<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/" xmlns:activity="http://activitystrea.ms/spec/1.0/">
	<channel>
		<title>タグ“世説新語”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E4%B8%96%E8%AA%AC%E6%96%B0%E8%AA%9E/</link>
		<description>タグ“世説新語”の公開資料</description>
		<language>ja-JP</language>
		<generator uri="http://www.happycampus.co.jp/" version="1.0">happycampus rss generator</generator>
		<docs>https://www.happycampus.co.jp</docs>
		<managingEditor>cs@happycampus.co.jp</managingEditor>
		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[世説新語について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></link>
			<author><![CDATA[ by iloveyou]]></author>
			<category><![CDATA[iloveyouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 24 Nov 2005 00:40:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431692401@hc05/3368/" target="_blank"><img src="/docs/983431692401@hc05/3368/thmb.jpg?s=s&r=1132760446&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『[356]<br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
　この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
２．『世説新語』と日本文学
　『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[世説新語と日本文学]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/]]></link>
			<author><![CDATA[ by thikotann]]></author>
			<category><![CDATA[thikotannの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 11:21:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432215801@hc05/1882/" target="_blank"><img src="/docs/983432215801@hc05/1882/thmb.jpg?s=s&r=1122603716&t=n" border="0"></a><br /><br />１．『世説新語』について
『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢[356]<br />１．『世説新語』について
　『世説新語』に出てくる人々のエピソードは、人の好いところも悪いところも、簡潔におもしろく描かれている。篇目は三十六部門もあり、現存完本でなければ三九篇目あったともされるのは驚きである。『続世説新書』『明世説』『漢世説』『世説補』『今世説』などの続書も著さたことから、たくさんの人に受け入れられ、大きな影響を与えたということがうかがえる。
　この『世説新語』の話は歴史上有名な人物を集めた志人小説であり、これが生まれた六朝期には小説がフィクションとされず、妖怪や幽霊の登場する志怪小説も、事実の珍しい一部としてとらえられていたらしい。フィクションとしての小説ではなく、あくまでも個人を描く小説とされていたというのが興味深い。小説が全てにおいて駄目とされた時代から、このフィクションとしてではない小説は多くの人に求められていたのかもしれない。何より、おもしろく、人の心をつかむものとして小説は恐れられていたのだろう。『世説新語』には人の興味・関心をつかみ、人をひきこむ話がたくさんある。
２．『世説新語』と日本文学
　『世説新語』は、中国だけにとどまらず、日本文学にも多大な影..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『世説新語』に見られる機知表現〜清談で培われた言語感覚〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432393901@hc05/225/]]></link>
			<author><![CDATA[ by satomi1983]]></author>
			<category><![CDATA[satomi1983の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 02 Jun 2005 20:50:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432393901@hc05/225/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432393901@hc05/225/" target="_blank"><img src="/docs/983432393901@hc05/225/thmb.jpg?s=s&r=1117713032&t=n" border="0"></a><br /><br />『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物[360]<br />『世説新語』に見られる機知表現
～清談で培われた言語感覚～
『世説新語』は、後漢から東晋までの名士の逸話を収めた小説集である。魏晋南北、すなわち三国六朝ひしめく激動戦乱の時代にありながら、『世説新語』の登場人物は、死と隣りあわせという陰湿さなどかけらも見せず、逆に機知に富んで切れ味がよく、鋭角的な物言いをする。よく笑い、よく怒り、よく嘆く。こうしたありのままの感情を、生き生きと描いている。
『世説新語』においてひとつ特徴的なのは、物語の切り取り方がごく個人的な部分に徹しているという点だ。実在した人物の言動を素材としながら、それら登場人物と歴史上の状況との関係、背後の具体的時間は殆ど明記されていない。政治的大状況に背を向け、小状況、つまりプライベートにのみ着目している。多様な人間群像について、あくまで個人を追及し、言動を鋭く切り取る。重視されるのは、何を描くか、よりも、どう描くか。特に言語表現に賭けられた情熱は膨大なもので、こうした部分に独特のおもしろさが認められる。
こうした機知溢れる表現の背景となったのが、「清談」の流行である。
清談は形而上学的な問題をテーマとした哲学談義と、人物批..]]></description>

		</item>

	</channel>
</rss>