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		<title>タグ“中論”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[『中論』における空性・縁起・中道の特徴]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429454101@hc06/89881/]]></link>
			<author><![CDATA[ by doumeki]]></author>
			<category><![CDATA[doumekiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 10:36:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429454101@hc06/89881/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429454101@hc06/89881/" target="_blank"><img src="/docs/983429454101@hc06/89881/thmb.jpg?s=s&r=1327455378&t=n" border="0"></a><br /><br />竜樹の『中論』における空性・縁起・中道の特徴について、初期仏教および西洋哲学（主にプラトンのイデア論）と比較して述べていく。[186]<br />『中論』における空性・縁起・中道の特徴
はじめに
　『中論』では、空性を重視する立場から、縁起、中道について述べられている。『中論』において、これらに対する考え方には、どのような特徴がみられるのだろうか。それを、『中論』以前の仏教、また、仏教以外の思想と比較することによって明らかにしたい。
　１章では、初期仏教における空性、縁起、中道とはどのようなものであるかをみていく。
　２章では、『中論』における空性、縁起、中道はどのようなものであるかを、文献を参照して述べる。
　３章では、『中論』の空性と言語の問題について、仏教以外の思想がどのように考えているかを参考にしながら考察してみたい。ここでは主に、プラトンのイデア論を用いて考えていきたい。
１、初期仏教における空性・縁起・中道
　空とは、固定的な本質を欠いているということである。これは、「実体がない」とも言い換えることができる。
　空について、梶山雄一は以下のように述べる。
　ものの実体というものはわれわれが幻覚で見ている髪網のようなもので、本来実体などというものはない。あるのではないけれども、だからといって、ものがないということもできない。無ということが成立するためにはそれが本来あったものでなければ無といえないわけだから、無でもない。そこで、ものは有でもなく無でもない、というようにいわれる。それが空というものの意味だというわけです。（※１、p38）
　このような、実体がなく、あるともいえずないともいえないことが、空だといえる。そして、空であるということが、空性である。
　次に、縁起であるが、これは「依拠して生起する」という意味を持つ。『ミリンダ王の問い』の中の、車の比喩を参照するとわかりやすい。
　車は、車軸や車輪といった、部分から成っている。それらの部分が依存関係にあるときに、「車」という名前で呼ばれる。それらの依存関係がなくなる、つまりばらばらになるときには、そこには車軸や車輪はあっても、車はない。それらを結合して、依存関係を成り立たせたときに、車が生じる。このように、依存関係にあって初めて発生するということを、縁起とよぶ。
　原始仏教では、縁起を知ることが、存在の真の姿を悟ることであるとされている。しかし、部派仏教においては、縁起の考え方が少し変わっている。
　仏教のスコラ哲学ともいうべきアビダルマ仏教（..]]></description>

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