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		<title>タグ“ベトナム”の公開資料</title>
		<link>https://www.happycampus.co.jp/public/tags/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0/</link>
		<description>タグ“ベトナム”の公開資料</description>
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		<webMaster>cs@happycampus.co.jp</webMaster>
		<copyright>Copyrightⓒ 2002-2026 AgentSoft Co., Ltd. All rights reserved</copyright>

		<item>
			<title><![CDATA[東京福祉大学教養基礎演習Ⅱ科目終了試験ポイント1　次の出来事を年代順に並べ替え、どのような出来事か簡単に説明せよ。]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></link>
			<author><![CDATA[ by きょうたろう２号]]></author>
			<category><![CDATA[きょうたろう２号の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Sep 2024 18:03:02 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/911001053949@hc24/153903/" target="_blank"><img src="/docs/911001053949@hc24/153903/thmb.jpg?s=s&r=1725872582&t=n" border="0"></a><br /><br />東京福祉大学科目終了試験のポイント
科目名：教養基礎演習Ⅱ　科目コード:1008
文章表現の科目終了試験学修のポイントの1です
今年からオンライン試験に変わったので、参考にしていただければと思います。[285]<br />沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれ、日本国憲法が適用されず、立法・行政・司法といった施政権は米国が握っている状況であった。その施政権が1972年5月15日に日本に返還されたことを沖縄返還と呼ぶ。沖縄返還では、沖縄本島はもちろん宮古列島、八重山列島、久米島、大東諸島などの諸島もアメリカから返還されることとなった。1960年に入り、強制的な土地接収に対する「島ぐるみ」の運動、理不尽な無罪判決への反発など米軍の圧政に対し、住民は声を上げ続け、沖縄住民の日本復帰が期待されていた。そんな中、佐藤栄作首相が沖縄返還を実現するためにアメリカ政府との交渉を進め、1972年5月15日、正式に沖縄が日本に返..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[地誌　ベトナムを知る]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938460902408@hc15/143020/]]></link>
			<author><![CDATA[ by manabe280]]></author>
			<category><![CDATA[manabe280の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jan 2021 19:03:25 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/938460902408@hc15/143020/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/938460902408@hc15/143020/" target="_blank"><img src="/docs/938460902408@hc15/143020/thmb.jpg?s=s&r=1611569005&t=n" border="0"></a><br /><br />大学の本授業を受けるにあたり、ベトナムの地誌に要点を絞って取り組んできたレポートです。書籍をよく読んでいることが伺えるようなまとめ方として高く評価を受けました。「S評価」です。そのまま引用せず、作り方をご参考してください。[331]<br />テーマ
テキストの３東南アジアを読んで学修した後に、『ベトナムの地誌』について具体的に説明しなさい。なお、テキストには事例がないので、地図・グラフ・表などはテキスト以外の参考文献を活用しても構わない。

１、ベトナムの地域的特徴と人口をみる 
ベトナムはインドシナ半島の東側に位置しており、東西約 600 ㎞、南北約 1650 ㎞に及ぶ細長い本土と南シナ海の南沙諸島や西沙諸島などの群島からなることが地図帳から読み取れる。（ARC、2019）によると国土の 73％が山地で形成され、平野部は北部の紅河デルタや南部のメコンデルタ周辺部、海岸線に沿ってわずかに広がっている。本土から離れた領土としてホーチミンから約 600 ㎞の東、南シナ海に浮かぶチュオンサ群島（スプラトリー諸島、南沙諸島）とダナンの約 400 ㎞東ホアンサ群島（パラセル諸島、西沙諸島）の領有権を主張している。ベトナム最大の島は最西端の領土となるシャム湾にうかぶフーコック島であることが把握できる。また（国際、2019）では、紅河デルタ、北部内陸・山間地域、北中部・中部沿岸地域、中部高原、 南東部、メコン川デルタの 6 地域に分けら..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 P6302 米文学史　第２設題　2016年対応 A判定合格済み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aysan]]></author>
			<category><![CDATA[aysanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 15:03:33 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128948/" target="_blank"><img src="/docs/934202412804@hc17/128948/thmb.jpg?s=s&r=1492322613&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の(P6302)米文学史、第2設題のリポートです。
A判定で『よくできています』と所見をいただいています。
参考にして頂ければと思います。[199]<br />P6302 米文学史　第二設題
（１）「アメリカン・ルネッサンスについて、具体的な作家、及びその作品をあげて論じなさい」
（２）「ベトナム戦争とアメリカ文学について、具体的な作家、及びその作品名を挙げて論じなさい」
（１）
　アメリカン・ルネッサンスとは、通常1830年から南北戦争が終結した1865年までの時期のアメリカ文芸復興期をさすが、元々はハーバード大学教授であったF.O.マシーセンが彼の著書である『アメリカン・ルネッサンスーエマソンとホイットマンの時代の芸術（American renaissance: Art and Expression in the Age of Emerson and Whitman）』(1941)によって広められた用語であった。この著書では、ニューイングランドで発表された７つの文学作品（エマソンの『代表的人間』、ホーソーンの『緋文字』と『七破風の家』、メルヴィルの『白鯨』と『ピエール』、ソローの『ウォールデン』、ホイットマンの『草の葉』）が後世に残る傑作だとして評価し、これらが1850年から55年の間に集中していることから、この時期が文学の一大収穫期を特別に「アメリカン・ルネッサンス」と名付けたのである。
1850年頃のアメリカは、それまでの英文学の影響を大きく受けて文芸開花が顕著に現れ始め、印刷機の発達や交通手段の進展により出版業も盛んになった。この頃の米文学者の思想は当時の絵画などにも大きく影響を与え、特に思想家エマソンとソローの著述は当時のアメリカ風景画家と共鳴してあっていた。ソローは同郷で同じ大学のエマソンから超絶主義思想や行動の面で大きく影響を受けていた。詩人でもあり牧師経験もあるエマソンは『自然論』を1836年に刊行し、60年代までにかけてアメリカで大きな潮流となる思想を形成した。超絶主義とは、経験の世界、区別の世界を超えて絶対的な世界へ到達しようとする思想であり、この思想に強く影響を受けたソローはコンコードのウォールデン湖畔で2年2ヶ月間の生活を描いた『ウォールデン』(1854)を著した。彼は、自然の中で生活し社会との繋がりを断ち切った本当の自分自身を見つめることにより、自己の本質に迫ることを目的としたのだった。そして、このエマソンの超絶主義によりヨーロッパの伝統から逸脱したアメリカ独自の思想や生き方が創造されたので..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[佛教大学 P6302 米文学史　第１設題 2016年対応 A判定合格済み]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/]]></link>
			<author><![CDATA[ by aysan]]></author>
			<category><![CDATA[aysanの資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 16 Apr 2017 15:03:34 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/934202412804@hc17/128949/" target="_blank"><img src="/docs/934202412804@hc17/128949/thmb.jpg?s=s&r=1492322614&t=n" border="0"></a><br /><br />佛教大学の(P6302)米文学史、第１設題のリポートです。
A判定で『よくできています』と所見をいただいています。
参考にして頂ければと思います。[201]<br />P6302 米文学史　第一設題
「マーク・トウェイン、J.D.サリンジャー、レイモンド・カーヴァーの各冒頭に引用された原文を日本語訳しなさい（テキスト中の日本語訳は参考までにし、自分独自の訳をすること）」
トウェインの英語
　「トム・ソーヤーの冒険」という本を君たちがもし読んでいなければ、僕のことは知らないだろう。しかし、それは大したことではない。この本は、マーク・トウェインという人物によって書かれ、物語のだいたいは本当のことが書かれている。まあ、少し大げさに言っているところもあるが、大抵は本当のことだから心配いらない。僕が思うに、人間一度や二度くらい嘘をつくものだから。ポリー伯母さんや未亡人..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[VJEPA介護福祉士候補者入国にあたっての私見]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430212301@hc06/104359/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kaneanites]]></author>
			<category><![CDATA[kaneanitesの資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 27 Jun 2013 09:54:48 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430212301@hc06/104359/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430212301@hc06/104359/" target="_blank"><img src="/docs/983430212301@hc06/104359/thmb.jpg?s=s&r=1372294488&t=n" border="0"></a><br /><br />ベトナムからの新しい枠組みで入国してくる介護福祉士候補者受入れを前に、その特徴や課題を分析した。25年度中に国際厚生事業団が発行予定のベトナムEPA看護師・介護福祉士人材マネジメント手引き（仮題）の参考文献のひとつ。[314]<br />「JVEPA介護福祉士入国にあたっての私見」
【はじめに】
我が国の辞典を開いても、「介護」とは「高齢者・病人などを介抱し世話をすること」と記載されており、これを起点にして介護観を醸成し、その変遷を迎えて来た。そう考えると、介護の概念のない国はないと言ってよい。ベトナムの国民の中にも「介護」は厳然として存在するものである。
日本式の介護概念、あるいは日本と同じ介護観があるかないかということなら、国民性も歴史も違うベトナムと日本の介護が同等のものであるはずもない。国民皆保険等の社会保障制度が確立して以降に少子高齢化を迎えた日本と、経済発展途上にある現状のベトナムは、例えるならば「富んでから老いた国」と「富む前に老いた国」。そこに介護概念、介護観の差があるのは当然のことである。
少子高齢化が進行しているベトナム社会にとって、介護を含む高齢者福祉問題が今後より深刻になっていくことは想像に難くないが、ヴォルフェンスベルガーが「ノーマライゼーション理念は、あらゆる人間社会に共通する普遍的なものだが、生活様式・生活条件の異なる諸国または時代によって相違する」と「社会福祉サービスの本質」で述べている様に、ベトナムはベトナムの介護、ベトナムのノーマライゼーションを構築し、醸成していくべきであることを見誤ってはならない。
そもそも1999年の閣議決定に於いて外国人労働力の受け入れに関しては、「単に少子・高齢化に伴う労働力不足への対応として外国人労働者の受入を考えることは適当でない」とされている。EPA自然人の移動も「日本と相手国の経済上の連携を強化する観点から、公的な枠組みで特例的に行うもので、労働力不足への対応が目的ではない」が前提であり、実情はともかくとして日本・ベトナムEPA（JVEPA）も日本の介護をベトナム社会にトレースして、マッチさせていく作業行程を指すものや、日本に介護労働力を摂り込むためのものではない。
EPAは日本も相手国も、移動する人も受け入れる人もWIN-WINであることが望まれ、JVEPAを通して将来的に深刻課題になっていく介護をどの様に採り入れていくかは、ベトナムに委ねられる。
１　ベトナムの高齢者福祉
（１）高齢化の状況
ベトナムの高齢者福祉は家族によって支えられてきた。2000年に制定された「高齢者法」では、高齢者の扶養義務について「配偶者や実子ある..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベトナム戦争とその後]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429856301@hc06/93113/]]></link>
			<author><![CDATA[ by jyojyo]]></author>
			<category><![CDATA[jyojyoの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 08 May 2012 19:15:10 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983429856301@hc06/93113/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983429856301@hc06/93113/" target="_blank"><img src="/docs/983429856301@hc06/93113/thmb.jpg?s=s&r=1336472110&t=n" border="0"></a><br /><br />ベトナム戦争とその戦後
　　　　　　　　　　　　　　　　
このレポートはベトナム戦争とそれによる影響について概要を説明し、ベトナムの経済復興とその課題や解決策について論じたものである。
1960年代初頭から1975年4月30日までの間、北と南に分かれてベトナムの地で繰り広げられた武力抗争であり、アメリカ、ソ連、中国との政治戦略色合いを帯びた戦争であった。そして、北を支援したのがソ連、中国などの社会主義国であり南を支援したのがアメリカであった。 　そもそもアメリカのベトナムに対する介入はアメリカのヘゲモニーのもとに統一された資本主義経済を構築するために不可欠と思われた日本の経済再建を、日本に東南アジアという市場を与えることによって達成しようとしたアメリカが、この構想を台無しにしかねない脅威を除去しようとした狙いや、アメリカ経済を活 性化させるために軍産複合体を基盤にして経済的に潤おうとした考えなどアメリカにとどまらず各国には戦争という枠組みを超えた様々なもくろみがあった。 　ケネディ、ジョンソン、ニクソンとアメリカにとっては3代の大統領が関与し1,500億ドルの巨費と多いときには年間54..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際マクロ経済学(工業化の可能性)]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956991181124@hc10/62624/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kllr301]]></author>
			<category><![CDATA[kllr301の資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 23:10:14 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/956991181124@hc10/62624/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/956991181124@hc10/62624/" target="_blank"><img src="/docs/956991181124@hc10/62624/thmb.jpg?s=s&r=1264428614&t=n" border="0"></a><br /><br />ベトナムの工業化の可能性
まずは現在のベトナムの状況を知るために産業構造について調べてみることにする。
品目別輸出統計(100万ドル)
2006年 2007年 2008年 1位 原油(8,264.7) 原油(8,487.6) 原油(10,356.8) 2位 繊維・衣料(5,834.4) 繊維･衣料(7,749.7) 繊維･衣料(9,120.4) 3位 履物(3,591.6) 履物(3,994.3) 履物(4,767.8) 4位 水産物(3,358.0) 水産物(3,763.4) 水産物(4,510.1) 5位 木製品(1,932.8) 木製品(2,404.1) コメ(2,894.4) 
品目別..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[『戦争の悲しみ』を読んで]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56391/]]></link>
			<author><![CDATA[ by よもぎだ]]></author>
			<category><![CDATA[よもぎだの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 17 Oct 2009 20:05:01 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56391/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960826561932@hc08/56391/" target="_blank"><img src="/docs/960826561932@hc08/56391/thmb.jpg?s=s&r=1255777501&t=n" border="0"></a><br /><br />『戦争の悲しみ』を読んで
徐々に貧富の差が開き始めたと指摘こそされるが、世界第二位の経済力を持つ現在の日本社会において、衣・食・住に苦労する人々は世界各国の中でも圧倒的に少ない。しかしその反面、フリーターやニートの増加、中高年の自殺者数の[356]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[国際関係と日本外交政策の進行]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></link>
			<author><![CDATA[ by kant4850]]></author>
			<category><![CDATA[kant4850の資料]]></category>
			<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:41:45 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/960618176802@hc08/35706/" target="_blank"><img src="/docs/960618176802@hc08/35706/thmb.jpg?s=s&r=1233297705&t=n" border="0"></a><br /><br />国際関係と日本の政冶外交
政冶外交における「戦後」
冷戦時期米ソ2つ超大国同士間が政冶の役割かなり占められたが、多極化が誕生後軍事力依然として米ソ核大国に占められた。
米国が少々下降気味、ソ連は崩壊後少々増大傾向になった。
冷戦期と言う戦後[350]<br />]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベトナム戦争へのアメリカの介入]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hrkjt982]]></author>
			<category><![CDATA[hrkjt982の資料]]></category>
			<pubDate>Thu, 17 Jan 2008 11:34:54 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430036701@hc06/18119/" target="_blank"><img src="/docs/983430036701@hc06/18119/thmb.jpg?s=s&r=1200537294&t=n" border="0"></a><br /><br />冷戦時代において、ベトナム情勢の展開で一方の主役になってしまったアメリカは、なぜベトナムにこれほどまでに大きな関心を集中したのだろうか。アメリカにとってベトナムという地域は、中南米などとは異なり直接の権益が存在する地域ではなかったはずである[360]<br />冷戦時代において、ベトナム情勢の展開で一方の主役になってしまったアメリカは、なぜベトナムにこれほどまでに大きな関心を集中したのだろうか。アメリカにとってベトナムという地域は、中南米などとは異なり直接の権益が存在する地域ではなかったはずである。アメリカのベトナム介入は「共産主義封じ込め」（ベトナムにアメリカが介入したのは、共産主義がインドシナ半島や東南アジアに拡大するのを抑止するため）という世界戦略の一環としてとらえられるようになってしまった。だが、このベトナム戦争を経験したことによりアメリカという大国が変容していくことができたのである。この戦争の背景には、アメリカ国内での反戦運動をはじめ、世界..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ゼミ発表　日越関係の歴史と現在]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428969601@hc07/15684/]]></link>
			<author><![CDATA[ by hanayakani46]]></author>
			<category><![CDATA[hanayakani46の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 09 Dec 2007 17:04:51 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983428969601@hc07/15684/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983428969601@hc07/15684/" target="_blank"><img src="/docs/983428969601@hc07/15684/thmb.jpg?s=s&r=1197187491&t=n" border="0"></a><br /><br />日越外交の歴史と現在
第1章
第二次世界大戦以前、大戦中、大戦後の日越関係
①大戦以前の日越関係
ベトナム・・・仏占領（仏領インドシナ）時代
日本・・・日露戦争勝利
フランス植民地主義の圧政に苦しむベトナムの主として中流階級知識人層の間から[346]<br />日越外交の歴史と現在
第1章
第二次世界大戦以前、大戦中、大戦後の日越関係
①大戦以前の日越関係
ベトナム・・・仏占領（仏領インドシナ）時代
日本・・・日露戦争勝利
フランス植民地主義の圧政に苦しむベトナムの主として中流階級知識人層の間から、日本への期待と呼びかけの声が湧き興った。
東遊運動=フランスからの独立のための人材育成の一環として日本に留学する動き
&darr;&darr;
消滅
原因：日露戦争に勝利した日本は先進国の仲間入りをすることに政策の重点を置いたため。
日仏間協約&larr;ベトナム人留学生の活動を抑止
日本への期待に基礎を置く植民地解放運動は挫折しホー・チミンによる民族独立運動が拡大していった
②大戦中の日越関係
日本軍の南部フランス領インドシナ進駐
日仏共同防衛の名目の下に、日本軍の南部フランス領インドシナ進駐及び海、空軍基地の使用を要求。
ベトナムと日本の関係&hellip;フランスのヴィシイ政権と日本との関係として処理された
仏印処理（仏領インドシナを日本軍の軍管理下においた実力行使）
フランスからそのまま引き継いだ形の支配
&darr;&darr;
日本の植民地支配
影響
・敗戦までの5ヶ月間に起きたベトナムでの問題
北..]]></description>

		</item>
		<item>
			<title><![CDATA[ベトナム、キン族の葬儀儀礼]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430555401@hc06/8114/]]></link>
			<author><![CDATA[ by saki4030]]></author>
			<category><![CDATA[saki4030の資料]]></category>
			<pubDate>Sun, 23 Apr 2006 13:21:30 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983430555401@hc06/8114/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983430555401@hc06/8114/" target="_blank"><img src="/docs/983430555401@hc06/8114/thmb.jpg?s=s&r=1145766090&t=n" border="0"></a><br /><br />研究地域名：ベトナム全土
民族名：キン族（京族）全ベトナム国民の90％
キン（京）族とは都に住む人という意味で中国からは独立した文明都市に住む民族という意味から発している。その後，北部のソンホンデルタを中心に稲作を行い，周辺の民族を取り[348]<br />東南アジア文化研究 前期レポート
研究地域名：ベトナム全土
民族名：キン族（京族）全ベトナム国民の90％
キン（京）族とは都に住む人という意味で中国からは独立した文明都市に住む民族という意味から発している。その後，北部のソンホンデルタを中心に稲作を行い，周辺の民族を取り込みながら現在のベトナムを形成する多数民族となる。時にベト（越）族とも呼ばれ狭い意味でのベトナム人を意味することもある。
死から葬儀までの順序
死&rarr;葬列&rarr;埋葬&rarr;喪、忌日&rarr;改葬
キン族の死生観
・アニミズム的信仰、仏教の教え、また儒教哲学の解釈などが入り混じっている。
&lt;死者と死者の子孫との関係&gt;
　死者の霊がどれくらい安らいでいるかは、死者の子孫が死者の霊を祀る程度、また死者が生前に孝養を尽くした程度に大いに関る。
&lt;生は寄、死は帰&gt;
　死＝塵界である短い生の後に帰ること。決定的ではなく単なる変化。
&lt;三魂七魄、三魂九魄&gt;
三魂七魄&rarr;男性、三魂九魄&rarr;女性
魂&rarr;　人間には魂が三つあり、それぞれ肉体とは独立したものであり、肉体に入って人間の生・心理を作り出す。
魄（ヴィア）&rarr;男性には七つ、女性には九つのヴィアがあり、ヴィアは..]]></description>

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			<title><![CDATA[Amerasian children in Vietnam]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431243201@hc06/4751/]]></link>
			<author><![CDATA[ by suseryna]]></author>
			<category><![CDATA[suserynaの資料]]></category>
			<pubDate>Mon, 09 Jan 2006 15:05:20 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431243201@hc06/4751/" target="_blank"><img src="/docs/983431243201@hc06/4751/thmb.jpg?s=s&r=1136786720&t=n" border="0"></a><br /><br />　Good afternoon everyone. Today, I&rsquo;ll talk about Amerasian children in Vietnam. Have you ever heard the word &ldquo;Amerasian&rdquo;[128]<br />Amerasian Children in Vietnam
Good afternoon everyone. Today, I&rsquo;ll talk about Amerasian children in Vietnam. Have you ever heard the word &ldquo;Amerasian&rdquo;? it means mixed-race　people who have parents of who are Asian and American. In Japan, most Amerasians are in Okinawa and there is a Amerasian school there. This situation is connected to the war, American military bases. I&#039;m especially interested in Amerasian children in Vietnam who are the children of Vietnamese and Americans conceived during the ..]]></description>

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			<title><![CDATA[ベトナム戦争とイラク戦争の比較（経過と共通点・相違点）]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/605/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 20:34:13 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/605/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/605/thmb.jpg?s=s&r=1119699253&t=n" border="0"></a><br /><br />ベトナムが共産主義の手に落ちれば世界中が雪崩式に共産主義に支配されるのではないか、という危惧感を抱いたアメリカが１９６０年代初頭から軍事介入を強めた事により起こる。表面的には、南ベトナムと北ベトナム間の武力闘争だったが、実質的には、南ベトナ[360]<br />ベトナム戦争（１９６5年‐１９７５年）
第2次インドシナ戦争の通称。対フランスの第一次インドシナ戦争後に、ベトナム独立と南北統一をめぐって戦われた戦争。
＜概容＞
ベトナムが共産主義の手に落ちれば世界中が雪崩式に共産主義に支配されるのではないか、という危惧感を抱いたアメリカが１９６０年代初頭から軍事介入を強めた事により起こる。表面的には、南ベトナムと北ベトナム間の武力闘争だったが、実質的には、南ベトナムを支援するアメリカと北ベトナムを支援するソ連および中国の代理戦争だった。
＜経過＞
トンキン湾での北側による攻撃（トンキン湾事件）を契機に爆撃。その報復に、解放軍が米軍を攻撃した。６３年に起こったケネディー暗殺の翌年の事件であり、その頃を堺にジョンソンが全権を得るが、トンキン湾事件は情報操作による架空の事件だったという見方もあり、真偽の程は不明。ジョンソンは北ベトナムへの支援を断つ為と称し、北部へ大規模な爆撃により戦争は拡大され、泥沼化してゆく。北爆は軍事施設以外の民間部にも及び、アメリカ国民の疑問が膨れ上がった。６７年にはニューヨークの反戦運動に黒人が加わり、米国内はもちろん、社会主義..]]></description>

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			<title><![CDATA[ベトナム戦争とイラク戦争の比較]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/604/]]></link>
			<author><![CDATA[ by atmosphere]]></author>
			<category><![CDATA[atmosphereの資料]]></category>
			<pubDate>Sat, 25 Jun 2005 20:27:22 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983432338401@hc05/604/" target="_blank"><img src="/docs/983432338401@hc05/604/thmb.jpg?s=s&r=1119698842&t=n" border="0"></a><br /><br />多くの命を奪ったこの二つの戦争には共通する点が多数ある。その中でも軸になるものは、両戦争ともアメリカ国家巨大化の為の犠牲だったのではないか、という疑いがある所だ。一方は社会主義国家の増殖を恐れ、一方は石油利権の確保及び不穏分子の一掃摘み取り[360]<br />ベトナム戦争とイラク戦争の比較
多くの命を奪ったこの二つの戦争には共通する点が多数ある。その中でも軸になるものは、両戦争ともアメリカ国家巨大化の為の犠牲だったのではないか、という疑いがある所だ。一方は社会主義国家の増殖を恐れ、一方は石油利権の確保及び不穏分子の一掃摘み取りだった。大きく違う点は、イラク戦争に対しての反応を国民が半ば強制された形になった事だ。反戦の意を唱えた女子学生がリンチにあった事件もまだ記憶に新しい。情報操作ともいえる周到な誘導により世論を動かし、戦争を必然と思わせた手腕は見事なものである。９．１１以前から予測されたとされるこの不条理の戦いはアメリカにとって大きな転機となった事は言うまでもない。歴史は繰り返す、とは良くいったものだ。実際に繰り返すのではなく、人間の考える事が時代を経たとしても大して変りはしないだけではないのかと思う。歴史としてみると何故同じ間違いを繰り返すのかと呆れ果てる事もある。戦争という事業はそんなにも利益になる甘い蜜なのだろうか。
ベトナム戦争頃アメリカは大きく揺れた時代だった。キング牧師の展開する黒人の人権運動は壮絶を極め、初めは戦争に対して好..]]></description>

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