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		<title>タグ“ベトナム戦争”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89/</link>
		<description>タグ“ベトナム戦争”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[日大通信　外国史概説　分冊Ⅰ・Ⅱ]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/]]></link>
			<author><![CDATA[ by yushu]]></author>
			<category><![CDATA[yushuの資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 13 Dec 2017 16:41:11 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934123471062@hc17/131801/" target="_blank"><img src="/docs/934123471062@hc17/131801/thmb.jpg?s=s&r=1513150871&t=n" border="0"></a><br /><br />分冊Ⅰ　第２次世界大戦後の東西対立と冷戦について述べなさい。キーワード：鉄のカーテン　朝鮮戦争　第三世界　ヴェトナム戦争　冷戦の終結分冊Ⅱ　辛亥革命について論述しなさい。キーワード：革命運動　立憲運動　武昌発蜂　孫文　中華民[344]<br />第二次世界大戦末期から米ソは戦後処理やイデオロギーの面で対立をするようになっていたが、戦後に入り更に対立が激化した。アメリカは国土が戦災を受けることがなかったため、終戦後から資本主義諸国の工業生産力、金保有量の大半を占め、更には原爆までも独占し、経済力、軍事力と共に、世界の資本主義諸国のリーダーとしての地位に君臨した。一方、大戦で最大の損害を受けたソ連は、多大な人命の損失と農地や重化学工業設備の多くが破壊され、国富の三分の一が失われたと推定されたが、東ヨーロッパの人民民主主義諸国を共産圏に組み込み、共産主義経済の再建に努めて、アメリカに対抗する超大国へと発展した。
ソ連の国益中心の厳しい外交政策にアメリカは警戒心と不信感を抱くようになり、西の資本主義国家、東の共産主義国家の東西対立が始まった。これをイギリスのチャーチル前首相の演説にちなんで、鉄のカーテンと呼び、アメリカは社会主義国家拡大を防ぐために、封じ込め政策を開始し、冷戦は激しさを増していくことになる。冷戦は米ソの政治的、軍事的競争が熱い戦争には転化せず、潜伏したかたちの対立を意味するのだが、代理戦争という形で独立を目指し、独立を宣言した各国を巻き込んでいくことになる。
アジアでの冷戦状況の浮上はヨーロッパより遅れてきたものの、朝鮮戦争へと繋がる。戦時中は朝鮮の独立が構想としてあったものの、米ソの対立と国益を重視した結果、日本の敗戦以降、ソ連とアメリカが朝鮮を支配することとなった。北部はソ連、中国の支援によって異例なほどに強化され、南部はアメリカからの支援を受けたが、南部からの戦争挑発を恐れ、攻撃的な重装備を与えなかった。しかし、南部の治安悪化と、アメリカの最終防衛線から外されたことに伴い、北部が南部へ進軍し、戦争が勃発した。この戦争は資本主義国家と共産主義国家が対決した最初の戦争でもあり、東西冷戦の構図を決定づける戦いでもあった。結果的にこの戦争は、朝鮮に住む人々にとっては災厄でしかなく、東西冷戦に翻弄され、統一朝鮮の独立回復という理想を実現できないまま休戦する形になってしまう。
第二次世界大戦終結後から、朝鮮戦争やインドシア戦争を踏まえて、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国では、次々と独立宣言を果たし、第三世界と言われるようになった。独立を得た国々にとって、経済を急速に発展させるには共産主義体制が最適..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 P6302 米文学史　第２設題　2016年対応 A判定合格済み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aysan]]></author>
			<category><![CDATA[aysanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 15:03:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/" target="_blank"><img src="/docs/934202412804@hc17/128948/thmb.jpg?s=s&r=1492322613&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の(P6302)米文学史、第2設題のリポートです。
A判定で『よくできています』と所見をいただいています。
参考にして頂ければと思います。[199]<br />P6302 米文学史　第二設題
（１）「アメリカン・ルネッサンスについて、具体的な作家、及びその作品をあげて論じなさい」
（２）「ベトナム戦争とアメリカ文学について、具体的な作家、及びその作品名を挙げて論じなさい」
（１）
　アメリカン・ルネッサンスとは、通常1830年から南北戦争が終結した1865年までの時期のアメリカ文芸復興期をさすが、元々はハーバード大学教授であったF.O.マシーセンが彼の著書である『アメリカン・ルネッサンスーエマソンとホイットマンの時代の芸術（American renaissance: Art and Expression in the Age of Emerson and Whitman）』(1941)によって広められた用語であった。この著書では、ニューイングランドで発表された７つの文学作品（エマソンの『代表的人間』、ホーソーンの『緋文字』と『七破風の家』、メルヴィルの『白鯨』と『ピエール』、ソローの『ウォールデン』、ホイットマンの『草の葉』）が後世に残る傑作だとして評価し、これらが1850年から55年の間に集中していることから、この時期が文学の一大収穫期を特別に「アメリカン・ルネッサンス」と名付けたのである。
1850年頃のアメリカは、それまでの英文学の影響を大きく受けて文芸開花が顕著に現れ始め、印刷機の発達や交通手段の進展により出版業も盛んになった。この頃の米文学者の思想は当時の絵画などにも大きく影響を与え、特に思想家エマソンとソローの著述は当時のアメリカ風景画家と共鳴してあっていた。ソローは同郷で同じ大学のエマソンから超絶主義思想や行動の面で大きく影響を受けていた。詩人でもあり牧師経験もあるエマソンは『自然論』を1836年に刊行し、60年代までにかけてアメリカで大きな潮流となる思想を形成した。超絶主義とは、経験の世界、区別の世界を超えて絶対的な世界へ到達しようとする思想であり、この思想に強く影響を受けたソローはコンコードのウォールデン湖畔で2年2ヶ月間の生活を描いた『ウォールデン』(1854)を著した。彼は、自然の中で生活し社会との繋がりを断ち切った本当の自分自身を見つめることにより、自己の本質に迫ることを目的としたのだった。そして、このエマソンの超絶主義によりヨーロッパの伝統から逸脱したアメリカ独自の思想や生き方が創造されたので..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 P6302 米文学史　第１設題 2016年対応 A判定合格済み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aysan]]></author>
			<category><![CDATA[aysanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 15:03:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/" target="_blank"><img src="/docs/934202412804@hc17/128949/thmb.jpg?s=s&r=1492322614&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の(P6302)米文学史、第１設題のリポートです。
A判定で『よくできています』と所見をいただいています。
参考にして頂ければと思います。[201]<br />P6302 米文学史　第一設題
「マーク・トウェイン、J.D.サリンジャー、レイモンド・カーヴァーの各冒頭に引用された原文を日本語訳しなさい（テキスト中の日本語訳は参考までにし、自分独自の訳をすること）」
トウェインの英語
　「トム・ソーヤーの冒険」という本を君たちがもし読んでいなければ、僕のことは知らないだろう。しかし、それは大したことではない。この本は、マーク・トウェインという人物によって書かれ、物語のだいたいは本当のことが書かれている。まあ、少し大げさに言っているところもあるが、大抵は本当のことだから心配いらない。僕が思うに、人間一度や二度くらい嘘をつくものだから。ポリー伯母さんや未亡人..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[外国史　分冊１　日大通信　0625 0626]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941862958999@hc14/116843/]]></link>
			<author><![CDATA[ by anticucho]]></author>
			<category><![CDATA[anticuchoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 11 Nov 2014 18:35:59 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/941862958999@hc14/116843/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/941862958999@hc14/116843/" target="_blank"><img src="/docs/941862958999@hc14/116843/thmb.jpg?s=s&r=1415698559&t=n" border="0"></a><br /><br />日大通信　外国史の合格レポートです。
参考資料にして下さい。[88]<br />設問：第2次世界大戦後の東西対立と冷戦について述べなさい。

第二次世界大戦は人類史上最大の犠牲を払い、米英ソ等の連合国が日独伊の枢軸国に勝利し、終結した。アメリカは、工業生産力や原爆独占等の比類なき経済力と軍事力により世界に支配的な地位を保持した。一方、破壊的な損害を受けた欧州は、ソ連が率いる共産圏に東欧が組み込まれ、東西に分裂した。こうして戦後の世界はアメリカを盟主とする資本主義圏と、ソ連を盟主とする共産圏の二つの世界に分裂し、実際の戦争に至らない「冷たい戦争」と呼ばれる緊張状態が続いた。チャーチル前英首相は、1946年の訪米中に「鉄のカーテン」と例えて、ソ連を中心とする社会主義勢力の拡大を警告する演説を行った。翌年、アメリカは、ギリシアと隣国トルコに対して経済及び軍事的援助を与えた。これがトルーマン－ドクトリンで、アメリカの対ソ基本政策である「封じ込め政策」の始まりである。同年に米国務長官マーシャルは、欧州の共産主義化を防ぐために、欧州復興計画を発表し、西欧16国が、このマーシャル＝プランを受け入れた。しかし、ソ連と東欧諸国及び仏伊の共産党はコミンフォルム（共産党・労働者党の情報..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係と日本外交政策の進行]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35706/thmb.jpg?s=s&r=1233297705&t=n" border="0"></a><br /><br />国際関係と日本の政冶外交
政冶外交における「戦後」
冷戦時期米ソ2つ超大国同士間が政冶の役割かなり占められたが、多極化が誕生後軍事力依然として米ソ核大国に占められた。
米国が少々下降気味、ソ連は崩壊後少々増大傾向になった。
冷戦期と言う戦後[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[フォレスト・ガンプ感想]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431731201@hc05/11745/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tomonori4]]></author>
			<category><![CDATA[tomonori4の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 27 Nov 2006 12:59:57 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431731201@hc05/11745/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431731201@hc05/11745/" target="_blank"><img src="/docs/983431731201@hc05/11745/thmb.jpg?s=s&r=1164599997&t=n" border="0"></a><br /><br />フォレスト・ガンプ感想　～ダン・テイラー中尉～
　
私が、この映画の登場人物の中で最も感銘をうけたキャラクターは、ベトナム戦争の被害者であるダン・テイラー中尉です。
厳しくて、責任感の強くて、プライドの高いダン・テイラー中尉は、初めのうちは[354]<br />フォレスト・ガンプ感想　～ダン・テイラー中尉～
　
私が、この映画の登場人物の中で最も感銘をうけたキャラクターは、ベトナム戦争の被害者であるダン・テイラー中尉です。
厳しくて、責任感の強くて、プライドの高いダン・テイラー中尉は、初めのうちはベトナム戦争でフォレストに助けられたことをとても恨んでいました。フォレストはただ純粋に助けたいという気持ちだったのですが、ダン・テイラー中尉にとって両足を失った状態で生きていくということは屈辱でしかなかったのだと思います。
映画の中でダン・テイラー中尉が、「こんな惨めな姿で生き残るはずじゃない。名誉の戦死をするはずだった。」というようなことを言っていましたが、エビ釣り船の船長になるという夢を持ちながら戦死してしまったババのことを思うと、ダン・テイラー中尉の気持ちも少しわかるだけに、ものすごく心が痛みました。
ダン・テイラー中尉はフォレストが悪いわけではないということを、自分の中では理解していたんだと思います。しかしこのやり場のない怒りや苦しみをどうしたら良いのかわからず、フォレストにぶつけてしまったんだと思います。そんなことをしても、純粋なフォレスト..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[戦場写真家　橋田信介について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11285/]]></link>
			<author><![CDATA[ by tonbo789]]></author>
			<category><![CDATA[tonbo789の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 05 Nov 2006 01:26:06 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11285/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431631501@hc05/11285/" target="_blank"><img src="/docs/983431631501@hc05/11285/thmb.jpg?s=s&r=1162657566&t=n" border="0"></a><br /><br />今期の授業の中でも、特に果敢に戦場を駆け巡り写真を撮ってくる戦場写真家の話に興味を持った。戦場写真家といえば沢田教一さんや一ノ瀬泰造さんが有名であるが、本レポートでは橋田信介さんに焦点をあて、自分の意見を述べてみたいと思う。
まず始めに橋田[358]<br />戦場写真家　橋田信介について
今期の授業の中でも、特に果敢に戦場を駆け巡り写真を撮ってくる戦場写真家の話に興味を持った。戦場写真家といえば沢田教一さんや一ノ瀬泰造さんが有名であるが、本レポートでは橋田信介さんに焦点をあて、自分の意見を述べてみたいと思う。
まず始めに橋田さんの略歴についてまとめてみたいと思う。1942年山口県宇部市に生まれた橋田さんは70年に法政大学卒業後、大マスコミが後ずさりするような紛争地帯でも果敢に乗り込んでいく通信社として知られる、日本電波ニュース社に入社する。以後ベトナム戦争中のハノイに特派員として駐在するなど、東南アジアを中心にニュース・カメラマンとして活躍する。78年バンコク支局長、80年ローマ市局長を経て、89年退社し、フリーランスとしてタイを拠点にニュース・ボックス・アジアを設立する。主にアジアの戦争をテーマとした報道番組を制作する。さらに戦場フリーカメラマンとして、湾岸戦争やカンボジア内戦、ビルマ動乱、ボスニア内戦、パレスチナ内戦、アフガン戦争、イラク戦争など世界の戦場、内乱の地での取材活動を活発に続ける。2004年5月27日、イラクのバグダッド近郊..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[アメリカの戦争]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429517601@hc06/11130/]]></link>
			<author><![CDATA[ by trip1985]]></author>
			<category><![CDATA[trip1985の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 16 Oct 2006 01:02:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429517601@hc06/11130/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429517601@hc06/11130/" target="_blank"><img src="/docs/983429517601@hc06/11130/thmb.jpg?s=s&r=1160928165&t=n" border="0"></a><br /><br />今回の米国史概論のレポートでは、以前、授業でも取り上げられ、興味を持ったアメリカ史の中で比較的近年に起きた二つの戦争、ベトナム戦争とイラク戦争について書こうと思う。
ベトナム戦争とは、１９６０年代初頭から１９７５年４月３０日までベトナムの[356]<br />アメリカの戦争
今回の米国史概論のレポートでは、以前、授業でも取り上げられ、興味を持ったアメリカ史の中で比較的近年に起きた二つの戦争、ベトナム戦争とイラク戦争について書こうと思う。
ベトナム戦争とは、１９６０年代初頭から１９７５年４月３０日までベトナムの地で繰り広げられた、南ベトナムと北ベトナムとの武力衝突をいう。
　しかし、戦争の実体は南ベトナムを支援したアメリカと北ベトナムを支援したソ連、中国との政治戦略的な戦争といえる。
　アメリカは、ケネディ、ジョンソン、ニクソンと３代の大統領が関与し１，５００億ドルの巨費とピーク時には年間５４万人の軍人を派遣し、国の威信をかけて挑んだ戦争であった。結果はといえば、北ベトナム側の勝利に終わりアメリカ軍はベトナムの地から撤退を余儀なくさせられたのである。この戦争には、アメリカからの経済援助とひきかえに各国の国策のもと、韓国、タイ、オーストラリア、ニュージーランド及びフィリピンから兵士が送り込まれた。
　この戦争の犠牲は大きく、撤退したアメリカ軍でさえ５万８千人以上の戦死者を出してしまった。南北ベトナム人民に至っては２００万近い人が犠牲になったとい..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ 湾岸戦争&minus;メディアの敗北]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430758501@hc06/6756/]]></link>
			<author><![CDATA[ by xgofvy]]></author>
			<category><![CDATA[xgofvyの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 14 Feb 2006 16:10:08 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430758501@hc06/6756/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430758501@hc06/6756/" target="_blank"><img src="/docs/983430758501@hc06/6756/thmb.jpg?s=s&r=1139901008&t=n" border="0"></a><br /><br />　1997年1月17日から2月28日の約一ヶ月間、イラク軍のクウェート侵攻によってアメリカを中心とする多国籍軍とイラクとの間に湾岸戦争が起こった。湾岸戦争におけるメディアの役割として挙げられるのは、技術の進歩で情報の伝達スピードが躍進し、メ[340]<br />　　　　　　　　　　　　　『湾岸戦争－メディアの敗北』　　　　　
　1997年1月17日から2月28日の約一ヶ月間、イラク軍のクウェート侵攻によってアメリカを中心とする多国籍軍とイラクとの間に湾岸戦争が起こった。湾岸戦争におけるメディアの役割として挙げられるのは、技術の進歩で情報の伝達スピードが躍進し、メディアが外交の手段になったことと、多国籍軍による報道規制で報道される情報が限られ、アメリカによる世論操作の一端を担ったことの２つである。
　湾岸戦争といって思い出されるのは、暗闇のなか花火のように空中に光が炸裂するピンポイント攻撃の生中継であろう。湾岸戦争では、通信技術の革新のよって戦争の同時..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『本当の戦争の話をしよう』から読み取れること]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431793901@hc05/2577/]]></link>
			<author><![CDATA[ by popohmura]]></author>
			<category><![CDATA[popohmuraの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 24 Oct 2005 19:55:47 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431793901@hc05/2577/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431793901@hc05/2577/" target="_blank"><img src="/docs/983431793901@hc05/2577/thmb.jpg?s=s&r=1130151347&t=n" border="0"></a><br /><br />ティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」を読んだが、作者がわれわれ読者の理性にではなく、本能的部分、感覚の部分に語りかけているのをひしひしと感じた。特に戦場の場面の描写がそうであった。戦場において「死とすれすれになった時ほど激しく生[360]<br />ティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」を読んだが、作者がわれわれ読者の理性にではなく、本能的部分、感覚の部分に語りかけているのをひしひしと感じた。特に戦場の場面の描写がそうであった。戦場において「死とすれすれになった時ほど激しく生きているのだ」と感じるのは、フォーディズムに端を発する大量消費時代を生きるうちに規格化された社会に慣れてしまって、生きているという感覚を失ってしまったからではないだろうか。実際作者は、戦争に行かねばならないという現実だけでなく、豚肉工場でのルーティンワークをし続けるという現実からも逃れなければ「自分の人生がどうしようもなく落ちぶれていくように思え」、身動きがとれなくなると思ったからこそカナダを目指したという風に読み取れる。結果として戦争には行ったけれども、日常の代わり映えの無さに押しつぶされそうになっていたのは事実であろう。そして、偶然遭遇した水牛の子をなぶり殺しにし、あるいは「実を言えば戦争はまた美しくもあるのだ。君は戦闘のすさまじいまでの荘厳さに息を呑まないわけにはいかないだろう。」などと感じるのは、「日常」の中で失われた、生きているという実感を..]]></description>

		</item>
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			<title><![CDATA[世界平和とアメリカの役割]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1767/]]></link>
			<author><![CDATA[ by sz2009]]></author>
			<category><![CDATA[sz2009の資料]]></category>
			<pubDate>Wed, 27 Jul 2005 22:45:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1767/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432421201@hc05/1767/" target="_blank"><img src="/docs/983432421201@hc05/1767/thmb.jpg?s=s&r=1122471925&t=n" border="0"></a><br /><br />私はノーム・チョムスキーのインタビュー記事をドキドキしながら最後まで読み終わった。それはノーム・チョムスキーの政治的発言があまりにも大胆的で率直だったからである。彼はグローバリゼーションに乗っ取って民主主義を口実に、第三世界へ続々と戦争を起[360]<br />『米国現代史への幻想を破る
知識人、マスコミに仮借ない批判』の読後感
―　世界平和とアメリカの役割　―
私はノーム・チョムスキーのインタビュー記事をドキドキしながら最後まで読み終わった。それはノーム・チョムスキーの政治的発言があまりにも大胆的で率直だったからである。彼はグローバリゼーションに乗っ取って民主主義を口実に、第三世界へ続々と戦争を起こしているアメリカ政府の対外政策、偽善たる米国知識人の真面目を明かしたのである。私はこのインタビューから深い感銘を受けた。ここで、インタビューの内容を踏まえて、反戦・世界平和に対する自分の感想を述べたい。
1．闘争なくして言論の自由はない　
チョムスキーはアメリカの言語学者、思想家である。彼はインタビューの中で、「アメリカには言論統制がない、言論弾圧はあってはいけない」と言いながら、アメリカの対外政策を批難した。アメリカでは本当に言論統制がないのか。ノーム・チョムスキーは作家であるノーマン・メイラーとともにベトナム戦争を反対するデモを行ったため逮捕された。当時アメリカで本当に言論統制がなかったとしたら、デモで何を陳べても自由であるし、逮捕されること..]]></description>

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