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		<title>タグ“中国”の公開資料</title>
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		<description>タグ“中国”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[中国の社会と文化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19267/]]></link>
			<author><![CDATA[ by wagwag_65]]></author>
			<category><![CDATA[wagwag_65の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 06 Feb 2008 02:26:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19267/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963209582921@hc08/19267/" target="_blank"><img src="/docs/963209582921@hc08/19267/thmb.jpg?s=s&r=1202232376&t=n" border="0"></a><br /><br />中国の経済発展 
― 発達と問題 ―
１、はじめに
中国、すなわち中華人民共和国が、１９４９年１０月に成立し今に至るまで、政治的そして経済的に困難な状況を経てきたことは周知の事実である。６６～７７年の１１年間に渡って続いたプロレタリア文化大[348]<br />中国の経済発展 
― 発達と問題 ―
１、はじめに
中国、すなわち中華人民共和国が、１９４９年１０月に成立し今に至るまで、政治的そして経済的に困難な状況を経てきたことは周知の事実である。６６～７７年の１１年間に渡って続いたプロレタリア文化大革命は国中の至る所で悲惨な大混乱を生んだ。その翌年の７８年から開始された改革・開放政策、それに続いて９２年から導入された市場経済化政策、これらの政策によって中国の経済は急成長を遂げ、今や同国の経済成長率はアジア１と言われている。
しかし、そのような目覚しい発展の背景で、現在の中国ではどのような問題が勃発し、どのような対応が必要とされているのだろうか。今回は、プロレタリア文化大革命（文革）以後の中国の経済とその発展に際して起こっている種々の問題事項について論じていきたいと思っている。
２、文化大革命と経済改革 ―概要―
まずは文革から改革・開放政策までの概要を述べて整理したいと思う。文革時代の中国では、人々は１１年間、四人組や紅衛兵の横行による恐怖を味わいながら過ごしていた。中央から地方までの文化人・知識人が次々と迫害され、政治や経済は混乱を極めた。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[返還後の香港事情]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/]]></link>
			<author><![CDATA[ by un11m1t3d]]></author>
			<category><![CDATA[un11m1t3dの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 04 Feb 2008 04:04:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430203801@hc06/19108/" target="_blank"><img src="/docs/983430203801@hc06/19108/thmb.jpg?s=s&r=1202065440&t=n" border="0"></a><br /><br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９[348]<br />アジアの言語と文化レポート
「返還後の香港事情」
今年の７月１日で、香港が中国に返還されて１０周年を迎えた。授業で行ったグループ発表でも取り上げられた香港返還をテーマに、香港と中国大陸のそれぞれの視点から調べようと思う。
　香港は１９世紀末からイギリス直轄植民地として、イギリス国王が任命する総督により支配されていた。政治的には、１８４２年のアヘン戦争後に締結された南京条約で割譲された香港島を中心とする。古くはイギリスの中国進出の拠点となっていた。1945年の第二次世界大戦の終結に伴い日本軍が去った後、中国国民党率いる中華民国が中国大陸を統治していた時期まで、香港の境界は開放的であり、人の移動も自由であった。しかし、その後国共内戦が始めると、多くの避難民が本土から流入し始めた。１９４９年に中国共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国が「建国」されると、共産党政府による圧制を嫌い大量の難民が香港に流入したため香港政庁は中華人民共和国との境界線を閉鎖した。この閉じられた領域の中で、時間が経つにつれ、中国系住民に「香港人」としてのアイデンティティも形成され始める。また、香港に流入した大量の難民は、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[昭和初期から第二次世界大戦終了までの日本の歴史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963251480470@hc08/19025/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aiueo600822]]></author>
			<category><![CDATA[aiueo600822の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Feb 2008 05:07:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963251480470@hc08/19025/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963251480470@hc08/19025/" target="_blank"><img src="/docs/963251480470@hc08/19025/thmb.jpg?s=s&r=1201810048&t=n" border="0"></a><br /><br />「昭和初期から第二次世界大戦終了までの日本の歴史」
　まず昭和初期において最初に起こった歴史的な事象をあげるとすれば大日本帝国陸軍による満州事変であろう。大日本帝国陸軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件に端を発し、大日本帝国陸軍の満州全土の占[358]<br />「昭和初期から第二次世界大戦終了までの日本の歴史」
　まず昭和初期において最初に起こった歴史的な事象をあげるとすれば大日本帝国陸軍による満州事変であろう。大日本帝国陸軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件に端を発し、大日本帝国陸軍の満州全土の占領を経て、溥儀を執政にする満州国を建国した。しかし、これに対して中国が国連に提訴し、国連はリットン調査団を満州に派遣した。この調査の報告書には満州を形だけでも日本から中国に返すようにと、記されており、１９３３年２月２４日に行われた国連特別総会においてリットン報告書が賛成多数で可決された。その直後、席上で松岡洋右日本全権が「もはや日本政府は連盟と協力する努力の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[米国における対日世論調査（グラフ）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/]]></link>
			<author><![CDATA[ by caduceus]]></author>
			<category><![CDATA[caduceusの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 Jan 2008 13:42:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/" target="_blank"><img src="/docs/983428999201@hc07/18362/thmb.jpg?s=s&r=1201322550&t=n" border="0"></a><br /><br />1. 日本は米国の信頼できる友邦か否か
（「信頼できる」と答えた割合）
JAPAN AS A &quot;DEPENDABLE&quot; ALLY /FRIEND
31
41
46
39
44
39
42
45
40
43
44
[182]<br />1. 日本は米国の信頼できる友邦か否か
（「信頼できる」と答えた割合）
JAPAN AS A &quot;DEPENDABLE&quot; ALLY /FRIEND
31
41
46
39
44
39
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0
10 20 30 40 50 60 70 80 90
100
1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2002 2004 2006
年度(YEAR)
(％)
一般人(GENERAL PUBLIC) 有識者(OPINION LEADERS)
2. アジアに於ける米国のパートナー（一般人）
PARTNER OF THE U.S. IN ASIA(GENERAL PUBLIC)
38
40
42
47
41
43
40
48
45
48 48
42..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第二言語習得論レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963358795152@hc08/18204/]]></link>
			<author><![CDATA[ by maru1988]]></author>
			<category><![CDATA[maru1988の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 20 Jan 2008 13:13:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963358795152@hc08/18204/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963358795152@hc08/18204/" target="_blank"><img src="/docs/963358795152@hc08/18204/thmb.jpg?s=s&r=1200802410&t=n" border="0"></a><br /><br />第二言語習得論レポート
コソアの習得
このテーマを選んだ理由
　このテーマを選んだ理由は、「このテーマは韓国語を勉強している人にとってわかりやすい」と先生がおっしゃったからである。また、私は韓国語を勉強するのが苦手だが、韓国語の「これ」「そ[354]<br />第二言語習得論レポート
コソアの習得
このテーマを選んだ理由
　このテーマを選んだ理由は、「このテーマは韓国語を勉強している人にとってわかりやすい」と先生がおっしゃったからである。また、私は韓国語を勉強するのが苦手だが、韓国語の「これ」「それ」「あれ」の簡単な覚え方を友人から聞いたことがあり、韓国語で言えるようになった。だから、このテーマを選んでも大丈夫な気がしたからである。
基礎事項のまとめ
　現場指示用法：目の前にあるものを直接指して言うこと
　非現場指示用法：目の前にあるものを直接指して言わないこと
　文脈指示用法： 非現場指示用法の中で、話の文脈に指示対象が示されており、それを指すこと
　観念指示用法：文脈には指示対象が明示されておらず、話し手の頭（考え）の中にある対象を指すこと
　横断的研究：１言語の母語話者のみを対象にしたテスト調査を中心とする研究。
　縦断的研究：時間の経過と共に変化する特定の学習者の習得状況を長期に渡って調査する研究。
　二項学習者：中国語や英語のような二項対立指示体系の母語の学習者
　三項学習者：日本語や韓国語のような三項対立指示体系の母語の学習者
　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国経済の転換]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18138/]]></link>
			<author><![CDATA[ by touka]]></author>
			<category><![CDATA[toukaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Jan 2008 04:15:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18138/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18138/" target="_blank"><img src="/docs/963373013352@hc08/18138/thmb.jpg?s=s&r=1200597311&t=n" border="0"></a><br /><br />中国経済の転換
　1978年の三中全会における経済体制改革が計画経済体制から市場経済体制へ移行させるポイントであったと捉えている。まずこの移行のタイミングがどういう意義があるのか考えてみたい。
　社会主義を捉える上でソ連という国は欠かせない[348]<br />中国経済の転換
　1978年の三中全会における経済体制改革が計画経済体制から市場経済体制へ移行させるポイントであったと捉えている。まずこの移行のタイミングがどういう意義があるのか考えてみたい。
　社会主義を捉える上でソ連という国は欠かせないが中国、というよりも毛沢東の理想とする社会主義がソ連のそれとマッチしていなかったことは大きい。のちに1960年の中ソ対立で明らかになるものであるが、ソ連は労働者階級を意識した社会主義であったのに対し、中国の社会主義は農民を強く意識したものであった。一つには中国の人口に対する農民比が非常に高かったことがある。1976年の毛沢東の死とともにそれらの考えは否定（文..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[鉄鋼業界－日本企業は買収防衛策を探るべきか－]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18135/]]></link>
			<author><![CDATA[ by touka]]></author>
			<category><![CDATA[toukaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 18 Jan 2008 04:00:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18135/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963373013352@hc08/18135/" target="_blank"><img src="/docs/963373013352@hc08/18135/thmb.jpg?s=s&r=1200596412&t=n" border="0"></a><br /><br />「鉄鋼業界－日本企業は買収防衛策を探るべきか－」
　2006年に粗鋼生産量世界1位のミタルが同2位のアルセロールに対する敵対的買収が成功（アルセロール・ミタルが誕生）したことで、業界の再編が進んでいる。国内でも2002年に日本鋼管と川崎製鉄[338]<br />「鉄鋼業界－日本企業は買収防衛策を探るべきか－」
　2006年に粗鋼生産量世界1位のミタルが同2位のアルセロールに対する敵対的買収が成功（アルセロール・ミタルが誕生）したことで、業界の再編が進んでいる。国内でも2002年に日本鋼管と川崎製鉄が経営統合、ＪＦＥホールディングスが誕生している。
　アルセルール・ミタルの次の狙いは日本企業の買収といわれている。そのためか、日本企業の時価総額は軒並み高いものとなっている（図表1）。ここ最近での株価の上昇が直接的な原因であろう（図表2）。
順位 社名 時価総額（兆円） 粗鋼生産量（万トン） 1（1） アルセロール・ミタル 8.5 4,989 2（2） 新日本製鉄 5.4 3,291 3（3） ポスコ 4.4 3,142 4（4） JFE 4.1 2,957 5（5） 宝山鋼鉄 3.0 2,273 6（14） 住友金属工業 2.9 1,348 11（33） 神戸製鉄所 1.3 773 
　業界の再編の理由はそれだけではない、粗鋼需要の伸びも原因の一つである。ここ5年間で生産量が1.5倍と飛躍的に伸びており、需要の高さがうかがえる（図表3）。2002..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[靖国神社参拝について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aunt-mary]]></author>
			<category><![CDATA[aunt-maryの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 12 Jan 2008 00:01:27 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17673/" target="_blank"><img src="/docs/983431588401@hc05/17673/thmb.jpg?s=s&r=1200063687&t=n" border="0"></a><br /><br />靖国神社参拝について
靖国問題、という言葉を聞いたとき、国際問題であるという考えをされる方が多いであろう。事実、メディアで取り扱われる際の靖国問題の多くが中国、韓国などの批判とともに取り上げられる。確かに靖国問題は重要な外交問題であり、中国[358]<br />靖国神社参拝について
靖国問題、という言葉を聞いたとき、国際問題であるという考えをされる方が多いであろう。事実、メディアで取り扱われる際の靖国問題の多くが中国、韓国などの批判とともに取り上げられる。確かに靖国問題は重要な外交問題であり、中国や韓国のいわゆる「反日」の要となるものである。しかしそれは靖国問題の一側面であって、より重視すべきことは、靖国を、そしてこれからの日本のあり方を我々日本人がどうとらえるか、という点ではないであろうか。本稿では、まず外交問題としての靖国問題を概観した後、それだけでは議論が不十分であることを確認し、より本質的な日本という国のあり方と靖国神社を結びつけて靖国問題を論じていきたいと思う。
東アジア諸国、特に中国、韓国からのいわゆる「反日」は途切れることがなく、むしろその勢いを増すかのようである。そしてその核となる問題が首相による靖国神社参拝問題である。しかし、そもそも靖国神社参拝の何が問題となっているのであろうか。今年四月一日の中国胡錦濤国家主席の「日本の指導者が『Ａ級戦犯』をまつる靖国参拝をやめるのなら首脳会談を開く用意がいつでもある」との発言から、決して..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[英語コミュニケーション　第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963730948451@hc07/17547/]]></link>
			<author><![CDATA[ by happy-life]]></author>
			<category><![CDATA[happy-lifeの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Jan 2008 21:38:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963730948451@hc07/17547/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963730948451@hc07/17547/" target="_blank"><img src="/docs/963730948451@hc07/17547/thmb.jpg?s=s&r=1199709501&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）『テキストの第一章&ldquo;The Americans&rdquo;から第六章&ldquo;The Chinese&rdquo;までを読んで、それぞれの内容に関する自分の意見を日本語で述べなさい。』
★第１章「THE AMERICAN」★
　多くの人々がアメリカに行きたいと[280]<br />（１）『テキストの第一章&ldquo;The Americans&rdquo;から第六章&ldquo;The Chinese&rdquo;までを読んで、それぞれの内容に関する自分の意見を日本語で述べなさい。』
★第１章「THE AMERICAN」★
　多くの人々がアメリカに行きたいと思ったり、アメリカの真似をしたいと思ったりするのは、それだけアメリカが魅力的であるからだろう。「アメリカンドリーム」という言葉があるように、アメリカには沢山の可能性が溢れているような気がする。
　アメリカは個人主義の国である。周りに流されることなく自分の考えを表現できる点が個人主義の素晴らしいところであると思う。日本のように周りの雰囲気を大事にする風潮があると、なかなか自分の考えを表現しづらく、下手をすれば周りの反感を買ってしまうこともある。その点アメリカでは相手の意見を尊重し、それを受け入れようとする環境がある。自分の考えを自由に表現できることによって新たなアイデアを発見できたり、新たなことに挑戦したりする機会も増えると思う。アメリカに多くの企業家や発明家がいるのはそのせいかもしれない。
自己実現をする上でアメリカという国は理想的な国なのかもしれない。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本のエネルギー安全保障政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17504/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aunt-mary]]></author>
			<category><![CDATA[aunt-maryの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 07 Jan 2008 02:14:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17504/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431588401@hc05/17504/" target="_blank"><img src="/docs/983431588401@hc05/17504/thmb.jpg?s=s&r=1199639642&t=n" border="0"></a><br /><br />日本のエネルギー安全保障政策
21世紀以降、エネルギー資源をめぐる国際情勢は一層不安定になりつつある。石油輸出機構（OPEC）の石油減産政策、世界最大の石油消費国である米国の堅調な石油需要の増加、また、著しい経済成長を見せる中国やインドにお[346]<br />日本のエネルギー安全保障政策
21世紀以降、エネルギー資源をめぐる国際情勢は一層不安定になりつつある。石油輸出機構（OPEC）の石油減産政策、世界最大の石油消費国である米国の堅調な石油需要の増加、また、著しい経済成長を見せる中国やインドにおける石油需要の大幅な増加等の要因は、石油の需給バランスを崩し、原油価格の急激な高騰を招いている。一方、日本は石油、石炭、天然ガス等のエネルギー資源を自国内にほとんど有さず、国内消費エネルギーの約80パーセントを海外に依存している。このような日本にとって、いかにして安定的にエネルギー資源を確保するかというエネルギー安全保障の問題は、重要な外交的課題の一つであると言える。そこで本稿では、日本のエネルギー供給の約半分を占め、エネルギー安全保障政策の中でも特に重要となる石油資源の確保のために、日本が取るべき外交政策を中心に論を進めていく。特に、①西アジアに位置する中東諸国等の石油生産国との関係、②日本と同じ石油消費国との関係の二面から検討することとする。
まず、石油生産国との関係においては、日本や諸外国にとって、最大の輸入先である中東諸国との関係強化が肝要で..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ゴルバチョフ、エリツィン、プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tennistennis]]></author>
			<category><![CDATA[tennistennisの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 29 Dec 2007 10:11:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/16823/" target="_blank"><img src="/docs/983431251601@hc06/16823/thmb.jpg?s=s&r=1198890698&t=n" border="0"></a><br /><br />「ゴルバチョフ・エリツィン・プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　
はじめに
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンにいたるまでのモスクワの対中、対北朝鮮、対日政策をそれぞれの政権について分析[354]<br />「ゴルバチョフ・エリツィン・プーチン政権の北東アジア政策について比較検討する」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　
はじめに
ゴルバチョフからエリツィン、プーチンにいたるまでのモスクワの対中、対北朝鮮、対日政策をそれぞれの政権について分析比較し、ソ連・ロシアの北東アジア政策がいかなる軌跡を描き、またいかなる成果を収めたか述べる。そして現政権であるプーチン政権の今後の政策や世界の大国の１つとして重要役割を果たすロシアの歩む方向に注目し考察する。
　では、三政権の対中、対朝鮮半島、対日の政策を比較検討していこう。
　
対中政策
　中国に対し、総合的に考えると三政権とも中ソ関係を大事にしているように思う。しかし、小泉とブッシュのような蜜月な関係ではなく、お互いの利益をさぐりあった外交ともいえる。
　まずゴルバチョフは、当初より中ソ関係改善に大いに意欲を持っていた。中ソの関係改善は中国にとって北の脅威を除去する上でも望ましく、ソ連にとっても利益は大きかった。
日本より中国に重点をおいていたと言える。
　はじめはソ連共産党中央委員会国際部の中に中国への接近を極力阻止しようという動きもあったこと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国黄土高原農村の暮らし]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963706316596@hc07/16704/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rubyred]]></author>
			<category><![CDATA[rubyredの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 28 Dec 2007 13:13:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963706316596@hc07/16704/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963706316596@hc07/16704/" target="_blank"><img src="/docs/963706316596@hc07/16704/thmb.jpg?s=s&r=1198815195&t=n" border="0"></a><br /><br />中国黄土高原
農村の暮らし
行政単位
　中国の行政単位は日本とは異なり、なかでも、市の下に県がくるのはなかなかなじめません。私たちの緑化協力の拠点である環境林センターと霊丘自然植物園の所在地を例に、説明してみましょう。このふたつの住所を国名[354]<br />中国黄土高原
農村の暮らし
行政単位
　中国の行政単位は日本とは異なり、なかでも、市の下に県がくるのはなかなかなじめません。私たちの緑化協力の拠点である環境林センターと霊丘自然植物園の所在地を例に、説明してみましょう。このふたつの住所を国名から順に書くと、つぎのようになります。
（環境林センター）中華人民共和国－山西省－大同市－南郊区－平旺郷－平旺村－果園。
（霊丘自然植物園）中華人民共和国－山西省－大同市－霊丘県－上寨鎮－南庄村－流黄水。
　「省」のレベルでは、北京、天津、上海、重慶といった直轄市と少数民族地域の自治区が省に代わることがあります。また、最近では周辺の農村部を含めて範囲を拡大し..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[大同での緑化協力　ワーキングツアー]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16208/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomatosan]]></author>
			<category><![CDATA[tomatosanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Dec 2007 14:53:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16208/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16208/" target="_blank"><img src="/docs/tototomato/16208/thmb.jpg?s=s&r=1198216399&t=n" border="0"></a><br /><br />大同での緑化協力
ワーキングツアー
黄土高原ワーキングツアーの実施予定は、 イベント欄 に載っています。
　協力開始当初から毎年春と夏、ときには秋にも派遣し続けてきたワーキングツアーの参加者は、協力団体のツアーもふくめると延べ2,300人を[340]<br />大同での緑化協力
ワーキングツアー
黄土高原ワーキングツアーの実施予定は、 イベント欄 に載っています。
　協力開始当初から毎年春と夏、ときには秋にも派遣し続けてきたワーキングツアーの参加者は、協力団体のツアーもふくめると延べ2,300人を超えました。黄土高原の農民たちといっしょに汗を流して木を植えるのはもちろん、都市に住む中国人でさえ知らない内陸部の農村での体験は、参加者それぞれがさまざまに感得するものがあるようです。
　 　 
　木を植えるといっても、スコップを持つのも初めての日本の都会人が役に立つはずがありません。最初は村人のあざやかな手つきに感心するばかりですが、2、3日もすれば多少は慣れてきます。村中総出の小学校付属果樹園の作業では、「子どもたちががんばるでしょ、負けるわけにはいかないから」と張り切る若い参加者たちに、「日本人はよく働くなぁ」と村人たちも感心しますが、いかんせん長続きしません。さいわい作業は2～3時間で終わりますが、そのころにはみんなへとへと。作業後も元気に走り回る子どもたちを見て、「中国の子どもは元気だなぁ」と、ほとんどあきれ顔です。
　作業が一段落すると、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[砂漠化と緑化]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16203/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomatosan]]></author>
			<category><![CDATA[tomatosanの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Dec 2007 14:52:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16203/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/tototomato/16203/" target="_blank"><img src="/docs/tototomato/16203/thmb.jpg?s=s&r=1198216359&t=n" border="0"></a><br /><br />砂漠緑化団体　地球緑化クラブ
当団体の目指す活動
近年の砂漠化拡大の原因は明らかに人為的なものだ。気候の変動により砂漠化している地域も含め、何らかのかたちで人々の生活習慣・生活様式などが係わっている。 　私たちの活動している中国内蒙古自治区[354]<br />砂漠緑化団体　地球緑化クラブ
当団体の目指す活動
近年の砂漠化拡大の原因は明らかに人為的なものだ。気候の変動により砂漠化している地域も含め、何らかのかたちで人々の生活習慣・生活様式などが係わっている。 　私たちの活動している中国内蒙古自治区の砂漠化に対する最大の要因はヒツジ・ヤギの過放牧である。これは自然の回復能力を上回る数の家畜を放牧することで、草が根こそぎ食べられ砂漠化するものだ。根茎も食べつくされるため翌年新しい芽が出てこなくなり、そして根がなくなることで砂の移動が起こる。露出した砂地には木や草など風を遮るものがなくなることで風が吹き抜けるようになり、あるきっかけ(木の切り株や石などのある場所）で砂が集まりはじめ、それが流動化し流動砂丘となり植生のある地までも飲み込んでいく。 　これ以外の原因に木材や薪確保のための樹木の伐採、過開墾など様々な要因があげられる。これらはいずれもその地に住む人々の生活習慣やその地の産業が大きく係わっている。そして砂漠化の進む地域には必ずといってよいほど「貧困」という問題も潜んでいる。 　貧困の原因は様々だが、私たちの活動地クブチ砂漠周辺を例にすると、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[05I031岩崎麻由]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16155/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayu4444]]></author>
			<category><![CDATA[mayu4444の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Dec 2007 01:28:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16155/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16155/" target="_blank"><img src="/docs/963632963955@hc07/16155/thmb.jpg?s=s&r=1197995304&t=n" border="0"></a><br /><br />05I031　岩崎麻由
ヨーロッパ・アメリカ人内部での国民性の描写
まず一番わかり易い表現でえがかれていたフランス人の気質です。さすがに作者がフランス人なだけに好意的な面だけに描かれているように感じる描写が多かったように思います。たとえば・[344]<br />05I031　岩崎麻由
ヨーロッパ・アメリカ人内部での国民性の描写
まず一番わかり易い表現でえがかれていたフランス人の気質です。さすがに作者がフランス人なだけに好意的な面だけに描かれているように感じる描写が多かったように思います。たとえば・・・彼はいかにもフランス人らしく、しゃれを飛ばした。「うまく入りましたな！さすがは『イギリス人の拳はよく当たる』と言うだけあって！」・・・（八十日間世界一周320ページより）
・・「役人」の巡視があった。これらの役人は、立派な服装をし、従者を従えていてまるで大使のようだった。それゆえパスパルトゥーは、・・・きまっていつもこう戯れに言った。「ほらきた！日本の大使がヨーロッパに出発だよ！」
・・（八十日間世界一周320ページより）
などのようにフランス人は皮肉まじりのジョークが得意であるということを意図した作者の描写のように思われる。
次にこの物語の主人公であるイギリス人の気質について描かれている箇所が終わりのほうに描かれています。・・・出発に際して持っていった莫大な金額は、ほんの少ししか残っていなかった彼の財産といえばベアリング兄弟銀行に預けている二万..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[マンガについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16154/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayu4444]]></author>
			<category><![CDATA[mayu4444の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 19 Dec 2007 01:26:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16154/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963632963955@hc07/16154/" target="_blank"><img src="/docs/963632963955@hc07/16154/thmb.jpg?s=s&r=1197995192&t=n" border="0"></a><br /><br />　　　　　　　　05I031　
　　　　岩崎　麻由
＜目次＞
はじめに
壱　マンガとは？
弐　日本におけるマンガの影響力
参　アメリカ人から見た日本のマンガ
　　　
四　アメリカ人にもオタクがいる！という事実
伍　　結びに代えて
参考文献一[328]<br />　　　　　　　　05I031　
　　　　岩崎　麻由
＜目次＞
はじめに
壱　マンガとは？
弐　日本におけるマンガの影響力
参　アメリカ人から見た日本のマンガ
　　　
四　アメリカ人にもオタクがいる！という事実
伍　　結びに代えて
参考文献一覧
　　　はじめに
先日ブロードキャスターという某テレビ番組のビジネス関係のコーナーを見ていたら&ldquo;日本の少女マンガアメリカでブーム&rdquo;というのが放映されていた。ブームのきっかけは2002年十一月に『少年ジャンプ』アメリカで発売されたことで売り上げは三十万部を突破した。これはアメリカのコミック業界では驚異的な数字である。
それから徐々に少女マンガもアメリカに浸透し始めた。それらはアメリカの少女たちに圧倒的な支持を得た。従来アメリカコミックの主流である「スパイダーマン」や「スーパーマン」のようなアクションものに登場するヒロインたちはたいていナイスバディーのセクシーねーちゃん系のものが多く少女たちが感情移入しにくかったためあまり人気がなかった。ところが、日本の少女雑誌に掲載されている気が強くて可愛く、悩んだり失敗したりする比較的等身大の女の子に近いキャラクタ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[満州と映画～満州における国策映画の研究～　販売]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16140/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 17 Dec 2007 20:57:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16140/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/16140/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/16140/thmb.jpg?s=s&r=1197892657&t=n" border="0"></a><br /><br />満州と映画
はじめに
第二次大戦時には、革新的な表現方法でありかつメディアとしての機能も併せ持つ映画は、それぞれの国の思惑によって大いに利用された。ナチスドイツにおける映像表現の政治的利用、ソ連における共産主義プロパガンダ、連合国における反[356]<br />満州と映画
はじめに
第二次大戦時には、革新的な表現方法でありかつメディアとしての機能も併せ持つ映画は、それぞれの国の思惑によって大いに利用された。ナチスドイツにおける映像表現の政治的利用、ソ連における共産主義プロパガンダ、連合国における反ファシズム戦争のための国民の鼓舞、枚挙に暇はない。もともとは一般大衆のための娯楽のためのものであった映画が、一般大衆を国家の思う方向に向かせるために利用されるという状態に陥っていたのである。日本もまたその例外ではない。満州という特殊な国家が生み出されたときも、その誕生を祝う記録係を担ったのは映画であった。満州という国家の誕生と繁栄、その終焉は常に映画によって記録されたといっても過言ではないだろう。本論稿の目的は、満州における映画制作会社である、満鉄とその後進である満映の誕生とその活動を通して、満州における映画とはいったい何だったのかを考えることである。
満鉄時代における映画活動
満鉄
一般的に満州と映画を語る場合に、引き合いに出されるのは満州映画協会、いわゆる「満映」である。満州における国策映画制作は、この満映が執り行っていた。しかし実は、満州におい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ケスト]]></author>
			<category><![CDATA[ケストの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 08 Dec 2007 02:05:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428990401@hc07/15671/" target="_blank"><img src="/docs/983428990401@hc07/15671/thmb.jpg?s=s&r=1197047112&t=n" border="0"></a><br /><br />☆アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。

■アヘン戦争
　清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広[342]<br />アヘン戦争から義和団運動にいたるまでの時期に、清朝政府が列強に奪われた諸権益について、具体的な事例をふまえながら述べなさい。
■アヘン戦争
　清朝は18世紀にはいると、キリスト教を禁止し、貿易を厳しく制限し、1757年以後は外国貿易を広州１港に限定して粤海関（広東税関）を置き、官許特権ギルドを組織している特定の商人達（公行）に外国貿易を独占させた。これに対してイギリスでは1600年に創立された東インド会社が中国貿易を独占し、中国の絹・茶・陶磁器などをヨーロッパに運び、毛織物やインド産の綿花を中国に輸出し、その不足分を銀で補う貿易をしていた。しかし、18世紀以降、ヨーロッパ諸国での茶の需要が高まると、イギリスの対中貿易はしだいに輸入超過となり、中国への銀の流出が大きくなっていった。この片貿易を是正するために、1773年以後インド農民に栽培させたアヘンを中国へ輸出した。中国におけるアヘンの吸飲が普及するとともにアヘン貿易は拡大し、中国から銀が流出し始めた。貿易の拡大を求めるイギリスは、使節を中国に派遣して貿易の業務改善を協議させようとしたが、清朝には取り上げられなかった。
　1834年東イ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第10章中国]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432047701@hc05/15454/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aoike0925]]></author>
			<category><![CDATA[aoike0925の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 01 Dec 2007 16:29:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432047701@hc05/15454/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432047701@hc05/15454/" target="_blank"><img src="/docs/983432047701@hc05/15454/thmb.jpg?s=s&r=1196494197&t=n" border="0"></a><br /><br />第１０章　　中国　　＜社会主義市場経済の実像＞
　第一節　中華人民共和国の５０年
　第二節　市場移行はどこまで進んだか
　第三節　三つの課題
　第四節　中国型市場経済システムの模索
　
第一節　中華人民共和国の５０年
　１　経済発展の概要
[344]<br />第１０章　　中国　　＜社会主義市場経済の実像＞
　第一節　中華人民共和国の５０年
　第二節　市場移行はどこまで進んだか
　第三節　三つの課題
　第四節　中国型市場経済システムの模索
　
第一節　中華人民共和国の５０年
　１　経済発展の概要
　1949年の中華人民共和国建国から半世紀、この50年間で中国はどのような経路を通じ、何を成し遂げたのだろうか。中長期的に見れば、中国の経済発展はそれなりに順調に進んできたと言える。しかし、発展の道のりは決して平坦なものではなかった。この50年間に大きな変動が何度も見られるのである。
第一の変動：58年、毛沢東による大躍進運動の失敗を契機とした落ち込みによる後退。
　第二の変動：67年～68年、これまた毛沢東が発動したプロレタリア文化大革命と呼ばれる政治運動での後退。
　第三の変動：76年九月、毛沢東の死を前後する時期の政治不安定による後退。
　第四の変動：88年～89年、インフレ対策として経済引き締め政策が採られ、経済不況の中で天安門事件が起きた。こうした政治不安定を嫌った外国直接投資の落ち込みによる後退。
これら経済の落ち込みは、いずれも経済政策..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アジア史（）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15106/]]></link>
			<author><![CDATA[ by manila]]></author>
			<category><![CDATA[manilaの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Nov 2007 21:12:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15106/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430621101@hc06/15106/" target="_blank"><img src="/docs/983430621101@hc06/15106/thmb.jpg?s=s&r=1195042350&t=n" border="0"></a><br /><br />『中国社会を理解するキーポイントの一つに儒教がある。中国の歴代の王朝は儒教をどのように取り扱ってきたのか、具体的事例をふまえて述べなさい』
中国の王朝において儒教が与えた非常に影響は大きいと考えられる。儒家の創始者である孔子は、実力主義が[356]<br />『中国社会を理解するキーポイントの一つに儒教がある。中国の歴代の王朝は儒教をどのように取り扱ってきたのか、具体的事例をふまえて述べなさい』
中国の王朝において儒教が与えた非常に影響は大きいと考えられる。儒家の創始者である孔子は、実力主義が横行し、身分制秩序が崩壊しつつあった周末に魯の国に生まれた。周的な礼の秩序により混乱した社会を周初に復帰させることを目的として、徳治主義を唱えた。人間の愛情（仁）がもっとも強いのは家族愛で、その心を推し広げれば天下は平和になるという政治思想のもとで儒教が生まれた。
孔子の死後、戦国時代に入り孟子が儒家の教えを広めることとなる。孟子は人の性の本質は善であるとする性善説を唱え、有徳者の政治こそ王道政治であるとし、「徳」のない者を打倒して有徳者に交代させることは天意にかなうものとする易姓革命を主張した。
その一方、戦国末には荀子が孟子の性善説に反対し、人間の本性は利欲を求めるものであるとする性悪説を主張する。この悪を規制し善に導くには先賢の設けた「礼」によるより他に方法はないと主張した。この礼による規制を一歩強めて、法により規制すると考えるなら、そのまま法家..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の社会階層]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429550601@hc06/14599/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ap1100451]]></author>
			<category><![CDATA[ap1100451の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Nov 2007 02:03:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429550601@hc06/14599/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429550601@hc06/14599/" target="_blank"><img src="/docs/983429550601@hc06/14599/thmb.jpg?s=s&r=1194368635&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　本レポートでは、周辺国であるにもかかわらず、あまり知らなかった中国の社会階層について講義で学んだことの復習もかねて、一部をまとめていきたいと思う。
社会階層に関わる基本理念
　中国の社会階層を学ぶ上で、知っておかなければならない[354]<br />はじめに
　本レポートでは、周辺国であるにもかかわらず、あまり知らなかった中国の社会階層について講義で学んだことの復習もかねて、一部をまとめていきたいと思う。
社会階層に関わる基本理念
　中国の社会階層を学ぶ上で、知っておかなければならないのが社会階層に関わる基本理念だ。以下の４つの基本理念がそれである。
（１）階層化（日本では成層化と呼ばれる）
　富、名声、威信、権力などの社会的資源が社会成員の間で不平等に配分されている事をいい、このとき社会は階層化（成層化）されているという。また、階層化とは結果であり、分化とは、結果に至るまでのプロセスを指す。
（２）階層と階級
　ⅰ）階層
　　　同種の社会的資源が同程度に配分されている人々の集合を階層という。
　ⅱ）階級
　　　階級は、階層の特殊形態であり、生産手段に対する関係の側面で共通の立場にある人々の集合を指す。
（３）社会階層（日本では社会成層と呼ばれる）
　階層の総体、つまりは階層化している実態の全貌を社会階層（社会成層）という。
（４）社会移動
　個人や集団が異なる社会経済的位置づけの間を移動することをいい、垂直移動・水平移動・世代内..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の変身におけるエネルギー問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428566601@hc07/14120/]]></link>
			<author><![CDATA[ by b0553008]]></author>
			<category><![CDATA[b0553008の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 22 Jul 2007 00:46:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428566601@hc07/14120/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428566601@hc07/14120/" target="_blank"><img src="/docs/983428566601@hc07/14120/thmb.jpg?s=s&r=1185032780&t=n" border="0"></a><br /><br />中国の変身におけるエネルギー問題
　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 中国の古典文学A
　[346]<br />中国の変身におけるエネルギー問題
　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 中国の古典文学A
　 1ページ　36行&times;40字＝1440字
　
　
中国はここ数年において急激な変化を遂げている。まず政治の面では、2002年2月の党大会、2003年3月の全国人民代表大会（全人代）という大きな会議を経て、党首脳部と国家人事が大きく変動し、党・政府とも新しい体制が発足した。対外的には、2001年12月に、ＷＴO（世界貿易機関）に加盟し、同時期に2008年の北京オリンピックの開催が決定した。さらに2002年12月には、2010年の上海万国博覧会も決定した。経済の面でも、世界的な不況をよそに中国の高度成長は続き、二つの国際的イベント、オリンピックと万博を控えて、今後さらに成長が期待される。
　産業において世界では、IT革命の時代に突入し、携帯電話、電子商取引、インターネットなどの普及が経済・社会、人々の生活を激変させている。中国においても例外ではないどころか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[三国志外伝]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428573601@hc07/14103/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mkonishi]]></author>
			<category><![CDATA[mkonishiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Jul 2007 17:22:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428573601@hc07/14103/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428573601@hc07/14103/" target="_blank"><img src="/docs/983428573601@hc07/14103/thmb.jpg?s=s&r=1184919733&t=n" border="0"></a><br /><br />『三国志人物外伝～亡命は男の意地の見せ所～』
今回この本を選んだのは、元々三国志が好きで、ある程度のことは知っていたので、本を選ぶにしても、今までの三国志の本とは違うものを探していたからである。
ところで、この『三国志人物外伝』は、正史『三[356]<br />『三国志人物外伝～亡命は男の意地の見せ所～』
今回この本を選んだのは、元々三国志が好きで、ある程度のことは知っていたので、本を選ぶにしても、今までの三国志の本とは違うものを探していたからである。
ところで、この『三国志人物外伝』は、正史『三国志』や小説『三国志演義』にも記載されていないエピソード、構想上、陳寿（『三国志演義』著者）が書けなかった事実、正史と演義のギャップなどを記した本である。また、わりと知られていないような登場人物のエピソードも載せられていて、かなり『三国志』の話の深いところまで知れるのだ。
この点をふまえて、わたしが気になった話について書いてみた。
まずは曹操と劉備について。『三国志演義』では、みんなも知っているように、曹操は姦雄、イケイケで、かなりゴーイングマイウェイな性格のもちぬしであり、『演義』では人気はもちろんあるが、かなり頭がきれる敵役として描かれている。しかしこの本では以外に義理人情にあふれていることが多い。またの本ではあの人徳高く人情厚いと有名な劉備が冷徹でそれこそ姦雄のように描かれている。いや、むしろ事実ではそういう面も持っていたのだ。
黄巾の乱が起き..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の自殺問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428663101@hc07/13961/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yoroi41]]></author>
			<category><![CDATA[yoroi41の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 05 Jul 2007 11:54:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428663101@hc07/13961/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428663101@hc07/13961/" target="_blank"><img src="/docs/983428663101@hc07/13961/thmb.jpg?s=s&r=1183604094&t=n" border="0"></a><br /><br />１・はじめに
　最初に中国における自殺から考えられることを自分なりに仮説を設けたい。
　まず『中国では農村部での自殺が都市でのそれよりも多い』ということだが、これは農村部では自殺するほどの苦しい生活を余儀なくされているということが予想できる[356]<br />１・はじめに
　最初に中国における自殺から考えられることを自分なりに仮説を設けたい。
　まず『中国では農村部での自殺が都市でのそれよりも多い』ということだが、これは農村部では自殺するほどの苦しい生活を余儀なくされているということが予想できる。
　次に『女性の自殺』が多いということだが、これに関しては男性より女性が苦痛な状況におかれているということが想像できる。
　現代の中国は『高い経済成長率を誇る』とされているが、これは北京や上海などの都市部に限られた話であり、地方まで及んでいないので、農村部は貧しいままでありということが推測できる。
　以上より、今回のテーマである『中国で深刻となっている自殺問題』を、私は都市部と農村部の経済などの格差や、男女差別が関連していると考えており、この２つの側面を軸にしてこの問題について考察していきたい。
２・中国農村部の実態
　中国農村部においては、出稼ぎ問題や都市部との収入格差など、自殺の原因となりうる様々な問題が存在する。
　１９３０年の調査で、蘇州や江南地方では農村部の家計が赤字であるため、４．３％が出稼ぎをしたという結果が出ており、民工の出稼ぎ問題..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人文地理学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428787201@hc07/13765/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nemotty2005]]></author>
			<category><![CDATA[nemotty2005の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 31 May 2007 06:33:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428787201@hc07/13765/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428787201@hc07/13765/" target="_blank"><img src="/docs/983428787201@hc07/13765/thmb.jpg?s=s&r=1180560839&t=n" border="0"></a><br /><br />人文地理学（２）
〇アメリカ合衆国
　アメリカには多様な自然が広がっている。また広大な大陸とともに、西岸海洋性気候、冷帯、温帯、亜熱帯、ツンドラ気候などさまざまな気候帯を持つという特色がある。
　アメリカの農業は多様な自然環境と社会条件に適[354]<br />人文地理学（２）
〇アメリカ合衆国
　アメリカには多様な自然が広がっている。また広大な大陸とともに、西岸海洋性気候、冷帯、温帯、亜熱帯、ツンドラ気候などさまざまな気候帯を持つという特色がある。
　アメリカの農業は多様な自然環境と社会条件に適した作物を大規模に栽培する適地適作がとられ、商業的農業が高度に発達し、農業の地域分化が進んでいる。中西部にはとうもろこし地帯（コーンベルト）が広がり、世界最大の混合農業地帯となっている。この地域では飼料の栽培と家畜の肥育（フィードロッド）が分離する傾向にある。ケベック南部とニューイングランドから五大湖周辺は酪農地帯になっており、園芸農業が点在している。南部では綿花地帯（コットンベルト）が広がり、経営の多角化が進んでいる。グレートプレーンズでは、中央部に冬小麦地帯、北部に春小麦地帯が形成されている。グレートプレーンズから山岳地帯では企業的牧畜が発達している。地中海性気候の太平洋側では大規模な灌漑施設による酪農・園芸農業・稲作などが発達している。
　しかし今日では過剰生産と土壌浸食が問題となっている。また各農業地域の変化とともに農業経営も変化し、家族経営..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本と中国の歴史認識]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/]]></link>
			<author><![CDATA[ by i051286]]></author>
			<category><![CDATA[i051286の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 09 May 2007 23:47:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428851601@hc07/13676/" target="_blank"><img src="/docs/983428851601@hc07/13676/thmb.jpg?s=s&r=1178722068&t=n" border="0"></a><br /><br />日本と中国の歴史認識
　中国の歴史教科書にはさまざまなことがかいてあった。隋や唐の時代には親日でとても仲良くやっている様子が書かれていた。これ以後は対外貿易や倭寇、甲午中日戦争、中国を取り巻く外国の帝国主義、満州事変、盧溝橋事件、五四愛国運[358]<br />日本と中国の歴史認識
　中国の歴史教科書にはさまざまなことがかいてあった。隋や唐の時代には親日でとても仲良くやっている様子が書かれていた。これ以後は対外貿易や倭寇、甲午中日戦争、中国を取り巻く外国の帝国主義、満州事変、盧溝橋事件、五四愛国運動など戦争に関係することが大変多く感じた。特に戦争に関しては細かく書かれて、戦いの中での英雄が何をしたか、敵がどのように中国国民を虐殺したかが書かれていました。この詳細な内容には自分も知らなかったことが多く驚いています。これらのことは中国が近代において大変多くの戦いがあったことを示しています。
　日本の歴史教科書と中国の歴史教科書にはさまざまな違いがあると思..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[残留性有機汚染物質問題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/13435/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Chesirecat]]></author>
			<category><![CDATA[Chesirecatの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 15 Feb 2007 13:30:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/13435/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431725001@hc05/13435/" target="_blank"><img src="/docs/983431725001@hc05/13435/thmb.jpg?s=s&r=1171513838&t=n" border="0"></a><br /><br />立命館大学のレポート課題

※レポートを書いた当時から状況は変わり、中国以外の発展途上国でもこの問題が大きくなっていますので、ご参考程度にされてください。

廃棄物による問題を中国に焦点を当てて考察しています。 
中国グイヨ市の辺りの村々は[348]<br />残留性有機汚染物質問題
廃棄物による問題と中国
具体例：
中国グイヨ市の辺りの村々は、この7年間、国際電子廃棄物取引の最前線にあった。ほとんどの廃棄物(粉砕されたパソコンなど)は香港の近くの港町ナンハイからグイヨにトラックで運ばれてくる。ナンハイに、香港や台湾のブローカーを通じて、アメリカ、カナダ、そして日本からのコンテーナが毎日陸揚げされる。現地の人々の目的は鉄、プラスチック、銅、そして金を回収することである。以前は田んぼであった地域も、今は不要になったコンピュータの残骸が灌漑用水に投棄され溢れている。
電子機器中の金属に加えて、プラスチック中の臭化難燃剤（BFRs）は残留性有機汚染物質（POPs）であり、地域の人々はこれらの廃棄物により健康が脅かされている。防護もなしに作業者達が、その多くは子ども達であるが、一日中コンピュータチップを抜き出したり、金を回収しやすいように、回路基板の鉛半田を加熱して溶かしている。鉛やプラスチックが燃えると有毒な煙が排出し、それらは鼻から、口からそして皮膚から体内に取り込まれる。鉛の溶融残渣はただ地面にはきだされるだけである。土や沈殿物、川の水を採取し..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[新聞は政治・経済・国防の何を語ったのか]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430768901@hc06/13232/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rody777]]></author>
			<category><![CDATA[rody777の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 08 Feb 2007 17:45:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430768901@hc06/13232/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430768901@hc06/13232/" target="_blank"><img src="/docs/983430768901@hc06/13232/thmb.jpg?s=s&r=1170924351&t=n" border="0"></a><br /><br />新聞は政治・経済・国防の何を語ったのか
―――「中国」「領海」「侵犯」というキーワードからみる
「中国原潜領海侵犯事件」―――　 新聞は政治・経済・国防の何を語ったのか
―――「中国」「領海」「侵犯」というキーワードからみる「中国原潜領海侵[352]<br />新聞は政治・経済・国防の何を語ったのか
―――「中国」「領海」「侵犯」というキーワードからみる
「中国原潜領海侵犯事件」―――　 新聞は政治・経済・国防の何を語ったのか
―――「中国」「領海」「侵犯」というキーワードからみる「中国原潜領海侵犯事件」―――
目次
目次 1 
要約 2 
はじめに―――中国原潜領海侵犯事件 3 
(1) なぜ中国原潜領海侵犯事件を扱うか 3 
(2) 調査方法 3 
１． 各紙の取り扱い面積比較 5 
２． 各紙の内容と姿勢の比較･検討 7 
(1) 政治（日中関係） 7 
(2) 国防 8 
ア． 主権侵害の際の法システムの欠如 8 
イ． 海上警備行動の発令・公表の遅れ 9 
おわりに―――報道の特徴 10 
要約
このレポートでは、2004年11月上旬に起こった「中国原潜領海侵犯事件」の新聞報道の比較を行う。なぜこの事件を扱うかというと、「中国」「領海」「侵犯」というキーワードから、【政治】・【経済】・【国防】といった様々な観点からこの事件を報道できると考えられるからだ。このような観点の中から、どの観点に重点を置いて報道がなされるのか。主要全国紙4紙..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国、内需が拡大しない理由]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/13036/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kingyo]]></author>
			<category><![CDATA[kingyoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 03 Feb 2007 22:18:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/13036/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/13036/" target="_blank"><img src="/docs/983431317101@hc05/13036/thmb.jpg?s=s&r=1170508726&t=n" border="0"></a><br /><br />２００３年から始まり、毎年１０％を超える高度成長を続ける中国経済が今、転換点を迎えようとしている。欧米との貿易摩擦を引き起こすほど輸出による貿易黒字を伸ばす一方で、中国国内での需要に伸び悩んでいるのだ。
中国では１９９０年代前半に設備投資ブ[358]<br />中国、内需拡大が加速しない理由
２００３年から始まり、毎年１０％を超える高度成長を続ける中国経済が今、転換点を迎えようとしている。欧米との貿易摩擦を引き起こすほど輸出による貿易黒字を伸ばす一方で、中国国内での需要に伸び悩んでいるのだ。
中国では１９９０年代前半に設備投資ブームが発生し、製造業の生産能力が大幅に拡大した結果、９０年代後半には外部需主導型で経済が拡大し、輸出増加により貿易黒字が定着化した。それに反して国内の需要はそれと同時に伸び悩み始めたが、実際に国内での消費財の需要供給を見てみると、全体４６６品目ある工業製品のうち供給が過剰しているのは４２１品目、需給均等なのは４５品目、供給不足なのは０品目、農業生産財に至っては全体３２品目のうち３２品目全てが供給過剰と、生産過剰需要不足の状態が明らかに見て取れる。今後もこういった外部需要依存の経済状態が続くと貿易摩擦や人民元切り上げの圧力がさらに顕著になる可能性があり、経済を内部需要主導型に移行していく必要があるが、一体なぜ１３億をも超える人口を要する中国において、内部需要のみが置いていかれてしまっているのだろうか。
　　
その理由につ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国経済と直接投資]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430750501@hc06/12890/]]></link>
			<author><![CDATA[ by koko]]></author>
			<category><![CDATA[kokoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 28 Jan 2007 15:07:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430750501@hc06/12890/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430750501@hc06/12890/" target="_blank"><img src="/docs/983430750501@hc06/12890/thmb.jpg?s=s&r=1169964436&t=n" border="0"></a><br /><br />　直接投資が中国経済に与える影響には直接的なものと間接的なものがある。直接的に影響を与えるものには資金や外貨の不足を補填する役割、新規雇用が増えたり、税収が増えたりすることによって受入国の経済的な発展に寄与するものがある。市場解放直後で外貨[360]<br />　直接投資が中国経済に与える影響には直接的なものと間接的なものがある。直接的に影響を与えるものには資金や外貨の不足を補填する役割、新規雇用が増えたり、税収が増えたりすることによって受入国の経済的な発展に寄与するものがある。市場解放直後で外貨が不足していた中国に外貨をもたらしたり、新しく雇われた労働者による消費によって市場が拡大されたり、増加した税収によって整えられたインフラが電力供給や運搬などの信頼性を向上させたりすることによって中国に更なる投資を呼ぶという良循環が起きる。また、生産に必要な資源や部品を現地で購入することによっても外貨獲得や雇用の創出が期待できる。
間接的に影響を与えるものには..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[グローバル化する韓国経済ー韓中経済の関係から]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431778501@hc05/12760/]]></link>
			<author><![CDATA[ by diana1982]]></author>
			<category><![CDATA[diana1982の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 22 Jan 2007 20:58:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431778501@hc05/12760/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431778501@hc05/12760/" target="_blank"><img src="/docs/983431778501@hc05/12760/thmb.jpg?s=s&r=1169467091&t=n" border="0"></a><br /><br />グローバル化と韓国
～中韓経済の視点から～
一、中韓経済の現状
韓国開発研究院によると、国内内需増加および国家輸出支持政策の影響を受け、2006年、韓国の経済成長は2005年の3.9％から5％まで増える見込みである。韓国経済は1997年のア[322]<br />グローバル化と韓国
～中韓経済の視点から～
一、中韓経済の現状
韓国開発研究院によると、国内内需増加および国家輸出支持政策の影響を受け、2006年、韓国の経済成長は2005年の3.9％から5％まで増える見込みである。韓国経済は1997年のアジア経済危機の打撃から徐々に回復しているが、中国経済に影響されたことは無視できない。　　
2005年6月17日、人民日報社と韓国2080CEO（最高経営責任者）フォーラムの共催による「2005中韓経済協力大フォーラム」が開かれた。中韓両国の企業関係者や専門学者など150人が出席しており、両国の経済協力問題をめぐって熱い討論を行った。
国交樹立当時、中韓両国の貿易額はわずか63.7億米ドルだったが、2004には794億米ドルにも上がれ、12年前の12.5倍である。中韓貿易額は2004年までに900億ドルを突破し、更に1000億ドルを突破する見込みである。2004年末までに、韓国の中国での累計投資プロジェクトが3万2753件、投資額が259億ドル、中国の対韓国投資プロジェクトが91件、投資額が9億ドル余りに達している。中国は韓国にとって第1の貿易相手国お..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[近代日本の対アジア観]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12527/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 09 Jan 2007 04:24:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12527/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/12527/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/12527/thmb.jpg?s=s&r=1168284292&t=n" border="0"></a><br /><br />

１．はじめに
江戸時代までの日本は、中国をアジアの中心とし、周辺諸国は従属国とする｢華夷秩序｣に組み込まれていた。しかし、アヘン戦争をきっかけに中国は列強諸国に侵略を受けるようになり、それまでのアジア秩序はくずれていく。こうした国際環境[354]<br />近代日本の対アジア観
目次
１．はじめに
２．鎖国体制下のアジア観
３．華夷秩序からの離脱
４．近代国家への発進
５．アジアへの勢力拡大
６．ワシントン体制下の協調外交
７．アジア盟主の構想と挫折
８．おわりに
参考引用文献
１．はじめに
江戸時代までの日本は、中国をアジアの中心とし、周辺諸国は従属国とする｢華夷秩序｣に組み込まれていた。しかし、アヘン戦争をきっかけに中国は列強諸国に侵略を受けるようになり、それまでのアジア秩序はくずれていく。こうした国際環境の変化に対し、日本はどういったアジア観を持って、どういった行動を取っていったのだろうか。
本稿では近代(幕末～1945)日本の対アジア観の変遷をみていきたい。
２．鎖国体制下のアジア観
17世紀前半、江戸幕府は対外貿易をオランダ・中国両国にかぎり、長崎一港に来航を許可する鎖国体制を敷いた。以後、わが国は世界からほぼ隔離された状況に置かれ、日本人に閉鎖的かつ排他的な対外姿勢をもたらした。
　この間、日本は｢華夷秩序｣というアジア独特の国際秩序のもとに置かれた。華夷秩序とは中国の華夷思想、つまり中国人の民族主義的思想である中華思想に基づ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国法の財産法]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432203101@hc05/10181/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bonjovi178]]></author>
			<category><![CDATA[bonjovi178の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Aug 2006 04:05:05 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432203101@hc05/10181/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432203101@hc05/10181/" target="_blank"><img src="/docs/983432203101@hc05/10181/thmb.jpg?s=s&r=1154372705&t=n" border="0"></a><br /><br />序
改革開放と市場経済化の進む中で、経済所有制の形態において大きな変動が生じ、そのことが個人所有権と私有財産をめぐる動向に対して少なからず影響を与えている。中国現行憲法の「第三改正」（1999年憲法修正案）では私有財産制の合憲性が承認され[348]<br />中国の財産制度について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　7月27日提出　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
序
改革開放と市場経済化の進む中で、経済所有制の形態において大きな変動が生じ、そのことが個人所有権と私有財産をめぐる動向に対して少なからず影響を与えている。中国現行憲法の「第三改正」（1999年憲法修正案）では私有財産制の合憲性が承認された。国民の生活世界のすべてに干渉してきた政府が次第に企業経営活動や商取引から撤退していく、これが「分権譲利」の過程である以上、私有財産の合法性を認めざるを得ないものであるからだ。こうした中国における私有財産についての、その問題点と様々な議論をこれまでの憲法規定の変遷を概観した上で考えていきたい。
1、「私有財産」に関する憲法規定
まず、私有財産の憲法の変遷に関して以下に挙げる。
臨時憲法としての1949年共同綱領は、新民主主義時期の条件を反射して、「労働者、農民、小ブルジョワジー、民族ブルジョワジーの経済利益及びその私有財産を保護する」とし、「個人経営、私的資本主義経済、国家資本主義経済」を規定した。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の農業]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9991/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yasu0226]]></author>
			<category><![CDATA[yasu0226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 25 Jul 2006 01:02:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9991/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429944501@hc06/9991/" target="_blank"><img src="/docs/983429944501@hc06/9991/thmb.jpg?s=s&r=1153756930&t=n" border="0"></a><br /><br />私は、中国の農業についてをテーマに選択致しました。理由は私的になりますが実家が元々は農家だった為、興味を持ってレポートを作れると考えたからです。中国の農業と日本の農業を比較してレポートを構成する予定でしたが、調べていくうちに中国の農業で、穀[360]<br />東アジアの経済　レポート
（中国の農業）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　私は、中国の農業についてをテーマに選択致しました。理由は私的になりますが実家が元々は農家だった為、興味を持ってレポートを作れると考えたからです。中国の農業と日本の農業を比較してレポートを構成する予定でしたが、調べていくうちに中国の農業で、穀物生産量について問題になっている。とい事を知り今回は中国の農業の穀物生産量についてとさせていただきます。
　現在中国の農業は政府の働きかけもあり、授業でも習いましたが、二重経済モデルや郷鎮企業の発展により農村減少し都市へ、農業が減少し産業へ、人民公社から農業生産請負責任制へと50年代から移行してきました。また中国の農村人口は9億人も存在しているがしかし工業化の代償として耕地や農地が減り、最近では穀物生産量の減少が問題となっています。例えば大豆、10年前までは国内で消費する全てを自給していました。しかし現在では2300万ｔを輸入し、国内で1600万ｔを生産、計3900万ｔの大豆を消費しています。つまり10年前は100%自給していたのに対し現在は消費量の約59%を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「『気』で読む中国思想」を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429899901@hc06/9898/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rikumusu]]></author>
			<category><![CDATA[rikumusuの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 21 Jul 2006 08:01:13 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429899901@hc06/9898/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429899901@hc06/9898/" target="_blank"><img src="/docs/983429899901@hc06/9898/thmb.jpg?s=s&r=1153436473&t=n" border="0"></a><br /><br />日本人私たち、特に若年層にはほとんど馴染みのない、『気』というものをフィルターとして中国の歴史をながめた本書は、膨大な歴史書の中でも鮮烈なメッセージを放っているように思う。私たちが知っている中国の偉人たちのほとんどが著書の中で『気』について[360]<br />「『気』で読む中国思想」を読んで
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
中国の歴史に触れようとする時、他の地の歴史と比較して驚くのは、そのアプローチの可能性が実に多様であることだ。歴史区分の方法、文化芸術宗教思想、民族の歴史、文字の歴史、女性史、偉人の伝記など様々なテーマの組み合わせによって、その数は図り知れないものとなっている。
日本人私たち、特に若年層にはほとんど馴染みのない、『気』というものをフィルターとして中国の歴史をながめた本書は、膨大な歴史書の中でも鮮烈なメッセージを放っているように思う。私たちが知っている中国の偉人たちのほとんどが著書の中で『気』について自らの見解を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[少年犯の公開審判]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309201@hc05/9694/]]></link>
			<author><![CDATA[ by washington]]></author>
			<category><![CDATA[washingtonの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Jul 2006 20:15:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309201@hc05/9694/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432309201@hc05/9694/" target="_blank"><img src="/docs/983432309201@hc05/9694/thmb.jpg?s=s&r=1153048550&t=n" border="0"></a><br /><br />現在、中国の18歳以下の未成年者は、約3億6700万人で、総人口の28％を占める。２８歳以下の青少年が総人口の６０％を占めるといわれている。大中都市では基本的に９年義務教育制度を実現し、全国の６０％の県が中学校教育を普及させている。彼らの健[342]<br />　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　少年犯の公開審判
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
現在、中国の18歳以下の未成年者は、約3億6700万人で、総人口の28％を占める。２８歳以下の青少年が総人口の６０％を占めるといわれている。大中都市では基本的に９年義務教育制度を実現し、全国の６０％の県が中学校教育を普及させている。彼らの健全な成長は、膨大な数の家庭の幸せと社会の安定に関係してくるだけでなく、中国の今後の発展の継続性にも大きく影響する。
最高人民検察院により、2003年全国の検察機関が未成年容疑者69780人を逮捕した。全国の総犯罪者数の9.1％を占めた。2002年より1..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fraisefraise]]></author>
			<category><![CDATA[fraisefraiseの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Jul 2006 01:07:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431689901@hc05/9681/" target="_blank"><img src="/docs/983431689901@hc05/9681/thmb.jpg?s=s&r=1152979631&t=n" border="0"></a><br /><br />1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんど[352]<br />「中国共産党の中国国民党内部での情報操作、工作活動について」
1917年、ロシア革命によってソビエト政府が樹立されると、ソビエト政権はマルクス・レーニン主義の宣伝、共産党勢力の拡大に励んだ。レーニンは、一挙に世界革命を実現しようとし、そのねらいはヨーロッパに向けられたが、しかしこれに失敗すると、こんどは一転してアジアを目指した。その最大の目標が中国であった。政情が不安定な中国は、ソ連が共産主義の種を撒くには、じつに好都合な地であったのである。このレポートでは、1927年国共分離するまでに、中国共産党とその背後にあったソ連がいかにして中国国民党内部で情報操作、工作活動を行ったかについて記述したい。彼らの活動は情報活動に留まらないものであるが、ソ連の後押しが常に背後にあったことに注目したい。
中国共産党の成立には、背後にソ連の動きと中国国内における陰謀の数々があった。中国共産党は、ソ連の作り出したものであった。ソ連共産党は、まず国民党の機関を通じて労働者、農民たちを組織し、国民党の名を借りてその階級闘争を隠した。その目的は中国国民革命の独立した戦いの過程において、ソ連の傀儡政権を作りあげ、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 春節]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431129701@hc06/9652/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hikari1229]]></author>
			<category><![CDATA[hikari1229の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 15 Jul 2006 16:53:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431129701@hc06/9652/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431129701@hc06/9652/" target="_blank"><img src="/docs/983431129701@hc06/9652/thmb.jpg?s=s&r=1152950013&t=n" border="0"></a><br /><br />世界各国にはそれぞれいろいろな新年の迎え方がある。わが国日本では、毎年12月31日から1月1日、2日、3日に新年のお祝いにお祭りや活動を行っている。お祭りや行事などは、各地域によりさまざまであるが、毎年の初詣、神社の御参りはほとんど一緒であ[344]<br />　　　　　　　　　　　　　　春節について
　世界各国にはそれぞれいろいろな新年の迎え方がある。わが国日本では、毎年12月31日から1月1日、2日、3日に新年のお祝いにお祭りや活動を行っている。お祭りや行事などは、各地域によりさまざまであるが、毎年の初詣、神社の御参りはほとんど一緒である。今年の新年も神社は大勢の人で賑わっていた。
　さて、4000年の歴史ともいわれている中国はどのようにお正月を過ごしているのか。中国の友人と資料から得た中国人の新年の過ごし方についてこれから述べていく。
　中国では、新年のお祝いを2回もするそうだ。一つは毎年新暦1月1日に、世界共通で新年のお祝いを行う。このお祝いは、活動が政府中心で
民間人はあまり興味を持っていないらしい。もう一つの新年のお祝いというのは、現在、中国で民間人が最も注目している春節だ。もともと春節も元旦や元日といわれていたそうだ。2回のお祝いを区別するために、中国政府は1949年に新暦の1月1日を元旦の日、旧暦の1月1日を春節の日と決めたそうだ。春節は中国の伝統祭りの日で、原始社会のお狩り祭りは、春節の始まりとして歴史の各朝代を渡って今の春..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 『陶淵明』について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/9623/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bld1362]]></author>
			<category><![CDATA[bld1362の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Jul 2006 00:58:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/9623/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/9623/" target="_blank"><img src="/docs/983431080301@hc06/9623/thmb.jpg?s=s&r=1152806315&t=n" border="0"></a><br /><br />超俗の詩人と呼ばれる陶淵明は、『桃花源記』で身分の差のないユートピアを描き、『挽歌詩』においては自らの死を悼むなど、中国では他に例をみない虚構の世界を通して内面を探求し、苛酷な実社会と関わろうとした反俗の詩人でもあった。1600年前に現代に[352]<br />『陶淵明』について
超俗の詩人と呼ばれる陶淵明は、『桃花源記』で身分の差のないユートピアを描き、『挽歌詩』においては自らの死を悼むなど、中国では他に例をみない虚構の世界を通して内面を探求し、苛酷な実社会と関わろうとした反俗の詩人でもあった。1600年前に現代に通じる鋭さと深さで人生をうたった大詩人に，親しく作品を読み込みながら肉迫する。この本では、『桃花源記』、『五柳先生伝』、『形影神』、『山海経を読む・閑情の賦』、『挽歌詩』などの決して長いものでない文章を取り上げ、原文と試訳を並べ、関連する先人の詩文などにも簡単にふれつつ、ざっくりと読んで行ける。また、この本では陶淵明を単に「超俗の詩人」とする伝統的解釈にあきたらず、著者は詩人が虚構の世界に対して強い興味と関心を抱いていた理由はいったい何だろうかという問いをたてた。
陶淵明(365--427)、また陶潜と呼ばれる。若いときに、生活のために何度も官史の職についたが、これらの職が全て長続けなかった。彼は堅苦しい役人生活には耐えられず、辞して帰郷し、以後2度と官職につかなかった。田園での清貧な生活は陶淵明の作品の重要な題材となった。そのた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ アジアの近代化と広告（中国、韓国）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432377501@hc05/9547/]]></link>
			<author><![CDATA[ by erikosaran]]></author>
			<category><![CDATA[erikosaranの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Jul 2006 21:45:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432377501@hc05/9547/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432377501@hc05/9547/" target="_blank"><img src="/docs/983432377501@hc05/9547/thmb.jpg?s=s&r=1152621912&t=n" border="0"></a><br /><br />アジア諸国は大きく経済成長を達成してきたＮＩＥＳ（新興工業経済群）やＡＳＥＡＮ（東南アジア諸国連合）は急速な経済成長を持続している。経済発展と国民生活水準の上昇に伴なってアジア各国の広告が急速に成長し、広告表現や媒体も変化しつつある。この章[360]<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2005年6月11日 現代広告学
アジアの近代化と広告
アジアの近代化と広告
アジア諸国は大きく経済成長を達成してきたＮＩＥＳ（新興工業経済群）やＡＳＥＡＮ（東南アジア諸国連合）は急速な経済成長を持続している。経済発展と国民生活水準の上昇に伴なってアジア各国の広告が急速に成長し、広告表現や媒体も変化しつつある。この章では政治的にも社会的にも文化的にも異なるアジア諸国の広告を比較し、広告の役割や近代化が広告にもたらす影響などを明らかにすることを目的とする。
経済成長と広告の発展 高度成長を背景にアジア諸国の広告市場は世界平均と比べ、はるかに早いスピードで拡大してきた。世界の広告市場にアジア諸国・地域が占める重要度が高まりつつある。
韓国、台湾などのＮＩＥＳの経済発展戦略は１９６０年半ばに輸入代替から輸出志向型の発展戦略に転換した。韓国は輸出拡大をベースに高度成長を遂げた。第一次五ヵ年計画が実施された１９６２年から９０年までは、経済成長が年平均９％を超え、これが「漢江の奇跡」と呼ばれるようになった。ＩＡＡ（国際広告協会）の統計に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ アジア諸国における地場企業　海爾集団公司について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219001@hc06/9273/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nm0500353]]></author>
			<category><![CDATA[nm0500353の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jun 2006 19:48:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219001@hc06/9273/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219001@hc06/9273/" target="_blank"><img src="/docs/983430219001@hc06/9273/thmb.jpg?s=s&r=1151664499&t=n" border="0"></a><br /><br />1）対象企業名　「海爾集団公司（ハイアール）」
　調査対象年　2001年
2）設立年　1984年の創業
3）事業内容　本社は山東省青島市にあり、中国国内に販売会社４２社と９０００店の販売店網を持つほか、欧米など３１カ国に販売拠点を持ち[326]<br />Ⅰアジア諸国における地場企業　（今回は中国企業を選択）
1）対象企業名　「海爾集団公司（ハイアール）」
　調査対象年　2001年
2）設立年　1984年の創業
3）事業内容　本社は山東省青島市にあり、中国国内に販売会社４２社と９０００店の販売店網を持つほか、欧米など３１カ国に販売拠点を持ちます。そ　　　　　　　　　のほかアメリカを始め、世界十数ヵ国に国際展開しつつ、年率80％と　　　　　　　　　いう驚異的なスピードで成長を続け、いまやPCからロボットまで製造す　　　　　　　　る中国最大の総合家電メーカーである、世界でも十大家電メーカーに　　　　　　　　も数えられる総合家電メーカーであり、AV、白物家電から、パソコン、　　　　　　　　　携帯電話、PDA、などのIT関連製品の開発および製造、販売を手がけ　　　　　　　　ている。（ちなみに冷蔵庫では世界最大の生産量と売り上げを誇って　　　　　　　　　います。）
4）売り上げ額（利益）　
　設立当初年　　１４７万元（当時のレートで約１億４０００万円）の赤字
　対象年（2001年）６０２億元（約９０００億円）　（利益）42億元（約600億円）
5..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国・台湾・九州地方における新幹線開通が及ぼす経済波及効果比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9104/]]></link>
			<author><![CDATA[ by binkanboy]]></author>
			<category><![CDATA[binkanboyの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 21 Jun 2006 17:14:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9104/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430219101@hc06/9104/" target="_blank"><img src="/docs/983430219101@hc06/9104/thmb.jpg?s=s&r=1150877680&t=n" border="0"></a><br /><br />１　背景
近年発展目覚しい台湾や中国といったアジア各国において、高速鉄道の開通が相次いでいる。これらの高速鉄道は、各国の社会においてインフラが充実するという点だけでなく、観光産業の発展による地元産業の活性化など経済面における大きな波及効果[356]<br />中国・台湾・九州地方における
新幹線開通が及ぼす経済波及効果比較
目次
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　頁
１　背景　　　　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
２　目的　　　　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
３　研究の方法　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
３－１　産業連関表の分析
３－２　経済波及効果の分析
４　分析結果　　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
４－１　九州
４－１－１　産業連関表の分析結果
４－１－２　経済波及効果の分析結果
４－２　台湾
４－２－１　産業連関表の分析結果
４－２－２　経済波及効果の分析結果
４－３　中国
４－３－１　産業連関表の分析結果
４－３－２　経済波及効果の分析結果
５　考察　　　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
５－１　地域内GDPに対する割合における比較
５－２　建設費に対する割合における比較
５－３　観光投入額に対する割合における比較
６　まとめ　　　・・・..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[論評｢袁世凱政権における国家統一の模索と諮詢機関の役割｣]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8893/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 11 Jun 2006 20:46:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8893/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8893/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/8893/thmb.jpg?s=s&r=1150026364&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　本稿では論文｢袁世凱政権における国家統一の模索と諮詢機関の役割｣を要約したうえで、論文を読んだ感想を述べていきたいと思う。

[207]<br />論評｢袁世凱政権における国家統一の模索と諮詢機関の役割｣
目次
１．はじめに
２．要旨
３．感想
１．はじめに
　本稿では論文｢袁世凱政権における国家統一の模索と諮詢機関の役割｣を要約したうえで、論文を読んだ感想を述べていきたいと思う。
２．要旨
　辛亥革命の結果、各省政府のルーズな連合体として出発した中華民国にとって、国家統一のための必須の課題となったのは「統治権の一元化」であった。成立当初の中華民国は統治権を一元化するために①中央国家権力の組織的統一性の確立と②中央政府と各省政府とが有機的に連携する地方制度の確立という二つの政治課題を克服する必要があった。
　本論文は｢専制｣を志向した袁世..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[論評「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Jun 2006 17:00:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/8723/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/8723/thmb.jpg?s=s&r=1149235246&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　本稿は論文「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題」を読んで、要約した上で、論文の感想を述べていく。

[177]<br />論評「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題，1944-45年―「喪失した機会」と「独立自主」―」
目次
１．はじめに
２．論文の構成
３．要旨
４．論文を読んで感じたこと
１．はじめに
　本稿は論文「中国共産党の対米認識とソ連の対日参戦問題，1944-45年―「喪失した機会」と「独立自主」―」を読んで、要約した上で、論文の感想を述べていく。
２．論文の構成
　Ⅰ　はじめに
　Ⅱ　国民政府軍の潰走と中共の河南への発展
　Ⅲ　中共の江蘇・浙江への発展と対米接近
　Ⅳ　「南下支隊」の出発とソ連の対日参戦問題
　Ⅴ　東北への発展の展望と対米認識の変化
　Ⅵ　おわりに
３．要旨
　本論文は「Ⅰはじめに」で、先行研究を整理したうえで二つの問題設定をしている。
　一つ目は中国現代史研究とイデオロギーとの係わり合いを論じたうえで、問題設定をしている。以下、先行研究とイデオロギーとの係わり合いをまとめていきたい。
　1950年以降、米国のアジア政策は「冷戦」の激化に伴って、反共産主義で硬直化することとなる。そうした中、49年の中華人民共和国建国は米国による中国の「喪失」と捉えられて、過去の出来事に関..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 現代日本のアジア外交]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/]]></link>
			<author><![CDATA[ by campuslife06]]></author>
			<category><![CDATA[campuslife06の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 26 May 2006 00:58:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430643701@hc06/8613/" target="_blank"><img src="/docs/983430643701@hc06/8613/thmb.jpg?s=s&r=1148572714&t=n" border="0"></a><br /><br />日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南（現韓国）、ソ連が北（現北朝鮮）にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし[344]<br />現代日本のアジア外交
日本のアジア外交について
日本は1910年から第二次世界大戦で敗れる45年まで朝鮮半島を植民地化していた。日本が敗れると朝鮮半島は戦勝国のアメリカが南（現韓国）、ソ連が北（現北朝鮮）にと北緯38度線で国を分断された。このことで、日本と両国の外交関係はなかった。しかし、韓国とは、アメリカとの外交や1952年から13年間の日韓国交正常化交渉（請求権の放棄や経済協力など）により、国交正常化が実現した。1998年の金大中大統領の訪問中、小渕首相が過去の謝罪をしたことを金大中大統領は高く評価し、友好関係の未来的志向関係の発展を述べ「日韓共同宣言」が調印された。これにより、2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催や映画、テレビなどの文化的交流も盛んになった。今年国交正常化40周年を迎えるが、日本の教科書問題や首相の靖国神社参拝ではまだ政治的対立することもある。
次に北朝鮮についてだが、1990年代始めからアメリカ、日本ともに国交正常化交渉が行われているが、外交的関係樹立は難しい。朝鮮自身、核問題や金正日体制による閉鎖的な外交が正確な情報を表に出さないことも原因である。200..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 私の考える中国地域社会]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/8575/]]></link>
			<author><![CDATA[ by king01]]></author>
			<category><![CDATA[king01の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 23 May 2006 22:49:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/8575/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430385501@hc06/8575/" target="_blank"><img src="/docs/983430385501@hc06/8575/thmb.jpg?s=s&r=1148392181&t=n" border="0"></a><br /><br />私が中国について一番強く関心を持ったのは、中国では親子が、困ったときはいつでもお互い協力しあって生活しているということです。特に、親が病気になったら子が世話をするのが当たり前だという意識の強さに感銘を受けました。日本も以前はそのような意識が[360]<br />私の考える中国地域社会
～中国における親子の関係～
　　私が中国について一番強く関心を持ったのは、中国では親子が、困ったときはいつでもお互い協力しあって生活しているということです。特に、親が病気になったら子が世話をするのが当たり前だという意識の強さに感銘を受けました。日本も以前はそのような意識があったはずなのに、いつの間に薄れてしまったのでしょう。また、日本では子が仕事で忙しくて年老いた親の面倒を見ることができないときは、老人ホームに入れるなどして、自分の代わりに親の面倒を見てくれるサービスを利用する人も多いです。しかし中国では、日本における老人ホームにあたる敬老院に入れるだけで村八分にされてしまいます。子供が成人してからも「こどもとは別居でよいが、できれば息子と同居したい。なんといっても息子が親の面倒を見るべきだから」といった考えの人が多く、このことからも親子関係の結びつきの強さを感じます。
　このように、中国は非常に良好な親子関係を保っています。しかし、一人っ子政策や学費の問題があるためたくさんの子供を持つのは難しくなっています。もし、その農村の少ない子供たちが都市部に出稼ぎに出て..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 日中間の伝統的安全保障と新しい安全保障]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 02:02:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7869/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7869/thmb.jpg?s=s&r=1144688560&t=n" border="0"></a><br /><br />安全保障の概念は多岐にわたる。伝統的な純軍事的な勢力均衡・領土問題を基本として、食料問題・環境問題・エネルギー問題・経済発展と開発など言わば国家の国民に対する福祉の分野などの、今日のグローバル化した国際社会によって新たに重層的な構造を持つよ[360]<br />日中間の伝統的安全保障と新しい安全保障
　安全保障の概念は多岐にわたる。伝統的な純軍事的な勢力均衡・領土問題を基本として、食料問題・環境問題・エネルギー問題・経済発展と開発など言わば国家の国民に対する福祉の分野などの、今日のグローバル化した国際社会によって新たに重層的な構造を持つようになった新しい形の安全保障などだ。日本と中国の二国間では、伝統的な安全保障面においては、日中国交正常化から棚上げされていたが、昨今再燃している尖閣諸島の帰属問題、中台間における帰属問題から派生するシーレーン上の日本の安全確保、冷戦終結後の東アジアでの勢力均衡などが恒常的問題として挙げられるだろう。まず日本と中国の安全保障を論じる前に、日本と中国は地続きで隣接する国家というわけではなく、東シナ海を挟んで隣接する、という特徴から様々な問題が生じてくることを確認しておかなくてはならない。海洋を挟んで隣接する国家間で問題になることは、明確な国境線の制定をいかにするかということである。日本の国家運営が海洋による輸送に依存する海洋国家であり、国家防衛も海洋をキーとしている限り、東シナ海での国境線の制定は大げさなことでは..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[  中国のマスメディアと人権]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7862/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Apr 2006 01:39:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7862/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/7862/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/7862/thmb.jpg?s=s&r=1144687187&t=n" border="0"></a><br /><br />中国のマスメディアと人権といえば、ステレオタイプ的な印象かもしれないが、やはり一般に民主主義国家と呼ばれている国よりも、自由はないものであるというものである。先進国にも完全で健全な報道の自由があるのか、という疑問はべつとして、自由がないとは[360]<br />中国のマスメディアと人権について
中国のマスメディアと人権といえば、ステレオタイプ的な印象かもしれないが、やはり一般に民主主義国家と呼ばれている国よりも、自由はないものであるというものである。先進国にも完全で健全な報道の自由があるのか、という疑問はべつとして、自由がないとはすなわち報道の送り手側にも自由がなく、受け手もまた規制がしかれ、目と耳が国によって時に強引に封じられることになるということである。刑罰などの中国の人権批判は、よくアメリカが指摘していることだが、情報の規制と管理もまた基本的人権の侵害であることは間違いない。　
国際情報誌などの特集ではよく中国のメディア統制、とりわけインターネットでの情報規制が取り上げられている。インターネット上の規制というものは、大小差はあれども各々の国には存在するが、中国の場合その規制の対象が特異である。
中国の政治システムは共産党の一党独裁体制である。
その共産党への政策の批判であるとか、台湾関係のサイトへのアクセス、とりわけ民主化という言葉が関係するサイトへのアクセスは規制されているという。自国政府への批判を厳しく取り締まる国というのは、今日に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 対中国ODA]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431247801@hc06/7748/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cop2006]]></author>
			<category><![CDATA[cop2006の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Mar 2006 21:30:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431247801@hc06/7748/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431247801@hc06/7748/" target="_blank"><img src="/docs/983431247801@hc06/7748/thmb.jpg?s=s&r=1143549032&t=n" border="0"></a><br /><br />1.はじめに
　近年、中国経済の成長が目覚ましい。21世紀に入り、その存在感は一段と増している。衣服など「Made in China」の商品に出会わない日はない。私は第二外国語に中国語を履修している。以前はアジアよりもヨーロッパに興味があ[322]<br />対中国ODA－その問題とこれから－
はじめに
　近年、中国経済の成長が目覚ましい。21世紀に入り、その存在感は一段と増している。衣服など「Made in China」の商品に出会わない日はない。私は第二外国語に中国語を履修している。以前はアジアよりもヨーロッパに興味があったのだが、中国ビジネスはこれから更に拡大していくと親から言われ、将来一番役に立つと期待して中国語を選択した。人民日報に寄ると現在日本の大学で第二外国語に中国語を選択する大学生の数は、全体の半数以上であるという 。自分の子どもを日本語と中国語のバイリンガルにするため、中華街などにある中華学校に通わせる日本人の親も増えている。横浜中華街にある横浜山手中華学校は募集要項で「バイリンガル教育を実施し、中日二カ国の言語を運用すること ができる、すぐれた交流能力と素養を兼ね備えた学生を育て、将来の学習と仕事の中でより強い競争力を発揮できるという、社会の要請に適応した新しいタイプの人材育成を目ざしています。 」と述べている。このように中国の大国化・グローバル化は日本国内にいても感じることができる。しかし、すでに発展を遂げたかのように..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国留学　大学先への資料請求の文書]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7730/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sachiko]]></author>
			<category><![CDATA[sachikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Mar 2006 23:24:31 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7730/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7730/" target="_blank"><img src="/docs/983430623401@hc06/7730/thmb.jpg?s=s&r=1143383071&t=n" border="0"></a><br /><br />中国へ留学する方が大学先へ入学に必要な資料を請求するのに必要な文書です。[108]<br />**大学尊敬的先生、女士：
你们好。 我是**国**大学*年级的学生。我从网上得知贵大学招收留学生的..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国留学志望理由、研究計画書]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7728/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sachiko]]></author>
			<category><![CDATA[sachikoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 26 Mar 2006 23:13:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7728/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430623401@hc06/7728/" target="_blank"><img src="/docs/983430623401@hc06/7728/thmb.jpg?s=s&r=1143382416&t=n" border="0"></a><br /><br />中国へ留学する際に提出を求められる志望理由書、研究計画書(中国語）の作成例です。[118]<br />学习目的 研究计划书
○○大学国际合作与交流处：
姓名 国籍 　　　日本
性别 出生年月 年 月 日..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[10年後の日本経済・産業]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430687801@hc06/7636/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kinoshita]]></author>
			<category><![CDATA[kinoshitaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 17 Mar 2006 16:53:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430687801@hc06/7636/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430687801@hc06/7636/" target="_blank"><img src="/docs/983430687801@hc06/7636/thmb.jpg?s=s&r=1142582024&t=n" border="0"></a><br /><br />■サマリー
「日本を取り巻く世界環境は、ドル低下とユーロの相対的な地位向上による基軸通貨併存体制による変化。並びに、対米輸出から対中輸出へのシフトによる、日本の対米経済的依存度が低下して、日本の中立性が高まる。さらに、日本は変動に耐える能[356]<br />- 1 -
「10 年後 の日本経済 ・産業 」
サマリー ■
「日本 を取り巻く世界環境 は、ドル 低下 とユーロ の相対的 な地位向上 による 基軸通貨併存体制 による 変化 。並
びに 、対米輸出 から 対中輸出 への シフトによる 、日本 の対米経済的依存度 が低下 して 、日本 の中立性 が高ま
る。さらに 、日本 は変動 に耐える 能力 を 90 年代 に身につけたため (他国 よりもバブル 崩壊 という内的要因 の変
動をも 乗り越えた )、今後 はさらに 産業基盤 を維持 し続けることができる。」
増大 する 世界経済 の不安定化 －米国双子 の赤字 による ドル 相場危機 の顕在化 － □
米国 の双子 の赤字 、つまり経常赤字 、財政赤字 は今後 も拡大 することが想定 される 。経済 が好調 とされていき
た 90 年代 においても 経常赤字 はその 赤字幅 を拡大 し、財政赤字 も2000 年を境にして 急速 に拡大 してきた 。
このような状況 に対して 、米国 は基軸通貨国 であることを 背景 にして 、多くを 海外資本 に依存 した ファイナンス
を行いし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ＢＲＩＣｓ（ブリックス）の持つ特徴について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430664201@hc06/7486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hunimo]]></author>
			<category><![CDATA[hunimoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 12:06:12 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430664201@hc06/7486/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430664201@hc06/7486/" target="_blank"><img src="/docs/983430664201@hc06/7486/thmb.jpg?s=s&r=1142132772&t=n" border="0"></a><br /><br />　世界における新興国の中でも特に経済成長が著しいブラジルや、ロシア、中国、インドの頭文字をつなげたものをＢＲＩＣｓ呼んでいます。米国の大手証券会社がこの言葉を使用して以来、ＢＲＩＣｓは経済用語として、社会に定着しつつあります。その要因には、[360]<br />ＢＲＩＣｓ（ブリックス）の持つ特徴について
　世界における新興国の中でも特に経済成長が著しいブラジルや、ロシア、中国、インドの頭文字をつなげたものをＢＲＩＣｓ呼んでいます。米国の大手証券会社がこの言葉を使用して以来、ＢＲＩＣｓは経済用語として、社会に定着しつつあります。その要因には、このブリックスと呼ばれる国々の経済成長は著しく、将来的に考慮すると、世界の経済基盤を大きく塗り替えることになるのではないか、という予測されているからという点にあります。この4カ国の国家レベルの経済成長が、今のままのペースで保ったまま続く場合、現状のような経済社会に大きな変化をもたらすと考えられ、経済に関わる人達の間..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 焚書・坑儒]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7429/]]></link>
			<author><![CDATA[ by firsts]]></author>
			<category><![CDATA[firstsの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Mar 2006 15:55:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7429/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430926101@hc06/7429/" target="_blank"><img src="/docs/983430926101@hc06/7429/thmb.jpg?s=s&r=1141973704&t=n" border="0"></a><br /><br />　焚書・坑儒は、共に言わずと知れた始皇帝の暴政の代表格である。しかしこの行いを並べて、始皇帝による儒学者への思想弾圧とするのは疑わしい。なぜなら、「焚書」と「坑儒」は、対象となった人々がまったく別のものだったからである。
【焚書】
　ま[352]<br />焚書・坑儒
　焚書・坑儒は、共に言わずと知れた始皇帝の暴政の代表格である。しかしこの行いを並べて、始皇帝による儒学者への思想弾圧とするのは疑わしい。なぜなら、「焚書」と「坑儒」は、対象となった人々がまったく別のものだったからである。
【焚書】
　まず「焚書」は、かなり乱暴な方法ではあったが、秦のれっきとした言論統制政策である。
　博士淳于越の封建制賛美に対して丞相李斯は後王思想を説き、郡県制度の有用性を確認するとともに過去礼賛の儒者を批判した。そして巷に異論があるのはそのような儒学書が出回り、人々が勝手に政令を論議し、反朝廷の言論を作り出しているからだと述べ、秦の歴史書と博士が管理する以外の学..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 「私なら阮籍をこう教える」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430726801@hc06/7107/]]></link>
			<author><![CDATA[ by harumonen]]></author>
			<category><![CDATA[harumonenの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Feb 2006 18:59:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430726801@hc06/7107/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430726801@hc06/7107/" target="_blank"><img src="/docs/983430726801@hc06/7107/thmb.jpg?s=s&r=1140861572&t=n" border="0"></a><br /><br />　高校の漢文授業において取り上げられているものは、故事成語、史伝、史話、説話、思想などで、三国時代を諸葛亮孔明や劉備、司馬懿と共に生きた詩人阮籍に関して、扱われないことが多い。彼に関しては「人を冷たい目で見たり冷遇したりすること」という意味[360]<br />「私なら阮籍をこう教える」
高校の漢文授業において取り上げられているものは、故事成語、史伝、史話、説話、思想などで、三国時代を諸葛亮孔明や劉備、司馬懿と共に生きた詩人阮籍に関して、扱われないことが多い。彼に関しては「人を冷たい目で見たり冷遇したりすること」という意味を持つ「白眼視（する）」の故事成語で有名である。そのことに関して様々なエピソードを踏まえつつ教えたい。まず阮籍とはどのような時代背景から生まれてきた人間なのだろうか。
漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代がおとずれるが、色々深刻な社会不安が芽えはじめた。それまでは共通の価値観として何の疑問もなく受け入れられていた「儒学」の拘束力が低下し、..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[留学志望理由書]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430963401@hc06/6537/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gogogogo2007]]></author>
			<category><![CDATA[gogogogo2007の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Feb 2006 21:50:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430963401@hc06/6537/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430963401@hc06/6537/" target="_blank"><img src="/docs/983430963401@hc06/6537/thmb.jpg?s=s&r=1139575845&t=n" border="0"></a><br /><br />留学志望理由[18]<br />今回、中国上海師範大学の留学を希望するに至った理由は次の通りです。
私は小さい頃から中国に大変、興味と関心を持っていました。なぜならば、中国は私の生まれ故郷でもあり、8歳まで暮らしていた国なのです。祖父が日本残留孤児ということで、8歳のときに日本に居住しました。日本で暮らしながら常に中国と日本の文化や習慣の違いに直面し、国際交流の面白さに気づくことは少なくありませんでした。そのため中国に留学し中国語だけでなく、現地の人との交流の中から中国の文化や、習慣をもっと学びたいと思うのは私にとって自然の流れでした。日本と中国の真ん中で、常に物事を見てきたので、両国の世界観や国民性について普通の人以上に理..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[纏足の文化史]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/6474/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kingyo]]></author>
			<category><![CDATA[kingyoの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 15:04:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/6474/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431317101@hc05/6474/" target="_blank"><img src="/docs/983431317101@hc05/6474/thmb.jpg?s=s&r=1139465078&t=n" border="0"></a><br /><br />　纏足は１０世紀頃妓女の間で流行し、やがて上流階級の間に、南宋以降には民間に広まり、明清時代に最も盛んになった。その広まりの原因は、もともと漢民族が足に対して特別な感受性を持っていたことや、宋の時代に始まった、厳粛主義化された新儒教の影響が[360]<br />中国史概論課題レポート
纏足の文化史
纏足は１０世紀頃妓女の間で流行し、やがて上流階級の間に、南宋以降には民間に広まり、明清時代に最も盛んになった。その広まりの原因は、もともと漢民族が足に対して特別な感受性を持っていたことや、宋の時代に始まった、厳粛主義化された新儒教の影響があげられる。これによって女性の劣等性や男女の厳格な分離が強化され、女性に貞操を強調するものになり、纏足という女性を囲いの中に閉じ込める文化を賞賛することになったのである。これ以来、極端に小さく、先の尖った足が美女であるためになくてはならない属性にまでなった。明清代のなかでも清代は纏足の最盛期である。１６６４年に康煕帝によって出された満州族婦人の纏足を禁止する纏足禁止令があったので、満州の女性は足を縛ることはしなかったが、つま先が細くなった靴を履いた、漢族の女性の纏足の歩き方をまねた。このように禁止されていたにもかかわらず、纏足は女性にとって魅力的なものに映った。この頃になると纏足は美人の条件だけでなく、結婚の条件にもなっている。
では、ひどく身体的苦痛を伴うと言われている纏足の「見せる」部分、魅力とは何だったのであ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国における俗信について〜旧正月を中心に〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430958301@hc06/6237/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gedann]]></author>
			<category><![CDATA[gedannの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 04 Feb 2006 10:13:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430958301@hc06/6237/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430958301@hc06/6237/" target="_blank"><img src="/docs/983430958301@hc06/6237/thmb.jpg?s=s&r=1139015625&t=n" border="0"></a><br /><br />　中国の民族文化には、一年の四季の移り変わりに基づいて、いろいろな祝日が決まっている。そのほとんどが農業生産と人間と大自然との交流に密接な関係があり、人間の「天人同一」という文化心理を反映している。その中で、もっとも重大で、かつ、もっとも民[360]<br />中国の俗信について
～旧正月の儀式を中心にして～
中国の民族文化には、一年の四季の移り変わりに基づいて、いろいろな祝日が決まっている。そのほとんどが農業生産と人間と大自然との交流に密接な関係があり、人間の「天人同一」という文化心理を反映している。その中で、もっとも重大で、かつ、もっとも民族的特色を持つ祭日は、中国旧暦の正月で、「年」と言う。「年」は「稔」であり、稲穂が実り熟することを祈りつつ念ずるという意味である。そして、「年」の由来にはこういう昔話がある。
太古の昔、ある凶暴な「年」という野獣がいた。「年」はよく年末に町に現れ、人や家畜を食べる。ある年の瀬、例年のように「年」が現れ、ある村に入ろうとした。その時、たまたま村の牧童が鞭で、パンパンと音をさせて遊んでいた。その音を聞いた「年」は、驚いて逃げ去っていった。また別の村に入ろうとすると、ちょうど干してあった紅い衣装が、ヒラヒラと風にひるがえっていた。これを見た「年」は、また、驚いて逃げていった。また。日暮れになり、さらに別の村に入ろうとすると、人家から橙火の光が漏れていた。「年」は光にも驚き、とうとう完全に逃げ去っていった。そこ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[上海の国有資産国有企業改革に外資を導入の現状と今後]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/6130/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bld1362]]></author>
			<category><![CDATA[bld1362の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Feb 2006 01:09:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/6130/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/6130/" target="_blank"><img src="/docs/983431080301@hc06/6130/thmb.jpg?s=s&r=1138810141&t=n" border="0"></a><br /><br />一．上海の国有資産国有企業改草の現状
１９９３年７月、上海では国有資産の専門管理機構 上海市国有資産管理弁公室が設立され、市の国有資産管理体制の枠組みが初歩的に築かれた。去年、中国共産党第十六回全国大会の精神の下で、国務院の『国有資産監督[354]<br />上海の国有資産国有企業改革に外資を導入の現状と今後
　
一．上海の国有資産国有企業改草の現状
１９９３年７月、上海では国有資産の専門管理機構
上海市国有資産管理弁公室が設立され、市の国有資産管理体制の枠組みが初歩的に築かれた。去年、中国共産党第十六回全国大会の精神の下で、国務院の『国有資産監督管理暫定条例』の規定に基づき、上海市国有資産監督管理委員会が設立され、上海市政府を代表して、市の国有資産出資人の責務を履行し、「人員、事務と資産」の統合管理を実現させた。
　十数年にわたる国有資産管理体制の研究、模索と実践を通して、上海は国有
資産国有企業の改革、国有経済構造の調整などの面において、速い発展を遂げ
た。総じて見れば、主に以下の面に現れている。
（一）．国有資産の総量が健全かつ快速に成長する
１９９５年末におよそ１５４９億元だった上海の地方国有経済の総量は、２００３年末現在、６２００億元余りまで成長し、八年間で３倍も増えた。そのうち２００３年上海の地方国有経済は２００２年より１２．９％あがった。
　何年もの調整と誘導を通して、上海の地方国有経済の分布と構造の合理化が進み、第二次産業と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[黄色い大地を見て]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sugiyama]]></author>
			<category><![CDATA[sugiyamaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2006 18:24:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432196501@hc05/6043/" target="_blank"><img src="/docs/983432196501@hc05/6043/thmb.jpg?s=s&r=1138699460&t=n" border="0"></a><br /><br />　この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見て[360]<br />　　　　　　　　　　　　　『黄色い大地』を見て
　この作品を見て、無限に広がっていくような黄土と静かに流れていく時間の中で、その中に佇んでいるような印象を受けた。そして登場人物を見守っているかのようなタッチで物語が進んでいった。その様子は映画というよりもドキュメンタリーのようであり、見ていて一般の映画にはない安心感や落ち着きといったものを感じ、心地よさも感じた。しかし、ただ穏やかであるだけでなく、穏やかさの中に力強く生きていくことに対する情熱が読み取れるように思う。その情熱とは変化に対する情熱であるように思う。自由恋愛・自由結婚などが許されている八路軍の顧青に出会うことによって、翠巧の中に起こる自分の人生の変化への情熱である。顧青に出会うまでは疑問に思うことのなかった村での生活をそとの世界を知ってしまった翠巧はそれに魅力を感じ変化を望むのである。
私はこの作品に描かれている翠巧の物語をどこか自分にとって身近な女性、母・祖母・叔母らみ重ね合わせて見ていた。なぜならそれは翠巧の姿が中国でいういわゆる「現代化」の中で変化し、成長していく女性のひとつの典型的な姿であるようにわたしには思われたか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[青山商事]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/]]></link>
			<author><![CDATA[ by junpei58]]></author>
			<category><![CDATA[junpei58の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 31 Jan 2006 13:14:29 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431852801@hc05/6023/" target="_blank"><img src="/docs/983431852801@hc05/6023/thmb.jpg?s=s&r=1138680869&t=n" border="0"></a><br /><br />　青山商事について、まず青山商事の中国進出の狙いは、中国市場を標的に商品を販売することにある。それは系列会社が中国で現地生産をはじめているからである。しかし、上海市外国投資工作委員会は外国小売企業の完全所有の販売会社を認めない政策を実施して[360]<br />青山商事について、まず青山商事の中国進出の狙いは、中国市場を標的に商品を販売することにある。それは系列会社が中国で現地生産をはじめているからである。しかし、上海市外国投資工作委員会は外国小売企業の完全所有の販売会社を認めない政策を実施している。そこで現地生産の合弁会社を設立することになった。そして青山商事は、合弁相手を上海２毛に選定した。その理由は、第一に合弁相手が紡織工場であるため、原材料の安定的な供給が可能であること。第二に合弁相手に資金力があることで、合弁相手の赤字の損失補填をせまられる可能性が低いこと。第三に合弁相手の社長の決定権が大きいことである。
上海青山の特徴はまず、中国製と日本製をミックスした生産設備である。そのミックスした生産設備として、三つの特徴をあげることができる。一つ目に、汎用機械の本織ミシンを日本から持ち込まず、合弁相手の中国製の機械をそのまま稼動させていることである。既存設備を稼動した理由は、既存設備がまだ十分に稼動でき、日本から持ち込む必要がなく、工場の建物に必要以上の投資をしたことと、仕方なく縫製工場を設立したことである。
二つ目に、オーバーロックやプレ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人間の性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/5651/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Jan 2006 04:41:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/5651/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/5651/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/5651/thmb.jpg?s=s&r=1137958895&t=n" border="0"></a><br /><br />孟子の時代に人間の本性についての問いが争点となった。孟子説の「人間は生まれもって善である」という性善説。もし赤子が井戸に落ちそうなところを見かけた時、誰でもはっと驚き助けようとするのは人には誰にでも惻隠の心があるからだという。
　荀子説の[356]<br />人間の性について
孟子の時代に人間の本性についての問いが争点となった。孟子説の「人間は生まれもって善である」という性善説。もし赤子が井戸に落ちそうなところを見かけた時、誰でもはっと驚き助けようとするのは人には誰にでも惻隠の心があるからだという。
　荀子説の「人間はもともと悪である」という性悪説。これは人の性はもともと利益を好むはたらきがあり、それに従うので争い、奪い合いが生じ、譲り合いがなくなる。そして生まれながらにして、ねたみ、憎しみのはたらきがあるから、傷つけ合いが生じ、誠実さがなくなる。生まれながらにして耳や目などの欲望があって、快い音声や美しい色を好むので、ふしだらな乱れが生じ、礼儀と..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦後中国経済について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bld1362]]></author>
			<category><![CDATA[bld1362の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 02:06:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431080301@hc06/5584/" target="_blank"><img src="/docs/983431080301@hc06/5584/thmb.jpg?s=s&r=1137776775&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　戦後世界経済は大きく改編し、ヨーロッパを北アメリカといった資本主義諸国とソ連、東ヨーロッパ、中国を中心にした社会主義諸国に分けられ、それぞれの経済発展を目指した。半世紀あまりが立ち、経済面において、資本主義各国は一層的に経済発[356]<br />戦後中国経済について
はじめに
戦後世界経済は大きく改編し、ヨーロッパを北アメリカといった資本主義諸国とソ連、東ヨーロッパ、中国を中心にした社会主義諸国に分けられ、それぞれの経済発展を目指した。半世紀あまりが立ち、経済面において、資本主義各国は一層的に経済発展を進めた。その一方、社会主義諸国は経済発展の停滞、あるいは後退の局面に陥った。
　ここで、資本主義成立の歴史を振り返ってみると、近代国家と世界市場は不可分に結びついており、両者は表裏の関係の下で発展してきたことは明らかである。戦後、世界市場に背を向け、国家所有や経済統制を基本としてきた東欧、ソ連、中国など多くの社会主義国家は、20世紀末に至ってようやくその弊害に気づき、旧体制を放棄して、「計画経済から市場経済への移行」路線に転換することによって、経済のグローバル化を促進すると同時に、こられ諸国経済を世界市場と結び付けようとする努力を開始した。
　特に、30年近くの経済混乱期を終え、経済開放・対外開放以来、20年間の高成長をつつけてきた中国経済の形成と発展は、国際的に注目を集めている。その基本的な理由は旺盛な成長力にある。経済の近代..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[革命家・国父としての孫文]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5414/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 03:52:53 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5414/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5414/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/5414/thmb.jpg?s=s&r=1137437573&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　ある国家において、父や母という言葉を使って崇められる人物は、当然その国家の建国上重要な働きをした人物につけられる。言葉の意味の通り、国家誕生に貢献した人物であるからだ。また、時にそれも政治的目的によってなされる場合もある。[356]<br />革命家・国父としての孫文
～中国・台湾双方による位置づけについての考察～
もくじ
はじめに
孫文の位置づけ
孫文の略歴
革命と事業計画
プロパガンダとしての指導者像
まとめ
参考文献
１．はじめに
ある国家において、父や母という言葉を使って崇められる人物は、当然その国家の建国上重要な働きをした人物につけられる。言葉の意味の通り、国家誕生に貢献した人物であるからだ。また、時にそれも政治的目的によってなされる場合もある。そして概して、そのような国家は近現代において誕生した国家であり、単独政党が政権を担う国家であることが多い。国の父などの言葉をもってして、ある人物を祭り上げ、それに続く自分たちに正当性を付与することを目的とするからである。いずれにせよ崇められている人物を知ることは、その国家の近代史を知ることであり、政治状況を知る一つの手がかりになる。
２．孫文の位置づけ
今日、中国・台湾の双方において孫文は偉大な革命家であり、国父であると称されている。中国・台湾双方において孫文ゆかりの史跡・博物館などは数多い。南京には孫文の遺体が安置されているとされる中山稜があり、また孫文ゆかりの地である広..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本三大チャイナタウン]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5412/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jan 2006 03:29:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5412/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/5412/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/5412/thmb.jpg?s=s&r=1137436178&t=n" border="0"></a><br /><br />１．はじめに
　日本三大チャイナタウンとは、横浜中華街・神戸南京町中華街・長崎新地中華街をさす。今日では観光地として、多くの人を呼び寄せる中華街ではあるが、その共通点とは何か。共通点としては、地理的要件として貿易港として機能する港があるこ[356]<br />日本三大チャイナタウンの形成過程と特徴
もくじ
はじめに
横浜中華街
神戸南京町
長崎新地中華街
新しい形のチャイナタウン
三大チャイナタウンの考察
参考文献
１．はじめに
　日本三大チャイナタウンとは、横浜中華街・神戸南京町中華街・長崎新地中華街をさす。今日では観光地として、多くの人を呼び寄せる中華街ではあるが、その共通点とは何か。共通点としては、地理的要件として貿易港として機能する港があること、時代背景として日本が３００年近い鎖国を解いて、欧米列強と通商を開始した変化に富んだ時代に始まりがあることである。日本三大チャイナタウンの最大の特長と機能は、観光地化である。チャイナタウンとは本来、異国の地において同胞が協力して生きていくために華僑たちが、寄り添って構築した小中華の空間である。日本の場合は、伝統的チャイナタウンの機能としての居住空間の役割に加え、その空間の多くが観光客のために広く開放されている。このことを踏まえて、各中華街の形成過程と、特徴を見て比較していきたい。
　
２．横浜中華街
日本への華僑の流入は、幕末に日本が欧米列強との間に諸々の通商条約を結び、各地の港が開港したこと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国映画評価]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5334/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chisato]]></author>
			<category><![CDATA[chisatoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 23:38:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5334/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5334/" target="_blank"><img src="/docs/983431292801@hc06/5334/thmb.jpg?s=s&r=1137249538&t=n" border="0"></a><br /><br />《履修動機》
　先学期に履修させていただいたのをきっかけに、ハリウッド映画にはない中国映画独特の作品に魅せられ今期も継続して履修させていただきました。また今期は第六世代監督の作品を見るということで、まだ一般にはあまり世に出てない中国映画が[356]<br />氷上研究会　最終レポート
《履修動機》
先学期に履修させていただいたのをきっかけに、ハリウッド映画にはない中国映画独特の作品に魅せられ今期も継続して履修させていただきました。また今期は第六世代監督の作品を見るということで、まだ一般にはあまり世に出てない中国映画が見られるのを毎回楽しみにしていました。前半は就職活動であまり出席できなかったのですが、就職活動の合間に中国映画に触れることは、私にとってとてもよいリフレッシュになっていました。
ハリウッド映画は既に成熟した感があり、最新作といってもどれも昔の何らかの作品に似ているという印象を受けます。最近では『宇宙戦争』を見てきたのですが、トムクルーズとスティルバーグという最強の知名度を持つ二人の作品の割には物足りなさを感じる内容でした。
それに対し、中国映画にはこれから伸びていく世界を感じます。また監督によって作品の描き方が大きく変わるため、作品ひとつひとつが新鮮で、斬新さに満ちています。張藝謀監督や陳凱歌監督映画はすでに世界に認められた作品を多くだしていますが、私は今期見たような第六世代の監督たちがこれから世界にどう評価されていくかが楽しみ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[グローバル社会と３E研究]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5330/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chisato]]></author>
			<category><![CDATA[chisatoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 23:30:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5330/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431292801@hc06/5330/" target="_blank"><img src="/docs/983431292801@hc06/5330/thmb.jpg?s=s&r=1137249026&t=n" border="0"></a><br /><br />?	中国における３Ｅのこれまでと現状
・	経済発展
　近年における中国の著しい成長は現在も止むことなく、失われた10年を今もなお引きずっている日本と対照的に、中国はその目覚しい発展と共に途上国から後発先進国への転進を果たした。具体的に中[342]<br />グローバル社会と３E研究
中国における３Ｅのこれまでと現状
経済発展
近年における中国の著しい成長は現在も止むことなく、失われた10年を今もなお引きずっている日本と対照的に、中国はその目覚しい発展と共に途上国から後発先進国への転進を果たした。具体的に中国はどのように成長を遂げていったのか。
まず経済発展の指標となるのがGDP成長率である。中国統計年鑑からの数値によると、実質GDP成長率は(全国平均) 
1992年＝14.2%、1993年＝13.5%、 1994年＝12.6%、1995年＝10.5%、
1996年＝ 9.6%、1997年＝ 8.8%、 1998年＝ 7.8%、1999年＝7.2%、　
2000年＝8.4%、 2001年＝ 7.0%、 2002年＝ 8%　　　 となっている。
また一人当たりのGDPは（全国平均） 
1992年＝412㌦、 1993年＝507㌦、1994年＝453㌦、1995年＝578㌦、 
1996年＝667㌦、 1997年＝730㌦、1998年＝770㌦、1999年＝791㌦、
2000年＝856㌦、 2001年＝911㌦、2002年＝963㌦ となって..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本企業の対中投資]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/]]></link>
			<author><![CDATA[ by gom0525]]></author>
			<category><![CDATA[gom0525の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 12 Jan 2006 18:51:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431168801@hc06/5024/" target="_blank"><img src="/docs/983431168801@hc06/5024/thmb.jpg?s=s&r=1137059483&t=n" border="0"></a><br /><br />第一節   対外開放政策

１．対外開放政策  
 対外開放政策は中国共産党11期3中全会（1978年12月）で打ち出された政策で、改革と並び70年代末以降における中国の「基本路線」のポイントの一つと位置づけられている。   同政策は[308]<br />目次
序 1第一章 対外開放政策と開放区 3第一節 対外開放政策 3第二節 開放地区 3第二章 新たな経済発展と外資導入 8第一節 対中直接投資の展開 8第二節 対中直接投資の要因と特徴 12第三節 外資企業の役割と位置づけ 16第三章 地域別外資導入 22第一節 東北三省の対外開放と外資導入 22第二節 華東地域の経済成長を促す外資の役割 30第三節 華南地域への直接投資 35第四節 内陸の外資導入 39第五節 外資導入現況と影響 41第四章 日本企業の対中投資 44第一節 日本企業の対中進出 44第二節 日本の対中投資と日中貿易と産業構造への影響 48第三節 直接投資をめぐる問題点と解決策 52結 対中直接投資・日中産業協力の展望と課題 54序
78年以降、「改革」（経済体制の改革）と並んで「解放」（対外解放）政策の実施は中国の基本的な国策と位置づけられて、経済発展戦略を達成するため「車の両輪」とされている。国内における経済体制改革の進展は対外開放のテンポを速めると同時に、対外開放政策の実施は国有企業の改革を中心とする中国経済体制改革を促進させている。「八・五計画」期（1991～1..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[知的財産権侵害に対する企業の対策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431267801@hc06/4731/]]></link>
			<author><![CDATA[ by bcc0595]]></author>
			<category><![CDATA[bcc0595の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 08 Jan 2006 21:10:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431267801@hc06/4731/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431267801@hc06/4731/" target="_blank"><img src="/docs/983431267801@hc06/4731/thmb.jpg?s=s&r=1136722232&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　2002年7月、日本政府は「知的財産」戦略を公表した。その目的は、知的財産で経済を活性化する国興しを行い、知財立国を進める事にあった。このような政府の対応からも察せられるように昨今では知的財産の重要性は高まりを見せている。
[342]<br />２００５年１月２９日
知的財産権侵害に対する企業の対策
　
はじめに
　2002年7月、日本政府は「知的財産」戦略を公表した。その目的は、知的財産で経済を活性化する国興しを行い、知財立国を進める事にあった。このような政府の対応からも察せられるように昨今では知的財産の重要性は高まりを見せている。
　そしてまた昨今では知的財産が侵害される事件が多発している。特にアジアにおける偽ブランド品などの模造品は知的財産を保有する企業にとって多大な損害を与え、問題となっている。このような被害によって、知的財産の保護が叫ばれ、重要視されているという側面も指摘する事ができるだろう。
　この論文では知的財産の定義を明らかにした上で、まず実際に二輪業界の企業が侵害を受けた時の対策を実例として取り上げていく事とする。そしてその効果に対する評価を行い、これからの知的財産侵害への対策について模索していくものとする。
知的財産権の定義とは
知的財産権とは、物品に対し個別に認められる所有権（財産権）のことではなく、無形のもの、特に思索による成果・業績を認めその表現や技術などの功績と権益を保証するために与えられる財産権の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「中国と日本・東アジアとの安全保障上の関係」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431284601@hc06/4548/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuki9696]]></author>
			<category><![CDATA[yuki9696の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 04 Jan 2006 02:34:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431284601@hc06/4548/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431284601@hc06/4548/" target="_blank"><img src="/docs/983431284601@hc06/4548/thmb.jpg?s=s&r=1136309689&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　本レポートでは、建国以来、厳しい国際環境の中で構築されてきた中国の統治体制、特に軍事組織をまず整理する。
その上で、今日の中国が軍事面、経済面でどのような安全保障上の課題を抱えているか、それらの課題に対しどのように取り組んで[352]<br />「中国と日本・東アジアとの安全保障上の関係」
はじめに
第１章　　厳しい国際環境下で構築されてきた中国の統治機構
１　厳しい国際環境下に置かれてきた中国
２　中国の統治機構
第２章　 中国の国家戦略目標と「新安全保障観」
１　中国の国家戦略目標
２　「新安全保障観」
第３章　　中国の抱える安全保障上の課題とそれが日本や東アジアに与える影響
１　中国の軍備拡大が及ぼす影響
（１）　軍備の拡大、近代化
①　米ロの軍事的脅威への対抗
②　中国周辺の局部戦争の抑制
③　台湾統一、南シナ海、東シナ海などの領土問題の解決
④　中国共産党独裁体制の維持
（２）　中国の核兵器開発が生む中国の核兵器開発が生む核の威嚇・脅威の拡大
（３）　中国の海洋進出に伴う東アジア各国の権益、資源、シーレーンの侵害
２ 中国の経済活動、外交が及ぼす影響
（１）　経済発展戦略
（２）　中国の経済大国化が及ぼす悪影響
（３）　中国の全方位協調外交が及ぼす影響
第４章　　日本や東アジアが中国に対してとるべき対応
　　　１　東アジア各国の米国との同盟強化
　　　２　日本の軍事・経済両面からの総合的な外交
　　　３　好ましい日中..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アンケートに見る日中関係のカギ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/]]></link>
			<author><![CDATA[ by langhappy]]></author>
			<category><![CDATA[langhappyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 27 Dec 2005 15:46:36 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/4398/" target="_blank"><img src="/docs/983431534701@hc05/4398/thmb.jpg?s=s&r=1135665996&t=n" border="0"></a><br /><br />一、はじめに
　私が留学生として中国から日本に来たことで、自然に日中関係に対しての関心は高まってきた。しかし残念ながら、小泉首相が靖国神社を参拝することをはじめ、日中両国の間にいろいろな紛争が起こってしまい、中でも最も激しかったのは、今年[356]<br />アンケートに見る日中関係のカギ
一、はじめに
　私が留学生として中国から日本に来たことで、自然に日中関係に対しての関心は高まってきた。しかし残念ながら、小泉首相が靖国神社を参拝することをはじめ、日中両国の間にいろいろな紛争が起こってしまい、中でも最も激しかったのは、今年中国で起こった反日デモである。日中両国の未来について、誰もが悲観的な見方をした。
　さらに最近、産経新聞（2005年12月１４日朝刊）によると、中国訪問中の民主党の前原誠司代表は胡錦濤国家主席との会談ができず、日中問題「永遠に解決せず」と述べたということだ。
日中両国は、地理的にも大変近い、同じアジアの国である。さらにグローバル化が進んでいる現在では、経済的、文化的、戦略的に様々な面でお互いに依存し、ともに発展せざるを得ないと思われる。もし、日中問題が「永遠に解決せず」とすれば、日中両国の発展はそれまでだと考えざるを得ないと思われる。また、日中関係がこのまま悪化していくと、恐らく将来、日中の間に戦争が起こる可能性もあるとさえ考えられる。
果たして、日中問題は「永遠に解決せず」なのか、日中関係は修復することができないのだろ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の政治を知る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431410901@hc05/4343/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nephe35]]></author>
			<category><![CDATA[nephe35の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 26 Dec 2005 16:33:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431410901@hc05/4343/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431410901@hc05/4343/" target="_blank"><img src="/docs/983431410901@hc05/4343/thmb.jpg?s=s&r=1135582427&t=n" border="0"></a><br /><br />　建国直前に制定され、臨時憲法の役割を果たした「中国人民政治協商会議共同綱領」、一九五四年に制定された「中華人民共和国憲法」と現行の「憲法」のいずれも、中国共産党の指導による、人民代表大会制度が中国の基本的な中国統治制度であると明確に規定し[360]<br />政治学基礎概念
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＜中国の統治制度＞
建国直前に制定され、臨時憲法の役割を果たした「中国人民政治協商会議共同綱領」、一九五四年に制定された「中華人民共和国憲法」と現行の「憲法」のいずれも、中国共産党の指導による、人民代表大会制度が中国の基本的な中国統治制度であると明確に規定している。「憲法」の規定によると、中国共産党の指導する多党合作と政治協商制度は中国政治制度の重要な一部である。四〇数年来、この制度は不断の改革と完全なものにすることを通じて、広く人民大衆の支持を得、実践の中でますます強固になった。　中国人民代表大会制度は資本主義国家の権力分立制度と異なり、ソ連が十月革命後に樹立したソビエト制度とも異なり、中国的特色のある社会主義の人民民主制度である。「中華人民共和国憲法」は、「中華人民共和国は労働者階級が指導し、労働者と農民の同盟を基礎とする人民民主専制の社会主義国家である(１)」、「中華人民共和国の一切の権力は人民に属する(２)」と規定している。中国のように国土が広く、人口が多く、五十六もの民..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[文学を通しての妓女と遊郭]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/4292/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Dec 2005 04:03:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/4292/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/4292/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/4292/thmb.jpg?s=s&r=1135364601&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は『 油郎独占花魁』を読んで一番興味を持ったのは花魁のことです。日本の遊女と妓女について書きたいと思う。
　日本の遊女の語源は中国ではなく、朝鮮である。それは中国にも遊女という言葉が詩経や李白の詩の中にも出てくるが、いずれも日本の遊女[354]<br />　　　　　　　　　　　　　　花魁と遊女について　　　　　　　　　　　　
私は『卖油郎独占花魁』を読んで一番興味を持ったのは花魁のことです。日本の遊女と妓女について書きたいと思う。
　日本の遊女の語源は中国ではなく、朝鮮である。それは中国にも遊女という言葉が詩経や李白の詩の中にも出てくるが、いずれも日本の遊女といった意味ではない。中国にも歌舞や売色を職業とする女性は古くから存在したが、「倡女」や『妓女』「歌妓」などと呼ばれていた。そして遊女の語源が朝鮮だとする理由は、朝鮮の特殊民である白丁の婦人は諸方に遊行、漂白し、一箇所に定住することがなかった事から遊女と呼ばれたらしい。
　次に中国の遊郭につ..]]></description>

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			<title><![CDATA[道教と神様]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/4291/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Dec 2005 03:54:57 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/4291/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/4291/thmb.jpg?s=s&r=1135364097&t=n" border="0"></a><br /><br />道教とは宗教である。道教は中国の古代の母系氏族社会で自然発生した原始宗教である。その変化の過程で、巫術禁忌、鬼神祭祀、民俗信仰、神話伝説やさまざまな方技術数を取り入れ、道家黄老の学を旗印と理論的な柱とし、儒家・墨家・陰陽家・神仙家・医家など[360]<br />道教と神様
　道教とは宗教である。道教は中国の古代の母系氏族社会で自然発生した原始宗教である。その変化の過程で、巫術禁忌、鬼神祭祀、民俗信仰、神話伝説やさまざまな方技術数を取り入れ、道家黄老の学を旗印と理論的な柱とし、儒家・墨家・陰陽家・神仙家・医家などの諸学派の修練理論・倫理観念・宗教信仰なども取り入れた。人々を救い、長生し仙人に成り、さらに道と一つになることを総合的な目標に掲げ、神学・方術なども含む雑多な宗教体系である。それは漢の時代に特定の歴史的条件のもとで絶えず仏教の宗教形態を取り入れ、次第に発展し中国の伝統的民衆文化の特色を備えた宗教となった。道教の始まりはシャマニズムであると言われ..]]></description>

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		<item>
			<title><![CDATA[吉田茂の自問]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431774801@hc05/4284/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hima]]></author>
			<category><![CDATA[himaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Dec 2005 22:41:20 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431774801@hc05/4284/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431774801@hc05/4284/" target="_blank"><img src="/docs/983431774801@hc05/4284/thmb.jpg?s=s&r=1135345280&t=n" border="0"></a><br /><br />第１章満州事変
　１９３１年９月１８日満州事変が起きた。
　満州事変は止めえなかったのだろうか。調書はまず「満州事変の根本原因は一つに日本国内で深刻な経済不況と政党政治への不満に根ざす、国家革新勢力の台頭があったからであり、他の一つは、[352]<br />吉田茂の自問
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
第１章満州事変
　１９３１年９月１８日満州事変が起きた。
　満州事変は止めえなかったのだろうか。調書はまず「満州事変の根本原因は一つに日本国内で深刻な経済不況と政党政治への不満に根ざす、国家革新勢力の台頭があったからであり、他の一つは、中国において激しい排日の動きがあったからであって、そのよってくるところ遠く、かつ深い」と事前の外交努力によってとめることはほとんど不可能といっている。しかし調書は、日本に武力進出以外の道がなかったともいえない、当時の外務当局は満州事変前の内外の情勢の行き詰まりを打開しようとする「積極性に乏しかった」と切り返している。
　例えば満州平行線交渉が考えられる。軍事力に訴えてもと満州の収益確保を至上命令としていたので、張学良と政治的話をつけることが考えられる。しかし張学良は満州全土を掌握できるような状態ではなかったのみならず、張学良の背後には蒋介石がいた。ナショナリズムの効用をもって日本との対抗の盾にしようとしていた蒋介石にとって張学良が勝手に日本と取引することは許しがたいことであ..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[各国のルソー受容]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431364001@hc05/4185/]]></link>
			<author><![CDATA[ by lawyerroushi]]></author>
			<category><![CDATA[lawyerroushiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 20 Dec 2005 10:58:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431364001@hc05/4185/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431364001@hc05/4185/" target="_blank"><img src="/docs/983431364001@hc05/4185/thmb.jpg?s=s&r=1135043928&t=n" border="0"></a><br /><br />１、	儒学の理解
　儒学とは、儒教 の理想を、四書五経などの経典の研究をつうじてもとめる学問のことである。四書とは、『大学』『論語』『孟子』『中庸』であり、五経とは『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』である。儒学の祖である孔子は、不幸[352]<br />儒学の理解
儒学とは、儒教 の理想を、四書五経などの経典の研究をつうじてもとめる学問のことである。四書とは、『大学』『論語』『孟子』『中庸』であり、五経とは『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』である。儒学の祖である孔子は、不幸の向こう側にある普遍的真理を求めるという思想の過程をとった。
　
「体制に随伴して生きることによって、充足がえられるならば、人は幸福であるかも知れない。しかし、体制が、人間の可能性を抑圧する力としてはたらくとき、人はその体制を超えようとする。－中略－変革者は必ず思想家でなくてはならない。－中略－それで思想家は、しばしば反体制者となる。少なくとも、反体制者として扱われる。講師は、そのような意味で範体制者であった。」（白川静『孔子伝』（中公文庫）１１９ページ）
このように、孔子は反体制思想と結びつきうる。
また、孟子は、天の意志が民意を通して現れてくるという民本思想を説いた。そして、そこから、民の支持を受けた者が天下を統べるのは天の意志にかなう、という思想をもっていたとも解釈しうる。
２、個より全―国家主義者としてのルソー
　まず、ルソーの思想の前提として二十意志..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[―道教における身体イメージの特徴&minus;]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4024/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 23:06:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4024/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4024/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4024/thmb.jpg?s=s&r=1134482774&t=n" border="0"></a><br /><br />◆道教の究極の目的＝不老不死
◆不老不死と身体の関係
　神仙となって昇天する際に身体はこの世の時空に置き去りにされるのではなく、身体ごとの昇天が願われた。（&hArr;仏教では身体からの「離脱」を願う）
　このように身体に執着し、自らの永遠不滅[348]<br />―道教における身体イメージの特徴－
◆道教の究極の目的＝不老不死
◆不老不死と身体の関係
神仙となって昇天する際に身体はこの世の時空に置き去りにされるのではなく、身体ごとの昇天が願われた。（&hArr;仏教では身体からの「離脱」を願う）
　このように身体に執着し、自らの永遠不滅を目指して、身体の改造を追求した。
◆道教の身体に関するイメージ
　古代中国人は大宇宙のミニチュア化に特有の嗜好を持っており、庭園や囲碁などあらゆるところに小宇宙を設定した。なかでも人体は道教徒にとって「天地・日月・星辰・山岳・海地・宮殿・門闕・そして神々」といった大宇宙に存在するものが百パーセント濃縮されたもっとも完全な小宇宙だ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[仏教について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/]]></link>
			<author><![CDATA[ by red]]></author>
			<category><![CDATA[redの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 22:56:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431709401@hc05/4022/" target="_blank"><img src="/docs/983431709401@hc05/4022/thmb.jpg?s=s&r=1134482214&t=n" border="0"></a><br /><br />（１）	仏教の起源
　仏教はインドで始まった宗教であり、その後中国・朝鮮半島・日本などに伝わった。
　基本的には欲望や欲求を伴う身体的要素を削ぎ落としていく実践による解脱（悟り）を目指す。
　仏と凡夫の違いは悟った存在か迷える存在かと[346]<br />仏教について
仏教の起源
仏教はインドで始まった宗教であり、その後中国・朝鮮半島・日本などに伝わった。
基本的には欲望や欲求を伴う身体的要素を削ぎ落としていく実践による解脱（悟り）を目指す。
仏と凡夫の違いは悟った存在か迷える存在かということのみであるとする
&hArr;キリスト教などの一神教との違い
基本的な思想としてはインド型唯名論を有し、本質は現象に内在するとみる。
また、一般にバラモン教のブラフマン（宇宙原理）などは認めない、「無常・空」を前提とする思想を持つ。
仏教の展開
インドから中国や日本に伝播する過程で思想の面でも徐々に変化が現れる。
インド仏教では生滅変化する一切の現象（諸行）は無常であり、それらのものに執着してはならないと主張されてきた（「色即是空」）が、中国や日本の仏教では、現象世界は空あるいは無なるものであるというよりも、その無常なるかたち・すがた（相）のあるままに真実を顕現させているという側面が強調されるようになった。
&rarr;「諸法実相」の思想への発展・「草木成仏説」の出現など
また、「仏性」思想においてインドではバラモン教の唱えるアートマンとの差異が明確ではないとの批判が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[風水の発展と東洋思想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4021/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kyogen]]></author>
			<category><![CDATA[kyogenの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 22:56:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4021/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431513701@hc05/4021/" target="_blank"><img src="/docs/983431513701@hc05/4021/thmb.jpg?s=s&r=1134482162&t=n" border="0"></a><br /><br />一、「風水」について
　「風水」は、堪與、地理、陰陽、あるいは単に山とも言い、狭義としては住居の立地選択の術、広義としては「環境と地景に対する一種の宇宙論的解釈」である。
　風水術は、中国人の大地に対する特有の感覚に基礎を置いていて、大[352]<br />『風水の発展と東洋思想』
一、「風水」について
「風水」は、堪與、地理、陰陽、あるいは単に山とも言い、狭義としては住居の立地選択の術、広義としては「環境と地景に対する一種の宇宙論的解釈」である。
　風水術は、中国人の大地に対する特有の感覚に基礎を置いていて、大地は冷たい土の堆積ではなく、一個の巨大な生命体とみなされる。そこに生命を賦与するのが気であり、気とは生命体にとって活力の源泉となる生エネルギーである。人体と同様地中にも気がめぐっていると考えられていた。この地中に流れ万物をはぐくむ気を地気と呼び、地中を縦横に走る地気のルートは「地脈」と呼ばれた。各地の独自性を規定するのもこの地中の気であった。地気を環境の中に組みこみ、人間をその環境との相互作用においてとらえる発想は「地霊人傑」（または人傑地霊）の言葉を生み出した。
　風水思想では霊なる地気を特に「生気」と呼ぶ。『礼記』月令は、天（陽）気と地（陰）気の結合によってこそ物は生息するという立場で述べられているが、風水思想における生気論の典型となるものは、地気はそれ自体で完全であり、天気との協働をまたずとも万物を生育しうるとする思考である..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[反日デモ、中国政府の将棋の駒]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3545/]]></link>
			<author><![CDATA[ by langhappy]]></author>
			<category><![CDATA[langhappyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 20:03:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3545/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3545/" target="_blank"><img src="/docs/983431534701@hc05/3545/thmb.jpg?s=s&r=1133521387&t=n" border="0"></a><br /><br />　実は私が反日デモに対してあまり関心が持たずに、ただ見物人であった。なぜかというと、反日デモいくらやっても、グローバル化の今、中日両国は最終的お互いに協力するしかない。それは歴史の成り行きである。その事実は誰でも分かるはずだと思い、デモとい[360]<br />反日デモ、中国政府の将棋の駒
　実は私が反日デモに対してあまり関心が持たずに、ただ見物人であった。なぜかというと、反日デモいくらやっても、グローバル化の今、中日両国は最終的お互いに協力するしかない。それは歴史の成り行きである。その事実は誰でも分かるはずだと思い、デモというエピソードに関心がなかった。だが、先生のおかけで、反日デモに対し大変興味が高まってきた。そして、デモ事件最初から今までの変化とともに、私の考えも何回か変わっていた。
　最初は、テレビに連日報道中国で行われた反日デモを見ていたとき、やった！と心から興奮していた。日本は中国に罪を認めずに、歴史を払拭し、昔日本の戦争行為を記載した教科書さえ改訂するなんで、許さない！その上、日本はあえて国連常任理事国に加入を申請すること、どうしても納得できない！中国人はバカではあるまいし。ほら！見て、デモだろう！中国人を苛めてはいけないだ！と思っていった。
　そして、ある日。インターネットである文章と出会った。「在反日怒潮裏仰念一位日本勇者」であった。その文章の筆者は日本の家永三郎という人のことを紹介した。高等学校日本史教科書『新日本史』（三..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[広告から見る｢性｣に対しての文化の違い]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/]]></link>
			<author><![CDATA[ by langhappy]]></author>
			<category><![CDATA[langhappyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 19:55:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431534701@hc05/3544/" target="_blank"><img src="/docs/983431534701@hc05/3544/thmb.jpg?s=s&r=1133520946&t=n" border="0"></a><br /><br />1.序論
　広告は時代の窓口だとよく言われる。特殊な場合を除いて、一般的に公開された広告は、その公開した国あるいは地域の社会制度、国民に受け入られるのである。従って、広告を通じて、その時期の社会の風習、風俗、人の考え方などを推測できる。そ[352]<br />広告から見る｢性｣に対しての文化の違い
1.序論
　広告は時代の窓口だとよく言われる。特殊な場合を除いて、一般的に公開された広告は、その公開した国あるいは地域の社会制度、国民に受け入られるのである。従って、広告を通じて、その時期の社会の風習、風俗、人の考え方などを推測できる。そこで、私は本稿を通して、欧米、日本、香港と中国の数多くの広告の中から、それぞれの特徴的な広告を取り出し、お互いに比較し、その4地域の「性」に対する捕らえ方の違いについて考察してみようと思う。
２.欧米、日、香港、中の広告
　①欧米の広告
　　下に、VERSACE（ヴェルサーチ）というイタリア名家の一つの商品広告である。画面の右側に、二人の男が思い 切ってキスをしている。左側は、その商品のイメージが書いてある。はっきり見えないが、多分その商品は何かの新しい生活態度を宣言している。赤裸々な画面で、見ている人はかなり衝撃を受けたのではないか。そして、その商品に対してかなり深く印象が残るだろう。
　
　GUCCI 、世界でも有名なトレード・マークである。左側のGUCCIの新しい春夏広告が登場してから、世間をあっと言わせた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際政治学７]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/]]></link>
			<author><![CDATA[ by syokudou]]></author>
			<category><![CDATA[syokudouの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Nov 2005 20:22:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432243301@hc05/3477/" target="_blank"><img src="/docs/983432243301@hc05/3477/thmb.jpg?s=s&r=1133263369&t=n" border="0"></a><br /><br />　ここでは、過去半世紀における日中関係の敬意を概観し、それを踏まえた上で、日中関係の今後を展望する。
　まず、日中関係を考察する。日中戦争の時は停戦し抗日にあたっていた国民党と共産党の争いが再び勃発。戦いを経て共産党が勝利し、内戦に敗れた[356]<br />国際政治学
第7章　戦後日中関係
　ここでは、過去半世紀における日中関係の敬意を概観し、それを踏まえた上で、日中関係の今後を展望する。
まず、日中関係を考察する。日中戦争の時は停戦し抗日にあたっていた国民党と共産党の争いが再び勃発。戦いを経て共産党が勝利し、内戦に敗れた国民党は台湾に逃げ、1949年に毛沢東を主席とした中華人民共和国が成立。
冷戦にあってアメリカ側にあった日本と中国との関係は民間レベルから改善されていく1952年に三人の日本人が旧ソ連経由で中国を訪問し、中国国際貿易促進委員会と「第一次民間貿易協定」を結んだことによって両国の人的・経済的交流が開始された。
その後も民間の交流は拡..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[FTAについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431606301@hc05/3341/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ruuuuuchan]]></author>
			<category><![CDATA[ruuuuuchanの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 23 Nov 2005 11:22:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431606301@hc05/3341/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431606301@hc05/3341/" target="_blank"><img src="/docs/983431606301@hc05/3341/thmb.jpg?s=s&r=1132712554&t=n" border="0"></a><br /><br />　日本が韓国、中国とFTAを結ぶメリットとして、まず、市場の拡大が挙げられる。これは、FTAを結ぶことにより関税が取り除かれるので、日本が相手国の市場に有利にアクセスができるようになる。そうすると、今まで相手国で関税をかけられて高値で売られ[348]<br />　日本が韓国、中国とFTAを結ぶメリットとして、まず、市場の拡大が挙げられる。これは、FTAを結ぶことにより関税が取り除かれるので、日本が相手国の市場に有利にアクセスができるようになる。そうすると、今まで相手国で関税をかけられて高値で売られていた日本の商品が、関税がないことで、日本国内で売られている値段で相手国で販売することができる。値段が下がると、買い手も増えるので、日本の商品が今まで以上に売れることを意味するのである。メキシコを例に取ってみると、メキシコはアメリカやEUとFTAを結んでいます。メキシコの年間の自動車販売量は100万台に上る。アメリカとの間に関税がかからないためアメリカ車はた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[儒教について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3259/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 19 Nov 2005 01:03:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3259/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3259/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/3259/thmb.jpg?s=s&r=1132329789&t=n" border="0"></a><br /><br />儒教は東アジア諸国で2000年以上にわたり強い影響を及ぼしている。生命論としての考を基礎として、後の儒教はこの上に家族倫理を作り、さらにその上に社会倫理（政治理論）を作った。儒教を語る上で欠かせない人物は孔子である。孔子は、紀元前551年‐[346]<br />儒教について
儒教は東アジア諸国で2000年以上にわたり強い影響を及ぼしている。生命論としての考を基礎として、後の儒教はこの上に家族倫理を作り、さらにその上に社会倫理（政治理論）を作った。儒教を語る上で欠かせない人物は孔子である。孔子は、紀元前551年‐紀元前479年）は春秋時代の中国の思想家で氏は孔、名は丘、字は、は。孔子とは尊称（子は先生という意味）でとおくり名されている。
儒教の始まり
まず儒の始まりはシャマニズムであり考という考え方である。シャマニズムとは死者の魂降ろしや、招魂再生である。孝とは「生（生きている親）に（対して）は、これに事うるに礼をもってし、（親の）死に（対して）は、これを葬るに礼をもってし、（忌日などに、祖先）これを祭るに礼をもってす。」と孔子は言った。儒という思想は孔子以前に中国に存在したが、孔子によって体系化され儒教になった。その際に孔子はまず儒教を大きく２つに分け一つを君子儒、もう一つを小人儒にわけた。君子儒とは王朝の祭祀儀礼や古伝承の記録担当官と遠く関わりを持つ知識人系上層の儒のことである。小人儒とは祈祷や喪葬を担当するシャーマン系下層の儒である。そし..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本と中国の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fearless]]></author>
			<category><![CDATA[fearlessの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Nov 2005 09:51:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3218/" target="_blank"><img src="/docs/983432388301@hc05/3218/thmb.jpg?s=s&r=1132188704&t=n" border="0"></a><br /><br />　講義を聞くまで私は日中戦争が単なる日本の侵略戦争であり、時代の波に乗ったものとあえて乗らなかったものの優劣が決した戦争だという認識を持っていた。皮肉なことにそれまでの長い間、中国文明は日本文化の根源であり、中国人は日本人に対して優越感を抱[360]<br />『日本と中国の関係』
副題；日中戦争に対する功罪と謝罪――過去の過ちをどうとらえるべきか
Reno1
　講義を聞くまで私は日中戦争が単なる日本の侵略戦争であり、時代の波に乗ったものとあえて乗らなかったものの優劣が決した戦争だという認識を持っていた。皮肉なことにそれまでの長い間、中国文明は日本文化の根源であり、中国人は日本人に対して優越感を抱いていたが、時代の波に脆くも崩れ去った事実を日中戦争は象徴していた。
日中戦争に至る経緯の中で、日本の取った政策は果たして正しかったのか？結果ではなく経緯を重点的に考えたい。日中戦争が日本の中国に対する侵略であったことは先に述べた通りである。そもそも何故日本は中国へ戦争を仕掛けたのだろう。それは日本の国土的特徴にある（と推定する）。資源に乏しく、山や川が多い日本では欧米へ対抗する自国力に劣っていたと言わざるを得ず、将来的にも明るい展望は見えてこなかった。そこで隣国であり、広大な土地と、資源を持つ中国に目を向けたのである。いわば欧米の脅威から自国を守るためには中国やアジアの広域の領土を得なければならない。というのが当時の見解であったと私は考察する。
　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国人の民族性、現在の中華人民共和国の民族問題について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3210/]]></link>
			<author><![CDATA[ by fearless]]></author>
			<category><![CDATA[fearlessの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Nov 2005 09:27:30 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432388301@hc05/3210/" target="_blank"><img src="/docs/983432388301@hc05/3210/thmb.jpg?s=s&r=1132187250&t=n" border="0"></a><br /><br />○現代日本人は日常の中で中国人と言う語句を何の抵抗もなく使用している。しかし、中国人をどのように定義するべきなのかについては難しい問題で曖昧になったままである。
○そもそも中国は中華人民共和国と中華民国（台湾）と別れて二つの国家が存在して[356]<br />『中国人の民族性、現在の中華人民共和国の民族問題について』
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
○現代日本人は日常の中で中国人と言う語句を何の抵抗もなく使用している。しかし、中国人をどのように定義するべきなのかについては難しい問題で曖昧になったままである。
○そもそも中国は中華人民共和国と中華民国（台湾）と別れて二つの国家が存在している。つまり、二つの国家があって、どちらも中国人となせるのか？何故どちらも中国人として認識されることがあるのか？これにはいくつかの事情が重なって複雑怪奇な問題として残されている。
○まず中国にはその人口数からも分かるように実に多数の民族が住んでいる。最も大多数を占めているのは漢民族だがそれ以外に５５以上の少数民族が住んでいる。また、中国は「諸民族の統合と平等を」理念として掲げており、いくつかの各区に自治権を認めている。
また、中国語といっても様々な方言がある。現在の標準語は北方表現を基にして表現されている。この言語の多様性も中国が中国で在り難くしている要因だと思います。
○日本人が普通に想定する中国人は漢民族である。しかし一口に漢民族と言..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[春節行事に見える中国人の心]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3034/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Nov 2005 20:38:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3034/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3034/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/3034/thmb.jpg?s=s&r=1131622718&t=n" border="0"></a><br /><br />中国では春節の事を年過ともいう。それは昔の伝説に「年」という怪物がいていつも年越しの頃に現れ、人を食べたり動物を食べたりしたという。その怪物の唯一の弱点が爆竹の音と赤い色だったそうだ。それにより春節ではよく爆竹を鳴らし、赤い対聯などを門の前[360]<br />春節行事に見える中国人の心
中国の人々にとって「春節」は一年で一番大切な行事である。ここで春節と春節行事に見える中国人の心を書きたいと思う。
　まず「春節」には何をするのだろう。除夕から始まり、初１５までが旧正月である。人々は初一を迎えるまでに家を綺麗に掃除して、たくさんご馳走を作る。そして大きな赤紙に、縁起のいい言葉を書いた対聯を飾り、年越し後初めて家の門を開けるときには、爆竹を鳴らすという習慣がある。爆竹はそれを鳴らすこと自体がエンターテインメントの意味合いもあるが、その音で、悪い物を追い払う「魔よけ」の意味もある。また、２日目、５日目の早朝に爆竹を鳴らすと、財運がめぐってくると信じられている。中国の春節はとても賑やかに過ごす。大晦日から1日までは旦那さんの方の実家に帰り、2日目は奥さんの方の実家に帰る。そして親戚みんなで新年を祝うのだ。大晦日はマージャンをしたり、ゲームをしたりして楽しく過ごすのだ。
　私が不思議に思った事は、どうしてうるさい爆竹を鳴らしたり、春節では飾り物や服など赤が多いのだろうという事だ。中国では春節の事を年過ともいう。それは昔の伝説に「年」という怪物がいてい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[朱子について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3033/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pugpug27]]></author>
			<category><![CDATA[pugpug27の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 10 Nov 2005 20:31:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3033/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431710501@hc05/3033/" target="_blank"><img src="/docs/983431710501@hc05/3033/thmb.jpg?s=s&r=1131622304&t=n" border="0"></a><br /><br /> 名は熹、字は元晦、号は晦庵（１１３０〜１２００）である。朱熹のことを朱子と呼ぶのは尊敬の意を表している。朱子が生きた時代は、中国の王朝名でいえば宋の時代である。朱子は１９歳で科挙に合格し、左迪功の官位を授かり、泉州同安県（福建省）の主簿に[358]<br />朱子
(原文) 
少年易老学難成　　　　　　　　　　　　　少年老い易く学なり難し
一寸光陰不可軽　　　　　　　　　　　　　一寸の光陰軽んずべからず
未覚池塘春草夢　　　　　　　　　　　　　未だ覚めず池塘春草の夢
階前梧葉已秋声　　　　　　　　　　　　　階前の梧葉已に秋声
　上の詩は秋学期に取り上げた思想家&ldquo;朱子&rdquo;によるものです。私は朱子について書きたいと思います。
名は熹、字は元晦、号は晦庵（１１３０～１２００）である。朱熹のことを朱子と呼ぶのは尊敬の意を表している。朱子が生きた時代は、中国の王朝名でいえば宋の時代である。朱子は１９歳で科挙に合格し、左迪功の官位を授かり、泉州同安県（福建省）の主簿に任命されたのを振り出しに、以後、南康軍の知事、浙東の荒政の責任者、漳州の知事、潭州の知事、天子の講官などを歴任し、特に廬山の白鹿洞書院の復興を始めとする文教立て直しの政策に力を入れ、また飢餓救済、農民の税負担の軽減、農地改革など、農民の生活の安定に尽力した。朱子は、官僚政治家としては、必ずしも成功した人とは言えない。むしろ挫折することのほうが多かった。彼は理想主義者で、狷介な性格をしていたの..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中国の少数民族について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/2673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hamakko]]></author>
			<category><![CDATA[hamakkoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 29 Oct 2005 11:49:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/2673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432358601@hc05/2673/" target="_blank"><img src="/docs/983432358601@hc05/2673/thmb.jpg?s=s&r=1130554168&t=n" border="0"></a><br /><br />現代の中国社会は、漢族と少数民族によって築かれた統一的な多民族国家という背景のもと成り立っている。このことを忘れて、東の漢族ばかりを中国像としてとらえるのは間違っている。
確かに中国人口の９５％が漢族であり、日本に近いところに居住しているの[358]<br />中国の少数民族について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　現代の中国社会は、漢族と少数民族によって築かれた統一的な多民族国家という背景のもと成り立っている。このことを忘れて、東の漢族ばかりを中国像としてとらえるのは間違っている。
確かに中国人口の９５％が漢族であり、日本に近いところに居住しているのも漢族であるが，中国が多民族国家ということをまず念頭にいれなければ、正確な中国理解はありえない。
　同じ国の中で、風俗や宗教、ましてや顔かたちまで違う人々に、中国ではどのような政策をとっているのだろうか。驚くべきことに中国での少数民族の教育や政策はかなり高水準だ。民族自治区では「外国との..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[文化大革命十年史を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2115/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nazonojisan]]></author>
			<category><![CDATA[nazonojisanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 31 Jul 2005 17:45:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2115/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2115/" target="_blank"><img src="/docs/983432134201@hc05/2115/thmb.jpg?s=s&r=1122799545&t=n" border="0"></a><br /><br />文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は３万４千８百人におよび、中国の経済損失は５千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への[356]<br />東洋史学特殊講義「中華人民共和国史」レポート
『文化大革命十年史』を読んで－－「一君万民」の帰結
　文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は３万４千８百人におよび、中国の経済損失は５千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への本格的研究は今までなかったという。本書は1989年の第２次天安門事件前に政治の民主化を勇気をもって主張した著者が、膨大な資料に基づき文革の背景と全過程を詳細に究明し、その歴史的意義を真っ向から問うたものである。しかし、筆者の様々な事象への目配りや文革の本質への言及は高く評価されるべきものではあるものの、本書は基本的には歴史的事実を解明するに留まっていると考える。理路整然と文革の進展を説き起こしていきつつも、文革を毛沢東の権力への執着や、林彪や四人組ら「君側の奸」の私利私欲に基づく「愚行」と感情的に捉える側面があることは否定できない。文革の10年を狂気と野心の産物として片づけるのではなく、なぜこのような狂乱がこれほど長い間続けられたのかを徹底的に追究せね..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『文化大革命十年史』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2113/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nazonojisan]]></author>
			<category><![CDATA[nazonojisanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 31 Jul 2005 17:45:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2113/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432134201@hc05/2113/" target="_blank"><img src="/docs/983432134201@hc05/2113/thmb.jpg?s=s&r=1122799502&t=n" border="0"></a><br /><br />文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は３万４千８百人におよび、中国の経済損失は５千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への[356]<br />東洋史学特殊講義「中華人民共和国史」レポート
『文化大革命十年史』を読んで－－「一君万民」の帰結
　文化大革命は中国および世界の歴史において最も異様な現象であった。10年にわたって続いたこの内乱による死者は３万４千８百人におよび、中国の経済損失は５千億元に達したという。しかし、中国および世界の情勢に決定的な影響を与えたこの歴史的大事件への本格的研究は今までなかったという。本書は1989年の第２次天安門事件前に政治の民主化を勇気をもって主張した著者が、膨大な資料に基づき文革の背景と全過程を詳細に究明し、その歴史的意義を真っ向から問うたものである。しかし、筆者の様々な事象への目配りや文革の本質への言及は高く評価されるべきものではあるものの、本書は基本的には歴史的事実を解明するに留まっていると考える。理路整然と文革の進展を説き起こしていきつつも、文革を毛沢東の権力への執着や、林彪や四人組ら「君側の奸」の私利私欲に基づく「愚行」と感情的に捉える側面があることは否定できない。文革の10年を狂気と野心の産物として片づけるのではなく、なぜこのような狂乱がこれほど長い間続けられたのかを徹底的に追究せね..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[現代における中国共産主義の現状に関して]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2004/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cow2005]]></author>
			<category><![CDATA[cow2005の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2005 18:33:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2004/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432226001@hc05/2004/" target="_blank"><img src="/docs/983432226001@hc05/2004/thmb.jpg?s=s&r=1122716013&t=n" border="0"></a><br /><br />ソ連解体、超大国の共産主義が崩壊した。中国はその独特の政治体制を未だに維持している国である。果たしてそれはいかなるものなのか。そしてこの共産主義はこれからも存在しうるのか。共産主義の大国が世界に与える影響はいかなるものなのだろうか。以下では[360]<br />現代における中国共産主義の現状に関して
ソ連解体、超大国の共産主義が崩壊した。中国はその独特の政治体制を未だに維持している国である。果たしてそれはいかなるものなのか。そしてこの共産主義はこれからも存在しうるのか。共産主義の大国が世界に与える影響はいかなるものなのだろうか。以下では中国共産主義の特質とこれまでの経緯をたどり、その行く末を考察してみたいと思う。
まずは、中国共産主義のその特質について考えてみたい。高坂正堯氏の「現代史から考える」によれば、共産主義というのは近代が持っていたその楽観主義と合理主義の極地であるという。人々は、歴史は進歩していくものであり、社会は合理的に運営できると考えていた。それを利用したのがまさに共産主義のイデオロギーであり、それは共産党という組織が合理的手段によって人民をよい方向へ導いていくという概念であった。更に彼は、こうした共産主義が国によって受け入れられたか否かというのはその懐疑主義の度合いによるのではないかと言っている。要するに共産主義の、楽観主義を前提に合理主義的政治を行うというその矛盾に対して、国民がおかしいと言えたかどうかの違いだというのだ。そ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「現場」学者中国を行くを読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1784/]]></link>
			<author><![CDATA[ by laughmaker]]></author>
			<category><![CDATA[laughmakerの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 28 Jul 2005 00:55:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1784/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432158301@hc05/1784/" target="_blank"><img src="/docs/983432158301@hc05/1784/thmb.jpg?s=s&r=1122479701&t=n" border="0"></a><br /><br />関氏は自分の講演会で、人々に、まず話し始めに、中国のある地名に行ったことがあるか尋ねる。すると３〜５人の人しか手をあげない。関先生はそこで「今ごろ中国を見ないでよくやっていけますね。」と脅す。それ位、現場の中国は、日本人が思っている以上に発[360]<br />『「現場」学者中国を行く』を読んで
１、あらすじ
　関氏は自分の講演会で、人々に、まず話し始めに、中国のある地名に行ったことがあるか尋ねる。すると３～５人の人しか手をあげない。関先生はそこで「今ごろ中国を見ないでよくやっていけますね。」と脅す。それ位、現場の中国は、日本人が思っている以上に発展している。この本を読むと、中国の産業の現状やハイテクの様子が良く分かる。それと中国でも大学が中心となり、起業化が進んでいるようで、まるで、シリコンバレーのように元気である様子が描かれている。中国は遅れているというのは、日本人の願望であり、どうしてもそのようにみてしまうところがあると関先生は指摘している。もうすぐ、中国は安い労働力でなく、ハイテクの国に変身し、それにたよっていた日本の企業は大きな問題をかかえることになる。中国は大学自身が変化して、競争的になっているからだ。関先生はこの本でこれらの単語を列挙する。世界最大の家電、ＯＡ機器供給拠点、珠江デルタ地域。未曾有の大都市へと急激に発展する上海。ハイテク産業、重化学工業が集積する内陸部。これらの単語は、私達が想像する、発展途上の中国と関係はない。溢..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[清朝末期-改革派と革命派-]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432368401@hc05/1776/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ハナ]]></author>
			<category><![CDATA[ハナの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 23:36:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432368401@hc05/1776/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432368401@hc05/1776/" target="_blank"><img src="/docs/983432368401@hc05/1776/thmb.jpg?s=s&r=1122474968&t=n" border="0"></a><br /><br />列強の利権獲得と勢力圏分割競争の舞台となる中で、清王朝末期の知識人たちは対外的危機意識を高め、亡国の危機を感じ、「この危機を乗り切るためには近代的な国家を作ることが必要である」という『救国救亡』の認識を持っていた。しかし、同じような危機意識[360]<br />社会演習レポート
改革派（康有為、梁隆超ら） と革命派（孫文、黄興）の異同
１国家目標・ナショナリズム
改革派　中華＝文化的秩序（満州人を含む）
　　　　満州王室の存続、立憲君主制
革命派　中華=漢民族（満州人は夷狄、種族的概念）
　　　　清朝打倒、民主主義に基づく漢民族の共和政
　列強の利権獲得と勢力圏分割競争の舞台となる中で、清王朝末期の知識人たちは対外的危機意識を高め、亡国の危機を感じ、「この危機を乗り切るためには近代的な国家を作ることが必要である」という『救国救亡』の認識を持っていた。しかし、同じような危機意識を抱き、近代国民国家を目指した彼ら知識人エリート「士大夫」の中には、改革派と革命派という大きな二つの流れが存在したのである。
　根本においては、改革派も革命派も、どちらも「強く豊か、かつ民主的な中国をつくる」という点を目指していた。この意味では同じものを目標としていたといえるが、厳密には、両派の定義する「中国」は全く違っていた。すなわち、改革派が満州人も含め文化や徳を持つ者が中華だと考えるのに対し、革命派は、漢民族のみが中華だと考えていた。 　そして、改革派は清朝という王..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[毘沙門天の形について―東寺像を中心とした考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rokubeisan]]></author>
			<category><![CDATA[rokubeisanの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jul 2005 00:00:00 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432373801@hc05/1538/" target="_blank"><img src="/docs/983432373801@hc05/1538/thmb.jpg?s=s&r=1122303600&t=n" border="0"></a><br /><br />1．はじめに
　毘沙門天は四天王の中では多聞天として表わされ、四天王から独立してからは毘沙門天として表わされることが多くなる。毘沙門の形には大雑把に分けてみると、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子（不動明王、観音）と安置される三尊像形式と、足下[354]<br />東洋日本美術史各論Ⅱレポート
毘沙門天の形について―東寺像を中心とした考察
1．はじめに
　毘沙門天は四天王の中では多聞天として表わされ、四天王から独立してからは毘沙門天として表わされることが多くなる。毘沙門の形には大雑把に分けてみると、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子（不動明王、観音）と安置される三尊像形式と、足下に地天を踏む形式、普通の毘沙門天の形式と三つに区分できるように思われる。このように幾通りかの形式を持つことは同時にそれだけの異なった意味を持つのではないかと考えた。その中で、特に足下に地点を踏む形式のいわゆる兜跋毘沙門天に表わされることの多い藍婆、毘藍婆の二鬼について考察したいと考えている。
2．兜跋毘沙門天の中国での受容について
　松本栄一氏「兜跋毘沙門天の起源」によると東寺の兜跋毘沙門天はコータンには七世紀ころの絵よりも古く、ラクワ塔址の塑像群があり、地中から出現した女神を足下にした、直立型のイラン式服装天部立像が残っていることから兜跋毘沙門天の起源は西域コータン地方にあるのではないかとする。また、松本文三郎氏は兜跋とは蛮夷服、左衽などを表わすもので、西蔵から中国に伝えられ..]]></description>

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			<title><![CDATA[太極拳について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432274701@hc05/1326/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yummy7272003]]></author>
			<category><![CDATA[yummy7272003の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jul 2005 11:25:54 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432274701@hc05/1326/" target="_blank"><img src="/docs/983432274701@hc05/1326/thmb.jpg?s=s&r=1121999154&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　私はこの講義で、張成忠先生が来られた時に、張先生が披露して下さった太極拳を見て、非常に感銘を受けました。私の母も、太極拳を知人から教わり始めて数年経ちますし、去年の夏に私がアメリカに留学した時も、ホストマザーが太極拳教室に週に[356]<br />太極拳について
はじめに
　私はこの講義で、張成忠先生が来られた時に、張先生が披露して下さった太極拳を見て、非常に感銘を受けました。私の母も、太極拳を知人から教わり始めて数年経ちますし、去年の夏に私がアメリカに留学した時も、ホストマザーが太極拳教室に週に2回くらいの割合で通っていました。もともと私の周りでは、太極拳をやっている人がいたため、興味はあったのですが、この張先生の講義で、ますますその思いは強くなりました。太極拳は、見ているだけでもとても素晴らしいし、さらにとても体によいということです。しかし太極拳の詳しいことは知らないので、今回この機会に調べてみようと思いました。
太極拳とは
　足の裏からの神経を途切れさせないで、腰、背骨を通り指先に伝えるとき、心と体が一体化される。この時、足の裏から指先にいたる神経と一体化された力が働く。この働きを「勁」という。この「勁」を働かせながら動くのが太極拳である。余分な力を用いると、この一体化が壊れる。余分な力を抜き、手に目や耳をつけて手の神経を使って周りを見たり聴いたりする。心の目や耳で周りの「勁」を感じるのである。この「勁」の運用を学ぶのが太..]]></description>

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			<title><![CDATA[中国の経済発展と今後の展望]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1318/]]></link>
			<author><![CDATA[ by go55go]]></author>
			<category><![CDATA[go55goの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 22 Jul 2005 04:58:10 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432257401@hc05/1318/" target="_blank"><img src="/docs/983432257401@hc05/1318/thmb.jpg?s=s&r=1121975890&t=n" border="0"></a><br /><br />中国はその長い歴史の中で、１９７８年以降から今に至るまで、社会主義市場経済という理念の下で、過去に類を見ない目覚しい経済発展を遂げてきている。１９７８年からの改革開放政策の実施により、中国経済は漸進的な市場化改革を通して大きな経済成長を遂げ[360]<br />中国の経済発展と今後の展望
中国はその長い歴史の中で、１９７８年以降から今に至るまで、社会主義市場経済という理念の下で、過去に類を見ない目覚しい経済発展を遂げてきている。１９７８年からの改革開放政策の実施により、中国経済は漸進的な市場化改革を通して大きな経済成長を遂げた。２００３年までの２５年間で、中国のGDPの年平均成長率は世界経済の年平均成長率と比べて3倍に達した。（※図Ⅰ参照）また、同期間における1人当たりGDPは、中国のGDP年平均成長率が１%高まるにつれて約０．２５％上昇している。この論文では主に改革開放政策以後の中国の経済発展と２００１年WTO加盟を契機とした今後の中国経済のあり方について述べることにする。
改革・開放政策に転じた１９７８年以降の中国の経済成長率は、天安門事件による経済停滞を除けば、ほぼ順調に伸張し、高度成長期の日本やNIES諸国と比較しても、決して見劣りするものではない。いや、それ以上に順調に推移していると見るべきだろう。また、同じ計画経済から市場経済への転換を目指しているロシアや東欧諸国の低迷や混乱とは、全くの好対照をなしている。１９９３年以降、中国は高..]]></description>

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			<title><![CDATA[海爾と格蘭仕：典型的モデルの比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215001@hc05/1148/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vivianlove]]></author>
			<category><![CDATA[vivianloveの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 19 Jul 2005 12:56:03 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215001@hc05/1148/" target="_blank"><img src="/docs/983432215001@hc05/1148/thmb.jpg?s=s&r=1121745363&t=n" border="0"></a><br /><br />海爾と格蘭仕は中国で最も特徴のある企業だが、経営戦略に関して､全くの対立した路線が見られる。海爾は中国でも最もブランド意識が強く、かつ最高のブランド価値を有する企業の一つであるのに対して、格蘭仕は低コスト製造で勝負し、またそれを徹底的に活用[360]<br />海爾と格蘭仕：典型的モデルの比較 
一、二つのモデルのいずれによっても成功を収めうる
海爾と格蘭仕は中国で最も特徴のある企業だが、経営戦略に関して､全くの対立した路線が見られる。海爾は中国でも最もブランド意識が強く、かつ最高のブランド価値を有する企業の一つであるのに対して、格蘭仕は低コスト製造で勝負し、またそれを徹底的に活用している企業である。経営戦略がどうであれ、重要なことは、両方とも注目すべき成功を収めているということである。2000年の中国家電輸出のランキングでは、海爾はトップで、格蘭仕はその次にランクしている。売上額で見ても、海爾は406億元で首位に君臨している一方、格蘭仕は56億で第７位を占めている。一方は自社ブランドを強調、もう一方はあえて他社ブランドを利用、一方は多角化展開、もう一方は専業経営、というまったく反対の戦略をとっている二つの企業がなぜ共に成功を収めているのか。もしこれらの模範とすべき企業の真似をむやみにしたくなければ、我々はその戦略の背後にある経済的なメカニズムを究明しなければならない。
海爾と格蘭仕が今日のような経営戦略を選んだのは、事前に熟考した結果という..]]></description>

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			<title><![CDATA[中国国民総生産および国内総生産]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404501@hc05/204/]]></link>
			<author><![CDATA[ by magic820727]]></author>
			<category><![CDATA[magic820727の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 May 2005 17:53:16 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432404501@hc05/204/" target="_blank"><img src="/docs/983432404501@hc05/204/thmb.jpg?s=s&r=1117183996&t=n" border="0"></a><br /><br />国民総生産および国内総生産[39]<br />国民総生産および国内総生産 
単位：億元 
年 国民総生産(GNP) 国内総生産(GDP) 第一次産業 第二次産業 第三次産業 一人あたりGNP(元/人） 
1978 3624.1 3624.1 1018.4 1745.2 860.5 379 
1979 4038.2 4038.2 1258.9 1913.5 865.8 417 
1980 4517.8 4517.8 1359.4 2192 966.4 460 
1981 4860.3 4862.4 1545.6 2255.5 1061.3 489 
1982 5301.8 5294.7 1761.6 2383 1150.1 526 
198..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[ ODAからみた日本と中国の関係]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/66/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tottoko]]></author>
			<category><![CDATA[tottokoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 04 Feb 2005 12:31:46 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432450101@hc05/66/" target="_blank"><img src="/docs/983432450101@hc05/66/thmb.jpg?s=s&r=1107487906&t=n" border="0"></a><br /><br />Introduction 

	In the beginning I would like to explain the reason why I took this topic: China and ODA. I was intere[120]<br />China 
and 
Japanese ODA
2004/12/1
Tomohiro Kitagawa
Study of International Exchange
Contents 
Introduction
What is ODA
How?
What for?
From when?
Where?
To whom?
ODA to China
Opportunities
Voices of the people live in the place where ODA is done
How it improve
Unnecessary of ODA 
Prospect
Conclusion 
Introduction 
In the beginning I would like to explain the reason why I took this topic: China and ODA. I was interested in Japanese ODA before, because the media and news paper, they nearly everyda..]]></description>

		</item>

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