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		<title>タグ“ミード”の公開資料</title>
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		<description>タグ“ミード”の公開資料</description>
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			<title><![CDATA[現代を生きる家族　家族が絆をつくるためには]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956571374092@hc10/70200/]]></link>
			<author><![CDATA[ by amgellll000]]></author>
			<category><![CDATA[amgellll000の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 01 Aug 2010 20:41:45 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956571374092@hc10/70200/" target="_blank"><img src="/docs/956571374092@hc10/70200/thmb.jpg?s=s&r=1280662905&t=n" border="0"></a><br /><br />家族とは、「絆を共有し、情緒的な親密さによって互いに結びつき、家族の構成員として互いに認め合っている2人以上の人々」とフリードマンは定義づけている。この定義に現代に生きる家族を照らし合わせてみると、「絆」が欠けているのではないかと考えたため[358]<br />家族とは、「絆を共有し、情緒的な親密さによって互いに結びつき、家族の構成員として互いに認め合っている2人以上の人々」とフリードマンは定義づけている。この定義に現代に生きる家族を照らし合わせてみると、「絆」が欠けているのではないかと考えたためこのテーマとした。
家族は社会的な最小単位であり、人との相互関係を築くことができる最初の単位でもある。私は日常生活を送る中で、いかに人とのかかわりの中で支えあい、助けあっているかを実感する。さらに、人との相互関係を構築することで人は成長するのではないかと考えることがしばしばある。とくに自分が家族を持つ立場、すなわち生殖家族となってから、人と人とのかかわりの中で自分が生きていること、1人では生きていないことをよりはっきりと認識するようになった。それは家族を持ち子供を育てるようになり、自分の問題だけではない様々な出来事に向き合うことが多くなったことによると思う。起こる出来事は決して良い事だけではない。家族の成員とそれを取り巻く他者が増えれば、嬉しいことも増える一方、思い通りにならないことやわずらわしいと感じることも多くなる。こういった中、家族で喜びや悲..]]></description>

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			<title><![CDATA[現代社会における自我と権力]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430706001@hc06/7117/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sociokunn]]></author>
			<category><![CDATA[sociokunnの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Feb 2006 00:16:30 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430706001@hc06/7117/" target="_blank"><img src="/docs/983430706001@hc06/7117/thmb.jpg?s=s&r=1140966990&t=n" border="0"></a><br /><br />1はじめに
　「私とは何か？」これは、誰でもが思うことであろうと思う。会社の帰りで、ふとした瞬間「なんで毎日同じような生活を繰り返しているのだろう？」とか学校で、赤点ばかりとっていると、「私には元々才能がないのかな？」とか自分の気持ちを内観[356]<br />現代社会における自我と権力
1はじめに
「私とは何か？」これは、誰でもが思うことであろうと思う。会社の帰りで、ふとした瞬間「なんで毎日同じような生活を繰り返しているのだろう？」とか学校で、赤点ばかりとっていると、「私には元々才能がないのかな？」とか自分の気持ちを内観して、「私」という存在を考えてしまうことと思う。
ところで、最近ではDNAの解読も完了し、まだ母親のお腹の中にいる時から、子供の難病の予測ができるようになってきている。リチャード・ドーキンスに代表されているネオ・ダーウィニズム論者が言説するように、遺伝子で私たちの振る舞いが決定してしまうという遺伝子決定論の信念を多くの現代社会の人々は持っている様に思う。これは、映画やTVの影響も強いと私は考察する。NHKの特集や最近の番組はほとんど科学に準拠していて人々に、「私」という存在が全て生物学的に決定するように思わせている。
同様に、オウムなどに代表されるような新々宗教のブームにしても「私」という存在が根強く関ってくる。彼らは、「私」という存在も構成も超越的なものに委託してしまった集団である。
人間の自我は、遺伝子か？それとも脳なの..]]></description>

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