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		<title>タグ“人文”の公開資料</title>
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		<description>タグ“人文”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[人文地理学概論　分冊２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932468830305@hc17/137381/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mt21]]></author>
			<category><![CDATA[mt21の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Apr 2019 20:33:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/932468830305@hc17/137381/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/932468830305@hc17/137381/" target="_blank"><img src="/docs/932468830305@hc17/137381/thmb.jpg?s=s&r=1554291231&t=n" border="0"></a><br /><br />【報告課題】
　早くから、大都市ロンドンに集中する人口増に苦しんできた英国においては、都市とは、また都市に居住するとは何かといった課題に、国民の多くが強い関心を持ってきた。
　一方、わが国の都市研究者たちも、大正末から昭和初期にかけて英国を度々訪れ、この国の都市化への対応策を学び、日本独特の都市計画を追求してきた。そこで日英における具体的な当時の施策に関して説明すること。

　イギリスの人口は2013年の統計によると、約6390万人、そのうちロンドンは約841万人で、イギリス全体の約13.2％を占めている。また、2016年の統計によると、イギリスの人口が約6560万人、そのうちロンドンは約879万人で、イギリス全体の13.4％を占めている。イギリス全体の人口が増えているだけでなく、ロンドンの人口も増加している。日本の東京と比べると、2013年は約1330万人、2016年で約1350万人と増加している。日本全体では2013年に約１億2800万人の人口が2016年に約１億2700万人と減少している。2016年の東京の人口が日本の人口に占める割合は約10.6％と、ロンドンが首都として人口の割..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【S０６１３】B判定　社会科概論レポート　佛教大学【２０１８】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930882193667@hc18/135108/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ひいろんぐ]]></author>
			<category><![CDATA[ひいろんぐの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Aug 2018 17:35:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930882193667@hc18/135108/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930882193667@hc18/135108/" target="_blank"><img src="/docs/930882193667@hc18/135108/thmb.jpg?s=s&r=1535358914&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学社会学概論B判定レポートです。
２０１８年度に提出し、合格もらっています。

文部科学省発行の学習指導要領を参考文献とし書いています。
難しい設題でお困りの方ぜひどうぞ。
不正に対してペナルティがありますので、参考程度でお[338]<br />本テキストで述べる社会科授業の基本構造について説明し、平成２９年版学習指導要領における社会科の教科目標との関連を考察しなさい。また基本構造に基づく社会科授業のあり方について、幾つかの理論に触れつつ具体的な授業事例をあげて説明しなさい。
１．はじめに
　社会科授業のあるべき姿とはどのようなものか、具体的にどのような社会科授業が求められているのか。これは長年多くの教師や研究者が問続けてきたことである。リポートでは、社会科授業の基本構造を知り、平成２９年版学習指導要領との関連を考察していく。その後、考察を元に具体的な授業案を提案し社会科授業のありかたを追求していく。
２．社会科授業の基本構造
　ここからはまず、社会科とはどのようなものかについて『社会科固有の授業理論』に基づき確認していく。
　近年は、活動中心の生活科・総合的学習により認識内容が欠落してきている。合科することによって社会科も認識内容を減らしてしまうのではなく、「社会科は内容教科である」という社会科教育の基本を再確認するべきであると岩田(2001)は本書の中で指摘している。学校を終了すれば、自動的に社会に出されてしまう。子どもた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0108 地誌学 第1設題　B判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123382/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:10:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123382/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123382/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123382/thmb.jpg?s=s&r=1453734657&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にB判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0108です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第1設題で京都についてまとめておりま[332]<br />第１設題：あなたが居住する市区町村の地域的特徴を明確にした地誌を作成せよ。
1.自然
　京都市は京都府の南部に位置し、南北約49km、東西約29km、面積82,790ha、となっている。
　京都市は三方を低くなだらかな山々に囲まれ、東には比叡山、東山連峰が、北は愛宕山、北山の連山が、西の諸峰は保津川を挟んで、嵯峨、嵐山の山渓を作り、南は大阪平野に開けている。市街地は、これらの山々に囲まれた、京都盆地と山城盆地に形成されている。京都盆地は、数万
年前は湖底であったと言われている。北と東の山々から運ばれる土砂が堆積し、地盤の隆起とともに生まれ、現在の東北から西南へのなだらかな地形の基盤を形成してきたと推定されている。この太古の湖の湖底が堆積物で盆地化した際に取り残された遺構が、神泉苑、深泥池、巨椋池であると考えられているが、巨椋池は既に干拓されており、神泉苑と深泥池残っている。京都は豊富な地下水に恵まれているが、京都における良質の地下水脈も、湖の名残である。山々に囲まれた京都盆地では、山々に源流を持つ鴨川や桂川などの清流が、この地形に沿うように市街地を緩やかに南下している。(図1)
京都は、太平洋側気候と内陸性気候の特性を併せ持っている。はっきりとした四季があり、夏はうだるような暑さ、冬は厳しい底冷えが。この気候には山に囲まれた盆地という特徴が影響しており、夏は空気の循環が悪く暑さが逃げにくい。また、山に近いことから冷えやすい。夏の暑さは、気温もあるが、非常に蒸し暑いのが特徴である。夏の蒸し暑さや冬の底冷えは、山に囲まれた盆地都市の宿命でもある。
降雨に関しては、年間を通してそれほど多くなく、過去の統計では、8月の降雨量が少ないのが特徴である。また、統計では暑さは8月にピークとなり、33度程になり、寒さは、1月にピークをとなり、1度程度まで落ち込む。(図2)しかし、2015年だけを見ると、年間の最低気温が氷点下1.7度、最高気温が39.1度と、寒暖の差が激しくなっている。(表1)
2.人口
　2015年9月1日現在、京都市には推計で1,468,019人が住み、世帯数は703,152世帯となっている。市町村では全国で7番目に人口が多い。人口の特徴として、学生が多いということがあげられる。2011年の国勢調査において京都市の人口の約11%が「学生」であり、この数字は全..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0107 地理学 第2設題 A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123381/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:08:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123381/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123381/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123381/thmb.jpg?s=s&r=1453734493&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にA判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0107です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第2設題のハワイ日系人についてまとめ[332]<br />第２設題：ハワイ日系人移民の現在に至るまでの歴史を簡単に説明し、さらに他の日系人移民先との違いをあげよ。
1.ハワイの日系移民の歴史
　1868年、149名がハワイへ渡航した。これが、最初のハワイへの移民である。このときの移民者を「ハワイの元年者」と呼ぶ。当時、日本全国を農村不況が襲い、農家の生活は困窮していた。そこに、急速に成長を遂げていた製糖産業の労働力が必要だったハワイ王国の国王が、日本との移民に関する協定を1882年に結んだ。この協定により、ハワイにおいて他のアジア系移民に対し、日系人の地位と数が優位となった。この協定に基づき日本政府は、ハワイへの移民者を募集し1885年からハワイへの移民の渡航が始まった。この移民を「官約移民」と呼び、この官約移民は1894年の第26回まで続いた。ハワイへの移民は約3万人にのぼる。その後20世紀に入ると移民法が改正、それに伴い日本からの移民は減少した。さらにその後の1924年排日移民法が制定され、事実上移民が不可能となった。現在、日系人の子孫三世は、ハワイでの発展に限界を感じ、より高い職業機会を求めて本土などに移住する傾向がみられる。そして、ハワイでもまた高齢化が進んでいる。
2.ハワイへの移民
　日本からハワイへ移民した移民者は砂糖農園労働者として雇われていた。ハワイ島のヒロやオアフ島のホノルルなどが主な渡航先で、各地のプランテーションにおいて1日10時間働き、1ヶ月男が16ドル、女が10ドルの稼ぎで野外仕事に従事していた。移民者の居住地は、ハワイ島、カウアイ島、モロカイ島、マウイ島である(図1～6、表1～6)。官約移民の移民は契約移民であったため、3年間という期限付きでの渡航であった。しかし、移民当初は期間終了後日本へ帰国する際、ある程度まとまった金額を持ち帰る事が出来たが、日本のインフレが進行し貨幣価値が下がったことにより期間が終了してもハワイに留まる人が増加した。ハワイへの渡航者は、広島、山口、熊本、沖縄、福岡と西日本の県の出身者が多く、その他東北日本の新潟、福島などであった。この中でも特に山口、広島の出身者が多く、第1回の渡航者のほとんどが山口、広島からであった。このように、官約移民者が西日本、特に山口、広島に偏ったのは、当時の外務大臣の井上馨が山口出身であったことにも関係している。井上馨は外務大臣でありながら..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0107 地理学 第1設題 A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123380/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:01:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123380/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123380/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123380/thmb.jpg?s=s&r=1453734081&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にA判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0107です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第1設題のアジアの農業についてまとめ[332]<br />第１設題：アジアにおける農牧業地域を図示し、さらに2、3の事例をあげて詳しく説明せよ。
1.アジアについて
　アジアは日本近辺を東限に、中東と呼ばれているアラビア半島付近を西限にし、その間の地域を指す。地域としては、東アジア、西アジア、東南アジア、南アジアに区分されている。
地形は、大陸部分には安定陸塊や古期造山帯が広がっており、プレートのせばまる境界にあたる部分には新期造山帯に属するヒマラヤ山脈やチベット高原など大山脈・高原が分布している。また、日本列島、フィリピン諸島、スンダ列島などの弧状列島も分布している。(図1)
気候に関しては、モンスーンアジアと呼ばれる東アジア・東南アジア・南アジアはその名の通りモンスーン(季節風)の影響を受け、夏は降水量が多い。冬はシベリアの寒気団の影響を受け、低音で乾燥した日々が続き、季節の変化が大きい。モンスーンアジアの気候区分は、日本の本州から中国東部にかけての温暖湿潤気候(Cfa)、インドシナ半島とインド半島の東海岸に見られるサバナ気候(Aw)、中国の華北・華南地方の温暖冬季少雨気候(Cw)、フィリピン諸島やインド半島の西部に見られる弱い乾季のある熱帯雨林気候(Am)、などがある。(図2)
西アジア・中央アジアは、モンスーンの影響が少なく乾燥した気候が中心の乾燥アジアとなっている。インダス川中下流の大インド砂漠からペルシャ湾を越えてアラビア半島に延びる砂漠地域がある。乾燥アジアの気候帯は、モンゴル高原から中国西部・中央アジアに広がっている内陸の砂漠気候(BW)・ステップ(BS)となっている。
マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島、スラウェシ島、ニューギニア島には、熱帯雨林気候(Af)が分布している。
2.アジアの農牧業について
　アジアは気温、降水量、土壌などの自然条件に恵まれていたため、古くから農業が発達していた。モンスーンの影響を受け、夏の降水に恵まれている東アジア、東南アジア、南アジアでは大河川の沖積平野を中心に稲作農業が行われている。この稲作は特にアジア的農業と呼ばれ、年降水量1,000mm以上の地域を中心に行われている。しかし、年降水量が1,000mmに満たない地域では、アジア的畑作と呼ばれる畑作農業が行われている。これは、中国の東北・華北やインド内陸のデカン高原など、やや降水量が少ない、また、水はけ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0108 地誌学 第2設題　B判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123383/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:14:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123383/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123383/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123383/thmb.jpg?s=s&r=1453734864&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にB判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0108です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第2設題でアメリカについてまとめてお[332]<br />第２設題：アメリカ合衆国について、自然環境と経済活動を中心とした地誌を作成せよ。
1.地形
　アメリカ合衆国は、そのほとんどが北アメリカ大陸に属し、東西約4000km、南北約2000kmの広大な領土を持つ大国である。西部には幅約2000kmの山地域、東部には幅500km内外の山地域がある。面積は9,629千平方キロメートル(2011年現在)で、アメリカ合衆国は、その広大な領土から様々な自然環境を有している。国土の30%程を森林が占め、両沿岸部には山脈がそびえており、東側には古期造山帯のアパラチア山脈、西側には新期造山帯のロッキー山脈がある。ロッキー山脈は、環太平洋造山帯に含まれている。その中央に安定陸塊が広がり、幅約1500kmの中央平原という低地帯が南北方向に配列している。中央部の低地帯は高度500m以下の波状地である。カナダとの国境付近には五大湖があり、主要な河川には、ミシシッピ川、リオグランデ川、コロラド川などがある。西部は、地形の特徴から海岸山系、ベイスンアンドレンジ区、コロンビア高原、コロラド高原、ロッキー山系の5地区に分けられる。これらは、太平洋側から順に東へ並んでいる。西部の乾燥地帯には砂漠地帯のコロラド高原があり、そこは中古成層がそのまま水平に隆起した平原である。そこには急崖やメサ、ビュートなど地質構造を反映した組織地形が存在する。また、ロッキー山脈は新期造山帯に含まれているように、現在も活発な活動を続けている。ここには、「ずれる境界」と呼ばれる横ずれ(トランスフォーム)断層のサンアンドレアス断層がある。このサンアンドレアス断層は、ロサンゼルスやサンフランシスコなどの大都市、シリコンヴァレーを貫くように分布している。(図1)
2.気候
　気候帯は、乾燥帯、温帯、冷帯の3つが分布している。冷帯は北部全域に、温帯は主に東部に、乾燥帯は西部に分布している。乾燥帯が分布している西部は、ロッキー山脈の影響を受け、偏西風によってもたらされるはずの湿潤な空気が入り込まなくなっているために乾燥している。年間降水量もその乾燥地帯は200mmから400mm程度にとどまる。しかし、全土を見てみると1200mmから多いところでは1600mm程度の降水量がある。
気候別に見ると、亜寒帯湿潤気候は、東部や中西部の大半が属す気候帯で、年間の寒暖の差が激しく、夏は多雨で冬の降..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0702 人文地理学 第1設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123384/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:18:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123384/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123384/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123384/thmb.jpg?s=s&r=1453735098&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にA判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0702です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第1設題の流通システムについてまとめ[332]<br />第１設題：日本における流通システムの特徴について簡潔にまとめたうえで、自分の住む都道府県または市町村区における小売業態の展開の変化とそれにともなう地域への影響について地図や図・表を２枚以上用いて述べなさい。
1.流通システムとは
　流通システムとは、生産側と消費側の間に存在している空間的、時間的な隙間を埋める産業のことで、生産の場所と消費の場所を結ぶネットワークのことである。
　流通システムには、卸売業と小売業が存在し、生産側と消費側の空間的、時間的なギャップを埋めている。卸売業はメーカー等の生産側と小売業をつなぎ、小売業は商品を取り揃えて最終的に消費者へと商品を繋いでいる。近年では、小売業が卸売業と提携して、独自の効率的な商品の配送システムを作るケースが増えている。卸売業は、小売業との取引が中心のため、大都市や地方の中核都市に多く見られる傾向があり、小売業は最終的な消費者との橋渡しとなるため、全国各地に分散して立地している。
2.日本の流通システムの特徴
　日本において流通システムは、元々、商品毎に販売する小売業が中心であったため、卸売業も同じく商品毎に構築されていた。生産から小売までに商品毎の卸売業者を流通して商品が届くのが一般的であった。小売を販売する商品で区分するものを業種と呼び、流通システムはこの業種毎に構築される、細く長く隅々まで網羅されているものであった。業種の特徴として、小売業の規模が小さいこともあげられる。
　一方、販売方法や営業形態によって区分するものが業態である。業態店には、スーパー等、規模が大きいのが特徴である。規模が大きくなり、業種を超えた品揃えとなったため、商品の仕入れは煩雑になる傾向となった。特に、全国展開のチェーンストアは、系列店に対して低コストでスムーズに、効率的に配送できるかが重要となった。
　チェーンストアでは業態ごとに特徴的な配送システムが構築された。スーパー等大量販売が中心の大型店では、配送センターに一括仕入れした後、それらの商品を店舗毎にまとめて配送する「一括配送」が中心である。一方、コンビニのような小規模店舗では、一括仕入れした商品を、配送トラックに満載し複数の店舗に配送する「ルート配送」が中心である。ルート配送は、密度高く集中して店舗を構えた方が、より効率的となる。
　日本では、海外から業態店が輸入された。まず、開..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2015年度合格リポート】Q0702 人文地理学 第2設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123385/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ミスターT]]></author>
			<category><![CDATA[ミスターTの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2016 00:18:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123385/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938787005757@hc15/123385/" target="_blank"><img src="/docs/938787005757@hc15/123385/thmb.jpg?s=s&r=1453735134&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の通信教育課程で、2015年度にA判定にて合格したリポートです。
コードは、高等学校地理歴史、中学校社会課程のQ0702です。
コードが違っても、設題が同じ場合はご参考にして頂けるかと存じます。
第2設題の公共政策についてまとめてお[332]<br />第2設題：地方自治体における公共政策の役割についてまとめたうえで、自分の住む都道府県または市町村区における公共サービスや基盤整備の中から、地域的特性に即しているものを地図や図・表を用いて述べなさい。
1.地方自治体における公共政策の役割
　まず、公共政策とは、民間部門だけでは供給できない財やサービス、また、解決できない問題に対して、公共の福祉を増進させるという目的で、公共部門が介入し、行う諸政策のことである。
　日本では、国が行う公共政策と地方自治体が行う公共政策がある。
　国が行う公共政策は、全国的な基盤整備や問題の解決、また、海外との渉外や世界的な問題に対して日本としてどのように対応するのか、など日本を単位とし、より大きく広い範囲に対するものである。つまり、国全体を良くする、国として対応するといったことを目的とした政策である。しかし、国が行う公共政策は、その規模の大きさから各地域の隅々までを網羅して政策を行うことは難しい。そこで、国とは別に地方自治体も公共政策を行っている。
　地方自治体の政策は、地方の隅々まで行き届いた政策を行うことが目的となっており。その単位は、都道府県や市町村レベルである。各地域に近い地方自治体が、各地域に合わせた政策を行っている。これは各地域に様々な違いがあるからである。例えば、ある市は人口が多く所得が高い、ある町では人口が少なく所得も低い、また所在地が、山間部や平野、沿岸部など、それぞれの地域において人口や所得、地形や気候などの違いがある。そうした各地域に、画一的な政策をしていては当然効果がでない。なぜなら、違いがあることによって、地域が求めるものも違うからである。そのため各地域に合わせた政策が出来るようになっているのである。しかし、地方自治体だけでも政策はしきれない。国と地方自治体が水平的な関係で連携を持って政策を行うことで、よりよい政策が行われているのである。
また、格差を埋めるというのも公共政策の役割である。各地域にはそれぞれ違いがあるが、その中には経済の格差も含まれている。人口の多さや所得の多さにより、地域間に経済的格差が生じる。その格差を埋める公共政策があり、それが地方交付税である。地方自治体によって貧富の差がある。そこで、税金を再分配し、より経済的に貧しい地域に多く、経済的に豊かな地域には少なく交付し、地域間所得の再分..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[農業論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106625/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106625/thmb.jpg?s=s&r=1379223864&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
現代世界の食糧問題が、先進諸国における食糧の過剰と開発途上諸国における食糧の不足との併存として現れている要因について分析しなさい。
　その場合、同じ開発途上国であっても、なぜサハラ以南アフリカや南アジア諸国において飢餓問題が生じているのか、考察しなさい。
　・はじめに
　先進諸国における食糧過剰と開発途上諸国における食糧不足との併存として現れている要因を先進国、開発途上国の食糧事情を比較しながら要因を探る。また、開発途上国であるサハラ以南アフリカや南アジア諸国でおきている飢餓問題も考察していく。
　・先進国
産業革命以降工業生産社会となり、農業もまた工業化され、大量生産が必須の要件となった。生産される農作物は商品として扱われ、収穫量が高く、成長の早い品種が開発、栽培され、広大な土地に単品種が栽培されていく。工業化された農業は、機械力の動員はもちろんのこと、大量の化学肥料や農薬が使用される。特に第二次世界大戦後に、化学肥料や農薬の大量投入がなされ、その内容が一新されることとなった。化学肥料や農薬、そして機械は、大規模なエネルギーと資源を使用する工業製品に他ならない。これらを..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本経済史第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106623/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106623/thmb.jpg?s=s&r=1379223863&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
「大戦ブーム」と「反動恐慌」について論じなさい。
明治維新から第一次世界大戦への過程、特に明治初期の殖産興業、日清、日露戦争が与えた日本の資本主義への影響を考えていく。
政府は富国強兵をめざして殖産興業に力をそそぎ、近代産業の育成をはかるとともに、封建的制度の撤廃につとめ、近代産業の発展の基礎をかためた。政府は１８７０年に工部省を設け、佐渡・生野などの金属鉱山や高島・三池などの石炭鉱山を官営とした。軍部の近代化をはかる意味から東京・大阪の砲兵工廠や横須賀・長崎の造船所の拡充に力をいれた。さらに輸出の中心となっていた生糸の生産に力をいれ、群馬県に富岡製糸場を設けた。１８７３年に設立された内務省は製糸・紡績などの軽工業の分野で、官営模範工場をつうじて民間の機械制生産をうながした。そして１８６９年蝦夷地を北海道と改称して開拓使をおき、１８７４年には屯田兵制度を設けて開拓を行わせ、１８７６年には札幌農学校を開校した。
交通・通信制度の整備にも力がそそがれた。交通では１８７２年東京・横浜間に官営の鉄道が開通した。また岩崎弥太郎の三菱会社に手厚い保護を与えて欧米資本の海運業に対抗させた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[特別活動論第１回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106622/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106622/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）①特別活動の教育的意義について、指定本に言うところと、「学習指導要領」及び「学習指導要領解説」に言うところの比較を含めて論じて下さい。
　　　　　②指定本の「実践編１」について論評してください。その際、「実践編１」の筆者が、どのような意図を持って活動に関わっているかを読み取って、その点を踏まえて下さい。
①
　特別活動とは、学級活動・生徒会活動・学校行事等を総称したものだと教育課程では規定されており、第二次世界大戦後に時間をかけて教育課程に組み込まれ、形式上インフォーマルなものからフォーマルなものになった。
　特別活動の目標として子どもたちが市民的資質を自分たちの中に築いていくことにある。折出は、その資質のキーワードとして、「権利」・「責任」・「参加」・「自治」・「アイデンティティ」の五つをあげ、「子どもたちが問題を自主的・共同的にとらえ、その現状を意味付けながら、その解決のための取り組みの課題意識と見通しを持てるようになる」ことに教育的意義がある、と述べている（折出2008、pp22－23）。学級単位や学年単位、学校単位で起こりうる問題解決の過程で、子どもたちがその問題を自..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[道徳教育指導論　第1回（1）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:22 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106621/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106621/thmb.jpg?s=s&r=1379223862&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）現在の日本の公教育において、道徳教育はどのように行われているか。
その仕組みと特徴について
そうした取り組みが、教師の道徳教育実践を支援するものになっているかどうかについて、具体的な根拠をあげながら述べなさい。
①　現在の日本の公教育での道徳教育の仕組み
公立学校における道徳教育は、学習指導要領第1章総則に記されているように、「道徳の時間を要として学校教育活動全体を通じて行うもの」である。すなわち、「各教科、総合的な学習の時間及び特別活動」を通じて行われるものであって、その中核として「道徳の時間」が置かれる。これを実施するにあたり、「道徳教育の全体計画と道徳の時間の年間指導計画」を作成する。広範なこれらを支える二つの柱は、以下のような内容である。
すなわち、全体計画として各学校の道徳教育の重点目標の設定を行い、各教科、総合的な学習の時間及び特別活動における指導の内容・時期を定める。また家庭、地域社会との連携の方法も必要となる。家庭では人格形成の基本的な場である。そして地域社会での異年齢集団や異世代との交流から、学校、家庭とは異なる学びを経験できる。
これらを組織的で計画的な取..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌学通論第（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106620/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106620/thmb.jpg?s=s&r=1379223861&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）世界のさまざまな地域で見られる自然環境の破壊について、テキスト第３章～第１０章の各地域のうちから二つを選び、その地域における現状と問題点とをまとめて述べよ。
熱帯地域における環境破壊
はじめに、熱帯雨林気候下でのシンガポールについて、シンガポールはマレー半島の南端に位置しており、淡路島ほどの面積を持つ。熱帯雨林気候下にあり、高温多雨である。イギリスの植民地となり、アジアニーズの一国として発展するが、かつてあった熱帯雨林の大部分が失われてしまった。1965年の独立以後、外国資本導入による工業化が推進され、急激な経済成長を遂げた。シンガポールは石油精製基地となり、造船や電気、電子などの工業が盛んである。
しかし、それにともない、環境問題もある。シンガポールは国土が狭く、人口密度が7382.0人/平方キロメートルと高く、経済活動が活発であることに起因している。
　特に水質汚染における海洋汚染が深刻である。石油精製、シンガポール港でのタンカー修理などから発生する汚染排水や、タンカーの座礁事故から排出される廃油などが原因となる。また、積極的な外国資本導入による工業化で、大気汚染も問題と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋史概説第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106618/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106618/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（２）フランス・ブルボン朝の治世を例に、絶対主義について論述しなさい。
Ⅰ　親政の始まりとヨーロッパ情勢
　ルイ１４世は政務の一切を宰相マザランに委ねてきたがマザランの死後権力を自らの手中に掌握することにした。彼は「朕は国家なり」という言葉を残す一方で、「国政に思いをめぐらし、その決定をなすのは、ひとえに国の元首たる者の任務である。他のなすべきは、ただ与えられた命令を実行するのみ」と国政覚書には記している。彼はマザランの家令としてその経理の才能を認められていたコルベールに王国財政を委ねた。
　スペインは新大陸の銀を獲得でハプスブルク家の衰退はおおいがたく、神聖ローマ帝国は３０年戦争のよる打撃により、今やみるかげもない怪物に例えられるほどとなった。スペインとドイツの没落に代わってオランダとイギリス威勢を高めていた。このような時期にコルベールは後にコルベルティスムの名で知られる経済政策を展開した。フランスはそれまでも重商主義政策を推し進めてきたが国際商業におけるフランスの立ち後れは明白であった。さらに重要なことは国際商業を支える国内産業の発展であった。フランスは多様性に富んだ土地を持っ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[西洋史概説第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106617/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106617/thmb.jpg?s=s&r=1379223854&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）ドイツにおける叙任権闘争の経緯とその結果、ドイツ史、ヨーロッパ史に与えた影響について論述しなさい。
Ⅰ　教皇権の目覚め
１０７６年ハインリヒ４世に教皇グレゴリウス７世から書面が届く。その内容はハインリヒが即位後ドイツ国内の教会改革を怠り、俗人の手による聖職叙任を禁止した四旬節公会議の決定にも関わらず、ミラノ大司教、フェルモとスポレトの司教を叙任したことを非難し、破門と廃位との威嚇の下に、ハインリヒの悔い改めを要求したものだった。直接のきっかけとしてはハインリヒが北イタリアの司教叙任を強行したことであり、この闘争を通じて「俗権による聖職者叙任」が争点をなしたばかりではなく教皇権と皇帝権の闘争自体、一つの妥協、ヴォルムスの和約へ到達した。
この闘争の背後には、教権と俗権との関係がいかにあるのか、根本的な意見の対立があったことが挙げられる。ドイツのテレンバハはその本質を「あるべき世界の秩序」をめぐる争いであったとしている。皇帝側からすると「あるべき秩序」は国王が皇帝は世俗の支配者であると同時に「塗油せられたる者」として、国内最高の司祭者でもあった。「杖と指輪」をもって国内の聖職者の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[生徒・進路指導論]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106616/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106616/thmb.jpg?s=s&r=1379223853&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）
学校教育において生活指導（生徒指導）が果たす役割について論じるとともに、戦後日本の学校教育における生活指導（生徒指導）の位置の変化について論じなさい。その際、教科指導や特設「道徳」の時間などとのかかわりに留意すること。
生徒指導とは、本来一人一人の生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能力態度を育成し、さらに、将来において社会的に自己実現できるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり、個々の生徒の自己指導能力を目指すものである。（注１）生徒指導が児童生徒一人一人が心身ともに健康であり、社会の中で自己実現できるように個性の伸長を図り、社会的資質を高めることを支援するためのものである。生徒指導は一人一人の児童生徒に対して個別的に行われ、何か問題が起こってから取り組むのではなく、児童生徒が将来にわたり自己実現できるように、開発的、長期的に継続する必要がある。生徒指導の目標として「自己指導力」が挙げられる。そのためには自発性、自律性、自主性の育成が重要である。この自己指導力を育成するためには学校教育全体で行われる教育目標を達成する機能として考える必要がある。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学概論第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106614/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106614/thmb.jpg?s=s&r=1379223852&t=n" border="0"></a><br /><br />設題（１）２０世紀以降の日本の人口変動の様相について調べ、その特徴をまとめてみよ。なお、人口に関する具体的な数値を示し、かつその出典を明記すること。
　第二次世界大戦直後、日本の人口は海外からの引き揚げ者およそ４９４万人の社会増加と、１９４６年から始まるベビーブームで１９４８年までに８０５万人余りの出生があったことで、増加した。（年次別全国推計人口（明治５～昭和３３年）『人口白書』P.121）
　しかし社会増加は１９４５年が特に高かったのみで、ベビーブームも１９４９年には収束に向かった。出生数・出生率ともに高かったベビーブームが終わると、出生数・出生率は急速に減少し、１９５７年には戦後最低の約１５７万人を記録した。（人口動態統計『人口の動向　日本と世界』P.49）
　出生率変化の特徴を調べるため、１９４７年と１９５５年のデータを比較すると、女子（母）の年齢階級別出生率で２０代の出生率低下の割合が３０％程度であるのに対して、３０代で５０％、４０代で８０％低下しており、高年齢の低下が大きい。出生順位別では、第一児から第三児の出生率はそれほど低下していないのに対して、第四児以上の出生率は大き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会思想史　第二回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106610/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106610/thmb.jpg?s=s&r=1379223844&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会思想史、評価Ａ＋[60]<br />設題（２）１
以下のテーマのうちいずれかを選んで論ぜよ。
１８世紀後半のドイツ思想について論ぜよ。
ドイツ観念論の社会思想について論ぜよ。
　ドイツはイギリスやフランスと異なり近代化が遅れた。それは宗教戦争によりドイツの国土は荒廃し人口も激減したことからあらゆる分野において発展が遅れてしまった。しかし、人間精神は異なっていた。「上からの近代化」によりドイツの啓蒙化は進むが政治、経済の発展が滞ったため現実的生活の改革までには及ばず意識内部の改革へと向かった。その中で１８世紀の啓蒙思想はカントにより完成される。今回はカントについて考えていくことにする。
カントは「啓蒙とは何か」において、啓蒙とは人が未成熟の状態から抜け出すことであるとし、「理性の公共的使用」によって社会全体に啓蒙がもたらされると主張した。理性の公共的使用とは、「教養のある人が読者層全体に向けて自由に発言すること」である。それに対して、理性の私的使用とは、「特定の役職に就いている人の理性の使用」のこと。この場合は、上司の命令を批判する自由は制限されてよいとカントは述べている。つまり、表現の自由を通じて批判的な世論が形成される..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会公民科法第２回（学習指導案）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:44:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106608/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106608/thmb.jpg?s=s&r=1379223843&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />学習内容 
学習活動と指導上の留意 　　　　時間 
資料等 
導
　
入 福島第一原発の事故により原発への関心が高くなってきている。宿題で原子力発電所の長所と短所について調べてきてもらう。それを次の「展開」で発表してもらう。
教師が福島第一原発の事故を説明する。その際、生徒にも被害の内容を知っている範囲で答えてもらう。
例）冷温停止状態
　　津波による破損
　　放射性物質
　　などを挙げてもらう。 
１０分 教師の説明と発問、それに対する生徒の発言。 
展
　
開
ま
と
め １）原子力発電所の長所・短所
（発言例）
原子力：
＜長所＞
・安定、大量の電力
・単価が安い
・温室効果ガスを出さない。
・大気汚染の原因となる酸化物を出さない
＜短所＞
・事故が起きた際、放射能によって土壌や大気を汚染する。
・事故が起きて放射能が流出すると、人が近付けなくなり修復が困難になる。
・処理方法
ウランの残りカス「プルトニウム」を適切に処理する方法が無い。
＜事例＞原子力発電所の問題について深く考える。2011年の福島第一原発の事故によって原発の危険性が明らかになった。セシウムとは？なぜ海岸沿いに..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106605/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106605/thmb.jpg?s=s&r=1379223836&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（１）
テキスト第１編「中学校社会科の課題と実践」をすべて読んで何を学び考え、テキストからどのように今日の中学校社会科の課題を理解したのか述べなさい。
そして、その課題に答える内容の学習指導案（１時間分）の一例を作成して下さい。指導案は地理か歴史分野のいずれかを選ぶ。かならず教材（コピー可）も一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
　先進国であるがゆえに地理、歴史、の授業は主観的な、そして公民においては私たちにとって身近な問題を扱っているにも関わらず教科書では具体的な事例が挙げられていない。そのため身近で起こっていても興味、関心を持てないこともある。また、生徒参加型の授業を行うことで生徒自身が主体となって学ぶ必要がある。ここでは地理、歴史、公民科教育における課題（第Ⅱ節）を挙げ、そして子どもが自ら学ぼうとするためには教師がどのようなことに注意しなければならないか。また、テキストの実践例を基に教材選定とよりよい教材作りをするために必要なことを考えていく（第Ⅲ節）。そして最後に生徒と教師が客観的に物事を捉え、そして生徒が主体となって学習できる環境を教師が整えるためには何が必要かを考えていく..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[社会・公民科教育法第2回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106604/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106604/thmb.jpg?s=s&r=1379223835&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、社会公民科教育法、評価Ａ＋[69]<br />設題（２）
テキスト第２編をすべて読んで、何を学び考え、また自ら今日の若者の政治・社会意識の現状と特徴を分析し、その両方から導かれる高校公民科教育の課題について述べなさい。
そして、その課題にこたえる公民科の一科目の指導案（１時間分）を作成して下さい。教材（コピー可）をかならず一枚付けて下さい。
Ⅰ　はじめに
今やグローバル化が進む中で国家主義が再び登場してくる社会になった。人権、民主主義は国家主義に抑圧されつつある。それを回避するためには公民科で人権、民主主義について学ぶ必要がある。しかしその公民科教育は、国家主義的な道徳を植え付けようとしている。また、高校公民科の授業実践を踏まえて問題の解決を導く。
Ⅱ　人権・民主主義の学習
　人権とは個人を取り巻く社会が生きる権利を保障することである。これは私たち人間が当たり前のように持っている権利である。「すべて国民は健康にして文化的最低限度の生活」を保障し、「義務教育は、これを無償とする」というものは国会に請願した結果盛り込まれていた。よって日本国憲法が押しつけではないと言うことでもある。また、情報化時代となったためマス・メディアを通じて世界がつながるようになった。情報はありふれるようにはなったが、国家や企業が巧妙に情報を操作することも可能となった。国民主権の立場から新しくできた権力に対してどう規制すべきかという視点も必要になっている。
　民主主義の重要な内容は人間の尊厳を承認するという基礎の上で個々の人間の対等平等性を主張することである。また、機構原理として機能するためには人間の自由と平等が必要である。しかし対等平等をうたっているが、経済格差や雇用不安、差別問題など人間の尊厳を揺るがすような大きな課題である。経済活動はグローバル化したことにより生活破壊や環境破壊を引き起こすことにもなった。これらから私たちは人間の尊厳、対等平等性の実現を目指して不断に努力しなければならない。
今日では国民国家を越えてＮＧＯなどの活動も大きな広がりを見せている。民主主義を守り発展させることは私たちの責任である。
Ⅲ　高校社会科教育の解体と政治介入
　戦後、社会科教育は平和で、民主主義的社会を形成する人間を育成する教科として再編される。しかし、１９５７年の第三次学習指導要領改訂では指導要領が「法的な拘束力」を持つものとされ、「道徳」を特設..]]></description>

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			<title><![CDATA[工業論第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:54 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106602/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106602/thmb.jpg?s=s&r=1379223834&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、工業論、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）
後進国の工業発展と技術革新について、第二次世界大戦後の日本のケースについて論じよ。また、アジアＮＩＥｓ、ＡＳＥＡＮ、中国、インドなどから最低一国を選択し、工業発展と技術革新の観点より日本のケースと比較検討し、結論を導け。
＜日本の工業発展と技術革新＞
第二次世界大戦後の日本について、戦後の日本が急速に回復した理由は朝鮮戦争に伴う、特需であった。後方補給基地として、アメリカが食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などを日本で行ったため経済が活性化した。そして1955～73年の20年近くの間、日本経済は成長率が年平均10％をこえる高度成長を続け、国民総生産であるＧＮＰは、1968年に資本主義国ではアメリカにつぐ第2位の規模に達した。鉄鋼・造船・自動車・電気機械・化学などの部門が、アメリカなどの技術革新の成果を取り入れて設備を更新し、石油化学・合繊繊維などの新部門も急速に発達した。鉄鋼業の例を取ると、薄板圧延方式からストリップ・ミル方式を導入することで大量生産が可能となった。こうした薄板での量産方式の導入は自動車、家電などの耐久消費財産業への原料供給体制を築くものとなった。..]]></description>

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			<title><![CDATA[経済史第２回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106600/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106600/thmb.jpg?s=s&r=1379223827&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、経済史、評価Ａ＋[54]<br />設題（２）第２次大戦が生じた経済的要因とは何か。第１次大戦後のドイツおよびアメリカ経済のそれぞれの状況を踏まえて論じなさい。とくに、1920年代と1930年代の両国経済のあり方を十分に比較・対照しながら、ドイツがなぜ大戦までに至ったかに留意して、この課題に取り組みなさい。
＜ドイツ経済＞
（１）第一次大戦後のドイツ経済
第一次世界大戦の敗戦国ドイツについてロンドン会議では、ドイツは１３２０億マルクもの多額の賠償金を払うよう決定した。これは天文学的な賠償金の額であり、とても払える金額ではなかった。これにより、ドイツはこの賠償金の支払いを滞らせるようになった。しかし、この賠償金の不払いによりフランスは、ドイツでも有数の工業地帯のルール地方を占領した。これによりドイツ経済は致命的な打撃を被り破綻状態となった。失業率は１０％を超えた。これに対し、政府は企業の補償と失業者の生活保護のために巨額の不換紙幣を乱発した結果、ハイパー・インフレが生じた。ドイツのハイパー・インフレが収束したのは、シャハト氏が新たにドイツの中央銀行であるレンテン銀行を設立し、そのレンテン銀行の総裁に就任してからであった。シ..]]></description>

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			<title><![CDATA[教育相談第１回（２）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106598/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106598/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談、評価Ａ＋[57]<br />設題（２）カール・ロジャーズ（Carl Rogers）のカウンセリングの要点を紹介し、それらを青年期の生徒の指導に用いる場合の注意点と問題点、限界を考察せよ。
＜ロジャーズのカウンセリングとパーソナリティ理論＞
　　カウンセラーが来談者に対して指導、助言、指示を与えるのではなくカウンセラー主導の関係から来談者の能動性とした。その一方で能動性が引き出される契機として、カウンセラーの存在と役割を重視している。これを来談者中心療法という。来談者中心療法は、来談者が自己受容・自己成長により問題を解決するとした。それにはロジャーズの人間観である「自己実現傾向」があることによって説明することができる。人間は有機体として、生理・心理的発達、分化、成熟へ向かう傾向を示し、依存から独立へと発展。欲求を満たすために、自動的に調和を保つように機能する傾向を本来持っていると考えた。すなわち、人はどのような時でも自己の人間的な成長を目指す前向きな姿勢を持っているということである。来談者はカウンセリングがうまくいくと自己不一致から自己一致へと向かう。自己不一致の状態とは不適応状態のことでこれは「自己概念」が「経験」とかけ離れ固定化した時に起きる。理想的自己と現実の自己との隔たりも大きい。（注１）自己概念とは自分についての認知であり、経験は個人の内面的世界である。ここで来談者の主体的経験が尊重されて明らかにされると自分の感情を感じ取れるようになる。そして来談者が自分の経験と自己概念の不一致に気付けば自己不一致から自己一致へと変化する。
ロジャーズはカウンセラーの役割を重視した。来談者の能動性を前提としている一方来談者の能動性を引き出すためにその役割について重視している。ロジャーズはカウンセラーに共感的理解、無条件の積極的尊重（受容）、自己一致を求めた。
共感的理解とは、共感は同一化とは異なり、「あたかも」同一化しているようにみえることである。共感とは一つになることではなく、別の二つが全身で浸透しあった状態をさす。人が何かを選択し、行動する背景には、その人の理由がある。それを、ロジャーズは、「内的準拠枠」と呼んだ。相手の内的準拠枠を理解しようとしなければ、話し合いは往々にしてすれ違う。つまり共感とは、自分の中の価値判断を押し付けて相手と一つになることではなく、カウンセラーはカウンセラー、来談者..]]></description>

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			<title><![CDATA[教育相談第１回（１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106597/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106597/thmb.jpg?s=s&r=1379223826&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育相談　評価Ａ＋[57]<br />設題（１）
　いじめの事実を思い浮かべつつ、思いやりがあって権威に盲従しない、しっかりした人格を形成するために、教育はどのような援助が可能か考察せよ。
　＜思いやり行動を促進する条件とは＞
　いくつかの関連性で思いやり行動が検討されてきた。まず、子どもの性や家庭での出生順位、家庭の社会経済的地位などの人口統計的変数。つぎに子どもが社交的か否かと社会的状況の中での対処能力。そして他者に対する同情や共感的反応性と関係している。またＩＱ、他者の視点取得能力などの認知的発達をあらわす能力である。最後に思いやり行動に一貫性を示しているかである。
　これらの思いやり行動を促進するには彼等を取り巻く環境が大切である。最も思いやり行動に影響を与えるのは家族である。その思いやり行動を促進するために親は誘導的なしつけをし、他者の視点、共感性、同情心を奨励する。次に友だちやクラブ、近所の人、教会、学校といった家庭外の影響である。こういった自分を取り巻く環境で相手を思いやる行動は育まれていく。
　＜権威に盲従するメカニズム＞
ミルグラム実験の実験から、約６５％の被験者たちが、隣室から聞こえる悲痛な叫びと実験..]]></description>

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			<title><![CDATA[教育の制度経営第１回]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teimeisen12]]></author>
			<category><![CDATA[teimeisen12の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 14:43:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945510795965@hc13/106596/" target="_blank"><img src="/docs/945510795965@hc13/106596/thmb.jpg?s=s&r=1379223825&t=n" border="0"></a><br /><br />法政大学通信教育部、教育の制度経営　評価Ａ＋[66]<br />設題（１）テキスト『学校経営』（小島弘道編著、2009年）の確証には、その末尾に「考えてみよう」というコラムがあります。これらを参考にしながら、日本における教育の経営と制度に関する問題や課題について、自分なりに自由にテーマをたて、テーマに即した資料や事実を探し、先行研究などを参照して、そのテーマを論じて下さい。なお、論述に際しては、冒頭の１行目に２０字以内で具体的なテーマを記し、次の１行をブランクにして、本文を書き始めて下さい。
Ⅰ　はじめに
最近教師が精神を病み休職したり、自殺をするケースが増えている。教師は人間と接する機会が多くストレスを抱えやすいと考えられる。しかし、それ以上に教師としての業務とは異なるものが多く存在していることも言える。例えば親が出来ないようなしつけを教師や学校が対応すること。また、最近では給食費の徴収を教師がやるなど教師の多忙化も挙げられる。今回は小野田正利氏の「悲鳴をあげる学校」からイチャモンをつける保護者と地域住民の問題点（第Ⅱ節）とどのように対応すべきか（第Ⅲ節）、そして地域の在り方（第Ⅳ節）を考える。最後に学校と地域がどのように今後協力していく必要が..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[先住民族の現代的課題-アイヌ民族の共生-]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tamugi05]]></author>
			<category><![CDATA[tamugi05の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 18:45:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957938659738@hc09/93931/" target="_blank"><img src="/docs/957938659738@hc09/93931/thmb.jpg?s=s&r=1338716720&t=n" border="0"></a><br /><br />A判定/イヌイトとアイヌ民族の国による処遇の違い、またアイヌ民族の現代的課題について考察しています。
日本国民にとって知っておくべきアイヌ民族の歴史と現状について詳しく記述してあります。
文中にウィキペディアからの引用がありますが、今後は使[352]<br />先住民族と現代の共生
共生社会を目指す長い道のりの中で、乗り越えなければならない大きな問題の一つに「民族」の課題がある。民族同士の対立は今、現在も多く起きている。また、争いとして形に現れていなくても、日本国内にも争いの火種＝排除したい存在がいることは否定できない。在日外国人に対する偏見や竹島をめぐる韓国への感情、拉致問題に因る北朝鮮への反感など、日本にも共生社会を妨げる差別として民族の形態をとる課題は多く存在している。
本レポートでは、世界的な傾向として先住民族の諸権利を求める先住民運動が盛んになった1970年代からのアイヌ民族とイヌイトの辿ってきた歴史についてまとめ、先住民族の現代的な課題を、私たち日本に住む者にとってより身近に感じやすいという観点からアイヌ民族に重点を絞って考察する。
●アイヌ民族
北海道新聞情報研究所の「北海道丸ごと早わかり」の「アイヌ民族」の紹介分の冒頭には以下のように記述がある。
先住民族としてのアイヌ民族」
　アイヌ民族は日本の先住民族で、かつては本州の東北部から北海道、サハリン、千島など広い範囲に住んでいた。古くから独自の民族文化を保持し、自然と調和して生..]]></description>

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			<title><![CDATA[川端康成の作品の美について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64209/]]></link>
			<author><![CDATA[ by brain]]></author>
			<category><![CDATA[brainの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 Feb 2010 23:32:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64209/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956849798603@hc10/64209/" target="_blank"><img src="/docs/956849798603@hc10/64209/thmb.jpg?s=s&r=1266935538&t=n" border="0"></a><br /><br />川端康成の作品の美について
序論 
　筆者は「毎年の日本」という本を読んだ時「日本 の文豪の遺作」という論文を見た。それによると川端康成は「日本の2 0世紀の古 典作家」である。川端康成は美と感性を反映した作品を書き、ノーベル賞を受賞し た、偉大な作家である。それから筆者は0本人の感性を知るために川端康成の作品 が読みたくなつた。この作品を読んで、作品の中で美が含まれていることが自分で分かった。
美というのはとても広い意味を持っている。私たちは美しい背景や、美人や、美しい関係などという表現を言えるだろう。川端康成はこの美のいろいろな面をとて も細かく自分の作品で述べる。
この本稿の目的は川端康成の作品にいろいろな美の面が入っていることを明らか にすることである。川端康成は人並外れた敏感な感賞を働かせる。そして、何で も美を見ける。日常の生活の中でも美を観賞できると作家川端康成は私達に教え ていると思う。これはI」本の国民の一つの美的観念のあり方である。この川端康成 の「美」のテーマはすべての著作に表れている。『伊豆の踊り子』や『雪国』や 『山の音』や『眠れる美女』などにおいてこの筆者の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[論文：『李蛙伝』考――登場人物の性質・性格]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63549/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 東大生KOHKI]]></author>
			<category><![CDATA[東大生KOHKIの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 03 Feb 2010 22:43:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63549/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956912323808@hc10/63549/" target="_blank"><img src="/docs/956912323808@hc10/63549/thmb.jpg?s=s&r=1265204611&t=n" border="0"></a><br /><br />『李娃伝』は，唐代伝奇小説において恋愛を主題とした小説群，いわゆる（漢文には珍しくみえる）艶情類の中で優れた代表作とされている。ここでは，特に個性豊かなその登場人物に焦点をあて分析し，『李蛙伝』に隠れている構造を明らかにする。[339]<br />...... .
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		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文科学とは　理解することとは]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430061101@hc06/10237/]]></link>
			<author><![CDATA[ by min0921]]></author>
			<category><![CDATA[min0921の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 03 Aug 2006 00:42:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430061101@hc06/10237/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430061101@hc06/10237/" target="_blank"><img src="/docs/983430061101@hc06/10237/thmb.jpg?s=s&r=1154533321&t=n" border="0"></a><br /><br />人文科学とは、「人が織り成す文様」という意味をもつ『人文』と、「独自の方法で体制的に研究する学問」、すなわち化学などの自然科学を指す『科学』の2つから成り立っている学問であると考えられる。またそれ自体は政治、経済、社会、歴史、文芸をはじめ、[358]<br />人文科学とは、「人が織り成す文様」という意味をもつ『人文』と、「独自の方法で体制的に研究する学問」、すなわち化学などの自然科学を指す『科学』の2つから成り立っている学問であると考えられる。またそれ自体は政治、経済、社会、歴史、文芸をはじめ、哲学、言語学、心理学など広く文科系の学問の総称である。
しかし人文科学を科学ではないかと考えられることも出来る。
科学とは体系的であり、経験的に実証可能な知識で、物理、化学、生物などの自然科学が科学の典型とされ、経済的、法学などの社会的、心理学、言語学などの人間科学や、一般世界や知の主体の一般をとらえる近代科学も科学の一種である。
しかし科学には3つの特性がある。1つ目に、事実を事実として正確に捉えているという意味の『方法的認識』。２つ目に、方法を提示し、その方法が厳密，明確，的確であり、誰もが追試を行い，同一の答えとなる『強制的確実性』。そして、３つ目に他の人が吟味し，いつどこでやっても同じであり，真実として成立する『普遍妥当性』の３つである。
それでは人文科学はこの3つの特性を持っているのかというと、一つ目の方法的認識に関していえば方法が厳密で明..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【早稲田大学】saiteとpositionの視点から新宿駅を観る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431933401@hc05/6424/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 【現役私立中教師】daisuke]]></author>
			<category><![CDATA[【現役私立中教師】daisukeの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 08 Feb 2006 21:11:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431933401@hc05/6424/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431933401@hc05/6424/" target="_blank"><img src="/docs/983431933401@hc05/6424/thmb.jpg?s=s&r=1139400684&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の私が対象とした地域は、｢新宿駅周辺｣である。この町は買い物するにも便利であるし、移動する場合においても鉄道各線が走っている。また鉄道だけでなく、高速バスの発着地の役目も果たしている。このように私に多くの人々に、利用されている｢新宿駅周[360]<br />　今回の私が対象とした地域は、｢新宿駅周辺｣である。この町は買い物するにも便利であるし、移動する場合においても鉄道各線が走っている。また鉄道だけでなく、高速バスの発着地の役目も果たしている。このように私に多くの人々に、利用されている｢新宿駅周辺｣が、どのようにその形を作っていったのか見ていこうと思う。
｢Position｣の視点から
　新宿周辺が中心地となったのは、江戸幕府によって制定された甲州街道の宿場町｢内藤新宿｣の賑わいにさかのぼる。甲州街道は江戸を起点とする五街道（東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道）の一つで、経済上、軍事上、重要な交通路であった。距離は約５６里、つまり約２１９kmであった。内藤新宿の成立は甲州街道最初の宿場・高井戸が日本橋から遠かったことに関係する。日本橋と高井戸の間は約１６ｋｍもあり、人馬には長かったために、中間地点の四谷に宿駅開設の願いが出されたのである。当時四谷付近の街道の両側は信州高遠の城主・内藤若狭守の下屋敷であった。その他の一部が公収されたので、「内藤新宿」という宿場名がついたのである。幅五間半（約１０ｍ）の街道と東西９町余（約９８２メー..]]></description>

		</item>

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