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		<title>タグ“万葉集”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E4%B8%87%E8%91%89%E9%9B%86/</link>
		<description>タグ“万葉集”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[国文学史Ⅰ_課題1]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kz355]]></author>
			<category><![CDATA[kz355の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 07 Aug 2022 20:26:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/920554918266@hc21/149255/" target="_blank"><img src="/docs/920554918266@hc21/149255/thmb.jpg?s=s&r=1659871571&t=n" border="0"></a><br /><br />2022年度までのレポート課題によるものです。加藤周一氏の『日本文学史序説上』を基礎とし、大陸文化の「日本化」された結果が万葉集と古今集にどのように表れているか考察しています。[256]<br />一．日本文学史上の境界点
　『日本文学史序説上』において、加藤周一氏は七九四年の平安遷都から一〇世紀初頭にかけてのおよそ百年間がそれまでに輸入された大陸文化の「日本化」の時期であると指摘した。たしかに、この時代にはかな文学の成立、律令制から摂関制への政治体制の移行、空海と最澄による真言宗・天台宗の開派など、それまで中国大陸から輸入した文化や制度をそのまま日本で用いていた飛鳥時代や奈良時代の文化と比較して、それらを消化し、日本独自のものとしての枠組みが生まれた時代だといえる。これらのような「日本化」という現象は文学においてどのような影響をもたらしたか。「日本化」の定着以前の作品である『万葉集』と定着以降の作品である『古今和歌集』を比較して考える。
二．『万葉集』について
　『万葉集』は、その正確な時期は不明であるものの、そこに収録された歌はおよそ七世紀前半から七五九年までのものとされている。この年代は加藤氏が指摘するところの「日本化」以前の年代である。『万葉集』に収録された歌は「雑歌」「相聞」「挽歌」の三種類に分けられるが、本稿において着目するのは男女間の恋を題材とした「相聞」である。
..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】国文学基礎講義・合格レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148475/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sss_rose]]></author>
			<category><![CDATA[sss_roseの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 May 2022 04:58:44 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148475/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148475/" target="_blank"><img src="/docs/918152662935@hc22/148475/thmb.jpg?s=s&r=1652817524&t=n" border="0"></a><br /><br />国文学基礎講義 合格レポートです。
参考用としてご使用ください。[93]<br />序論
　平成三十年二月十四日、文部科学省は令和四年度の入学生から適用される高校の学習指導要領改訂案を公表した。学習指導要領は時代に合わせて十年に一度の割合で改定され続けており、令和四年度の学習指導要領の改定案では、高校の国語の科目名が大きく変わる。具体的には、これまでにあった「国語総合」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」がなくなり、その代わりに、「現代の国語」「言語文化」「論理国語」「文学国語」「古典探求」が新設される。現在、学習指導要領に基づき、高等学校で使用されているほとんどの教科書では、「万葉集」が取り上げられている。万葉集は、編者や成立年代、どういう意図でつくられたのかも不明だが、全二十巻からなり、約四五〇〇首の和歌が収められた現存する日本最古の歌集である。万葉集の読み方は、奈良時代から平安時代初期にかけては「マニエフシフ/マンエフシフ」平安時代から鎌倉時代にかけては「マンエウシウ」室町時代には「マンヨウシュウ（マンニョウシュウ）」のように、時代によって異なっている。教科書で使用されている歌集の読み方が時代によって変化するのと同様、学習指導要領が時代に合わせて改定されるとともに、教科書の内容も検討していく必要があると私は考え、その具体的な内容を「小学館　新編日本古典文学全集」「笠間書院　訳文万葉集」をもとに「大修館書店　国語総合」「筑摩書房　国語総合」の教科書に焦点を当てて、講義での内容をベースに私なりの見解を述べていく。

本論
　まず、「大修館書店　国語総合」の教科書では、作品の動機や主題、成立事情などを歌の前書きとして漢文で記した、本来あるべきはずの題詞が挿入されておらず、また、歌の末にある左注も題詞と同様に省略されている。その理由として、同じ「和歌」という単元のなかで取り上げられている古今和歌集、新古今和歌集に形を合わせて統一させたことが考えられるが、それでは万葉集の歌の本質が伝えきれないのではないだろうか。次にそれぞれの歌に着目して第一に、額田王が詠んだ「万葉集巻第一　雑歌　国歌大観八番」を見ていく。
「小学館　新編日本古典文学全集」
　　額田王の歌
・熟田津に　船乗りせむと　月待てば　潮もかなひぬ　今は漕ぎ出でな
　　右、山上憶良大夫の&hellip;　ただし、額田王の歌は、別に四首あり。

「笠間書院　訳文万葉集」
　　額田王の歌
・熟田津に　..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【日大通信】国文学基礎講義]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148468/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sss_rose]]></author>
			<category><![CDATA[sss_roseの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 May 2022 04:49:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148468/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918152662935@hc22/148468/" target="_blank"><img src="/docs/918152662935@hc22/148468/thmb.jpg?s=s&r=1652816983&t=n" border="0"></a><br /><br />国文学基礎講義合格レポートです。
「教材化されている万葉歌について評価すべき点と改善すべき点をそれぞれ述べなさい。」
参考用としてご使用ください。[215]<br />講義で取り上げた教材化されている万葉歌について評価すべき点と改善すべき点をそれぞれ述べなさい。

序論
現在の高等学校学習指導要領（文部科学省、平成三十年告示）では、「現代の国語」と「言語文化」の二つの科目は、すべての高校生が履修する共通必履修科目として設定されている。「現代の国語」は、実社会、実生活に生きて働く国語の能力を育成する科目として、「言語文化」は、上代から近現代につながる我が国の言語文化への理解を深める科目として設定されている。その学習指導要領に基づき、現在の高等学校で使用されているほとんどの教科書では「万葉集」が取り上げられている。万葉集はいつの頃、だれの手によって成立したかは未詳だが、八世紀中頃までに成立したとみられ、全二十巻からなり、約四五〇〇首の和歌が収められた日本に現存する最古の和歌集とされている。ところが、高等学校で使用されている教科書では約四五〇〇首の中から数首の和歌しか収録されていない。さらに、その教材の内容に関しても不十分と思われる点や、不適切と思われる点がみられる。一方で、高校生にとって理解しやすいように工夫していると思われる点もみられる。今回は、「小学..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[【2024年度対応】日本文学史 リポート2題＆試験解答7題セット]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926032529572@hc19/139482/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zinchenko]]></author>
			<category><![CDATA[zinchenkoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Feb 2020 16:32:18 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/926032529572@hc19/139482/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/926032529572@hc19/139482/" target="_blank"><img src="/docs/926032529572@hc19/139482/thmb.jpg?s=s&r=1580628738&t=n" border="0"></a><br /><br />【佛教大学 日本文学史
リポート２題＆科目最終試験6題セット】

参考資料:国語教育プロジェクト編著『原色シグマ新国語便覧―ビジュアル資料 【増強３訂版】』(文英堂,2019)

本資料は、これ一つで単位取得が目指せるよう作成した[318]<br />　上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
 〈古事記・万葉集・古今和歌集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉

はじめに

 古典文学は、上代、中代、中世、近世という時代区分に分けて考えることができる。本リポートは、諸作品(古事記・万葉集・古今和歌集・女流日記・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説)を例に出しながら、それぞれの時代の特性について具体的に説明していくものである。また、本リポートは、国語教育プロジェクト編著『原色シグマ新国語便覧 ビジュアル資料〔増補３訂版〕』(文英堂,2017)の内容をまとめたものである。

　1.上代

 弥生時代から平安京遷都までを文学史では上代と呼ぶ。共同体、小国分立の時期を経て大和政権による全国統一が成り、律令国家が成立した時代である。
　この時代の文学における大きな出来事としてはまず、口承文学の誕生が挙げられる。この時代の人々の安全や収穫は、自然現象によって大きく左右されていた。そこで、美しい言葉で神に祈ればその願いが実現するという言霊信仰があり、祭りの場で用いられる言葉が格調高く整えられ表現にも工夫が凝らされていた。こうした口承(口頭による伝承)によって誕生した文学が口承文学である。
　やがて、五世紀ごろ、漢字が伝来し、万葉仮名などの表記法が考え出され、神話や歌謡は文字によって書きとどめられるようになっていった。政権の安定と正当化を意図した大和政権は、諸国の氏族を皇室の配下に位置づける形で史書や地誌の編纂を行った。ここではその例として『古事記』を挙げたい。

　♢古事記

　　古事記は、上・中・下の三巻で構成された現存する最古の書物である。中には長短あわせて約百十種の歌が含まれており、その種類も様々だ。
　表記はすべて漢字であるが、序文は純粋な観文体、本文は漢字の音訓をまじえた変則の漢文体、歌謡は万葉仮名による一字一音式で記されており、語り継がれた国語を忠実に文章化しようとする努力がなされている。
　また、天皇の日本国支配の正当性を強調し、天皇制の下での国家統一を目指して編まれており、叙述的な文学の性格が強い。
　
　やがて、統一国家形成の過程で、都市生活を営むようになった人々は、共同体的なものから切り離さ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「国語史の時代区分と国語史の必要性と価値」]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948527270373@hc12/102313/]]></link>
			<author><![CDATA[ by イシパン]]></author>
			<category><![CDATA[イシパンの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 01 Apr 2013 12:18:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948527270373@hc12/102313/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948527270373@hc12/102313/" target="_blank"><img src="/docs/948527270373@hc12/102313/thmb.jpg?s=s&r=1364786297&t=n" border="0"></a><br /><br />国語史の時代区分と国語史の必要性と価値について、述べています。[93]<br />- 1 -
「国語史 の時代区分 と国語史 の必要性 と価値 」
まず 、国語史 の時代区分 の必要性 と価値 について 記述 する 。
言語 が絶えず 変遷 するように 国語 も瞬時 もとどまることなく 変遷 している 。そして 、そ
れは 、急激 に行われるのではなく 、長い年月 にわたって 徐々に進行 する 、たとえば 、ある
時代 の国語 の上に一つの 音韻上 の変化 が起きた 場合 に、それまで 行われていたもとの 音韻
が一律 に消滅 し、すべて 変わってしまうということはない 。普通 、今までのものと 新しい
ものとが 両方 とも 行われるという 時期 があるものである 。また 、個々の事象 についてみて
も、その 一つ一つの 変遷 の様相 は違い、その 時期 がずれていることもある 。したがって 、
国語史 においては 、政治史 や制度史 などのように 、変遷 の時代 を明確 に区分 することは 不
可能 である 。
しかし 、国語史 を大観 すると 、音韻 などの 各方面 にわたって 、変遷 の急激 な時期 と緩慢
な時期 とがあって 、それらが 交替 し、各交替 ご..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[浦島太郎の歴史、意義、メッセージ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98190/]]></link>
			<author><![CDATA[ by loveryo]]></author>
			<category><![CDATA[loveryoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Nov 2012 10:23:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98190/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/951480623783@hc11/98190/" target="_blank"><img src="/docs/951480623783@hc11/98190/thmb.jpg?s=s&r=1351819417&t=n" border="0"></a><br /><br />文学の合格済みレポートです！[42]<br />日本には、古くから語り継がれてきた、様々なお伽話があり、誰もがいくつもの物語を聞いたことがあるであろう。中でも、1300年以上の長い歴史をもち、日本人なら誰もが知っているほど有名なのが、「浦島太郎」である。この「浦島太郎」について、時代によってどのように変化をしてきたのか、そして子どもたちへのメッセージは何なのかを、検証していこうと思う。
　「浦島太郎」は先に述べた通り、作られてから1300年もの年月が流れているが、時代によって内容が異なっている。まずタイトルについてだが、私たちが知っているタイトルは「浦島太郎」だが、原型をたどると、元々「丹後国風土記」「日本書紀」「万葉集」などでは、「浦島子」が、原型であると言われている。では「浦島子」から、どのように変化をしてきたのだろうか。「万葉集」では、浦島子という名の、漁師として登場している。ところが平安時代以降には、「浦島が子」となり、浦島の子どもとして解釈され、浦島伝説は子どもの世代の話しということに変容した。その後、室町時代のお伽草子には、浦島は父親の名前で、その子どもの太郎という名前が与えられ、「浦島太郎」が誕生し、その後は、「浦島..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学　通信　日本文学史　第１設題　A判定]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuuchi103]]></author>
			<category><![CDATA[yuuchi103の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 06 Aug 2012 00:06:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960057307006@hc09/95656/" target="_blank"><img src="/docs/960057307006@hc09/95656/thmb.jpg?s=s&r=1344179192&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学通信学部 R0112 日本文学史 第一設題「上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。〈古事記・万葉集・古今集・女流日記(女性によって書かれた日記)・源氏物語・平[340]<br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
〈古事記・万葉集・古今集・女流日記(女性によって書かれた日記)・
源氏物語・平家物語・徒然草・近代小説〉
　大化の改新や壬申の乱を経て、政治的には強力な中央集権的律令制国家へと発展してしき、遣隋使、遣唐使を派遣し政治体制ばかりでなく漢字や仏教など多くの影響を中国から受けた大和から奈良時代が上代と呼ばれる時代であり、上代の文学で代表的なものが、古事記と万葉集である。
まず古事記の文学的意義は日本最古の書であること。そして国内の思想統一を目的とし、神話・伝承を重視した文学性豊かな史書ということである。内容は、上巻は神話、中・下巻は神武天皇から推古天皇を中心とした物語であり、序文以外は漢字の音を借用した変体漢文である万葉仮名で書かれ、仮名発明以前の表記の工夫が見受けられるという特質がある。
もうひとつの代表的な作品は現存する最古の歌集である万葉集。歌風は「ますらをぶり（男性風）」で、現実に密着した感動を具象的に表現。率直な実感を大胆素朴に表現する力強さが特徴の歌集である。現存する..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国語学講義①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/92485/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 11:05:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/92485/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/92485/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/92485/thmb.jpg?s=s&r=1334628309&t=n" border="0"></a><br /><br />万葉仮名と音便の発生について（合格対象分）[63]<br />Ａ．万葉仮名
　日本には、もともと日本語を表記する文字がなかったため、中国語を表記する漢字を借用し、その読みを話し言葉の文字として表現しようとした。例えば、中国語で「阿」や「
安」は【あ】という音なので、【あ】と発音する時にその文字をあてた。名称の由来は、仮に音だけをあてる文字で、主に日本最古の歌集である『万葉集』に多く用いられたとされることから&ldquo;万葉仮名&rdquo;と呼ばれるようになったとされるが、実際には記紀万葉に使用された仮名全般のことを指す。ほかに｢真仮名｣とも呼ばれたり、当時は男性が使用していたこともあり、「男仮名」とも呼ばれていた。
　このように、漢字の字音や字訓を表意的に使用して表記した仮名のことを「万葉仮名」という。万葉仮名には、漢字の音読みを借用した「借音」という読みと、漢字の訓読みを利用した「借訓」という読みがある。例えば、『万葉集』の中では、前者は「余能奈可波」を「よ・の・な・か・は（世の中は）」と音で読み、後者は「春過而」を「はる・すぎ・て（春過ぎて）」と訓で読まれている。 
　また、現代では一音節で一つの発音だが、万葉仮名には一字を二音で表すものと、二字を一音で表すも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R8103日本文学史1レポート（A判定）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/]]></link>
			<author><![CDATA[ by みすみす]]></author>
			<category><![CDATA[みすみすの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Feb 2012 17:42:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953888125099@hc11/90478/" target="_blank"><img src="/docs/953888125099@hc11/90478/thmb.jpg?s=s&r=1329036162&t=n" border="0"></a><br /><br />①上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。
〈古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説〉
　【上代】
　上代とは、都が大和（奈良）から平安京（京都）へ遷都されるまでの時代である。日本は、遣隋使や遣唐使により、漢字・漢籍・佛教などの文化の面でも多大の影響を受けることとなった。文化的所産を口から口と伝えていく口誦や語りに頼っていた口承文化から、文字による伝達・保存が可能な記載文学が誕生することとなったのである。その代表的な作品として、『古事記』が挙げられる。『古事記』は、現存する最古の書である。語り部の稗田阿礼が語る神話・伝承を、太安万侶が筆録したもので、国内の思想統一をねらいとし、神話、伝承を重視した文学性豊かな史書である。上巻は神話、中・下巻に初代神武天皇から三三代推古天皇までの事跡を記している。序文は漢文で書かれているが、それ以外の部分は、漢字の音と訓とを交ぜあわせた変体漢文である、特に人名や歌などは一字一音の「万葉仮名」で書かれたものとなっている。
また..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0112日本史文学史第１設題　A判定　合格レポート 2016年度対応]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962649622816@hc08/80900/]]></link>
			<author><![CDATA[ by relax]]></author>
			<category><![CDATA[relaxの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 28 Apr 2011 22:51:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962649622816@hc08/80900/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962649622816@hc08/80900/" target="_blank"><img src="/docs/962649622816@hc08/80900/thmb.jpg?s=s&r=1303998681&t=n" border="0"></a><br /><br />2016年も同じ設題です。
上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。＜古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説[350]<br />上代、中古、中世、近世の文学の特質を、それぞれの時代の特性をふまえつつ、下記の諸作品を例にして具体的に説明せよ。＜古事記・万葉集・古今集・女流日記（女性によって書かれた日記）・源氏物語・平家物語・徒然草・近世小説＞
第一章　　上代の文学
第一節　上代の文学の特性
　上代の文学は、口承文学から記載文学へと大きく発展した時代である。上代とは、四世紀後半に大和（現在の奈良県）を中心にして大和政権による国土の統一から、桓武天皇が７９４（延暦１３）年に都を平安京に遷都するまでの期間である。作品には古事記や日本書紀がある 。
第二節　古事記
　七一二（和銅五）年、元明天皇の命により稗田阿礼が読み習っていた帝紀、本辞を太安万侶が筆録したものである。序文は漢文で書かれており、それ以外は変体漢文である。特に人名や歌は「万葉仮名」でかかれている。内容は、上・中・下の三巻から成っており、上巻は岩戸神話や出雲神話などの天地開闢以来の神話が収められている。中・下巻は神武天皇から推古天皇までの天皇を中心とする物語で、倭建命の話が有名である 。
第三節　万葉集
　「ますらをぶり」と呼ばれる男性風の歌風である。現実に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本における人馬の関係の歴史を探る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/75777/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kengo0430]]></author>
			<category><![CDATA[kengo0430の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 27 Nov 2010 21:23:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/75777/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958595957307@hc09/75777/" target="_blank"><img src="/docs/958595957307@hc09/75777/thmb.jpg?s=s&r=1290860628&t=n" border="0"></a><br /><br />日本における人馬の関係の歴史を探る
はじめに
野生種がほぼ絶滅し、家畜として人間と生きる他なくなった馬は、輸送、農耕、戦闘などの手段として人間と共に文明を築き上げてきたといえる。しかし現在、ほんの60年ほど前までは軍馬や農耕馬として身近な存在であったとはほとんど想像もできないほどに、日本における馬と人との関わりは減少してしまった。現代の日本に馬の生き延びる道はあるのだろうか。
この論文では、日本の人馬の歴史を見つめながら、人との関わりにおける家畜としての馬の特殊性を指摘し、これからの人馬の関係の展望を考察する。
１　日本の馬はどこから来たか
現在の段階ではこの疑問に対するはっきりとした答えは出ていない。
日本で発見された最も古いウマ科の化石は、約1500万年前に生息したアンキテリウムという馬の祖先の上顎、下顎骨である。この生物はタヌキかキツネほどの大きさで、現在の馬とは異なり三指であった。約500万年前になると今日の馬と同じ一指のエクウスが生まれ、全国十数か所で化石が発見されている。しかし氷河期が終わり地球の温暖化が進んだことにより、日本の野生馬はここで絶滅してしまったと考えられている。
では、日本在来馬はいつごろ日本に出現したのだろうか。
今日、日本在来馬と呼ばれる北海道和種、木曽馬、野間馬、対馬馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬は、大陸ですでに家畜化された馬が、朝鮮半島を経由して海上ルートでもたらされたものと考えられている。ただ、「いつ」という時間的側面は明確ではなく、諸書によって見解が分かれているのが現状である。
『魏志倭人伝』の三世紀ごろの記述には、「其地無牛馬虎豹羊鵲」とあり、つまり日本には牛、馬、虎、豹、羊、カササギはいないと記している。縄文・弥生時代の遺跡から馬の骨歯が出土していることから、この記述は「家畜化された馬は存在しなかったが、野生化したものは存在していた」と解釈されていたが、後にかつての発掘例は後代のものが混入したと考えられるようになったため、現在縄文・弥生時代に日本列島に馬が生息した可能性はほとんど無いとされている。
馬の存在が確実に認められるようになるのは古墳時代で、福岡県竹原古墳壁画には舟に乗せられた小型の馬が描かれており、馬が大陸から運ばれてきたことを想像させる。中期古墳時代以降は副葬品として、などの馬具やハミ、、鞍を安定させ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[「まし」と「非現実」～万葉集における「ましものを」の研究～]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67174/]]></link>
			<author><![CDATA[ by spoon]]></author>
			<category><![CDATA[spoonの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 May 2010 17:54:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67174/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67174/" target="_blank"><img src="/docs/956085710987@hc10/67174/thmb.jpg?s=s&r=1273827294&t=n" border="0"></a><br /><br />「まし」と「非現実」
～万葉集における「ましものを」の研究～
＜はじめに―「まし」の性質＞
「まし」は一般的に推量の助動詞とされ、多くは事実に反する推量・意志・希望などとして「反実仮想」の意味でとられる。
「まし」はしばしば「む」との対比によって説明される。両者の共通性は、推量のみでなく意志・希望の表現にも用いられるという点にある。「まし」の語源としても、「む」の未然形が体言化した「ま」という語に造形容詞語尾「し」がついたものが「まし」である、というように、「まし」を「む」から形成された準形容詞の一種とみる考え方がある。一方相違点は、「む」が「やがて実現することに対する推量＝予想」を表し、客観的・現実的な性質をもつのに対し、「まし」が「実現しないことに対する推量＝仮想」を表し、主観的・非現実的な性質をもつことである。
　以下で詳しく述べるが、反実仮想を表す「まし」に、さらに現実への反発・嘆きを表す終助詞「ものを」が付くことで、「まし」のもつ表現力はいっそう強まると考えられる。ここでは「まし」を、「ましものを」の形に、また万葉集を用いて時代をある程度限定することで、「ましものを」の形がも..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文法①]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956462851262@hc10/66950/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hashiru_otoko]]></author>
			<category><![CDATA[hashiru_otokoの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 12 May 2010 22:16:42 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956462851262@hc10/66950/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956462851262@hc10/66950/" target="_blank"><img src="/docs/956462851262@hc10/66950/thmb.jpg?s=s&r=1273670202&t=n" border="0"></a><br /><br />連用修飾とは、用言である動詞・形容詞・形容動詞を修飾し、動作・状態などを説明・限定して表現する働きである。そして、連用修飾する品詞は、副詞・形容詞の連用形・形容動詞の連用形・動詞の連用形・数量詞などに加え、名詞＋格助詞の形式で連用修飾する。例えば「早足で歩く」という文は「早速」という名詞＋「で」という格助詞が各形式となり、「歩く」という動詞を連用修飾している。
この連用修飾には四つの基本的な型があり、例文を基に述べていく。まずは、述語の用言を修飾する場合である。「ゆっくり静かに歩く」という文は「ゆっくり」と「静かに」がそれぞれ述語の「歩く」という動詞を修飾している。次は、すでに連用修飾している用言をさらに修飾する場合である。「とてもゆっくり歩く」がそれであり「とても」が、すでに「歩く」を修飾している「ゆっくり」をさらに修飾している。三つ目は連用修飾＋述語全体を修飾する場合である。「一所懸命静かに歩く」の「一所懸命」は述語である「静かに歩く」全体を修飾している。最後は、連体修飾をしている用言をさらに修飾する場合である。「とても静かな歩き方」の「静かな歩き方」は連体修飾であり、「とても」が..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉集の難波の歌を学ぶ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66885/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 19:29:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66885/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/66885/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/66885/thmb.jpg?s=s&r=1273573756&t=n" border="0"></a><br /><br />2009年度スクーリングで取り扱った国文学演習の資料です。[79]<br />国文学演習「万葉集の難波の歌を学ぶ」　二○○九年度　３期・大阪スクーリング　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　＊＊学籍番号＊＊　＊＊名前＊＊
一【テーマ】
難波潟の海人娘子の正体とその存在の意味について
二【原文】　
※『万葉集』中西　進（2006）より
　
①巻第九　一七二六　（丹比真人　一首）
　難波方　塩干　出　　玉藻　　海未通女（※１）等　汝名告
　②巻第九　一七二七　（和　一首）
　朝入為流　人跡　見座草枕　客去人　　　　名者不敷
三【口語文】　
※『万葉の歌―人と風土―』井村　哲夫　保育社　昭和61　⑤大阪　より（P27）
①巻第九　一七二六
～丹比真人の歌一首～
難波潟　潮干に出でて　玉藻刈る　海人娘子ども　｛汝が名告らさね｝
　②巻第九　一七二七
～和ふる歌一首～
あさりする　人とを見ませ　草枕　旅行く人に　｛我が名は告らじ｝
＊「を」・・・語調を整えるために付随
四【訳文】
※『萬葉集』小学館　1998年　より（こちらのほうがわかりやすい）
①巻第九　一七二六
～丹比真人の歌一首～
難波潟の　潮干に出て　藻を刈っている　海人おとめよ　
あなたがたの名を教えておく..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[選択疑問文「ＡやＢや」における係り結び]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66865/]]></link>
			<author><![CDATA[ by spoon]]></author>
			<category><![CDATA[spoonの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 May 2010 11:43:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66865/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/66865/" target="_blank"><img src="/docs/956085710987@hc10/66865/thmb.jpg?s=s&r=1273545783&t=n" border="0"></a><br /><br />日本語の表現１　　平成二十年　--
選択疑問文「ＡやＢや」における係り結び
はじめに
係助詞「や」「か」の違いの明確化を試みる研究は多々みられる。しかし、このような研究からは、それぞれが係り結び構文である必要性は見えてこない。係り結びという特殊な技法を使うからには、そこに何らかの特別な意味があるはずである。ここでは、「や」「か」の違いを見つつ、「ＡやＢや」の文型が係り結び構文となる場合の特徴について考えてみたい。
一、「疑い」と「問い」
「や」と「か」の違いを明確にする際、音の印象の違いを指摘する研究もある。
松尾氏（一九三六）は、「や」「か」の違いは、「語法上の問題といふよりは、寧ろ修辞上の問題であつて、音調の相違が基本になつて居る」とし、「や」は「柔らかく優しい音」で「親しむべき感じ」があり、「か」は「強く硬い音」で「迫る様な詰るやうな感じが伴ふ」としている。疑問詞を伴う疑問文は、「おぼろげの一般的の問ではない」ため、「か」を用いるということである。こういった効果は、柔らかく優しい音の「や」では発生しないとしている。
また、「や」「か」の比較では、しばしば「疑い」と「問い」という概..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[初等国語科教育法１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/66213/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きんぞう]]></author>
			<category><![CDATA[きんぞうの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 24 Apr 2010 15:09:26 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/66213/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983427442401@hc07/66213/" target="_blank"><img src="/docs/983427442401@hc07/66213/thmb.jpg?s=s&r=1272089366&t=n" border="0"></a><br /><br />参考までに[15]<br />＜取材メモ＞
・季節の移り変わりを感じる。
（春）○○西中学校の桜（夏）○○七夕祭り（秋）&times;&times;連山の紅葉（冬）&times;&times;おろしの吹く街
・味覚
&dagger;　特産品はウナギ、&times;&times;飯。○○の名水をつかった日本酒。
&dagger;　○○町の駅前には、これらの町の味覚をあつかった料理店がいくつも点在している。
・施設
&dagger;　△△県伝統工芸会館　○○和紙会館&dagger;　日帰り温泉&dagger;　◎◎山の滑り台
＜○○町の特色の整理＞
　△△県中部の町であり、■■地方のすぐ外側に位置している。「●●●●」の異名を持ち、また、伝統工芸の▲▲で知られる町である。都心へは&times;&times;線急行で約1時間強でいけるため町内には住宅団地や大型マンションも建っている。その一方で駅を降りると目の前に&times;&times;連山がそびえており自然は目の前にある。どの学校からでも山々の美しい様子の移り変わりを見ることができ自然にあふれた地域である。
　○○町の特産品である手漉きの○○和紙「●●紙」は国の重要無形文化財の指定をうけている。○○町内の小中学校の卒業証書はこの手漉き和紙で作られる。町内には△△県最古の民家であり、国の重要文化財である「○○住宅」がある。また、万葉集の研究者として名高い..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品上代認定試験]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:55 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64676/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64676/thmb.jpg?s=s&r=1268408875&t=n" border="0"></a><br /><br />上代文学の特質とはなにかということを『古事記』、『日本書記』、『出雲国風土記』そして『万葉集』を中心に考えたい。まず、それらの作品の表記方法について考える。これらの作品は基本的に全て漢字表記で書かれている。かな文字が発明されていない時代のことであるから当然であるが、その表記方法は全て統一されているわけではない。例えば『日本書記』では、変体漢文が用いられており、『古事記』、『出雲国風土記』も基本は変体漢文である。しかし、『古事記』の場合、固有名詞や、古語などの漢文で表記しづらい部分は、一字一音表記で記すという特徴がみられる。『万葉集』もこれらの作品と同様に、全文が漢字で表記され、題詞などは変体漢文で表記されているが、歌自体はすべて、万葉仮名という型式で表記されている。
　これらの作品の表記方法は変体漢文を基本としながらも、日本独自の固有名詞、古語、あるいは歌というものは、漢字を一字ずつ工夫してできる限りオリジナルの音に近いものにしようとしているという特徴が考えられる。漢字表記から、これらの作品を考えると、中国の文化、文学を享受しつつも、新たに日本独自の文学を創作しようとする過渡期に作ら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学文化概説A１課題２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64673/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64673/thmb.jpg?s=s&r=1268408872&t=n" border="0"></a><br /><br />『万葉集』全二十巻の概略と一、二巻の配列上の特色についてであるが、まず、概略から述べる。『万葉集』は、一巻から十六巻の第一部と、十七巻から二十巻の第二部に分類することができる。第一部は、天平十六年（七四四）までの歌が収められ、相聞、挽歌、雑歌の部立がされており、すべてではないが年代順に配置されている。第二部は、冒頭部に第一部から洩れた天平十六年の四月に大伴家持が詠んだ歌など、三十二首を配置し、その後ろに天平十八年（七四六）の正月から天平宝字三年（七四六）の正月一日までの歌を部立せずに、年代順に収めている。また、第一部はさらに細かく分類することができ、一巻から六巻は、有間皇子事件などの歴史上の事件に関わる歌が多く収められるなど、「小万葉」と呼ばれ、『万葉集』の中核をなしている。七巻から十二巻は、それぞれ「柿本人麻呂家集」などの歌集から歌を集めて構成されている。また、歌の配列も年代というよりも、歌われた対象や、表現方法で分類されている。十三、十四巻は読み人知らずの歌を集めており、十五、十六巻は、物語性を全面に打ちだした歌が収められている。
　次に、一、二巻の配列の特徴として、五三番歌まで..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[作家作品研究上代課題３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64666/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kosino]]></author>
			<category><![CDATA[kosinoの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 00:47:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64666/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958976010830@hc09/64666/" target="_blank"><img src="/docs/958976010830@hc09/64666/thmb.jpg?s=s&r=1268408865&t=n" border="0"></a><br /><br />『日本書紀』記述から、有間皇子の変についてみてみたい。ことのきっかけは斉明天皇が牟髏の湯に行幸に出、その留守官を任された蘇我赤兄の讒言による。赤兄は皇子に大きな倉を建て民衆の財産を集めた。莫大な費用を使い長い水路を造った。船で石を運び丘を造った。という三点を天皇の失政として皇子に語った。すると皇子は赤兄が自分に味方してくれると思い、我が人生で始めて兵を用いるときがきた。と答えている。皇子はこの時点で謀反を決意したことになる。少し判断が早過ぎないだろうか。翌々日に、赤兄の家を訪ね楼で話合いをするのであるが、決意表明はその時でもよかったはずである。十九歳だったとはいえ、聡明であったと評される皇子にしては安直すぎるようである。そしてその夜に赤兄に裏切られ、自邸で寝ているところを捕らえられ、行幸先の牟髏の湯に送られる。そこで、中大兄皇子の問いに対し皇子は、天と赤兄だけが知っている。自分は何も知らない。と答えている。中大兄皇子は皇子を送り返すが、途中丹比小沢連国襲という人物に皇子を殺害させてしまう。その他にも処分された人々がいたが、赤兄に対する処罰は記載されていない。おそらく無罪とされたのであ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国文学講義（上代）②]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62682/]]></link>
			<author><![CDATA[ by レゲトニック]]></author>
			<category><![CDATA[レゲトニックの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Jan 2010 12:09:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62682/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/reggaetonique/62682/" target="_blank"><img src="/docs/reggaetonique/62682/thmb.jpg?s=s&r=1264475347&t=n" border="0"></a><br /><br />万葉集の旅の歌を「き旅歌」という。昔の万葉人はよく旅をし、旅の歌をつくってきた。万葉人にとって旅は生命であり、また生命の源でもあった。
（一）語の意義
「き旅」には二通りの意義にとられている。
一つは「旅」もしくは「旅人」の意であり、二つ目は「旅住まい」または「旅住いする人の意である。
　き旅の字面については、「き」は「き」にも通じて用いられている。「き」は馬のおもがいという意味があるが、「き」と同じく旅の意味で通用する。これは中国においても同様であるように、わが国の万葉集でも共通の意味に用いられている。
　「き」には、本字・俗字を合わせると四通りの文字が使われている。一つは「き旅」の場合で、「柿本朝臣人麻呂き歌八首」で扱われている。二つ目は、「き旅」の場合である。　
三つ目の「き旅」は、吉田の宜が大伴の旅人に送った手紙に使用されているが、歌の用例には存在しない。「き」や「き」が単独で歌の中に登場することは多い。
　（二）き旅歌のあり方
き旅歌かどうかは、題詞・標目・左注の解釈によって判定することができる。しかし、それだけだとそれが旅先で作った歌であっても、恋愛感情が含まれておれば相..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉集]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ainha]]></author>
			<category><![CDATA[ainhaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 23 Nov 2009 22:43:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957534289179@hc09/59532/" target="_blank"><img src="/docs/957534289179@hc09/59532/thmb.jpg?s=s&r=1258983826&t=n" border="0"></a><br /><br />大伯皇女及び有間皇子の和歌の鑑賞[48]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論　設題１・紀貫之の作品と生涯について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 910kyuto]]></author>
			<category><![CDATA[910kyutoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 17:05:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958149952954@hc09/57497/" target="_blank"><img src="/docs/958149952954@hc09/57497/thmb.jpg?s=s&r=1257494703&t=n" border="0"></a><br /><br />設題１．紀貫之の作品と生涯を述べなさい
（１）	紀貫之の生涯
紀貫之は蔵人望行の子として貞観年代に生まれる。和歌のほか書道にも優れていた。８９３年（寛平五）９月、菅原道真が「新撰万葉集」を撰進。「新撰万葉集」に作品が載る。この年ころまで[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文学史　第一設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960811353085@hc08/57103/]]></link>
			<author><![CDATA[ by p1205]]></author>
			<category><![CDATA[p1205の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 03 Nov 2009 14:10:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960811353085@hc08/57103/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960811353085@hc08/57103/" target="_blank"><img src="/docs/960811353085@hc08/57103/thmb.jpg?s=s&r=1257225002&t=n" border="0"></a><br /><br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[和歌形態について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/]]></link>
			<author><![CDATA[ by zbf32097]]></author>
			<category><![CDATA[zbf32097の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 22:55:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959541612001@hc09/55776/" target="_blank"><img src="/docs/959541612001@hc09/55776/thmb.jpg?s=s&r=1254232509&t=n" border="0"></a><br /><br />※設題１　和歌形態について具体的に述べよ。　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
まず初めに、五音と七音の句によって作られる歌を和歌といい、和歌にはさまざまな形態が存在している。それは、「長歌・片歌・旋頭歌・短[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日本文化論【文学】（４０００字用）レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/]]></link>
			<author><![CDATA[ by boukensya]]></author>
			<category><![CDATA[boukensyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 28 Apr 2009 10:24:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959855799895@hc09/46412/" target="_blank"><img src="/docs/959855799895@hc09/46412/thmb.jpg?s=s&r=1240881881&t=n" border="0"></a><br /><br />（設題）
紀貫之の作品と生涯について述べなさい。（２０００字）
近世の文学について概説しなさい。　（２０００字）
（解答）
１．紀貫之の代表的な作品として、『古今和歌集』がある。これは日本文学史上で最初の勅撰和歌集であり、以後の撰集[344]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論６]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45497/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45497/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45497/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45497/thmb.jpg?s=s&r=1240373201&t=n" border="0"></a><br /><br />Ｏ歌「鳥翔成」は旧来難訓であり「トリハナス」「ツバサナス」「カケルナス」「アマガケリ」「トリトナリ」など多くの試訓がある。「アマガケリ」の訓みは、憶良歌に用例があること（巻五　八九七）、さらには有間の魂を、ヤマトタケルの白鳥伝説に重ねて、「[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論５]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:41 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45496/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45496/thmb.jpg?s=s&r=1240373201&t=n" border="0"></a><br /><br />しかし、矛盾点があっても、二首一組を題詞で処理してしまう点で、これは成立時期や事情を同じくした場合にも、同様のことが考えられないだろうか。つまり、実作として有間がＤ・Ｊ歌を詠んだ場合でも、編纂者は、内容の異なる二首を内包する題詞をつけようと[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論４]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45495/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45495/thmb.jpg?s=s&r=1240373200&t=n" border="0"></a><br /><br />この点については、稲岡耕二氏の「有間皇子」に既に指摘があり、仮定表現を用い、さらに「ま幸くあらば」と表現した点に、有間皇子の悲劇性を認めている。池田氏も「固有な悲劇性を孕む可能性を持った不安定な表現形態」と論じ、実作説の根拠としている。
反[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論３]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45494/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45494/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45494/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45494/thmb.jpg?s=s&r=1240373200&t=n" border="0"></a><br /><br />Ｈ・Ｉ歌には「たまきはる命は知らず」、「八千種の花は移ろふ」のような、否定表現や不安を示す表現が用いられており、現在、将来に対する不安を、松結びによって払拭しようとする構成となっている。これはＤ歌に用いられる「ま幸くあらば」の仮定表現も同様[360]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45492/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45492/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45492/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45492/thmb.jpg?s=s&r=1240373198&t=n" border="0"></a><br /><br />序有間皇子自傷歌は、実作か仮託かの問題を中心に、歌の内部にあっても、一四一番歌では「ま幸くあらばまたかへり見む」の表現に、悲劇性を見出だすことができるか否か、また一四二番歌では「椎の葉に盛る」の表現が食事を示すか、あるいは神饌かというよう[358]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[有間皇子挽歌卒論２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45493/]]></link>
			<author><![CDATA[ by GON]]></author>
			<category><![CDATA[GONの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 22 Apr 2009 13:06:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45493/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961984758246@hc08/45493/" target="_blank"><img src="/docs/961984758246@hc08/45493/thmb.jpg?s=s&r=1240373199&t=n" border="0"></a><br /><br />第二章　自傷歌の検討
　　　　　ⅰ　松結びの持つ意味
　『万葉集』中、「松」が詠まれた歌は八十首ほどにのぼり、樹木の類では萩の一四二首、黄葉(「もみづ」の動詞形を含む)の百余首、梅の一一九首に次ぐ。これは古代人にとって松が非常に近しい存在で[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[&ldquo;七夕祭り&rdquo;と日本]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34023/]]></link>
			<author><![CDATA[ by buffalo3001]]></author>
			<category><![CDATA[buffalo3001の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 18 Jan 2009 06:05:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34023/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963399795724@hc08/34023/" target="_blank"><img src="/docs/963399795724@hc08/34023/thmb.jpg?s=s&r=1232226306&t=n" border="0"></a><br /><br />&ldquo;七夕祭り&rdquo;と日本 　　　　
　
現在、日本各地で七夕祭りが開催されており、七夕という習俗は日本に深く浸透しているが、そもそもの七夕伝説の起源についてよく考えたことはあるだろうか。
誰もが知っている七夕伝説に意外な来歴があること、そして、そ[352]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平仮名の成立について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kan3728]]></author>
			<category><![CDATA[kan3728の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 27 Jul 2007 21:33:28 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429038501@hc07/14189/" target="_blank"><img src="/docs/983429038501@hc07/14189/thmb.jpg?s=s&r=1185539608&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の知識の泉は平仮名についてです。
日本語は中国語と違い、漢字と仮名を混用させて語の切れ目を表示するため、かつては漢字の発音だけを借りて別の語を書き表す方法をとっていました。これを仮借といいます。その仮借が定着してきて、万葉仮名が出来上が[358]<br />今回の知識の泉は平仮名についてです。
日本語は中国語と違い、漢字と仮名を混用させて語の切れ目を表示するため、かつては漢字の発音だけを借りて別の語を書き表す方法をとっていました。これを仮借といいます。その仮借が定着してきて、万葉仮名が出来上がりました。万葉仮名とは万葉集の中に使用されている文字のことです。万葉集は七世紀後半から八世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集です。四五〇〇首以上も収められており、全文が漢字で書かれていて漢文の体裁をなしています。しかし歌は日本語の語順で書かれていて、その時に使用していたのが万葉仮名でした。その万葉仮名が平安初期、極端に字形を簡略化して使用され..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[額田王と大海人皇子の贈答歌について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431025301@hc06/9766/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pamplemousse]]></author>
			<category><![CDATA[pamplemousseの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 18 Jul 2006 00:17:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431025301@hc06/9766/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431025301@hc06/9766/" target="_blank"><img src="/docs/983431025301@hc06/9766/thmb.jpg?s=s&r=1153149463&t=n" border="0"></a><br /><br />　私は額田王と大海人皇子の贈答歌のうち二一の歌に絞って、二人の関係、歌に込められた想いを調べた。以前は愛し合っていた二人だが、額田王は天智天皇に仕えてしまった。大海人皇子はどのような気持ちでこの歌を返したのだろうか。また、この歌はなぜ雑歌に[360]<br />　私は額田王と大海人皇子の贈答歌のうち二一の歌に絞って、二人の関係、歌に込められた想いを調べた。以前は愛し合っていた二人だが、額田王は天智天皇に仕えてしまった。大海人皇子はどのような気持ちでこの歌を返したのだろうか。また、この歌はなぜ雑歌に分類されているのかを考えた。
二一　紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
口語訳は紫草のように美しいあなたを憎いと思ったら、人妻であるのに、私はかくも恋しく思うだろうか、となる。
　まずは、原文の語釈を行ない、私の見解を述べていく。始めに「紫草の」について調べた。この原文では「紫草の」で「むらさきの」と読んでいるが、「紫の」とする原文もある。「紫」は植物としてのムラサキであり、色名としての紫とされる。また昔から根は紫色の重要な染料とされていた。「紫草の」は集中二例。「紫の」も集中二例であった。「紫の」と記されている場合、&ldquo;枕詞&rdquo;として捉える場合と&ldquo;紫野&rdquo;として捉える場合があるということに気づいた。「紫野」で調べてみると、現在の京都市北区の地名であり、紫草の生えている野を表している。また『答えの歌には前の歌の詩句を取ることが普通である（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 万葉集の難訓歌について〜17番歌と3289番歌の例を通じて〜]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8968/]]></link>
			<author><![CDATA[ by pandakun]]></author>
			<category><![CDATA[pandakunの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Jun 2006 23:06:15 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8968/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430433301@hc06/8968/" target="_blank"><img src="/docs/983430433301@hc06/8968/thmb.jpg?s=s&r=1150207575&t=n" border="0"></a><br /><br />　万葉集に見られる難訓歌について、その定義や実際に訓じてみたことについて、各種文献を参照した結果をまとめる。
　難訓歌とは、簡単に言ってしまうと訓じるのが難しい歌であり、訓について注釈の見解がわかれているものである。訓じるのが難しいと一言[356]<br />万葉集の難訓歌について　　　　 
～17番歌と3289番歌の例を通じて～
　万葉集に見られる難訓歌について、その定義や実際に訓じてみたことについて、各種文献を参照した結果をまとめる。
　難訓歌とは、簡単に言ってしまうと訓じるのが難しい歌であり、訓について注釈の見解がわかれているものである。訓じるのが難しいと一言で言っても様々なパターンが考えられる。一つのパターンとしては、歌に含まれる漢字の読みが特定できない場合がある。特殊な使い方などで、他を当たってもあまり使用されていない読ませ方をしているものがそれだ。また、他のパターンでは、読みはわかっていても枕言葉や文脈から考えて意味が通らなくなるものがある。他にも様々なパターンが考えられるが、本レポートではその二つのパターンについて見ていきたいと思う。
　まず最初のパターンについて、17番歌を使って、その本文校訂での訓の方法をまとめてみたい。17番歌は
「つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや」
という訓があたっている(万葉歌を解読する、佐々木 2004)。他に「万葉集必携」「新訓万葉集　上巻」を調べた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[額田王と柿本人麻呂の作品について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rasuta2525]]></author>
			<category><![CDATA[rasuta2525の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 14 Jan 2006 22:21:32 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431363901@hc05/5281/" target="_blank"><img src="/docs/983431363901@hc05/5281/thmb.jpg?s=s&r=1137244892&t=n" border="0"></a><br /><br />　額田王は、万葉集初期の女流歌人である。その出自・経歴年・生没年は不明である。それは、額田王について伝える資料がごく限られていることによる。万葉集の十二種の作品と、日本書紀に「天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶して、十市皇女を生しませり」という[360]<br />　額田王は、万葉集初期の女流歌人である。その出自・経歴年・生没年は不明である。それは、額田王について伝える資料がごく限られていることによる。万葉集の十二種の作品と、日本書紀に「天皇、初め鏡王の女額田姫王を娶して、十市皇女を生しませり」という一文以外に伝えるものはない。始め大海人皇子の后となり十市皇女を生み、後に中大兄皇子の后ともなる。
　歌数十二種ではあるが、万葉第一期の歌人としては最も多く、わが国最初の専門的歌人と評されることもあり、万葉集から、近江朝を中心に活躍した歌人であることは間違いない。
　あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
　（紫草の生える野を、狩場の標を張ったその野..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉集　三九二七〜三九三〇]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuko5151]]></author>
			<category><![CDATA[yuko5151の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 23 Dec 2005 00:12:04 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4256/" target="_blank"><img src="/docs/983431519201@hc05/4256/thmb.jpg?s=s&r=1135264324&t=n" border="0"></a><br /><br />大伴宿禰家持、天平十八年閏七月を以て、越中の国守に任ぜらる。即ち七月を取りて任所に赴く。ここに姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首
▽　坂上郎女・・・大伴旅人の異母妹。万葉集に歌も多く、一流の女流歌人で家持の家庭生活及び作歌生活に大きな影響[356]<br />　　
大伴宿禰家持、天平十八年閏七月を以て、越中の国守に任ぜらる。即ち七月を取りて任所に赴く。ここに姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首
　　　
▽　坂上郎女・・・大伴旅人の異母妹。万葉集に歌も多く、一流の女流歌人で家持の家庭生活及び作歌生活に大きな影響を与えた。この歌の当時四十六歳。（大系）
▽　閏七月・・・家持が越中国守の任命をうけたのは『続日本書紀』によると天平十八年六月二十一日。この年の閏は九月にあったので、誤写されたものか。（全注）
▽　七月を取りて・・・「取」は日取を選び取る意で書いた、和風的表現であると考えると、七月ではなく七日の誤写であろう。（全集）　　　
▽　越中の国守・・・「越中」は国名で現在の富山県にあたる。「国守」は国の長官。（全注）
三九二七　草枕　旅行く君を　幸くあれと　斎瓮据ゑつ　我が床の辺に
草枕・・・「旅」の枕詞。古代の旅では草を結んで枕にしたところからかかる。また、実際にそのような枕を用いたのではなく旅のわびしさを表す表現だともいう。（全注）
旅行く君を・・・「旅」は家を離れてよそで暮らすことをいう。よって地方官勤務も旅であった。「を」は主格を表す。（..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉人の恋の呪術　完成版]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4255/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuko5151]]></author>
			<category><![CDATA[yuko5151の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 22 Dec 2005 23:53:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4255/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/4255/" target="_blank"><img src="/docs/983431519201@hc05/4255/thmb.jpg?s=s&r=1135263213&t=n" border="0"></a><br /><br />序章
　万葉集相聞歌の一角を築く特徴的な歌群に、呪術やまじないを詠みいれた歌がある。恋する男女にとって相手と離れることは悲しい。けれども、人目や母親などの関与があってそう簡単に逢えるわけのものでもないので苦しい。しかし、それも相思相愛の場[356]<br />序章
万葉集相聞歌の一角を築く特徴的な歌群に、呪術やまじないを詠みいれた歌がある。恋する男女にとって相手と離れることは悲しい。けれども、人目や母親などの関与があってそう簡単に逢えるわけのものでもないので苦しい。しかし、それも相思相愛の場合はまだいい。まだ見ぬ人や人目見ただけの人を思ったり、相手の愛がいつしか薄れていったりする片想いの恋の場合は何ともするすべがない。社会のさまざまな障害や、片想いによってこうしてもがきあがかねばならなかった男女が、藁をも掴む気持ちで一喜一憂してつい頼ったもの、あるいは頼ろうとしたもの、それが呪術であった。万葉人の呪術は千差万別であるが、最も強制的・意図的な呪術は（うらない）であり、消極的な呪術としては前兆を含めた呪術の行為がある。
万葉集の表記は必ずしも原作者のものではないが、「恋」を表わすのに「孤悲」を用いている歌が約三十首あり、万葉人にとって、恋とは好きな人と離れて孤独に悲しむことが恋であった。そのような悲しみをすこしでもやわらげようとして行ったものが、呪術だったのではないのだろうか。
　しかし、呪術には効果がないことを意味する歌も多いことを忘れてはい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[七夕の由来　七夕ものがたり・乞巧奠・民間の七夕とのかかわりについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sue2956]]></author>
			<category><![CDATA[sue2956の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 23:15:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431813101@hc05/3671/" target="_blank"><img src="/docs/983431813101@hc05/3671/thmb.jpg?s=s&r=1133792117&t=n" border="0"></a><br /><br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
　この七夕ものがたりの内容は「機[356]<br />　夏の風物詩である七夕は、牽牛・織女の七夕ものがたりと、中国伝来の乞巧奠の風習とが習合したものであると言われている。この七夕ものがたりと乞巧奠について概説しながら、現在の日本の七夕に至るまでを述べていく。
この七夕ものがたりの内容は「機織仕事をしていた織女が、牽牛と結婚した途端に、仕事をしなくなってしまった。それに腹を立てた織女の父が彼女に腹を立て、二人を天の川を挟んで引き裂いてしまい、年に一度だけ七月七日の夜に、天の川で会うことを許した」というものである。いろいろな七夕説があると言われているが、最もよく知られる七夕のものがたりの原型であると考えられている。　『荊楚歳時記』の記述によれば「七月七日、牽牛・織女、聚会の夜と為す」とあり（参考文献一七八頁）後漢の時代に成立した物語と言われている。万葉集で天の河などこのものがたりをモチーフにした歌が、歌われていることから、万葉集が歌われ始めた時代にはすでに、このものがたりは日本に伝来していたと考えられる。
持統天皇（六四五～七〇二）の時代には七月七日にこの七夕ものがたりと日本古来の棚機姫の信仰が融合された、歌を詠む宴が日本ではあったのである。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[万葉人の恋の呪術]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/3537/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yuko5151]]></author>
			<category><![CDATA[yuko5151の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Dec 2005 12:31:32 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431519201@hc05/3537/" target="_blank"><img src="/docs/983431519201@hc05/3537/thmb.jpg?s=s&r=1133494292&t=n" border="0"></a><br /><br />　万葉集相聞歌の一角を築く特徴的な歌群に、まじないや呪術を詠みいれた歌がある。『万葉集』における歌は、特に恋の歌でいえば、相手に逢えない状態で、逢えるように願っているものがほとんどである。これは、歌には逢いたい人に逢えることを可能にする呪力[360]<br />　万葉人の恋の呪術　　　　　　　　　　　　　　　
万葉集相聞歌の一角を築く特徴的な歌群に、まじないや呪術を詠みいれた歌がある。『万葉集』における歌は、特に恋の歌でいえば、相手に逢えない状態で、逢えるように願っているものがほとんどである。これは、歌には逢いたい人に逢えることを可能にする呪力あると考えられていたからである。遠くにいる場合、逢いに行く場合、逢ったとき、別れるときなどそのたびに詠まれたのは、歌が儀礼的なものとされていたからである。恋する男女にとっては、相手と離れることは悲しいことである。しかし当時はそう簡単に男女が逢ったりできるものではなかったので、お互いに恋しく苦しい思いをしていた。それも、相思相愛の場合はまだよく、まだ見ぬ人や人目見ただけの人を思ったり、相手の愛がいつしか薄れていったりする片恋の場合は、何ともしようがなかった。社会のさまざまな障害や、片思いによってもがきあがかなければならなかった男女が、藁をもつかむ気持ちで一喜一憂してついて頼ったもの、あるいは頼ろうとしたもの、それが呪術であった。万葉人の呪術は千差万別で、恋人同士は逢うためにさまざまな呪術を行なった。その中..]]></description>

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			<title><![CDATA[万葉から古今へ　創作の誕生]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/704/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 03 Jul 2005 20:34:08 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/704/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/704/thmb.jpg?s=s&r=1120390448&t=n" border="0"></a><br /><br />　古今和歌集の仮名序を見て、わたしはふと考えた。万葉集から約百五十年後のそれは、随分とことばへのこだわりが変わり始めているように感じるのである。それまで生活の中で神のものと考えられていたことばが、人々の目線の位置に下がってくるどころか、ある[360]<br />「万葉から古今へ　創作の誕生」
　ことばとは魂である。ことばそのものに神々の力が宿り、口にすれば実現する。それが言霊というものであった。
「しき島のやまとの国は事霊のたすくる国ぞまさきくありこそ」（柿本人麻呂　万葉集 13.3254）
　日本の国は言霊が人を助ける国なので本当の幸せとなる、という意味である。万葉集で柿本人麻呂が詠んだように、古代の日本人は言霊というものを信じ、その言霊の力が人間よりも遥か上の存在として扱っていたのである。現代のわたしたちにとって、この考え方はあまり身近なものではないだろう。特に文学に傾倒しているわけではない人々ならば余計だ。そういった人々にとってことばというものは、コミュニケーションの道具のひとつにしか過ぎない。しかし古代の日本人は「雨よ降れ」とことばにし、そのことばに神々の力が宿り、日照り続きの日々に雨が実際に降ると考え、呪いのことばなども安易に口にはしなかったという。それらはことばには神の力が宿り、口にしたならば実現するという考えであったからだ。この考えは既に現代日本において消え去っているように感じるが、忌み言葉という縁起の悪い言葉を使うと不幸な事態..]]></description>

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			<title><![CDATA[万葉集・神話と逢い引き]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/509/]]></link>
			<author><![CDATA[ by cold666]]></author>
			<category><![CDATA[cold666の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 21 Jun 2005 19:26:11 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432354801@hc05/509/" target="_blank"><img src="/docs/983432354801@hc05/509/thmb.jpg?s=s&r=1119349571&t=n" border="0"></a><br /><br />　広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ[360]<br />　万葉集・神話と逢い引き
　広く諸外国の古典文学などに各々の神話や宗教的要素がしばしば見られるように、万葉集にもまた日本の神話が大きく影響しているようだ。それは作品そのものに神が登場するというものではない。人々の生活の中に当然として神話の存在が反映され、それらが歌へ反映することで分かるのである。中でも注目したのは、恋愛である。
　恋愛を歌うものを読んでいく上で気付くのは、やたらと逢い引きにおいて人目を憚り、夜になると男が愛しい人の元へ出かけることである。万葉集の時代、結婚とは主に妻の元を夫が訪れるという形式「通い婚」であった。何故このような形式が取られたのだろうか。
　（あ）「朝去きて夕は来ます君ゆゑに　ゆゆしくも吾は嘆きつるかも」（巻十二より）
　この歌から分かるように、男は朝去り、夜訪れる。逢い引きをするのは夜に限るという当時の習慣が窺える。またそれだけではなく、この（あ）にある「ゆゆしい」からどうやら神話の関係が窺えるのである。「ゆゆしい」とは、広辞苑によれば「神聖であるから触れてはならない」、また、「忌まわしい、不吉」という意味である。
　他の歌を見てみても逢い引きはほぼ決まっ..]]></description>

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