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		<title>タグ“フレネ教育”の公開資料</title>
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			<title><![CDATA[フレネ教育について]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/chiyuki/12258/]]></link>
			<author><![CDATA[ by chiyuki]]></author>
			<category><![CDATA[chiyukiの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 26 Dec 2006 23:53:36 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/chiyuki/12258/" target="_blank"><img src="/docs/chiyuki/12258/thmb.jpg?s=s&r=1167144816&t=n" border="0"></a><br /><br />フレネ教育から日本のこれからの教育評価活動を考える
フレネ教育における評価活動
フレネは、自身の著書、『手仕事を学校へ』で、次のように述べている。
「&hellip;子供というものは――大人だって同じことなのだが――自分の努力の可能な範囲と管理、自分の進[354]<br />フレネ教育から日本のこれからの教育評価活動を考える
フレネ教育における評価活動
フレネは、自身の著書、『手仕事を学校へ』で、次のように述べている。
「&hellip;子供というものは――大人だって同じことなのだが――自分の努力の可能な範囲と管理、自分の進歩のできるだけ正確な評価を求めるものである。（中略）つまり仕事が複雑に、重要なものになればなるほど、歩みは長くなり、子供は数々の階段の途中に自分の溜まるべき踊り場を作りたい欲求を覚えるのだ。この踊り場、この階段をわれわれの成績管理は定め、測定しなければならない。
この成績評価は不公平、恣意、誤りといった人間的危惧があることを考えるなら、教員だけでするべきでは..]]></description>

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			<title><![CDATA[日本の道徳教育に関する一考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431491501@hc05/3958/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayobanana]]></author>
			<category><![CDATA[mayobananaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 14:03:34 +0900</pubDate>
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			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431491501@hc05/3958/" target="_blank"><img src="/docs/983431491501@hc05/3958/thmb.jpg?s=s&r=1134450214&t=n" border="0"></a><br /><br />はじめに
　私が小中１０年間で経験した道徳の授業内容は、道徳の教科書を読みそれに関する感想を述べたり、感想文を提出したりするといった退屈なものであった。生徒たちは模範的な感想を述べ、教師は最後にみんなの意見をまとめる。現在中学３年生の妹や[356]<br />道徳教育論Ａ
日本の道徳教育に関する一考察
～フレネ教育を用いて心に響く道徳授業を～
はじめに
　私が小中１０年間で経験した道徳の授業内容は、道徳の教科書を読みそれに関する感想を述べたり、感想文を提出したりするといった退屈なものであった。生徒たちは模範的な感想を述べ、教師は最後にみんなの意見をまとめる。現在中学３年生の妹や小学５年生の弟に聞いても授業内容が変わっている様子はなく、妹の場合は受験勉強のための自習時間に、弟の場合は進度の悪い他の授業にとってかわってしまうことも少なくないそうだ。確かに、１年間で進めるべき範囲の決まっている他の学習教科と違って範囲もなく、具体的な学習内容があるわけでもない道徳の時間は、学校行事や授業変更には都合がいい。しかし、それではなんのための道徳の時間であろうか。もっと有効に使えないのか。そもそも、道徳の時間とはどのような授業を行うべきなのだろうか。
　
１．道徳教育の時間
　中学校の学習指導要領には、「道徳教育の目標は、（中略）学校の教育活動全体を通じて、道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする。道徳の時間においては、（中略）道徳..]]></description>

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			<title><![CDATA[フレネ教育に関する一考察]]></title>
			<link><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431491501@hc05/3955/]]></link>
			<author><![CDATA[ by mayobanana]]></author>
			<category><![CDATA[mayobananaの資料]]></category>
			<pubDate>Tue, 13 Dec 2005 13:44:16 +0900</pubDate>
			<guid><![CDATA[https://www.happycampus.co.jp/docs/983431491501@hc05/3955/]]></guid>
			<description><![CDATA[<a href="https://www.happycampus.co.jp/docs/983431491501@hc05/3955/" target="_blank"><img src="/docs/983431491501@hc05/3955/thmb.jpg?s=s&r=1134449056&t=n" border="0"></a><br /><br />　私がフレネ教育について調べて一番驚いたのは、フレネ学校では、やることなすこと全て子どもに興味のあることばかり、子どもが好きなことばかりをやる学校であるということだ。これは私が体験して来た小・中・高等学校での計12年間とは、全く異なるもので[356]<br />フレネ教育についての考察
　私がフレネ教育について調べて一番驚いたのは、フレネ学校では、やることなすこと全て子どもに興味のあることばかり、子どもが好きなことばかりをやる学校であるということだ。これは私が体験して来た小・中・高等学校での計12年間とは、全く異なるものである。最初の印象は、「学校は嫌なこともやるところであり、好きなことばかりをしていていいところではない」と思い、フレネ教育にあまり賛同できなかった。しかしビデオで、自分たちで自主的に勉強する子どもたちを観て、教育とはどうあるべきかについて再度考えさせられた。というのも、フレネ学校の生徒たちは、日本の諸学校の生徒たちよりもずっと生き生きと勉強していたからである。フレネ学校の生徒たちを見ていると、本来学びとは自主的に行うべきものであって、義務で無理やりやるものではなかったのでは、と思い出させられるのだ。
フレネ学校&hellip;その教育の目的
フレネは教育の目的を「子どもは自分が役立ち、自分に役立ってくれる理性的共同体の内部で自己の人格を最大限に発展させる」と定義する。理性的共同体とはまず学校であり、それは競争や試験によって選別、序列づけをす..]]></description>

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