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		<title>タグ“マックス・ウェーバー”の公開資料</title>
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		<description>タグ“マックス・ウェーバー”の公開資料</description>
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		<item>
			<title><![CDATA[【慶應通信】マックス・ウェーバー　職業としての学問【社会学史Ⅱ】]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/140806/]]></link>
			<author><![CDATA[ by Saki_izm]]></author>
			<category><![CDATA[Saki_izmの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 30 May 2020 00:37:43 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/140806/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/945301191346@hc13/140806/" target="_blank"><img src="/docs/945301191346@hc13/140806/thmb.jpg?s=s&r=1590766663&t=n" border="0"></a><br /><br />『職業としての学問』の要約から、彼の説いた理論によって、現代社会における問題について考察している

3738文字[158]<br />社会学史Ⅱ 
はじめに 
ドイツの社会学者であり、経済学者でもあるマックス・ウェーバー。本レポートでは、
彼の講義内容が収められた著書『職業としての学問』を取り上げたい。 
講義が行われた当時のドイツは、第一次世界大戦で敗戦し、戦争に熱狂していた大学生
たちが意気消沈した頃である。その結果、学生たちは教師に対し「指導者」を求めるよう
になっていた。ウェーバーはこうした大学生らに対し、学問と政策の峻別を説く講演を行
ったのである。 
そこでまず、この『職業としての学問』の要約を行い、その上で、彼の説いた理論によ
って、現代社会における問題について取り上げて考察していきたい。 
『職業としての学問』 要約 
ウェーバーは講演で、主に三つのことを説いた。まず一つは、学問を職業とする生計を
たてるための経済的な現状、教師として認められる際の「僥倖」の支配である。まず学問
で生きるのは難しく、「大学教師の運命を決するものが大部分「僥倖」である」という。な
ぜならば、就職、昇進などの人事の難しさや、教師と研究者という学者に求められる職務
の二重性が挙げられているからである。ウェーバーは「大学に職を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0712 社会学概論　設題１，２]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89613/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 18 Jan 2012 21:32:23 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89613/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89613/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/89613/thmb.jpg?s=s&r=1326889943&t=n" border="0"></a><br /><br />２０１１年度A評価レポート。社会学概論の設題１，２のセットです。時間のない人にお勧めです。
設題１はテキストに沿った内容、設題２はテキストが参考にならなかったので、ほかの資料(地方自治体のHPなど)を参考にして作成しました。
参考文献一覧も[346]<br />社会学概論
第1設題　
マックス・ウェーバーの社会学の性格について述べよ
1．社会学とは何か
そもそも社会学とはどういった学問なのか。ウェーバーの社会学の性格を理解するうえで、まずこの点に関して理解しておくことが必要不可欠な準備であると思われる。
社会学の誕生について、それがいつのことであったのかを特定的に語ることは困難である。しかし、新しい科学としての社会学がフランス革命や産業革命といった18－19世紀初頭にかけて、ヨーロッパで起こった世界的な出来事、そしてそれにともなう社会の転換という時代背景のもとに成立したということは言えるだろう。
社会学という言葉がはじめて使われたのは、1839年にオーギュスト・コント(1798－1825)が著した『実証哲学講義』第4巻においてのことであった。コントが社会学という言葉を生み出したのはフランス革命から50年後のことである。フランス革命は「理性」に導かれたものであり、18世紀の啓蒙思想は「理性」への信頼によって「自由」で「平等」な社会を基礎づけようとした。しかし、この「理性」による社会の企ては失敗を繰り返し、革命による社会の進歩や再構築を期待した人々を幻滅させる結果となった。コントにおいては伝統的なキリスト教を否定するのみにとどまらず、フランス革命の理念をも否定した。彼にとってフランス革命は社会に外傷的混乱を引き起こした以外の何ものでもなかった。ゆえにかれは、革命によって荒廃した社会秩序を回復するために自然科学で価値が認められた方法を用いて社会秩序の法則を発見し、そうした秩序を維持するための手段を発見しなければならなかった。こうして発見された法則が、人間の知識はすべて神学的段階から形而上学的段階を経て実証的段階に至るという、いわゆる「知識の三段階の法則」である。この3つの段階のうち、実証的段階にある社会を再組織化するための新しい学問を確立することがコントの最大の関心事であった。彼は、数学、天文学、物理学、化学、生物学という学問の最上位に位置するものとして、社会の秩序や構造を研究する「社会静学」と社会の変動や進歩を研究する「社会動学」からなる新しい学問を構想し、これをのちに「社会学」と名付けた。これが「社会学」という社会を対象にする実証主義的な科学の第一歩であった。
しかし、社会学が一つの個別社会科学として認知、確立される段階..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[R0712 社会学概論第１設題]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89484/]]></link>
			<author><![CDATA[ by ＊＊るか＊＊]]></author>
			<category><![CDATA[＊＊るか＊＊の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 15 Jan 2012 18:01:09 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89484/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/950915929819@hc11/89484/" target="_blank"><img src="/docs/950915929819@hc11/89484/thmb.jpg?s=s&r=1326618069&t=n" border="0"></a><br /><br />2011年度A評価レポートです。指定されたテキストに沿った内容です。アレンジして使ってください。[134]<br />第1設題　
マックス・ウェーバーの社会学の性格について述べよ
1．社会学とは何か
そもそも社会学とはどういった学問なのか。ウェーバーの社会学の性格を理解するうえで、まずこの点に関して理解しておくことが必要不可欠な準備であると思われる。
社会学の誕生について、それがいつのことであったのかを特定的に語ることは困難である。しかし、新しい科学としての社会学がフランス革命や産業革命といった18－19世紀初頭にかけて、ヨーロッパで起こった世界的な出来事、そしてそれにともなう社会の転換という時代背景のもとに成立したということは言えるだろう。
社会学という言葉がはじめて使われたのは、1839年にオーギュスト・コント(1798－1825)が著した『実証哲学講義』第4巻においてのことであった。コントが社会学という言葉を生み出したのはフランス革命から50年後のことである。フランス革命は「理性」に導かれたものであり、18世紀の啓蒙思想は「理性」への信頼によって「自由」で「平等」な社会を基礎づけようとした。しかし、この「理性」による社会の企ては失敗を繰り返し、革命による社会の進歩や再構築を期待した人々を幻滅させ..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[職業としての政治　マックスウェーバー]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51190/]]></link>
			<author><![CDATA[ by 1010323]]></author>
			<category><![CDATA[1010323の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 15 Jun 2009 21:38:56 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51190/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960205412501@hc09/51190/" target="_blank"><img src="/docs/960205412501@hc09/51190/thmb.jpg?s=s&r=1245069536&t=n" border="0"></a><br /><br />『職業としての政治』（マックス・ヴェーバー）
　　　　　　　　　　　　　　　　
＜要約＞
訳者あとがき『職業としての政治』（岩波文庫）にもあるようにこの著書はマックス・ヴェーバー（Max Weber 1864-1920）が1919年にミュン[308]<br />『職業としての政治』（マックス・ヴェーバー）
　　　　　　　　　　　　　　　　
＜要約＞
訳者あとがき『職業としての政治』（岩波文庫）にもあるようにこの著書はマックス・ヴェーバー（Max Weber 1864-1920）が1919年にミュンヘンでの講演会を纏めたものであり、その当時のドイツは「敗戦の結果、ドイツ全体が騒然たる革命の雰囲気に包まれていた」ということだ。そんな中で彼は「政治」とは何であるか、「職業としての政治とはなんであり、またそれがどういう意味をもちうるのか」（８頁）ということからこの公演を始めている。
「職業としての政治」を述べる前に、まずは「政治」とは何かについて進めていきたいと思う。彼によれば政治とは広範な意味において「およそ自主的に行われる指導行為についてなら、すべてその中に含まれる」（８頁）としている。だが、彼がその講演において述べたかったのは、そういった広い概念としての政治ではなく、政治とは政治団体（国家）の指導、または「その指導に影響を与えようとする行為」であるとしている。そこでまず国家とは何か。ヴェーバーはトロツキーの言葉を引用して、『すべての国家は暴力の..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[個人主義について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429743301@hc06/12537/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tabuchi]]></author>
			<category><![CDATA[tabuchiの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 10 Jan 2007 01:35:21 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429743301@hc06/12537/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429743301@hc06/12537/" target="_blank"><img src="/docs/983429743301@hc06/12537/thmb.jpg?s=s&r=1168360521&t=n" border="0"></a><br /><br />レポート　　個人主義について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
個人主義について考察するにあたり、まず一般的な個人主義の定義は何であるか考えてみる。[個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重す[352]<br />レポート　　個人主義について
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
個人主義について考察するにあたり、まず一般的な個人主義の定義は何であるか考えてみる。[個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論]（参照・大辞泉）とあるが、この概念と集団主義（個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義）は、歴史主義から社会学への過程を考える上で最も重要な対立概念である。まず、この概念が生まれた過程から考察していく。 　中世のヨーロッパでは、人々に国民意識はなく王権も弱かったのだが、近世になるとさまざまな中間集団（共同体）を束ねるシンボルとして王権＝国家が権力を持ち始める。ここで述べる中間集団とは、ギルド（近世の閉鎖的な同業者組合）や村落共同体、身分共同体や宗教団体、親族や家族などの集団のことを指す。つまり、当時の市民は個々の人格としてではなく、共同体の構成員、全体のパーツの一部として捉えられていたのである。しかし、近代の歴史の流れの中で行われてきた国家との闘争で、中間集団は衰..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神　批評]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12163/]]></link>
			<author><![CDATA[ by merukuru_meu]]></author>
			<category><![CDATA[merukuru_meuの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 23 Dec 2006 12:11:49 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12163/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429265101@hc06/12163/" target="_blank"><img src="/docs/983429265101@hc06/12163/thmb.jpg?s=s&r=1166843509&t=n" border="0"></a><br /><br />「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」　
マックス・ウェーバー著　　大塚久雄訳　2005　　岩波書店
１．まえがき
宗教社会学の分野のみにとどまらず、このマックス・ウェーバーの著作は大変有名である。通常であれば、資本主義の発展と宗教[346]<br />「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」　
マックス・ウェーバー著　　大塚久雄訳　2005　　岩波書店
１．まえがき
宗教社会学の分野のみにとどまらず、このマックス・ウェーバーの著作は大変有名である。通常であれば、資本主義の発展と宗教の倫理との関係を結びつけることは難しい。だが、マックス・ウェーバーは、その間にある結びつきを論理的に解説することに成功した。私はこの本を通じて、宗教というものの見方が根本的に変わった。日本で宗教といえば、いわゆる宗教団体のことをさす。宗教団体は、政治的、経済的、文化的なものとは全く別個のものとして認識されている。一方、西洋では、宗教は政治や経済などにおいて大きな役割を果たしてきた。この本では、主に宗教、特にプロテスタンティズムの倫理が経済の発展にどのような影響を及ぼしたかについて焦点を当てている。ルッターを皮切りに始まった宗教改革の勢いは、ヨーロッパ全土に広がった。ルッターの説いた教えや、それに続くカルヴァンの教えは、国民にとって、今までの伝統を変えるための心理的な起動力となった。それがどのようにして資本主義の発展に影響を及ぼしていくのか、その過程を..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[マックス・ウェーバーと政治]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/3435/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sakihyde]]></author>
			<category><![CDATA[sakihydeの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 27 Nov 2005 00:02:50 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/3435/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431572201@hc05/3435/" target="_blank"><img src="/docs/983431572201@hc05/3435/thmb.jpg?s=s&r=1133017370&t=n" border="0"></a><br /><br />　社会学者であり、自由主義者でもあったマックス・ウェーバーが政治をどのようにとらえて、どのような構造をしていると考えていたのだろうか。
　「一切の究極的問題は例外なく純政治的な出来事に関係している―――それがいかに外面的に見えようとも」と[356]<br />マックス・ウェーバーと政治
　
社会学者であり、自由主義者でもあったマックス・ウェーバーが政治をどのようにとらえて、どのような構造をしていると考えていたのだろうか。
　「一切の究極的問題は例外なく純政治的な出来事に関係している―――それがいかに外面的に見えようとも」というウェーバーの言葉には、政治という概念に対する彼の態度が現れているように思われる。政治とは、人間集団における秩序の形成と解体をめぐって人々が行う営みであり、権力・政策・支配・自治にかかわる現象である。しかしウェーバーは政治とは国家の指導あるいは指導に影響を与えることであるという定義を与え、「国家」という政治社会の存在に注目している。「国家」とは単なる政治団体ではない。ロシアの革命家であったトロツキーは「すべての国家は、暴力の上に築き上げられている」と述べているが、これはつまり「国家」は強制力を保持しているという意味だ。ウェーバーもこの事について肯定的である。昔から今日にかけても強制力は国家にとって手段のひとつであり、また特有の手段でもある。すなわち、国家は合法的な物的強制力の保持を自らに要請し、自らに物的強制力の行使を認..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『職業としての学問』の読後感]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1765/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sz2009]]></author>
			<category><![CDATA[sz2009の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 22:24:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1765/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1765/" target="_blank"><img src="/docs/983432421201@hc05/1765/thmb.jpg?s=s&r=1122470650&t=n" border="0"></a><br /><br />マックス・ウェーバーの『職業としての学問』を読んだ私は深い感銘を受けた。マックス・ウェーバーの講演は現代社会と少し異なるところもあるものの、教師たるべき資格、学者としての心構えに対する見解は現代においても通用する。
　マックス・ウェーバー[356]<br />『職業としての学問』の読後感
―　学者としての生き甲斐　―
　　マックス・ウェーバーの『職業としての学問』を読んだ私は深い感銘を受けた。マックス・ウェーバーの講演は現代社会と少し異なるところもあるものの、教師たるべき資格、学者としての心構えに対する見解は現代においても通用する。
　マックス・ウェーバーが講演を行った歴史背景を見ると、当時ドイツは第一次世界大戦で敗戦し、戦争に熱狂していた大学生たちが意気消沈して「個性」、「体験」、「指導者」を求めるようになった。マックス・ウェーバーはこういう大学生に対し、学問と政策の峻別を説く名高い講演を行ったのである。彼はドイツの青年たちに「日々の生活に帰れ」と叱咤し、聴衆たちを脅かすような印象を与えたという。
マックス・ウェーバーは「職業としての学問」という講演で、主に三つのことを説いた。一つは、学問を職業とする経済的な現状、教員として認められる際の僥倖の支配。二つ目は、学問に専心する際の心構え。日々の個々の仕事への集中が必要であり、学問は次なる研究者によって打破されることを祈りながら進めていくもの。三つ目は、教員は指導者になってはいけないことを強調..]]></description>

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