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		<title>タグ“井原西鶴”の公開資料</title>
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		<description>タグ“井原西鶴”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[国文学基礎講義_課題2　第2版]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/150339/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kz355]]></author>
			<category><![CDATA[kz355の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Dec 2022 12:05:31 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/150339/" target="_blank"><img src="/docs/920554918266@hc21/150339/thmb.jpg?s=s&r=1670987131&t=n" border="0"></a><br /><br />2022年度までのレポート課題です。
日本近世文学における井原西鶴『好色一代男』の画期性とその時代背景について論じています。[177]<br />一．概要
　井原西鶴の功績として、大まかに次の四つを挙げる。
　・「浮世草子」という新しい文学ジャンルの先駆けになったこと。
　・当時の大坂出版業界発展の火付け役となったこと。
　・前時代の文学の中心的要素であった「雅」と、町人の価値観である「俗」を織り交ぜた作品を生み出したこと。
　・好色物に留まらず、多彩な文学作品を生み出したこと。
　これらの活躍の背景には、経済発展に伴う町人の台頭が深く関連している。
二．時代背景
　まず、西鶴の作品について論じる前に当時
の社会環境を確認する。
　　寛文六年（一六六六）、『遠近集』という句集に西鶴作の俳諧が三句収録された。これを西鶴の文学活動の端緒とすると、その活動期間は１７世紀後半に位置するといえる。この時期、日本は大坂の町人を主体とする元禄文化の直中にあった。大坂の陣の終結により平和が訪れ、経済活動が活発になる時期である。一般の市民層にも経済的余裕が生まれ、浮世草子や浄瑠璃、俳諧に代表される文芸や浮世絵などの娯楽が浸透し始める。日用の知識や作法を収めた『家内重宝記』や大坂の商工業を案内する『難波雀』といった地誌・重宝記などの書物も出版され、..]]></description>

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			<title><![CDATA[【2024年度対応】日本文学史 リポート2題＆試験解答7題セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926032529572@hc19/139482/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zinchenko]]></author>
			<category><![CDATA[zinchenkoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Feb 2020 16:32:18 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926032529572@hc19/139482/" target="_blank"><img src="/docs/926032529572@hc19/139482/thmb.jpg?s=s&r=1580628738&t=n" border="0"></a><br /><br />【佛教大学 日本文学史
リポート２題＆科目最終試験6題セット】

参考資料:国語教育プロジェクト編著『原色シグマ新国語便覧―ビジュアル資料 【増強３訂版】』(文英堂,2019)

本資料は、これ一つで単位取得が目指せるよう作成した[318]<br />　上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
 〈古事記・万葉集・古今和歌集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉

はじめに

 古典文学は、上代、中代、中世、近世という時代区分に分けて考えることができる。本リポートは、諸作品(古事記・万葉集・古今和歌集・女流日記・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説)を例に出しながら、それぞれの時代の特性について具体的に説明していくものである。また、本リポートは、国語教育プロジェクト編著『原色シグマ新国語便覧 ビジュアル資料〔増補３訂版〕』(文英堂,2017)の内容をまとめたものである。

　1.上代

 弥生時代から平安京遷都までを文学史では上代と呼ぶ。共同体、小国分立の時期を経て大和政権による全国統一が成り、律令国家が成立した時代である。
　この時代の文学における大きな出来事としてはまず、口承文学の誕生が挙げられる。この時代の人々の安全や収穫は、自然現象によって大きく左右されていた。そこで、美しい言葉で神に祈ればその願いが実現するという言霊信仰があり、祭りの場で用いられる言葉が格調高く整えられ表現にも工夫が凝らされていた。こうした口承(口頭による伝承)によって誕生した文学が口承文学である。
　やがて、五世紀ごろ、漢字が伝来し、万葉仮名などの表記法が考え出され、神話や歌謡は文字によって書きとどめられるようになっていった。政権の安定と正当化を意図した大和政権は、諸国の氏族を皇室の配下に位置づける形で史書や地誌の編纂を行った。ここではその例として『古事記』を挙げたい。

　♢古事記

　　古事記は、上・中・下の三巻で構成された現存する最古の書物である。中には長短あわせて約百十種の歌が含まれており、その種類も様々だ。
　表記はすべて漢字であるが、序文は純粋な観文体、本文は漢字の音訓をまじえた変則の漢文体、歌謡は万葉仮名による一字一音式で記されており、語り継がれた国語を忠実に文章化しようとする努力がなされている。
　また、天皇の日本国支配の正当性を強調し、天皇制の下での国家統一を目指して編まれており、叙述的な文学の性格が強い。
　
　やがて、統一国家形成の過程で、都市生活を営むようになった人々は、共同体的なものから切り離さ..]]></description>

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			<title><![CDATA[日中怪奇文学対照]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1617/]]></link>
			<author><![CDATA[ by avx28993]]></author>
			<category><![CDATA[avx28993の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 20:18:59 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432231401@hc05/1617/" target="_blank"><img src="/docs/983432231401@hc05/1617/thmb.jpg?s=s&r=1122376739&t=n" border="0"></a><br /><br />「これは御伽婢子に見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交わりをなせし形にして、もとは剪燈新話のうちに牡丹灯記とてあり。」（&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;より）
　江戸時代に入ってから、日本文学に対する中国明朝の影響が著しく、&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;もその影[356]<br />　「これは御伽婢子に見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交わりをなせし形にして、もとは剪燈新話のうちに牡丹灯記とてあり。」（&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;より）
　江戸時代に入ってから、日本文学に対する中国明朝の影響が著しく、&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;もその影響を受けて成立した物語の一つである。&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;の元々の原題は『剪燈新話』という書の中の&ldquo;牡丹灯記&rdquo;というもので、これを江戸時代前期に浅井了意が『剪燈新話句解』として翻訳し、牛込の旗本の話を絡ませたものが短編『伽婢子』であり、そこから取られたものがこの&ldquo;牡丹灯籠&rdquo;である。後に江戸時代末期から明治にかけて活躍した落語家三遊亭圓朝も中国の物語からヒントを得て怪談話を創作しており、&ldquo;怪談牡丹灯籠&rdquo;を書いており、ここに『剪燈新話』が『剪燈新話句解』から版を重ねて日本で出版されたことが分かる。なお、前述の『剪燈新話』は中国明朝(近世)に瞿佑によって成立したものであり、中国では1400年代に読み始められ、それが日本に伝わるのは1400~1500年代の戦国時代（中世）のことであり、さらに時間を必要としている。当時の中国には倭寇の来襲が繰り返されており、そのため「日..]]></description>

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			<title><![CDATA[枕は残るあけぼのの縁]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/]]></link>
			<author><![CDATA[ by infantile527]]></author>
			<category><![CDATA[infantile527の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 30 Jun 2005 21:03:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432318901@hc05/672/" target="_blank"><img src="/docs/983432318901@hc05/672/thmb.jpg?s=s&r=1120133012&t=n" border="0"></a><br /><br />奈良坂は、しばしば露が一面に降って時雨のようになり、児手柏も色を変え、また紅葉色になった高山・花山・若草山の三山が鯉の形のようにみえる。春日の里三条通りに、軒の下の松は年を取り、昔宗親という小鍛冶の住んだほとりに、今も細い煙をたててみすぼら[360]<br />近世国文学演習『懐硯』巻三・四(前半)
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　枕は残るあけぼのの縁
◎語釈
縁語
奈良坂と時雨・柏
露と霧
時雨と雲
奈良坂
奈良市から京都府相楽郡木津町に通じる京街道の坂道。古くは、平城京内裏の北側からの坂道（歌姫越）を言った。古称は、般若坂。
歌枕
「時雨降行奈良坂や」（永代蔵、一の五）
露時雨
露が降りてあたりが湿っていること。また、草木の葉などに露がたくさんたまって、そのしたたるさまが時雨の降るようであること。
児手柏
ヒノキ科の常緑樹で、中国が原産地。わが国には元文年間（1736～41９に渡来した。観賞用に栽植される。
　
縁語
飛火野と春日・鍛冶
三笠山と春日・飛火野
鯉の形せる山
奈良公園より見て右から高山、花山、若草の三山を遠望した形をいう。三つの山の紅葉を鯉の鱗にみたてている。
さら也
いうまでもない。
春日の里三条通り
奈良市の春日大社一帯の称だが、ここでは広く南部、奈良のこと。
「三条通り」は古来奈良の主要な道路。
歌枕　『山・野・里などをよむ。』
宗親
&uarr;右の三条をうけて三条小鍛冶宗近が出てきた。宗親は一条帝の頃の..]]></description>

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