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		<title>タグ“中国文学”の公開資料</title>
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		<description>タグ“中国文学”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[三国志外伝]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428573601@hc07/14103/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mkonishi]]></author>
			<category><![CDATA[mkonishiの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 20 Jul 2007 17:22:13 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428573601@hc07/14103/" target="_blank"><img src="/docs/983428573601@hc07/14103/thmb.jpg?s=s&r=1184919733&t=n" border="0"></a><br /><br />『三国志人物外伝～亡命は男の意地の見せ所～』
今回この本を選んだのは、元々三国志が好きで、ある程度のことは知っていたので、本を選ぶにしても、今までの三国志の本とは違うものを探していたからである。
ところで、この『三国志人物外伝』は、正史『三[356]<br />『三国志人物外伝～亡命は男の意地の見せ所～』
今回この本を選んだのは、元々三国志が好きで、ある程度のことは知っていたので、本を選ぶにしても、今までの三国志の本とは違うものを探していたからである。
ところで、この『三国志人物外伝』は、正史『三国志』や小説『三国志演義』にも記載されていないエピソード、構想上、陳寿（『三国志演義』著者）が書けなかった事実、正史と演義のギャップなどを記した本である。また、わりと知られていないような登場人物のエピソードも載せられていて、かなり『三国志』の話の深いところまで知れるのだ。
この点をふまえて、わたしが気になった話について書いてみた。
まずは曹操と劉備について。『三国志演義』では、みんなも知っているように、曹操は姦雄、イケイケで、かなりゴーイングマイウェイな性格のもちぬしであり、『演義』では人気はもちろんあるが、かなり頭がきれる敵役として描かれている。しかしこの本では以外に義理人情にあふれていることが多い。またの本ではあの人徳高く人情厚いと有名な劉備が冷徹でそれこそ姦雄のように描かれている。いや、むしろ事実ではそういう面も持っていたのだ。
黄巾の乱が起き..]]></description>

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			<title><![CDATA[中国における帯図本と套印本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/7141/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuueri]]></author>
			<category><![CDATA[yuueriの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 01 Mar 2006 22:02:35 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430739001@hc06/7141/" target="_blank"><img src="/docs/983430739001@hc06/7141/thmb.jpg?s=s&r=1141218155&t=n" border="0"></a><br /><br />　中国の出版文化は古代からずっと続いてきたものであるが、今回の講義では明代・清代の出版・印刷文化についてであったので、授業でも最後のほうにとりあげられていた帯図本（挿絵本）と套印本（彩色本）について調べ、自分なりにまとめてレポートとして提出[360]<br />中国における帯図本と套印本について
　中国の出版文化は古代からずっと続いてきたものであるが、今回の講義では明代・清代の出版・印刷文化についてであったので、授業でも最後のほうにとりあげられていた帯図本（挿絵本）と套印本（彩色本）について調べ、自分なりにまとめてレポートとして提出することにした。
　帯図本とはその名の通り図像を付した本のことで、いわゆる絵入り本のことである。授業の際には図像本・挿図本として扱われていたように思う。本の中に絵を挿入するといったことは、実はまだ印刷の行われていなかった時代からすでに行われていたようである。帯図本というのは、挿絵のある書物のことであるが、書物に絵図を挿入することは、まだ印刷の行われなかった以前からすでに行われていた。清の葉徳輝は、その例証を『書林清話』(巻８)に挙げている。（『図説中国印刷史』より引用）特に、仏教関係の経典などが先駆けとなって帯図本の普及に貢献していたようである。仏教関係の経巻では、前に挙げた敦煌出土の咸通9年刊印『金剛般若波羅蜜経』巻首の釈迦教主説法図に見るように、唐代の印刷に早くから帯図の工夫がなされていた。（中略）こうした仏教..]]></description>

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			<title><![CDATA[『世説新語』に見られる機知表現〜清談で培われた言語感覚〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432393901@hc05/225/]]></link>
			<author><![CDATA[ by satomi1983]]></author>
			<category><![CDATA[satomi1983の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Jun 2005 20:50:32 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432393901@hc05/225/" target="_blank"><img src="/docs/983432393901@hc05/225/thmb.jpg?s=s&r=1117713032&t=n" border="0"></a><br /><br />『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物[360]<br />『世説新語』に見られる機知表現
～清談で培われた言語感覚～
『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物言いをする。よく笑い、よく怒り、よく嘆く。こうしたありのままの感情を、生き生きと描いている。
『世説新語』においてひとつ特徴的なのは、物語の切り取り方がごく個人的な部分に徹しているという点だ。実在した人物の言動を素材としながら、それら登場人物と歴史上の状況との関係、背後の具体的時間は殆ど明記されていない。政治的大状況に背を向け、小状況、つまりプライベートにのみ着目している。多様な人間群像について、あくまで個人を追及し、言動を鋭く切り取る。重視されるのは、何を描くか、よりも、どう描くか。特に言語表現に賭けられた情熱は膨大なもので、こうした部分に独特のおもしろさが認められる。
こうした機知溢れる表現の背景となったのが、「清談」の流行である。
清談は形而上学的な問題をテーマとした哲学談義と、人物批..]]></description>

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