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		<title>タグ“ロシア”の公開資料</title>
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		<description>タグ“ロシア”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

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			<title><![CDATA[中央大学通信過程2021年国際政治史第1課題[評価B]]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yeah-プロフも見てね☆]]></author>
			<category><![CDATA[yeah-プロフも見てね☆の資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 14:30:12 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/923971872316@hc20/146194/" target="_blank"><img src="/docs/923971872316@hc20/146194/thmb.jpg?s=s&r=1634967012&t=n" border="0"></a><br /><br />中央大学法学部通信教育課程 
Word用レポート原稿用紙（ダウンロード用） 
1 / 4 
202105-1 
1.列強による国際秩序 
経済面では、17-18 世紀の産業革命により大きく経済成長を遂げた大国が、次第にその
経済圏を拡大した。19 世紀後半には原料の供給地の確保や製品を独占的に販売する新規市
場として植民地の獲得に動く帝国主義が興った。 
欧州の秩序は、フランス革命により絶対王政が崩れたフランスに周囲の国々が危機感を
覚えたことから、19 世紀初めのウィーン会議で各国の王による昔ながらの支配体制である
正統主義を中心に国際秩序を保つことを決めた。中心となったのがイギリス、フランス、
ロシア、プロイセン、オーストリアである。このウィーン体制は 19 世紀後半には機能しな
くなるが、これらの列強が欧州の秩序を守るという体制はまだ残っていた。 
2.ビスマルク体制の崩壊 
小国家・地域に分裂していた国々をまとめ、ドイツ帝国という国民国家形成に向けてナ
ショナリズム高揚をはかるため、プロイセンはフランスに戦争を仕掛けた（1870）。これに
勝利した後、フランスからの報復を回避す..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシア・ユーラシア文化入門1　期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149246/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 05 Aug 2022 15:23:07 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149246/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/149246/thmb.jpg?s=s&r=1659680587&t=n" border="0"></a><br /><br />上智大学開講科目、ロシア・ユーラシア文化入門１の期末レポートです。スラヴ語、特にロシア語の位置づけとその特徴について論じています。[195]<br />ロシア・ユーラシア文化入門1
期末レポート

スラヴ語とロシア語

　私はこの期末レポートのテーマとして「ロシア語」を取り上げようと思う。その中でも私はロシア語の位置づけ、すなわちロシア語が世界の言語と比較してどのような言語なのかという点に関して考察したい。授業内では、「現代ロシア語形成史概説（１）」のスライド、pp.4-8にある他のスラヴ語との比較の箇所を扱ったので、そこを掘り下げていきたい。
　前提として、ロシア語はインド・ヨーロッパ語族のバルト・スラヴ語派、東スラヴ語群に所属している。ロシア語と同様の東スラヴ語には、他にウクライナ語、ベラルーシ語がある。一方、西スラヴ語には、チェコ語、ポーランド語、スロヴァキア語があり、南スラヴ語には、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語などがある。私はここで、スラヴ語が他のインド・ヨーロッパ語族の言語と異なる点はどういうところにあるのかということに関して興味を持ち、ロシア語に重きを置きながらリサーチした。
　まず、文法の面である。一つ目に、スラヴ語は「格」を持っているという点がある。例えば、ロシア語は主格、生格、与格、対格、造格、前置格がある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシア・ユーラシア地域研究入門１　期末レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149208/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 Jul 2022 21:57:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149208/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/149208/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/149208/thmb.jpg?s=s&r=1659185853&t=n" border="0"></a><br /><br />上智大学の開講科目「ロシア・ユーラシア地域研究入門１」の期末レポートです。
テーマは以下の通りです。
（1）ロシアが家産制国家から「近代国家」へと変貌するなかで、領土が拡張されていったのは、必然だったのだろうか。それとも、偶然（直接の因[350]<br />ロシア・ユーラシア地域研究入門１

（１）ロシアが家産制国家から「近代国家」へと変貌するなかで、領土が拡張されていったのは、必然だったのだろうか。それとも、偶然（直接の因果関係はなかった）のだろうか。あなたの見解を明示するとともに、その理由を論述しなさい。

　私は、ロシアが家産制国家から近代国家へと変貌するなかで、領土が拡張されていったのは必然だったと考える。私は、ロシアを地政学的な観点から見ていくとロシアには領土拡大が重要であることが分かると考える。そもそも「家産制国家」とは、国家の領土、国民などが国王やそれに準ずる位の人物の所有物のような感覚になっている国家を指す。このような家産制国家の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシアの歴史を知るための50章]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147730/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 05 Mar 2022 15:44:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147730/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147730/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147730/thmb.jpg?s=s&r=1646462686&t=n" border="0"></a><br /><br />課題図書として提示された書籍の要約をまとめたものです。ロシアの歴史について勉強する際にまとめノートとして活用していただけると幸いです。書誌データは以下の通りです。
下斗米伸夫『ロシアの歴史を知るための50章』（明石書店、2016年）[335]<br />ロシアの歴史を知るための50章

一章
１キエフ・ルーシの時代
・ルーシはフィン・ウゴル系の人々と共住し、七世紀から八世紀に形成
862年リューリクがキエフ・ルーシを建設。当初はヴァイキングの文化と言葉（古ノルド語）を保持していたが、のちにスラヴ人と同化してそれを自分たちの文化だと意識。
氏族的な原理
・キエフを中心にたくさんの諸侯があった。その諸侯が対立し、スーズダリ（北東ルーシ）が独立。
ルーシという外来の勢力が東スラヴに定着し、氏族的な（血縁集団）原理によって諸侯が対立し、「ルーシ」意識が薄れて国家としての統一がなくなる。
正教キリスト教
ウラジーミル1世がビザンツ皇女と結婚し、正教を国教にする。
&rarr;ビザンツ文化を引き継ぐ（ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語はキリル文字）

２タタールのくびき（1238‐1480）
・モンゴルへの定期的な貢納、軍役、使役の提供を強制される
・東からはモンゴルが、西からはリトアニアが攻めてきたため、キエフ時代の統一感は失われた。この影響がのちに、政治体制や文化、社会を独自に変えて、ロシア、ウクライナ、ベラルーシという民族ができた。&rarr;モンゴルの文化を強いられることはなかった。
・ルーシ諸侯を通じて統治する間接統治
多くのシステムを学び、交通、財政など様々な分野においてテュルク語が残っている（マガジン、ジンギなど）
・「ロシア人を一皮剝けば（むけば）タタール人が出てくる」&rarr;アジア的要素はコンプレックス
・モンゴルのおかげで東西に長い国家ができた。多様性の許容。

３モスコーヴィア（モスクワ大公国）の台頭
・リューリク朝が断絶した後、ロマノフ朝に引き継がれた。
〇モスクワvsトヴェーリ&times;
・1453にビザンツが滅び、唯一の正教国家に。
・「モスクワは第三のローマ」
&rarr;一気に諸侯に勝ったモスクワがヨーロッパの大国として躍り出た。ローマとコンスタンティノープルはもう死んでいるから一番！

４大荒廃と動乱（スムータ）の時代
・大公は神の意思に基づいているので逆らってはいけない（王権神授説っぽい⁉）
イヴァン三世、ヴァシーリー三世、イヴァン四世（雷帝）が最盛期
イヴァン雷帝は後半、リヴォニア戦争やテロル、飢餓、疫病の混乱があった&rarr;大荒廃時代
・ボリス・ゴデュノフ&rarr;モスクワに総主教座を設置（ツァーリ専制の完成）

５ニーコンと古儀式派
ル..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[バルト三国における言語政策]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147653/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Mar 2022 12:35:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147653/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147653/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147653/thmb.jpg?s=s&r=1646105717&t=n" border="0"></a><br /><br />ゼミ論文です。評価はAです。バルト三国の言語政策についてだけでなく、言語がなぜ重要なのかという点や旧ソ連圏の言語状況にも触れています。目次は以下の通りです。
目次：
概要
はじめに
1.言語保存の重要性
2.ロシア・ユーラシア地域[330]<br />ゼミ論文
バルト三国における言語政策～旧ソ連諸国と比較して～
目次：
概要
はじめに
1.言語保存の重要性
2.ロシア・ユーラシア地域における言語状況
2-1-1帝政時代
2-1-2ソ連時代
2-2-1ウクライナ
2-2-2ベラルーシ
2-2-3モルドバ
2-2-4 中央アジア
2-2-5 カフカス
3.バルト三国における言語政策
3-1エストニア
3-2ラトビア
3-3リトアニア
おわりに

概要：
　私たちは普段「ことば」を使って人と人とのコミュニケーションをしている。言語とは、「文化」を構成する重要な要素である。例えば、ロシアは多民族国家であり、様々な民族が存在している。その中にはスラヴ系の民族の他に、アジア系の民族などがいる。しかし、ロシア人はロシアという国家よりもロシア語と同様のインド・ヨーロッパ語族、スラヴ語派であるチェコ人などの東欧諸国との結びつきを大切にしている。このように、言語は人々の距離を近づかせる媒体である。しかし、世界には多くの言語や方言が存在する一方で、徐々に言語が消滅していっている。私はこの論文で、歴史的背景や言語政策からどのようにして言語が排除されていったのかを検証し、ロシア・ユーラシア地域、特にバルト三国において、他の地域と比較しながら言語の保存のためにどのようなことをしているのかを考察していきたい。
　調べていく過程で、ロシアにおける言語政策や状況が他の地域と異なることが予想される。そのために、どのような方法で言語の消滅を防いでいたのか、また現在どのような取り組みを行っているかを考察出来たらいいと思っている。
　この論文を執筆することで、ロシア・ユーラシア地域だけではなく世界における言語状況を把握することができ、他の地域での言語の保存活動に適用することができると考える。

（本文）
はじめに
　世界にはどのくらいの言語が存在するのだろうか。この問いには、およそ6000～7000もの言語が存在しているとされている。しかし、学者によってその回答は異なる。その理由の一つに「言語」と「方言」の違いがある。例えば、日本でも津軽弁など東北の方言は通じにくかったり、沖縄の言葉である「琉球語」はいまだに「方言」なのか「言語」なのかということに関して論争があったりする。また、世界に目を向けてみると、旧ユーゴスラヴィアでは「セルビア・クロアチア語」..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ウクライナ危機　ブックレポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147652/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 01 Mar 2022 12:22:52 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147652/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147652/thmb.jpg?s=s&r=1646104972&t=n" border="0"></a><br /><br />ウクライナ危機に関するブックレポートです。評価はAです。以下の３つの文献を比較して執筆しました。
①	パスカル・マルシャン（2017）『地図で見るロシアハンドブック』原書房
②	保坂三四郎（2016）「ウクライナにおける地域ファクターと[330]<br />ゼミ　ブックレポート

1.	序論
　私はゼミ論文のテーマとして「クリミアにおける平和構築」を選択した。そのために、まずはクリミアでどのようなことが過去に起こったのかを知る必要があると考えた。しかし、現段階ではクリミアに特化した歴史の本を入手することが困難だったため、歴史などを記述してある本の中から重要なところを抜粋し、他の書籍も参考にしながらこのブックレポートを執筆するつもりである。次に、クリミアで起こった出来事の概要について詳しく調べる必要があると考えた。そのために、2014年にウクライナで起こったユーロマイダン革命についての論文を参考にして書こうと思っている。そして、私の論文のテーマであるクリミアでは、いまだに問題が解決しておらず、平和構築のためにはなぜ解決しないのかという分析が必要である。そのために、ウクライナ危機が終わらない理由について書かれた記事を参考にしようと思う。このブックレポートでは、本の要約をした後に、それぞれの文献を比較しながら自分の考察を展開させていく。使用する文献は以下の通りである。

①	パスカル・マルシャン（2017）『地図で見るロシアハンドブック』原書房..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係論レポート]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147637/]]></link>
			<author><![CDATA[ by rurunya]]></author>
			<category><![CDATA[rurunyaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 28 Feb 2022 17:54:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147637/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/918829665482@hc22/147637/" target="_blank"><img src="/docs/918829665482@hc22/147637/thmb.jpg?s=s&r=1646038474&t=n" border="0"></a><br /><br />国際関係論のレポートです。評価はAです。ロシアとウクライナの対立について論じています。[127]<br />ロシアとウクライナの対立～クリミア編入を巡って～

ソ連崩壊後の旧ソ連圏
　1991年にソ連が崩壊した後、ロシアとウクライナの間では様々な要因において緊張関係にあった。旧ソ連圏の国では、ソ連崩壊後にロシア寄りのパートナーシップかEU寄りのパートナーシップのどちらに加盟するかということを選択する必要があった。例えば、バルト三国は2004年にEUに同時加盟し、ユーロも導入している。ウクライナは、ソ連崩壊直後に独立国家共同体（CIS）にロシア、ベラルーシとともに加盟したが、2014年に脱退している。この背景にはいったい何があったのだろうか。私はこの原因として、ウクライナ国内でEU寄りかロシア寄りかと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[人間文化基礎論　エカチェリーナ二世時代の政治構造]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953058467948@hc11/134940/]]></link>
			<author><![CDATA[ by TomoeShike]]></author>
			<category><![CDATA[TomoeShikeの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Aug 2018 21:25:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953058467948@hc11/134940/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953058467948@hc11/134940/" target="_blank"><img src="/docs/953058467948@hc11/134940/thmb.jpg?s=s&r=1534076724&t=n" border="0"></a><br /><br />人間文化基礎論のレポートです。Ａ評価頂いています。[75]<br />1 
人間文化基礎論Ⅱ レポート 
「エカチェリーナ二世時代の政治構造」 
１ はじめに 
私がロシアのエカチェリーナ二世について調べてみようと思ったきっかけ
は参考文献の一覧表にエカチェリーナ二世（エカテリーナ二世となっているが、私
は高校生の頃エカチェリーナ二世と習ったのでこの表記をする癖がついてしまっ
ている）と書かれていたのを見て、高校生頃、エカチェリーナ二世はかの有名な
1772 年のポーランド分割を行った一員の人であるにもかかわらず実はロシア人で
はない、と先生が言っていたのを思い出し、何故ロシア人でないのにロシアの女帝
になれたのか疑問に思ったからである。以下「参考文献①、②」の表記は７の参考
文献の①、②のことである。 
２ エカチェリーナ二世の前の時代 
エカチェリーナ二世はロマノフ朝の皇帝の 1 人である。ロマノフ家初代ミ
ハイル、アレクセイなどの後、１７世紀末の１６８９年 8 月事件以降、ピョートル
一世（大帝）の改革期が始まる。ピョートル一世は戦争好きであり、大北方戦争に
参加し、最初は劣勢であったが、最終的にはイングリア、エストニア、リヴォニア、
カレリアの一部の広大な地域を手にいれ、バルト海の出口を確保した。この裏には
国内の軍事･税制改革があった。また、外国を見た際、いかにロシアが遅れをとっ
ているかを痛感し、工業化や外国貿易、行政、協会改革も行った。ピョートル改革
の歴史的意義は「大帝本人の意志による改革」、「近代化政策が著しい成果をもたら
したこと」、「国際的地位の上昇」であった。ピョートルの死後、貴族の思惑によっ
てピョートル妃＝女帝エカチェリーナが即位、その後ピョートル二世、アンナ、が
帝位についたがピョートル大帝没後、強力な指導者が居なかった。アンナ没後、即
位したピョートル大帝の実の娘女帝エリザヴェータは外国人偏重の弊害から「能力
のあるロシア人の登用を重視」した。この人の後をついだのが甥のピョートル三世
であるがこの妃であったのが女帝エカチェリーナ二世であった。 
（参考①） 
2 
３ エカチェリーナ二世の生い立ち、女帝になるまで 
エカチェリーナ二世は、母方は北ドイツの数多くの公爵家系の一つである
オルシュタイン･ゴットルプ公爵家に属し、父方はその地方の数多くある他の領主
のアンハルト･ツュルプトイ家に属していた。..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[変法運動]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/123952/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ojyaru0903]]></author>
			<category><![CDATA[ojyaru0903の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 15 Mar 2016 16:37:58 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/123952/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/940539099328@hc15/123952/" target="_blank"><img src="/docs/940539099328@hc15/123952/thmb.jpg?s=s&r=1458027478&t=n" border="0"></a><br /><br />Q0102　R0106東洋の歴史６パターン中
次の事項から一つを選択し、歴史的解説をせよ。ただし、選択した項目のみ転記する事。
①儒学・②安史の乱・③変法運動・④革命運動

このうち変法運動についてまとめました。
それ以外の問題は[320]<br />次の事項から一つ選択し、歴史的な解説をせよ。ただし選択した項目のみ転記すること。
儒学（２）安史の乱（３）変法運動（４）革命運動
　日清戦争終結の直前、１８９５年４月康有為は、同じく科挙を受験していた受験生１２００名に対日講和反対・遷都・変法を要請する意見書を光緒帝に提出した。請願は脚下されたたが、康有為はその後も上書を続けて変法の献策を行った。彼の目指す変法はロシアのピーター大帝と明治維新をモデルとし、崩壊しつつある専制体制を立憲君主体制に改め、富国強兵をあげて近代的な国家として再生することにあった。康有為や梁啓超らは、変法運動を推進する為、学会を組織したり、「中外紀聞」等の新聞・雑誌を刊行..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[中央大学 2009年度 歴史(日本史) 第四課題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nnncap]]></author>
			<category><![CDATA[nnncapの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 17:43:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/948219509622@hc12/102540/" target="_blank"><img src="/docs/948219509622@hc12/102540/thmb.jpg?s=s&r=1365928996&t=n" border="0"></a><br /><br />評価：B[10]<br />2009年度 歴史(日本史)第四課題
幕末の「開国」について説明しなさい。
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻編成の蒸気船で浦賀に来航し、幕府に対して開国を求めた。「泰平の眠りをさます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」というペリー来航の際に詠まれた狂歌でもある通り、上は幕閣から下は庶民に至るまで、江戸は周章狼狽する。そこで、鎖国から開国までの江戸幕府の対外政策および開港後の国内情勢について考察する。
　徳川家光時代、長崎、松前、薩摩、対馬の四か所で清国、朝鮮、琉球、オランダと貿易を行っていた。以前はポルトガル、スペイン、イギリスの三カ国とも貿易をしていたが、キリスト教宣教師や信者の布教活動によって仏教との摩擦が発生したことにより、貿易を禁止し、鎖国体制が確立した。それ以来、欧米諸国で唯一オランダと貿易することとなった。
　18世紀後半に欧米諸国で産業革命、市民社会の成長などが発達され、世界規模で植民地争奪戦が行われた。イギリスはインドの植民地化に成功し、ロシアはシベリア開発、アメリカは西部開拓により、勢力は東アジアにまでおよぶようになり、ロシアイギリス船が日本の沿岸に姿を現すように..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日大、通信、自然地理学概論合格原稿、①成帯性土壌②ユーラシア大陸森林帯特徴、合格　科目コード0977]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952490528862@hc11/89220/]]></link>
			<author><![CDATA[ by けいたん]]></author>
			<category><![CDATA[けいたんの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 06 Jan 2012 11:14:39 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952490528862@hc11/89220/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952490528862@hc11/89220/" target="_blank"><img src="/docs/952490528862@hc11/89220/thmb.jpg?s=s&r=1325816079&t=n" border="0"></a><br /><br />日本大学通信自然地理学概論合格しています。（科目コード0977）
自然地理学概論　分冊２
１　成帯性土壌を一つ上げ基礎的土壌生成作用との・・・・・
２　ユーラシア大陸における・・・・・[262]<br />成帯性土壌とは、気候・植生帯の影響を強く受けて生成した土壌であり、気候型土壌ともいわれる。その中の一つであるポドゾール性土壌について次のように述べる。
ポドゾールの名はロシア語でポド＝下、ゾーラ＝灰を意味し、灰色の土層を持つ土に対しロシア農民が用いた呼称に由来する。湿潤亜寒帯のタイガ地帯に分布するポドゾール性土壌では、針葉樹林下で、比較的砂質の母材から生成する。土壌に供給される有機物が塩基に乏しい状態で分解され、微生物の作用でフルボ酸に富む腐食が大量に生成し、無機成分と反応して複合体ができる。この土壌ではアルカリやアルカリ土類のフルボ酸塩がまず溶脱されやすく、ついで鉄・アルミナのフルボ酸塩が移動する。この結果、針葉樹の葉積層（Ao層）の下に強く洗脱を受けた塩基、鉄、アルミナなどが溶脱された漂白層（A2層）ができる。下方に移動した鉄・アルミナのフルボ酸塩はA２層の下に沈殿して集積層(Bi、Bh)をつくる。この層は黒い鉄さび色を示し、しばしば固い層を形成する。集積層が固い盤をなしている場合をオルトシュタインという。また、地下水位が高く、周期的に上下に移動する場合は、鉄の還元酸化現象が加わっ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[鼻ゴーゴリ平井肇訳]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82764/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Elisha]]></author>
			<category><![CDATA[Elishaの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Jul 2011 00:14:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82764/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/952516557140@hc11/82764/" target="_blank"><img src="/docs/952516557140@hc11/82764/thmb.jpg?s=s&r=1309446846&t=n" border="0"></a><br /><br />鼻　ゴーゴリ　平井肇訳
ゴーゴリの鼻の読んだ結果、僕の二つの考察を以下に述べる。
一つ目は、鼻が独り歩きするというとてもユニークなストーリーについてである。僕はまず読んだときに、自分の体の一部が身体から離れて独立する、こんなことをよく考えついたものだなと感じた。しかし、ロシア人にとってこのような発想は実は予想外ではないのではないかという考えを持った。その根拠として、例えば英語の表現に&rdquo;I kiss her on the lip.&rdquo;という文章がある。これは「私は彼女の唇にキスをする」という意味だが、日本人の僕らはこの日本語を英訳するとき、よく&rdquo;I kiss her lips&rdquo;とし、&rdquo;on the..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[検察官 検察官]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82230/]]></link>
			<author><![CDATA[ by madoka0710]]></author>
			<category><![CDATA[madoka0710の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 10 Jun 2011 15:21:46 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82230/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958553359470@hc09/82230/" target="_blank"><img src="/docs/958553359470@hc09/82230/thmb.jpg?s=s&r=1307686906&t=n" border="0"></a><br /><br />検察官【薯】検察官[27]<br />ロシアの首都ペテルブルグから離れたとある市の市長の部屋で，市長が、ある筋から、この市に近々「検察官」が査察に来るという情報が入ったということを、そこに集まった市の要人達に説明する。
その、市の要人達である市長、慈善病院長、郵便局長、判事、教育委員長たちは、検察官の査察の話を聞いて、自分達の悪行や職務怠慢がばれて，処罰されるのではないかと気が気でない。
そんな彼らは、市の地主であるボープチンスキーとドープキンスキーが検察官と思い込んだ男に半信半疑で会いに行く。
その男は、旅館で料金を払えずに四苦八苦しているフレスタコーフだった。
そのときの、フレスタコーフの話は、検察官という地位とは関係のないものであったが、なぜか検察官と思い込む。
各界の「名士」であり、教養や社会経験もある彼らではあったが、フレスタコーフが「検察官」であると誤解し、自分達の保身のために金を渡すことを決め、それぞれが賄賂をフレスタコーフに差し出す。
ゴーゴリが、本作品を書き上げた時期は、ロシアでは官僚主義が横行していた時と重なる。
この官僚主義を痛烈に批判した内容である。
官僚等の強い権力をもった者に不正なことを頼むとき..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシア演劇の変貌]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78698/]]></link>
			<author><![CDATA[ by alen]]></author>
			<category><![CDATA[alenの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 06 Feb 2011 16:03:38 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/953905014038@hc11/78698/" target="_blank"><img src="/docs/953905014038@hc11/78698/thmb.jpg?s=s&r=1296975818&t=n" border="0"></a><br /><br />西洋演劇のレポート。ロシア演劇の変貌について。[69]<br />ロシア演劇の変貌
　演劇は、社会を映し出すと言われます。社会を何らかのかたちで表象しているのです。演劇が社会的、ポリス的であるとされる所以はそこにあるのでしょう。つまり、時代が移りかわれば演劇も変貌を遂げるのです。では、どのように時代の影響を受け、演劇は変化してきたのでしょうか。また、国内で重要な発展を遂げた芸術はどうのようにして世界に影響を及ぼしていったのでしょうか。活気溢れていた２０世紀のロシアの演劇について考えてみます。
２０世紀の世界演劇は、二回の世界大戦によって三分されます。背景には、資本主義、マルクス主義、社会主義、民主主義、ナショナリズム、キリスト教などがあります。そして、これらがこの時代の演劇に大きな影響を与えました。
２０世紀前半のロシアは、舞台芸術の世界において新時代を切り開きました。また、世界の演劇、ひいてはエンターテイメント界に影響を及ぼしました。
それでは、少し遡ってドシア芸術を見てみます。１９世紀後半から２０世紀初頭にかけて、ロシアは変動の時代を迎えていました。資本主義への移行によって、商売をして財を得た実業家など、新たな富裕層が貴族にか..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[小説ノート11]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67852/]]></link>
			<author><![CDATA[ by left]]></author>
			<category><![CDATA[leftの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 22 May 2010 16:45:38 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67852/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/962877421286@hc08/67852/" target="_blank"><img src="/docs/962877421286@hc08/67852/thmb.jpg?s=s&r=1274514338&t=n" border="0"></a><br /><br />死神の精度 2009年02月23日 伊坂 幸太郎 でも、たとえば、自分と相手が同じことを考えたり、同じことを口走ったりするのって、幸せじゃないですか」 「同じことを？」何だそれは。 「たとえば、同じものを食べた後で同じ感想を持ったり、好きな映画が一緒であったり、同じことで不愉快さを感じたり、そういうのって単純に、幸せですよね」 「幸せか？」 「大きく言ってしまえば、そういうのは全部、恋愛の範疇じゃないかって、僕は思うんですよ」 「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ」 人間は、何を見ても人生と結びつけるのだ。 「ここはよ、川の上流、スタート地点だろ。それがこの滝だ。ここは派手だし、人も多いじゃねえか。それってよ、俺たちが生まれた時と似てねえか？俺たちも生まれた時はよ、こんなんだったんだろ？お祭り騒ぎでさ、人にも注目されてよ。みんなに喜ばれて。でも、それがどんどん流れていくうちに、今見てきたみてえな、地味で、ゆらゆら流れているだけになっちまう。何か、似てねえか？」 「たとえばさ、太陽が空にあるのは当たり前のことで、特別なものではないよね。でも、太陽は大事でしょ。死ぬ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 難関国立大卒、マスコミ勤務]]></author>
			<category><![CDATA[難関国立大卒、マスコミ勤務の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 May 2010 01:36:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/957001582434@hc10/67562/" target="_blank"><img src="/docs/957001582434@hc10/67562/thmb.jpg?s=s&r=1274286968&t=n" border="0"></a><br /><br />有名国立大生の学部レポート。
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について[113]<br />ロシア文化特殊講義　レポート
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について
　　　　　　　　　　　　　　　
タルコフスキー作品に見るロシアの民族性について
　１、自由の渇望
　タルコフスキーは、１９３２年生まれで、生涯に８本の作品を撮った。「僕の村は戦場だった(1962)」「アンドレイ・ルブリョフ(1967)」「惑星ソラリス(1972)」「鏡(1975)」「ストーカー(1979)」「ノスタルジア(1983)」「サクリファイス(1986)」。全作品の背景を貫く体制拒絶性、宗教性、独自の難解な構成などで、ソ連当局、国家映画省からきびしい批判を受けた。
　１９６７年の『アンドレイ・ルブリョフ』は、イコン画家の伝記である。しかし、その内容が、「反ソ的・反歴史的・反愛国的映画」とレッテルを貼られ、批判にさらされ、５年間公開されず、映画製作もその後６年間禁止された。１９７５年の『鏡』は、その構成は、抽象的・難解といえるものだったが、ソ連当局は、『アンドレイ・ルブリョフ』に続いて、これもきびしく批判し統制した。しかし、タルコフスキーは、単純にスターリン・体制批判という政治的意図に基づいて製作したと..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシア人がみた日本―ピリニャーク『日本印象記』にみる「性」の比較―]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67177/]]></link>
			<author><![CDATA[ by spoon]]></author>
			<category><![CDATA[spoonの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 May 2010 17:54:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67177/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956085710987@hc10/67177/" target="_blank"><img src="/docs/956085710987@hc10/67177/thmb.jpg?s=s&r=1273827299&t=n" border="0"></a><br /><br />ロシア人がみた日本
―ピリニャーク『日本印象記』にみる「性」の比較―
≪はじめに≫
日本とロシアとの交流が一旦途絶えた後に正式に回復したのは、1925年に日ソ基本条約が締結されてからのことである。その翌年、作家ピリニャークが来日し、2ヶ月間日本に滞在した。その時の日本の様子を綴った記録が『日本印象記―日本の太陽の根帯―』だ。この著作には、日本の文字、火山、芸術、日本人のしぐさ、労働力などが彼の視点から描かれている。とりわけ日本の「性」については記述が多く、日本の「性」に彼が非常に興味を持ったことが窺える。
本論では、『日本印象記』の中の「五　吉原、華魁、芸者」の内容を中心に、ピリニャークが日本で見た「性」と、ロシアを含むヨーロッパのそれとを比較し、日本のヨーロッパ化を論じる。（カッコ内のページ数は『日本印象記』のものである。）
　
≪１．日常と共存する色街≫
　ピリニャークは、自国のほか、ヨーロッパ各都市、上海などの女朗屋や魔窟へ行ったことがあると記している。そして、その女朗屋や魔窟はどこでも同じようなもので、人間の秘する事や、ヨーロッパの不名誉だと思われている全てを遺憾なく暴露してい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシアの国内情勢と日露戦争]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62482/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vanilla-moka]]></author>
			<category><![CDATA[vanilla-mokaの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 22:22:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62482/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961749897736@hc08/62482/" target="_blank"><img src="/docs/961749897736@hc08/62482/thmb.jpg?s=s&r=1264339369&t=n" border="0"></a><br /><br />日露戦争がロシア革命に及ぼした影響
　我々日本とロシアとの関係の中で歴史上最も大きかったのは、日露戦争であると思う。今回は、いつも日本側の視点から見ているこの日露戦争を、ロシア側の視点から見てみたい。また日露戦争時の国民の思想・行動などのロシアの当時の社会状況から、その社会のエネルギーが後のロシア革命にどのような影響を及ぼしたのかを考えたいと思う。
○日露戦争前のロシアの社会状況
２０世紀初頭のロシアは、恐慌に見舞われ、それまで続いてきた高成長がストップしてしまう。その中で学生運動が盛んになり、運動を起こした学生らが退学・懲罰徴兵などの処分を受けることになった。この処罰を受けて文化人たちの反対運動が高まる。また文学者であるトルストイが宗務院から破門され、人々の怒りが拡大していく。このような国民の運動の爆発に応じて革命的知識人たちは組織の整備を行った。そこで登場してきたのがエスエル党や社会民主党である。この２つの党は革命を呼びかけた。社会民主党はレーニン率いる多数派ポリシェヴィキとマルトフ率いる少数派メンシュヴィキに分裂し、中央委員会と編集局として活動していくことになる。このように革命に..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Conflict Resolution]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/62356/]]></link>
			<author><![CDATA[ by LaDyBug]]></author>
			<category><![CDATA[LaDyBugの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 02:48:24 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/62356/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/62356/" target="_blank"><img src="/docs/983430668001@hc06/62356/thmb.jpg?s=s&r=1264182504&t=n" border="0"></a><br /><br />グルジア内戦を焦点に、紛争解決へ向けての国連のありかた、コミュニティー・リハビリテーションの大切さを検証した。（英文レポート）[189]<br />Moving Forward:
Political Resolution and Community Reconciliation in Abkhazia
Conflicts and Conflict Resolution in the Caucasus
Introduction:　
In August 2008, Georgia&rsquo;s name became center of breaking news broadcasted all around the world, reporting eruption of the violence between Georgia and Russia. The conflict was pertaining to secessionist states within Georgia, called South Ossetia and Abkhazia. I remember when I saw the news, first question came to my mind was &quot;Why did Russia send troops i..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[Chechen Russia War]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/33159/]]></link>
			<author><![CDATA[ by LaDyBug]]></author>
			<category><![CDATA[LaDyBugの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 07 Jan 2009 01:29:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/33159/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430668001@hc06/33159/" target="_blank"><img src="/docs/983430668001@hc06/33159/thmb.jpg?s=s&r=1231259375&t=n" border="0"></a><br /><br />Triggering Factors in the second Russian-Chechen Conflict in 1999
Michael Brown demonstrated in his article, The Causes [120]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響　(外交史　分冊１）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958851864720@hc09/53965/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＡＹＡＭＩＮ]]></author>
			<category><![CDATA[ＡＹＡＭＩＮの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 20 Aug 2009 04:17:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958851864720@hc09/53965/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958851864720@hc09/53965/" target="_blank"><img src="/docs/958851864720@hc09/53965/thmb.jpg?s=s&r=1250709443&t=n" border="0"></a><br /><br />日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響
日露戦争は、1904年から1905年にかけて大日本帝国とロシア帝国が、朝鮮半島と満州(現在の中国東北部)を主戦場として戦った領土獲得戦争である。
この当時の世界は、{帝国主義の時代}で、軍[328]<br />日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響
日露戦争は、1904年から1905年にかけて大日本帝国とロシア帝国が、朝鮮半島と満州(現在の中国東北部)を主戦場として戦った領土獲得戦争である。
この当時の世界は、{帝国主義の時代}で、軍隊や経済の力で他国や異文明を破壊し、植民地支配することがごく当たり前のように行われていた。(力こそがすべて)
そして、もっとも残酷に帝国主義を推進していたのが、白色人種のヨーロッパだった。
日本は、19世紀終盤頃まで260年もの間、鎖国していたこともあり、帝国主義の魔の手から逃れていたのだが、アメリカやロシアが強大な武力を背景にして開国を迫ると、安住していられなくなった。
そして開国した日本に待っていたのは究極の選択であり、白人の植民地になるか、又は黄色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかであった。そして、日本が選んだのは後者の方であり、その過程で日清戦争と日露戦争が起きたのである。
日清戦争も日露戦争も｢朝鮮半島の帰属問題｣が重要な焦点だったが、日清戦争で日本が勝利し、朝鮮半島が日本の保護領になったことから、ロシア、ドイツ、フランスが日本政府にねじ込ん..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[平和政策から見る冷戦後の世界情勢]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 12 Jan 2010 15:16:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/61824/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/61824/thmb.jpg?s=s&r=1263276968&t=n" border="0"></a><br /><br />平和政策から見る冷戦後の世界情勢
　大芝亮編『平和政策』について評判し、紹介している。以下のような本書の要約と評価について書かせている。
　第1部の国際紛争についてどういうふうに捉えるのかについて、総数5章の中で、リアリズム（現実主義）、リベラリズム（理想主義）の構造、冷戦後の紛争から捉え、こうした紛争構造を深く取り入れ、アイデンティティからの政治的問題、文明との衝突、グローバリゼーションの拡大による新しい紛争構造の形成である。
　また、紛争の予防するための国際法、国際組織の取り組み、特に国際連盟の失敗から国際連合の形成まで、国連による平和維持するための活動について深く議論していた。地域機構の再登場、国連のような大きな組織から細分化され、各地域機構による平和維持と協力体制を行った。所謂、欧州モデルの脱却し、地域的にアプローチを成り立った。
　そのため、新しい経済組織の構想も生み出し、各国間も自由貿易を通じて平和活動を行ったが、冷戦期の封じ込め政策による南北問題も取り入れ、自由貿易、経済発展による政治民主化、平和政策への道を進めたとはいえ、新たの問題にもなり、国の内部の政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[延辺朝鮮族自治州]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yamakou]]></author>
			<category><![CDATA[yamakouの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Dec 2009 00:49:19 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429521201@hc06/60854/" target="_blank"><img src="/docs/983429521201@hc06/60854/thmb.jpg?s=s&r=1260978559&t=n" border="0"></a><br /><br />延辺朝鮮族自治州における歴史を移民の始まりから満州事変まで。[90]<br />延辺地方の歴史（１７世紀から満州国事変まで）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
◎延辺（間島）地方における近代
（１）清国・朝鮮・ロシア間（１７世紀～）
①清・朝鮮における封禁政策（資料１）
②清・朝鮮間における１７１２年の定界碑（資料２）
&rarr;清・朝鮮間における間島の所在は未解決。
③清・ロシア間における琿春議定書：（１８８６）
&rarr;豆満江河口から国境の距離を15キロと決め、中国は豆満江河口までの航行権を獲得。15キロ地点に土（定界碑を立てる。
（２）清国・日本・朝鮮・ロシア間（１９世紀末、２０世紀初頭）
①日清戦争：１８９４年（資料３）&rarr;朝鮮の独立&rarr;大韓帝国と清（資料４）
②義和団事件：１９００年（資料５）
③日露戦争：１９０４年（資料６）
④間島協約：１９０９年（資料７）
⑤韓国併合：１９１０年
&rarr;延辺地域の朝鮮人処遇をめぐる清国ならびに中華民国と日本（資料８）
（３）奉天軍閥・日本
三矢協定：１９２５年（資料９）
張作霖爆殺：１９２８年
万宝山事件：１９３１年（資料１０）
満州事変：１９３１年
資料１ 
封禁政策とは&hellip;
◎満州族の聖地 ・朝鮮族の聖地 という性格
◎清朝の封禁政..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシアの資源戦略-北極圏をめぐる攻防-]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59913/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hotdogfiend]]></author>
			<category><![CDATA[hotdogfiendの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 28 Nov 2009 14:42:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59913/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960142283508@hc09/59913/" target="_blank"><img src="/docs/960142283508@hc09/59913/thmb.jpg?s=s&r=1259386934&t=n" border="0"></a><br /><br />ロシアの資源戦略 － 北極圏資源争奪戦
深 大基
原油生産量の減産と北極圏資源
国際エネルギー機構（IEA）の最新のデータによれば、ロシアの2008年第一四半期の原油生産量は950万バレル/日となり、サウディアラビアの920万バレル/日を抜き、ロシアは世界でナンバー１の原油生産国となった。
しかし、2008年の英BP Statistical Review of World Energy 2008によればロシアの原油確認埋蔵量は世界で七番目であり、長年増え続けてきた原油生産量は2008年第一四半期についに減産となった。大きな原因の一つにはロシアの主力油田地帯である西シベリアが生産のピークを越えたということが挙げられる。
世界中が記録的な原油価格の高騰に苦しむ中、資源による大国ロシアの復興を目論むプーチン首相にとっては新たな油田の開発は最重要課題である。その中でも、北極圏の資源権益をロシアは長年追い求めてきた。
北極圏資源争奪戦
　もちろん、北極圏を狙っているのはロシアだけではない。カナダ、グリーンランドを領するデンマーク、ノルウェー、そして米国らが資源争奪戦に参戦している。5ヶ国は200..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsupoohn]]></author>
			<category><![CDATA[katsupoohnの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 14 Oct 2009 21:48:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958426482057@hc09/56264/" target="_blank"><img src="/docs/958426482057@hc09/56264/thmb.jpg?s=s&r=1255524489&t=n" border="0"></a><br /><br />■日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響

日露戦争は、1904年2月6日に始まり、1905年9月5日に終息した、極東における南下政策を進めるロシアと、朝鮮半島における影響力確保を図る日本が戦った戦争である。

　不凍港を求めていた[328]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[第一次世界大戦前の情勢と勃発]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Aug 2009 22:51:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/53737/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/53737/thmb.jpg?s=s&r=1249998694&t=n" border="0"></a><br /><br />目次
１．国際的対立の激化
２．バルカン問題
３．バルカン戦争
４．第一次世界大戦の勃発[128]<br />第一次世界大戦前の情勢と勃発
目次
１．国際的対立の激化
２．バルカン問題
３．バルカン戦争
４．第一次世界大戦の勃発
１．国際的対立の激化
　ドイツ宰相ビスマルクは、フランスを孤立させるとともにドイツが国際紛争に巻き込まれないように、1879年オーストリアと同盟を結び、さらにイタリアも誘って1882年三国同盟を結んだ。
その後1890年にビスマルクが引退してヴィルヘルム2世の親政が始まり、積極的な帝国主義政策を推進した。彼はロシアとの間の二重保障(再保障)条約の更新を拒否した。そこでロシアは91年に露仏同盟を結び、ドイツ・オーストリアに対抗した。
　またドイツは、バルカン半島から西アジア方面..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53363/]]></link>
			<author><![CDATA[ by camsa10]]></author>
			<category><![CDATA[camsa10の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 00:42:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53363/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/958518609389@hc09/53363/" target="_blank"><img src="/docs/958518609389@hc09/53363/thmb.jpg?s=s&r=1249141365&t=n" border="0"></a><br /><br />『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）
序
　本書は、18世紀以降の近世ロシアに生きる農民たちの日常生活や内面意識を、身分制や共同体生活の観点から、豊富な資料を基に描き出したものである。
　一般的に近世ロシアというと、啓[344]<br />『「死せる魂」の社会史』を読んで（要約・書評・感想）
序
　本書は、18世紀以降の近世ロシアに生きる農民たちの日常生活や内面意識を、身分制や共同体生活の観点から、豊富な資料を基に描き出したものである。
　一般的に近世ロシアというと、啓蒙専制君主による中央集権化と急速な近代化・大国化といった教科書的なイメージを抱きがちである。しかし、近世ヨーロッパ全体で人口的に多数を占めていた農民の生活・意識を理解することなく、近世社会の実像を捉えることは困難であると思う。その意味で、本書で詳細に分析された農民の在り方は非常に興味深いものである。
　以下では、本書に描かれた農奴制の下での農民の生と意識についてまとめていきたい。
1. 農奴制と共同体
　18世紀ロシアの人口の大多数を占めていたのは、他の欧州諸国と同様に農民であった。その実情は、農民の納税義務の徹底のために政府が度々実施した人口調査に見ることができる。本書では、農民の中でも「農奴」と呼ばれる領主の人格的支配の下にあった人々を主に扱うが、彼らは全農民の約半数を占めていた。
　農民はその規模の差こそあれ、ミールと呼ばれる共同体の中で生活していた..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[京都議定書]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963314463526@hc08/50458/]]></link>
			<author><![CDATA[ by katsuo108325]]></author>
			<category><![CDATA[katsuo108325の資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 13:16:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963314463526@hc08/50458/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963314463526@hc08/50458/" target="_blank"><img src="/docs/963314463526@hc08/50458/thmb.jpg?s=s&r=1243916183&t=n" border="0"></a><br /><br />ポスト京都議定書
――現実主義的政治と地球温暖化対策――
序 論
今人類の生存、あるいは現代文明の維持を脅かす問題を考えた時、私たちは何を感じるだろうか。核兵器の存在もその一つだろう。しかし最近ではそれに加えて地球環境問題もあげられる[346]<br />ポスト京都議定書
――現実主義的政治と地球温暖化対策――
序 論
今人類の生存、あるいは現代文明の維持を脅かす問題を考えた時、私たちは何を感じるだろうか。核兵器の存在もその一つだろう。しかし最近ではそれに加えて地球環境問題もあげられるのではないだろうか。
産業の発展には必ず環境破壊が伴い、今、多くの国々がその問題解決に四苦八苦している。なぜここまで環境問題の解決に各国が必死になっているかというのも、環境破壊は産業の発展に直接関わる問題であるからだ。森林がなくなれば木材がなくなり、川が汚染されればその水は使えなくなる。東・西ドイツの経済発展の違いは環境問題への取り組み方の違いが大きな要因であると考えられるし、第二次世界大戦後の日本の経済発展も森林保護など、環境を考えた行動をとってきたからだと言える。このように産業発展と環境問題の相互関係は極めて重要である。
しかし近年この二つの相互関係だけではなく酸性雨・地盤沈下・温暖化など、人々の生活を直接苦しめる環境問題も起きてきている。それにもかかわらず、普段の新聞やテレビで環境問題について特集で取り上げられるということはほとんどない。たまに教育番..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[イオン分析１]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959062488551@hc09/50299/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 理科大生]]></author>
			<category><![CDATA[理科大生の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 31 May 2009 01:27:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959062488551@hc09/50299/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959062488551@hc09/50299/" target="_blank"><img src="/docs/959062488551@hc09/50299/thmb.jpg?s=s&r=1243700865&t=n" border="0"></a><br /><br />目的

　金属イオンが各種の試薬に対してどのように振舞うかを調べる。

原理

参考書から画像が入手できた試薬には表の下に写真を貼り付けた、参考程度に見ていただきたい。

　以下は参考書より、この実験の予測である。

実験１について

沈殿[336]<br />目的
　金属イオンが各種の試薬に対してどのように振舞うかを調べる。
原理
参考書から画像が入手できた試薬には表の下に写真を貼り付けた、参考程度に見ていただきたい。
　以下は参考書より、この実験の予測である。
実験１について
沈殿（以下&darr;）
（原理表１－１）　各試薬の色
Ag＋ Pb２＋ Cu２＋ Fe２＋ Fe３＋ Al３＋ Zn２＋ Ca２＋ Ba２＋ Na＋ K＋ Ni２＋ 無色 無色 青色 淡緑色 黄褐色 無色 無色 無色 無色 無色 無色 緑色 
実験２について（原理表２－１）　塩酸を一滴加えた場合
Ag＋ Pb２＋ Cu２＋ Fe２＋ Fe３＋ Al３＋ Zn２＋ Ca２＋ Ba２＋ Na＋ K＋ Ni２＋ 白&darr; 白&darr; 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし 変なし AgCl（白&darr;）、PbCl2（白&darr;）、
実験３について
特に固有の色は無し（以下特に無）
（原理表３－１）　炎色反応
Ag＋ Pb２＋ Cu２＋ Fe２＋ Fe３＋ Al３＋ Zn２＋ Ca２＋ Ba２＋ Na＋ K＋ Ni２＋ 特に無 特に無 青緑 特に無 特に無 特に無 特に無..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[うるう年]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959203670267@hc09/48556/]]></link>
			<author><![CDATA[ by leo]]></author>
			<category><![CDATA[leoの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 15 May 2009 23:38:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/959203670267@hc09/48556/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/959203670267@hc09/48556/" target="_blank"><img src="/docs/959203670267@hc09/48556/thmb.jpg?s=s&r=1242398325&t=n" border="0"></a><br /><br />うるう年に関して
今年は４年に一度のオリンピックイヤーです。４年に一度というと、うるう年（leap year）もそうです。ところで、なぜうるう年というものがあるのでしょうか。今回のレポートでは、うるう年について調べてみました
うるう年の[334]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[日露戦争の必然性]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22456/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mastercourse02]]></author>
			<category><![CDATA[mastercourse02の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 14:14:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22456/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/961831453959@hc08/22456/" target="_blank"><img src="/docs/961831453959@hc08/22456/thmb.jpg?s=s&r=1216012442&t=n" border="0"></a><br /><br />日露戦争の必然性～世界への、そして情報化社会への第１歩～
　日露戦争とは、その概要を端的に述べてしまうと、「明治３７年（１９０４年）２月の開戦から翌明治３８年（１９０５年）８月のポーツマス講和会議までの１８ヶ月にわたり、満州・朝鮮の支配権[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[軍隊・自衛隊についての概略と中央即応集団について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19046/]]></link>
			<author><![CDATA[ by caduceus]]></author>
			<category><![CDATA[caduceusの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 01 Feb 2008 21:25:37 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19046/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/19046/" target="_blank"><img src="/docs/983428999201@hc07/19046/thmb.jpg?s=s&r=1201868737&t=n" border="0"></a><br /><br />軍隊・自衛隊についての概略と中央即応集団について
軍隊・自衛隊についての概略
軍隊の編成
名称 人数 従属部隊 指揮官 (自衛隊) 軍 (army) 50,000から60,000ないしはそれ以上 2以上の軍団 大将 又は 元帥 （幕僚長） [286]<br />軍隊・自衛隊についての概略と中央即応集団について
軍隊・自衛隊についての概略
軍隊の編成
名称 人数 従属部隊 指揮官 (自衛隊) 軍 (army) 50,000から60,000ないしはそれ以上 2以上の軍団 大将 又は 元帥 （幕僚長） 軍団 (army corps) 30,000以上 2以上の師団 中将 （将） 師団 (division) 10,000から20,000 2から4の旅団又は連隊 少将 （将補） 旅団 (brigade) 2,000から5,000 2以上の連隊又は大隊 少将又は准将又は大佐 連隊 (regiment) 2,000から3,000 3から4の大隊 大佐 （一佐） 大隊 (battalion) 300から1,000 2から6の中隊 中佐 （二佐） 中隊 (company) 60から250 2以上の小隊 少佐（三佐）又は大尉（一尉） 小隊 (platoon) 30から60 2以上の分隊 中尉 （二尉）又は 少尉 （三尉） 分隊 (squad) 8から12 2以上の班 兵長 （曹長）から 軍曹 班 (team) 4から6 なし 上等兵 （士長）から 伍長 
日本の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[米国における対日世論調査（グラフ）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/]]></link>
			<author><![CDATA[ by caduceus]]></author>
			<category><![CDATA[caduceusの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 26 Jan 2008 13:42:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428999201@hc07/18362/" target="_blank"><img src="/docs/983428999201@hc07/18362/thmb.jpg?s=s&r=1201322550&t=n" border="0"></a><br /><br />1. 日本は米国の信頼できる友邦か否か
（「信頼できる」と答えた割合）
JAPAN AS A &quot;DEPENDABLE&quot; ALLY /FRIEND
31
41
46
39
44
39
42
45
40
43
44
[182]<br />1. 日本は米国の信頼できる友邦か否か
（「信頼できる」と答えた割合）
JAPAN AS A &quot;DEPENDABLE&quot; ALLY /FRIEND
31
41
46
39
44
39
42
45
40
43
44
42
45
48
36
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46
53
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53
44
57
56
55
54
48
50
44 44
49
50
43
54 54
59
60
61
60
61
67 67
68
72
69
79
74
81
87 87
89
87 87
85
91
90
89
91
91
0
10 20 30 40 50 60 70 80 90
100
1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2002 2004 2006
年度(YEAR)
(％)
一般人(GENERAL PUBLIC) 有識者(OPINION LEADERS)
2. アジアに於ける米国のパートナー（一般人）
PARTNER OF THE U.S. IN ASIA(GENERAL PUBLIC)
38
40
42
47
41
43
40
48
45
48 48
42..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ポーランド民主化運動]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/]]></link>
			<author><![CDATA[ by vitory7]]></author>
			<category><![CDATA[vitory7の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 14 Dec 2007 10:49:03 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/963680582534@hc07/15946/" target="_blank"><img src="/docs/963680582534@hc07/15946/thmb.jpg?s=s&r=1197596943&t=n" border="0"></a><br /><br />ポーランド民主化運動
ポーランド民主化運動(&minus;民主化運動)とは1988年中ごろから1990年前半にかけてのポーランドにおける民主化改革運動のこと。最終的には従来のポーランド統一労働者党による政権は、下野。レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組[338]<br />ポーランド民主化運動
ポーランド民主化運動(&minus;民主化運動)とは1988年中ごろから1990年前半にかけてのポーランドにおける民主化改革運動のこと。最終的には従来のポーランド統一労働者党による政権は、下野。レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。
民主化の背景
ポーランドは1919年まで、ロシア帝国の領域下に組み込まれており、元々反ロシア的感情が強い地域であった。
ソ連の衛星国に組み込まれてからも1956年、1970年と反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた。ポーランド政府はソ連による全面的な介入を防ぎつつ、ある程度..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ドフトエフスキー｢罪と罰｣]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/14070/]]></link>
			<author><![CDATA[ by dack]]></author>
			<category><![CDATA[dackの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 17 Jul 2007 23:30:52 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/14070/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429264701@hc06/14070/" target="_blank"><img src="/docs/983429264701@hc06/14070/thmb.jpg?s=s&r=1184682652&t=n" border="0"></a><br /><br />ロシアの文化と社会を考える上で、歴史上の事実と文学は密接な関係にあるということを念頭におきたいと思う。歴史的観念からいうとロシアは歴史が古く、一度モンゴル人に征服されたもののノヴゴロド公国が設立してから現在のロシア連邦に至るまで、諸外国から[360]<br />ロシアの文化と社会を考える上で、歴史上の事実と文学は密接な関係にあるということを念頭におきたいと思う。歴史的観念からいうとロシアは歴史が古く、一度モンゴル人に征服されたもののノヴゴロド公国が設立してから現在のロシア連邦に至るまで、諸外国から様々な影響を受けつつも独自の文化を築いてきた。
　私が一番興味をそそられるのは、１９世紀のロシアであり、それに近い時代に創作された文学だ。１９世紀当時、ロシアはロマノフ朝の絶対主義支配が続いていたが、その頃にはドストエフスキーによる「罪と罰」や、トルストイによる「戦争と平和」などの非常に有名な作品が生み出されている。最後の皇帝、ニコライ２世が支配していた時代のロシアで書かれた作品とはとても意義深いものなのではないのだろうか。その中でも、私はドストエフスキーの「罪と罰」に感銘を受け、読了してその時代のロシアに様々な思いを馳せた。ここではそのことに関して述べたいと思う。
　ドストエフスキーは、結果としてシベリアに流刑されたが、革命運動参加するなど啓蒙主義を持つ人間であった。彼の描く人物たちはどれもが刹那的で実際の人間よりも人間らしい。これがあの当時の人々..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ロシア宗教思想と文化　カラマーゾフの兄弟]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429015901@hc07/12997/]]></link>
			<author><![CDATA[ by minomon]]></author>
			<category><![CDATA[minomonの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 02 Feb 2007 02:02:17 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429015901@hc07/12997/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429015901@hc07/12997/" target="_blank"><img src="/docs/983429015901@hc07/12997/thmb.jpg?s=s&r=1170349337&t=n" border="0"></a><br /><br />　ロシア宗教思想と文化のレポートテーマとなるものは三つあるので、それぞれ一を大審問官の物語によるイワンの世界観、二をゾシマ長老の法話によるアリョーシャの考え、三をイワンとアリョーシャの議論とロシアの時代背景と三つに分け、考え議論していきたい[360]<br />　ロシア宗教思想と文化のレポートテーマとなるものは三つあるので、それぞれ一を大審問官の物語によるイワンの世界観、二をゾシマ長老の法話によるアリョーシャの考え、三をイワンとアリョーシャの議論とロシアの時代背景と三つに分け、考え議論していきたい。
　まずは一番目のテーマである大審問官の章について考えていきたい。大審問官の話はイワンがアリョーシャに話す内容だが、何故イワンはアリョーシャにこのような話をしたのだろうか。それはイワンとアリョーシャの神に対する考え方の違いである。イワンは神など存在しないと考えており、アリョーシャは神は存在すると考えている。このアリョーシャの考え方を否定し自分の考え世界観を表すために、イワンはアリョーシャに対して大審問官の話をしたのだろう。
　大審問官の話は復活したキリストと大審問官なる老人との対話である。しかし対話というよりは、大審問官がキリストに対して様々な問を出しキリストを問い詰めているように感じられる。しかもこの大審問官の問に対してキリストは聞いているのみで反論をしないのでキリストがいかなる考えをもっていたのか分からない部分がある。キリストは以前悪魔に三つの..]]></description>

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			<title><![CDATA[ドストエフスキーの文学世界]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10151/]]></link>
			<author><![CDATA[ by teru0923]]></author>
			<category><![CDATA[teru0923の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jul 2006 22:12:35 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10151/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430749001@hc06/10151/" target="_blank"><img src="/docs/983430749001@hc06/10151/thmb.jpg?s=s&r=1154265155&t=n" border="0"></a><br /><br />世界と日本のドストエフスキー研究、そこからさらに発展して文学研究の最高、最新の達成をすべて駆使しながら、１つも彼の作品を読んでいない人でも容易に且つ楽しみながら読める分かりやすさがある。つまり、簡単に言い換えると、どんな凡人でもドストエフス[360]<br />第一章
　この本は、端的に評すると非常にエポックメーキングであり、大胆不敵なものである。というのは、とてつもなく魅力的で且つ底知れない奥深さを持つドストエフスキーという、世界の文学界の中でも巨頭の域に達していると思われる人物の膨大な作品を、さまざまな細部も丸々すべてを網羅しようとしているからである。はっきりいって、このような無謀に近い試みは、著者以外に誰も思いつかなかったし、あるいは思いついても試そうとしなかったのではないだろうか。しかしながら、ここではその不可能に近いこととされていることが実際になしとげられている。そして、そのような試みの集大成がこの本となっている。
　世界と日本のドストエフスキー研究、そこからさらに発展して文学研究の最高、最新の達成をすべて駆使しながら、１つも彼の作品を読んでいない人でも容易に且つ楽しみながら読める分かりやすさがある。つまり、簡単に言い換えると、どんな凡人でもドストエフスキーの非凡さを簡単に理解することができるということである。その大きな理由は、本書は１２の講義から成り、毎回、波乱に満ちた作家の生涯を時系列でたどる「伝記」のようなもの、作家自身が多大..]]></description>

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			<title><![CDATA[冷戦後の各国における軍需産業統合]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/10128/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mitarai226]]></author>
			<category><![CDATA[mitarai226の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 30 Jul 2006 17:16:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431094101@hc06/10128/" target="_blank"><img src="/docs/983431094101@hc06/10128/thmb.jpg?s=s&r=1154247405&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦時代の主役は、アメリカとソ連であった。その両者が、冷戦後どのような軌跡をたどって今日にいたるのかを見ていく。
ロシアの冷戦後の流れとしての特徴は、ソ連崩壊に伴う「資本主義化」と「非軍事化」の流れである。非軍事化は、軍事経済の縮小によって[358]<br />冷戦後の各国における軍需産業統合
　本稿は冷戦終結後の、各国の軍需産業の再編成の過程を比較し、その流れの中での日米の軍需部門における協力関係をみていくものである。
　
冷戦終結後のロシアの軍需産業
　冷戦時代の主役は、アメリカとソ連であった。その両者が、冷戦後どのような軌跡をたどって今日にいたるのかを見ていく。
ロシアの冷戦後の流れとしての特徴は、ソ連崩壊に伴う「資本主義化」と「非軍事化」の流れである。非軍事化は、軍事経済の縮小によって起こる。兵力の削減、武器生産の減少、軍事研究費の削減によるものである。冷戦後は、国家からの軍需産業への発注が減少し、それと同時に今まで受けてきた恩恵が取り払われた。具体的に言えば、武器生産のための資源の優先的配分、製品輸送などの交通システムの優先的使用権である。冷戦時代に受けてきたこのような、諸々の特権が取り払われたことで被る痛手は大きかった。軍需産業の変化は、ロシアが資本主義化へと向かうための、新しいシステム作りのための過程の中で起こった。今までの国家資本の投入の転換、つまり軍需から民需への転換といった、新システムつくりは資本主義化を意味し、受注と特権..]]></description>

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			<title><![CDATA[ＢＲＩＣｓ（ブリックス）の持つ特徴について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430664201@hc06/7486/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hunimo]]></author>
			<category><![CDATA[hunimoの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 12:06:12 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430664201@hc06/7486/" target="_blank"><img src="/docs/983430664201@hc06/7486/thmb.jpg?s=s&r=1142132772&t=n" border="0"></a><br /><br />　世界における新興国の中でも特に経済成長が著しいブラジルや、ロシア、中国、インドの頭文字をつなげたものをＢＲＩＣｓ呼んでいます。米国の大手証券会社がこの言葉を使用して以来、ＢＲＩＣｓは経済用語として、社会に定着しつつあります。その要因には、[360]<br />ＢＲＩＣｓ（ブリックス）の持つ特徴について
　世界における新興国の中でも特に経済成長が著しいブラジルや、ロシア、中国、インドの頭文字をつなげたものをＢＲＩＣｓ呼んでいます。米国の大手証券会社がこの言葉を使用して以来、ＢＲＩＣｓは経済用語として、社会に定着しつつあります。その要因には、このブリックスと呼ばれる国々の経済成長は著しく、将来的に考慮すると、世界の経済基盤を大きく塗り替えることになるのではないか、という予測されているからという点にあります。この4カ国の国家レベルの経済成長が、今のままのペースで保ったまま続く場合、現状のような経済社会に大きな変化をもたらすと考えられ、経済に関わる人達の間..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[スターリンについて]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431110801@hc06/5588/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sweet8sweet]]></author>
			<category><![CDATA[sweet8sweetの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 21 Jan 2006 09:56:40 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431110801@hc06/5588/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431110801@hc06/5588/" target="_blank"><img src="/docs/983431110801@hc06/5588/thmb.jpg?s=s&r=1137805000&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　高校3年生の春に世界史の授業で&ldquo;世界まる見え&rdquo;の番組のビデオを見た。タイトルは『20世紀の独裁者』で、ヒトラーや毛沢東、スターリンについて放送されていて、その中でも私は特にスターリンに興味を持った。その感想文として、ビデオを見[350]<br />『スターリンはなぜ恐怖政治を行ったか』
はじめに
　高校3年生の春に世界史の授業で&ldquo;世界まる見え&rdquo;の番組のビデオを見た。タイトルは『20世紀の独裁者』で、ヒトラーや毛沢東、スターリンについて放送されていて、その中でも私は特にスターリンに興味を持った。その感想文として、ビデオを見終わった後にまとめたノートがある。そこには「もしかしたらこの世で一番孤独な一生を送ったのは彼かもしれない。本当はまわりがすごく怖かったのだろう。だから73年間も鉄のよろいを身に付けてきたのだろう。だれか一人でも彼を強く抱きしめて一言言えばよかったのに。&ldquo;強がらなくていいのだよ&rdquo;って」と綴られていた。当時の私は、スターリンに相当な刺激を受けた。もちろん彼の行為を肯定するわけではない。あれだけ多くの人の命を奪うことは決して許されないことなのだから。しかし、彼の中で何が引き金となり、あれだけの恐ろしいことを行ってしまったのか関心がある。
　彼が生前残した言葉の中で「一人の死の死は悲劇だが、大量の死は統計でしかない」という言葉がある。この言葉にも私はすごく大きな意味を感じる。今後、世界でこのようなことを繰り返さないために..]]></description>

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			<title><![CDATA[タトリンの芸術とその周辺（素材・塔・機械）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/]]></link>
			<author><![CDATA[ by nernosky]]></author>
			<category><![CDATA[nernoskyの資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 29 Jul 2005 00:57:07 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432145601@hc05/1858/" target="_blank"><img src="/docs/983432145601@hc05/1858/thmb.jpg?s=s&r=1122566227&t=n" border="0"></a><br /><br />歴 史上にはさまざまな文化的・芸術的運動が発生した。それらについて、私にはそのほとんどが、直前の芸術様式の否定と失われた過去の遺産の発掘・修復に端を発しているように見える。ルネサンスが「文芸の復興」というスローガン。つまり中世のキリスト教に[358]<br />♪タトリンの芸術とその周辺（素材・塔・機械）♪ 
０．はじめに 歴 史上にはさまざまな文化的・芸術的運動が発生した。それらについて、私にはそのほとんどが、直前の芸術様式の否定と失われた過去の遺産の発掘・修復に端を発しているように見える。ルネサンスが「文芸の復興」というスローガン。つまり中世のキリスト教にヨーロッパ世界が覆われてしまった時代の芸術様式を否定し、はるか彼方のギリシア芸術を上位に据え、それを模倣・発展させていく運動であったように。この文化・芸術様式の交替というものはとても興味そそられる事項である。とりわけ、ある文化が手法・枠からの超越を主張するが故に、否定したはずの直前の文化と同じように、手法・枠の固定化を招き批判を浴びて新たな文化に交替する、というなりゆきは、結局人間世界の法則・・・文化に限らず、政治も経済も、そういうものなのかもしれない。例えばロマン派についてみてみることにする。自由な人間性の発露を謳ったルネサンスは「様式・手法の硬直化」という批判を受けて、結局その後ロマン派に交替していく。ロマン派は従来タブーとされてきた「枠」の部分を、表現意欲という内部からの圧力で外へ..]]></description>

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