、今回は悟るまでの釈迦を探っていこうと思う。
【恨みは大小便に】
釈迦の出生はとても奇妙なものであり、キリストと同様に女性の腹からのものではない。此岸に生まれてくる前、釈迦は兜率天から場所や親となるべき人物を入念に選び、自身の意志によって摩耶夫人の胎内に入りこんだという伝説が残っている。その時の姿は六牙の白象で、右脇からによる。そして生まれる時もまた右脇からであり、七歩進んだ後、蓮の花の上にて、おもむろに右手を天に、左手を地に向ける。恐らく、その時冷静だったのは摩耶夫人のみだったと推察するが、釈迦は『天上天下唯我独尊』と宣言した。伝説に伝説を上乗せたような出生場面だが、とても興味深いものである。
注目すべき点は、釈迦が誕生した場所はルンビニ園だが、生活を送っていた場所はそこから約２３キロ離れたカピラバストという事だ。これは玄奘法顕..]]></description>

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