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		<title>タグ“京都学”の公開資料</title>
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		<description>タグ“京都学”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[京都学「京都は多方面から見て魅力的なのか」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930196754841@hc18/134726/]]></link>
			<author><![CDATA[ by huhuhuhu]]></author>
			<category><![CDATA[huhuhuhuの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 24 Jul 2018 03:09:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/930196754841@hc18/134726/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/930196754841@hc18/134726/" target="_blank"><img src="/docs/930196754841@hc18/134726/thmb.jpg?s=s&r=1532369380&t=n" border="0"></a><br /><br />◯ はじめに
　このレポートは、古郷京都の文化財と京都御所、そして先端企業の3つの視点から、「京都学」の目的や意義を提案し、魅力に溢れた場所なのかを考えていく。また、説得力を生み出すために具合的な数字を上げる。

◯ 目的
　立命館[338]<br />1 
レポート論題課題文 
「『京都』は多方面から見て魅力的なのか」 
◯ はじめに 
このレポートは、古郷京都の文化財と京都御所、そして先端企業の3つの視点から、
「京都学」の目的や意義を提案し、魅力に溢れた場所なのかを考えていく。また、説得
力を生み出すために具合的な数字を上げる。 
◯ 目的 
立命館大学に入学してくる学生の中に、「京都の大学だから」と志望してくる学生が
少なからずいる。京都の町は、大学の勉学を向上させたり私生活を送ったりする上で、
歴史や文化など様々な面で魅力がある。しかし、本当にそうなのだろうか。 
自身の私生活での行動範囲は、北野白梅町駅と立命館大学を行き来しているため、「京
都の町は他の県にはない、魅力が沢山詰まっている」と感じにくい。 
ここから、京都の町が、歴史や文化、先端企業などを声高に主張するのはなぜなのか
という自身の疑問から、文献やインターネットなどで調査した例などを元に論述してい
く。 
◯ 本論 
用語の説明 
・「古郷京都の文化財」とは、「平安時代から江戸時代まで日本の首都が置かれた京都
は、政治経済の中心地であるとともに各時代の文化を牽..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[室町将軍御所の展開]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431047801@hc06/13749/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sirica]]></author>
			<category><![CDATA[siricaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 May 2007 17:16:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431047801@hc06/13749/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431047801@hc06/13749/" target="_blank"><img src="/docs/983431047801@hc06/13749/thmb.jpg?s=s&r=1180167405&t=n" border="0"></a><br /><br />〇室町将軍御所の展開―上御所・下御所―
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
平氏の時代から、武士の住む場所は六波羅の辺りであった。武士の時代と言えども、鎌倉時代の終わりまでは武士は京都の真ん中には住めなかったのであ[356]<br />〇室町将軍御所の展開―上御所・下御所―
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
平氏の時代から、武士の住む場所は六波羅の辺りであった。武士の時代と言えども、鎌倉時代の終わりまでは武士は京都の真ん中には住めなかったのである。後醍醐天皇による建武新政期になり、地方の武士が洛中に入り込むが住む場所がないので貴族の作りかけの家、つまりは人の家を奪い取った（私宅点定）様子は『二条河原落書』にもある。
足利尊氏・直義の二頭政治期になり、将軍である尊氏は天皇を守る為に天皇と共に六波羅&rarr;押小路高倉（のちの等待寺）&rarr;土御東洞院&rarr;二条万理小路へと住居を変えていった。一方、直義は尊氏初期のパートナーのであり、実弟である。直義の屋敷は三条坊門で固定。尊氏は主従制的支配権を持っていたが、直義は統治権的支配権を持っていたので直義の周囲には多くの有力武士が集住していた。幕政の中心である直義の住む三条坊門が事実上の幕府であったと言える。しかし、この段階ではまだ将軍御所ではなかった。
尊氏が息子の義詮に政権を渡そうとした為に納得のいかない直義と尊氏の争い、観応の擾乱で直義が殺され、失脚した後、尊氏..]]></description>

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